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最近、かつて私が経験した事件を思い出すようなことが2件起きている。一つは、韓国前大統領による戒厳令の実施であり、もう一つは、イスラエルによるイラン攻撃だ。 昨年の12月、尹大統領が何を血迷ったか、戒厳令を発布し軍隊を議事堂に派遣した。結果、国民の多数から反感を買い大統領の座を追い出された。韓国は昔軍出身大統領による圧政で苦しんだ経験があり、戒厳令にはとても敏感なのはよく知っているはずなのに。 46年前、1979年10月に私は出張でソウルに一週間いた。この当時は朴大統領が戒厳令を敷いており、夜は外出禁止となっていて、夜居酒屋で韓国人と一杯やっていても、もう時間だからと店を追い出され、そそくさとホテルに引き揚げたものだ。 そして、1979年12月26日に朴大統領が暗殺される事件が起きた。 朴大統領が暗殺される2カ月前に私がソウルにいたと言うことだけの話だが。韓国とは浅からぬ因縁のある私としては濃い記憶の一つだ。 二つ目は、今年の6月13日にイスラエルがイラン各地を空爆し、イランもイスラエル領にミサイルを発射した。その後関係は更に悪化し、テヘランの日本人は避難し始めた。 51年前、1974年にイランの石油化学コンビナート建設準備のために、私はテヘランに駐在していた。 当時、イランはパーレヴィ国王の圧政でイスラム信者たちの暴動が各地で発生し、事態は悪化しつつあった。更に危機的状況が迫っているとの情報があり、私たち日本人はテヘランから脱出した。 その後落ち着いているとのことで、再び建設工事が始まったが、今度はイランイラク戦争が勃発し、建設地が戦闘区域に近かったために、再び建設要員は引き揚げ、結局この三井グループの計画は中止となり、数年後に韓国が引き継ぎ完成させている。 私はと言うと、テヘランから脱出後、のんびりする閑もなく別のプロジェクトに編入され多忙を極めていた。しかしだ、テヘラン在任時に工事に必要な機材を調達するためにジュネーブ経由でイタリアに飛んだ。そこで数日の休暇を得、ローマとカプリの観光をしてきた。 1979年11月には、イランによるアメリカ大使館人質事件が起こり、アメリカは1980年4月にイランに国交断絶を通告し、それ以降米イの関係はこじれたまま今日に至っている。 長らく、本ブログを休止していたが、実は最近の楽天ブログの広告多発に嫌気が差し、広告の入らないブログに切り替える準備をしていたのだが、前頭葉と左頭頂葉の劣化はいかんともし難く、ニューブログ作りに苦心している。 巡航
2025年06月23日
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