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皐月前だが、今やわが町はサツキの花盛りだ。町名ともなっているだけに、この季節ともなると町中至る所で咲き誇っている。散歩に出かけたこの日はあいにく曇り日だったが、散歩の最終コースで団地に至り、華やかな彩りにカメラを向けた。 カメラと言っても、スマホしか携帯しておらず、スマホカメラになるが、最近はスマホでの撮影が多くなった。カメラをぶら提げての散歩撮影はほんとに少なくなった。それほどスマホカメラは進歩してきたと言える。現在使用しているスマホはXperiaで、カメラ仕様はかなりいいが、そろそろ満足できなくなってきた。 そこで次に狙っているのが、Xiaomiスマホだが、ライカ仕様となっており、カメラ性能を重視した最先端スマホだ。中国製ということと高価額がネックとなっている。最近の上位スマホの高額化は天井知らずで、とても手が届かない範囲に来ている。しかし、やりようによっては半額近くまでのプライスダウンが可能だ、とヨドバシカメラでau販売員は言う。が、もう少し様子を見ることにした。 欲しいものは手に入れろ、先は短いぞ、と悪魔の囁きが聞こえる。 サツキ見頃
2024年04月28日
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初めての海外出張は、1969年に東パキスタン(現国名はバングラデシュ)へだった、当時のことはよく記憶に残っている。初海外もさることながら、当時世界最貧国の一つであったこと、滞在中に独立戦争が勃発し一時避難で引き揚げたこと、そして東パキスタンからバングラデシュへと独立し、工場の再建に携わったこと、などなどいろいろあり、で結局足かけ3年の滞在となった。が、私としては念願の海外であり、出発時には心が弾む気分もあったのを覚えている。 社宅にタクシーが迎えに来て、空港では旅行会社の社員が待っていた。当時の海外出張はビジネスクラスだった。1ドル360円の時代だ。外貨持ち出しは500ドルまででトラベラーズチェックだった。日本円は帰国時の土産代で外貨の不足分を補うぐらい持って行った。現地での生活費は全て会社負担で、小遣いも現地通貨での支給であり、従って日本の給料はそっくり家族の元へ入った。 休日には、近郊の村を訪ね歩いたり、野原で打ったゴルフボールを子供に集めさせたり、時々ダッカまで出かけゴルフ場で楽しんでいた。たまにはおかま劇団がやって来て村人と一緒に見ていた。 当時は日本からの直行便がなく、香港かバンコックでの一泊乗り換えだった。香港では、そんな日本人を上得意とするガイドが待っていて、免税店に案内してくれた。当時の香港は免税品が安いことで人気があった。スイスの時計とかアメリカのゴルフクラブなど、安さに誘われ真偽のほどもわからず購入していた。 私が初めてダッカの空港に到着した時のカルチャー・ショックは大変なものだった。初めての海外ということもあったが、やはりこの国ゆえの独特なものがある。見る、匂う、味わう、そして聞こえる音、全てが強烈だった。しかし、その後この国に慣れるまでにそんなに時間はかからなかった。そしてここでの数年の経験が、その後いかなる国へ行っても驚かない下地を作ってくれた。 この国のことは、今では全てが、たとえ子供に石を投げ付けられたことすら、懐かしく思い出されてくる。 Bangladesh農村の夜明け
2024年04月23日
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Amazon Kindleで「すごい宇宙講義」を入手し、3時間×4日の一般公開講座を受講することにした。最近読んだ宇宙物のSF小説で、知識不足のために理解できないことが多かったからだ。暗黒物質やヒッグス粒子など、宇宙の根源的な謎がいま明らかになりつつある。研究の現場で何が起きているのか?基礎となる理論から最新の実験・観測の方法まで、異端の素粒子物理学者が100を超えるスライドと共にわかりやすく語った講座、とあり、わかりやすさに期待している。講師は、多田将(タダショウ)。現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所助教。Amazonでの宇宙学天文学での売上順位では147位とあまり人気のない講座だ。 しかし、テキストは揃えたが、未だ受講に至ってない。その後学ぶ気力が湧いてこないのだ。それにしても僅か数日後にこの心境の変化は何なのだ。これは老化の進行なのか、と自問自答している。 キンドルはモノクロなので、宇宙の画面がカラーで見られない。そこでタブレットで見てカラー画像が見られることも確認したのだが、それからサボっている。 タランチュラ星雲(星雲とは宇宙塵や星間ガスなどから成る天体)
2024年04月12日
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