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生まれには人それぞれの意味がある何をしに来たか進化のためか浄化のためか約束のためか一隅を照らすためか山登りに喩えれば何処から上っても頂上は一点上へ上への目標が有る阿呆は高いところに上りたがる上に行けば愚かさが解る困難には智慧を出し命がけの体験で何かを得る哲学はそういうものだろう自分にとって興味の有るもの、何故か無視できないもの、好奇心のはたらくものを掘り進めたくなる。どの分野のものでも掘れば掘るほど奥が深く、自分の無力を感じても、途中であきらめることができず、快感を原則としていても、快苦の必然を超えて求める領域にたどり着こうとするのが人間だろう。生まれには人それぞれの意味がある。自分が生まれたのにはそれ相応の意味が有って、何をしに来たのか、魂の進化のためか、カルマの浄化のためか、思い出せない前世からの約束のためか、一隅を照らして闇を照らすためか、高橋先生はそれを魂願と言って、魂の修復と成長のためか、出来なかった願いの成就のためか、関わりの再結のためか、内と外への照らしのためか、だと言っている。人天のわな・係蹄【忘却、喪失、無知】が有って、自分が何者かが解らなく思い出せない、何の意味が有って生まれてきたかを見失っていて試練の超え方も解らない、自分と周りの世界とは関係の無いものだと切り離してものを考えて都合の悪いことは外のせいだと思っていると言う。何かを願えば、山登りのように、何処から上っても頂上は一点で、成就しようと思えば上へ上へと上らずにはいられない。阿呆は高いところに上りたがると言うが、上に行くほど自分の愚かさが解ってくる。快感や苦痛はつきのもでも、困難には智慧を出し、奥に進むほどどの分野にも共通する哲学が有ることを知る。命がけの体験で得るもの、哲学はそういうものだろう。自分の使命と感じるものには命をかけても惜しくないと思う。快苦を超えたところにその自覚できる哲学が有るのだろう。 2014年5月31日 琢
2014年05月31日
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ホテルの優劣は設備、装備の良さのみならず交通アクセスの良さだけでなく居心地の良ささりげなく行き届いていること従業員は無私と利他の精神で思いやり、気くばりのおもてなし日本風の察し合いが品格を上げて満足感をもたらすぬくもりを感じさせ至るところにささやかな優しさを感じ再び訪れたいと思わせ誰かを誘いたくなる気にさせること心の通う奉仕をそれとなく感じさせるそれが日本のサービスだろう評判の良いホテルは、先ず女性の喜ぶいろいろな工夫の有るところ、女性の集まるところに男性が寄ってくる。どんな商売もそうだが、ターゲットは女性か子供だろう。世界の先端を行く日本、東京オリンピック開催地に成って以来は特にホテル合戦が熾烈に成っている。日本のサービス、おもてなし、これ見よがしで無くさりげなくそっと配られている心、音と水と光を観音さんの現われるものと意識しながら、それぞれの特徴を競い合っている。島国の美が有るからこその、大和魂にしか出来ないおもてなしも有るだろう。ホテルの優劣は設備や装備の良さのみならず、交通アクセスの良さだけでなく、居心地の良さで、さりげなく行き届いていること、従業員は無私、利他の精神で、思いやり気くばりのおもてなし、明るさ、厳かさ、優しさ、親切の日本風の察し合いが、品格を上げて満足感をもたらすのだろう。ぬくもりを感じさせ、いたるところにささやかな優しさを感じさせ、再び訪れたいと思わせ、誰かを誘いたくなる気にさせること、人は心の安定から安らぎを求めているもので、親しみが湧いて心の通う奉仕をそれとなく感じさせてくれるものを求めている。それがサービスの心だろう。 2014年5月30日 琢
2014年05月30日
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個人の生き方、従業の有り方生きるために働き、家族を養う従業か営業か共に組織の存続、発展の一端を担う個人の利害と企業の利害の違い精神探求と経済活動は別もので仕事に使命を感じれば良いが個人生活と従業は相反する面が有る個人の目的と組織の目的の違い人生の目的は使命を果たすことその違いを晩年に自覚する自分には嘘をつけずその矛盾が悔いを残す忍耐と妥協を何処まで出来るか自分の運命や定めが何処に有るかが解らず、事有るごとにどれを選ぶか迷い、葛藤を続けながらひともじぶんも歩んでいる。勉強して知識を蓄え、心の赴く専門分野に首を突っ込んでゆきながら、社会での有り方の常識や智慧を体験と共に積み重ねながら、世界・世の中のことを学び、精神探求をしている。生きるために働き、仕事をしながら家族を養っている。いつも疑問を抱えながら仕事に追われて家族が犠牲に成っている職業がたくさんある。個人の生き方と従業の有り方、従業か営業か、共に組織の存続と発展の一端を担っている。個人の利害と企業の利害の違い、精神探求と経済活動は、同じなら良いのだが、全く別もので、個人生活と従業は相反する面が有る。個人の目的と組織の目的の違いをわきまえた上で、人生の目的は自分の使命を果たすことだろう。晩年になれば次第に解って来るのだろうが、企業、組織、社会、世間、それぞれ個人の使命とは関係無く時と共に移り変わっているもので、その常識にどう自分を合わせながら自分の意志を通してゆくかがその人の生き様に成っている。自分に嘘はつけず、その矛盾が悔いを残すことに成るのだが、その葛藤の中でどう生きるか、忍耐と妥協が何処まで出来たかがその人の歩んだ軌跡に成っている。 2014年5月29日 琢
2014年05月29日
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比喩の使い方如何で子供にも通じる心に的確なイメージを湧かせ自己管理の応用が出来て主旨を理解させ説得性をもたせる多くの言葉を必要とせず心に描いたイメージを残すことができる仮面ライダーのイメージは『変身』自分を変えようと決意すればいつも頭に浮かぶのは『変身』それが励みになる今までと違う自分に成ろうとするとき目標に必要な心構えができる自分を客観的に観るようになれば、失敗したこと、負けて地にまみれたこと、人前で恥をかいたこと、醜態を晒したこと、格好の悪い自分を今更のように思うとき、自分を変えたいと思うだろう。自分の思うことを人に伝えることの難しさを感じるときは、結論を言う前に外堀を埋めるように枝葉のことから話し始めて長々とした、聞く方がうんざりする話し方をするより、たとえ話や比喩を上手く使うことだけで相手の心の中にそのイメージを引き出すことができる。比喩の使い方如何で子供にも通じ、心に的確なイメージを湧かせることができる。主旨を理解させ、説得性をもたせ、他に応用も出来て、多くの言葉を必要とせず、心に描いたイメージを残すことができる。自分を変えたいと思えば、その手法を教え導いて来た高橋先生が使ったのは仮面ライダーだった。そのイメージは『変身』で、自分を変えようと決意すれば、いつも頭に有るのは『変身』、それが励みに成って、今までと違う自分に成ろうとするときに、その目標に必要な心構えが出来て、決して元の自分には戻らないという自覚、覚悟ができる。カルマや憑依霊を滅しようとするときには、お金でとか誰かに除去してもらおうとか甘い心で取り組めば”もとの木阿弥”で、除去できたとしても一晩寝ればまた引き寄せている自分がいるのが落ちだろう。自分を変えるときは相当の決意と覚悟が必要で、いつもどんなときでもすぐに浮かぶものが必要だろう。 2014年5月28日 琢
2014年05月28日
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原因の無いところに結果は出ず結果有るところに必ず原因が有る都合の悪い結果には必ず自分の関与した原因が有る自己回帰して検証すれば何故かの修正課題が観えて来る願いの障碍を克服して新たな自己形成を発心するもうそれまでの自分ではないと言い聞かせ変身への一念発起が願いへの因を転換させ因縁側からの無私、利他から結に向かうことができる人天・にんでんのわな・係蹄が三つ【忘却、喪失、無知】有ると高橋先生は言う。己が何者であるかを思い出せず、生まれてきた意味が何なのか、不意に来る試練から逃れて快感だけを追い求め、自分と外の世界の関わりを知ろうとせず、他のせいにして逃れようとするばかりで試練の超え方も知らずに生きている。ふと気が付けば、行き止まり、先延ばし、投げやりの自分がいる。これではいかんと変身をしたくてもどうすれば良いかも解らない。自分を変えようと思えば、先ず自分の心の傾向を知ること、良くない結果を生み出す部分を自己検証することで見抜くこと、その部分を修正浄化すること、自分の心・因を入れ替えるための因の転換をすること、良き友や仲間と因縁側の関わりを結んで、良き縁に成りあうことが大切だと言う。原因の無いところに結果は生じず、何故その結果が生まれてしまったかの原因を自分の中に見付け出して修正浄化すること、試練が来ればその『呼びかけ』だと思って、快苦にとらわれないものを求め、こういう結果を出したいと願い、因の転換のための菩提心【観音、稲穂、月、空、川、海、太陽、大地、山、火、泉、風の12の心の菩提心】を育むこと。新たな自己形成の決意が出来れば、もうそれまでの自分ではないと自分に言い聞かせ、絶対に元には戻らないことを誓う。その変身への一念発起が、心の奥の魂の願いへの因の転換をさせ、因縁側の関わりでの無私、利他の代償を求めない菩提心から、魂願成就に結ばせることができる。 2014年5月27日 琢
2014年05月27日
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一年越しの桜の開花まぶしいほどの華やかさ心のつかえが取れるようで世の中が明るくなる満開までわずか2,3日で風と共に散ってゆくこの世の儚さを思うがすべてはその一瞬のためのようで快感を原則としていてもそれ以外は我慢と忍耐一瞬の快感を求めて日々の葛藤を重ねている苦の方が多い歩みもその一瞬で癒される人はいつも永遠を求め、嬉しいこと、楽しいことを永く続けたいと思っているが、皮肉なことに耐え忍ぶことの方が多く、どれだけ明るく機嫌良くしていられるかの精進が、その人生の歩みを決めるといっても良いだろう。この世に生を受ければ親に大切に育てられて何の不自由も無く成長してゆくが、親への感謝はあとで感じるもので、巣の中にいればこのまま変化も無くずっとここにいたいと思ってしまう。現状に満足していれば変化を好まないのが人情だが、心地良さだけを求め続けてもいられず、自分が生計を営むときが来れば、外の世界の荒波にもまれて四苦八苦をまともに受け止めなければ成らないときが来る。一年越しの桜の開花、まぶしいほどの華やかさ、世の中が明るく感じられるが、満開までわずか2,3日で風と共に散ってゆく。世の中のはかなさを思うが、この世には諸行無常の時の流れが有って、すべてがその一瞬のために有るかのようで、快感を原則としていても、それ以外は我慢と忍耐しかないだろう。一瞬の快感を求めて日々の葛藤を重ねることになるが、苦の方が多い歩みの中でも、その一瞬に癒されることが多く、それが明日の活力に成っているのだろう。心の安定を得るために、自分の生まれた意味や何をすれば満足か、何をする使命をもっているのかを、多くの体験や何でだろうと思う必然の仕組み、救われた恩恵、超えて来た厳しかった試練の中から見つけ出す、それが与えられた期間に求められていることなのだろう。 2014年5月26日 琢
2014年05月26日
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不可能を可能にするのは智慧折れないための精神力決して諦めない心構え四苦八苦は必然のヒント知識だけでは超えられず強い信念には必ず良き縁が仕組まれ頭では想定できないことが可能になる実績は確証に成って次の障碍を恐れず前向きで明るい姿勢には明運が過去の布石を生かしすべての必然を証明する活路は何処かに有るもので弱気に成らないこと今までの体験で思うことは、自分を卑下して否定的に挑戦したものは全部うまく行かず、暗病反の言葉を多用したとき、不安に押しつぶされたとき、できるはずが無いと思ったとき、投げやりや諦め気分で楽な挑戦をしたときには全部失敗に終わっている。あと少しが足らないもので、技能や計算では充分可能だったことも、もうあと一押しの粘りが無かったために勝ち取れなかったものが多かった。不可能を可能にするものには無ければならないものが有る。智慧、折れないための精神力、決して諦めない心、いつも明るく前向きな姿勢、良き仲間との縁と絆・信頼関係、が整っていれば、四苦八苦の試練は必然のヒントになる。知識だけでは超えられず、強い信念には必ず良き縁が仕組まれ、頭では想定できないようなことも可能に成る。学んだことを実践、体験して身につけておくこと、そういう実績が確証に成って、次の障碍を恐れず前向きな姿勢が有れば、過去の布石が生かされ、すべての必然を証明することができる。袋小路のように出口が見つからないときも慌てなければ、何処かに必ず抜ける道が見つかるもので、日頃の精進の積み重ねは必然の活路を見つけ出すことができる。絶対に弱気に成って放棄したり、諦めたりしないことだろう。 2014年5月25日 琢
2014年05月25日
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自分の限界を知ること限界を超える方法を考えること夢や希望を果たすには超えなければ叶わない試練が待っている方法が有っても気力が整わなければ頓挫してしまう願いが他のためになるのなら強い意思と良き縁に恵まれれば良いことは必ず誰かに認められ目標を引き寄せられるやって出来ないことは無いと前向きな信念を固めておけば天はその人に越えられない試練を与えない必ず突破口は有る迷いが出ることは多く、強気が弱気に変わってゆく場合も多い。未知のことをしようとするときにはそういうことはつきもので、信念とその裏付けが有るかどうか、過去に超えた試練に学んでいるかどうか、理解者、協力者がいるかどうか、前向きな姿勢が有るかどうかで、誰にも迷いや葛藤は有る。何をするにも自分の限界を知ることは大切なことで、分相応、足るを知ることも大事なことだろう。その上でその限界を超える方法を考えてみること。夢や希望を果たすには、超えなければ叶わない試練が待っている。たとえ方法があって条件が整っていたとしても当の本人の気力が整っていなければ頓挫してしまう。願いが他のために成るのなら、強い意思と良き縁に恵まれれば、良いことは必ず周りに認められ、理解と認知が得られ、敵対するものが少なくなって、目標を引き寄せることができる。やって出来ないことは無いと前向きな信念を固めておくこと。”天はその人に超えられない試練を与えない”、自分には超えられると信じ切ること。あれもこれもでなくしっかりと見切りを付けておくことも重要なことだろう。どんな試練にも必ず突破口が有ることと、自分の至らない部分を埋める恩恵や仕組みに感謝の念を忘れないこと、何かの呼びかけだと思うことだろう。 2014年5月24日 琢
2014年05月24日
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悔過・けか は過ちを悔いて改める懺悔はキリスト教悔過法要は僧侶が散華して浄める花会式は奈良薬師寺の最大行事時にはお寺さんに足を運ぶことも清々しい心に成れる気が付かずの過ちが多く無意識に誰かを傷つけている人間関係が思わしくないのも自分のせいと悔い改めるときをもつこといつも自己回帰してすべてを初期化すれば万能に近く成れる人には生まれてきた意味と魂の願いが有って、それを果たす使命が潜在している。死ぬまでそれに気がつかない人もいるが、それを気付かせようとする試練や仕組みが有って、その歩みの中に進むべき道、果たすべき使命を発見する人、何と無くそれが使命かも知れないと自覚する人もいる。人には思い通りにしたいと思っていても出来ないことが多く、しようと思うことの中で多くの人たちに迷惑や遠慮をさせて、苦痛を与えていることに気が付かない場合が多い。キリスト教では週に一度は自己回帰のときをもちなさいといっていて、罪を悔い改めるには懺悔することを進めている。仏教では悔過・けかと言って、過ちを悔いて改めることを勧め、悔過法要が有って、僧侶たちがその罪を散らす意味で散華して浄めていただける行事がある。花会式はその法要で奈良薬師寺の年間最大行事と成っている。時にはお寺さんに足を運ぶことも良いことで、清々しい心に成れるし何かに気がつくことも有る。人は自分の意志で歩む途中で無意識に誰かを傷つけているもので、それが元で人間関係が思わしくなくなっている場合が多く、人のせいにせず、原因は自分がつくったものかも知れないと、悔い改めるときをもつことは重要なことだろう。いつも自己回帰し、止観をしながらその原因に成っている部分を初期化して、万能細胞のようになった上で自分の願い、使命を果たすこと、そのために生まれて来たと言えるだろう。 2014年5月23日 琢
2014年05月23日
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春の朝は新鮮な空気が美味しい清々しい気分で新芽がふくらむ頃淀川の堤には土筆をさがす人青空の下で待ちわびた夜明けに深呼吸が体を活性させ”よしやるぞ”と気を整える四季の移り変わりも心の節目力を溜めるとき、発揮するとき折り目正しさも自然の摂理年を重ねるほど豊かに成る人は出会い、出来事、事態を受け止めながら成長してゆくものだが、他のせいにして逃げるたびに自分の成長は鈍化してずるい人間に成ってゆく。体験するたびに知恵が付いて、それが自分の根拠に成ってゆくものだが、逃げるほど自分の主導権を手放してゆくことになる。何でも正面で受け止めて人智を尽くせば、そこに自分の生きる道を見つけ出すことができる。節目には新たな自分に成ると誓いを立て、自分の傾向と対策を練ることができる。春の朝は新鮮な空気が美味しく感じるもので、清々しい気分で自然を観れば、新芽がふくらんで、淀川の堤にはつくしをさがす人が増えている。青空の下で、待ちわびた春の夜明けに、深呼吸や背伸びをしながら体を活性させ、血の循環を良くすれば代謝も良くなる。四季の移り変わりも心の節目で、力を溜める・チャージする時期も有れば、発揮する・チャレンジする挑戦する時期も有って、すべての準備の大切さを思う。折り目正しさ、智慧の蓄積、試練に立ち向かう勇気と姿勢、自然の摂理によってそういうことまで学ぶことができる。あとは実践するかしないか、どちらも自分の意志で決まるもので、多くの選択肢を前にして取捨選択するのも自分の決断と人は判断する。何もしないことも自分が選んだ道で、結果が良くない場合でも、自分は何もしていませんでは通らない。選択の自由は有るが慎重に受けて、その責任を担う自覚が必要だろう。歳をとれば豊かに成ると言うが、そういうことを学んできたという意味だろう。 2014年5月22日 琢
2014年05月22日
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友と深く交われば良いところも悪いところも見えて来る良くないところは改めて良い芽を伸ばしてゆく友との関わりのありがたいところは自分の見えないところを観てくれる何度も失敗を重ねたことにも光明は観えて来る孤独を解消して共有し合い良き縁に成り合えば深い絆が生まれるそれが人生のすべてだという何ごとも粗末に扱わないことだろう一人でも自分のことを親身に考えてくれる人がいれば、心強く、一人の理解者がいれば救われ、孤独にも耐えて行ける。手探りの道では何度も怪我をするだろう。怪我は自然治癒力、時間が癒してくれるが、心の傷はいつまでも警戒心と共に心の中に残っている。その原因を自分では見つけられないときもあって、鏡のように人の心に映っている自分を客観的に観てくれている人がいれば、教えを乞い、修正浄化もできる。友はありがたいもので、深く交わるほど良いところも悪いところも、互いのものが見えて来る。良くないところを改めて、良い芽を伸ばしてゆく協力者に成ってくれている。何度も失敗を重ねたことにも超えさせることも出来て、先の光明さえ観えて来る良き理解者に成ってくれ、しっかりと道を行ける自信と信念、信頼関係が生まれてくる。孤独を解消して、共有し合い、良き縁に成り合えば、深い絆が生まれ、いのちをかけても惜しくないと思うようにも成れる。お釈迦さんは弟子のアーナンダに、それが人生のすべてだと言った、という。どんなこと、出会い、出来事、事態や人とも関わりをいい加減に、粗末に扱わず、大切に、真剣に対応することから何かが観えて来るもので、人の写し鏡にも信頼できる人として映っているだろう。信用が裏切られるこの忍土の中で、一人でも信頼できる人がいれば心強く、信じ合う相手がいること自体が幸せなのだろう。 2014年5月21日 琢
2014年05月21日
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自分の選択肢が無くても他の役に立つのなら選択肢はいくらでも有る因縁側に立てばその責を共有し同じ荷を背負う損得に関わらず代償を求めず与えっぱなしの蔭の支え他人事で済ませず良き縁に成り合う宇宙大自然の摂理に従ってその恩恵に感謝して人智を尽くし、人智を超える今でも間違っていなかったと思うことは、会社を設立して独立したときに誓った言葉は『一期一会』、次が『人事を尽くして天命を待つ』、今は『浩然の気』、この心境には程遠く、心の安定を願って立てた目標だが、宇宙大自然と一体化する心境にはまだまだで、のびのびと安らかな心境に成るには感情が動きすぎる自分で、その初期化の真っ最中だが、必要な菩提心は『月』のように闇を照らし、蔭で場の照らしをすること、自らの輝きが無くても太陽の光をもらって照らすことができる、そんな自分に成りたいと思っている。自分に選択肢が無くなっても、他の役に立つ心に成れば選択肢はいくらでも有る。因縁側に立てば、その責を共有し、分担して同じ荷を背負う自覚をもつこと。損得に関わらず、代償を求めず、与えっぱなしの蔭の支えもこの忍土には必要だろう。他人事で責任回避して済ますことなく、互いに良き縁に成りあうことが与えられた使命だと思って、功名心を滅私、宇宙大自然の摂理に従って、その恩恵や仕組みに感謝して”人智を尽くし、人智を超える”ことで、天の『羅網』、一つの網の目、一つの細胞として全体が活性するような役を果たしたいと思う。 2014年5月20日 琢
2014年05月20日
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自己検証は相手の問題でなく自分の言動の中に摩擦を起こす原因の検証で相手の立場も考慮に入れて押し付けが無かったか傷つけることが無かったか優位支配が無かったか中道であったか原因の修正浄化をすること自分の都合を優先しないことカオスを広く取ること許す心を以って相手の仏性に敬意を払うこと順番、本筋を間違えないことだろう何か問題が有ったとき、無性に腹の立つことが有ったとき、攻撃された意味が解らないとき、都合の悪い問題が起きたとき、先々自分にとって不利な問題が起きたとき、どう見ても相手が一方的に悪いはずのことも、人のせいにして片付けて責任転嫁をせず、ことの成り行きを回帰しながらなぜその問題が起きたか、その原因の中に自分が関係していなかったか、自分の言動の中に摩擦を起こす要因が無かったかの自己検証が必要だろう。相手の立場も考慮に入れて、押し付けが無かったか、傷つけることが無かったか、相手の自尊心を損なうような言動、優位支配が無かったか、中立的に、客観的思考で、その原因を考え、察するところは察して、問題の修正浄化をすること。なかなか出来ないことだが、素直に謙虚に成って、中道でものを考えてみれば、結構自分の都合を優先した結果も多く、カオス・混沌とした状態、どっちに転ぶか判らない状態、自分の常識で無く世間の常識を当てはめて、許す心をもって許容範囲を広げ、相手の仏性に敬意を払って懐を深く取ることが大切だろう。ものごとの順番や本筋を間違えないことが重要なことで、心の狭い人、自分勝手な人、格好だけが大切な人、などのレッテルを張られないように、自分の可能性を狭くしないように、検証した原因を改めておくことが大切なことだろう。 2014年5月19日 琢
2014年05月19日
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人間の歓びは他の幸せ誰かの恩恵になれば一人でも良い自分の存在価値が自覚できればそれを使命と思える他に認められることで自分の自信に成り信念は揺らがない利己的に生きるとき虚しさと孤独を感じ笑顔の交流を求めてそれができる自分に成りたいと思う他から奪って物をかき集めてもそこに幸せは無く円満に共生することを願っている生まれたときからみんな誰に教えられるでもなく良心が備わっていて、この世のすべてのものと共生するように成っている。始めは親から頂く”もらう幸せ”、自分でやって”できる幸せ”、出来るようになれば人にしてあげたくなって”あげる幸せ”を自分の歓びとする。人にして差し上げるときに自分は無く”無私”に成って、他のために”利他”の心で何かのお役に立てればと思っている。人間の歓びは他の幸せで、誰かの恩恵になれれば、たとえ一人の人だけでも自分の存在価値が自覚できる。一人だけでも解ってくれる人がいれば生きてゆける。使命と感じること、生き甲斐と思うこと、して差し上げたことが他に認められることで、自分の自信に成って信念が揺らぐことが無い。利己的に生きるとき、そこに心の安定は無く、虚しく孤独を感じている。他から奪って物を自分の懐にかき集めても、そこに幸せは無く、みんなで分かち合って、円満に共生することを願っている。それが人の本性であり本能だろう。転生の究極の目標は他の光になること、救済、闇を照らすこと、一隅を照らして成仏することだろう。伝教大師最澄さんは、道心、忘己利他、一隅を照らすは国の宝なりといっている。 2014年5月18日 琢
2014年05月18日
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世界中の国々の関係各地の紛争各国々の為政者は自国が食べるために他国との紛争が絶えない地上に共生する人間として国境がいのちの境目で有っては成らない相互の都合の違いの脅し合い原点【良心と人間愛】の理性でさえ影をひそめる激論は平行線使えない軍備に金をかけて為政者の都合で動かされているこの地上に共生するいのちも餓死者も地域的には多いこの愚かさを誰が止められるのか何千年も続いている民族紛争、国同士の対立の脅威、天変地変、世界経済の停滞、不安材料の多いほど各国の為政者は、自国の食糧確保のために、発展のために他国との紛争が耐えない世情の中で個人の果報を求めようとするものもいる。この地上に共生する人間として、思想、宗教の違い、言語の違い、国境の違いがいのちの境目に成ってはいけないと言いつつも、それを止めることが出来ていない。相互の都合の違いの紛争、永年の恨みや憎しみ、原点・良心と人間愛でさえ影をひそめる激論はいつも平行線に終わってしまう。使えない軍備【使ってしまえば世界が終わってしまう核兵器の保有】に金をかけ、僻地では餓死する子供たちが耐えないというのに、為政者の都合で世界が揺れ動かされている。この地上に共生するいのちの危機も、後進国の餓死者の多発、その原因を辿ってみれば、唯物主義、刹那主義、利己主義が心の何処かに有って、眼に見えないものを信じず、見えるものつかめるものだけをわれ先に取ろうとする醜い争い、自己顕示欲、自我我欲、自己保存だけのために、動物には無い同族同士の殺し合いをやっている。この愚かさを誰が止められるのだろうか・・・。 2014年5月17日 琢
2014年05月17日
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守備と攻撃守備は六方の全域弱い部分を修復し攻撃は弱い部分を攻める部分的に全力を出す弱点は何処かに有るもので集中攻撃には耐えられない傾向と対策は攻守ともにあって策の優れた方に軍配が上がる守備の難しさは全方向に有ってストレスが溜まりやすい攻撃は意志の強さと集中力すべてが整うときだけ常勝できる何ごとも続けることの難しさ、尊さが有るが苦しさに耐える力が無ければ、どんなことも挫折してしまう。精神力の充実、意志の堅固、気力、挑戦意欲、素直な修復能力、発想の転換、集中力と分析力、判断力と決断力、不動の心、視野の広さ、目的意識、包容力、懐の深さ、器、理性と知性と智慧等々が整っていなければ、その弱点が現実に成ってこの世の忍土の恐ろしさを知ることになる。自分の愚かさと無力を知るのがそういうときだが、いつも何処かに恩恵が仕組まれているもので、感謝の心と謙虚な心で、どんな試練でもその改善のための呼びかけと前向きに受け止めることが重要なことだろう。守備と攻撃を考えれば、守備は六方【前後、左右、上下】の全域で、攻撃は部分的に全力を出して突き通す。弱点は何処かにあるもので、集中攻撃には耐えられないが、攻撃するほうも守備はがら空きに成っている。傾向と対策は攻守共に必要なもので、策の優れた方に軍配が上がる、果報が与えられる。守備の難しさは全方向に有って、ストレスが溜まりやすく、諦めて放棄すれば二度と勝ち上がることは出来ないだろう。攻撃も守備を整えた上ではじめて有効になるもので、意志の強さと集中力、持続力が有れば、点滴石を穿つ道理でいつか突き通すときが来る。守備範囲の広さ、方針を決めた後の実行力、剛柔両面が必要だろう。 2014年5月16日 琢
2014年05月16日
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挨拶は心を和ませる笑顔だけでも敵意を感じさせず親しみを与えるグッドモーニングだけで一歩近くなったような気がする言葉は違ってもインターナショナルに成った今ちょっとした和が心に針の穴を開けるように生い立ちの壁を外す国境を外した出会い人間としての有り方邪気を入れない接し方人の交流はそこから始まる国がいがみ合って対立していても、一人の国民同士は、共生するための良心は同じものをもっていて良い人たちが多い。国が常識で考えられない悪いことをしていても、そこの民はほとんどが良い人たちだろう。国際化して情報がゆきわたっている今の時代は、特に東京オリンピックの準備段階の日本人としては、国際的な視野をもつ必要が有るだろう。人間同士としての一歩は挨拶からだろう。挨拶は人の心を和ませ、笑顔が有れば敵意を感じさせず、親しみを以って接することができる。グッドモーニングだけで、一歩近くなった気がするもので、言葉が違っても、ちょっとした和が心に針のような穴を開けたように、生い立ちの壁を外すことができる。国境を超えた出会い、人間としてのあり方、国の境目がいのちの境目で有っては成らない、邪気を入れない接し方、そういう心・国は違っても誰もがもっている良心、そういう心で原点に返ることから同じ地球人としての交流がはじめられるだろう。相手の身に成って考え、自分の都合を前に出さず、無私、利他の心で思いやり、気くばりを傾ける日本の心が『おもてなし』なのだろう。 2014年5月15日 琢
2014年05月15日
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茨木市千提寺、見山の郷は雪が降っていた桜吹雪のようでのどかな山里は寒かった朝取れた野菜はみずみずしく隠れキリシタンの集落は高山右近を偲ぶようにそっと息をしている合掌造りの茅葺きに陽の光が差し込んで冷たい空気も心地良く心を初期化して清々しい気分のひとときだった山里に 思いでさがす 千提寺右近を偲ぶ 初期か求めて時には子供の頃を思い出すように懐かしさを求めたくなる。”山里”とか”里山”の言葉が何か田園風景や”大和は国のまほろば”のような前世にも関係するような懐かしさを感じる。まだま村は茨木市千提寺にあって、その上にはキリシタン資料館が有る。近くには見山の郷が有って、今風に言えば”道の駅”のような市場で、朝取れたみずみずしい野菜が並んでいる。その日は雪が振り出して、山桜の桜吹雪のようで、のどかな山里も寒かった。あの一帯は戦国時代にキリシタン大名の高山右近の領地で、隠れキリシタンの集落がひっそりと並んでいる。右近を偲ぶようにそっと息をしているようで、今も静かな雰囲気のおとなしそうな素朴さが残っている。そんな中に有るまだま村は合奏造りの茅葺き屋根のお茶屋さんのようで、周囲の山には竹林も有って、風が吹けばコンコンと音がしたり、木漏れ日が差し込んで、その佇まいがどこか心惹かれるものが有る。入り口には坂村真民先生の『念ずれば花開く』の石碑が有る。雪のぱらつく冷たい空気も心地良いもので、子供の頃の懐かしさの中に、今の自分の心が洗われて、清々しい気分のひとときをすごすことが出来た。時には心の洗濯をして真っ白に初期化された自分になったような気を求めるのも良いだろう。どこかひっそりと自分の身を守っている自分のようで、隠れキリシタンは同類のような気もしてくる。 2014年5月14日 琢
2014年05月14日
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しきたり作法には地域性が有るサービスには公式的共通性が有る奉仕の心には愛・菩提心が必要で”己の欲さざることを他に施すこと無かれ”相手の心境に合わせる誠意が人の心を和ませる接客は思いやりの精神で無私、利他に徹することものごとの順番を間違えず理に叶った対応をするすべてをわきまえて置くこと自然に表れる姿勢と精神で心を尽くした真心を差し向けるそれが和の原点だろう約束した人を迎えるための準備にはそれぞれの土地の風土に合わせたしきたりや作法が有って、自然の美しさに自分の気持ちを入れた花を生け、御茶や料理の用意をして心からのおもてなしをするのは日本だけにしかない細やかな心遣いが有る。サービスには公式的共通性が有ってマニュアル化されているが、奉仕の精神には愛・菩提心が必要で、形だけ整えれば良いというものでなく、自分の智恵をさりげなく張り巡らせるくらいの心尽くしが必要だろう。”己の欲さざることを他に施すこと無かれ”で、自分がされて嫌なこと、困ることを相手の身に成って考え、相手の心境に合わせる誠意が人の心を和ませることに成る。接客は思いやりの精神で、無私、利他に徹することが原則で、ものごとの順番を間違えないように不注意なことの無いように戒めておくことが必要だろう。理に叶った対応をすること、すべてをわきまえて置くこと、その上で、自然に表れた姿勢と精神で心を尽くした真心を差し向けることが結果的には和の原点に成ることだろう。帰ってからまた行きたいと思っていただける迎え方の工夫が日本にしかない特有のものが有るだろう。単に国会の答弁のように揚げ足を取られず、優等生的な、常識をわきまえた、マニュアルに沿ったサービスはロボットや人形にもできることで、そこに生きた人間の真心が入っていることが重要なことだろう。 2014年5月13日 琢
2014年05月13日
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お金は交換経済の媒体集団の判断基準は唯物的価値判断見えるものと見えないもの心の中までは手に採れずかたより、こだわりは相容れないものとらわれれば距離感が出来て納得できれば悔いは残らず割り切りで妥協するしかない刹那的は永く続かず利己を通せば嫌われる相手の身になれば調和ができる心はお金や物の枠にはまらないお金さえ有れば何でも買えるという風潮が20世紀に横行していた。お金は人の心まで動かせると思っていた人は多かっただろう。実際バブル経済の頃は土地の価格が異常に高騰して、東京都一都の土地価格でアメリカ全土が買えたと言われたくらいだった。財閥のビルを買い取ったり、大リーグの球団の買収を考えたり、気が狂ったようなときがあった。お金は交換経済の単なる媒体で、集める目標には成っても人の人生の目標には成らないだろう。お金さえ有れば何でも買える、人の心でも買えると本気で思っていたときが有ったように思う。集団の判断基準は唯物的なもので、見えるもの、手に取れるもの、証明できるものが基本だった。文化文明のすべての根底に有る人の心は見えないもので、心の中までは手に採れず、偏りやこだわりの相容れないものとして処理して、とらわれれば距離感が出来てしまう。納得すれば悔いは残らないが、何で納得させるかと言えば、合理で割り切って妥協するしかなかった。自分のことだけを考え、今さえ良ければと虚しさを押しのけて、見えるものしか信じられなかった時代が20世紀だったように思う。時代の三毒に侵され、唯物主義、刹那主義、利己主義に浸り切っていたと高橋先生は言う。 2014年5月12日 琢
2014年05月12日
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何を食べても美味しいときは健康なとき唾液の出も味を良くして満足すれば吸収も良い消化が良ければ代謝も良く元気が湧いて来る肌も艶が良くなり心を穏やかにすれば血行も血色も良くなる明るい笑顔と共に相手も明るくして心を配るゆとりも湧いて来るおもてなしは思いやる心から人との和が生まれる人の心臓の鼓動は1日100000回打っていて、内臓は自律神経で自分の意志に関わり無く動いている。心と体のバランスが良ければ健康が保たれていて、怒らず、恨まず、憎まずに穏やかな心でいること、運動や気分転換も必須のことで、血流が良ければ血色が良く、すべての臓器も、体も申し分の無い動きが出来ている。何を食べても美味しいときは、健康なときで、唾液の出も味を良くして、満足していれば吸収も良く、消化が良ければ代謝も良く、何かをしようとする元気も湧いて来る。その状態を続けていれば肌の艶も良く、分泌が多ければ循環を良くして、心を穏やかにしていれば、機嫌も良くなって、血行も血色も良くなる。機嫌が良いときは表情も明るく、笑顔も自然に出て雰囲気が良くなる。相手も明るくなって、周りの雰囲気も良くなれば人が集まってくる。周りに心を配るゆとりが出てくれば、思いやりの心がはたらいて、おもてなしがただのサービス・奉仕ではない、心からにじみ出た優しさ、親切、人の良さ、品位に成って、そこに人とも和の輪が生まれている。心技体を整えるとは、そういうすべてのバランスを良く保っているということで、良くない想念や偏った生活からそのバランスが崩れ始めて何処かに異常が発生してしまい、病気に成ってしまう。病は気からということを専門家の医者も認めている。 2014年5月11日 琢
2014年05月11日
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厳冬を超えれば春の足音と共に晴れた日の新芽の輝き開花を待つ自然の摂理機嫌の良い幼児の笑顔固まった心を和ませるもの元気や勇気はそこに湧き出してロマンがちらつけば明るい心は前向きに成って泉のように湧き出す閃きが発想を転換して挑戦意欲を高めながら広がる選択肢の中に自分の道を見付け出す春夏秋冬の四季は、春が発心、夏が厳しい修行、秋が菩提心を育むとき、冬が涅槃、お遍路さんの徳島が発心、高知が修行、愛媛が菩提心、香川が涅槃のように当てはめることもできる。厳冬を超えれば、春の足音が聞こえて、晴れた日の新芽の輝きを観れば、開花を待つ自然の摂理を思い、ポカポカ陽気に走り回る幼児の笑顔に、寒さに固まった心を癒されて和やかな気分になる。元気や勇気、気力はそういうところから湧きだして来る、メンタルなもので、心にロマンがちらつけば、明るい心は光に向って前向きに成り、夢や希望に向う閃きが泉のように湧きだして来る。固まった心が柔らかくなれば思考も柔軟に成って、発想の転換をすれば、挑戦意欲が湧きだして来る。心の中に広がる選択肢の中に自分の道が鮮明に観えて来るだろう。過去の歩みを観れば何を願い、何に挑戦して、どういう原因で失敗したかが解って来て、修正浄化した心を、これから何処に向わせれば良いかがおぼろげに観えて来るだろう。失敗の中には願いが有って、その種類の共通点から自分の生まれてきた意味や使命が見つかるだろう。嬉しいと思うこと、楽しいと思うこと、歓んだこと、生き甲斐を感じていること、恩恵に感謝したこと、誰かの役に立てたこと、そういうことに失敗したことの中には魂願が入っている。 2014年5月10日 琢
2014年05月10日
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一族の連帯意識良きにつけ悪しきにつけその恩恵を被っているその遺伝子の社会的評価は事と次第では社会的制裁に変わる感動は一族のみならずその地域に名誉なことも不名誉なこともお国柄を示すことも有る先祖意識は必須のことで自分だけに留まらず連帯責任を負わされる仏壇やお墓参りはその意識の有無によってその守護指導霊を癒すことになる人にはそれぞれ守護指導霊がいくつかついていると言われている。思わぬ人との出会いの恩恵、自分以外の力で救われる恩恵、無意識に選択した道、修正浄化すべき原因の発見、など、自分にとって必要な必然の仕組みを与えてくれているのは、神仏と守護指導霊によるものだとも思われる。魂と肉体には『三つのち』【血筋、土地柄、時代の知識】の影響が大きく、見えない遺伝子が通っている。一族の連帯意識や愛、良きにつけ悪しきにつけその恩恵を被っている。その遺伝子の社会的評価は事と次第では社会的制裁に変わってしまう。人々に感動を与えれば、一族のみならずその地域にも、名誉なことも不名誉なことも、お国柄を示すことにも成る。人は感情で動いている場合が多く、殺人者になる可能性は誰にも有って、殆んどの人がその手前で思い止まっている。紙一重のところで家族のことを思ったり、守護指導霊の仕組みがはたらいたりして、事無きを得ている。先祖意識と感謝の念は必須のことで、自分だけに留まらず、連帯責任を負わされる場合が多く、仏壇やお墓参りはその意識の有無によって守護指導霊を癒すことになる。仏壇やお墓は亡き先祖を思い出す窓口のようなもので、人の意識もそうだが霊もいつでも思ったところに行けもので時空を超えていて、自分が行けばそこに先祖の霊・守護指導霊も来ていると言う。徳切れや守護指導霊に見放されないようにいつも心掛けておくことは、布施をして得を積んで置くことと先祖意識を高めておくことだろう。 2014年5月9日 琢
2014年05月09日
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自分の居場所をつくろうと自己顕示をするが存在価値は誰かが観ているもので黙々と為すべきことをしていればそこに花は開いている目立とうとするほど下心が見えてしまうただ素直に謙虚に成って自然体でそこに在ることで空気に溶け込んでいる”キジも鳴かずば撃たれまいに”認めさせようとするほど反感をもたれてしまう何の主張もせずに其処に在るだけが良い色即是空 空即是色人は写し鏡のようなもので、隠したつもりでいても見えてしまっている。親しくなるほど何を思っているかが分るようになる。自分の姿を見ることが出来ないが人に見てもらえばどんな格好をして歩いているか、無意識の癖まで教えてもらうことができる。自分では気が付かないものを親しい友に探してもらうことも、相手の良いところを見つけ出してあげること、そういう友や仲間がいれば、自分のバロメーターに成ってくれているもので、その得がたい関わりには、前世からの約束の友もいると言う。人は友や仲間がいることでそこに自分の居場所を肌で感じるもので、俺はここにいるぞ、と言わんばかりの自己顕示をしなくても存在価値は誰かが観てくれているものだろう。黙々と為すべきことをしていれば、友や仲間の縁と共に、そこに花は咲いている。目立とうとするほど、自意識の強さや下心が見えてしまう。ただ素直に、謙虚になること、自然体で其処に在ること、家具や置物のように自己主張をしないで自然体でその場に溶け込んでいること、禅で求める『空』はその場の空気に溶け込んでいる状態を言うのだと言う。”キジも鳴かずば撃たれまいに”と言うが、自己顕示をするほど、認めさせようとするほど反感をもたれてしまい、自分の意を通そうとするほど他に迷惑をかけているもので、何の主張をしなくてもそこに在るだけで良いのだろう。 2014年5月8日 琢
2014年05月08日
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誰にも好き嫌いは有るが私情をはさむのは禁物集団に入れば個人的感情を抑え中道を目指すかたよらず、こだわらず、とらわれずに懐をひろくして寛容であること器を問われ、品格を問われる中で幅広い自分を求め些細なことにとらわれず相手の止むに止まれぬ正しさを受容し互いの良い芽を見つけ合うこと子供の頃に親に言われたことは、勉強の出来る子と友達になりなさい、下品な子と友達にならないように、などと言われたものだが、類は友を呼ぶで自分を相手にしてくれる子と縁が有ったのか、親の期待通りには成らなかった。人の生い立ちには個人差が有って、いくら親といえどもその偏った影響を受けている。縁はあとになるほどわかってくるものだが、子供は特に好き嫌いで動いている場合が多く、自分を理解してくれる子が同類だったから、息が合って友達に成っていたのだろう。誰にも好き嫌い・好みが有るが、先祖や親の遺伝子から来る意識と前世以前から潜在的にもって来ている意識が有る。友達に成れば何れそれぞれの好みの傾向を知るようになって、その上で付き合いが始まる。喧嘩や絶交の原因を知ることで、私情をはさむのは禁物だということも判って来る。大人に成って集団・社会・勤めた会社やサークルに入れば、個人的感情を抑え、中道を目指す方が良いことに気が付いてくる。客観的に観ているときは、かたよらず、こだわらず、とらわれずをモットーに懐をひろくして寛容であることを心掛けている。どこかで誰かが観ているもので、器を問われ、品格を問われる中で、幅広い自分を求めようと努力している。些細なことにとらわれず、なるべく感情を動かさないようにしながら、相手の止むに止まれず正しさを理解して受容し、その仏性に敬意を祓うことから友情が芽生え、絆を深めることになる。そういう関わりから、互いの良い芽を見つけ合い、切磋琢磨しながら自分の因・良い種を変えてゆくことで協力者や仲間も現れて、一人では出来ないことができるようになったり、強い信念をもてたり、必ず自分が超えなければ成らない試練や障害に前向きに成れる、転んでもただでは起きない自己形成ができるのだろう。 2014年5月7日 琢
2014年05月07日
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趣味でも遊びでも何か一つ目標をもつこと心にロマンが有るとき楽しみが一つ有れば仕事は生活のため家族を養うため忍土にはストレスがつきもので仕事とリクリエーションは表裏一体気分転換は欠かせないもの楽しみが有れば明るく機嫌良く表が有れば裏が有る人知れず重ねる忍耐の中で初期化して自己変革をするただ素直に、謙虚に良心が人の心の戒めの原点に成っている。自然の摂理に従う共生するための心で、人のつくった秩序を守るための法律の元に成っている心が良心だろう。転生の課題に成っているのが人の魂の中に有る自分の使命を果たすことだが、それを見つけて自覚する道のりが人生の歩みだろう。生きるためにははたらかなければ成らないが、趣味でも遊びでも何か一つ目標をもつことが重要なことだろう。心にロマンが有るとき、楽しみが一つでも有れば、それが生きる支えに成っていることも有って、仕事でも勇気を出して挑戦する気力の元にも成る。仕事は生活のため、家族を養うためで、仕事が生き甲斐で使命を感じて全力を尽くせる人であるのが一番だが、そう思えない人が多く、この忍土で生きていればストレスはつきもので、その解消法の有無が人生を決めるといっても過言ではないだろう。仏教には『転依』・てんね【気分転換、チャンネルを変える、意識を別のものに移すこと】が有るが、仕事とレクリエーションは表裏一体のもので気分転換は欠かせない。楽しみが有れば明るく機嫌良く生きていられ、明日のエネルギーの元にも成っている。どんなものにも表が有れば裏が有るもので、表には見せなくても人知れず重ねた忍耐は誰にも有るだろう。忍辱は試練を超えるときに有るもので、次の試練を超えるため、生まれてきた意味を知るため、使命を見つけるための『呼びかけ』と思えば前向きな心に成れるだろう。原因無しに起こる結果は無く、その原因と成っている部分を初期化すれば自己変革ができる。”ただ素直に、謙虚に”成ることで、魂の初期化をすることが出来れば菩薩や如来のように万能の魂に成れるかも知れない。 2014年5月6日 琢
2014年05月06日
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健康なほど煩悩が盛んで快感原則の中では楽な方を選んでしまう煩悩を充たすために作意しても欲界のものは欲界でしかなく別境で勝解しても戒めと智慧には成るが煩悩が理性を忘れさせる迷路は自分でつくり出すもので諦めなくていいところで短慮に成る可能性を待つこともせず迷いのために道を間違えてしまうどんな展開も想像できる先のことに、円環的思考がぐるぐる回り始めれば、迷いだらけの自分に成っている。一歩を踏み出す自信が無く立ちすくんでしまうことは誰にでも有ることだろう。先を読もうとするより今日をしっかり生きることに専念すれば、明日は必ず来るもので、作意・さい・何かをしようとすること・したことをやってみてから解かったことが多い。自分の都合・煩悩次第で失敗することが多く、かといって健康なほど煩悩はさかんで、誰しも快感を原則としている。楽な方を選ぶのは人情だが、そのために戒めが有る。欲界のものは欲戒でしかなく、別境では勝解・しょうげ・正しく覚ってみても、戒めや知恵に成っているものの煩悩を充たす偏行では、煩悩が理性を忘れさせてしまう。自分に対する甘えが多く、迷路は自分でつくり出してしまう。甘えた心が、諦めなくていいところで短慮にさせ、可能性を追求、待機することをせず、迷いのために道を間違えてしまうケースが多くなっている。正気に戻れば良く解ることでも乱心のときは感情だけで動いてしまうことが多く、止観【感じ、受け止め、考え、行為を書き出してみて正気のときなら何処でストップをかけるかを観ること】してみればどこで留めるべきかが観えて来るだろう。自分の愚かさを知ることの大切さを思う。 2014年5月5日 琢
2014年05月05日
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親に誉められたいと思う子は誉められる方向に伸びてゆく日本人は誉めることが下手で甘い言葉を使わない厳しい言葉を使うが心の底には愛が有る誉められたくて頑張るが自分で勝ち取るまで観られている転ばぬ先の杖を打ってくれるが出来ない自分は劣等感ばかりコンプレックスが偉大なことをさせるがその道には縁が無く葛藤の日々が続いている親がいなければ、先祖が無ければ、今ここにいる自分は無く、生んでくれたことへの感謝の念は有るが、自分が何をすべきかが解っていない。それを探すのが人生というが、霊的能力が無いまま手探りで、自分の使命が見つかっていない人が殆んどだろう。親は歳と共に重ねて来た智慧で教えようとするが、それが自分の都合とはいつも反対のことが多く、束縛だ、押し付けだと抵抗するのが子供だろう。自分の歩む道は多くの選択肢の中から自分が好きだと思う方向の中から自分で選択するもので、いい加減な歩みをしているものほど、良くない結果に出会えば人のせいにして自己回帰をしない。いつも親に誉められたいと思っているが親の期待に添えず、自信がもてないまま歩んでいる。子は誉められる方向に伸びてゆくものだが、日本人は誉めることが下手くそで、厳しい言葉を使うが少々の努力では誉めてもらえない。心のそこに愛が有るのは解っていても、ただ甘えるばかりで、成就するまで黙って観られているような気がする。転ばぬ先の杖を打ってくれるが、出来ない自分は劣等感で、もっと楽な方を選んでしまう。コンプレックスが人に偉大なことをさせた歴史がたくさん有るが、覇者に成る道に縁が無く、天国の親を喜ばせるだけの自分に成れていない。無形の心の道の中で、最近に成って、自分の願いが人との関わり、和、絆を深める、その分野の蔭の支え、そのための頓服であったり、カンフル剤であったり、接着剤に成っていたい、と思うことが間違いではなかったと思えるように成って来ている。 2014年5月4日 琢
2014年05月04日
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失敗に学ぶ世の中思うようにならないこと意志が弱ければ通用しないこと果報は努力に見合ったもの期待の半分と思っておくこと失敗の原因を究明し改めるべきは改めて意志を強く保つこと人事を尽くして天命を待つ潜在能力を信じきること可能性は無限に有る信念を貫くこと邪念を捨てること自分の場合は殆んどの場合に自信がもてなかったこと。何をするにも確信がもてず、何の知識も無く、準備も疎かに挑戦したあげく大失敗の繰り返しだった。唯物的に得るものは何も無かったが、失敗で得た智慧だけは残っている。何のために学ぶかは、食うために学ぶ専門知識と人間関係で摩擦を起こさないために学ぶこと、そのために無私、利他の精神が必要なこと、業・カルマを削ぎ落としておくことだろう。カルマは厄介なもので今生にものより前世から引きずってもってきているものが多く、遣り残しの塊のようなものだからこそ手に終えないものが多く、相当の覚悟を必要とする。何をするにも気力が必要で、勇気を以ってどんなことにも挑戦し、どんな失敗にもその原因は有るもので、人のせいにして逃げず、素直に謙虚に成って自己検証をしておくことが重要だろう。果報は努力に見合ったもので、期待の半分と思って置く方が良いだろう。改めるべきは改めて、試練が来れば何かを学ぶ呼びかけととらえ、自分の傾向を知って可能性を追求すること、人事を尽くして天命を待つ自覚が必要だろう。自分の潜在能力を信じ切ること、信念を貫くこと、意志を強くもって気力を整えて置く心構えが必要だろう。煩悩・邪気を捨てることは言うまでも無いことだろう。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす神理を求め 逃げることなく 人のための 光となる 2014年5月3日 琢
2014年05月03日
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どんな道も平坦な道は無く山を超えなければ先は見えて来ない目的地は遠くても一歩一歩の積み重ね先を思えば気が遠くなりそうでも日々を挑戦を楽しまなければ諦めが先に来る黙々と進むしかなく振り返れば歩んだ道が尊く何もせず立ちすくんでいては自分を責めて閉鎖的に成るだけ焦らず確実に歩を進めるしかない明日を思い煩うことより、今日の一歩をしっかり噛み締めながら、明るくエンジョイしながら歩く方が楽しみが多く、今日を楽しもうとするなら、過去の失敗の原因を元から断って、摩擦を起こすことなく無私と利他の心構えで、和して集団に身を置くことだろう。人にはそれぞれ違う道が有るが、どの道も平坦な道は無く、山を超えなければ先が見えて来ないもので、先は因果応報・因縁果報次第で自分の心の有り方にかかっている。夢や希望の目的地は遠くても一歩一歩の積み重ねで、先を思えば気が遠くなりそうだが、日々の挑戦を楽しまなければ、前向きになれず消極的に成って、諦めが先に来てしまう。黙々と進むしかなく、西遊記で三蔵法師・玄奘三蔵が『不東』の決意で天竺を目指したように、甘い気持ちを捨てることだろう。自分を変えようとすれば『変身』する覚悟を固めて『克己』に努め、今までの自分ではないと自分に言い聞かせ、絶対に元に戻らない決意が必要だろう。葛藤を振り返って見れば歩んだ道は尊く、そこに学んで智慧を積み重ねてきたことが自分をゆたかにしているだろう。何もせずに立ちすくんで一歩を踏み出さなければ、得るものは無く、周りに遅れを取った惨めな自分を耐え忍ぶしかなく、自分を責めて閉鎖的に、厭世的に成るしかないだろう。焦らず確実に今日の一歩を明るく楽しく機嫌良く進めてゆくしかない。 2014年5月2日 琢
2014年05月02日
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可能性は見えない部分が多く何でもやってみなければ分らない生きるということはそういうことで痛い目に遭わなければ解らない挑戦の無いところに得るものは無く考えるだけでは恐怖するだけで避けるか逃げるか先送りしかない失敗から智慧を得て自分の傾向を知ることで修正事項を浄化して失敗の数が減る傾向と対策を練ることで挑戦意欲も増して来る引っ込み思案、怠け心、怖がり、面倒くさがりは心の何処かにもっているものだが、勇気を奮ってどんなことでも試してみるところから、ただもらうばかりの甘えた心から、何かが出来るようになれば自信も湧いて来て、誰かに見せたくなったり、してあげたくなったりするのが人の歩みだろう。可能性は見えない部分が多く、何でもやってみなければ分らない。人の歩みは勇気を出すところから始まって、目くらヘビでも、痛い目に遭わなければ解らないことばかりだろう。挑戦の無いところに得るものは無く、考えるだけでは恐怖感を煽るだけで、避ける、逃げる、先送りするしかなくなってしまう。失敗から智慧を得るもので、修正事項が解り、自分の傾向も解って来て、自分の欠点、業・カルマを浄化することで失敗の数が減って来る。ものの仕組みを考えることと自分の傾向を知ることから傾向と対策が練り上がって、挑戦意欲も増して来る。どんなことをするにも相応の準備が必要なこと、気力を整えてやる意志と覚悟を固めるのも準備の内だろう。それが無ければ無駄で自分を傷つけるだけの勇気に終わってしまう。自分の愚かさを知ることから智慧を使うようになって、何度も挫折しながらでも果たせなかったことをやり遂げる強靭な精神力が培われてくるのだろう。 2014年5月1日 琢
2014年05月01日
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