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1、 「はじめに」・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
2、 「宇喜多氏の出自」・・・・・・・・・・・・・・・3
3、 「室町時代に台頭の宇喜多氏」・・・・・・・・・・7
4、 「宇喜多能家」・・・・・・・・・・・・・・・・・11
5、 「宇喜多直家」・・・・・・・・・・・・・・・・・31
6、 「宇喜多秀家」・・・・・・・・・・・・・・・・・84
7、 「宇喜多騒動」・・・・・・・・・・・・・・・・・117
8、 「関ケ原の戦いに参戦」・・・・・・・・・・・・・119
9、 「秀家の末路」・・・・・・・・・・・・・・・・・124
10、「著者紹介」・・・・・・・・・・・・・・・・・・135
1、「はじめに」
宇喜多氏は室町から安土桃山期の武家、出自は百済王子、備前国児島などに諸説はあるが、16世紀初頭には、備前国邑久郡豊原荘を本拠とする国人で、同国守護代浦上氏の麾下にあった。宇喜多能家(?~1534)の代に浦上麾下の有力武将として台頭するが、天文3年(1534)能家は浦上の内訌で討たれ、その子宇喜多興家も逃亡先で客死して一時衰亡した。しかし興家の子、宇喜多直家が浦上宗景の下で家名を再興し、やがて浦上氏を滅ぼし、備前・美作・備中に勢力を拡大し、織田信長と結んで毛利氏に対抗した。直家の子宇喜多秀家は豊臣秀吉に従い、その四国、九州、小田原征伐へと出兵し、さらに朝鮮侵略に功を立て、57万石余の大名になり、五大老の一人として豊臣政権の中枢を担った。しかし慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで秀家は西軍に属して敗れ八丈島に流され数奇な運命を辿った大名の没落であった。
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