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数日前の昔話を変換してみました。昔々、ある家に長男が生まれたんや。主人は大喜びで、満産(まんはん)祝いを披く事にしたんや。その祝席には欠かせへん三線弾きを頼みに、遠い町まで行くことになったんや。その道中、三線を抱えた女性に出会おったんや。主人が事情を話すと、「それならわいが行きまひょ。わいは歌も踊りも上手や。」と言って、満産祝いの三線弾きを快く引き受けてくれたんや。さてさて、準備に余念なく数日が過ぎ、満産祝いの日になったんや。一門家の親戚や近所の人が、にぎやかに集まってきたんや。約束しとった三線奏者の女性も来て、見事に三線を弾き唄い、どエライ楽しい祝いの席になったんや。そのうちに、女性三線唄者は、観衆にのせられ、囃したてられ踊りを披露することになったんや。丁度その時、用事があり遅れてきた人が、家の外から踊っとる女性を見て驚きたんや。踊っとる女性は、胴から上は普通やけどアンタ、足が見えまへんやった。その事を、こっそり主人に話したんや。主人は機転を利かせて、祝いの座開きをして、祝いの宴をお開きにして、女性三線唄者にはようけの土産(みやげ)を持たせて帰したんや。でもまだ安心は出来まへん。ほんで主人が女の後をつけていくと三線弾きの女は、どんどん山の中に入って行き、山の奥の洞くつに入っていきたんや。外で主人が聞き耳をたてとると、こないな会話が聞こえてきたんや。その女は、「今日はシッパイしたけれど、この次は人間のボウズを連れてきて食べさせようね。」と、仲間達に話しておったんや。すると、仲間の一人がこう言おったんや。「人間は賢いから、多分俺達を見つけるとクモがいるぞ。と、ホウキで叩き殺すはず。」これを聞いた主人は、一目散に家に帰り、家人や近所の仲間を呼び、ようけの箒を作ったんや。ほんで、わざともういっぺんお祝いをするから、と言い、三線弾きの女を呼び出したんや。その女が家にやってくると、みんな揃ってホウキで叩きたんや。すると女は、元のクモの姿に戻り、殺されてしもたんや。それ以来、家に入って来たクモを退治するには、ホウキを使うようになりよったちうことや。大阪弁変換機
2006年10月30日
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「旅御前風(旅果報節)」(本調子)嘉利吉(カリユシ)ぬ 船(フニ)や嘉利吉(カリユシ)ば 乗(ヌ)してぃ旅(たび)ぬ 行(い)てぃ戻(ムドゥ)いや糸(イトゥ)ぬ 上(ウイ)から〔目出度き船は、目出度さを乗せて。航海は、絹糸の上を滑る様に凪の様に〕出(ンディ)てぃや来(く)よ 産子(ナシグヮ)終(ウギ)てぃや 思子(ウムィグヮ)親(ウヤ)や 宿元(ヤドゥムトゥ)に御願(ウニガイ)しゆるた〔お行きなさい、わが子よ。帰って来なさい想い愛する子よ。あなたの親は、宿元でお祈りしてますから〕産子(ナシグヮ)船(フナ)送(ウグ)り早船(ハヤフニ)ぬ 美(チュ)らさ今日(キユ)ぬ 真昼間(マピロマ)や大石垣(イチナギ)まいど〔わが子の船出送り。その船の早走りの美しいことよ。今日の正午には石垣島に到着するよ〕与那国島から、わが子を乗せた船は、石垣島までの航海の無事を案ずる親が居て、その船には幸運や幸せをたくさん積んだ船。早走りと凪の航海を祈願します。
2006年10月28日
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三線唄者とホウキ 八重山の民話昔々、ある家に長男が生まれました。主人は大喜びで、満産(まんさん)祝いを披く事にしました。その祝席には欠かせない三線弾きを頼みに、遠い町まで行くことになりました。その道中、三線を抱えた女性に出会いました。主人が事情を話すと、「それなら私が行きましょう。私は歌も踊りも上手です。」と言って、満産祝いの三線弾きを快く引き受けてくれました。さてさて、準備に余念なく数日が過ぎ、満産祝いの日になりました。一門家の親戚や近所の人が、にぎやかに集まってきました。約束していた三線奏者の女性も来て、見事に三線を弾き唄い、とても楽しい祝いの席になりました。そのうちに、女性三線唄者は、観衆にのせられ、囃したてられ踊りを披露することになりました。丁度その時、用事があり遅れてきた人が、家の外から踊っている女性を見て驚きました。踊っている女性は、胴から上は普通ですが、足が見えませんでした。その事を、こっそり主人に話しました。主人は機転を利かせて、祝いの座開きをして、祝いの宴をお開きにして、女性三線唄者にはたくさんの土産(みやげ)を持たせて帰しました。でもまだ安心は出来ません。そこで主人が女の後をつけていくと三線弾きの女は、どんどん山の中に入って行き、山の奥の洞くつに入っていきました。外で主人が聞き耳をたてていると、こんな会話が聞こえてきました。その女は、「今日は失敗したけれど、この次は人間の子供を連れてきて食べさせようね。」と、仲間達に話していました。すると、仲間の一人がこう言いました。「人間は賢いから、多分俺達を見つけるとクモがいるぞ。と、ホウキで叩き殺すはず。」これを聞いた主人は、一目散に家に帰り、家人や近所の仲間を呼び、たくさんの箒を作りました。そして、わざともう一度お祝いをするから、と言い、三線弾きの女を呼び出しました。その女が家にやってくると、みんな揃ってホウキで叩きました。すると女は、元のクモの姿に戻り、殺されてしまいました。それ以来、家に入って来たクモを退治するには、ホウキを使うようになったということです。
2006年10月25日
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沖縄民謡「強い日本人」(本調子)1941年作日本国は大君を神と戴く民草だぇ一億一心ひとつ道 皇国の御盾となる 誇れ誇れ 日本男児 大和撫子日本男児は強者ぞ 大和魂血に満ちてぇ 日本男児の行く所 鬼を挫く鉄腕だぞ 誇れ誇れ 日本男児 世界一の強者ぞ日本女性は強者よ 意気じゃ男に負けはせぬぇ 日本女性の行く所 燃える意気で鉄も溶かす 誇れ誇れ 大和撫子 男の意気に負けはせぬ日本男児は聖者だぞ 征けや邪悪征討にぇ 日本男児は仁者だぞ 宣撫の心種蒔いて 誇れ誇れ 日本男児 世界一の強者ぞ日本女性は聖母だよ 傷む勇士を看護してぇ 日本女性は天使だよ白き襷に血を染めて 誇れ誇れ 大和撫子 男の意気に負けはせぬ日本男児は勇者だぞ 肉弾撃ちて華と散るぇ 千代に八千代に照り勝る 日の丸御旗を胸に打ち立て 誇れ誇れ 日本男児 世界一の強者ぞ征けや男子は聖戦に 銃後に鍬取る早乙女だぇ 大東亜建設究進だ三千年の底力出せ 誇れ誇れ 千代に八千代に栄え行く 日本帝国万万歳沖縄芝居(村祭り興行も含む)ですら、島方言での上演が禁止されて共通語で演じられるという時代でした。当時、戦争協力の形をとらなければ、興行として生計すら出来ない時代に、島唄存続、生き残りをかけた「歌」の一つです。〔これは「唄」ではなく「歌」〕但し、翌年1942年以降終戦まで、新作の記録はありません。この時以降、激戦沖縄が始まります。『方言を使う者は、スパイとみなす』内地人にとって沖縄方言は、意味不明の暗号である。という日本軍部(大本営)の狂気が、沖縄を支配していきました。
2006年10月21日
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琉球古典舞踊曲「こてい(クティ)節」この曲は、古典舞踊曲と若衆踊り、女こてい節があります。古典舞踊曲の原曲には、大西(ウフニシ)ぬ こていやなぢぃち葉(フぁ)どぅ好(スィ)ちゅる我等(ワシタ)若者(ワカムン)や花(ファナ)どぅ好(スィ)ちゅる〔読谷村間切の大西集落には、物凄く強い牡牛がいた。この牛は、やなぢぃち葉を好んで食べた。我々若者は、花(華)を好みます。〕古典舞踊、若衆踊りには、常盤(トゥチワ)なる松(マツィ)ぬ変わる事 無(ネ)さみ何時(イツィン)春(ハリぅ)来(ク)りば色(イル)どぅ増(ま)さる〔常緑の松は、変わる事がない。 いつでも春が来ると、それ以上に必ず色は増しますよ〕女こてい節は、御慈悲(グジフィ)有(あ)る故(ゆぃ)どぅ万人(ウマンチュウ)ぬ身分(マギリ)上下(カミシムン)む 揃(そろ)てぃ仰(アウジ)拝(ウガ)む〔(あのお方には)御慈悲心があるからこそ、万人の身分隔たりなく、上も下も揃って仰ぎ拝みます〕
2006年10月15日
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八重山古典民謡「でんさー節」(本調子) 「1768年」西表島 上原村の与人(役人)が、風俗の乱れを戒める為の歌を「宮良里賢」に依頼する。 「でんさ」とは、(伝える)の意。上原(ウイバル)ぬ でんさー 昔(ムカ)すぃ からぬ でんさー 我(バ)ん心(ククル) 言(イ)ざば 聞(シ)きゆ 給(タボ)り でんさ 〔上原むらのデンサ節は、昔からの言い伝えられた教訓歌である〕〔自分の気持ちを、歌いますので聞いて下さい〕この一番目の歌詞は、「でんさ節大会では、必ず最初に歌う歌詞」 二番目は、古くからある歌詞。三番目は、新しい大会入賞歌を採用し歌う。ここに記載する歌詞は、古くからある歌詞です。島(スィマ)持(ム)つぃどぅ 家(ヤー)持(ム)つぃ 舟(フ)乗(二)るぃどぅ ゆぬむぬでん 舟頭(シドゥ)舟子(フナグ) 親子(ウヤファー)揃(ス)らにば ならぬ でんさ 〔島の統治と、家庭の平和は、船の操縦と同様である〕〔船頭と船子並びに、親と子供も、一心同体に、ならないと前進はありえない〕親子(ウヤファー)かいしゃー 子(ファー)から 兄弟(キョダイ)かいしゃー 弟(ウトゥドゥ)から きない 持(ム)つぃ かいしゃー 嫁(ユミ)ぬ 子(ファー)から でんさ〔親子の善い関係は、子供の理解の善さからである、兄弟の善い関係は、弟の出方や善さからである、理想的円満な家庭の善さは、主婦の理解と調和のおかげである〕「かいしゃー は、善い・美しいの意」 人(プィトゥ)ぬ 大胴(ウフドゥ)や かなさねぬ 肝心(クィムククル)どぅ かなさーる 肝心(クィムククル) 良(ユー)持(ム)つぁばどぅ 世間(シキン)や 渡(ワタ)らり でんさ 〔人の肉体的美貌よりも、愛情豊かな精神こそが第一である、善き精神こそ、世渡りのカギである〕むに いざば 慎(ツツシ)み 口(フツィ)ぬ 外(フカ)出(ン)だすなよ んだし から 又(マタ)ん 飲(ヌ)みぬ ならぬ でんさ 〔言葉は慎重に言うべきで、軽率な発言をしてはいけない、軽率な発言をしてから、後悔しないように〕車(クルマ)や 三寸(ミブシ)ぬ 楔(フサビ)しどぅ 千里(シンリ)ぬ 道(ミツィ)ん 走(パ)りみぐる 人(プィトゥ)や 三寸(ミブシ)ぬ 舌(スィタ)しどぅ 大胴(ウフドゥ)や ふわい してぃ でんさ 〔車は心棒に差し込む三寸位のクサビで止めているから、千里の道も行けるのである、人は三寸位の舌で、言葉を誤ると不遇の身としてしまう〕 この他にも歌詞は続きますが、常に作り続けられており、今では一冊の本が出来るくらいです。
2006年10月14日
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沖縄民謡「秋の踊り」空も長月 はじめ頃かや 四方(よも)の紅葉(もみじ)をそめる時雨(しぐれ)に ぬれて男鹿の なくもさびしき 折につげ来る雁の初音(はつね)に 心うかれて 互(とも)にうちつれ出づる野原の桔梗苅萱(ききょうかるかや)萩の錦をきても見よとや 招く尾花(おばな)が 袖の夕風吹くも身にしむ 夕日入り江の 海士(あま)の子どもや棹のしずくに 袖をぬらして 波路(なみじ)はるかに沖に漕ぎ出で 月や東の 山の木(こ)の間に 今ぞほのめくこの唄は「道輪口説」とも呼ばれています。元々、沖縄芝居「義臣物語」の挿入曲です。仇討ちをめざす主人公が、相手の不意を狙い人形売り変装して内偵をしているが、敵も然る事、なかなかスキを見せず、仮の姿の人形売り家業に身をやつしている場面で使われます。歌詞をアレンジして「秋の踊り」という沖縄琉舞〔雑踊り〕に使われるようになり、この名前のほうがポピュラーになりました。平敷屋青年会の代表的エイサー曲でもありますね。試聴できますよ。
2006年10月07日
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