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佐藤亜紀さんの「激しく、速やかな死」を買書。書店を毎日のぞいていながら、うっかりと見落としていたのですが、佐藤さんの小説の新刊が出ていましたので、買いました。佐藤さんがかなり以前から、「タレイラン」がどうとかこうとか、予告しておられたものですね。「激しく、速やかな死」「危険を孕まぬ人生は、生きるに値しない。サド侯爵、タレイラン、メッテルニヒ夫人、ボードレールetc.─歴史の波涛に消えた思考の煌きを華麗な筆で描き出した傑作短編集。」(「BOOK」データベースより) で、出ているのは知っているのですが、買っていない「外人術」も紹介してみました。「外人術」「外国で友達を作ろうと思うな、美術館になぞ行く必要はない……海外旅行の常識を斬り捨てる、佐藤亜紀流優雅な旅の手引書。」(筑摩書房の紹介)
2009年07月31日
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ハインリヒ・ハイネ「流刑の神々・精霊物語」を読みました。1850年頃の本で、今となっては当時のような衝撃はないといってよいと思いますが、とても美しい本でした。特に、「流刑の神々」のラスト、郷愁を誘うユピテルの姿は、ほんとうに感慨深いものだったんでした。で、ありがちだなぁ~と思いつつ、引き続き梅原猛さんの「神々の流竄」を読んでみることにしました。
2009年07月30日
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プルトンがあのように悪魔化されながらも地下の国の王者であったと同様に、ネプトゥヌスはそうやっていつまでも水の国の支配者であった。このふたりの神の運命は弟のユピテルすなわちサトゥルヌスの第三子の運命よりはよかった。ユピテルは父が倒されてのち天国の支配権を握り、世界の王としてオリュンポスで、笑いさざめく神々や女神たち、位の高いニュムペたちのお供とともに甘美なる歓喜の統治をおこなっていた。しかし、あの不幸なカタストロフが起きたとき、すなわち十字架の統治、苦しみの統治が宣言されたとき、この偉大なるクロノスの子も亡命し、民族大移動の雑踏のなかに姿をくらませた。彼の足跡は消えた。(ハイネ「流刑の神々・精霊物語」流刑の神々P148)ユピテルが孤島で侘しく暮らすその後の姿が、誠実な漁師の口から語られるエピソードをもって、このハイネの「流刑の神々」は幕を閉じます。
2009年07月29日
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小野正嗣さんの「線路と川と母のまじわるところ」を買書つんどく。小野さん、だから買いました。「「ガルシア=マルケス+中上健次」と絶賛された三島賞受賞作家の、ヨーロッパを舞台にした最新連作小説集。王様のごとき風格で空港に不法滞在し続けるキンチャン、外国人留学生たちに宿を提供するO夫人、皮膚をセラピーマッサージする日本人女子留学生、ロワール川の中州に暮らした庭師のウスマン。故国から打ち捨てられた移民たちの呼びかけに、時間と場所の裂け目から、豊かな語りで応答する小野マジックワールドの新境地。」(朝日新聞出版社の紹介)
2009年07月29日
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わたしはここでふたたび、キリスト教が世界を支配したときにギリシャ・ローマの神々が強いられた悪魔への変身のことをのべてみようと思っているのである。民間信仰は今ではギリシャ・ローマの神々を、たしかに実在するが呪われた存在にしてしまっている。その意味ではキリスト教の教えとまったく一致しているのである。教会は古代の神々を、哲学者たちのように、決して妄想だとか欺瞞と錯覚のおとし子だとは説明せず、キリストの勝利によってその権力の絶頂からたたきおとされ、今や地上の古い神殿の廃墟や魔法の森の暗闇のなかで暮らしをたてている悪霊たちであると考えている。(中略)その状況は神々の生活のもっと古い、悲しむべき状況とたいへんよく似ていた。神々は今、すでにむかし経験したのと同じ悲惨なきびしい暮らしを余儀なくさせられているのである。それはあの古代の革命的時代のことだった。巨人神族が冥府の神オルクスの監視を逃れて地上に上がり、オッサ山の上にペリオン山を乗せてオリュンポス山に登った、あの時代のことなのだ。古代のあわれな神々は当時屈辱的な逃亡をし、あらゆる可能な限りの覆面をして人間の住むこの地上に身をかくしたものだった。ほとんどの神々はエジプトへ行って、より安全に暮らすために動物の姿をとったものだ。(ハイネ「流刑の神々・精霊物語」流刑の神々P125)
2009年07月28日
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数年前から、この時期には咲いていますが、これはいったいなんの花でしょうか?
2009年07月28日
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この(古代デンマークの)歌謡のなかでとくに重要なのは、羽根の衣だけでなく、飛ぶことそのものである。異教の時代に空中を飛ぶことができるといわれたのは、みな女王とか貴族の女たちであった。そして当時尊敬すべきものとみなされていたこの魔術は、のちにキリスト教時代になると、魔女たちのいまわしい行為とされてしまった。魔女の飛行についての俗信は古代ゲルマンの伝承の変装したものである。(ハイネ「流刑の神々・精霊物語」精霊物語P53)
2009年07月27日
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ラファエル・サンチェス・フェルロシオという人の「アルファンウイ」という本を買書つんどく。一風変わった童話のように思えたのと、なにより、スズキコージさんの楽しげなイラストに気が惹かれました。 「独自の感性を持つ少年が社会の規範から逃走し、固有の現実を作り上げて行く物語。 この作品を水に浸したら、イマジネーションが水中に溶けだし、今まで誰も見たことのない色彩の爆発が起こるだろう――スズキコージ渾身の書き下ろし挿絵21点+α収録!!」(未知谷の紹介)
2009年07月27日
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これらこびとの伝説は巨人の伝説に相応するもので、二種類のことなった種族が存在したことを暗示している。この二種族はかつては多かれ少なかれ平穏無事にこの国に住んでいたのだが、それ以来音沙汰がなくなってしまった。巨人は永遠にドイツから消えうせた。こびとにはいまでもときたま山の峡谷で出くわすことがある。(ハイネ「流刑の神々・精霊物語」精霊物語P11)「こびと」と言えば、ジェイムズ・スティーヴンズの「小人たちの黄金」ですね。
2009年07月26日
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さらに、もう一種類のヒマワリです。こうして見ると、葉っぱが虫にたくさん喰べられていますね。
2009年07月26日
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やっぱり、前と同じ花でした。 →クレマチスが近いかなぁ~。(岩井豊彦さんの「クレマチスのガ-デニング」より。多謝!)
2009年07月25日
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もう一つ、種類のちがうヒマワリが咲きました。
2009年07月25日
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ヴェストファーレンには、古い神々の聖像がかくされている場所をいまだに知っている老人たちがいるということだ。彼らは臨終の床で、孫のうちでいちばん幼いものにそれを言って聞かせる。そしてそれを聞いた孫は、口のかたいザクセン人の心のなかにその秘密をじっとだいている。むかしのザクセン領だったヴェストファーレンでは、埋葬されたものがすべて死んでしまうわけではない。(ハイネ「流刑の神々・精霊物語」精霊物語P7)
2009年07月24日
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西川美和さんの「きのうの神さま」を買書つんどく。直木賞は逃しましたけど・・・・・。「『ゆれる』で世界的な評価を獲得し、今、最も注目を集める映画監督が、日常に潜む人間の本性を渾身の筆致で炙りだした短編集。『ディア・ドクター』に寄り添うアナザーストーリーズ。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月24日
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ジョージ・オーウェル「一九八四年」の新訳版を買書つんどく。前に、一度挫折していますので、再チャレンジしてみようと思い買ってみました。「動物農場」も岩波文庫から新訳で出ていましたので、ついでにご紹介します。「動物農場」は以前、角川文庫版で読んだことがありますが、イデオロギー性が強い小説だなぁ~と思った記憶があります。併録されていた、「象を撃つ」なんかは面白かったですが・・・・・。「一九八四年」「〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する超全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。しかし彼は、以前より完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと出会ったことを契機に、伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが……。解説/トマス・ピンチョン。」(早川書房の紹介)「動物農場」「悪い人間を追い出してけものたちが築くユートピア.「すべての動物は平等である」と七戒を掲げ,革命歌のもと産声をあげた動物農場.だがやがて,ぶたたちの奇妙な振舞が始まる──ソビエト神話の実態を知らせ,スターリン体制の粛清を暴いた,『一九八四年』と並ぶオーウェル(1903-1950)の名高い寓話. 」(岩波書店の紹介)
2009年07月23日
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今朝、玄関を出たら、ヤマボウシの木にアカトンボがとまっていました、というか、くらいついていました。さわっても動かないので、もしかして息絶えているのではないかと思いましたが、それも珍しいと思って写真を撮ってみました。表側(?)から何枚か撮って、いざ腹の側からも撮ろうとしたら、急にあわてふためいて飛んで行ってしまいました。あぜんとし、生きていたんだと思って安心はしたものの、つまり裏側(?)から撮られるのが、よっぽど嫌だったんだと思ったことでした。だって、さわっても動かなかったんですよ。
2009年07月22日
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わたしたちはいま、「遠野物語」というテクストを、東北の、あるいは列島のムラの代名詞としての遠野へと投げ返すべきときに来ているのですというわけで、赤坂憲雄さんの「遠野/物語考」を読みました。しかし、僕のレベルでは、ちょっと専門的すぎるというか細かすぎたかな、と思いました。で引き続き、15年以上前に一度読んだ、同じく赤坂さんの「山の精神史 柳田国男の発生」の再読と、関係する気がするハイネの「流刑の神々・精霊物語」を読んでみることにしました。
2009年07月22日
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というのは、赤坂憲雄さんが柳田國男さんを見るときの、典型的な見方を表す言葉になっていくようです。
2009年07月21日
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ヒマワリが咲きはじめました。今年は、何種類かの花が咲くはずなのですが・・・・・。
2009年07月21日
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人間は幻想を喰らって生きる動物である。ある幻想が共同化されている場所では、その幻想こそが唯一の現実であり、ときにはそれは物理的な死をもたらすことすらある。必要なのは幻想を生きられた現実として読みほどき、腑分けする作業であり、過去時制の幻想を、たとえば迷信などと名付けて裁くことではない。いま/ここに在る者らもまた、別種の解釈の体系つまり世界観によってささえられた幻想を、現実それ自体と錯誤しつつ生きていることに変わりはない。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」五章P255)
2009年07月20日
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佐藤正午さんの「身の上話」を買書つんどく。この本のカバーイラストと帯の惹句を見た時に、なぜか、以前に読んだ、燃え切らないところはあるものの超大好きな「ジャンプ」を思い出して、ノスタルジーにふけってしまいました。うん、「ジャンプ」、良かったなぁ~。「人生にも必ず岐路はあるのか、ところどころで、判断・選択はできるのか。それとも、人との出会いが人生を決めるのか。 地方都市で書店に勤める古川ミチルは、月に一回出張でやってくる出版社の販売部員を見送るつもりがちょっとしたことから東京まで一緒に行ってしまった。彼女は職場の先輩たちに頼まれて購入した宝くじを持っている。23歳の今まで特筆することのない人生を送ってきた彼女だったが、普通には滅多に起こりえない出来事の渦中へと巻き込まれていった……。」(光文社の紹介)
2009年07月20日
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だれか村の女や子供が、不意に姿を消す。日常的な了解からはるかに逸脱する、この恐るべき事件は人々に根っこのない不安をあたえる。そのとき要請される伝統的な解釈の鋳型、それが神隠しである。この神隠しについて、柳田がこんなことを呟きのように洩らしている、――神隠しによって、逆に、家はみずからの貴さ・血の清さを証明し、さらには一族・郷党の進行を統一することができた、と(「山の人生」)。家という制度をめぐる、神隠しの秘め隠された貌であった。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」五章P245)
2009年07月19日
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森見登美彦さんの「宵山万華鏡」を買書つんどく。森見さんの本も、そろそろ一冊くらい読まなくては・・・・・。「祇園祭前夜。妖しの世界と現実とが入り乱れる京の町で、次々に不思議な出来事が起こる。登場人物たちが交錯し、全てが繋がっていく連作中篇集。●祭りの雑踏で、幼い妹が姿を消した。妹は神隠しに遭ったのか、それとも…?「宵山姉妹」「宵山万華鏡」●乙川は≪超金魚≫を育てた男。大学最後の夏、彼と宵山に出かけた俺は、宵山法度違反で屈強な男たちに囚われてしまう。襲いくる異形の者たち。彼らの崇める≪宵山様≫とは一体…?「宵山金魚」●期間限定でサークル≪祇園祭司令部≫を結成したヘタレ学生たち。彼らは、学生生活最後の大舞台を祭の最中に演じようとしていた。「宵山劇場」●宵山の日にだけ、叔父さんは姿を消した娘に会える…。「宵山回廊」●目が覚めると、また同じ宵山の朝。男は、この恐ろしい繰り返しから抜け出すことができるのか…?「宵山迷宮」」(楽天ブックスの紹介)
2009年07月19日
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やはり、前の花とおんなじみたいです。前の花は、咲いた姿がキキョウのようでしたが、つぼみは違いますね。ダリアなのか、クレマチスなのか・・・・・。
2009年07月18日
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山田詠美さんの「学問」を買書つんどく。ふ~ん、なんというそっけないタイトルなんでしょう。水村美苗さんの本のタイトルみたいだと思いました。「東京から引っ越してきた仁美、リーダー格で人気者の心太、食いしん坊な無量、眠るのが生き甲斐の千穂。4人は、友情とも恋愛ともつかない、特別な絆で結ばれていた。一歩一歩、大人の世界に近づいていく彼らの毎日を彩る、生と性の輝き。そしてやがて訪れる、それぞれの人生の終り。高度成長期の海辺の街を舞台に、4人が過ごしたかけがえのない時間を、この上なく官能的な言葉で紡ぎ出す、渾身の傑作長篇。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月18日
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綾織から小友に越える小友峠には祠が祀ってあるが、このあたりの沢にはまれに人目に見える沼があるという。その沼には、海川に棲む魚の種類はすべていると伝えられている。もしこの沼を見た者があれば、それがもとになって病んで死ぬそうである。(柳田国男さん「遠野物語捨遣」三七話)第三七話の峠近くの沢にあるという、稀に人目に見えることがあるとされる沼のほうは、小友峠の不思議を伝えている。この沼を見た者が病んで死ぬと信じられていたことは、そこが何らかの禁忌に包まれた場所であったことを示唆している。たとえば、長寿の源である菊の花が咲くと伝えられる仙人峠が峠の陽の貌をあらわすとすれば、この峠は陰の貌をもった峠といえるだろうか。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」三章P154)いや、「その沼には、海川に棲む魚の種類はすべている」というのはなんとも面白いですね。
2009年07月17日
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スティーブ・トルツ「ぼくを創るすべての要素のほんの一部」を買書つんどく。この「桁外れ」の父に育てられた、「桁外れ」の子どもの長大な物語が、読者のあらゆる予想を心地よく裏切りながら、驚愕の結末へたどり着いた時、突然、読者は知るのである。実は、この「桁外れ」の物語こそ、読者を育て、見知らぬ世界へ送り出す「桁外れ」の父であったことを。――高橋源一郎氏 推薦! ということらしい。「人から賛辞をあびたかった。弟よりもできる人間でいなければならなかった。だが、考えること為すこと、すべてが予想もしない不幸を呼んだ。哀れみと蔑みの視線しか向けられることはなかった。…そんな「父」に似ることは、ぼくにとって悪夢だった。ダメ男の遺伝子はどこまで受け継がれるのか!?オーストラリア一の嫌われ者マーティン・ディーンの不憫な生涯と、その息子ジャスパーの奇妙な半生を描いた、ナンセンスにして哲学的、悲惨にしてユーモラス、荒唐無稽にして綿密な世にも奇妙な父子の壮大なる物語。ブッカー賞、ガーディアン賞、最終候補作。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月17日
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根井雅弘さんの「市場主義のたそがれ」を買書つんどく。おっと、自分が経済学徒であったことを思い出してしまいました。そして、その頃、フリードマンは「我が世の春」を謳歌していました。「ベルリンの壁の崩壊後、世界を席巻した「市場主義」。だが、経済格差や環境破壊を引き起こすなど、欠陥を露呈している。本書では、市場主義の源流に位置するフリードマンの経済思想を、同時代の証言を交えて読み解き、その功罪を明らかにする。第二次大戦後、彼らが勢力を拡大した過程を辿る一方、アメリカの経済思想の多様さにも注意を促す。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月16日
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儀礼的な捨て子の習俗のなかにも、道チガエが姿を見せる。同じく「遠野物語捨遣」の第二四七話である。年廻りの悪い子は捨子にするとよい。まずその子に雪隠の踏張板の下を潜らせた後、道違いに行ってちょっと棄てる。始めから拾う人の申合せが出来ていて、待っていてすぐ拾ったのを、改めてその人から貰子をする。こういう子供には男ならば捨吉、捨蔵、女の場合はお捨、おゆて、ゆてごなど、捨という名をつけることが多い。年廻りのわるい子どもを捨て子にして、仮親となる人に拾ってもらう儀礼である。雪隠と道チガエが、仮死/再生のイニシエーションの舞台として択ばれている。雪隠つまり便所・厠には厠神が宿り、また、子どもの生後三日目か七日目に雪隠参りをする風は、東日本を中心に広く見られるという。雪隠は家のなかの、この世/あの世を境とする特異な場所であったのだ。道チガエは村のはずれにあって、子どもの霊魂が去来する、やはり境の空間と考えられていたものだろう。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」三章P128)
2009年07月15日
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岡崎京子さんのコミック「UNTITLED」を読みました。そりゃ~ホラーなんかより、よっぽど恐いです。しかし、新作を期待することは、もう無理なんでしょうか?
2009年07月15日
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オシラ神が地域ごとに、じつに多種多様な名称をもつことが知られるようになったが、それがいずれも記紀神話その他に由来する神名とは無縁な、いわば普通名詞に類するものであること。オシラ神を祀る旧家が、それとは別に名のある神を本家ないし一門の氏神にとして奉ずる例は多い。そうした外部からある時代に勧請された一門の氏神にたいして、オシラ神は通例、祀られるようになった由来も素性も知れぬ名もなき小さな家の神であった。それは東北の村々に仏教が浸透する以前から、土着の旧家を中心に斎き守られてきた血縁一族つまりマキの神であった可能性は、たいへん高い。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」二章P70)
2009年07月14日
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亀山さん訳「罪と罰(3)」を買書つんどく。2巻目からちょっと間が空きましたが、ようやく完結しました。さて、3読目の「罪と罰」に挑戦しよう! とするのは、いつでしょうか?「あらゆる登場人物が生き生きと呼吸する画期的新訳、ついに完結。世界文学不朽の名作が、ここまで激しく、面白い物語だったとは! 描かれるのは、現代の人間そのもの、わたしの中にいるラスコリーニコフだ。」(光文社の紹介)
2009年07月14日
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なんのあいそも無いですが、玄関のテッポウユリが咲き始めました。
2009年07月13日
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違う花が咲くのかな?と思っていたのですが、つぼみを見ると前とおんなじような・・・・・。 →
2009年07月12日
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福田和也さんの「日本の近代」を買書つんどく。長らく上巻しか刊行されてなかった「日本の近代」の下巻が出ましたので、買いました。上巻が昨年の4月ですから、なんでこんなに時間が空いたのだろう?上巻「近代化の原動力となった江戸の実力、アジア初の立憲国家として憲法を守り通した意義、韓国から近代化という「青春」を奪った日清・日露の二度の対外戦争―。アジアの小国から世界標準の国家を作り上げた苦闘の道程をたどりながら、著者の卓越した歴史観を通して、「日本にとっての近代とは何であったのか」を大胆に整理する。単なる知識ではない教養としての日本近代史入門。」下巻日本の近代は焼け野原となって幕を閉じた。しかし、敗戦も一つの達成であった─。第一次大戦の戦勝から大東亜戦争の敗戦までの約三十年間、日本は何を成し遂げたのか。五大国として列強と肩を並べた日本は、帝国主義の終焉と相次ぐ大不況に方向性を見失う。国家が迷走するなか、主導権を握った軍部は、次第に最強国アメリカとの対立を深めていく。たった二冊で黒船から敗戦までの九十年がわかる特別講義の完結編。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月12日
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このオシラサマ起源譚はいつしか遠野の代表的な民話へと成りあがっていった。しかし、オシラサマは本来、民話や昔話の範疇に括られるべきものではなかった。一年の限られた祭りの日、多くはオシラ神の祭りが催される正月十六日に、イタコ(巫女)がオシラサマを遊ばせながら唱えた祭文である。イタコのなかに耳承口伝の形で伝えられてきた、幽かに秘密の匂いを漂わせる物語であった。伊能嘉矩ですら、喜善をつうじて知らされるまでは、このオシラ神祭文の存在に気付いていなかったらしい。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」二章P52)
2009年07月11日
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チャイナ・ミエヴィル「ペルディード・ストリート・ステーション」を買書つんどく。よく分かりませんが、好きそうな本なので買ってみました。 「《バス=ラグ》と呼ばれる世界で最大の勢力を誇る都市国家ニュー・クロブゾン。この巨大な暗黒都市では、人間が鳥人や両生類人、昆虫型や植物型の知的生命体と共存し、蒸気機関による駆動力と魔術学が共存していた。大学を辞め、独自の理論の完成を目指し研究を続ける異端の科学者アイザックのもとに、ある日奇妙な客が訪れる。鳥人族〈ガルーダ〉のヤガレクは、自らの住む砂漠を越え、はるばるこの卑しき都市へやって来たのだ。ヤガレクは忌まわしき大罪を犯したため、命にもひとしい翼を奪われていた。その復活を依頼するため、全財産を持ってアイザックのもとを訪れたのだった。飛翔の研究材料を手広く求めはじめたアイザックは、闇の仲買人から、正体不明の幼虫を手に入れる。そのイモ虫はある特殊な餌のみを食べ、驚くべき速さで成長。そして、成虫となった蛾スレイク・モスが夜空を羽ばたくと、ニュー・クロブソンは未曾有の大災害に見舞われたのだった。モスを解き放ってしまったことから各種勢力から追われる身となるアイザック。そして、翼の復活を唯一の望みとするヤガレクは、再び大空へと飛び立てるのか……*英国SF/ファンタジイ界、最大の注目作家であるミエヴィルが、持てるすべてを尽くして書き上げたエンターテインメント巨篇。アーサー・C・クラーク賞/英国幻想文学賞受賞作。」(早川書房の紹介)
2009年07月11日
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アブラー「嘘だ・・・・・」天馬「嘘・・・・・。そう、もうひとつ教えてやろう。最高の人工知能というのは・・・・・嘘をつく。自分自身にも嘘をつく。」ヘレナ「何か隠してる?」アトム「いいえ。」ヘレナ「どんな大きな悲しみも、受けとめる覚悟はできているわ。隠さず話して・・・・・」アトム「いいえすべて話しました。」というわけで、浦沢直樹さんのコミック「PLUTO」が完結しました。いや、手塚治虫さんの魂が息づいた、完全無欠の少年マンガだと思いました。もう降参です・・・・・。ところで、このコミックの元になった「地上最大のロボット」を、再度読み直してみました。これは、人間の世界で支配者になれなかった屈折したラジャが、せめてロボットの世界で一番になるために最強のロボットを作り、名高いロボットを壊して回るという、なんとも単純なお話なのですが、読み直してみて、当初思ったほど単純ではないのかも知れない、と思いました。というのは、この最強のロボットを作った博士(アブラー)というのが、実はラジャの召使ロボットが人間に成りすましているもので、、おまけにこのロボット博士は別の人物(ゴジ)として、この最強のロボットを倒すためのロボットも作り出しているのです。それはなんのためかというと、ロボット同士を戦わせるという哀しい事態を避けるために、ラジャに改心してほしかったからだというのです。ロボットどうしが破壊しあう事態を避けるために、ロボットどうしが破壊しあっているわけで、これもなにか屈折していますよね。
2009年07月10日
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なんとも、びっくりしたことに、ピーター・S・ビーグルの「最後のユニコーン」が、新訳で、しかもヒューゴー賞・ネビュラ賞ダブルクラウンの「ふたつの心」といっしょに、完全版として刊行されました。これを機会に、このすばらしいファンタジーが、一人でも多くの方に読まれることを、こころから祈ります。「1968年に発表されたモダン・ファンタジーの不朽の名作。この世で最後の一頭となってしまったユニコーンが、自分の仲間を求めて世界放浪に旅立つが、あるとき悪意ある人間に捕まって……。37ぶりの続編「ふたつの心」を同時収録した全面新訳の完全版! 」(学研の紹介)
2009年07月09日
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想像をいささか飛躍させることになりますが、「遠野物語」のもっとも深い層に沈められている伝承の記憶、つまりアイヌ語の地名にまつわる伝承群、蝦夷屋敷や蝦夷銭などの縄文遺跡に絡みつく伝承群、大同年号とともに語られる旧家や寺社の由来伝承群といったものは、やはり寒暖二種の潮流のはざまにたちのぼる北海の霧のようなものだったのではないでしょうか。文化や種族を異にするふたつの集団が接触し、出会った境界領域に、それらのことばの霧=伝承群は発生をみたのではないか、ということです。たとえば、大同という年号にして、屋号にして、遠野の寺社や堰などに冠せられた起源を意味する記号=名称の底には、蝦夷/ヤマトの戦いの歴史、先住の民/新来の移住者の交渉の歴史といったものが、遠い記憶として、渾然一体となりつつ沈められていることは、これまで明らかにしてきたところです。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」1章P46)
2009年07月08日
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柳田国男の「史料としての伝説」の中に、こんな興味深いことばがあります。「伝説はあたかも北海の霧が、寒暖二種の潮流の遭遇から生ずるやうに、文化の水準を異にした二つの部曲の、新なる接触面に沿うて現れやすい」というものなのです(中略)想像をいささか飛躍させることになりますが、「遠野物語」のもっとも深い層に沈められている伝承の記憶、つまりアイヌ語の地名にまつわる伝承群、蝦夷屋敷や蝦夷銭などの縄文遺跡に絡みつく伝承群、大同年号とともに語られる旧家や寺社の由来伝承群といったものは、やはり寒暖二種の潮流のはざまにたちのぼる北海の霧のようなものだったのではないでしょうか。文化や種族を異にするふたつの集団が接触し、出会った境界領域に、それらのことばの霧=伝承は発生をみたのではないか、ということです。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」1章P44)
2009年07月08日
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佐藤友哉さんの「デンデラ」を買書つんどく。なんてったって「デンデラ」ですので・・・・・。「村から捨てられた五十人の老婆が、奇妙なコミュニティを形成する「デンデラ」。ある者は村を恨み、ある者は諦め、ある者は穏やかな死を願う。様々な感情が渦巻く隠れ里は、一匹の巨大羆の襲来により一変した。寓話として、エンタメとして、社会風刺として、あらゆるジャンルがカオスとなって描き出す、現代の「普通小説」。」(新潮社の紹介)
2009年07月07日
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ひとつの仮説にすぎませんが、たとえばオシラ神祭文は、生産力の象徴である馬=異類と処女が交わることで、共同体に超自然的な外部の力を導きいれる呪術的な語りの装置であり、オシラ遊びはそれを祭祀として女たちが共同的に演じたものであったのかもしれません。(赤坂憲雄さん「遠野/物語考」1章P32)
2009年07月06日
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わたしの父はスルビア人です。母はスロヴェニア人です。母の父はマケドニア人です。わたしは?わたしはユーゴスラヴィア人です。 ユーゴスラヴィアには六つの文化があります。でも、わたしは、んー、わたしたちは七つ目を作っています。そうしたくなくてもそうなるのです。そしてわたしたちはそうしたいのです。というわけで、米澤穂信さんの「さよなら妖精」を読みました。んー、ミステリとしてはどうかと思うのと、ちょっとセンチメンタルに過ぎるのかな、という思いはありますが、今はなきユーゴスラヴィアのよい勉強になったのと、そこに生きることを宿命付けられた人々の心情を垣間見たという意味では、よい経験になりました。で、実は、「ツルナゴーラ」がなになのか先に調べてしまったというのも、謎解きを楽しむという意味では、失敗したかもしれません・・・・・。
2009年07月06日
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亀井俊介さんの「ハックルベリー・フィンのアメリカ」を買書つんどく。「ハックルベリー・フィン」は、とても好きな本です。あと、トウェインのでは「ジャンヌ・ダルク」。これが一等好きです。「ヘミングウェイが語ったように、アメリカ近代文学は、すべてマーク・トウェインに始まる。自然児から文明人になってしまうトム・ソーヤと、あくまで「自由」を求めるハックルベリー・フィン。これこそ「自然」と「文明」の間で揺れ続けるアメリカ社会の根源的かつ矛盾した欲求の原型である。本書はアメリカ文化のなかで姿を変えて生き続けるハック・フィンの系譜をたどり、アメリカ文化とは何かを探るものである。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月05日
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西尾維新さんの「クビキリサイクル」を買書つんどく。この本は、読みたいというよりも、読んでいたほうがよいのかも、と思って買ってみました。「絶海の孤島に隠れ棲む財閥令嬢が“科学・絵画・料理・占術・工学”、五人の「天才」女性を招待した瞬間、“孤島×密室×首なし死体”の連鎖がスタートする!工学の天才美少女、「青色サヴァン」こと玖渚友とその冴えない友人、「戯言遣い」いーちゃんは、「天才」の凶行を“証明終了”できるのか?新青春エンタの傑作、ここに誕生!第23回メフィスト賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月04日
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ユーゴスラビアは、1929年から2003年の間に存在した東ヨーロッパの国家。首都はベオグラード。1918年にセルビア王国を主体としたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国)として成立。1929年ユーゴスラビア王国に改名された。1945年からは社会主義体勢が確立され、ユーゴスラビア連邦人民共和国と改称された。1991年からのユーゴスラビア紛争により解体された。その後も連邦に留まったセルビア共和国とモンテネグロ共和国 (1992年―2006年)により1992年にユーゴスラビア連邦共和国が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。2006年にモンテネグロが独立して国家連合も解消され、完全消滅となった。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアとなっている。また、セルビアの自治州であったコソボは2008年に独立を宣言した。コソボを承認している国は少数に留まっており、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認していない国々からは、依然、コソボはセルビアの自治州とみなされている。(うぃきぺでぃあ)
2009年07月04日
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岩本隆雄さんの「星虫年代記(2)」を買書つんどく。「星虫年代記(1)」に引き続きの買書つんどくです。「姫森神社の御神木に宿る『鵺姫様』は、25年の寿命と引き換えにどんな願いも叶えてくれるという。そんな姫森神社の境内で、高校生の川崎純は小学生の男の子が巨大な空飛ぶ生首に追いかけられているのを目撃する。その生首は、まさに絵巻物に描かれている鵺姫そのもの。果たして少年は、何を鵺姫に願ったのか?“星虫シリーズ”の『鵺姫真話』と『鵺姫異聞』に、書き下ろし新作100枚を加えた完全版。」(「BOOK」データベースより)
2009年07月03日
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キキョウが次々に咲き始めました。
2009年07月03日
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磯崎憲一郎さんの「世紀の発見」を買書つんどく。たしか「肝心の子供」もつんでいたのではなかろうか?(←それすらあいまいになっている。とほほ・・・・・。)「幼少の頃に見た、対岸を走る「黒くて巨大な機関車」、「マグロのような大きさの鯉」、そしてある日を境に消えてしまった友人A――過去2作を経て著者が到達した、小説に内在する無限の可能性を示した大傑作!」(河出書房新社の紹介)
2009年07月02日
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