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『蟻のように』 山里の彩りは 紅葉と柿がゆたかで 農家の軒にはつるし柿 冬支度の秋の景色に 人の温もりとのどかな煙が ふるさとを感じさせる 気温の変化を肌で感じ 体になじませる様は 生老病死の輪廻を四季にたとえ 大自然の営みの中で 一匹の蟻のようで 黙々と生きる自分の姿を想う 大阪を囲む山々は少しずつ色めいてきて、紅葉と柿の彩りは懐かしさを増してきている。もう、農家の軒にはつるし柿が並んでいて、冬支度の秋の景色に人の温もりと煙がのどかなふるさとの印象を与えている。日に日に気温の変化を肌で感じ、体になじませる様は、歳とともに、四季のうつろいが生老病死を思わせ、大自然の営みの中で一匹の蟻のようで、いつの間にか還暦をとうに過ぎて、黙々と生きる自分の姿を重ねてしまう。地球が、世の中が、大変な状態を見せ始めている中で何も出来ず、ただ生きていることしか出来ない、人間の無力を想う。生命体の存続さえどうなるか分からない、頭で先を読めない今も新しい命が生まれて、あの子たちは自分たちのように人生を全うできるのかとさえ思えて、今自分に出来ることをしてあげたいと思う。 2009年11月30日 琢
2009年11月28日
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『変化』 機嫌が良い日が多くなる 素直に笑顔が出る 幼児が笑ってくれる 鳥が近くに来る 恐怖感が消えたからか 犬も寄って来る よほど難しい顔だったか そういえば物欲が消えている 無一文はこういうことかと思う 至らぬ点はたくさんあるのに 少しは変わったのかもしれない 弱点を不意に突かれない限り 以前克己が出来ず悶々としていたことが有った。無私を心掛けして楽になってきて神経症も消えてきた。最近は気分の良い日が多くなって、素直に笑えるようになってきた。不思議なことに幼児のそばにいると笑ってくれるようになって、気のせいか鳥も逃げなくなった。犬も寄って来るし、よほど怖そうな顔をしていたのかもしれない。そういえば物欲も消えていて、けちなところがなくなって、無一文はこういうことかと思う。まだまだ至らぬ点はたくさんあるが、少しは変わってきたのかもしれない。感情をすぐに表に出さないように心掛けてきたが、心は簡単にすぐに動いてしまう。不意に弱点を突かれると、とっさに感情を抑えきれずに顔に出てしまう。まあ、焦らずに行こうと思う。 2009年11月29日 琢
2009年11月28日
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『熟練』 好奇心は目を輝かせ 人を若くさせる 何ごとにも興味を持ち 深く掘り下げれば どの道にもある共通点に至る 体験と共に確信めいたものに それを繋ぐものは菩提心 観えてくると心にゆとりがでる 何にも臆せず受け止められ 的確な判断が出来る 熟練とはそういうものだ なかなか到達できないものが、観えてこないものが、断言できないのが人生なのかは仮我なのか偽我なのか、途中だからかもしれない。好奇心に燃えて目を輝かせ、少年のように何ごとにも興味を持って深く掘り下げていけば、どんな道にも共通点があるという。井戸を掘るように深く掘り下げれば地下水脈にぶち当たる,どこにも流れている哲学に至ると言う真理の答えが出ると言う。体験と共に確信めいたものに変わって、それをやさしく繋いでいるのが菩提心で、観えてくると、不安感は少なくなって心にゆとりがでる。どんなことが起きても臆せず受け止められ、的確な判断が出来るようになりたいと思うも、道半ばで熟練には程遠い自分を見ているようだ。中果はこんなものかもしれない。これからの方向性を定めないと、と思う。今朝8人目の孫・男子が生まれ、感慨深いものがある。 2009年11月28日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, November 28, 2009 10:44 AM Subject: 28日の日記
2009年11月28日
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『交差点』 心の食い違いは やること為すこと気に食わない ますます心が離れてゆく 親子でもそういうもので 会話は刺々しく対立し 交差点がないように思えるが 素直になって心を裸にすれば 意地を張らずに接すれば 雲散霧消になる 腹を割ってやさしく包めば 共通点は見つかるものだ 意見が合わなくなるときは、大体尺度が合わないときで、心の食い違いは、やること為すこと気に障って、ますます平行線になっていってしまう。親子でもそういうもので、会話は刺々しくなって、一見交差点がないように見える。どっちかが尺度を合わせて意地を張らずに妥協し、素直になって心を開けば雲散霧消したようになる。どちらも妥当というか正しいもので、状況判断をして人の正しさを受け入れられるようになれば、話題を変えるとかチャンネルを変えて転依すれば、共通点は見つかるもので、腹を割ってやさしく包み込めるようになる。年齢や経験の多いほうがそれをするべきだが,大人になれたほうがすれば、折角の絆を壊さずに済むものだと思う。意地を張って損をしたことは誰にでもあることで、感情を抑えて冷静になれば、後悔は少なくなる。冷静な目で見れる外の人にはそれが見えていると思う。親の教えや土地柄のこだわりも、時には疑ってみる必要がある。自分の愚かさを知るものにはそれが出来るはずだ。 2009年11月27日 琢
2009年11月24日
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『慣れる』 重複するときは 未だ出来ていないことで 心の中にテーマとして残っているとき そこに引っかかっているときで 何かと連鎖して条件反射的に 反復している 忘れるように出来ているから 癖になるまで繰り返す 復習の大事さは 意識に定着させること 何度も使って覚えるもので 馴染むと苦手意識は消える 意欲のあるときは、これはと思うことはすぐに使ってみるもので、興味が薄く関係なく思うときは、先々大事に成ることを見逃していることがよくある。それは弱点を克服する為に重複して出てくるもので、未だ出来ていないことで心の中にテーマとして残っていて、そこに引っかかっている場合が多い。それは何かと連鎖して条件反射的に反復してくるもので、人は忘れるようにできているから、癖になるまで繰り返すためにでてくる。カルマは何度も繰り返し、分かっていてもやめられないもので逃げてもついて回るそうで、人には観えているという。歩みの中で何度も出てくることは復習することが大事で、何度となく使って覚えていくもので、馴染むまで反復していくと苦手意識は消えているものだと思う。不思議な皮肉なことに、嫌なことや苦手なこと、避けたいことのほうが何度も目の前に来るもので、それも試練かもしれない。どこかに、これじゃダメだ克服しなければと言う願いがあるから現れてくるのかもしれない。慣れ親しむことが大事だと思う。 2009年11月26日 琢
2009年11月24日
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『生かす』 ごますりは味とかおりと風味を出す あげつらうことでも 自分だけの道をつけることでもない 特性を最大限にするためで 良いところを見つけ 自覚して自信がつけば 他を生かすことが出来る 誉めることの大切さは 可能性を開花させ 謙虚な挑戦の意欲を湧かせ 他を生かす道をつける 忘己利他は無私から よく上司やお客さんに”ごまをする”と言いますが、これは点数稼ぎや自分だけの印象をよくするためで利己的なこと。”誉め殺し”や”人をその気にさせる”、あげつらうことで、自分だけの道をつけること。人の特性を見つけて誉めることは最大限の可能性を開花させる自覚と自信を持ってもらうためで、他を生かすことに成る。誉めることは子供たちには特に必要で、その可能性を謙虚に挑戦する意欲を湧かせるもので、大人になってもこれは変わらない。”そしる”、”くさす”、”なじる”ことではなく、誉めることは他を生かす道をつけること。 忘己利他・もうこりたは伝教大師最澄の言葉で、無私にならないと出来ない、自分を忘れて人の良いところを光らすと言う意味で、自己中心や利己主義には出来ないことだ。特に唯物的に成るとそれが出来なくなる。 2009年11月25日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, November 24, 2009 10:50 AM Subject: 24日の日記
2009年11月24日
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屋久島は人を変える 大自然と水の循環が ウミガメの生き様が 縄文杉の年輪が 能書きが通用しないことを 自分に嘘がつけないことを 中身が大切なことを 思いやり 気くばりの重要性を 四苦八苦を一人で超える覚悟を 文化文明以前に必要なものを 大自然に畏敬と感謝の念を 日本地図は点にしか見えないが、標高2000mを越える山々が切り立っていて、滝が枯れることが無い、年間雨量8000mmの神秘的な島で、空港もある。”周囲まあるく33里のかんず・神水の島”と自分は呼んでいる。大きな滝は幾筋も有って枯れることなく太平洋に流れ込んで、南方で水蒸気になって、その雲が頭上に雨を降らす循環が有って、雨量は大台ケ原の倍以上ある。屋久島には感動することが多く、訪れるものに何かの学びや気付きを与えるものがある。人は大自然に共生する単なる一員で、唯物的な頭から原始の頭に切り替え無ければ分からない、ウミガメの産卵と生態や樹齢7千年と言われる縄文杉の威圧的風格は自分の小ささを教えてくれる。そこには素直になるしかない感動が人を正してくれているように、どんな人にも感じさせるものがある。どんな人にも心の中に閉じている部分が有って、そこを開かなければ本当の人生を歩むことが出来ないことの教えが、昨日もテレビドラマ”いのちの島”に有った。”自分の人生の主役は自分でしかない”ことの確認が出来る島かもしれない。 2009年11月24日 琢
2009年11月24日
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『使命』 勝敗ではなく ある部分の修正・浄化が課題で 自分なりの向上に 縁の再結と貢献の照らしのために それを成し遂げる為の試練を超え 大果にいたる達成感を得るために 故郷に遡る産卵の鮭のように 心のナビゲーターに従って 歴史を繰り返す一員になる 社会的功績や果報を求めず たんたんと白い道を行く 勝った負けたはその時のことで、そんなことでなく、自分の欠点や悪い癖を修正、浄化することが問題で、飽くなき努力を積み重ねて向上し、何かに向かって歩む。必要な縁の再結を果たし、貢献できるように、それを成し遂げる為に来る試練を超えて、大果にいたる達成感を求めて、故郷に産卵の為に戻ってくる鮭のように、心のナビに従って、黙々と歴史を繰り返す一員になることが自分の喜びで、そのために生まれてきたように思う。”戻る”、”帰る”はそういう自然界の現象のように、”生まれて帰る”、”来て帰る”と言うことで、社会的功績や果報は求めず、この三次元の世を未来につないで行く、単なる一員として、縦軸の心の安定を神仏に祈り、横軸の子孫の未来に魂の学びを伝えてゆくことが自分の使命なのかもしれない。 2009年11月23日 琢
2009年11月21日
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『創造主』 新皮質脳は同族を殺す 何故? 自己顕示欲・自我我欲・自己保存 動物にそれは無い 都合・計算・打算・意地 邪気は強い煩悩から 自然の流れ、恩恵、愛に 義を重んじ、感謝できれば 物事の順番を間違えたりしない 邪気が優先順位を変えてしまう 自己正当化をしないことだ 種族保存の本能は浸透していて、いろんな形に表れてくる。良い面も有れば悪い面もある。創造主がそう創ったとしかいえないが、自然界には必要なもので、人間があとで作った秩序を保つ為の法律はかなり自然界には矛盾がある。旧皮質脳には無いものが新皮質脳に有って、同族の殺し合いをするために法律が出来たのかもしれない。人間には自己顕示欲、自我我欲、自己保存の煩悩があって、都合、計算、打算、意地が唯物的にはたらく為に、煩悩のために邪気を引き出して平和が遠くなることをさせてしまう。自然のありがたさ、恩恵、愛を感じ、義を重んじて感謝できれば何が大切かが分かる。物事の順番を間違えたりするのは、邪気が優先順位を変えてしまうからで、グローバルにものを考えて自己正当化しないことだと思う。 2009年11月22日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Saturday, November 21, 2009 10:38 AM Subject: 21日の日記
2009年11月21日
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人の落ち込みは見たくない 自分のときは腹も立つが 責任転嫁したくない 雰囲気を壊すのが嫌いで 少々のことは我慢する 思えばいつもその繰り返し 如意の人が羨ましい 兎角この世は忍耐で 荒立てないほうが円満で いつも不平の呟きが残る そこがカルマと分かっていても 浄化の難しさを思う なんと慰めれば言いかわから無いほどの人の落ち込みは見たくない。自分のときは自分の弱さに腹も立つが、人のせいにして逃避することが出来ない。雰囲気を壊すことがもっとも嫌いで、自分さえ我慢すればと抑えてしまう。思えばいつもその繰り返しで、変なことがあると自分が悪者になっていても我慢して、原因が誰だかわからないまま終わってしまう。意もままに自由自在のように見える人を羨むこともある。兎角この世は自分さえ我慢すれば上手く収まると事を荒立てず、円満にやり過ごすことが多く、いつも不平の呟きが残る。そのせいかその場の果報はいつも人に持っていかれたような気がして、何も得られないまま過ごしていたように思う。自分で勝ち取ったものは物質的には何も無く、そこがカルマかもしれないと思っていても、至らぬ自分を嘆くのみで、浄化の難しさを思う、いつもの繰り返しをやってきたように思う。 2009年11月21日 琢
2009年11月21日
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音・光・水は 人の心をゆたかにし 体にもしみこんでゆく 伝える心の媒介になる 命の根源に漂うもの 地球に生きるもののテーマ 明るく楽しく嬉しく 右脳を活性させ 感性をゆたかに 日本の伝統と文化を支える 菩提の地として 音と光と水をテーマにしたものは、建築家・安藤忠雄氏が神戸や宝塚で手がけています。アメリカ・ニューヨークの同時多発テロの跡地開発の時にはそのテーマで提案したそうですが、採算ベースに合わなかったそうです。音と光と水は人の心をゆたかにし、体にもしみこんで伝える心の媒介になる。命の根源に漂うもので、地球に生きるもののテーマとして、明るく楽しく嬉しく生きるために必要不可欠のものだと思う。右脳を活性させ、感性をゆたかにすることと、人皆平等を土台に日本の伝統と文化を支える発信基地としては、大阪しかないような気がします。大和民族の心の菩提の地として近畿には歴史的に深い流れが有ると思う。 2009年11月20日 琢
2009年11月20日
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『現象』 人の流れは自由意志の心の赴き 人の集まるところに共通点がある 共通点には縁がある 縁は人に活力を与える 種は芽を吹き、花を咲かせる 花は次の改良のみを結ぶ 色即是空 空即是色 自然界の繰り返し 蜂は重要な仲人 蜂が忽然と姿を消すとき 自然界の輪廻は無くなり 生命体の危機が来る 人に命令されたり、義務付けられたりは嫌なもので気が進まないものだが、たくさんの人の流れは自由意志による心の趣で、人が集まっているところには、何か興味を引き付ける共通点がある。そこで共通点についての語らいが始まり、知り合いが出来て親しくなれる縁もできる。友達になると話が発展して生き生きと楽しくなって交流が始まる。困ったことや分からないことや自分の願いも聞いてもらえるような同志の絆も出てきて、丁度、種が芽を吹き花を咲かせるような因と縁の関係が出来る。花が次の改良の実を結ぶように、本音の付き合いになって、お互いのことがだんだん見えてきて、分かち合えるようになる。自然界の繰り返しでは、蜂が重要な仲人みたいなもので、花の蜜を吸いに来て花粉を受精させる役を果たしている。最近のニュースで養蜂場のはたらき蜂が女王蜂と幼虫を残して忽然と何万匹も姿を消す現象が出てきているそうです。これは地上の生物にとって大変なことで、自然界の輪廻がなくなることを意味するもので、食物がなくなるために生命体の危機が迫っている兆候だと言います。これも地球温暖化や自然破壊の現象の影響かもしれません。 2009年11月19日 琢
2009年11月17日
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『格言』 先人覚者の名言は 自己・仮我の向上に生かすもの 他に押し付けるものでなく 目指すテーマに使うもの 収集家は都合良く 他に当てはめてうながし 自分を棚に上げる場合多く 仮我の確立を優先すべきこと 道ほど通しと自覚すべし ”為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり” 昔からある諺や格言には、人の道にある哲学がたくさんあって、いつの世にも当てはまるもので仮の我の向上、確率に生かせるものが多い。それは他に都合よく押し付けるものでなく、自分が目指すテーマに使うもので、それを集める収集家もいて、自分を棚に上げて生かさず、他に当てはめて、こうあるべしと促す人が多い。自分が出来ていることで人が悩むときのアドバイスに使うならまだ良いが、出来てもいないのに人に強要しているのをよく見かける。仮我の確立を優先すべきは自分で、道ほど通しとその奥の深さを知るべきだと思う。上杉鷹山の名言はよく使われているが、”成らぬは人の・・・”の人は自分・己・人間と言うものの習性で、始めから無理だと諦めて何もしないことに”やれば出来るんだ!”と何もしないで文句ばかり言っている人に活を入れる言葉だと思う。 2009年11月18日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, November 17, 2009 10:46 AM Subject: 17日の日記
2009年11月17日
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知識は狭い 経験は浅く 深く掘る水脈は 同じ純粋が流れている 掘り下げなければ 辿りつけない 悟ればその水が飲める 知識を広域にしても 真髄の分類に至らない 簡単明瞭な言葉は 悟りえたものだけの分類が可能 過去の歴史や文化文明の発展の影の人々の艱難辛苦、現世のそれを短い言葉と項目に分類することは不可能に近い。先人の残した言葉やデータを集めただけでは、あまりにも広範なそれに潜む原因を区分することは難しく、根底に流れる同じ哲学の把握が無ければ小項目に絞ることは出来ない。一人の一生の知識や体験はその中のほんの一部しかなく、全体の総まとめは不可能だが、井戸を掘るように深く掘り下げて水脈に至れば、そこには同じ哲学が流れていて、悟らなければそこに辿りつけない何かを上から見渡して、簡単な言葉や項目に絞った驚きをGLAの実践法に見ることが出来る。根底にあるのは唯識の因縁果報で、聖徳太子が釈迦の教えの因と縁の関係を把握して仏教を日本に導入したものを、相対的に自己チェックする手法は尊いものだと思う。 2009年11月17日 琢
2009年11月17日
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太陽信仰は心の原点 日いずる処に発する 文化文明は心の安定の上で 放射状に輝く ”倭は国のまほろば” 近畿一円の地湧 世界の発信基地は大阪 光と水の都 次元の歴史と結ぶ要所 観音は音と光と水にあらわれる 文化文明は6000年前の古代エジプトに始まり、太陽信仰が心の原点で、すべての宗教の根源になっている。世界が乱れるとき、救世主・ミカエルは日いずる処に下生すると言う。文化文明は心の安定の上で発展し、太陽の放射状に輝く地から光り輝き始めると言う説もある。”倭は国のまほろば”は日本の原点を言い、邪馬台国は近畿と言う説の裏ずけが、奈良桜井に出土した遺跡で証明されるかもしれない。菩薩はその地から湧き出すようにあらわれると言う地湧の地は近畿一円と言うことになる。その中心に有るのが大阪で、世界の発信基地に相応しい”水と光の都”と言う説がでてもおかしくは無い。次元の歴史に文化文明と信仰を結ぶ要所と言えるかもしれない。観音菩薩は音と光と水にあらわれるそうだ。菩提心・慈悲慈愛の心を育み、それに相応しい品を備えた大阪になっておくべきと思う。 2009年11月16日 琢
2009年11月16日
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雨上がりは爽やかな朝山は鮮やかに浮き立ち紅葉も彩美汚れを洗い流し心さえ清浄になる川風は清々しく日の光には温もりがあって自然のありがたさに恩恵の幸せを想う明るく楽しくあることが使命のように感じる雨上がりの山々は色鮮やかになっていて、朝は空気も新鮮で爽やかな気分になる。山は鮮やかに浮き立って紅葉も色とりどりに染まって、衣装換えをしているように見えて、秋の深まりを想う。汚れを雨で洗い流したように、心も洗われて清浄になる。淀の川風は清々しく、日の光は温もりがあって、自然のありがたさを感じ、恩恵の幸せをほっこりと想う。今まで歩んできた道に必然を感じるような、神仏の微笑を観るような気になる。それだからこそ、明るく楽しくあることが自分の使命のようにさえ感じてしまう。振り返れば何もできずに来た過去の経緯も、これからの精進如何で紅く染まって欲しいと想う。 2009年11月15日 琢
2009年11月15日
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『誕生日』 誕生日は 親先祖に感謝する日 名前には 親の願いが秘められている 人生の意味がそこに 子孫に繋ぐときには 一文字を入れるところもある 一族の一貫性のために 自己チェックの日とも言える 年齢にこだわらず 心機一転を計る節目 歳を重ねてくると誕生日はあまり嬉しくない気分になるが、先祖意識が薄れている昨今では、親先祖に感謝する日と自覚すれば、重要な節目の日ということになる。名前は先祖の一文字を取ったものもあって、親が自分たちの願いを文字に入れたものが多く、魂願とも言える意味が込められていると思う。魂願には、魂の修復と成長、出来なかった願いの成就、関わりの再結、内と外への照らしが有って、その意味が先祖代々から秘められている場合もあると思う。自分の人生の意味がそこにあって、継続して自分の子供たちの命名のときに使う文字も有ると思う。一族に一貫性をもたせるために一文字を継承させているところもある。そういう意味では誕生日は自己チェックの日とも言える。年齢にこだわらず、心機一転を図る節目の日だと思う。 2009年11月14日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, November 13, 2009 11:06 AM Subject: 13日の日記
2009年11月13日
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求める共通点は 楽しさ、嬉しさ、明るさで 新芽のように太陽に向く 人は光を受けて輝きだす 闇には光を探し 日差しに温もりを求める 豊かなものに温もりは多く 奥行きは人の心を癒す 人の正しさを受け入れるとき 孤独は無くなる 理解は空気を和らげる 人の喜ぶ顔を見たくておみやげを買ったり、喜びそうなことをしたりするもので、求める共通点は楽しさ、嬉しさ、明るさで、それは、ちょっとしたことでも人との和ができて場が和やかになることを望む心でしょう。新芽が太陽に向くように、人は光を受けて輝きだすもので、共に良いところを引き出すことで仲良くなりたいと言う心があるからだと思う。闇の中にいるときは光を探し、雲の陰から出る日差しの温もりを待つように、太陽のように豊かなものに温もりを求めている心が自分の中に有るからでしょう。奥行きがあれば、人の心を癒すことができ、人の正しさを受け入れられるようになれば、孤独になることも無く、理解しあうことができれば、場の空気は和らいでくることを知っているからでしょう。 2009年11月13日 琢
2009年11月13日
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『和の尊さ』 人の和には喜びが多く 摩擦も多い 正しさの許容を広げ ものさしの違いを調整しあう 自然界の枠を超えるものは無い 共有できるものは多く 埋めあうものも多い 価値観の違いは観点の違い 視点をあわせれば同じ 本質は変わらない 合致は無上の喜びとなる 人の和には願いに共通点があって、因と縁の関わりができて、喜びに繋がるものも多いが、摩擦も多く、試練も多くなる。正しさは人それぞれ違い、その場面、状況によって異なるもので、人の正しさを受け入れることから始まる。ものさしの違いを調整しあうのも和だが、自然界の枠を超えるものは無い。そうなれば共有しあうものは多く、価値観の違いは観点が違う場合が多く、視点を合わせれば合意できる。もともと人としては本質は変わらないはずで、合致が出来れば無上の喜びと勇気と元気が出るもので、願いを成就させようとする行動は、趣旨が良く、根底に菩提心が流れていれば、どんな試練が来ようとも突き通していけるものだと思う。 2009年11月12日 琢
2009年11月10日
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『経験』 人の奥ゆかしさは 超えた試練の数による 悲しみ苦しみを受納して 何事も無かったようになると 人を理解できて 人の正しさを受け入れられる 人はそこに含蓄を感じる 野超え山超え景色は続く 越えなければ見ることはできない 喜びはその先にある 経験は積むべきもの 物分りの良い人には奥ゆかしさを感じ、底なしの深みを感じる。越えてきた試練の数に、人を理解し、癒しを与えられる訳があるのかもしれない。いろんな種類の悲しみや苦しみを体験、受納した末に何事も無かったように淡々としていられるようになったときに、人の悲しみや苦しみが分かるようになる。人の正しさを受け入れられるようになると深みが出て、人はそこに含蓄を感じる。野超え山越え景色は広がっていて、越えてみなければ見えない景色がある。喜びはその先に有るのだろう。体験、経験は積むべきもので、それが智恵に変わっていくのだと思う。世の中にはそういう人は多いもので、自分に無いものを持っている人から学ぶことは多い。その意味で友達は多いほど良く、大切にして感謝すべきものだと思う。 2009年11月11日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Tuesday, November 10, 2009 10:41 AM Subject: 10日の日記
2009年11月10日
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威嚇も時には必要で 閻魔大王になることもある 人には怖い戒めも必要 その影に優しい愛があれば アメとムチは子供には必要 大人にもその純粋があればと思う 幼くてもそれぞれの特徴があって 剪定をすればどんどん成長する 植木と同じかもしれない 浜辺の松は台風にゆがむが その風情に日本の美がある 孫を見ていると、まだ二歳にも満たないのにそれぞれがもっているものが違い、楽しみは多く、可能性は無限にある。我慢を発散させる方法が違っていて、時には威嚇も必要で、この部分の延長線を想像するとダメだと思うときには、閻魔大王を演じなければならないときもある。その影に優しい愛があれば、いつか通じるもので、アメとムチは子供には必要だと思う。誉めることは大事なことだが、ダメな行動には叱る必要もある。子供は純粋で幼くてもそれぞれに特徴があって、植木の剪定のように悪い部分や不要な部分を落とす必要があると思う。良い部分を生かせばどんどん成長していくもので、無限の能力は誉めることで伸びていくと思う。親の都合を優先することは、子供の可能性に蓋をしてしまう場合が多いので、子供の気持に成って、思いやり気くばりができれば、それを見て学んでいくと思う。海辺の松は台風にゆがむしかなく、その風情には日本の美がある。どんな試練にも超え方が有って、その国に育つものにもそれに相応しい美が見られると思う。 ”美は観る人の心にあり” ”幸せは我が心にある” 2009年11月10日 琢
2009年11月10日
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どんな集いにも 学びだけに留まらず ありがたい出会いがある 白血球のように 互いの危ないところを正し合い 無意識に作用し合える 同志の絆は今生に限らず 関わりの再結ができる 成長と成就へ 共に照らし合える どんな集いにも、そこでの学びだけに留まらず、誰かとの出会いがあって、それを縁に付き合いが始まることは多いものです。自分ではつくれない出会いはありがたいもので、気が会うもの同志の語らいが始まって、響鳴し始め、白血球が患部に集まるように、互いに危ないところがあれば正し合い、無意識に作用し合えるものだと思う。同志の絆は今生に限らず、自分の場合、その出会いを永遠に継続する性質で、必然の関わりの再結のように思ってしまう。何かの因縁があれば、どこでその人が貴人になって助けてくれるかわからない、霊的なものの動きさえ感じてしまう。ひょっとして前世からの約束で、魂の修復や成長、使命の成就に感謝すべき存在かもしれないと思ってしまう。益々良い方向に自己変革をして、共に照らし合える良き同志でいられるようにと祈る思いで大切にその関わりを続けて行こうと思う。 2009年11月9日 琢
2009年11月09日
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友との語らいは 充実感に満ちて 収穫の多いとき 心の安らぎの中で 自分のカルマを見つけ 誰かに倣いながら 浄化できる明るい場に 待ち遠しくさえなる 男女、生い立ち、年齢を超えて 実在界と思わすような 慣性を観ることができる 心を開いた友達との語らいには充実感があって、お互いの良いところを見つけあったり、自分を見つめることもできて収穫の多いときです。お互いに隠し事をせず、心を裸にして和気藹々と語る場には、癒しや安らぎを感じながら、自分のカルマも観えてきて、誰かをお手本に倣い、浄化できる有意義な空間がある。その集いが待ち遠しく感じ、男女とか生い立ちとか年齢を超えた本音の語らいは、実在界を見るような思いがする。宇宙の慣性のように、人にも自分の人生の条件下の慣性があって、それを観ているようなときも感じながら、明るく楽しく語ることができて、聴くとき、語るとき、慰め勇気ずけるとき、長所を見つけ出すときで、目が輝いているのも分かる、親族以上の付き合いができる。自分に正直に素直になれるひと時を持つことが如何に大切かが分かる、ありがたい、感謝の場にもなっている。 2009年11月8日 琢
2009年11月08日
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『成育』 威嚇も時には必要で 閻魔大王になることもある 人には怖い戒めも必要 その影に優しい愛があれば アメとムチは子供には必要 大人にもその純粋があればと思う 幼くてもそれぞれの特徴があって 剪定をすればどんどん成長する 植木と同じかもしれない 浜辺の松は台風にゆがむが その風情に日本の美がある 孫を見ていると、まだ二歳にも満たないのにそれぞれがもっているものが違い、楽しみは多く、可能性は無限にある。我慢を発散させる方法が違っていて、時には威嚇も必要で、この部分の延長線を想像するとダメだと思うときには、閻魔大王を演じなければならないときもある。その影に優しい愛があれば、いつか通じるもので、アメとムチは子供には必要だと思う。誉めることは大事なことだが、ダメな行動には叱る必要もある。子供は純粋で幼くてもそれぞれに特徴があって、植木の剪定のように悪い部分や不要な部分を落とす必要があると思う。良い部分を生かせばどんどん成長していくもので、無限の能力は誉めることで伸びていくと思う。親の都合を優先することは、子供の可能性に蓋をしてしまう場合が多いので、子供の気持に成って、思いやり気くばりができれば、それを見て学んでいくと思う。 海辺の松は台風にゆがむしかなく、その風情には日本の美がある。どんな試練にも超え方が有って、その国に育つものにもそれに相応しい美が見られると思う。 ”美は観る人の心にあり” ”幸せは我が心にある” 2009年11月10日 琢
2009年11月06日
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『大乗』 転生の扉が閉まっていても 意識の蔵にはある 前世の体験でも、その前でも この世の体験だけでなく 修正されていないものも 試練のたびに浄化しながら そのための今世という 明るく楽しくエンジョイしながら それが大果に結ばれる 観・浄・発・結の四力は 大乗への道 人の生まれたときの記憶はゼロと思われていますが、意識の中にはそれ以前のものが入っていると言うのが、唯識で言う、魂のなかには意識の蔵が入っていると言う教えです。何転生もの記憶の扉は閉まっているために記憶には無いのですが、意識の蔵には入っていると言います。心理学的に言えば、それは潜在意識ということでしょうね。この世の体験だけでなく前世やそれ以前の体験も、修正されないままの意識もあることになるわけです。それを修正・浄化するために生まれてきているとも言われています。試練のたびにでてくる障害に自分のカルマが観えてくるわけで、それを浄化しながら超えていくことになると言います。そのために絶対に必要なのが菩提心で、それが根底にあれば試練も問題を残さず超えていけると言います。明るく楽しくエンジョイしながら、浄化しながら大菩提心に至れば、大果に結ぶことができるのでしょう。菩薩必携の四力【観・浄・発・結】を身につけることができれば、衆生は救われると言う大乗への道が開けると高橋先生は言っています。 2009年11月7日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Friday, November 06, 2009 10:56 AM Subject: 6日の日記
2009年11月06日
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備えるとは 過去の体験から 潜在意識の中から 既に空・くうにあるものを 思い出すことで あわてることは無い ”備えあれば憂いなし” 覚悟さえできていれば 冷静に対応できる 余計なことはせず 自然体で流れるように 魂の中には意識の蔵があって、何転生もの意識の蓄積があるそうで、大概の体験と知識が入っているが、生まれるときにはゼロの知識から始まるため、記憶に無いようなものが潜在しているそうです。先日の高橋先生の講話ではチャージ・充電を”思い出しなさい”と位置ずけました。新たなものを仕入れて充電すると言うより、既に意識の蔵にあるものを思い出しなさいと言う意味だと思います。そうであれば、何もあわてる必要も無く、”備えあれば憂いなし”で、覚悟さえできていれば、どんなことが起きても冷静に対応できると思いました。あわてて余計なことはせずに、自然体で流れるように、自分のスタンスを崩すことなく、カルマ【蔵の中の無修正の知識や知恵のアクや癖や歪】を浄化して修正しておけば問題は無いと思います。カルマは何度も犯す過ちだそうで、わかっていてもやめられず、逃げてもついて回る憑依霊のようなもので、外からは見えているものだそうです。人の心は善悪が同居していて、魔のようなものが出るときは外の魔と呼応して憑依されると聞きます。除霊はそれをはずすことでしょうが、その時だけは軽くなったつもりでも一晩寝るとまた元に戻ってしまうそうです。やはり、自分の決意を固めて、その浄化・修正をしなければ簡単に消えないのがカルマで、相応の菩提心がなければ悪因の切断はできないと言います。それだけでなく、その後のために善因開墾の菩提心も発掘していく必要があると先生は言っています。”変わる”とはそのようなことだと感じました。 2009年11月6日 琢
2009年11月06日
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『流れ』 爽やかな日は 滑り出しも良く 予定を着々とこなし 人の日課は結構多いもので 無意識にやっていることも 理にかなっている 余分な仕事を減らし 重いものから片付ける ”早起きは三文の徳” いつも出来なかったことも 流れの中に入れられる よどみなく進められる 爽やかな朝は気持良いもので、空気も美味しく、楽しい予感がします。何の抵抗感も無く、鼻歌も出そうな気分になる日は滑り出しもよく、予定も着々と進み、やっていることも結構多いもので、今まで無意識にやっていたことも理にかなっているように思う。余分な仕事を減らし、重いものを見分けて、普段考えても見なかったことさえ改善できてしまう。何故こんなことが解らなかったかにも神経が配れる日もある。”早起きは三文の徳”と言いますが、流れが良いと何か得をしたような気になるものです。いつもは出来なかったことも、さらりさらりと流れの中に入れられる。よどみなく物事を運ぶことができて、過信に近い自信も湧いてくる。機嫌が良いと外から観ても見やすいもので、笑顔が増えているようで、益々気分が良くなって人気さえ出てきたと嬉しくなる日も有ります。本当はこんな時こそ気をつけるべきで、調子に乗ったときほど、見えなくなっているものがあるような気もします。思いやり、気配りを忘れないようにしたいものです。 2009年11月5日 琢 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@yahoo.co.jp> Sent: Wednesday, November 04, 2009 10:41 AM Subject: 4日の日記
2009年11月04日
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三次元は立方体 点を線にし 線を面にして 面に高さを加える 人の心の許容範囲 人の魅力はその上で 感性を備えていれば 何倍も大きく感じる 心は無限で宇宙規模 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 明るく楽しく空・くうの中で この世は三次元の世界で立方体ですが、点を線にして、線を面にすれば巾ができて土台になる。その上に積み上げていけば崩壊しないものになる。この考え方は営業にも取り入れられ、人脈チャート図をこしらえてチェックし、それを埋めていけば面ができて、その付き合いを重ねていけば確固たる立方体になって、その仕事の入手が確実になるとされている。人の付き合い、人間関係も深く絆が生まれるときはこの立方体になったときで、積み重ねが長くなれば一つの歴史ができる。人が安心して本音を言えるようになるのはこの関係が結ばれて、心を裸に出来るようになったときで、心の許容範囲だと思う。人の魅力はそこにオーラのようなもので包まれている時で、良心・菩提心・慈悲慈愛の心の感性があれば何倍にも大きく感じるものになると思う。体は立方体でも、心は無限に広がり、宇宙規模のものだから、人には宇宙があるという。かたよらず、こだわらず、とらわれずに心を最大に広く、浩然の気【宇宙大自然と一体化する心境・のびのびと安らかな心境・自由自在】を求めていけば、明るく楽しく、生まれ持った使命を果たしていくことができる。 2009年11月4日 琢
2009年11月04日
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疲れを感じるときは マイナス思考になっていて 不平不満の多いとき 足は前に向かず 誰かのせいにしたくなる 一つ一つ引っかかること多く 人は機嫌が悪いと言う ちょっと待てがあれば プラスサイドに向けられる 楽しみをつくるために 人が歓ぶことをして見る 朝起きると何か気が重く、すぐれない時はあるもので、気だるく、疲れたようなときはどこにいくのも億劫になる。大体こんな日はマイナス思考になっていて、何をやっても上手く行かないような気がする。行くとこ行くとこ、嫌なものが見えて不平不満が噴出して、足が前に向かなくなって、誰かのせいにしたくなってしまう。いちいち引っかかって、表情にも言葉にも出てしまうから、人は機嫌が悪いと言う。こんな時はどこかで止観して心の動きを先ずとらえてみて、どこかでちょっと待てを掛けられれば、失敗も最小限にできて、心の平静を保って、プラスサイドに向けていけば安定してくるものですね。”良いこと探し”をすれば、結構見つかるもので、楽しみをつくるために、人が喜ぶことをしてみると歓迎されるもので、良い材料が少ない状況では、外側に期待できず、自分で気を整えるしかないようですね。 2009年11月3日 琢
2009年11月03日
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圧迫感に反発を感じる 人に命令されたとき ”ねばならぬ”の押し付け 上から目線のものごし 古傷をほじくられるとき ”己の欲さざること人に施すなかれ!” 先ず自分から やっていけないことも 知らずにやっていることもある 大局観があれば 人に迷惑をかけない 気を付けたいことは、自分がやられたらむかむかすることを人にやっていないかをチェックすることで、自分に当てはめて客観的に観ておくことだと思う。圧迫感には反発を感じる自分、人に命令されたときに、”ねばならぬ”の押し付けをされたとき、上から目線のものごしで見下されたとき、古傷をほじくって裸にされたとき、嫌な思いの自分がいつもいたことを思い出します。自分が惨めになって、ネガテイブになって、苦痛を感じることがよくありました。やっている人は自分にだけでなく他でもやっているもので、人気も無く、”嫌なやつ”のレッテルを貼られて相手にされなくなっているもので、先ず自分がそれをしないことを肝に銘じておくよう心掛けておく必要があります。知らず知らずに自分がやっていることもあるので、大局的にものを観て、謙虚にその必要があるかを見極めてみれば、思いやり、気くばりが如何に大事かがわかると思います。人に嫌な思いをさせず、迷惑はできるだけかけたくないものですね。 2009年11月2日 琢
2009年11月02日
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人と人とを結ぶ喜びは 幼いころからのもので 自分の使命かもしれない その果報に期待せず 無私の自分になれる 物ではなく活力になればと 他のお役に立てれば嬉しいと それだけで充足感がある 損得の問題でなく 本音で奉仕ができればと 陰の支えになっていたい よく人から誤解されて、”ええかっこしい”と言われて、”あいつは阿呆や”と言われたものです。自分の会社より、人と人を結ぶことが嬉しくて、肝心な情報まで人に差し出して、ひもじい思いをしたことも何度もあった。幼い頃からの癖だと思っていましたが、物質的な果報を求めることなく、無私の自分だったと、今はそれは使命だったと思うようになってきました。唯物的なものの考え方が嫌いで、自分の活力やロマンになれば、他のお役に立っていればと喜んできました。それだけで自分の充足感があって、何か情報があれば人の顔が浮かんでくる。損得の問題でなく、本音で裸の付き合いができればと、出会いは永遠の絆を求めて、よっぽどの事情が無い限り次の世まで続くつもりの人との接し方は今も変わらない。そのことに感謝を忘れず、陰で場を支えていたいと言う自分の願いは、まさしく”月の心”と”稲穂の心”の菩提心がぴったりだと思えるようになってきました。 2009年11月1日 琢
2009年11月01日
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