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振り返ってみれば痛い目に遭ったこと苦しかったことばかりでなく嬉しかったこと、楽しかったこと救われた恩恵が結構有る選択の間違いも良い経験で無知な頃より注意事項が多くなったがあれが無かったらどうなっていたか良いこと探しをすればたくさん出てくるその良かったことに感謝できればその心が伝わって交友と信頼が深くなり心も安定してきて今を明るく機嫌良く生きることが出来る幸せ感は心のバランスが整っているときに得られる。確かに人生は苦しいことばかりが多く感じられるが、それを超えてきたのが今の自分で、四苦八苦に出遭うのは自分の進化のための縁ととらえれば、この忍土ではみんなそういう条件、制約の下に生まれてきたとも言える。障碍や試練を超えさせるのは希望と目標への強い意志がそうさせているが、勇気や気力は歓びを得るために無限に湧き出してくるもので、その挑戦の途上にはたくさんの救いや良いことが有ったからで、それが明日を拓く身に付いた智慧になっている。振り返ってみれば、痛い目に遭ったこと、苦しかったことが多いか、救われた恩恵が結構有っただろう。愚痴をこぼす前に、そういうことを思い出せば、もっと前向きに成れるだろう。選択の間違いも良い経験で、無知な頃より、注意事項が多くなったが、人生を変える良い出会いも有ったはずで、良いこと探しをすればたくさん出てくるだろう。救われたこと、良かったこと、嬉しかったことに感謝の念が報恩に向かう心に成れば、それが伝わることで交友と信頼がさらに深くなってゆく。心のバランスがとれていれば、不満を言うことが少なく、今を明るく機嫌良く生きることが出来るだろう。 2017年2月28日 琢
2017年02月28日
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「そんなこと知ってるわい」でも、本当は分かっていないことが多い言われなくても分かっているその逃げ口上が進化を妨げている人は耳にタコができるほど言われても前向きでないときは義務と感じ反感をもっている同じ言葉が聞き流されていて表層だけでの歩みでは自覚に至っていないものわかったと言うほどわかっていないもの何度も出遭わなければ受け止めないもの愚かさを自覚するときが来る一を聞いて百を知るには程遠い素直に、謙虚になれない自分、それを知っていて意地を張ることが多く、人からとやかく言われたくないと言う自分が出てしまうことが多い。怒られたり、叱られたり、頭ごなしに説教されたり。上から目線で言い含められたり、自分が低い人間のように辱められたりすることを極度に嫌う自分がいる。「そんなこと知っているわい」と言っても、本当はまるで解っていない場合が多く、言われなくても分かっていると意地を張って素直になれない自分がいる。格好が悪いからと傍目を気にして言い訳、釈明、逃げ口上が多いほど進化の妨げになっている。耳にタコができるほど言われても聞く耳をもたず、根拠のない反感と義務感に圧迫感を感じて、大切なことを聞き流していることも多い。表層だけ見ていてはその本質が観えず、「わかった」と言うほどわかっていない場合が多い。何度も出会わなければ受け止められないもの、自分の愚かさに気付かなければ心からわかっていない場合が多い。馬耳東風も時には良いことも有るが、良かれと言ってくれる善意の言葉はちゃんと受け止めなければ、自分が損をすることが多い。ただ知識だけが豊富というだけでは、一を聞いて百を知るには程遠いと自分に言い聞かせておく必要が有るだろう。 2017年2月27日 琢
2017年02月27日
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今気が付かなくてもことも時が経ってハッと気付くことが有る気付きの多くは過去の視野に有ったこと示されても解からなかったこと時と共に重ねた体験の中にああそうだったのかと気付くことが多い自分に縁の有ることは再び遭遇するもので神仏や指導霊が仕組んでいる場合もある魂の成長を促すものその呼びかけは障碍や試練を通して修正浄化すべきものとして苦を通して学ぶことが多いそれはほんの一部のものでも他に応用できる智慧になるもの人のためになること他人が歓ぶことが嬉しいもので、自分が理解されて認められることや誉められることで、自分が何をすればいいのかが分かって来る。そこに自分が期待されている場で有れば、そこが自分の居場所だと、満足できる歓びの場になる。頭では分かったつもりでも心に落ちて来ないことが多く、自分に縁の有ることは、何度も体験の中に入ってくるもので、今気付かなくても、時と共にハッと気が付くことが有る。気付きの多くは過去の視野に入っているものが多く、示されても解からなかったことが多い。時と共に重ねた体験の中に、やっとその領域が見え始めて、ああそうだったのかと気付くことが多い。障碍や試練の中にはそういう呼びかけのようなもの、神仏や守護指導霊が仕組んだようなもの、自分に必要な縁になるものが、魂の成長を促すものが有る。そういう呼びかけと思って、望まぬ現実の原因を通して自己の修正浄化をすることで、次第にことがうまく運べるようになってゆく。苦を通して学ぶことが多く、簡単にできたことはすぐに忘れてしまうものだが、厳しい苦ほど忘れることが出来ず、そこに学ぶべきことや戒めや心得ておくべきことが有る。ほんの一部のことでも、他に応用できて役に立てる智慧、先を拓く智慧、自分を救う智慧になるものが多い。 2017年2月26日 琢
2017年02月26日
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人が感じるところは眼で見るもの、聴いて感じるもの、匂いで感じるもの舌で味わうもの、体で触れるもの意識に入って来るもの人によって好みや願いの差が有る今生での体験、前世からのものの影響が有る感動はもっと強烈なもので未来の願いに影響を与える知性で受けて、本能と感情を揺さぶり外への対応は理性を通して表してゆく智慧と教養、センスと共に願う方向への対応になるそこに恩恵の自覚が有れば、感謝と敬意が愚かさの自覚が有れば、謙虚さが忍土の自覚が有れば、赦す心が生まれるひろいこころで臨場していれば、本心からのものとそうでないものの分別ができるようになる。歩み始めて以来の記憶は意識のどこかに蓄積されてゆく。無知ゆえに痛い目に遭うことが多いが、苦に出遭うほど賢くなってゆくのが人間だろう。六根を通して歩みながら勉強してゆき、自分の本心からの願いを見つけ出そうと懸命に歩んでゆく。生い立ちや基盤の違いから常識の違いが有るが、今生での体験、前世からのものの影響を受けてゆく。外から入ってくるものは、知性で受けて、本能と感情を揺さぶり、思うところを理性を通して表してゆく。感動は強烈なもので、未来の願いに大きな影響を与え、夢や希望の元に成ってゆく。人の反応は、その上で、智慧と教養、センスと共に願う方向への対応をすることになる。そこに恩恵の自覚が有れば、感謝と敬意が、愚かさの自覚が有れば、謙虚さが、忍土の自覚が有れば、赦す心が生まれ、心のゆたかさやひろさが人の奥行きを深くしてゆく。地下の水脈を掘るように求める領域にに至るとき、その水をどういう心で吸い上げてゆくか、煩悩でか菩提心でかの違いは、その人の人生を大きく左右してゆくだろう。 2017年2月25日 琢
2017年02月25日
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きわどいときには薄氷を踏む思いのときには深呼吸をして丹田に重心を落とせば体幹に有るものが自由に適切にはたらき出して托身すればそれなりの好転に導いてくれるすべて信じ切ることから迷いはなく臨機応変になる直感にも根拠が有って先を見越した準備ができる 背伸び、力みは逆効果で体の力を抜いて自然体で有れば思う結果を出そうとしなくてもすべてがうまく治まっている思い通りに運ばせたい願望は誰にも有るが、現実はそう甘いものでなく、ほとんどがうまくいかずストレスをためることになる。ストレスが溜まりすぎれば、気力を失うことも多く、ひどい場合は記憶障害を起こすことも有る。病気の元に成る場合が多く、四諦【苦、集、滅、道」で問題の消去をできるだけ早くして、悩みの材料・心の負担を軽減する必要が有る。自分を修正浄化して整える方法はたくさん有って、仏教・お釈迦さんの教えは、自己管理、自己検証のものが多い。きわどい事態のときには托身することで、思わぬ力が出てしまうことも、他の助けが入ることも、神仏が仕組んだとしか思いようのない救いが入ることも多い。すべて信じ切ることから、迷いはなく臨機応変になることが出来る。直観力にも根拠が有って、過去の経験で積み上げてきた智慧がはたらけば、先を見越した準備ができるようになる。背伸びや力みは逆効果になる場合が多く、体の力を抜いて自然体である方が良いだろう。思う結果に導こうとしなくても、すべてが円満に収まっているもので、そういう恩恵を感じれば感謝して報恩に向かうことが人の歩むべき道だろう。托身して任せることの大切さを思う。 2017年2月24日 琢
2017年02月24日
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きわどいときには薄氷を踏む思いのときには深呼吸をして丹田に重心を落とせば体幹に有るものが自由に適切にはたらき出して托身すればそれなりの好転に導いてくれるすべて信じ切ることから迷いはなく臨機応変になる直感にも根拠が有って先を見越した準備ができる 背伸び、力みは逆効果で体の力を抜いて自然体で有れば思う結果を出そうとしなくてもすべてがうまく治まっている思い通りに運ばせたい願望は誰にも有るが、現実はそう甘いものでなく、ほとんどがうまくいかずストレスをためることになる。ストレスが溜まりすぎれば、気力を失うことも多く、ひどい場合は記憶障害を起こすことも有る。病気の元に成る場合が多く、四諦【苦、集、滅、道」で問題の消去をできるだけ早くして、悩みの材料・心の負担を軽減する必要が有る。自分を修正浄化して整える方法はたくさん有って、仏教・お釈迦さんの教えは、自己管理、自己検証のものが多い。きわどい事態のときには托身することで、思わぬ力が出てしまうことも、他の助けが入ることも、神仏が仕組んだとしか思いようのない救いが入ることも多い。すべて信じ切ることから、迷いはなく臨機応変になることが出来る。直観力にも根拠が有って、過去の経験で積み上げてきた智慧がはたらけば、先を見越した準備ができるようになる。背伸びや力みは逆効果になる場合が多く、体の力を抜いて自然体である方が良いだろう。思う結果に導こうとしなくても、すべてが円満に収まっているもので、そういう恩恵を感じれば感謝して報恩に向かうことが人の歩むべき道だろう。托身して任せることの大切さを思う。 2017年2月24日 琢
2017年02月24日
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転識得智が他の恩恵に成り、先を拓かせる人はその恩恵で救われるものでそこに感謝ができれば敬意が芽生え反省して改めれば報恩ができるその繰り返しが歴史をつくり文明に変わってゆくそれが人類の恩恵に成り高度な生き方ができるようになるいたわる心、思いやる心、気を配る心が愛と共に菩提心になるその菩提心で魂が救われて執着を残さなくなる執着を残せば成仏できないと言われ、怠け心が未練、未熟を継続させて悔いを残すことに成れば、それが執着になって四次元にとどまり、あの世に上がってゆけなくなってしまう。「かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく」そういう自分を求めてゆけば、迷いはなくなり、不動の領域に入ることが出来る。魂は智慧もつ意志のエネルギーだと言われ、それが心の支えになっていて、その中に潜在する願いを以って人は転生していると言う。忘却、喪失、無知の状態で生まれ、好奇心や興味と共に知識を重ね、それを実践して体験すれば智慧に変わってゆき、人も自分も助けながら先を拓いてゆくことになる。そういうのを「転識得智」・てんじきとくちという。その恩恵を自覚できれば、畏敬の念や敬意と共に尊敬する心が、自分を素直に謙虚にさせて、そういう自分を目指す目標に変わってゆく。感謝、反省、敬意が社会での基本的な、あるべき心だとされている。その努力を重ねながら報恩に向かうこと、その歴史の繰り返しが進歩になって、文明が開かれてゆく。その恩恵でさらに高度な生き方ができるようになる。いたわる心、思いやる心、気を配る心が、愛と共に菩提心になって、それが根底に流れることで無私、利他の誠心が芽生えてきて、人智を尽くし、人智を超えれば、悔い、執着を残さなくなる。 2017年2月23日 琢
2017年02月23日
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人には工夫する智慧が有る智慧を得るために学び学んだことは忘れないうちに使うこと何度も練習すれば体が覚える覚えたものは体幹に入る体感に有るものは応用が利き臨機応変に適切に智慧は意識に刻み込まれ救済の役に立つ体験したもののみが解り合え経験が多いほど広いものに成る奥深さを知ることでさらに深い知恵になるそれが他の歓びに成りその中に自分の満足感が有る人であれば、誰でも認められたいと思い、誉められたいと思っていて、自分が何かの役に立っていれば嬉しくなり、誰かの助けになって感謝されれば、それが生き甲斐だと思う。自分の居場所がそこに有るように感じて居心地が良くなり、もっと良い人に成りたいと思うようになる。そのためには、もらうばかりでなく、できるような自分に成りたいとその努力を重ねてできるようになれば、他にしてあげたいと思うようになる。人には工夫する智慧が有って、その智慧を得るために学び、学んだことは実践して、忘れないうちに使う努力をする。何度も練習すれば、体で覚えるようになり、覚えたものは体幹に入ってゆく。体幹に有るものは自然に応用が利くようになり、臨機応変に適切に使うことが出来る。智慧は意識の奥に刻み込まれて他の救済の役に立てることが出来る。自分が体験したものだけが解り合うことが出来、分かち合うこともできる。人との因縁側での関わりでは、その責任も分担するようになり、信頼関係が深まってゆく。どんなものも奥深いもので、掘り進めることで、さらに深い智慧になってゆく。それが他を助けることが出来れば、他の歓びに成り、感謝されるほど嬉しくなり、満足感が得られて、それが自分の歓びだと自覚できれば、それが自分の使命だと思うようになる。 2017年2月22日 琢
2017年02月22日
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心と体は一つでも疾患が有る場合は別に考える時と共に変化するものだが心と体は反比例で心は若くても体が動けないときが有る車やロボットの修理のように部分的処置が必要になる心技一体といえども食べ物に旬が有るように時と共に劣化するもので受け止めた上でできることが有る代わりを工夫することが出来るそれが人の智慧になっている人智を尽くして人智を超える1+1=2と単なる数字で表せないのが人間で、人間の能力には数字で言い尽くせない力を湧き出させる可能性をもっている。限界を尽くすこと、人事を尽くすことで想像以上の効果を出すことが出来て、奇跡を成し遂げる力が秘められているのが人間だろう。人は肉体舟に魂が乗っている状態だというが、訓練して鍛え上げることで、科学的能力を超えた力を発揮する可能性をもっている。精神統一、六根清浄など集中すれば無限の可能性をもっている。単なる知識でも使って応用することで、身に付ければ先を拓く智慧になって、身を守ることもできる。心と体は一つのものでも、疾患が有る場合は別ものと考え、早期に医療処置を施すことで部分的回復ができる。両方、時と共に変化してゆくもので、心と体は皮肉なことに反比例のときが多く、心が元気でも体が動けないときがある。車やロボットのように部分的修理が必要なときも有るが、病は気からというように、疾患の遠因は心に有るもので、基本的には、明るい笑顔で機嫌良く生きていれば病気になることが無い。すべて体験したものにしか分からないのが悲苦で、怒らず、怨まず、憎まずの心掛けで、間違った心をもたないようにすることで、体の疾患は消えてゆくだろう。欠陥が有っても、それを埋める代わりのものを工夫することで得ることが出来るのも人の智慧だろう。「人事を尽くして天命を待つ」から「人智を尽くして、人智を超える」ことが出来るのも人間だろう。心が病んでいないこと、今を明るく機嫌良く生きることがその秘訣だろう。 2017年2月21日 琢
2017年02月21日
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明るく生きるには否定的にならないこと人の話を受け止めて可能性のすべてを思うこと望みを捨てず、諦めず楽しい結果を信じること暗転の果報にも動じずカオスには前向きに対応して粗末に扱わず適切な対処をすること困惑にも暗い表情を見せず相手の立場に立って観ること夢や希望を捨てず無私、利他の誠心ですべて善意の対応をすること「今を明るく機嫌良く生きる」ことを念頭に置けば、四苦八苦の途上にいても、信じて前向きな姿勢を崩さず、暗病反の言葉を極力避けて明元素の言葉を多くすることを心掛け、いつも人智を尽くして、人智を超える心で進むことが望ましい。明るくなるには、否定的にならず、人の話を受け止めて、信じ切ることどんな小さな可能性をも追い続け、望みを捨てず、諦めず、常に楽しい結果を思っていることだろう。暗転の果報にも動ずることなく、カオスには前向きな対応で、決して粗末に扱うことなく、適切な対応を心掛けること。困惑にも暗い表情を出さず、相手の立場に立って観ること。夢や希望の成就を信じて諦めることなく、悔いの残らない生き方が自分を機嫌良くすることになる。常に無私、利他の誠心で、自分を二の次にして、恩着せ、押し付けをせずに、すべて善意の対処をすることが、未練、未熟、後悔、執着の残らない爽やかな心、すっきりした心になる秘訣だろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺石碑 2017年2月20日 琢
2017年02月20日
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成功に満足することなく通過点と謙虚にとらえ更に上を目指す常に変化への対応を工夫する流れには流れの対応が有って同じやり方では望む結果を得られないこの世で最も強いものは変化への的確な対応のできるもの取り残されないよう心掛けることこれで良いというものは無く変わるための素直で柔軟さ場の空気を読めること多様性、協調性、分析力、洞察力が自分を守ることになるこの世は時と共に変化して止まない人であろうとものであろうと言葉であろうと、その時の一期一会と出会ったことを粗末に扱わず、何かの意味あるものと心して受け止めて、実践で使うこと、果報側でなく因縁側の良き縁ととらえて、良き智慧に転じて先を拓くこと。立てた願いを捨てたり、諦めたりせずにどんな障碍や試練をも超えてゆくことで到達できる領域が有る。それを成功と思っても、それに満足することなく、単なる通過点ととらえ、さらにその先を目指す姿勢が大切なことだろう。常に変化への対応を工夫しながら的確な対応をすることで悔いの無い歩みができる。変化への的確な対応ができるものがこの世で最も強いもので、取り残されないように心掛けておくことが望ましい。これで良いというものは無く、変わるための素直さ、柔軟さが必要で、場の空気が読めること、多様性、協調性、分析力、洞察力を培っておくことが、自分を守ることにもなり、心眼が開くことで、変化の先が読めるようになって、カオスへの適切な対応ができるようになる。カオスはチャンスでもあり、落とし穴にもなってしまうものであることを心得ておくこと、その対応は粗末でないこと、いい加減でないことが後になって重要な意味を持つことになる。すべて良い方へ転じてゆくことが大切なことだろう。 2017年2月19日 琢
2017年02月19日
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人の気付きはすべて途上のことじっとしていて得るもの無く失敗の原因を正して進化の元を知る途上には多くの仕組みが有って気力で超える部分が多い意欲の無いものに苦手が多く避けて通れる道はない正面で受けて立ち向かうところに収穫が用意されている実践、体験なしに智慧を得られず挑戦して未熟を知れば修正して超える何もしなければ何も始まらない失敗が良い教訓になっている好奇心がさせるもの、興味が自分を駆り立てるもの、知らないことを知ろうとして触れてみることでどんなものかを知ることになるが、思い通りに行かないものばかりで、初めから通用するものは一つも無い。たくさんの失敗から学ぶもので、無駄を重ねたように思うことも学びの内と、その原因を知ることから自分の修正浄化ができて、自分だけに都合よくゆくものなど無いことを知る。人の気付きは、すべて途上のもので、じっとしていて得るもの無く、トライしてうまくゆかないときに進化の元が有ることを知る。障碍や試練はつきもので、自分の欠陥が現象化されるたびに、超える手がかりを得て、その必然と神仏の仕組みのようなものを感じることが出来る。気力で超える部分が多く、前向きに道が開かれ、意欲の無いものに苦手が多く、避けて通れる道が無いことを知る。正面で立ち向かうところに収穫が用意されている。実践、体験なしに智慧を得られず、挑戦して未熟を知れば修正して超えられる。何もしなければ何も始まらず、失敗が良い教訓になって、飽くなき努力を重ねた先に願いの成就が有る。 2017年2月18日 琢
2017年02月18日
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間違いや失敗は有って当たり前無知を埋めるにはあらゆる体験をして耐え忍び歩み方を学んでゆく努力の積み重ねで試練を超える智慧が身に付くそれを恐れては何もできず勇気と挑戦が無ければ事を為すに至らない使える自分に成ること他の役に立てる自分に成ることその先に歓びが有る苦労なしに得るもの無く人生は精進のために与えられているこの現象界は魂の確認とランクアップのために有るというが、自分がやった答えがすぐに出てしまうもので、その現象を見て自分を正してゆくことが出来る。自分と現実を知るための世界、そこに必ず原因と結果の法則が流れている。「この世に生を受けるは、ことを為すことに有り」・坂本龍馬の言だが、経済活動・仕事もそうだが、自分でできるようになって、その働きの対価を得て生計を立てながら、自分の為すべきことをやり遂げること、使命を果たすこと。間違いや失敗は有って当たり前のことで、無知を埋めるにはあらゆる体験をしながら耐え忍び、自分にしかできない歩み方を学んでゆくことだろう。努力の積み重ねが尊く、障碍や試練を超える智慧を身に付けること。そこに転生する魂の意識の確認が有って、失敗を恐れては何もできず、勇気と挑戦が無ければ「転識得智」ができず、事を為すに至らない。使える自分に成ること、他の役に立つ自分に成ること、その先に自分の本心からの歓びが有る。苦労なしに得る歓びは無く、認められ、誉められて他の役に立っていることをの歓び、それが生き甲斐になっている自分がいる。その自覚ができたときに願いを果たすことが出来ているのだろう。 2017年2月17日 琢
2017年02月17日
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忍土の厳しさの中であることに響働することの楽しさ、充実感目的に向かって準備に怠りなく人と人との和と共に同志の絆を結ぶこと感謝、反省、敬意修正、浄化して笑顔を増やし次の段階に向かう姿勢を崩さず成就のために自分を整える川の流れのようにさらりさらりとかたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく美しい共鳴を感動に結んでゆくことそこに自分の居場所が有る始めはどこに行っても居心地が悪いもので、人見知りや警戒心で入っていけない自分がいて、自意識過剰や誤解などのマイナス要因を増やし、人を信じ切れない自分が居心地を悪くしていることに気が付かない場合が多い。誰でも自己正当化をやってしまうが、それをやっていれば、いつも人のせいで自分は悪くないと思ってしまい、自己中の歩みになって、いつまでも場に馴染めない自分に成ってしまう。協調性の大切さは、あることに響働するときに、楽しさが有り、充実感を覚え、人と人との和と共に、目的に向かう準備を怠らず、感謝、反省、敬意の心をはぐくむために有るのだろう。自分の修正、浄化と共に、笑顔を増やし、赦す心、ゆたかな心をはぐくみ、次の段階に向かう姿勢を崩さず、成就のために自分を整える途上に歓びを感じ、他に感動を与えることも多い。川の流れのように、さらり、さらりとしたこころでかたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 空のこころで美しい共鳴を感動に結んでゆくことから、そこに自分の居場所が見つかったときに生き甲斐を感じるのだろう。 2017年2月16日 琢
2017年02月16日
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自分に向いた分相応過分に高度な自分を求めないこと相手もそれを望んでいない期待に応えるには明るく機嫌良く笑顔で満足している姿好奇心に目を輝かせて新たなものを仕入れその語り合いを楽しむこと牛歩の成長に焦ることなく表情豊かに生きること心は物で満足できず足るを知って心の豊かさを求めれば明るく楽しくなるものに取り組んでいれば他に何と思われるかを考えなくなるスランプや落ち込んだ時は克己して自分で抜けるしかなく、新たな興味に向かうことで、他のとらわれができれば次第に忘れてしまうことも多い。人は忘れること、それをうまく使うことも転依の一つ。慣れること、じっと耐え忍んでゆくとなれてきて初めのときほど怖くなくなってくる。人生は自分との闘いだが、願ったことが高すぎれば、自分に失望するときが来る。自分に向いた分相応が有るはずで、過分に高度な自分を求めないことも一つだろう。下座の行のように、自分は最も低いものだと自覚ができれば怖いものは無くなってしまう。相手の望んでいないもので驚かせようとせず、明るい笑顔で満足している姿を人は喜んでくれている、そこに人が集まって来るのだと思えばいい。好奇心に目を輝かせ、新たなものを仕入れ、その語り合いを楽しむことで互いに良き縁として向上してゆく。牛歩の成長に焦ることなく、表情豊かに生きること。心は物で満足できず、足るを知って心の豊かさを求めれば、明るく楽しくなるものに取り組んでいれば、他に何と思われているかを考えなくなり、ただ素直に生きていれば、自意識過剰も無くなってしまう。その歩みの中で自分がもっている答えが見つけられるだろう。 2017年2月15日 琢
2017年02月15日
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自分に向いた分相応過分に高度な自分を求めないこと相手もそれを望んでいない期待に応えるには明るく機嫌良く笑顔で満足している姿好奇心に目を輝かせて新たなものを仕入れその語り合いを楽しむこと牛歩の成長に焦ることなく表情豊かに生きること心は物で満足できず足るを知って心の豊かさを求めれば明るく楽しくなるものに取り組んでいれば他に何と思われるかを考えなくなるスランプや落ち込んだ時は克己して自分で抜けるしかなく、新たな興味に向かうことで、他のとらわれができれば次第に忘れてしまうことも多い。人は忘れること、それをうまく使うことも転依の一つ。慣れること、じっと耐え忍んでゆくとなれてきて初めのときほど怖くなくなってくる。人生は自分との闘いだが、願ったことが高すぎれば、自分に失望するときが来る。自分に向いた分相応が有るはずで、過分に高度な自分を求めないことも一つだろう。下座の行のように、自分は最も低いものだと自覚ができれば怖いものは無くなってしまう。相手の望んでいないもので驚かせようとせず、明るい笑顔で満足している姿を人は喜んでくれている、そこに人が集まって来るのだと思えばいい。好奇心に目を輝かせ、新たなものを仕入れ、その語り合いを楽しむことで互いに良き縁として向上してゆく。牛歩の成長に焦ることなく、表情豊かに生きること。心は物で満足できず、足るを知って心の豊かさを求めれば、明るく楽しくなるものに取り組んでいれば、他に何と思われているかを考えなくなり、ただ素直に生きていれば、自意識過剰も無くなってしまう。その歩みの中で自分がもっている答えが見つけられるだろう。 2017年2月15日 琢
2017年02月15日
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好奇心と興味本位だけでは表層を見て真髄を観ずすべての奥の深さを知ろうとしない奥の広さ、深さは掘ったものにしか観えずそこに流れる共通する何かを求めるものにしか気付かせない表面だけを求めれば物知りには成れるが疑問や迷いが消えずいつも分岐点で悩むことになって不動になることが無い世の中の仕組みは掘ってみなければ分からない何でも分かったような顔をする人、何でも知っているようなことを言う人は、人一倍悩みが多いのかも知れない。自分の至らなさ、浅はかさを痛感するばかりで、懐の深さを示そうとすれば背伸びするしかなく、器の小ささを嘆いている人も多い。無知から始まった人生を思えば、無知を埋めることが大切で、試験の成績が良い方が良いと思うが、社会に出れば専門分野をどれだけ深く掘ったかによってその人の価値が決まってくる。ただの好奇心と興味本位だけでは、表層を見て真髄が観えず、すべての奥の深さを知ることもできない。奥の広さ、深さは掘ったものにしか観えず、そこに流れる共通する何かを、求めるものにしか気付かせない。表面だけを求めれば、物知りには成れるが、いつも疑問や迷いが消えることなく、いつも分岐点で悩むjことになり、不動の境地に至ることが無い。この世の仕組みは、何でもやってみること、失敗したり挫折したり絶望を味わっても挑戦を辞めず、掘って掘って掘り進めてみなければ至れない領域が横たわっていることを知ることで、はじめてその恩恵に感謝できるようになるのだろう。 2017年2月14日 琢
2017年02月14日
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魅力を感じなくなるとき求めたものが色あせて興味が失せて通り過ぎてゆく超えたか、諦めたか時が人を変えてゆく引き戻しは不可能で過去の体験として学んだものが今後の自分を運んでゆく好奇心が自分を動かして興味有るものを掘り進めるが人の歩みはすべての通過点が自分の含蓄になっているいつも輝きを失わず更に先を求めて歩んでいる心が変化してゆけば、価値観も変わってゆき、好奇心旺盛で興味がわいたものも手に入れてしまえば、別のものを追いかけ始める。何でも知りたいと、触れようとするものが何かを教えてくれる。感動したものを求めて夢や希望を抱き、そこに達しようとあらゆる努力を重ねてゆく。その目標は年齢と共に変化して、別の強烈な感動が有れば、その方向に向かってゆく。願っていたことが魅力を感じなくなることも有って、求めたものが色あせて見えるときも有る。眼を輝かせて求めてきたものに興味が失せてしまうことも有る。時と共にすべてが通過点になってゆき、超えたもの、諦めたものが混在しながら、時が人を変えてゆく。引き戻しは不可能で、常に先に向かって歩み、過去のものは経験として意識に刻まれている。学んできたものが今後の自分を運んでゆくように、好奇心が自分を動かしながら、興味有るものを掘り進めるもので、人の歩んだ道は、体験した通過点として、自分の含蓄になっている。肉体は衰えても、魂は輝きを増して、常に先を求めてやまないのが人の歩みだろう。好奇心や興味は魂の願いからくるもので、生い立ちや基盤、前世からの意識の違いなど、人それぞれ感じるものが違っていて当然のことだろう。 2017年2月13日 琢
2017年02月13日
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声が聞こえたような気がするとき直感、勘がはたらくとき第七番目の感覚が目覚めたときザ・サードマンの声のようで天・神仏のお告げのように思うが魂の中に潜在する意識からのものそこで覚悟が決まる場合が多く人の心の奥に有る魂が確信させるもの違う流れを選択しようと迷うときに発想を転換させる何かが起こるそれも恩恵の内で守護指導霊のはたらきと思えば素直に従う方が良い結果をもたらす霊道が開いたのとは違うものだろう研ぎ澄まされたときに、霊的能力のない人でも、核心を突くような閃きが湧き出すこと、先見能力をもったような準備ができる場合が有るもので、人生の大きな分岐点で迷うときに、分岐点の選択を自覚させるような声が聞こえてくるときが有る。普通、直感とか勘がはたらいてとか適切な閃きが湧き出すことが有る。それとは少し違うもので、ザ・サードマンの声が聞こえたような、天・神仏の声でのお告げのような、方向を自覚させる声が聞こえてきたかのように思うときがある。それは魂からのもので、そこで意志が固まる場合が多く、発想を転換させる何かが起きることが有る。それは守護指導霊がはたらいたものと、その恩恵に感謝して素直に従う方が良い結果をもたらすことが多い。天・神仏が仕組む場合も多く、魂に潜在する願いの方向を示すような声が聞こえることで、その気にさせる場合が多い。それも救いが入っているもので、自分には超能力が有るとか、予知能力が有るとかではないので、錯覚を起こして人に見せようとしないことだろう。 2017年2月12日 琢
2017年02月12日
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自分の仕事は自分で見つける今自分が何をすべきか失敗すればその責を負い自分を修正する他の言いなりになれば他のせいで改めることをしない果報は他のもので自分の歩みにはならない目的は自分のものと全体のものが有り自分がその役を果たすかどうかはすべて自分次第自分のあるべき姿は自分の心掛け次第そこに自分の居場所が有る何処にいても居心地が悪ければ、心が落ち着かず、心の平穏を求めて、人生は自分の居場所を探す旅ともいえる。心地が良いのは心を安定させ、そこにぬくもりや幸せを感じ、何かに守られ、救われているような恩恵を感じるときに、感謝の気持ちが湧き出してくる。周りに敬意を払い、その恩恵に報いようとすることで、誉められ、認められれば、役に立っていることを生き甲斐に思うことが出来る。自分の仕事は自分で見つけるもので、今自分が何をすべきかを常に考えること、もし失敗すればその責は自分が負うこと。失敗が有れば自分を修正できるが、他の言いなりになっていれば、その結果は他のせいで自分を改めることをしない。もしその成果が表れてもそれは他のもので、自分の歩みにはならない。目的は自分のものと全体のものが有って、自分がその役を果たせるかどうかは、すべて自分次第ということになる。自分の在るべき姿は、自分の心掛け次第で、誰かの役に立って喜ばれることが自分の歓びで、そこに自分の居場所が有る。身勝手な都合で勝ち取ったものに満足感が無く、他の羨望で勝ち組だと思っても、それは錯覚で本心の歓びにはならないだろう。観自在は自分の在り方を観ることだろう。 2017年2月11日 琢
2017年02月11日
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自分の仕事は自分で見つける今自分が何をすべきか失敗すればその責を負い自分を修正する他の言いなりになれば他のせいで改めることをしない果報は他のもので自分の歩みにはならない目的は自分のものと全体のものが有り自分がその役を果たすかどうかはすべて自分次第自分のあるべき姿は自分の心掛け次第そこに自分の居場所が有る何処にいても居心地が悪ければ、心が落ち着かず、心の平穏を求めて、人生は自分の居場所を探す旅ともいえる。心地が良いのは心を安定させ、そこにぬくもりや幸せを感じ、何かに守られ、救われているような恩恵を感じるときに、感謝の気持ちが湧き出してくる。周りに敬意を払い、その恩恵に報いようとすることで、誉められ、認められれば、役に立っていることを生き甲斐に思うことが出来る。自分の仕事は自分で見つけるもので、今自分が何をすべきかを常に考えること、もし失敗すればその責は自分が負うこと。失敗が有れば自分を修正できるが、他の言いなりになっていれば、その結果は他のせいで自分を改めることをしない。もしその成果が表れてもそれは他のもので、自分の歩みにはならない。目的は自分のものと全体のものが有って、自分がその役を果たせるかどうかは、すべて自分次第ということになる。自分の在るべき姿は、自分の心掛け次第で、誰かの役に立って喜ばれることが自分の歓びで、そこに自分の居場所が有る。身勝手な都合で勝ち取ったものに満足感が無く、他の羨望で勝ち組だと思っても、それは錯覚で本心の歓びにはならないだろう。観自在は自分の在り方を観ることだろう。 2017年2月11日 琢
2017年02月11日
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これ以上はと思うとき不思議な勇気が湧いてくる自分の中に妥協できないものが有ればそれが気力を呼び起こす生命力と関係が有ってその中に強い魂の願いが入っている障碍であろうと、試練であろうとそれを超える勇気が湧いてくる潜在する意識には表面意識と違うものが有る前世、転生での魂の中に有るものが本心に浮かび上がってくる精進を積む途上でいつかそれが鮮明になって来るその時に迷いはなくなっている迷いはつきもののように、何をやっても、何を選んでも、これだという覚悟が定まってこないもので、これでいいのか、このままでいいのか、こんなことやっていていいのかの自問自答の繰り返しでいつも結論が出て来ない。信念は持っているつもりが確たるものに成っていないから、すぐに迷いに覆われて葛藤が続いてしまう。自分の可能性を信じて何かを懸命に積んでいるときに、これ以上はと思うときが有ったり、もうダメかもしれないと思うときに、不思議な勇気が湧いてくるときが有る。負けてたまるか、まだまだ行くぞと意地のようツッパリが出てくるときが有る。自分の中に妥協したくないものが有れば、それが気力を呼び起こす。生命力に似ていて、その中には魂の強い願いが入っていることに気が付くようになり、その自覚ができたときに迷いは少なくなっている。障碍であろうと、試練であろうと、それを超えようとする勇気が湧き出してくる。潜在する意識には、表面意識と違うもの、前世、転生での魂の中に有るものが有って、それが自分の人生の答えになるものが既に入っていることに気が付けば、迷いや葛藤が無くなっているだろう。本心に浮かび上がってくるものは、精進を積む途上で、自分が願ってきた唯物的なものではないもの、愛ればこそ、助けてあげたい、役に立ちたい、と思う心・大慈大悲の菩提心なのだろう。みんな不惑、不動に成りたいと円環的思考を重ねているが結論に達することが無い。 2017年2月10日 琢
2017年02月10日
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自己管理は自分でするもの他に押し付けず、恩着せず夢や希望の目標のために自分を整えて調和させるために知性と共に智慧を身に付け本能と感情の抑制をする理性と共に観自在してただ素直に、謙虚に自分を正すこと他の痛みをやわらげ無私、利他の歓びを共にするカオスへの対応を適切に何ごとも粗末に扱わず黙々と自分を整えてゆけば悔いの無い道を歩むことが出来る自己管理は克己と共に有って、自分を甘やかすことなく、厳しすぎず、自分に負けないように心掛けて、煩悩の抑制、感情のコントロール、体の各機能が自律的に働くように管理しておくことだろう。それは他に押し付けることでなく、他と共に有るもので、恩着せをしないことだろう。夢や希望の目標のために、自分を整えて回りと調和させるために実践するもの。知性と共に智慧を身に付けて、本能と感情の抑制に努めること。理性と共に観自在して自己検証しながら自分を正してゆくこと。ただ素直に、謙虚であることでしかできないだろう。そこに菩提心、大慈大悲の心が他の痛みを和らげ、無私、利他の歓びを共にすることが出来る。カオスへの対応をいい加減にして粗末な扱いをせずに適切な対応を励行することで、黙々と、孤独な歩みかも知れないが、自分を整えながら周りと調和するように心掛けることで、悔いの無い道を歩むことが出来るようになるだろう。 2017年2月9日 琢
2017年02月09日
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嘘も方便他の幸せのためにつく嘘さしあたって誰の迷惑にもならない嘘すべて善意から発するもの何も言わないのも嘘の内子供の現実に受け止め難いもの見ない方が良いものを隠すのも愛情の内で心には段階が有って得にならないものは見過ごしている今聞かすべきでないこと衝撃になるもの立ち上がれなくなってしまうものすべて仕組まれた縁でもその幸せを願う愛が有る親は子の衝立というが、見せていいもの、聴かせていいものの選別をその愛がしている場合が多く、未体験でショックが大きそうなもの、大人でも目を伏せるようなもの、子供の今の現実のためにならないと親が判断するものについてはある程度の情報コントロールをすることがある。嘘も方便というが、他の幸せのためにつく嘘、さしあたって誰の迷惑にもならない嘘、何も言わないのも嘘の内だろう。子供の現実に受け止め難いもの、見ない方が良いものを隠すことも愛情の内だろう。人の心には段階が有って、子供は自分に興味のないものを見過ごしてしまうもので、今聞かすべきでないこと、厳しい衝撃・ショックを与えてしまうものや知れば立ち上がれなくなってしまうものなど、すべて仕組まれた縁と受け止めるべきものでさえ、親の愛はその衝立になっている場合が多い。自然現象、自然災害は隠しようもない現実をつくり出してしまうが、そこに学ぶことが大きく、現実の厳しさを知るには親の愛で包み切れないものも多い。誰しもが生まれれば歩む人生が有るが、その途上で与えられた障碍や試練は必然のもの、仕組まれたものと進化の呼びかけととらえれば、それを自分に与えられた縁と受け止めることで前向きに成れるだろう。 2017年2月8日 琢
2017年02月08日
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嘘も方便他の幸せのためにつく噓さしあたって誰の迷惑にもならない嘘すべて善意から発するもの何も言わないのも嘘の内子供の現実に受け止め難いもの見ない方が良いものを見せないのも愛情の内で心には段階が有って得にならないものは見過ごしている今聞かすべきでないこと衝撃を与えるもの立上がれなくなってしまうものすべて仕組まれた縁でもその幸せを願う愛が有る報道の自由は基本だが、妥当でないものやねつ造したものを社の益として報道してしまうもの、人の自由意思を社の益のために誘導するもの、個人の成績にしてしまうものなど横暴な記事も、人の生きる権利を打ち砕いてしまうものは、もし親なら子には知らせないことも報道の自由という恐ろしさが現実の厳しさになっている。嘘も方便という言葉が有るが、他の幸せのためにつく嘘、さしあたって誰の迷惑にもならない嘘など、すべて善意から発するものが有る。何も言わない、見せないのも嘘の内だろう。子供の現実に受け止め難いもの、見ない方が良いもの、その外との衝立になっているのが愛有る親の務めだろう。人の心には段階が有って、先のことを思えばこの記事は見せない方が良いと思うものや得にならないものは見せない、聴かせないことも多い。子供も自分の興味のないものは見過ごしているものが多く、今聞かすべきでないことやショックが大きすぎるものとか立ち上がれなくなってしまうだろうことの情報コントロールのすべては深い愛からくるものだろう。自然現象やその子に仕組まれた縁と受け止めるべきものでも、その幸せを願う愛がまぎらわせをすることも有る。以前はがんの告知が論争になったことも有る。ある程度の情報コントロールはどこの国の為政者もやっているだろう。そこに無くてはならないものが愛・菩提心、大慈大悲の心だろう。 2017年2月8日 琢
2017年02月08日
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人は常に進化と共に変化してゆく友好を保つには自分も進化して変わってゆくことそれぞれが掘り進める分野に精通して共通点を見つけ出すこと何かに挑戦するための良き関わりを保つこと互いに因縁側で敬意を表し感謝と共に良き縁になること素直に謙虚になること常識の違いを包容して共に前向きで善意であること責任逃れをせずに改めるべきを改めること努力なしに成り立つものは無く、願いが有ればその成就のためにあらゆる努力を重ねることが重要だが、良き縁に恵まれなければ開花はできない。自分一人で成り立つものも無く、この自然界に共生しているということは、互いに無関係なものは無く、恩恵の施し合いで成り立っているものばかりだろう。人は常に進化と共に変化してゆくもので、良き縁ができれば、その友好を保つために、自分を深化させて変わってゆく必要が有る。それぞれが掘り進める分野に、精通して共通点を見つけ出すことで関わりに絆が生まれてくる。いつも相手の身になって無私、利他の誠心で関わってゆくことが、摩擦を最小限にして、良き因縁側での関わりから、互いの恩恵に成り合うことが出来る。何かに挑戦をするにはその準備が必須のことで、そこでの恩恵に感謝すること、関わったものに敬意を示すことが大切なことだろう。互いに良き縁に成り合えるための勉強も必要だろう。素直に謙虚であることが大切で、互いの常識の違いを包容して、共に前向きで善意であることが必須条件で、関わった以上、責任逃れをしないこと、改めるべきを改めて、相手の役に立てる自分に成る心掛けが必要だろう。 2017年2月7日 琢
2017年02月07日
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人は常に進化と共に変化してゆく友好を保つには自分も進化して変わってゆくことそれぞれが掘り進める分野に精通して共通点を見つけ出すこと何かに挑戦するための良き関わりを保つこと互いに因縁側で敬意を表し感謝と共に良き縁になること素直に謙虚になること常識の違いを包容して共に前向きで善意であること責任逃れをせずに改めるべきを改めること努力なしに成り立つものは無く、願いが有ればその成就のためにあらゆる努力を重ねることが重要だが、良き縁に恵まれなければ開花はできない。自分一人で成り立つものも無く、この自然界に共生しているということは、互いに無関係なものは無く、恩恵の施し合いで成り立っているものばかりだろう。人は常に進化と共に変化してゆくもので、良き縁ができれば、その友好を保つために、自分を深化させて変わってゆく必要が有る。それぞれが掘り進める分野に、精通して共通点を見つけ出すことで関わりに絆が生まれてくる。いつも相手の身になって無私、利他の誠心で関わってゆくことが、摩擦を最小限にして、良き因縁側での関わりから、互いの恩恵に成り合うことが出来る。何かに挑戦をするにはその準備が必須のことで、そこでの恩恵に感謝すること、関わったものに敬意を示すことが大切なことだろう。互いに良き縁に成り合えるための勉強も必要だろう。素直に謙虚であることが大切で、互いの常識の違いを包容して、共に前向きで善意であることが必須条件で、関わった以上、責任逃れをしないこと、改めるべきを改めて、相手の役に立てる自分に成る心掛けが必要だろう。 2017年2月7日 琢
2017年02月07日
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魂の中の意識には転生の記憶が刻まれているいろんな体、家柄、風土、時代のものが肉体にやどれば心はそのすべてを忘却、喪失、無知の状態で人生を歩み始め人としてのわきまえを確認するその根拠は心の奥に有る魂に有って判断基準をつくってゆく前世からの願いが潜在していて自分が果たすべきものは既に有る魂の中に入っているそれを生きて歩むことで思い出してゆく意識は心の根拠になっているこの世には「霊魂不滅の法則」が有って、体は土や水に戻っても霊魂はあの世からこの世へ転生しているという。死んだら終わりと思う人が多いが、死んでもその先が有るという。魂の中には意識の蔵が有るというのが唯識で、受精卵に魂がやどれば心が誕生と共に生まれてくるという。その魂には意識が潜在していて過去の記憶が刻まれているという。いろんな体、家柄、風土、時代に生まれてくるが、そのすべてを忘却、喪失、無知の状態で人生を歩み始めることになるという。歩みの中で人としてのわきまえを確認し、迷い多き心の奥に有る魂が判断基準を意識化させてくれている。魂には願いが有って、前世からの引継ぎのように潜在しているという。自分が果たすべきものはすでにある魂の中に入っている。ミカエル・救世主は「人生とは問題を追求するのではなく、既に有る解答に気が付くことである」と言っている。それを歩みの中で思い出しながら自覚を深めてゆくもので、その転生での悟りは、果たすべき使命を自覚すること、その歓びが心を安定させて迷いや悔いを残さないこと、そこに不動の状態があるということだろう。 2017年2月6日 琢
2017年02月06日
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蠟を得て蜀を望むのが人間満たされても慣れてしまう人の心はエスカレートするもの向上心もそうで広げてももっと奥を求める成就してもその先を求める甘さを許さず極現を求めるのが悔いを嫌う人間すべての荷を下ろしても人のぬくもりを恩恵と思えばその報恩に向かおうとするそこに本心の願いが観えてくるそれを使命と自覚するとき真の心の安定を得る人は心が安定した状態を幸せと感じる。信仰はそのために有るもので、心を安定させるための導きをするのが宗教だろう。人それぞれの常識が違うこと、習慣が有ること、好みが有ること、合う合わないが有ることなどからいろんな導き方が有ってもいいだろう。これが絶対という宗教は無いのだろう。基盤の違い、条件制約の違いの枠の中では、これしかなかった、止むにやまれぬ正しさが有るもので、どれが絶対に正しいというものは無いのだろう。人の望みは切りがなく、常にその上を欲しがるもので、それが進化の元にもなっている。たとえ願いが成就してもその先を求めてしまうのが人間だろう。甘い自分を戒めて、極限を求めるのも悔いを嫌う人間だろう。その都度仕組まれるものが障碍や試練で、それを超えるたびに不動になって迷いが少なくなってゆく。至らないところを直しながら、先に行こうとしていても、足るを知らず、分相応を知らなければ、絶望という体験もするようになっている。すべての荷を下ろして這い上がろうとするときに触れるのが人のぬくもりだろう。そこに感謝の念が生まれ、その報恩に向かおうとするものだが、そこに本心の願いが観えてくるのだろう。それを自分の使命と自覚するとき、そこに真の安定が有るのかも知れない。平穏な心を求めて、今を明るく機嫌良く生きてゆくのがいいのだろう。 2017年2月5日 琢
2017年02月05日
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現状維持は退化を意味する時と共に変化する世界では常に進化を遂げている変化に併せて自分を変えることが進化の元に成り止まっていては置き去りになる場を読み、先を読むことで流れに合わせた自分に成れ願いを放棄したり、諦めたりしなければ成就を引き寄せることが出来る信条を通すか歪めるかはすべて自分次第目まぐるしく変化する中では自分を保つのは正しい信念だろう人生は常に自分との闘いで、迷い葛藤はついて回るものだろう。いつも苦と隣り合わせで、不確定要素・カオスの扱い方次第で歩み方が変わってしまう。どうしようもない現実はいつでも自分がつくり出しているもので必然の結果だと言う。自分に嘘はつけず、他のせいにして逃れることもできないのがこの忍土だろう。逃げればいつか自分を弱いものに変えていってしまう。今幸せを感じていても、そのまま続けることが許されず、時の変化に自分を合わせ、さらにその変化を見越してその先の自分を構築することで、強い人間に成れる。現状維持は退化を意味するもので、時は変化と共に有って、それをどう読むかがその人の運命を決めてしまうと言っても過言ではない。止まっていては置き去りになるのが落ちで、場を読み、先を読むことが流れに合わせた自分に成れる。願いを放棄したり、諦めたりさえしなければ、成就を引き寄せることが可能になる。自分の主義や信条を通すか歪めるかはすべて自分次第で、自分を粗末に扱うか如何は、目まぐるしく変化する中では、自分を支える正しい信念があるかどうかにかかっている。 2017年2月4日 琢
2017年02月04日
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現状維持は退化を意味する時と共に変化する世界では常に進化を遂げている変化に併せて自分を変えることが進化の元に成り止まっていては置き去りになる場を読み、先を読むことで流れに合わせた自分に成れ願いを放棄したり、諦めたりしなければ成就を引き寄せることが出来る信条を通すか歪めるかはすべて自分次第目まぐるしく変化する中では自分を保つのは正しい信念だろう人生は常に自分との闘いで、迷い葛藤はついて回るものだろう。いつも苦と隣り合わせで、不確定要素・カオスの扱い方次第で歩み方が変わってしまう。どうしようもない現実はいつでも自分がつくり出しているもので必然の結果だと言う。自分に嘘はつけず、他のせいにして逃れることもできないのがこの忍土だろう。逃げればいつか自分を弱いものに変えていってしまう。今幸せを感じていても、そのまま続けることが許されず、時の変化に自分を合わせ、さらにその変化を見越してその先の自分を構築することで、強い人間に成れる。現状維持は退化を意味するもので、時は変化と共に有って、それをどう読むかがその人の運命を決めてしまうと言っても過言ではない。止まっていては置き去りになるのが落ちで、場を読み、先を読むことが流れに合わせた自分に成れる。願いを放棄したり、諦めたりさえしなければ、成就を引き寄せることが可能になる。自分の主義や信条を通すか歪めるかはすべて自分次第で、自分を粗末に扱うか如何は、目まぐるしく変化する中では、自分を支える正しい信念があるかどうかにかかっている。 2017年2月4日 琢
2017年02月04日
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信じるから歩ける心の扉を開けば光が入って来る心の扉を閉ざせば闇になる信じて歩めば明るく笑顔を求めて人が集まるそれぞれの願いは信じることに始まり障碍や試練を超えて成就の可能性を広げてゆく義理人情と共に信頼が厚く分相応の道をゆく代償を求めず、報恩の施しをする歳をとるということは、何の心配もなくすべてがすっきりということが無くなってゆくことだろう。人との共生の縁には忍土の変化と共に懸念材料が増える一方で減ることが無い。奥の深さを知るほど至らない自分を責めてしまい、ますます迷いの塊になってしまう。かたよらず、こだわらず、とらわれずと思うほどそれができずに、引っかかったことから離れられなくなってしまう。まじめな人には少々無責任と観えるかもしれないが、さっと転依して、視点を変えてしまう、チャンネルを変える、発想の転換をすることの大切さを唯識で説いている。人は一つのことだけに集中することが出来ず、そのために趣味やリクリエーションが必要だと言われている。信じて歩む途上で、たくさんの疑問点が発生するが、放置するのではなく、完全な疑問の解消が無理なことには、横に置いておくことも必要なときがある。すっきりとしたいと思っていてもそうさせてもらえないのがこの忍土だろう。そこでは信じて歩めば明るく、笑顔を求めて人が集まる。それぞれの願いは信じることから始まって、障碍や試練を超えるたびに成就の可能性が広がってゆく。高望みを控え、足るを知って分相応の道をゆくしかないのだろう。与えられた恩恵に感謝しながら、代償を求めずに報恩の施しをすること。それを人知れず自分の中で実践することが大切なことだろう。 2017年2月3日 琢
2017年02月03日
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信じるから歩ける心の扉を開けば光が入って来る心の扉を閉ざせば闇になる信じて歩めば明るく笑顔を求めて人が集まるそれぞれの願いは信じることに始まり障碍や試練を超えて成就の可能性を広げてゆく義理人情と共に信頼が厚く分相応の道をゆく代償を求めず、報恩の施しをする歳をとるということは、何の心配もなくすべてがすっきりということが無くなってゆくことだろう。人との共生の縁には忍土の変化と共に懸念材料が増える一方で減ることが無い。奥の深さを知るほど至らない自分を責めてしまい、ますます迷いの塊になってしまう。かたよらず、こだわらず、とらわれずと思うほどそれができずに、引っかかったことから離れられなくなってしまう。まじめな人には少々無責任と観えるかもしれないが、さっと転依して、視点を変えてしまう、チャンネルを変える、発想の転換をすることの大切さを唯識で説いている。人は一つのことだけに集中することが出来ず、そのために趣味やリクリエーションが必要だと言われている。信じて歩む途上で、たくさんの疑問点が発生するが、放置するのではなく、完全な疑問の解消が無理なことには、横に置いておくことも必要なときがある。すっきりとしたいと思っていてもそうさせてもらえないのがこの忍土だろう。そこでは信じて歩めば明るく、笑顔を求めて人が集まる。それぞれの願いは信じることから始まって、障碍や試練を超えるたびに成就の可能性が広がってゆく。高望みを控え、足るを知って分相応の道をゆくしかないのだろう。与えられた恩恵に感謝しながら、代償を求めずに報恩の施しをすること。それを人知れず自分の中で実践することが大切なことだろう。 2017年2月3日 琢
2017年02月03日
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過信が有れば錯覚が有り期待に応えられない無力感一度自分を無くしてみることすべてが終わったと思うとき見えなかったものが観えてくる過去のとらわれ間違った信念既成概念の固執責任転嫁これが殻を固くして破れず一皮剥けた自分に成れない要因厳しい忍土を知れば、自分を責めずに開放して甘えた心を捨てて落ちたところから這い上がる本当に三つの自覚【忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚】ができていれば、もっと素直で謙虚な自分に成れて,ニ見【勝った負けた、損得、プラスマイナスだけの見方】から離れて許容範囲が広く、どんな違いをも受け止められ、赦す心、菩提心・愛が前面に出てくるようになる。苦ばかりが多いように思うが、ときには楽しいこと、嬉しいこと、、感動して刺激を受けることやきわどいところで救いの恩恵が有ったことなど、それを思い出せば明るくなれる。調子の良いときが危ないときで、図に乗って他が観えなくなり、人の好意を粗末に扱うように成れば、過信から錯覚が始まって、立て直しが難しくなり、落ちるところまで落ちてしまうのがこの忍土の世だろう。一度自分を無くしてみること。すべてが終わったと思ったときに、見えなかったものが観えてくる。殻を破れなかった自分、やってきた自己顕示、我欲、自己保存の現実に打ちひしがれてしまう。無私になることは、過去のとらわれ、間違った信念、既成概念の固執、責任転嫁などを改めることから始まる。素直に謙虚になって自己検証してみることから一皮剥けた自分に成ることが出来る。四角四面のまじめさは、自然の摂理、四季の移ろいなど「浩然の気」・宇宙大自然と一体化する心境、のびのびと安らかな心境から、ただ義務感で圧迫してちっとも面白みのない自分にしてしまう。もっと自由自在な心で気を整えて、落ちたところから這い上がることで、必ずそれまでに見えなかった本当の光を見つけることが出来るだろう。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2017年2月2日 琢
2017年02月02日
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女の気持ちが分かっていない男社員の気持ちが分かっていない社長部下の気持ちが分かっていない上司人の気持ちは分からないもの相手の身にならなければ分からないうつ病は成った人にしか分からない至れり尽くせりは理想だが慰めるほど落ち込むのが神経症忍辱は耐え忍ぶこと障碍や試練を超えるほど人は深化する互いに理解し合う信頼関係の大切さ絶望は人生の終わりでなく背負った荷を下ろすとき新たな光に向けて這い上がるときよく気の問題だと簡単に言うが、実際にどんな状況に有ろうと自分の気をコントロールするほど難しいものはない。すぐに動いてしまう感情のコントロールはままならず、そのために自分を責める人、他のせいにして逃れようとする人、人それぞれで、生まれ育ちやしつけの違いによって違う基盤、その影響による常識の違いを整理できないのが人の心だろう。人の気持ちはその人に成ってみなければ分からないもので、理論では収まらないのが人の心だろう。人の体は意識とは別に自律神経によってコントロールされているが、自分を責めすぎてその神経が破壊されてくるときにすべてのコントロールができなくなってしまう。体のどこにも疾患が見当たらなくても、気が病んでいれば前向きに成れず、気力が失せて何もしたくなくなってしまう。周りの理解が絶対に必要だが、気を使いすぎたり、慰めるほど落ち込んでしまうのが神経症だろう。本人は忍辱で耐え忍ぶしかなく、「克己」の難しさを痛感しているときで、そういう障碍や試練の時ほど人は深化するときだが、こんなに苦しいものはない。自分をほめてやること、互いに理解し合う信頼関係が大切だろう。絶望感に浸ってしまうが、絶望は人生の終わりでなく、それまでに背負ってきた重い荷を下ろして良いときだろう。願いが高すぎであれば、別の願いに、生まれてきた使命はそんなに難しいものでなく、周りに溶け込んで何かの役に立っていればそれだけで生き甲斐に感じるものだろう。そういう時に必要なのが「転依」てんねで、チャンネルを変えたり気分転換をしたり、全く違うとらわれをもつこと・別の趣味をもつこと、発想を転換することだろう。 2017年2月1日 琢
2017年02月01日
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