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オヤケアカハチとは、波照間島に生まれの百姓でした。若いアカハチは、琉球役人が八重山百姓を牛や馬のようにこき使い、重い税をかけさせる事に怒りを覚えました。年に一度の祭り『火食(ヒークェー)』の行事まで禁止した事に、居た堪れなくなり琉球王府に反旗を翻しました。琉球国王側から見れば『逆賊』だが、農民からみれば『英雄』でした。波照間島の若い百姓であったアカハチは、それを支援する仲間と共に、豪族が入り乱れて争っていた石垣へ渡り、とうとう大浜村の酋長にまでのぼりつめました。石垣・大浜を領地として収めていましたが、琉球王府が収める重税に苦しんでいた八重山農民の気持ちを抑える事ができず、王府への納税を止めてしまいました。怒った琉球国中山王・尚真(ちゅうざんおう・しょうしん)は、アカハチを征伐するために大軍を石垣島に向けた。大戦の末、ついにアカハチは捕らえられ、首をはねられてしまう。勝った官軍から見た「オヤケアカハチの乱」(1500年)この勢いに乗って琉球国配下の軍勢は、1522年、遠く与那国までも制圧、同島の支配者、鬼虎(うにとら)を倒した。これが契機となって宮古、八重山が琉球王府の支配下に組み入れられた。尚真王は、『アカハチ征伐』を先島地域の安定を獲得し、さらに各地域の豪族を首里に集め、それぞれの位階を定め、武器の放棄を命じ(刀狩)、といった政策を次々と敢行し中央集権国家・琉球の土台を築き上げる。琉球に傅く事を拒み、滅びの道を歩んだアカハチ達と正反対の選択をした豪族もいました。宮古島に勢力を持つ仲宗根豊見親(なかそねとゆみや)です。仲宗根豊見親は、宮古が琉球王国に従属する道を選んだ。彼の一門は、石垣島の「オヤケアカハチ」与那国島の伝説女王「サンアイ・イソバ」と同島支配者「鬼虎」を制圧するための先陣となり戦ったのである。いわゆる勝ち組、征服者の側に付いた者には、褒美としていくつも歌が残されることになる。たとえば宮古島には、仲宗根豊見親の功績を称え彼の名前が付けた「アヤグ(宮古の伝承歌)」が今も数種も残っている。宮古主長である「豊見親(名高き人、の意味)」〔が、いかに島を豊かにしてくれたかの物語〕アヤグ。中には、初めて琉球の国王へ「定納品」を持って上がるその時の喜びをテーマとしたアヤグもある。八重山へ鬼虎を鎮圧した時の旅のアヤグもある。これが歴史歌の特色の一つですね。『歌は、いいメロディだから、いい歌詞だから必ず残るものでもない。』『意図的に、政治的に作られ残される歌も多く存在します。』反対に、オヤケアカハチの功績いかに勇敢に首里に刃向かったか、などという直接的な歌は、作れるはずもなく、仮に誰かが歌ったとしても一瞬の内に闇へ消えて行きますね。宮古・八重山は、琉球王国の一部となることによって、民が徹底的に搾取されたことは、沖縄の歴史をひも解けば分かりますね。1637年「人頭税(にんとうぜい)」を定める。税率80%強という過酷な税が宮古、八重山に課せられた。1902年まで続きます。〔但し、1609年「慶長の役」により、琉球国は薩摩に搾取されます〕よって、この政策は薩摩藩の言い成りでした。この重税だけでも無数の悲劇が先島に襲いかかります。その絶望の文化が歌を生み出し、その苦悩から人間らしい光を求める歌が生まれました。「安里屋ユンタ」元歌(竹富島)「渡難(どなん)スンカニ」(与那国)「与那国ぬ猫小(まやぐゎ)」〔猫小節〕など、名曲の背景には琉球が敷いた凄まじい圧政〔バックには薩摩藩〕が存在します。「安里屋ユンタ」や「どなんスンカニ」は、一握りの役人、支配層によって自分の人生を決定づけられてしまう人頭税時代の女性たちの思いを唄った歌。 同様に、宮古にもこんな唄があります。「平安名(ぴゃうな)ぬマムヤ」「平安名ぬマムリャが あーぐ」というマムヤと言う女性名をつけた伝承歌です。こんな内容です。平安名村に居た美女マムヤが、地域長(按司=あじ)に見初められて、本気になります。ところが、この野城按司(ぬぐすくあじ)は家庭持ちであり、マムヤに惚れたといっても結局はただの遊びにしか過ぎなかった。それを知ったマムヤは断崖から身を投げてしまいます。マムヤの親は、この悲しみを歌いました。「平安名ぬマムリャが あーぐ」手カゴの飯や汁桶に 副食を用意して磯の続く限り 浜の限りに捜してみてもマムリャは、ああ我が子は見つからない(歌・上田長福/訳=城辺町)その意味するところは、奴隷と変わらぬ生活を余儀なくされた女性だった。彼女が支配者に遊ばれ、身を隠した(死んだ?)ことは、どの島にも起こっていました。先の与那国の鬼虎の娘も、戦いが終わり、仲宗根豊見親の嫡子から嫁にしてやるからと宮古島へ連れて来られたものの、実際には嫡子には妻がいて、娘に待っていたのは厳しい下仕えだった。そして彼女は故郷を思って死んでゆく(…という宮古歌が残っています) 沖縄は歌の島
2006年03月31日
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明日は旧暦3月3日『浜下り』ですね。旧3月3日、浜におりて身を清めるという行事があります。海岸は、女性や家族が集まります。またこの日、各家庭ではフーチバー(よもぎの葉)を入れた草餅を作ります。『浜下り』とは、「浜の白砂を踏むことによって体が清められる」という信仰に基づいています。又、旧3月3日だけではなく、家に鳥が迷い込む〔不吉な知らせと解釈〕時など、浜下りをすれば災厄を払い解消されるという言い伝えの残る地域もあります。この行事や習慣は、沖縄に留まらず、日本各地にもあります。例えば、山間部の集落より伝播したとされる『流し雛』も「穢れや恨みを雛に託して水に流す」とされていますね。沖縄の民話『浜下り』由来昔々、アカマター(ハブをも食べるが無毒の蛇)が、若い麗人に化けて、ある家の娘の部屋に忍んできました。丁度その時、家の前を物知り爺さんが通りかかりました。「見なれない男だな」と思い、悪いとは知りつつ戸板の節穴から家の中を覗いてみました。その男は、娘をたぶらかし虚ろにした挙句、口からは長い舌をチョロチョロと出しながら、体をグルグルと娘に取り巻いていました。「やはりな。アカマターの仕業か」爺さんは、次の日その娘に、「お前の所に毎晩来る男は人間ではないよ。あれはアカマターだ。」そう言いながら、糸カゴ一杯の芭蕉の糸と針を用意させました。「今晩あの男が来たら、その糸を針に通して、あの男の着物の後ろの襟元に刺し留めなさい。」と、言い聞かせました。その日の晩、いつもの様に男がやって来ました。娘は、爺さんが言うとおりに、糸を通 した針を襟元に刺し留めました。明け方になり、男は芭蕉の糸を付けたまま帰りました。その糸を手繰って行くと、海辺の洞穴まで続いていました。手繰っていた娘は、怖いながらも洞穴に忍び込みました。すると、沢山の蛇がトグロを巻いていました。その中の一匹が、仲間に自慢げに言いました。「あの娘はもう、ワシらアカマターの子を孕んでいる。人間との間に子孫ができたぞ」そう話しているのは、紛れもなく首に針が刺さり、糸が伝っているアカマターでした。娘は怖くなり、ここから早く出たいのですが体がうまく動きません。すると、そのアカマターは、こうも言いました。「だがな、困った事がる」「三月に浜下りをされては、この霊力も洗い流されてしまう」「白浜を素足で歩いたり、潮水が足にかかったり、潮だまりを跳べば、ワシの子は流産してしまう」娘は、腰が抜けるほど恐れおののきましたが、なんとか洞穴から出る事ができました。その後、三月三日に浜下りをするとアカマターの子は流れていきました。三月の節句には、女の子には浜下りと言い、必ずご馳走を持って潮干狩りに行きます。持ってきたご馳走の中のヨモギ餅だけは、女の子が先に食べます。その後、潮だまりを跳ぶ遊びをする事になっていると言われています。アカマタ 〔Dinodon semicarinatum〕は、爬虫類トカゲ目(有鱗目)ヘビ亜目ヘビ(ナミヘビ)科マダラヘビ属に分類されるヘビの一種です。日本特産種であり、南西諸島でも奄美諸島および沖縄諸島に生息します。無毒。食性は、カエル・トカゲ・ウミガメの卵・小鳥などを食べ、時にはリュウキュウアオヘビ・ハブなども食べることがあります。気性が激しく、人を噛む事もあります。オスは、繁殖期にコンバットダンスという儀式的な戦いをします。コンバットダンスとは、繁殖期に縄張りやメスを争って行われるものですが、傷つくまでは戦いません。片方が引き下がることで決着がつくようです。結構怖いですね。
2006年03月30日
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沖縄の民話「嘉手納屋良漏池(ヤラムルチ)のいけにえ」琉球国嘉手納村屋良に屋良漏池(ヤラムルチ)と言う池があります。戦前まで、この屋良漏池は木々が行く手を遮るほど、うっそうとした森の中にありました。その奥に、約千坪の底無し大池として存在していました。その昔、この屋良漏池に恐ろしいジャー(大蛇)が住んでいました。ジャーとは、大蛇とも、龍とも、大ウナギとも人々から呼ばれているマジムン(魔物)です。屋良漏池の南には、現在米軍嘉手納飛行場になっていますが、昔は広々とした千貫田(せんがんだ)と呼ばれる平坦な農地が広がっていました。ジャーは、度々漏池から現れると、村人が汗水たらして作った千貫田の作物を食い荒らしました。またある時は、山羊・豚・牛・馬まで食っていました。しかも困った事に、このジャーの機嫌を損なうと干ばつや長雨が続きました。琉球国義本王時代には、溜まりかねた村人がジャーの通り道にカマドの灰を撒き、這う事ができなくなったジャーを捕まえて食べてしまいました。それから、七ヶ月の間、日照りが続きました。島中の全ての泉が枯れ果て、どこの田畑の農作物も茶色く立ち枯れてしまいました。人々は、食い物も飲水もなくなり、木の根をむしり、雫を舐めながら耐えていました。が、多くの人々が亡くなりました。その後、ぽつぽつと雨が降り出しました。人々は、これで災いは去ったと思いました。しかし、その雨はいつになっても止みません。七ヶ月続きました。長雨の為、煮炊きする薪も乾く事がなく底を付きました。ジメジメした状態が続けば疫病も流行り、また多くの人々が亡くなりました。人々は、徐々にこんな事を言うようになりました。「王に徳がないから、こんな災いが起こるのだ」と、義本王を責めました。この噂を聞きつけた義本王は、霊徳の高い神女に相談しました。すると、「この災いの元凶が屋良漏池に住むジャーの怒り」そう神女は言いました。義本王は、漏池のジャーに生け贄を差し出す事で解決しようとしました。程なく屋良の村に次のような高札(こうさつ)〔命令札〕が立てられました。『20歳の辰年の娘を、生け贄にすれば、その家族には一生食べ物を与える』屋良村の金持ちの娘が、ちょうど20歳の辰年でした。村人は、公儀(こうぎ)の命令だからと、その金持ちの娘を生け贄にしようとしました。しかし、金持ちは、「褒美も食べ物も欲しくはない。この娘がいなくなったら、なんの甲斐があろうか」と、村人がどう頼んでも娘を生け贄にしようとはしませんでした。ちょうどその頃、首里から屋良に来て住んでいる父と娘がいました。この父娘は、畑を耕す鍬(クワ)の持ち方すら知らぬ商売人出で、その上父親は目が見えませんでした。その為、その日その日を凌ぐのが精一杯でした。「私が生け贄になりましょう。そうすれば目が見えないお父さんでも一生食べていける」娘はそう思い、公儀に自分が生け贄になると名乗りでました。後で、この事を知った父親は娘を止めようとしましたが、その時には、もう娘を生け贄にする準備が進められていました。生け贄のその日、屋良漏池には近隣の村人達が集まってきました。娘は、降り続く雨の中、白装束を身に纏い漏池のほとりに立ちました。王が用意した供物の前で、神を祭る神女達が祈願を始めました。村人達は、固唾を飲んで見ています。すると突然、風が激しく吹き、雨が激しく降り、日頃は不気味なほど静かな屋良漏池に大きな渦巻きが起き、その中から巨大なジャーが姿を現しました。ジャーは、赤い大皿の様な目を光らせながら、次第に娘の立つ岸に近づいてきました。見物していた村人達が悲鳴を上げても、娘は微動だにせず目を固く閉じていました。ジャーは、大口を開け娘を一飲みにしようとしたその瞬間、激しい雷鳴と共に、天から真っ直ぐに稲光が下がりました。ジャーを直撃。人々は、その激しい落雷の閃光に、暫くの間、気が遠くなっていました。皆が気づいた時、ジャーの姿はどこにもありませんでした。ただ、漏池岸の岩の上に、娘がうずくまっていました。先ほどまで空を覆っていた雲が晴れ、七ヶ月も姿を見せなかった太陽の光が屋良漏池に差し込んでいるのに人々は気づきました。娘は、ジャーを退治したという功績を認められて、王より沢山の褒美を与えられました。それ以来、干ばつになると屋良村の老女達は、七個の卵を池に投げ入れる雨乞儀式を行なうようになったということです。那覇から北へ24キロ、沖縄本島のほぼ中央にある嘉手納町は、町の大部分が軍用地に接収され、毎日のように空軍機が激しい爆音とともに嘉手納の空を飛び交っています。現在でも、米軍が半分に埋め立てた屋良漏池の岸には、この娘を偲ぶかのように、神を祀る石の香炉があるということです。「七つの卵」で検索ヒットしたモノ ポポロクロイス物語(2) 火の鶏
2006年03月29日
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にいじゅんwithキースandるんた出演しました。移動が大変でした。第23回全国都市緑化おおさかフェアは、2006年3月25日(土)から5月28日(日)まで大阪城公園を主会場に開催中。「にいじゅん」HPに飛びますお疲れさまでした。「Keith Hills」(無理やり和名・丘森男らしいです)キースさんと帰りの途中、梅田駅地下の立ち飲み串かつ屋での会話(る)「後ろでは雑踏だけど、のれんがあるから、落ち着くね」(キ)「いやいや、かなりうるさいですよ。虫の声しか聞こえない事が静かではないですか」(る)「日本の文化では、障子一枚・ふすま一枚・衝立一枚で、空間の雰囲気を変える事ができるんですよ」(キ)「こんなに薄い布一枚(のれん)でですか?」(る)「目の前の飲み物・食べ物、会話を中心にすれば、後ろの雑踏は気にならなくなるよ」〈すっかり飲んで暖簾から出る〉(キ)「雑踏の音がさっきよりうるさく感じる」(る)「なっ」気になる音(不快音)は、その感覚がそちらに向いているから、演奏中の周りの雑踏に気が行ってしまうのは、集中できていない為だよね。雑踏も自分の中に取り込むと、自然に馴染んでくるよ。観客を取り込む気持ちでいると、緊張しなくなるよ。楽しい一日が過ごせました。酒蔵開き&BOSSANOVAコンサート2006/4/2(日) 14:00~2セット¥3000(株)岡村本家 金亀蔵元0749-35-2538(岡村本家)彼の所属する風流打楽“祭衆”とは、京都に拠点を置く和太鼓集団。民族性とこころの動くままに楽しむ「かぶく」気持ち、常識をやぶる「バサラ」のこころを大切に「風流(ふりゅう)」をキーワードに音楽活動を展開している。「勇壮」といった言葉で表現されやすい和太鼓から一歩ぬけでて、「やわらぎ」「かるみ」も「派手」もあり、また、それゆえに力強い迫力のある太鼓を届けている。φ(.. ) メモメモ06年度 全国講習会太鼓を打ち合いたい・・・情熱溢れるあなたと・・・毎年大好評の全国講習会が今年も開催されます!今年の講習会は“風流打楽 祭衆”一色!普段全員が揃って講習会を行うことがない祭衆が一挙集結します!そして、祭衆のメンバーがこの講習会のために書き下ろした新曲を講習いたします。2日間で10時間にも及ぶ全国講習会では、普段の講習会では味わうことのできない“太鼓”に、“講師”に、真正面から向き合うとても密度の濃い講習会です。モチロン成果発表会・祭衆限定ライブ&模範演奏もあります!そして、全国から集まる和太鼓ファンとの大交流会もアリ!ゴールデンウィークを和太鼓で始めてみませんか?06年度全国講習会 各コース共通要項日 程:2006年4月29日(土・祝)・30日(日)1泊2日時 間:29日9:30受付開始~30日16:00終了会 場:京都府ゼミナールハウス(京都市右京区京北 参加資格:太鼓が好きで、情熱に溢れる方!勝手に案内でした。M(_ _;)m もう一つ、勝手に宣伝しましょうね。キースさんの初アルバムです。 pfat?
2006年03月28日
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沖縄方言 語尾につく言葉「~である。~だ。」は、普通、目下や親しい同輩に向かって使われる言葉です。これに相当する方言は、「~やん。~やさ。」があります。例「私である」(私だ) →「わん やん」(わーやさ)「弟である」(弟だ) →「うぃきがうっとぅ やん」(うぃきがうっとぅ やさ)「子供である」(子供だ) →「わらび やん」(わらばーやさ)それに対して目上に使う丁寧体「~です」は、「~やいびーん」となります。例「私です」→「わん やいびーん」「わー やいびーん」「弟です」→「うぃきがうっとぅ やいびーん」「子供です」→「わらび やいびーん」「わらばー やいびーん」おじいさんやおばあさんなど、目上に対しては「~やいびーん」をつかいましょうね。「~やさ」より「~やいびーん」のほうが、かわいく聞こえますね。 沖縄 地名の由来を知る事典 【100年以上も沖縄で愛された名菓】注文後に作るタンナファクルー 「お客様と信頼の絆を交わし...
2006年03月26日
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3月25日 「電気記念日」1878(明治11)年3月25日日本で最初に電気灯が灯ったのを記念し、1955年日本電気協会が制定したものです。これは東京銀座木挽町に中央電信局が開設された時の記念パーティーで、会場となった虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)ホールにイギリス人教授エーアトンの指導により50個のアーク灯がともったものです。アーク灯とは、強烈な光を出すアーク放電を利用した電灯で、電流の通り道が弓なりになっているところから、アーク(弓形)という名前がつけられました。発光部が電極の温度放射によるものを一般にアーク灯といいます。構造として、電極に炭素(カーボン)を使用しています。今の家庭用電源ではなく、直流電源を必要とします。2本の電極炭素(カーボン)を 「+」 極(太さは60Aの場合9mm) 「ー」 極(太さは60Aの場合8mm)に接続し、接触させて電流を流して直ぐに、カーボンを引き離すと電極間にアークが発生します。このアークにより、電極は高温となり 「+」 極には 「ー」 極からの電子の働きで先端にくぼみ(クレータ)ができここから強烈な光がでてきます。この光を利用したのがアーク灯です。しかし、光色は青白く輝度も高く眩しい為、効率もあまりよくありませんでした。電極を発光させる手順を機械的に行う装置などの複雑な操作などが不便でした。その他に光の不安定さ(溶接のバチバチと同じ)音(やはりバチバチやジーッという音)煤ける(カーボン蒸発のススで空気の汚れ)など短所が多く、一般家庭では使いにくいものでした。しかし、この短所の多いアーク灯は、普通の白熱電球より照度が得られるため、舞台やスタジオなどにいまだにアークスポットライトとして使用されています。民間療法の足裏温浴として、この放電による熱・光を使った治療器も今だ健全です。しかし、最近ではこれに代わる電灯として新しい光源が開発され、キノセンランプなどがその一例としてありますね。エジソンの白熱電灯は、この記念する日本初の電気灯の翌年「1879年」の発明になります。 家庭用光線治療器 SANAMOA(サナモア)TYPE3 光線治療器
2006年03月25日
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御飯など食事の時に「いただきます」食後「ごちそうさま」と、言っていますか?食事の際の慣用文「いただきます」「ごちそうさま」の沖縄方言で表現すると、「いただきます」 → 「くわっちー、さびら」 「ごちそうさま」 → 「くわっちー、さびたん」直訳すると、「くわっちー、さびら」〔ご馳走になりましょうね〕「くわっちー、さびたん」〔ご馳走になりましたよ〕大量生産(同じ物を沢山作れば安く販売できる)大量投棄(賞味・消費期限の安全対策上、消費者から品を避けさせる)モノのありがたみが薄れ、消費者の意識も下がり、風説の危険情報が広がりやすい環境で、モノを生産しても、価値基準が曖昧。本物と主張しても、昨今の偽メール問題宜しく、「出所は?」「真偽の程は?」のやり取り。挙句に、それを信じたものが転落人生を送りかねない。一つ一つを感謝する〔確認する〕事が大切ですね。外を歩いて、靴底の感触を確かめた事。モノの感触。におい。風の感覚。細かな(微かな)音。光の濃淡。
2006年03月24日
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世界気象デー1950年3月23日WMO(世界気象機関)条約が発効したことを記念し、1961年に制定されました。WMO(World Meteorological Organization)の目的は、世界的な気象網の整備とそれに関連して用語・観測基準などの統一を図り、合わせて気象学の研究・教育を推進するものです。WMOは、加盟諸国の気象観測通報の調整、気象観測や気象資料の交換を行っている世界組織である。日本は1953(昭和28)年に加盟。沖縄の各離島の小学校・養護学校の卒業式があります。明石小学校、新川小学校、石垣小学校、伊野田小学校、大浜小学校、大本小学校、川原小学校、白保小学校、登野城小学校、野底小学校、平久保小学校、平真小学校、真喜良小学校、宮良小学校、八島小学校、八重山養護学校、上原小学校、大原小学校、古見小学校、波照間小学校、久部良小学校、比川小学校、与那国小学校春のセンバツ高校野球開会式がありますね。日本最南端の高校・八重山商業高校出場〔開会式の行進練習の成果は如何に?〕こんな記事を見つけました。『ウミンチュも精力的に駆除。ダイバーも冷たい海でオニヒトデを探します。潜るたびに50匹以上あがる現状は、心配です。ただ、あがるオニヒトデはサイズが小さくなっています。また来る4月にはオニヒトデの産卵期です。サンゴがオニヒトデの卵を食いきれるように健全であれば、よい方向に向かうとのこと。また魚もオニヒトデの卵を食べるようで、魚も増えてくれれば八重山のサンゴ礁は救われる。となれば観光資源のサンゴ礁を守るのは、魚と健全なサンゴ自身。サンゴが健全であるためには、陸から流れる河川の水質も問題。オニヒトデ駆除への支援は、陸域からもできることがあるのでは・・・?。去年の八重山近海のオニヒトデ駆除数本島近海よりはるかに多い駆除数です。八重山漁業協同組合ボランテア05年3月30日駆除数273匹/積算11,533匹環境省自然再生推進事業05年3月26.27日駆除数242匹/積算11,260匹八重山ダイビング協会環境対策班05年3月17.23日.4月14日駆除数94匹/積算11,018匹』ここからは、イルカクジラ.comより抜粋します。『オニヒトデが好んで食べるサンゴは、希少種や生育に年月のかかるサンゴを含みません。好んで食べるサンゴは著しく成長の早い非造礁性サンゴのシコロサンゴ、ミドリイシ類。オニヒトデは、けっして一定地域以外のサンゴを食べ尽くしません。また、世界の海洋全域にはいません。サンゴを食べるオニヒトデにとっては、私たち人間よりもずっとサンゴが大事なのです。環境の悪化さえ影響しなければ、オニヒトデがサンゴを食い荒らしても、3~5年経てば、必ず元の環境に戻ります。(海域、条件により変わります) ('98年大規模白化現象以降の観察から導き出したものです)サンゴ礁の発達には、オニヒトデは欠かすことの出来ない生物です。(サンゴの世代更新や発育の限界に達したサンゴ礁を、ほぼ一掃し、次の世代に繋いでいます)魚やサンゴ礁に生きる生物の数や種類が激減してきているのはオニヒトデのせいではありません。実際にオニヒトデ駆除を続けている地域では、完全に駆除しきれないばかりか、いつまでもオニヒトデが数多く見掛けられています。もちろん駆除を続けても漁獲高は減り続けています。目に見えない海洋汚染もかなり進んでいます。目に見える現状だけではなく、そこに潜む問題も総合的に考えなければなりません。これ以上、人間が経済優先・目先だけのことを考え、自然を破壊する行為は許されません。自然界にない物を作ったり、地球環境のバランスを崩している私たち人間は、もういい加減にしないと人間のみならず、地球に生きるほとんどの生物をも死滅させてしまうことになるでしょう。オニヒトデにより、一時期に一部海域のサンゴ礁はダメージを受けますが、サンゴ礁の発達で考えると必要なことです。サンゴ礁(自然)のバランスが崩れ始めているところに、オニヒトデを駆除するということは、さらに環境破壊に拍車を掛けることにつながります。しばらく我慢して、別の近くにある素晴らしいサンゴ礁に出掛けて下さい。環境汚染の影響がない限り、数年後にその場所は、以前にも増して素晴らしいサンゴ礁が見られることとなるでしょう。先を見越した場合、必ず後悔しない結果となります。まだサンゴ礁のある海には自己回復力が残されています。目先のことだけを考えずに、その力を信じて下さい。('98サンゴの白化現象時からのその地域の変遷を見てみれば確信できるでしょう)逆に、環境汚染が進み、サンゴが減っている地域に残るサンゴを守ろうとすることに、その意義があるかも知れません。ただし、そのような場所にオニヒトデが大量発生することは基本的にはありませんが。。。また、自然の一部ととらえ、サンゴとオニヒトデを観察するというエコロジカルな観光の方法も考えられます。※どうしても、経済的な問題で、自分たちのサンゴ礁を守りたいのであれば、観光や漁業で必要とされる海域のサンゴ保護目的での部分的な徹底したオニヒトデ駆除または排除(陸でいう畑のように必要なところを管理する)が必要なのかも知れません。しかし、数年、または十数年おきに保護海域を変更することが望ましいことでしょう。』どちらの意見も、今を生きる者にとって大切に守らなければならない事です。自然淘汰や弱肉強食の世界を、人間社会の個々の感情でコントロールしてるとも思えます。例えば、(モノの例え)この高校球児の親が漁師で、不漁の為に応援や遠征にも連れて行けない場合。魚の居住区を荒らすモノを駆除して、豊漁を目指す。ダイビングショップ経営の場合。観光客に喜んでもらえるポイントを荒らすモノがいた場合。サンゴを守る為、駆除。青い海・白い浜・綺麗なサンゴ礁が、売りの観光事業の場合。駆除して客誘致。自然のサイクルで回復する為にも、汚水を海に流さない。ゴミの回収。赤土の流出を阻止。後は、「『島時間』が解決するはずよ」 南の島の自然誌
2006年03月23日
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「国連水の日」1992年12月22日第47回国連総会本会議において、『毎年3月22日を「国連水の日」とする』ことが決議されました。「国連水の日」には、水資源の保全・開発やアジェンダ21(持続可能な開発のための行動計画)の勧告の実施と普及啓発活動を行うことが提唱。 国内の「水の日」と「水の週間」は、毎年8月1日「水の日」とし、この日を初日とする一週間を「水の週間」として定めています。水の貴重さや水資源開発の重要性に対する国民の関心を高め、理解を深めるため各種の行事を国、地方公共団体及び関係諸団体が連携して実施しています。沖縄本島では、水供給は、国管理ダムから約50%を取水しているものの、河川からの取水割合がやはり占めています。その為、小雨が続くとも、一定量の降水が認められないと〔渇水状態〕になり易かった。しかし、1972(昭和47)年〔本土復帰当時〕毎年毎年起こっていた給水制限は、水資源開発の整備とともに徐々に改善傾向にありました。1981~82(昭和56~57)年に起きた大渇水以来、何度かピンチに見舞われました。渇水におちいることなく、安定した水資源を確保することは、県民の生命に直接関わるだけに、大変重要な問題だといえます。本島でこの状態でしたから、離島の整備が整い難い地域では、その当時でもやはり『天水(雨水)』に頼っていました。沖縄本島には、結構高い山もありますが、大きな河川が無く古来より水不足問題がつきます。そこでダムにより安定供給を目指そうと、開発されていきました。その一つ、沖縄県の本島のほぼ中央の「うるま市」にある倉敷ダム。このダムの構造は、本土建設のダムのようにコンクリートのアーチではなく、岩を積み上げて水を堰き止めたロックフィルダムを採用しています。がしかし、この様な対策がなされていながらも、今も続く基本的に、慢性水不足であり、残念ながら「美味しい水」にはありつけないかも知れませんね。沖縄の風景の一部にもなっている住宅の屋根には、給水タンクが座っていますね。沖縄本島の年間降水量は那覇で約2000mm、名護で約2200mmと、山地の多い北部のほうが多く、年により降水量の変動が大きいという特徴があります。また、降雨量は年間を通じて平均的にもたらされるものではなく、5~6月の梅雨期及び8~9月の台風に集中しており、この4ヶ月間に年平均降水量の約45%がもたらされています。つまり沖縄の降雨は、年間を通じて季節変動が大きいといえます。沖縄の人々は、古来から水に苦しんできました。先人達は、水をどのようにして確保するかという問題にとりくみ、さまざまな工夫と技術がうみだされました。それと同時に水に対する深い尊敬と信仰も深まりました。自然の雨水を貯めて置く「天水かめ」地下水や湧き水を利用する「井泉(せいせん)」である「ガー(川)」や「ヒージャー(樋川)」は、水道が発達した今も尚、古来から変わらぬ信仰の対象として沖縄各地にその姿を見ることができます。一つの事柄、「水不足」ここからも、自然に対する敬意と恐れ、自然と言う『神』への信仰心が自然を大切に保とうと、古来から語りかけている様に感じます。ある種宗教ではなく、生活を脅かす自然の力に対して、願いや恩恵に対する感謝の気持ちが、薄れている昨今の事例が、心に残っています。もっと先人の声に耳を傾けてもいいのではないでしょうか?もう聞こえなくなりましたか? 【送料無料】軽量コンパクトMSR MIOX(マイオックス)浄水器 セラミック浄水器「百年のしずく」流星(5L) ミネラル水がドバドバ使い放題!元気の水12Lタンクタイプ【アルカリイオン水】【マグネシウム】... 手動式浄水器<mizu-Q1000> ◆超細密フィルター採用!!クリスタルヴァレー逆浸透膜浄水器アンダーシンクタイプ 【ミネマリ... 一戸建て用軟水器「軟太郎」 田舎暮らしの論理
2006年03月22日
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日本一早い夏!最南端・八重山の海びらき2006日時:3月21日(火)春分の日会場:小浜島 はいむるぶしビーチお問合せ先:八重山ビジターズビューロー事務局(石垣市観光協会内)電話番号:0980-83-6324 プログラム:9:30 海びらき祈願9:45 オープニング9:50 開会あいさつ9:55 主催者あいさつ10:00 海びらき宣言10:05 オープニングテープカット 初泳ぎスタート(海上収穫祭)10:20 手旗アピール10:30 創作太鼓 群星エイサー隊10:50 ミス八重山発表11:20 夏到来!海開きファッションショー(予定)11:50 ビーチ綱取り12:10 郷土芸能 小浜婦人会12:25 閉会のあいさつビーチサイドにて ・歴代ミス八重山写真パネル展・「第6回未来に残そう青い海」図画コンクール入賞作品展・宝さがし・エビ掴み取り ・シュノーケル講習会・水上バイク試乗会・AED・CPR講習会
2006年03月21日
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3月20日は「LPレコードの日」「1951(昭和26)年」日本コロムビアが『LPレコード(長時間レコード)』の名称で音楽記録円盤を発売しました。これを記念して「LPレコードの日」LPと言うモノ自体が、日本コロムビアのレコードを示す商標なのね。キャタピラが三菱の専売製品名称と同じ事かなちなみに「レコードの日」は〔0510〕5月10日
2006年03月20日
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沖縄の民話「疫病神(病気の神様)のまじない」昔々、海が荒れたある日、一隻の船が難破して、海岸近くに打ち寄せられてきました。島人達は、暴風雨の中、皆で浜に出て船に乗っている人達を助け出しました。普通の船のはずなのに、この船に乗っている人達は皆、青白い顔をした人おできが身体中にできている人高熱で苦しんでいる人下痢や吐き気のある人セキが止まらず苦しそうな人目がうつろに起き上がることも出来ない人など、病人ばかりでした。島人達はそれでも、食事の介助や着替えなど介抱しているうちに、船に乗ってきた人達もだんだん元気になってきました。船もかなり壊れていましたが、島人達が何日もかかかって修理しました。そして船に乗ってやってきた人達が帰る時に、島の人達に言いました。「私たちは今日帰るのだが、あなた方は私達を何者だと思っているのかい?」しかし、島人達はそう言われても返事のしようがないので黙っていました。「私たちは普通の人間じゃない。私達は病気の神『疫病神』だ」と、素性を明かし始めました。一人は風邪ひきの神一人は疱瘡(ほうそう)の神一人は疫痢(えきり)の神と、紹介しました。全ての人達が、恐ろしい病気の神様だったのでした。「あなた方は、私たちを助けてくれて、船までりっぱに直してくれた。あなた方は良い人達だから、この島には病気を流行らせないで帰ることにしよう」「お礼に病気を防ぐ『まじない』を教えてやろう。」風邪神は、こう言いました。「四月の『アブシバレー(田あぜの虫払い)』をする時に、豚の血を鉄木(テツボク)の木の葉につけて、村の入口に下げると、それを目印にして中には入らないとしよう」八百万(ヤオヨロズ)病気神は、「八月十日に、ススキを取り、桑の葉と一緒に家の入口と角々に差せば、その家には入らない事を約束としよう」と、島人達に教えて、島を出ていったそうです。 アンティークな風合いがイイ!田舎塗り削り箸【夫婦2膳セット:黒箱入り】 【還元祭0313】 鉄木 23.5cm 全長が47cmの可愛い【ミニすすきピック】G*G-7157-26 クワノハ(桑葉 クワヨウ) 30g 桑の葉茶 桑葉100%
2006年03月19日
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3月18日 「精霊の日」万葉集を代表する歌人『柿本人麻呂』女流歌人の『和泉式部』『小野小町』この3人の忌日が共に3月18日と、伝えられていることからこの日を「精霊(しょうりょう)」〔死者の霊魂の意〕をさしています。「精霊」(せいれい・しょうらい・しょうりょう)とは、本来、仏教用語であり、死者の魂を指します。その意味の場合は、(しょうらい・しょうりょう)などと読みます。精霊流しの読み方や意味の感覚も同じですね。万物有魂論(アニミズム)的に解釈すれば、〔万物の根源をなす気〕〔万物に宿る魂〕となり、そのものが人格化したものを「スピリット(spirit)」と言います。「スピリット(spirit)」を語訳すれば、精霊(せいれい)にもなりますね。アジア伝統音楽を口伝継承する時奏者のメンタル・スタンスとして、「精霊の声が、(その楽器や声楽を奏でる)前から聞こえてくる」という表現で指導されます。『天の神との相互交信』『先祖の霊の言伝(ことづて)』『神に懇願する方法』このような「アナロジー」〔他の似たものの性質や体系をもって、あるものを説明しようというときに用いる〕の使用は、認知心理学や音響学という学問的見地がまだ未発達だった時代に、どのように後世へ演奏美学を伝えるかという『古来先人の知恵』でもありますね。神秘的な世界への憧れもあるでしょうが、『先祖が居たから、自分達が居る』これが、本来の心境で無いでしょうか。難しく解り難い事柄を来世にどうやって伝えるか「正しい事は何なのか」 発見!和楽器の魅力~吹奏楽器1 日本音楽まるかじり 神様たちと暮らす本 元始音霊縄文の響き
2006年03月18日
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全国にニュースとして流れなかった事件記事です。『琉球新報』['06.3.15 朝刊 23面]前回も悲しい事件ですと、お伝えしましたがまた同じ団体が起こした事件です。内地でもある仏像盗難事件と同じか、沖縄独特の宗教観からの違いなのか、全国報道はされていません。この時期の国旗・国歌を云々言っている教育指導者や、子供の喧嘩までしゃしゃり出る親達。「金さえあれば何でも、、、」のITバブルの言葉何か忘れていませんか?本当に必要なモノはなんでしょうね。ネット上では、どこかの国(大陸)の女性が、ハイヒールで子猫や子犬をなぶりごろしにしている画像が垂れ流されてもいますね。当サイトにリンクして頂いている上等沖縄司会屋さんからのインフォメーションです。『島や宝シンポジウム』 ゆんたく会議期 日 2006年3月25日(土)時 間 午後2:00~午後5:00 入場無料場 所 南城市玉城中央公民館ゆんたく出演泉&やよい宮本亜門寺田麗子他みなさんの飛び入り大歓迎!リレートークなどを通じて、島の自然、記憶、大切なものについてみんなで語りあうシンポジウムです。島の明日の未来のために、地元の自然や大切なことを思い、これからのことを考えるきっかけにしましょう『島や宝コンサート』日 時 2006年3月22日(水) 18:30~21:00(開場18:00)会 場 沖縄コンベンションセンター劇場ホール 宜野湾市真志喜 4-3-1 入場料 前売1,500円 当日1,800円チケット販売各プレイガイド(チケットぴあ・リウボウ・三越ほか)主催:島や宝運営委員会 問い合わせ先:TEL&FAX 098-948-1417(鹿谷)
2006年03月17日
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「デイゴ」(梯梧、学名 Erythrina variegata)原産をインドとする、沖縄が北限のマメ科喬木落葉樹です。3~5月の初夏に独特の屈曲を持つ枝ぶりの樹冠いっぱいに、深紅色の燃え立つような花を咲かせます。 昭和47年、沖縄県の県花に制定。南国沖縄を象徴するのにふさわしい観光資源として大きな効果があるまた幹材は柔らかく、加工しやすいため、漆器の材料として用いられ経済的価値も高いという理由からです。別名エリスリナ。海紅豆が別名とされることがありますが,これは別種の「アメリカデイゴ」(鹿児島県の県花)のこと。落葉性ですが、冬に全木が落葉することは稀で、花が咲く枝のみが落葉する傾向があります。花は枝先に穂状に出ます。葉は、大きな幅の広い葉を3枚つける三出複葉で、クズの葉に似ています。幹は太くなるが、あまり高くならず、横に枝を張ります。公園や街路樹としてよく栽培されますが、根本や根からも芽が出る為、人家の庭に植えられることは少ない。琉球大学の学生がやっている合格電報の文面は『デイゴ咲く』です。ちなみに、デイゴの花が例年より沢山咲くと、その年は台風が来るという言い伝えがあるらしい。余り知られていませんが、「沖縄県民の歌」作詞者 宮里静湖 作曲者 城間繁一、 明けゆく清き 海原に なごむ島々 雲晴れて 世界にひびく暁の鐘 試練の歴史 のり越えて いま栄光の 朝に立つ ああわれら われらは誓う おきなわの 永遠の平和を二、 黒潮めぐる 百浦に みどりの山河 照り映えて 自主開発 ゆたかなる 新沖縄の 建設に いまはらからは 競い立ついざわれら われらは築く ふるさとの 永遠の繁栄を三、 光みなぎる 大空に 燃えるでいごの 花染めて 代々に承けつぎ 伝えてきた 民族文化 さん然と いまふるさとの 地を照らす ああわれら われらはつくる おきなわの 未来の文化を 食材がひきたちます!でいご 丸皿 【予約】(携帯カバーまもるくん)漆モデル(V603SH専用/沖縄漆でいご) [沖縄県] 久米島の久米仙久米島の久米仙 でいご43度 古酒 不思議な花 でいご柄 コーヒーカップ 島唄レア グルーヴィン~マルタカ特選 エキゾチカ~ でいごの花の下にa href="http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0276e307.f3591e3c/?url=http://www.rakuten.co.jp/natural-do/694287/#705548" target="_blank"> ワケあり激安セール!10個以上で送料無料!わした・でいごロイヤルポークカレー
2006年03月16日
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3月15日 靴の記念日陸軍の創始者・大村益次郎は、輸入した軍靴が大きすぎるため、日本人の足に合う洋靴(西洋草履)を作る提案をしました。これにより、1870(明治3)年のこの日、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場・伊勢勝造靴場を開業しました。人間は、裸足ではあまり行動を大きく取る事ができません。動物も環境に適応した『靴(ヒズメ)』を持っていますね。沖縄の民話「牛と馬」昔々、天の神様の住む天の国に、創ったばかりの牛と馬がいました。ある日、神様が馬を呼んで尋ねました。「馬よ、お前の希望は何かね」と神様が聞きました。馬は、「はい。人間が車輪梅(主に紬の染料)の木で、うむぐい(轡・くつわ)を作ってくれるなら、作業の力になりたいと思います」と、言ったそうです。神様は、それを聞いて馬を柔らかい野原に降ろしました。柔らかい草原では、足を痛める事もなく、馬のヒズメは丸い形をしています。でも、そのままでは、人間の生活圏では、土も石ころもある道で難儀します。人間の手助けの為には、人間に蹄鉄を作ってもらい、ヒズメを保護しなければなりません。次の日、神様は牛に尋ねました。「牛よ。お前はどうしたいかね」と言うと、牛は、「私の身なりを見てください。生まれつき角があるから、誰も近寄ろうとしない。だから、人間の手伝いなどしたくない。だけど鼻は急所だから、穴をあけてクバ葉の縄で引っ張られたら、仕方なく手伝ってやるよ」天の神様は、「そうかそうか。お前は人間を助けることがいやなら石ころだらけの山へ行きなさい」と言って、牛は石ころだらけの山に降ろされました。その時、牛の爪は大きな岩山に、こっ酷くヒズメを打ち付けて、先が割れてしまったそうです。 【フローチェ by モード・エ・ジャコモ 】●ナチュラルで優しいパンプス●FLOCE 【クラークス】 クリケッター レッドワキシーレザー ★送料無料★ (CLARKS 024847G CRICKETER) 【送料無料】あゆみダブルマジック2【新作・室外用】外反母趾や変形の痛みを軽減 介護靴、高齢者用シューズ。4E設計(母へ)送料無料商品 介護シューズ 優しい靴 パステル 102 らくらくブーツ(男女兼用) オープンブーツ(男女兼用)
2006年03月15日
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沖縄の民話「鶴と稲の始まり」沖縄本島南部に位置する、島尻郡玉城村百名(たまぐすくそんひゃくな)の薮薩(やぶさつ)の浦原海岸に琉球始神「アマミキヨ」が上陸したとされています。その海岸近くの丘麓に、どんな日照であろうとも清冽な流れが枯れない二つの泉があります。この二つの泉は、3~4mほど間を置いた石灰の岩の割れ目から溢れ出しています。一つは、ゆるやかな流れを受ける溝を意味する「受水 (うきんじゅ)」一方は、水が早く走る溝を意味する「走水(はいんじゅ)」と呼ばれています。この受水の前には、五坪ほどの小さな田んぼがあり、これを沖縄の稲の発祥の地とされている「三穂田(みーふーだー)」です。「男神シネリキヨ」と「女神アマミキヨ」は、荒波に漂っていた琉球島を固定して、現在の島の配列にしたと言われています。その神々の子孫に「アマミツ」がいました。アマミツは、ある時大陸唐国に渡った時、これまで見たこともない穀物を唐国の人達が食べていたのを目撃し、その食べ物に興味を持ちました。アマミツは、勧められ食べてみました。「おぉ、こんなに旨い物を今まで口にしたことがない」あまりの旨さに、その種を貰おうと願い出ましたが、唐国の人達からは許可はおりませんでした。アマミツは、落胆しながらも琉球へ戻り、この事を本島中部の伊波城を根城にし、海外交易を盛んに行なう伊波按司に話しました。伊波按司は中国に渡り、この穀物を食べてみました。「話しの通り、これは旨い。早速、琉球に持ち帰りたい。この穀物の種を分けてはくれまいか」と、唐国の人達に頼みました。ところが、伊波按司を仲間同然に扱っていた唐国の人達も即答で断りました。「いくらあなたでもこればかりは持たせてやることはできません。この米というものを国外には出してはならぬという掟なので、それが見つかれば大変なことになります」伊波按司は、どうしてもこの穀物の事を知りたくて、いろいろ調べてみました。この穀物は「米」と言うもので、水を張った田んぼに稲という植物に実る事を知りました。琉球島には水が湧き出る泉があり、伊波城近くにも稲を育てる環境は作れそうでした。しかし、アマミツと同じく見張りが厳しく、稲を持ち出すことはできませんでした。伊波按司は考えに考えました。「そうだ。ワシが飼い慣らした鶴を連れてきて、その足に稲をくくり付けて運ぼう」伊波按司は、琉球に戻り一羽の鶴を連れて、再度唐国に渡りました。そして、鶴の足に密かに稲を結び付け、琉球へ向けて飛ばしました。急いで船で琉球に帰り、鶴が戻るのを待ちました。が、なかなか戻ってきませんでした。しかも、強い北風が吹き始めました。「こんなに強い北風が吹いては、ここまで飛んで来るのも大変だ。南の玉城村か知念村辺りで羽を休めているにちがいない」伊波按司は、アマミツと相談して百名の伊波井戸(ガー)の上方に見張所を建てて、鶴の捜索をしましたが、いくら捜しても鶴は発見できませんでした。伊波按司は、疲れ果てて伊波城に帰りました。それでもアマミツは、諦める事ができず、探し回っていると、受水走水に近い「新原海岸(みーばるかいがん)」の西方の米地(めーし)のカラオカハの泉(現在の浜川御嶽:はまかわうたき)でとうとう鶴の死骸を見つけました。よく見ると、その鶴の死骸の側には、三本の稲の苗が芽を出していました。アマミツは、その苗を取って、受水の前の狭い田にそれを植えました。 田に実った稲穂は三本だったので、その田は三穂田(みーふーだー)と呼ばれるようになりました。こうして、稲はだんだんと琉球に広がり、とうとう国中に広まったということです。近年まで、三穂田の田植えの時には、農夫たちは頭上にミチジという団子を乗せ、酒と花米を供え、礼拝してから田植えを始め、田植えが終わると、アマエーダという神歌を歌いました。稲種を運んだ鶴の骨は、玉城殿内(たままぐすくどぅんち)で崇めていましたが、後に伊波按司のもとに引き取られ、現在でも伊波の仲門(なかじょう)家に所蔵されているということです。伊波按司が見張りをした場所の下の井戸を伊波ガーと言い、戦前まで百名の大半の村人たちの飲料水として使用していたということです。
2006年03月14日
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沖縄の民話「冬瓜蜂(チブル蜂)」昔々、大変貧しい暮らしをしているお爺さんとお婆さんが居ました。新年の終わり大晦日に、お爺さんは隣の金持ちの家から、空っぽの米俵を借りようとしました。それには、俵の底に残っている米粒をふるい落とし、それで新年を迎える御飯にしようと思っていたからです。しかし、断られました。お爺さんとお婆さんは、お腹が空いて仕方ないが、せめて囲炉裏で暖をとるだけでもご馳走と思い、薪を燃やして暖まっていました。すると家の入口戸板の向こう側から、「ごめんください。一晩だけでいいですから泊めて下さい」と、言う声がしました。家の入口に立っていたのは、見るからに寒そうな出で立ち着物の老人でした。「こんな寒い晩に旅をなさっているのですか。何もありませんが、さあさあ、どうぞお入り下さい。」と家の中へ案内しました。みすぼらしい老人は、「先ほど、隣の立派なお屋敷の主人に、こっ酷くあしらわれ困っていました」そう言って、囲炉裏側に腰掛けて、凍えた手を温めていました。「大晦日なのに食べ物もなく、火にあたっているだけですか」そう言いながら神様は辺りを見回しました。実はこの老人は、大晦日の晩に人々の様子を見て歩いている神様でした。「はい、今夜は大晦日ですが、お客様にお出しするご馳走もありません」とお爺さんが言うと、「そうでしたか。ではこうしましょう。直ぐに三つの鍋を水洗いして、それぞれに湯を沸かしてください」と、神様は言いました。湯が沸き、神様は懐から包みを取り出して粉を抓み、それぞれの鍋に一つまみづつ入れました。またたく間に、ふっくらした御飯と肉のたくさん入ったおかず、具沢山の汁ができあがりました。二人は神様と一緒に、ご馳走を食べ楽しく語り合いました。「長居してしまった。楽しいひと時を送れた」そう言いながら神様は、帰り際、「一粒、種(サニ)を置いていくからしっかり育てなさい。稔れば一度に収穫し、取り入れてその実の中身を俵に詰めなさい」と言いました。さてさて、うりずんの季節〔旧暦2・3月頃〕準備していた畑に、神様から頂いた一粒種を蒔きました。やがて芽が生え、蔓が伸びてきました。それから、毎日、お爺さんとお婆さんは水をやり、蔓を這わせる棚を作り、丹精込めて育てました。蔓はどんどん伸びて、広い畑一面に広がると数え切れないほど沢山のチブル〔冬瓜〕の実がなりました。お爺さんとお婆さんは、神様から教わった通りに、その実を全て一度に収穫し取り入れ、その実を切り、中身を出そうと、包丁を入れると、中から真っ白い米がザラザラと出てきました。俵にその米を詰め込みました。その騒ぎを聞いてやってきた隣の金持ち主人は、米の出るチブルの実を見て、「そうか、それならその神様が来たらすぐに知らせてくれ」と、お爺さんに頼み込みました。すると数日後、この前の神様が来られたので、すぐに隣の金持ちに神様が来たことを知らせました。金持ちの主人は、急いで来て神様に「私にも同じ種を分けて下さい」と頼みました。神様は、「そんなに欲しければ種をやろう。このチブルは親戚をみんな集めて収穫しなさい。チブルの実を切る時は、親戚の人もみんな家の中に入れて、全ての戸を締め切ってから始めなさい」と言いました。金持ちの畑にも沢山のチブルが実りました。収穫する時は、親戚全員で金持ちの家に運び、そしてすべての戸を閉めて、みんなわくわくしながらそのチブルを切りました。すると、中から出てきたのは、米ではなく、大きな蜂でした。そして、みんなを次々と刺し殺したということです。その後、神様がまた貧しい家に来て、「今度はお前たちの望みをかなえてやろう」と言いました。お爺さんとお婆さんは口をそろえて、「若い頃に戻して下さい」と答えました。神様は、「それなら大晦日の真夜中過ぎに、井戸の水を汲んで浴びなさい」と言ってどこかに消えてしまいました。お爺さんとお婆さんは神様の教えた通りにすると、たちまち若返りました。これが、新年若水汲みの始まりだということです。冬瓜を沖縄方言では、「シブイ・チブル・スブイ」といいます。 冬瓜(とうがん) 2kg
2006年03月13日
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午前中小学校地域の子ども会の進級・卒業・新規入会の会の出演午後奄美・徳之島県人会の会合後の出演どちらもエイサー演舞出演でした。県人会は、もう賑やかな出し物奄美古典民謡(あの独特な裏声)沖縄古典民舞(琉舞)子守り(クヮムイ)〔これは見逃しました。残念〕農村小唄浪曲マジック〔大掛かりな手品〕カチャーシーは、『六調』〔唐船どーいじゃないよ〕奄美の三線は、沖縄三線と絃だけが違い「大島絃」を使い、沖縄三線は、白い絃ですが奄美三線は、黄色い本土三味線と同じ色の絃です。
2006年03月12日
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沖縄の民話「枡(ます)の角打ち」昔々、とても仲の良い夫婦が居ました。しかし、お嫁さんは病気になり呆気なく死んでしまいました。暫くして男は再婚しました。すると、死んだはずの元お嫁さんは、夫を忘れることができずに、とうとう幽霊になってしまいました。そして、新しい嫁さんに、「あなたの夫を返してくれ」と頼みました。 新しい嫁さんは、「夫をあなたに譲る事は、夫の死を意味します。できない事ですよ」と断りました。いくら頼んでも元嫁の願いは断られるので、「それではこうしましょう。私の大事な宝物を差し上げます」「その宝は、お金でも願い事でも、叶えてくれる宝の枡(マス〔米などを計る四角い容器〕)です」と、元嫁の幽霊は言いました。しかし、新しい嫁さんは、「できません。どんな宝だとしても、大切な夫と交換など出ません」と、きっぱりと断りました。「それは、仕方がない」と、悔しい思いを残しながら元嫁の幽霊は、霊界へと帰って行きました。しかし、その元嫁幽霊の悔しい思いは、その場に残り、夫に取り付いてしまいました。途端に夫は病気で寝込んでしまいました。新しい嫁さんは不安に駆られ、「あの幽霊の言う事を、もう一度よく聞いてみたい」と考えた瞬間、宝の枡を持った幽霊が、目の前にまた現れました。新しい嫁さんは、「それは、どういう宝物なのか聞いてから、夫と交換するか考えましょうね」と言うと、幽霊はこう説明しました。「この枡のこちらの一番角からお金が出ます。こっちの二番角からは、ご馳走が出ます。またこの三番角から着物が出ます。」と、幽霊は答えました。幽霊は三つの角までは教えたが、四番角を教えなかったのを不思議に思った新しい嫁さんは、「この角の力を教えれば、夫を譲ってもいいよ」と言いました。「本当に教えたら譲ってくれますか?」幽霊が言うと、「いいですよ。 それを教えたら譲りましょう」と言って、嫁さんと幽霊は約束しました。幽霊は渋々答えました。「この角で打ち付けると、幽霊やマジムン(魔物)も、跡形なく灰になってしまいます」と、答えました。「使い方は良くわかりました。それでは交換しましょうね」と言い、嫁さんは幽霊の持っている枡を受け取り、空かさず四番角で幽霊を思いっきり打ち付けました。すると、幽霊は一瞬で灰になり、どこかへ飛んで消えてしまいました。教訓「枡(マス)の角で人を打ってはいけない」と、昔から言われています。大切な米を、大切に計る道具であり、『母』の字の元になるほどの道具。『母』は、四角い枡(ます)と戸掻(とかき)〔トーカチ〕に、おっぱいを表すとも言える豆を二つ。 1合枡 桝(中)-5540 【彫刻代(一面)込】一升枡 香り高い木曽桧材使用
2006年03月11日
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この頃、新聞紙上などで記事になっている「バイオアルコール」と言う燃料が開発されて、次世代燃料になるのではと、期待されていますね。サトウキビの糖分⇒発酵アルコールをガソリンと混合して、車を走らせる。原油だけに頼らず、省資源で、今と変わらない状況を維持する期待があり、研究や流通を整備しているようですね。その為に、粗糖の価格が上昇したり、サトウキビ農家の負担や台風などの自然災害が、大きく負荷する問題もありますね。「砂糖が腐敗する」とは聞かないですね。「腐る」の観点では、水分含有量が少なく、菌類の繁殖が遅いと言うことでしょうか。砂糖には、基本的に賞味期限の記載義務が法律上ありませんね。食品関連品としては珍しいですね。でも、その品質を考えると湿気が多い場所に長期間保存しますと、薄いカラメル状の黄ばみや粘性を帯びてきます。逆に、乾燥しすぎる場所に長期間置くと、砂糖の水分が完全蒸発し、固まってしまう事があります。が、砕いて空気中の水分を与えるか、濡れフキンなどを容器の口に被せるか、霧吹きなどで直接水分を与えれば使用する事ができます。もし長期保存が必要であれば、開封せずタッパーや缶などの容器に入れて、外気と遮断した状態と冷暗所に保存が有効ですね。適度な湿気を維持しなければならない物では、塩も同じですね。地方によりますが、スイカに砂糖やトマトにも砂糖をかける嗜好もありますね。スイカに塩をかけると甘さが増しますが、わさびに砂糖を混ぜると辛さが増します。相撲界 琴欧州の故郷ブルガリアでは、世界で一番砂糖を消費するようです。冷やし物の甘味は感じにくく、特に炭酸飲料ではあまり感じないので、かなり大量の糖分が入ることになりますね。スポーツや極度の運動や炎天下の急な水分補給には、炭酸飲料で補給すると、糖分と水分を同時に素早く摂取する事ができます。 宇宙に一番一番近い島産黒糖&きび酢セット マウイ シュガー 4本セット 七島黒糖60g×7袋 沖縄産天然塩+黒糖「塩砂糖」消費税相当額サービス! 紅芋糖 180g×3袋 創業文化元年、讃岐三谷家の手造り和三盆糖 《ハニー》色いろザラメ赤【1kg】 粗精糖 3kg メープルシュガー[顆粒]
2006年03月10日
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昨日は3月8日、サンバ・三板の日でした。中国の拍板と同系統の楽器で、御座楽の楽器として用いられます。近年、手軽に演奏できる楽器として人気があり、戦後沖縄民謡の隆盛とともに打楽器としての地位を確立しています。この三板の普及に日本三板協会(2001年)が設立。http://www.interq.or.jp/leo/campus/uchinasanba.html日本三板協会昨日の歌詞の中に、幾つ泡盛の銘柄が隠されているでしょうか?回答、歌詞に隠された泡盛の銘柄は、54種類でした。
2006年03月09日
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「泡盛物語」南大東島出身の民謡歌手「浜里保之」が、2001年9月にリリースしたCD「百年の夢・浜ちゃんの島唄」の1曲目に「泡盛物語」という、民謡調の楽しい歌が収録されています。泡盛物語 (作詞・作曲/濱里保之)1.今日は仕事でくらくらで どなんするんや与那国さん 翔がないからまさひろ君 瑞穂ちゃんでもさそってみよか さくらいちばん花見して あの子と一杯 奴樽蔵2.まずは乾杯オリオンビール 島トウフさかなに島酒さん 本場泡盛飲みましょう 老いも若きも飲みましょう 本場泡盛飲みましょう 貴方も私も飲みましょう3.多良川 暖流 夢航海 宮の華は菊之露 羽地内海 銭樽よ 春雨降ったら豊年だよな かりゆし花酒玉の露 神泉 残波は 萬座らだ4.久米島 久米仙 請福だ ニコニコ太郎と白百合さん びーと来たらはんたばる 常盤 時雨に濡れてもいいわ 紺碧主義でもハブ酒だ わんから初みてぃ千鳥足5.熱き島唄ききながら 国華せいしょう麗仕込み 南光おっしゃる北谷長老 幻の御酒に千代泉しようぜ 沖之の光だ乾杯だ びっくり響天 泡波 龍ぞ6.沖縄タイムの咲元さん 貴方を松藤 太平だ 首里天酒飲み夢語り おもと英気をつけようじゃないか 舞富名 照島 宮の鶴 八重泉さんも 山原くいなこれを聴けば、いつでも我が家は沖縄大衆食堂!! 沖縄そば屋さんのBGM
2006年03月08日
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『照屋林助』こんな肩書きがありました。よろず漫芸家・沖縄大衆文化の大家・戦後沖縄芸能における最大のスター。後の90年、コザ独立国終身大統領に就任。1929年、大阪生まれ。沖縄古典民謡は、野村流の名人「照屋林山」に学ぶ。大衆芸能は、小那覇舞天(おなはぶーてん)に師事。57年、愉快なボードビル集団、ワタブーショーを旗揚げし、爆発的な人気を呼ぶ。その後、本島周辺離島や八重山諸島の地芸能を探索し、沖縄芸能の核心を独学で研究する。息子照屋林賢(りんけんバンド)や玉城満(笑築過激団)等々が影響を受けています。「平成ワタブーショー」は、「さっそく授業をはじめます。今までは余興でありまして…」(場内笑い)「漫談」についてのウンチク、ブーテン先生のことなどの話などがあり、「山入りの呪文」でカリー(嘉例)をつけ、ようやく歌に入る。一大エンターテ-メント。「1996年」CD初のレコーディングでは、録音場所はコザ独立国大統領官邸2階の「てるりん館」その夜は玉城満、照屋林賢などの前座のライブを含めて4時間以上その中の一曲「生き返り節」特配の脂(アンダー)鍋(ナビィ)にすりなして焼(ヤ)ちゅうる平焼(ヒラヤチ)ぬ音(ウトゥ)の 清(チュ)らさよ匂(ヌヲ)いの 香(カ)ばさようりからどぅ我(ワ)ったやヨ生ち返えやびたんでえ訳意『沖縄戦が終わり、特別配給品の油〔食用油とは限らない、混合油〕を鍋肌に塗りつけ、少しの小麦粉を水で溶いたモノを延ばし焼いた、具なしお好み焼きの、「ジュー」と焼ける音、香ばしい匂い、これが感じられる事は、生きている証拠、生き返ったと感じる瞬間』こう解釈しました。しかし、去年持病の糖尿病が悪化。3月10日に亡くなりました。享年75歳沖縄では、まだ青年の年齢から、やっと認められる年齢に入った辺りのまだ若い年齢ですね。 沖縄よろず漫芸 平成ワタブーショー~沖縄チャンプラリズムの神髄1 沖縄よろず漫芸 平成ワタブーショー~沖縄チャンプラリズムの神髄2
2006年03月07日
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二十四節気の一つ立春→雨水と続き、後15日目、3月6日頃に当たります。『啓』とは、〔ひらく〕『蟄』とは、〔土中で冬ごもりしている虫〕を表します。〔地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくる〕という意味があります。この時期、北国では 福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られます。福寿草は、旧暦の正月に開花するので,鉢植えにして正月の床飾りとした習慣がありました。二十四節気(にじゅうしせっき)とは?太陽年を、その黄経に従って24等分して季節を表しています。等分点は、立春→雨水→啓蟄→春分→清明→穀雨→立夏→小満→芒種→夏至→小暑→大暑→立秋→処暑→白露→秋分→寒露→霜降→立冬→小雪→大雪→冬至→小寒→大寒→と名付けられています。
2006年03月06日
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竹富島の祭「二月祭(ニンガチマツィリ)」旧暦二月のミズノエの日(今年は3月5日)に行います。生長した麦に実が入ることを願う祭りです。『種子入れ願い(タニイリニガイ)』とも言います。島の神司及び役職者が、真知御嶽・国仲御嶽・清明御嶽で御願(ウガン)します。
2006年03月05日
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『訂正』RBC琉球放送に問い合わせたところ、申し訳ありませんm〇mインターネット中継は、今年は行わないようです。昨年は、大々的に行っていたのですが、、、11:50 第14回ゆかる日まさる日さんしんの日~第1部~ 総合司会:上原直彦 末吉りえ 島袋千恵美11:58 調弦(C調) ---グランドオープニング---12:00 ♪斉唱 「かぎやで風」 野村流音楽協会 ◆舞踊 島袋流千尋会 島袋光尋・君子琉舞練場 琉球民謡協会・国吉真勇・内里美香 :58 調弦(C調)13:00 ♪斉唱「かぎやで風」 野村流音楽協会 ◆舞踊 島袋流千尋会 島袋光尋・君子琉舞練場 八重山古典民謡保存会・マットギラン・宮良康正・比屋根孝子 :58 調弦(C調)14:00 ♪斉唱「かぎやで風」 野村流古典音楽保存会 ◆舞踊 宗家眞境名本流薫会 眞境名結子琉舞道場 田場盛信・吉田康子・国吉源次・宮古民謡研修会・前川守賢 :58 調弦(C調)15:00 ♪斉唱「かぎやで風」 野村流古典音楽保存会 ◆舞踊 宗家眞境名本流薫会 眞境名結子琉舞道場 仲宗根豊・読谷村立喜名そう学校・フォーシスターズ :58 調弦(C調)16:00 ♪斉唱「かぎやで風」 読谷村文化協会 ◆舞踊 読谷村文化協会--------------------------------------------------------------------------------16:15 六輔・ここが地球の真ん中 :25 普天間かおりのアハハでウフフ :35 JOMO あの人の物語--------------------------------------------------------------------------------16:55 さんしんの日~第2部~ 大工哲弘・大工苗子 :58 調弦(C調)17:00 ♪斉唱「かぎやで風」 琉球古典音楽湛水流保存会 ◆舞踊 玉城流翔節会 玉城節子琉舞道場 山里ユキ、饒辺勝子、金城恵子・饒辺愛子・山内昌春 :58 調弦(C調)18:00 ♪斉唱「かぎやで風」 野村流伝統音楽協会 ◆舞踊 玉城流翔節会 玉城節子琉舞道場 プリモハメッド・さんさら(古謝美佐子・宮里奈美子・比屋根幸乃)・知念宗真 :58 調弦(C調)19:00 ♪斉唱「かぎやで風」 琉球古典音楽安冨祖流減聲会 ◆舞踊 宮城流朱之会 古謝弘子舞踊研究所 ザ・フェレー・金城実・金城洋子・ゆいゆいシスターズ :58 調弦(C調)20:00 ♪斉唱「かぎやで風」 琉球古典音楽安冨祖流減聲会 ◆舞踊 宮城流美代之会 渡久地美代子舞踊研究所 宮城流朱之会 古謝弘子舞踊研究所 琉球國民謡協会・神谷幸一、玉城一美・でいご娘 ---グランドフィナーレ---
2006年03月04日
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明日、3月4日は「三線の日」です。時報毎に「かぎやで風」の合奏があります。各会場でありますが、Iラジオ(インターネット生中継)もあります。RBC放送局のiラジオであります。曲目は「かぎやで風」一曲琉球舞踊hpに飛びます。
2006年03月03日
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「ミニチュアの日」〔ミ(3)ニ(2)〕の語呂合せ記念日です。ミニチュアや小さいものを愛そうという日。翌日が、新暦ひな祭りですから、関連付けは簡単ですね。「遠山の金さんの日」1840(天保11)年3月2日、(通称)遠山の金さんこと(本名)遠山左衛門尉景元が、北町奉行に任命されました。1843(天保14)年2月24日まで在職していました。江戸には、北町奉行所と南町奉行所があり、1ヶ月ごとに、交替で勤務にあたっていたそうです。劇中では、彫り物「桜吹雪」(遠山桜)となっていますが、実在の遠山左衛門尉景元は、骸骨(しゃれこうべ)の彫り物だったそうですね。今のパンク・ロックファッション?蛇足)時代や考えの違いはあるようですが、骸骨とミイラの拝む対象の違いをはっきり分けているようですね。一休禅師は杖の先に頭蓋骨(しゃれこうべ)を突き刺して行脚したそうですね。チベット密教の曼荼羅には、死者亡者の象徴として骸骨に着物を着せた表現もあるようです。武将の頭蓋骨に金箔漆を施し、酒を飲み。戦では、首を切り取り・血糊を洗い・塩漬けにした物を「首実検」(これは誰かを明確にして、首を取った者に報奨金を出す)。その後、最高の武将は首塚を建立しますが、そうでない首は、大陸人に売り、脳みそを特殊加工して漢方薬としたそうです。僅か百数十年前〔祖父祖母の祖父祖母世代〕の出来事ですね。南蛮の蛮と使う時代でいながら、今から考えるとこれも蛮?(今風表現ではグロじゃないのかな)
2006年03月02日
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卒業式ですね沖縄の桜は、「はらり」と散ることは無く、桜舞い散るシーンはないですね。椿の様に「ぽとり」ですね。今日は、八重山高校・八重山商工高校(センバツ代表おめでとう)・八重山農林高校の卒業式です。雨の中の卒業式ですね。まぁ、水風船が飛び交う卒業式ですから、濡れる事には変わりないですね。もっと凄いのは、小麦粉や生卵が乱舞するのも特徴ですね。〔ポーポー焼きできます(爆)〕近所の方や親戚縁者、親兄弟やおばぁからの花束攻撃。特に高校以上の進学や就職では、島外へ出てしまう組も多く、しばらく会えない状況の産物ですね。小学校は、中学校と同じ敷地なので、卒業と言うより進学(気持ちは進級)の心境らしいですね。離島の中学校卒業は、涙涙ですね。大きな島(八重山では石垣島)の高校しか無く、家族と離れて下宿生活ですから、、、
2006年03月01日
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