全30件 (30件中 1-30件目)
1
査定基準の難しい時代スピリチュアルな判定民事訴訟は金額表示刑事訴訟は懲役表示家族、社会への影響の判定痴漢、万引き、セクハラ、ストーカー、パワハラ司法の対応は難しい第三者機関の監視の必要性怨みや憎しみの裁き方数値に表しきれない心の闇法制化は難しく矛盾が多い神仏しか観ることができないだろう”天網恢々疎にして洩らさず”20世紀に置き忘れてきた”目に見えないもの”の大切さ、心の中の小宇宙・空の中に有るものの判定は極めて難しい。人間の心が文化文明をつくり出してどんどん進化してきているが、発展した文明を心の満足にしようとすれば、お金や物に換算して、見えるもの、手に取ることができるものしか信じられなくなってしまったのだろう。現物をもっていることが重要だと思う風潮、金さえあればなんでも買える、人の心でも買えると言う錯覚から、人生の目的はお金やものの獲得だという心の犯す犯罪は、以前には無かった残酷さを増して来ている。その査定基準の難しい時代に突入している。スピリチュアルな判定、民事訴訟なら金額表示、刑事訴訟なら懲役表示。家族、社会への影響の判定は難しく成って来ている。痴漢、万引き、セクハラ、パワハラ、ストーカーの罰し方。司法の対応はどんどん難しく、複雑に成ってきていて、第三者機関の監視も必要に成って来ている。怨み、憎しみの裁き方も当事者だけでなく、家族や社会への心配りや思いやりを示さなければ成らなく成って来ている。数値に表しきれない心の闇、法制化が難しく、時代と共に矛盾が噴き出して来る。神仏にしか観ることができないことを人工ですることは不可能かも知れない。”天網恢々疎にして洩らさず”、いい言葉があるなあとつくずく思ってしまう。良心に従って素直に正直に生きることの大切さを思う。 2014年7月31日 琢
2014年07月31日
コメント(0)
行き止まり、先延ばし、投げやりのとき凝り固まった思考発想の乏しさが有って全く別のものに触れたり新たな出会い、出来事、事態の中に新しい発想のヒントが見つかる狭い考えに籠もっていては突破する材料が無く人と人をつなぐことから今までに無いものが拓かれて来る縁の必然の中にその方向が観えて来て凝り固まったものやこもったものが解けてくる集団の中にいれば、学ぶことが多く、処世術のようなものが身に付いてくる。場の変化と共に自分も変化させて、対立を避けて相手への思いやりや気くばりの大切さを学ぶことになる。自分に与えられた厳しい条件化で必死に生きようとする途上には、嬉しいことの数より苦しいことの方が多いもので、無意識の内に超えてきた試練も多い。行き止まり、先延ばし、投げやりになることも多く、狭い思考に凝り固まっていたり、発想の乏しさが有って、先が見えなく成っていることも有るだろう。そういうときに全く別のものに触れたり、気分転換を図ることで、新たな出会い、出来事、事態の中から新しい発想のヒントを見つけ出すことができるだろう。狭い思考に籠もっていては何も生み出せず、突破する材料さえ見えてこないだろう。人と人をつなぐことが出来れば、そこから全く考えてもみなかった発想や今までに無いものが拓かれて来ることも多い。自分を別の位置に立たせることで、そこに生まれる必然の縁からその方向が観えて来て、凝り固まったものやこもっていたものが解けてくるだろう。悪い方向を観れば良くない縁が、良い方向だけを観ていれば良い縁が寄り集まってくるもので、いつも明るく機嫌良く、不安材料に押し潰されることなく、使う言葉も暗病反・否定的な言葉を極力避けて明元素・肯定的で前向きな言葉を極力多くすることで、人に安心感を与えることにも気を配っておく必要が有るだろう。 2014年7月30日 琢
2014年07月30日
コメント(0)
願いが有れば試練に出会う願いが高ければ試練も厳しく試練を避けて通れば願いは叶わない楽をして得るものは無く快感を求めるだけでは目標が遠くなる苦を超えるところに進化が有って目的は快苦を超えたところに有る感動が夢を抱かせることに成るが成功した人の蔭の努力を観なければ外見の形だけにとらわれて真髄に至ることは無い達人はいつも難しい方を選んでいるそれが岐路に立つときの姿勢だろう人の好奇心が少年のように眼を輝かせ、夢をもたせて、どんなことにも挑戦する意欲をかき立たせている。挑戦せずに得るものは無く、育つほどにもらう幸せだけでは物足りず、自分でできるようになりたいと、どんなことにも挑戦して、失敗に学び、できるようになれば他にしてあげたくなる、そこに人間本来の歓びを感じるようになる。好奇心を充たそうとする願いが有れば必ず障碍、試練が有って、願いが高いほど厳しい試練を超えることに成る。試練を恐れたり、避けたり、逃げ出したりしていれば叶う願いは一つも無い。楽をして得るものは無く、快感だけを求めていれば目標ははるか遠くに成ってしまい、頓挫、挫折、諦めから敗北感を味わうことになる。苦を超えるところに進化が有って、目的は快苦を超えたところに有るもので、人に感動を与え、夢を抱かせる。成功の蔭には必ず人知れずの蔭の血と汗の努力があるもので、それを観ずに外見だけを求めようとしても真髄に至ることは出来ない。分岐点に立つとき、数ある選択肢の中で楽なものを選んでいては真髄に至ることは出来ない。どの分野でもその達人はいつも難しい方を選んでいて、他に真似のできない境地に至っている。自分にとって難しく感じさせるものの中に自分の弱点が有って、それを克服しなければ進化が無く、楽な方を選べば自分には簡単にできるもので、何度楽を選んでも向上せず、苦が有るから、そこに自分を超える歓びが有るのだろう。その強い意志が、分岐点、選択肢の選び方の基準に成っている。 2014年7月29日 琢
2014年07月29日
コメント(0)
好奇心や刺激は得るまでのもの手にすれば次の望みが湧き出す『蝋を得て、蜀を望む』のが人の常感謝が有れば身に付いて感謝が無ければ刹那のもの手に入れたものを次の布石にして気が付けば立てなかった境地にいる進化はそういうもので簡単には得られない境地も永い努力の積み重ねで羨む前に願いを立てて然るべき足跡を残せば念じた花が咲いている『果報は変えられないが、因縁は変えられる』道理が有って、今咲いている花が気にくわないものでも、その種は過去に自分が植えた種で、過去は変えようが無く、望む花を咲かせたければその種を植えること、種は因で、因の転換を計れば、相応の縁に恵まれて納得のゆく花を咲かせることができる。知らないもの、自分に無いもの、憧れのものに好奇心が湧き出したり、感動や刺激が有れば夢や希望の対称にする。それを得ようとする過程が大切なことで、手にしてしまえばもっと高いところを望む『蝋を得て、蜀を望む』のは人間の欲望に限界が無いものでも、そこに感謝の心が有れば身に付けたものが認められて定着できる。感謝が無ければ、一時の刹那的な収穫物でしかないだろう。自分一人では到底得られなかったことを自覚して、その恩恵に感謝して、さらにその上を目指せば、それまでの実績は布石に成って、気が付けば到底叶わなかった境地に立つこともできる。人の進化はそういうもので、簡単には得られない境地も、代償を求めず、無私、利他の永い努力の積み重ねの果報として身に付いているのだろう。羨む前に願いを立てて然るべき努力の積み重ねが有れば、それまでに心の奥に念じてきた花が咲いているだろう。自然の摂理に学ぶところは多い。 2014年7月28日 琢
2014年07月28日
コメント(0)
求めても得られないとき情況の変化による場合や智慧、努力、技量不足も有るがすべてを自分で補って根気強く気力を保持し恩恵に感謝して待つ姿勢すべて整ったときにしか得られない短気、省略は許されず縁に成る人脈を粗末に扱わず他の止むにやまれぬ正しさを受容して果報を分かち合う心を失わず次の段階に備えてその準備を怠らないことそのようにして今を生きることだろう何も考えず、危機感が乏しく、自分の都合だけを押し通そうとすれば、思うようにならないのがこの世の常だが、もしそれが通ったときには誰かの遠慮や好意の恩恵の上で成り立っていると思うこと。そのことに感謝してその恩に報いる心を失わないこと。当たり前のことのようだがそれが出来ていないのが欲に駆られた人間のすることで、目先の刹那的な利を求め、義を捨て去ってしまえば、餓鬼、畜生道に堕ちるしかなくなってしまう。求不得苦・ぐふとっくはこの世のつきもので、原因が必ず何処かに有ること、この忍度にいれば思うように成らず、願いが簡単に達成できず、人事を尽くしても得られないときも有るだろう。状況が変化したときや智慧、努力、技量が不足している場合も多く、そのすべてを自分で補って、根気良く気力を整えておくことが大切だろう。恩恵に感謝して待つ姿勢が必要で、願いの達成はすべての条件が整ったときにしか成立しないだろう。短気を起こして投げ出したり、諦めたりせず、手を抜いて省略することも許されず、縁に成る人脈を粗末にしないこと。他の止むに止まれず正しさを受容して認め合い、果報が有れば分かち合う心を失わないこと。恩着せや押し付けをせず、労わり合って、次の段階に備えてその準備を怠らないことが重要なことだろう。願いが有ればそれに必要な試練は必ずやって来るもので、何度も超えながら成就に近付いてゆくのだろう。今を生きるとはそういうことなのだろう。 2014年7月27日 琢
2014年07月27日
コメント(0)
料理には仕込が不可欠で素材の灰汁を落としかたくずれしない工夫をこらしうまみを引き出す真心の準備作業を必須のこととする美味しい料理を作るために元々の素材の良さを引き出すこと人の魂も細胞も初期化の準備をして置けば宿命の素材を生かして運命の花を開かせることができる宿命と運命の違いは宿命は変えられなくても運命はつくり出せる料理と共通するところが多い運勢、易学、占いで観てもらえば自分の運命はこのままでゆけば決まっているように思ってしまうだろう。先を観てそうならないようにする工夫があるもので、自分の掘り進めて入ることは【念ずれば花開く】で、強い願いと意志が有れば必ず叶うだろう。料理に喩えれば、運命はその日の献立のようなもので、つくろうと思ったものをつくることができる。宿命はその献立に使う素材で、野菜や肉や魚の素材を変えることが出来ないが、その素材を生かした仕込をすること、準備段階で真心を入れた工夫をしておくことで、自分で決めた献立の美味しい料理をつくることができる。素材のもつ灰汁落しをしたり、煮崩れをしない工夫をしたり、素材の相性をよく観て組み合わせる、良き因に良き縁が加われば、つくる人の愛・菩提心が根底に流れて、美味しい料理、綺麗な花を咲かせることができる。何をするにも準備が不可欠で、元々もっている素材の良さを引き出すこと、人の魂も細胞も、初期化の仕込をする準備作業がされていることで、美味しい料理、運命を作り出すことができるだろう。運命と宿命の違いは、宿命は変えられなくても、運命は変えられ、つくり出せることだろう。永い転生やこの世に生きるための我慢や忍耐も、すべてが準備段階の『呼びかけ』ととらえれば、試練・刺激・修行・精進によって初期化することで、美味しい料理になるように、素晴らしい花を咲かせることが出来るだろう。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2014年7月26日 琢
2014年07月26日
コメント(0)
初期化するということはゼロ地点に戻すこと拒絶反応を起こさない状態万能に成ったものを何に使うか自分の願いを成就させるためにそれまでなら摩擦を起こしていたものを大志のために使う発菩提心で修菩薩行に精進して痛みには歓びを混乱には調和を停滞には活性を破壊には創造を灰汁を落とし、癖を直し、歪みを是正して自分の業・カルマを浄化修正しておく『万能細胞』ができるまでの過程で気が付いたこと。細胞を初期化するということだった。コンピューターも新たな機能を備えるとき、セキュウリテイがはたらくときに初期化が行われる。バラモンの修行、密教の修行、求道の修行も同じことだろうと思った。違うところは細胞は物質だが、心・魂は見えないもので、輪廻転生している魂で、何かの課題、願いを抱えて転生してきているが、業・カルマがそれを難しくさせていて、灰汁を落とし、悪い癖を直し、歪みを修正するために生まれ直しに来ているものとすれば、そのすべてを初期化すれば、それが修行なのかと思ってみた。世界の中で摩擦を起こさないように、拒絶反応を起こさないように、自分の願いを成就させるために初期化すること、精進することで、どんな使命をもっているのか、何のために生まれてきたのかに気が付いてその自覚と共に魂願成就に向うために初期化するのだろう。大志を果たすための発菩提心、修菩薩行に精進して、この忍土の中、羅網の中で、痛みには歓びを、混乱には調和を、停滞には活性を、破壊には創造を、それに当たることを使命として、そう思えば死の恐怖も迷い葛藤も少なく成っているだろう。自分がそうなれれば嬉しいこと、楽しいこと、専念して機嫌よく明るくしていられ、満足感が有って悔いが残らないこと。それが生きて悟れる究極の自覚した心境だろう。成仏、死んで顔が歪んでいないこと、心の何処かにそう思っているのだろう。 2014年7月25日 琢
2014年07月25日
コメント(0)
満足感は興味本位では得られず単なる好奇心を充たすだけでは傍観的なものに終わってしまう自分でできるまで挑戦することどんな試練や苦痛をも超えたところに勝ち取った満足感が有り他に伝えることでもらう幸せからあげる幸せにただの正論は出来ていない場合が多く身に付けて初めて他に施しができる他の満足に貢献できるときそれが自分の使命と自覚できて悔いの無い歩みができるそこには菩提心が流れている机上の空論では何の根拠も得られず、やってみなければ、実践体験してみなければ説得力も無く、言葉に重みも感じてもらえないだろう。建前と本音と行動が一致してつかんだものの中に自分の使命のようなものが観えて来るのだろう。無私、利他、真念一貫になるときに本当の姿が観えて来るもので、雑念や邪気が有れば、すぐにその結界は破れてしまう。本当の満足感や充実感は興味本位だけでは得られず、単なる好奇心を充たすだけでは、すべてに通じる意味も解らず、ただ傍観するだけのものに終わってしまう。自分で出来るように成るまで挑戦し、どんな試練や苦痛をも超えたところに、本当の意味での自分だけにできる満足感が有るのだろう。それを他に伝えること、施すことで、今までもらうばかりだった幸せからして差し上げる幸せになるもので、ただの正論は出来ていない場合が多く、自分で身に付けて初めて他に施せるようになる。他にその恩恵に感謝されるとき、施したものにも得も言われぬ歓びを感じられるもので、他の満足に貢献できるとき、それが自分の使命だと感じ、その自覚がもてるように成れば迷うことも少なくなるだろう。無私、自分を無くすことで悔いの無い歩みができるように成っていて、そこには根底にいつも菩提心・愛が流れているだろう。 2014年7月24日 琢
2014年07月24日
コメント(0)
日本文化に触れようと朝食をとるアジア系の人々日本人と殆んど違いが無い肌の色も同じようで違うのは言葉だけファッションも違和感が無く外国人客が確実に増えている日本風が世界に広がり国際交流が盛んに成って日本の良さが世界に広まって文化文明の発信基地に成れば世界の主導的役割を果たし経済も活性するだろうそろそろすべてを二見で観て、何でも合理で片付ける時代は終焉に近付いて来ているのかも知れない。古来からの文化を基盤に育ってきた民族にとって二見で観て合理だけで済ませられないもの、心の安定を願う人にとって、自然の摂理に沿って暮らしてきた文化が消えてしまうことの危機感を感じ始めている。世界遺産に登録される日本特有の文化は保存されるべき世界中の人々を牽引して行くだけのものをもっている上に、ヨーロッパの文化に学んで来たものが加わって、世界中の人々の心の赴くところに成っている。日本文化に触れようと東京や大阪近郊のホテルにはアジア系の観光客が増えてきている。毎朝ブログの原稿を書きに行っているホテルアゴーラにも、外国人客が絶えることが無く、朝食をとる観光客は日本人と殆んど違いが無く、肌の色も同じようで、違うのは歓談する言葉だけだろう。ファッションも違和感が無く、良く日本の研究をしてきていることが窺える。東京オリンピックの開催国に成ったことの影響も大きく、外国人客は確実に増えていて、日本風が世界に広まって、益々世界文化の牽引役を果たす国に成って来ている。国際交流が盛んになれば、日本の良さが世界に伝わって、文化文明の発信基地に成るだけの意識改革も必要で、個人個人が自分の変革に挑戦するときがやって来ているのだろう。羅網の網の目の一人一人が、世界の主導的役割を果たして自己ベストを尽くせば、日本だけでなく世界経済も活性化するだろう。今の人たちの使命はそれを自覚することなのかも知れない。 2014年7月23日 琢
2014年07月23日
コメント(0)
母性の柔らかさと優しさ父性の逞しさと懐の深さその背中を観て子が育つ警戒心がとれるとき人の心を開かせる安堵感、安心感が人を素直に謙虚にさせる方法的懐疑を納得させ真綿のようなぬくもりに接すれば和む心が生まれて愛・菩提心の羅網を感じる人の良さ、親切さや品格はそういうところに現われるどんなことでも自分の身の周りで起きることには直接、間接を問わず、自分が関与した影響が何かの形で現れているもので、自分には関係ないと、その原因をよく見つめて、自己検証しておかなければ、同じような問題に何度も出合うことに成ってしまう。人の信頼はそこから築かれるもので、自分に自信、ゆとりが無ければいつもどんなことも逃げて、避けて通ることに成って何の進化も遂げることが出来ないだろう。心のゆとり、自信、信念のようなものは生い立ち基盤の中で育まれる。母性の柔らかさと優しさ、父性の逞しさと懐の深さの中で、親のはたらく姿や自分を守ってくれている姿、その背中を観て子は育つという。大きくなるにつれて痛い目に遭うたびに警戒心が芽生え、疑問を解消しながら前に歩き出すが、その警戒心が取れるときに、人の心は開かれて、安堵感や安心感がその人を素直に謙虚にさせる。デカルトが言ったように、人には方法的懐疑が有って、どんなものも一度は疑ってみてその疑問が解消されれば前に進めるようになる。どんなことも納得して、なるべく悔いが少ないように歩んでいれば、真綿のようなぬくもりに接するたびに和む心が生まれてくるだろう。自分の心の良心に従えば、愛・菩提心の天工の羅網を感じるもので、そこに多くの人たちに接することで、身近な関わりに気が付いて、他人事で済まされなくなるだろう。生い立ちの共通性の中に地域性が有って、日本人の人の良さ、親切、優しさや品格が、そういうところに現れてくるのだろう。人となり・仁はそういう場を通して築かれてゆくのだろう。 2014年7月22日 琢
2014年07月22日
コメント(0)
悲しさは一時のもの淋しさの中の懐かしさは永く心の中に蘇るもの多くの学びは苦の中に有って快苦を超える智慧に成っている快感を求める虚しさは良心から来るもので悲苦を超えた先に安堵がやってくる不信に得るものは無く行き止まりの扉も信じることで開く明るい先が見えて来る人の可能性は信じる方向に開かれてゆくのだろう。見た目では分らず、夢や希望という心の願いを強くもつほどそれだけの試練がやってくる。超えなければ成就は益々難しく、避けるほど遠く、逃げるほど可能性が小さくなってしまう。絶体絶命に成るほど、真剣に成ればなるほどその人の本当の力が湧き出してくるもので、強靭な精神力に至るまでには自分を超えるための試練が仕組まれていると思っておく方が良いだろう。”試練は呼びかけ”と思えば、悲しさは一時のもの、苦しみもそうで、淋しさの中の懐かしさ、思い出は永く心の中に蘇って来るもので、それが気分転換・転依、心の癒しにも成って、快苦を超える智慧にも成っている。過去に学ぶ多くのものは苦の中に有って、快苦を超える智慧にも成っている。快感だけを求める唯物的なこと、刹那的なこと、利己的なことの虚しさは良心から来るもの、理性的なもので、悲苦を超えた先に、大慈・大悲の菩提心と共に安堵がやって来るのだろう。方法的懐疑から不信を強く抱くほど得るものが少なくなって、行き止まりの扉も信じきることに転換すれば、明るい未来も観えて来るだろう人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る 高橋佳子著『千年の風』 2014年7月21日 琢
2014年07月21日
コメント(0)
托鉢に行けば一握りの布を頂く寺で縫い合わせたものが袈裟で一列、三列、五列のものが有ってそれ以上のものを大袈裟と言う布施のお話しで僧侶はその袈裟をかけて歩く喜捨、捨心は物を捨てることとらわれを捨てること賽銭箱には財布の小銭の全部を入れ裏に回って札をたたんで入れる願いを幾つも言わず感謝を述べる徳はそうして積むことに成る先日パナソニックOB総会で薬師寺のお坊さん・松久保秀胤長老の息子伽秀の『心の健康』のお話しが有った。悟りの道・六波羅蜜【布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧】の布施についてのお話の中で、托鉢【修行僧が寺の外に出て家の戸口でその家の家内安全、商売繁盛、健康祈願のお祈りをして、そのお礼にお布施を頂くこと、それがお寺の収入に成って修行のために生かされること】について面白おかしく語っていた。坊主が托鉢にに行けば一握りの布を握らせてくれる。それを寺に持ち帰って縫い合わせたものが袈裟だと言う。袈裟には一列のもの、三列のもの、五列のものが有って、それ以上のものを大袈裟と言うそうで、日常語の中には仏教用語がかなり使われているのだと思った。僧侶はその袈裟をかけて歩く。喜捨、捨心という言葉が有るが、物・執着を捨てること、とらわれを捨てることだそうで、神社仏閣にお参りに行けば賽銭箱に財布の中の小銭の全部を入れてお参りをし、お堂の裏に回って小さな賽銭箱に札をたたんで入れるのがよく覚った人のお参りの仕方だと言う。願いは幾つも言わず、感謝を述べることだそうで、徳はそうして積むことに成ると言う。手を差し出す子供にポケットから小銭を出してのせてあげれば、その子供はすぐに次に施しをもらいにゆく。後に残って施しをした人が手を合わせる姿を見るが、施しをさせていただいて徳を積ませていただいたことへの感謝のためだと言う。お礼も言わずに次に行った子供に腹を立てて、もう二度と子供に施してやらないなどと思った瞬間に徳は消えてしまうと言う。布施とはそういうものだろう。 2014年7月20日 琢
2014年07月20日
コメント(0)
心の準備は必要で馴染む時間も大切だろう局部に効く薬は他の部位には毒になるもので副作用が出ることも多い心も体も自律作用が有って各部位が正常にはたらき出すまで待つことも重要なことだろう整えるとは自律作用を正常にはたらかせること待つことは準備すること急がば回れもその内だろう焦らず、短気を起こさず、仕組みを待つのも道だろう思い込んだが百年目と短兵急に事を運ぼうとする短慮なところ、急く心、焦る心、せっかちな心は結構みんながもっている心だろう。この世の運の流れの中で、のんびり構えていたり、考えすぎていたり、危険、面倒を恐れるあまり、一瞬のチャンスを逃した経験も持っているだろう。何をするにも心の準備は必要なことで、想定の枠、視野を広げておくことも予習のうちだろう。なじむ時間も大切で、突発のとき、思いもよらないこともよくあることだが、慣れることも人の能力の内、耐えられないことも時間が経てば耐えられるようになってしまうのも人の心だろう。局部に効く薬は、他の部位には毒になるものも多く、副作用が出ることも有る。心も体も自律作用が有って、各部位が正常にはたらき出すまで待つことも重要なことだろう。整えるとは、自律作用を正常に働かせること、待つことは準備することでも有って、”急がば回れ”という言葉が有るが、”急いては事を仕損じる”とともにじっくり構えて懐を深くしておくことは重要なことだろう。焦らず、短気を起こさず、見識を広くして仕組みを待つのも道の内だろう。 2014年7月19日 琢
2014年07月19日
コメント(0)
ものごとの順番を間違えると目的を誤解されやすい為すべきことには順序が有って結論を先に言えば腰が引けてしまう場合もあるその経緯は大切なもので過程に学ぶところが多く段階を経なければ見えてこないものが有る結論を急いで失敗する場合も多く自分が密かに描く青写真は人には見えず理解してもらう時間も必要だろうこの世にはいろんな人がいるが、せっかちな人が多く、焦る心、いらだつ心を丸出しにする人が結構多い。ある意味で我儘な心だと思うが、自分の頭に描く情景を人も解っているものと、そのつもりで何かを要求するが相手にはその情景が写っていない場合が多い。不機嫌に成って怒り出す人もいるが、ものごとには順番が有って、自分のしたいこととその訳を伝えておかなければ、目的を誤解されたり、喧嘩の元に成ったりでろくな結果を生み出せない場合が多い。為すべきことには順序が有って、結論だけを先に出せば腰が引けて協力が得られないことも多い。その経緯の説明と理解が大切なもので、適切な事の運びには過去の結果とそれにいたる過程を学んだ知恵が必要だろう。思い通りに成らないことが殆んどだと思って、その過程に学んでおくこと、多くの挑戦と体験を積んでおくことがいつか自分を助けることにもなるだろう。そういう段階を経なければ観えて来ないものも有るだろう。自分の生まれた意味や使命をそういうところから見付け出すこともできる。結論を急いで失敗することも多く、自分の心の中に描かれた青写真は人には見えていないもので、じっくり腰をすえて理解してもらった上で良き同伴者・縁ある人かを、双方が気が付くまでの時間も必要だろう。自分の側だけのことを考えるだけでなく、相手の側のことを良く観て理解しておくことの方が先である場合が多い。ぶれることが無い信頼関係を築き上げることが大願成就に至る、最も確実な道筋だろう。 2014年7月18日 琢
2014年07月18日
コメント(0)
心の中には魑魅魍魎がいて血を求める蚊のようにしつこく飛び交う欲界のもの理性でしか抑えられない道中の邪魔になる煩悩が多く快感を原則にすれば苦を良しとせず避けて通り理性を片隅に追いやってしまうそんな葛藤の連続でも求める本質は快苦を超えたもの四苦八苦の試練を超えながら本当のものを得ようとするそれが道心だろう『道心』は国の宝だと、比叡山に天台宗を開いた伝教大師最澄の言葉がある。他にも『一隅を照らす』、『忘己利他』など、人の歩みに大切な言葉を残している。筆跡を見れば、空海さんの字はゆたかで味のある字、最澄さんはしっかりした真面目な字のように感じている。どちらも遣唐使として日本仏教に貢献した偉い人。人の心の中には魑魅魍魎のようなものがいて、血を求める蚊のようにしつこく飛び交う欲界のもので、それで人生を棒に振った人は数多い。心の奥にある魂の中に入っているものを思い出そうとする歩み、人生行路・道の途上でいつも邪魔に成る煩悩が多く、快感を原則にすれば、苦を良しとせず避けて通ってしまい、理性を片隅に追いやっている場合が多く、改めようとする心を先延ばしさせてしまう。過去を振り返ってみても、そういう葛藤の連続で怠惰に流されてきた歩みだったのだろう。善我を育んで真我を求める道の本質は快苦を超えたもので、四苦八苦の試練を超えながら、本当のものを掴み取って、それが自分の天職であり、使命だと自覚できる心境を求めようとしている。その心が『道心』で国の宝だと言う。『修菩薩行』、『発菩提心』の精進を積むのが別境で、『色受想行識』の遍行から智慧を得て、悔いを残さない真っ直ぐな道を求める過程が大切なのだろう。 2014年7月17日 琢
2014年07月17日
コメント(0)
現象が起きるには必然の原因が有って過去の現象に学ばないものには原因の修正浄化が出来ず何度も同じ過ちを繰り返す人には止むにやまれぬ事情が有ってそうなるにはそうなるだけのカルマを抱えているそれを超えれば独自の味が出て試練を超えようとするものの参考にも成る何度も超えてきたものには懐の深さや奥行きの広さが有ってその許容の広さは言葉で説明できず観て学ぶしかない背中を観て学ぶしかないだろう自己回帰の大切なところは、何度も同じ過ちを犯さないように自分を客観的に見つめ、止観【事態の、感じ、受け止め、考え、行為の順に思い出して何処に修正事項があるかを観ること】して、自分の傾向を確かめた上で、その事態を更に自己検証して修正事項を見つけて修正浄化し、それを肝に銘じておく・自覚しておくことができることだろう。どんな現象が起きようと、そこには必然の原因が有って、それを観ようとせず他山の石のように反省せず、過去の現象に学ばないものは、その自分が関与した中で起きた必然の原因の修正浄化が出来ないだろう。観ようとするものは、何度も同じ過ちを繰り返し、生い立ちや基盤から来る止むに止まれぬ事情の中に、そうなるにはそうなるだけの自分の業・カルマを見抜いて、それを超えてきたものにしか出ないその人独自の味が出せるのだろう。それが試練を超えようとするものの参考になるもので、何度も超えてきたものには、懐の深さや奥行きの広さが有って、その許容の広さを言葉では説明できないだろう。何でも表面だけを見ず、その奥に横たわっているものの中に必然的に起こす現象を見抜くこと、末路を観ること、般若心経の『観自在』は自分の在りかたを観ることで、本質を見抜く力『観力』が必要で、観て学ぶこと、背中を観て学び、上っ面だけでなく本質を見抜くことが大切だろう。 2014年7月16日 琢
2014年07月16日
コメント(0)
自分でできること人の助けを借りるとき失敗を許してもらうとき忘れの穴埋めをしてもらうとき他の温情にすがっている当たり前と思い改善が無ければ感謝の無い人と思われて人の心は離れてゆく交友の大切さは末路を考えその仏性に敬意を示し感謝と共に共有し合うこと自力の至らないところを埋め合い決して押し付けず代償を求めないこと人間は人のために生きているといって良いだろう。孤独を嫌い、誰かのためになる自分で有ることに歓びを感じて生きている。幼い頃はすべて親に育ててもらいながら毎日が勉強で、自分でできるようになりたいとどんなことにも挑戦しながら育ってゆく。好奇心はどの分野のことにもはたらいていて何でも知りたいと思う知識欲が旺盛だった。したいことができるようになれば、誰かに見て貰いたいと思い、次には誰かのためにやってあげたいという衝動に駆られてゆく。大人に成るほど交友も多くなって、相互の信頼関係を保とうと互いに至らないところを埋め合うことを覚えてゆく。人の助けを借りるとき、失敗を許してもらうとき、忘れの穴埋めをしてもらうときも多く、そのときは他の温情にすがっているもので、お互いに助け合いの世の中だと思っている。そこに互いに感謝があるものだが、自分のことばかりで、当たり前だと思う心や人の情けを粗末に扱い始めれば、感謝のない人だと思われて、人の心は離れていってしまうだろう。交友の大切さは、互いの孤独を埋め合い、補い合い、生い立ちの違いから来る違和感を受け入れること、認め合うこと、対立しても末路を考えながら、相手の仏性に敬意を示して、やろうとすることを感謝と共に共有し合うこと、自分の至らないところを埋め合うことに有るだろう。決して押し付けをせず、互いに相手を理解しあいながら、絶対に代償を求めない無私で利他の、与えっぱなしの心・善意の心・菩提心で誠意を尽くすことが交友に基本精神なのだろう。そういう意味ではこの世は自力と他力のバランスの良さが自分の身を守ることになるのかもしれない。 2014年7月15日 琢
2014年07月15日
コメント(0)
続けることの大切さどんなことでも意志と気力の証し自信がもてれば謙虚になれる一つのことにも障碍がある挫折、諦めに対する挑戦をして代償を求めずに黙々と続けることから貴重な確信を得る夢や希望の実現に必要な強靭な精神力が身に付く人の信用はそこに生まれ世界はそのしぶとさに期待する何かやってくれる人としていろいろな道を歩みながら、迷い葛藤の末に行き着くことは、どう自分を爆発させ、どう自己ベストを尽くして羅網に活力を与え、どう散ってゆくかなのかも知れない。溜め込んだ自分の心の疼きのようなものが、世の中のために成って、世に活性を与えて、そのお役に立てることを自分の生涯の使命としたいと思う心は誰にも有るだろう。その心をもち続けること、継続は力なりと言うが、持続させることで、強い意志をもち、気力を充実させることでどんな障害・試練をも乗り越えてゆくことができる。意志と気力の証しがその果報に成って、自分に自信がもてるようになり、素直に謙虚な自分に成って奥行きのある自己形成が出来るように成る。何か一つのことをするにも障碍はつきもので、簡単に挫折したり諦めたりせず、代償を求めることなく自分の信念を押し通すこと、それを黙々と続けることから、貴重な確信めいたものが得られるだろう。夢や希望を実現させるために必要な強靭な精神力・気力・自信・確信が得られるとき、人の心の中にその人に対する信頼が生まれるのだろう。世界はそういう何にも動じず、停滞する風潮に活性を与える人を求め、何かやってくれる人、願いの成就のためには死をも恐れぬ気力有る人を求めている。 2014年7月14日 琢
2014年07月14日
コメント(0)
命の尊厳を思えば命の関わり方が変わる人の動物も変わりなくこの世の接し方、死後の接し方特に身内の関わりから先祖意識の有り方を考えるその恩恵に感謝するとき命の奥が深くなる日頃の接し方も変わり関わりに軽いものは無く真摯な真心は伝わっている表面だけの付き合いでなく有事の対応も違うものになる失われた命は二度と戻らず限りある時間の大切さを思う最近は人間関係の有り方がギクシャクしたものに成った感じがして、血の繋がりさえ薄く成って来ているような事件も多く成って来ている。血の繋がりや土地柄、国の一員として生きていれば、その連帯責任を負っていることになる。自分に関係ないことでも、歴史上のことにもそこにいることだけで一族が住む場所、所属する国の一員として、地上で起きることから逃れられず、他からの圧力には連帯的責任を取ることになる、その覚悟をすることになるだろう。日本にいれば自然の災害が多く、地震、台風、津波、噴火から自分だけ逃れることが出来ずその準備と覚悟をしておくことがそこに生きる条件に成っている。そこに共生するもの同士の愛も共通する絆のようなものが芽生えている。命の尊厳を思えば、その関わり方が変わり、人も動物も変わりなく、この世の接し方、死後の接し方が有るだろう。特に身内の関わりから先祖意識の有り方を考えるようになれば、犯罪に成ることを戒める最後の砦に成るかも知れないだろう。今生でその関わりと共に共生することが、何転生もして来た魂を思えば稀有なことでその恩恵に感謝することになるだろう。命の奥が深くなることから日頃の接し方も変わって、そのかかわりに軽いものは無く、素直な、謙虚な真心は言葉にする必要が無い状態に成っている。表面だけの付き合いでなく、奥深いもので有事の対応も違うものに成っている。一員として失われた命は二度と戻ることが無く、何万年という転生から思えば、たかが百年の時間といえども限りある時間の大切さを思ってしまう。この世の関わりは『他生の縁』という関わりと思えば、前世からの因縁果報を引き継いでいるのかも知れない。 2014年7月13日 琢
2014年07月13日
コメント(0)
愚かさを知るほど学ぶところが多く奥の深さを思えばこれでよいというものは無く諦めたときに進化は止まる成り行き主義になれば自分に主導権は無く敗北感と共に厭世的に成る悪循環を抜ける勇気を出せば因の転換と共に光が見えて来る明運力がはたらけば明日の自分が観えて来る強い自覚と共に道は歪まなくなる心はいつもフラフラしているものだが、迷いや葛藤がいつも有って消えることが無く、行き止まりを感じることも、先延ばしをしてしまうことも、投げやりに成って放棄してしまいたくなるときも有って、それでも自分の信念を保とうとしている、その材料が事欠かないのが現実だろう。自分の非力さに打ちひしがれて愚かさを知るほど学ぶところが多く、奥の深さを思えばこれで良いというものは無い。学びを網羅しようとしても、ほんの一部分をかじっただけで、上には上が有って、諦めたときに進化は止まってしまうのだろう。成り行き主義になれば人任せに成っていて、いつまで立っても自分の主導権が無い無力を知ることに成る。敗北感と共に厭世的に成ってしまうもので、いつも自分との戦いを続けながら、悪循環を抜ける勇気を振り絞り、辱や苦に耐え忍んで、このままではダメに成ると自分を変えようとするのだろう。心の有り方を変えようと因の転換を図ることから一条の光が観えて来るもので、相応の縁の恩恵と共に明運力がはたらき始めるのを待てば、明日の自分が観えて来るだろう。自分を変えることは容易なことではなく、相当な大志と強靭な精神力、強い意志、気力を整えて、尚且つ流されそうに成る自分の自己管理が必要で、飽くなき精進を積むことで道が歪まなくなってくるのだろう。 2014年7月12日 琢
2014年07月12日
コメント(0)
顔色が良くないとき肌の色が黒いのと違って心が曇っているとき表情が暗いとき想念が悪いとき浮かない顔のとき使う言葉は否定的で面白くない、楽しくない言葉を使いやること為すこと上手くゆかず裏目に出ることが多い逆に肯定的な言葉を使えば障害を超えられる暗病反を避けて明元素を心掛ければ幸運がやってくる顔色が悪いときは回りも気を使ってくれるが、頼まれごとが少なくなって当てにされなくなっている。病気や日焼けで顔が黒っぽく成っているのと違う場合は、顔色が良くないと言われれば、心が曇っているとき、表情が暗いとき、想念が悪いとき、浮かない顔のときでオーラが黒っぽいときだろう。そういうときに使う言葉は何も受け付けたくない否定的な言葉が多く、相手にとって面白くない、嬉しくならない、楽しくない言葉が多くなっている。忙しい、疲れた、難しい、つまらない、出来ない、嫌だ、ダメだ、まずい、もう年だ、汚い、馬鹿だ、やりたくない、面白くない、困った、参った、苦しい、辛い、などの言葉を使っていれば、やること為すことすべてが上手くゆかず、歩もうとする途上で何をやっても裏目に出ることが多く、周りにも認められない、期待されていない人間に成っている場合が多い。逆に、ありがとう、充実している、簡単だ、頑張ります、面白い、できる、素敵だ、楽だ、やれる、美味しい、綺麗だ、努力挑戦します、幸せだ、楽しい、元気だ、素晴らしい、可能だ、美しい、嬉しいなどの肯定的な言葉を使えば、障碍が有っても超えることが出来て、上司に取り立てられ、期待され、奇跡をも起こせそうな雰囲気が出て、勇気を出すことから気力が充実すれば周りの期待通りの成果をあげること、思ってもいない力も出ることを知ることができる。暗病反の言葉を避けて、明元素の言葉を使うことを心掛ければ、幸運もやってくるだろう。 2014年7月11日 琢
2014年07月11日
コメント(0)
何か一つのことを持続すること毎日の勤行には生きている証が有る人の生き様が見えて昨日が今日、今日が明日へそこで得るものは誰にも思い当たるものが有る通過点で感じたこと今感じていること時や場所が違っても円環的思考の中に同じものが有る自分だけでないもの孤独でないことを知ることができる自信家だった自分、その割りに何もできることが無かった自分、人の言うことを聴かなかった自分、思い込んだことをチェックもせずに走り抜けて、暗運力がはたらき始めていることにも気が付かず、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転の順にどん底に堕ちてしまって初めて自分の愚かさを知ることに成った。そこではじめたのは智慧の経緯、父から得られなかったもの、子供たちに一人のおっさんが毎日考えていること、考えてきたこと、学んでいることを書き残すことで、手書きからはじめて今はブログを7年間続けて、何かの参考になればと思っている。書くことは慣れること、智慧は経験と友との会話から、仏教の学びから自分なりに至った心境を書き残すことから不思議な現象に出会うこともある。何か一つのことを持続すること、毎朝の勤行には生きている証が有る。人の生き様が見えて、昨日が今日へ、今日が明日へ、そこで得る哲学のような智慧には、誰にでも思い当たるものが有って、恰も観てくれている人が自分のことのように感じてしまうことも有るが、その原稿は50日前のもので、自分には霊的能力も無く先見能力や洞察力も無いのに、共通点や自分を観てくれていると思ってしまう人もいる。歩んできた通過点の中で感じること、今感じていることは、時や場所、生い立ち基盤が違っても円環的思考の中に必ず有るもので、観る人に同じものを感じさせ、自分だけが苦を味わっているのではないこと、孤独でないことを感じ、何かの参考になればと勤行する人は毎朝願いながら書きつずっている。 2014年7月10日 琢
2014年07月10日
コメント(0)
意地は重たいもの自分の人生も他人の人生も変えてしまうときが有るその影響の強さをわきまえて通すとき引くときを考える過ぎたるは及ばざるが如し過去を変えることは出来ず過去を改めて先に生かすしかない後悔先に立たず人に悪いことをした事実は消えずやってしまった自分の汚点も消せない誠意をこめて許しを請うしかなく二度と同じ過ちを犯さないことを誓う意地にはそんな危険がある過去に学んで今の業を戒めておくこと後悔は、思い出せば嫌な思いをした経験、苦笑するしかなかったこと、辱を耐え忍んだこと、絶望感に浸ったことなどの中に有るもので、二度と取り返しが付かないことばかりだが、その中で多いのは、妙な意地を張ったために起きたことが多く、もっと素直で謙虚だったらと思うことが有る。見栄や体裁で意地に成ったこと、相手を甘くしてダメにしてしまうことにも気が付かずに張ってしまった意地、結構お互いに重たいものが有るだろう。自分の人生も他人の人生も変えてしまうことが有る。その影響の強さをわきまえて、通すとき、引くときを考える心の余裕も必要だろう。”過ぎたるは及ばざるが如し”で、過去を変えること、消すことはできず、その原因の自己検証をして、改めながら先に向って歩むしかないだろう。後悔先に絶たずで、他に悪いことをした事実は消せず、やってしまった自分の汚点も消せない。気が付いた時点でできることは、誠意を尽くして赦しを請うしかなく、自分には二度と同じ過ちを犯さないことを強く誓っておくことだろう。意地にはそんな危険が秘められているもので、良く過去に学んで今の業を改めること、そこにも自分が生まれてきた意味が有って、果たすべき使命とも何らかの関わりが出てくるのだろう。天の川 まだ観ぬロマン 仰ぎ見る疼く心に 癒し求めて 2014年7月8日 琢
2014年07月08日
コメント(0)
凝り固まった思想本筋は同じでも他とは差別して一方通行の押し付けをする他の批判、身びいき自由な心を阻害する宗教論争の愚かさ客観・冷静なほど違和感を感じる風土風習は良し悪しではなく本筋を身につけること警戒、拒絶を解きほぐし認め合うことからすべてが始まる心の安定を願う思いは同じ自己正当をしないこと人には身贔屓なところが有って、それは愛の一部分かも知れないが、自分の子に限ってとか、信じ込んだものを他に押し付けようとするところが有る。凝り固まった思想は間違いを正そうともせず、本筋は同じでも他とは差別して一方通行の押し付けをしてしまう。目的は人のため・救済であっても、他とは差別して身びいきに成ってしまい、周りの人の心の自由を阻害してしまう。宗教論争もそうだが、どの宗教も人の救済、心の安定のための導きであるはずが、信じ切って神格化した教祖だけが最高だと他宗派の批判ばかりが目立って、中道を保っているものから観れば、人心を乱すものとしか映らず、愚かなことをしているようにしか見えないだろう。客観、冷静なほど違和感を感じるもので、土地の風土風習と宗教は密接に関わっていて、単に浅はかな見識の甘さを露呈する『良し悪し』論争ではなく、本筋を身につけることが重要だろう。警戒、拒絶を解きほぐして認め合うことからすべてが始まるもので、他の批判、押し付けをするほど、その盲信する信者が人の心を乱して、その教祖さん自体の品格まで落としていることに気が付いていない場合も多い。互いに認め合うことからすべてが始まるもので、信じあい、信頼関係が深くなるほど心の安定が有るもので、その願いはどの宗教でも同じ願いをもっているだろう。悟りを開く、解脱する、その境地を目指してまだ道半ばにも至っていないものが、他宗派の批判をするほどの自己正当を戒めておくこと、身の程を知ること、これは人間としての最低条件になるだろう。 2014年7月7日 琢
2014年07月07日
コメント(0)
生まれたときから始まる旅冒険探求の旅自分が何者かを知るため何のために生まれてきたかを知るため試練を超えるたびに智慧を出し快苦に惑わされないものの探求魂の願いに気が付くための仕組み願いを果たすために来る必然の試練そのすべてを呼びかけととらえて人智を尽くして人智を超える旅の過程毘る舎那仏の光に照らされ阿閃如来の不動無道の鏡宝生如来の光観阿弥陀如来とともに西方浄土へ魂は何転生もしていると言われ、魂の中には意識の蔵が有ると言う。次の転生になすべき宿題がインプットされているものの、三つの係蹄【忘却、喪失、無知】の条件の中で人は生まれ、何も無いところから始めることに成るという。意識の中に入っているものを思い出すための冒険の旅なのだろう。自分が何者で何をしに来たのか、どんな意味が有って生まれてきたのかを全く知らない状態で生まれ、自分が描く夢や希望を実現しようとする道中で思い出せる人もいれば、ミッションワークを知らずに返って行く人もいる。無明から始まって光を求めて歩む道には試練が待っていて、超えるたびに智慧を積み重ねて、それが必然の仕組まれている、思い出させようとする仕組みと思えるようになればその恩恵に感謝するようになる。願いが有れば必ずそれを果たすための試練が与えられ、快苦を超えたところに成就への道が見えて来る。試練、困惑、苦痛を何かの呼びかけと思えば、逃げず投げ出さず諦めずに自分を修正浄化して変えながら観えて来るものが自分の生まれてきた意味であり、為そうとすることが使命であることの自覚がもてるようになるのだろう。仏に学び成仏することを誓った道を歩めば、毘る遮那仏【華厳経に出てくる北の光、奈良東大寺の大仏】の光に照らされ、阿閃・アシュク如来【大日如来を中心にした東の比丘尼で不動無道の如来さんで鏡のようにすべてを映し出す】に歩んできた道のすべてを見せていただき、宝生如来【南に位置してどんなものにも有る良いものを観る】に自分の光に成っているものを観てもらい、最後には阿弥陀如来さんに西方浄土に連れて行っていただくこと、それが成仏だと仏教では言い伝えられてきている。 2014年7月6日 琢
2014年07月06日
コメント(0)
凛として歩く姿は気品を感じさせるが中身が整っていなければ使う言葉に表れ外見を整えても肝心なときに奥ゆかしさを感じない原因の無いところに結果は生じず過去に学び身を正していなければ見掛け倒しに成る自己検証は必須のことで責任転嫁で逃げないこと試練が修正課題と使命を教えてくれる立ち向かう気を整えて置く必要がある何をするにしても夢や希望の実現は快苦を超えたところに有る。快感だけを求めて生きれば、苦になることを避けて通り、都合の悪いことが起きれば責任転嫁で人のせいにして自分を改めようとしなくなる。何でも二見【勝った負けたや損得、プラスマイナスに終始すること】で見て、自分が本当にやるべきことが見えてこず、見え体裁、対立で世間を狭くして自分の品格を落としてしまう。凛として歩く姿には気品を感じるが、中身が整っていなければ、使う言葉ややること為すことに軽さがあらわれて、外見だけを整えていても肝心なときに奥ゆかしさや含蓄の深さを感じないだろう。原因の無いところに結果は生じず、過去に起きたことに学んで身と正していなければ、お金やもので振舞っても見掛け倒しに成ってしまう。願いが有るから試練を与えられるが、その試練から逃れようとしたり真正面で受け止めず小手先で処理しようとすれば、超えるために必要な本当の呼びかけが理解できず、自己検証をせずその原因を他のせいにして逃げてばかりでは、いつも自分が正しく、正論ばかりを言って何も進歩していない自分を観ることになる。原因の無いところに結果は生まれず、試練が来れば何かの呼びかけと捉えて、自分の修正課題や生まれてきた意味、使命を教えてくれるものと、素直に謙虚に自己の修正浄化をすることで、生きてできる悟り・自覚が具わってくるのだろう。そういう意味で与えられる試練は、単に快苦だけでとらえずに、自己の向上のため、本当の使命を見つけ出すよい自覚のチャンスだと思って、小手先で楽に交わそうとせずに真正面で立ち向かう気力を整えておくことが必要だろう。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道 天の川 まだ見ぬロマン 仰ぎ見て 疼く心に 癒し求める 2014年7月5日 琢
2014年07月05日
コメント(0)
忘却は人の常覚えようとする後から忘れ使おうとすれば出て来ない知識は時と共に劣化して消え縁の無い言葉も時々使えば次第に身に付いてくる楽しいことを思って明るく苦しいことにとらわれない明るく機嫌良く生きるため残すものを残し捨てるものを捨てて変身の決意をすればそれまでの自分ではないと言い聞かせ安易に元に戻らないことその自覚を固めておくこと嫌なことや苦しいこと、思い出したくないことが多くなれば自分を変えたくなるだろう。何処をどう変えるかは、自分のカルマを見抜いて、その上で摩擦を起こさない自分に成るために、いつも無私、利他の精神で、相手の立場に立ってものを考えることが出来れば、向こうの理解も得られるようになって許容範囲・懐が広くなり摩擦が少なくなってゆくだろう。気をつけるべきことは感情の動きを極力抑えておく心構えが必要なことだろう。人はすぐに忘れてしまうもので、覚えようとする後から忘れてゆく『忘却』が有って、使いたくても出てこず、知識は時と共に劣化して消えてしまうものだろう。言葉は自分に縁が有れば忘却してもまた出会えるもので、無理に憶えようとして焦らなくてもまた出会えるだろう。明るく楽しいことを思い、苦しいことにとらわれず、快苦を超えて自分の夢に向って明るく機嫌良く生きていることが一番だろう。残るものを残し、捨てるものをきっぱりと捨てて、変身の決意をすれば、負けそうに成っても今までの自分とは違うんだと自分に言い聞かせ、安易に元に戻らないこと。そういう自覚をきっちりと固めておくことが重要なことだろう。 2014年7月4日 琢
2014年07月04日
コメント(0)
占い、易は八割は当たる統計学、データ学で天体と地上現象の周期を観れば予測することができるその組み合わせで人の歩みの予測も可能だが二割の危機感が無ければ予測不能の試練に出会う準備はそのために必要なことで運の流れを見通すことも心のバイオリズムの影響も有ってその延長上に明日が有るすべてが視野に入っていること道を歪めないために人はいつも心の安定を願っているものだが、今の現実以下の生活には成りたくないと思う人が多く、変化を恐れ、変化を好まず、先々今の現状が続いているかどうか、より良き日々が送れるかの見えない未来への不安を抱えて、おみくじ、易、占いで先の予測を知りたくなるのだろう。八割は当たっていると言われ、先に来る結果を避ける方法も有ると言う。基本的には天体と地上現象の永年の統計やデータの学問で、いろいろな組み合わせをすることで自然現象や人それぞれの先を予測することができる。人の歩みの予測も可能だが、二割の危機感をもっておく必要が有って、予測不能な試練に出会って対処不能にならないように、いついかなるときでもその準備を怠らないようにしておく必要がある。運の流れにも関係が有って、明運力がはたらいているときと暗運力がはたらいているときとでは対処の違いが有って、それを間違えれば絶望の淵をさまようことにも成るだろう。心のバイオリズムも有って、予感めいたものを感じ取ることもできるが、いつも心を整えて置く忍耐と努力の積み重ねが自分を守ることにも成るだろう。宿命は素材のようなもので変えることが出来ず、運命はその素材で作る料理のようなもので、献立のように自分でつくることが出来ると言う。明日、先はその延長線上に有るもので、因縁果報ですべてを視野に入れながら自分でつくり出せるものとして、自分で自分を汚すこと、毒することの無いようにして、道をゆがめて余計な手間で足をすくわれないように心掛けておくことが大切だろう。”過去の因を知らんと欲さば、現在の果を見よ。未来の報を知らんと欲さば、現在の業を見よ”で、正しい因の転換をして良き縁と共に、先の自分の綺麗な花が咲くように、良き果報をつくり出す因縁側の自分に成って、押し付けをせず、代償を求めない無私、利他の心で、今を決然と生きることだろう。 2014年7月3日 琢
2014年07月03日
コメント(0)
転ばぬように一歩を踏みしめる遠くに行くのも一歩から人生の歩みも一日の積み重ね遠くを観て足元を固める今日在るのは昨日が有ったから明日は今日の延長上に有る怪我をせず悔いを残さないために今日の一歩をできるだけ明るく機嫌良くかみ締めて歩む架空のことを人は信じない今日の一歩を信じるものが集まる明日はそこから見えて来る夢や希望が有るから人は生きてゆけるが、そのときは架空の空想のようなものでも、いつも成就を念じて歩むことから、多くの縁や恩恵と共に自分の歩むべき道が観えて来るのだろう。自分の足でしか歩めない自分の人生だからこそ一歩を大切に進めることが重要に成って、現実をしっかり受け止めながら確実な歩みをしようとする。転ばないように一歩を踏みしめる。遠くに行くのもその一歩からで、人生の歩みも一日の積み重ね、だからこそ遠くを観て足元を固めるのだろう。今日有るのは昨日が有ったから、明日は今日の延長上に有ると思えば、怪我をせず、三つの自覚【忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚】と共に悔いを残さないために、今日の一歩をできるだけ明るく機嫌良く歩めるように、摩擦を起こさない自分に変えるために自分の傾向をよく知り、改めるところを改めて、いつも相手の側に立って考えてみること、その仏性に敬意をはらい、自分の進むべき道を自覚して歩むこと、よくかみ締めて歩むことだろう。人は架空のことは現実にならない限り信じようとせず、今日の一歩を信じるものが集まるもので、千里の道もこの一歩からと着実に進もうとするものを好としている。明日はそこから必ず観えて来るもので、どんな険しい道、ゴロゴロの砂利道でも必ず白く真っ直ぐな道に出られると信じて今の一歩を歩むこと、それが自分にできることだろう。果てしなく 険しく続く 天の道受容してなほ 見えぬ道のり 2014年7月2日 琢
2014年07月02日
コメント(0)
私情をはさまずいつもにこやかで明るく偏見をもたず周りに笑いがあれば和やかで楽しい場にはまた行きたくなる笑顔には親しみを感じ友人が多くなる親しい交流に学ぶところが多く相手を立てることが出来れば互いを認め合うことが出来て響働すれば絆が深くなって恩恵と共に成就が見えて来る心が安定していれば機嫌が良くなる自分の居場所が無く、居心地の悪い状態で人の参加意欲が減退して、周りに溶け込むことができず一人ぽっちの孤独を味わっている人が多いだろう。始めは誰でも集団に入れば、自分の居場所等ないもので、社交性、協調性のある人はすぐに溶け込むことができるが、それが出来ない人が多く、参加している内に言葉を交わす人の数が増えて、自分がそこにいることが許されたような気がし始めるのだろう。脱落する場合のほとんどが孤独で面白味を掴み取れなかった人か、その集団の主旨に違和感を感じ始めたときだろう。私情をはさまず、いつもにこやかで明るく、偏見をもたずはみんなの心掛け次第で、周りに笑いがあれば場が和やかに成って、みんなが楽しいときはまた行きたくなるだろう。笑顔には親しみを感じ、友人が多くなる要因でも有るだろう。壇の上に立つ人は特にその心構えが必要で、傲慢に成ったりエリート意識が出ないようにしなければみんなを引っ張ってゆくことが出来なくなるのは主旨の良さ以前の問題だろう。親しい交流には学ぶところが多く、相手の立場を理解して立てることができれば、信頼関係も結ばれて、響働すれば絆が深く結ばれて、恩恵と共に願いの成就も夢ではなくなって来るだろう。人の心はそういう状態に成って安定し始めるもので、その状態に成れば笑顔も明るさも有っていつも機嫌良く成れているだろう。 2014年7月1日 琢
2014年07月01日
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1