全6件 (6件中 1-6件目)
1
早いもので2011年ももうすぐ終わろうとしている。結局この12月は、今回を含めてたった6回の更新に終わった。特に気に留めてはいないが、このところ更新頻度が極端に落ちてきているのは確かだ。さて、この年を振り返ったとき、誰もが絶対に避けて通ることの出来ない、「3・11」。あの日以来、生活が、人生が一変した人も、かなりの数に上るだろう。そしてメディアの向こうでそのことを見聞きする私たちの心境にも、少なからず影を落としている。あれからいろんなことを考えた。自分たちはこの未曾有の災害にどう向き合えばいいのか。被災地に行って何かの手助けをする時間的余裕の無い私にとっては、せめて義援金と言う形の「金銭的」行動しか出来なかった。震災発生直後の自分のブログを読み返してみると、自分がすべきことは「日常を全うすること」であると書いてあった。世間では経済活動を止めないためにも、「普段と変わらぬ日常を“送りましょう”」ということが盛んに言われていたが、私のはそれよりも一歩突っ込んだニュアンスの“全う”なのだ。どこが違うのかと言うと、「被災地の方々に対して恥ずかしくない生き方」とでもいうべきことだ。義援金くらいのことしか出来ない私のような者でも、被災地の方々の懸命な生き方に倣って自らを律していく、その上でこの国の行く末のことについて懸命に頭を働かす、それがすべての国民に(半強制的でなく)伝播すれば、この国もあるいは変わっていけるんじゃないか、と思わないでもない。今年一年、それが私に出来たかどうか、それは定かではないが、少なくとも来年以降も同じような心持ちで、「日常を全うしたい」と考えている。来年はいろんな意味で実りある年にならんことを祈りつつ、今年のブログを締めたいと思います。今年一年、この駄文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
2011年12月31日
コメント(2)
TBSのドラマ『南極大陸』を観ているとムスメが、「オトウサンでもこういうの観るんだ!?」と言ってきた。そこで私が「だってキムタク好きだもん」と返すと、ムスメは何とも言えない不可解な表情になってしまった(笑)。男がキムタク好きだというのは、どうも想定外のことらしい。実際私自身、周りの男性でキムタクが好きという人は、まず見たことがない。どちらかというと「アンチ」の方が多いかもしれない。しかし私は、彼がいわれの無い過小評価を受けているんじゃないか、と思っている。もっとも私は、彼の演技や歌が達者だ、と思っているわけではない。彼のスター性、ただそれ一点のみで評価している。しかしそれでは、「スター」って何だ、というところにまで議論が及ぶかもしれない。実際、世間での定義はどうなんだろう?私個人的には、「スター」というのは、その人を中心に企画がまとまり得る、そんな存在ではないかと思っている。例えば演技の達者な俳優なら、あらゆる作品でその存在感を発揮するが、所詮は何らかの役になり切らなければならない。しかし「スター」というのは、その人の個性が役柄のキャラクターになってしまう強さがある。必ずしも演技や歌が達者な人がスター足りえるのではない。ある意味、「オーラ」そのものなのだ。そういう意味では、キムタク以外の男性で、現在「スター」と呼べる人が果たして居るだろうか?確かに彼は、歌も芝居も素晴らしいとは言い難いレベルかもしれない。しかし考えてもみて欲しい。ひとつのドラマや映画において、いわゆる“芸達者”な人ばかりが出演していれば、それはそれで良い作品になるかもしれないが、何となく窮屈な感じがしないだろうか?日本の芸能史において男性のスターといえば、石原裕次郎を筆頭に何人も居るが、ここしばらくはそれらしき人が出てない様な気がするのは、私だけではないだろう。そういう意味でも私は、“スター”キムタクに期待したいと思う。最後にあえて『南極大陸』について言わせていただければ、あれはキムタクの魅力以上に、樺太犬たちの名演技(?)があってこそだと思う。
2011年12月29日
コメント(2)
ウチの店では、宅配便は「ゆ●パック」と「S急便」を使わせてもらっているが、先日「ゆ●パック」絡みでちょっとしたトラブルがあった。ある男性のお客様から誕生日プレゼントとして、シャンパンを贈るよう依頼された。贈り先は遠方だったので、住所と名前(女性)を伺って、「ゆ●パック」で発送した。その後依頼主から先日電話があったが、えらくご立腹だ。その方がおっしゃるには、自分の自宅に「ゆ●パック」から、「ご依頼の荷物を無事お届けしました」というハガキが届いたとのこと。ただその贈り物というのがちょっとワケありで、家族には内緒だったのだ。しかし「ゆ●パック」から届いたハガキを受け取ったのは彼の奥方で、当然ながらそこでひと悶着あったらしい。どうしてこんなもの送ったのだ、ということで、怒りの矛先がウチの店に向けられたのだ。しかし正直言って、私はそのシステムについてはまったく知らなかった。取扱店である以上、弁解の余地はまったくないのだが、ウチは元々「ペ●カン便」の取扱店だったところ、「ゆ●パック」との統合によって、図らずもそうなってしまったという経緯があった。そしてその統合の際にも、「無事お届けしました」ハガキのシステムがある、ということは特に聞いてなかったのだ(言い訳になってしまうかもしれないが)。ちなみにそのハガキは、宅配伝票とセットになっていて、宅配伝票に記入すると、そのままカーボンでハガキに写ると言う仕組みになっている。そしてよく見ると、「お届け通知」の「必要・不要」を選択できるようになっている。しかし今までそのことすら気付いてなかった。クレームというわけでもないが、釈然としない気持ちを抱えつつ、日本郵便に電話を入れ、もしこの「お届け通知」の設定をしていない場合はどうなるのか、と聞いてみた。すると答えは単純明快で、「どちらにも丸印が付いてなければ、原則として送ることにしています」とのこと。しかしねえ、今回のようなトラブルに発展する可能性だってあるわけだから、ここのところはご一考して頂いてもいいんじゃないのかねえ、日本郵便さん。
2011年12月22日
コメント(2)
先日ラジオを聴いていたら、「年賀状をメールで送るのは是か非か?」というテーマでトーク番組をやっていた。それを聴いた私は少なからず驚いた。というのも、年賀状代わりにメールで済ますのは、せいぜい二十歳くらいまでの若者だと思っていたからだ。ただ話を聞く限りでは、そこそこのキャリアの社会人でも、仕事上の年賀をメールで済ますことがあるようなのだ。もっともこの場合、年齢的なギャップはさて置いて考えなくてはいけない。単に失礼か、失礼でないか、ということで言うならば、これは受け手側の感覚も絡んでくるから、一概にその良し悪しは言えない。ただ私が送り手の立場でどう思うか、ということなら、明らかに「NO」だ。年賀状に限ったことではなく、電子メール全般に言えることだが、これはあくまでも「手紙を簡素化したもの」という感覚で、私は捉えている。そういう観点で言うならば、電子メールに形式張ったフォームや挨拶文など必要ない、とも思っている。用件と連絡先だけ簡単に記せば、それでOK、あくまでも物事をスピーディーに伝達するツールに過ぎない。だからそういうものに年賀状の替わりが務まるとは、到底思えないのである。ただそれが市民権を得てきているとすると、それは私の電子メールに対する感覚が世間とかけ離れているということなのかもしれない。もっともそれ以前の問題として、年賀状というものが今のこの時代、はたして必要なのだろうか、という疑問にも突き当たる。滅多に会うこともないような遠方に住んでいる知人はともかくとしても、毎日のように顔を合わせる人には、はっきり言って不必要だ。店のお客さんも基本的に近隣の方ばかりだから、今まで何度も「年賀状出しません宣言」をしようと思ったが、やっぱり向こうからもいただくと、こちらから一方的に切るということも出来ず、ズルズルと今に至っているのだ。ところで年賀状というものはいつ頃から始まったのか。実はその番組の中でも触れられていたのだが、元々は戦後、お互いの安否を確認する手段として始まったのがキッカケだそうだ。何だかちょっと意外に思ったのと同時に、そういうコンセプトで始まったものなら余計に、普段顔をあわせる人との間にはやはり不用だ、とも改めて感じた。
2011年12月18日
コメント(0)
私はドラムを演奏するが、そういうことを他人に言うと、必ずと言っていいほど、「よくあんなに4本の手足がバラバラに動かせますね~」と言われる。ただ断っておくと、4本の手足はあくまでもひとつのリズムの中で、有機的に結びついているものだ。4本の手足を何の連携もなしにバラバラに動かすなんてことは、たとえプロのドラマーでも難しいと思う。もっともそんな私から見ると、2本の手を本当にバラバラに動かすピアノや、右左の手元を同時に見ることのできないギターなど、そういった楽器が出来ることの方が尊敬に値する。あと、兆大な歌詞を覚えていないといけないヴォーカリストも然り、だ。もちろんギターやベースを弾きながら歌を歌うというのも、私にとっては「神業」だ。
2011年12月11日
コメント(2)
先月、指定校推薦で関東の某私立大学を受験した長男、その合格通知が今日届いた。指定校推薦だから、よほどのことがない限り落ちることの無いのは分かっているのだが、やっぱり実際に通知をこの眼で見るまでは、何となく落ち着かなかった。しかしこれでもう一安心だ。以前のブログにも書いたが、私個人的には指定校推薦で入ってほしくはなかった。ただ肝心なのはこれからであって、指定校推薦はあくまでも入るための手段のひとつと割り切ることにした。「如何に入るか」よりも、「(大学の中で)如何に育つか」だ。そしてその意識を、当の本人がどの程度自覚するか、だ。在学中に20歳を超えて大人になる身に対し、親としてある程度言うべきことは言いつつも、最終的には彼の自主性に期待しようと思っている。妻は何かと不安が先に立つみたいだが、彼女にとってもこれは絶好の「子離れ」の機会であらねばなるまい。さあ、これからが楽しみだ。
2011年12月03日
コメント(6)
全6件 (6件中 1-6件目)
1