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「船着き場」 さて今日は、『逆井城』で一番見たかったとこさ紹介すんど。 ここだど。『二層櫓』の下んとこ。堀の中に位置する溝なんだけど。 なんだか、わかっけ? 別の角度からみっと、こんな感じ。 写真の右が『二層櫓』さある、土塁んとこだど。 奥の掘りと、小さい土手っこで分けられた溝さあんね? これは『船着き場の跡』なんだと。 昔はここに、水さいっぱい引き入れてな。 城の近くまで、船さ寄せられるようになってたらしいんだ。 さらにぐるっと回って、掘りの反対側さいってみた。 この辺は道が舗装されてっから、難なくいけるど。 ここは『逆井城』の南西部分だな。『二層櫓』や建築物がよくめ~るど。 だども、肝心の『船着き場』が、よくめ~ない。 夏は葦が生い茂っちまって、遺構の跡さ隠しちまうんだな。 秋のほうが、よかったべか。残念。 天気のほうも、曇ってきたし。 たしかこの日は午後からゲリラ豪雨さあっかも って、天気予報さいってたんだよな。 で、午後さなって、曇ってきたもんだから、 この辺さ散策してたときは、あわあわ急ぎ足で、 動きまわってたんだった。 結局、雨っこは降んなかったんだけどな。 そわそわしちまってな。落ち着かなかったよ。 おや? この変の地形は、城跡よりも低くなってんのかな。 土塁と『二層櫓』が、高く見える。 これは、もともとあった高低差なんかな。『逆井城』は、平城に分類されるみたいだけんど。 こっからみっと、高ささあって、平な城にゃ、め~ないな。 さらに城跡さ沿って歩いていくと、西側は『水堀』になってる。 こっちはあんまし、木々の手入れさされてないみたいだな。 ちょっと見づらいけんど、水面はわかったど。 なんか深そう。 だども、船っこさ通ってたんなら、深さもなくっちゃな。 あんまし浅い堀だと、船底さ引っ掛かかっちまうもんな。 『水堀』はさらに『逆井城』に沿って、北さ進む。 んで、その先さあった『飯沼』っつうでっかい沼に通じてたんだと。 すると、ここの城主さまは、水上戦も得意だったのかな。 船着き場さあった時代は、『北条氏』が納めてたころだべな。 どんな風に、船さ使ってたんだろう。 この辺、わかるとおもしろそうだな。最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.29
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「案内版」『逆井城』の入口。『二層櫓』さ見渡せる広場にゃ、案内板さあった。 城内案内版だな。 最初っから、これさみてたら、うろうろ迷わなかったのに。 東側の入口にゃ、なかったど。 地図の横にゃ、『逆井城』の歴史。 これによると。戦国時代の『逆井城・飯沼城』は、 北さあった『飯沼』とつながってたらしい。『飯沼』を挟んで、『北条氏』、『結城氏』、『多賀谷氏』が 睨みあってたんだと。『多賀谷氏』は、初めて聞く名前だな。どの辺さ治めてた武将なんだべな。『結城氏』は、なんとなくわかるべ。『小山氏』とも関係さ深かったから、『逆井氏』とも、関係さあったんだべか。 有効的な関係かな。それとも、敵? ふうむ。この辺はこれから勉強すっとこだな。 あ、年表もある・・・だども、字さちっこくて、め~ないよ。 おお、なんだが、見知った名前さいっぱい載ってんど。『古河城』や『関宿城』の関係者も、いっぱいいるど。 なんか、感動! 今までだったら、ほとんどちんぷんかんぷんだったんだけど、 ちょこっと、わかる。 城跡散歩の成果さ、出てきたかな。 お、下野関係の事件もあんね。『小山城(祇園城)』にも、攻め行ってんだ。 遠くまで、ごくろうさんだな。 おお、『栃木市方面』にも、攻め込んでるど。 天正13年(1585)。『北条氏勝』が、下野国に出張だって。 出張っつうと、気楽な感じに思えるけんど、 戦さ行った、ってことだべな。『大平山の合戦』で、敵首484さ、取ったって・・・あれ?『大平山』の字さ間違ってるど。 下野国のおおひらさんは『太平山』。『大』じゃなくって『太』だど 『太平山の合戦』って、たぶん。『富士山城』さ攻め込んだ戦だべな。 今は『太平山城』って呼ばれてんだけんど。 栃木市にあんだよ。 紫陽花さ綺麗なとこなんだ 残念ながら『富士山城』の記録は、燃えちまってな。 ほとんど残ってないんだけんど。 戦国時代は『皆川氏』の出城だったらしいんだ。 山城でな。天然の天守閣みたいに、遠くまで見渡せた城だったらしいど。 だども、北条軍に攻め込まれて、落城。 そのまんま、廃城になっちまったらしいんだ。 正確な年代は、わかんねんだけど。 たぶん、『逆井城の案内板』さ載ってる、 天正時代のころだと、思う。『逆井城』から遥々と。 下野国の『富士山城(太平山城)』まで、いったんだ~。 大変だったろうなぁ。 当時は全部、歩きだべ。 どんぐらいの日数さ、かかったんだべな。 それも遊びじゃねんだから、気楽にほてほて歩いていったわけじゃない。 どこさ通って行ったんだべか? 小山経由かな~。 っと、なんか、妄想が・・・。 『逆井城』から、話さずれてきちまったなw。 だども、いろんな城と繋がってきたな。『逆井城』は地味な目立たない城って、思ってたけんど、 案外重要度さ高い城だったんだな。『逆井城の歴史散策』も、たのしくなってきたど 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.26
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「二層櫓」 やっと、たどりつきました。『逆井城』の西っぱしにある『二層櫓』さ見えてきた。 こっちが本来の、城跡公園の入口なんだべな。 では、おくればせながら、正面さまわってみっか。 大きな門。これは、なんだんべ? 何かのまじないけ? 鳥居みたいな役割さしてんかな。 高すぎて、じっとみてたら首っこ痛くなってきた。 ちょっと下さ向いて、首さ休憩すんべ・・・おや? なんか、めめこい蓋さある。『消火栓』だって。 ほんだから、消防車の絵なんだな。 もし『二層櫓』さ火がついて燃えちまったら、 消防車が来て、 こっから水さ汲みあげて、 消火活動さ、すんだべな。 戦国時代にもこっから水さくみあげて・・・な、訳ないなw。 これは、現代の設備だもんな。 それに、『二層櫓』の前には、でっかい『水堀』さあんだ。 今も並々と水さ残ってんだから、昔もたぐさん水さあったんだべ? そっちからくみ上げてやりゃ~、いんだよね。 めめこい蓋に魅入られて、下さば~りみてたら、 また首っこ痛くなった。 む~ん。普通の角度に、据え直そう。 よし!。こんどは何がめ~るかな~? おお! これこれ。この角度。 ネットでおなじみの『逆井城』の顔。『二層櫓』だなw。 やっと『逆井城』さ来たっつう実感さわいてきたべ。『二層櫓』は戦国末期の資料さもとに、復元したもんなんだと。 歴史考証もしっかりやってっから、 ほんもんと同じ造りってみて、いんじゃないかな。 あ、でもこの『二層櫓』って、『逆井氏時代の逆井城』のもんなのかな? それとも『北条時代の飯沼城』のころのもん? 解説にゃ書いてないんだけど。 気になるな~。 『二層櫓』は中さ入って、上から景色さながめられるんだよ。 ちっと高いとこは、おっかないな~。 ってな。しりごみしちまってな。『二層櫓』さ、上がんなかったんだけど。 遠くまでみわたせるらしいど。 岸に沿って奥へ。長い塀が続いてんな。 あの奥さいけんかな? どんなんなってんかな~?『水堀』も気になんだけど・・・う~ん。次はどっちさいこうかな。 でも、ちっっと疲れっちまったんで、ここらで休憩すんべ。 芝生の綺麗な広場に、案内番さあるみたいだし。 目の前は『二層櫓』と『水堀』っつう、絶好の景色。 おまけに人っこひとりいないから・・・ ふふふ。『逆井城』独り占めw。 ここでおべんと食べたら、最高だっぺ。 歴史だの、諸事情だの、頭さこんぐらかっちまう話は、ちょこっと脇さおいて。 おもうぞんぶん。戦国時代の雰囲気さ、たのしむべw。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.22
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「主殿」『関宿城薬医門』さ潜ると、ぐっと地形が低くなる。 なんだい、こりゃ? まるで堀底さ降りてくみたいだど。 まるで、すり鉢の底みたいな地形だな。 これは山の地形なんだべか? それともわざわざ、掘り込んだんだべか? どんな役割さしてた場所なんだべな。 坂さ急なんで、そろそろと降りていく。 と、こったら建物さあった。『主殿』だど。 だども、『逆井城』のもんじゃないんだと。『主殿』は『大台城』の発掘のときに発見された遺構さもとに、 復元された建物なんだ。 右側半分が主室で、左側が控室になってるらしいど。『主殿』の前に再現された『日本庭園』。 これも『大台城』の調査をもとに、再現されたもの。 なんでも、『大台城』は『逆井城』と同じ時代に存在した城らしくてな。 ここに復元された建物も、『逆井城』と同じ時代の建築物を参考に、復元されたみたいだど。 んじゃ、『大台城』は『逆井城』の近くにあったんかな? 調べてみたら、『大台城』は『茨城県潮来市(いたこし)』にあったんだと。 変わった名前の市だな。 初めて聞く市だったんで、地図さひっぱりだして探してみた。 まずは『逆井城』近辺。『坂東市』辺り・・・あれ? ないな。 てっきりお隣さんだと、思ってたのに。 どこにあんだろう? しばらく地図さ眺めてたんだけど、さっぱり見当さつかないもんで。 ネットで検索してみた。 やっぱし、ネットは早いな。一発で場所さでてきた。 ん? でも、これって、間違ってね~んかな? なんか、とっても、遠いんだけど。 こないだのらくがき地図に、ちょこっと書き込んでみたど。 こったら感じかな。『坂東市』はどちらかというと、内陸のほうでな。『古河城』や『関宿城』よりって思ってもらえばわかりやすいかな。 で『潮来市』は、どこかっつうと、海の側。『霞ヶ浦の南端』と『北浦の南端』が合流したあたりって思ってもらえば、いいべ。 同じ茨城県なんだけど・・・どんだけ離れてんの? 茨城県の西端と東端。 いったい、どんなつながりがあんだ? ちなみに『大台城(または、堀之内大台城)』が築かれたのは、 文禄3年(1594)。 近くに『島崎城』ってのがあってな。『島崎義幹』って人が城主さ務めてたんだけど。『佐竹義宣』に滅ぼされちまったんだと。 そんで『島崎城』のかわりに、 一帯を治めるために築かれたのが『大台城』ってわけ。『大台城』は、城代が置かれてな。 慶長7年(1602)に『佐竹義宣』が 出羽国(秋田県)へ転封になるまで存続したんだと。 あ、10年ぐらいしか、存在しなかったのか。 ちょっと『茂木城』と境遇が似てるかな?『茂木城主・須田盛秀』も、『佐竹義宣』の家臣でな。 出羽国へ転封になったとき、一緒についていったらしいど。『茂木城』は廃城さなんなかったんだけど、 ちょこっと、親近感さ、感じんな。 こういう、ちっこいこじ付けって、大切なんだど。 ただ暗記するだけよりも、忘れにくくなんだよ。 あれ、でも。ちょっとまった。『大台城』の築城が、文禄3年(1594)だと、ちょっと不味くね?『逆井城』が落城したのは、天文5年(1536)年だど。『大台城』がこしゃる58年前に、『逆井城』は無くなっちまってんだけど。『逆井城』の落城は伝説なんで、多少年代がずれたとしても、 50年は前の話。『主殿』は『大台城』のものだから、『逆井城』と同じ年代の建物、っていっちゃ、だめなんじゃね? 50年の開きは、問題ない誤差なのかな~。 建築関係は、よく知らないからな。どうなんだべ? っつうか、もし、この年代さあってたら、『逆井城』と『大台城』に接点なんて、ないんじゃないけ? んじゃ~、なんで『逆井城』に『大台城の主殿』さ復元したんだべ? まだ、近場でほかに空き地がなかったから、っつうなら、話はわかけど。 茨城県の西端と東端だど。 間に建物の一個ぐらいおける公園や広場は、いっぱいあっと思うんだけど。 どんな事情さ、あったんだい? 『飯沼城』と『大台城』の関係は、どうなんだべな。 でも『北条氏の飯沼城』は、天正18年(1590)の小田原評定んときにな。 開城して、その後、廃城さなっったらしいんだ。 あ、『大台城』が築かれる4年前に、廃城さなってるんだ。 んじゃ~『飯沼城』と『大台城』も、つながりはないんだべか。 さっぱり、わかんなくなっちまったな。 なんで、『逆井城』に『大台城の主殿』さ、あんだんべ? 謎だな~。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.20
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「関宿城の薬医門」『観音堂』の隣は、広い芝生。 緑のはっぱが、つんつん生え放題。 踏みごたえありそうだな~w。 と、奥のほうに、なにやら厳かな門が見えた。『薬医門』だど。 これは『関宿城』から一般の御宅に売却されたものを、 移築したんだって。 ネットの写真で見たよりも、塀が長く見えるんだけど。 整備し直したんかな。 もっとちゃっちい門をイメージしてたから、 実物さみて、状態の良さにびっくり! 腰さ引けちゃった。 なかなか、良いじゃん! もっと近寄ってみよっ。 足元の芝が、元気すぎて、歩きづらいけんど。 他に道さないし。 芝に入るな、って看板もないから、 わし、わし、わし、と。 遠慮なしに、芝っこ踏みつけて進んだ。 おっ。童心に帰った気分で、うきうき! たのし~。 『薬医門』が民家に売られちまったのは、 明治2年(1869)~明治4年(1871)の『廃藩置県』のころ。 当時の『関宿城主・久世広業』が、藩主から知藩事になってな。 明治6年(1873)に『関宿城』は、廃城。 その時、門や建物が、民間に払い下げになったんだと。『薬医門』さあった御宅は、『鶴見栄助(えいじょ)』っつう、旧・猿島町に住んでた人らしいんだけど、 どんな人なのか、不明だべ。 城の門さ家に置くぐらいだから、 御先祖は、お金持ちの豪商だったのかな? 近くでみっと、扉は痛んでる。 昔のまんまなのかな? それとも、観光客が触った跡け? ええ~と、この『薬医門』は、 江戸時代か、明治時代の建築物になんだべな。 『逆井城』や『飯沼城』さあった時代のもんじゃないべ? それとも室町時代から、『関宿城』にあったんかな? こしゃった時代は、いつのものなんだろ。 扉さ閉まったとこ。『薬医門』は拝観時間に、制限さあってな。 16時ぐらいになっと、門が閉められちまうんだ。 あ、横に小さな通用門も、あったんだな。 どっちもぴっちり閉められちまって、入れません。 扉さ閉まっただけなのに。なんだろ、雰囲気さがらっと変わったな。 なんか、締め出されたっつう感じ。 人さ拒絶してるみたいだな。 ふ~ん。ほんもんの城門ってのは、 こったら威圧感さ、あるもんなんだな。 ところで『薬医門』って、『関宿城』のどこにあった門なんだべか。 説明書なんかだと、一言で『関宿城の門』だよ、って書いてあっけど。 門さあった場所も、いっぱいあったと思うんだけど。 ちなみに『関宿城の大手門』だった、と言われている門は、 栃木県の下野市にあんだ。 とんかつ屋さんの、敷地内にあってな。 こっちも個人が買い取ったものを、移築してきたんだって。 今も個人の御宅になってるみたいなんで、写真はない。 今は個人情報とか、うるさいかんな。 許可なしで、写真さのせるのは、ちょっとまずいかな、と思ってな。 長屋門、っていうんかな。左右に詰所みたいな場所がある、大きな門だど。 ときどき、門の前さ通るんだけど。 こっちも、なかなかの迫力でな。『薬医門』にも、まけね~ど。『関宿城』って、ほとんど城跡さ残ってないけんど。 建物はあちこちに、残ってんだね~。 って、あれ?『逆井城』の話だったのに『関宿城』の話になっちまったどw。 ま、いいか。 《参考》茨城県坂東市協会のホームページ (逆井城の縄張図も、載ってるど。みとこれね)最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.15
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「観音堂」『逆井城の北側』さ、ぐるっとまわって、 おトイレ前まで戻ってきたど。 今度は西と南さ、散策すんべ。 この辺りは『西2の曲輪』って呼ばれててな。 元は『2の曲輪』だったとこだど。 だからかな? 全体的に平さなってて、 北側みたいな、堀や土塁はめ~ないべ。 一面に芝が敷き詰められた、芝っ原だど。 そったら中で、ひときわ目立つ赤いお堂。『観音堂』 旧・岩井町にあった『大安寺』にあった建物なんだと。『大安寺』は、廃寺になっちまったのかな? ネットで検索しても、なんもわかんねかった。 奈良県に『大安寺』さあるらしいんだけど、 関係あんのかどうか・・・。 この辺は、今後の情報待ちだな。『観音堂』は、 旧・岩井町から移築してくっときに、一端解体されたんだけど。 天正16年(1588)と弘化2年(1845)の『棟札』が発見されてんだって。『棟札(むなふだ・むねふだ)』っつうのはな。 お寺や門などを、建築したり修復したときに、 建築した年月日、建築者や大工の名前を記した札のこと。 他に、工事をした理由や目的などを記された、 建築記録の役目も、してるんだと。 材質は、木の札や銅の板の場合もあるらしいど。 それを、外から、め~ないとこに打ち付けておくんだ。 墨書きだかんな。 雨や風にあたっちまうと、せっかくの記録も消えっちまうもんな。 それとも、機密扱いだったのかな? わざとめ~ないとこに、隠したんかもしんないど。 建物の秘密が、記されてたんだったりしてw。 そったら扱いさされた『棟札』だから。 年月が経つと、誰も存在さ忘れっちまうんだ。 ニュースで、歴史的建築物さ修復してたら、 屋根うらから『棟札』がでてきた! って話さ、聞いたことあっけど。 なんで今までわかんなかったの? って、不思議だったんだ。 隠された情報だったんだな。『棟札』って。 さて。秘密めいた『棟札』だども。『観音堂』から発見された『棟札』は、普通のもの。 天正16年(1588)に建立されて、 弘化2年(1845)に、再興。 こんときに、幕府が改造したらしい、ってわかったんだと。 建物自体は、天正時代の特徴を残し、 市の指定文化財になってんだって。 あ、だども『逆井氏の時代の逆井城』と、ちょっとずれんだな。『北条氏時代の飯沼城』のころだったら、年代さあうな。『飯沼城』と『大安寺』。 なんか因果関係さ、あったんだべか? あったら、面白いな~。 ところで、『観音堂』の中は、みれないの? 中にゃ観音様さ、居られるんだべか? そこんとこ、ちと、気になるな。《参考》 茨城県坂東市協会のホームページ (逆井城の縄張図も、載ってるど。みとこれね) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.14
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「古城跡」『逆井城』の不思議な場所。『枡形虎口』らしいべ。 四角い形と『横矢』みたいな出っ張りが、 はっきりわかるように復元されてっと。 周りをかこんだ堀も、しっかりと残ってる。 南側の堀。 草がわさわさ。元気だなぁ。 植物にゃ、堀も土塁も関係ねんだな。 振り返ると、『土橋』。 あの向こうにある凹みは、本丸周辺さ囲む堀だど。 んじゃ~、ここは、一続きの掘りってみてもいいんかな? 堀の上は、綺麗に草がむしってあったから、歩き安かったど。 この日も一生懸命、草むしりさしてる人がいたど。 広いとこは、機械さ使えっけど、 狭い堀の中は、手作業になんだんべ。 でもって、崩れやすい場所や堀の端っこは、 ぼっこさないように気~使うし。 おっこったら、怪我すっかもしんないし。 元気いっぱい根っこさはった草は、 引っ張ったって、ながなが抜けね~ど。 城跡さ管理すんのも、大変だな。 邪魔しね~ように。 隅っこさ通って、『枡形虎口』さ侵入~。 綺麗に手入れさしてもらったおかげで、 こったらしっかりした土台が見られる。 有り難いな。 これは、調度内側に曲がり込んだあたり。 ここだけ堀の側に、木の柵があんど。 昔の人が訪問したブログさみっと、 ここに橋が架かっていたらしいべ。 実は、ちょっと楽しみしてたんだよな~。 橋はどうしちまったんだろ? 今は橋があったらしい場所んとこだけ、土塁さ凹んでてな。 通行さできなくなってる。 ・・・つまんない! 中の敷地は広くって、小さ目の曲輪みたい。 この場所って、ほんとは何なんだべな?『枡形虎口』つうのはな。曲輪の入り口さ防御する為にこしゃるもんだべ。 けんど、ここにゃ~『本丸』方向に渡る道はない。 北側にあんのは、『深い堀』と『鐘堀池』だけ。 それとも昔は、出入り口用の橋さあったんかな。 ちょこっと、らくがき地図さ描いて見た。 こないだの奴を、ちょこっと修正したんだよ。 この場所は『馬出』だって情報もあった。『馬出』も曲輪の入口さ守るために、こしゃった場所のことだな。『枡形』と違って、半月型だったり、四角だったり、 城から出っ張った、曲輪みたいな場所だべな。 ふ~ん、でもな。ここって、入口はどっち側なんだべな?『東側の土橋』んとこ? それとも『西側の掘の隙間』? あるいは、『取っ払われた橋』さあった、角っこ? あ、『金堀池』んとこ、って説もあんだっけ。 見ればみるほど、ここがなんのための場所なんか、 わかんなくなってきたよ~。 だって、形が変なんだもの。 あのくぼんでっとこが、謎なんだよな~。『古城跡』って説もあってな。 今は、これが本命説なんかな。『古城』ってのは、昔の城跡。 つまり『逆井氏の逆井城』時代の名残って話なんだ。 んじゃ~。奥の掘りとつながってなかったのかな?『飯沼城』時代にゃ、地面の下に埋もれてたんかな? 北条時代は、使われてなかったのかな?『古城時代の逆井城』って、いったいどんな姿さしてたんだべな。 ん~。やっぱしここは、不思議な場所だべな。 現在の『古城』出入り口は、こんなとこにもあるど。『古城』の西側にある土塁んとこに、階段さあってな。 堀の下さ降りられるんだw。 そんで、掘りっこさ横断して、向こう側にあがれんだ。 で、さっそく、降りてみた。 堀は奥に控える本丸の掘りと比べっと、 小さくて狭くって、3分の1ぐらいの規模しかない。 足の長い人なら、一跨ぎ・・・は、さすがに無理かな。 だども、規模はちっさいな。 これも『古城』っていわれる理由の一つだべ。 ちいさくっても、やっぱり堀。 壁にしつらえた階段は、角度さ急でおっこちそうw。 ここは、公園散策用に造られた『古城出入り口』なんだべな。 だども、ここが一番わくわく、どきどきで。 お気にいりの出入り口さなったっぺ。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村
2013.08.11
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「大前神社・2の鳥居」 (大前神社と正面の石鳥居) 下野新聞さみてたら、『大前神社』の話さ載ってた。 ちっと気になる発見さ、あったんだ。 だから、今日はこの記事について、書いてみるべ。 新聞記事の内容は、『大前神社の2の鳥居』さ建て替えるよ、って話なんだけど。 ないだのブログさ、覚えてっかな? えびねっこが散策した時は、『2の鳥居』さなかったんだよ。 (そんときのブログは、こちら) なんで? 見落とした? って、慌てっちまったけんど、その理由も新聞さ載ってた。 東日本大震災のとき、損壊しちゃったんだと。『2の鳥居』は、 明治23年(1890)。 市内の豪商『久保六平』氏が、 強風で損壊した木造鳥居の変わりに、奉納したもんだったんだと。 材質は御影石。 高さは、約4・7メートル 幅は、約4・1メートル あったんだって。 これは参道にある『1の鳥居』。石の鳥居だど。『2の鳥居』も、こったら感じだったんかな。 実物さ見れなくて、残念だったな。 さて、大発見はこれからだど。 新しい鳥居さ据えるために、工事さしてたらな。 地面の下から、でっかい礎石さ出て来たんだと。 どんぐらいかっつうとな。 縦横、約2メートル 高さ、約1メートル 重さが、約6~7トン 123年前の、鳥居跡らしいんだ。 あ、それって今まであった、『2の鳥居』の足元んことだべな。 そうか。 上からみただけじゃ、礎石の一部しかめ~なかったから。 地面さ掘っくりけ~すまで、全貌はわからなかったんだな。 この『礎石』は、 当時の鳥居がどうやって作られたのか、探るために保管してな。 境内に展示する、予定なんだと。 新しい『2の鳥居』は木造でな。 10月ごろ、お披露目される予定だど。 これは『3の鳥居』。木造の鳥居だど。 新しい鳥居は、こったら感じになんのかな。 新・旧そろって、参拝者さ迎えてくれんのは、いつ頃になんだべな。 楽しみだな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村
2013.08.08
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「比高二重土塁の上」『比高二重土塁』。『底の掘』さ堪能したら、次は・・・上さ登りたいなぁ~。 どっか登れそうなとこ、ないかな? 土塁の上は、平さなっててな。 人が通ったような跡もあったから、 どっかあがれっとこが、あるはずなんだ。 だども、橋の付近にゃ、登れそうな階段はねがった。 ありゃ? あれなんだべな? 土塁の上さ、みあげてたら、なんか敷石みたいなもんさ、見っけた。 自然に置かれたもんじゃ~ね~な~。 ブロックを2つ重ねて置いたような、四角い石でな。 ・・・ありゃ、なんかの印だな。 なんだべな・・・こりゃ、登って確かめなぐっちゃ! っつうことで。 よじよじ、土塁さ這い上がっていったっぺ。 や~! 小さくみえた土塁も、 いざ登ってみっと・・・角度さあって、腹さ苦し~。 腹筋さ弱ってんだな。 あ、太っただけ、け? やっとこ登った。 目の前に現れたものは、『比高二重土塁』っつう表示板。 こんときはまだ、解説板さ見てなかったから、 ここが『比高二重土塁』だって、知らなかったんだ。 だもんで、表示さみっけて、うれしかったな~。 でも、なんでこったらとこに、こしゃったんだ? って疑問も、わいてきたきたけど。 だって、この場所は、土塁の上にあんだよ。 それも、掘側に近いとこさ、置いてあっから、 上さ登らなくっちゃ、め~ね~もんな。 一般の観光客は、気がつかないんじゃ~ね~かな~。 ってことは。 土塁さ登った人だけの、特典だべか。 わっ! うれし~な~。 ほっぺが緩んじゃうどw。 顔さ上げると、低いほうの土塁の向こうに、 芝の敷かれた広場さみえた。 あそこが『三の曲輪』らしいど。『復元された見張り櫓』がある、って聞いたけど。 もっと奥にあんのかな? こっからじゃ~、め~ないな。 だけんど。 土塁さ登っただけで、こんなに視野さ広がるもんなんだな~。 ちぃっと木が邪魔だけど。いい景色だど~。 こう、心もす~っと、広くなったような気がしたな。 堀の様子はどんなかっつううと、 こんな感じ。 ここは、一端右に曲がって、 奥のほうで左さ曲がって、進んでくんだ。 この辺が『横矢』さ、った場所だべか? もちっと先だったかな? 案内板さあったんだけど、土塁の上にいたかんな~。 横からみた『横矢』の写真さ、撮ってなかったよ。 あんまし土塁あるきさ楽しいかったもんだから、 すっかり忘れっちまってた。 や~! 失敗したべ~。 写真じゃ~平べったくみえっけど、 実物は、もっと、でこぼこしてるよ。 落っこちたら下まで止まらず、 まっつぐ滑って、行っちまうんだろうな。 ここって、お侍も歩いたんだよね? 滑った人、いなかったかな~。 鎧さ着てたら、重いし、動きも鈍いし、 大けがすっかもしんないど。 あ、敵さ追い落とすにゃ、いいかもしんないな。 こっちの写真だと、高さがわかっかな? ここは、奥のほう。北側の崖に、近いとこだど。 奥のほうが、深いんだな。 それとも、こっちのほうが状態さよく残ってただけなんかな。 下の掘りからみたときは、なんか、追い詰められた侍のような、 胸さぎゅっとくるような、追い詰められた気分さしたんだけんど。 上からみっと、いい気分~。 気さ大きくなって、偉くなったかな? って錯覚しちまうど。 上と下で、雰囲気さ全然、変わっちまうもんなんだな。 さて、土塁の終点は、階段さなかったんで、 斜面の緩いとこさ狙って、降りた。 たのしかった~。名残りおしいな~。 もっかい、いってみる? って言いたくなるほど、楽しかったど~。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村
2013.08.07
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「比高二重土塁」『逆井城』の東端にゃ、なが~い土塁と堀がある。『比高二重土塁』って名前さ、ついててな。 お! って、目さ奪われちまう景色だど。 土塁の外に『三の曲輪跡』らしき、広場さあってな。 そこに案内板さ、あったんだけど。 解説によると『堀の外側と内側に土塁があり、 外側の土塁に比べて、内側の土塁が高くなってる』 って書いてあった。 内側ってのは、『二の曲輪』側だど。 で、外側ってのは『三の曲輪』のほうにある、土塁のこと。 二つの土塁の高さが、違うってことだべな。 へ~、ほんとけ~? で、案内板とこから、掘さみたら、 あ! ほんとだ。高さが違う。 でも、言われなかったら気がつかなかったよな~。 あ、でも、現役時代はもっと高さがあって、 はっきりわかる状態だったのかな? というわけで。 土塁と土塁の高さ(比高)に差があって、 二つの土塁に見える(二重)から、『比高二重土塁』っていうらしいど。 初めてみたな~。 それに初めて聞いた用語だから、なんだかよくわかんなかったんだけど。 現物さ見て、納得したよ。 一つ、城用語さ勉強したなw。 も一つおまけに付け加えとくと、『比高二重土塁』は『北条氏(後北条氏)』の得意技術なんだと。 だもんだから、『北条氏』に縁のある城にゃ、『比高二重土塁』があっとこも、あるらしいど。 さて、前回の散歩の続きさ、いってみんべ。 まずは『比高二重土塁』の内部さ、探検すんど。 や! 土塁の上も登ってみたかったんだけんどな。 こないだの『横矢跡』んとこに、 ちょうど堀さ降りられる隙間さ、みっけちまってな。 ふらふらと、入り込んじまったってわけなんだw。『堀底』は、こんな感じ。 一直線にまっつぐ進んでる、と思もいきや。 内部は曲がりくねってた。 それにな、案外深さもあんだよ。 う~んと背伸びしても、底から外さめ~なかったかんな。 たぶん、掘と土塁さあわせて、2メートルぐらいあったんだべな。 こういうとこ、好きだな~。 誰もいないし、独り占め。 で、うきうきしながら、写真さ取り巻くってきたんだけんど。 みんな、同じような写真だった。 う~ん。もちっと、角度とか、背景の木さ入れるとか、 工夫さすればいかったな。 これじゃ~、堀底散歩の楽しみが、つたわんないべ~。 ええ~と。案内板によると。『堀の幅は約13メートルの規模を持ち、 8ゕ所に横矢の構造を持つ、 戦国時代末期のもの』 ってあんだけど。 堀がくねってるのは、横矢さあるからかな。 堀底からじゃ、どこが横矢か、ちと見当さできね~な。 特に変わった跡も、ない。 ず~っと、土の道(堀)が続いてるだけ・・・ う~ん、いいな~。 あ、でも、こんなの、あったw。 これは、入口近くにあった橋だな~、って ちょっと、低くね? ええ~と、どうしよ? 上さ出たほうがいいんかな? だども、上がれるとこさ、ないど。 引き返すけ? でもな~、もう、半分以上進んできたし。 そろそろ出口なんだけど。 引き返すのも、くやし~な~。 ってことで、橋の下さ潜り抜けた。 頭さあぶね~。 こ、腰が~曲がる~。 くそう。こったらとこに、思わぬ伏兵が・・・ 油断した~。 などなど。 ぐだぐだ心の中で呟きながら、橋の下さ通過。 出口さ、到着したど~。 なんか最後は緩やかな坂道さなってて、 堀底の終着点にしちゃ~、物足んなかったけんど。 人目さ気にせず、ほげほげと。 め~いっぱい楽しめたんで、満足だっぺ。《参考》 『逆井城の案内板』 (一部わかりやすいように、省いた部分もあります。) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.06
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「二の曲輪」『逆井城』さ示す石碑。 これは『二の曲輪』にあんだよ。 後ろにみえんのが『櫓門』。 この写真、苦労したんだよ~。 『櫓門』と『石碑』さ、一緒に入れようとすっとな。 背後の木の枝が、邪魔してな~w。 葉っぱも一緒に、写りたかったんかな? さて、今日紹介さすっとこは、『二の曲輪』なんだけど。 一言でいったら、どでかい原っぱだな。 一面に芝さ敷き詰めてあってな。 ごろんっと転がって、昼寝したくなんど。 そんでもって、見どころが一杯あんだ。『比高二重土塁』だべ。『枡形? みたいな堀』だべ。『二層櫓』や『関宿城移築門』も『二の曲輪』ん中にあんだど。 らくがき地図さ、描いてみた。 あ、全部書き込んでないやw。 地図の右橋の茶色い線が『比高二重土塁』だど。 で、左の下あたりに『二層櫓』や『移築門』さあんだ。『智姫』っつうお蕎麦屋さんの下も、広場さなっててな。 ゲートボール場に、なってんだ。 灰色の線は、公園散歩用の道でな。 この道の所為で、分断されちまってんだけど。 ほんとは全部、つながっててな。一つの曲輪だったんだと。『二の曲輪』は『本丸』さ囲むように築かれた、『L字型』の曲輪だったんだ。 『二の曲輪の北側』。 写真の左側は、断崖になってっと! 残念ながら、木の枝と葉っぱさ茂ってて、景色はめ~ないけんど。 冬だったら、下の田んぼが、全部みわたせんだべな~。『逆井城』は、昔の飯沼、西側の台地にこしゃった城でな。『半島台地』っていわれる高台にあんだ。 比高差は、約10メートル。 んじゃ、『二の曲輪端』は、10メートル近くあるってこと? おお~。物見櫓さなくっても、周辺さよくめ~るべな~。 ちょっと『逆井城』の重要性が、わかったかも。 ところで、正面にちっこい山さあんだけど、わかっかな? あそこは『土塁』でな。 もしかしたら、物見があったんかも? って、いわれてるらしいど。 ってことは。次の散策場所は、あそこかな?『枡形? みたいな堀』も、気になんだけど・・・『二の曲輪の東部分』。 ちょっと湾曲してんだね。全体の写真さ、撮れないや。 あ、真ん中に突き出してんのは『土塁』だど! 高さは1メートルなさそうだけど、・・・長~い! どこまで続いてんだべ? なんか、うねうねと、曲がりくねってるみたいだけんど。 よく、こったら『長い土塁』さ、残ってたね~。 なんだか、うずうずしてきたど。 こりゃ、近くでじっくりと、みなくっちゃw。 次の探検先は、『比高二重土塁』にきめた! さ、元気にいってみんべ~。《参考》茨城県坂東市協会のホームページ (逆井城の縄張図も、載ってるど。みとこれね) 【送料無料】図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:2,940円(税込、送料込)最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.04
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「櫓門」『本丸跡の東側』にあるのが、『櫓門』。『2の丸』と『本丸』の、間さ横たわる『堀』のきわにあんだよ。『櫓門と橋』はな。発掘調査の結果を元にして、 戦国時代末期の様式さ、忠実に再現した門なんだと。 そうすっと、『逆井城』の時代じゃなくって、『飯沼城』時代の建物なんかな~。 あ、門の奥に、橋さみえるべ。 あの下が『堀』だっぺな。『櫓門』っていうのはな。『大手』や『曲輪』の『虎口』んとこに、こしゃる門の一種でな。 門の上に、箱型の『櫓』がくっついてる、建物なんだ。 ちょっと目、小ぶりの座敷部屋みたいにみえんな。 だも、中さ見えないから、座敷かどうか、わかんねっけどな。 ネットの写真でみたよりも、がっちりとして、大きいど。 もっと簡単な、壊れそうな門をイメージしてたんだけど。 こんだけしっかり復元されてっと、見ごたえあんなぁ。 そういえば、『櫓門』って実物さ初めてみた・・・んかな。 ん~。忘れっちまったけんど。 こったら形は、初めてだな。 下の門とこは、ちょっとお寺の門みたいな雰囲気だけんど。 技術は、同じなんだべか。 んで、この櫓。どっから上さ、あがんかな? 上の部屋みたいなとこは、侍の詰所みたいなもんなんだべ? 上から橋さ通る人さ監視したり、 敵が攻め込んできたときは、上から攻撃すんだんべ? だども、梯子みたいなもんは、ないな~。 門の下さ通ったときも、じっくり天井さ観察してきたんだけんど、 なんもなかったな。 いったいどっから、あがんだろ? と、いう疑問も、門さ抜けたら、すぱっと消えた。 理由はこれ!『堀』だど! いや、『堀』っつうよりも、山道みたいだな。 底は綺麗に均されて、平になってる。 左のでっぱりは、『横矢』があったっていわれてるんだ。 こっからだと『堀の出口』は、め~ないけんど。 全体さみわたすにゃ、十分な高さだべ。 あそこにちょこっと高い見晴台でも、こしゃったら、 隣の『2の曲輪』まで、見渡せるかもしんないな。 反対側。 城の中に向かってる『堀』。 へ~。『本丸側の崖』のほうが、角度が急なんだ。 それに高い。『2の曲輪側の崖』は崩れっちまったんかな? こっからだと、緩いなだらかな斜面にみえたど。 振り返ると『櫓門』。 こっち側の窓にゃ、格子があんだな。『櫓門』は遺跡保存のために、 西へ1メートル、北へ50メートルずらして復元してんだって。 地面のしたにゃ、『櫓門』の『柱穴』と『雨後溝(うごぞ)』が 保存されてんだって。 どの辺だべな~、と探してみたんだけんど。 ちぃっと、わかんなかったなぁ。 だども、『櫓門』は、見ごたえ十分。 本じゃ~わがんねかった、 戦国時代の雰囲気さ、感じられたど。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.08.02
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