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「火薬庫跡」 今日も、坂さ下って行くど。 すると、左っ側になにやら『怪しい空間』さ発見! なんだべな? 場所は『龍体山』の中腹より、ちょい下ぐらいかな。 あ『龍体山』ってのは『大田原城』のある山の名前だど。 ちゃんと、名前さある山だったんだね。 知らなかったな。 ええと、そんでな。 ちょこっと足をとめて。広場の奥さ覗いてみたんだ。 藪に覆われてっから、正確な形はわかんないけど、 ちっと長い四角形みたい。 駐車場かな? 今は、立ち入り禁止になってるんだな。 公園の管理施設さあった空き地かなぁ? それとも、『曲輪の跡』? いやいや、なんでも城と結びつけて考えちゃ~いけね~な。 だってこの辺りは、破壊された部分も多いって聞いたし。 住宅地が近い城跡なら、開発でいじられちまうこともあっかんな。 案内板さないかな。 きょろきょろ。左右を見渡していたら、 ちょっと離れた空き地に『石盤』があった。 これによると、ここは『火薬庫の跡』らしいど。『千石蔵』っつってな。『戊辰戦争』のころ、この辺に火薬を保管しておく 倉庫があったんだって。 そういえば。 慶応4年(1868)ごろの『戊辰戦争』のときな。『大田原城』は『旧幕府会津軍』に攻め込まれて、 落城しかけたことがあんだ。 そんときな。『火薬庫』が大爆発する、って大事件があったんだよ。 それと、突然の大雨さあってな。『旧幕府会津軍』は撤退。 お陰で『大田原城』は、落城せずにすんだ って話を聞いたよ。『石盤』にもおんなしこと、書いてある。 へ~。ここが、爆発現場だったのけ~。 改めて、周りさ見ると。 周囲は坂になってるせいか、『火薬庫跡』のある辺りは、高台になってるようにめ~るど。 これは『石盤』のとこから、上の『駐車場みたいな広場』さみたとこ。 あっちはさらに一段、高くなってるな。 見晴らし、良さそう。 下をみると、曲がりくねった車道がめ~る。 あそこは『坂下門』があったとこだよ。 こっからだと、『坂下門全体』がめ~る。 今は木が邪魔だけど、 あっちから城内に入る人は、みんなめ~ちゃうな。 そして、少し右側。『本丸』のほうさ見っと、『龍城公園入口』から続いてる車道が、ばっちりめ~る。 お、奥の分岐点は、『本丸の西側虎口』さ続く坂道だ。 あそこから『本丸』に入る人も、しっかり観察出来るど。『2の丸・冠水門』から『本丸』に入ろうとすれば、『火薬庫跡』の、目の前さ通らなくっちゃなんない。 おおすげ~。 こっからだと、3か所いっぺんに警備出来るど。 あ、じゃあ、さっきの『四角い広場』にゃ、 取次所みたいな役所があったのかな。 それとも、全面『火薬庫』だったのかな? 周囲は公園整備で、車道さ引かれちまってるもんだから。 地形さ変わっちまったかも、しんないけんど。 城好きさんはぜひ、立ち止まって、昔の風景さ想像してみとこれね。《参考》【送料無料】とちぎの古城を歩く [ 塙静夫 ]価格:1,995円(税込、送料込)《電子書籍版》とちぎの古城を歩く 兵どもの足跡を求めて-【電子書籍】価格:950円(税込、送料込) ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.29
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「西側へ下る坂道」『2の丸』さ戻ってきたど。 さて今度は、西のほうさ行ってみんべ。『2の丸の西』にゃ、下さ向かう坂道がある。 車さ通れるように、舗装されちゃってるけんど、 このカーブ。ちょこっと昔の面影さ残ってるね。 左右にゃ『土塁』もあるど。 そうそう。前の日記でな。『本丸』から『土橋』さ渡ったとこに『冠水門』っつう建物さあった、って書いちゃったけど。『冠水門』あった場所は、こっちの道んとこだったみたいだよ。 手元にあった縄張り図の文字がちっこくて、間違っちまったべ。 ごめんね。 で、改めてよくよくみると。 こんなとこがある。 これは坂を下からみたとこ。『冠水門』さあったらしい場所の『左っかわ土塁』 高さは低いんだけど、平べったい場所が他より広くめ~た。 もしかしたら、『門の土台』だったとこかな? さらに坂を下ると、『本丸前の掘り跡』さでた。 横からみっと、また感じがちがうな。 上からみたときよりも、幅が広くて、長くめ~るよ。 この写真。今みたら、なかなかいい角度じゃね? お気に入りにしようかな。 さらに、坂さ下る。道は緩くカーブしててな。 山肌に沿うように、く~っと曲がっていくよ。 傾斜は、なだらか。まわりの景色さみながら、 ほげほげ行くよw。『本丸』の下あたりまで、きたかな。 お! 藪の中に、なんかある。 道だな。 藪が邪魔して、写真じゃみえないけんど。 右から左に向かって、しっかりと細い道があんだよ。 場所は『本丸の西側にあたる崖』んとこ。 この崖は、『切岸』っていっていいのかな? 藪がもこもこ生い茂ってて、わかりづらいけんど。 道さ左に辿っていくと、『本丸土塁の上』まで、続いていたど。 これって、もしかして、『武者走り』?『武者走り』ってのは、お城の裾や『土塁』んとこにあってな。『曲輪』ってほど広くなくって。 細い小道みたいになってる場所なんだ。『犬走り』とも言うど。『土塁』が崩れたり、『堀』の中さ土が入らないように、 防御する役目が、あったみたいだな。 下からだとよくめ~ないけんど。 人が楽々通れるぐらいの幅は、ありそう。 ただし、藪がもしゃもしゃしてるから、通れるかどうか・・・。 んじゃ、右端はどこさ続いてんのかな? ず~っとたどっていくと、『本丸南側の虎口』んとこに、続いてたよ。 写真は『土橋』の上から撮ったもの。 こっちは整備されてるから、道がはっきりしてるね。 公園化したときにこしゃった、遊歩道みたいにもめ~るけど。 どうなんだべな? 個人的には『武者走り』だと思うんだけど。 案内板、ないしな。 気になる小道だね。《参考》【送料無料】とちぎの古城を歩く [ 塙静夫 ]価格:1,995円(税込、送料込)《電子書籍版》とちぎの古城を歩く 兵どもの足跡を求めて-【電子書籍】価格:950円(税込、送料込) ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.25
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「登り坂」『南端の曲輪』。南からみるとこんな感じ。 奥に上さ行く道がめ~るね。 あの上が『2の丸』だど。 柵んとこの外側にゃ「この先、急な崖!危険」みたいなこと、 書いてあったんだけど。 どの辺が危険なんかな? 柵ん中は、平でな。 危険な穴や、崖崩れは、ないみたいだけんど? しばし、悩む。む・む・む・・・あ、そうか。 危険、てのは、『稲荷神社の曲輪』さ通じる道のこと、 言ってるんだ。 あっちは急崖で、子供っこが迷い込んだらあぶないもんな。 間違って、そっちさいかないように、 柵もこしゃって、ガードしてたんだな。 でもな。注意書きは柵の外っ側。『2の丸』から柵の中さ入ってきた人にゃ、わからない。 いったいなんのための、注意書きなんだろな? 誰か悪戯したんかな? ま、いいや。柵ん中さいってみよ。 端っこは狭いから、慎重に、慎重に。 柵さ回りこんで『曲輪』らしき広場に入る。 外からみたら、狭く思えたけんど。結構広いな。 畳16枚分は、あんべかな?『倉庫』や『物見台』さこしゃるにゃ、十分だど。 昔は何か、建ってたんかな? さてと。名残りおしいけんど、そろそろ行ってみっか。 帰りは『曲輪』の北さある、階段を登るど。 こういう階段、大好き♪ ゆっくり 登ろっ! 最初の道より、楽だなぁ。 角度が緩いせいもあっけど、階段がついてるからかもな。 ありがたいな。 ここは、昔からあった道かな~。 入口にゃ、門があったんだべか。 ほげほげ。空想を楽しみながら、のんびり歩く。 ああ、もう『2の丸』についちゃった。『2の丸』は広いなぁ。 明るいし、賑やかだど。 雰囲気が、がらっとかわっちまうな。 もうちっと、仮想空間で遊んでいたかったな~。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.20
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「南の端っこ」『稲荷神社のある曲輪』にゃ、道が困難でいけないけんど。 他に道さないかな? きょろきょろ。あ、崖が崩れてる! これってこないだの『東北地方太平洋沖地震』の影響かな。 ん? 崖くずれ?ってことは、ここって……。 普段なら危ないとこにゃ、近付かないようにしてんだけんど、 ちっと気になることさあってな。近くさいってみた。 危ないとこさ避けて、下さ覗くと、『蛇尾川緑地公園』が見下せるど。 遠くにゃ『蛇尾川』もめ~る♪ やっぱし、ここだ~。 脳みそが、大はしゃぎしだしたよ。『緑地公園の駐車場』から『大田原城』へ入る前に、この下さ通ったんだ。 そんとき、『崩れた崖』を見たんだよ。 頭んなかで照合してみたら、ちょうどこの崖の上だった、ってこと! この崖。『本丸』よりも、かなり離れたとこにあったもんだから。 まさか、城内の一部だと思わなかったよ。 さらに『曲輪』の上から、西側に目を向けると『大田原の町並み』。 こっちは『本丸』からみた『大田原の町並み』。 屋根の違いがわかるべか。 どっちも遠くまでめ~るけど、屋根の大きさが全然違うべ? これは、『曲輪』の高さが違うからなんだよ。『2の丸』あたりは、『本丸』から南に向かって落ち込んだ、 山の斜面さ利用して、こしゃった場所だったんだね~。 ちゃんと山の形さ残ってんだ。 や~! すげ~な~。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.17
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「稲荷神社曲輪」 今日は、『3の丸跡』より上さ、いってみよ。 小さいけんど、上にも『曲輪』みたいな広場があってな。 おんもしそうなんだw。 まずは、こったら道を登る。 よっこら、よっこら。 や~、骨、折れるな~。 ここは公園じゃねがったんけ? まるで里山の崖道みたいだよ。 でも、こったら道、大好き♪ ゆっくり歩いて、土の感触さ楽しも~。 上さ出たよ。ここは『曲輪』の南端みたいだな。 だども、なんで木の柵があんだべな? もしかしてここは、立ち入り禁止の場所なんかな? だとも、さっきから、何人が通っていったけど。 よく見ると。 柵の端に、人さ通れるぐらいの隙間があんだ。 みんな、そこさ通って、『2の丸』さ行くみたいだよ。 入って・・・いいんだよな? 危険さないかな? 確認しながらそろそろ進む。 『曲輪』の左右は、高い崖になってるな。 落ちないように、予防してんのかもしんないな。 んじゃ、『曲輪』のさらに南はどうなってるか、っつうと、 細い山道になってた。 地図によると、『稲荷神社曲輪』ってとこに、通じてるみたいだよ。 だけんどこの道。 ザクッと斜面さ切り取ったような、急激な坂道。 危険度90パーセント、って感じだよ。 みんな・・・よくこったらとこ、歩いてきたね~。 おばさんにゃ無理・・・。 ああ、若いって、いいなぁ。 ってことで、『稲荷神社曲輪』にゃ行けませんでした。 どんな『曲輪』なんだろ? 誰か写真さ、撮ってないかなぁ。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.15
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「3の丸」『おおたわら名木』の前で道がカーブしてた。 崖にそって、東さ行くみたいだな。 なんだぁ? この道。 まるで山んなかさ、入りこんじまったみたいだな。 なるほど。この道さ歩いてる人がいない理由がわかったべ。 崖道が険しいからだ! とりあえず、先さ進も。 ここは足場さ狭くて、落ち着かないかんな。 もちっといけば、広いとこあんべ。 広いとこ、出たけど。 どうやら『曲輪』は、さらに一段上にあるみたいだよ。 転落防止かな? 崖のうえに木の柵で囲まれた場所がめ~る。 もしかして、あれが『3の丸』だべか? 位置から推測すると、『2の丸』の南側にあった『整備された階段』さ通れば、『上の曲輪』んとこさ、出られたんじゃないかな。 う~ん。失敗したな。 遠回りになっちまったど。 反対側は、 スパッと切り取られたような、サッパリした崖。 なんか人工的に、切り取られたような雰囲気だなぁ。 周りの住宅地開発の影響かな? それとも城跡かな? わくわく。 だって、どうみても自然の崖じゃ、ないもんな。 気になっちゃうよ。 実はこの下の広場が、『3の丸』だった場所らしいど。 てっきり上にある、と思ってたけど。 下だったんだな。『3の丸』は『2の丸』よりも、平地に近いとこにあったみたいだべ。 だもんだから、今は住居宅地になってるみたい。 どんぐらい、広かったんかなぁ。 ちっとわからないけど。『3の丸』にゃ『藩主の屋敷』や『政庁』があったんだって。 んで、『3の丸』の向こうには、『武家屋敷』が広がってたんだと。 これは、後で上の崖に登ったとき、撮った写真。 西側に広がる『大田原市』が、よくめ~るよ。 もしかして、こっから見える民家のあっとこ全部。『3の丸』と『武家屋敷』さあわせた、城内全域だったんかなぁ?『城跡』って、ほんとはう~んと広いんだね。 公園になってるとこだけが、『城跡』じゃないんだ。 場所によっちゃ、市や町全体が、『城跡』なんだ~。 ・・・と、なんだか、感激しちまった場所でした。《参考》【送料無料】とちぎの古城を歩く [ 塙静夫 ]価格:1,995円(税込、送料込)《電子書籍版》とちぎの古城を歩く 兵どもの足跡を求めて-【電子書籍】価格:950円(税込、送料込) ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.12
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「おおたわら名木・クマノミズキ」 そんじゃ~、『大田原城の3の丸』さ、いってみよっか。『3の丸』は『2の丸』の南側に位置すんだ。 んで、こっからいくど。『2の丸』の西南角辺りにある、抜け道みたいな山道だど。 見たとこ、林に囲まれた土道みたいだなぁ。 あんまし人さ通んないんかな。 道が均されてないみたい。ちと歩きにくいな。 足元に注意しながら、ゆっくりと進んでいくと、 あ、なんか立て札があるど。 なになに。『与一の里おおたわら名木』だって。 与一ってのは『那須与一』のことだな。 大田原市にゃ、『与一くん』ってゆるきゃらになるぼど、『那須与一』は有名でな。大事にされてんだ。 んで、この木が『おおたわら名木』 ・・・の根っこ部分。 でっかくて、写真さ収まんないど。 上の部分。 この木は『クマノミズキ(熊野水木)』っていう種類でな。 6~7月ごろに、花が咲くんだと。 樹齢100年、ってすごいな~。 高すぎて、見てると首さ痛くなっちゃうけんど、 面白い幹さしてんな。 葉っぱも綺麗だし。癒される~♪ 小さい粒のような花が、集まったように咲くんだと。 カリフラワーみたいな感じかな? どんな景色になんだべな。 うん。いいもん、めっけたべ♪ いかったな。 どうせなら、 入口んとこに、案内板さつけとけばいいのに。 そしたら、もっと大勢の人にみてもらえるど。 こっちの道は、わかりにくいから、『おおたわら名木』さあるって、知らないで、 帰っちゃった人もいるはずだど。 樹齢100年、っつうと。『大田原城』が、現役で活躍してたころより後に 生えたんだべな。 城の歴史とは、関係ないんだろうな~。 でも、ま。『龍城公園の名物』ってことで、 ちょっと寄ってみとこれね。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.09
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「2の丸 その2」 こないだは『お手洗い』の話で終わっちゃったんで、 今日は『2の丸』の中さみてみんべ。 これは西側からみたとこ。 目の前にある四角い石は、案内版だど。 文字がびっしり。詳しい情報が書いてあんだけど。 正直、見ずらい、ど。 表面はつるつるで、光さ反射しちゃうしね。 白黒斑な石の模様で、文字が沈んじゃってるよ。 おばさん、目が悪りいかんな~、読めないや。 文字んとこだけでも、色さ入れてくれると、読みやすいんだけどなぁ。 あ、でも、写真で拡大したら、読めたw。 撮っといて、いかったな。 この『石の案内板』は、公園内のあちこちにあってな。 その場所にあった解説が、丁重に刻まれてんだ。 めっけたら、立ち止まってみとこれね。 で、『2の丸』の話。 形は四角に近いな。正方形ではないけんど、角がちゃんとあるど。 広さは『本丸』の、3分の1ぐらいだべか。 ちっこくめ~るね。『石の案内板』によると、 ここにゃ、『弾薬庫』や『長屋が2棟』があったらしいけど、 今は何もないど。『慰霊碑』と休憩用のベンチがあるだけだな。 あ、だども『土塁』があるよw。『2の丸』の外側を囲むように、土手っこがぐるっと続いてる。 登れるのかな? いってみんべ。『土塁』の上は平さなってる。歩いていいみたいだね。 となれば……もちろん! 歩いちゃ~べ!『2の丸の土塁』は、他と比べると、うんと低い。 一番高いとこでも、1メートルもないみたい。 崩れちまったのかな? 田圃の土手っこみたいだな。 だけんどちゃんと、『2の丸』の周りを囲んでるから、『土塁』なんだべな。 かどっこを曲って南側に行くと、下さいく道さあった。 この先にゃ『稲荷曲輪』って言われる場所が、あんだって。 あ、最初のころにちょこっと書いた、『稲荷神社』さあるとこだな。 こっちから、行けるんだ。 おもしろそうだな。 だどもまだ『土塁』は続いてっから、あとで行こっ。 さらに『土塁の上』を進むと、また切れ目。 南と西のかどっこんとこ、なんだけど、 どうやらここにも、細い下り道があるようだよ。 さっきの道と比べると、細いし、狭いし。 向こうが本道で、こっちは抜け道、って感じだべ。 急な下り道だし、階段や手すりなどの補助はない。 おばさんにゃ、危険かな? だ・ど・も。 冒険魂さ、揺すぶられる細道だな~。 行ってみたいな~。 そんでさらに、西側さ歩いていくと『2の丸の北西部分』に巨大な坂道がある。 おお~! こっちがメインの道だべな。 うう~ん。この坂道も、たのしそうだど。 ここさ下ると『堀の横』さ通るんだ。 さあ~、困った。次は、どこさ行く?『2の丸』は、分岐の道が、多いな~。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.07
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「2の丸」『大田原城』は『本丸』の南側に『2の丸』っつう『曲輪』がある。『本丸』との間にゃ『でっかい堀』があってな。『土橋』で繋がってんだよ。 昔は『堀さ渡った2の丸側』に、『冠水門』って建物さあったんだって。『本丸側の台門』と合わせて、2重の守りになってたんだな。 残念ながら、『冠水門の跡』みたいな場所は見当たらなかったど。 変わりに目についたのは、これ。 これは『慰霊碑』だど。変わった形さしてるな。 電波塔みたい。それとも、聖火台かな。 城跡散歩さはじめてから、いろんな『慰霊碑』さ見る機会が出来たけど。 おんなし碑は、ひとつもなかった。 目的はおなし、戦争で亡くなったかたの霊を祭るものなのにな。 なんでだべ? 地域差があんのかな? 他の県じゃ、どうなんだべな。 調べてみっと面白いかも。 ちょっと頭の隅に、メモっとこ。 他にも幾つか石碑があっけど。 次に目についたのは、これ。『お手洗い』だど。 どうやら『龍城公園』にある『お手洗い』は、『北城』と『2の丸』にあった2つだけみたい。 あとは『蛇尾川の河川敷』に、『簡易トイレ』さあったっけ。 こっちは運動公園を利用する人の為に、設置したものだな。 いつもなら、長距離ドライブさしてきた緊張もあってな。 真っ先に『お手洗い』さ行くんだけんど。『北城のトイレ』は使用禁止だったもんだから、やっとここで用足し出来る~♪ この『お手洗い』。 入口が2つあんだけど、左側が男性用。 右側が女性用になってた。 外からみたとこ、小さくて、 個室がひとつと掃除用具置き場しかないんかな? って雰囲気なんだけど。 入ってみっと、3つも個室があった! そりゃ個室は多いほうがいいけんど、 普通なら1個ぐらいしか設置できないような所に 3個こしゃったもんだから、 中が、目茶苦茶狭いんだよ~。 ドア、ちゃんと閉まんだべか? 心配しながら中さ入ると、ああ、やっぱし。 背中のちっこいリュックが、ドアに引っ掛かっちゃった。 お腹さぐっと引っ込めて。 体さよじって、やっとこさドアを締めたけど、もう、身動き出来ません。 子供さん専用のお手洗いなんだべか? 体格のいい人は、絶対利用出来ないど。 でもな。 たかが『お手洗い』と、あまくみちゃいけね~ど。『お手洗い』は、大事なんだかんな。『織田信長』の時代にな。『ルイス・フロイス』って人が『日欧文化比較』 って本を書いたらしんだどもな。 中世時代のお手洗いについて、書いてある。 城下町にゃ、トイレがいっぱいあって、 汲み取り人がお金や米を支払って、 糞尿を引き取ってたんだって。 戦国時代の『お手洗い』は『厠』っつってな。 家の外に、独立して建てられてたんだ。 今みたいに『水洗タイプ』じゃなくって、『汲み取りタイプ』だったから、 臭いもそうとう、きつかったんじゃないかな。 だから、家から離れたとこに、こしゃったんだな。 今でいうと、『共同トイレ』みたいなものかな。 一家に一つじゃなくって、何家かで一緒に使ってたみたいだど。 で、溜まってきたら、売る。 都市部以外の場所や、時代によっちゃ、川も使ったらしいな。 大きな川が近くにあると、川縁に板さ渡して。 そこさトイレにしたんだと。 自然の水洗トイレだな。 でも、下手すりゃ水さ落ちて、溺れるかもしんないんじゃね? 命がけだな。 だけんど、もっと命かげになる場合もある。 それは『籠城戦』になったとき。 大勢の兵や、避難民が集まってくれば、 糞尿も、それだけ増えるべ? 当時は牛や馬などの家畜も一緒に避難してくる場合もあってな。 城内は、人と馬と牛がぎゅうずめになったりする。 戦時中でなければ、集めた糞尿は、 遠くへ捨てにいってたらしいんだけど。 目の前に敵がひしめいてる、となれば、それは無理。 食糧が無くなる、と同時に、城内は糞尿だらけ。 虫や疫病が、はびこり放題・・・あ、想像したくないな。 食糧不足よりも、糞尿問題にたえかねて、 反撃にでた、って例もあるらしいど。 虫よりも、敵に討たれたほうがまし、って・・・ うぇ~!城内の様子さ想像したら、 ホラー映画だよ~。怖いよ~! な、なるほど。 戦国時代のお手洗い事情にくらべりゃ、 狭いぐらい、ど~ってことないや! と、いいたいとこだけど。 やっぱしもちっと、スペース、広げてほしいな。 せめて、後ろさ振り向けるぐらいは、隙間さほしい。 大勢の観光客さ呼ぶにゃ、お手洗いの整備は必須だど。 車いすで花見さ来る人も、居るかもしんないし。『大田原城』さ、憩いの場所にするためにも、ぜひ! トイレの拡張を、お願いします。 《参考》【送料無料選択可!】北の関ケ原合戦 北関東・東北地方で戦われた「天下分け目」の前哨戦 戦国...価格:2,469円(税込、送料別)【送料無料】まちづくりにはトイレが大事 [ 山本耕平 ]価格:1,944円(税込、送料込)^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
2014.06.04
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