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苦行の末に至った境地この世での最高の境地その道筋を伝えようとしても至ったものにしかできないこと神界からは見渡せるがわき目を振らず上りきったものには他の上り方が見えていない宇宙規模の神理は神界からでしか見えず人工、天工の違いはこの世でいくらもがいてもその広さは人工では示せない人は生きて神仏に成れずその一部をかじるくらいのことしか出来ない人の心の中には物事の判断基準や自分を戒めたり助けてくれたりする神仏を置いてそれを信じようとするが、誰も見たものはいなく、仏像のように目で見せなければどんな仏を心の中に置いたら良いかがわからないのが人間で、生きていれば煩悩に翻弄されて菩薩の境地には至れず、その生い立ち基盤を超えた誰にも通用する神仏を心の中に置いて生きようとしている。苦行の末に至った境地、この世での生きて得られる最高の境地に至っても、その道筋を伝えたくても至ったものにしかできないことが有るだろう。神界のように上から観れば見渡せるが、わき目を振らずに上りきったものには他の上り方が見えていないだろう。宇宙規模の神理は、其処に、神界にゆかなければ見えないのだろう。この世でいくらもがいても、人工、天工の違いやその広さを人工で示すことは出来ないだろう。人は生きて菩薩や如来、神仏には成れず、その一部をかじるくらいのことしか出来ないのだろう。その上で、自分がどう生きるか、どう納得して、どう自覚した悔いの無い生き方をするかが問題なのだろう。自分の生まれてきた意味を考え、何の約束、使命を果たしにきたのかを探しながら心を定めてゆくのが人の人生で、業・カルマの浄化は他人事や偶然ですべてを見ている内は叶わず、必然、原因と結果の法則が有ることを前提に自己修正して摩擦を少なくし、どのように願いを果たすかが問題なのだろう。 2014年8月31日 琢
2014年08月31日
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気に障る人がいればその人を変えることは出来ず視点を変えてみることことごとくの場合は相手も同じ思いで自分を変えるしかない全体が思い通りになることは無くみんな我慢するしかない誰にでも合う共通点を探すには相手を敬するしかなく交友を深めて自分の弱点を見付け出し摩擦を起こす部分を研磨するしかないそのときだけのことでなくその心掛けを長く続けるしかない何で自分からと思う意地を捨て、どっちが上とか下とかでなく、愛想良く自分から近寄って行く。挨拶は当然で、会えば笑顔で言葉を交わすことから交友が始まる。学校でも社会に出てもそこで縁のある出会いが有って友達がたくさんできるだろう。その時々だけの縁で終わりでなく、思い出すたびに連絡を取り合って家族との関わりも有れば、友達は再会しても以前のままの親しさを保っているだろう。人脈はそういうもので辞書の厚みに似ているかも知れない。いつでも必要なページを開けて必要な勉強ができる。語彙が豊富なほど厚く、友達はその語彙のようなものかも知れない。気に障る人がいれば、その人を変えようとすることは無理なことで、視点を変えてみること、それでもことごとく違和感の有る場合は相手も同じ思いで、自分を変えるしかないだろう。全体が思い通りになることはなく、みんな我慢するしかない。誰にでも合う共通点を探すには相手を敬するしかなく、その思いとともに交友を深めて認め合うところを増やし、自分の摩擦を起こす部分を研磨するしかないだろう。自分のことより相手の身に成って理解し、そのときだけの付き合いだけでないものにする努力の積み重ねが人脈を広げることに成るだろう。その心掛けを長く続けることが、強いて言えば自分を守ることになるだろう。 2014年8月30日 琢
2014年08月30日
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過去に積んだ徳農耕や人との関わりで戦いの中の武士道に自業自得も有るが連帯責任の中にも風土で自覚しているものそのこだわりで命を懸ける少しでも理不尽と思えば成仏できず信じきれば成仏できている徳を使い果たせば恩恵が少なく徳積みの布施が必要に成る自分はついていない、何でこんな目に遭わなければ成らないのか、やること為すこと神仏に見放されているとしか思えない、みんな上手くやっているのに自分だけなんでやねん、卑屈に成ってそう思ったことが有るだろう。天はその人にやること為すことのすべてを失敗させ、何をするにも思い通りにさせず、それに耐え抜いて初めて強靭な精神力を培わせるものだ、と孟子が遺した言葉が有るが、ピンチがチャンスだと言う。堪忍袋の緒が切れそうに成ったことは何度も有るだろう。そのたびに思いとどまらせるもの、救いの手、恩恵の仕組みがはたらいていたことも感じるだろう。過去に積んだ徳が有って、生まれてから積んできたものばかりでなく、農耕、仕事上とか人との関わりの中で、戦いの中の武士道の中に、惻隠の情・そくいんのじょうと言って、負けたものへのいたわりや思いやり気くばりの中に積み上げてきたもの。自業自得も有るが、連帯責任の中に永い歴史の風土の中にも、そのこだわりで命をかけてきた中に。執着を遺して少しでも理不尽と怨めば成仏できず、信じ切って執着が残らなければ成仏できる。徳を使い果たせば守護指導霊にも見放されて、何かに救われる仕組みや恩恵も少なくなって行き詰まってしまう。そういうときに必要なのが徳積みをするための布施だろう。布施はしてやったと恩着せする心を滅して、させていただく、代償を求めない心で心から人の幸せを願う行為、施しだろう。喜捨、捨心とも言って、自分の中に有るものを差し出すこと、損得とか二見にとらわれないで奉仕させていただく心だろう。”かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め” 長野県善光寺の石碑 2014年8月29日 琢
2014年08月29日
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人に夢と希望を与えることお伽話でも現実味の無いものでも子供の心に火を点す火を消すのは自分自身で人智を超える夢が無ければ光をも付け出す心さえ失ってしまう夢は人を生かしているもので実現しなくても形を変えて心の中で光っているサンタクロースがいなくてもクリスマスは永遠のロマンだろう感動とロマンは人を救っているスタップ細胞の発表が有ったとき、低迷する世の中に一条の光が差してみんなが歓んだことだろう。意気消沈しているときには嘘でも明るい話題が人々の心を潤すときが有る。その後その話題の真実性が問われ始めて発見者やそれに関わったものがマスコミにも騒がれ始めて、その発見が無かったものにされてしまった。悲しいことに自殺者も出ることに成って、責任追及の人道性に疑問を感じ始めている。学者の冷酷さ、マスコミの報道の仕方、責任追及、武士道ではそのやり方は無かっただろうと感じてしまう。自分としては世の中に活性を与えてくれたこと、ロマンを感じさせてもらったことでその発表に感謝さえしている。人に夢と希望を与えることは、御伽噺でも、現実味の無いものでも子供の心に火をともすことに成るが、子供だけでなく大人でも世界に不安が多くなれば、心の中は闇のようになって、嘘でもいいから何か面白いもの、心を明るくしてくれるものを求める心に成るだろう。火を消すのは自分自身で、人智を超える夢が無ければ、光を見付け出す心さえ消してしまうことに成る。夢は人を生かしているもので実現しなくても、その過程の中に生きる意味が入っていて、形を変えて心の中で光っているだろう。サンタクロースがいてもいなくてもクリスマスは永遠のロマンだろう。それよりも感動とロマンに感謝することが人を救うことになるだろう。 2014年8月28日 琢
2014年08月28日
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腹の底から笑うことで体中の悪いものが発散して血行が良くなり代謝も良くなる心の中のもの憂さも消えて明るい心に成れる感動や笑いの刺激は転依にも成って暗い思考も明るい思考へ気力にも火を点して何でもできるような気にさせる気の病は吹き飛ばされる『笑う門に福来る』は昔からある言葉で、筑波大の遺伝子工学の村上和雄先生の研究でも声を出して笑うことで、癌や糖尿病を抑えるスイッチがオンになると言われている。人の笑顔を見ればこっちも気分が良くなるもので、明るく機嫌良く生きることは笑うことでも有るだろう。腹の底から笑うことで、体中の悪いもの、心の中の不安が消え去ってゆく。血行は良くなり、代謝も良くなって、分泌物も活性化して艶が良くなってくる。心の中のもの憂さも消えて、明るい心に成れる。感動や笑いの刺激は、かたより、こだわり、とらわれから心を離れさせる転依【気分転換、チャンネルを変える、気を他に移す、別の選択肢を観る】にもなって、暗い思考も明るい思考にさせて、気力も充実させてくれる。暗病反・消極的、否定的の言葉を使わず明元素・積極的、肯定的の言葉が多くなって、万能選手になったような気にさせてくれ、何でもできるような気になってくるだろう。『病は気から』と言うが、、心の中に残っている悪い要素も改善されて、気の病も吹き飛ばすことができるだろう。病を抑えるスイッチをオンにしておけば、そのとらわれが無くなって、死の恐怖感からも解放されて、わざとらしく笑わなくても、自然に笑いが出てしまうだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2014年8月27日 琢
2014年08月27日
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知らないからできること知らなかったでは済まされないこと常識の有無が問われる中で人智を超えなければ得られないもの枠を超えた思考から新しいものが生まれる既成概念の中には新しいものは無く漫画チックなものが未来の現実をつくる発想が豊かで柔軟なこと個性を封じ込めていてはその人の特性が埋もれてしまう一億総中流、枠にはめられたもの、はみ出せないもの、平均的、常識的、井の中の蛙大海を知らず、何処かに共通点が有るが、それでは殻を破ることは出来ない。殻を硬くしている要因は、間違った信念、既成概念に固執、過去のとらわれ、責任転嫁で、この枠の中にいれば一皮剥けた自分には成れないと高橋先生は言う。この世には知らないからできること、知らなかったでは済まされないことが有って、常識の有無が問われる中で、人智を超えなければ得られないものが有る。今までの常識の中にはなかったもの、それが先を拓くものと見抜く、枠を超えた思考から、新しいものが生まれる。既成概念、観念の中には新しいものは無く、漫画チックなもの、常識を超えた発想、みんなが同意するものの中には常識的なものばかりで、未来の現実をつくり出すのは全く違う発想からでしか生まれて来ないだろう。現在の流行にとらわれず、100年先を見据えようとすれば、発想が豊かで柔軟なこと、心眼を開いて先を読むことが重要だが、個性を封じ込めていてはその人の特性が埋もれてしまうだろう。一期一会、人事を尽くして天命を待つ、人智を尽くして人智を超える、そういう精神の中で”浩然の気”【宇宙大自然と一体化する心境、のびのびと安らかな心境】の状態を求めること、そのなかに自分の使命が入っているのだろう。 2014年8月26日 琢
2014年08月26日
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その地の決め事に従うこと”ならぬことはならぬものです”その上で全員一丸となる突破するときの心構え人との関わり、共生の必須事項ルールを守らなければ目的意識はバラバラでその特性を生かすことはできない日本人の特性は世界の手本になるもの整えようとする心だろう全員がこころざせばその力は人を動かせる東日本大震災のとき、救援物資を列をくずさず整然とならぶ被災者たちの姿、ワールドサッカーのとき、負けたにもかかわらず日本のサポーターたちが会場を綺麗に掃除して帰った姿、昔からそういう精神をもつ日本人の心が世界の人々の心を打った。ものごとの順番を間違えないように心掛けていること。その地の決め事に従う心。会津の什の掟”ならぬことはならぬものです”は、それを象徴する決め事で、一つでも例外をつくればすべての箍が緩んでしまう、その上で全員一丸となることは突破するときに必要な心構えだろう。合理主義に反していることでも、人との関わりやその地に共生するためには必須事項だろう。ルールが守られなければ目的意識はバラバラに成って、その特性を生かすことはできない。法律で決めたことも永い時間と共に、時代の変化と共に矛盾が多くなるが、一人一人の心の中にもつ戒めの部分に日本人の特性が有って、それは世界のお手本になるものだろう。整えようとする心を全員が心掛ければ、その力は世界をも動かすことができるだろう。理屈や良い訳、釈明は例外を許さないところでは意味のないもので、個々の人間の自分本位の、基盤の違いから来る都合は理解は出来ても、認めてはいけないものが多く、合理的でないものでも決めたことに従うことは、その地の美を示すことになるだろう。 2014年8月25日 琢
2014年08月25日
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智慧は知っているだけでなく身に付けるもの臨機応変に使いこなせるもの袋小路にも行き止まりにも全く違う発想で立ち向かえる愚かさを知ればこそ無知を補う智慧を出して必ずある一本の道を見付け出す諦めては得られない不屈の精神力一条の光を求めて耐え抜ける不動の意志を持ちいつも気力を整えておくこと一時的な敗北をも糧にする探究心ピンチをチャンスに変える強靭な精神力生きることは、道を求めて歩むことは、夢や希望を果たそうとする過程で経験を通して得た智慧を、単なる知識としてだけでなく、自由自在に使いこなすことで一本の白い道を見付け出すことだろう。多くの失敗を重ねて始めて得る手ごたえ、試練を超えてこそ得られる次に備える前向きな姿の中に強い信念を押し上げる智慧が入っている。臨機応変に使いこなせるもの、袋小路にも行き止まりだと感じる事態にも全く動じない発想の転換ができる、新たな選択肢を見つけ出すのが智慧だろう。愚かさを知ればこそ、無知を補う智慧を出して、必ず横たわっている一本の道を探し出す。諦めては得られない不屈の魂と共に、一条の光を求めて、耐え抜ける不動の意志を持ち、いつも気力を整えさせるもの。一時的な敗北をも糧にする探究心。ピンチをチャンスに変える強靭な精神力。孟子が遺した言葉には、過去の自分の歩みにぴったりの説得力が有った。”天はその人の成そうとすることのすべてを失敗せしめ、やること為すことすべてを思い通りにさせないもの、そうして初めて強靭な精神力を培わせ、今までにできなかったことを成し遂げさせるものだ”。まだ成し遂げたことが無いから今も生かされているのかも知れない。甘ちゃんだった自分にはかなり過酷な歩みだったが、『浩然の気』これも孟子の言葉で、宇宙大自然と一体化する心境、のびのびと安らかな心境、この心境を求めて歩もうと思っている。 2014年8月24日 琢
2014年08月24日
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コンプレックスが強靭な精神力を培わせ忍辱に耐えてチャージしたものが次の爆発力になる惨敗が人を強くさせ長いトンネルを抜け出させる心に描く感動のときのために突破する力を湧き出させ欠点を修復して生まれ変わることもできる五感でとらえられない感覚も芽生えて先が読める心眼が具わって成就は必然のものに出来る昔受験のときに『願えば必ず成就する』とよく言われ、半信半疑で挑戦したことが有ったが、願いが足らなかったのか自分のちょっとした失敗が有って思う大学にはゆけなかった苦い経験が有る。考えてみれば落ちこぼれ状態だった自分が六大学に行けたこと自体が上出来だったのかも知れない。どんなことにもステップが有って、このままではよっぽどのことが無い限り無理だろうと思うことも負けじ魂でステップアップが出来ることを知った。自分はダメだと思う反面何くそと思うコンプレックスが有れば、次から次へと来るスランプや試練を超えさせて、強靭な精神力が培われるもので、忍辱に耐えれば耐えるほど次の爆発力を生み出すことを知るだろう。そのときにチャージしたものが長いトンネルを抜け出させ、惨敗して絶望感に浸ったことが次のステップの役に立つのだろう。心に描く感動のときのために、人はその気になれば根源の力が出て来るもので、そうなれば無限のエネルギーも湧きだして来る。どんな事態をも突破する力も湧き出して、試練で修復する積み重ねから、全く違う世界に生まれ変わることさえ出来るように成る。信念と自信が湧き出して清浄に成っているときには五感でとらえきれない六番目の感覚が湧き出してくるもので、先が読める心眼も備わってくるだろう。何気なく打った布石が先で生きてくるもので、その状態に成れば願いの成就は必然のものに成っているだろう。 2014年8月23日 琢
2014年08月23日
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割り切りは区切りとして期待せず、諦めず道に必要な必然の定めと受け入れて気を新たにするための転依の智慧でとらわれていれば不要なときを過ごすことになる大きなことには節目が必要で踊り場での心境を確かめて更に上を目指す意志を確かめる固い決意が必要で気力を整えるときには尾を引かない割りきりが必要だろう上手くいかなかったことをいつまでもくよくよと考えていては、立ちすくんで一歩も前に出せないままその場にいるようなもので、試練が有っても何かの呼びかけの仕組みがはたらいたと思って、改めるべきところを改めて乗り越えること。夢や希望を成し遂げようとすれば必ず何度も苦しい試練に出会うが、そのままの自分では果たせない部分の修正浄化の良いチャンスと受け止めることが大切だろう。未熟を思い知るとき、辱を忍ぶときが有れば、謙虚に受け止めて、それですべてが終わったわけでなく、割り切りは区切りとして、偏りやこだわりの期待をせず、道に必要な必然の定めと受け止めて、気を新たにすることが重要なことだろう。転依の智慧で気分転換や、全く違うチャンネルに変えることから頭の切り替えが出来れば、そこに活路が見えて来る。とらわれたままでいれば、不要なときを過ごすことに成ってしまう。大きなことには節目が必要で、それが脆さや弱さを強くさせるだろう。踊り場で一段落すれば自分の心境を確かめて、更に上を目指す心を定めておくことも必要だろう。何かをしようと思えば硬い決意と強い意志が必要で、ここぞの気力を整えるときには、尾を引かない割りきりと勇気が必須のことになるだろう。 2014年8月22日 琢
2014年08月22日
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人の思い込みは千差万別で進んでからの違いが生じるとき調整しても気まずい関わりに成りやすいすべては自分が背負うことに成るが約定は始めに交わすこと始めの喧嘩なら良いがあとの喧嘩はこじれてしまう怒り、怨み、憎しみが残らないように円満に運ぶ心掛けを要する人の期待にも種類が有って通じ合った上で前に進むこと互いに勝手な思いで前に進めばソフトランデイングが難しくなる何でも上手く円満にことが運ぶ方が良いに決まっているが、集団に入れば常識が違う人が殆んどで、生い立ち基盤の違う人、生活環境の違う人との意見の違いが、自分の願いを果たす大きな障碍・試練になる場合が多い。たくさんの経験を積むほど人は賢くなって、石橋を叩くようになり、全面的信頼を置くことに警戒心をもつようになる。人の思い込みは千差万別で、合意したつもりでもちょっとした変化で意見の違いが生じ、意見調整不能の状態に成ることも多い。その責はすべて自分が背負うことに成るが、ずるい気を起こして相手のせいにして逃げようとするほど自分を汚すことに成ってしまう。物事を進めようとする約定は始めに交わしておくもので、始めの喧嘩・論争・意見調整なら良いがあとの喧嘩はどんな場合もこじれてしまうのが常だろう。怒り、怨み、憎しみが残らないように、円満に事が運ぶような心掛けをして、あらゆる場面を想定しながら注意深く進む方が良いだろう。善意が前提だが、人の期待にも種類が有って、自分の都合だけでも押し付けが難しく、良く通じ合った上で前に進むようにしていても、互いに勝手な思いで進んでしまえば、合意点がかけ離れてソフトランデイングが難しくなってしまうだろう。そういう場合、大事なことを進める場合には第三者・証人を間に入れて進める方が良いだろう。当事者間だけの都合は平行線で、自分の歩みに汚点を残さないように自己検証をして、自分の修正浄化を怠らないことが重要だろう。どんな取り組みも終わったあとが重要で、その間に開けた引き出しを整理して閉めること、これを終戦処理と言うが、少なからず関わってくれた人への挨拶、感謝、事後報告は必須のことで、これを怠ると次には誰も相手にしてもらえなくなってしまう。 2014年8月21日 琢
2014年08月21日
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高橋佳子講演会『自分革命の挑戦』---変化の時代に打ち勝つ今、世界は大きく動いています。これまでの価値観や常識が揺らぎ生活や仕事の有り方が変わって経済も国際関係も、すべてが新たになるときだからこそ、私たち1人ひとりがどう生きるか?---そう問われているのです。あなたは何を選び、何を大切にしてゆきますか?自分革命。揺れ動く時代に打ち勝つ鍵をあなたにーーー。2014年日程10月12日 名古屋国際会議場 052-332-366110月26日 大阪城ホール 06-4861-4762 11月9日 パシフィコ横浜国立大ホール 050-3535-0515開演時間 13:00~17:00会費 3000円『革命』周期的調整期天工のもの、人工のもの今、地上にその現象が起きているこの変動期にどう生きるか今までのままでは不安が多く人はそれに併せて自分を変えることができる自分革命を起こすのは今以前のままでは苦が多すぎる価値観を変えるときで唯物的に観るほど不安が多く目に見えないもの、確証の無いもの信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有るもの可能性はそこに広がっている ・・・『革命』、本屋さんの店頭に並ぶ本にはこの言葉が多く、大仰な言葉でいて軽く思っている言葉だろう。人の心は時代の風潮が有って、20世紀の産業革命、IT革命で長足の進歩を遂げた文明、その反面、唯物主義で、目に見えるもの、触れるもの、お金で手に入れられるもの、それ以外のもを信じず、刹那的、利己的になって、もっと大切なものを置き忘れて21世紀に突入した。この太陽系宇宙、天体の周期と地上現象、たとえば干支・十二支、太陽の黒点が3800年周期で大きくなること、今、その周期的調整期が来ている。天工のもの、人工のもの・自然に逆らうもの、今、地上にその現象が起きている。この変動期にどう生きるか、今までのままでは不安だらけでいつも最悪のシナリオを心の何処かに危機感としてもちながら日々を過ごすことの中で、人はそれに併せて自分を変えることが出来るだろう。ただ!相当の自覚が必要で、カルマ・業などの灰汁落しで魂の初期化をして、もう今までの自分ではないと毎日自分に言い聞かせて、今、自分革命に挑戦する決意を固める必要が有るだろう。行きどまり、先延ばし、投げやりの袋小路から脱するために、今までの自分から一皮剥けるために価値観を変えるときで、唯物的に観るほど不安が多く、今まで信じなかった目に見えないもの、確証のないものの受け止め方、実はそこにすべての進歩の原点が有ったことの自覚の上で、信じなければ開かない扉を、幾重にも通り抜けた先に有るものを求めて、自分革命に挑戦すれば、未来の可能性はそこに広がってくるだろう。 2014年8月20日 琢
2014年08月20日
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人の体も車も時と共に変化して劣化する肉体の衰えは止められないが心に青春が有れば気は若く体の劣化も少ない心のロマンを失わずもう歳だからと諦めず好奇心と希望に燃えていれば青春は年齢に関係なく目標を目指す姿は若々しい明るく楽しく機嫌良くしていれば代謝も良くなって艶も出てくる心の張りを失わないことだろうどんなことでも諦めたらおしまいで、大人に成りすぎるのも、賢くなりすぎるのも良くない。世の中を知るほど常識的なことが身に付いてくるが、子供のように何も知らない方が良い場合も有る。何でも解ってしまえば行動範囲も狭くなって、小さな枠の中でしか生きられなくなってしまうだろう。少々馬鹿な方が、勉強することも多く、何にでも挑戦しやすいだろう。人の体も車と同じように時と共に変化し、劣化するもので、肉体の衰えはとめられず、気力は萎んでいってしまうが、常識だけにとらわれず、心に青春が有れば、気は若く保てて体の衰えも感じさせないもので、心のロマンを失わないように、もう歳だからと諦めず、好奇心と希望に燃えていることが若さを保つ秘訣だろう。青春は年齢に関係なく、目標を掲げて歩く姿は若々しく、目は輝いて、人智を超えた智慧も身に付けることができるだろう。いつも感謝の心を失わず、明るく楽しく機嫌良くしていれば、周りにも良い影響を与え、心にロマンが有れば代謝も良くなって艶も出てくるだろう。そのために心の張りを失わず、いつもほんの少しの可能性を求めて、何にでも挑戦する気力を整えておけば、恩恵の仕組みが加わって、人には出せない味を出せるようになるだろう。 2014年8月19日 琢
2014年08月19日
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整えることの大切さ清掃、整理整頓が心を綺麗に爽やかにする履物を揃えること人が見ていなくても自分が心に決めたことをする持続してこそ意味の有ること毎日の勤行として先送りや放棄をせず目先のことにとらわれず黙々と続けることから本物が顔を出してくる押し付けをせず、自慢せず納得する道を歩むことともすると崩れそうなのが自分の心・意志・決意で、肝に銘じたつもりでも、日常の選択肢を都合の良い方を選んでしまえば、決めたはずのことが怠惰に流されて、投げ出したり諦めたりする自分にさせてしまう。その積み重ねが自信を失うきっかけに成って、何をやっても頓挫させてしまったり、中途半端に終わらせてしまう自分をつくり上げて、終いには自分を見捨てる負け組みにしてしまうことになる。どんなことでも自分が決めたことをやり遂げる自覚をもつことが重要で、小さなことから始めて励行すること、特に心を整えること、たとえば掃除や整理整頓、履物を揃えることはごく初歩的なことだが、毎日他人が見ていなくても自分が心に決めたことを励行することで心が綺麗に、爽やかに成ってくるだろう。持続することが重要な意味をもっていて、自分の意志に品格をもたせ、自信がもてるようになって信念も硬いものに成るだろう。毎日の勤行のように励行すること、決して先送りをしないこと、投げ出したり諦めたりしないことから堂々とした品格の有る自分をつくり上げることになるだろう。目先のことにとらわれず、黙々と自分の歩むべき道に必要なこと、折り目正しい自己形成の行をすることから、本物が顔を出してくるのだろう。これは人に押し付けるものでなく、義務付けすることでもなく、決して自己顕示や自慢することをせず、自分で自覚したことをさりげなくやり遂げることから納得出来る道、歪まない道を歩む自分を強くすること、どんな試練にも我が道をゆく強靭な精神力を培う元になることだろう。 2014年8月18日 琢
2014年08月18日
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状態を表そうとすればある部分を切り取って過去の体験に当てはめて全部の想像をしてもらうしかない菩薩、如来の状態は生きて煩悩の有る状態では有情の状態では有り得ない状態で口に出すのもおこがましいもの神仏の領域のものだろう理想として心の中に置くものそれに照らされて我が身を戒めるもの理性を保つためのものだろう神や仏は心の中に置く絶対的なもの、自分がいつ何処にいようといつも見守ってくれていると思いながら心の安定のために有るもので、自分以外の力に救われたような恩恵の体験、すべてが円く収まったときに、自分をいつも見守ってくれていると信じ切れる一連の対象だろう。その領域にある具体的なもの、目に見せて心に置くものが菩薩、如来の仏像だろう。状態を表そうとすれば、宇宙のある部分を切り取って、自分の過去の体験に当てはめて、全体を想像してもらうしかないだろう。自分が観ているものは宇宙の中のほんの一部分でしかなく、その全体を、自分のように下から観るだけでなく、上からも観て、すべてを悟っている状態が菩薩や如来の状態なのだろう。生きて煩悩の有る状態・有情の状態では到底有り得ない状態で、その名を今の愚かな自分に重ねたり、口にするのもおこがましいものだろう。何かに熱中して雑念が無い状態、清浄な状態のときだけを取って、あれが菩薩だと言えるときが有るかも知れないが、そのときだけのほんの一瞬のことで永続させることは不可能だろう。神仏の領域のもので、理想として心の中に置くもの、それに照らされて我が身を戒めるものが菩薩や如来だろう。有情のもの・生きとし生けるもの・プドッガラには、煩悩を抑え、感情を抑制する理性を保つためのものとして、いつも心の中に無くては成らないものだろう。 2014年8月17日 琢
2014年08月17日
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友達、友情、絆は言い尽くせるものではなく言葉に出せば浅く義務や縛りに成ってしまうそんな軽いものではなく前世からの約束も有って命を懸けても悔いが残らず理屈では表しきれないもの合理の反対をゆくものかも知れない人には言い尽くせない能力が有って奇跡を起こす非合理が有るそれが先を拓くのだろう人智を超えたところにそういう力が湧きだして来る人が願いや希望に向う途上には紙一重のことが少なくないもので、あとに成って振り返ってみれば冷や汗が出るような分岐点も有って、自分の力以外の仕組みがはたらいていてその恩恵に救われたような経験も多いだろう。ふらふらした紆余曲折が有って危なっかしい歩みをしているのだろうが、友人、貴人の良き縁に救われた思いも残っているだろう。どんなに良い種をもっていても光や水や地中の養分・縁が無ければいつまで経っても花を開かせることは出来ず、そういう良き縁に成っているのが友達だろう。友達、友情、絆は口で言い尽くせるものでなく、言葉に出せば浅く、定義にすれば義務や縛りに成って、奥行きの無い軽いものに成ってしまうだろう。前世からの約束も有って、そういう状態に成れば命をかけても悔いが残らず、理屈では表しきれず、合理の反対を行くものかも知れない。合理、合理で果報、収穫、利益だけを求めれば淋しく、虚しいものが心の奥に残ってしまうだろう。人には表現しつくせない能力が有って、奇跡を起こす非合理をもっている。計算できない、信じられないことをやってのけられるのも人間で、因縁側の縁と共に無限の可能性をもっていて、それが先を拓くのだろう。人智を尽くすだけでなく、人智を超えたところに行けば、今までの常識を覆す何かを生み出す力が湧き出してくるのだろう。その現象化したものが奇跡だろう。 2014年8月16日 琢
2014年08月16日
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どの地に生まれた人にも心の優しさ、広さ、強さがあるうしろめたいことには良心のかしゃくに悩み自分の心に嘘はつけない冷たさを感じるときは止むにやまれぬ事情がある与える人、受ける人双方に心の痛みが有るもので外見では計れない事情がある包容力は心の広さに有って許容能力は苦を知るものの中に認めて許す心から交友が深く、絆が強くなる口では表せない関わりが有る人はどの地に生まれようと、親に教えられなくてももって生まれたものが有る。良心やこの世に共生するための大悲が生まれたときから具わっていて、体の仕組みと共に人工でつくれるものではなく、創造主・SAMETHING GREATEに与えられたものとしか考えられない。心の優しさ、広さ、強さが有って、うしろめたいことには良心の呵責に悩み、自分の心に嘘はつけない。今の人は自分の都合で簡単に嘘をつくように思うが、本当は正直で素直につくられていて、その部分が人との和をつくり上げているのだろう。信頼関係が構築されているにもかかわらず冷たさを感じることが有るが、そこには生い立ち基盤の影響から来る止むにやまれぬ事情が有るからだろう。それを察してあげることも重要なことで、与える人受ける人の双方にも心の痛みが有るもので、外見では図れない事情をその人の身に成っておもんばかって差し上げなければならない場合が多い。それが包容力で、心の広さに比例していて、許容能力は苦を知るものの心の広さに有って、認めて許す心が深いほど、懐が深く、愛が相手を包み込んで、交友が深くなるほど絆が強く結ばれて、良き因縁側の縁に成り合っている。そういう状態は押し付けるものや義務付けするものではなく、口では言い表せない関わりだろう。 2014年8月15日 琢
2014年08月15日
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許容能力に比例して懐が深く器が大きい妥協点はいくらでも有って中心点、正しさの誤差を広くすれば包容力が増してくる見識の違いは生い立ち基盤の違いが大きくカオスを広げるほど摩擦が少なくなるその自覚をもつことで少しは不動に成れる感情に流されず穏やかで明るいこと機嫌良くしていることで人に喜ばれる人間になれる些細なことに突っ張ってあとで淋しい思いをした経験が多く、変なところで意地を張って妥協点を見付け出せずに悩んだことも多かった。自分の器の小ささを嘆いたことも多く、こんなことでは大志など果たせるわけは無いと自分を責めたことも多かった。喧嘩が嫌いで場の雰囲気を壊すのも嫌いだったせいか、少々のことを我慢して収めたつもりでいても内心では本当に許していない自分がいたのだろう。自分の歩みを思えば甘いところにいて人を責める資格などないのに、心から許す気持ちが少なかった、何かにとらわれていた自分がいるのだろう。許容能力が高いほど懐が深く器が大きいもので、自分の思い通りにならなくても妥協点はいくらでも見つけられるだろう。中心点、正しさ、ゼロ地点の誤差の幅を広く取ることで、包容力が増してくるだろう。見識の違いには生い立ち基盤の違いが大きく影響している場合が多く、カオスを広げるほど摩擦が少なくなることが解ってくるだろう。そういう自覚が出来れば少しは許容範囲も広くとれて摩擦が少なくなることで、感情に流されず不動に成ることも叶うようになれるだろう。自分だけの心の中に潜んでいるこだわりや意地を抑制することが出来れば、感情も抑制できて、穏やかで明るくなってくるだろう。どんな状態に在ってもいつも機嫌良くしていることが一番で、それが出来ていれば人に喜ばれる自分になれているだろう。 2014年8月14日 琢
2014年08月14日
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対立するとき先ず末路を考えること感情のままに対応しないとこ相手が興奮するほど沈静を目指すこと喧嘩相手に巻き込まれないこと経験と智慧が必要で場の雰囲気を壊さないように本筋に戻れる自分に成ること粗野な言動を戒めておくこと重心が丹田に有ることその試練を何かの呼びかけと受け止めて平行線にならないように相手の仏性に敬意をはらって原点に戻ることだろう自分の視野の中で一生懸命に成るほど、他のことが見えなくなって対立してしまうこと、修羅場を迎えることが多くなる。人の集団にはいろんな人がいるもので、中心軸のはずの常識が全く違うことも多い。生い立ち基盤がそれぞれ違うことから起きる摩擦が多く、熱心なほど感情が動いてしまい、意見の違いから自己正当化の論争、言い合いから喧嘩にまで発展することも多いだろう。はじめは互いに善意でものを言っていても感情が高ぶり始めて意地が強くはたらき始めれば引くに引けなくなってしまう場合も多い。何かを学んでいる場合も多く、解釈の違いで対立するときには、先ず、末路【たとえ論破しても虚しさだけが残ってしまい何も進化していないまま相手とは決裂してしまい、恨み憎しみが残ってしまう】を考えて、最悪のシナリオになれば互いに良い結果には成らないことを想定し、感情のままに対応することなく、相手が興奮するほど沈静化を目指し、喧嘩相手に巻き込まれないように経験と智慧を引き出して、場の雰囲気を壊さないように、その場に何をしに来たのかを思い出して、そこからそれないように本筋に戻れる自分に成ること。粗野な言動を慎んで、重心を丹田・へそ下三寸【中村天風さんのクンバハカ法では、真剣で対峙するときにはケツノ穴を閉めることや禅では呼吸法・腹式呼吸をすれば動じなくなる】に置いて、冷静さを保ち理性で判断すること。その試練を何かの呼びかけと受け止めて、互いの言い分だけで起きる平行線にならないように心掛けて、相手の仏性に敬意を払うことが大切な心得だろう。究極は人としての原点【自然界に共生するための良心】にいつでも戻れる心構えが必要に成ってくる。 2014年8月13日 琢
2014年08月13日
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『空』に成っている状態場に溶け込んでいて自己主張せず邪魔に成っていない状態置物のようにそれでいて五感は冴えている外から入るものを受け入れ重心は丹田に有ってかたよらず、こだわらず、とらわれず中道の状態感情は凪いでいてそれでいて場を支えている色即是空 空即是色そういう自分でありたいいつも感情がすぐに動いてしまう自分を抑えられず、何かあれば顔に出てしまう、相手の心に映し出されてしまう、単純、短気、せっかち、がじらされ、焦らされていつも相手のペースに巻き込まれていた自分、情けなさ、幼さ、愚かさをどうにもできなかった自分がいた。何をやっても上手くゆかず失敗だらけで、連戦連敗で何も勝ち取れるものが無かった自分がいた。相手が興奮するほど冷静になれる人を羨ましく、自分には無理なことだと思っていた。自分を『空』の状態にすること、『無念無想』の状態、心の中を空っぽにすること、その状態に成ることが出来れば、場に溶け込んでいて自己主張をせず、周りの邪魔に成っていない状態、置物のようにただそこに有る状態、それでいて五感【眼、耳、鼻、舌、身】がさえわたっている状態、風の流れ、虫の音、鳥の声、外から入るものを受け止めて、重心は丹田に有る状態で、かたよらず、こだわらず、とらわれの無い状態、座禅で呼吸を整える腹式呼吸で何にも動じない状態に成っている。そんな境地をいつも求めているが、自分の心のコントロールほど難しいものは無いだろう。いつも中道を行き、感情が凪いだ状態、それでいて場の支えにも成っている状態を目指して、集団の中に身を置いて『色即是空』『空即是色』の自然体で、静かでも気力が整っている状態でありたいといつも願っている。 2014年8月12日 琢
2014年08月12日
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失せもの出ずべし無くなったものが出てくる人、出ない人気にする人、気にしない人縁の有るものは出てくるものを大切にする人は少なく粗末に扱う人は多い無頓着でも生きてゆけるが慎重な人ほどミスは少ない余計な苦労を味わわないように余計な時を過ごさないように前を向いてつまずかないようにいつも慎重に歩くこと心を乱さないようにどんなことが起きても、どんな場面に遭遇しても自分の身の周りに起きることに全く自分に関係の無いことは無く、すべて必然で起こっている、原因と結果の法則が有ると言うが、自己検証をしてその原因を改める観力と浄力を育んでおくのが基本でも、うっかりミスや不注意でものを失くすことも多いだろう。いつ、何処で、どのように失くなったかも忘れてしまっていることもよくあることだろう。おみくじには”失せものいずべし”とか有るが、これもその人の運勢上のものも有るように感じている。無くなったものが出てくる人、出てこない人に分かれているような気もしている。自分の場合は失くしたものは絶対出てこないように感じていて、極力失くさないように気をつけている。出てくる人は、あまり気にしない人が多く、忘れっぽいというか無神経というか、全く頓着していない人が多い。どちらにしても縁の有るものは出てくる場合が多いような気がしている。ものを大切にする人はミスが少なく、粗末に扱う人はミスが多いと思っている。無頓着でも生きてゆけるが、蔭でミスを埋めてくれている場合も多く、その恩恵に全く気が付いていない人も多い。慎重な人ほどミスは少ないが、それだけ危機感をもって生きているとも言え、余計な苦労を味わわないように、余計な時【不注意さえ改めれば探す手間も省けて無駄な時間を使わずに済む】を過ごさないように、つまずかないように前を向いて細心の注意を払っておくことを心掛けている。結局は自分で自分を守るしかなく、誰かを当てにするほど甘い自分に成ってしまうし、心を乱すことも多くなってしまうことを思えば、わかっているものほど、生まれるときも死ぬときも一人、その苦に耐えるのは自分でしかなく、自助努力を怠らないようにするしかないだろう。 2014年8月11日 琢
2014年08月11日
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匂いを置いて来るそこに縁が生まれる見られていなくても出向いた事実は残っている謙虚に素直に善意の心を神社仏閣もそういうもので自分の心はそこに残っている足を運ぶことの大切さ形跡を残さなくても神仏は観てくれていると信じていれば行った先に不思議な縁が生まれ場所、出会う人に仕組まれるもの見たもの、思ったことに関わりが有る見えなくても触ることができなくても心に感じるもの、体を通して感じる何かがある。霊的能力が無くても、執着がそこに残るように、祈ったことや念じたことはその場に残っていると思った方が良いかも知れない。自分の匂いというか、そういうものがそこに残っていて、なぜか行ったところに妙な縁が生まれ出るときが有る。誰にも見られていなくても、そこに出向いた事実は残っている。謙虚に、素直に善意の真心で、邪気を入れず、有るがままの自分を置いて来るような感覚、神社仏閣はそういうもので、自分の心は行けば其処に残っていて、歴史の匂いをかぎ、その時代にもあった同じ空気をすってくる感じは、何処にいても思っただけでそこに立つ自分がいる。足を運ぶことの大切さを思う。形跡を残さなくても、神仏は観てくれていると信じていれば、行った先に不思議な縁が仕組まれ、その場所、出会った人にも仕組まれるものが有る、縁は異なもの味なものと言うが、自分ではつくることのできないものが仕組まれていると思って置く方が良いのだろう。自分が歩いた先のこと、出会い、出来事、事態、いつ何処にいても蘇らせることができる、思い出の場所は思っただけでそこに心は行っている、時空を超えたものが有るのかも知れない。 2014年8月10日 琢
2014年08月10日
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友達付き合いに定規や理屈は無く心の赴くところで結果で分析すれば好きだから、会いたいから切磋琢磨と自己向上の良き縁で取ってつけた理由の不要なもの嫌いな相手に会いたいとは思わない惹かれるものには自分に無いものが多く無いものを埋め合えるのが交友だろう刺激を受けて頑張れる進化のための良き縁に成っている心の趣に理由は要らず、状態を言葉には出来ない小宇宙の交友、人の心の中には宇宙が有ると言われ、心の空は状態、友との付き合いや友情、絆はある一定のときの状態で、言葉にするのは難しく、ある一部分を切り取って、こんな付き合いが有ったと言うしかなく、こういうものだとかこう有るべきだとか定義つけて理屈を言えば、義務になり、縛りに成って、型にはめればその時点で友達ではなくなってしまうだろう。友達付き合いに定規や理屈は無く、心の赴くところで、結果だけで分析すれば、好きだから、会いたかったから、話したかったからで、それが相談やアドバイスの場であったり、切磋琢磨や自己の向上の場での良き縁で有ったりするのだろう。取って付けた理由の不要なもので、嫌いな相手に会いたいとは思わず、心の赴くところで、惹かれるものには自分に無いものを持っている相手が多く、無いものを埋め合うことができるのも交友の良いところだろう。刺激を受けて頑張り、切磋琢磨して自己の進化のための、願いの成就のための良き縁に成っている。心の趣に理由は不要で、友達で有ると言う状態は言葉にするべきものではないだろう。友達の状態は複数で、自分の歩みの中でいつも関わってくれているもの、ある一定のときだけのものではなく、お釈迦さんは弟子のアーナンダに、友達との関わりは人生のすべてなんだと言ったという。 2014年8月9日 琢
2014年08月09日
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過去を観れば先の相・姿が観える心の中が観えればもっと良いアドバイスができる霊的能力が有れば語り合いから、魂から心情と過去の歩みを観て心の中のとらわれが観える無力は自分の智慧の無さから経験不足、包容力の無さから必然の現象を観れば何故その花が咲いたかを読める今の行いを観れば末路が観える進化はすべて自己検証からだろう時々、自分に霊的能力が有って、相手の魂のすがたや前世が見えて、予知能力や洞察力が有れば、もっと説得力があるのにと思うことが有る。何も見えないがゆえに、末路が想像できていても、過去の行いから先にどうなるかが想像できていても、それがたとえ息子であっても、結果が見えるまで何も言うことが出来ず、結果が見えていてもただ見守っていることしか出来ない、説得力も無い歯がゆい自分を感じることが有るだろう。過去を観れば、先の相、姿が観えて来る、人相、手相で人を観て、先を読むことができる。心の中を観ることができれば、もっと良いアドバイスができるのにと思うことも有るだろう。霊的能力が有れば、閻魔さんのように何もかもが見えていて、言い訳無用ですべてお見通しなのにと思ったことも有るだろう。せめて語り合いから、心情を読み、過去の歩みを聴いて心の中のとらわれを覗くしかない。この自分の無力に、智慧の無さや経験不足、包容力の無さが身にしみて解って来るだろう。因果応報、必然の結果、当然の果報の必然の現象を観れば、何故その花が咲いたか、何故先でそんな花が咲くのかが全部観えて来る、それが解っていても見せなければ理解してもらえないこのもどかしさ、そう感じたことは誰にも有ることだろう。末路が観えていて何も出来ない自分を嫌に成ったことも有るだろう。自分さえいなければと思うことも有っただろう。自分の居場所を見付け出すのもすべて本人にしか出来ないこと、人の進化は手前勝手に出来たことでなく、末路を読むための、それを留めるための、すべて自分の過去の自己検証から気が付くことしかなく、先で綺麗な花を咲かせようと思えば、原因と結果の法則を知るしかないだろう。 2014年8月8日 琢
2014年08月08日
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観ようとする境地と観えて来る境地見ようとすれば錯覚も入り邪気も入ってくる代償を求めずに精進すれば観えて来るものが有る焦る必要も無く急ぐのは危険努力、精進の積み重ねに必然の果報が必ず願いは叶う自力と思えば感謝が薄く他力と思えば甘くなる主導権は自分の手の中に有って志を強くもっていればいつか必ず叶うときが来る見えないものを見たいと思い、不可能な奇跡を起こしてみたくなるのが若く活気に満ちた好奇心の旺盛なときで、大人に成るほど、自分の甘さを知り、願いがしぼんで来てしまう。失敗、挫折の体験を積むほど人は賢くなって来るが、”羹に懲りて膾を吹く”、”石橋を叩いて渡る”、過去の体験が多いほど疑い深くなって、歩調が弱くなってしまう。生きようとすれば物を求め、地位や名誉にこだわってしまうが、前世から引き継いでいる魂の願い、自分の使命や天職はそこには無く、領域や境地のようなもの、悟りや自覚で目には見えないものを極めようと、内と外をつないで、一隅の照らしに成ることを最高の歓びとしているのが生まれてきた意味なのかもしれない。忘却、喪失、無知の歩みの中で、観ようとする境地と観えて来る境地の違いを知ることになるだろう。見ようとすれば錯覚や希望的観測が入って、邪気も入ってしまう。代償を求めずに精進を重ねれば、自ずと観えてくるものが有るのだろう。焦る必要も急ぐ必要も無く、果報は必然的について来るものだろう。願いは必ずかなえられるものだが、自力と思えば感謝が薄く、他力と思えば甘くなってしまう。いつも自分の道を自分の足で歩んでいれば、主導権は自分に有って、自分が願うことや立てた志は、生命力と等しく、生きる力で、生きる意志の強さと共にいつか必ず叶うときが来るのだろう。 2014年8月7日 琢
2014年08月07日
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格の違う人とのお付き合いは謙虚で素直が良く背伸びをせずその領域を目標として教えを乞い唯物的な差で比較せずその人脈に臆することなくひたすら精進を積むこと卑屈にならず訪れる試練から逃げず何かの呼びかけと思って正面で受け止めれば正すべき原因が解って進化することができる避けては通れない道がある人は育つほどに進化してゆくもので、たくさんの人の群れに入るたびに自分に必要な刺激を受けて、人と接することから知人、友人の出会いの縁に恵まれる。人から学ぶことが多く、好奇心や競争心が強いほど人との交友がさかんに成って、負けたくない相手と切磋琢磨することから進歩、向上してゆく。自信がもてなければ教えを乞い、世の中には上には上が有ることを知るようになるほど謙虚を覚え、辱を忍んででもその人の歩みを知りたくなる。格の違う人とのお付き合いは、謙虚で素直が良く、自分のお手本として敬意を表し、背伸びをせず、その領域を目標として学ばせていただく、見習うべきは見習って、唯物的な生い立ちや家柄や地位名誉の差を比較せず、その人脈に臆することなく、自分の意識のランクアップを願ってひたすら精進を積み重ねること、決して逃げ出したりあきらめたりはしないことだろう。ともすれば卑屈に成る自分、惨めな自分、みすぼらしい自分、その感情をコントロールして、無私、利他の心でいることが、いつかその試練を抜けることから一回り大きくなった自分との出会いが有るだろう。次から次に与えられる試練から逃げ出さず、それもこれも何かの自己変革の呼びかけと思って、投げ出したり諦めたりしないことだろう。どんなことでも正面で受け止めれば、自分の正すべき原因が解ってきて、自分革命に挑戦したことを誇りに思えるときが必ずやって来るだろう。夢や希望を果たそうと思えば避けては通れない道が有ることに自分で気が付くときが来るだろう。自分が通った道で得たことは必ず、いつかどこかで自分を救うときが来るだろう。 2014年8月6日 琢
2014年08月06日
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心の安定には不安材料を消すこと決断したことに迷わないこと自分に自信をもつこと信念に間違いが無いこと既成概念にとらわれないこと過去の過ちが修正浄化されていること他に責任転嫁をしないこと原因の自己検証が出来ていること布施で徳を積みその恩恵に感謝できていること自分の硬い殻を破れば業・カルマが初期化されて他の信頼が厚くなってくる何をするにもいつも迷いばかりで、確たるものをもっていない不安から、いつも同道巡りの円環的思考を止められずにいるのが進歩の無い自分だと思っている人は多いだろう。経験不足も有って、勉強不足も有るからだろう。この世に起きることの結末にも一定の法則が有って、原因と結果の法則、因縁果報・因果応報や自業自得、自分で蒔いた種等の言葉も有って、心が不安定なのも自業自得とも言え、人智を尽くし、人智を超えていないからなのだろう。心の安定には、不安材料を一つ一つ消してゆくこと、いったん決断したことに権威をもたせること、自分に自信をもつこと、業・カルマを修正浄化して摩擦を少なくして確たる信念をもっていること、変化が激しい今の世で今までの既成概念にとらわれないこと、他に責任転嫁をせず、思うようにならないことの原因の自己検証が出来ていること等、夢や希望を諦めず、放棄せず、周りの変化に合わせて自分を変えてゆく努力の積み重ねが心の安定に導いてくれるものと、余計なことに惑わされずに専念することだろう。無私、利他の精神で人に施しをする・布施で徳を積み、生かされてきたことの恩恵に感謝することが出来ていれば、それまで破れなかった硬い殻から脱皮することが出来、何度も犯していた同じ過ち・業・カルマの初期化、灰汁落しが出来て一皮剥けた自分になれれば、他の信頼も厚くなって、自分の居場所も観えて来るだろう。今自分がいるところが自分の居場所だと思えれば、そこでどう無私、利他に成って、人のための光になるかの自覚をもてるかだろう。 2014年8月5日 琢
2014年08月05日
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心静かに成っていること雑念を浮かべず目に入るものに心を動かされないこと半眼は視野を狭め心を乱さないこと大事な場面では他に非を見せず準備として身辺整理をしておく誤解を避け、揚げ足を取られないように心を整えて置くこと自分の立場をわきまえて大慈大悲の心で相手の仏性に敬意を払うことその心構えと自覚が必要だろう人の上に立つもの、これから立とうとするものは、多くの人々の面前で失態を晒さない心構え、人々の代表だという自覚が出来ていて欲しいと思う。最近、そういう報道が多く、公職に有るものの自覚が足りない事件が多く成って来ている。お山の大将になって人前に自分を晒す覚悟のあるものはそれなりの心の準備を整えた上で段の上に上がってほしいと思う。あらゆる専門知識を学び、観自在で素直で謙虚であること、足るを知っていて奥行きが深い状態で場に臨んで欲しいと思う。そのために、こころ静かに成っていること、雑念を滅して場に臨むこと。目に入るものに心を動かされず、半眼で視界を狭めてでも明るくにこやかで心を乱さないことが望ましい。他に非を見せず、壇の上に立つ前には身辺整理を入念に行っておくことで、誤解を避け、揚げ足を取られないように心を整えておくこと、特に日頃の素行には注意を払い、自分の立場をわきまえておくこと、大慈大悲の心で人々を包み込む器の大きさ、対立しても相手の仏性に敬意を払って末路を観た上で、邪気を滅して本筋にいつでも戻れる心構えが必要だろう。そういう心構えと自覚ができて初めて人々を牽引する資格が整うのだろう。 2014年8月4日 琢
2014年08月04日
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名前には親の願いが込められている歩みはその影響を受けている人には願いが有ってそれに因んだ仕組みが有る親は自分の願いを子に託し子はその願いに応えようとする一族の名前にはそれが現れている同じ一文字をつける場合も多くその願いは継承されてゆく人の使命に関係する場合が多く自分が何をするために生まれて来たかも日頃念頭に置く人が多く名乗るたびに、呼ばれるたびにその願いの確認をしている子供が生まれるときには、親たちは生まれる子の名前を考えて命名している。親は子の幸せを願って、その名前の中に自分たちの願いを込めて命名している場合が殆んどだろう。姓名判断もあるくらい名前に込められた歩みの道が有るのだろう。殆んどの人はその影響を何らかの形を通して受けているもので、名前に関係のある路線を歩んでいる人が多い。万葉集以来『言霊の幸はふ国、祐くる国』『ことだまのさきはうくに、たすくるくに』といわれるくらい言葉にも魂が入っている場合が多い。人の名前にはその親の願いが込められていて、その歩みは親の願いの影響を何らかの形で受けている。人には願いが有って夢や希望、前世から受け継いでいるもの・魂願が有る。その願いに因んだ仕組みがはたらいていて、親は子にその願いを託し、子は親の願いに応えようとしている。一族の名前を系図等で観ればその傾向が現れている。同じ一文字を名前に入れる場合も多く、その生き様に統一された一貫性が願われている場合も有って、その願いは代々継承されてゆくところも有る。人の使命に関係している場合が多く、自分が何をするために生まれてきたのかも、無意識に日頃の念頭に置いているもので、出会い、出来事、事態に接して名乗るたびに、呼ばれるたびにその願いの確認をしている場合が多い。過去の歩み、自分の夢や希望の中に共通するものが名前に関係のある場合が多いだろう。多くの人の歩みを客観的に見れば、その名前に関係のある歩みをしていて、その人の魂願や使命に関係している場合が多い。 2014年8月3日 琢
2014年08月03日
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生きることは自分の意思によるが体の各臓器は自律している心がその流れに影響を与え絶望しても意志の方向に歩み各臓器は自分では止められない3度目の試みで自殺に至る場合が多く創造主に生きるようにつくられている見捨てられたとき決められたときに死ぬように仕組まれている生命力が旺盛なときは苦が強く使命を果たした死は美しい天寿を全うした人の顔は美しいみんな本能の出口、煩悩が無くなるとき、涅槃、幽体離脱のとき、この世を去るとき、返って行くときの顔が歪まないように、成仏できるように、その思いを抱えながら自分を正そうとして生きている。放棄したり、諦めたりすれば神仏の意にそぐわないものだと、まして自殺など無明の世界の怖さを知らないものだと、地獄に行ってからでは遅すぎると戒められている。生きることは自分の意思によるが、体の各臓器は自律している。心はその流れに影響を与えるが、絶望しても意志の方向に歩むことができる、生かされていると言われている。各臓器は自分では止められず、自殺しようとしても2度までは助かっている場合が多い。自殺した人を観れば3度目が多く、自分で与えられた命を勝手に消すことは許されないと戒められている。創造主がいて生かされているが、見捨てられたとき、、決められた天寿を全うしたときに死を与えられると思う方が良いのかも知れない。生命力が強く、はっきりした目標が有るとき、執着があるときは断末魔の苦しみは極めて強い。やるべきこと、自覚したことを成し遂げたとき、使命を果たして何の執着も無くなったときの死は美しいもので、天寿を全うした人の顔は美しい。みんな自分も最後のときはそう有って欲しいと思っている。かわいいおじいちゃん、かわいいおばあちゃんになりたいと思うのは、その延長には綺麗な死に顔があると思うからかもしれない。明るく機嫌良く天寿を全うすることが究極の願いなのだろう。 2014年8月2日 琢
2014年08月02日
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常識の違い自然の摂理国、社会、土地柄の差地上に共生するための常識人間の良心、人のつくったルールの差天工の羅網は人工で網羅できず専門知識の教育だけでなく情操教育も必要で宇宙大自然と一体化する心境を求め”浩然の気”の心の在り方へ”観自在”で自分を正し仏教、儒教の道を求める心の確認『道心』は国の宝だと言うどの道をどう歩こうといつも思い通りにならない現実から迷いや葛藤の連続の歩みに成っている。何とか不安な心から解放されて不動の心に成るためにと、死ぬまで悟りを求めて求道しているのがこの世に生を受けたものの宿命だろう。その紆余曲折の歩み、試練を超える歩みの中から見えて来る共通の哲学・自覚・悟りのために、何度も犯す同じ過ち・カルマ・業を修正浄化しながら、本当の自分に与えられた歩みを、ミッションワークに就くことができるように、自分革命への挑戦をする求道の歩みが人生行路だろう。常識の違い、自然の摂理、国や社会、土地柄の差やこの地上に共生するための常識を学ぶ内に、人間の良心、人のつくったルールにも生い立ち基盤の差があることを知ることになる。天工の羅網に矛盾は何一つ無く、無駄なものも何一つ無く、相互に関連し有っていることに学ぶが、人工で網羅したつもりがほんの一部分、自分の身の回りのことしか見えず、視野を広く取ることや相手の立場に立って考えることで摩擦を少なくすること、因縁側で人と関わってゆくこと、そのために自分を変える必要が有ることを自覚できるようになる。専門知識だけでなく情操教育の必要性を感じ、『浩然の気』【宇宙大自然と一体化する心境】を求めて、『観自在』で自分の有り方を見つめること、仏教や儒教の精神を身につけること、『道心』は国の宝だと最澄さんが言った、その自覚をもつことがミッションワークには必要なことだろう。 2014年8月1日 琢
2014年08月01日
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