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「古河城・本丸と下河辺氏」『三国橋』の袂さ着いた。 向こっかわにゃ、水面さ見えるど。 あれが『渡良瀬川』だな。 だども、江戸時代の『古河城』さ書いた地図にゃ、『思川』って書いてあんだ。 たしかに、上流さいくと、『渡良瀬川』と『思川』の合流地点さあっけど。 どこで、川の名前さ変わったんだべな?『関宿城』周辺と同じく『古河城』周辺の川も 昔と流さ変わってるかんな。 江戸時代は、『思川』っていったんかもしんないな。 今んとこ情報さないんで、理由はわがんないんだけど。 興味あんな~。 さてと。『三国橋』の向こう側。 あの水面のあたりが、『古河城の本丸』さあったとこらしいな。 地図でみっと、こんな感じ。 実際は川の下じゃなくって、堤防の下さなってて。『古河城の本丸』は、河川敷になってんだって。 だども、肉眼じゃ~、ただの原っぱみたいになってるらしいど。 でもな。昔、『渡良瀬川』の航空写真さ撮ったとき、 赤外線撮影さしてみたら、 河川敷の下に、『古河城の堀跡』がはっきり残ってたんだと。 図録に写真さ乗っててな。ぜひ見せたかったんだけど。 著作権さあっかんな。 写真は、載せらんないべ。 『古河城の本丸』は、城の中心部として、一番古くからあったとこでな。『古河城の基礎』になった、『下河辺氏』の館があった場所とも言われてるんだ。 時代は平安時代のころでな。 まだ、城じゃなくって、荘園の時代。『下河辺氏』は、荘園の管理者だったらしいど。 『下河辺氏』は、 秀郷流藤原氏の嫡流・太田行光の子、『下河辺庄司行義』が祖らしいんだけど。 あ、『庄司』っつうのは、荘園の管理者のこと。仕事の役名だな。 んで。 兄弟に『小山政光』がいる。『小山政光』は、下野国の小山氏の祖になった人物だど。 お! 下野繋がり! なんだか、急に興味がわいてきたど。 すると、『下河辺氏』と『小山氏』は親戚なんだ~。 交流とか、あったんかな。 ええ~と。『下河辺行義』は、摂津源氏・源頼政の郎党さなって、 活躍したんだと。 そういえば。『下河辺氏』は源平の合戦で活躍して、 ここら辺の荘園さ褒美に貰ったって話を、どっかの本で読んだような。 ちょっと、忘れた。 まだまだ、本にゃ、いろいろ書いてあっけど。 む~。脳みその限界だ~。 一度に全部読むのは、ちと、難しな。 ってことで、続きは明日にしよ。《参考》【送料無料選択可!】古河の歴史を歩く 古代・中世史に学ぶ (単行本・ムック) / 古河歴史シンポ...価格:1,995円(税込、送料別)『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.30
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「堤防の向こう側」『船渡門跡の土塁』んとこから、『堤防』さ見える。 小高い壁のような土盛は、見ようによっちゃ~、土塁みたいだべ。 地図でみっと、紫の矢印んとこ。 赤い点線が、現在の『渡良瀬川と堤防』があるとこだど。 ちょっと川の形さ変だな~。 ま、だいたいのイメージってことで、想像しとこれね。 堤防の向こうにゃ、『渡良瀬川』があんだよな~。『古河城』さ飲み込んだ『渡良瀬川』っつう流れは、 いって~どんな、どんな川なんだべな。『船渡門跡の土塁』んとこからみただけでも、 軽く3メートルはある堤防。 土塁の上は街中より高くなってっから、 ちゃんと計っと、もっと高いんだろうけど。 こったらがっちりとした、防御さこしゃったんだから、『渡良瀬川』は、相当の暴れん坊なんだべな。 な~んて考えてたら、無償に『渡良瀬川』さ見たくなっちまった。 せっかくきたんだし、な~。 見てこ~かな~。 そしたら、運がいいことに、目の前の堤防んとこに、 人が一人登れるくれ~の、細道さあった。 んや。細道じゃ、ねぐって。獣道だな。 草ん中さ踏みならした、筋みたいなやつだかんな。 でも、あれって、他の人も通ったっつうことだよな。 皆、登ってみたくなったんかなw。 なら、登ってもいいんんだな~。 ちっと強気さなって、目の前の車道さ突っ切った。 堤防と車道の境目は、膝より高めの段差さあって、 よっこいしょ! と掛け声さかけね~と登れなかった。 さらに、堤防ってやつが。 遠くで見たよりも、急でな~。 地面さ這いつくばって登んなきゃ、落っこちそうだったど。 落っこちそうだったのは、坂の所為じゃ~ねぐって、 歳のせいだべか? は~。もっと体力さ、ほし~。 やっとの思いで登った堤防。 さ~、『渡良瀬川』と、御対面・・・? あれ? 川どこ? ちなみに、手前の細い線は、川じゃねぐって、舗装道路。 散歩用の道だべか? 見渡すかぎり、広い原っぱて、水の影さえ、め~ません。 川音も、聞こえない。 ほんとに、ここって『渡良瀬川』け?『船渡門』のあった辺りにゃ、『船渡河岸』って呼ばれる、 船さ泊める場所さあったって聞いたけんど。 この辺りかな~。それとも、足元の堤防の下だべか。 どっちにしても、面影すらない。 さらに『渡良瀬川』さ下っていって、『丸の内曲輪』までいくと、 土塁さ削るような形で、城から川へ出られるとこさあってな。『茂平河岸』って呼ばれた場所が、あったんだと。 今じゃ~、どっちも、場所すらわがんね~し。 河岸の面影すら、想像できる場所も、ね~。 おまけに『渡良瀬川の姿』も、め~ね~。 つまんね~。 そのまま、川さ沿って、とぼとぼ歩いていった。 だって、堤防から安全に降りる道が、ねがったんだもん。 さっきの獣道は、勢いあまって車道まで、 一直線に転げっちまいそうだったし。 ちっとばっかし、ふて腐れて歩いてたら、 でっけ~橋んとこさ着いた。『三国橋』だって。 名前の由来は、茨城県と栃木県と埼玉県。 3つの県を渡る橋だから、『三国橋』なんだと。 あれ? でもな。『渡良瀬川』の東側は、茨城県。 西側は、埼玉県。 2つの県さ結んでっけど、栃木県はかすりもしてね~ど。 なんで、栃木県さ入ってんだっぺ? それに、『三県』じゃねぐって『三国』なのは、なんで? 調べてみた。 昔は、もっと上流の、『渡良瀬川』と『思川』の合流地点近くに、 橋さあったんだって。『船橋(せんきょう)』って呼ばれててな。 下総国(茨城)、下野国(栃木)、武蔵国(埼玉)の3国に跨ってたから、『三国橋』ってついたんだと。 どうやら、 現在の茨城県と栃木県と埼玉県の県境が、接してるあたりらしいど。 んで。 昭和6年(1931)に、3代目の『永久橋』さ架けられて。 昭和43年(1968)に、4代目にあたる『三国橋』さ出来たとか。 場所も段々と移動して、 現在の場所に、きちまったんだな、きっと。 そんだから、今は栃木県さ、接してないけんど。 昔の名残さ残して、3つの国さ架かってた橋、『三国橋』って、なってんだ。 へ~。橋の名前も、調べてみっと歴史さあって、おもしろいな~。 ちなみに、『三国橋』のあるとこは、 昔から、川の渡河地点になっててな。 万葉集に、『古河の渡し』って名前で、出てるらしいど。 この辺は古くから、人が行き来できる場所だったんだな。 人がいっぱい通るから、ここに『古河城』が出来たんかな? よく見れば、『三国橋』の向こっかわに、水がめ~る。 水の流をたどってみたら、橋の西側さ続いてた。 どうやら、『渡良瀬川』は、埼玉県沿いの堤防近くさ流れてるみたい。 向こっかわの水量は、船さ浮かべられそうなぐらい、なみなみとあっから、 見えないとこも、相当な流れさあんだべな。 川の姿はめ~ないけんど。 埼玉県側の堤防は・・・遥か彼方。 歩いて見に行ける距離じゃ、ないど。 ちょっと興味さあったんだけど。 まだ、他にも行くとこあっし、『渡良瀬川』散策は、ここまで。 さあ、どうやって、堤防さ降りっかな~。 《参考》 『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.29
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「観音曲輪の土塁」 小山の上にゃ、誰かの銅像もあった。 誰だべな? ベンチさ座って、ぼーっとしてたら、 ふと、ちっこい疑問が頭の隅から湧いてきた。 今いるとこは 小山っつうわりに、高さは2~3メートルあって。 上はひらべったい。 下から想像してたより、広いど~。 車5台は、止められるんじゃ~ないけ。 小山の西は、一段高くなった堤防。 東は小山より、一段低くなった低地で、民家さ立ち並ぶとこ。 なんか、不自然だど。 なんで、こったらとこに、小山さ残ってんだ? もしや、この場所も歴史のあるんだべか。 だから、邪魔っけでも、残してあんのけ? 昔の堤防あとだべか~? んでな。 ブログさ書くために調べてみたら、 ここって『土塁跡』なんだって! あ、やっぱし! この後、下さ降りて、横さ回ってみたんだけんど、 土塁っぽい!って、思わせる部分さあったんだよな。 写真さあったかな~。 ああ、残念! 写真さ撮らなかったんだ。 そうか、『土塁』だったのか~。 んじゃ、これで、『古河城の土塁』さ2つ、制覇したんだな♪『頼政曲輪の土塁』と違って、こっちは自然のまんま。 残ってる部分は『獅子ヶ崎』よりも少ない範囲だけんど、 迫力は、どっちにも負けないど。 ・・・これで、土塁の一部だとしたら、全部残ってたら、 どんな景観だったんだべな。 体感は、模型じゃわかんね~し。 ちっとでも、ほんもんの場所が残ってて、よかったべ~。 は~。寄り道して、よかった~。 これだから、ふらふら寄り道散歩は、やめらんねんだ~。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.22
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「船渡門跡」 難問クリヤ! ラブホの横から、土手さ登る細道を、 ほてほて登っていくと、 石碑のある小山が、見えてきた。『船渡門跡』だ!『船渡』っつうのはな。 船で川から運んできた積荷を受け取ったり、 船に荷物を、積み込んだりすっとこなんだって。 船賃や税金の集金なんかも、ここ変でやってた見たいだど。『船渡門』っつうのは、『観音曲輪』と船を泊める河岸の間にあった、門みたいだな。 と、思ったら。 この小山は、『船渡門跡』じゃないんだと。 正確にゃ、こっち。 石碑のある小山の南っ側に、大きな木が生えててな。 細い道さあんだけど。 この細道んとこが、『船渡門跡』らしいど。 この辺の木の根元あたりに、『船渡門跡の石碑』さあったんだって。 ど~りで。 小山の上にゃ、『船渡門跡の石碑』さ、なかったわけだ。 小山さ登ってみっと、大きな石碑さ立っててな。 てっきり、これが『船渡門』に関係する碑なんだ、 って、思い込んでたから。 小山の下は、散策しなかったんだ。 写真もないんだけんど。 現物は、土手っこの上から、見てきたべ。 門さあった! って、言われたら。 ああ、そんな感じ! 横の細道なんか、門に通じる道にめ~るよ。 ただし。歴史や城跡に興味さない人がみたら、 なに? どこが門跡? 田舎道じゃん! って、言われそうな場所だけんどな。 小山の上にゃ、ベンチさあった。 歩いてきて、足さこわくなっちまったな~。 ちょっくら休憩すんべ。 や~、高くていい眺めだな~。 ただし、目の前に見えんのは、『渡良瀬川の堤防』だけだけんど。 そんでも。広々として、ほっとする場所だど。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.22
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「船渡門(ふなともん)までの道のり」『頼政神社』さ行く前に、ちょこっと寄り道したいとこ。 それは、『船渡門跡』なんだ。 実はここ。『古河歴史博物館』さ行く前に、迷い込んでな。 近くさ通ったんで、覚えてたんだ。 うんまい具合に赤信号さひっかっかってな。 正面で止まったもんだから、石碑さばっちしめ~たんだ。 なんだべな~? って、思ってたんだけど。 地図でみっと『頼政神社』のすぐぞばだもんだから。 ついでに、立ち寄ってみたってわけだっぺ。 場所は、こんなとこ。 ちょっと川の位置が、近すぎたべか。 でも、イメージは、わくべ? 赤い矢印に沿って、細い道さ北に向かって歩いていくと。 カーブんとこに、目立つ建物さあんだ。 古い2階か3階だてのビルみたい。 街中だったら目立たないんだろうけど、 周りは民家だかんな~。目立っちゃう。 なんの会社だべ~。 正面さ通るとき、ちょこっと覗いてみたんだけんど。 ここ、会社じゃねがった。 ラブホ、だった! 地味な装飾で、一見普通のビルみたいだったけど。 壁がピンクだし。 例のご休憩料金表さ、あったし。 ありゃま~。なんでこたら目立つとこに、あんだべな? おまけに、目指す『船渡門跡』は、 このラブホの裏に、あるみたいなんだよな~。 や~、照れ照れwww おばさんは、こったらやつに免疫さないもんで。 んもう! こっぱすかしいったら、ありゃしない! できれば、迂回したかったんだけど。『船渡門跡』さ目の前にして、遠回りっつうのも、めんどくさい。 それに、道さわがんねし。 えいや! さっさと通っちゃえば、へ~き、へ~き。 建物は噛みつきゃしねって! ってことで、ちょこまかしながら、建物横さ通過~。 しかし、前にも、こったら現象さ、あったな。 あんときゃ、古墳の横にラブホさあったんだ。 たまたま? それとも、歴史のある場所にゃ、つきものなんけ? 城跡だと、心霊現象さよくあるって、聞いたけど・・・ う~ん。ラブホが付き物だったら、困っちゃうな~。 思わぬ伏兵に、なりそうだど。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.22
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「古河城の堀跡」 こんどこそ。『頼政神社』さ目指して、出発!『獅子ヶ崎』土塁からだと、北さ向かっていけばつくはずだっぺ。 でも、その前に、もいっこ立ち寄りたい場所さ出来たんだけど。 どうやって行ったら、いいべかな~。 道順さ考えながら。 まずは土塁横の細道から、大きな通りに出た。 北さ向かって伸びてんで、道沿いに、とぼとぼ歩いていったど。 車さ通る大通りは、『渡良瀬川の堤防』さ超えるために、 高さを増して、急な坂さ上っていく。 徒歩だと、きつそうだな。 それに、歩道、なさそう。危険度アップだな。 他に北さ進む道、ないかな? きょろきょろしてたら、車道のしたに、北さ向かう細い道さみっけたど。 古い道なんかな。舗装されてっけど、でこぼこしてるw。 どこさ続いてんか、し、心配だな・・・。 おどおどしながら進んでいくと、 石橋さあった。 渡るついでに、ひょいっと下さ覗いてみたら、 あれ? 水さない。 干上がっちまったんかな。 でもな。よ~く見てたら、なんか様子が変なんだよな。 干上がったにしちゃ、川底みたいに石が転がってないし。 土手の周辺にも、水辺に生えている植物の姿さ、全然め~ない。 それに、みょ~に、平べったい。 そんで、まっつぐ奥まで続いてるど。 なんかの、施設跡地かな? あ、そうか。 遠くさ眺めてたら、気がついた。 奥の土山みたいなでっぱりは、『獅子ヶ崎』だんべ! 手前のほうは、家の土台さなってるみたいだから、 昔のまんまかどうか、わかんないけんど。 ちゃんと両脇に、土手っこの跡みたいなでっぱりが、残ってる! こ、これは、『堀跡』だべな? ブログじゃみなかったど。こんな景色。 んで、駐車場んとこの案内板にも、書いてなかったっぺ。 それとも、『獅子ヶ崎』って印は、 土塁と堀の両方さ、示してたんだべか。 ・・・気づかなかったど~。 こないだの地図に、付け加えてみっと。 小さい矢印のように、北さ向かって行って、 大きな矢印の辺りから、土塁の方向さ見た感じだな。 まさか『獅子ヶ崎の裏側』が、見れると思ってなかったど~。 民家がみっちり建ってんだんべ、って想像してたから、な。 それに、『堀の跡』さ残ってるなんて・・・ にやにや。 あ、顔が崩れる~♪ この辺にゃ昔、『桜門』と、『観音曲輪』と『丸の内曲輪』を繋ぐ、通路さあったんだ。 通路は土橋かな? そこはちとわかんないんだけど。 向こうに渡れる道があったことは、確かだべ。 もしかして、写真さ撮った石橋が、『桜門』の場所だったんかな? と、想像しちまったんだけど。『桜門』は、もっと西。大通りさ超えた向こう側にあったんだって。 おや、残念。 石橋のあった辺りは、『堀底』で、 堀の曲がり角に当たる場所らしいど。 堀はこっから、すこし北に曲がってたらしいんだ。 だども、もう、十分。 こったらはっきり残ってる『堀跡』さみたら、 満足、満足~♪ でも、ひとつだけ。『獅子ヶ崎』んとこにゃ、立派な解説版さあったんだから、 こっち側にも、ちょこっと。『古河城の堀跡』だよ、って看板だけでも、建ててほしいな。 そしたらな。 城好きさんは、喜ぶとおもうな~。『土塁と堀の跡』さあるって、わかれば、 城跡めぐりはさらに、楽しくなるもんな。 私みたいな、うっかりさんが見逃さないように、 ちっと大き目の文字でw。 ぜひ、よろしくお願いします。《参考》 『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.20
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「獅子ヶ崎」 これが『古河城の丸の内曲輪』の、入口さあった『土塁の跡』。 ここの土塁にゃ、名前さついててな。『獅子ヶ崎』っつうんだ。 ほんとは、もっと手前のほうまで、土塁さ続いてたんだけど。 道路工事で、なくなっちまったんだと。 前にまわってみた。 黒い囲いで、見づらいけんど。実物は、もっとわかりやすいど。 そして、思ってたよりも、長い距離さ残ってる。 100メートル以上、あんべな~。 高さは、2~3メートルってとこだべか。 いんや、もっと高いかな~。竹さあって、高さがわかりにくいべ。 竹さみっちり植えてあんのは、『土塁』さ崩れないようにしてんかな。 すばらしい『土塁』だけんど。 ここの案内板も、目を見張るもんがあんど。 まずは、『古河城の地図』。 昔の『本丸付近の写真』は、貴重だど。 写真じゃ省いちまってるけんど、横にゃ『古河城』の歴史が記載されてる。 お、ここにゃ、昔の『獅子ヶ崎』さ写ってる。 解説によると、土塁の先端部分が岬にように 堀の方向へ向かって、突き出しててな。 全体が『猪の鼻の形』に似てっから、『獅子ヶ崎』って言われるようになったんだと。 あれ? 猪なのに獅子? 獅子っつうと、ライオンみたいな動物さ思い浮かぶんだけど? あと『狛犬さま』も、獅子だっぺw。 猪とは、だいぶ違うけんど。 なんでこうなったんかな?『いのしし』の、『しし』んとこだけ、とったんけ? 気になるな~。 ま、そこんとこは案内板にも、載ってなかったんで。 ひとまず頭の隅さ、おいといて。『獅子ヶ崎』の話だべ。 案内板の図によると、確かに形は『猪の鼻』。 これだと、南にある『御成道』と 道の入口んとこにあった『御成門』さ、ばっちり見張れたんだって。 うん。堀の奥、南の方向に向かって、突き出してんもんな。 土塁の高さも、他の部分よりも高めに、こしゃってあったんで、『古河城全体』が、見張れたらしいど。 あ、ここに砲台さ設置してあったかも、って書いてある。 そんだけ重要な部分で、広範囲さ守れる場所だったんだべな。 そして、ここさあった『御成門』について、 ちょっと面白いことさ書いてあるど。 ん~と。『御成門』は『古河城主・永井直勝』が、 日光社参さ向かう『2代将軍・徳川秀忠』を迎えるために、 こしゃった門だったんだって。 そして、近隣に石の産地さ持たない『古河城』には珍しく、 石垣が用いられた、門だって書いてあるど。 ほかに石垣が用いられた場所は、『本丸入口のみ』。 貴重な石材だかんな。 重要な場所に、重点的に使ったんだな。 なんか、イメージじゃ、 全体に石垣さ用いた城なんかな、って思ってたけど。 違うんだ。 案内板さ読んで、改めて、土塁さ眺めてみる。 南の方向、『猪の鼻先』さ顏を向けてみる。 もう、影の形も残ってないけんど、ちょこっとだけ、残像が・・・ いんや、幻だべなw。 そんでも、歩いて見に来た価値は十分。 堪能させていただきました。 これからも、ぜひ、大切に保存してほしいな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.18
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「古河城の土塁への道・御成道」『古河歴史博物館』さ出たら、次の予定は神社めぐりだど。 古河市内にゃ、神社やお寺がみっちりあってな。 博物館から歩いて行けることにも、神社がいくつかあんだよ。 そこで、まずは『頼政神社』さ行って、 体力さ残ってたら『雀神社』まで行く計画さ、立ててきたんだ。 だども、ちっとばっかし、場所がわかんね。 お、そういえば。駐車場んとこに、案内版さあったべな。 いってみんべ。 すっきりしてて、わかりやすいべ。 さてお目当ての『頼政神社』は・・・北のほうだな。 おや? こりゃなんだ? 『土塁跡』だって。 博物館から『頼政神社』さ行く途中に、『土塁』っつう表示さあったんだ。 こんなん、知らなかったど~。 だども、あるってわかったら・・・いきたいど~。 っつうことで。行先変更。『土塁』さ探しに出発だっぺ~! まずは駐車場の前の通りへ出る。 この辺りは昔『百間掘』っていう『大きな水堀』があったとこ。 この道は、堀あとなんかな? ここで、ちょっと。 歩いた道さ確認するために、地図さ描いて見た。 こないだの『諏訪曲輪の地図』に、ちょっと手さ加えて、 これから見に行く『土塁』の位置さ、書き込んでみたど。『観音寺曲輪』は、『古河城』の一番北に位置する曲輪でな。 これから見に行く『土塁』は、曲輪の入口に当たるもんらしい。 あ、でも、だいたいの想像図だから、正確じゃ~ないど。 だから、実際のお散歩地図としちゃ、役に立たないかもな。 あくまで、イメージとして、みとこれね。 で、さらに、『古河城の空想図』に、 グレーの線で、現在の道さ書き込んでみた。 あれ? もしかして、この道って、『御成道』にだぶってる? ええ~と。説明すっとな。 Pってとこが、『古河歴史博物館』の駐車場。 んで。 こっから『土塁』さ行くにゃ、脇の細い道さ入んなくっちゃなんないんだけんど。 細道が2本ある。 どっちだべ? しばらく悩んで、郵便局に近いほうの細道さ行ってみた。 車が一台通れるぐらいの細道で、両脇は民家。 こっちであってんかな~。 と、不安になり始めたころ。前方に土手が出現!したんだよ。 そんでな。『御成道』っつうのはな。『諏訪曲輪』と『丸の内曲輪』を繋ぐ、道のこと。 古地図でみっと、『諏訪曲輪』から、『土塁』まで、 まっつぐ続いてる、道なんだ。 歩いてきた道は、なんの変哲もない、どこにでもある市街地の舗装道路でな。 歴史的な道って、案内板もなかったんだけど。 なんだろ。 なんか、どきどき、したんだよな~。 はじめての場所で、緊張してた? 土塁さ見たくて、わくわくしてた? そうかもしんない。 でも、もしかしたら?『御成道』の跡かもしんない細道さ、歩いてたからかもしんない・・・。 と、地図さ書きながら、にんまり。 空想に耽っていたら、『土塁』について書く余裕さなくなっちきちゃったよw。 っつうことで。今日はここまで。 土塁の話はまた今度、な。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.17
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「古河歴史博物館」『古河歴史博物館』は、『古河城』の『出城・諏訪曲輪跡』に建てられた、 古河市の歴史さ集めた、博物館なんだ。 どんな展示物があるか、っつうと。 大まかにいうと、3つの部門に別れてる。 1: 『鷹見泉石』関連の展示『鷹見泉石』という人は、 天明5年(1785)~安政5年(1858)に古河城さいた人でな。 当時の『古河藩主・土井利厚』の、補佐をしてたんだと。 そういえば、博物館の入口んとこに、 こんな感じの古い門さもった屋敷と 蔵を備えた庭園さ、あったんだけど。 この建物は、『鷹見泉石』が晩年に住んでいた屋敷を改修したもんなんだと。 現在は、無料で見学出来んだって。 今回は予定さあったんで、立ち寄んなかったんだけど。 ちらっと見たとこじゃ、感じのいい御屋敷だったな~。 子供の日が近かったせいかな。 小さな甲冑の御飾が、屋敷内に飾ってあったよ。 建築物が好きなかたは、見といて損はない。 立派なたたずまいさ、してたな~。 で、『鷹見泉石』の資料さ、博物館にたくさん展示してあったんだけど。 藩でも、重要な人物だったらしくてな。 難し~資料さ、いっぱいだった。 素人がぱっと見たって、わがんね~よ~。 でも、たのしかったな。 だって、地図がいっぱいあったんだもん♪ 世界地図とか。日光社参に関係する地図とかあってな。 見ごたえあったど。 地図は『鷹見泉石』が書いたもんじゃなくって、 あっちこっちで、集めた資料らしいんだけど。 江戸時代の世界地図、なんて初めて見たもんだかんな。 興奮しちまったよ。 日本もあんのかな~、とか、探しちゃってなw。 ちゃんとあったんで、ほっとしたよ。 2:古河の歴史部門。 ここが、お目当ての部門。 特に期待してたのが、『戦国時代の古河城』なんだけど。 や~!期待以上に、すばらしかったな~。 まずは『御所沼周辺の地図』が、ずら~っと壁沿いに展示してあった。 これは以外!『御所沼』と『古河城』が、堀沿いに繋がってる図もある! もう、これだけで、腹いっぱいだよ~。 じ~っと見つめすぎて、めまいさしてきたw。 あ、説明んとこに『鷹見泉石』って名前さ、書いてある。『鷹見泉石』さんが集めた資料の一部に、『御所沼』周辺の地図も、あったんだな。 泉石さん、偉い! なんか『鷹見泉石』さんに関する評価が、ぐん!っとあがったど! そして、次に現れたのは、『古河城の模型』! 部屋の中心部に、で~んと構えた模型の大きさは、 2メートルぐらい、あったべか? 大きく視すぎ? ま、そんぐらい、迫力さあった、ってことだよ。『古河城』は12世紀ごろに、荘園として始まって、 江戸時代までに、何度も拡張された城なんだけど。 模型は江戸時代後半の、完成された『古河城』の復元だな。 本丸や曲輪が、細かく再現されててな。 線で川底さ沈んだ部分も示してあって、見てて飽きないど。 もひとつ、面白い模型さあったんだけど。 これは、ちょっと部屋の奥にあってな。 『古河城の模型』さうっとり見惚れてっと、見逃しちまいそうなんだけど。『舟橋の再現模型』ってやつが、あったんだ。 ええ~と。細かい説明さ、忘れちまったんだけど。 日光社参さ向かう将軍さまのために、 川さ船を並べて、板さわたして、 臨時の橋さこしゃった場面を、再現した模型なんだ。 昔は今みたいに、どこもかしこも橋さ渡せるってわけじゃなかったかんな。 川幅が広いとこだと、橋の代わりに、渡し船が活躍してたんだ。 だからっつって、日光社参のような大行列を、 いちいち船に積み込んで、 あっちの岸からこっちの岸へ、渡してたっくれ、 途中で日さくれっちまう。 そったらときに、臨時でこしゃる橋が『舟橋』。 話にゃ聞いてたんだけど。 模型とはいえ、実際の状況をみてみると、 文章じゃわかんねかったもんが、よくわかるど。 船の間隔は、かなり近くて、ぴったりしてるとか。 いざって時のためかな。『舟橋』のそばにゃ、大きな船と小舟が、待機してるとか、な。 こっちも、見てて飽きないど。 3:古河の文人たち ここは、主に 古河に関係する文人たちの絵画が、展示されてるコーナー。 ええ~と。 あんまし絵って、わかんないんで。 さ~っと、通りすぎちまったけんど。 かなりの数の絵画や墨絵が、展示されててな。 絵が好きな人にゃ、満足してもらえると思うど。 展示物は、ときどき変わることもあるらしいんで、 かならずみられるかどうか、わかんないけんど。 『古河城の模型』だけでも、見ごたえ十分だから、 城の模型さ好きなかたは、ぜひいってみとこれね。 開館時間 9時~5時 休館日 月曜日 祝日の翌日 第4金曜日 年末年始 入場料 400円 子供100円 企画展開催時は別料金がかかる場合もあり。 また、近くにある『古河文学館』や『美術館』も見学したいかたにゃ、 割引もあっから、受付で聞いてみとこれね。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.14
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「諏訪曲輪と古河歴史博物館」 今日は『諏訪曲輪』ん中さ、散策してみんべ。 つってもな。『諏訪曲輪』は、現在『古河歴史博物館』になってっかんな。 曲輪散歩ってことは・・・ 歴史博物館さ、見学するってことだどw。『古河歴史博物館』の正面。 奥に2階さ上がる、階段さあってな。 入口は上にあんだ。 博物館の催し案内版さあったんで、覗いてみたら、 正面に、石碑さめっけた。 博物館入口に、石碑? なんでこったらとこに? 石碑の文字って、苦手なんだけど。 こったらとこさある理由さ、知りたくて、な。 眉間に皺さ寄せて、じ~っと集中。『古河城出城諏訪曲輪跡』だって。 そういえば。ネットで調べたときに、 博物館近くに、曲輪跡の石碑さあるって、みたような。 でも、写真はこったらとこじゃ、なかったど。 移転したんだな。 へ~。ほんとに、ここって城跡なんだ。 いや~。なんか、『堀跡』が綺麗すぎちゃってたから。 ちょっと自信さ、なかったんだけどな。 ほっ。『古河城出城諏訪曲輪跡』って石碑さみっけて、一安心。 さ、さ。博物館さ見学いくべ。 階段さ上がりきったとこに、入口さあった。 その奥に、庭園らしいものがあんど。 これは、城跡と関係なさそうだな~。 でも、一応写真さとって来た。 したら、ここって『土塁』の跡なんだって。 ええ~、なんで? 頭ん中さ整理すっために、『諏訪曲輪』の地図さ描いて見た。 大まかな地図なんで、縮尺はいい加減なんだけど。 結構、役に立つんだど。 文字だけじゃわかんなかったことが、 あっ!そういうことか! って、ひらめいたりすんだど。 こんな感じだな。『諏訪曲輪』の中に、『古河歴史博物館』が建ってる。 赤丸で囲んであっとこが、残ってる『土塁』と『堀』。 右の曲がり角さある堀跡が、こないだ散策した、涼しい堀跡。 左っ側の直線土塁は、駐車場んとこの崖のことかな。 ん~、崖の上にゃ民家さあって、人とわんこが遊んでたから、 写真さ撮んなかったんだけど。『土塁』だ、っていわれれば、たしかに、『土塁』っぽかったな。 高さは、3メートルはあったど。 っつうことは。『古河歴史博物館』の入口は、『諏訪曲輪の土塁』さぶち抜いて、 通れるようにしたもんなんだな。 だって、地図さ描く時、参考にした古地図にゃ、『諏訪曲輪』の南にゃ、虎口さね~もん。 うわっ。もったいない! っと、思っちゃうのは、城好きなら、しゃ~ないよな。 で。 肝心の『博物館入口の土塁』って、どこの部分なんだべな。 絵が簡略すぎて、わかんねやw。 む~。わかんない、となると。余計、気になる。 それに、なんか、悔し~! もっかい地図さみて。古地図も見て。 この辺さ撮った写真さ、全部ひっぱりだして。 む~? なんか、ひっかかってんど。なんだべ~? あ、な~んだ。そったらことか。 これは、こないだ紹介した『堀跡』の写真。 絵でみっと、一個目の角んとこになんだけど。 右側の森の上が、博物館の入口んとこだったんだ。 つまり。『堀沿いの土塁』の上と下から、見てたんだな~。 そういや~、博物館前の階段は、 長くて曲がりくねってたっぺ。『土塁』の高さ分だけ、登ってたんだな。 これって、『土塁登り』さ、したことになんのかな? ん~。ち~っと、土塁さ登った実感は、ね~な~。 他にも、ちょこっと。 博物館内の窓から、『諏訪曲輪』の痕跡だべか? と思わせるような、土の塊さ見えた。 城跡と関係ないかも、しんないけんど。 探してみんのも、面白いど。《参考》 『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.12
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「諏訪曲輪と堀跡」『古河城』は、どんな城だったかっつうと、 こんな感じの城でした。 写真は右側が、北方向になってっと。 これは、散策中に見っけた、案内板なんだけど。 上の写真に写ってんのは、『三階櫓』と『菱櫓』なんだって。 南っ側の島みたいなとこ。『御三階櫓』って、書いてあっとこが『本丸』。『本丸』から、南に曲輪が2つ。『本丸』西に1つ。北に3つ。 そして『出城』と、それらを繋ぐ『帯曲輪』。 みっちり並んだ、『連格式』っつう、形の城だっぺ。 昔はこんなりっぱな『三階櫓』さ、残ってたんだな~。 これ、今はどうなったんだろ? 移築されたって聞いてないから、解体されちゃったんだべか。 ああ~。もったいない。 今残ってたら、最高の遺構になったのに。 ないもんは、しゃ~ない。あきらめて。 残っている遺構さ、探してみんべ。 まずは『諏訪曲輪と堀』なんか、解り易いべな~。『諏訪曲輪』っつうのは、『出城』の部分でな。 現在は『古河歴史博物館』に、なってんだ。 これが『諏訪曲輪』の周りさ囲んでた、『堀跡』だっぺ。 さっきの絵図で見っと、 真ん中辺り。「丸1」って、なってるとこだど。『堀跡』は、『古河歴史博物館』の入口から、東へ。 右手の方向さ奥へ向かって、伸びてっと。『堀跡』さたどって、角を曲がってみる。 うう~ん。『堀跡』っつうよりも、公園の遊歩道みたいだべ。 でも、左右に土の壁さあって、 ちっと堀っぽく、みえないことも・・・ない? かな。 見上げると、頭の左上に、車道さ見えた。 お、頭よりだいぶ高いな。2~3メートルぐらい、あっかな。 ふむむ。するとここは、『堀底』になんだな。 土の壁が『土塁の跡』、と。 ・・・変わった『堀底』だなw。 でも、こんな堀も、面白いど。 それに、涼しい~。『堀底』だから? 関係ないかw。 緑の葉っぱが、ふわふわと。 涼しげな光さ振りまいて、気持ちがいいど~。 突き当り。 この辺は、ちょっと『土塁の名残り』が・・・見えそうw。 さらに曲がって、行き止まり。 あ、ここは、もう『堀跡』っぽくない。 滝と池と緑の木々が、いい雰囲気でくつろげるけんど。 城跡じゃねぐって、公園用の設備だべ。 こういう景色って、嫌いじゃね~けど。 城跡としてみたら・・・やっぱし残念なべな。 城跡と見て、意気消沈するか。 公園と見て、意気揚々するか。 困っちゃ~な~w。 横の階段さ登って、上の車道さ出る。 車道沿いに『堀跡』さ戻ってみた。 下さ覗いてみっと、 お、『堀跡』っぽい! 町の中心部で、こんだけ残ってたら、十分だっぺ。 あとは、想像で、補強すっぺ。 城好きさんにゃ、評判よくない『堀跡』らしいけど。 想像してたより、楽しい『堀跡』でした。 満足~♪ 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.10
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「古河城」 4月29日(月)に、『古河城跡』さ行ってきたど。 あ、だども、『古河城』は『渡良瀬川』の河川工事で、 本丸部分が、ほぼ水没。 残った曲輪部分も、開発でほとんど無くなっちまってるかんな。『古河城跡かもしんない、市街地めぐり』っつたほうが、いいかな。 想像力、空想力、妄想力w さ、精一杯発揮して、 昔の残像さ、追っかけて見ようと、出かけてみたんだ。 出発点はここ。『古河歴史博物館』だっぺ。 住所は、 茨城県古河市中央町三丁目10番56号。 JR古河駅から、徒歩15分 東武日光線 新古河駅から、徒歩20分。 古河市の中心地に、あんだよ。『古河』と、いえば。 ちょっと前に『古河総合公園』さいったから、道さわかんべ~。 と、安心してたんだけど。 やっぱし、迷ったw。 もう、お約束だから、あわてなかったけんどな。 けど、今回は、カーナビさんに責任はない。『古河歴史博物館入口』っつう案内板さあったのに、 見落とした、自分の責任。 おばさんは、車線変更も苦手でな。 看板さ発見したときに、右車線さはいるタイミングさ計れなくって、 直進しちまった、ってわけなんだ。 その後、ず~っと直進してったら、 古河市を北から南さ、横断するかたちさなってな。 このまんまじゃ~『関宿城』まで、行っちゃ~ど~ って、心配さなっちまったよw。 栃木県から古河市さ行くにゃ、 4号線っつう道路さ直進すんのが、一番近道でな。 途中で分かれ道さあって、261号線に変わんだけんど。 それ以外、横にそれるような大きな道はない。 261号線は、ほぼ一直線に、古河市の真ん中さつっきてる道でな。 ここさ、ま~っつぐ進むと、千葉県の『関宿城』方向に行っちまうんだ。『古河城』と『関宿城』 別々の県に、なっちまってるけんど。 ほとんどお隣っつってもいいほど、近いとこにあんだよ。 おまけに、歴史上も、深い関係さあるお城だし。 どちらも、河川工事で水没しちまったお城だし。 共通点さいっぱいありそうで、わくわくしてたんだけんど。 このまんまじゃ~、『古河歴史博物館』さえ、たどりつけないど~。 ちょっと、パニックしそうになったころ。 やっとこ、大きな交差点さでた。 右さ曲がる。 あ、信号機んとこに、町名さある。 難しい漢字だけんど、見覚えさあっと。『鴻巣』だって。『鴻巣』と、いえば。『鴻巣屋敷』。『古河総合公園』にある、『古河公方館』の別名だっぺ。 よくみれば、交差点の周辺に、見覚えのあるポイントが。 そして、前方に姿を現した、大規模のガソリンスタンドは・・・『古河総合公園』さ行ったとき、散々迷ってうろついた場所だ~。 ということは。 左手奥の林は、『古河総合公園』の『桃園』け! たしか『古河総合公園』と『古河歴史博物館』は 10キロぐらいしか離れてないって聞いてたけんど。 こったら近かったんだ~。 そんなら『古河総合公園』さ行ったあとで、『古河歴史博物館』さ、寄れたんだな。 そういえば『古河総合公園』と『古河城』も、 関係さ深いもんが、あんだよな~。 なんて、しみじみしてる場合じゃ~、ねがったな。 でも、これで、方向さわがった。 この辺は、一度迷い込んだとこだから、大まかな道は、わがる。 なんだか、自信さでてきたど。 と、いうわりにゃ、このあと細道に惑わされて、『渡良瀬川』まで、行っちまったりしたんだけんど。 ま、そったら時間のロスもなく、 無事『古河歴史博物館』さ、到着~♪ 入口の細道が、わかりづらいけんど、 案内板さあるから、もたもたしなけりゃ、すぐつくどw。 駐車場は、『古河歴史博物館』専用の大きいものが1つ。 10台ぐらいの小さいものが、1つある。 そこさ車を止めて、小休止。 ふうっ。おつかれさんっ。 あ、『古河歴史博物館』は通常だと月曜日が休館になんだ。 でも、4月29日は祝日だから、開いてんだ。 この日は天気もよかったし、観光客らしい人たちが、 大勢博物館の方向さ、歩いていくど。 へ~。結構人気のスポットなんだ。 ちょっと、残念。静かな穴場的な場所さ、想像してたんだけど。 あんまし、大勢うろうろしてたら、周りさ気になって妄想できないべ~w。 ま、いいか。 んじゃ~そろそろ、いくべ。『古河城かもしんない場所さ探検』に、出発~! 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.08
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「関宿関所跡と棒出し」『香取神社』さ出ると、次の目的地は、目の前。『関宿関所跡』だど。 っつってもな。石碑と案内板さあるだけでな。 建物は、なんも残ってないど。 おまけに場所が、民家の横道さ抜けたとこ。 石碑の後ろさ写ってる、車道の曲がり角んとこにあんだ。 広場見たいに、整備された空き地なんかな? って思ってたんだけど。 や。ほんとに、石碑しかないのw。 あっけないほど、さっぱりと。 な~んの跡も、ないんだよ。 こんだけなんもないと、 あははは~、跡地ってこんなもんだべな~w って、笑うしかないw。 ま、あんまし腹さ立たなかったのは、 ちょこっと前に『狛犬さま』さ見て、 ご機嫌だったせいかもしんないな。 案内板によると、ここら辺の川沿いに、『関所』さあって、 川さ通行する船から、税を取ってたんだと。『関所』さ通るにはな。 通行手形も必要で、ここの『関所』で、審査されて、 あやしい奴は、通して貰えなかったみたいだべ。 さらに案内板さよく読んでみっと。 あ、ここ、正確には『関所跡』じゃ、ないんだ。 ほんとの『関所跡』は、もっと東。 川の二股になったとこ。 海から続く『江戸川』と、関宿城横さ流れる『逆川』の 境目んとこに、あったんだね。 んじゃ~、なんで。 元の川沿いに、石碑さ立てなかったんかな? じ~っ、と地図とにらめっこ。 あ、そうか。わかった! 元の場所は。『現在の江戸川』の底なんだ。 地図の上に、うっすらと青い線が書かれてんだけんど。 わかっかな? あれが、現在の川と堤防の場所なんだ。 な? 『関所』はすっぽりと。 川の底になっちまってるべ。 だから、一番近い場所で、 道路や通行の邪魔さなんない、こったらとこに、 石碑さ立てたんだな。『利根川』も『江戸川』も、江戸時代から現代にかけて なんども、治水工事さやっててな。 川の流れが大幅に、変更されてんだ。 室町時代より前になっとな。『利根川』は、『現在の江戸川』よりも東にあったり。『現在の利根川』んとこは、『大小の沼地』だったりすんだよ。 川の名前だってな。 変更になったり、無くなったりしてな。 ややこし~たら、ない。 頭痛くなっちゃうべ~。 そんなややこしい川さ、一度見たくって、な。 側にあった階段さ、上がってみた。 この階段は、『江戸川の堤防』の上に出られるんだよ。 そろそろ疲れさ、溜まってきたな~。 足さこわくて、階段さきつい~。 えっちらおっちら。足元注意! でも、手すりさあっから、落ちたりしないどw。 やっと頂上さ到着! やや~! 水さない。『江戸川』はどこ~? 堤防の下は、河原と草っ原ば~りだど。 んん~。これじゃ、なんのための堤防か、わかんねな。 でも、今は水が少ない時期、なんかもしんないし。 台風さきたりしたら、もっと水量さ増えんだろうし。 高い堤防さ、必要になんだべな。 せめて、ちらっとでも水面さみえっとこ、ないかな~。 きょろきょろしてたら、こったら看板さめっけた。『棒出し』だって。 これは、『関所』んとこにあったもんでな。 洪水の被害さ抑えるために、こしゃった設備なんだと。 現在は、こったらなだらかな川だけど。『棒出し』さあったころは、こったら感じに、曲がりくねってたんだ。 左の方向から流れてきた水を、 下の『江戸川』へ流すんだけど。 流さ速いと『江戸川』が氾濫しちまう。 だもんで。『江戸川』の入口んとこに、丸太ん棒さ数千本打ちこんで、 川幅さ狭めたのが、最初なんだと。 関宿城側にあったのが『東棒出し』 反対岸の幸手にあったのが『西棒出し』 っつうんだと。 おかげで、『江戸川』沿いの水害は減ってな。 住民は大喜び。いかったな~。 と、思いきや。 逆に、水害が増えちまった、っつう地域もある。 それが『逆川』沿いの地域。 地図でみっと、赤丸よりも上んとこ。『関宿城』の、周辺だっぺ。『江戸川』さ、流れてくはずの水が、 全部、そっちさいっちまったんだな。 このころの『逆川』は、曲がりくねってっから、 カーブんとこで、曲がりきれなくて・・・大洪水! おまけに『関宿城』周辺は、地形が低いから。 城内水浸し! ってことも、あったかもしんないなw。 その後『棒出し』は石積みになったり、セメント製になったり。 改良されていってな。 同時に川も改良されて、開門もできて。 現在の形になったんだと。 これで『関宿城』周辺の地域も、洪水の恐怖が減ったんだ。 よかったべ~。 で、肝心の『現在の江戸川』は、堤防のず~と東にあるらしい。『関宿城』近辺は、河原になってて、水の流は見えないみたいなんだな~。 川は見れなかったけど。 昔の地図さ見れたから、徳したな♪ 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.05.04
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「香取神社」 今日は拝殿のご紹介。『香取神社』の境内だっぺ。 建物の左っ側に、 ちょっとした小山と、石碑さ立ってる場所さあった。 数えてみなかったんだけど。 5つ以上はあったべな。 相変わらず、石碑って、謎なんで。 ちらっと見て、素通り。 好きな人にゃ~、こでらんね~もんさ、あんだろうけど。 いまいち、よくわかんないんでな。 『狛犬さま』とおんなし。 元は石や岩だから、わくわくしそうなもんなんだけど。 表面や裏に刻まれた、漢字の群れが、 足さ遠のく原因かもしんないな~。 正面に居を構える建物が、『香取神社の拝殿』。 後ろさまわると、『本殿みたいな建物』さあったけど。 普通の、プレハブ民家みたい。 こった飾りや彫刻は、みあたらなかったべ。 さて。さっそく神さまに、挨拶すんべ。 だども、ここにおられる神さまは、どんな神なんだべな。 どこにも由来さ、書いてないんだけど。 後で調べてみたら、『香取神社』は『千葉県香取市にある香取神社』を総本山にして、 全国に約400社あんだって。『利根川』や『江戸川沿い』に、多く分布してるらしいど。 すると、ここの『香取神社』も、『香取市の香取神社』さ勧請してきた神社なんかな。 神社の神さまは『経津主大命(ふつぬしのおおみこと)』。 国土を平定した、武神なんだと。 初めて聞いた神さまだな。 やっぱし、川とか水に関係する神さまなんかな? ほれ、『利根川』とか『江戸川』とか 川沿いに多いっつうべ。 水難除けとか、船の安全を、祈願してたんかな。 では。 さっそく、『径津主大命』さまに、ご挨拶すんべ。 拝殿さ近づいて・・・おやぁ? 賽銭箱さ、ないんだな。 そういや、『砂山神社』にも、賽銭箱さなかったど。 扉んとこにちっこい穴さ、あいてただけ。 最近は、外に賽銭箱さ置かないんだな。泥棒防止かな。 なんか、投げにくいな。 もぞもぞ、しちまったけんど。無事、拝礼終了。 今回は、トラブルもありませんでしたw。 ほっ。 さて、帰ろうかな~、と何気なく上さ向いたら、 お!こったらとこに『狛犬さま』 反対側にも、いんど! これは『留蓋』っつうやつでな。 瓦の隅や継ぎ目から、雨水が入らないように塞ぐやつ。 でも、位置がちょっと、真ん中よりじゃないけ? 留めの役割さ、してないような・・・ 参道さあったやつを、ちょっと乗っけてみました。 って、雰囲気あんだどもな~。 ほんとに、『留蓋』かな~? 高いとこさあるせいで、お顔さよくめ~ないんだけんど。『留蓋の狛犬さま』って、かなり、怖い顔してないけ? 天邪鬼とか邪鬼っつう、悪りい子鬼に似て見えんだけど。 気のせいだべか~。 それとも。高いとこさ、怖いとかw。『狛犬さま』は犬だもんな。屋根は苦手なんかもな。 あ、だども『獅子』だったら、猫科だから、 高いとこも、平気だべな~。 んじゃ、やっぱし。 いたずらするような悪りい奴さ、みはってんだな。 おれんことじゃ、ねえべな? どきどき。 こうなると、他の神社も気になんな。 屋根の上さ、なんかあっかな。見てみんべ。 向かって左側さあった神社。 ここも額さないんで、どんな神さまさおられるのか、わからない。 正面に、縄さなかったら、物置に見えっちゃうど。 で、屋根の上。せ~いっぱい背伸びして、やっと見えた!『波のような留蓋』さ、あったど。 ネットで調べてみたら、『八幡神社』とか『八坂神社』に関係すんのかも。 って、意見さあった。 おや? 『八幡神社』って、ここのことだったんだ? んじゃ~、迷ってなかったんだ。 いろんな神さまさ合同で祀られてっと、ややこしな~。 んじゃ、こっちはどうだべ。 向かって左側の神社だど。 あ、残念。屋根の上さ、なんもない。 そして、情報もない。噂も・・・ないみたいだなぁ。 なので、こっちの神さまは、どなたか不明だべ。 どなただろ? わかんないって言われっと、気になっちゃうな~。 もし、知ってる人さ、これ読んでたら、教えてください。 お願いします。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村 ご感想さ、聞かせてくれっと、うれしいな。
2013.05.02
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