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『謹賀新年』 ”一年の計は元旦にあり” いつも今年こそはと 初詣、初日の出、書初め、初夢 心新たにやってみようと ”明けましておめでとうございます” 挨拶は腰を低く、こうべを垂れて 物事の順序をわきまえて 消去法で残すことなく 悔いの無い一年を重ねていこう 師走に見た一年の中果を 三歩進んで二歩下がる心掛け 稲穂のごとく感謝の姿で ”一年の計は元旦にあり”で、まず挨拶は”明けましておめでとうございます”から始めます。いつも今年こそはと思うことはたくさんあったと思う。心を新たにして、初詣、初日の出、初夢と書初めは 連獅子の 赤く染めにし 髪ふりて 衆生導く 愛のたしかさ これは高橋信次・佳子先生父娘を連獅子に喩えた実践法の教えを歌にしたもので、昨年12月30日の一人の弟子のご主人の逝去に際し、贈った歌 うぐいすの 一羽残りし 淋しさを 春に向かいて 芽吹き待つ身に と、梅に鶯の自然の情景にさぞ淋しいことでしょうと歌って、奥には、うぐいすを法華経【仏教四大経典の集大成、鳴き声が”ほう、ほけきょ”】として、その求道は春・悟り、菩薩に向けて、芽吹き・果報を待つ二人が一人になった淋しさを表したときに、同時に連獅子が浮かんできたものです。世の中には大晦日に告別式の人もいれば、元旦に生まれた人もいる。せめて挨拶は腰を低くして深々と頭を下げて、遣り残しの無いような心がけが必要だと感じ”稲穂のごとく”感謝の心を持っていたいと思う。GLAの新年には菩薩への道を歩むためのカードをもらって、それがその年のテーマになるもので去年は”稲穂でした。 一切の出会いに 感謝できる心を育みます 実るほど頭を垂れる 黄金の『稲穂』のごとく 2010年1月1日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, December 31, 2009 9:24 AM Subject: 31日の日記
2009年12月31日
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『命は時』 基礎は土台 何事もその上に積み上げれば 崩壊することは無い 正しい信念や生活基盤が 確かな自信と裏付けとなる その上で”命は時間”と言う ”この命、人のためにささげよう”と言う 突然の生死の境に決まったと言う 菩提心が言わせたのだろう ぎりぎりのところに立つと正定になる 命の尊厳は尊い どんなことを行う人にも必ず基礎があって、その土台の上で自分の発想を元に積み上げて、何かをしている。世に影響を与えることのできる人には必ずそれがある。科学や音楽、陶芸、文芸、絵画、スポーツ、全部に言えることだと思う。基礎は歴史に裏付けがあって、長い実績の上に積み上げられたもので、新しいものの土台になっている。そこから正しい信念が生まれ、その上での生活基盤が確かな自信になる。日野原さんは98歳だがまだまだ現役の医師で、聖路加病院でその歩みを続けている。よど号のハイジャックのときに乗客として乗っていたそうで、もうだめかも知れないと思ったときに、”この命、人のためにささげよう”と思ったそうで、今もその命を時として人のためにささげている。彼は世の子供たちに”命は時間”だと教えている。この三次元の世では”生老病死”は命を与えられて死ぬまでの時間と言うことができる。実際、母の受胎に魂が宿って、生まれてから死ぬまで体と心が一体になって人生を歩むのが人間で、薬師寺の長老は”涅槃は単に死ぬことで、そこに大菩提心があるかが問題”だと言っている。それを積み上げに生まれてきたと言われているが、道は果てしなく遠いように思う。その命・時間をどう使うかによってその人の人生が決まる。 2009年12月31日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, December 30, 2009 9:24 AM Subject: 30日の日記
2009年12月30日
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『並列』 直列は一つ狂えば全部狂う 並列は一つ狂っても全部は狂わない 危険度は少ないがまとまらない ”山はどこから上っても頂点は一つ” 頂点に至れば一つになっている それまでは思い通りにならないことばかり 忍辱の必然を思う あるときは切り捨て、あるときは取り入れる 頂上を目指す道は険しい 日差しに感謝し、明るくありたい ねじれたものを解きながら元気良く 息が切れても上る 電気の接続には直列と並列とがあって、直列の場合には接続が悪ければ電流は全部流れなくなるが、並列の場合は一つ接続が悪くてもそれ以外のところの電流は流れる。相互の並列に関連性が無いように見える。思想的なもので言えば、危険度は少ないが横のまとまりが一見無いようで、宗教的に言えば、”山はどこから上っても頂点は一つ”と言い、頂点に至れば一つになっていて、そこにいたるまでの道のりは思い通りに上れなくて先の見えないもので、体力の限界を尽くして耐え忍ぶしか極みを得ることができない。あるときは避け、あるときは乗り越えて、日差しに感謝しながら六根清浄・どっこいしょといって上る。ねじれたものをほどきながら元気良く、息が切れても上る。宗教で言えば真理は一つでも、絶対神を持つものと相対的な極みを求めるものとがあるが、自分の人生を行くのはあくまでも自分で他に主役はいない。神仏は宇宙とともに自分の中にあるというのが信仰だと思う。 果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2009年12月30日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, December 29, 2009 9:26 AM Subject: 29日の日記
2009年12月29日
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『観て浄化』 修正版 『六道』 忍土には現実に見えるものだけでなく 邪推に依る架空のものもあって 噂に翻弄されることもある 実態は小さなものであっても 黒い煙や霧は大きく広がり 視野も広くしておかないと 崖から落ちることもある 六道輪廻とはそういうもので ”葦の髄から天井を覗く”ことで 見識を狭くしているところも かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 人生には大きく立ちはだかる試練は何度かあるもので、それさえも実態はそんなに大きくないはずのものでも邪推による架空の部分も、黒い霧や煙のように大きく広がって、噂に翻弄されることがあって、原因を思えば目標が高すぎたり人間関係がねじれていたり、逆境や病気だったりする場合もあるとその”呼びかけ”を聴くようにと高橋先生は言っている。視野を広くしておかないと崖から落ちてしまうこともあり、いくら火の中、茨の中を転がって修行しても崖から転がり落ちることもあって、それの繰り返しが”六道輪廻・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天”とよく言われている。見識の甘さを、”葦の髄から天井を覗く”というように、”物事を善し悪し・葦芦で見る”見識の狭さは繰り返されると言う。それぞれの立場で言うことはみんな正しいもので、一点からでしか見えないと間違った判断をしてしまうのが人間のカルマ・業でその結果出てくるいつものつぶやき【あいつのせいだ・かわいそうな自分・どうしようもなかった】を高橋先生は『人のせい三兄弟・他への責任転嫁』と言っている。 それは執着【先の果報を求める心】からくるもので般若心経『空のこころ』として、奈良薬師寺の唯識ではやさしく次のように言っている。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2009年12月29日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, December 28, 2009 9:27 AM Subject: 28日の日記
2009年12月28日
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『六道』 忍土には現実に見えるものだけでなく 邪推の依る架空のものもあって 噂に翻弄されることもある 実態は小さなものであっても 黒い煙や霧は大きく広がり 視野も広くしておかないと 崖から落ちることもある 六道輪廻とはそういうもので ”葦の髄から天井を覗く”ことで 見識を狭くしているところも かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 人生には大きく立ちはだかる試練は何度かあるもので、それさえも実態はそんなに大きくないはずのものでも邪推による架空の部分も、黒い霧や煙のように大きく広がって、噂に翻弄されることがあって、原因を思えば目標が高すぎたり人間関係がねじれていたり、逆境や病気だったりする場合もあるとその”呼びかけ”を聴くようにと高橋先生は言っている。視野を広くしておかないと崖から落ちてしまうこともあり、いくら火の中、茨の中を転がって修行しても崖から転がり落ちることもあって、それの繰り返しが”六道輪廻”とよく言われている。見識の甘さを、”葦の髄から天井を覗く”というように、”物事を善し悪し・葦芦で見る”見識の狭さは繰り返されると言う。それぞれの立場で言うことはみんな正しいもので、一点から出しか見えないと間違った判断をしてしまうのが人間のカルマ・業でその結果出てくるいつものつぶやき【あいつのせいだ・かわいそうな自分・どうしようもなかった】を高橋先生は『人のせい三兄弟』と言っている。 それは執着【先の果報を求める心】からくるもので般若心経『空のこころ』として、奈良薬師寺の唯識ではやさしく次のように言っている。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2009年12月29日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, December 28, 2009 9:27 AM Subject: 28日の日記
2009年12月28日
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『平穏』 ありのままに生きる おろかな自分が如何に張り巡らしても どこかつじつまが合わなくなる 人は善意に考えているもので 意にそぐわないこと以外は 良く解釈してくれる 自分に悪意さえなければ この世のことはこの世で収まる 楽しい顔嬉しい顔は人を癒し ほっとする温もりは喜ばれる 明るさは足元を照らしてくれる いつも平凡でいたいものだ 心がゆれることも無く、全体を揺るがすような事件も無く、平穏であることが望まれるが、想像しただけでも揺れ動いてしまうのが自分の心で、そうならないようにといくら張り巡らしてもどこかつじつまが合わなくなるのが愚かさだと気が付くことは多い。ありのままで行くしかないと思う自分と悪い立場に成らないようにしたい自分がいて余計な動きをして失敗することもあるが、人は善意で観ているもので、個人的に意にそぐわないこと意外は良く解釈してくれる。そこに悪意さえなければ、この世のことはこの世で納まっていくものだという自分の体験がある。楽しい顔や嬉しい顔は場を明るくするもので、ほっとする温もりのある人は歓迎される。どんな暗い過去があっても、それを明るい方向に抜けてきた人は、そこで得た体験が知恵になって、明るさが自分の足元を照らしてくれたことを知っているのだろう。目立とうとせず月のようにさりげなく場を柔らかく照らして、いつも平凡な自分でいたいと思う。 2009年12月28日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, December 27, 2009 9:25 AM Subject: 27日の日記
2009年12月27日
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『童心』 人は自分に無いものに好奇心を持つ 異性や美しさや強さや優しさも 好奇心や興味は執着となり 得るまでは頭から離れない 獲得しても変化があるたびに それを求めて切磋琢磨する 恋や愛も執着を強くし 改善浄化はきりが無い だから人は向上し区別が分かる 不惑は良いが感動は薄くなる わくわくしているほうが楽しい 時には童心に帰るのも良い 自分に無いものを求めるのが人間で、好奇心は目を輝かせてそれを求めて止まない心になって執着が生まれていく。ある意味では執着が無ければ進歩向上は無いと思う。異性や美しいもの、強いもの、優しいもの、知性に溢れたものに憧れを持ち、好奇のまなざしを向け、興味に取り付かれてゆき、得るまでは頭から離れない。獲得しても変化があるたびに取り付かれて、そこから自分を磨くようになる。恋や愛は執着を強くして自己改善浄化にいとまは無い。それで人間は向上しものの区別が分かるようになる。ある域に達すると不惑の状態になるがものに感動しなくなって、可愛くない大人になってしまう。半眼は視界を狭めて余計な動揺をなくすためだと思うがのりが悪く、目を輝かせてわくわくしているほうが楽しいと思う。時には童心に帰ることは新鮮味があって良いと思う。 2009年12月27日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, December 26, 2009 9:29 AM Subject: 26日の日記
2009年12月26日
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能力は知性や理性だけでなく決まったことを遂行することも嘘をつかないことも約束を守ることも順番は初歩的なところから守る文明は使う人の心如何で凶器になる子供の良心でもわかることから大人びた難しいことを振り回す人は簡単な常識をおろそかにするそれは無能と言われるに等しい人も機械もシンプルイズベストするかしないか、優しくするか難しくするかそこにセンスが問われる自分はよく本を読んでいないといわれるが、確かに著名な文学書より、歴史に触れる時代もんを読んできたと思う。死の恐れから仏教書や悟りに関する本を読み始め、書く文章は初歩的で、小学生でもわかるように書いてきたが文学的に価値のある表現は知らないほうだと思う。自分のセンスだと思ってきたが、人の能力は知性や理性だけでなく、決まったことを遂行すること、嘘をつかないこと、約束を守ること、そして物事の順番は初歩的なところから間違わないようにするように心がけてきた。文明も使う人の心如何で凶器になるし、子供の良心でさえわかることから、大人びた難しいことを振り回さず、の心構えできたように思う。簡単な常識や原始的なことを疎かにすることは無能だといわれても仕方が無いと思う。人も機械もシンプルが一番出し、するかしないか、やさしくするか難しくするかでその人のセンスが問われると思う。自分が責任を取りたくなくて誰かのせいにして逃れるために難しい理論を並べることのむなしさは本人が正直になれば、単に、人のせいにして自分だけ逃げたことに気がつくと思う。 2009年12月26日 琢
2009年12月26日
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『センス』 能力は知性や理性だけでなく 決まったことを遂行することも 嘘をつかないことも約束を守ることも 順番は初歩的なところから守る 文明は使う人の心如何で凶器になる 子供の良心でもわかることから 大人びた難しいことを振り回す人は 簡単な常識をおろそかにする それは無能と言われるに等しい 人も機械もシンプルイズベスト するかしないか、優しくするか難しくするか そこにセンスが問われる 自分はよく本を読んでいないといわれるが、確かに著名な文学書より、歴史に触れる時代もんを読んできたと思う。死の恐れから仏教書や悟りに関する本を読み始め、書く文章は初歩的で、小学生でもわかるように書いてきたが文学的に価値のある表現は知らないほうだと思う。自分のセンスだと思ってきたが、人の能力は知性や理性だけでなく、決まったことを遂行すること、嘘をつかないこと、約束を守ること、そして物事の順番は初歩的なところから間違わないようにするように心がけてきた。文明も使う人の心如何で凶器になるし、子供の良心でさえわかることから、大人びた難しいことを振り回さず、の心構えできたように思う。簡単な常識や原始的なことを疎かにすることは無能だといわれても仕方が無いと思う。人も機械もシンプルが一番出し、するかしないか、やさしくするか難しくするかでその人のセンスが問われると思う。自分が責任を取りたくなくて誰かのせいにして逃れるために難しい理論を並べることのむなしさは本人が正直になれば、単に、人のせいにして自分だけ逃げたことに気がつくと思う。 2009年12月26日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, December 25, 2009 9:27 AM Subject: 25日の日記
2009年12月25日
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『生きること』 山茶花は椿のように 寒風に咲き誇り 母の涅槃にも微笑んでくれた 全うする大切さを学び 荒れた心を鎮めてくれた 卒業免証がもらえるまで 生き抜くことの尊厳を それぞれが正しかったと思う 知らぬところでかけた迷惑さえも 受け止めてくれる人の優しさに ”この世で起きたことはこの世で収まる” 正しさを受けてくれた感謝とともに 末っ子の自分を可愛がってくれたという母の死のときに、考え始めていた疑問は、なぜ自分が行くまで待てなかったかということだったが、次には成仏してくれたのかに変わっていた。 山茶花に 送られし母 清しくて まっとうの道 誇らしく咲き 山茶花は椿のように寒風に咲き誇り、母の涅槃を微笑みで送ってくれ、全うすることの大切さを教えてくれた。父の死後自分のそばにいてくれたときの、次第に年老いていき動けなくなって介護の世話をして始めて湧いてきた疑問が解けず荒れた心を鎮めてくれた。卒業免状がもらえるまで生き抜くことを教えてくれ、それぞれが正しかったと今思わせてくれている。知らぬところでかけた迷惑をも受け止めてくれる人の優しさに感謝とともに学んできた結論は ”この世で起きたことはこの世で収まる” だった。 2009年12月25日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, December 24, 2009 9:25 AM Subject: 24日の日記
2009年12月24日
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『想像』 病院の検査は最悪のことを視野に 死の恐れは無くても面倒で 歳をとれば当たり前のことでも あの退屈さと外界との隔たりはいやになる 日常生活と違うときが億劫で 介護されている老人を思えば まだまだましかもしれない 人の苦しみがわかるときかもしれない 四苦八苦は体験しなければわからない 断末魔にも人を案じ 安らかなときを迎える人を想えば 乗り間違いをしないようにと思う 何か変な数値が出ると病院はすぐ検査という、あらゆる角度から見て診断したいからで、こちらは高い費用がかかるし、結果を聞くまで最悪を想像するもので、その覚悟で臨むことになる。死の恐怖は消えた今も、入院手術の面倒くささを思ってします。生老病死を当たり前と思っていても、日常生活とは隔絶されたところにいることが億劫で、介護されている老人を思えばまだまだましだとは思うが、人の苦しみをわかるチャンスかもしれない。四苦八苦はそのすべてを体験しなければ、”人の苦しみわが苦しみ、人の喜び我が喜び”とまで行かない。断末魔にも人を案じ、安らかなときを迎える人を想えば、乗り間違いをしないようにと思う。仏教では断末魔のあと少しの小康状態に執着を持っていると、行きたいところの切符の買い忘れや乗り間違いをしないようにと、人を乗り物にたとえている。小乗仏教、大乗仏教もそれで、この世に生まれると肉体舟に魂が乗っているのが人で、涅槃・死ぬときは、それぞれ、肉体は土や水として大地に帰り、魂はあの世に帰るとされている。とにかくいろいろと検査結果までに考えることは多いものだ。 2009年12月24日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, December 23, 2009 9:35 AM Subject: 23日の日記
2009年12月23日
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人が何をいおうとわが道を行く怒らず、怨まず、憎まずに貪らず、愚痴もこぼさずに自分も人も仮我なら真の自分を求めてその都度人も自分も変化する死ぬまで確定しないそれほどのものが人生でただ生きることにも意味があるそれは横軸を保つため魂願がわからなくても気付きはある良心の趣くままにこの情報が激しく飛び交う中では自分をしっかり持っていなければ外に左右されて自分本来の歩みが出来にくくなる。人が何を言おうと、怒らず、怨まず、憎まずに貪ることなく愚痴もこぼさないようにしてわが道を行くしかない。人も自分も仏教では仮我・けがと言う。真の自分を求めて、その都度人も自分も変化する。死ぬまで確定することはなく、大果【自分が求める最後】は人が評価するもので自分が自分の人生を採点できない。どんな歩みであろうとそれほどのものが人生で、ただ生きることにも意味がある。それは横軸の子孫につなげる宿命を保つこと、魂願【生まれる前から持ってきたと言う魂の願い】が観えてこなくても気付きはある。良心は菩提心【慈悲慈愛の心】のかけらと言って、その趣くままに生きることが自然界には良いだろう。 2009年12月23日 琢
2009年12月23日
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『ただ生きる』 人が何をいおうとわが道を行く 怒らず、怨まず、憎まずに 貪らず、愚痴もこぼさずに 自分も人も仮我なら 真の自分を求めて その都度人も自分も変化する 死ぬまで確定しない それほどのものが人生で ただ生きることにも意味がある それは横軸を保つため 魂願がわからなくても気付きはある 良心の趣くままに この情報が激しく飛び交う中では自分をしっかり持っていなければ外に左右されて自分本来の歩みが出来にくくなる。人が何を言おうと、怒らず、怨まず、憎まずに貪ることなく愚痴もこぼさないようにしてわが道を行くしかない。人も自分も仏教では仮我・けがと言う。真の自分を求めて、その都度人も自分も変化する。死ぬまで確定することはなく、大果【自分が求める最後】は人が評価するもので自分が自分の人生を採点できない。どんな歩みであろうとそれほどのものが人生で、ただ生きることにも意味がある。それは横軸の子孫につなげる宿命を保つこと、魂願【生まれる前から持ってきたと言う魂の願い】が観えてこなくても気付きはある。良心は菩提心【慈悲慈愛の心】のかけらと言って、その趣くままに生きることが自然界には良いだろう。 2009年12月23日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, December 22, 2009 9:30 AM Subject: 22日の日記
2009年12月22日
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『気長に』 暇な人忙しい人 暇だといって収穫なしと言えず 忙しいといって収穫ありと言えない 暇を作ることも重要で 徒労にならない忙しさも重要 今の世に養分のあるものは少ない 充電の大事さは良く観ること 全体を見渡すときを持つこと 待つことも大切で 太公望はそれを楽しんでいる 短気は損気で群れを待つ 暇な人もいれば忙しい人もいるが、自分にとっての収穫はどちらにも受け止め方しだいであるものだ。仕事では世界的に不景気で、忙しくただ回転しているだけで、それに従事する人たちの経費をまかなえるだけの養分はほとんど入っていない。そんな中ではむしろ暇を作って考えることも重要で、鋭気を養うことが必要だと思う。ほとんど物質的に満たされない苦しい忙しさが多く、充電してものの本質をよく観て、全体を見渡すときを持つこと、自分の心の安定を図ること、思い出すこと、待つことが求められていると思う。釣り糸をたれる太公望のようにそれを楽しんでいるようで、気長に何かを考え、魚・収穫の群れをじっと待っている、それでいて次の鋭気を養っているようにさえ見える。 2009年12月22日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, December 21, 2009 9:25 AM Subject: 21日の日記
2009年12月21日
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「流行」 取り残されたものが脚光を浴びる 時代の流れに無駄はなく 流行も循環する ネクタイも捨てられない いつか回って来るかもしれないと その準備を怠らず 来るはずのないロマンを待つ 淋しさも喜びを大きくし そのための忍辱を耐え忍び その積み重ねが懐を広くする パリンと割れない柔軟さで ”人は考える葦である” 取り残されてと諦めていたものにも脚光を浴びるときがくるかもしれない。時代の流れには無駄はないように感じていて、流行も循環しているように思う。だから、以前に使っていたネクタイも、またいつか回ってくることもあるだろうと捨てることも出来ず置いておくことにしている。”今度こそ自分の番だ”とその準備を怠らず、来るはずのないロマンを待っていても、そのときはもう通り越しているかもと思い惑う。淋しさも喜びを大きくさせるものだと辱をかくつもりで耐え忍んで、いつしかその積み重ねが懐を広くさせているのかもしれない。ガラスのようにパリンと割れないような柔軟な心を育みたいと思う。待つことは葛藤の多いものだが短気を起こさないことだ。 ”人は考える葦である” 2009年12月21日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, December 20, 2009 9:28 AM Subject: 20日の日記
2009年12月20日
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寒いときは心まで孤独を感じ先を思えば人は一人で来て帰る血液型まで考えてだれかれかまわず話したくなる一人のときほど深く掘り下げて瞑想よろしく中果を観る過去から学ぶものは多く修正浄化は難しいそのとき感じることも永続しない書いて破る原稿もなく文筆家は程遠いよく文筆家が書いた原稿を破り部屋の中がごみだらけのシーンがあるが、孤独感はないのかもしれない。何かに向かっている人はそこに集中しているがそれがない人は自分を見つめ打ちひしがれて、寒いときほど孤独を感じ、大概の結論は人は一人で生まれ、死ぬときも一人で帰っていくもんだと思うこと。コミュニケーションが必要だと思えば、血液型まで考えてだれかれかまわず話したくなるもので、ほとんど相手にされないのが現状のようだ。一人のときほど自分を深く掘り下げて、瞑想するときのように今までの自分を振り返ってみることも重要なことだと思う。過去に学ぶものが多く、今苦悩する姿はそれを修正浄化が出来ていないからだと思えば、簡単に感じて今まで忘れてきたことも、再度心を定めて修正浄化に取り組む覚悟を定めるのも、自分に与えられた”とき”だと思う。 2009年12月20日 琢
2009年12月20日
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「半端もん」 寒いときは心まで 孤独を感じ 先を思えば 人は一人で来て帰る 血液型まで考えて だれかれかまわず話したくなる 一人のときほど深く掘り下げて 瞑想よろしく中果を観る 過去から学ぶものは多く 修正浄化は難しい そのとき感じることも永続しない 書いて破る原稿もなく 文筆家は程遠い よく文筆家が書いた原稿を破り部屋の中がごみだらけのシーンがあるが、孤独感はないのかもしれない。何かに向かっている人はそこに集中しているがそれがない人は自分を見つめ打ちひしがれて、寒いときほど孤独を感じ、大概の結論は人は一人で生まれ、死ぬときも一人で帰っていくもんだと思うこと。コミュニケーションが必要だと思えば、血液型まで考えてだれかれかまわず話したくなるもので、ほとんど相手にされないのが現状のようだ。一人のときほど自分を深く掘り下げて、瞑想するときのように今までの自分を振り返ってみることも重要なことだと思う。過去に学ぶものが多く、今苦悩する姿はそれを修正浄化が出来ていないからだと思えば、簡単に感じて今まで忘れてきたことも、再度心を定めて修正浄化に取り組む覚悟を定めるのも、自分に与えられた”とき”だと思う。 2009年12月20日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, December 19, 2009 9:31 AM Subject: 19日の日記
2009年12月19日
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「何か」 くだらない人間ほど 取るに足らない人間ほど わずかでも何かを持っている その何かはお金やものでなく 涙のような輝くもので 失われた何かかもしれない この世の勝者ではなく 栄枯盛衰の中にあるもので 裸にならないと見えてこない 原点に戻るときしか それを得ることができない 忙しいときは気がつかない 人の心理はなかなか見えにくいもので、心の動きは上にいるものには見えない。上にいくほど人数は少なく使う人数は多い。末端の人の心が見えず、大多数の思いを汲むことはできない。くだらないと、取るに足らないと見える人ほどその共通する思いを持っている。全体から見ればわずかなことでも、何か重要なヒントを持っている。それはお金やものではなく、元気が出るもので全体の士気や活性化にかかわるものだとおもう。涙のように輝くもので進歩するほど失われているものはこの世の勝者には見えなくて栄枯盛衰の中にある何かが末端の見えないところにある場合も多い。心を原点に戻し裸にならないと見えてこないものだろう。先に進むことしか考えていない指導者には忙しさのあまり気がつかない、果報ばかり求めていくとますます見えなくなる何かも、はじめは自分にもあったものだと思う。 2009年12月19日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, December 18, 2009 9:29 AM Subject: 18日の日記
2009年12月18日
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「ひらめき」 研ぎ澄まされるときは むしろ詩のほうがよい つじつま合わせは 本筋から離れてしまう 閃光は断続的に 突き通してゆく 嬉しいことも悲しいことも 永続はしなくても 残るものがある 哲学はストーリーでなく 並列に共通する 何かがひらめくときはすぐに書き残しておかなければ、こんなことだったと思うがそのときに浮かんだ適切な言葉が出てこなくなる。何か気がついたことは、何か言いたいことはむしろ詩のほうがいいかもしれない。起承転結や文章化するために本筋から離れてしまうことが多く、つじつま合わせになってしまう場合もある。閃光は断続的に出てくるもので、突き通してゆくものがあるが、流れ星のようにすぐに消えてしまう場合が多い。嬉しいことも悲しいことも、そのときに浮かぶ言葉もそれで、控えておかないと時間が過ぎると思い出さないことが多い。永続することはなくてもその意味は心のどこかで割り切れて残っていて、その気付きはある種の哲学だと思う。哲学はストーリーではなく並列に並ぶ共通する真理のようなものだと思う。 2009年12月18日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, December 17, 2009 9:28 AM Subject: 17日の日記
2009年12月17日
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『自覚』 至らなさは 人に言われる前に 自分が一番よく知っている 論客に勝てないことも 自分がその資格もないことも 身の程を知り 愚かさを知っておくことは 他の恩恵への感謝が出来る この忍土を避けては通れない 不満に思う願いがある 試練は簡単ではない 謙虚な人、経験ゆたかな人、敗北から立ち上がった人は人にいわれる前に自分の至らなさの自覚ができている。論客との論争の無意味さも自分にその資格がないことも、身の程を知っているから、単なる知識や自分だけの正しさを比べることの虚しさは自分の愚かさに気が付いているから他の恩恵への感謝ができる。他の正しさを受け入れられるようになれば、自己正当化ほど人を傷つけ、人の夢を叩き潰し、自分は何も得られないどころか失うものの方が多いことも体験してきた貴重な反省が生きてくることになる。忍土は自分を磨けるところで避けて通れないところで、不満は願いの裏返しで、思うように達成できないことが願いを遠くさせていると思うのも試練でそう簡単ではないが必ず超えられるのも試練だという。 2009年12月17日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, December 16, 2009 9:29 AM Subject: 16日の日記
2009年12月16日
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『自己暗示』 マインドコントロールは 心を盗まれるのではなく 預けてしまうもので 自分さえ意思が強ければ 白黒は明確で 流されることではなく 不惑でいられる 清浄のためには 人にではなく自分自身に 必要な暗示を繰り返す ”きっとよくなる 必ずよくなる” ”もっとよくなる どんどんよくなる” マインドコントロールと言う言葉は地下鉄サリン事件でクローズアップされ、オーム心理教に妄信した頭脳優秀な者たちの、人間には出来ない、自分にさえ嘘をついて騙す状態は誰かに暗示され心まで預けてしまった状態のことのように言われた。本当の良心ある人としての心まで盗まれた状態で、自分さえこの大自然に生きる共同体と言う自覚さえ持っていれば、白黒は明確で、流されることなく、不惑の状態を保っていられると思う。自分の心を清浄であるためには、人間が作った法律以前の自然界の命の尊厳を思い、自分自身に暗示を掛けておく必要が有ると思う。追い詰められて真っ暗闇を感じるとき、試練に負けそうなとき、自分自身に負けそうなときにはいつもつぶやく言葉が有る。 ”きっとよくなる 必ずよくなる もっとよくなる どんどんよくなる” この呪文結構明るさをもてるものだった。 2009年12月16日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, December 15, 2009 9:28 AM Subject: 15日の日記
2009年12月15日
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『因と縁』 自分の前に立つ人は 素晴らしい人ばかり 幸運に守られている 蜂が取り持つ縁のように 自分の開花のために 仕組まれているとしか思えない 感謝せずにはいられない 自分も人のために そう有りたいと思う もっと改良して 最高のものにしたい よくよく考えてみれば自分の前に立つ人たちはすばらしい人ばかりで、自分を励まし、自信を持たせてくれて親身に対面してくれている。どの時期を見てもそのときに必要な何かを与えてもらってきたような気がする。幸運に恵まれていると思う。丁度蜂が花粉を運んでくれるように、自分を開花させるに必要な時期に必要なものを与えてくれているようで、仕組まれているとしか思えない。自分にとって貴人が適切な時に現れて縁になってくれるし、到底自分ではつくれない出会いがあって、感謝せずにはいられない。自分も人のためにそう有りたいと思う。まだまだ修正事項や浄化しなければならないところを改良して、喜んでもらえるような自分になって自他共に認められるような自己形成をしたいと思う。ちょっとしたことで感情が走ってしまうのも自分が持ってきたカルマかもしれないが、これでも大分抑えられるようになってきたと思うが、そういう場面がよく来るのはまだ足らないと言うことかもしれない。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2009年12月15日 琢
2009年12月13日
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『妥協』 評価は結果による それぞれに正しくても 結果に共通点があり 正当化されたとき 多数の賛同を得る 信頼が生まれ 何度もの積み重ねで 不動のものとなる 一つ一つの正しさを視野に入れて その場の結論に譲歩を生む 忍耐と妥協が必要だ 状況によるその人の置かれた立場から出る意見は全部間違いではなく、ある意味で正しいもので結果が出たときに評価される。結果に自分たちの意見と共通するものがあって、全体にとって良い方向に向かうときに正統化される。”結果良ければすべてよし”で、多くの賛同を受け信頼されるようになる。こういうことが何度も積み重ねられると不動のものになる。リーダーになれる人はそういう人で、一つ一つの正しさを受け入れ、視野に入れて全体の方向を決めれば、その場の結論に譲歩も協調も生まれてくる。それでも誰かの我慢がないと前に進まず、結果がもう一つでも裏付けの理論の組み立てが正しければ理解を得ることが出来る。どんなことにも忍耐と妥協がなければ、その場が一つになることは無い。夫婦も家族も社会も同じことが言える。 2009年12月14日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Sunday, December 13, 2009 9:29 AM Subject: 13日の日記
2009年12月13日
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『公園』 カラカラと音を立てて 赤や黄の葉が舞う 木枯らしの音は寒く 日差しはバラ園を照らして 子供たちは風の子 母娘は腕を組んで歩く コーンと音を立てて 銀杏が落ちてくる バラの表情はいろいろで 木陰のベンチは 枯葉が揺れている 師走の雑踏の横で 講演会に行く途中、午前中はまだ日差しは弱くて、国際会議場には時間が早かったので、久しぶりにうつぼ公園に寄ってみた。道には赤や黄の葉がカラカラと音を立てて舞っていて、引き返そうと思うほど寒く、木陰から向こうのバラ園を見ると子供たちが駆け回り、日差しもあるようで、誘われるようにそっちに向かった。バラには人の名前がついていて、赤やピンクや黄色の美しくも懐かしい表情で咲いていた。以前来たときより綺麗に整備されていて、小川やモニュメントも施されていて、今度は孫たちもつれてこようと思いながら、バラの鑑賞をしながら寒そうに陰を避けながら歩いてみた。さっきのコーンという音は何だったのかと探してみれば、黄色の葉は銀杏の樹の葉で、察しが付いて車に戻ってきた。都会の師走の雑踏の横にもこういうのどかな公園があるとホッとして寄って見る人もいるんだろうと思った。 2009年12月13日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, December 12, 2009 9:36 AM Subject: 12日の日記
2009年12月12日
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『心と体』 肌の艶は健康を表わす 活性化は部分でも分かる 目は心を表わし 身にまとうものは心境を表わす 髪や体は年齢を表わす 代謝は運動量と分泌物が目安 心と体は若さを保つ 青春で明るさを消さず 好奇心で目を輝かせ 何ごとにも積極的に取り組み 臆することなく試練を超える 人の肌の艶を見れば、健康状態は分かるもので、ほんの一部を見ても生き生きとエンジョイしているかが分かる。目を見れば、何を考え、悩み、喜んでいるか、気が合うかまでわかる。服装や装飾品を見れば心境も分かる。髪や腕の一部を見れば年齢も分かる。代謝がよく活性化しているかどうかは運動量や分泌物が目安になる。心の状態をよく保ち、運動量が多ければ若さを保つことが出来る。常に青春を感じて明るさを失わず、好奇心に目を輝かしていれば気持まで若くなる。何ごとにも積極的に取り組んで、臆することなく試練に立ち向かえば、得るところは多く、願いも成就できる。 2009年12月12日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, December 11, 2009 9:31 AM Subject: 11日の日記
2009年12月11日
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”時の利”、”地の利”が勝敗を決める決まった場で時を待つ壇ノ浦も、関が原も歴史は物語っている人の心境はいつの世も同じ文明の力も使う人次第戦術も戦略も自然に逆らえない機が満ちるときどんな試練をも超えられる”すべての答えは歴史の中にあり”と言うが、事例は山ほどある。古来”時の利”、地の利”を生かしたものが勝敗を決めてきた。決まった場所で時を待ち、最小限の犠牲で勝負を決める。壇ノ浦も、関が原も、歴史が物語っている。漢民族の始めの劉邦と項羽の四面楚歌で決まった戦いも、人の心境はいつの世も同じで、文明の力も使う人次第で、戦術も戦略も自然に逆らうことはできない。機が満ちるまで待つこと、因縁の深いところに天は微笑みかける。どんな戦いであろうと試練であろうと超えられる因と縁が有る。 2009年12月11日 琢
2009年12月11日
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『機』 ”時の利”、”地の利”が 勝敗を決める 決まった場で時を待つ 壇ノ浦も、関が原も 歴史は物語っている 人の心境はいつの世も同じ 文明の力も使う人次第 戦術も戦略も 自然に逆らえない 機が満ちるとき どんな試練をも超えられる ”すべての答えは歴史の中にあり”と言うが、事例は山ほどある。古来”時の利”、地の利”を生かしたものが勝敗を決めてきた。決まった場所で時を待ち、最小限の犠牲で勝負を決める。壇ノ浦も、関が原も、歴史が物語っている。漢民族の始めの劉邦と項羽の四面楚歌で決まった戦いも、人の心境はいつの世も同じで、文明の力も使う人次第で、戦術も戦略も自然に逆らうことはできない。機が満ちるまで待つこと、因縁の深いところに天は微笑みかける。どんな戦いであろうと試練であろうと超えられる因と縁が有る。 2009年12月11日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Thursday, December 10, 2009 9:28 AM Subject: 10日の日記
2009年12月10日
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明日を考えるところは 動物と違うところ 明日の安定を願えば 蓄積しかない 今必要なものの何十年分 酸化しない倉庫も必要 衣食住に時代のニーズ 燃料の確保に加速する文化文明 地球温暖化の問題 百年前には無かった憂い 安定は唯物から唯心へ 平和でゆたかな状態は変化を好まず、このまま続いて欲しいと願うと快衰退の幸福者の心になる。責任を持たず自分が危なくなるといつも人のせい。明日を考えるところは動物と違うところだが、明日の安定を願えば蓄積しかない。今必要なものの何十年分、酸化しない保管場所も用意して、衣食住と時代のニーズに合わせる。そのために必要な燃料の確保に躍起になって加速する文化文明、その結果訪れる地球温暖化にも、問題の先送りは常套手段で、百年前には無かった憂いを抱えて、どうして良いかわからない。今もあちこちで起こるテロや民族紛争、心の安定どころか裕福な国のほうが本当の笑が少ない。快暴流の自信家は無策で、苦暴流の被害者は口汚く人を罵り、さりとて苦衰退のどん底の卑下者に落ちたくないのが人情で、良い時代が来るのをじっと待っていることしか出来ない。安定は物ではなく心が求めるもので、自分を高めるために古来より信仰は無くてはならないものだった。宗派にこだわらず、本当の道を歩きたいものだ。勿論、神仏は自分の心の中にあるもので、自分を信じきること、自分でどんなことにも対処できることが一番だが、素直になることはもっと重要なことだと思う。 2009年12月10日 琢
2009年12月10日
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『蓄積』 唯物的優劣が正されるとき 自由平等即幸せか 美は観る人の心にあり 幸せは我が心にあり 全体を見るか個を見るか 為政者の苦悩を想う ボス猿は強いものだけの資格か 大自然は悠然としている 蓄積するものはいない それこそが諸悪の根源だろう 自分だけの裕福考えるからだろう 人のは唯物的欲望が有った。自己顕示欲、自我我欲、自己保存の都合ために物だけに執着する煩悩が有った。それを自由平等と言うだけで平均化すれば幸せが来るのか。”美は観る人の心にあり”、”幸せは我が心に有り”で、一番大事な心の充実は置き去りにされていないか。全体を見るか個を見るか、為政者の苦悩が見える。ボス猿は強いだけでなれるか、群れの危険や食べ物の為に移動させる能力は悠然とする大自然を知らないと不可能だろう。動物は蓄積を殆どしない、何日も食べ物にありつけないこともあるという。人の欲による蓄積こそ諸悪の根源になっている。自分だけの裕福を願う煩悩をさらけ出して、その為に同族でさえ殺す。時代の変わり目は難しい。 2009年12月9日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, December 08, 2009 10:40 AM Subject: 8日の日記
2009年12月08日
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『無策』 先を観れば気が重くなる 人は我が事を重視する 全体が摩擦だらけ 結論が出ない 専制独裁は過去のもの 誰も立ち上がれない 全員が生き残りたいと思う ねずみはバランスを超えると 集団自決すると言う はたらき蜂が忽然と姿を消す 矛盾を正す策がない 人には明るい時と暗い時が有って、何を考えても袋小路のような時がある。先を観れば気が重くなって、みんな自分だけのことを考えているようで、全体が摩擦だらけに見える。宗教的に言えば、この三次元の世は摩擦が多く自分を高める為に生まれてくると言う。実際に今置かれた立場で言う事はみんな間違いはなく正しいと思えば結論が出ない。専制君主や独裁者が自分の思うように勝手にやれる時代は過去のものになった。そう思うと誰も立ち上がって手を上げるものはいなくなる。ここには全員がどんな自然現象や戦争が起きても生き残りたいと思っている。確かに今までにないおかしな自然現象が起きているがその自然の矛盾を正す策は無いように見える。 2009年12月8日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Monday, December 07, 2009 10:58 AM Subject: 7日の日記
2009年12月07日
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命の尊厳が問われる今 多数決の論理も崩れる 自由平等の平和のかげり ノアの箱舟に全部乗れるか 宇宙規模の大展望を持てるか それぞれの理論は全部正しい 首都と地方都市の問題 米軍基地やダムの問題 一人も見殺しにできない 地球存続の連帯責任 選択肢の議論は平行線 唯物論から人命尊重、命の尊厳が問われるようになった今、多数決のあり方も問題になってくるだろう。自由平等が原則で結論を言えば大問題になってしまうだろう。一人の命も無視できない状態で、ノアの箱舟に全部乗れるだろうか。宇宙規模の大展望を持って為政が出来るだろうか。それぞれの無視できない理論は全部正しい。首都と地方都市の問題や米軍基地の問題、水害・水利のためのダムの問題、少数とはいえ無視できない拉致被害者の問題、一人の自由平等も見殺しに出来ない世の中になった。それでは地球存続の連帯責任を何もせず滅亡までじっとしていられるか。選択肢の前で議論は平行線だろう。必死に生きる人の生き方はみんな正しい。自分の正しさを正当化は出来ない。忍耐のない正しさは我が身本位、自己中心的で思いやり、気くばりの菩提心で人の苦しみをわかってあげられるような正しさに変わる必要が有る。 2009年12月7日 琢
2009年12月07日
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『楽しみ』 新孫の誕生は 荷を降ろし、荷を増やす 共に責任感からだろう 共に嬉しいことではある 力不足を後進に夢を託し 未知の可能性は魅力的で 物理的不可能を可能に出来るかもしれない 心は無限に広がるが 現実の失望は体験済みで それでも可能性に夢を描く 可愛く歳をとりたいものだ 何故か始めより後の孫の出産のほうが関わりが多くなる。子供たちの育て方に後になるほど手抜きがあったのかと思うほど、孫にその償いをしているかのようで、荷を降ろし、荷を増やしているような感じがする。親の責任感からかもしれないが、嬉しいことでもある。自分の今までの歩みで力不足の為に出来なかったことを後進に夢として託すような、無限の可能性をもつ新しい生命に魅力を感じ、期待するものがあるのかもしれない。自分の人生で物理的に不可能だったことも何かを突き破って可能になるかもしれないと心は無限に広がる。それは自分が突き破れなかった現実の体験があるからだろう。それでも馬鹿と言われるほど子供たちや孫たちに可能性の夢を描いてしまう。なんと言われようと可愛く歳をとりたいものだ。 2009年12月6日 琢
2009年12月04日
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『縁』 賀状を書くときは それぞれの人を思い浮かべ 今年こそと書き込むが 毎年同じ瞬時の繰り返し 話の余韻は関西のほうが多い イエス、ノーか”まあいっぺんな”か 話しの実を結ぶことは少ない 盆暮れの挨拶は必要な繋ぎ 語彙は豊富なほうが良いが 辞書も使わなければ身につかない 縁はいつかどこかで生きてくる 賀状を書く相手は前からの,今の縁のある人たちで、挨拶と感謝を表わすものが多い。書き始めるとそれぞれの人とのことを思い浮かべて、今年こそと書くのだが実現することは少なく、毎年その時だけの気持を書いている。気持を繋ぐ場合が多く、日常は話の余韻が残るのは関西のほうが多い。関東はイエスかノーで関西は”まあいっぺんな”と余韻を残しまた会うことの可能性に期待を持たせる。話しの花に実を結ぶことは少ない。盆暮れの挨拶は必要な風習で縁を保つ意味もある。辞書の語彙は豊富なほうがよく、自分の付き合いも同じように思う。いつどこでどんな時の縁で自分の花を開かせてくれるかわからない可能性もある。真心のお付き合いがいつでも継続できる間柄でいたいものだ。 2009年12月5日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, December 04, 2009 10:55 AM Subject: 4日の日記
2009年12月04日
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人には良い自分と悪い自分がある 良い自分ばかりでいられないのがこの世 悪い自分があるから良いことが分かる 人を理解できるのはそれがあるからで 善人ばかりでいれば不平不満がたまる 自分もやっていれば人には嘘をつけない 理不尽な結果は人を向上させる 悪をやっているから人を許せる 正論は硬直を生み 間違いも時には愛嬌になる 仮我の内は手探りだから 世の中には人を追及して糾弾する人がいるが、人の非を追求して自分の非を隠している場合が多い。裏では何をしているのか分からないのがこの世の常で、それならもっと謙虚でいればよいのにと思うが、人には良い部分と悪い部分があって、この世ではよい自分ばかりでいられない現状がある。本人も心の中では気がついていても、自分の立場さえよければと、自分がされたら困ることを人にしてしまう。素直になれば、お互いの悪いところを理解しあって仲良くなれるし、自分もそうなら人の批判もできず、不平不満も少なくなると思う。悪いところは率直に反省していれば、人を許すことも出来るし、理不尽と思うことも自分を向上する方向に向けることも出来る。正論は時として相手にとって突き刺してしまう為に硬直が生まれる場合が多い。間違いも時には愛嬌があるように見えるもので、人は死ぬまで完成されない発展途上の仮我だから、人を責めるより先ず自分が後で辱をかかないようにしていれば良いと思う。 2009年12月4日 琢
2009年12月04日
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師走になると気ぜわしく 一年を振り返ると その会う見にもどかしさを感じ ヘソクリの少なさを思う 亀の歩みのようでも 日々の積み重ねは 知らず知らず歳を経て 自分の色がでてくる 反省点も修正事項も思うが 生かせなかった一年と感じる このまま朽ち果てるのかとも思い また来年のテーマを考える 12月に入ると毎年掲げてきたテーマが殆ど中途半端なものと感じてまた来年の宿題が残ったと感じてしまウ。師走は何か気ぜわしく、一年を思い起こしても何も進歩していないと思う。ヘソクリを貯めようとしても一向にたまらないのと同じで、自分の進歩が全く進んでいないように思ってしまう。ただ、日々の積み重ねが知らず知らず歳を経て、自分の色が出てきたような気がする。中途半端にしか出来なかった以前からのテーマに、反省点や修正事項も加えて、また来年のテーマを考えてしまう。このまま朽ち果てていくのは、如何にも何の進歩も出来ないままで後悔するだろうと、同じことを毎年重ねている自分に、来年こそはと思うからだろう。 2009年12月3日 琢 お詫びと訂正以前法隆寺についてのブログの中で『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 芭蕉』とつい勝手な間違いを書いてしまいましたが、大変大きな間違いで、この俳句の作者は【正岡子規】ですので。ここに訂正してお詫びいたします。
2009年12月03日
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闇に慣れてしまうと 希望の光を求めなくなり 感動もなく無表情になる 目を開いても何も見えず 心は光を求めていても 外に出ることを恐れる 厭世的になる時がそうで 華やいだ光は別世界と思う 月の光は闇を照らし 場を支えてくれる 世が空ければ日の光に向かい 生き甲斐を見つけるだろう 何をやっても悪い結果しか出ないときが続く時、自暴自棄になって諦めの心境が自分を覆い尽くしている闇の中で慣れてしまうと、希望の光を求めなくなって、感動もなく無表情になっていることもあるかもしれない。闇の中にいると目を開いていても何も見えず、心では助けの光を求めていても外に出ることを恐れ、遠慮したり、引っ込み思案になったり、捨て鉢になって厭世的になっている時がそうで、華やいだ光は別世界のことのように落ち込んでいるときは、ストレスの為に神経症や欝になっているときだと思う。逃げ道は、生きようとすれば自分が悪いのでなく人が悪いと思いがちで、責任転嫁している自分を許せなくなった時に、自分を責め始めて落ち込んでいく時が多く、転依・てんねと言って気分転換や思考回路を全く違うチャンネルに合わせる工夫も必要だと思う。月の光が闇を照らすように、かすかに見える場を支えて、悪因を切断し、善因を開墾する菩提心を育み、良い同志・縁に恵まれれば最高の果報を得られると高橋先生は言っている。夜が明ければ日の光に向かい、感謝の気持が湧き出して、生き甲斐さえ見つけられるようになる。そう思って自分の最終目標を設定しておくのも必要なことだと思う。行く先さえ見つかれば這ってでも向かっていく姿を子供たちは観ているだろう。 2009年12月2日 琢
2009年12月02日
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人には尺度がある 一般的なものと生い立ちのものと 皆正しいと思っている 育った血筋、土地柄、時代によって 人が集まれば正しさは幾つもある 人には自己中心型と協調型があるが 摩擦が生じて当然で 試練中の人、平穏な人 天秤のように加減があれば 同じレベルで学ぶことも出来る 尺度を通す時失うものは多く 合わせる時は得るものが多い おおかたの人は自分の想っていることが正しいと思っていて、年とともに生い立ちもののだけでなく一般的、常識的な尺度を持つようになる。それはその場その時その人にとって正しいのでしょう。生い立ちには親兄弟の影響を受け、土地柄の風土風習の影響や生まれた時代の風潮の影響も受けているし、性別のものもある。人が集まれば共通点もあれば反目するところもあって当然だと思う。正しさは人の数ほどあるが、表に出るものは自己中心型と協調、妥協型があるし、大きな試練の真っ最中の人もいれば平穏な人もいて、それぞれ聞けば正しいと思う。何かの目的が有って集まる場には天秤の加減で計る人がいなければ上手くまとまることがない。同レベルになればまとまりやすくなるが、個人的には自分の尺度を強引に通す時失うものが多く、合わせる時に得るものは多いと思う。法律を引っ張り出すことなく、良識で治まっている方が角が立たなくて温もりがでるものだと思う。人の正しさを受け入れられるようになりたいものだ。 2009年12月1日 琢
2009年12月01日
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