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沖縄の民話「犬小(イングヮ)猫小(マヤーグヮ)」昔々、犬も猫も同じ様に畳の上で飼われていました。ある日、この家に泥棒が入り、大切な宝を盗まれてしまいました。家の主人は、犬と猫に命じました。「宝が盗まれた。捜してきなさい」犬と猫は、捜し廻りました。やっと泥棒の家を見つける事ができました。その家の門は、しっかりと鎖されており、犬は入る事ができません。すると猫は、スルスルと門の傍から上がり込み、門鍵棒を外して門を開けました。これで犬も家に入る事ができ、一緒に盗まれた宝を捜しました。猫は得意の木登りで天井裏を探し、隠してあった宝物を見つけました。宝を口に咥えて、主人の待つ家に向かいました。しかし帰る途中、川が雨で増水し、猫は渡ることができなくなってしまいました。泳ぎが得意な犬は、その川を泳いで渡り始めました。それを見ていた猫は、「私は泳ぎが苦手、仕方がないなぁ」と、川に入っていきました。しかし、直ぐに溺れてしまい、咥えていた宝を川に落としてしまいました。先に家に帰った犬は、「宝はどうだった?」と、主人に聞かれると、「無かった」と、答えました。「それで猫はどうしたんだい」と聞かれると、犬は「アキヨー、途中雨が降って川が渡れなくて、猫は川の傍らにいるよ」と答えました。その頃猫は、「あぁ、大切な宝を落としてしまった」と、残念無念と川の傍らで川の水が引くのを待ちました。猫は、「お腹が減った」そう思いながら、ジッと川を眺めていると、川下に大きな魚が浮いていました。猫は、「あぁ、御飯だ御飯だ」と、魚を夢中で食べました。すると、その魚のお腹の中から、落としたはずの宝が出てきました。気がつくと川も水かさが減り、猫は大喜びで主人の家に帰りました。主人は「犬は早く帰ってきた。なのにお前はどうしてこんなに遅いんだ」と聞きました。猫は遅れた理由を主人に話し、持ち帰った宝を主人に渡しました。主人は、「そうだったのか、猫よ、お前は何時も私の側に居なさい」と言い、これより永劫、自由に家に入る事を許可しました。逆に嘘をついた犬は、「お前のような奴は門番だ」と言いそれ以来、犬は門番にさせられました。元は同じ座敷育ちだったが、その一件より犬は門番猫は畳の上で生活するようになりました。犬は猫を見ると「わんわん」と吼え、猫は犬を見ると「シャーっ」と毛を逆立てる様になりました。犬1匹猫2匹飼ってますが、大変仲良しです。島のおばぁから「アイ、めずらしいねー、『犬小猫小(イングヮマヤーグヮ)』なのにねー」と、不思議がられてます。内地言葉に訳すると『犬猿の仲』と同じ意味合いの言葉です。 心に残るとっておきの話(第5集)普及版
2006年04月30日
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国民の祝日である「みどりの日」は、『自然に親しむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心を育む』事を趣旨としています。ゴールデンウィークの初日を構成する日でもありますね。4月29日は、昭和天皇の誕生日であったので、1948年公布・施行の祝日法によって「天皇誕生日」として制定されました。しかし1989年に昭和天皇死去後、昭和天皇が自然を愛したことに因んで「みどりの日」となりました。この時期、新緑の季節に当たり、祝日の趣旨と合います。これを期にもう一度環境問題や自然愛護・地域の緑化について考えてほしいとの願いも込められています。2005年5月13日の改正祝日法により、4月29日を「昭和の日」5月4日を「みどりの日」と参院本会議にて可決され、2007年より実施されることが決定しています。「昭和の日」とは、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と、同法における定義・趣旨は唱えています。1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇崩御により、当時から同日を「昭和記念日」など昭和に因んだ新祝日として存続させようという意見はあったが社会情勢などから〔案〕は見送られ、同年以降の4月29日は「みどりの日」という名称の祝日に改められた。今の社会情勢なら「昭和の日」でも良いのかな?巷では『昭和レトロ』などの流行やここ数年『和モノ』も流行ってるのも、この伏線だったの? ★DAISIN★新しい和風の様式美!和風ハイチェスト ★DAISIN★懐かしくて新しい!レトロデザインの2Pソファー(BK) 0427アップ祭340%以上OFF★~昭和レトロモダン~カフェスタイル★2Pソファ カフェスタイル30%OFF0427アップ祭3AVボード(TV・DVD) 懐かしくて新しい昭和レトロ引き戸採用キャビネット! 昭和レトロ天然木脚折ちゃぶ台(90センチ丸) アンティーク ゼンマイ 柱時計 実動品 昭和レトロ 人形用 乳母車
2006年04月29日
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沖縄の民話「マジムン爺さん」昔々、とても仲の良い爺さんと婆さんがいました。常々二人は、こう話し合っていました。「どちらが先に死んでも、お墓には入れずに家の中に置く事にしよう」と、一人になっても寂しくない様にする約束をしていました。数年後、爺さんが先に死んでしまいました。婆さんは、「爺さん。約束通りに家の中に置こうね」と、墓に入れず爺さんを大甕(おおかめ)に入れて、家の中に置いていました。すると、どうしたことでしょう。死んだお爺さんは、大甕の中から「婆さんよ。居るかい」と、毎日何時でも聞いて来ました。婆さんは、そのたびに「あい。爺さんここに居ますよ。安心なさい」と、答えていました。ある日、家にマース(塩)売りが来ました。買おうとしたのですが、マースを量る秤(はかり)がありませんでした。婆さんは、隣の家に秤を借りに行くことにしました。そこで、マース売りに言いました。「爺さんの声がしたら、代わりに返事をしてね」と、頼みました。「婆さんよ。居るかい」という爺さんの声がすると、婆さんに教えられた通り「居るよ」と、返事をしていました。婆さんがなかなか帰ってきませんでした。「婆さんよ。居るかい」「居るよ」「婆さんよ。居るかい」「居るよ」「婆さんよ。居るかい」「居るよ」塩売りは何度も何度も返事をしているうちに面倒になり、爺さんの声がする大甕のフタを開けてしまいました。すると突然、爺さんの幽霊がマジムン(魔物)に変わり、大甕の中からビューンと飛び出して来ました。マース売りは、驚き慌てて逃げようとします。しかし、マジムン爺さんは追い駆けてきます。マース売りは、バタバタと逃げ惑い、持っていた塩をこぼしてしまいました。すると、それまで追い駆けていた恐ろしいマジムン爺さんは、パッと消えてしまいました。それ以来、沖縄ではマースは魔除けになると言われる様になったということです。 読谷山焼き塩壷入り寿汐~じゅえん~(550g)沖縄久米島産海洋深層水100%手造り天然塩 塩分を気にせず外食しませんか?ポケじお 20g×10個[0427アップ祭9] ちゅらマース(400g) 風化珊瑚マース 500g入 スポ塩(120g)黒糖配合タイプスポーツの後や肉体労働後の塩分補給に海洋深層水100%天然粗塩 ぬちマース顆粒タイプ40g入り卓上ビン
2006年04月28日
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明日、「イスカバイ(衣替願)」与那国の祈願祭の一つ十山御嶽神社で、夏を無事に過ごせるように祈願します。月行事祭の一つであり、小さな御願祭です。祭の名前が良いですね。内地では、これから梅雨に入る時期ですが、ここではもう夏の祈願が始まります。十山神社(トオヤマジンジャー)十山御獄(トオヤマウタキ)や十山御嶽神社とも呼ばれる日本最南端の神社です。与那国島・祖納集落の中心的な聖地でもあり、豊年祭の舞台となる場所でもあります。豊年祭は、「ウガンフトゥティ(御願解き)」とも呼び、一年の祈願を解き放つ行事、新たな年の祈願を込める一年で最も重要な祭りです。
2006年04月27日
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沖縄の民謡「テーゲー」(本調子)作詞 上原直彦 作曲 知名定男 編曲 佐原一哉 テーゲー小(グヮ)ヤサ テーゲーテーゲー小(グヮ)ヤサ テーゲー物事(ムヌグトゥ)ちゃっさ 思い詰めたって 成(ナ)いる事(クトゥ)どぅ 成(ナ)いるむん風の吹くまま 気の向くままに生きて 生きてみたいのさナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジテーゲー テーゲーテーゲーヤサ〔大概だよ、良い加減だよ。どんな物事に、どれ程思い詰めたって、実際には成る様に成るんだよ。だから、風の吹くまま気の向くまま生きて生きてみたいのさ〕(何とかなるんだよ、自然に任せましょうよ。大概ですよ、良い加減ですよ)恋(クイ)ぬ道(みち)んなー 思(ウミ)い 思(ウミ)い燃(も)えて 燃(も)えて 燃(も)え尽(つ)きて散(ち)り果(は)てぃるとーん 捨(シ)てぃらりるとーん成るがままよ 人生はナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジテーゲー テーゲーテーゲーヤサ〔恋の道も、それぞれの思いがある。燃えて燃えて燃え尽きて、散り果てるとも捨てられるとも、成るがままだよ人生は〕(何とかなるんだよ、自然に任せましょうよ。大概ですよ、良い加減ですよ)惚(ほ)れた はれたと追い掛けたって好(シ)ちゅん 好(シ)かのう 裏表(ウラウムティ)一生かける恋など無いさゆらりゆらり 生(イ)ちかなやナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジテーゲー テーゲーテーゲーヤサ〔「惚れたハレた」と追い掛けたって、好きも嫌い裏表。一生掛ける程の恋など無いさ。ゆらりゆらりと生きたいね〕成(な)り行(ゆ)き任(まか)せ 一夜(チュユル)ぬ火花(ひばな)理屈なんざ捏(こ)ねやしない明日(アチャ)あや 明日(アチャ)あやさ 一日暮らしテーゲー育ち コザ育ちナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジナンクルチャーガヤ ナイヤサニマジテーゲー テーゲーテーゲーヤサ〔「成り行きまかせ」の一夜の火花。理屈なんかこねやしない。明日は明日の風が吹く。その日一日をシッカリ生きれば良いヨ。大概な育ち、コザの育ち〕逆に沖縄方言だけでないので、このほうが難しく感じます。
2006年04月26日
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沖縄の民話「海神の弱点と恩義」昔々、海と空に棲んでいる龍という動物がいまいた。今では海神・水神とされていますが、とても暴れん坊で、陸に来ては荒らしまわりました。ある日、龍は、いつもの様に一暴れした後、満足して寝ていました。そこにムカデがやって来ました。「ちょうど良い寝穴を見つけた」と、龍の耳に入り込みました。「痛い!」ムカデが寝る位置を確認するように這うものですから、龍は痛くてたまりませんでした。もう転げまわり七転八倒です。そこへ鶏がやって来ました。鶏は何事も無かったかのように、龍の耳の穴からムカデをついばんで食べてしまいました。龍は驚きました。「とー、陸にも怖いモノがいた」「耳に入って苦しめるモノ。それを取って食べるもっとすごい奴もいた」「もうこんな恐ろしいモノがいる陸には、絶対に来ないぞ」と言い、海の神様として君臨しました。それ以来、人は海神である龍の災いを避ける為、帆船の帆柱にムカデの形をした流し旗を飾り、マストには風見鶏を付けていました。風見鶏を船の舳先に飾ると、龍は恩義を思い出し決して海を荒れさせないということです。五月に行なわれる那覇ハーリー祭の爬龍船(ハーリー船)では、船の前方には龍を飾ります。また旗振りの三角旗は、中央には鶏の姿を、周りにはムカデの姿を描いています。船尾にも鶏の絵を描いています。
2006年04月25日
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明和の大津波は西暦1771年4月24日午前8時ごろ発生、八重山、宮古諸島や久米島を襲い、八重山地域のみでは9300人余の人命が失われた。世界史上、津波による最悪の犠牲者数は、2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震津波で約29万人が死亡又は行方不明になりました。日本最大の津波高さは85m(1771年4月24日・明和大津波とよばれるる八重山地震津波で石垣島で記録されています)明和大津波とは、1771年4月24日午前8時ごろ北緯24.0東経124.3石垣島南南東35km付近マグニチュード7.4の地震が原因地震としての揺れによる被害は殆ど無く、津波による溺死と後の衛生面や食糧不足により餓死者が多数出ました。明和の大津波の特徴は、地震規模に比べ津波が大きかった事にあります。記録によると震度4程度と記録されています。これによりM7.4と推測されます。ただ、この規模であれば津波の高さは2~3mほどです。でも明和大津波は85mです。「津波地震」か「海底地滑りによる津波」の何れかに当たると思われます。「海底地滑りによる津波」とは、河川や海流により、長い期間溜まった堆積物が地震振動をきっかけとして海溝など、更に深い底へ落ちる事により、引き起こされる現象。八重山・宮古諸島は当時、人頭税があり、住民数の把握は正確に記録されていました。税徴収の台帳等によれば、八重山地方の13・15歳から高齢者までの人口は3万人弱。津波後、2万人程に減少し続けます。明治初頭では1万人まで落ち込みます。これは津波により田畑が冠水し、土地も舟も家屋も流された為、飢餓と疫病等により死亡したのではないかと言われています。明和大津波を題材にした民話過去記事に飛びます。津波は海底の崩壊状況によって、海水が一旦引いてから押し寄せるものと、いきなり押し寄せてくるものとあるので、海岸線では地震イコール津波警報と思って、揺れを感じたら迅速に高台に避難する事が大切です。もし、高台に避難するのが困難な場合は近くの鉄筋コンクリートビルの3階以上に避難させてもらってください。
2006年04月24日
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沖縄の民話「猫師匠と虎弟子」昔々、猫は空手教室を拓くほどの達人でした。一方、親戚筋に当たる虎は、大きな体に似合わず弱虫だったので、皆の笑いものでした。そこで虎は、強くなりたいと思い、猫師匠の弟子になりました。虎は、空手の技を次々にマスターしました。本来、虎は体が大きく力も強く、技を習得する内に、だんだん威張るようになりました。ある時、弟子虎は猫師匠に向かって、「もう俺は、先生より強いはずだ。師匠、一度俺と勝負してくれ」と、豪語しました。猫師匠は、弟子虎が何時か勝負を申し込んでくる事はわかっていたので、「ならば明日、断崖で勝負しよう」と言って承知しました。翌日虎は、「猫師匠に勝てば、〔この世で一番強い〕と自慢できる」そう思いながら、勝負地の断崖にやってきました。虎が「いざ、勝負」と言うと、猫は断崖から海の方に突き出た松の木に登って、「さあ、いつでも来い」と、虎に言いました。実は、猫師匠は弟子虎に木登りの術だけは、わざと教えませんでした。虎は、木に登れず、木の根元で待つしかありませんでした。しばらく待っていた虎が言いました。「そんな卑怯な。だがな、いつまでも木の上に居れないだろ。」「木から降りてきたら、どこにいようとお前の糞の臭いで、お前を見つけて食ってやる。」そう言って、虎は立ち去って行きました。それ以来、猫は、虎を怖がって糞をした時には、必ず土で隠すようになりました。虎は、木登りの術を教えてもらえなったので、今でも木に登れないということです。
2006年04月23日
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毎年4月第4日曜日を「さとうきびの日」として、昭和52年に創設された(社)沖縄県糖業振興協会の主催『さとうきび競作会』という大会の関連事業として、さとうきび生産農家の生産意欲の高揚と生産振興を目的に毎年開催されるものです。競作会では、本島北部地区、中部地区、南部地区、宮古地区、八重山地区の5 地区から春植、夏植、株出作型部門ごとに、単収、糖度等が優れているとして市町村等から推薦を受けた農家のほ場で、全刈り調査を行い、その結果に基づいて各部門毎の受賞者が決定されます。昨今では『バイオアルコール燃料』の元になる糖度が高く、たくさん採れるさとうきびの品種改良実験も始まってますね。アルコールで車が動く、、、ガイ〇ックスは何処に行ったのでしょうね。この品改実験の協賛として、大手酒(ビール)会社が行なってますね。去年の暮れ、さとうきびの花の画像です。ススキの穂みたいでしょ
2006年04月22日
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沖縄民謡「世宝節(ユタカラふし)」(三下げ)作詞作曲 普久原朝喜真夜中(マユーナーカー)どぅー やしーがーー夢(イーミ)ぃ起(ウー)くーされーてぃーヨー覚(さ)みてぃ恋(クイ)しさーやーありがー姿(シーガーター)ージントゥヨーありが姿(シーガーター)〔真夜中の出来事だが、夢にまで現れて目覚めるのは、恋しいアノ人の姿。そうアノ人の姿〕一人(フィチュイー)手枕(ティーマー クラー)にーー明(あーか)す夜(ユゥー)ぬー辛(チー)らーさーヨー無蔵(ンゾ)が手枕(ティマークラー)にー明(あかー)ちー 見(みー)ぶーさーーサヨーナー明(あか)ち見(みー)ぶーさーー〔一人寝て、明かす夜の辛さよ。そうアノ人(彼女)の手枕で夜を明かしてみたかった〕無蔵(ンゾ)がー寝座敷(ニーザー シチー)にーー梅(ンミ)ぬ花(はーなー)咲(さー)かーちーヨー鶯(ウグーイシ)にーなやーいー偲(シヌ)でぃーみーぶーさーージントゥヨー偲(シヌ)でぃみーぶーさーー〔貴女の寝ている場所に梅の花を咲かせて、私は鶯に生り偲んでお側に居たい。偲びお側に居たい〕鳥(トゥイ)やー ちょーん 飛(とー)ばーんー島(スィマ)とぅめてぃー無蔵(ンーゾー)とぅーよー二人(フターィ)加那(かなー)がなーとぅー暮(くら)ちぃ みーぶーさーサヨーナー暮(くら)ちぃ みーぶーさー〔鳥ですら渡海できない島を求めて、今度こそアナタと共に暮らしたい。共に暮らしたい〕琉球民謡音楽協会主催・民謡コンクール最高賞の課題曲でもありますね。画像はイメージですが、「梅に鶯」ではなく「梅に目白」です。うぐいす色ですが、メジロですね。季節も違いますor2
2006年04月21日
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沖縄民謡「前田節(メーンターぶし)」(本調子)「前田節」+「二合小(ニングゥグヮ)節(ピーラルラー)」+「稲しり節」の3曲セット今年(クトゥシ)前田(メーンター)ぬ 稲(ィンニ)みんそーりしらちゃにやなびち あぶし枕(まくら) (ヤティカラ チュヌチャー 飲(ヌ)まんかな 飲(ヌ)でぃ遊(アシ)ばな)〔今年、前の田稲よ、立派に育ってください。稲は、田アゼ(田を区切る土土台)を枕にする程たわわに実り豊かだ〕今年(クトゥシ)前田(メーンター)ぬ 稲(ィンニ)みんそーり今年(クトゥシ)飲(ヌ)まん酒(サキ)なー何時(イチ)飲(ヌ)むが(ヤティカラ チュヌチャー 飲(ヌ)まんかな 飲(ヌ)でぃ遊(アシ)ばな)〔今年、前の田稲よ、立派に育ってください。今年飲まない酒はもういつ飲むのか 農作はあのように美しい 今年(クトゥシ)毛作(ムジャク)いやあん美(チュ)らさる倉(クラ)に積(チ)ん余(あま)ち真積(マチ)んさびら(ヤティカラ チュヌチャー 飲(ヌ)まんかな 飲(ヌ)でぃ遊(アシ)ばな)〔今年、見事な程に豊作だ。米倉に積みましょう。しっかり積まなきゃ入らないよ〕画像はイメージです。
2006年04月20日
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宮古島民謡「子守唄」(二揚)泣(な)き゜なよや 可愛子(ウトゥガマ)ヨーイヨイ泣(な)むなよや 可愛子(ウトゥガマ)ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔もう泣かないでね、可愛い子よ。泣き止もうね、可愛い子よ〕泣(な)かだなしぅてぃ 母(アンナ)がぷいなりヨーイヨイ泣(ユ)まだなしぅてぃ 父(ウヤ)がたきなり ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔もう泣かないでね、優しいお母さんの様になってね。泣き止もうね、丈夫なお父さんの様になってね〕汝(ウワ)が母(アンナ) 太(ウプ)芋(ム)掘(プす゜)が ヨーイヨイ汝(ウワ)が父(ウヤ)や 太(ウプ)蛸(ダク)取(トウ)す゜が ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔アナタの母は、太芋掘り(芋作名人)。アナタの父は、タコ取り名人〕太芋(ウプム)やちか 割合(バリアイ)す゜だまな ヨーイヨイ小芋(イミム)やちか 一個(ピィトゥヅツ)だまな ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔大きな芋なら、分けて食べましょ。小さな芋なら、一つづつだよ〕太蛸(ウプダク)やちか 一本足(ピィトゥテイ)だまな ヨーイヨイ小蛸(イミダク)やちか 一匹(ピィトゥカラ)だまな ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔大きなタコなら、蛸足一本づつね。小さなタコなら、一匹づつだよ〕私(バン)が子守丈(ムリプドゥ)生(ワ)さば ヨーイヨイ姉(アニ)がくぎ丈(タキ)生(ワ)さば ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔私が子守をして育てましょ。姉である私が子守をするから、丈夫に育ってね〕友達(ドウス)ぬ華(パナ) 生(ムマ)さば ヨーイヨイ友達(アグ)ぬ華(パナ) 生(ムマ)りやしぅてぃ ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔同年代より抜きん出て、立派になってね。友達より抜き出て偉い人になってね〕時代(ミヤク)とぅ限(ナギ) 拝(ウガ)まりる ヨーイヨイ三十原(ミスバラ)んな 拝(ウガ)まりる ヨーイヨイヨーイヨーホーイーイ〔この世がある限り、名前知らるる人になってね。この世ある限り、名残す偉い人になってね〕
2006年04月19日
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沖縄民謡「稲摺り節(インニ・シリぶし)」(本調子)今年(クトゥシ)毛作(ムヂュク)いやあん美(チュ)らさ豊(ユカ)てぃ稲(インニ)しり しーり 米(クミ)ゆり ゆーりチユリ ユリ ユーリ アヒリ ヒリ ヒーリ〔今年の農作物は、これほど素晴らしく豊かに稔った〕〔稲を摺れ、摺れ。米とモミ殻を揺れ、揺れ(脱穀する情景ですね)〕倉(くら)に積(チ)ん余(あま)ち真(ま)積(ヂ)んさびら稲(インニ)しり しーり 米(クミ)ゆり ゆーりチユリ ユリ ユーリ アヒリ ヒリ ヒーリ〔米倉に積み余ってしまいそうだ。積み直ししましょうね〕銀臼(ナンジャウシ)なかい黄金(クガニ)軸(じく)建(た)てぃてぃ稲(インニ)しり しーり 米(クミ)ゆり ゆーりチユリ ユリ ユーリ アヒリ ヒリ ヒーリ〔銀の臼に黄金の軸をたてて(精米臼は銀、臼の心棒は黄金)〕試(タミ)し摺(シ)りまする雪(ユチ)ぬ真米(マグミ)稲(インニ)しり しーり 米(クミ)ゆり ゆーりチユリ ユリ ユーリ アヒリ ヒリ ヒーリ〔試しにすりましょうね。雪の様に白い米が溢れますよ〕前回紹介した「二合小(ニングゥグヮ)節」(通称ピーラルラー)に続く三曲目。米作り労働歌としては、数少ないですね。現在の様に品種改良が出来なかった為と水田を造るほどの水量が不足しており、台風・塩害・害虫・稲の病気等々、耕作には不向きの土地柄。島では主食は芋が定番。米のしかも白米は宝の様な物。八重山諸島では、豊作になれば酒を造りましょうね。と、歌いますが実際は人頭税で、それどころではなかった。本島ならではの歌ですね。画像は少し形状が違いますが、丸太を輪切り重ねたようなかたちです。臼の外周に縄を二本引っ掛けて、二人一組で左右互いに引き合い摺ります。籾(もみ)摺り臼
2006年04月18日
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殿〔(トノ)ではなく(シンガリ)と読みます〕「二合小(ニングゥグヮ)節」(通称ピーラルラー)通常「前田節」+「二合小(ニングゥグヮ)節」+「稲しり節」の3曲セットで歌われます。どの曲も『米』と『酒』を題材になっていますね。豊作を願う祈りや祭には、酒は切る事ができません。この曲は、エイサーにも使われています。この「二合小(ニングゥグヮ)節」は、各村青年会が家々を廻り『御花代』を酒で頂く風習からきていますね。お盆供養とその家の繁昌を願い、歌と演舞で祈願して廻る風習です。〔内地でも昔、獅子舞などが門前で芸をした事と同じですね〕現在では、勝連のエイサー隊の京太郎演舞『酒カタミヤー(サキカタミヤー)』〔二人一組の京太郎が天秤に『酒甕小(サキガーミグヮ)』を大荒縄で縛り付けて、酒を集める仕草をします〕「二合小(ニングゥグヮ)節」は、エイサー演舞の退場歌です。殿(しんがり)を務める『酒カタミヤー(サキカタミヤー)』が、次の演舞隊に引き継ぐ儀式のような役割をします。元々、殿(しんがり)とは、退却する軍隊の最後尾の部隊を指します。後備え(あとそなえ)・殿軍(でんぐん)とも言います。本来、殿が必要とされるのは大抵が敵軍に対して劣勢の状況下での退却の場合です。敵方の追撃を殿(しんがり)を務める部隊に引きつけさせ、退却する味方部隊を安全に逃がす事を目的とする最も危険な役割でした。このため、古来より武芸、人格に優れた武将が務める大役とされてきた。まだ秀吉が前の姓を名乗っていた頃、信長にこの役を買って出て出世しましたね。この言葉は、戦闘時以外の使用法として、隊列の最後尾の人や、順番が最後の人に対して使う場合があります。「二合小(ニングゥグヮ)節」(通称ピーラルラー)くまぬ殿内(ドンチ)ぬハンシーメーや 御肝(ウヂム)美(ヂュ)らさぬ拝(カミ)てぃ 巡やびらサウエンサウエン サンサウエンピーラルラー ラーラルラーラー〔ここの御屋敷の祖母さんは、心やさしい人でした、祀って巡りたい〕二合(ニンゴゥ)二合二合 一升二合(イッショウニンゴゥ) はい二才達(ニーセーター)作(チク)る むじゅくい 満作(マンサク)そーしが一寸(チット)頑張(チバ)れーでぃきわる 嬉(ウ)むさるサウエンサウエン サンサウエンピーラルラー ラーラルラーラー〔二合だ、二合だ、一升と二合だ。ほら青年達よ。農作物は満作だ(酒カメが一杯だ)もうひと頑張り、よく出来たからこそ(我々は)嬉しいぞ!〕七月(シチガチ)あしびや あんしん嬉(ウ)むさやでぃあんせー 我(ワ)ったーん踊(ウドゥ)てぃ 遊(アシ)ばな遊(アシ)びぬ 美(チュ)らさや人数(ニンジュ)ぬ 揃(スナ)わいサウエンサウエン サンサウエンピーラルラー ラーラルラーラー〔七月遊びは、こんなに楽しい。それなら我らも踊り遊ぼう。遊びが楽しいのは、人数が多く揃ったからさ〕 主五年古酒 43度 しゅろ縄 1斗壺 忠孝 南蛮荒焼 5升甕窯変入 瑞穂一斗縄巻壷 黒甕の耀 1800ml甕入り 25度 「井上酒造」[宮崎県] 信楽焼き狸 古狸庵窯作 手作り 大狸 【送料無料】
2006年04月17日
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「建造から沈没まで」1909年3月31日ハーランド&ウルフ社の第401造船所にキール(竜骨)が設置され、タイタニック号の建造が始まる。1911年5月31日10万人余りが見守る中、タイタニック号は無事進水。9月20日ハーランド&ウルフ社製造のオリンピック号船長エドワード・J・スミス(後にタイタニック号の船長となる)が英国海軍の巡洋艦<ホーク>と衝突、船体にかなりの損傷を受ける。オリンピック号の修理に人手と資材を取られ、タイタニック号の処女航海が延期される。1912年1月木製救命ボート16隻、折りたたみ式救命ボート4隻がタイタニック号に取り付けられる。3月25日救命ボートの使用テストが行われる。4月1日海上試験運転は、強風のために延期。4月2日am6:00海上試験運転開始。1日で試験航海を終え、アイルランド・ベルファストから処女航海の出発地点であるサウサンプトンへ向かう。4月3日真夜中過ぎサウサンプトンに到着。4月6日大多数の乗組員が召集される。大型荷物の到着開始。貨物合計559トン、11542個の荷物が積み込まれる。同様に燃料石炭5892トンも積み込まれる。4月8日生鮮食品が積み込まれる。4月10日出港日pm一二:00タイタニック号離岸。タグボートに曳航されて埠頭を離れる。その時、引き起こした水流が原因によるニューヨーク号との幅1.2メートルという超ニアミスを引き起こし、出港時間が1時間遅れる。「4月14日」〔am9:00〕カロニア号より電文。『北緯42度、西経49~51度に氷山および氷原アリ』〔am11:40〕オランダ船ノールダム号が、カロニア号の警告地点を通過。ノールダム号より電文『氷山多し』と報告を受ける。〔pm1:42〕バルチック号より電文。『氷山警告。北緯41度54分、西経49度52分、タイタニック号の前方約250海里(約463キロメートル)の地点において「氷山および大きな氷原あり」。』この電文はスミス船長に伝えられる。スミス船長は、この電文をブルース・イスメイに渡す。が、ブルース・イスメイはその電文をポケットの中につっこみ対処せず。〔pm1:45〕ドイツ船アメリカ号から電文。『北緯41度27分、西経50度8分に「氷山あり」』の警告を受ける。この電文はブリッジ(操舵室)まで届かず。〔pm5:30〕気温16度下がり、摂氏0.6度になる。〔pm5:50〕スミス船長指示、タイタニック号針路を正常よりやや南寄りに変更。〔pm6:00〕ライトラー2等航海士は、ブリッジのワイルド航海士と交代する。〔pm7:30〕ハロルド・ブライド通信士は、『大氷山を警告する』カリフォルニアン号からの無電を3回傍受(北緯42度3分、西経49度9分)、ブリッジに報告。しかし、船長は一等客室の富豪との夕食会に出席中。その時すでに、氷山はタイタニック号から僅か50海里先にあった。〔pm8:55〕スミス船長、夕食会を辞して急遽ブリッジへ移動。〔pm9:20〕船長「何か変わったことがあったら起こすように」と言葉を残し、就寝のため船長室に引き上げる。〔pm9:30〕ライトラー2等航海士は、監視台にいる見張り番に『翌朝まで氷山に充分注意するよう』伝言を送る。〔pm9:40〕メサバ号より電文。『氷山警告』を受ける。しかし無線士達は乗客の通信処理(電報)に忙殺され、このメッセージを見過ごす。この日受け取った7件の氷山警告全てが、『タイタニック号の直進前方78海里地点に巨大氷原』を伝えていた。〔pm10:00〕ライトラー2等航海士は、マードック1等航海士と交代。監視台の見張り番も交代。〔pm10:30〕海水温-0.6度。〔pm10:55〕タイタニック号の北約10~19海里の地点に、カリフォルニアン号が氷原の中で立ち往生し、周辺一帯を航行する船舶に対して警告を送っている。カリフォルニアン号の無線士が、タイタニック号を呼び出すが、『邪魔するな!黙れ!こちらの通信妨害になっている。只今レース岬と交信中』と言う返事が返ってくる。カリフォルニアン号の唯一の無線士は、しばらくタイタニック号の無線交信を聞いた後、いつもどおり午後11時30分に装置のスイッチを切り就寝する。〔pm11:30〕見張り番フリートとリーは、タイタニック号の前方に薄いモヤが現れた事を確認。〔pm11:40〕タイタニック号は、22ノットで航行中。突然、見張り番は前方450メートルほどのところに海面からの高さ17~18メートルの氷山を発見。警報ベルを3回鳴らした。ブリッジを呼び出し報告。『まっすぐ前方に氷山を発見』報告を受けたブリッジのムーディ6等航海士は、直ちにマードック1等航海士に知らせる。マードックは、反射的に操舵手に向かって『面舵いっぱい』と叫び、機関室に『エンジン停止』を命じる。次いでレバーを引き喫水線より下にある水密区画の防水扉を閉める。操舵手は、舵輪をギリギリいっぱいまで回す。タイタニック号は、左舷に旋回しはじめるが、氷山は右舷にぶつかり、船腹を接触しながら暗闇に去って往く。船体前部にいた乗組員は、接触時の衝撃を感じていたが、多くの乗客はその衝撃に気づかなかった。氷山発見から衝突までの所要時間「37秒」だった。〔pm11:50〕衝突から10分の間に、キール(竜骨)より4.2メートルまで浸水。(船底浸水)「4月15日」〔最も長く悲惨な一日が始まる〕〔am0:00〕スミス船長は、トーマス・アンドリュースと共に被害状況点検の為船内を一巡。船長に被害の程度を聞かれたタイタニック号設計士のアンドリュースは、沈没までに1時間ないし1時間半と割り出す。タイタニック号の舳先がゆっくりと沈み始める。スミス船長は、無線でCQD遭難呼び出しを発信するよう指示。ボイラー室は機能停止。轟音をたてて煙突から蒸気の煙が噴出する。〔am0:05〕キール(竜骨)の上9.8メートルの高さにあるスカッシュ・コートが浸水。救命ボートのカバーをはずし、乗務員と乗客を集合させるようにとの指示が出される。〔am0:10~1:50〕約10~19海里離れた海上のカリフォルニアン号の乗組員数人が、タイタニックの明かりを認めるが遭難と気づかず遠ざかってしまう。『am0:15~2:17』この時刻の間にタイタニック号から約500海里の地点にいた姉妹船オリンピック号を含む多数の船が遭難電文を傍受。マウント・テンプル号(49海里)フランクフルト号(153海里)バーマ号(70海里)バルチック号(243海里)ヴァージニア号(170海里)カルパチア号(58海里)などが救助に向かう。〔am0:15〕船上バンドが軽快な曲を演奏しはじめる。〔am0:20〕キール(竜骨)から15メートル上の船員室に浸水。〔am0:25〕『女性と子供を救命ボートに乗せるよう』にと指示が出される。〔am0:45〕最初の救命ボート右舷7号ボートが海上に下ろされる。定員数65人が、実際に乗ったのは28人だった。〔am0:55〕左舷側の6号救命ボートは、モリー・ブラウンを含む僅か28人だけを乗せて海上に下ろされた。右舷では5号ボートが降ろされる。ロウ航海士の指示に従おうとしなかったイズメイ社長が激しく叱責される。〔am1:00〕右舷の3号ボートが降ろされる。32人しか乗っておらず、うち11人は乗組員。強引にボートに乗ろうとする人が増える。〔am1:10〕右舷の1号ボートが降ろされる。乗っていたのはコズモ卿、ゴードン婦人と乗組員7人を含む僅か12人。左舷側では39人を乗せた8号ボートが降ろされる。ロテス伯爵夫人がボートの舵をとる。〔am1:15〕船内浸水は、船首に表示された「タイタニック号」という文字まで達する。船は、左舷に大きく傾き、甲板の傾斜も急角度になる。強引にボートに乗る人はますます増えてくる。〔am1:20〕右舷から56人を乗せて9号ボートが船を離れる。船は、反対側右舷に傾き、船首が海中に没し始める。〔am1:25〕左舷側の12号ボートが女性と子供40人を乗せて海上に降ろされる。船員2名がボートの操舵の為乗り込む。〔am1:30〕船上に残る乗客の間ではパニックが広がり始める。すでに定員のボートにも数人の乗客が甲板から飛び降り乗り込もうとする。ロウ航海士は、銃を空に向けて2発威嚇発砲して警告する。〔am1:35〕左舷側の16号ボートが50人以上を乗せて船を離れる。右舷側では13号ボートが64人を乗せて海上に降ろされる。その大部分が二等と三等の女性と子供の乗客。続いて30秒後に70人乗せた右舷の15号ボートが誤って下ろされかかり、13号ボートと危うく衝突しそうになったが、着水した13号が間一髪で船から離脱して難を逃れる。〔am1:40〕船首にあったボートは殆ど海に出てしまい、残った乗客は船尾へ移動を始める。右舷から最後のボートである折りたたみ式ボートC号(39人)が出発。それに乗ってイズメイ社長も船を去る。〔am1:45〕救助に向かうカルパチア号が聞いたタイタニック号からの最後の通信『・・・機関室、ボイラーまでいっぱい』左舷側では2号ボートが降ろされるが、定員40人のところ25人しか乗っていない。〔am1:55〕ジョン・ジェイコブ・アスター大佐は、4号ボートへの乗船をライトラー航海士に拒否され、妻の乗ったボートが無事海上に出るのを見送る。ボートには40人の女性と子供のほか、数人の操舵乗組員が乗り込む。まだ定員数20人の余裕を残していた。〔am2:00〕浸水は、プロムナード・デッキの下3メートルまで迫る。〔am2:05〕沈没寸前のこの船には、まだ1500人が残っている。折りたたみ式ボートD号が出発。定員47人。乗務員達は腕を組み円陣を作り、女性と子供しか乗せないようにする。44人を乗せてボートは船を離れる。〔am2:10〕スミス船長は、無線士ブライドとフィリップスを任務から解放。〔am2:17〕スミス船長は、乗務員達に『皆、各自、自分の為に行動せよ』と告げ、ブリッジに戻り最後を待つ。船の建造者トーマス・アンドリュースは、一等喫煙室で空を見つめるように一人立っている姿を最後に目撃される。バイルズ神父は、ボート甲板の船尾の端に集まったニ等および三等船客100人の告白を聞き、罪の許しを与える。バンド演奏が止む。残る多くの乗客や乗員が氷点下の海の中に飛び込む。〔am2:18〕多くの生存者は、船が2つに裂けた事を目撃。〔しかし、ライトラー他、著名人の証言により、事故調査委員会はタイタニック号は折れずに真っ直ぐ沈んだという結論に達した。その後1985年にバラード博士が海底のタイタニック号を発見するまで、タイタニック号は折れなかったというのが定説になっていた。〕船首半分まで沈没。〔am2:20〕ちぎれた船尾船体が、垂直に立ったまま数分間過ぎた後沈没。「史上最大の海難事故」で1500余人の命が奪われる。〔am3:30〕救命ボートからカルパチア号の救難信号弾が見える。〔am4:10〕最初のボート、2号ボートがカルパチア号船上に収容される。〔am8:30〕最後のボート、12号ボートがカルパチア号に収容される。ライトラーが同号に乗船した最後の生存者となる。〔am8:50〕カルパチア号ニューヨークに向け現場を離れる。同号が運んだ生存者は706人。タイタニック号の犠牲者は1517人と推定される。
2006年04月16日
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沖縄民謡「懐かしき故郷(なつかしきふるさと)」(一二揚・三下げ)作詞作曲 普久原朝喜夢(イミ)に見(み)る沖縄(ウチナァ)元姿(ムトゥシガタ)やしが音(ウトゥ)に聞(チ)く沖縄(ウチナァ)変(かわ)てぃ無(ネェ)らん行(い)ちぶさや 生(うま)り島(じま)〔夢にまで見る沖縄は、「元の姿のまま」だけど、噂に聞けば変わってしまったらしい。行きたいです。私の産まれ故郷のあの島に〕此処(クマ)や彼処(アマ)ぬ心配(シワ)彼処(アマ)や此処(クマ)ぬ心配(シワ)心配(シワ)ぬ果(ハ)てぃ無(ネ)さみ彼処(アマ)ん此処(クマ)ん行(い)ちぶさや 故郷(フルサトゥ)に〔ココに居ればアチラが心配。アチラに行けばココの心配。心配の心配でらちがあかない。アチラもココも。行きたいです。私の産まれ故郷のあの島に〕平和(へいわ)なてぃ居(ウ)むぬ元(ムトゥ)ぬ如(グトゥ)自由(ジユ)に沖縄(ウチナァ)行(い)く船(フニ)に乗(ヌ)してぃたぼり行(い)ちぶさや 生(うま)り島(じま)〔平和になったので、元の様に自由に沖縄行きの船に乗せて下さいね。行きたいです。私の産まれ故郷のあの島に〕何時(イチ)が自由(ジユ)なやい親兄弟(ウヤチョウデェ)ん揃(スル)てぃうち笑(わら)い笑(わら)い暮(くら)す事(こと)や行(い)ちぶさや 故郷(フルサトゥ)に〔いつの事になるやらわからないが、自由になって親兄弟も揃って、笑いながら平和に暮らせるのだろうか。行きたいです。私の産まれ故郷のあの島に〕1947年、大阪在住だった普久原朝喜の沖縄戦で荒廃した故郷への思いを馳せた歌です。中七上七四 五七四 老 合 〇 老 四 中 〇 中七上七四 五七四 老 四心に染み入る旋律ですね。
2006年04月15日
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冬季オリンピック銀板女王の演舞曲でも有名なケルト音楽。ケルト民謡など映画タイタニックの曲としても使われていましたね。その映画の挿入曲にも使われた笛の音は、『ティン・ホイッスル』と言うモノです。ティンとは、錫(スズ)。ホイッスルは、小型の笛。錫製の小型縦笛ですね。鉄の薄板に指穴を開け、巻き寿司の様に縦に丸め、吹き口を突き差しただけのものが最初とされています。但し、この笛は、ケルト・アイルランド人が作ったのではなく、イングランド人です。超豪華客船タイタニックを造ったのは、アイルランド人です。値段が安く〔1ペニー程の値段で買える笛〕の『ペニー・ホイッスル』とも呼ばれています。別に、大道芸人達が「1演奏1ペニー」を貰ったということが語源だという説もあります。大道芸では、踊りながら笛を吹いたり、口に二本同時に咥えて演奏や鼻の穴に当てて演奏しながら歌も歌う芸などもあったようです。この笛は、もはやケルト民族音楽に取り入れられ、アイルランドの雰囲気をだしていますね。構造は至ってシンプル。小学校で習ったリコーダーの形状ですが、唯一違う点は裏側の親指の穴が無い『6穴』である事と、全部塞ぐとC(ド)の音では無くD(レ)の音が出ます。語源である『ティン』は本来錫を意味しますが、実際はブリキ製ですね。ティン・ホイッスル物語19世紀のイングランド。ここに農場労働者のロバートクラークが、家族持ちの週給で働いていた。ある雨の多い年、殆ど働く事が出来ず困り果てた彼は、「農場では、天候に左右される。これでは生活できない」と、一念発起して近くの鍛冶屋に頼んで笛の金型を作ってもらった。長男と共に金型を手押し車に乗せ、笛を作りながら売り歩く。とうとうマンチェスターまでたどり着いた。そこで自身の名を刻んだティン・ホイッスルがブームになり、クラーク商会として成功した。少々荒く扱っても壊れる事はなく、誰にでも簡単に吹ける笛です。ですが、気候の変化(温度・湿度)などに左右されやすい〔金属製故か〕独特の演奏法で醸し出す『カスレた様な揺れのある音』を出すのは難しいですね。単純な構成ですが、吹き手の技量がそのまま音に出ます。安価でシンプル。でも奥が深い楽器ですね。映画タイタニックでこの笛が使われる以前は、楽器屋のオモチャのコーナーに置いてありました。これほど身近に置ける楽器は、少ないですね。 ◎Susato / Kildare Laser Engraved Low-D Whistle アイリッシュミュージック・コレクション【 ブラックティンホイッスル + 楽譜 + CD 】 ◎Waltons / 1514 Tin Whistle Brass D (CD付) 【Rock/Pops:コ】ザ・コアーズCorrs / ホーム(CD) (Aポイント付) 「シッピング・ニュース」オリジナル・サウンドトラック Campagne de France ◎CLARKE / The Original Clarke Penny Whistle ◎CLARKE / Sweetone The Real Tin Whistle C ◎Waltons / 1506 Penny Whistle Brass D
2006年04月14日
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沖縄民謡「下千鳥(サギチヂュヤー)」(二揚) 花(はな)に 山嵐(あらし)月(チチ)ぬ夜(ユー)に霞(カシミィ)かかる ちり情(なさ)どぅ 浮世(ウチユ)さらみちり情(なさ)や 浮世(ウチユ)我(ワ)自由(ジユ)ならぬ〔「花に山嵐(花散らす嵐)」や「月夜に霞み」などの風情が台無しになる様な情感。このつれなさこそが現実なのです。この情けなさこそ現実、我の思いのままにはならない事〕無情(ンジョー)ぬ ゆむ嵐(あらし)誰(タルゥ)に 引(フィ)かさりてぃ 我(ワ)肝(チム)あまがすが 朝(アサ)ん 夕(ユサ)んちりなさや 我身(ワミ)ぬ せる仕業(しわざ) 〔無情の(嫌味な)嵐は、誰の仕業であろうか。我の心を朝も夕もつれなくさせるこの情感。情けなくしたのは当の自分、私自身がした仕業だ〕舞踊に使われる「浜千鳥(チジュヤー)」と同じ二揚です。揚げていながら、郷愁誘う曲調。「下千鳥(サギチジュヤー)」は、ゆっくりと〔もの悲しさ漂う〕歌い方をしますね。曲の持つ(歌詞の意味)から〔下〕と付けられているようですね。音程の低さの〔下〕ではないようです。舞踊曲「浜千鳥」系譜の曲をスローにした〔浮世の自由にならない侘し(わびし)さを歌う曲〕です。歌詞もたくさんありますね。咲(サ)ち出(イン)ぢる童(ワラビ)戦世(イクサユ)ぬ為(タミ)に知(シ)らん他所(ユス)ぬ土(つち)どぅ枕(まくら)哀(あわ)りさや産子(ナシグヮ)土(つち)どぅ枕(まくら)頼(タ)るがきてぃ居(ヲゥ)たる愛(カナ)し思産子(ウミナシグヮ)無情(むじょう)な戦世(イクサユ)に散(ち)りゆ果(は)てぃてぃ哀(あわ)りさや産子(ナシグヮ)散(ち)りゆ果(は)てぃてぃ『こんな感情になる行為は御免ですね』
2006年04月13日
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それは、「願い事を言葉にすれば叶う」現実になると信じられていました。挨拶の言葉「ごきげんよう」〔御機嫌良く(悪い事のなく)過ごしてください〕「気をつけて」〔注意してご無事に〕唄の題名の「だんじゅかりゆし」とは、島国沖縄の人々は海を渡り、情報やあらゆる物を運んできました。その航海に出る家族知人の安全を祈願する『言葉』です。曲調は最初ゆっくりと弾き、だんだん速くなります。想像してください『大船が港をゆっくりと離れて、徐々に速くなり順調に海走る姿』「だんじゅかりゆし」(工)中尺工工老上四工四老四上四老四老四工中尺工老工合六七工六尺合中合四合中尺工工老上四工上尺四工老尺合上合上老上四工四工中尺工工老上四工中尺工工老上四工中尺工工老上四最初はゆったり続けて同じ歌詞を早弾きで歌います。早弾きになると、メロディーも変わります。この早弾きのコツは、「矼ゆば節」で使う技法『中』の勘所を中指でなく『人差し指』で弾く方法を使います。ただ、『だんじゅかりゆしや いらでぃさしみ』までをその方法で、続く『せる ハリヤゥ フニヤゥ』は元手位置に返ります。沖縄民謡「だんじゅかりゆし」(本調子)だんじゅかりゆしや いらでさしみせる 〔いかにも縁起の良い事(日)は、選んで実行(出港)しましょう〕ハリヤゥー フニヤゥ ユウハイセー ナンチャ ユウハイセー ササ ユウハイセー〔船よ、よく走るのは、なるほどよく走るのは、ササ よく走るのは〕船(フニ)ぬ 綱(チナ)取(トゥ)りば 風(カジ)やまとむ〔船綱を取れば、風は順風〕かりゆしぬ船(フニ)に かりゆさ小(グヮ)乗(ヌ)して〔縁起良き船に、縁起良き事を乗せて〕ハリヤゥー フニヤゥ ユウハイセー ナンチャ ユウハイセー ササ ユウハイセー〔船よ、よく走るのは、なるほどよく走るのは、ササ よく走るのは〕旅(たび)ぬ 行(い)ち戻(ムドゥ)い 糸(いと)ぬ上(ウイ)から〔旅の往復路は、絹糸を引く様に滑らかに〕思(ウム)て 花(はな)咲(さ) 共(トムゥ)に シヂ引(フィ)かち〔この思いは花をも咲かせて、共に神霊力を引き寄せさせて〕ハリヤゥー フニヤゥ ユウハイセー ナンチャ ユウハイセー ササ ユウハイセー〔船よ、よく走るのは、なるほどよく走るのは、ササ よく走るのは〕かりゆしぬ船(フニ)ぬ 走(ハ)るが美(チュ)らさ〔縁起良き船の走りは、なんと美しい事よ〕
2006年04月12日
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沖縄民謡「紺地小(クンジグヮー)」(一二揚・三下げ)作者不詳(男)初(はじ)みてぃどぅやしが 無蔵(ンゾ)が手(テイ)にしちょるうぬ花(はな)ゆ譲(ユジ)てぃたぼりジントー譲(ユジ)てぃたぼり〔初めてお会いするアナタですが、どうかアナタが手にしているその花木を一枝譲ってほしい。頂けないでしょうか〕(女)梅(ンミ)桜(さくら)やりば 里(さとぅ)にうさぎむぬ 草花(くさばな)ゆやりば 許(ゆる)ちたぼりジントー許(ゆる)ちたぼり〔梅や桜ならばいざ知らず、これはアナタに差し上げる様な花木ではありません。お許しくださいね〕(男)梅(ンミ)桜(さくら)やりば 我が庭に咲(さ)ちょん 無蔵(ンゾ)が手(ティ)にしちょる 花どぅ欲(フ)さるジントー花どぅ欲(フ)さる〔梅や桜などは、私の庭にも咲いているよ。違うよアナタが手にしている花こそ、欲しいのだよ。アナタの花が欲しい〕(女)節(シチ)知(し)らん花や 匂(ニウ)いねやびらん 恥(はじ)かさぬ里(サトゥ)に 上(あ)ぎぬなゆみジントー上(あ)ぎぬなゆみ〔四季をも知らぬ花には香りなどありませんよ。お恥ずかしいのでアナタに差し上げる事など出来ましょうか。出来ましょうか〕(男)花(はな)ぬ縁(イン)勝(まさ)てぃ あん美(チュ)らさ無蔵(ンゾ)や 蝶(ハベル)なてぃ 飛(トゥ)ばわ 我(ワ)自由(ジユ)なゆみジントー我(ワ)自由(ジユ)なゆみ〔この花木の縁が強くなり、花の様に美しいアナタの側で、私は蝶になり自由に飛び回りたい。アナタの側で自由に飛びたい〕(女)我(ワ)んや 籬内(ましうち)ぬ 蕾花(チブミハナ)やてぃん 里(サトゥ)が仕情(シナサキ)に咲(さ)かちたぼりジントー咲(さ)かちたぼり〔私は、垣根の中のつぼみであっても、アナタの(私を想う)心の力で咲かせてくださいね。どうか咲かしてくださいね〕
2006年04月11日
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『演技役割』「ジカタ(地方)」〔三線と歌を担当〕「ジウテー(地謡)」〔ジカタと同じ〕「メーカタ(舞方)」〔踊り手〕「シンカ(臣下)」〔エイサー用語では、隊メンバーを指します〕「ハタムチャー(旗持ち)」〔隊列先頭で青年団・エイサー隊旗を掲げ持ち、信頼すべき役割です〕「サキカタミヤー(酒肩持ち)」〔酒カメを天秤の縛り付け二人一組で担ぐ役〕「ハントゥー(半斗)」〔与勝地域でサキカタミヤーの事を指します〕「チョーギン(狂言)」〔場の雰囲気を上げる笑い芸能〕「チョーギナー(狂言者)」〔笑い芸能役〕「サンラー(三男)・マーサー」〔エイサー用語では、平敷屋青年会の前舞いをする二人組の名前〕「チョンダラー(京太郎)」〔隊列を整え、臣下をサポートしながら、テンポや曲調を伝え盛上げます。重要な役割を担います〕「ナカワチ」〔チョンダラーと同じ〕「サナジャー(褌・ふんどし)」〔褌その物。褌をした京太郎〕「アカサナジャー(赤褌)」〔赤い褌をした京太郎。かつて大和文化を強要された事への風刺〕「ダイサナジャー(垂れ褌)」〔垂れ下がった褌。だらしのない様子を表したエイサー曲でもあります〕「京太郎(チョンダラー)」〔チョンダラーと読みますが、エイサーのチョンダラーとは違い、単独の京太郎舞台芸を言います〕「ヘーシ(囃子)」〔ジカタとエイサー隊との掛け合わせ言葉や気勢を言います〕
2006年04月10日
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『エイサ-演舞で使われる鳴り物』「太鼓(デーク)」〔太鼓を総称します〕「締め太鼓(シメデーク)」〔成型された鼓面を縄で締め付けた手持ち太鼓。エイサー主流太鼓となっています〕「大太鼓(ウフデーク)」〔樽と同じ様に板を貼り合わせた胴に両面薄い牛皮を鋲止めしています。中華太鼓と同じ赤を胴に塗っています〕「パーランクー」〔薄い牛皮を片面に貼り鋲止めした小型の太鼓です。丈夫なタンバリンをイメージしてくださいね〕「臼太鼓(ウスデーク)」〔両貼り中型太鼓です〕「鉦鼓(ソーグ)」〔元は仏教法具ですね。凹をひっくり返した面を細い木槌で叩きます。石川青年エンサーなどで使われていますね〕「チジン」〔直径10cm銅製の鉦です。凹の内側を小さな鹿角製とんかちで往復叩きします〕「ケンケングヮー」〔韓国チャンゴのケンガリ。取手付き鐘です。金武町並里区青年エイサーなどで使われていますね〕「銅鑼(ドぅラ)」〔まさしくドラ。勝連比嘉エイサーなどで見かけますね〕「法螺(ブラ)」〔法螺貝です。山伏などの法具ですね〕「ピーラルラー」〔説明上、チャルメラです〕「四つ竹(ユチダキ)」〔竹製のカスタネット。手に挟み鳴らします。女手踊りの小物ですね〕「三板(サンバ)」〔黒檀・紫檀製が良いですが、三枚の板を片手指の間に挟み、反対手指で板を叩きます。片手指をしなやかに、板に叩きつけると、流れる様な音色が再現できます〕『エイサー装束』「打掛(ウッチャキ)」〔打掛と言うより、簡易陣羽織ですね。エイサー衣装の定番にあたりますね〕「鳩間姿衣(ハトゥマスガイ)」〔舞踊「鳩間節」で使われる衣装〕「帯(ウービ)」〔腰に巻き、横に垂らせば「ナガウービ」となります〕「サージ」〔鉢巻布。手拭いを「ティサージ」と言います。近年ではタオルも「サージ」と呼びます〕「手拭い(ティサージ)」〔女手踊りの小物として肩に掛けたり、手に持ち踊ります〕「繭頭巾(マンサージ)」〔長いサージを指します。頭に巻く紫や赤のサージを言います〕「長手拭(ナガサージ・ジッチン)」〔長サージや頭巾を言います。一枚の長い布(2.5mから3.0m)です〕「ミンサー帯(ミンサー)」〔ミンサー織りの帯〕「紺地(クンジー)」〔紺色浴衣。女手踊りが着る紺地の絣〕「芭蕉布(バサージン)」〔芭蕉布製着物です。今では京太郎(チョンダラー)だけが着ています〕「マヤーガーキー(猫掛けという意味)」〔襷(タスキ)をいいます〕「花織(ハナウイ)」〔織り目が浮き出た独特の織物。ハナウイティサジ(花織り手拭)。女手踊りが使います〕「棕櫚皮(スルガー)」〔棕櫚(シュロ)皮製のチョンダラーが頭にかぶる小物。ちょんまげの風刺とも言われていますね〕「クバ扇(クバオージ)」〔チョンダラーが手に持つクバ(ビロウ)葉の扇です〕「クバ笠(クバガサ)」〔クバ(ビロウ)の葉でつくられた三角帽子〕「面垂れ笠(ビンダレー)」〔顔を隠す大きな笠です。屋慶名・平敷屋などのチョンダラーが使用していますね〕「コーガーキ」〔頬被り(ほっかむり)の事です。アンガマ従者スタイルのエイサー隊がありました〕「島草履(シマサバ・シマジョーリ)」〔草の履物(クサバキ)が省略され「サバ」。ビーチサンダル〕「采配(ゼイ)」〔棒の先に布を数枚つけた采配棒。屋慶名エイサーでは「スーダシ」と呼びます〕「扇子(オージ)」〔手踊りが持つ扇子。扇も扇子も名称は同じですね〕「風車(カジマヤー)」〔風(カジ)車(クルマー)のこと。「花ぬ風車(カジマヤー)」を演舞曲に取り入れている処では、風車を小物として使います〕 ■エイサー太鼓 特大 エイサー大太鼓 一尺五寸 生命(ぬち)燃えるうた~沖縄2001 エイサー締太鼓 今日のほこらしや晴れ舞台 羽織れば香る古のロマン エイサー用打掛8 ■エイサー衣装 打掛(紅型/赤えり) 沖縄の素材写真が満載!沖縄天国No80325アップ祭10 0330アップ祭10 今日のほこらしや晴れ舞台 羽織れば香る古のロマン ちょんだらー衣装 エイサーてぬぐい ■パーランクー 大 おきなわのうた~ROKレコード名作集~ ■エイサー用衣装 脚絆 エイサーガーエー
2006年04月09日
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沖縄民謡「浜千鳥」は、系譜とも言いましょうか、〇〇浜千鳥と呼ばれる唄が幾つもあります。南洋浜千鳥は、本調子です。島尻浜千鳥は、三下げです。舞踊に使う浜千鳥は、二揚げです。三線の調子(ちんだみ〔調律〕)により、曲調を変える事で雰囲気を変化させて唄っていますね。曲の内容は、一番・二番主人公(性別不詳)は、肉親と別れて(死別?)旅をしています。寂しげに感じる浜にたどり着きました。その浜では、千鳥が遊んでいます。その光景を眺めながら、肉親の事を思い出しています。三番海を隔てて離れ離れの愛しいアナタ(彼氏・彼女)愛しいアナタにも、私と同じ月の光が差していますよね。四番愛しいアナタが、「シバシバ」来てくれる様にと「柴木」を植えて待ちましょう。「また来て」もらう為にと「真竹」を植えて待ちましょう。通常「浜千鳥」は、二揚で物悲しく弾きます。しかし南洋浜千鳥は、本調子です。弾き方のコツは、中位手付きで三線を弾きます。普通に弾く場合人差し指が担当する押さえ位置(勘所)は、乙・上・五中指担当は、老・中・六小指担当は、下老・尺・七・以下の勘所ですが、中位手付きの場合人差し指担当は、老・中・六中指担当は、下老・尺・七小指担当は、八の勘所を押さえます。〇老四中尺工中合工六尺工中合工六七合七六工合工六工中尺工中六四〇合八七六工合工六工中尺工中六四工四合タビヤハーマーこの流れは、沖縄!を感じさせる音階曲調になりますね。運指すると、聞きなれたあのTHEBOOM「島唄」やビギン「島人ぬ宝」に似ていますね。沖縄民謡「浜千鳥節(はまちどぅい・ちじゅやー)」二揚旅(たび)や 浜宿(はまヤドゥ)い草(くさ)ぬ ヤレ 葉(ファー)どぅ 枕(まくら)寝てィン 忘(ワシ)ららん我家(ワヤ)ぬ ヤレ 我親(ワヤ)ぬ御側(ウスバ)〔旅をしながら、浜を宿として、草葉の枕で寝ても忘れられない、私が住んでいた家の事、親の側で寝ていた幼き思い出〕(千鳥(チジュヤー)や 浜(はま)をぅてぃ チュイチュイな)〔千鳥よ、浜に居てチュイチュイと鳴いている〕旅宿(たびやどぅ)ぬ 寝覚(ニザ)み枕(まくら)側立(スバたてぃ)てぃ思出(ウビヂャ)すさ昔(ンカシ)夜半(ユワ)ぬ 辛(チラ)さ(千鳥(チジュヤー)や 浜(はま)をぅてぃ チュイチュイな)〔旅先宿の目覚め時、枕を立てて横寝しながら、昔の事を思い出します、そんな夜はツライです〕渡海(トゥケ)や 隔(ヒ)ぢゃみてぃん照(ティ)る 月(チチ)や 一(ヒトゥ)ち彼処(アマ)ん 眺(なが)みゆら今宵(キユ)ぬ 空(スラ)や(千鳥(チジュヤー)や 浜(はま)をぅてぃ チュイチュイな)〔海を渡り隔てていても、アナタとワタシに照る月はひとつです、アナタも眺めていらっしゃいますか 今宵の空を〕柴木(しばき) 植(う)いてぃ 置(ウ)かばしばしばとぅ いもり真竹(マタンィキ) 植(う)いてぃ 置(ウ)かば又(また)ん いもり 忍(シヌ)ば(千鳥(チジュヤー)や 浜(はま)をぅてぃ チュイチュイな)〔愛しいアナタが、「シバシバ」来てくれる様にと「柴木」を植えて待ちましょう。「また来て」もらう為にと「真竹」を植えて待ちましょう〕 かりゆし沖縄(うちなー)~琉球舞踊曲 奄美特産 黒糖焼酎 浜千鳥乃詩 900ML 伝統の染色技術 染 浜千鳥縮緬 正絹オープンにつき今回限りのお値段です 沖縄島唄の伝説 海・恋・戦~嘉手苅林昌全集琉球舞踊雑踊り「浜千鳥」
2006年04月08日
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「言葉とヘーシ(掛け声)」 『ウニゲ・サビラ』〔お願い、いたします〕『ユニゲ・サビラ』〔世(幸せな世)をお願い、いたします〕『クマカラ・イリンディ・イミセータン』〔ここから、お入りと、おっしゃった〕『ワッター・シンカ』〔我らが仲間〕『ヘーシ・ヨーサヌ』〔掛け声が弱いぞ!〕『ヘーシェー・ネーラニ』〔掛け声がないぞ!(元気がないぞ)〕『ヘーシ・ディキラチ』〔掛け声も元気よく!〕(ディキラチ)ラップ言葉に似てテンション上げにも使えますね。『ヒーテェー・ネーラニ』〔酔っているのか?〕『カリー、嘉利吉(かりゆし)』〔縁起の良いことや目出度いこと。乾杯では「カリー」とも言います。『○○シンカ・ンナスリティ・エイサーシーガル・チャービタル』〔○○エイサー隊が、全員揃って、エイサーを踊りに、やって来ました〕 「踊り方表現」『ティーモーイ』〔素手踊り。エイサー踊りですが、太鼓は持たず素手で踊ります。男性・女性が踊ります〕『イナグモーイ』〔女性手踊り〕『イキガモーイ』〔男性手踊り〕『モーヤー』〔手踊り。モーヤータイム(手踊り時の間)〕『ウドゥイエイサー』〔手踊り主体のエイサー〕『モーイエイサー』〔「ウドゥイエイサー」と同じ意味で(手踊り隊)に使われます〕『こねり手』〔女性手踊りの手の動き。カチャーシーでの手の動き〕『ジーヌー』〔芸能。地域によって「手踊り」をジーヌーと呼ぶ地域もあります〕『テークシンカ』〔太鼓隊〕『テークチリ』〔主に(パーランクー)を叩く太鼓隊〕『メーモーイ』〔前舞い。家の主人や観客を前にエイサー隊の紹介とエイサー演舞を行う宣言を踊りながら唱えます〕『メーザライ』〔エイサー演舞の露払いとして、獅子舞や棒術などの披露を指します〕『ナカモーイ』〔演舞中盤の余興的な踊り。主にチョンダラーが踊ります〕『コッケイ』〔チョンダラーのみの踊り。コッケイ踊りとも言います〕「チョンダラー隊の一人が、締め太鼓を腰に固定(縦固定と横固定の二通り)し、太鼓音に合せて10数人のチョンダラーが踊ります。平安名・平敷屋などの青年会で見られます」『カチャーシー』〔頭上の空気をかき混ぜるの意味。エイサー演舞の最後に「唐船ドーイ」などで踊ります。八重山・奄美諸島では「六調」ですね〕『バザンガー』〔舞踊の「馬山川」の曲でのエイサー演舞。珍しい滑稽な仕草が多い踊り〕
2006年04月07日
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沖縄の民話「星ぬ子願い(星の子の願い)」昔々の大昔、東西南北を十二支で表すと北極星は〔子(ね)の方角〕になります。方向を指し示す目印になる北極星は、父親的な存在。その対極(南)に〔午(うま)の方角〕を示すの星が、母親となって子供を産むことになりました。やがて南の母親星は産気づき、天大明神にお産場所を相談しました。天大明神は、しばらく下界を眺めていると、珊瑚が広がる南の海に美しい竹富島を見つけました。「子供を産むなら、水が温かく潮の流れも穏やかな竹富島の南がよいな」と、教えてくれました。早速、母親星は天大明神に教えられた竹富島の南の海に降り立ちました。そこで、珊瑚が光る海にたくさんの子供の星を産み落としました。ところが、海には、七つの海を管理する〔七龍宮神(ななりゅうぐうしん)〕がいました。七龍宮神は、怒っていました。「ええい、私の断りもなく、この海に子供を産み、しかも美しい海を汚すとは」と、大変怒ってしまいました。そこで七龍宮神は、仕えの大蛇を呼び、こう言いました。「私の海を勝手に使い、子供を産むのは許せない。直ぐ行って、あの星の子供を食べてしまいなさい」と、命令しました。大蛇は、竹富島にやって来て、大口を開けては、子供星を全て食べ殺してしまいました。こうして食べ殺された子供星の亡骸(なきがら)は、小さな星形をした砂になり、しばらく波に漂っていました。次第に竹富島南の東美崎の浜に打ち寄せられました。これが、星砂の始まりです。竹富島の東美崎には、優しい女神が住んでいる御嶽(うたき)があります。この女神が海岸を散歩していると、たくさんの子供星の亡骸である星砂を見つけました。「かわいそうな事です」と、そう思いながら砂浜から丁寧に拾い集めました。「この星砂を私の香炉に入れておきましょう」「そうすれば島祭りの時、この子供星は天国にいる母親星の午の方星のところに帰れるでしょう」こう考えた女神は、集めた星砂を自分の御嶽の香炉に入れました。祭の時期がきました。香炉に入れた星砂は、司達(つかさたち)が焚く線香の煙と一緒に、天に昇って行きました。それ以来、竹富島東美崎御嶽の年に1回の祭り時には、必ず香炉の星砂を入れ替えるようになりました。そのおかげで、星の子の魂は、砂から抜けて次々に天に昇り、南方母親星の周りで光るようになったということです。夜桜見物に少し離れて、星を見ませんか? 八重泉星砂伝説25°720ml 「星砂の島,私の島」オリジナル・サウンドトラック 宙(sora)の旅 正絹西陣袋帯 小森の帯 「古綾錦」 Four Leaves Clover
2006年04月06日
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沖縄の民話「普陀落渡海の日秀上人(ふだらくとかいのにっしゅうしょうにん)」昔々の事でした。沖縄本島北部の太平洋に面した金武湾(きんわん)は富花港(ふっかこう)に、一隻の小舟が漂着してきました。発見者は、金武間切並里村の若者が見つけました。舟は、帆柱が折れ舳先(へさき)も原形を留めないほど壊れていました。若者が中を見ると、人の姿は見えず大きな箱があるだけでした。「この大箱は何だ?」そう思いながら、恐る恐る箱を開けました。すると、中には息も絶えだえになった僧侶がいました。普陀落渡海(ふだらくとかい)です。和歌山県の那智から西方浄土を目指すと言う荒行です。大方の僧侶は、水も食料も小舟には乗せず、只身一つで死出の舟出をする、言わば即身仏状態の修行でした。この小舟に乗っていたのは、日秀上人(にっしゅうしょうにん)でした。時は、琉球王国が最も栄えていた16世紀初頭、第二尚氏の第三代尚真王の時代です。只事ではありません。若者は、なによりこの僧侶を救出しようと懸命でした。「しっかりしてください。今助けますね」と、舟箱から出し、浜港に下ろしました。若者が持っていた弁当を温めて、お粥を作って食べさせました。やがて、元気になった僧侶は立ち上がると、「誇らしや港(ふくらしゃみなと)」と、言いました。それ以来この港は「富花(ふっか)」と呼ぶようになりました。次に若者は、僧侶に涌きたての水を飲ませたく、近くの丘麓の泉に案内しました。僧侶は、その水を一口飲むと、「うん、これは良い水だ」と言い、以来茶をたてる時は、その泉の水を用いるようになり、その泉を「茶井(さーがー)」と呼ぶようになりました。日秀上人は、この若者にも名前を与えました。若者の家の近くを流れる樋川(ひじゃーがー)に因み「比嘉」の姓を与えました。その頃、ここ金武の大川に娘が水を汲みに行くと、大川上流の洞窟に棲む大蛇が娘をさらい、生肝を食うと言う噂が流れていました。村人は、恐れ戦き相手が大蛇では、退治することもできませんでした。その後、人々は大蛇を恐れ大川には、誰も近づかなくなりました。すると大蛇は、今度は近くの畑の作物を荒らしまわり、霊力で一滴の雨も降らしませんでした。村の作物は、日照りに枯れ、明日の食べ物にも困るようになりました。この話を聞くと、日秀上人は「私をその洞窟に連れて行ってくれ」と、村人に頼みました。村人が案内すると、洞窟の中から恐ろしい大蛇の唸り声が聞こえてきました。日秀上人は、その声にひるむことなく、静かにその洞窟の前に座ると一心にお経をあげました。その時、洞窟の中からはいっそう大きな声で、「わー、うおー、腹が減った生肝をくれ」と、大蛇が叫びながら、洞窟から頭を出しました。村人達は、その恐ろしさのあまり気を失いました。それでも、上人がお経を上げ続けると、大蛇は弱り始め、激しい雷鳴が響き大雨が降り始めました。そこで、日秀上人はこの大蛇を洞窟の中に閉じ込め、その洞窟の近くに金武観音寺を建てました。やがて日秀上人の名は、首里城の尚真王も知るところとなりました。そして尚真王の仏教の師となりました。琉球国の仏教の祖となった日秀上人は、那覇の地に阿弥陀・薬師・観音を祀る護国寺を建立して、琉球国の護りとしました。さらに、交易が盛んだった那覇港の近くには、後世まで那覇商人が信仰した夷堂(えびすどう)を建て、那覇の東西と湧田(わくた)の地には地蔵尊を祀る地蔵堂を建てて、仏教を広めました。那覇から首里に上る松川に、妖怪が多く出て道行く人が困っていました。上人は、松川の指帰(さしかえ)の地に、妖怪を退散させるための呪文を書いた石碑を建て、妖怪退散の祈祷をしました。この石碑と日秀上人の祈祷により、人々は無事に通れる道になりました。しかし後に石碑は摩滅してしまい何が書いてあるのか全く解読不能の為、人々はただ「松川の碑文」と言うようになりました。浦添から首里に行く途中の丘にも、妖怪が出て人々を困らせていました。日秀上人は、その丘の上には、金剛経を書いた石を埋めました。すると、その丘からも妖怪は退散し、人々が安心して交通できるようになりました。以来、お経を埋めた丘なので、人々から「経塚〔ちょうちか〕」と呼ばれるようになりました。ある時、旅人がその経塚で昼寝をしていると、近くの村人が大騒ぎをしているので目が覚めました。火事があったわけでもなければ、妖怪が出たわけでもありません。そこで、旅人が村人に聞くと、「今大地震が起きたのに気が付かなかったのですか?」とかえって、不思議そうに聞かれました。それで、旅人は近くの村がすべて大地震で揺れたのに経塚だけは、お経の力で揺れなかったことを知りました。それからというもの、沖縄では地震の時には、「経塚〔ちょうちか〕、ちょうちか」と、唱えるようになりました。
2006年04月05日
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今日4月4日は「沖縄県誕生の日」沖縄と言う名前には、二種類の由来説があります。「オキ・ナ・ハ」と言う三つの言葉から構成されている説「オキ=海の沖」「ナ=魚」「ハ=場」を意味していると言われています。「沖にある漁場」が語源だとされています。別の説では「オキ=海の奥」「ナハ=島」を意味した説「沖の島」が語源だという説もあります。〔ちなみに那覇と言う名前の意味として、『島』を意味しているとも考えられています〕歴史の教科書には、1871年(明治4)『廃藩置県』が断行されたと書かれています。が、しかし「藩」自体が存在しなくなった翌年に、日本に新たな「藩」が設置されています。その藩は『琉球藩』です。つまり今の沖縄県のことですね。その『琉球藩』が「沖縄県」になったのは、1879年(明治12)3月11日。八重山にまで広がったのは、同年12月5日です。沖縄県誕生には、複雑な事情がありました。「1609年(慶長14)」薩摩藩大名島津氏が占領するまでは、今の沖縄県と奄美諸島の一部は「琉球王国」とよばれる独立国家でした。島津氏侵攻で、琉球王国は薩摩藩の一部になりましたが、薩摩藩の政策により税徴収という搾取はあったものの(飼い慣らされた)独立王政を続けていました。「1637年(寛永14)」人頭税(税率80%)制度が廃藩置県終了したにも拘らず、「1903年(明治36)」人頭税廃止まで続く『地租条例及国税徴収法へ変換』薩摩藩政策の税「人頭税」は、そのまま徴収して、徴収先の鹿児島県の一部になる事は考えられなかった。(八重山・宮古地方のみ)「1871年(明治4)」廃藩置県では、『鹿児島県』の一部となりました。しかし、これが〔日本政府の琉球占領〕と、とらえた琉球国民は清(現在の中国)に救援を求め、日本政府に抵抗しました。事態を重く見た政府は、鹿児島県の管轄から琉球地域を分離した琉球国の首脳が管理する『琉球藩』を置くことにより事態静観することにしました。しかし、それでも琉球国民の日本政府に対する不満は根強くのこります。ついに「1879年(明治12)」3月11日琉球藩政府が置かれていた首里城へ警察官160人、兵隊400人を突入させ、琉球藩を強制的に廃藩、日本政府直轄の「沖縄県」を設置しました。その沖縄県も、「1945年(昭和20)」第二次世界大戦の日本敗戦によるアメリカ占領、米軍管理下のもと「琉球政府」が設置されます。その前年には、八重山人は台湾へ集団疎開をしていました。戦時中は、マラリアが蔓延(マラリア蚊を生物兵器として投下した説もあります)戦意喪失が目立つようになりました。「1969年(昭和44)」佐藤・ニクソン会談日米共同声明で『1972年(昭和47)沖縄返還決定』「1972年(昭和47)」5月15日『祖国復帰』
2006年04月04日
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4月3日「シーサーの日」シーサーは沖縄を代表する守り神ともマスコットとも言われるほどの存在ですね。沖縄焼き物(やちむん)の代表地『壺屋地区』からの提唱による「シーサーの日」です。シーサーとは、由来はいろいろ言われていますが、獅子が大陸より伝わったとされていますね。獅子は、百獣の王ライオンとされています。大陸には、ライオンはいません。シルクロードから伝わる話を表現する為、どんな姿かを模写して創られたとも言われています。日本本土に伝わった獅子は、地方によれば「鹿(しし)踊り」「猪肉(ししにく)」などと、表すこともありますね。神社の祭などで「獅子舞」がありますが、古くより伝わる姿は「狛犬」ともにていますね。どれも同じ線上にある守り神でありマスコット的存在ではないでしょうか。明治以降沖縄の平屋赤瓦建築の屋根に一体だけ乗っていながら、神社ではなく普通の民家にあることから、最も身近な信仰の対象であり、愛すべき存在だった事が感じられます。 獅子舞装束 頭 純金 無双獅子 (LPC・500g) 鹿踊りのはじまり~片岡良和合唱作品集 丹波篠山の猪は絶品美味の誉れが高く、脂のりは抜群!【産地直送】丹波篠山ぼたん鍋セット 【シーズー】2006年1月下旬生れの女の子 木彫狛犬30cm一対樟木 沖縄琉球雑貨瓦乗りシーサー(特大) ド迫力!!特大シーサー6(赤獅子)
2006年04月03日
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昨日はエイプリル・フールでしたね。民話の中にも、おかしな可笑しな嘘があります。沖縄の民話「三国猿の寿命くらべ」〔物食み歳上(むぬかみしーじゃ)〕昔々、ある処に、唐国の猿と大和国の猿と琉球国の猿がいました。三匹の猿は、いつも一緒に仲良く遊んでいました。ある時、三匹が散歩をしていると、大きなおにぎりが転がってきました。琉球猿がコレを拾って、「みんなで分けて食べようじゃないか」と言いました。でも、唐猿が「昔から『物食み歳上』と言って、歳上を敬い、先に食べて頂く風習があるよな」「ここはこうだ。コレは一番歳上が食べるモノだ」と、言ったので皆で歳を比べる事になりました。まず、最初に唐猿がこう言いました。「私が生まれた時には、天と地はまだ別れていなかったな」こう言いました。負けず嫌いの大和猿はこう言いました。「私が生まれた時の海の水は、まだ茶碗一杯分だったな」と、言いました。このやりとりを今まで黙って聞いていた琉球猿が、突然しくしく泣き出してこう言いました。「あなた方のやりとりを見ていると、孫(んまが)を思い出して辛くなってきたよ」「私の孫が生きていたら、丁度あなた方と同じ年頃なのにと思うと、悲しくて悲しくてたまらなくなってきたよ」と言いながら、ワーワーと泣き出してしまいました。唐猿と大和猿は、「琉球猿は、もしかして私達よりずっと歳上に違いない」「『物食み歳上』だから、琉球猿がコレを食べるのが当然だな」と相談し合い、拾った大きなおにぎりは琉球猿に渡しました。そこで琉球猿はこう言いました。「私が最初に言った様にしましょうね」そう言うと、うまく三つに分けて、みんなで仲良く食べました。
2006年04月02日
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昨日は、サニズ(浜下り)〔ハマウリ〕でしたね。大潮は今日まで、干潮は、午後3時26分(八重山地方)うす曇ですが、過ごし易そうですね。お弁当・オヤツ持参で、お出かけ日和ですよ。内地は、夕方から雨になりそう?潮干狩りもまだ出来ないかもしれないですね。瀬戸内のシンコ漁(いかなご)もあと一週間ですね。後、何処の紹介が残ってたかな? 藤田さんが炊いた兵庫県淡路島近海産いかなごのくぎ煮500g 山椒味送料全国200円! 旬の味覚!とれたての“小女子(いかなご)”を即加工♪紀州辰ヶ浜産小女子ちりめん1kg(しんこ... 【全国送料無料】沖縄恩納村漁協特選海の野菜ヒトエグサ美ら海育ちアーサ(25g)×3袋 アーサ専門店が作るサーターアンダギー ヘルシーセット(かまぼこ)大 在庫処分セール♪【島七味とうがらし】賞味期限:H18.7月 泡盛漬唐がらし 120g 【全国送料無料】美ら海育ち本場沖縄産ボリュームたっぷり!ぷちぷち食感活きてるエメラルド海...
2006年04月01日
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