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2024年06月14日
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カテゴリ: 古代史




法華経 』(ほけきょう、ほっけきょう)は、
大乗仏教 の代表的な 経典 。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に 成仏 できるという 仏教 思想の原点が説かれている。 聖徳太子 の時代に仏教とともに 日本 に伝来した。


サッダルマ・プンダリーカ・スートラ ( 「正しい教えである白い 蓮の花 の経典」の意)の 漢訳 での総称であり、 梵語 サンスクリット )原題の意味は、「サッ」が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」が「 」、「プンダリーカ」が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」が「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば 鳩摩羅什 訳では『妙法蓮華経』となった。


さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い。


漢訳は、部分訳・異本を含めて16種が現在まで伝わっているが、完訳で残存するのは


正法華経 』10巻26品( 竺法護 訳、286年、 大正蔵 263)


妙法蓮華経 』8巻28品( 鳩摩羅什 訳、400年、大正蔵262)


添品妙法蓮華経 』7巻27品( 闍那崛多 ・達磨笈多共訳、601年、大正蔵264)


の3種で、漢訳三本と称されている。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」として流行し、 天台 教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられている。



内容


概説


鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。現在、日本で広く用いられている 智顗 (天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を 本門 (ほんもん)と分科する。


迹門とは、 出世 した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく 五百塵点劫 という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。


後世の 天台宗 法華宗一致派 は両門を対等に重んじ、 法華宗勝劣派 は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。


また、 三分 (さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。


迹門


前半部を 迹門(しゃくもん) と呼び、 般若経 で説かれる 大乗 を主題に、 二乗作仏 二乗 成仏 が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。


さらに 提婆達多 の未来成仏(悪人成仏)等、 一切の衆生が、いつかは必ず「 」に成り得る という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する 多宝如来 が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。


また、見宝塔品には仏滅後に法華経を弘める事が大難事(六難九易 ) であること、勧持品には滅後 末法 に法華経を弘める者が迫害をされる姿が克明に説かれる等、仏滅後の法華経修行者の難事が説かれる。


本門


後半部を 本門(ほんもん) と呼び、 久遠実成 (くおんじつじょう。 釈迦牟尼仏 は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は 久遠 五百塵点劫 の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に 本仏 論問題を惹起する。


本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。


したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。


それにより 一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。


そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。






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最終更新日  2024年06月14日 07時41分35秒
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