全105件 (105件中 1-50件目)
るんるんさんからの書き込みを読みながら、思い出しました。なぜ、昨日、美味しいものについて書きたくなったか、です。古い形の灯油ストーブでゆっくりと煮た野菜の中の里芋がとても美味しかったのです。この里芋は、1回日記に書きましたが、コンサートでもらったものだったのです!このコンサートは所沢(埼玉県)でやったもので、東京には近いのですが、まだ畑もあるところなのです。会場で配られたプログラムのうち、100通に「当たり」と書いてあったのです。女房も当たってしまい、景品の里芋をもらうことができたのでした。この里芋は地元でできたものでした。そして、これが極上のものだったのでした!とろっとしていて最高でした。つづく
2006年01月31日
コメント(0)
一言で言えば、「自分が良く理解していること」です。いろいろなところから得た情報や、自分が見つけた情報(実験などして)を私が理解しなければなりません。そのためには、これらの情報を私の頭に伝えなくてはなりません。そのためには、読んだり、聞いたり、見たりするような手段が使われます。しかし、ぐちゃぐちゃに頭の中に入ると、説明も分かりにくいのです。ですから、頭に入れるときも、沢山の情報を表、図や絵などにしてみると、かなり整理された状態で頭に入るのです。このような情報を基に、今度は私が頭の中でいろいろ考えるのです。その結論とか、その過程が、私の説明になるのです。今まで私が書いてきた論文は、私がやった実験の結果をまとめるものが主でした。ですから、目的、方法、結果、検討、結論のように、結果を基に論文を書けばよかったのです(そうでもないこともありましたが)。しかし、今回の論文は、答えが分からない(と言うか、はっきりと文にできない)ことをまとめなければならないのです。ですから、うまく説明できる自信はありません。ですが、・・・・・・つづく
2006年01月31日
コメント(0)
また蕎麦掻きを作りました。今度は、この間のような、いい粉ではありませんでしたが、かなり美味しいものができました。辛い大根おろしと山葵で食べました。食べた後の気持ちもいいです。もう一つ美味しいものを食べました。秋田の朝市で買ってきた、白花豆を女房が灯油ストーブの上で煮てくれました。この味が最高でした。
2006年01月30日
コメント(2)
昨日の日記に説明を書いています。(3)と(4)の一部を書きました。文だけでも説明できるはずなのですが、私は、言いたいことを表や図にして考えてみます。込み入った話の場合、そうすると、自分も分かるし、説明もしやすくなるようです。ということで、図や表が先にできたので、それらを日記に示したのです。説明を書きながら、ニュースを聞いていて、気がつきました。確率・統計を使った検討結果の中には、正しくないことが含まれている可能性もあるのです。悪い人が使えば、違法行為とか嘘をつくような要因を含めて検討されるのです。悪い人でなくても、データを集計するときに、数を間違えたり、違う欄に入れてしまうこともあるのです。間違いをチェックするはずの人がチェックしていないこともあるのです。良識のない人が政治家だの、先生にもなっているのです。最近のニュースでも、防衛施設庁の談合、ライブドア事件、東横イン事件など、いやなことが続々と報道されています。どれも、もっと調べれば、似たようなことがどんどん出てきそうな気がします。この世の中、私達は、前より増して、自分で考えて、判断、行動しなければならないのです。私だって、日記には、誤字だの脱字だの沢山あります。ですが、私はチェックが嫌いなのです。次の日ぐらいに、書いたことをさっと読んで、気づいたことを直すぐらいしかしていません。あまり几帳面になると、そもそも日記を書くのが嫌になるので、このようにしてきたのです。しかし、今となっては、この日記の内容が、私の仕事そのものになりつつありますので、少しずつですが、誤りなく文が書けるように努力しています。
2006年01月30日
コメント(0)
今回の耐震強度偽装は正にその例です。マンションを「作った」建設会社、設計事務所、施工会社、販売会社など皆悪いことをしていたのです。彼等は見かけは良くて、他より安いマンションを売って儲けようと思っていたのです。安全性に問題があって、法律は守らなくても、という条件でやったのです。一方、買う方は、「見た目が良く、安い」マンションを買ったのですが、そのとき、安全性に問題があることはないと思ってしまったのでしょう。ちゃんとしているらしい会社が売っているものだから大丈夫だと思ってしまったのでしょうか。「顧客の捉え方」と「業者の捉え方」に大きな違いがあったのです。同じマンションなのですが、お客には「快適な生活の場所」なのですが、これらの業者には、「金儲けの手段の一つ」でしかなかったのです。この世の中、本当に油断できませんね。鵜呑みは絶対駄目だと思いました。
2006年01月30日
コメント(0)
ここのところ、私には珍しく、頭を使っています。論文で、確率・統計の基本的な考え方を説明しようとしているのです。そのために、何を例にして、どのように説明しようかを考え、表や図の工夫をしていたのです。昨日までに、図や表などを日記で示しましたが、説明がまだ全部書き入れていません。これから入れていきます。上記の作業をしながら、確率・統計について、考えたり、再認識したことを以下に書いてみましょう。世の中は分からないことだらけ。確かなことは、私達がいつかは死ぬということぐらいです。だから、確率・統計という学問があるのです。確率・統計は、単に、「常識」を数学の言葉で表そうとしただけのものなのだそうです(フランスの数学者ラプラスの言葉)。ですから、これだけでは問題の答えは教えてもらえないのです。しかし、私達が問題解決のために考えるのを助けてくれます。分からないことがあるのは当然。怖がったり、恥ずかしがることはないのです。ただ、分からないと言って、初めから諦めて何もしないのは最悪です。何かが分からないとき、どう対処するかが大事なのです。分からないことに関し、できる限りよく調べ(実際に実験するのかもしれません)、よく考えると、何が分からないかがまず分かってきます。そして、自分の体と頭をよく使うと、思ったよりも分かってくることが多いのです。できるだけ沢山の証拠を集めて、よく考えることにより、ある結果から原因を推定したり、また、逆に、原因から結果の予測をすることも不可能ではないのです。確率・統計の問題としては、どちらも同じことです。一番大事なのは、いろいろな可能性について考えるところです。抜けがなく、重複しないように洗い出したのですが、 ☆同じものでも違うわけ方(捉え方の違い)がある(問題解決でも、解決法で分類することもできるし、その結果で分類することもできる)。 ☆まず全部洗い出し、その中からもっと重要なものに絞る。 ☆なるべく簡単な形にして考える。新しい情報が入ったり、証拠が明らかになったりするたびに状況は変わるのです(例えば、問題解決の成功確率の値は変わるのです)。これらの新事実に対応して、やることも変えて行かなければいけません。同じことでも、違う角度から見ると、新しいことが分かることがあります。確率・統計の考え方は、人間もこのように考えた方がいいと思われるようなものです(だから「常識」とラプラスが言ったのです。良識と言ってもいいかもしれません。)。それを人間がやるかどうかは別ですが。
2006年01月30日
コメント(0)
最後に、これまでの図や表を一つの図で表して、これまで説明してきた各種確率の値を示しましょう。そして、分かったことをまとめましょう。この図はヴェン(Venn)図というものです。ヴェンというのは、イギリスの数学者(牧師でもあった)の名前で、この人が、いろいろな場合同士の関係を表すために考えたものです。下の図で、まず、長方形が全体U(30,000人、この数を母数にした確率にするとP(U)=1)を表します。この中に2つの重なった円があって、長方形が4つの領域に分けられています。それらの領域の面積がそれぞれの部分の確率(30,000人を1としたとき)になるようにするのです(この絵では正確にそうなっていませんが)。左の円の中は「まんずやってみれ!」方式を使った確率P(M)です。2つの確率、P(Y∩M)とP(N∩M)を足すとP(M)になります。ここで、Y∩Mとは、成功して、かつ、「まんずやってみれ!」方式を使ったという意味です。Mは「まんずやってみれ!」方式を使った集団、NMはこの方式を使わなかった集団、Yは成功した集団で、Nは失敗した集団です。一方、右の円の中(面積)は、成功した確率P(Y)です。2つの確率、P(Y∩M)とP(Y∩NM)を足すとP(Y)になります。さて、ここで、Y∩Mの領域に着目してみましょう。ここは、成功の集団の円Yの一部とも言えますし、「まんずやってみれ!」方式を使った集団の円Mの一部とも考えられます。このことから確率の大事な定理、即ち、ベイズ(Bayes)の定理、を導くことができるのです。まず、成功Yの立場から見ると、成功したという条件の下で、「まんずやってみれ!」方式を使った条件確率P(M|Y)は P(M|Y)=P(Y∩M)/P(Y) (1)で、Y∩Mの部分の面積を左の円の面積で割ったものです。ここで、 P(Y)=P(Y∩M)+P(Y∩NM) =P(Y|M)P(M)+P(Y|NM)P(NM) (2) です(左の円の面積)。一方。右の円では、即ち、「まんずやってみれ!」方式を使った(M)という条件の下での成功の条件確率P(Y|M)は P(Y|M)=P(Y∩M)/P(M) (3) で、Y∩Mの部分の面積を右の円の面積P(M)で割ったものです。ここで、 P(M)=P(Y∩M)+P(Y∩NM) =P(M|Y)P(Y)+P(M|N)P(N) (4)です(右の円の面積)。(1)式にも(3)式にも同じP(Y∩M)があるので、それを消去すると、 P(M|Y)P(Y)=P(Y|M)P(M) (5)になります。これがベイズ(Bayes:18世紀のイギリスの牧師で数学者)の定理です。この定理を使って、表や図から既に解いた問題に再挑戦してみましょう。式に与えられた確率の値を代入するだけで答えを得ることができます。今回の問題では、与えられたものは、確率に直して、 P(Y)=0.54、P(M|Y)=0.1667、P(M|N)=0.02174です。[P(N)=1-P(Y)、P(NM|Y)=1-P(M|Y)、P(NM|N)=1-P(M|N)です。]求めたいものは、P(M)、P(Y|M)、P(Y|NM)などです。まず、(4)式から P(M)=P(M|Y)P(Y)+P(M|N)P(N) =0.1667x0.54+0.02174x0.46=0.1次に、 P(Y|M)=P(M|Y)P(Y)/P(M) =0.1667x0.54/0.1=0.9と P(Y|NM)=P(NM|Y)P(Y)/P(NM) =0.8333x0.54/0.9=0.5になります。[P(NM)=1-P(M)、P(N|M)=1-P(Y|M)、P(N|NM)=1-P(Y|NM)]これで終わりです。しかし、確率の式や値だけを見ていると、それらの意味が理解できない場合があるのです。これまでやってきたように、それぞれの場合の数にして表してみると(もし表せるなら)、分かりやすくなります。さて、以上の検討では、結果を調査、解析することにより、その原因について知ることができました。しかし、一般には、このような検討は、何かの課題を解決するためにやるのです。ここでは、問題解決について考えているので、例えば、「解決の成功確率を上げたい」ということを課題にしてみましょう。上のベイズの定理というのは、ある意味では、人間が考えるのと煮たような結果を出してくれるのです。上の例で、今は、「まんずやってみれ!」方式を使っている割合P(M)は0.1(10%)です。上の計算の結果の一つとして、P(M|Y)=0.1667というのがあります。これは、成功した場合、確率(Mの割合)を0.1667にしたら、という示唆として受け取れます。一方、P(M|N)=0.02174ですので、失敗の場合は、M(「まんずやってみれ!」方式)の割合を減らせ、ということなのです。そこで、Mの割合を0.1667(これを確率の更新と言います)、即ち、「まんずやってみれ!」方式を使った人の数を5,000人(30,000人のうち)にしてみましょう。そうすると、 P(Y)=0.9x0.1667+0.5x0.8333=0.5667 P(M|Y)=0.9x0.1667/0.5667=0.2647になります。確かに、成功の確率が0.5から0.5667に上がりました。そして、今度はMの確率をP(M|Y)=0.2647NIすると、成功確率も0.6059になります。この過程を表にすると、次のようになります。回数 Mの割合P(M)またはP(M|Y) 成功確率P(Y)___________________________ 1 0.10 0.542 0.17 0.573 0.27 0.61 このように、Mの割合を増やしていくと、成功の確率は次第に増加していきます。そして、Mの割合を100%にしたとき、成功の確率は最大の値0.9(90%)になります。つづく
2006年01月29日
コメント(0)
(3)で何をやったかと言うと、見方を変えただけです。下の表で説明しましょう。まず、上の、「結果から原因へ」で、調査の結果を表に表しました。成功と失敗の数を一番右の列に書き、それらの内訳を「まずやった」と「やらなかった」の列に書きました。それぞれの合計を一番下の行に書きました。これは(2)の図を表で示したものです。そして、(3)の図を表にしたのが、下の表「原因から結果へ」です。この表を求めるには、上の表で、縦と横を入れ替えただけです。これだけのことで、(3)に示した、まずやった確率と、まずやったという条件の下での成功の確率(条件確率)などが求められるのです。これができたのは、2,700人が、まずやった人の中で成功した人の数とも(上の表)、成功した人の中でまずやった人(下の表)とも言えるからなのです(これが次の(5)で説明する大事な定理になるのです)。それから、勿論ですが、調査で、ただ成功と失敗の数を調べただけでなく、それぞれの内訳(まずやった人とやらない人)も調べたからです。即ち、漫然とではなく、きちんと調査すれば、いろいろなことが分かる可能性があるということです。なお、普通は上の図だけあれば、解析には十分です。
2006年01月29日
コメント(0)
以上の結果(まとめの最後のカッコ内は除く)を図にしてみましょう。元のデータは同じです。ちょっと整理して足し算をするだけで、下図が得られるのです。(2)では、結果から原因への流れを図にしました。それを、今度は、逆の、原因(「まんずやってみれ!」方式を使ったかどうか)から結果(問題解決に成功か失敗か)の図にしたのです。それには、まず、(2)の図の一番右の列で、「まんずやってみれ!」方式を使った人と使わない人の数を求めました。両方とも、成功と失敗の場合の数を足して、それぞれ、3,000と27,000人になりました。そして、この方式を使った場合と使わない場合について、それぞれ、成功と失敗して人の数を書けば終わりです。(2)で、私は、成功確率は「まんずやってみれ!」方式を使った場合の方が高いと書きました。下の図で、成功した人の数を見ると、この方式を使わなかった場合の方が多いのです(13,500と2,700)。では、なぜ、確率が前者で大きいのでしょうか。それは、この方式使用の有無の場合の数が違うからです。確率を求めるには、「まんずやってみれ!」方式を使った場合は3,000で、使わなかった場合は27,000で割らなければなりません。そして、それぞれ、0.9と0.5という確率(とても大事結果)になります。これらの確率は、同じ「成功確率」なのですが、(2)の「成功確率」0.54とは違います。この確率は、成功した人(Y)の数も、総人数も、この方式を遣った人も使わなかった人も含めた合計数、16,200と30,000人を使っています。数学の記号では、P(Y)と表します。ここで、0.9という確率は、「まんずやってみれ!」方式を使った(M)という条件での成功(Y)確率なのです。これは条件確率と言って、P(Y|M)と書きます。そして、0.5という確率は、この方式を使わなかった(NM)という条件での成功(Y)確率なのです。こちらの条件確率はP(Y|NM)と書きます。この世の中の確率はほとんどが条件確率と言えるでしょう。しかし、どのような条件であるかをはっきり言っていない場合が非常に多いのです。このことが原因の一つで、素人の私達は、確率・統計を持ち出して説明されると、しばしばだまされてしまうのです。これがいわゆる「統計の嘘」と言われているものです。
2006年01月29日
コメント(0)
27日の日記の続きです。まず、要点を繰り返します。例: 問題解決のやり方の調査ある問題の解決に、3万人の人達が挑戦しました。その結果、16,200人が成功し(この集団を「Y]と名づけます)、13,800人(この集団を「N」と名づけます)が失敗しました。1.成功した人達「Y]16,200人のうち、1)2,700人が「まずやってみれ!方式」(フリーページ「私の問題解決の考え方(2)第2章参照)を使って(M)いました(いろいろな可能性をまず試して、問題点や解決策の洗い出し、目的ややることを具体化し、計画を立てて、実行しました)。この集団を「M∩Y」と名づけます。つまり、成功して、かつ(∩:and)、「まずやってみれ!方式」を使った人達(M∩Y)の集団という意味です。2)13,500人がこの方式を使いませんでした(NM)。この集団を「NM∩Y」と名づけます。つまり、成功していて、この方式を使わなかった人達という意味で、「NM∩Y」と書きます。2.失敗した人達「N]13,800人のうち、1)300人が「まずやってみれ!方式」を使って(M)いました。この集団を「M∩N」と名付けます。2)13,500人がこの方式を使いませんでした(NM)。この集団を「NM∩N]と名づけます。これは調査結果のまとめです。この結果から、原因について何が分かるでしょうか。上のように、文で書くとちょっと分かりにくいかもしれませんが、同じことを下の図のように表すと、より分かりやすくなります。この図から分かることは、1.「まんずやってみれ!」方式を使った人は、「M∩Y」と「M∩N」の人、計3,000人で、全体30,000人のうちの10%でした。2.この方式を使った人3,000人のうち、問題解決に成功した人「M∩Y」は2,700人で90%でした。3.一方この方式を使わなかった人「NM∩Y」と「NM∩N]の人、計27,000人のうち、成功したのは、13,500人の50%でした。まとめると、「まんずやってみれ!」方式を使った方が成功する確率が高い(90%対50%)のですが、全体のうち10%しか、この方式を使っていませんでした。(これは、後からの種明かしですが、実は、15,000人に、予め、この方式を使ってみたらと勧めていたのです。つまり、言うことを聞いてくれたのは20%しかいなかったのでした。)
2006年01月29日
コメント(0)
これまで論文「私の問題解決の考え方」を書くに当たっては、はっきり書いてはありませんが、ズルはしないでという前提で書いてきました。しかし、最近のニュースに接すると、情けなくなってきます。問題解決のために、各種要因を抜けがなく、重複しないように選ぶのが大事だと言ってきました。ですから、「会社がつぶれそうで、資金を得たい」とときなど、なりふり構わず、切羽詰って、この課題を考えたとき、「ズルをする、嘘をつく、法を犯す、つかまらなければいい」などの可能性も考えてしまうのでしょうか。初めはほんのちょっとのズルであっても、回を重ねるうちに、だんだん程度も大きくなり、罪悪感もなくなってしまうのでしょうか。その人個人だけだったら、こういうことができないと思うような人が、会社のためということで、悪いことをやり続けてしまうのでしょうか。正直な人達(世の中の多くの人達だと思います)は、「ズルをする、嘘をつく、法を犯す」ようなことをしないので、競争したとき、残念なことに、「ズルをする、嘘をつく、法を犯す」方が勝ってしまうのです。東横インは、女性を大事にする優良会社だと思っていたのですが、建築の完了検査後に改装するというようなズル(違反でもあります)をやっていたのです。他の同業者に勝つために、こういうことを平気でやっていたのです。ライブドアだってそうです。「悪いことをする」というのも想定内だったのでしょうか。そして、つかまるのは「想定外」だったのでしょうか。嘘の論文を書く(これだけでは逮捕されないかもしれませんが)ことだって、似たようなものです。他の研究者より自分が認められたい、資金がもっと欲しい、などの理由で、ズルをするのです。これでは、研究の目的であった問題の解決を助けるどころか、遅らせてしまいます。自分だけ得をするという目的には沿っていますが。いや、口では、研究室のためとか、学校のためとか言っているのではないかと思います。つづく
2006年01月28日
コメント(0)
だそうです。ですから、これをきちんと理解し、正直に使えば、自分のいろいろな問題の解決に役立てることができるのです。数学の式を使って計算をしなくてもです。今、この辺のところを説明しようとしているのですが、かなり難しいです。結局、私の理解が足りないということなのですが、数式で覚えてしまったので、数式の助けを使って説明しようとしているのです。読者の中には、数学が嫌いな方もいらっしゃるだろうし、学ばなかったという方もいらっしゃるでしょう。数式や数学の記号を全く使わないようにすることも考えました。しかし、「数学」も世の中の問題を解決するための学問の一つなのです。ですから、ここでは、やはり、大事な式は説明するし、使おうと思います。でも、言葉や図を使った説明も使います。次のような場合に役に立つということを言いたいのです。確率・統計から学べること(経験からも学べますが、気づかないこともあります)は☆結果と、そのとき得られた、いろいろな証拠を基に、その原因を推定することに使えます。(結果と一緒に得られた証拠をつかんでいることが大事なのです。)☆一方、原因と、そのとき分かっている条件から、結果を予測するのにも使えるのです(考え方は同じ)。確率・統計にとっては、先に起きるか後に起きるかは関係ないのです。(私には、このことに気づいたのが問題解決にとってずい分助けになりました。)☆結果の確率は新しい証拠によってどんどん変わることができます。☆いろいろな可能性について、より系統的(漏らさないよう)に考えるのを助けてくれます。☆確率は、言葉では同じでも、定義の仕方や条件によって大きく変わることがよくあります。確率を持ち出されたら、鵜呑みにしてはいけません。「統計の嘘」という言葉があるくらいです。確率・統計を学ぶことは、人にだまされないようにするのにも役に立ちます。つづく
2006年01月28日
コメント(0)
それなのに、昨日、女房が石油ストーブを買ってきたのです。友達の家へ行ったら、古い形のものがあって、その上にお鍋で何かを煮ているのを見て、自分もそれがやりたくなったらしいのです。だから、昔の芯の出し入れをする古い形のものです。点けたり、消したりするときに臭いし、孫達が来ると危ないのです。そして、昨日3才の孫が来てしまったのです。なんとか無事で帰りましたが(椅子から落ちて、舌をかみましたが)、相当心配でした。灯油が高いのに、なぜそんな気になったのでしょうか。さらに、我が家はオール電化にしたはずだったのにです。でも、明日は美味しいブリ大根が食べられそうです。太陽電池の方は、ここのところ、我が家のにしては好調に発電しています。つづく
2006年01月27日
コメント(0)
昨日、説明しようとした確率・統計の大事なところのことです。例: 問題解決のやり方の調査ある問題の解決に、3万人の人達が挑戦しました。その結果、16,200人が成功し(この集団を「Y]と名づけます)、13,800人(この集団を「N」と名づけます)が失敗しました。1.成功した人達「Y]16,200人のうち、1)2,700人が「まずやってみれ!方式」(フリーページ「私の問題解決の考え方(2)第2章参照)を使って(M)いました(いろいろな可能性をまず試して、問題点や解決策の洗い出し、目的ややることを具体化し、計画を立てて、実行しました)。この集団を「M∩Y」と名づけます。つまり、成功して、かつ(∩:and)、「まずやってみれ!方式」を使った人達(M∩Y)の集団という意味です。2)13,500人がこの方式を使いませんでした(NM)。この集団を「NM∩Y」と名づけます。つまり、成功していて、この方式を使わなかった人達という意味で、「NM∩Y」と書きます。2.失敗した人達「N]13,800人のうち、1)300人が「まずやってみれ!方式」を使って(M)いました。この集団を「M∩N」と名付けます。2)13,500人がこの方式を使いませんでした(NM)。この集団を「NM∩N]と名づけます。以上が調査結果をまとめたものです。(ここで、各集団を英語の略号で分類して、ちょっと分かりにくくなっているかもしれませんが、これは、後で、大事な定理を説明するためですので、我慢願います。)さて、これらの結果を踏まえて、知りたいことは、3万人の人達がどのような計画の立て方で、どのように成功あるいは失敗したかです。言い換えると、結果(成功か失敗か)から原因(「まずやってみれ!方式」を使ったかどうか)への流れを調べて、逆に、原因から結果への流れを知ろうとすることです。この問題が分かれば、結果から原因の推定、および、原因から結果の予測が原理的にはできることになります。ここいらの状況を図で表そうとしています。つづく
2006年01月27日
コメント(0)
確率・統計のもっとも大事なところを説明しようとしたのですが、その説明のための表を作ろうとしながら、その表では十分でないことが分かりました。もう1回考え直します。私がまだ理解不足なのです。教訓は、「うまく説明するためには完全に理解せよ。」「分からないことを説明するなら、どう分からないかをよく理解せよ。」です。すみません。
2006年01月26日
コメント(0)
論文「私の問題解決の考え方」の第3章「問題解決と確率・統計」の一番大事なところでもあり、説明の難しいところについてずっと考えていました。そして、昨日、それができそうな気がしてきました。それから、説明の例の中で、確率の意味についても、問題解決でもっとも大事なところでもあり、難しいところの指摘もできそうな気がしてきました。やりたいことは、確率・統計の「条件確率」と「ベイズの定理」を一般の人に分かるように説明することです。こんな風に始めましょうか。私の問題解決の考え方が正しいかどうかを見るために、なんと、3万人の人を動員して、同じ問題の解決を試みてもらいました。3万人の中から3千人のひとを無作為に(当てずっぽうに;例えばくじ引きで)選んで、私の「まずやってみれ!」手法(フリーページの「私の問題解決の考え方」(2)第2章参照)に従って立てた計画で、解決に挑戦してもらいました。一方、残りの人達には、自分の頭の中(他の人から得られる情報も含めて)で立てた計画で挑戦してもらいました。そして、それぞれの場合、何人の人達が成功したか、失敗したかを数えて、集計しました。説明の表がうまくできないので、他のやり方を考えます。
2006年01月26日
コメント(0)
やはり悪いことをしたと「思って」いるのでしょうか。いや、法を犯したと「思って」はいないと言っているようです。この「思って」というのが曲者なのです。他の会社の社長さん達も、脱税で摘発されたりすると、よく、そのような「認識はなかった」と言います。同じようなことです。見つからなければいいと「思って」いるのでしょうか。探偵小説にも、殺人者は、罪を重ねて行くうちに、悪いことをしているとは「思わなくなって」行くと書いてあります。悪事がばれないと、もう少し悪いこともばれないと「思う」のかもしれません。一方、私の論文で考えていることにも似たような要因が含まれています。確率とは、「何かが真実だと、何かが起きるなどと受け入れる、認識する、考える、信じる、思う度合い」なのです。ですから、確率を使うとき(が使われるとき)、このことを忘れてはいけないのです。確率の値を示されると、それが客観的な事実を示しているものだと「思い込んで」しまうかもしれません。また、どういう条件でそう「思って」いるかの説明も不十分な場合が多いのです。以上のことから、また、「自信」について考えてしまいました。自信とは、できると「思う」こと、信じることです。どのくらいの確率だったら、自信なのでしょうか。私には分かりません。去年暮れに、堀江元社長がライブドアを世界一にするとかと言ったときはどうだったのでしょうか。かなり自信ありげでした。できると「思って」いたのでしょうか。そう「思い込んで」いたのでしょうか。そう言えば、細木数子さんだってそうです。人の未来について、やるべきことについて、断言できるのです(私の女房だってできますが)。私なんか、自分のことも分からないのです。まして、他人のことなど。ところで、彼女は、堀江元社長にとって、今年がそんなに悪い年だとは言っていなかったような気がします。まだ、今年は長いので、釈放されて、盛り返すのかもしれませんね。
2006年01月26日
コメント(0)
私は、1週間に1回、母のところへ行って、いろいろ悩み事を聞いてきます。東京の汚い空気を吸い、息苦しくなり、のども痛くなるので、あまり乗り気ではありませんが、私のためにもなっているのです。まず、「母の相談に乗っている」(私の問題解決研究所の仕事だと)と考えることで、前のように、怒鳴り散らさなくなりました。また、母の問題についても、前より冷静に対処できるようになりました。また、最近は、前のように、私鉄の駅からバスに乗ることは止めて、もっと手前の駅で降り、歩くことにしました。ちょっと歩きますが、歩くと気分が良くなり(比較的に排気ガスが少ないので)、運動にもなるのです。歩きながら、いろいろなことを考えられます。往復の電車(合計4時間)でも、いろいろなことを考えたり、見たり(たまには美人を)できます。音楽を聴くこともできます(私の音楽の勉強と、他のことを考える助けになります)。昨日など、合計2時間半ぐらい歩きました。去年の骨折以来、体が弱ってしまったのですが、これで、ほぼ回復したと思いました。帰ってくると、のどが少し痛いですが、私のためになっていると思います。感謝です。
2006年01月26日
コメント(0)
今日は、東京の母のところへ行きました。驚いたことに、先週の雪がまだ残っていました。しかし、日差しがかなり強く、歩くと汗が出ました。一方、昨日と今日は、我が家でも、太陽電池の発電量が久しぶりに10kWhに達しました。つまり、春が近くなってきたようです。今日は、母の用事などもあって、ずい分歩いてしまいました。歩きながら、論文についてもいろいろと考えることができました。私は、歩いているときに、結構思いつくことがあるのです。今日も、問題解決の要因についてもう1回考え直した方がよさそうだと思うようになりました。
2006年01月25日
コメント(0)
私は、他の人には、これをよく言ってきましたが、自分のこととなると、つい、考えずに何かをやってしまって、後悔するのです。去年肋骨を折ったのも、ちょっと考えていれば、折らないで済んだのです。
2006年01月25日
コメント(0)
ホリエモンさん逮捕!まさか、逮捕されても、やることはやるなどとは思っていなかったでしょう。有罪だと決まったわけではないのであまり言いたくありません。しかし、逮捕に抗議したとはまだ聞いていません。
2006年01月25日
コメント(0)
美味しかった!感動した!夕食は、あっさりとしたカキご飯でした。昆布の出汁で、小粒のカキとショウガだけのご飯(アキタコマチ)に、三つ葉をたっぷりとかけたものでした。去年春、松島でカキご飯が食べたくなったのですが、結局、見つからず、カキそばを食べました(3月31日)。その後、ついに、食べないで10ヶ月ぐらい経ってしまいました。今日やっと願いがかなって、美味しいものを食べられました。
2006年01月24日
コメント(0)
ここ何年か、宇宙航空研究開発機構で、人工衛星だの、惑星探知機とかを打ち上げていますが、なかなかすんなり行かないことがあるようです。今回は、センサーの故障ぐらいで、何とか打ち上げに成功したようですが、この前のときなど、どこかの惑星だかなんだかに着陸したとか、岩石を採集したとか発表しましたが、本当かどうか今一つ分かりません。持って帰ってこなければならないのです。一方、地上でも、民間の新製品の開発などで、よほど本気で、やる気と緊張感がないと、複雑で難しい製造技術などを立ち上げることは難しいのです。私達の研究でも、大事な問題点を見逃してしまったり、技術の制御がなかなかできないなど、非常に手間がかかってしまうことがあります。これらの仕事に携わる人達が本気になって、緊張感のある状態にないと、つまらないミスや抜けができ、多大な労力や時間(勿論お金も)の損失になるのです。お役所が関わっているいろいろな事業だって、そうだと思います。多額の税金を使って作った施設などが利用者が少なくて赤字になって、二束三文で売られたりしているのです。浅田真央さんは、今度の大会では4回転を成功させたいと言っています。大人達も少しは真似をして、気合を入れて仕事をしてもらいたいです。この前、ミスなしで優勝したとき、「根性だ」と言っていたと思います。大したもんだ!
2006年01月24日
コメント(0)
名前からは石鹸の泡と思われるかもしれませんが、これは、径数ミクロンの空気の泡をお湯の中に発生させるものです。これにより、洗浄効果が上がり、お肌すべすべになり、温まりもするのだそうです。機械につながった2本のホースをお湯の中に漬け、スイッチを入れると、細かい泡により、お湯が白くなります。お湯を吸い込んだ機械の中でお湯と空気を混ぜて泡にしてお風呂に戻すのだそうです。ホースから出てくるお湯(泡入り)はあまり強い勢いではありませんが、体に当てたりするといいのだそうです。我が家のお風呂で試させてもらいました。40℃で約15分入りました。少し汗をかくぐらいになり、一番感じたのは、指がつるつるになりました。洗浄効果があるので、石鹸は要らないのだそうです。女房も入り、肌がすべすべになり良かった、温まった、お腹が減ってきたと言い、お菓子を食べていました。そう言えば、この間、松島で食べた蛎(カキ)は殻が馬鹿にきれいでした。これは、マイクロバブルを使った洗浄器で洗ったものらしいです。同時に殺菌もしていると思います(オゾン)。この体験は、女房がお世話になっている整体師のNさんのご好意によって実現しました。このマイクロバブルはNHKの科学番組でも紹介されました。これから、いろいろなところで応用されるかもしれません。
2006年01月24日
コメント(0)
仕事の合間に、秋田の友達からの絵葉書を、私の好きな、秋田のカリントウ(にかほ市)を食べながら見ていたら、秋田から、近況を知らせる、いくつかのメールが届きました。うれしくなって、秋田の友達に電話し、ひとっきりおしゃべりをしてしまいました。秋田からの知らせによると、矢島は吹雪で、由利本荘もとても寒いとのこと。でも、皆元気でした。秋田の美味しいものや楽しいことをいろいろ思い出しました。上記の絵葉書には、手書きのハタハタの絵が描いてあるものでした。
2006年01月23日
コメント(0)
これは、細かいところばかり見て、全体を見ない人への戒めとして、私も正しいと思います。しかし、・・・・・・・何も分からない人が森ばかり見ても何も分かりません。馬鹿医者が急に患者の全体をよく見ようとしても何も分からないでしょう。木を見ることもできない人に森を見よと言っても無駄でしょう。森は木でできているのです。言われた人はますます駄目になるでしょう。独りよがりの目で、木を見ないで、森を見る(ていると思い込む)のはもっと悪いです。分からないことを分かっていると思うことになりかねません。これで思い出すのが、米国によるイラクやアフガニスタンの空爆です。アメリカ人が1人の無抵抗のイラク人を鉄砲で撃ったら大変なことになるでしょう(米国でも)。しかし、森を空から見るみたいに、上から下を見て空爆し、大勢の民間の人が亡くなっても、やむを得ないことだったとか言うのです。こんな理不尽なことがあるのでしょうか。なんという傲慢さ。イランの原子力開発を止めようとしているのもこれです。自分達はやっているのに、相手にはやってはいけないと言っているのです。さらに、この国は、世界の環境を守るための「京都議定書」も批准していないのです。世界の平和のために貢献しているなど言いながら。まあ、強いものが好きなようにするのは仕方ないことですね。悔しかったら、もっと苦労し、頑張って、強くならなければいけないのです。つづく
2006年01月23日
コメント(0)
彼女は、家にいるより、外に出ている方が好きです。栄養食品を勧め、売ったり、栄養の指導をしたり、大正琴を教えたり、かなり忙しいのです。前は、機械編みや太極拳を教えたこともありました。習う方は、今、整体と合唱をやっています。ちょっと習うと、もう全部分かったような気になるらしく、自信があるようなのです。私とは全く逆です。いろいろな悩み事相談にも乗っています。私なら分からないというようなことを自信を持って断言することができるのです。そして、自画自賛が好きです。大したもんだ!あきれたもんだ!でも、うらやましい!このような性格ですので、私とはいつも意見が合わず、喧嘩が多いです。同じなのは、2人とも物忘れがあるということです。喧嘩しても、2,3日経つと、両方とも忘れてしまうのです。最後に、私も1つ自画自賛すると、昨日作ったカレーで、合計11回うまくできたことになります。そのときある、適当な材料を使って、入れる材料の量などいい加減なのに、レストランで食べるより美味しい(私達には)カレーができてしまうのです(今のところ確率100%)。
2006年01月23日
コメント(0)
代替療法の本で「ホリスティック(holistic)」という言葉を覚えました。「総合的、全体的視野からの、全身の」というような意味だそうです。私達の研究も、そうでなければなりません。自分の専門のことだけに拘って、他の分野で分かっていることに気づかないような研究者がかなりいるのです。そう言えば、お医者さんだって、自分の専門分野のことだけしか考えないような人が相当いるようです。自分のことを考えてみると、名刺の肩書きには「研究員」とあり、会社にいるほとんどの期間にわたって、「研究」を続け、論文も書いてきました。講演や講義もしました。しかし、自分を専門家だとも、学者だとも、先生だとも思ったことはなく、いつも素人気分だったと言えます。また、自分で自ら実験を続けることができたので、世の中には、人間の分からないことが沢山あるということを身をもって学びました。ですから、私は、「分かりません」と平気で言えるのです。研究とは、分からないことを少しでも分かるようにすることだと思っています。そのために、これまで、私はいろいろな分野の人達の助けを借りてきました。研究者でなくても、私の秘書係の女性とか、我が家の娘達とか、研究と関係のない知り合いなどにも助けてもらっています。今、このようなことを思い出しながら、論文をまとめようとしています。結局は、子供のような心を持ち、初心に帰って、問題解決に立ち向かうことだと思います。いわゆる「専門家」の言うことを鵜呑みにしないで、自分で考えて、判断、行動する癖を付けることです。
2006年01月23日
コメント(0)
今度はテレビです。NHK交響楽団です。生演奏ではありませんが、この間の、生で聴いたオーケストラ(14日)と比べ、いい音に聞こえます。バイオリンの雑音が聞こえないのです。今、92才のフランスの指揮者フルネさんのコンサートを聴いています。指揮生活77年で、今回が引退公演だったのだそうです。これから、ベルリンフィルのヨーロッパコンサートです。これも音がいいです。今度はバイオリン協奏曲らしいです(バルトーク)。バイオリンの音がとてもいいです。
2006年01月22日
コメント(0)
今日は、女房が新しく買ったお鍋を使っています。どうなるか。また、んめえよ!今回もうまくできました!今度は赤カレーでしたが、同じように美味しくなりました。今回のものには、玉ねぎ、人参の他にレンコンのみじん切りがかなり沢山入っていました。女房はお代わりをしていました。使ったお鍋はアメリカ製で、底に液体が入っているのと、蓋がとてもぴちっとできる、のが特徴で、煮立ったら止めておけば火が通るのだそうです。
2006年01月22日
コメント(0)
でも、危なくなると頑張ります。いや、危なくならないと頑張らないのかもしれません。試験の前の一夜漬けと似ていますが。苦しくなってからやっと本気になれないのかもしれません。神様や霊が存在するかどうかは分かりません。自信を持てるかどうかはも分かりません。しかし、次のことは謙虚に受け止めています。いや、はっきりと知っています。 人間にはできないことが沢山ある。 人間には知らないことが沢山ある。 人間はかなり傲慢である。ですから、人間の私が、何かができるとか、何かを知っているとか、言い切ることは、とても難しいのです。だからと言って、 難しい問題に出会っても、できないとは思ったことはありません(できるとも言えませんが)。やってみなければ分からないではありませんか。つづく
2006年01月22日
コメント(0)
去年の初め、確か、「今年は、元気と感謝!」と言ったような気がします。でも、肋骨を折ってから、すっかり忘れてしまったようです。7月の終わりから10月一杯はあまり元気とは言えませんでした。特に、10月は病院へ検査してもらいに行ったら、病人みたいな気持ちになってしまいました。しかし、考えてみたら、今また、私はかなり元気で、やろうと思っていた仕事をやっているのです。また、骨折を機会に、いろいろと考えることもできました。問題解決についての新しい思いつきもありました。去年の良かったことと悪かったこと(マイナス)を全部足し合わせると、プラスになっていると思います。そして、これは、私の友達や家族のおかげでもありますが、それだけではなさそうです。とにかく感謝しています。
2006年01月22日
コメント(2)
今日は、新鮮なクレソンが手に入りました。そこで、今晩は、クレソンとレタスのサラダを作りました。ドレッシングはレモンとオリーブ油、と言うより、まずオリーブ油で和えて、続いてレモン汁を絞り、かけてから混ぜただけです。一緒に、牛肉をさっと炒めたものを食べました。後は、人参とジャガイモをさっとゆでたものでした。食後はネーブルオレンジとお猪口一杯の「五人娘」(千葉の純米酒)でした。今日は、秋田の友達S1さんから、とても寒いけれど、バッケ(フキノトウ)を楽しんでいるというメールをもらいました。そこで、私も、群馬のバッケ味噌があることを思い出して、をご飯と一緒に楽しみました(これ結構美味しいものでした)。
2006年01月21日
コメント(0)
これはアントニオ猪木さんの言葉です。健康で、元気な、前向きな姿勢で問題に立ち向かえれば、大抵の問題は解決できると思います。
2006年01月21日
コメント(0)
どこかの大学の教授が、部下の女性への、仕事の指示のメールにハートマーク(絵文字)をつけたら、セクハラだと言われたそうです。私も、去年の春ごろ、もらうメールに絵文字がついていたものが多くなったので、真似をして返信メールに使おうとはしました。しかし、セクハラだと言われる前に、面倒臭くなってしまって止めてしまいました。でも、もしかしたら、この先生は、元々、上司として、嫌がられていたのかもしれませんね。そう言えば、昔、会社にいた頃、一時、セクハラが問題になって、女性が目の前で転んでも、私には助け起こすだけの勇気がなくて、後悔したをまだ忘れません。
2006年01月21日
コメント(2)
この間るんるんさんに教えていただいた本、 有岡真(編):「代替療法ナビ」、ちくま文庫、(2005)。が手に入りました。私は、友達の癌のことを考えながら読み始めました。参考になることがいろいろ書いてあります。しかし、読みながら、ここに書いてあることは、私が今考えている、病気以外の問題の解決にも役に立ちそうだと思いました。これは、私が、そもそも、この論文を書こうと思った動機とよく似ているのです。つまり、私は理工学関係の研究を長年続けてきて、様々な、対象の異なる研究でも、私が同じような考え方で研究を進めていたことに気づいたからでした。スピリチュアルも!
2006年01月21日
コメント(0)
と思ったら、今日は当たりました。今朝6時半に外を見たら、まだ雪が降っていなかったので、また「はずれ?」と思ったのでした。しかし、7時半に外を見たら雪でした!
2006年01月21日
コメント(2)
これは一般的に認められている考え方ではありません。問題解決の場合、そう考えなければいけないと考えます。確率・統計の理解が問題解決を助けてくれると書きました。問題解決は人間が行うのです。そのとき、解決の確率を考えるのは、その人間なのです。その人が定義するのです。そして、確率というのは、ある現象が起きるとか、あることが真実であると認められる、受け入れられる、考えられる、あるいは信じられる度合いです。ですから、使うべき確率は、その人の確率なのです。他の人の確率ではないのです。自分で自分の確率を定義するというのは、「自分で考えて、判断、行動する」ということにつながると考えます。
2006年01月20日
コメント(0)
今日は所沢のミューズ・アーク・ホールでパイプオルガンのコンサートがあって、行ってきました。時間は45分ぐらいでしたが、演奏者がとても頑張っていて、よかったです。リズムがよくて、気分がよかったです。音もよかったです。芸大卒の、若い3人の演奏者が3人で連弾をしたり、足だけで演奏をしたりもしました。静かな音と低音が最高に聞こえました。私は仕事をしながら音楽を聴くのが好きです。音楽は私が考えるのを助けてくれるようです。今日も聞きながら、確率の意味について、考えが少し進みました。
2006年01月20日
コメント(0)
問題解決にとって大事なことは、問題点の洗い出し、つまり、解決につながる要因をいろいろと考えることです。検討を始める前にも、やりながらも、問題に関係がある、いろいろな要因の可能性を考えることです。この目的で、私には、確率・統計の勉強が役に立っています。つまり、各種確率を定義しようとすることです。そのためには、いろいろな要因を「重複することなく、抜けがないように」見つけなければなりません。ここでは,抜けがない(大事なことが漏れていない)ということが特に大事です。初めは、重複のことは考えなくてもいいです。実際の検討を行いながら、大事な要因だけに絞るようにしていけばいいのです。つづく
2006年01月20日
コメント(0)
これは、日本でエレキギターを始めた寺内タケシさんの言葉です。私がここのところ言ってきた、「まんずやってみれ!」と同じことだと思います。今朝、NHKテレビで、この人が、無料で、長年、学校でコンサートを続けてきた話を聞いて感動しました。大きなバス1台に、バンドのメンバーや道具を全部乗せて、学校へ行き、子供達や父兄の前で演奏するのです。寺内さんは、多くの出会いを通して、子供は思ったほど悪くない、日本は希望が持てると感じたと言っていたと思います。私も同感です。大人の方こそ心配です。私が感心したのは、この人がとても謙虚なことです。長い間ギターをやっているのに、まだ自分の技術に満足していないのです。毎回、まだ入り口が見えないと言っているのです。それに比べて、ある、かなり有名な女性バイオリニストは、朝のNHKのドラマ番組の始めの音楽での自分の演奏について、満足に弾けたと言っていました。(しかし、私は、毎日、そこの部分の音量をいつも小さくしていました。)もう1つ憶えている、寺内さんの言葉は「才能は言い訳」です。成功している人を見て、「あの人は才能があるから」と言うことに対しての発言です。毎日の地道な頑張りの方が大事だということです。
2006年01月20日
コメント(0)
身欠きにしんを女房が買ってきて、昆布巻きを作り、また、にしんそばとしても食べました。久しぶりに、どちらもちょっとない味でした。さすがに相当臭いましたが。夜は、うちの質素なお雑煮でした。大根と里芋のお雑煮です。上に我が家の水栽培のセリを乗せたら、上品な野菜の旨み(セリの香りがよく合った)を味わえた夕食になりました。夕食後の「あつみのカリントウ」とウーロン茶もよかったです。このカリントウは、私の大好きな秋田のお菓子です。棒状ではなく、板状、長方形で、ゴマ入りの、素朴なものです。後を引きます。三之助モロコシも美味しいです。つづく
2006年01月19日
コメント(0)
1つのコインを投げたとき、表の出る確率を求めましょう。コインを見ただけでは、表が出るか、裏が出るか全く分かりません。コインが厚くないので、縁で立つということはまずないと思われます。ですから、可能性は、表が出るか、裏が出るかの2つだけです。さらに、表と裏が両方一緒に出ることは考えられません。また、コインが変な形をしていたり、反ったりしていないので、どちらが多く出そうだということも分かりません。とういことは、表か裏の、どちらかの確率の方が大きいとは言えません。つまり、同じだとしか考えられないのです。そうすると、2つの場合(表と裏)で、起きる可能性の全てですので、両方を足すと1(全ての可能性)になります。そして、両方が等しければ、両方とも1/2(0.5)であるということになります。これは私が求めた確率ですが、私と同じような考え方をする人が求めれば、同じ値になります。これは、分からないことの多い人間の世界では客観性のある値です。この検討で、与えられた課題が、表の出る確率を上げるということだったとしましょう。0.5という確率が得られただけでは何にも分かっていないと言われるかもしれません。しかし、最初、この件についての知識が全くなかった(コインがどういうものか知らない、表も裏も分からない、可能性が表と裏だけだということも知らない等。)とすれば、大変な進歩なのです。確率が0.5というのは、大きな値と言えます。何回か挑戦すれば、半分ぐらいは成功するということです。多くの問題では、成功する確率が非常に小さいのですから。少し実験でき、新しい証拠が得られれば、もっと有利になる可能性があります。以下、何か情報が得られた場合の確率について考えてみましょう。しかし、神様が、今度は表が出るよと教えてくれたとします(嘘をつかないで)。そうすると、話は変わってしまいます。即ち、確率は1になります。このように、確率は、新しく得られた情報(証拠)によって変わってしまいます。神様が教えてくれる場合、この確率は、1か0にしかならないのです。もう1つ、違う場合について考えましょう。今度は、神様は何も教えてくれませんので、初めは、表の確率は0.5です。しかし、1回表が出て、後5回コインを投げたら、5回とも表だったとします。この結果を見ると、確率0.5で表が5回も続けて出る確率は0.5x0.5x0.5x0.5x0.5=約0.03になります。つまり、5回続けて表が出る確率は3%ぐらいしかないのです。そうすると、この新しい証拠により、初めに0.5だと思った確率の値を疑わなければいけません。確率が0.5より大きいのではないのかと考えられます。同じコインでも、このように、新しい情報や証拠により、確率はいろいろ違う値になるのです。ですから、この確率は、コインだけによって決まるものではなく、確率を考える人の知識(分からなさでもいいです)の度合いと考えた方がいいのです。つづく
2006年01月19日
コメント(0)
論文「私の問題解決の考え方」第3章「問題解決と確率・統計」の例として、例:年賀状の出し方というのを考えて、まとめてみましょう。以下の通りです。1月15日の日記<「遅出し」は想定外?>で、今年の年賀状の出し方(来方)について書きました。これについて、確率・統計で考えてみましょう(確率・統計など知らなくても分かると言われると思いますが)。私は、今年、全部で100通の年賀状を出しました(以下の数は、皆、仮にそうなったとします)。12月27日に40通出しました。そして、1月1日以降に60通出しました。これらは「後出し」です。100通のうち60ですから、後出しの割合(確率)は0.6です。ここで、話を簡単にするため、仮に、次のように出した年賀状が次のように着くとしましょう。 12月29日以前に出せば、元日に着く(これを「早出し」と言いましょう)。 12月30日以降に出したものは1月2日以降に着く(これを「遅出し」と言いましょう)。また、「後出し」というのは、年賀状をもらってから出すことです。一方。私がもらった年賀状は、全部で、102通でした。これらのうち、 50通が元日に着きました。 50通が2日以降に着きました。以上の事実(とする)と、私が年賀状をいつ出して、いつもらったという事実から、今年の出し方が分かってくるのです。分からないこともありますが。今まで出てきた、出し方の可能性は、早出し、遅出しと、後出しです。コインの場合は表と裏の2種類、サイコロの目は1から6までの6種類あったので、どれが特に出易いかという情報がない場合の確率は、それぞれの場合、0.5と0.167(1/6)となります。今度の、年賀状の場合も可能性は3つなのでしょうか。私が出した場合、早出しと後出ししかありません。一方、私がもらった年賀状は、早出しと遅出しに分けられます。私が出した場合をもう一度考えてみましょう。そうすると、私の後出しは遅出しでもあるのです。つまり、早出しは、12月29日以前に出したもので、遅出しは12月30日以降に出したものです。そして、私の後出しは、元日以降に出したので、遅出しに含まれてしまう(の一部なの)です。ですから、上の3つの可能性は違う種類の可能性が混ざっています。遅出しと後出しは重複しています。前に、ある現象の確率を考えるとき、重複しないように、抜けがないように可能性を考えなければいけないといいました(MECE:Mutually exclusive and collectively exhaustive). コインの場合も、サイコロの場合もそうなっています。そこで、3つの「可能性」を見直すと、早出しと遅出しで、抜けがなく、重複もないのです。これは、出す時期による分類と言えます。では、後出しの方はどうでしょう。まず、後出しがあるなら、「先出し」があるでしょう。それから、「同時出し」(両方とも相手からもらわないうちに出した)もあるでしょう。この分類は、相手との関係を考えた、出す時期の後先によったものです。では、この分類で各種場合に対する確率を出してみましょう。元日もらった返事を見れば、判定ができます。27日に出した年賀状には、先出しと同時出しが混ざっています。もらった年賀状を見ると、20通は、私が27日に出したものでした(同時出し)。それから、残りの20通の中にも、相手が12月30、31日、元日に、私からの年賀状が着く前に出したものが含まれているかもしれません。ということで、こちらの場合は、先出しが20通以下、同時出しが20通以上で、後出しが60通でした。出した全数が100ですので、それぞれの確率0.2以下、0.2以上(これら2つの場合を足して0.4)と0.6になります。このように、言葉では、同じ「年賀状の出し方の確率」なのですが、可能性をどのように分類するかによって、意味も値もいろいろになってしまうのです。いろいろな要因を考えるとき、大事な要因を抜かしたり、要因を重複させてしまったりすることに注意する必要があります。ここでは、簡単な例(これでも間違える可能性がかなりあります。私の書いたことも鵜呑みにしないで、よく吟味して下さい。)について説明しましたが、実際の問題解決では、もっと複雑になりますので、かなり綿密な検討が必要です。
2006年01月19日
コメント(0)
夕べ、この題のドラマが始まりました。この題の言葉は、アインシュタインが言ったもので、ドラマも相対性理論に関係したことでした。10年前に行方不明になった飛行機が戻ってくるのですが、飛行機に乗っている人達には30分ぐらいしか時間が経っていなかったということが発端で始まるドラマです。このドラマの中で、題の言葉がどのような話になって出てくるのかがよく分かりませんでした。しかし、この言葉で、私は、また、神様のことを考え始めたのでした。全知全能の神様は、サイコロを振って何が出るかが分かるし、自分が振ったら、好きな目が出せるのです。だから、振らなくてもいいのです。でも、ばくち打ちになったら、最強ですね。私には、神様がいるかどうかは、正直なところ、分かりません。いるとしたら、神様は、 人間にはできないことができるし、 人間が知らないことを知っているので、世の中のことはつじつまが合います。しかし、これは、神様がいるという前提によっていることなのです。そもそも、神様はいるのかと聞かれると、私には、分からないとしか言えないのです。私には、神様はいるかもしれないし、いないかもしれないとしか、言えないのです。一方、神様がいると信じる人は、 失敗したときに神様に祈ります。 病気を治したいときも神様に祈ります。 お金を儲けたい人も神様に祈ります。 難しい問題にぶつかったときも神様に祈ります。 分からないことが起きると、神様の意思だと考えます。信じることにより、精神をより安定にできるのでしょう。自分にかかるストレスを減らせるのでしょう。そして、私だって神社にお参りするのです。もしかしたら、効き目があるかもしれないと思って、問題の解決を祈るのです(他の人の問題が多いです)。 確率・統計の観点からも考えてみましょう。全知全能の神様は何が起きるかを全部知っているし、何でもできるのです。だから、神様から見れば、あらゆる現象の確率は0か1です(過去も未来も)。偶然はないのです。サイコロを振らなくてもいいのです。ということは、もし神様がいるなら、その神様は全ての現象の確率を知っているのです。例えば、サイコロを振ったとき、1の目が出るかどうかも知っているのです。ですから、その確率は0か1なのです(正しい値)。しかし、神様がそれを教えてくれるかどうか分かりません。さらに、教えてくれるとしても、嘘をつくかもしれません。神様の知っていることを知らない、私達、一般は、正しい確率の値が分からないのです。客観性を重んじる科学者だって、分からないのです。振ったサイコロが止まるまではです。しかし、その、止まったときに正解が分かるのです。その前に、私達が確率だと思う値は、私達の認識、信念、推測などの度合いでしかないのです。サイコロの性質だけではないのです。では、以下の例で、確率の意味を頭において、いろいろ考えてみてください。1.サイコロの、1つの目が出る確率が1/6というのは何なのでしょうか。2.あまり仲がよくないAさんと仲良くするにはどうしたらいいのでしょうか?3.明日、あなたが、あなたの好きな友人で遠くにいる人と会えるでしょうか?4.偶然は果たしてあるのでしょうか?5.明日、あなたはこれから友達になるような人に会えるでしょうか?6.1年以内にあなたが交通事故に遭う可能性は?7.ある製品の不良率を下げるための対策を立てるには?つづく
2006年01月19日
コメント(0)
これは、哲学者の梅原猛さんが毎週東京新聞夕刊に書いている記事「思うままに」の今週の題です。カッコの中は私が書きました。著者は、まず、ヒットラーや東条首相について書いてから、現代の政治の主役である、ブッシュ大統領や小泉首相のやることに幼児性があると書いています。私は、最近、小学生以下の子供(赤ちゃんも含む)の言動に注意して、聞いたり、見たり、話したりしています。そして、感じるのです。もしかしたら、子供の方が大人よりよく頭を使っているのではないでしょうか。さらに、物事の良悪の判断も大人よりよくできるようにも思えるのです。6年生など見ていると、互いに協力して、一つの問題を解決するようなこともできるのです。最近のニュースを見ていると、日本の大人達の中には、自分が子供だったときのことを全部忘れてしまったのではないかと思わせるような、恥ずかしいことや、悪いことなどを平気でしている人がかなりいます。もっとしゃんとせえ!
2006年01月18日
コメント(0)
今日は、午後、一緒に、近くの銀行(ATMだけになってしまいました)へ行って、通帳の記入をしました(1回1人で行って、うまく行かなかったと言うのです)。いや、しようとしたのですが、できませんでした。たまたま、通帳の最後近くで、記入量が多かったらしく、記入できないという表示が出てしまいました。結局、バスに乗って、成城まで行き、新しい通帳を作ってもらうことになりましたが、母としては、自分のやり方でよかったと、少し自信がついたようでした。私がうれしかったのは、母が自分で行く気になってくれたことです。ATMが分からないと言って、前は、銀行の人に全てやってもらっていたのでした。その後、一旦家に帰って、少し休んでから、今度は、マッサージに行ったはずです。このように、まだ、やる気はあるのです。今日は、母のところに着いて、ひとっきり話してから、お弁当を食べました。一緒に、母がゆでてくれた、冷凍のだだちゃ豆と、女房が作った昆布巻き(にしん入り)も食べました。かなりよく食べていました。その後、私は、この1週間中に来た手紙を見てくれと言われ、心配事の相談にも乗りました。今日は、今までとは違って、私は、必要以上にしゃべらないように努力をしました。そうしたら、1時半には全て片付いてしまいました(先週は2時半)。ということで、冒頭の銀行行きになったのでした。
2006年01月18日
コメント(2)
今日は、東京の母のところへ行きます。体の方は、年の割にはまあまあなのですが、精神的に、もう駄目だと思っているようなのです(または、口では?)。私は相当おしゃべりなので(かつては無口だったのですが)、母の言うことを聞いて、つい、いろいろ意見を言ってしまうのです。こうすべきだとか、もっと前向きになれとか、同年代の人と比べればいい方だとかです。しかし、河合隼雄さんが本で書いていたことを思い出しました。心理カウンセラーは患者(相談者)の話を聞くだけで、意見を言ったり、忠告をしてはいけないのだそうです。本人がその気にならなければ、いくら言っても駄目だということでしょうか。今日は、なるべく、このやり方で行こうと思います。
2006年01月18日
コメント(0)
論文の第3章に、次のようなことを書きたいと思っています。順序はかわるかもしれません。1. 確率の定義の仕方と求め方 1) 要因と、要因のつながりのいろいろな可能性を考える(頭においておく)。 2) 可能性の大小を考える(→検討の優先順位)。 3) 何が、どのくらい分からないかを考える。 4) 実際に試してみて、検討を進めるための考え方を進歩、具体化させていく。 5) あまり重要でない要因は、とりあえず、考えない。 6) 目的の再認識と具体化、やることと段取りの明確化と具体化。 7) 問題解決の確率を高めるべく、解決に着手する。2.確率の意味3. 条件確率と事前確率 1) 確率には条件が付くのが普通。 2) 予備知識が事前確率4. 新しい証拠によって確率が変わる。 1) ベイズの定理 2) 使い方 3) 人間の考え方との共通点 4) 問題解決の確率を出すにはどうするか。5.確率は人間の頭の中にある。 1) 現象だけでは決まらない。 2) いろいろな境界条件や初期条件をどのくらい制御できるか(人間が) が大事である。 3) 心(人間の)の要因も含む。 4) 状況(多くの場合、人間が関与)によっても変わってしまう。 5) 確率を考える人によっても変わってしまう。つづく
2006年01月17日
コメント(0)
とは、いろいろな可能性を考えているときに言う言葉です。私の3才の孫のアーちゃんは、この言い方をよくします。「おばあちゃんは、駅へママを迎えに行ったのかもしれないねえ。」と、一昨日、言ったのです。その前に、女房は、車を裏の駐車場に置いてくると言ったきり、どこかへ行ってしまったのです。これは、それをアーちゃんが心配した結果、言った言葉でした。よくこんなことを思いついたものだと、私は感心してしまいました。この子は、このように、いろいろな可能性を想定し、しばしば、「・・・・・・かもしれない」と言うのです。一方、私は、女房が車でどこかへ行ってしまった直後、アーちゃんが女房を追って外に飛び出してしまったとき、私は、「アーちゃんが自動車に轢かれてしまうかもしれない」と思って、外に飛び出したのでした。一方、女房は、そのとき、急に思いついてガソリンスタンドへガソリンを入れに行って、財布を、「忘れてしまうかもしれない」と思いながら、自動車の屋根の上に乗せたままでガソリンを入れて、「忘れてしまうかもしれない」と思ったのを忘れてしまい、そのまま家に向かってしまったのでした。その結果、財布を落としてしまったのでした。その後、私達はがっくりして、「もう財布は出てこないかもしれない」と言う一方、お金は取られても、「その他のものは戻ってくるかもしれない」という希望を持ったのでした。そして、あのとき、「アーちゃんが轢かれてしまったかもしれない」のに大丈夫でよかったではないかと言って、自分達を慰めたのでした。さらにその後、驚いたことに、「出てこないかもしれない」確率が高かったのに、財布が出てきたのです。以上の場合、皆、確率を考えているのです。もっと難しい問題解決でも、まず、いろいろな可能性を考えることが大事なのです。つづく
2006年01月17日
コメント(0)
全105件 (105件中 1-50件目)

![]()
