全4件 (4件中 1-4件目)
1

シンスマホの機種は決まった。シンゴジラのシンとは、同音の「震」「神」「真」の意味が込められているそうだ。このシンスマホのシンは神、真、新が込めてある、 そのスマホは"Xiaomi14Ultra"。国内で販売が始まったら、カメラマンを始め多くの批評がべた褒めしている。カメラのいいスマホとして今や№1になったと言えそうだ。スマホ機能としても最先端だ。本来このようなカメラはソニーが造るべきだったとの声もある。 このスマホの評判がいいのは、「ライカと共同開発したクアッドカメラシステムを採用したフラッグシップスマートフォン」と宣伝されている通りだ。フラッグシップとは勿論全スマホに対してではなく、シャオミとしてのと解する必要がある。 とは言え、兎に角カメラ機能がスマホとしては頭抜けている。なにしろライカのカメラなのだ。ライカのカメラはアンリやキャパも傑作を残しており、多くのカメラマンの垂涎の的てある。私も一時は憧れたものだが、とても私などに手の届く代物ではなかった。そのころ既に100万円近くの価額だった。プロやハイアマは別として、写真を知らない大尽や芸人などが所持し見栄を張れるカメラなのだ。カメラがよければいい写真が撮れるわけではない。しかし、カメラがよければ才能にプラスされるものがあると言える。 このスマホであのライカの画質に近付くことができる。勿論スマホカメラの性能はカメラとは違うが、可変絞りなど今までのスマホでは不可能だった機能も盛り込まれている。更にこのスマホカメラには、カメラに近い操作を得られるアタッチメントが付いているのも魅力だ。 スマホカメラと言えど、これで若き日の夢がちょっぴり叶うじゃないか。 そう言うわけで、このスマホカメラにぞっこん惚れてしまったと言うわけだ。 ところが残念ながら、今のところこのスマホカメラを安く入手する手段は限られている。電話会社を変えても、料金システムを変えても1割ぐらいしか安くならない。その上にこの機種は限定生産で、近いうちに在庫が底を突くという噂もある。 現在の高値でも若き日の夢がちょっぴり叶うならばいいじゃないか。 現状、写旅にも出られず、撮る機会が少なくなり。シャッターチャンスに出会う機会もないそんな昨今だが、いいじゃないか、街の作品展への発表の機会もあり、ブログフォトに載せることもできる。自室の壁に展示し悦に入っている自分でもいいじゃないか、それにライカ自慢のモノクロ写真が撮れるのだ。余生を楽しめそうじゃないか。何を迷っている。 小学校と中学校の間の路地(東北大震災時ここを歩いていて思わずこの柵に掴まった)
2024年07月30日
コメント(0)

現在使っているソニーのXperia1Ⅱが3年半を過ぎた。カメラのいいスマホとして思い切って奮発したものだ。とは言っても、乗り換えとか幾つかの割引などを利用して半額近くで購入している。しかし、3年経つとバッテリーの寿命もさることながら、飽きてくると言うか、より進化した新型スマホに目移りしてしまう。 現在の生活では、新しくカメラは買わない、旅行には行かない、車を持たない、ゴルフをしない、外食はほとんどしない、酒は呑まない、スーツはいらない、とお金を使う機会が少なくなった。生きていく楽しみが少なくなっているのを感じる。1年に一足スニーカーを新調するぐらいしか楽しみがない。時には電気機器やガス器具の取り換えがあるが、これらは生活必需品で、人生を楽しませるものではない。 そこで、3年に一度ぐらい高額スマホを手に入れてもいいじゃないかと考える。なにしろ現在もっとも楽しんで活用している道具なんだから。と言うわけで購入する機会を窺っている。早くしないとスマホさえ使えなくなってしまうぞと内なる自分が迫ってくる。 と言うことで、機種の選択に入った、と言うより、もう機種はほぼ決まっていて、いかに安く手に入れるかを調査中なのだ。また前のように半額ぐらいで手に入れたい。ヨドバシとかビックに現物を見に行ったが置いてなかった。あまり多く出回ってないようだ。定価ならAmazonですぐ手に入るのだが。 ビックカメラ千葉駅前の通り
2024年07月23日
コメント(0)

出版界には題目に「老い」と銘打った書籍がずらりと並んでいる。老いは怖くない、老いの上機嫌、老いは楽しい、老いてからスマホ、老いたら好きに生きる、こうして人は老いていく、美しい老い方、老いの落とし穴、老い方上手、老いの品格、老いの贅沢、等々。 各界の老いた著名人が、随筆として、あるいは処世術として、あるいは医者として、その他諸々、老いについて書いておられる。 ちらっと表紙や目次を見ると、だいたいが、くよくよしないで気楽に生きるのが長生きの極意だと。そんなことはわかっている。それができないので苦労しているんだ、とひねくれ者の私はつい思ってしまう。 それにしても、これだけ次々と老いの本が出てくるということは、かなり売れ行きがいいからだろう。樋口恵子さんも、次々と出版し、いずれも売れ行きがよく、けっこうな収入を得ていることだろうと推測している。 本を買って読む人、つまり金銭的に余裕のある閑人で、老いてからの生き方に迷っている者、と読者の顔が浮かんでくる。 そんな折、朝日新聞の新刊案内でまたも”老いもの”を見付けた。「老いの深み」は90代に入った作家が書いている。広告の添え書きに、「次第に縮む散歩の距離、抜け落ちる暗証番号、勝手に転がり去る錠剤、少量の液体にむせ、なんでもない一歩にコロケ、中腰に恐怖し・・・」とある。私と同じように悩んでいるようだ、とこのエッセイを読んでみる気になった。私も本を買える閑人なのだ。 本は届いたがまだ読んでない。今ギャングものを読んでいるので、その後に読む予定だ。その後読後感想文を書く予定だ。たぶん、そうだそうだと頷きながら、そんなことは言われるまでもない、と時間を無駄に過ごしたことを悔やんでいる姿が浮かぶ。 カフェの時計
2024年07月17日
コメント(0)

羽田よりジャカルタに向かう。夕刻、屋台で殻を足元に投げ捨てながら旨いが辛い蟹で腹を満たす。2泊後、スラバヤへ飛ぶ。ホテル代わりの貸別荘で次の便を待ちながら3泊する。頭に果物篭を載せて来るお姉さんの新鮮な果物で朝を迎える。日本人墓地でカラユキきさんのお墓に手を合わせたり、乗馬を楽しんだりで時間を過ごす。3日後飛び立った双発プロペラ機は機体に全日空と書いてある中古貨物機だった。青い海に白いサンゴ礁が連なるフロレス海を眼下に、スラウエシ島のマカッサルへ向かう。 マカッサルからはヘリコプターでボニ湾を北上し、島の中部にあるポソ湖近くのニッケル精錬工場事務所に至る。つい先日他のヘリが海に墜落したばかりだ、とオーストラリア訛りのヘリの操縦士が私と同僚を怖がらせる。1泊後再びヘリでトラジャ地方へ向かう。幻のコーヒーと言われたトラジャコーヒーの産地だ。トラジャ族は舟形家屋や断崖のミイラ墓地など独特の風習を守っている。数時間の見学後、今度はジープでトラジャを後に海岸線を南下しマカッサルへ戻った。そしてマカッサルの茜色に染まる夕焼けに浸り、ビールと地方料理で強行軍の疲れを癒した。 翌日マカッサルからスラバヤを経てジャカルタへ戻り、再びかのチリソースの蟹を貪る。翌朝、ジャカルタを離れ、世界一と言われるボゴール植物園の一部を回り、次いでデビ夫人がいたと言う白亜の大統領別邸に案内される。ジャカルタで2泊後羽田へ戻った。 1971年のことだった。
2024年07月06日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1