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大学時代、スキーに熱中し、仲間とよく志賀高原に行っていた。大学の寮があったので泊りがけでも行っていた。今は志賀高原と言えば日本最大のスキー場で、リフトが整備されているが、当時は志賀高原のゲレンデと言えば丸池スキー場だった。そこから熊の湯を過ぎ横手山のぞき小屋まで歩いて登って行く山スキーが人気だった。現在はのぞき小屋はなくドライヴインやのぞき展望台があるようだ。しかも横手山頂までリフトで上がれる。 我々は板にシールを着けてえっちらおっちら登って行った。そして万座温泉へとツアーすることもあった。そのルートは天候急変で遭難が起こるルートでもあった。シールとはスキーの滑り止めで、後ろへは滑らないが前へは滑られる。素材は当時はアザラシの皮だったが、現在はナイロンなどの化学繊維だそうだ。現在でもシールは山スキーには用いられている。シールとはアザラシの英語SEALSからきている。 5年後、名古屋で結婚式を挙げたとき、「シガスキークラブ」からの祝電が東京から届いていた。しかし、こんなクラブに覚えはない。その時はそれっきりで忘れていたが、今回アルバムを整理していたらこの祝電が保管されていた。 今、この祝電はいったい誰が送ってきたのだろう、と思い直しいる。当時のスキー仲間か、あるいは当時会社にいた大学の先輩からか、結局今さらわかるわけがない。 そんなことがあって、調べてみて驚いたのは、現在志賀エリアには74のリフトが在るそうだ。私がスキーに熱中していたころは数基しかなかった。その丸池スキー場で壁と呼ばれていたコースは、ゲレンデの上に立つと斜面が見えなくなるほどの急斜面だ。ここを滑り降りるのが上達の証としてよく挑戦したものだが、我々の仲間ではまともに滑り降りた者はいなかった。懐かしきスキー場そしてスキー仲間、想い出は尽きない。それにしても祝電を送ってきたのは誰だろう。 志賀の想い出
2020年07月31日
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約50年前、バングラデシュに肥料工場を建設するため、ダッカ近くに約1年半いた。その帰国時に、お土産に買ってきた一つがこの安かった木彫り女性像だ。以来、玄関に置きっぱなしで現在に至った。最近、散歩に行くとき使う使い捨てマスクを2~3回繰り返して使うので、散歩から帰ってきたとき、着けていたマスクをこの女性の頭にひっかけていた。しかし、よく見ると長年の埃が付着して汚れているのに気づき、初めてこの女性の全身を洗ってあげた。けっこう重い木質だがきめ細かに仕上げているので肌触りがなかなかよろしい。きれいにしてあげたので、気持ちよくマスクを掛けておいてくれるだろう。 バングラデシュの木彫り女性像
2020年07月25日
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"Empire of the Wolves"(狼の帝国)の映画をどうしても見たかったので、中古DVDをアマゾンプライムで探した。新品は4219円だったが、出品者販売で中古のDVDがあった。本体は1円からあったが、180円で送料350円を選び数日後に届けられた。それは包装されており新品かと思わせるもので、ぜんぜん問題なく観られた。 パリのトルコ人社会、悪徳刑事、そしてイスタンブール、東部のネムル―ド山と特にトルコを期待していた映画だ。小説では最後に、イスタンブールから東部トルコのネムル―ド山に移り、ヒロインの死で物語は終わる。しかし、映画では、イスタンブールを一瞬で通り越し、最後はネムル―ド山ではなく、より観光地化しているカッパドキアがロケ地に選ばれていた。こちらの方が活劇化し易かったのだろう。 カッパドキアは変容した地形が見どころで世界遺産でもあるが、最近はこの地に気球を上げて上空から眺める商売が流行り、空を気球が埋めるほど観光客が押し掛けている。数年前、私の親戚の者もトルコに行きこの気球に乗ってきたと言っていた。私が行ったころは静かな田舎だったし、ここで脹脛の腱を切断する事故に遭い、パンナムで横になって帰国した忘れられない記憶の地だ。 小説の鍵となるトルコ国粋主義者が崇拝する石像はカッパドキアにはなく、ネムル―ド山に存在すすものであり、その他にも映画の筋はトルコに来てから大幅に変更されている。ここは私にとって不満なところだ。美しいイスタンブールをもっと見せて欲しかった。 長編小説を映画化する場合、どうしても物語を削り更に凝縮化しなければならない。そこで脚本家、監督の腕の見せ所なのだが、小説を読んだ者にとっては物足りなくなったり、映画の方が分かりやすいとか、読む人見る人によって受け方が変わるのは止むを得ないことだろう。 映画のロケ地カッパドキア(上部中央の城塞は張りぽてかCG)
2020年07月18日
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つい最近読んだフランスミステリー、ジャン=クリストフ・グランジェの「狼の帝国」。15年前の出版で、文庫本ではあるが670頁の長編は目が疲れた。途中別件で離れたこともあって、図書館から返却期日が過ぎていると警告のメールが届いた。しかしすごい小説だ。描かれている分野が多岐に亘り、しかも専門的だ。ストリーの骨格をなすのは脳神経科学で、記憶分野を改変されたトルコ女性の物語だから疲れる、が面白かった。 このトルコ女性に関わる、パリのトルコ人社会、トルコからの麻薬ルート、トルコの国粋主義者、そして最後にトルコのアナトリア地方のネムル―ド山で物語は終わる。ネムル―ド山は世界遺産にも選ばれている。 トルコに1年間滞在し、ネムル―ド山にも登った者にとって、記憶を揺り起こす物語だった。ネムル―ド山の遺跡については、2014年3月のブログで紹介したが、今やトルコツアーの観光ルートになるほど人気となっているが、37年前は登る人も少なかった。歴史的遺跡は当時から姿は変わってないだろう。 そこで表題のことになるが、この小説が2005年にジャン・レノ主演で映画化されていた。ぜひこれを見たいとついにNetflixに加入した。他にも見たい映画やドラマがいくつかあり、加入すべきか否か以前から迷っていた。「愛の不時着」もその一つだが、これは私の嗜好に合ってなかったが、なぜか人気がある。韓国映画特有のメロドラマに惹かれるのか。北朝鮮の状景もなにかうそっぽい感じだ。そして、あろうことか目的の映画「Empire of the Wolves」はNetflixで扱っていなかった。人気のNetflixだが古い映画は取り扱いが少ないことを知った。Amazon Prime Videoでも無く、この作品は人気の点で劣るようだ。Netflixは、この一か月間で見たいものを全部見て、(録画はできるのだろうか)、一か月後に解約だ。 茜浜の夕景
2020年07月15日
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7月3日、市から7日に振り込むと案内が来た。振り込まれたのは6日だった。6月4日に申込書を郵送したので、33日間を要したことになる。当方は年金生活者だからこれぐらいの遅延はどうと言うことはないが、困窮している人たちにはまだかまだかの待ち時間だろう。今朝の新聞によると、千葉市の給付率は34%であり全国の8割から見ると大幅な遅れであり、タレント森田さんに替り次期県知事と目されている熊谷市長も謝っていた。 消費に回して欲しい政府の要求に応え、既に1万円ほど使ってしまったが、残りはスマホXperia5‖購入のために口座に残しておく。既に販売が始まっているXperia 1‖の人気は上々のようだ。特に前評判通りカメラの性能に使用者は満足している。しかしこのハイエンド機は13万円もするスマホで、私にとってはスマホの高機能も5Gもいらない。ただカメラがよければいいのだ。カメラやレンズを買い替える気ならXperia 1‖も買えるのだが、既に一眼レフから引退した私がそんな御託を並べても始まらない。結局、本音はXperia 1‖を買える人を羨んでいる。秋に発売のXperia5‖のカメラ仕様と価額に期待しよう。 茜浜防波堤の野良猫
2020年07月11日
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久米宏の、土曜日午後1時から約2時間のラジオ番組「久米宏ラジオなんですけど」が終わり、新しくバービーとかいう方の「週末のオト」が始まった。久米の番組のファンである私は、当日か翌日に散歩しながらスマホにイヤホンをつなぎradikoで聴いていた。 14年続いたキャスター久米の冠番組で、彼の辛口批評、またゲストとの絶妙なやり取りなど、75歳になったそうだがまだまだ舌鋒鋭く迫ってくる。キャスターと言えば、80歳の森本毅郎も76歳の遠藤泰子と共に朝6時半からの「森本毅郎・スタンバイ!」を30年続けており、私は毎朝ベッドの中で1時間遅れぐらいでCMを飛ばしながら聴いている。こちらはまだまだ続きそうだ。 久米さん本人は、集中力とか記憶力が落ちてきたので、『下り坂になって止めるのではなく、良い時に番組を終えることが、リスナーにとっても出演者にとっても良い思い出になる』と言っていた。が、それがこの6月27日に終了したのはなぜか、については巷間喧しい。官邸からの圧力か、そうじゃなくてギャラガ高過ぎたのか、なんていらぬ想像をしている。彼は現在「Kume*Net」というインターネット番組を定期的に配信して、まだ元気ぶりを見せている。 替ったバービーさんの初日を聴いた。まだその実力のほどはわからないが、女性のお笑いタレントであり、久米宏と比較するのは酷だろう。本人も久米の後継には恐縮すると言っていた。初日のこの内容を聞いて、やはり私の好みには合わないように思えた。TBSは年配のファンを切ってて若者のご機嫌を取りに行ったと見られても仕方がないだろう。 この立て札気になりませんか
2020年07月07日
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アレキサンダー大王のペルシャ征討最初の激戦地イッソスから南下し、原油積み出し基地ゼイハンを後にして地中海沿いに時計方向にぐるりと回って南下して行く。やがてアレキサンダー大王の名を残す美しい港町イスケンデルンが見えてくる。イスケンデルンとは、アレキサンダーのアラビア語名で、アレキサンドリアはその名の通り大王の町。このように大王の名を冠した地名はアジア・中東に数多い。 イスケンデルンを過ぎると古都アンタキアの町に入る。東ローマ帝国時代には西の首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブル)に対し、東の副都として栄えた町だ。 アレキサンダー大王亡き後、その広大な帝国は彼の将軍たちによって分割統治され、十六のアンティオク市が建設された。その中でシリア地方を統治したセレウコス朝の首都が現在のアンタキア市だが、その後のビザンチン(東ローマ帝国)時代には再び台頭してきたペルシャの抑えとしてこの町は重要な拠点であり、東ローマ帝国の副皇帝が統治していた。 アンタキアの町にモザイク博物館があった。ローマ時代に描かれたモザイク画は、トルコの各地で見られ、中には農家の庭先などでも見ることがあった。 アンタキアの先はシリアとなる。ここ地中海東岸はエルサレムまで続いて、聖書の時代があり、十字軍とアラブ軍の攻防の地であり、そして今も続く紛争の地だ。 アンタキアの町の郊外ハルビエは、ローマ多神教時代にダフネ神域と呼ばれ多くの神殿と偶像が立ち並ぶ聖地であったが、キリスト教の浸透によりすっかり荒廃してしまっていた。キリスト教から古ローマ教へと改宗して背教者と呼ばれたユリアヌス皇帝は、ペルシャの首都クテシフォンへの遠征を前に、この荒廃した神殿を復元させ、数日間百頭の牛を生贄に捧げ、勝利の祈願を行った後遠征に赴いたが、結局敗れ皇帝も命を落とすことになる。 今この地には、苔むした石垣がわずかに残っているのみだ。しかし、谷間に緑樹が茂り、流れる小川は水冷たく、小さな滝は涼風を呼び、神域にふさわしい雰囲気を保っていて、当時を偲ぶことができる。そして歴史に無頓着なアンタキアの市民にとって、この地は単なる憩いの場所でしかない。ここを訪れた私は、彼らの席に招かれタルキッシュコーヒーを振舞われたが、トルコ人はほんとうに気のいい人が多く、そして親日家が多い。 イスケンデルンの海岸通り 、ハルビエで寛ぐアンタキアの住民 モザイク館のポセイドン2点と若い男女
2020年07月04日
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地中海の東北端にトルコのゼイハンという町がある。グーグルアースを拡大して見ると、原油積み出しの突堤が何本か地中海に突き出ている。陸上には巨大な原油タンクが何基もある。イラクからの原油パイプラインの終着地であり、オイルタンカーへの積み出し基地だ。 海岸から少し北の方に向かうと、今はパイプラインが埋まっているが、紀元前333年にマケドニア軍とペルシャ軍が覇権を懸けて戦った「イッソスの戦い」の地だ。アレキサンダー大王の率いるマケドニア軍とダレイオス3世率いるペルシャ軍とが、ここイッソス(現在名はデルチョル)にて戦史に残る戦をした。時の大国ペルシャは5倍からの大軍をもって大王を待ち構えていた。平野を埋めた何十万という戦士の雄叫びと軍馬のいななきが荒野にとどろき、両軍は死力を尽くして戦った。しかし丘陵と海に挟まれた細長い平野イッソスでは、ペルシャ軍は大部隊を展開させられず、直進してくるマケドニア軍の槍騎軍団に次々と突き崩されていった。決戦の地を誤ったためにペルシャは敗れた、と後の史家は伝えている。地中海に夕日が沈むころ決着がついた。累々たる戦死者を残して敗走するペルシャ軍と、勝利の勝ち鬨をあげるマケドニア軍。 空を紅く染めた夕日が地中海に没してからも、私はその丘の麓で2300年前の戦争絵巻を目の前に繰り広げ、夕闇が迫るのを忘れていた。現在の地表上には当時の名残を示すものは何もないが、時々地中からは当時の遺品が出土すると聞く。 その後の東ローマ帝国(ビザンティン)時代に建造されたローマ水道の遺跡が、風化しながら、未だ辛うじてそれらしき形を留めている。 37年前、私はこのパイプラインのプロジェクトで現地ゼイハンにいた。因って旅と言っても海外出張だったが、仕事でトルコの彼方此方を動き回っていた。 ローマ水道の遺構の前にクルド人女性
2020年07月01日
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