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明日からコンタクトを取りはじめて、28日までに仕事を終わらせたいと思う。
2010.04.18
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と言っても昨年の取材の焼き直し。私が取材したお店が20件ほどと、新規のお店が4件ほど。打ち合わせに行くと28日までに写真と原稿が欲しいとのこと。ただでさえ、ペンが遅いのに…。でも、大変有り難いので全部持って帰った。桐箱の制作は日延べとなった。まぁいいか。
2010.04.17
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仕事が少し忙しくなりそうなので、冷蔵庫に寝ていた豚バラ肉を今のうちに調理しておこうと取り出してみると、思ったより大量でまるまる半日かけて調理する羽目になった。圧力釜に入れる前に表面を鉄板で焦げ目をつけ、沸騰した湯をくぐらせて余分な油を抜いた。2回に分けて圧力釜で煮てから室温まで冷まし、上に浮いている油を除いて味付けにはいる。今日はサッパリと味醂と醤油と少しの砂糖で煮込んでみた。昆布で出汁を取って花椒を入れコトコトと煮込んだ。あまり香辛料を入れないでシンプルに仕上げてみた。 さあ、仕事に掛かろう。
2010.04.16
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おし寿司の木枠の蓋(グッと押す側)に当たる部分が異常にスリムで、折角押しつけてもその隙間から寿司飯が、ムニッてはみ出してきた。それを直したいと思い、家の近くにある100円ショップにチーズをカットする小さなまな板を買いに行った。思った通り100円。レジにクエッションマークが三つ並ぶこともなくお買い上げ。そこで何となく木板があるかどうか見に行ったら、『HANDS』になかった桐の板が当たり前のようにあった。厚みによって大きさが違ったが10mmまでは同じサイズで100円。件の海苔の乾燥箱が三箱ほど出来る量を買い込んで、ウキウキと帰ってきた。何か少し風向きが変わったようで、ウキウキしていたら、神戸の編集プロダクションの「S企画』から電話があって、新しい取材の話があった。箱を作るのは少しおあずけだけど、春から少し、縁起がいい。
2010.04.15
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海苔を乾燥した状態で保つための箱が欲しくて、神戸から三宮まで、思いつく場所を歩いてみた。探して、店で説明して、カタログを見て貰ったけど、それらしいモノはないようだ。多分『金田中』が、何処かに発注して作らせたものかも知れない。で、作りたくなった。明日はハンズに出掛けてみよう。
2010.04.14
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日本人は木の下に入って、ハラハラと散るその花びらに哀れを感じるというか、ひと時を咲き誇り、潔く散る姿に美を感じるのですが、西洋人はあまりそんなことは考えないようですね。まったく違う話なんですが、西洋人にとっては虫の音は雑音でしかないとか。風鈴の音も、チリンチリンとうるさい雑音だそうです。で、ふと考えました。違うかも知れませんが反論は勘弁してください。私の私感ですので。日本人は、言葉には『言霊』で潜んでいると思っています。私もそう思っています。しょっちゅう馬鹿言っている割には言葉を大切にしたいと思っています。それで、最近思うのですが、今の若い人たちが発する言葉には『言霊』なんてないのだろうと思うのです。何でもかんでも『超』で始まり『やばい』が結詞で、意味もない『うける』がついてくる。個性も味もない、コメディー映画の中の類人猿発している言葉のように、単語を並べるだけ。 嫌ですね。最近の私も同じようなモノです。意味のないことばかり、やっています。自己嫌悪。
2010.04.13
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いつも仕事でお世話になっている神鉄観光の常務さんから、会社の備品でカメラが出てきたけど処分するにも台帳に載っているので適当に処分もできず、修理するか、下取りに出すか、何とかならないモノかと相談された。カメラはニコンのFGとレンズが三本。ブロニカのETRとレンズが三本。少しくらいのお金にはなると思うけど、レンズはカビ気味でボディのウレタンぽい部分はもうボロボロ。結局は本体が上手く動かないのでジャンク扱いとなり、幾らにもならないという結論に達した。しかも、フィルムカメラを今から欲しがるマニアもいなくて、どうも廃棄処分になるようだ。私としても欲しくはない。私としては手持ちの大判カメラも処分ができず、今でもバックの中でくすぶっている。いいカメラなのに可哀相。でも、経費がかかるカメラはどら息子のようなモノ。 写真は何処に行ってしまうのだろう。
2010.04.12
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姉の旦那が天国に召されて一週間がたった。神戸製鋼所に勤め、剣道、山登り、書道と精力的に動いていた義兄。会社が斜陽となった頃はリビアに派遣。帰国後は出向社員という形でガードマンをしていた。いつの間にか契約社員となって、13年ほど前に胃ガンにかかり胃を一部切除。その後経過が悪く、最終的には全摘。その後、8年前にパーキンソンと診断され、介護無しでは生活できない状態になっていた。半年ほど前から寝たきりとなり、今月4日の早朝にベッドの中で息絶えていました。 体を鍛えることが好きで、何もしない私をよくからかっていました。多分、会社を定年となる60才までは体力と健康には自信があったと思います。 私は今60才。メタボで悩みはありますが、健康に自信があるとも言えませんが、体を鍛えると言うことが何なのか、私には分かりません。以前、サイパンに仕事で2ヶ月に一回出掛けていた頃。一緒にサイパンに出掛けていたデザイナーも、現地のスタッフもその奥さんも、私から見れば何で?と言いたくなるほどストイックに体を酷使して、一日中あくせく働いて、その後、いきなりジムでトレーニングして、確かに三人とも筋肉ムキムキで精悍でしたが、それが何になるのだろうと思ってしまいます。義兄もよく似たところがありました。義兄を送るとき、甥が父親の事を話しました。子供の時から小太りだった甥は義兄からよく叱咤されていたそうです。好きでもない剣道を押しつけられ、やりたくない野球を強制され、かなり苦しんだようです。でも、近所に住んでいた私も、そんな話を聞くのは初めてでした。 胃を摘出してから、好きなものが食べられなくなった義兄。いつか自分で歩き、走り、好きなモノを好きなだけ自由に食べられる時が来ると信じて、逝きました。私の最後はどんなモノになるか分かりません。いつになるかも分かりません。でも、少しメタボでもいいですから取りあえず健康に暮らしたいと思います。健康とは走ることでも、からだを鍛えることでも、マッチョになる事でもないです。好きなモノが普通に食べられ、自由に動け、仕事ができればいいです。それと、偉そうなことは言えませんが、健全な精神を持ち続けたいと思います。 あまり接点がありませんでしたが、義兄に言葉を送ります。私はのんびり行きましょう。安らかに。合掌。
2010.04.11
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水上勉の小説『櫻守』のモデルといわれる笹部新太郎が晩年を過ごした私邸が神戸市東灘区岡本にあって、現在、笹部邸は南隣地を含めて神戸市の都市公園「櫻守公園」になっていて、笹部ザクラを観ることが出来る。 先週、私が廃線を歩いていた頃が見頃だったと、後に教えられたけど、一週間後に出掛けてみると、さすがに一週間は長すぎて、櫻は見頃を過ぎていました。一年に一度のこと。取りあえず写真を撮って帰る道すがら、例年のごとく猪くんの家族に出会いました。気持ちよさ気にお昼寝でした。
2010.04.10
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また、テクテクとコーナンまで出掛け、店員と交渉をする。「あの板を買ったのですが、寸法が違っていて、取り替えていただけ熨すか?」レシートと現品を差し出すと「一端取り消して、新たに購入した形になります」と親切に逝ってくれるのだが、面倒くさそう。新しい板を揃えて貰って、いきなりメジャーを出して計り出すと店員は怪訝な顔をしていた。案の定。60cmと表示されている板の幅が64mmあった。「これだとまた寸法が合わない」というと、店員は謝ってくれるのだが、残念なことに加工済みの木板は全て少しずつ寸法が違っていて、仕方なく寸分の狂いも許さない「ダイハツ」の作っているパネルを買うことにした。これはしっかり60cmだった。そのパネルを担いでかえって棚に差し込むと、なんと左右に2mmの隙間があった。何かすっきりしない一日になってしまった。家に電鋸はあるけれど2mmは切れない。かんなもそれほど上手くない。淋しいなぁ。
2010.04.09
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最近、スタジオを使う仕事がほとんどないもので、スタジオ内は何処ぞの街のパラダイスのように、寄せ屋の店内のような状態になっていた。そこでホームセンターに出掛け木板を買ってきて棚を吊ろうと思い、テクテクと歩いて出掛けていった。4枚ほどの板を買って帰り、工具を出して加工にかかる。穴を空け、ボルトを埋め、取り付けようとすると8mm程寸法が長い。もう一度板の寸法を観ると幅60cmになっていて間違いはないのに、棚の中に入らない。なんか騙された気分。板の寸法を実際に計ってみると板の寸法が表示されていた寸法より大きかった。何のための表示なのか…。また明日、取り替えに行ってこよう。
2010.04.08
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巨人の木村拓也コーチが亡くなりました。私は野球音痴なので詳しいことは分かりませんが、日本のプロ野球史に残る選手だとか。一昨日に逝った義兄は、生きた証として家族を残し、多くの思い出を残すことが出来たでしょうが、私は何か生きた証を残したいといつももがいています。それがなにかさえ分からないまま日々過ごしていますが、その答えを見つけるのが私に残された課題かも知れませんね。
2010.04.07
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今日、義兄を送ってきました。72才でした。あまり交流がなかったのですが、14年ほど前に胃ガンで胃を摘出し、8年ほど前からパーキンソン病でした。姉も辛かったと思います。喪主の姉に替わって最後の挨拶をした甥は、気丈に長い挨拶をして、式が終わりました。 私が父を送ったのは30才の時。その年の春に母が他界し、初盆に、後を追うように父が行きました。私は喪主として、参列者に挨拶をしなくてはならなかったのですが、何を考えていたのか、何も話すことなく式を終わってしまいました。私としては、父と私や、家族との関係を他人様の前で語る気がしなかったという建前で誤魔化しましたが、本音は何を語ればいいのか分からなかったのかも知れません。多分、葬儀に来られた方達は、驚いたことと思います。 そんな私ももう60才。父との関係を自分なりに消化出来たかというと、未だ未消化の部分があります。でも、30年前に、何も言えなかった父に、ひと言言いたいと思います。そして、式に参列していただいた方々にも聞いて貰いたいと考えています。そんなことを望んでも遅いのですが…。 贈る言葉 父にこの詩を送ります。 道程 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため 少し解釈は違うかも知れませんが、父は私の先達だったのでしょう。私も誰かの先達になりたいと思います。義兄の冥福を祈ります。 合掌。
2010.04.06
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6時から通夜が始まりました。長い間、床についたままの義兄でしたから、通夜に来ていただいた方々も少なくて少し寂しいお別れでした。
2010.04.05
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6時から仮通夜です。
2010.04.04
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内容は後で書くとして、まず画像を上げておきます。
2010.04.03
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私が初めてパリに長逗留した時。5区のサン・ミッシェル河岸にあった安宿「ホテル・スエーデ」の目の前にセーヌが流れ、シテ島にあるパリ警視庁が目の前にありました。気分のいい日はシテ島に渡り、下流の突端のアンリ4世(ブルボン王朝の創始者)像が建っているポン・ヌフの下にあるデュ・ヴェール・ギャラン広場によく出掛けました。女好きのプレイボーイだったと伝えられるアンリ4世にちなみ「女たらし広場」と呼ばれている広場は、セーヌが増水したら、間違いなく水没しそうな公園で、暖かい時期には昼間から恋人達が並んで座っているような公園。夜ともなればまるで京都の鴨川の河原沿いのようにいちゃつく恋人達で満員御礼。とてもひとりのおっさんがフラリと訪れて許されるような雰囲気ではないようでした。 そんな公園で日向ぼっこしていると、どこかの歌手志望がインディーズのプロモ用のビデオ撮影かなんかで、口ぱくで撮影やってたりしていて、時間つぶしに出掛けるにはなかなか有効でした。満員で、座る場所がないような時は、ポン・ヌフを越えた反対側にある小さなドフィーヌ広場で、これまたのんびりと過ごすのが楽しい日課になっていました。 春のある日。ふとパリと同じ風を感じた時。目をつぶるとこりドフィーヌ広場に心が飛んでいきます。今日は、そんな日です。
2010.04.02
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少しずつ温かくなる。でも雨ばかり。今日は以前仕事をしたMOOK誌の地図に間違いがあって、それを確認しに垂水区の五色塚まで出掛けてきました。一様、カメラを持って出たものの天気が悪くて確認用の写真だけ撮っただけでした。せっかく出掛けたのに残念。天気が良ければ五色塚古墳もなかなかいい感じなのに
2010.04.01
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