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毎年恒例の老人会企画によるコンサートが終わった。今回で10回目となる節目のコンサートであり、初めて邦楽の津軽三味線演奏が催された。男女2人の演奏で、各地民謡18曲を2時間の熱演だった。 テレビなどで見かけたことはあったが、実演は初めてだった。そこで予めYoutubeで全国大会優勝組などの演奏を見て、その超絶技巧ぶりがヴァイオリンやギターにも劣らない演奏であることに感じいっていた。 大会優勝者などと比べると、今回の演奏はそこまではいかないが、それでも演奏を目の前で見るとその技巧と音色に圧倒されるものがあり、速弾きで聴衆が惹きつけられ拍手を得る場面が何回もあった。また、二人羽織などの変則的な演奏も演じて見せてくれた。 ついでにWiqipediaで三味線について調べる。その起源は中東にあり、インド、中国を経て日本に伝わり、次第に現在の形となり、江戸時代に当時最北端の津軽にて門付け芸に津軽三味線の原型があることを知る。更に三味線の材料がスリランカ産の木材、絹糸、犬や猫の皮、象牙、黒檀など、また撥には鼈甲が使われるが、象牙や鼈甲などは動物保護から入手が困難となり、プラスチックなどの代替品が利用されるようになっている。それでも高級品は音色に勝る従来材料が使われているようだ。密輸品なのだろうか。 津軽三味線演奏会
2025年02月14日
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現在はフィルムのクラシックカメラが愛好家に持て囃され、古いカメラが高額で取引されている。ニコンS2が、良品であれば935千円だとカメラ情報誌に出ていた。若い頃、私が初めて購入した高級カメラだ。 大学を出て会社勤めとなったころ、仲間とよく呑み歩いていたが貯金もしていた。給料は1万円だったが、会社の寮に入っていたので寮費も食費も無料だった。なので生活は割と余裕があったのに田舎の親に仕送りもしない親不孝者だった。しかし貯金は少しづつ続けていた。 貯めていたのはカメラが欲しかったからだが、1年後遂に念願のカメラを手に入れた。当時最高級のカメラとして人気のあったニコンS2で、5万円だった。写真家も使用していたカメラだった。全てが手動だったので撮影の基本が習えた。 当時、ニコンS2が発売される直前にドイツのライカM3が発売された。新機能を採り入れたライカM3は世界的に人気商品となり多くのカメラマンや報道写真家に愛用された。それまでに販売されていたカメラは前世代品となってしまった。そこでニコンS2も改良を加えて1954年全世界に売り出し人気商品となった。ライカに性能は近く、より安価だからが人気の理由だ。 更にニコンはライカM3の機能を採り入れニコンSPという新型機を発売した。しかし、どうしてもレンジカメラではライカM3に勝てないとわかり、1960年に一眼レフのニコンFを送り出して人気を獲得し、今度はライカM3を前世代のカメラとしたのだ。 その後継機NikonF3は1980年に発売されている。私が1983年にトルコへ長期出張となった時、この歴史ある地の風景や人物を撮りたい思い、このNikonF3を購入し持参した。イスタンブルからイラクにかけてのアナトリア半島は、多様な遺跡と人種が撮影対象として期待通りだった。 そして帰国となった時、仲良くなったトルコ人がこのカメラを欲しいと言うので安く譲ってあげた。彼は大喜びだった。 カラーフィルムが出たのは1970年ごろからで、既に私もカラーフィルムを使用していたが、トルコでもカラーフィルムは販売されていた。 例のニコンS2はその後の新しいカメラの採用でお蔵入していたが、その後入手したキヤノンの一眼レフカメラで、望遠レンズが欲しくてカメラ屋で交換し処分していた。 懐かしいNikonS2
2025年02月01日
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