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絶望は人生の終わりではなく背負った荷を下ろすとき新たな光を求めて自分らしい道を選択し這い上がる途上で失った自信を取り戻してゆく否定から肯定へすべてを許容して一皮剥けた自分に成るとき不屈の精神力を培うときで自分の愚かさを自覚すれば不動の道が観えてくる自分は最も低い人間と思うこと下座の行からこの世の広さを知ること自信過剰の弊害、慢心からの落とし穴、そこに有るのはいい加減な対応、傍観的でひとまかせ、なるべく苦を背負いたくない、君子危うきに近寄らずで、正論をすり替えに使って、甘えた自分に自業自得の果報が与えられる。格好の良い願いの挫折は、この世から抹殺されたように感じて絶望を味わうことになる。道はいくらでも有ることを、まだまだ続いていること、間違った信念を改めて、それまでに背負ってきた荷を下ろして良いときと再起因するときを与えられる。絶望は人生の終わりではなく、新たな別の光に向かうときと心得ることだろう。這い上がる途上で勝解して念じたものが定に入るほど自信を取り戻すようになる。否定から肯定へ、どんな障碍も試練でも正面で受け止めて、人智を尽くして対処すること。常識の違いのすべてを許容して、既成概念や固定観念を打ち砕いて、過去にとらわれず、責任回避をせずに、正面で立ち向かうことから、一皮剥けた自分に成れる。人は苦と共に不屈の精神力を培って、自分の愚かさを自覚するほど、この世で最も低い人間と自覚することから不動の道を発見するようになる。下座の行をすることから、この世の広さを知ることができる。 2017年9月30日 琢
2017年09月30日
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嘘は可能性を捨てる自分をダメにして認められず信頼を裏切る行為迷いを深くして自分を失い妄想、錯覚、幻覚の袋小路で行く先が無い一貫性が無く支離滅裂になる協力者を失い良き縁に恵まれず暗運の闇にもがくことになる自分を変えるには嘘をつかないこと正直であること大昔と変わったことは、最近の人は平気でうそをつくようになって、真実が何処に有るのかが分からず、実証してゆくのに多くの無駄な人手と時間が必要になったということだろう。マインドコントロールという言葉が使われるようになり、自己暗示をかけてまことしやかな嘘をつき、現実を歪めてしまうことで罪を逃れようとすること。もうその時点で人間ではなくなっていることに気が付いていないことだろう。嘘は人の可能性を捨てること。自分をダメな人間にして、人に認められなくなって孤立して厭世的になってしまう。嘘は信頼を裏切る行為で、真実が何処に有るかを隠し、嘘の上塗りから、迷いを深くして自分を失ってゆく。妄想、錯覚、幻覚の袋小路で行く先を失ってしまう。客観的に見れば、一貫性が無く支離滅裂になっている。信頼を失えば、協力者を失い、類は友を呼ぶと言うが、そういう連中とくっつくしかなくなってしまう。本当の自分を失えば、良き縁に恵まれることも無く、暗運の闇にもがくことになってしまう。人は自分に嘘はつけず、自分ではいけないとはわかっていても自己保存のために、刹那的な嘘から、自分を歪んだ人間にしてゆくことになる。自分を変えようとすれば、先ず、嘘をつかないこと、自分にも他人にも正直であることから始めることが基本だろう。 2017年9月29日 琢
2017年09月29日
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途上のことは通過点時と共に過ぎ去ってゆく受け止め方、刻み方次第で未来を変えてゆく楽しいことも苦しいことも偶然ととらえず意味有るものとして自己向上の縁とすれば発見できるものが有りその気付きから固定観念、既成概念を打ち砕き信念の間違いを正してカオスの取り扱いが適切になる身の周りの現実のすべてに意味がある悔過・けか、懺悔して身を正しておくこと。人の上に立とうとする前には身辺整理をして臨むこと。基本は感謝、反省、敬意で、人は限りなく自分を成長させようとするものだが、身の周りに起きることのすべてを偶然と思ったり、自分には関係ないことと割り切ったり、他のせいにして責任転嫁をして改めようとしない人の成長は止まっている。歩みの途上のことは時と共に過ぎ去ってゆく単なる通過点と言えるが、その受け止め方や刻み方次第で未来を変えてゆくことができる。楽しいことも苦しいことも、偶然のものととらえることなく、意味有るものとして、自分の関与の影響が有るものと自己検証してみること。その原因を正すことで自己の向上の縁ととらえれば、その必然から何かが観えてくる。何度も繰り返してきた円環的思考の中に有ったものから発見するものが鮮明になるときが来る。その気付きから固定観念や既成概念を打ち砕き、信念の間違いを正すことで、カオスの取り扱いが適切になって事態は好転してゆくことになる。そういう意味では身の周りの現実委のすべてに意味が有ること、その自覚と共に自分を変えてゆくことで、これまでの延長を変える再起因をすることから、新たな道を歩むことができる。運命は変えることができる。 2017年9月28日 琢
2017年09月28日
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念じることは心に刻むこと願いを念じればその都度刻み込むことで日々の心掛けは必ず成就するときが来る定は体幹に入った状態で顕示しなくても有るだけで良いもの空は無ではなくそっと有るがままの状態勝解、念、定、慧は意識の奥に記憶され心・魂の根拠になっている心の安定の元には慧がある魂は智慧もつ意志のエネルギーと言うが、魂には願いが有って、転生途上での課題、宿題のようなものが潜在している。魂の修復と成長、できなかった願いの成就、関わりの再結、内と外への照らしに関するものだという。やってみて分かって来ること、作意・さい、触・そく、受、想、思から別境では、欲界のものか、勝解・しょうげ・正しく理解したものか,念・心にちゃんと刻み込まれたもの、定・じょう・身に付いて体幹に入った状態、になれば先を拓く智慧に転じている。日々の心掛けは必ず、念ずれば花開くようになる。慧は顕示しなくても、それだけで空の中に入っている。体感に有るものは自由自在に出てくるもので、愛・菩提心と共に自然体のときに適切に行使できるもの。魂の中に有る意識には、転生ごとに刻み込まれたものが記憶されている。その潜在を思い出してどう生きるかをみんな模索している。何でも偶然と思って生きるところには、その発見ができず、必然と思ってその潜在を掘り進めるところに使命の発見がある。 2017年9月27日 琢
2017年09月27日
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当たり前の違い常識の違いは他人の振り見て我が振り直す業・カルマは消えないもの自分が起こす現実を見て通用する常識に換える持戒が無ければ何度も同じ過ちを繰り返す自己正当化、自己顕示は禁物で孤立を苦と思えば自分を改めて、変えるしかない知らずに犯す過ちは現象化で気付き心・因の転換と共に暗転の果報を防ぐことができる自分の生い立ちを振り返ってみれば、条件、制約と共にしつけられた常識に絶対的正しさが有るとは思えなくなってくる。常識は人それぞれ違うもので、できるだけ多くの常識を知って理解すること、そのために転生が有ると思って、理解し、認め合って共生すること、そこにこの現象界でしかできない魂の成長が有る。当たり前の違い、他人の振り見て我が振り直すこと。業・カルマは誰にも有って消せないもの、空の中に有るもの。自分が起こす現実を見て、通用する常識に換えてゆく。自戒が無ければその努力の継続は難しい。何度も同じ過ちを繰り返してしまう。自己正当化や自己顕示は禁物で、孤立の苦しさを思えば、自分を改めて変えてゆくしかない。自分でも気が付かず、知らずに犯す過ちは、誰にも有るもので、現象化する必然が有る。現実を見てそれを知らされれば、心・因の転換と共に、暗転の果報を防ぐことができて、自分が求める領域に近付けることができる。 2017年9月26日 琢
2017年09月26日
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進め方の順序が違えばあたかもすべてがダメなように木っ端みじんに打ち砕かれるどんな理想の外見も基礎が悪ければ倒壊してしまう同じ材質でも組み立てを間違えれば成り立たなくなってしまう人の心も同じで順序が違えば猛反対されてしまう謙虚に素直に教えを乞うこと意見調整は最も大切なものだろう絶対に間違いはないと信じ切っていたものがうまく運ばないことが有る。自分では完璧だと思ったことが失敗に終わることも有る。何故だろうと、何度考えてもその訳が分からないときが有る。自信を失うときはそういうときだが、同じものを使って同じように組み立てたつもりでも、聞いてきた通りのものができないことも多い。過信が有ったり、どこかで何かが抜けていたり、組み立ての順序が間違っていたりすることが原因の場合もある。自分の愚かさを自覚していれば、何度もチェックし、確認しながら進めてゆくことでミスが無くなってゆく。この世のものは進め方の順序が違うとき、あたかもすべてが拒否されたように、木っ端みじんに打ち砕かれるときが有る。それを視野に入れておくこととか、どんな理想の外見でも基礎が悪ければ倒壊してしまうことなど、同じものを使っていれば絶対だと思うことの中には何か抜けていることも多い。人の心も同じで、順序を間違えば猛反対されてしまう。乱れた心はどんな正しいことでも受け付けられ無いときが有るもので、鎮静化から始める必要が有るときが有る。愚かさの自覚と共に謙虚に素直に教えを乞うことも大切な事前の準備になる。常識の違いをわきまえて意見調整をしておくことは最も大切なことだろう。 2017年9月25日 琢
2017年09月25日
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人は大志を描くが途上の挫折と共に多くのものを見切ってゆく割り切るしかないもの失敗の積み重ねには無駄なものは無く見切って残っているもののために絞り切ったところに自分の使命を自覚するときが来る自己の修正浄化は他との摩擦を少なくし未熟さを補完するこれ以上一歩も引けないところに迷いはなく生かされている意味が有る歩みの途上では迷い、葛藤の連続だが、経験するたびに自己の改善に努め、多くの失敗の積み重ねと共に歩み方を会得してゆく。どの道を歩もうと迷い、葛藤はつきもので、選択と共に道は絞られてゆく。夢や希望の大志を描いていても、途上での挫折と共に多くのものを見切るしかなくなってゆく。割り切るしかなく、苦、集、滅、道の四諦で、未熟さゆえの方向転換が有っても、それまで重ねた失敗に無駄は無く、先に生かすことができることの智慧を得る。何が有っても、見切って残ったもの、絞り切ったものの中に、自分の使命を自覚するときが来る。それまでに重ねた自己の修正浄化は、他との摩擦を少なくし、常識の違いをわきまえるようになってそこから学んだものと共に未熟さの補完ができている。これ以上一歩も引けないと強い意志が固まったところに、生かされてきた意味の発見がある。過去に何度も重ねた結論の出ない円環的思考に有ったものを改めて気付くときが来る。そこには不惑に成った自分がいるだろう。 2017年9月24日 琢
2017年09月24日
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苦を重ねるときは苦にとらわれ、恐れて逃げたいという心が他の良いことを見逃している状態で悪いことは重なる場合が多いが良いことも同じでとらわれが視野を狭くしている心にゆとりの無い状態で自分のことしか考えていない状態表情は苦渋に歪み折角の良い運を受け入れ不能にしているみんな人知れず超えているのに自分だけが不幸を背負ってしまう不平不満がさらに運を悪くしてゆく何で自分だけがこんな目に遭わなければならないのかと、思ったことはあるだろう。何度心を立て直して耐え忍んで来ただろうかと思ったことも有るだろう。嫌な現実に出遭うたびにそう呟いて、自分の至らなさ故に起きた現実だと気が付かない場合が多い。何度も同じような現実が起きるときは、偶然と思わず必然ととらえてみれば、そこには起きるべくして起きた必然の原因を見つけ出すことができる。苦が重なるときは、苦にとらわれ、恐れ、先は妄想で真っ暗になっている場合が多い。視点を変えてみれば他に良いことがいっぱいあるのに自分は悲劇のヒーローになっている場合も多い。とらわれが視野を狭くしていて、心にゆとりがない状態、自分のことしか考えられない状態に自分で落とし込んでいて、その表情は苦渋に歪んでいる。そういう時は運が逃げてゆくもので、せっかくの良い運を受け入れ不能にしていることが多い。人は誰でも四苦八苦に出遭うのがこの忍土の世だということ、そんなに甘くないところだという自覚ができていなければ、みんな人知れずに越えているのに、自分だけが不幸を背負っていると錯覚して、不平不満がさらに運を悪くしてゆくことになる。感謝、反省、敬意がこの世に生きる基本姿勢だと自覚して、逃げず、諦めず、忍辱して良く前を見て歩むことだろう。 2017年9月23日 琢
2017年09月23日
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善には愛が有り菩提心で行使する仕事には運、不運が有るが心が充実していれば信念が揺らぐことなく心の落ち着きは一日一善の心掛けで迷いが少なく他の役に立っていればそれを生き甲斐と思える生計の営みの中にその積み重ねが有ればいつも心は穏やかで安定している感情の乱れが心を不安定にしてしまう。表情にも現れてしまうもので、激高すれば自分でも信じられない行動に出てしまう。心にもない行動は他を傷つけ、家族や友に心配をかけて、自分だけのことで済まされなくなってしまう。心には善悪両面が有って、悪で失敗することから自戒して、善を為すようにいつも心掛けるようになる。善には愛が有り、それを菩提心で行使している。どんなことにも運、不運が有るが、必然的に仕組まれている場合が多く、障碍や試練が来ても逃げずに超えることで信念を確かなものにしてゆくことになる。信念と共に心が充実して揺らぐことが無い。心の落ち着きは一日一善の心掛けから、他に迷惑をかけず、身を正して煩悩の抑制をしていれば、迷いが少なくなって道を歪めることが無くなってゆく。他の役に立っていれば楽しく、共に歓びと共に感謝の念も湧いてくる。そこには充たされた心が有って、それを生き甲斐のように思えるようになる。魂の意識の中に潜在するものが分からずに手探りの歩みをしていても、本心の歓びになることをしていれば、いつも心は穏やかでいられて安定しているだろう。 2017年9月22日 琢
2017年09月22日
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心の乱れから気力が萎えて立ち上がれなくなる新しい発見が有れば元気を取り戻す人間は単純なもの心の在り方一つで明るくもなり、暗くもなるいつも光に向かっていれば明るく機嫌良く闇は自分でつくり出すことを知る悪いことの修正浄化をしなければ何度も過ちを繰り返し自分からダメになってゆく善と共に本当の自分を保つこと人は気でもっているもので、気は信じることで強く成る。何も信じられなくなったとき、人は立っていられなくなる。一日一善と言うが、自分の信念を保っておくには、良いことをしていれば心が安定し、認められ、理解されることから心が満たされてゆくことを知っていて、日々そういう心掛けが自分を保たせてくれるからだろう。人は単純なところが有って、信念が無く、心が乱れる時には気が萎えて、立ち上がれなくなってしまう。病は気からと言うが、人は気でもっている動物だろう。老いるほど体は力を失ってゆくものだが、目標が無くなるほど気力が萎えて、諦めるたびに衰えてゆく。新しい発見と共に光を見い出せば、元気を取り戻してゆく。心の在り方一つで明るくもなり、暗くもなる。いつも光に向かっていれば、目が輝いて、そこに自分の使命感の自覚が有れば、明るく機嫌良く生きてゆける。心一つで、闇にもなり光にもなる。闇は自分でつくり出すもので、錯覚、妄想、幻覚症状から自分の落ちる穴を掘ってしまうようになる。良くない現実の修正浄化をしておかなければ、同じ過ちを何度も繰り返して自分から崩れていってしまう。いつも光に向くこと。良いところを見て歩むこと。目標を立てることで楽しみが気力に繫げてくれる。そうすることから、今を明るく機嫌良く生きてゆくことができる。 2017年9月21日 琢
2017年09月21日
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建前と本音を言えば格好良いが本心は格好の良さではなく魂の奥から出てくるもの自分に嘘を付けず損だと解かっていても本心に従わざるを得ない泥水の中でも美しい花を咲かす蓮の花のように見は汚れていても心まで汚すことができない格好が悪くても道を歪めない魂に恥じない、悔いないそういう生き方をしたい嘘は自分を汚すことになる。人を騙し、自分をも騙せる人はいない。信念が唯物的、刹那的、利己的で無かったころを思えば、お金や物に執着せず、自分に正直に生きていた。自分の心はお金では買えないと、いくら身を汚されても心まではとの思いが強かった。世界が複雑怪奇になるほど法の網の目をくぐる考えが人を人で無くしていってしまう。理想の建前を言い、本音を言えば格好が良く観えてしまうが、本音にはその場その時の自分が置かれた立場の都合が入っているもので、本心は格好の良さではなく、魂の奥から出てくるものだろう。自分に嘘を付けず、その場での都合が悪くても、損なことが解かっていても、良心、本心に従うべき時が有る。人として最後の砦だけは守りたいと思う。泥水の中でもきれいな花を咲かす蓮の花のように、身は汚されても、心までは汚すことができない。いくら格好が悪くても道を歪めない。そういう信念と共に魂に恥じない、悔いを残さない、そういう生き方をしたいと思っている。お金や物のために人間ではなくなってしまうことの恐ろしさは誰でも感じることだろう。その場その時の都合だけでコロコロ言い分が変わる人間にはなりたくないとみんな思っている。本当の明るさはそこに有るのだろう。 2017年9月20日 琢
2017年09月20日
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未来に向かうとき途上のことのすべては通過点有頂天のことも極度に悲しいとき、苦しいときも障碍や試練を超えた先に拓かれる未来どんなことも自分に必要な経験でそこに改善の要素が入っている改めるべきを改めなければ何度でも同じ苦がやって来るそれは自己改善の呼びかけで超えるために生まれてきている業、カルマも空に有り有るものは無にはならない有るがままに、有のままにどう生きるかどれだけ生きたかではない過ちを悔いること。懺悔して浄めること。奈良薬師寺では花会式・悔過法要・けかほうようが有って、散華して身を浄めてくれる法要がある。忘却、喪失、無知で生まれて、魂に有る願いなど全く知らない状態から歩み始める。一歩一歩未来に向かうとき、信じるまでの恐怖を超えて、失敗や痛い目に遭いながら先に向かってゆく。途上のことのすべては通過点で、有頂天のときも有れば、無茶苦茶悲しいときや苦しいときも有って、そういう障碍や試練を超えた先に未来は広がっている。どんな現実も自分の因の現象化したもので、偶然でなく必然の果報として現れたもの。その原因を改めなければ、何度でも同じ苦がやってくる。それは自己改善の呼びかけで、それを超えるために生まれてきたと自覚すること。投げ出さず、逃げないこと。そこに業・カルマが有るが、すべては空の中にあるもので、有るものは無にはならない。無と空の違いを知るために生まれてきたとも言える。無くならないと気付けば、それとうまく付き合ってゆくことを思ってみること。人としてはどれだけ生きたかというより、どう生きたかが問題で、空は有るがままに、有のままにどう生きてゆくか、その観自在が成り行きの運命や未来を変えることになる。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろくこれが般若心経 空のこころなり 奈良薬師寺 高田好胤 2017年9月19日 琢
2017年09月19日
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高橋佳子講演会への勧誘テーマ あなたがそこで生きるわけ何気ない日常。家庭、学校、職場、日々出会う人たちーーー。その中でふと「なぜ私はここで生きているのだろう?」そんな想いがよぎることはありませんか?それは、もう1つの世界ーーー本当のあなた自身を思い出し、新たな未来の扉を開くチャンスです。この日、その扉を開く鍵をあなたにーーー。10月29日〈日〉 神戸国際展示場 06-4861-4762 11月5日〈日〉 パシフィコ横浜国立大ホール 050-3535-051511月19日 〈日〉 名古屋国際会議場センチュリーホール 052-321-8167☆開場予定 12;00 ☆開演 13;00 ☆終了予定 17;00☆入場整理券 3000円詳細は、高橋佳子講演会実行委員会 03-5828-1587
2017年09月18日
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発想を転換すれば楽しくなることが有る好みの人、合う人、勉強になる人出会い、出来事での受け方を変えてみれば良いことが発展的に見えてきて確率を追求してみれば歓びを得るときが来る自己改善の努力を重ねて得難い領域を求める前向きに成ってみれば障碍や試練にも勇気が湧いてくる超えるたびに深化する自分そこにはいつも明るい自分がいる後ろ向き、消極的なら自分を暗くする材料が増えてしまう何でも、どんな時でも否定的にならずに前向きに考えてみることで明るくなれる。やってみること。尻込みせず、やる前からダメだと思わず、失敗したら格好悪いなんて思わず、初めからうまくできる奴はいないと思って、馬鹿になってみることで面白くなってくる。ちょっと発想を転換してみれば、楽しくなってくる時が有る。好みの人、合いそうな人、勉強になる人、可能性を求めてみれば、出遭い、出来事も良いことに見えて、発展的に考え始める。確率がゼロのことは一つも無いと、無から有を引き出して見せるつもりになれば、歓びを得るときがやってくる。失敗するほどうまくなるもので、自己改善の努力を重ねれば、得難い領域が観えてくる。何でも前向きに成ってみれば、障碍や試練がやって来ても勇気が湧き出してくる。後ろ向き、消極的なら、自分を暗くする材料を増やすことになる。試練を深化の呼びかけととらえてみれば、気力が湧き出して、超えるたびに深化してゆく自分がいる。良いこと探しをしてみれば、今を機嫌良く明るく生きてゆくことができる。 2017年9月18日 琢
2017年09月18日
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自分の道を自分で決めるタイプ他の指示を仰ぐタイプ何処にも通用しないと思うタイプ誰しも命令と義務を嫌うが積極的なタイプと消極的なタイプがある自信の有る人と無い人自己の向上を目指す人と成り行きの人頼って恩恵を待つ人種類によって常識が違う生い立ち、育ちの影響と時代と土地柄の影響を受け心の奥の魂を根拠に必然の縁を運命と受け止めて悔いの無い道を歩みたいと思うこの世は平等と言っても生まれや育ちは平等とは言えない。命にかかわる障碍を背負って生まれてくる人もいる。五体満足でない人もいれば、各臓器に欠陥を抱えた生まれの人もいるが、その受け止めは健常者が至れない領域に達している人が多い。眼が見えなければ耳が発達し、片手が無ければもう一方の手が補完するもので、甘い状態に無い人の方が耐え忍ぶ力が優れている場合が多い。人は与えられたものを素直に受け止めて自分の道を歩むことになる。自分の意志を強くもっている人、頼って生きる人、前向きな人、否定的な人、甘い状態にある人ほど自分で難局を超えようとしない人が多く、この世にはいろんな種類の人が共生している。命令や義務に素直なタイプと反抗するタイプ、自信の有る人や無い人、自己の向上を目指す人や成り行きの人、依存して恩恵を待つ人もいる。それぞれには違う常識が有って、生い立ち、育ちの影響や生まれた時代や土地柄の影響を強く受けて、その条件、制約の下で自分の道を歩んでいる。自然の摂理はすべて必然で、そのまま受け止めるしかなく、与えられた障碍や試練もそれを与えられた条件、縁として受け止めて、その上でどう生きるかが問題になるもので、どれだけ生きたかはただ長く生きていればいいという問題ではないだろう。悔いが残るかどうかは時間の問題ではないだろう。 2017年9月17日 琢
2017年09月17日
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常識の違いを知ること見識が広くなり受け入れれば許容が広くなる赦す心が奥行きを深くして人をゆたかにする井の中の蛙大海を知らずは昔の話で人が良く親切で品格がある大和民族のおもてなしは自由平等と共に人類の進化に大きな役を果たしている察する心、思いやる心は無視、利他の誠心で自利の恩恵を得ている今や日本は戦後の飛躍的な成長と共に文化、文明のけん引役を果たせるようになっている。世界遺産の登録と2020年の東京オリンピック開催国として世界の注目を集め、来訪者が日本の認識と経済効果を高めている。人の集まりだけでもその常識がそれぞれ違っていて勉強になるが、他国の人々の常識を知るだけでも、察することのできる民族としては大きな深化の元になってゆく。見識を広げ、受け入れれば懐が広くなる。赦す心が奥行きを深くして、人を更に豊かにしてゆく。グローバル化し、国際的になった今では、井の中の蛙大海を知らずとか島国根性とか言われることが無くなって、昔の日本とは全く変わってきている。日本人の集中力の凄さは世界中に知られ、その勤勉さも世界のけん引役を果たすことができるようになってきている。ザビエルが言った、この国の人々は人が良く親切で、貧乏でも品格をもっているように、そのおもてなしは普通のサービスとは違う真心の入ったもの、察することのできるものとして歓迎されている。自由平等と共に人類の進化に大きな役を果たせるような国に成長している。日本文化での察する心、思いやる心、気くばりは、無私、利他の誠心で、それが自利の恩恵にもなっている。 2017年9月16日 琢
2017年09月16日
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第一印象は常識の影響が大きく事実は消せないが原因を見なければ起きた事件が見えて来ない相対する争いはゼロ対百の責任は有り得ず双方の反省点がある魂はそれを勝解しているこの世に絶対的正しさは無いが光と闇を弁別する能力は持っている正見、正思惟は理性として判断基準になっている心眼で洞察することがカオスへの適切な対応に現れる対立するときは末路を考えること。意見の相違は誰にも有ることで、常識の違いが原因している場合が多い。互いに理解し合い、認め合って敬意をもっていれば、決定的なことにはならない。自己保存に走れば自己正当化をしようとするが、意地を張らず素直になって中道であることが望ましい。事件が起きたときは、第一印象はそれぞれ受け止めが違うもので、その相違は常識の違いに影響されている。事実は消せないが、原因を見なければ、その事件が起きた理由が見えて来ない。相対する争いには0対100の責任は有り得ず、双方に分担すべき責任がある。魂はそれを勝解・しょうげ・正しく理解している。この世に絶対的な正しさは無いが、光と闇を弁別する能力は持っている。正見、正思惟は理性として判断基準になっている。どんな事態にも表層だけにとらわれず、心眼で洞察して、その事件の奥に有る原因、因縁、自業、カルマを観て直面するカオスへの適切な対応をすることが望ましい。身に迫ってくる事態を放置すること、傍観して何の対応もしないことの無責任を戒めて、どんなことにも自分らしい対応をすることが大切なことだろう。 2017年9月15日 琢
2017年09月15日
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人が一歩を踏み出すのは興味の有る方へ好きで魅かれる方へ思い通りにならないときはその原因を考えて自分を改めてゆく耐え忍ぶことも勉強の内で望まない末路が来る前に自分を変える智慧を備えてゆく義務や義理での踏み出しには逃げ道をつくり、できな言い訳をする経験が知識を智慧に転ずる身に付けて体幹に入ることで応用して他の助けに使うように成れれば楽しさと嬉しさに自分の使命と感じてゆく子供は褒められる方向に伸びてゆくもので、親にもらう幸せから自分ができる幸せを感じようとする。何でもやってみることからできるようになれば、どんなものかが分かって来る。無知を埋めるほど歩きやすくなるもので、どんなものかが分かって来れば他に教えてあげようとする。人にしてあげる歓びと嬉しさを感じれば、そのためにもっと役に立つ自分に成りたいと思う。人が一歩を踏み出すときは興味の有る方へ、好きで楽しい方へ、思い通りにならないときは、その原因を考えて、巧くできるように自分を変えてゆく。苦が伴っても楽しみやうれしさのためには耐え忍ぶこともできることを学ぶ。望まない末路が来る前に自分を改めて変えてゆく智慧を備えるようになる。義務や義理で気が向かない状態で障碍や試練に遭えば、責任回避の逃げ道をつくり、できない言い訳をして苦手なものをつくり出してしまう。そういう悔いや後悔が残らないように、学んだ知識を実践することで智慧に転ずることができる。身に付いて体幹に入った智慧は、応用できて他の救いに使うこともでき、先を拓く原動力になって未来を変えることもできるようになる。 2017年9月14日 琢
2017年09月14日
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使命感は自分の役を果たす意志自分としてのもの伴侶や家族へのもの相手先へのもの組織としてのもの魂の願うものはその全部に共通するもの愛に始まるもの代償を求めず無視、利他の誠心で本能的なもので生きていれば無意識にやっていること今を明るく機嫌良く生きるために悔いの無いように、満たされるようにいつも不安を抱えてこれでいいのかの自問自答を重ねながら何かを探して歩んでいる。過去を振り返りながら回顧反省しても、未熟な自分に変わりはない。愚かなこと恥ずかしいことが思い出されるときと楽しかったことやうれしかったこと、あれが無かったらどうなっていたかと思うような恩恵に恵まれていたことも有ったと、そのたびに心が曇ったり、明るくなったりしている。自分の使命は何だろうと円環的思考を繰り返し、自分に与えられた役を果たすことだけでなく、自分としてのもの、伴侶や家族へのもの、関わりへのもの、組織へのもの、その全部に共通するもののように感じ始める。魂の願いは、前世からもってきているもの、愛に始まるもの、代償を求めることなく、無私、利他の誠心で納得できていること、むしろ本心からの歓びになっているもので、本能的なものだろう。心の趣くままに生きていれば無意識にやっていることだろう。悔いの残らないこと、充たされた心のために菩提心で行使していること。今を明るく機嫌良く生きることで、楽しく、嬉しくなることを好きでやっている。それが人間本来の歩みなのだろう。 2017年9月13日 琢
2017年09月13日
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洞察力を培うには表皮で得る印象にとらわれず常識での固定をせず事実だけでの色分けをしないその事実がなぜ起きたのかその原因と因縁を確かめて自業とカルマの分析をすることで観えてくるものが有る表層だけで断定せずその奥に有るものを見極めることカオスへの対応の基本が見えてくる心眼は魂で観ること光と闇の弁別ができて問題解決の法が見えてくる来るもの来るものをただ思い付きで処理することには、来たものへの配慮が全くなく、自分の側からの視点だけで対応することで、相手には失礼なことになってしまう場合も多い。忍土での周りに迫ってくるものはそんなに簡単なものは無く、すべてに必然の意味が有ると判断した方が身のためになることが多い。心眼で観ること。粗末でいい加減な対応をしないこと。カオスは洞察する必要が有るものばかりだと思っておくこと。表皮で得る印象だけでなく、自分の常識だけで固定せずに、事実だけを見て色分けしないことが重要だろう。その事実がなぜ起きたのかを考え、その原因とそれまでの因縁を確かめて、自業、カルマの分析をすることで見えてくるものがある。どんなカルマも表層だけで断定せずに、その奥に有るものを見極めること。そこに向こう側の姿が観えてきて、適切な対応ができるようになる。心眼は魂で観ることで、光と闇の弁別ができて、世界の問題解決の道が観えてくる。日本文化は察する文化であることの自覚をもって歩むことだろう。 2017年9月12日 琢
2017年09月12日
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全体の輪を結ぶ信頼関係の構築本心で語り合う本音と建て前を超えて警戒の垣根を外し無視、利他の誠心でそこにぬくもりを感じ良き縁に成り合えば常識の違いを超えて理解と認識と共に許容範囲が広くなる因縁側での関わりから絆が深く結ばれて托身ができるように成れば念ずれば花開く人は日々の精進と共に成長してゆくものだが、他に助けられたり思わぬありがたい恩恵に恵まれたりするたびに甘い心が生まれ始めて、他を頼りにし始めて依存するようになってゆく。結果が良いときはいいが悪いときは他のせいにして自分は責を感じずに逃げてしまうようになれば、そこで成長は止まってしまう。深化が止まれば、他の成長についてゆけなくなって落伍してゆく場合も多い。自分に正直になること。自分は騙せず、言っていることとやっていることのギャップを少なくすること。そのためには理想の建前は良いが、その場その時の都合の良さを求めるのではなく、その本音の奥に有る本心で行為するようになること。そこに和が生まれ、信頼関係も構築されてゆく。警戒の垣根を外して、無私、利他の誠心で良き縁に成り合えば、常識の違いを超えて理解と忍識と共に、許容範囲が広くなってゆく。周りとの因縁側での関わりから絆が深く結ばれてゆく。関わることはその責も負うことと自覚しておくことが大切な心構えだろう。その歩みの積み重ねから、念ずれば花開くときが来る。 2017年9月11日 琢
2017年09月11日
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地獄に仏闇に一条の光これほどありがたいものは無い断崖に立つとき転げ落ちるとき絶望の中に入るとき何かに救われるときは感謝の念が湧いてくる人のぬくもりの有り難さ物理的に豊かでも得られないものお金で買えないもの目に見えないものの大切さに気付かなければ本心の歓びを得られないすべてお金に換算するところに地獄が有る二見【勝った負けた、損得、プラスマイナスのとらわれ】でものを判断したり、唯物主義、刹那主義、利己主義のわが身本位で快苦だけでものの判断をすることから地獄が迫ってくる。せめて良心に従えば、人間としてどうか、そこに心の原点がある。建前と本音の奥に有る本心がどう思っているかが問題だろう。現実に追われて理想を忘れ、それに近付こうとするわが身の修正、修復が無ければ出口の無い袋小路に入ってしまう。地獄に仏とか、闇に一条の光を見出すとき、これほどありがたいものは無いと感じる。断崖に立つとき、転げ落ちるとき、絶望に覆われているとき、何かに救われるときには感謝の念が湧いてくる。世に必要なものは、感謝、反省、敬意で、その精神を忘れないこと。人のぬくもりの有り難さ、ものに豊かでも得られないもの、お金で買えないものが人の心だろう。眼に見えないものの大切さに気付かなければ、本心からの歓びは得られず、すべてお金に換算して、お金や物だけの獲得を人生の目的のように錯覚、妄想をするところに本当の地獄が有る。真念一貫 不逃避 忘己利他 一隅を照らす真理を求め 逃げることなく 人の為の 光となれ 2017年9月10日 琢
2017年09月10日
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強いときほど要注意好き勝手をすれば弱点が出る忍土は厳しく順調なときほど油断大敵六道は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天有頂天を戒め実るほど首を垂れる稲穂のように腰を低くして丁度良い格好が良いのは快感だが独りよがりは禁物で素直、謙虚に教えを乞うこと明るく前向きに従うことで信頼されて認められるそれが先を拓く智慧になる学びにこれで良いということはなく、死ぬまで勉強のつもりの方が良い。痛い目に遭えば石橋をたたいて渡り、方法的懐疑で知らないものは一応疑ってみる。警戒心、危機感を解くために勉強をする。安心しきったときに弱点が出るもので、強いときほど要注意。好き勝手なことをすれば愚かさを露呈し、忍土の自覚をもっておくこと。順調なときほど油断大敵で、六道輪廻【地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天】に留意して、有頂天を戒めておくこと。実るほど首を垂れる稲穂のように、腰を低くしていて丁度良い。優位、支配など格好の良いときは快感でも、独りよがりの錯覚や妄想は禁物だろう。カオスには自分は最も低い人間の自覚と共に適切な対応をすること。素直、謙虚に教えを乞い、明るく前向きに従う姿勢を崩さないことだ大切だろう。その都度対応を変えるのではなく一貫性をもった信念に基付く対応が必要になる。そこに信頼が生まれ、理解され、認められれば心の扉が開かれて、自分の個性を菩提心と共に生かすときが与えられる。学んだことを実践して体験すれば身に付いて先を拓く智慧に成ってゆく。 2017年9月9日 琢
2017年09月09日
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枠には秩序が有る枠の中に常識が生まれその常識の範囲で人は動いている共生は別の常識を知ることで許容し、赦す心を育むこと心の奥行きは深さを示し信頼度を高めてゆく一転生一条件であらゆる枠を経験して魂は成長してゆく体には名前がつくが魂に名前は無く意識には転生のすべてが入っているその時代、その場、その地域に先祖からいただいた遺伝子を持って生まれ、人生の歩みを始めるのが人間だろう。肉体舟に魂が乗っている人間として、この世に生を受ければ名前が付けられる。人の生い立ち、育ちはその枠の中で多くの影響を受けて成長してゆく。そういう枠の中には秩序が有って、その風土の常識の範囲で人は歩を進めている。この大自然、この大地に共生しながら別の常識を受容して認め合うこと、許容し、赦す心を育むことが包容力になってその人の深さになっている。間口が広く奥の深さが増すたびに他の信頼度を高めてゆくことになる。一転生一条件と言うが、あらゆる枠を経験しながら魂は成長してゆくのだろう。転生はいろんなところで人生を経験するためで、魂の中の意識の確認をするためのものかも知れない。魂に名前は無く、目に見える肉体を使った学びを終えれば、遺された人々にどんな生き方をしたかの戒名を付けられて、魂はあの世に返ってゆく。霊魂となってもその中の意識にはすべての記憶が入っていて、時が来れば再び肉体に宿ることになる。 2017年9月8日 琢
2017年09月08日
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過信の恐ろしさ錯覚が現実を変えてゆく自分の愚かさを知り分相応をわきまえて足るを知れば理性的判断はできるが他の許容、体の限界を超えればすべてのバランスを失い歩くことさえできなくなる自分で自分の落とし穴を不平、不満と共に掘ってしまう恩恵を当たり前と錯覚して感謝を忘れ感情の乱れと共に未来を閉ざしてしまうお先真っ暗と思うときは、今自分が置かれた立場から見ればだが、それも確かに自業自得ということだが、その原因を改めれば明るさが見えてくる。人は信じるものが多いほど歩きやすくなってゆくものだが、四苦八苦に出遭うたびにそれを超えてゆかなければ先が拓いてくることが無い。自信を持つことは良いことだが、心と体や年齢とのバランスを保つことが大切で、過信の恐ろしさはそうなってしまわなくては分からない。錯覚が現実を変えてしまう。自分の愚かさを自覚すること。分相応をわきまえておくこと。足るを知ること。理性的な判断ができるように自分を整えておくこと。他の許容や体の限界を超えてしまえば、すべてのバランスを失ってしまい歩くことさえできなくなってしまう。感情の抑制も限界を超えてしまえば、人は自分で自分の落とし穴を、不平、不満と共に掘ってしまう傾向がある。そういう時には、せっかくの恩恵も当たり前のことと思い上がりと共に錯覚している場合が多く、感謝も忘れて感情の乱れと共に、未来を閉ざしてしまうことになる。いつも自分を調和させ、心・因を整えておくことの自戒をもっておくことが大切な心構えだろう。 2017年9月7日 琢
2017年09月07日
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和を育むために本心で場に臨み表層の本音と建前だけでなく単なる知識を正論としないただ素直になること自己検証、自己回帰を怠らず他の意見を良く聴くこと優位、支配を戒めて愚かさの自覚をすること恩恵に感謝して敬意と報恩に向かうこと感謝、反省、敬意の心掛け発見、気付き、砕きと共に信頼関係を構築する心に垣根をつくれば外敵は入ってこれなくなるが、親しい関係は遠のいてゆく。四苦八苦に出遭うたびに心を閉ざしてゆくことで垣根は何層にも固くしてしまう。痛い目に遭わないように警戒心が強く成って、自分を守るためのバリアを張ってしまう。交友を広げて縁有るものを受け入れて自己の向上に向かおうとすれば、垣根の開放が必要になる。和を育むためには本心で接する必要が有る。表層の本音と建前だけでなく、ただ素直になって意地を張らないこと。目前の現象には、自己検証、自己回帰を怠らず、他の意見、観方を良く聴くこと。対面しては優位、支配の傲慢が出ないように自戒し、自分の愚かさの自覚をもっておくこと。良く恩恵には感謝を忘れず、敬意と報恩に向かう姿勢を崩さないこと。感謝、反省、敬意を基本として、学ぶことから、実践して体験し、その本当の意味を発見し、気付きを得れば、それまでの既成概念や固定観念を砕くことも大切なことになる。そういう心掛けを持続させ、日々自分を正してゆくことから真の信頼関係が構築される。そこに一皮剥けた自分がいるだろう。 2017年9月6日 琢
2017年09月06日
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やると思ったことは諦めず、投げ出さずにやってみることでどんなものかが分かる他に応用すれば表層はどれもこれも表層で深層にその原因と仕組みを学ぶ他に通用する体験でその深さが分かり高度な智慧を得るすべてに共通する仕組みを知れば怖いものが無くなって迷わなくなる堂々と歩めるようになるただ知っているだけではどんなものかが分からず、触ってみてどんな形状のものかが分かる。眼、耳、鼻、舌、身、意の六根は体験するためのもので、それを使うことで六種類の意識に分類される。魂の中には八種類の意識が有ると言われ、希望と分別・わきまえの意識が潜在している。眼で見て聞くだけでなく触ってみることでどんなものかが分かって来る。作意、触、受、想、思の遍行で、別境では欲界、勝解、念、定、慧の順に経験に基付いた分別とわきまえが、先を拓く智慧に転じてゆく。やると思ったことはやってみること。その勇気をもつこと。どんなものかが分かれば他に応用が利くようになり、表皮の分別だけでなく、深層の因縁も観えてくる。自分の因・心で行使したことは必ず現象化して返ってくる。体験することでその仕組みがおぼろげに見えてきて、何度も経験する内に体感に入って身に付いた基盤が定まってくる。掘れば掘るほどその奥の深さが分かるようになり、さらに掘ることからすべてに共通する真理を発見するようになる。その境地に至れば、迷いや恐怖は薄らいでゆくことになり、堂々を歩めるようになって来る。 2017年9月5日 琢
2017年09月05日
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人はみな平等というが生まれ、生い立ち、育ちは平等ではなく違う条件、制約の下に生まれてくる違う常識との共生はひろい心、赦す心が必要で和を育む道を歩むことになる人として生きる権利は平等でも背負ったハンデは自分で埋めるしかないそこで得る真理は一転生のもの絶対的な正しさは無いそれぞれの正しさを求めるしかなく上がるも自由、下がるも自由すべて自分次第悔いが残らないように何を選ぼうが、どう生きようが個人の自由で、その代わり自分のやったことの責任を負うことになっているのがこの現象界だろう。何を始めようが失敗はつきもので、そのままでは思い通りにならないようになっている。失敗から学んで失敗しないようにその原因を自分に見つけて修正浄化しなければ、巧くできないようになっている。失敗や障碍を越えてこそ初めて願いを充たす領域に上がることができる。平等と言っても、人として生きる権利は平等でも、生まれ、育ち、生い立ちは平等でなく、違う条件、制約の下に生まれてくる。常識の違いとの共生は、ひろい心、赦す心が必要で、和を育む道を歩むことになる。背負ったハンデは自分で埋めるしかなく、そこで得る真理、悟り・自覚は一転生のもの。絶対的な正しさは無く、それぞれの条件下でこれしか無い正しさを求めてゆくしかない。理想を描き、そこに向かう歩みの正しさは千差万別で、上がるも自由、下がるも自由、すべてが自分次第というのがこの忍土の世だろう。悔いを残さないこと。未熟、未練、執着を残さないように歩むこと。その方法は自分で会得するしかない。 2017年9月4日 琢
2017年09月04日
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過去に何度か体験して同じ種類の問題にああそうだったのかそういう発見や気付きが有る既成概念、固定観念を砕いて結論が出なかったことも常識が違っていてもその仕組み、成り立ちに気が付くとき人としての在り方が観えてくる心の奥の本心からのものに違和感の無い受け止めができるようになるそのために多くの縁が有ったこと恩恵と交友が有ったこと自分の役を知る時が来るかたより、こだわり、とらわれが何かの発見の邪魔をしていることが解かって来れば、心をひろくしておくことの大切さを思うようになる。自分の在り方、在るべき姿、何のために生まれてきたのか、何の使命があるのか、観自在は、いつも結論の出ない手探りの円環的思考を積み重ねている。多くの知識を得ても自分のものに成っていないのは、その実践をしてこなかったからで、使ってみること、そういう縁のときにやってみる勇気をもつこと、挑戦意欲を持っておくこと。何度も繰り返して実践、体験することから身に付いてくるものが智慧に変わってゆく。転識得智、単なる知識だったものを転じることで智慧を得ること。体感に入ったものは違和感がなく、出そうとしなくても臨機応変に出てくるものに成る。多くの経験から、ああそうだったのかという発見や気付きを得ることで、それまでの既成概念や固定観念を打ち砕くときが来る。結論が出なかったことも、常識の違いを受け止めて、同じような仕組みに気が付けば、人としての在り方が観えてくる。本心からのものに違和感の無い受け止めができるようになる。そのために多くの出会いが有った、交友と恩恵がたくさん有ったことを思うとき、自分の本当の役を知る時が来ている。如来や菩薩の境地には程遠いものであっても、そういう自覚をもつことはできる。過信しないこと。分相応をわきまえておくことだろう。 2017年9月3日 琢
2017年09月03日
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本音と建て前は理想と現実のようなもので本心はその奥に有る魂は心の奥に有り魂に潜在する意識には永い転生で積み上げてきた記憶が有る魂の願いが入っているものでそこに生まれた意味や使命が入っている本心が赴くところに使命の自覚が有る内に有る光や闇を分別し外の世界の問題を解決するそこに本心からの歓びが有る本音と建前のギャップを縮めようと努力するが、背に腹は代えられない現実との葛藤が有って、言っていることとやっていることのギャップは広がるばかりになってしまう。自分の置かれた現実には良心には従えない事情がたくさん有って、家族や組織のためにやらざるを得ないことが多い。本心では人間としてはやってはいけないことの分別ができていても、周りの事情が許さない場合が多い。建前と本音は理想と現実のようなもので、本心はその奥に有ってそれを見ている。魂は心の奥に有るもので、その中に潜在する意識には、永い転生で積み重ねた記憶が入っている。そこには魂の願いが入っていて、生まれてきた意味や使命、課題が記憶の中に入っている。本心が赴くところに使命の自覚が有る。多くの知識を智慧にして自分を守り、人を救うことで未来を変えてゆくことができる。そういう魂の体験を積むことで、内なる光と闇の分別ができるようになり、外の世界の問題を解決する智慧の修得ができる。人として共生するもの全体の歓びと魂の歓びがそこに有る。 2017年9月2日 琢
2017年09月02日
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無私は自分を無くすこと卑屈になることでなく自分を最も低いところに置けば空が広く見える無になれば何でもできる忘己利他は我欲を捨てて他のためにはたらくこと他の歓びが自分の歓びと気が付く恩着せ、押し付けをせず代償を求めないかけた情けは水に流せ受けた恩は石に刻め足るを知り、分相応に生きること我欲を捨てて、相手の身になったつもりでも、人間の愚かさを思えば、成り切れていない自分を知ることが多い。どこかに至らない部分が有って相手に不快感を与えている場合も多い。独りよがりで押し付けをやっていることも多く、他人のためと言いながら建前だけになって、実は自分のためになることばかりで、それを恩着せにして事を自分の都合の良いように運んでいることに気が付かないことも有る。無私、利他の誠心は、自分を無くすこと、卑屈になることではなく、自分を最も低いところに置くことによって、空が広く見えてくる。無になれば何でもできる。して差し上げられる。忘己利他・もうこりたは我欲を捨てて、他のためにはたらくこと。他の理解を得て認められ、感謝されると無上の嬉しさに包まれる自分がいる。その時に気が付くことは、他の歓びが実は自分の歓びであったことだろう。恩着せや押し付けをせずに、代償を求めない愛の行使をするのが菩提心だったこと。かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め、は善光寺に有る石碑の言葉だが、いつも心に刻んでいる。足るを知り、分相応に生きる自分でありたいと願っている。 2017年9月1日 琢
2017年09月01日
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