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「・・・・・えーと、桐谷先生が、ちょっと風邪気味なんで、後半はあたしが稽古を見ます。磯山です」香織ちゃんだァ、と叫んだ小学生、三名。黙ってたの七名。ペアを作ったらちょうど五組、か。「はい、じゃ面つけたらこっちきて・・・・・縦に長い切り返しやるから。知ってるだろ?こっちからあっちまで、ずーっと切り返しやって、また切り返しで帰ってくるやつ。みんなやったことあるよな。ない子いるか?いないよな。じゃあ・・・・・ヒロキト、マサ、一番あっち・・・・・ノリコとユウタ、その次・・・・・ほら、早くいけって。・・・・・あとは、ヒトシと、誰がいいかな・・・・・誰だ君は・・・・・ああ、マサの妹か。みっちゃんか。もう面着けられるようになったのか・・・・・よしよし、じゃあ、みっちゃんは、シンゴな。えっと、ヒトシはね・・・・・」ん、なんだこれは。この、懐かしいような、くすぐったいような感覚は。「・・・・・よーし。最初は、大きくゆっくりやるよ。強く、正しくな。こんな、横にぶるんぶるん振るんじゃないぞ。そういうのタケコプターっていうんだからな。そういうのダメだぞ。ちゃんと、真っ直ぐ振りかぶって、左メンならピッ、右メンならピッ、て・・・・・相手の竹刀を打つんじゃないよ。ちゃんと面を狙ってな。一本一本丁寧に・・・・・はい、始めッ」おお、あたしのいった通り、みんなやってるよ。なんか、子供ってすげー。(誉田哲也さん「武士道エイティーン」P106)
2012年02月29日
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大島真寿美さんの「戦友の恋」を買書つんどく。「あとがき」によると、この本と、角田光代さんの「対岸の彼女」 と、唯川恵さんの「肩ごしの恋人」 なんだそうです。「漫画原作者の佐紀は、人生最悪のスランプに陥っていた。デビュー前から二人三脚、誰よりもなにもかもを分かちあってき た編集者の玖美子が急逝したのだ。二十歳のころから酒を飲んではクダをまいたり、互いの恋にダメ出ししたり。友達なんて言葉では表現できないほどかけがえ のない相手をうしなってしまった佐紀の後悔は果てしなく…。喪失と再生、女子の友情を描いた、大島真寿美の最高傑作。」(「BOOK」デー タベースより)
2012年02月29日
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どういうわけで私が二番目の弟を失ったのか十一歳の私には見当がつきかねた。母上は船越郷のさとに永い間おもどりになっていたから。わが家に帰られた母上は十歳も老けこんでしまわれたように見えた。みずごという言葉を初めて耳にしたのはそのおりである。いま私はその語が何をさすかを知っている。だれに教えてもらったというわけでもなくうすうす察している。洪水にさらわれた年端のゆかない流れ亡者のことでないということをわきまえている。しかし、私には川が見える。川面に浮き沈みしながら漂い流れてゆく白いものが見える。わが家のすぐちかくをめぐって海へそそぐ本明川にそれは似ているが、本明川よりも幅が広く、水量も豊かである。乳色の霧がたちのぼり、泥と魚と草の匂いを放ちながら音もなく流れる。どこの国にも流れているありふれた川である。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P225)
2012年02月28日
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三上延さんの「ビブリア古書堂の事件手帖 栞子さんと奇妙な客人たち」を買書つんどく。これまた、ちょっと読みたくなりました。「鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。だが、古書の知識は並大低ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも、彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。これは“古書と秘密”の物語。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月28日
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天保の末ごろから諫早では痘瘡をわずらう者がふえた。伯父上は私たち姉弟に種痘をうえることをおすすめになった。鍋島様のご嫡子を初めとして佐賀の国家老さまのお子様がたも、みなこころみにうえられて善感しているそうである。しかしながら父上は、たった一人のあとつぎに病毒の種子をうえつけて、もしものことがあればとて、雄斎様のおすすめをおききにならなかった。母上も迷われた。伯父上は種痘を発明したイギリス国のゼンナという医師も、こころみにわが子にうえつけて善感せしめたのであるからとて、凶事は生じないとしきりに説かれた。とどのつまり私のみがうえていただくことになった。私に大事がなければ、剛之助にうえてもさし支えがあるまい、と父上はお考えになったのである。そのときはおそかった。雄斎様も佐賀の諫早屋敷にお詰めで、剛之助が発病したおりは手のほどこしようがなかった。苦しまずに息をひきとったのがせめても慰めである。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P224)
2012年02月27日
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まちあるきで、見慣れないものが玄関に貼ってあるのをみかけました。これは、牛玉寶印(ごおうほういん)といって、神社や寺院が発行する、厄除けの護符なんだそうで、これは多聞寺のもののようです。牛玉という名は、牛黄(ごおう。牛の胆嚢ににできる結石で、貴重な霊薬として用いられます)を印色としてお札の朱印に用いていたことに由来するとの説があるのだそうです。牛玉寶印は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてき、牛玉寶印によって誓約 するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていたのだそうです。いや、初めて見ました。
2012年02月27日
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ついに父上の話はおかしな方へそれてしまった。私は楊梅(ヤマモモ)の木によりそって見上げた。蜜柑の葉を細長くしたような葉に包まれて、紫がかった黒い実がたわわにみのっていた。なり様は木苺ににていた。私は背伸びをして、下枝に手をかけようとした。まぢかに枝がたれており、その尖端に黒紫色の楊梅が輝いている。私はつま先立って右手をさし上げた。楊梅の実は、私の手よりずっと高いところにゆれていた。手と楊梅のへだたりを私はみつめた。むなしくさしのべた手。まぢかにあるのではなかった。どんなに背のびをしても、私の手が実にとどかないことは、初めからわかっていた。そして楊梅の実を食べたいともじつは考えていなかった。なんのために私は木の下でつま先立ちしたのであろう。けんめいにのび上がってみたのだろう。後ろで吉爺がいった。自分が木に登り実をもごう、というのである。いらない、と私はいった。気がついてみると、吉爺の気づかわしげな顔が目の前にあった。私はあわてて顔をそむけ、泪をぬぐった。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P212)
2012年02月26日
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ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」を買書つんどく。こりゃあ話題になった本ですね。「アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜ、その逆は起こらなかったのか。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは。1万3000年にわたる人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学など、広範な最新知見を縦横に駆使して解き明かす。ピュリッツァー賞、国際コスモス賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位を受賞した名著、待望の文庫化。」「世界史の勢力地図は、侵略と淘汰が繰り返されるなかで幾度となく塗り替えられてきた。歴史の勝者と敗者を分けた要因とは、銃器や金属器技術の有無、農耕収穫物や家畜の種類、運搬・移動手段の差異、情報を伝達し保持する文字の存在など多岐にわたっている。だが、地域によるその差を生み出した真の要因とは何だったのか?文系・理系の枠を超えて最新の研究成果を編み上げ、まったく新しい人類史・文明史の視点を提示した知的興奮の書。ピュリッツァー賞・コスモス国際賞受賞作。朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月26日
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「おかたしけなし、吉め本望でごんす」そういって吉爺は縁先にかしこまり、所望されるとやおらせき払いしてまだら節をうなった。――まだら巻きんども七ひろ八ひろ、 腰にまわして四十八ひろ、そういえば能登に七尾まだら節という唄がある、あの曲調も当地の船唄によく似ている、と渡辺様はおっしゃった。――砂どんを一艘つんで竹崎沖に、 波にゆられて日を暮らす、「主水殿、おききあれ、寛延の百姓一揆、削地減俸を理不尽とて城下の百姓ども五千人が佐賀に道押しした、そのおり百姓どもこの唄をうたって気を励ましたげな」渡辺様は百年あまりも昔の話には興をもよおされないご様子であった。それより吉爺がうたう節の句をおもしろがられた。「よそにおる身と帆かけた船は、薬のごとして苦のござる」という文句にいたく感じ入られたふぜいである。そしてもっとも渡辺様が感心なさったのは、まだら節の終節である。もしも風が口をきけるなら、言伝てをしたいものだ、しかしながら風は空を吹くばかり、黙しているのをいかんせん、という意の唄を渡辺様は例の帳面に書き写されたのであった。――風どんは物いうたろば言つけどもしゅうらえ、 風は空吹く物いわん。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P202)
2012年02月25日
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いつも天神さんのネコのいるところに、榊がおかれてあった。もしかすると、これは天神さんのネコなのであろうか。天神さんのネコさんとは、かくもありがたいものなのであろうか?おそろしいことである・・・・・。
2012年02月25日
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きょう、吉田流の免許皆伝をさずかる組頭もいらっしゃる。しかし、きょうの寄合いはこれまでたびたびそうであったような大調練後の鉄砲組方を慰労するもよおしではなく、荻野流と吉田流を一流に統べる記念の寄合いであるとおっしゃる。「母上、わが吉田流が西村様の御家流に組み入れられるのでありますか」私はたずねた。指南役筆頭をしりぞけられているからには、吉田流は西村様の荻野流の下風に立つことになる。「懸念には及ばぬ、吉田流も荻野流なかと、鍋島様かねてのお達しにより諫早も佐賀と同じく円極流一流に定められる。円極流は西洋新式の砲術に似たりと思え」と母上はおっしゃった。父上がトントロ仕掛けについて講義をなされ、免許を若い組頭にたまわったのち、参集者は一心に心をあわせて奉公に懈怠なきを誓い、連判状に署名をし、血をもって印を押されるという・・・・・。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P187)
2012年02月24日
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佐藤正午さんの「アンダーリポート」を買書つんどく。文庫化された、「身の上話」の「あとがき」を見ていたら、読みたくなって買ってみました。「単 調な毎日を過ごしていた検察事務官・古堀徹のもとに突然・かつての隣人の娘・村里ちあきが現れた。彼女の父親は15年前に何者かによって殺され、死体の第 一発見者だった古堀に事件のことを訊ねにきたのだ。古堀はちあきとの再会をきっかけに、この未解決の事件を調べ始める。古い記憶をひとつずつ辿るようにし て、ついに行き着いた真相とは―。秘められた過去をめぐる衝撃の物語。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月24日
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少将様がどのような着物を召しておられたか、いかような造りの太刀を佩いておられたかなど、まったくおぼえていないのに、闇を飛びかう蛍のむれはわが家にもどって床についた今も鮮かに思いえがかれる。境内の正面に川原がある。栄田庄から流れ下った本明川はそこで大きく東へ屈曲して広い川原の中洲を点在させている。先だって私がとらと芹をつんだ川原である。それにしても私はいつ蛍を見たのであろう。茶道具をととのえるとき、少将様をお待ちしているとき、蛍など一匹も目に映じなかったようである。少将様が四面宮から慶巌寺へ移られたのち、私たちは道具をしまい、慰労として拝領した佐賀最中をふところに帰宅した。そのどこで蛍を私は見たのであろうか。淡い光を放つ点が、木立から草むらから漂い出し、墨色の闇をうずめる。綾様のえりくびで光る蛍もいたように思う。光る虫は宙にむらがり、ちらばるかと思えば一つによって、暗闇に大小さまざまな光をともしたかと思われた。きりもなく水面からわき出し、川辺を縦横無尽に飛びかい、水にそのかげをうつした。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P143)
2012年02月23日
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渡辺京二さんの「逝きし世の面影」を買書。これ、読んでみようかな~、と思って・・・・・。まあ、いつも、そうなんではありますが。「「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月23日
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「肥前の侍足軽そろって長崎におし出せば、異国船を打ち払うことかなうまいか、軍船乗組方は無勢であろうに、津々浦々をみたすほどに弓槍鉄砲をひっさげた軍勢を備え立てること父上の胸にあるまいか」「志津様、元足軽ふぜいに陣立てのはかりごとをたずねられる、吉は何と申し上げればよかか惑いましてごんす」長崎の港口は鶴の首のように細くてせまいから、小舟を横にならべてふさぎ、太綱でつなぐという思いつきが藩士から言上されたという。その噂を伝えきいた吉爺は、腕によりをかけて縄をないたいと父上に申し上げた。小舟をつなぎとめるには尋常ならざる縄もいるであろう、というのである。しかしながら江戸表では先年アメリカ国と和親の取りきめがかわされたという。九月には長崎もイギリス船の来航をさし許すことになった。異国船を通せんぼする縄をなうことはわが一世一代のほまれとて腕をぶしていた吉爺はがっかりした。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P134)
2012年02月22日
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式貴士さんの「窓鴉 式貴士抒情小説コレクション」を買書つんどく。絶版になっているこのシリーズ1巻目の「カンタン刑」を持っているかどうか、がぜん気になってくる・・・・・。病気である。「ある夜、ぼくの部屋の窓ガラスに一羽の大鴉が入り込む。無尽蔵の知識と知恵を持つ彼は、勉強から宇宙の話まで、様々なことを教えてくれた。そんな時、ぼくは初めての恋を知る(表題作)。人生のある時点で若返り始め、最後は赤ん坊になって死ぬ奇病が蔓延する世界で起こる愛の悲劇(「Uターン病」)。ほか、リリシズム溢れる傑作全十六編を収録。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月22日
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いかようなわけあいであろうか、と母上はこのごろひんぱんにたずねられる。私がとかく沈み顔であるといわれる。私にもわからない。母上を得心させる返事をしえない。先だって四面神社の川原に芹つみに行ったおり、とらは私が執行直次郎様に懸想していることをほのめかした。私が憂いがちであるのは、それゆえであろうか。みずから自分の胸に問うても、それだけではないという応えが返って来る。(中略)業というものである、とらはつけ加えた。私はかつて父上や伯父上と本明川沿いにさかのぼって丘の古城跡を見に行く途中、五反屋敷の辻で目にとめた業柱抱きを思い出した。このごろ、城下ではやっているばくちに加わった見せしめとて棒杭にいましめられさらし者になっていたのである。私はきのうの夕方、往還で泣いていた子供を思い出した。岡町の角に倒れていたお年寄りの牢人を思い出した。野村様のことも考えた。老若男女それぞれ目に見えない業柱を抱いているのではあるまいか。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P123~126)
2012年02月21日
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玄関前のミニバラです。ミニバラにしては、花が大きめです。
2012年02月21日
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板木が鳴っている。鐘もけたたましくつき鳴らされている。私は往還へかけ出した。白帆注進にしては鐘の鳴り方がちがう。二つか三つ、間切ってつき鳴らされるのが白帆注進である。近郷近在に住む家中の人々は取るものも取りあえず会所へまかり出て鉄砲隊を仕立て、長崎へかけてゆかねばならない。(中略)私は母上が止められるのもきかず河岸へ走った。浜平のうしろから走った。いつのまに漕ぎ出したのか、潮が満ちた川には伝馬船が右往左往している。その一艘に立ちはだかって川面をさしているのは吉爺である。漁船はいたずらに漕ぎまわっているのではなかった。ばらばらに動いていたのが下流から上流へしだいに舳をそろえた。河岸は漁師どもの女房子供でうめつくされた。あそこだ、いやそっちへもぐった、と指さして大声で水上の者へ告げる。鯨がさかのぼって来たのである。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P99)
2012年02月20日
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新しく、うちに仲間入りしたマーガレットです。
2012年02月20日
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安部ヨリミさんの「スフィンクスは笑う」を買書つんどく。へえ~、安部公房さんのお母さんということですが、今まで、聞いたこともないです。「大正13年3月、不世出の作家・安部公房生誕の二週間後に刊行された、実母ヨリミによる生涯唯一の小説。恋愛に至上の喜びを見いだす男女五人の愛憎劇は、やがて人間の本質へ迫るドラマへと一変していく。瑞々しい感性と深い洞察力、簡潔で凛乎たる文章――資料的重要性もさることながら、文学性の極めて高い、21世紀の今、さらなる輝きを放つ、幻の名作。」(講談社の紹介)
2012年02月19日
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私は地蔵尊の前で膝をおって手をあわせた。いつもの願いごとを口の中でとなえた。川面をわたって吹いて来る風が私のうなじをなぶり、てっせんをゆらした。風はまた頭上におおいかぶさった樟の木の葉も五、六枚私の肩におとした。地蔵尊は吉爺の語るところでは、昔、大水があったとき、このあたりにただよい着いた流れ亡者を供養してたてられたものという。引き取り人はなかったというから、一家全員が水難をこうむったのであろう。ある年、永わずらいを病んだ船大工の女房がこの地蔵に平癒を祈り、願いがかなえられてからは霊験あらたかな願かけ地蔵として古町、五反屋敷さらには永昌宿の町人たちがおまいりに来るようになった。失せ物、わずらい、航海安全、もめごと、よろず願いごとのかなわぬことはないといわれている。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P80)
2012年02月19日
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レーモン・クノー・コレクション6「ルイユから遠くはなれて」を買書つんどく。このシリーズは、まだまだ続く。「パリから少し遠く、少し近い郊外の町ルイユで、靴下工場を経営する父のもと育てられた、想像力豊かなジャック少年。自分が、シラミが原因かもしれない謎の病「存在病」にかかった貴族詩人デ・シガールと母との不義の子供であり、自らが貴族であることを疑わない彼は、白昼夢のなかで、さまざま英雄になりかわる。しかし、大人となり、故郷を飛び出した彼の人生に待っていたものとは・・・・・。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月18日
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船番所の下、堤防と葦のあいだに、流れ亡者がよこたえてある。菰の下から突き出ている脚はさらしたように白い。見てはなら なぬと思いながらも私はいつのまにか引きよせられるようにそばへ近づいていた。水死人は川におし流されるとき、流木や石でこづかれて一様に肌がむけてお り、菰をめくって身よりを探している人々もすぐにはそれと見分けられないのであった。ようやく探し当てた身内を用意の桶に入れる段になって硬直 し た手足がつかえ、たやすくおさまらない。見ればまだ二十歳あまりの若者である。父親と見えた男は死人の腕を関節のあたりでへし折った。枯木の折れるような 音をたてて、ひん曲がっている脚も折った。泣きながらそうした。葦は泥で汚れて茶色になり根元から下流の方へ倒れていた。日は検死役の番所衆の上にも、菰 をめくって身よりを探している連中の上にも、舟を漕ぎ出して木切れを拾い集めている漁師たちの上にも照っていた。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P55)
2012年02月18日
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亀山郁夫さん版「悪霊(別巻) 「スタヴローギンの告白」異稿」を買書つんどく。ようやく、これにて完結です。「「スタヴローギンの告白」として知られる『悪霊』第2巻「チーホンのもとで」には、3つの異稿が残されている。本書ではそのすべてを訳出した。さらに近年のドストエフスキー研究のいちじるしい進化=深化をふまえ、精密で画期的な解説を加えた。テクストのちがいが示すものは何か。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月17日
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朝、起きぬけに私は裏庭へ行った。きのう、平松神社の境内のすぐ近くをながれる小川のほとりにひとむらの菖蒲を見つけ、根ごと掘りとって移し植えたのである。裏庭のすみにほかよりは低い湿地があり、真夏でも土は黒い。持ち帰った時刻に花はしおれてしまったが、いまあらためると再び生色をおびてみずみずしい紫色で目をたのしませる。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P18)顔を洗うより早く裏庭の夾竹桃へ急ぐ。木かげに植えた菖蒲を見るのが朝の楽しみである。槍の穂先に似た葉身が露にぬれてさ青に光る。一晩のうちにいちじるしく伸びている。掘りとって来たころとは見ちがえるばかりである。これは生粋の諫早菖蒲であると草木に通じている雄斎伯父はいわれた。大村城の庭園で栽培されているのは江戸菖蒲だそうである。花びらが大きく一見はなやかであるが葉身に水がゆきわたらず、開いた花も一両日でしおれてしまう。伊勢菖蒲、肥後菖蒲、みな同じである。ところがそれらの原種である諫早菖蒲は野性のまま手を加えられていないので、花びらは小さいかわりに葉身が大きく強く、少々の日でりにあってもしゃんとしている。花びらのいろどりはやや淡いが、江戸菖蒲のように一、二日でしおたれない。伯父上はそうおっしゃった。「葉がまっすぐに突っ立っておる、そこがよかところたい」私は一株の菖蒲が年をへて二株になり十株になり、この庭いっぱいをうずめつくすほどにふえる所を思いえがいた。梅雨晴れの空と同じ色をおびた青紫の花が開くのはさぞかし見ものであろう。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P34)(fwd-net長崎・諫早)
2012年02月17日
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紀田順一郎さん編「謎の物語」を買書つんどく。昔、ちくまプリマーブックスで出ていましたが、増補されて文庫化されましたので、買書しました。「それから、どうなったのか――結末は霧のなか、謎は謎として残り解釈は読者に委ねられる。不思議な「謎の物語」15篇。女か虎か/謎のカード/園丁 他」(筑摩書房の紹介)仕組まれた話(恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス(マーク・トウェイン)/女か虎か(F.R.ストックトン)/三日月刀の督励官(F.R.ストックトン)/女と虎と(J・モフィット))/たくらんだ話(謎のカード(C.モフェット)/続・謎のカード(C.モフェット)/穴のあいた記憶(B・ベロウン))/気になる話(ヒギンボタム氏の災難(N.ホーソーン)/茶わんのなか(小泉八雲)/指貫きゲーム(O・ヘンリー)/ジョコンダの微笑(A・ハックスリー))/後をひく話(野原(ロード・ダンセイニ)/宵やみ(サキ)/園丁(ラドヤード・キプリング)/七階(ディノ・ブッツァーティー))(「BOOK」データベースより)
2012年02月16日
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彼女たちは、きれいごとではなく、個性を全開にし、必死に人生を歩んだ。論理的な計算をもって巧妙に立ち回るというよりも、己の感性と衝動に従い、なりふりかまわずに生きた。その本気の迫力は周囲を圧倒し、伝説を残した。わがままで、ひと癖あり、お騒がせ、しかし、強く、誇り高く、愛すべき女たちであった。(山下聖美さん「女脳文学特講」P4)というわけで、山下聖美さんの「女脳文学特講」を読みました。登場する女性たちひとりひとりを深く追求したというものではなく、基礎知識の整理、といった感はありますが、今まで名は知っていても、知らなかった「女性の先駆者」たちのことが興味深かったです。また、同時代に生きておられますから、当然といえば当然なのですが、それぞれが、いろんな場面で関係しあっているところが、面白かったです。しっかし、「平塚らいてう」、「伊藤野枝」の両氏は、すごいですね、驚きますね。しかも、一方は、しぶとく戦後も生き延びて、お婆ちゃんになって天寿をまっとうし、一方は、大杉栄とともに26歳で虐殺される、という対極にあるような人生を生きます。ほんとに、不思議な感覚に打たれました。ただ、際立ったこのお二人は、タイトルとなっている「文学」ちゃうんとちゃうやろか。
2012年02月16日
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パオロ・バチガルピの「第六ポンプ」を買書つんどく。いや、このシリーズは「つんどく」のもとになりそうです。「化学物質の摂取過剰のため、出生率の低下と痴呆化が進行したニューヨーク。市の下水ポンプ施設の職員である主人公の視点から、あり得べき近未来社会を描いたローカス賞受賞の表題作。石油資源が枯渇し、穀物と筋肉がエネルギー源となっているアメリカを舞台に、『ねじまき少女』と同設定で描くスタージョン記念賞受賞作「カロリーマン」。身体を楽器のフルートのように改変された二人の少女を描く「フルーテッド・ガールズ」ほか、本邦初訳5篇を含む全10篇を収録。ヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス受賞の『ねじまき少女』で一躍SF界の寵児となった著者の第一短篇集。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月15日
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天神さんのネコは、今日もいる。しかし、なぜかカゴがひっくりかえっていたり、ネコさんの舌がでていたりもする。おまけに、誰かがあたえたチクワとたわむれて、こんなことをしていたりする。あまり、ありがたいネコさんではないのかもしれない・・・・・。天神さんのネコ天神さんのネコ2
2012年02月15日
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このとしになればとか、十五歳といえばもうだれも子供あつかいしないとか、くり返しいわれるけれども、私にしてみれば自分が今年になってにわかに大人びたとはどうしても思えない。身も心も十四歳のままである。しかし、単衣の襟もとからしのびこんで肌をくすぐる風、袖口から這入ってわきの下や胸をなでる風の快さは今年のものだ。路ばたに木漏れ陽をふりまいている樟の葉むれのなんというみずみずしい青さ。去年も同じ風に吹かれ、同じ樟のの若葉を見たのに、あたかも初めて目にするもののようである。何を見てもこのごろは気が弾む。きらきらと輝く路上の砂にたったいま水が撒かれ、黒と白の縞模様を織り出している。川面はいちめんにさざ波立ち、玻璃のような光を放つ。ありふれたものを見ていると、この世のものとは思えない美しさをおぼえて、ゆえもなく私は胸をときめかす。大人になるということは、もしかしたら自分が変るのではなく天地の風物が変ることではないのだろうか。(野呂邦暢さん「諫早菖蒲日記」P8)
2012年02月14日
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誉田哲也さんの「武士道エイティーン」を買書。いや、「武士道シックスティー ン」、「武 士道セブンティーン」ときて、実は、文庫化待っていました。「宮本武蔵を心の師と仰ぐ香織と、日舞から剣道に転進した早苗。早苗が福岡に転校して離れた後も、良きライバルであり続けた二人。三年生になり、卒業後の進路が気になりだすが・・・・・。最後のインターハイで、決戦での対戦を目指す二人のゆくえ。剣道少女たちの青春エンターテインメント、堂々のクライマックス。」(「BOOK」 データベースより)
2012年02月14日
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昭和五(一九三〇)年。詩人としてはほぼ無名のまま、金子みすゞは二十六年の生涯を閉じた。世間では、林芙美子の「放浪記」がベストセラーとなっていた。当時、芙美子も二十六歳。二人はともに明治三十六(一九〇三)年に生まれている。みすゞが暮らした下関で、幼少の頃芙美子も生活していたことがある。当時流行していた童話や童謡を書いていたことも二人の共通点だ。(中略)うすピンク色の桜餅を食べて、不平を深く心の内に沈めながら、静かに亡くなっていった金子みすゞ。一方で、どんぶり飯をかきこみながら「つらい」ときには「つらい」と叫び続け、うなぎ屋に行った次の日に突然亡くなった林芙美子。彼女たちは、それぞれまったく異なる個性の持ち主であったが、つねに「書く」ことを第一義として生きたことに変わりはない。様々な苦労も、苦しみも、そして喜びも、彼女たちは己のすべての体験を無駄にすることなく、それらを大切な種として、「文学」という土壌にまき続けた。(山下聖美さん「金子みすゞ」(「女脳文学特講」所収)P188)
2012年02月13日
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2年越しで、やっと咲き始めました。
2012年02月13日
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大正十二(一九二三)年四月、二十歳になったみすゞは、叔父が経営する上山文英堂に勤務するために、下関に移り住む。彼女にとってこの年は、様々な希望に満ちた時期となる。上山文英堂の小さな支店のたった一人の店番をまかされたみすゞは、大好きな本に囲まれ、自分の好みで商品をデイスプレイし、一人の時間に没頭する。心の中にだけ養ってきた自分だけの世界が、職場としてかたちになった。みすゞにとっては最高の環境であったはずだ。こうした幸せな空間で、彼女は童謡を書きはじめる。童謡や童話の雑誌が相次いで創刊されていたこの時期、投稿欄には全国から作品が集まり、若き投稿詩人が育ちはじめていた。みすゞは、雑誌「童話」に童謡を投稿した。すぐに、選者の西條八十に絶賛され、気づけば彼女の作品は毎月のように投稿欄に掲載されるようになった。みすゞの名は、投稿詩人たちの間で有名になり、憧れの存在となっていく。(山下聖美さん「金子みすゞ」(「女脳文学特講」所収)P185)
2012年02月12日
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唯川恵さんの「肩ごしの恋人」を買書つんどく。あまりむきじゃないけど、なんとなく、読んでみたいと思いました。「欲しいものは欲しい、結婚3回目、自称鮫科の女「るり子」。仕事も恋にものめりこめないクールな理屈屋「萌」。性格も考え方も正反対だけど二人は親友同士、幼なじみの27歳。この対照的な二人が恋と友情を通してそれぞれに模索する“幸せ”のかたちとはー。女の本音と日常をリアルに写して痛快、貪欲にひたむきに生きる姿が爽快。圧倒的な共感を集めた直木賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月12日
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しかし、このごく普通のことがふつうでなかったのが、みすゞの生きた時代、そして、本書で取り上げる女性たちが生きた時代であった。まず、現代とは女性のための法律がまったく異なる。家父長制のもと、父親や夫や長男という男たちに絶対の権限があり、就職や結婚に際しても彼らの許可を得なければならない状況のなかで、女性には、結婚していても、母親としての親権さえない。自らの意志で生きることのできなかったみすゞの人生こそが、むしろあの時代にあっては普通のことであった。それに比べて、私たちと同じ感覚で「ノー!」と叫び、たくましく世間を生きた女性たちが、いかに破天荒であったことか。見ているだけで圧倒されてしまう彼女たち生き方や、社会に対してのうるさいほどの主張。これらは、みすゞの人生と照らし合わせたときに、説得力を持つ。この時代、強烈な個性とたくましさをもたなければ、女性は自らの意志で人生を歩むことはできなかった。(山下聖美さん「金子みすゞ」(「女脳文学特講」所収)P179)
2012年02月11日
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橋本治さんの「巡礼」を買書つんどく。本屋さんにいったら、文庫化されてましたので、買ってみました。「男はなぜ、ゴミ屋敷の主になり果てたのか?いまはひとりゴミ屋敷に暮らし、周囲の住人達の非難の視線に晒される男・下山忠市。戦時中に少年時代を過ごし、昭和期日本をただまっとうに生きてきたはずの忠市は、どうして、家族も道も、見失ったのかー。誰もが顔を背けるような現在のありさまと、そこにいたるまでの遍歴を、鎮魂の光のなかに描きだす。橋本治、初の純文学長篇。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月11日
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僕は今、将来に対する不安がありません。自分の存在している理由が、はっきりとわかっているから。(中略)自分の人生は決まっています。僕の創造主である父の意志のままに。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P251)というわけで、中田永一(乙一)さんの「くちびるに歌を」を読みました。五島列島の中学生、「仲村ナズナ」、「桑原サトル」の、それぞれの青春で、救済で、旅立ちのお話です。特に、「サトル」にとっては、今まで自分に言い聞かせていた自分の存在理由が、ひっくりかえるような重い物語でもあります。ありがちといえばありがちですが、素直にこういうのを読んで、こころをすっきりさせるのはいいことだと思います。ただ、まあ、今回も、なんで乙一さんが別名義で発表しているのか、さっぱりわかりません、というか、「理由」があると思えませんでした。
2012年02月10日
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天神さんのネコは 今日もいる・・・・・。しかも、こんなんだったりもする。
2012年02月10日
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自分とは何で、どこへ向かうべきか「手紙」の歌詞にそのような一節があった。でも、僕は、自分とは何で、どこへ向かうべきかをしっている。自分が何のために生まれてきて、将来、どのようになるのかをしっている。これは自分だけの特殊なことで、普通の感覚ではないのだということは自覚している。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P121)学 校で向井ケイスケが話していたことをおもいだす。彼はいつか東京に行きたいらしい。自分の居場所を、自分で決められるだなんて、すごいことだなとおもう。 自分には、この五島を出て行きたいという願望なんてすこしもなかった。そもそも、自分が将来、どのような人生を歩むのかについては、この世に生まれる以前 から決まっていたのだから。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P177)
2012年02月09日
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みすゞは、つねに、この世とは別の、見えない世界を見ていた。宗教的な匂いさえ放つ独特な金子みすゞワールドには、この世だけではなく、あの世があった。現実社会だけではなく、想像の世界があった。見えるものだけではなく、見えないものがあった。だからこそ彼女は、自らの意思で命を絶ち、現実の向こう側にある宇宙へと旅立っていった。その意味で彼女は、本書で取り上げる女性たちの誰よりも大胆であったのかもしれない。彼女の世渡りは、この世だけでは終わらなかったのだから。彼女の言葉は人々の心の中に生き続け、口ずさまれる。金子みすゞは、肉体が滅んでも「死なない」最強の女であるのかもしれない。(山下聖美さん「金子みすゞ」(「女脳文学特講」所収)P174)?
2012年02月09日
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今日、この場所に来て、合唱というものへの認識が、またすこし変化したようにおもう。客席で他校の演奏を聴いたときのことだ。合唱というものを見くびっているつもりはかったのだけれど、声がホールに響きわたる様を目の当たりにして目が覚めるようなおもいだった。ステージ上に整列している合唱部員たちの、ちいさな身体から発せられている声なのだと、頭ではわかっているのだけれど、どうしても信じられなくなる瞬間があった。複数の人間の声が、織物のように世界を紡ぎ上げていた。伴奏と人間の声だけで、音楽のうねりが作り出される。複数の合わさった声は、個人の気配を消して、音の巨大な生き物を生み出していた。神話で語られるような大きさと神々しさの音楽の生き物だ。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P241)
2012年02月08日
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「白桃 野呂邦暢短篇選」を買書つんどく。僕にとって、地味に「野呂ブーム」かも。「豊 かな詩情、現実に立脚した視点によって紡ぎだされた確かな文学がここにある。故郷長崎に原爆が落ちたその日を描いた渾身の作「藁と火」(単行本未収録)所 収。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月08日
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指揮をする辻エリが、私たちの顔を見渡す。彼女の表情に、さきほどまであった不安はもうない。運命に挑むような決意が見える。ひな壇の私たちに電気のようなものが走った。全員がおなじおもいを共有していた。これまでに体験した、どんな大会ともちがっている。金賞をとって勝ち進みたいという願望もなければ、ミスをしないだろうかという恐怖も消えた。今、私たちにあるのは、もっと純粋で、つよい心だった。私たちは、ただ歌を届けたかった。海を渡ったところにいる。大切な人に。「「くちびるに歌を持て、ほがらかな調子で」ってね。それをわすれないで」松山先生の言葉をおもいだす。きっと、その通りだ。どんなに苦しいときでも、つらいときでも、不幸なときでも、迷ったときでも、かなしいときでも、くちびるに歌をわすれなければだいじょうぶ。私たちは涙をぬぐっていつだって笑顔になれる。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P247)
2012年02月07日
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この頃、海神社の天神さんのところに、毎朝(!)ネコが鎮座しています。あまりかわいいとはいえないけれど、もしかすると、とてもありがたいネコなのかもしれない(笑)。
2012年02月07日
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いつのまにか彼女は、パソコン本体をかかえて、ガラスの割れている窓のむこうがわに立っていた。一階部分の屋根が窓の下に突き出ており、彼女はその瓦屋根を足場にしている。小型のデスクトップパソコンをおもむろにふりあげると、彼女は、家の前の道にむかって、たたきつけるように投げ飛ばす。室内でつかみあっていた僕と神木先輩と彼の親戚のおばさんは、パソコンがアスファルトに転がる音を室内で聞いた。「やー、すっきりしたー」カーテンのむこうで、明るい日差しに照らされる彼女の顔はきれいだった。しかしその直後、忽然と彼女は消えてしまう。僕と神木先輩は、ベッドによじのぼり、そのむこうにある割れた窓から外をのぞいた。彼女の姿はどこにもなかったけれど、窓辺からはよく見ることのできない屋根の下あたりからうめくような声が聞こえてくる。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P203)
2012年02月06日
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玄関前のサクラソウ。まだこれからですね。
2012年02月06日
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「そりゃあ、合唱がたのしかてんたい。惰性じゃなかぞ」合唱がたのしい。その言葉を聞いて、僕はかんがえる。一人一人の声が寸分たがわずにぴたりと重なり、渾然一体となって場を支配する瞬間があった。入部当初はなかなかその瞬間に出会うことができなかったけれど、最近になってすこしずつ、ラジオのチューニングが合うかのようにその瞬間が訪れる。奇跡的に声が合わさり、ほんの短い時間だけその感覚につつまれる。そのとき自分の声が、自分の声ではなくなるような気がした。たしかに自分が口をあけて発声しているのだけれど、何かもっと大きな意志によって背中をおされるように歌っているようにおもえる。周囲にひろがるのはだれの声でもない。全員の声が合わさった音のうずである。それはとてもあたたかくて、このうずのなかにずっといたいとおもえる。その瞬間だけは、孤独もなにもかもわすれる。でも、長くは続かない。全員がそれを維持したいとおもっているのに、やがてだめになってしまう。たぶん、練習不足のせいだ。声がすこしでもずれた瞬間、魔法は消え去って、僕たちはまた一個人にもどっていく。(中田永一(乙一)さん「くちびるに歌を」P157)
2012年02月05日
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野呂邦暢さんの「諫早菖蒲日記」が届きました。早いうちに(?)、読んでみようと思います。「佐賀藩の圧政に忍従する諫早藩。開港を求めて続々と来航する外国船。そこで動揺する武士の姿。当時の諫早を切々とスケッチした時代小説。」(「BOOK」データベースより)
2012年02月05日
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