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「富士見塚」 北側の『御所沼』の、さらに北に、な。 こったら山が、あったど。『富士見塚』っつうんだって。 富士山が、みえんのけ? それとも、富士山をイメージしたんかな? せっかくだから・・・登ってみっかな。 遊歩道をそれて、近づいていくと、 ありゃ? 結構急な、坂道じゃ~ないけ? 手すり、ない。 登れっかな~? おばさんにゃ~、ちと、危険だべ。 ・・・でも、な。せっかく来たんだし・・・な。 ゆっくりあがれば、だいじだべ~。 冒険さ、いくど~! 一歩一歩、じわじわと登って・・・到着~! あ、ベンチさあるw。 だども、頂上は、めぼしいもん、ないな。 ん~。登ってきたかいさ、なかったな。 体力の無駄・・・? じゃ、ねがった!『御所沼』さ見えるど! 『富士見塚』の南っかわ。『御所沼』のほぼ全域が、みえっと~! 木さ邪魔だけど。 ほんと、沼にゃ~みえないな~。 川だよな~。 ちょうど、この岸の向こう辺りに、『古河公方・足利成氏』の館が建ってたんだよな~。 どんな建物だったんだべな~。 誰もいねがったもんだから、ちと、想像にふけっちまってな。 一人で、にやにやw。 や~、へんなおばさんだなw。 え~と。反対側は、 公園部分が、良くめ~る。 芝さ緑だったら、爽快な気分だべな~。 だども、こんときは、溶け残った雪さあって、 さ、さみ~。 名残惜しいけんど・・・降りよっ。 急な階段さ、気をつけて進む。 無事、生還~w。 さて、この『富士見塚』 なんかの史跡かな? って思った人もいっかもしんないけんど。 正体は、『御所沼』さ復活させたときに、沼から出てきた土砂なんだって。 土砂を山に盛って、子供の遊び場にしちゃったんだとw。 これも、史跡? に、なんのかな? 面白いなw。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.25
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「渡良瀬川」『古河総合公園』の北には、沼がある。『大賀蓮池』っつってな。 7月ごろになっと、蓮の花でいっぱいになんだと。 中でも『大賀蓮』は、2000年前の蓮の実から発芽した、古代の蓮でな。 発掘・育成に貢献した『大賀一郎博士』の名前をとって、『大賀蓮』って呼ばれてるんだけど。 これが、見物らしいど。 生憎。今は葉っぱも花もなく。 鴨のお休み処さなってたべ。 この沼も、かなり大きなもので、200メートルは、あんのかな。『大賀蓮』で埋め尽くされたら・・・どんなんだんべ? 想像さ、できないべ。 さて。この『大賀蓮池』『渡良瀬川』の洪水でこしゃった、って説があるらしいど。『渡良瀬川』は『皇海山(栃木県日光市)』から流れてきてな。 栃木県の西側をながれ、 栃木県と群馬県の県境あたりを南に流れてるんだ。 そして、茨城県古河市あたりで、『利根川』と合流するんだけんど。 合流地点の上流は、『渡良瀬遊水池』になってんだ。 河川敷も整備されて、今と昔の流れは、ちと変わっちまったらしいけど。 昔は、ときどき氾濫したらしいんだな。 そんで、川の周辺の湿地帯にたまった水が、『大賀蓮池』のもとになった沼って話だど。 そんで。この沼は『御所沼』と、繋がっていたらしいべ。 じゃ~『古河城』とも、繋がってたんかな?『御所沼』といえば、こんな場所さあった。『船着き場』みたいだど。 復元ものかな? それとも、古河公方さまがご利用になったもの? あるいは、観光用かな? あ、これなんか、昔っぽい。 古河公方さまの時代は、 こんな感じの木船に乗って、水遊びさしたんかな? そういえば、『渡良瀬川』も『利根川』も、 昔から水運さ、さかんでな。 古河公方さまが、川の管理を任されていた時代もあったんだと。 古河公方さまの時代だと、『渡良瀬川』の上流には『古河城』が、『利根川』の下流には『関宿城』があった。 どちらの城も、古河公方家に関わりが深い城でな。 今は、河川工事で、どちらの城も、原型さ無くなっちまったんだ。 そんだけ、川に近い場所に、こしゃってあったんだな。 川に近い。そして水運が盛んだった、ということは。『古河城』や『関宿城』にゃ~、上の写真みたいな船着き場さあったんかな。 あ、新たな妄想が・・・w ここは『船着き場』の近くにあった、『まくらヶ浜』『御所沼』の一部だど。 ほんと、こったら景色さみてっと、沼にゃねえみたいだべ。 まるで昔の『渡良瀬川』の一部を、封じ込めたみたいだなw。 っつっても、昔の『渡良瀬川』さ知んないから、 想像だけんど、な。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.19
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「虚空蔵菩薩堂周辺」 赤い門の奥に見える建物が、『虚空蔵堂』っつってな。 菩薩さまが祭ってあんだよ。 正面には、お賽銭を入れる箱と、銅鑼みたいな鐘がつり下がってた。 あの鐘は、ならしたほうがいいんかな? 神社だったら、鐘さならして、お賽銭さわたすんだけんど。 正しい作法は、どうなんだっぺ? ま、作法はともかく。『狛犬さま』さ、じっくり見せてもらったお礼もかねて。 さっそく、菩薩様に、ご挨拶すんべ。 正面さ移動していったら、お堂の右側の空き地が目にはいった。 な、なんだべな? 大量のお地蔵さまと、風車。 ここって、もしかして、子供さんの供養さしてる、お寺なのけ? 写真は恐れ多くてとれなかったけんど。 きれいに手入れされてっし、きっと、恐いもんじゃ~ないよね。 だども、普段見慣れない風景さ目にしちゃったもんで、 慌てっちまったんだべな。 ・・・やっちまったよ・・・・。 んとな。 まず、携帯から手を離す。 首から提げるストラップみたいな紐さに、 最近購入した警報ブザーと一緒についてるから、落ちないんだけんど。 ちと、ぶらぶらしてて、邪魔だな~。 で、手間いながら、財布さ取り出し、小銭を選ぶ。『狛犬さま』の撮影代も入れて、ちょこっと大目に、 お賽銭箱さ入れた。 そしたら、突然、大きな音が・・・! な、なに? なに? 慌てて周囲さ見渡したけんど、 人はいないし、音源らしいものも見えない。 まさか、お地蔵さまの祟り・・・ いやいや。いたずらってことは、ないべな・・・ ちらっと、視線を向けて見る。 お地蔵さまま、みんな、知らんぷりしてる。 と、とりあえず、落ち着くべ! ひと呼吸おいて、音に耳をすました。 びぃ~、びぃ~、びぃ~。 単調だけんど、耳の奥に響くな。 しいていえば、警報装置の音みたい。 ふと、賽銭箱をみてみると。 防犯用なんかな。なんか、導線・・・くっついてる。 これ? これが・・・作動しちゃったのけ? お賽銭いれただけなのに? と、とにかくな。 頭んなかパニックしちまってな。 慌てて、神社さでて来ちまった。 だから、じっくり見ようと思ってた『虚空蔵堂』の写真はない。 そして、帰りに登ってみようと思ってた、『富士山浅間神社』 参道の横にあったんだけんど。ここの写真も、ない。 そうそう、この『浅間神社』はな、古墳の上にあんだって。 うわ~。じっくりみたかった~。 そして、参道の入り口には、『子安地蔵』 なかには、木でこしゃったお地蔵さまがあんだって。 もとは『徳源院』にあって、『氏姫』さまの守り本尊だったかも、 って、話しもあるらしいど。 これも、じっくり見らんなかった。 足早に、神社さでて、『古河総合公園』さ向かった。 5分も歩かないうちに、入り口さ到着。 でも、まだ、音さついてくる。 なんで? ほ・ん・と・に・・・ 祟り・・・なの? このまま、家までついてきたら、 ど、どうすんべ~。 この門の辺りは、木の影でな。雪さたくさん残ってた。 こったらとこで転んだら、 それこそ、ほんとに祟りにあったみたいじゃ~ねえか。 だもんで、そろそろと、足元さ集中して、歩いて・・・あれ? あ~! 犯人は、こいつか~! 下を向いたら、首から下がってた、警報装置が目に入ったんだけんど。 これ、本体を引っ張ると、音が鳴るやつなんだ。 その本体部分が、引かれてる! 力一杯、本体をねじこんだら、 嘘のように、ぴたっ! っと怪音さとまった! 嘘! 怪音の発生源は・・・自分だったの! い、いつの間に、引っ張ったんだべな? っつうか、もっと早く気がつけよ! と、自分に怒っても、しゃ~ない。 今度は、桃の花さ咲いたときに、いってみっかな。 もう、警報音は、鳴んねべ・・・な? 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.16
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「虚空蔵菩薩の先祖狛犬」『狛犬さま』と戯れたあとは、菩薩さまに、挨拶しなくちゃな。 門を潜って、歩いて行くと、 赤い灯籠の足元に、『狛犬さま』発見! うわっ! 足さない~。 でも、大きな口で、怪しいやつさ威嚇する。 迫力は、まだまだ、健在だっぺ。 これは『先祖狛犬』っつってな。 長年、おつとめさして、 原型さくずれっちまった『狛犬さま』なんだ。 いつの時代のもんか、わかんないけんど。 雨風に耐えながら、たぐさんの悪霊さ、 追っ払ってきたんだべな。 右っかわの『狛犬さま』は、打撃さ大きかったんかな。 お顔の判別も出来ないべ。 かろうじて、頭と胴が・・・わ、わかる、かな? ここまでがんばったら、あとは、神社の隅さ移って、 引退宣言する『狛犬さま』さ、多いらしいんだけど。 まだまだ、現役! 若い狛犬にゃ~、まかせておけん! なんて、な。 勇ましい声さ、聞こえてきそうだな。 そして、お堂の横には、こんなんもあった。 牛、だべな。 虚空菩薩様と、どんな関係さ、あんのかな? じっくり見たかったんだけど。 ちょっと事情さあって、よく見れなかった。 お堂のほうも、写真さ取り忘れちまった。 この辺は、別の話なっちまうんで、 また今度、な。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.14
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「虚空蔵菩薩の狛犬さま」『古河総合公園』の東。 端っこに、こったら看板さみっけた。『虚空蔵菩薩』さま。お寺かな? 覗いてみたら、 神社みたい。すぐ隣に民家さ迫ってて。 入ってもいいんかな? どうしようか、迷ったんだけど。 門の前に、みっけちゃった!『狛犬さま』 さっそく、お邪魔しま~す♪ 門の前で、出迎えてくれたんは、 こりゃまた、個性の強い『狛犬さま』だべな。 ふうむ。耳さでかいようなw。 あ、鼻もなんか気になる~。 顔のパーツが、大きめなんかな。 左っかわの『狛犬さま』は あら? 団子っ鼻だw。 目も大きくて、まん丸だべな。 だから、かな。 あんまし恐くないど。 子犬みたいな。 小型の犬みたいな。 愛らしさが、あんべ。 どっかで見たようなお顔なんだけど・・・どこだったべな。 さて。次はお背中拝見! まずは左っかわの『狛犬さま』から。 おや? 立派なお背中。 正面からみた時は、ひょろ長い体型にみえたんだけど。 かっこいい~背中だな。 広いし、落ち着いた感じさ、しないけ? 尾っぽも変わってんな。 真ん中で2つに別れて、噴水みたいにみえるど。 こんなしっぽのわんちゃん、いるよね。 あ、そうか。 どっかで見たと思ったら。 シーズーだ! 中国原産の、お鼻のつぶれた、毛の長いわんちゃん。 しっぽも、こんな感じに、流れてた。 そっか~。なんか、親しみさ、湧いて来ちゃったなw。 次は右っかわの『狛犬さま』 写真さ斜めになってんのは、『狛犬さま』のすぐ横が、塀になってっからなんだ。 塀の横さ腕伸ばして、やっとこ撮れたんだ。 さて、こちらのお背中は、 細かいとこまで、はっきり彫り込んであるど。 2つに別れたしっほも、細い毛の筋がしっかり残ってる。 隣が塀だから、だな。 左っかわの『狛犬さま』は、雨風さあたるけんど。 右っかわの『狛犬さま』は、塀で雨風さ、防げる。 風化する速度が、違うんだ。 ふむふむ・・・ 流れるような鬣や毛先は、みててあきないべ。 あれ? 足元に、なんがあるど。 なんだべな。 正面にまわってみた。 どうも、寝っ転がった『子狛犬さま』にみえんだけんど。 違うかな~。 この『狛犬さま』は、昭和時代に奉納されたらしいんだけど。 数字さ読みにくくってな。 はっきりした年代さ、わかんなかんた。 六年かな? 六十年かな? どっちか、だと思うど。 正面は、面白いお顔。 背中はがっちり、頼れる感じ。『古河総合公園』さいったら、ぜひ立ち寄ってみとこれね。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.13
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「古河公方の墓所」 昨日は『徳源院跡』の周辺さ、散策したけんど。 今日は、思い切って、中さ踏み込んでみんど。 こん中にゃ~『5代目古河公方・足利義氏』公の、お墓さあんだ。 ど~もな~。お墓は苦手でな。 やっぱし、ちっこいころに、 お化けさ出る、とか。 祟られる、とか。 恐い話さ、みっちり吹き込まれたせいだべな。 それに、お墓とかお寺って、なんとなく・・・異次元みたい。 ん~と。独特の威厳、つうんかな。 こう、ぴりっとした空気みたいなもんさ、感じんだよな。 遊び気分で足さ踏み込んじゃ、いけね、 って、場所に思えて、な。 なかなか、近寄れなかったんだ。 さて。墓所さお邪魔してみた。 やっぱし、独特の雰囲気さ、ただよってんな。 気を引き締めて、いこ。 正面奥にあんのが『足利義氏』公の墓。 あ、これは違った。石碑だった。『古河公方義氏公墳墓』の碑だって。 左隣にある、こっちが、『足利義氏』公の墓所だど。 って、思ってたんだけど。どうやらこれも、違ったみたいだべ。 現地案内板によると、これは『足利氏女の石塔』なんだと。 お墓とは、違うのかな。 石塔の周を、石の柵で囲ってあるけど。 この柵って、どんな意味さあんだんべ。 古いけんど、手入れもされてて、花も供えてあったど。 今も、大事にされてんだな。 振り返ると、入り口近くに2つの石塔さった。 入り口から見て右側の石塔。 仏様かな? 細かい人物が彫り込まれてるべ。『七地蔵さ彫り込んだ、石幢』だって。 そして、左側の石塔。 これは『足利義親の石塔』。 ええと。『義親のお墓』ってことかな? あれ? 『義氏公のお墓』は? 帰ってきてから、写真と案内板さじっくり見てみたら、 上の写真の石塔。 後ろのほうに、木が生い茂ってっとこさ、あっぺ? 近くでみっと、ちょこっと盛り上がった小山になってんだけど。 ここが『足利義氏公の墓』って言われてる、場所なんだって。 えっ? 石碑とか、石塔みたいなもんは、なかったと思うけど。 案内板だと、右奥が墓だ!って書いてあるど。 でも、みんな、隣の柵で囲まれた石塔が、『義氏公の墓』だって 思ってるんじゃ~ないかな~。 ブログとかでも、そっちの写真さ載ってたし。 ま、紛らわしい~。 ええと。案内板によると。 ここには『義氏公の遺骸か、その一部』が、埋葬されているそうだど。 って、ことは。案内板さ正しかったら、 奥に義氏公のご遺体が・・・埋まってた? まさか、ふんのぼったり・・・してないべな? なるべく飛び石さ歩いたんで、だいじだと思うけんど・・・ 失礼なこと、してない・・・はず・・・ ああ~。やっぱし。 不用意に、踏み込んじゃ~いけねえ場所だったんだな。 外から覗くだけにしとけば、いかったっぺ。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.12
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「徳源院跡」『桃林』には、もひとつ。ぜひ立ち寄ってほしいとこさあんだ。『徳源院跡』っつってな。 昔のお寺の跡なんだけんど。 ちょうど『桃林』の入り口んとこに、あんだよ。 こんもりと、木の枝さ絡まる一角がある。 時期がちと、悪かったかな~。 寒々とした雰囲気。ちと、近寄りがたいな。 この林が『徳源院跡』って、言われてるとこなんだ。『徳源院』は、『古河公方・足利義氏』が開基したって言われててな。 当時は『香雲院』って名前だったらしいど。 だども、別の説じゃ~。 最初は『足利高基』の正室の法号からとって、『瑞雲院』 次は『足利晴氏』の正室からとって、『芳春院』 最後に『足利義氏』の娘・氏姫がらみの、『徳源院』 って、名前さ替えた、って話もあんだと。 さ~て。どっちがほんとなんだべな? どっぢにしても。 古河公方さまと、古河家の女性に関係さ深かった寺院、 っつうのは、間違いないらしいな。 林の側には「古河公方」と書かれた石碑さあった。 これ、古そうだけんど、いつの時代のもんだべか。 そして、林の中には、公方さまたちの墓所がある。 今現在。『徳源院跡』で残ってんのは、これだけ。 う~ん。他になんかないかな~。 ちと立ち去り辛くて、辺りをうろついてみた。 跡地の裏側さ、回ってみたら、 あれ? 裏っかわは、土手っこさ、あるべ。 表っかわは、ゆるい坂だったんだけどな~。 さらに、先にいくと、 低い土手っこが、続いてる・・・ もしかして、土塁? 違うか~? どうも、お城散歩さ初めてからな。 こったら土手っこさ、みっと、 土塁じゃあんめ~な? って、勘ぐる癖さついちまってな~。 思わず寺院さ囲んでた、土塁かな? って考えちまったんだw。 たぶん、公園の敷地さ整備する都合でこしゃった、土手っこだんべなw。 それとも、実際に『徳源院』さあった、敷地の段差かな~。 『徳源院』は、 江戸時代後期に、無住職さなって。 明治4年(1872)に廃寺。 栃木県藤岡町さある『山王寺』に合併されたんだと。 ということは。 こないだの『土井利勝』が『桃林』さこしゃったときは、『徳源院』は、ここに存在したってことだべな。 桃の花に囲まれた、寺院。 どんな建物だったんだべな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.11
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「桃林」『古河総合公園』の北さ、行ってみる。 案内所から、だと、公園さなった広場を越えていくんだけんど。 ゆっかりとした傾斜のでこぼこ坂道さ、あがってくんだ。 天気のいい日は子供っこがはしゃいでいそうな、 ブランコや登り台みたいな遊具さ、 いっぱいあったな。 そこさ通りすぎると、北園さ出る。 ここは、『桃の花』が有名らしいんだどもな。 ・・・やっぱし。まだ、早すぎたべな。 閑散としちまって、淋しげだっぺ。 せっかくだから、ぼてぼてと。 園内散策。 おんや、きれいな建物さあんど。なんだべな~? 近づいてみたら・・・お手洗いでしたw。 『古河総合公園』は、広いかんな。 なんでも、敷地面積さ、22,4haぐらいあんだって。 園内じゃ~、あちこちに、 こったらきれいなお手洗いさあってな。 安心して、散策出来るようになってんだよ。 さて、『元屋敷の桃林』さ到着~! 開花の時期は、ここ全部、ピンク色になっちまうぐらい、 桃の花だらけさ、なんだって。『元屋敷』って名前からすると、ここに、お屋敷があったんかもな。 んと、な。 この『桃林』にゃ~、ちと歴史話さあんだ。 江戸時代初期、『古河城主・土井利勝』が、 家臣の子供たちに桃の実を集めさせ、植えたのが、始まりなんだと。 燃料さなる薪が少なかったんで、早く成長しで、実もなる。 一石二鳥の植物、って訳で、桃さ選ばれたんだと。『土井利勝』は、 元亀4年(1573)~寛永21年(1644)。 江戸幕府で、老中や大老を勤めた人。 出生について、謎がある人物らしいな。 最初は『徳川家康』に。 その後『家忠』、『家光』に仕えていたんだけんど。 『古河城主』に任命されたんは、『家光』の時代。 寛永10年(1633)だって。 いつごろ『土井利勝』が、桃を植えさせたんかわかんないけんど。『古河総合公園の桃林』は、 300年ぐらい歴史さある、『桃林』ってことになんだべな。 へ~。んじゃ~、桃さ咲いたら、もっかい来てみようかな。 300年の歴史さ見ながら、散歩すんのも、おもしろそ~だっぺw。 満開になった、桃の花っこさ想像しながら、 元屋敷跡の道さ、のそのそ、登ってく。 ちょっと、坂道さなってたんだ。 あ、だども。今植わってる桃は、『古河総合公園』さ開園させっときに植え替えた、 花の咲く『花桃』なんだって。 そんじゃ~、『土井利勝』が植えた桃とは、 違う種類なんだ? 実さなんないんだべ? ありゃま。そりゃ~、残念。 だども。桃の花は、見てみたいな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.09
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「水路」 今日は半島の北側さ、歩いてく。 この辺にも、土塁の跡が、あるとか、ないとか。 よくわかんないけんど。 歩いてみたとこじゃ~、普通の崖みたいだったな。 先端の『天神橋』までいった。 ふと足元さみっと、橋の横さ溝があってな。 下さ覗けるようになってた。 なんとも、不親切な設計の橋だな。 これじゃ~、おっかなくって、橋さ渡れないべ~。 落ち着いてみたっくれ、さほどの溝じゃ~ないんだし、 橋は頑強な、コンクリート製。 おっこちる心配さ、ないんだけんど。 こ、こわい、よ~。 こういうの、苦手だべ・・・。 すっかり怖じ気づいちまってな。 こわごわ、橋の途中まできた。 ふと、顔さあげたら、『御所沼』の北っ側さみえたんだけど。 おお~! 雪景色! きれ~だべ~♪ 木の陰さなってっから、雪っこさ溶けなかったんだべな。 どっかの田舎さ来たみたい♪ 和むべ~。 おかげで恐怖さ、すっ飛んじまったよw。 奥に見えんのが、入り口の案内所。 そして、手前に見えんのは・・・『水路』? なんの『水路』だんべ? この『水路』。半島側に沿って、ず~っと続いてるど。 南っ側と違って、明らかに人がこしゃったもんだっぺ。 橋もあっし、水の取り込み口らしい場所もある。 半島部分は、ちと高くなってんで、『水路』の中なよくめ~ないんだけんど。 水も流れてるど。いんや、凍ってったかな? そして、土手っこの上にゃ~、謎の足跡w。 土手っこさ、歩いた人がいんだな。 こったら足元滑りやすいときに、 水沿いさ歩くなんて・・・勇気のある人が、いたもんだな。 これは、『古河公方さまの屋敷跡』横の、『空堀』さ下りたとこから、撮った写真。 これは、なんの為の『水路』なんだべな? 公園の設備? それとも史跡? 公方さまがおられたころも、あったんだべか。 それとも、もっと後の時代に、こしゃったもんなんかな。 う~ん。大騒ぎして、 ただのデザインです。 なんて言われたら、はずかしい~な~。 でも、気になんな~。 これ、なんだんべ? 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.07
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「公方様の森」『古河公方さまの館跡』から、西に向かって道が延びてる。 森の中さ続く、でこぼこした山道だっぺ。 この森は『公方様の森』っていってな。『御所沼』に突出した、半島の部分のことなんだ。 城風にいえば、『1曲輪跡』だなw。 入り口付近から覗いた感じじゃ~、 どこにでもある林みたいだけんど。 さて、どうだべな?『古河公方館』はな。 享徳4年(1455)に、『初代古河公方・足利成氏』が築いた屋敷でな。 別名『鴻巣御所(鴻巣館)』っていわれてるんだど。『足利成氏』は、2年間『鴻巣御所』で過ごし、 その後、『古河城』さ移ったんだって。『足利成氏』が、いなくなったあとの『鴻巣御所』についちゃ~、 まだまだ、調査中の部分さ多くてな。 よくわかってないらしいんだけど。『最後の古河公方・足利義氏』も、一時期滞在してた・・・かも? って、噂さ、あるみたいだべな。 確実なとこだと。 天正18年(1590)。 豊臣秀吉が、『古河城破却』の命令さだしてな。 当時『古河城』さ住んでた『氏姫(氏女)』が、『鴻巣御所』さ移りすんだ、ってとこかな。 『氏姫』は『足利義氏』の娘でな。 結婚して、『下野国・喜連川』の歴史さ、かかわってくる 大事な姫君なんだけど。 くわしく書くと長くなっちまうんで、 今回は、省略。『氏姫』は、結婚後も、『鴻巣御所』を離れず、 元和6年(1620)に亡くなるまで、『鴻巣御所』に、とどまっていたんだと。 その後は、 息子の『喜連川義親』夫婦と、孫にあたる『喜連川尊信』が、 御所内に住んでいたらしいんだけど。 寛永4年(1627)。『喜連川義親』が亡くなってな。『鴻巣御所』は『喜連川尊信』が継いだ。 寛永7年(1630)。『喜連川尊信』の祖父にあたる『喜連川頼氏』が亡くなってな。『喜連川尊信』は『喜連川家』さ継ぐために、御所さ離れて、『下野国・喜連川』へ移ったんだ。 そんで、主のいなくなった『鴻巣御所』は、『時宗十念寺』の寺域に、なっちまったんだと。 『十念寺』は、現在、民家さ移築されてるとこに あったらしんだけんど。 跡らしいもんは、なかったな。 氏姫も、こったらとこさ、散歩したんかな? そったらこと考えながら、『御所沼』の南側に沿って、 半島の先端さ向かって歩いてみたべ。 半島と沼の間に、小山さあんど。 木さ繁ってんで、直接沼さめ~ないな。 手前の窪みは、なんだべな? 水路にしちゃ~水っけさ、ね~べ。 ぐ~っと首さのばして、左のほうさみたら、 ふむ。半島の根元まで、続いてんど。 もしかして・・・屋敷跡の一部け? たとえば、土塁、とか。 もしかしたら、空堀の跡、とか。 二重堀、とか? 気になる窪みだな~。なんだべな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.06
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「古河公方屋敷跡」『御所沼』を周りこんで、北へ向かう。 周りに生えた木と草。 そこさ積もった雪景色さ眺めながら、歩いて行く。 おや? あれなんだ? 茶畑だ。なんでこったらとこに、茶畑? きょろきょろ。周りさみわたすと、 茶畑の奥に、古い民家が見えたど。 なんだが、田舎の村に迷い込んだみたいだな~。 民家は、古いお屋敷を移築してきたものだ、って話だど。 すると、この辺に『古河公方さまの屋敷跡』さあるんだな。 地図でみっと、民家のすぐ横らしいんだけど・・・どこだべな。 茶畑の隣は、梅林。花はまだまだ、先みたい。 う~ん。ここは、屋敷跡じゃ~ないんだな。 きょろきょろしながら、梅林を通過。 民家の前も、通過。 お、なんだか、いわくのありそうな、小道。 なんだべな? 一応写真さ撮っとくべ。 で、なんも気づかないで、通過しちまったんだけど。 この小道の横が、『古河公方さまの屋敷跡』だったんだよ。 こったら、石碑と案内板が、あったんだけど。 わ、わかりづらい・・・ これさ、探して、半島さ一周してきちまったじゃ~ねえか! それに、想像してたより、狭い。 狭い敷地を、猫の額みたいな土地、っていうけんど。『古河公方さまの屋敷跡』は、まさに、それ! これじゃ~、車庫も建てらんないべな~。 実際の『古河公方さまの屋敷』は、こったらちいさい訳はない。 んじゃ~、どんぐらい、あったんだべな? ええ~と。地図さ書いてみた。 青い部分が『御所沼』だど。 半島の付け根さある赤い旗が『古河公方さま屋敷跡』の碑があったとこ。 で、『古河公方さまの屋敷』は 半島に突出した『連郭式・中世城館』だったんだと。 半島の先端から館跡の手前あたりまで、 南北幅40メートル 東西長135~140メートル の部分が、1曲輪。 根城とも言われてて、本丸の役目さしてた可能性もあるらしいべ。『屋敷跡の碑』から、地図の端っこあたりが、2曲輪。 南北幅70~100メートル 東西長180メートル あんだって。 茶畑んとこまで、屋敷の敷地内になんだな。 んで、民家のあった辺りには、 昭和5年まで、『十念寺』があったらしいど。 そしてさらに先。地図さ書けなかったんだけど。『土塁跡』さあって、 南北幅100~130メートルの、 外郭部分が確認されてんだって。 今でいうと、公園の駐車場さある辺りだべか。 今は、なんも残ってないんかな~。 残念だっぺ。 案内板によると、『西の空堀』と『東の土塁』が残ってるらしんだけんど。 土塁・・・どこだべな? 公園周りの小山が、土塁だったんかな? ちと、わかんないや。 でも『西の空堀』は、わかったど。『館跡の碑』のすぐ後ろなんだ。 って、先っき小道って、いっちまったなw。 だども、実際に中さ通ってみっと、 周りの崖がそそりたっててな。 堀の深さは、写真よりも、深く感じるど。 振り返ってみっと。 急斜のある坂道。 こけるほど、急じゃ~なかったけんど。 走ったら、危ないな。 でも、空堀歩き、結構、たのしいw。『御所沼』の岸からも、『空堀』さ見えた。 なんだか『竪堀』にも見えるけど・・・ これって、どう区別してんのかな?『古河公方さまの屋敷』は、もうなかったけんど。 たのしかったよ。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.03
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「御所沼 2」『御所沼』の西にある『相ノ谷橋』 ここさ渡ると、『御所沼』の南っ側さ、いけんだ。 おっと! こっちは道が悪りいな。 土の道は、大好きなんだけど。 ぬかるんだ道は・・・勘弁したい。 何日か前に関東さ襲った大雪が、 まだ残ってたんだな。 ここは道の横に、木さ生えて林みたいになっててな。 日が射さないもんだから、 雪はガチガチ。 運良く日が照ったとこは、 解けてどろどろ。 ・・・引き返そうか・・・ いや、ほんとに。ちょこっとだけ、思ったべ。 どこを歩いても、すっころんじゃいそうでな。 危険そうだったから。 だども、先の景色さ見たくって。 安全そうなとこを、 ちょこちょこと、歩いていったど。 そしたら、こんな景色さ見えてきた。 沼に浮かぶ小島・・・かな? ちっさい島が、いくつもあるど。 橋で、わたれるようになってんだ~。 いってみたいけど・・・落ちたら、冷たいべな。 それに、雪も積もってっし。 沼の橋から、見るだけにしとこ。 ええと。北側と比べて、南側は、 沼も地面も、でこぼこ。 自然がいっぱい、って感じだべw。 そだな。緑さいっぱいの時期に、もう一回きたいな。 たとえば、ここなんか。 緑の広場になって、寝転んだっくれ、気持ちいかんべな~。 ここは、沼の南っぱし。『こぶし野』って名前さついた、広場。 たぶんここも、昔は沼だったんだべな。 ここから、後ろさ、ず~っと・・・ あれ? 後ろは小山さ、あるど? てっきり、沼を埋めた跡の平地だと思ってたんだけど。 よくみると。 沼の南さ通る散歩道は、南っかわにず~っと、小さな盛り上がりが続いてた。 それに、小川も寄り添うように、流れてた。 小山はな。 場所によっちゃ~、見晴らし台のように、登る道がついてたな。『土塁』じゃ~、ないべな。 なんだんべ。登ってみたっくれ、正体さわがっかな。 ちょっと、奥さ覗いてみたけど、 あ~、だみだ。雪さ積もってる。 それも、みっちり。 おまけに、かっちり凍ってそうだど。 残念。ここも、夏になるまで、お預けだべな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.02.02
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