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今日も「働いて」います。今夜埼玉へ帰りますが、来週も他の仕事で忙しそうです。考えてみたら、忙しいのは、多くの場合、私がおせっかいだらです。私は技術的なことで相談を受けているのですが、話を聞くと、技術的な問題より人間の問題の方が大きいと思うことがあります。そうすると、私は、言わなくてもいいのに、そういうことを言ってしまい(相手にも嫌がっていると思いますが)、私も忙しくなるのです。前にお世話になっていた、A県立大でも、ある問題に対する、学科や学部のやり方について文句を言い始めて、余計なことは言わないでくれと言われてしまいました。それでも、全部言ってしまったのですが、それでよかったのかどうか分かりません。結局言うことを聞いてもらえなかったので、なにも言わない方がよかったのかもしれません。でも、私自身のことを言えば、もし、全部言わなかったら、後、ずっと後悔していたと思います。また、私が意見を言った相手の学部長や学科長さんだけでなく、大勢の先生方と一部の学生さんは私が意見を言ったということとその内容を知っていたので、いくらかは刺激になったかもしれません。さて、来週はどうなるのでしょうか。何を言ってしまうのでしょうか。何を言うにせよ、できる限り、正直、率直、素直で行こうと思います。
2004年01月31日
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今日はいい話を聞きました。Aさんは、ある分析装置を開発した、職人肌の研究者です。昔、会社の中でプロジェクトを作り新しい装置を作り上げて、ある会社に納入したら、装置がうまく立ち上がらなかったのだそうです。この会社はかなり怒ってしまい、あと1ヵ月で直さないと違約金を出せと言いました。そうしたら、この装置を作った工場の工場長は、プロジェクトのリーダーをAさん(そのときは系列会社の人間)に代えて、1ヵ月で直せと命令したそうです。Aさんはこういう仕事はいやだったのですが、やり始めたら、プロジェクトのメンバーの人達が皆協力的で、元のリーダーもAさんが働きやすいように気を配ってくれたのだそうです。仕事は非常に大変だったのですが、なんとか1ヵ月できちんとしたものができたそうです。Aさんは、自分が系列会社の人間(プロジェクトから見れば外部の人)だということがかえってよかったのではないかと言っていました(会社の中の利害関係がない)。しかし、私から見れば、研究所時代から、Aさんの人柄や評判(技術面)は工場の人には知られていたはずですので、こういうことで、工場の人達も目標に向かって協力してくれたのでしょう。簡単に言えば、Aさんの人徳でしょう。勿論、元リーダーの人も立派でしたし、メンバーの人達のやる気も大事なことでした。こういうこともあるのだと感心してしまいました。
2004年01月30日
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ここのところ、学校のことを考えさせられています。義務教育で基礎を学んでおけば、他の学校に無理に入らなくてもいいのにと思います。でも、学歴とか資格が大事な世の中なんですね。だから、ウソをつく人も出てくるのでしょう。見回すと、何でも学校で、幼稚園や小学校へ入るための予備校から、葬儀屋さんの仕事を教えるところまであります。趣味やスポーツ(これも趣味ですか)のやり方も学校や教室で教えてもらう世の中です。(江戸時代にも、俳句とかお茶とかを教えるところがあったようです。)しかし、プロは学校で育つのではありませんね。私の場合でも、行った学校の数(13)だけはとても多いのですが、この間も書いたように、本当に何かを学んだと思ったのは、社会に出てからです。そして、私は今でも自分をプロとは呼べない段階にあります。大学の入学試験も考えものです。本当は入学できたらこれから勉強しなければならないのに、私達、入学試験に合格すると安心してしまうことがありそうです。今、ある会社で、新しいことをやろうとして、「これは新しい分野に入るための入学試験である。」という捉え方をしています。しかし、合格しても、今の状態を維持するだけでなく、さらに進歩しなければならないのです。人間でも、会社でも、新しい環境に入っていくというのは大変なことです。最後に、また、食べ物の話になってしまいますが、私の娘達は、小さいときから、私達も何でも食べさせ、子供達も何でも食べてくれて、食べ物の心配をしたことがなかったのです。今の小さい子を見ると(昔もそうだったのかもしれませんが)、これがいやだ、あれがいやだと言ったり、逆に、好きなものになると、大人より沢山食べてしまうような子もいます。食べ物に興味がないような子もいます。勿論食べることが大好きな子もいます。だから、この世の中は面白いのです。食べることが好きで、美味しいものが分かると、料理をするときに、良い悪いの判断ができます。即ち、昨日のチェック機能です。食べることを楽しめるというのは幸せなことだと思います。このことから、仕事を楽しむことの重要性も理解できます。明日は宮城へ行きます。また、違った問題解決のお手伝いです。来週はまた新潟へ行きます。問題は違っても、私の対処の仕方(問題に対する考え方)は基本的に同じです。馬鹿の一つ覚えです。寒いところ嫌いの私がどうして冬に宮城や新潟へ行かなければならないのか分かりません。しかし、これも何かの「縁」でしょう。
2004年01月29日
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仕事の相談を受けたとき、いつも言うことです。ある問題を解決しようとするとき、その過程で大事なところがあるのです。そこのところでやることが良いか悪いかをチェックできることが肝要です。身近な例で説明しましょう。2,3日前の昼のテレビで、北海道のソバのことを放送していました。今では日本一なのだそうです。そのとき、いいソバができたかどうかを調べる方法を見せてくれました。ソバの実の殻(皮)を、携帯用の殻(皮)向き器でむいて、実の表面が緑色をしているのが良いのだそうです。実際に、去年の秋、私があるソバ屋さんで美味しいソバを食べたとき、それは薄い緑色でした。店の人に聞いたら、新ソバは緑色なのだと聞き、初めてこのことを知りました。ソバ粉を作り、打って(上手にやらなければなりませんが)、食べると本当にいいソバができたかどうかが分かるわけですが、上記の方法なら、粉にする前に、良悪が分かるのです。料理をしているとき、途中で味を見るのも同じことです。話を元に戻して、半導体の生産工場などで、製品になってやっと良悪が分かるのではなく、途中でそれが確認できると大変ありがたいのです。開発が非常に早くなりますし、不良の検査にも役立ちます。それをチェック機能と言ったのです。もう少し欲張ると、この判定が定量的にできる(数で表わせる)と理想的です。さらに、うまく行ったり、行かなかったりするのがなぜかということを調べる解析法があると、不良の対策が早くなります。この考え方は、工場や研究の問題だけでなく、いろいろな問題の解決に役立ちます。
2004年01月28日
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大人は困ったものです。九州の古賀「議員」とかいう人です。自分が学校を卒業したかどうかも分からないらしいのです。アメリカでも卒業証書というのを発行しています。卒業すれば卒業証書を持っているはずです。敵やマスコミに調べられると思わなかったのでしょうか。議員の仕事が忙しいはずなのに、なんで自分でこんなことでアメリカまで行かなければならないのでしょうか。税金を使ってはいないのでしょうね。簡単なことが分からない大人が多いみたいです。さっきのニュースによると、前に、卒業していなかったら議員を辞めると言っていたのに、今度は、辞めないことにしたそうです。これから、ときどき学校へ行って、足りない単位を取るのだそうです。あきれた人です。誰も卒業しなければいけないなど言ってないのです。ウソをつくのがいけないのです。そして、こちらの方は、覆水盆に返らずです。福岡のある主婦の言う通りです。「ばれなければウソをつきとおそうとしたに違いない。肝心な点をぼかしている。男のずるさを感じていた。」民主党は相当甘いことを言っているようです(まだ最終決定ではないらしいが。これもずるさです)。ウソをついたのではなく、過失だと。古賀議員の言ったことがある程度は理解できるのだそうです。この人(古賀「議員」)には自分が何をやったかが分からないのでしょうか。もう1人の主婦は言っています。「学歴で投票したわけではないが、納得できない。けじめとして辞職した方がよかった。次回の選挙では選ばない。」(2人の主婦の言ったことは、27日東京新聞夕刊11ページより。)その通りだと思います。学校がそんなに大事なのでしょうか。アメリカへ何をしに行ったのでしょうか。この人もどういう神経だか分かりませんが、テニスばかりしていたなど言っています。記者会見だか、街頭演説だか分かりませんが、本人も、秘書も泣いたりなどして見苦しかったです。国会が閉会しているときに単位を取って本当に卒業するなんて言っていますが、誰も卒業してくれとも言っていませんし、卒業したから、ウソつきでなくなるわけではありません。この人はこれまで何をしてきたのでしょうか。しゃんとせえ!人間が本当に学ぶのは社会に出て、いろいろな難しい問題に出会ってからです。そのときに、自分がどんなに学んでいなかったということを知って、今度は本気で苦労し、勉強するのです。そういう意味で、私は元いた会社に感謝しています。そして、これからも学んでいきたいです(今は問題解決について)。今日は偶然この本を読みました。永六輔:「学校のほかにも先生はいる」、祥伝社黄金文庫、(2003)。次の部分を読んで、私自身、今いろいろ反省しています。「プロとアマの区別がなくなってしまいました。アマのレベルが上がったということではないんです。ものごとがすべていいかげんになっていることに他ならない。 例えば、原子力施設の処理で、バケツで運んでいたこと。プロなら絶対こんなことしません。また、プロはきちんと責任を取る。警察の不祥事、政治家のたかり、経営者の失敗、みんなそうです。アマチュアなのでしょうか、生きることの。」
2004年01月27日
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仕事がうまく行かない問題についてです。いろいろ事情があるようで、解決がかなり大変になりそうです。まるきり白紙から始めるならかえっていいのですが、今の段階になって最初からというのは難しいのです。まず、リーダー、それから、目標と方針、これらの決め方、意志の疎通、人間関係、メンバーの自信とやる気、など。さらに、仕事を楽しめない、何かに感動しない、興奮しない、好奇心が足りない、自分から何かをやろうとしない、直ぐに諦めてしまう、責任を取りたくない、他の人と協力しようとしない、自分で考えて、判断、行動できない、再現性の検討が足りない、技術が身につかない、難しく考え過ぎる、など。急ぎ過ぎている(期限が迫り過ぎている)、グループを取り巻く組織も問題、メンバーの考えが違い過ぎる、改良のために調節できる部分が多過ぎる、本音で話し合えない、言うべきことを言わない、自分だけよければという人がいるかもしれない、自分勝手に仕事を進める人がいる、仕事より人間関係を優先していることがある、適していない人が主要メンバーになっている、など。思いついたことを羅列してしまいました。他人事(ひとごと)ながら心配です(前にも同じことを言ったような気がします)。残念なのは、きちんとした仕事をする人もいることです。折角の努力が報いられなくなる可能性があるのです。当面の目標には間に合わなくても、少なくとも、この人達の仕事がまとまり、将来役に立つように、私は努力します。この人達には、今の調子の、元気と勇気とやる気で、頑張ってもらいたいです。私が全面的に協力します。悩んでいるときに、夕食になりました。今日は、タラの芽の天ぷらとウルイ(ギボウシの若芽)のさっと茹でたものを食べました。どちらも山菜で、秋田で、春(4-5月)楽しんだものです。今夜食べたのは両方とも栽培したものでしたが、春の味と香りを楽しみました。これで悩みごとは忘れてしまい、今は幸せな気分です。いつ秋田へいこうかなと考えています。まだ山菜にはとても早過ぎるので、雪の中を歩きたいなあ、バッケはあるかなあ、など考えを巡らせています。こういうとき、私は段取りが上手で、仕事とうまく合わせて、秋田へ行ってくるのです(仕事の段取りは下手かもしれませんが)。
2004年01月26日
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仕事がうまく行かないとき、よく会社のシステムが悪いとか、人間関係がうまく行きにくいとか、自分以外のもののせいにしてしまうことがあります。システムが悪くても、働くのは人間なのです。だから、システムの中の人間、特に、リーダー役の人のやり方でどうにでもなるのです。やるべきこと、問題などをメンバー全員がよく理解して、皆で一緒に考え、解決に向かえば、必ず成功するでしょう。こういうときに、仕事が面白くなれば、解決のために、特に、有利に働きます。一緒に、楽しく働ければ、人間関係もよくなるでしょう。ここで大事なのは、仕事が優先だということです。いくら人間関係だけよくても、まとまりのない仕事をしていては、何もやり遂げることはできないでしょう。即ち、大人は、仲良く働くだけではだめなのです。皆、一緒に、本気になって、一つの目的に向かって働かなければなりません。どんなに複雑な問題に見えても、本当に大事な問題は一つか二つではないかと思います。一見複雑な仕事でも、よく見るといろいろな段階があり、多くの場合、仕事をうまく行かせるために特に大事な段階があります。いわゆる、カンどころです。ここで、良悪の判断ができれば、成功への道は近いと言えるでしょう。話は私が好きな、食べ物の話に変わりますが、この間、やきそばとか、そばクレープとか、チヂミの作り方の話をしました。私の考えでは、これらの共通したカンどころというのは、焼くときに上手に焦がすところです。ここのところ、いいホタテがあったので、贅沢にも、ホタテのやきそばとホタテ入りのチヂミを作りました。本当に美味しかったです。勿論、ホタテのおかげで特に美味しくなりましたが、ホタテがなくても、上手に焼いてあれば、結構美味しく食べられるのです。仕事でも、料理でも、結局、カンどころをつかんで、そこで良い悪いを見分けられることが大事だと考えます。
2004年01月25日
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私には娘が3人にて、3人の娘の子供は皆3歳以下です。この間、子供達が3人集まったとき、3人がおもちゃを取りっこしたり、けんかして、さぞやかましくなるだろうと予想していたのです。子供達一人一人はかなり訳の分からないことを言ったりやったりして、人のものを欲しがったり、自分のものを貸さないとか、わがままなところがあるのです。子供だから当然です。でも、3人が一緒になったとき、驚くほど上手に3人で遊ぶことができたのです。一番大きな子が小さい子に手加減したり、小さい子も駄々をこねたりしないで、とても仲良く「一緒に」楽しく遊べたのです。騒がしかったのは予想通りでしたが。一方、大人の我々の仕事などで、何人かの人達との協力が必要なとき、皆、頭のいい人達でも、集めて一つの仕事をさせようとしても、「一緒に」一つの目標に向けて努力できない人がいるのです。自分でも子供を経験し(これは皆)、自分の子供もいるような人でも、協力できない人がいるのです。少しは子供達を真似してもらいたいです。大人は考え過ぎてしまうのでしょうか。頭を使うことによって、考えなくていいようなことまで考えて、仕事をやりたくなくなってしまうのでしょうか。あまり深く考えると、仕事を始める前から、やってもうまく行かないと思ってしまうのではないでしょうか。いや、こんな仕事はやらない方がいいと思ってしまうかもしれません。また、それぞれの人が、いろいろな考え方や価値観を持っていて、「一緒に」考えるのが難しくなっているかもしれません。やって失敗したらどうしたらよいかなど考えるのでしょうか。他の人の方がいい仕事をもらっているとか考えるのでしょうか。自分の仕事は面白くないと思っているのでしょうか。仕事を楽しめないのでしょうか。他の人と一緒に働くのがいやなのでしょうか。他の人がいやなのでしょうか。それとも、ただ、やる気がないのでしょうか。根気もないのでしょうか。ちょっとうまく行かないと投げ出してしまうのでしょうか。給料の分ぐらい働こうとは思わないのでしょうか。仕事以外のいろいろなことを考え過ぎて、大事な仕事のことが考えられなくなってしまうのでしょうか。子供は自分にとって大事なことは忘れない子が多いです。孫の1人は食べることが大好きです。だから、例えば、自分の好きなケーキがあるときなど、他のことで気を散らそうとしてもだまされません。まだ二つにもならないのに、ちゃんと自分の要求を通せるのです。
2004年01月24日
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世の中が平和になり便利になると、人間の注意力が減ってしまうのでしょうか。お医者へ行っても、長い時間待たされて、あまり看てもらったり、話も聞いてもらえず、検査の結果だけで、診断を下されてしまうことが多いようです。ボケの判断など、本人をあまりよく観察しないで、CTスキャンの結果だの、簡単な計算ができるか(100から7ずつ引いていったときの答えを言わせるなど)などで判定されてしまうかもしれません。これは恐ろしいことです。その人が計算できないとか、何かを素早く思いつけないというようなことだけでボケにされてしまうかもしれません。工場で不良が発生したときだってそうです。不良品を目でよく見ないし、発生状況もよく調べないで、高価な分析装置で分析をして、コンピューターによるデータ処理をさせた結果で判断をしてしまうようなこともありかねません。測定から得られたデータそのものは何も見ず、コンピューターで処理された結果だけで満足してしまうのです。さらに、こういう仕事をやる人にやる気がなかったらどうなるか分かりません。最近のロケットの失敗も理解できます。他の仕事だってちゃんとやってもらいたいです。思い込みとか、勘違いをしないように気をつけましょう。もっと本気になって、よく見ましょう。でも、昨日の私の友人のやる気が出てきたことは本当にうれしいです。彼が本気になるとものすごいのです。昼、テレビで竹の製品を作る会社を紹介していました。竹を育てる、竹を切り出す、工場へ持っていき、処理し、表面に模様をつける、竹を真っ直ぐにする、そして、それをいろいろな製品にするのです。それぞれの段階、全て、手作業ですので、一つ一つよく見ながらやらなければなりません。さらに、何十年もやってきた人達が念入りに、きちんと作業しているのです(皆さん仕事が好きで、仕事に誇りを持っているようでした)。こういうところに、やる気のない、新米が加わったら、製品は全くだめになるでしょう。
2004年01月23日
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元会社の同僚、友達で、まだ会社にいる人が研究を一緒にやりたいというのです。彼は非常に優秀なのですが、ここ十年ぐらい、今一つ研究に力が入っていないような感じだったのです。そして、これまで、何回も一緒にやりたいと言っては、自分が始められなかったのです。しかし、去年の夏頃から、少しずつ、自分でも実験をするようになったので喜んでいました。今日、国分寺で会ったら、また研究の進展が見られ、本当によかったと思います。会社(研究所)に入るとき、大変驚きました。門のところにいる警備員が名前を聞いたのです。だから答えようとしたら、なんと、私の友達(社員)の名前を聞いていたのです。これには驚きました。私がいた頃は、警備員が研究所員の名前と顔を全部知っていたのです。こんなことは初めてです。会社が大きく変わってしまったということでしょうか。でも、彼が研究にかなり夢中になってきたようなので、私はうれしかったです。昨日まで、他のことで頭を悩ましていて、さっき会っても、ひとっきり頭の切り替えができませんでした。しかし、彼(ともう1人の元同僚)と話したら、今日は気持がよくなりました。もっとも、昨日まで気持が悪かったわけではなく、仕事先の状況で理解できないことがあり、そのことで頭がいっぱいだったのです。これから、このことについて、まだ考えなければならないのですが、今日の帰りの電車の中でいくらか分かったような気がしてきました。これから自分でも考え、関係者とも話すことにより、いつかは分かると思いますが、早く分かった方が仕事先の問題の解決が早くなると思います。
2004年01月22日
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どうもよく分かりません。会社のあるグル-プで、ある製品の開発をするとき、上の方の人達の考え方ややることがちぐはぐになるというのはどういうことなのでしょうか。いろいろな考え方があるのは分かりますが、やると決めたら、一緒になって、目標に向けて進むべきです。しかし、一人一人は会社の発展のためと思っているのでしょうが、一緒にというのと、難しくなることもあるようです。これは、2,3日前、日記に書いた「同じことを皆で一緒に考えよう。」ということにつながると思います。この「一緒に」が難しいのでしょう。今日は、この「同じことを・・・・」を、これを、自分で考えたみたいに、仕事先の人に言ってしまいました。私は技術的なことの相談を受けて行っているはずなのですが、一番大きな問題が人間的なもののようなので、つい口を出してしまいました。つづく
2004年01月21日
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昨日は、私なりに、随分頭を使いました。他人(ひと)事ながら、いくらか悩みました。つまり、勉強したということになります。内容はまだ言えませんが(頭の中で整理ができていない)、今日行くところでも同じような現象が起きていると思います。簡単に言えば、自分の決意、やるべきこととかやりたいことをはっきりと宣言しないことです。責任が恐いのかもしれません。自信がないのかもしれません。やるべきことが分からないのかもしれません。この間も書いたように、まず、宣言して、始めるべきです。仕事先に着いて会議を始めたら、駄目な人は相変わらず駄目でしたが、この間助言した人達がとても頑張ってくれていたのです。それにより、今の問題がかなりはっきりしてきました。また、私がかねてから言っていた「チェック機能」が見つかる可能性が出てきました。つまり、良いか悪いかの判定手段です。例えば、なにか問題が発生して、ある解決策を考えたとき、それが解決法になっているかどうかの判定法です。この方法が見つかれば、問題はかなり解決に近いと言えます。いろいろな人達と話して感じたことは、何を言っているのか分からない人が多いことです。始めは新潟弁かと思いましたが、特になまっているわけではなく、早口で口をあまり開けない話し方で声も小さいからでした(私の耳と脳の老化のせいかもしれませんが)。(そう言えば、昨日会った人も声が小さくて、言っていることが分かり難かったです。)いちいち聞き返したりして大変でしたが、こちらは言いたいことを全部言って、夜は、会社から30分ぐらい離れたところにある、日本海に面した宿泊施設で、ご馳走を食べ、風呂に入って、泊まりました。美味しいお酒[〆張鶴(しめはりつる)]をご馳走になり、刺し身もとても良かったです。ホウボウと言うのは生れて初めて食べました。ここは夕日がきれいだそうです。今日は見ることができませんでしたが、いつかまた来たいです。ここの風呂がいいのです。海草風呂、薬用風呂、アルカリイオン風呂、桧風呂、ジャグジーとか、いろいろあって、露天風呂(これは海水とのこと)もありました(これは寒そうなので止めました)。ゆっくりと風呂に入って、すっかり気が緩んでしまいました。部屋の戻ったら、他の人達が仕事の話を始めてしまったので、また、言いたいことを言ってしまいました。
2004年01月20日
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私は問題解決研究所というのを「やって」いますが、なやみごと相談所みたいになっています。この研究所を「作った」のは、名刺に肩書きを書くために、半ば冗談で、工場の不良の問題や、研究や技術開発の問題を解決するときの、基本的考え方というか、とるべき態度を示せないかなと思ったからです。自分の研究を振り返ってみると、問題を解決するための、基本的な考え方がいつも同じであったようなのです。そして、そのときは、私はそれを意識していなかったのです。さらに、研究しているときにそれを意識していたら、研究がもっと速く進められたかなと思いました。その後、いくつかの会社や何人かの人々から、いくつかの実際の「問題」の相談を受けていますが、人生や進路相談(なやみごと相談)みたいなものが多いのです。技術相談と思われたものも、よく話を聞いてみると、人間のやる気や基本的な考え方などが問題であった場合がほとんどです。私は、世の中の苦労をあまり体験していないので、こういうのは不得手なのですが、なんとなく問題がころがりこんできてしまうのです。今日も、私が、ある人とある会社の間に入ってしまったのがきっかけで起きた問題を考えなければなりません。この人がその会社に入りそうになったのですが、最後になってまたもめてしまったのです。結局は、一つには、この人が思慮深くなかった(認識の甘さというか)のが原因らしいです。もう一つ、この人が新しい仕事に挑戦するのが恐かったのかもしれません。(こちらは思慮深過ぎるのが問題かもしれません。)私は、この人が当面の仕事をやり通すことができると見て、この人をその会社に紹介したのですが、大事なことが露呈してしまったようです。この人は、その仕事はできるかもしれませんが、「自分で考えて、判断、行動できるか。」というところで問題のある人みたいです。後、新しいことに挑戦する勇気にも欠けているかもしれません。(それから、何かを始めるとき、あまり綿密に事前調査をすると、やる気がなくなってしまうことがかなりあります。)今考えている仕事はできたとしても、この人をこれから長い間会社においておくと、将来また似たようなこと(仕事そのものより、人間的なこととか、仕事の大きな決断などで)で問題を起こす心配があります。仕事はできる人なので、残念ですが、まあ、今回の問題が早く分かってよかったということでしょうか。でも、今日は気が重いです。しかし、まだ諦めないで、両方にとって利益になる解決法をこれから考えることにします。いざ、出陣です。明日は、日本海側へ、違う仕事で、行きます。こちらにも問題があり、前回、相当はっきりと私の考えや印象を言ってしまったので、それがどう受け取られたかが心配です。どうしてこんなことになったのでしょう。向こうは雪かもしれません。大寒に寒いところに行かなければならない運命だったのでしょうか。そう言えば、私が行く他の場所、宮城県や秋田も相当寒いです。私が秋田で愛用していた、スパイク付きの長靴を履いていった方がよさそうですが、ちょっと恥ずかしい気もします。秋田にいたときは、どこへでも、堂々と長靴で行っていました。おかげで、秋田では、一度も滑って転びませんでした。秋田へ行く前は、雪が降ったら休みにするなんて言っていたのが、一面が雪のところを歩いたら、本当に気持ちよく、帰る前にはカンジキを買ってしまいました。これを履いて、凍った池(湖)に雪が積もったところを歩いて、秋田の雪を満喫したのでした。なんでも、嫌がらないで、やってみるものです。雪で思い出しましたが、昨日は本荘で、裸参りというお祭りがありました[ホームページのアルバムの本荘(最後の方)参照]。新山神社へ、周り(山ノ下)の各町内から、裸の若者達が鱈とかお餅などをかついて、奉納するのです。皆、朝、町内で水を浴びてから、神社へ向かうのです。この日には、由利正宗というお酒を作る酒屋さんの蔵開きもあって、とても賑やかです。
2004年01月19日
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と言っている人がいます。(1月13日東京新聞朝刊1ページ)この人は、山本敏晴氏という人で、アフリカで、医師として、病院や診療所作りに携わった人です。「せっかく病院を建てても、内戦ですぐ壊されたり、医療で数百人の命を救っても、自分が日本に帰ってしまえば何も残らない。工場を作っても、西洋文明の押し付けになる。世界には数多くの国、民族、言語、宗教があり、相手が自分と違う考え方を持っていることを認め合わなければ、衝突や戦争がなくならない。」と思ったそうです。だから、未来に残る何かを作りたいと思ったそうです。そして、その第一段階として、世界の多様性を教えるために小学校低学年用の、絵本のような教科書を作ろうとしているとのことです。それにより、多様的な考え方を認め合える、世界に目を向ける子供達を育てたいのだそうです。とてもいいことです。私は、このような教科書により、世界の多様性だけでなく、世界共通の考え方(世界の常識)も教えられると思います。私は、外国の人と付き合うとき、違いよりも、むしろ似たところを探すようにしています。肌の色は違って、違う言葉ではなしても、基本的な考え方にはかなり共通したところがあると感じています。話は変わります。昨日、こちらはとても寒いといいましたが、今日は打って変わって、暖かな、いい日でした。朝、起きたら、女房が突然宇都宮へ行きたいというのです。そこには、私達の娘が2人住んでいます。孫に会いたくなったというのです。では、と言って、すぐ家を出たら、道が意外に空いていて、1時間40分ぐらいで着いてしまいました。1歳9ヵ月の女の子が訳の分からないことをいろいろ話し、活発に動けるようになっていて、その成長ぶりには大変驚きました。もうすぐ、お話もできるようになるでしょう。こっちの言うことが相当よく分かり、自分のやりたいことを主張するのもとてもうまくなっていました。また、1人で器用に食べられるようになっていました。このくらいの子供の進歩には目を見張らされます。砂場で遊ぶときの集中度など、大人にも、働くとき真似してもらいたいです。本当に一所懸命遊びます。はいといいえもはっきりと言えます。何か思い通りにならないとき、この子はその場でばたんと倒れて動かなくなるのです。これがまた可愛くて私達は大笑いでした。子供の、何かを覚える速さには全く驚かされます。今日会った、もう2人の孫のこともほめられるのですが、今日はこのくらいにしておきましょう。大人も少しは子供を見習ってもらいたいです。
2004年01月18日
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夕べ、テレビを点けたら、このアニメをやっていました。他のことをやっていて、始まってから15分ぐらい経っていたと思いますが、つい終りまで見てしまいました。とても良かったです。皆さんの方が私よりよくご存知だと思いますが、これは宮崎駿監督の20年前の作品です。この人はすごい人だと思います。「千と千尋」で賞をもらったときも、今やっていることの方が大事だとか言って、授賞式へ行かなかったのです。私がいいと感じたのは、ここのところ、私が「子供の素直さと頭の良さを大人は学ばなければいけない(忘れてしまってはいけなかったのだ)。」とつくづく考えていたからでしょう。大人達が、世界を救うためとか称して、その妨げになると考えた虫(みたいな怪獣?)達を退治しなければいけないと勝手に考えるのですが、ナウシカが虫達の気持も考え、戦いを防いで、世界が救われるというような話でした。そう言えば、「千と千尋」も、美味しいものを沢山食べて豚になってしまった両親を女の子が救うというような話でしたね。(あまり多くの人がこの作品をほめていたのを聞き、期待し過ぎたせいか、私にはちょっと期待外れでした。)「あるがままの物事を見ることができるか?」(クリシュナムルティ)、「子供の方が親より優れている。」(村崎)などと、ここ2,3日の間に読んだ本にも書いてあります。その通りです。大人達は何かうまく行かないと、とかく、自分以外の人やもののせいにするのです。問題をあるがままに捉えて自分達が努力すれば、かなりの問題は解決するのではないでしょうか。「頭のいい」人達があまり考えすぎると、問題がないところにまで問題を作ってしまうのではないでしょうか。「ナウシカ」はこういうことを考えさせてくれました。ここから違う話です。夕べの続きです。夕べは本当にうれしかったです。リンゴがきっかけになって、秋田の西目のことを次々と思い出したのです。私が最初にワラビを採った、海の見える公園。ここの桜がまたきれい、香りもしました!初めはお花見をしていたのですが、後半は、ワラビを夢中で探していました。コロニー(心身障害者用施設)の八重桜、ここの公園からの景色。西目のおろし大根も最高です。私はこんなに辛い大根おろしは生れて初めてでした。これとこの間紹介したそばクレープが合うのです。お米も美味しいです。ハーブワールドというところのスイバのサラダ。ひまわり畑。ここには西目高校という県立高校があって、ここの農業科というのがとても面白そうなのです。私の友達のS1さんの息子さんがここに通い、いろいろなものを作って、彼自身楽しいと言っていました。彼も今年は卒業です。広い敷地があり、都会のものがうらやましくなるような学校です。Sさんの思いやりのおかげで、私はウキウキになってしまったのです。いつまた、本荘へ行こうかと考えています。しかし、まだ寒いので、もうちょっと待ちましょうか。来月半ばには、矢島町(鳥海山麓)で蔵開きがあります。新しいお酒の試飲ができるし、酒粕汁も出るでしょう。去年は、同じ日に3つの酒屋さんへ行きました。
2004年01月17日
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J.クリシュナムルティ:「思考のネットワーク」、JCA出版、(1991)。という本を昨日ちょっと読みました。というのは、昨日、こちら、埼玉、は馬鹿に寒くて、そのせいか頭が痛くなり、本に集中できなくなってしまったのです。でも、この本には気になることが書いてありました。いろいろな問題について、皆が考えるのですが、思考は、問題のないところに問題を作っている・・・・幻想を作りだしているというのです。「私達は思考のネットワークに捕らえられている。」のだそうです。あるがままにものごとを見られなくなっているとのことです。実際に、グループである問題を解決しようとするとき、その問題の意味が、言葉では「同じ」でも、人によって大きく違っていることがあります。また、「一緒に」考えているのかと思うと、問題の捉え方、解決策の考え方、価値観、仕事に対する考え方、やる気などが人それぞれによって違うこともあるのです。こんなのはいい方で、二つの国の間の問題となると、その人がどちらの国の人かによって、全く正反対の主張が正しくなることがあります。人間のおかれた環境によって、同じ思考能力を持っていても、思考の結果、全く逆の結論が正しくなってしまうのです。同じ国の中で、同じ仕事をしている少人数のグループでも、考え方のずれで、問題の解決が遅れてしまうことがあります。問題を解決しようとして、うまく行かないときには、問題として、本当に「同じもの」を考えているのか?解決策を考えるとき、「一緒に」(問題の認識、良悪の判断、やり遂げたい気持等)考えているのか?等について確認した方がいいかもしれません。この本の著者はインドの哲学者だか宗教家だか分かりませんが、アメリカで財団を作って、アメリカで亡くなっています。この人の教えを学ぼうとする人が世界中にいるようです。話は変わります。さっき、なにか食べたいなと思ったら、ピンポーンという音。玄関へ行ったら、なんと、本荘のSさんからリンゴが届いたのです。ここのリンゴが私は好きなのです。本荘へ行って直ぐ、春には、ここのリンゴ畑で美しい花と香りを楽しみました。そして、ここのリンゴをいつも食べていました。美味しいリンゴを食べ、Sさんとも久しぶりに話すことができて、私はすっかり気分がよくなってしまいました。私は本当に幸せです。Sさんありがとう!
2004年01月16日
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知恵は脳から生れてくるもではないのだそうです。人間が、考えて、判断や決断をするのも脳だけではないらしいのです。村崎那男:「脳を超えてハラで生きる」、地湧社、(2002)。人間には4人の自分があって、それぞれの部位と分担を簡単にまとめると、脳(頭部) 思考(認識力)心臓(胸部) 感情(愛)生殖器(ハラ) 本能(行動力)仙骨(ハラ) 直感(決断力)ということになるのだそうです。著者はこれを武道家から教わったのだそうです。私も丹田ということは聞いていましたが、上記の下の二つと関係があるのでしょう。ハラが大事とのことです。私も、研究は理屈だけではできないとかねがね思っていました。つまり、頭だけでは駄目ということです。さっと目を通しただけなので、内容を理解したとは言えませんが、いくつか大事なことが書いてありました。1.教育のシステムが悪いと言うけれど、本当はシステムを変えてもらうのではなく、自分自身が変わって行かなければならないとのことです。これは、教育がうまく行かないのを教育システムのせいにしていた、川越の中学校の先生(河上先生)に読んでもらいたいことです。2.お釈迦様によると、世の中に苦があるのは当たり前で、正しく見、思い、語り、行い、・・・(八正道)ことにより、苦に囚われなくなるのだそうです。3.受験勉強など、馬鹿なことだと思っても、後先のことを考えずに、とにかく一つのことをやり遂げると、必ず報いられるとのことです。私も大賛成です!「覚悟は脳でするのではない。」というのは、私にも分かる気がします。私の場合、何かを決めなければならないとき、前もって、いろいろ考えても、結局はその場の「エイヤー」という決断になってしまうことが多いです。これがハラ??よく分かりませんが。
2004年01月15日
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2,3日前、去年3月まで私がいた某大学の、何人かの先生の、「常識」のある人間のものではないような、考え方と行動を思い出してしまったのです。一年も前のことなのに、またムカムカしてきて、今日の日記に書いてやろうかと思ったのです。ところが、今朝の東京新聞の私の運勢を見たら、「怒りの炎は一国をも燃やす。」と書いてあるではありませんか。そこで、夕べ食べた「五目石焼きそば」の話にしましょう。昨日は、「焼く」ということが食物をおいしくするということを感じていたのです。その前の晩に女房がグッチ裕三のコンサートへ行って、彼の料理の本を買ってきました。彼は歌手?(うまい)なのですが、料理もうまいのです。テレビで、簡単な料理を教えていたのを見てビックリしていました。昨日、そういう料理を集めた、彼の本をめくっていたら、焼きそばがあるではありませんか。それは、私の好きな焼きそばだったのです。そばは揚げたものではなく、炒めたものなのですが、そばがこんがりと焦げているのです。彼が言う通り、これがポイントだと私も思っていたのです。夕べは女房の帰りがちょっと遅くなったので、外へ食べに行きました。ラーメンが美味しいとかいう店へ行ったのです。私は、ラーメンはあまり食べないし、焼きそばは普通取りません。なぜなら、私の好みの焼き(炒め)方ではないのが普通だからです。しかし、なんと「五目石焼きそば」というのがありました。瞬間的に、私はどんなものか大体分かったので、これを頼みました。来たのを見ると、熱い石の皿の上にそば(少しこげている)がおいてあって、まだ焼けている最中でした。これに、別に用意してある、あんかけ(肉、いか、海老と野菜)をかけてくれたのです。私には、汁がちょっと多すぎでしたが、そばの焦げたいい香りとアツアツの肉や野菜がちょうど合っていて、「うめえ」夕食でした。それに、大きな餃子まで食べてしまい、少し太ってしまいました。餃子も上手に「焼いて」ありました。それで、いろいろ思い出しました。30年以上前に、和歌山だか三重県の小さな旅館で食べた、鯖の塩焼きは本当に美味しかったです。まだよく覚えています。新しい鯖に塩を沢山振って上手に焼いたものでした。本荘の、私がときどき行ったレストランのご主人の肉の焼き方はいつも文句なしでした。焼くことによって肉の美味しさが引き立つのです。高価な肉でなくても、私には十分でした。同じ本荘のO魚屋さんのキリタンポも私には忘れられません。焼き立てでアツアツのものを食べると、鍋でなくても幸せになりました。鍋といえば、やはり中華料理で、お鍋の底にご飯のお焦げを作って、それにあんかけをかけたものも美味しいです。これは石焼きそばとかなり似ています。このようなことを次々と思い出したためか、今朝はそば(100%)のクレープを作りました。これも表面をこんがりと焼くのが大事です。前に日記で紹介したことがあるし、友達にも宣伝したののですが、まだ試したという人がいません。というのは、クレープにかけるソースというのでしょうか、これが辛い大根おろしと苺ジャムを混ぜたものだからです。これを聞くと、皆変な顔をして、味が想像できないと言うのです。最近は辛い大根がなかなかないので、今日はワサビをかなり沢山混ぜました。私は美味しく食べました。女房も食べていました。もう一回簡単に説明してみましょう。そば粉を水で薄くといて(粉が残らないように)、油を敷いたフライパンで、焦げ目がつくように薄く焼きます。ポイントは、表面は焦げているけれども、中は柔らかく、もちもちした感じにすることです。出来上がったところへ、塩を振り、バターを塗ってから、用意してあった、辛い大根おろしとジャムを乗せて食べるのです。以上、どの場合もこんがりと焼くところがポイントです(チヂミも同じ)。お焦げはガンになるなんて言われているようですが、私は好きです。そう言えば、ワラビだってそうです。新鮮なワラビを一度たべたら、私は虜になってしまいました。ワラビを思い出すと、すぐバッケ(フキノトウ)のことも思い出します。ああ、もう止まらなくなりそうです。だから、ここで終りにしましょう。いろいろ書きましたが、はっきり言えることは、食べることは私の生きがいだということです。
2004年01月14日
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私は国語が嫌いでした。中でも作文がいやでした。夏休みに書かされた日記も大嫌いでした。習字も嫌いでした。古文も嫌いでした。ところが、会社に入って、研究をやるようになり、社内の報告や論文を書かなければならなくなったのです。それだけなら、いやいやながら、それらを書いていたのでしょうが、上司(というより会社)が外に出す論文はなるべく英語で書けと言うのです。アメリカが世界を牛耳っているので、仕方ないことかもしれませんが、私にはどうしても納得できなかったのです。私は、急に、自分の国の言葉(日本語)で論文を発表すべきだとか言い出して、共同研究者がいて海外に結果を早く広めたいときなどを除いて、日本語で論文を書くようにしたのです。自分のやったことや考えていることは、やはり、自国語でなければきちんと分かりやすく伝えられないという考えで、そういう日本語の文が書けるようになりたいと思いました。その後、ちょっとしたきっかけから、昔の文(変体仮名)を読みたくなり、古文の勉強をしたり、習字を習ったりしました。そして、一年ちょっと前からは、このホームページで日記を書くようになったのです。驚くことに、ほとんど毎日何かを書いています。昔は、原稿用紙3行でも書くのがいやだったのです。論文を書き始めるのがいやで、何週間も経ったこともありました。なぜなのでしょうか。文がうまくなったのではないと思います。自由意志で書けるからかもしれません。論文も、上司から命令されると、かえって書かなかったような気がします。あるときから、自分が何かをやっているということを発表したい、自分が面白いと思ったことを他の人にも知ってもらいたいと思うようになりました。日記も、きっかけは、秋田県の本荘で、鳥海山の麓の新そば粉を使って手打ちそばを作ったということを誰かに知らせたいと思ったことでした。書いたとたんになん人かの人達から反響があり、その日記を読んだ人の数も相当だったので驚いてしまいました。これは毎日作文を書くようなことですが、不思議なことに、日記を書くことが苦にならないのです。書いて意見を聞いてみようかなと思うことが沢山あるのです。そう思うと、一つの文(作文)をまとめるということが楽しいこともあります。最終的には、私の書いたこと、皆さんからのご意見などを「まとめて」、「問題の解決法」という本にしたいと考えています。本と言っても、単行本にして儲けようと思っているわけではなく、インターネットで公表し、多くの人の役に立てばと思っています。日記をこの本の下書きみたいに考えているから気楽に書けるのかもしれません。会社をやめたら、まとめようと思ったのですが、やめてから、なんとなく忙しくて、本気でまとめる作業に入っていません。ただ、やめてから、学んだことも多いので(日記もやめてからです)、「学びながらまとめる」という態勢に入っていきたいと思います。これで、昨日の「長い論文」が日本語のものなら、めでたしめでたしなのですが、残念ながら、あれは英語の論文なのです。アメリカの学会が書く話をもちかけてくれたのです。原稿を出した後も、編集長と副編集長が原稿を読んで、いろいろ助言してくれて、かなり分かりやすくなっているはずです。その後、日本の出版社にも話をもちかけたのですが、結局だめでした。但し、日本で出すとなると、多分、あのような論文は書けないでしょう。というのは、あの論文は、一応「解説」なのですが、私の「話」なのです。他の研究者の論文については、私の言いたいことを説明するために引用しているだけなのです。そして、他の研究者の批判もかなりしています。どちらにせよ、自分の考えを言葉で説明していることには変わりありません。また、いろいろなことを「考える」ときも、言葉を使っているのです。ですから、日記をはずかしがらずに書くということは、私が考えるため、私の考えを他の人に分かりやすく説明できるようになるための勉強をしていると言えます。実際に、これまで日記を書いてきたことも、皆さんからいただいたご意見も、私の仕事で、話すという手段を使うときにも、大変役に立っています。でも、もっと大事なのは、私が日記を書き始める前より、よく考えられるようになったかどうかで、それはまだ分かりません。今の日記をこれからも続けていこうと思いますが、そろそろ、まとめる方向で、私の考えを整理していきたいです。
2004年01月13日
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なんで「まとめる」という話になってしまったのでしょうか。ああ、それは、「やる気を出す方法」の一つに「宣言をする」というのがあったからです。そして、私が長い論文を「まとめた」ときに、宣言したことが論文をまとめるために効果があったのです。さて、ここで、「まとめる」ということについて考えてみましょう。昨日書いたように、考え方は、技術論文だけでなく、世の中のいろいろなことにつながっています。「やる気」にもかなり関係があります。何かやるぞと言ってそれを始めても、ちょっとやってつまらなくなって止めてしまい、また他のことをやってみるということを繰り返していてはなにもできません。やっていることがまとまっていかないのです。いろいろ違うことをやっていても、それらがつながってくる(関係ができてくる)と、面白いし、うれしくもなり、目標に向かっての進歩もあるでしょう。ある目標に向かって何かをやろうと考えて、それを達成するためには、様々な要因を考え、やるべきこととそれらの順序を決めて、実行していく必要があります。しかし、当然、やっている途中で新しいことが分かると、やることも変わっていきます。計画になかったことをやる必要が出てくるかもしれないし、逆に、やらなくてもよいことも出てくるかもしれません。成功するためには、自分の頭の使い方、これからやること、今やっていること、分かったこと、他の人の協力等をうまくまとめ、目標につなげていかねばなりません。小説を書く人達は話をまとめるプロです。一つの筋の通った話になるように、いろいろな断片的な話を頭の中で考え、組み合わせて、一つのまとまった話にしてしまうのです。論文を書くときもかなり似たようなことでした。約20年ぐらいの間に私が行った研究(数十の論文)を一つの話にまとめようとしたのです。但し、それまでの研究は皆論文として公表してありますので、それらを勝手に変えてしまえないのです。まとめていくうちに、昔、論文に私が書いたことが、今となっては本当かどうかあやしくなることもありました。そのままでいいのか、あるいは、その結果が間違っていたと言わなければならないのか、等、いくら考えても結論を出せないこともあり、途中で実験を行うことさえありました。こういうことに手間がかかってしまい、論文を完成させるのに、結局3年ぐらいかかってしまったのです。何度もいやになりましたが、自分でやると言ってしまったこと、協力者にも相当負担をかけてしまったことなどを考えて、なんとかやり通すことができました。普段でれでれしていた私ですが、このときばかりは頭を使い過ぎて、病気になりそうでした。でも、苦労してまとめたおかげで、以下の大事なこと(まとめることの大切さ)を学びました。1.自分はばらばらなことをやってきたと思っていたのに、一つのことを頭において研究をやっていたのだということが分かりました。2.いろいろな違う問題に遭遇したとき、私が、いつも、ある決まった考え方で解決しようとしていることに気づきました。3.この論文をまとめるための苦労の過程で、新しい重要な測定法を見つけることができました。4.将来やるべきことが分かりました。でも、これは後継者がいないので、一度は諦めました。しかし、最近になって、まだできる可能性があるかなと思うようになりました。5.この研究は、とても大勢の人達が私を助けてくれたから、できたのだということがはっきり分かりました。かつて、私は、研究を数学パズルみたいに考えていました。つまり、問題を解決するのが面白いので、論文を書いたり、宣伝したりしなくてもいいのだと。しかし、上記の論文を書いて、論文を「まとめる」ことの重要性がはっきりと分かりました。全ての仕事で、まとめる能力というのは大事です。毎日一所懸命働いているのに、仕事が進まない。行き詰まっている。やっていることが役に立っていないようである。自分でも、今やっている仕事の位置づけが分からない。なんとなく、命令されたことをやっている。仕事が面白くない。こんなことはありませんか。こういうときには、自分のやってきたことで、これまで何が分かったか(できたか)、何が分からないか(できないか)、等を考えてみましょう。仕事の面白いところを探しましょう。他の仕事とのつながりや違い(似たところ)についても考えてみましょう。この仕事ができたらどうなるのでしょう。あなたが成功したとき、どういういいことがあるのでしょうか。苦労してやり遂げれば、あなたにとって必ず得することがあります。苦労するということがとても大事です。違う言い方をすれば、何回も失敗する(しかし諦めない)ということでしょうか。本当かどうか分かりませんが、エジソンは電球を完成させるまでに一万回も失敗をしたそうです。「何かをぜひやりたい。頑張ればできる。」といつも思って、仕事に励めば、大抵のことはできはずです。
2004年01月12日
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まとめることが大事だということを書こうとしていたら、どうしてか分かりませんが、食べることに関係した方向へ考えが行ってしまいました。私が秋田県の本荘市にいたとき、私が食事をしていたお店のS1さんは、その日ある材料を使って、食事を「まとめる」(献立を考えて、料理を作る)のがとても上手でした。S1さんが自分で買ってくるものは勿論のこと、誰かにもらったもの、私がいろいろなところへ行って買ったり、採ったりしてくるものなど、これらをうまく組み合わせて、美味しい食事を作ってくれるのです。また、急にお客さんが来たときなど、あまり準備の時間がなくても、私達(お客さんと私)を満足させてくれるのです。この人の頭は柔らかくて、よく働くのです。また、思いつくと直ぐ実行できます。新しい素材でも、上手に料理してしまいます。その頃、研究の立ち上げをお手伝いをしていたところの人達がモタモタしていて、こっちがじれったくなっていたときでした。だから、私が、S1さんに手伝ってもらって、研究した方がずいぶん速く研究が進むだろうなと思いました。S1さんは実験などやったことはないのですが、やる気、好奇心、着手の素早さ、頭の使い方などは、そこいらの自称研究者や学者より勝っていました。いろいろ思い出してしまいます。山ワサビの花、葉、茎と根(すなわち全部)の出し汁漬け、新鮮なアスパラガスやツルムラサキ、ワラビ、バッケ(私が採ったものが多かったです)、ハタハタなど。キリタンポ鍋、新米のオニギリ、本荘うどんなどなど、次々と頭に浮かんできてしまいました。お汁粉も。キノコの味噌汁に大根おろしを入れたもの。カレーも、バッケ(ふきのとう)入りスパゲッティーも。バッケ味噌も。もうすぐバッケだなあ!スイバの芽も!ここで、もう、私の、論文のまとめ方について書くのがいやになってしまいました。明日に伸ばそうか。最後は食べ物の話になってしまいました。でも、料理を作るのと論文を書くのは似ていると思います。音楽の作曲でも、演奏でも。研究でも、技術開発でも、工場の仕事でも、事務の仕事でも、教育でも。
2004年01月11日
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と口に出して言ったことで、自分のやるべきことが確認できました。これは、若い落語家、柳屋花緑さんの感じたことです。さらに、「人間って、自分の思っていることを意外と知らない。言葉で宣言することは、とっても大事じゃないか。」と思ったそうです(今日の東京新聞朝刊1ページ)。大賛成です。因みに、これは、私が、私自身のやる気を出すためにやることの一つだったのです。但し、競争がある場合には駄目です。宣言を聞いて、他の人が先にやってしまうかもしれません。宣言するにせよ、しないにせよ、まずやることも大事です。「決心したら直ぐやること。始めたら、そう簡単に諦めないこと。」が大事だそうです。宣言して直ぐ始めたとして、少し苦労すると、面白くなるでしょう。この状態で最後まで行けばいいのですが、そうは問屋がおろさないことが多いでしょう。ここで、宣言したことが役に立ってくるのです。進むのを諦めて止めたくなっても、宣言してしまうと、止めにくくなります。私は、何年か前、3年がかりで、長い論文を書いたことがありますが、このとき、私は始める前に「書くぞ。」と宣言した(多くの人達に言いました)のです。途中、何回かいやになりましたが、恥をかきたくないので、なんとかやり遂げることができました。しかし、論文の作成は、私1人ではできませんでした。私の共同研究者が全面的に助けてくれたからこそ成功したのです。それから、研究そのものがあそこまでできたのも、数え切れないほど多くの人達が助けてくれたからなのです。結局、自分の話になってしまいました。この論文を書いたことの意味について、もう少し、明日考えてみましょう。今日はここまで。
2004年01月10日
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問題解決研究所の仕事は原理的には簡単なのです。問題がなんであっても、考え方は同じ(私の場合)ですので、その手順で考えたり、実行すればいいのです。しかし、・・・答えがない場合もあります。どんなに努力しても駄目なこともあります。不可能なのです。でも、多くの場合、何らかの答えが出せると思います。出せるかどうかは、その人の考え方によるのです。どのくらい何かをやりたいか?頑張ればできると思っているか?によります。欲望と信念です。つまり、やる気でしょうか。そのとき、目標のための努力を面白く感じるようになるかどうかが鍵だと思います。子供の好奇心を見れば分かると思います。面白いことなら、大人ができないと思うようなこと(大人ができないこともあります)でも、子供はすぐできるようになってしまうのです。私の場合、仕事だと、いやなことをやらされるときもありましたが、まずやってみることにしていました。多くの場合、少しやってみると面白いことが見つかってくるのです。ちょっと苦労するといいのです。不思議と、今まで自分がやってきたこととの関連性に気づいてしまうのです。そして、微妙に、少しずつ、仕事の方向(見方?)を自分のやりたい向きに変えていったような気がします。これは、それぞれの仕事をやっているときには意識していなかったのですが、後になって、振り返ってみると、そう思えるのです。どういう風に自分の方向になったかと言うと、ほとんどの仕事を一つのお話の一部に入れられたのです。いくら頑張ってもだめなら、これは運命なのでしょう。しかし、その失敗の中にも、自分にとっては大事な成果が必ずあります。これを絶対に見逃してはいけません。このようなことが、新しい発見につながったり、新しい研究の糸口になります。ということは、一見失敗なのですが、私にとっても、私が勤める会社にとっても、長い目で見れば、得になっていると思います。大事なことは、失敗でだめだったと放り出さないことです。「転んでもただでは起きない。七転び八起き。」イザッチさんの書き込みを読むと勇気づけられます。と言うか、負けられないと思います。ここのところの私の仕事では、相談を受けた問題そのものの難しさより、その前の、やる気があるかどうかの方が大事みたいです。私は自分のことだけでも大変なので、人のやる気を出すことなんてできないのです。でも、仕事なので何か言わなければなりません。このとき、イザッチさんの書き込みの内容が役に立つのです。皆さんもよく読んでください。
2004年01月09日
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今日は日本海側のお天気でした。ホテルを出る前に、夕べ教わった酒屋さんに電話して、純米酒のビンのラベルのことを聞きました。そうしたら、やっぱり、「越後」と書いたのだそうです。しかし、私は、どうしてもそう読めないと言いました。酒屋さんによると、これは、おばあさんが一枚一枚書いたもので、紙によって、字の形がずいぶん違ったのがあったからではないかと、謝られてしまいました。私の言い方がきつかったのでしょうか。まだ、私には納得できませんが、とりあえず、そう受け入れておきましょう。今朝は、朝市の場所も見つけました。三八市と言って、3と8のつく日の6時から午前中やっているそうです。でも、今日は、ちらっとタクシーから見たら、2,3軒しか店が出ていませんでした。他に、互の市というのも5のつく日にあるそうです。9時から12時までだそうです。この次の楽しみができました。
2004年01月08日
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イザッチさんの書き込みを読んで下さい。ありがと、ありがと!午後は新潟県でした。日本海側なのに、とても明るく、いい天気で、驚きました。到着後ずっと会議で、だんだん頭が痛くなってしまいました。夜の7時ぐらいになってやっと開放されて、この前こちらへ来たときに行った料理屋さんへ行きました。そうしたら、またご馳走で、美味しい、美味しいと食べている内に、頭痛はすっかり直り、機嫌がよくなってしまいました。今回は、フグの刺し身と海老の焼いたものが特に美味しかったです。また、前回、ここのお店の純米酒のビンのラベルに書いてあった文字が読めなかったので、今回、このお酒を作った醸造元を教えてもらいました。明日電話で聞いてみるつもりです。「越後蔵元」と書いてあるとのことなのですが、「後」がどうしてもそう読めなかったのです。
2004年01月07日
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意志の疎通のためには、面と向かって話し合うのが一番いいということを書きました。今日、東京新聞の夕刊に、「聞く力」(斉藤孝)という記事がありました。対話をスムーズにするためには、1.相手の目を見る。2.ほほえむ。3.うなずく。ことで、相手の発言に反応できる体(からだ)になるためには、さらに、4.相づちを打つ。5.コメント(意見)や質問をする。のだそうです。そして、相手の話の要旨をつかむのが大事だそうです。テレビの討論などで、相手の言葉尻を捉えて、自分の言いたいことだけをまくしたてるのは最低ですね。会社で難しい問題を解決しなければならないときなど、グループの人達が皆やる気があって、打合せでいろいろな違った意見を出し合うと、思いもよらない解決策が見つかることもありますね。明日は新潟県へ行きます。問題解決の仕事です。これまでやったことを偏見なしに見直し、皆で率直に話し合うことにより、道が開ければいいと思っています。私達は、会議の席では本音を言うことができないのでしょうか(7日東京新聞、マニフェストあり)。特に、会社ではそうかもしれません。いや、学校の先生方でもそうかもしれません。会議で本音で発言してもらわないと、相談にものれません。どうしたらいいのでしょうか。つづく
2004年01月06日
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昨日は、このことをつくづく考えさせられました。昨日の朝、テレビで女性バイオリニストのSさんが出ていました。この人は、小さいときから天才と言われるような人であり、ホスピスなどでのボランティアー活動にも力を入れるような人です。兄さんも作曲家でピアノも弾いて、昨日は2人の共演でした。彼女は、300年ぐらい前、ストラディバリアスが作ったバイオリンも持っているのです。2人とも丁寧な演奏で、曲も気に入ったのですが、私にはバイオリンの音がどうしても気になってしまったのです。私の頭だか背中だかはっきりしないのですが、ほんのちょっと不快を感じるのです。前にも、我が国の有名な指揮者Aさんで、O響の演奏による、田園交響楽を聞いたとき、やはりバイオリンの音が気になってしまったのです。終わった後、ものすごい拍手で、私の、クラッシック通の友人もいい演奏だったと言っていたのにです。多分、音楽評論家だって、両方ともいい演奏だと言ったことでしょう。それでも、私の感じ方は変わらないのです。私が音楽をよく知っているわけではなく、バイオリンだって弾けません。でも、気になる音と気にならない音があるのです。人によって感じ方が違うということでしょうか。夕べは、「鳥海山」という番組も見ました。私は秋田へ行って、この山をよく見ていて好きだったのです。朝、本荘のS1さんが教えてくれたので、楽しみにしていたのです。テレビを点けると、「鳥海山」という題が出たのですが、山が違うではありませんか。鳥海山でも、南側の山形県側から見たものだったのです。私が秋田で始終見ていたのは北側から見た鳥海山(本ホームページのアルバム参照)で、形が相当違っているのです。とてもきれいな映像で、鳥海山からの水を使った米作りの1年を記録したものでした。この山は、どちら側から見るかによって、形が違って、それぞれの場所で、そこの人達は、自分の見る鳥海山が一番美しいと思っているのだそうです。ひとっきり見ていたら、私は、ここにもフキがあるとか、この葉っぱはコシアブラではないかとか、ミズはないかなどと、私の好きな山菜を探し始めてしまいました。それはともかくとして、鳥海山の麓のきれいな水と緑を思い浮かべることができ、気持ちよくなりました。昨日はテレビをよく見た日で、私の尊敬する大村はま先生の話も聞くことができました。この人は、中学校の国語の先生で、単元学習という教え方を貫いた人です。教科書を使うのではなく、あるテーマについて、子供達が調べて作文を書くような教え方です。今の総合学習に似ているのでしょうか。先生は、謙虚で、勉強家で、責任感の強い人で、子供が授業に興味を持たないのは自分の責任と考えるような人です。同じテーマの授業を2度やったことがないそうです。今97歳で、まだ講演や執筆に忙しそうです。先生が理想とする教え方は、実際は指導しているのですが、子供は自分で考えたと思って何かができるようになり、進歩していくようにすることです。この先生は有名なので、図書館でも、本屋さんでも、この先生の本を見つけることができます。私は理科系なのですが、先生の本を何冊か読んで、研究者としての心がけを沢山学びました。そうかと言うと、川越のある中学校の先生みたいに、うまく教えられないのは教育システムが悪いからだと、人のせいにして、本を何冊か出している人もいるのです。この人は、なんとかの教師の会というのを主宰していて、いい先生気取りなのです。もう一つ、朝、秋田県大館市のキリタンポの番組も見ました。私の大好物なのでよく見ました。ろばたで自分で作ったキリタンポを焼いて食べるところでは、よだれが出そうになりました。その前に、農家へ行って、新しいセリ(キリタンポに不可欠)をもらってきたのですが、根が全部付いているものでした。こちらでは、セリの根も入れるのです。買うとき、根が長く付いているものの方が珍重されるのです。関東へ来ると、根が切られているのが普通です。付いていても、料理のときに切ってしまうようです。私は、本荘では、野生のセリがあるところを知っていて、それを何回か食べました。このように、美味しいものに慣れてしまったので、私は相当贅沢になってしまいました。もう一つ、夜、森山良子さんの歌を聴きました。こちらは文句無に気に入りました。強いて、あら捜しすれば、歌と歌詞が合っていないようなのがありました(これは彼女のせいではありません)。今日はテレビを本当によく見てしまいました。話は変わりますが、風呂掃除だって、目で見てきれいにしても、手で触ると、まだぬるぬるが残っていることがあります。このように、何かを「見る」方法はいくつかあり、目的によって使い分けていかねばならないのです。方法が同じでも、人によっても、受け取り方が変わってしまいます。私の話だって、日記を読んだだけで、全く分からない人も、間違って理解してしまう人も、私の意図したことを理解してくれる人もいるでしょう。書いたものを読むだけでは、なかなか意図が伝わらないことがしばしばあります。本当は、面と向かって話を聞いて、質問したり、意見を言い合ったりするのが一番いい意志の疎通のさせ方だと思います。しかし、話を聞いても、質問できない人が沢山いるので弱るのです。また、意見があるのに言えないか、ないのかどうか分からないのですが、何も言わない人も多いです。研究開発などで問題が起きたとき、いろいろな考え方で、一つの問題を検討するのは大事なことですので、打合せなどでは、なるべく全員が意見を言うようにしてもらいたいです。そして、言うときは、皆に聞こえるような声で言ってもらいたいです。(最近どうも声の小さい人が多いように感じられます。)このようなことがどこまでうまくいくかは、個人個人がどのくらい好奇心を持っているか、聞く耳を持っているか、理解したいと思っているか、問題を解決しようと思っているか等によって大きく変わってしまいます。
2004年01月05日
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今年は、ずいぶん贅沢なお正月でした。お屠蘇は、京都の純米酒で作ったものでした。とてもよい香りと味でした。お雑煮は、地元の自家用のもち米のお餅、地元の里芋、採れたての大根と小松菜のお雑煮でした。お餅はちょうどよくこんがりと焼いたものでした。ゴボウ(神奈川県)のきんぴらがまた香りがよくて美味しかったです。新鮮な大根とニンジンのなますには長野の干し柿が入っていました。新鮮な赤カブの漬物もなかなかの味でした。3日の昼は、手打ちそば屋さんで、娘達の家族と一緒に、おまかせでした。そばがきも、そば(100%そば粉)もとても美味しくできていました。最後は、そば粉の入ったアイスクリームにそば焼酎をかけたものを食べました。3日の夜は、会場を我が家に移して、シャンペン、サーモン、フランスパン、チーズ、クラッカー、沢山の生野菜と混ぜ寿司でした。果物は苺といちじく(煮たもの)でした。ということで、贅沢で、わりと健康的なものを食べたお正月でした。秋田(本荘)の友達からの年賀状でますます秋田へ行きたくなっています。バッケ(ふきのとう)がどうだとか、蔵開き(酒屋さんが工場を開放して見学させてくれたり、酒粕汁を振る舞ってくれたりします)がどうだとか、私の好きなもので釣ろうとしてくれるのです。秋田は午前中は雪が降っていたそうです。寒いときは行かないなど行っておきながら、行く計画を立て始めている私です。
2004年01月04日
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今日は、午後から、3人の娘達の家族とともに、大新年会です。全部で12人、賑やかより、やかましくなるのではないかと思います。4ヵ月から3歳までの子供達が大きくなっているのが楽しみです。一番下の娘の家族だけはもう来ていて、かなりにぎやかです。ということで、今日はこれ以上書けそうもありません。一言。森敦:「考えすぎないほうがうまくいく」、三笠書房、(1998)。という本を読みました。私が共感することが沢山書いてありました。昨日初めてこの人の本を読んだのに、私は似たようなことをこれまでいくつか日記に書いていました。面白いと思ったところ。「これだけ情報が流通してだれでもそれを利用できるようになると、かつては情報の専売機関だった学校は斜陽産業になるはずなのに、かえって繁盛している。これはまるで健康な人が増えて病院が繁盛しているみたい。」本当に、この世の中、なんの学校でもあるかもしれません。「手取り足取り教えすぎ」です。今日は本当に賑やかでした。総勢12人、約9時間、子供達が叫んだり、笑ったり、泣いたりして、ものすごい騒ぎでした。さっき、皆帰り、今はしんとして、夢を見ていたのかと思うほどです。子供達の頭のいいのには驚くばかりです。頭がいいと言っても、言葉や数が分かるというようなことではなく、自分の意志を通す方法を知っているということです。女房と私が3人の娘を育てたときは、3人の年が離れてなく、結構忙しかったので、子供をよく観察する余裕がなかったようです。しかし、孫達を見ると、皆、頭の使い方がうまいのです。知恵があるのです。
2004年01月03日
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去年の、問題解決研究所の仕事の大部分は、やる気を出すにはどうするかを考えることだったと思います。表面上は違う問題であっても、突き詰めていくと、その人とか会社(結局は人間)のやる気の問題になってしまうみたいでした。私は、当初、問題が分かっていて、担当者のやる気が十分な場合(例えば工場の不良の原因の解析とか)についての問題解決の仕事を考えていたのです。しかし、実際に相談を受けてみると、人生相談みたいに、理工学と関係のない相談だったり、やるべきことが分からなかったり、やる気のないのが問題だと思われるようなものが多かったのです。私は面倒見がよい方ではないので、こういうことは自分で処理してもらいたいと思うのです。しかし、相談を受けているので、仕方なく、やる気についても考えるようになったのです。どう助言するかは、相手によって違ってくるでしょう。うつ病気味の人に「頑張れ」というのはいけないそうです。子供なんて、げんこつでやる気が出る場合もあるでしょう。ほめることが効くかもしれません。やるべきことを理解させてあげたら、後は自分で頑張るかもしれません。私は、誰にでも、 「まずやってみれ!」と言いたいです。たった今、自分が体験した実例をお話しましょう。この間、女房が友達から鬼ぐるみ(胡桃)をもらってきたのです。私は、これまで、鬼ぐるみの殻を割るので何回か苦労しているのです。煎って金槌でたたいて半分に割れても、美味しい身を出すのが大変なのです。普通のものなら、またたたけばいいのですが、このくるみは固いのです。爪楊枝などで少しずつほじり出して食べるのです。これがまた美味しいのですが、時間がかかるのです。金槌でいくらたたいても割れないものさえありました。1年ぐらい前は、一回茹でてから煎って割るといいと聞いて、そうやったのですが、大変なことはやはりあまり変わりませんでした。ということで、このくるみを自分で割るのは気が進まなかったのです。しかし、今朝、くるみを見、まだ試してなかったことを思い出して、金槌でたたいてみました。そうすると、固いですが割れるではありませんか。では、ということで、今度は、煎るのではなく、箱に入れて、電子レンジで加熱をしたら、金槌で半分に割るところまでは簡単で、後も、たたけば割ることができました。身をまったく傷つけないで取り出せることさえありました。だから、今、私はちょっと得意なのです。やっぱり、まずやってみて、そして、その結果を元に工夫したからこそ、美味しいものが食べられるようになったのです。仕事などで、やれと言われたことが、やりたくないことであっても、まずやってみることです。少しやって、ちょっと苦労すると、問題点や面白い点などが分かって来て、思ったほどいやではなくなります。そして、最後には、夢中でやっていることもあります。
2004年01月02日
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ついこの間会社をやめたと思ったのに、世間では老人と言われる年になってしまいました。昔、会社に入ったばかりのとき、上司からお前は幼稚園みたいと言われていました。私自身はその頃とは本質的に変わっていないと思っていたのです。しかし、この間、気がついたら、私は、ある人達にお説教をしていたのです。偉そうなことを言える柄でもないのに。つまり、私は年を取ってしまったのです。私は、体の方は別として、好奇心がまだ旺盛で、質問も沢山できるし、気持ちはかなり若いと思っていたのです。でも、昔と比べ、おしゃべりになったのは事実です。そうすると、昨日聞いたことを、いかにも自分が考えついたかのように、人に話して聞かせたりして自慢してしまうのです。おしゃべりになってよかったことは、友達が沢山できたことです。2年近く前、秋田県本荘市へ行って、1年そこで過ごしました。その間に本当にいい友達が沢山できたのです。それまで、私には友達があまりできないと思っていたのですが、本荘にいる間、一度も寂しい思いをしたことがありませんでした。1ヵ月ぐらいで、もうずっと住んでいたみたいな顔をしていたのです。しかし、秋田弁はちっとも分からないのがおかしかったです。こうなったのは、私の回りの人達のおかげでしょう。皆で協力して、私に、本荘、秋田や山菜のことを教えてくれて、仲間に入れてくれたのです。今日、これらの中の2人の人から年賀状をもらいました。1年ちょっと前、一緒に、手打ちそばを作ったのです。鳥海山の麓の新そば粉と鳥海山の山ワサビ(まだ早かったのですが)を使って、美味しい手打ちそばができました(去年11月の日記参照)。このときも、手打ちそばを作ったことがあるのは私だけだったので、先生気取りで、数人の人達に作り方を「教えた」のでした。このように私を覚えていてもらってとてもうれしく、今度本荘へ行ったときにはまた2人に会いたいと思います。それが意外に早いかもしれないのです。来週、私は直江津まで行く仕事があるのです。また、宮城県へも行くかもしれません。場合によっては、直江津ー本荘ー宮城県というように行くことにするかもしれません。しかし、東京で用事ができたら、次の機会にします。さっきの友達の話ですが、友達があまりいないと思っていたのですが、考えてみたら、これまで私は非常に多くの人達に助けてもらってここまで来ることができたのです。今また、助けが必要になって、これらの人達に連絡すると、また、快く助けてもらえたのです。私は本当に幸せ者です。結局、何らかの心の通じ合いがあったということでしょうか。そのためには、実際に会って話すとか、一緒に仕事をするとか、遊ぶとかで、意志の疎通ができるかどうかということが大事な要因になるでしょう。おしゃべり同士が沢山話すだけでは駄目でしょうが、互いに話し合えるということは意志の疎通にとって大事なことです。
2004年01月01日
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