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「下り道と虎口」 携帯は、どうにもならないみたいなんで、あきらめて。『本丸跡』から撤退することにした。 らくがき地図でいうと、矢印のあるとこ。『本丸』の東に、下さくだる道があんだ。 これは携帯が、おかしくなる前に撮った写真。 絵地図によると、ここにも門があったんだって。 ちぃっと字さ小さくて、なんていう名の門かわかんないんだけど、 実在してたことは確かみたいだな。 ふうむ。そうすっとここが、表口かな。『虎口』って呼んでいいんかな? 上から覗いたとこ。 左右の崖は深い。 公園用に整備されちゃってて、道は舗装されてるし、 崖崩れ防止の石垣も出来ちまって、 ちょっと雰囲気ちがうけど。 道の曲がり具合が、『つの字』みたい。 坂の角度は、登ってきた時のハイキングコースに比べりゃ、なだらかだけど。 自然と小走りになっちまう。 そして、写真さないんだけんど。『本丸』の反対側の崖にゃ『曲輪』があったらしい。 今は木しか、め~ないけんど。 どっかから、あがれんのかな? 斜面になってっから、『本丸』より低めにめ~るけど、 道に出っ張ったような崖は、見張り場所に最適だど。 なんつったって、こっちからカーブの先がめ~ないもんな。 ってことは、下から攻め込んで来た敵も、 崖のこっち側、『本丸入口付近』がめ~ないってこと。 登り坂と左右の崖に気~とられてるうちに、 崖の上から見張っていた伏兵と示し合わせて。 笠間側の兵は有利に持ち込める、と。 そったらことさ考えながら、『つの字の坂』を駈け下りる。 振り返って・・・びっくり!『本丸』の崖が、高け~! 思わず立ち止まって、見惚れちゃったよ。 写真さないのが残念だな。 鉄壁の壁、って感じ? 高さははっきり覚えてないんだけんど。 見上げるぐらいあったから・・・3メートル以上? かな? 周りの鬱蒼とした雰囲気も相まって、 背筋がぞくぞく~、ってしてきちゃった。 こりゃ~、敵さんきたら、怖気づくど。 この壁も、道も、計算して、こったら風にしたのかな。 は~。すげ~。 よくもまあ。こったもん、考えついたなぁ。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.28
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「笠間の幽霊」 さて。そろそろ腰さ上げて、『佐白山』さ降りるかな。 ちょっと名残り惜しいけんど、 いつまでも『本丸』に居座ってるわけにゃいかね~もんな。 確か、帰り道にも、見どころがいくつか残ってたはず。 どっこいしょ。 と、重い腰さ上げたら、トラブル発生! 携帯、切れた! 間違って、電源ボタンさ、押しちまったかな? ぽちっとな。 お、電源はいった・・・へ? 電池切れ? さっきまで『石段』の写真さ撮ってたのに? まだ2本線分は、電源残ってたのに? なして? もっかい、ぽちっと押してみた。 でも、だめ。切れた。 うわ~。もしかして、幽霊、でちゃった? いい天気だし、ここまでなんも怖いことなかったから、油断してた~。 わ~、どうしよ! っと焦ってみても、どうにもならず。 落ち着いて、充電機さ引っ張りだした。 まずは携帯さ復活させようと思ったんだ。 だども、だめだった。 ふわ~っ! よけいにおっかなくなってきちまったよ。 前にも書いた気がすっけど。『笠間城周辺』は、有名な心霊スポットになってんだって。 なんかね。トンネルがあって・・・そこさ出るんだと。『佐白山』も、こう、威厳つうの?、霊峰っつうの? 独特の重っくるしい雰囲気さ、あんだよね。『笠間城』さこしゃる前は、『正福寺』ってお寺さあったんだから、 修行の場もあったんだべな。 俗世間と離れた場所、っていう意味じゃ、調度いいのかも。 そういえば『正福寺』を落とした『笠間時朝』も、 幽霊に悩まされた時期があったとか。『正福寺』の怨霊? だべか? ほれ。『笠間城』さこしゃるとき、『正福寺』さ攻撃したんべ。 そんとき亡くなった、僧侶の霊が・・・わ~、おっかね~。 その後、『正福寺』にあった『観音さま』を見つけ出し、 新たなお堂を建てて祀ってな。罪を悔いたんだ。 御蔭で怨霊は静まった、って話だど。 幕府に内緒で兵を動かしたとか、 勝手にお城さこしゃったって、文句さ言われたらしいんだけど。 それも観音さまの霊験で、助かった、とか。 んで 『三白山』の三を佐(佐く=たすく)に変えて、 感謝を表したらしいど。 そん時にこしゃったお堂ってのが、 麓の稲荷神社駐車場前にあった、『観世音寺』なんだって。 へ~。知らなかった。『観世音寺』は『笠間城』と深いつながりがあったんだな。『観世音寺』は、昭和5年(1930)に現在地に移り、『観世音寺』っつう名前に替わったんだと。 それまでは、どこにあったのかな?『笠間城』内にあったんかな? う~ん。『観世音寺』さお参りしてくればいかったかな~。 そしたら、幽霊から、守ってもらえたかな? この次は、ちゃんと『観世音寺』さお参りすっから、な。 幽霊さま。いたずらしないどこれよ~。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.26
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「石段」 まだ名残惜しいもんだから、本丸周辺のがけっぷちさ歩いてみた。 らくがき地図でみっとけのへん(矢印)だな。 絵地図でみっと、ここらに御殿さあったみて~だど。 今はおっきな岩がころがってるだけだな。 ここの石は城の残骸なんかな? 石碑に見えるぐらいでっかいんだけど、 碑文はないし、な。 なんだべ? かなり高いとこまで登ってきたな。 下の眺めはどんなかな? と、崖下さ覗いてみる。 む~。こっから笠間の町はめ~ないなぁ。 山の影になってんのかな。 あと、木がうぞうぞ生えてるw。 見知らぬ山奥に、迷い込んじゃったみたい・・・。 町の建物が一つもめ~ないってのも、ちっと怖いもんだな。 ここが城として機能してたころは、 木はなかったんだろな~。 じゃね~と、怪しいやつさ忍んできてもわかんねもんな。 いったいどの辺までめ~たんだろなぁ~。『下屋敷跡の曲輪』まで、め~たかな。 崖の下にゃ、『曲輪』さあるはずなんだけど。 崖の斜面が急激でな。 おっかねぐって、確認出来なかったよ。 そのまんま崖に沿って歩いてたら、こったらものめっけた。『石段』だ! 崖の下に、沈み込んだみたいになってるかんな。 近くさ通っただけじゃ、わかりにくくなってたど。 らくがき地図でいうと、赤丸んとこ。 あのあたりさいったら、崖下さ覗いてみとこれね。 どっからどうみても『石段』ってわかる、立派な石が、並んでるど。『本丸にあった絵地図』によると、 こっから下の『2の曲輪』に降りる『石段』と『御門』があったみたいだな。 これのことかな。 ここの斜面も急激でな。直角に近い崖なんだ。 覗きこんだだけで、落っこちそうになっちまったよ。 でも、『石段』みたい。 そろそろと低姿勢で擦り寄ってみたら、 下のほうで、右に向かって折れ曲がってたよ。 さすがに、一直線で下るにゃ~、急すぎたんだべな。 この『石段』。今でもおりられるのかな? 下の『曲輪』も気になるし。 降りて見たい気持ちは、やまやまなんだけど。 おんなしくらい、危険度も上ってきてるよ。 ・・・ 残念だけど、やめとこ。 まだ先さあるし・・・な。 しかし、昔の人は、急階段が好きだな。 どこさいっても、段がちっこいものや急な角度の『石段』があんもんな。 おばさんは身長155センチ。ちっこいほうなんだけど。 それでも、登れないど。 昔の人は足さ踏み外したり、こけたり、しなかったのかなぁ。 わざと『石段』さ狭くする理由が、なにかあったんかな?::::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.24
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「土橋と蒲生郷成」 やっとこたどりついたのに。『天守台跡』は、みれないんたなぁ。 名残おしいから、ちっと周辺さうろついてみよっ。 まずは、『石段』の下から。 これは『土橋』だな。 木の間から覗くと、右っ側に『深い堀』さあるど。 左っ側にも『堀』さあったんだけど。 藪さ深くて写真じゃちっと、わかりづらいなぁ。 こっから上は、今までとちっと違うって、こないだ書いたけど。『天守台』周辺の普請さしたのは『蒲生郷成』って人らしいんだ。『蒲生郷成(がもう さとなり)』は戦国時代の人なんだけど。 生年不詳でな。慶長19年(1614)ぐらいまで、活躍してた人みたい。 元々の名前は『坂源次郎』。 おとっさんと一緒に、『関成政』や『柴田勝家』に仕えてたんだと。 だども、天正11年(1583)の『賤ヶ岳の戦い』でな。『柴田勝家』が滅んじまったもんで、浪人さなって。 のちに『蒲生氏郷』の家老になったんだと。(これは、『土橋』の縁にあった石。 真ん中に丸い穴っこさ開いてた。なんだべ?) その後、『九州征伐』や『岩石城攻略』など手柄さたてたもんだから、『豊臣秀吉』に認められて、『蒲生郷成』って名乗るようになったんだと。 その後も『蒲生家』内のいざこざを、治めたりしたんだけんど。 慶長3年(1598)。『蒲生家』が『宇都宮城』へ移封したときに、『蒲生郷成』は『笠間城』さ入って城主さなったんだと。(土橋付近にゃ、四角い石っこもあった。 これ、『石垣』の一部かな? 関係ない?) 慶長6年(1601)に、『蒲生秀行』が会津の領主さなると、『蒲生郷成』は『守山城代』『三春城代』さ務めて、『須賀川城主』になったんだと。 さらにこの後。同僚といざこざさ起こして、出奔。 今度は『藤堂高虎』に仕えたらしいど。 以上。ウィキペディアを参考にしてみたけんど。 あってるかな? ときどき間違った情報も、混ざってっかんな。 だども、いろんな武将の名前さ出て来たね。 有名どころがいっぱいだ。『蒲生郷成』って実は、すごい人なんけ? こんだけあっちこっちに、顔だしてんだから、 ただの武将じゃ~、ね~な~。 年代さあってれば、『蒲生郷成』が『笠間城』さいた期間は3年。 その間に『笠間城』さ手入れして、『天守台』さこしゃったのか。 んじゃ『天守閣』さこしゃったのも、『蒲生郷成』なのけ? 上の『石垣』とか『枡口』とか こしゃったのは、『蒲生郷成』なんだんべ?『蒲生郷成』は、いったいどんな普請さしたんだろ。 実戦で鍛えてきた武将、って感じの人みたいだから、 城の縄張りも、実践的なもんがいっぱい はいってんだべな。 ああ~! ますます見たくなっちまったよ『天守台曲輪』。《参考》【送料無料】図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:2,940円(税込、送料込)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別):::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.20
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「天守台の石段」 さて、いよいよ『笠間城』一番のみどころ『天守台跡』さ登るど。 うきうき! 足取り軽く目的地へ! まずは『天守台跡』さ上がる階段へ。 あれ? ロープさ張ってある。 なになに? 通行止め? なんでも上の『石垣周辺』が崩れっちまって、危険な状態なんだと。 だもんで、こっから先は『立ち入り禁止』なんだって。 ええ~! なんで~? あ、こないだの東海沖地震の影響? 昔来たときも、大きな木が『石段』の上さ倒れててな。 こっから上は登れなかったんだよ。 だから、今度は見れる!って、 すんごく楽しみにしてたのにぃ~。 先行していたご夫婦も、残念がってたど。 階段の上まではいけそうだよね~、って ちょこっと話さしたんだけんど。 危険ってことで、引き返していかれたよ。 こっから上は、今までとちょっと雰囲気さ変わってな。『石段』や『石垣』がいっぱい残ってるって話だど。『石段』の上は『天守曲輪』があって、 その奥に『2つの枡形』があって、 さらに奥に『天守台』さ、あったんだって。 本によると、『織豊系城郭』の雰囲気が よく残ってる場所だとか。 そうそう。『図解・茨城の城郭』の裏表紙に、『笠間城の石垣』の写真さ載ってんだけど。 これが『天守台跡』近くの『石垣』なんだべな。『宍ヶ崎櫓』んとこでみた『石垣』と違って、 荒削りだけんど、表面が平な長方形になった石が使われてる。 角っこは『算木積』かな? 全体は『打ち込みはぎ』みたいだど。 携帯の望遠ぎりぎで、撮った写真。 『石段』は曲がりながら、上へ続いてく。 あの天辺に、戦国時代の『笠間城』が、残ってんだな~。 ああ~! 残念! いつか復興されて、のんびり見学できるようになるかなぁ。 楽しみにしてるよ!《参考》【送料無料】図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:2,940円(税込、送料込)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.18
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「曲輪の謎」『笠間城の本丸』周辺の絵さ描いて見た。 いつものような、らくがき地図なんで、縮尺はおおまかなんだけど。 だいたいこんな感じかな。 赤い矢印が、『宍ヶ崎櫓跡』 青い矢印が、『天守台跡』さ向かう道 紫の矢印は、『佐白山』さ下って、『大手門跡』さ向かう道。 真ん中へんのでっぱり部分が、『八幡台櫓跡』だど。 これで『笠間城の本丸』の形さ、イメージできっかな? んで、『八幡台櫓跡』の横は、四角い『曲輪』になってんだ。 下からみた『八幡台櫓の石段跡』 道さ出来てるけど、あそこさ降りる人、いんのかな。 足場さ崩れてて、危険そうだったけど。 ここの斜面も、かなり崩れちゃってるよ。 昔は『石垣』で囲まれた、『櫓台』だったはずだど。『石垣の石』らしいものは、残ってないな。 埋まっちゃってんのかな? ここさ全部石で囲まれてたとしたら、 たくさん石さあったはずなんだけど。 どこさいっちまったんかな~。 それともここは、『石垣』さなかったんけ? ちょっと、謎。『八幡台櫓』さあったでっぱりの下あたり。 なんだろ。ちょっと四角い高台がある。 建物さあったのかな? それとも、整備の関係で出来たもの? 遺構じゃないのかな? でも気になる場所だな。 そして、『曲輪』の周辺は、『小さな土塁跡』に囲まれてる。 高いとこでも、1メートルにゃ届かない。『土塁』っつうより、どてっこだな。 だども、上さ歩いてみっと、石っこが、転がってた。 小さくて、丸めの石っこが多いな。 これは!『石垣』の名残りかな? それとも、自然石だべか。 区別さつかないど。 ふ~む。この辺さちょっと、ほっくり返してみたいな。 なんか出てきそうだど。 この『曲輪』にゃ、何があったんだべな。 本にゃここのこと、なんも書いてないんでわかんないんだけど。 『本丸』と『天守台』の間にある『曲輪』だかんな。 なんか、大事な役割さあったと思うんだけど。 なんだろな?:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.16
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「八幡櫓跡」 ここが『八幡台櫓跡』。 今はなんも無い。 だども『八幡台櫓』は移築されてな。『真浄寺』ってとこに、保存されてるらしいど。『笠間城』からみっと、北の方向。 50号線のほうへ向かってくと、あんだ。 車だったら、10分も離れてないんじゃないかな。 帰り道にちょこっと立ち寄ってみんのも、いいかもな。『八幡台櫓跡』は、ぐいっと前方に、突き出たような形さしてる。 だもんで、右手方向さみっと、『本丸』が見渡せるど。 ・・・ちょっと、木が邪魔っけだな。『八幡台櫓跡』の正面は、崖。 下を、人が通れるようになってる。 左っ側は、『曲輪』になってる。『本丸』と比べっと、ちっこいな。 半分・・・んにゃ、3分の1ぐらいかな? きょろきょろ。『土塁』の上にゃ、ほんとになんも、残ってねんかな? 端っこの地面とこさ、うろついてたら、 怪しい石っこ発見! 遺構かな? この辺、よくみっと、石っこがごろごろしてるど。 もしかして、これって『石垣』のなれの果て? こ・れ・は。すんごく、怪し~ど。 自然に石にしちゃ~、綺麗に並び過ぎてる。 おまけに、真ん中に溝。 これって、絶対。人の手が入ってるよね。 こりゃ、石段の枠組みじゃね~んけ? しゃがみこんで、じっくりと。 石っこさ観察。 おお~! 『矢穴』さあるど!『宍ヶ崎櫓跡』さあった、『矢穴跡』と比べっと うっすらとして、わかりづらいけんど。 確かに、『矢穴』さ残ってる。 んじゃ~、この辺に転がってる石っこは、 自然公園公園用に、持ってきたもんじゃない。『石垣』の一部なんだ! 土に埋まって、形もわかんないような石もあるど。 綺麗に並んでないやつもあるし、自然の石にしかめ~ないやつもいる。 いいな~。こういうの。 整然と復元されて、整備された『石垣』もいいけんど。 自然に染み込んだ『石垣』ってのも、いいな。 これはこのまま。復元しないで、おいといてほしいな。 あ、だども、『石垣』に守られた『八幡台』も、ちとみてみたい・・・。 どっちにしても。 ずっと残しておきたい景色だな。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.13
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「笠間城の土塁の上」『本丸土塁』に沿って歩いていくと、『城跡の石碑』さあったど。 お、城名の上の模様が、赤く塗られてるど。 おかげではっきり見えるべ。 これって、『下屋敷跡の曲輪』んとこの石碑にもくっついてたど。 笠間氏の家紋かな。それとも、別の城主の家紋かな。 さらに進んでいくと、『笠間城の絵地図』と、説明さ書いてある看板さあった。 これが、どでかい! 見上げるだけで、首さ痛くなっちまう。 じっくりみていたいけど・・・だみだ。疲れる。 小さくていいから、見やすいとこに、こしゃえてほしかったな。 案内板の後ろっ側に、『土塁』さ登る階段があった・・・んだけど。 なんか、手抜き? 今まで登ってきた山道の階段が、よく整備されてたからな。 ここの階段が、おんぼろにめ~ちゃったw。 でも、ほんと。気をつけないと、足元の木が崩れそう。 斜面も急なのに、つかまるとこないし。 ああ~。杖もってきていかった~。 ここでも、大活躍してくれたよ。 杖に頼って階段さ登る。 と、左っ側にでっばった広場さあった。 そこは『八幡櫓跡』っつってな。『笠間城』のみどころなんだ。 おや? 先客だ。 お城好きそうなご夫婦が、『八幡櫓跡』あたりで見学してた。 邪魔しちゃ悪りいな。 それに、こっちも、じっくりみたいし。 ってことで、先に『土塁』のさ、散策して来ることにした。 下からみたら、凸凹にめ~たけど。 それほどでも、ねがったな。 幅も結構広いど。両手いっぱい広げたぐらいはあんべな。 つうと、1メートルから2メートルってとこだべか。 下にあった『笠間城の絵地図』によると、 ここにも白い壁があったみたい。 まっつぐに続く白壁ってのも、見てみたかったな。『土塁の端』に到着! 何がめ~るかな? おお~! 下にめ~る空き地は『宍ヶ崎櫓跡』だ~! こっから『宍ヶ崎櫓』と『門』が見渡せたんだ~。『笠間城』って、『天守台跡』以外も、 いっぱい、いいとこあんじゃん! なんで宣伝しないんだろ? でも宣伝したら、 穴場さ発見!みたいな楽しみが、ねぐなっちまうなぁ。 皆に見てもらいたいけんど、見せたくない。 ああ、どうすんべ~。 ・・・でも、やっぱし。皆にみてもらいたいな。 ちょっと木が邪魔だけんど、 ここは城好きさんにゃ、絶対おすすめだど! いってみとこれね。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.10
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「笠間城本丸と土塁」 では、いよいよ『笠間城の本丸跡』。 一番いっかい曲輪さいくど。 と思ったら、『宍ヶ崎櫓』と『本丸』の間に、車道が!『堀跡』かな? でも縄張り図にゃ載ってない。 公園用の道かぁ。 んじゃ、横にある『土山さ登る道』は? なんだべな? 道さたどって上さみると・・・おっきいな。 3メートルはあるど。もしかすっと4メートルぐらいあんのかな。 これが『本丸跡の土塁』だべ。 横からみっと、こんな感じ。『本丸』の南っ側は、『土塁』がぎっちり警備してる。 ちょっと保存状態さ、悪りいかな。 凸凹してて、高さがまちまちだよ。 いつもなら近寄って、うわ~って眺めんだけど。 日陰になってるせいかな。 なんか、雰囲気怖い。 でも、見たいw。 んで、遠巻きに眺めていたら、こったらとこめっけた。 『竪堀』かな?『土塁』の西のほう。『宍ヶ崎櫓』に近いほうの端っこにあったんだ。 でもな。『竪堀』ってやつは、山の峰さ横切れないように、 邪魔すっための掘りだんべ? こったら『土塁』の壁さ、横断するやつ、いんのけ? それに、『土塁』に『竪堀』って、変だよね。 誰かが登りやすいように、後でこしゃった道だべか? 気になったんで、写真さ撮ってきたんだけんど。 この堀。『笠間城の縄張り地図』に、ちゃんと載ってた。 んじゃ、これ。 昔っからあったもんなんだ~。 んじゃ~、上に登る為の石段だったんかな? ほら、この『土塁』の上さたどってくと、『八幡台櫓の跡』さでっから。 この辺にも、ちっこい櫓か建物さあって、 上がれる階段さ、あったのかもしんないな。 ちなみに最初にみっけた『土山さ登る道』も、 縄張り地図に載ってた。 こっちも昔っから、あったもんみたいだど。『笠間城の遺構』って見て、いいんだべな。 あ、もしかしたら、『塀』さあった跡かな? いろいろつっこみどこさあって、妄想さ膨らむなぁ~。 おもしろくなってきたどw。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.08
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「宍ヶ崎櫓の土塁」『宍ヶ崎櫓跡』にある『土塁』 小さいな。高いとこでも1メートルないかも? だども、長い。『曲輪』の半分は、『土塁』になってるみたいだね。 昔の絵地図によると、この上に塀があったみたいだけど。 これは『土塁』っつうより『塀の土台』の役目さしてたんだべな。 さて。今日は『佐白山』の話さしてみっかな。 時代は鎌倉。1200年前半のころだど。 あ、そのころは『佐白山』じゃなくって『三白山』っていわれてたらしいんだけどな。『三白山』にゃ『正福寺』ってお寺さあってな。 僧坊がいっぱいあったんだって。 あ、もしかして『笠間百坊跡』って、『正福寺』の跡だったのかな? ええと。そんでな。 笠間の北のほうに、『引布山』ってのがあんだけど。 山の麓。南側のあたりに『徳蔵村』ってのがある。 そこの『徳蔵寺』と『正福寺』の間でな。いざこざさあったんだと。 だんだんいざこざが激しくなるもんでな。『正福寺の生田坊』は下野国の『宇都宮城主・宇都宮頼綱』に、援軍さ頼んだんだ。 当時の笠間は、宇都宮領だったんだって。 だから、『正福寺の生田坊』は 自分とこの大将に、援軍さ求めたったことだね。 もしかしたら、喧嘩の仲裁を頼んだのかもしんないな。『宇都宮頼綱』は、甥で猶子になっていた『塩谷時朝』を派遣した。『塩谷』ってのは、下野国の北を治めていた一族でな。 今でいうと、矢板ってとこあたり。『川崎城』が本拠地だったみたいだど。 当時の『川崎城主・塩谷朝業』は『宇都宮頼綱』の弟でな。 その息子が『塩谷時朝』なんだ。 これは『土塁』の端っこ。 向こうに細い道がめ~るよ。 通れるのかな? 地図じゃ~、奥まで続いてるみたいだど。 いってみたいけど、今回はやめとこ。 目的地は別だからな。 んで。『塩谷時朝』の話だけんどな。『時朝』は、『徳蔵寺』を制圧。 さらに『正福寺』まで攻め落としてちゃって。『三白山』に城を築いて、笠間に落ち着いた。 そんで『笠間時朝』って名乗るようになったんだと。 なんでまた、味方のはずの『正福寺』まで、せめ落としちまったんだろな。 なんか『時朝』の気に触るようなこと、したのかな。 ほてほてと。『長い曲輪』を進んで行く。 出口辺りから振り向いたとこ。 両側は木や草で覆われてて、わかりにくいけど。 たぶん崖だと思う。 さてさて。 ここさ抜けると『笠間城最大の曲輪・本丸・八幡櫓跡』さ出るど。 もう。山登りはないかんね。 慌てずに、いくべw。《参考》【送料無料】図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:2,940円(税込、送料込)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.06
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「宍ヶ崎櫓のでっぱり」 坂道さ上がっていくと、 ここが『宍ヶ崎櫓跡』の入口だど。 こないだのブログさ書いた『石垣』は、 入口の右側にあたる、土台部分だったみたいだな。 これは左側の部分。 こっちは崖崩れ防止用の、ネットさ張ってあった。 その上に苔や草さ生えててな。 下に『石垣』が残ってるかどうか、わかんねかったよ。 城内にあった案内地図によると、 この土盛の上に、『門』さあったみたいだな。 んじゃ、入口にゃ石の階段さあったのかな? 足元さみっと、道の両脇に土止めみたいに石が埋まってる。 でも、遺構なのか公園整備によるものか、判断さつかないな。 んで、ここが『宍ヶ崎櫓跡』っていわれてる『曲輪』。 縦長の長方形だな。 右半分は、奥のほうさ高くなってる。『土塁』かな。 ここにゃ、櫓が建ってたんだよね。 どの辺さあったんだろ? ちょっと建物さこしゃるにゃ、狭いような気もする。『土塁』と『門』と『櫓』。『曲輪』さ、いっぱいいっぱいで、人さいる場所なくなっちまいそうだよ。 それとも昔はもうちっと広かったんかな。 お、いいもんめっけ! 写真の手前に写ってる石だけど。 綺麗な長方形さしてんだ。 自然に出来たもんじゃね~な。 近づいてみたら、やっぱし。 四角い跡があったど。 これは石さ切り出すときに付けた、『矢穴の跡』。 ここに楔さ打ちこんで、岩さ割るんだ。 長方形ってことは、石段の一部かもしんないど。 こういうの、好き。わくわくしちゃうなぁ。 もっと残ってないかな。 この辺にも、石がいっぱい。『石垣』の一部かな。埋まってっから、わかんねな。 写真の広場は、さっき通って来た左側の土盛の上なんだけど。 下から見て想像してたより、広い。 4畳ぐらいの小屋なら、楽にこしゃれそう。 下さ覗くと、道がはっきりめ~た! へ~。こったら感じにめ~るんだ。『櫓』さあったら、どこら辺まで、め~たんだろう。 自然公園用の道路んとこまで、め~たかな。 なんか、感動~。 道と森しかないけんど。ちょこっと覗いて。 昔の景色さ想像してみとこれね。 なんか、あたらしい発見さ、あるかもしんないど。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.04
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「宍ヶ崎櫓の石垣」 山道をどんどん登っていたら、道がさらに坂道に。 どうやら、小山を越えるらしい。 最初に比べれば、ど~ってことねっけど。 もう、バテバテ。くたびれたど~。 いやいや、ここで、気い抜いたら、事故の元。 こったら時ほど、気を引き締めていかなくちゃ。 足元さ確認しながら、一歩ずつ。 焦らずに・・・あれ? 今なんかあったど? わ!、石垣だ~! 慌てて道さ戻る。 と、立派な石垣が。 さらに、戻ってみると、 小山だと思ってた、土の盛上り。 これって、『虎口』だよね! それも、『石垣』つき。 うわっ! 危うく見逃すとこだった。 こったらいいもん、みなくてど~すんだ。 改めて、下から観察してみっと。 道がくねってる。『クランチ』ってやつかな? 城の入口によく使われる曲がり道だね。 敵が入り憎いように、わざと道さ曲げとくんだよ。 この辺、『枡口』になってたのかな?『石垣』は、平たい石を積み重ねたもの。『野面積』かな。古い時代の積かたなんだって。 素人の目でも、はっきりわかる。 『笠間城』の遺構だど! おお~! どきどきしてきた。 ・・・ふう。ちょっと、休憩。落ち着こ。『笠間城』は、承久元年(1219)ごろ、『笠間時朝』か築城した城って、いわれてんだ。 だども現在残ってる部分は、 江戸時代になってから整備された部分が殆どでな。 時朝の時代の痕跡は、残ってないって話だど。 すると、この『石垣』も、江戸時代のこしゃったものなんかな?『戦国時代の石垣』だって、期待してたから、ちょっと残念。 でも、これはこれで、古い時経過さ感じられてな。 いい雰囲気さ出してるど。 じっくり観賞に浸る価値あり! だっぺ。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.03
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「中間地点」 この辺は『佐白山』の、中腹になんのかな? カードレール付きの車道があるど。 荒れ果てた道は、今は通行止めになってんかな。 あんまし使われてないみたいだど。 聞いた話じゃ、この道は、『佐伯山』を自然公園にすっときに、こしゃった道なんだとか。 車で山頂近くまで行けるようにする、計画だったんかな? けんど、この道さ通すために、 下にあった『曲輪』をいくつか、ぶっつぶしちゃったらしい。 もったいないこと、したな~。 さて。ここで一休み。 水分補給しながら、正面に聳える岸壁を眺める。 これがまた、でっけ~んだな~。 写真さ撮り忘れちゃったんだけど。 高いだけじゃ~ねぐって、迫力も備わってんだ。 見た目はどこにでもありそうな、土山の壁なんだけんどな。 お城の壁みたいだど。『笠間城』の入口さついた~! って気分だな。『天守台跡』さ行くにゃ、この壁を越えなきゃなんね。 でも、道はちゃんとあっから、だいじだど。 ハイキングコースのほぼ正面とこに、崖ん中さ入る道があんだ。 でもな。この道の入口。 ちょっと変な気がすんだ。 直角じゃねぐって、こう、壁さ周りこんでるように、め~るんだ。 ほんのちょこっとだけんどな。 直接道の奥がめ~ない・・・ってことは、 これって『虎口』なんけ? 道路工事の際、この辺も破壊されちまった可能性があっから、 はっきりいえないけんどな。 いよいよ『笠間城』の主郭部分さ、突入け! わくわく。もう、疲れなんか、すっとんじゃったよ。『虎口?』さ侵入~。 最初は急な登り坂。せっかく取れた疲れが、戻ってきちゃうよ。 すんなりと、中さ入れない仕掛けだな。 城の入口は、これぐらい難航でなくっちゃ。 よじよじ。よじよじ。杖を頼りに、ゆっくりと登る。 杖、持ってきてよかったな~。 坂の上で振り返って、びっくり! 登り坂が、直角だよ。 そして、周囲を囲む山の壁。『土塁』かなぁ。それとも、山をくりぬいた道なのかなぁ。 高さは、2~3メートルってとこかな。 なんか、壁が迫ってくるような感じする。 おまけに、壁と木のおかげで、この辺薄気味悪いよ~。 敵を追い払う効果、抜群だね。 幽霊は・・・出ないよねぇ? 怖がりなもんだから、びくびくしながら歩いたもんで、 こっから先、ちょっと記憶が曖昧なんだけど。 こったら崖さ登った。 今回は杖、大活躍だな。 さすがに、この崖は杖なしじゃ~怖かった。 一本の杖だけど、頼れるもんがあるって心強いよ。 で、さらに、こったら山道さ歩いた・・・ような気がする。 崖登りの方が、後だったべか? この辺、ほとんど覚えてないんだよなぁ。 疲れてたんかな? とにかく、上へ上へ登っていった。 下のハイキングコースより、坂はなだらかなんで、楽だったけど。 いったいどこまで、続くんだろ? 前に来た時も、こったら長い道だったっけ? ま・さ・か・・・幽霊の仕業じゃぁ、ないよね? ふえぇ~。怖いよ~。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2014.02.01
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