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そういうことだったのか、という気がした。自分が良く知っている場所だけに、妙に腑に落ちる感じがした。そしてふと気づいた。――こちらのほうが、本体だ。(小野不由美さん「残穢」P283)というわけで、小野不由美さんの「残穢」を読みました。作者(小野さん)のところへは、全国から「怪談実話」が寄せられていて、その中の一つが、以前に報告のあったのと同じマンションを舞台にしたものであることに気づきます。その土地で、昔なにがあったのかなど、原因を探っているうちに、話はどんどん発展して、ついに、日本のとある場所の「おおもと」の原因にたどり着き、そのマンションの「怪異」がそこから伝播したものであることを突き止めるのですが、最後は、その「おおもと」から別の土地に飛び火したところの惨状を見る場面で物語が終わります。小野さんご本人をはじめとして、東雅夫さん、平山夢明さん、福澤徹三さんなどの作家さんも実名で登場する実話怪談のような形式をとっており、リアリティーがあるのかないのかよくわかりません。本を読みながら、まず思ったのは、この本にも出てくる、清水崇監督の「呪怨」のことです。ただ、あれほど怖く(禍々しく?)はありませんでした(笑)。ところで、登場人物の一人である福澤徹三さんは、ブロンズ新社から出された「幻日」という怪談短編集でデビューしたのですが、これは、良質の幻想小説でもあって、僕が大好きな本でもあります。現在、リライトされて「再生ボタン」というタイトルで幻冬舎文庫に入っていますが、ホラープロパーでない人にもお勧めできるものだと思います。ただし、リライトされる前(僕はそれで読みました)のほうがよかった、という人もいるようです。
2012年07月31日
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「平家」巻八の後半には、のしあがる頼朝、ずり落ちる義仲が、事につけ対照的にえがき出される。「さる程に鎌倉の前右兵衛佐頼朝、居ながら征夷将軍の院宣を蒙る。御使は左史生中原泰定とぞ聞こえし。」(中略)頼朝に征夷大将軍の宣旨が下ったのは、「平家」のしるす寿永二年十月ではなく、九年ものちの建久三年(一一九二)七月のことである。この年の三月、後白河法皇は六十六歳で没している。法皇は頼朝がほしがっていた征夷大将軍の院宣をついに下さずに押し通した。この史実との差異は、「平家」最大の作為としてよく知られている。しかし、寿永二年十月には何もなかったわけではない。法皇より一つの宣旨が下された。「百錬抄」によれば、「東海東山諸国の年貢、神社仏寺ならびに王臣家領の荘園、もとのごとく領家に随ふべきの由、宣旨を下さる。頼朝申し行ふに依るなり。」すなわち、この院宣は、東海道、東山道の院、宮、貴族、社寺の荘園、国領の権をもとに戻して保障する役柄ならびに紛争の処理権を頼朝に一任するという。これによって頼朝の関東支配も公認されたのだから、事は重大である。頼朝は、この宣旨を鎌倉に居ながらにして受け取った。そして使者に立ったのは、まさしく中原泰定であった。「平家」はこの宣旨、いわゆる「十月宣旨」の効果が、事実上、征夷大将軍の院宣にもひとしいのを見きわめることのできた時代に集成された物語である。たしかに思いきった言換えであるが、それが歴史を曲げるような事実の改造とは「平家」の作り手たちはゆめ考えなかったであろう。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴 く」P287)
2012年07月30日
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平家物語が、「平家は西国に、兵衛佐は東国に、木曾は宮こにはりおこなふ」とこの時期(寿永二年)の情勢を要約しているように、中央を支配している義仲・行家の勢力は、西国の平氏と、東国の頼朝の勢力とにはさみうちされる態勢にあった。しかも義仲・行家の平氏追討の失敗のために、平氏は播磨以西を支配する力をたくわえてきている。一方頼朝は義経・範頼を尾張まで進出させて、都をうかがっていた。そのうえ、義仲の勢力の内部においても、伯父の十郎蔵人行家は、院とむすんで、かれから離反しようとする形勢もみえていた。しかしこのときの義仲にとって致命的だったのは、外部からの圧力よりも、内部の解体と離反であり、ことに後白河法皇の動向であった。法皇は義仲に平家追討を命じておきながら、かげで頼朝と連絡して義仲の討滅をはかっている。法皇と頼朝との結託についての平家物語の叙述は、歴史的事実と相違することが多いけれども、そのことはここでの問題ではない。事実として、法皇は、義仲の留守中に、かれの根拠地たる北陸地方さえ、頼朝の支配化におくことを許そうとしたのであるから、平家物語の叙述は、この時の形勢を物語として正しくつかんでいるといえよう。院の動向が畿内の武士の動向をも決定したことをのべて、平家物語は、「院の御気色あしうなると聞えしかば、はじめは木曾にしたがうたりける五畿内の兵ども、皆そむいて院方へ参る。信濃源氏、村上の三郎判官代、是も木曾をそむいて法皇へ参りけり」とのべている。このように平家物語は、義仲のおかれた絶望的な環境と、周囲から裏切られてゆく孤立した状況をよくとらえ、表現しているのであって、かかる環境のなかで演じられた後白河法皇の決定的な役割を正しく浮彫りにしているといえよう。(石母田正さん「平家物語」P92)
2012年07月29日
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平家は西国に、兵衛佐は東国に、木曾は宮こにはりおこなふ。前漢・後漢の間、王莽が世をうちとッて十八年をさめたりしがごとし。四方の関々皆とじたれば、おほやけの御調物をもたてまつらず。私の年貢ものぼらねば、京中の上下の諸人、たゞ少水の魚にことならず。あぶなながらとし暮て、寿永も三年になりにけり。(「平家物語(三) 巻第八」P216)これにて、巻第八が終り、巻第九にはいります。
2012年07月29日
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本来、地鎮祭はその土地の神に許しを得るための儀式だ。そもそも土地は神のもので、それをひとが勝手に占有し、勝手に弄るのだから、それに先立って国土の神、地域の神、土地の神に許しを得る必要がある。したがって、本来は建物を建てるときだけではなく、土地に手を加えるときにはなべて行われる、いわば挨拶のようなものだ、と言える。特に地域の神――産土神は、土地の神というよりは、地縁の神だ。地面という意味の「土地」ではなく、人々が居住するある地域という、社会的な概念としての「土地」の神なのだ。ならば、住まいを移るに際して、去ることになる土地の神に挨拶をし、入ることになる土地の神に挨拶をするのは理に適っている。やって安心できるのであれば、やるのがいいと思う。その効能はさておき、礼儀として美しい。(小野不由美さん「残穢」P334)
2012年07月28日
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酒見賢一さんの「泣き虫弱虫諸葛孔明(第3部)」を買書つんどく。5年ぶりの第3部です。もう、やんぴなのかと思ってました。「長坂坡の戦いで魏の曹操に大敗するも、辛くも関羽や張飛らとともに逃げのびた劉備玄徳。蜀軍と行動をともにした呉の魯粛は、同盟締結のために孔明を呉に連れ 帰った。厭戦気運が高まっていた呉だったが、孔明の得意(特異?)な弁舌により厭戦派は抑えられ、呉は蜀とともに魏軍と決戦することに。やがて迎えた赤壁の戦いで、孔明は勝利の決め手となった東南の風を呼ぶことに成功する――。しかし勝利のかたわら、孔明の変態的ないかがわしさに殺意を抱いた呉の周喩はその身柄を拘束しようと図る。果たして孔明は無事脱出できるのか? かつてない孔明像を描いて人気のシリーズ第三弾は、『三国志』中最大の決戦「赤壁の戦い」を描きます!」(文藝春秋社の紹介)
2012年07月28日
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建物には、真辺家の最後の主人が、懸命に何かと戦った痕跡が至る所に残されていた。あちこちに貼られたお札、ほとんど部屋 ごとに置かれた仏壇や神棚。単なる丸盆にコップと小皿を置いたものが四隅に残された部屋も複数、あった。魔よけのためだろうと思われる意匠を施された鏡、 あるいは置物。ある部屋から見える庭先には、社や地蔵が並んでいた。まるで卒塔婆のように梵字を書き連ねた板で封印した部屋もあった。悲壮な、と 言うしかない。複数の仏壇や神棚を笑うことはとてもできなかった。(中略)「神にも縋った、仏にも縋った、まじないにも縋った。――こと ごとく駄目だったから、最後の手段として魔に縋ったのかもしれません」かもしれない、と思った。(小野不由美さん「残穢」 P321)
2012年07月27日
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凡京中には源氏みちみちて、在々所々に入りどりおほし、賀茂・八幡の御領とも言はず、青田を刈りてま草にす。人の倉をうちあけて物をとり、持ッて通る物をうばひとり、衣装をはぎとる。「平家の都におはせし時は、六波羅殿とて、たゞおほかたおそろしかりしばかり也。衣装をはぐまではなかりし物を。平家に源氏かへおとりたり」とぞ人申しける。木曾の左馬頭のもとへ、法皇御使あり。「狼藉しづめよ」と仰下さる。(中略)木曾左馬頭、院の御気 色あしうなると聞えしかば、はじめは木曾にしたがうたりける五畿内の兵ども、皆そむいて院方へ参る。信濃源氏、村上の三郎判官代、是も木曾をそむいて法皇へ参りけり。今井四郎申しけるは、「是こそ以外の御大事で候へ。さればとて十善帝王にむかひまゐらせて、争か御合戦候べき。甲を脱ぎ、弓をはづいて降人にまゐらせ給へ」と申せば、木曾大にいかッて、「われ信濃を出し時、麻績・会田のいくさよりはじめて、北国には砥浪山・黒坂・篠原、西国には福立寺縄手・さゝのせまり・板倉が城を責しかども、いまだ敵にうしろを見せず。たとひたとひ十善帝王にてましますとも、甲を脱ぎ弓をはづいて、降人にはえこそ参るまじけれ。たとへば都の守護してあらむものが、馬一疋づゝかうて乗らざるべきか。いくらもある田どもからせてま草にせんを、あながちに法皇のとがめ給ふべき様やある。兵糧米もなければ、冠者原共がかたほとりについて、時々入りどりせんは、何かあながちひが事ならむ。大臣家や宮々の御所へも参らばこそ僻事ならめ。是は鼓判官が凶害と覚ゆるぞ。其鼓め打破って捨よ。今度は義仲が最後の軍にてあらむずるぞ。頼朝が帰聞かむ処もあり、軍ようせよ者ども」とて、うッたちけり。(「平家物語(三) 巻第八」P194)
2012年07月27日
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「私宅監置、って知ってますか」私は意外な言葉に、ぽかんとした。精神病患者を自宅に監置する、あれだろうか。――いわゆる「座敷牢」だ。明治期から終戦直後まで、制度として存在したことは知っている。精神病患者に対し、地方自治体の許可を受けた責任者が、定められた監置室(これが俗にいう座敷牢だ)に監禁する。精神障害の患者はいつの世にも存在するが、明治期以前には「癲狂」と呼ばれ、周囲にとって脅威や邪魔になるようであれば監禁、拘束することで社会から隔離し、民間薬や加持祈祷で対応するしかなかった。法整備がなされたのは一九〇〇年になってからのことだ。この年にできた「精神病者監護法」によって、患者は弱者として保護されることになった。患者を私宅や病院に監置する場合には、医師の診断書を添えて警察署を経て地方長官の許可を得なければならない、とされた。医師の診断もなく、公の認可もなく家族や社会が勝手に患者を隔離することはできない。しかしながら、この法律には医療上の対応についての規定がなく、又患者を収容する病院も絶対数が不足していたために、かえって患者を私宅に監置する大義名分になってしまった。これを憂い、一九一九年には「精神病院法」が制定されて、道府県に精神病院の設置を行うことにしたが、これは遅々として進まず、結果、一九五〇年に「精神衛生法」が作られるまで私宅監置が常態的に行われていた。(小野不由美さん「残穢」P254)
2012年07月26日
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宮内悠介さんの「盤上の夜」を買書つんどく。この本は、直木賞候補になりました。一方、品切れていた、受賞作の辻村深月さん「鍵のない夢を見る」も、ようやく再び書店に並び始めましたね。「相田と由宇は、出会わないほうがいい二人だったのではないか。彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになったー若き女流棋士の栄光をつづり、第一回創元SF短編賞で山田正紀賞を贈られた表 題作にはじまる全六編。同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる数々の奇蹟の物語。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、 将棋…対局の果てに、人知を超えたものが現出する。二〇一〇年代を牽引する新しい波。」(「BOOK」データベースより)
2012年07月26日
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日本には古来、「触穢」という考え方がある。穢れに触れると伝染する、という考え方だ。「穢れ」とは、忌避すべき対象をいう。「罪穢れ」という語にも見られるように、穢れは罪と密接な関係を持っていた。(中略)また、罪とは別に、死や出産など、異常な生理的事態を「穢れ」とし、罪によって生じた穢れ同様、除去すべきものとして取り扱ってきたのだ。特に、死による穢れは「死穢」といって重大視された。(中略)もうひとつ、穢れと罪との間には根本的な違いがある。穢れは伝染するのだ。そのため、穢れは隔離されねばならず、接触を忌避する。特に死穢は死者家族や血縁親族を汚染するとされた。そのため、喪屋を設けて死を隔離し、のみならず遺族には服喪の期間を設け、この間、世間から隔離するとともに穢れを浄化するための行為を行わせた。これは、現在においても残滓のように習慣として残っている。(中略)穢れは伝染し、拡大する。清めるための祭祀が行われなければ、広く薄く拡散していくのだ。「つまり、これは触穢みたいなものだ、ということですか?」私は頷いた。(小野不由美さん「残穢」P226)
2012年07月25日
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丸尾末広さんのコミック「瓶詰の地獄」を読みました。この本自体は大乱歩の原作じゃないですが、「パノラマ島奇譚」、「芋虫」に連なるシリーズになるんでしょうね。もうほんとに、丸尾さんの「猟奇の世界」ですから好みはわかれると思います。僕は、花輪和一さんが好きですが、興味ない方にはおんなじように思われるかもしれませんね(笑)。「日本漫画界が世界に誇る魔神・丸尾末広、二十一世紀初の新作短編集!夢野久作の代表作完全漫画化についに挑んだ『瓶詰の地獄』から、丸尾テイストが横溢する待望のオリジナル作『かわいそうな姉』まで、世界で彼にしか描き出すことのできない、猟奇と陶酔に満ちた、漆黒の物語の花束。」(エンターブレインの紹介)
2012年07月25日
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「怪談というのは、語ること自体が怪だという側面はあると思います。怪談の内容の問題ではなく、ある怪談について語ること、そのものに怪しいものが潜んでいる」――よく、分からない。呑み込めないでいることに気づいたのか、平山(夢明)氏は、「封印するしかなかった話にしても、内容はどうってことのない怪談だったりするんです。特別怖い、というものではなかったりする。けれども語らせてくれない。語ろうとすると変事がある。そういう話は「怪について語った話」というより、「怪しい話」です」(中略)気をつけたほうがいいですよ、と平山氏は言う。「怪談の中には、そういう、存在自体が怪しいものがあります。そういうのは気を付けて扱わないと酷い目に遭う」氏が真剣な表情でそう言うので背筋が伸びた。(小野不由美さん「残穢」P199)
2012年07月24日
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出口顕さんの「レヴィ=ストロース まなざしの構造主義」を買書つんどく。また、難しげな本を買ってしまった。出口さんには、「めぞん一刻」の、一刻館の住人の名前の分析を導入部とする「名前のアルケオロジー」という本があります。「人類学を刷新しただけでなく、二十世紀後半の思想の流れを根底から変えた巨人・レヴィ=ストロース。神話、家、仮面、自己などの重要な主題をめぐりつつ、生涯をかけて他者を探求し、かぎりなく他者に開かれつづけた、その「まなざし」を問う中から、「漂泊の思想家」という新しい姿を描き出し、さらに人類学の最前線へ向かう。いままでになかったレヴィ=ストロース入門にして、レヴィ=ストロース論の決定版。」(「BOOK」データベースより)
2012年07月24日
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だが、報じられる前に飯田氏は自殺体で発見され、無理心中だと判断が下っている。これはどういうわけか、マスコミ的には 「殺人及び殺人未遂事件」ではなく、「心中」という現象になるらしい。「心中」は自殺の一種であって殺人の一種ではなく、自殺は殺人に比べてニュースにな りにくい。昔から不思議でならないのだが、日本には家族による無理心中を軽く扱う傾向があるのだ。家族は一心同体だと看做されているのかもしれない。家族 を殺して自身が死ぬことを、自身の身体を損壊してから死ぬことと同義であるかのように扱う傾向があり、これは裁判の上においても例外ではない。他人を殺し て自殺を企画し死にそびれても、家族を道連れにして死にそびれても罪状は同じく殺人だが、概して後者のほうが量刑は軽くなる。目にすることが珍しいだけで、無理心中は稀な事件ではない。むしろ珍しくないからニュースにならないのかもしれない。(小野不由美さん「残穢」P146)
2012年07月23日
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辻村深月さんの「ふちなしのかがみ」を買書つんどく。直木賞を獲った、「鍵のない夢を見る」は、すっかり本屋さんにないですね。だからってわけじゃないですが、文庫化されてたこの本を買いました。また、怪談ですね(笑)。「この学校の花子さんは、音楽室から飛び降り自殺した少女の霊です。花子さんは階段に棲んでいて、一生懸命掃除すれば会うことができます。でも、彼女がくれる食べ物や飲み物を口にしてはいけません。嘘をついてもいけません。さもないとー。おまじないや占い、夢中で話した「学校の七不思議」、おそるおそる試した「コックリさん」。青春ミステリの旗手・辻村深月の新境地。懐かしくって怖い現代の怪談が、ついに文庫化。」(「BOOK」データベースより)
2012年07月23日
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我々がいま住んでいるこの場所、そこには確実に過去の住人がいたはずだ。前住者の前にはさらに前の住人がおり、その前にはさらに以前の住人がいた。もちろんどこかで何もない原野だったという段階に辿り着くのだろうが、そこに至るまでにどれだけの人間がそこに住み、どんな人生を営んでいたのだろう。多くの人々が住んでいたに違いない以上、そこでは様々なことがあったに違いない。良いこともあれば悪いこともあっただろう。時には不幸な死――無念を残す死もあったに違いない。もしも無念の死が未来に影響を残すのだとしたら、それはいったいどれだけの期間なのだろう。無限なのだろうか、それとも有限なのだろうか。有限だとすれば、何年なのだろう。何十年――あるいは、何百年なのだろうか。(小野不由美さん「残穢」P84)
2012年07月22日
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桜庭一樹さんの、「まだ桜庭一樹読書日記」が更新されてましたので、ご紹介。今回は、町山智浩・柳下毅一郎さん「映画欠席裁判」、日本放送協会「わたしが子どもだったころ 1」、坂本大三郎さん「山伏と僕」、志村ふくみさん「白のままでは生きられない」、小池真理子さん「望みは何と訊かれたら」、ギャスケル「女だけの町」、エドウィッジ・ダンティカット「骨狩りのとき」、宮内悠介さん「盤上の夜」、ライオネル・シュライヴァー「少年は残酷な弓を射る」、カルロス・ルイス・サフォン「風の影」なんかのことでした。僕は、この中では、小池さんの「望みは何と訊かれたら」だけ読んでいて、とりとめのない感想をアップしてました。それと、まだ「つんで」いない、「少年は残酷な弓を射る」には、なんとなく興味がありますね。
2012年07月21日
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泰定都へのぼり院参して、御坪の内にして、関東のやうつぶさに奏聞しければ、法皇も御感ありけり。公卿・殿上人も、皆ゑつぼにいり給へり。兵衛佐(頼朝)はかうこそゆゝしくおはしけるに、木曾の左馬頭(義仲)、都の守護してありけるが、たちゐの振舞の無骨さ、物言ふ詞つゞきのかたくななる事、かぎりなし、ことわりかな、二歳より信濃国木曾といふ山里に、三十まで住みなれたりしかば、争か知るべき。(「平家物語(三) 巻第八」P170)
2012年07月20日
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小野不由美さんの「残穢」を買書。9年ぶりとは、「ゴースト・ハント」シリーズの手入れに集中しすぎちゃっ たかも。なにげに作風も違うようになった気がするし・・・・・。「怨みを伴う死は「穢れ」となり、あらたな怪異の火種となるのか ──。畳を擦る音が聞こえる、いるはずのない赤ん坊の泣き声がする、何かが床下を這い廻る気配がする。だからあの家には人が居着かない──何の変哲もないマンションで起きる怪奇現象を調べるうち、浮き上がってきたある「土地」を巡る意外な真実。著者9年ぶりの500枚書き下ろし、戦慄のドキュメンタリー・ホラー長編。」(新潮社の紹介)
2012年07月20日
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「RUDE BOY 岡崎京子未収録長編」を読みました。まさに『ヘルタースケルター』効果。悪くはないですが、やっぱり中途半端で、マニア向けかと思います。「7月に映画『ヘルタースケルター』が公開になる、岡崎京子。このタイミングでなければ、 世に出ることはなかったかもしれない未収録作品を集めました。表題作の「RUDE BOY」は、 宝島社の書庫から発見された『rockin' comic』『マンガ宝島』に掲載された長編。さらに、雑誌掲載以来、単行本に収録されていなかった初の連載作「爆烈女学校」、雑誌『宝島』 に掲載されたマンガなど、幻の作品ばかりを収録します。」(宝島社の紹介)
2012年07月19日
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近づいても、逃げなかった・・・・・。大丈夫か・・・・・?。
2012年07月19日
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新羅・百済・高麗・荊旦、雲のはてまでも落ちゆかばやとはおぼしけれども、浪風むかうてかなはねば、兵藤次秀遠に具せられて、山賀の城にぞこもり給ふ。山 賀へも敵よすと聞えしかば、小舟どもに召して、夜もすがら豊前国柳が浦へぞわたり給ふ。こゝに内裏つくるべきよし沙汰ありしかども、分限なかりければつく られず。又長門より源氏よすと聞えしかば、海士小舟にとりのりて、海にぞうかび給ひける。(中略)平家の小舟どもにのり給へる由承ッて、大舟百余艘、点じて奉る。平家これに乗移り、四国の内をもよほして、讃岐の八島にかたのやうなるいた屋の内裏や御所をぞつくらせける。其程は、あやしの民屋を皇居とするに及ばねば、舟を御所とぞ定めける。(「平家物語(三) 巻第八」P160)
2012年07月18日
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H・R・ウェイクフィールド「ゴースト・ハント」を買書つんどく。こういうのを出してくれるのが、うれしいなあ。夏だし。と、書いたところで、西欧では怪談は冬が定番だと思い出しました。「幽霊屋敷訪問の様子を実況するラジオ番組のリポーターが訪れたのは、30人にも及ぶ自殺者を出したという異様な来歴を秘めた邸宅だった・・・・・。極限の恐怖を凝縮した代表作「ゴースト・ハント」他、瀟洒な田舎の別荘(カントリー・ハウス)の怪異譚「暗黒の場所」など本邦初訳作5篇を含む、正統的な英国怪奇小説最後の書き手と謳われる名手・ウェイクフィールドの逸品18篇を集成した、初の文庫版傑作選。」(東京創元社の紹介)
2012年07月18日
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結局のところ、私たちは、未だに女のセックスや女の容姿、つまりは女であることを取り扱いかねているのかもしれない。なぜ女は体を売って悪いのか、なぜその職業がこんなに貶められているのか、なぜ男は買い続けるのか、結婚に私たちは何を求めているのか、無償のセックスで女は何を得られるのか。女はこの社会でどう生きれば、愛されるのだろう。自由になれるのだろう。私には佳苗が、全く違う価値観の女を2人抱えたまま、全て1人で、その答えを出しているように見えるのだ。それは不気味なほどの冷酷さと冷静さで。怖いほどにたった1人の世界で。とんでもなく不気味な方法で。佳苗がこれまでにいなかった「毒婦」なのだとしたら、それは佳苗が、毒婦という言葉から、男性たちが多少なりとも感じていたであろう甘美さのようなものを、嘲笑うようにそぎ落とした点だろう。男たちが女に求めた幻想そのものを、佳苗は殺したのだから。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P205)というわけで、北原みのりさんの「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」を読みました。快適な生活をするためのお金を得るために、高校から援助交際を始め、年齢がいけば結婚詐欺で金を貢がせ、あげくの果てに睡眠薬で眠らせ、練炭で殺してしまうだけの人物に、何も学ぶものはありません。なにが、「木嶋佳苗」という人物を生んだのかを、考えたい人は考えたらいいと思います。ただ、不思議なのは、「木嶋佳苗」という人物が、殺人については全面否定していることです。人の命なんて、何とも思っとらんだろうに、それはそれは、珍なることです。
2012年07月17日
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うちのヤマボウシにいたカマキリです。
2012年07月17日
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平家は緒方三郎維義が三万余騎の勢にて、既によすと聞えしかば、とる物もとりあへず大宰府をこそ落ち給へ。さしもたのもしかりつる天満天神のしめのほとりを、心ぼそくもたちはなれ、駕輿丁もなければ、葱花・宝輦はたゞ名のみ聞きて、主上要輿に召されけり。国母をはじめ奉て、やンごとなき女房達、袴のそばをとり、大臣殿以下の卿相・雲客、指貫のそばをはさみ、水きの戸を出て、かとはだしにて我さきに前にと、箱崎の津へこそ落給へ。をりふしくだる雨、車輪のごとし。吹風、砂をあぐとかや。落つろ涙、ふる雨、わきていづれも見えざりけり。(中略)いつならはしの御事なれば、御足より出づる血は沙をそめ、紅の袴は色をまし、白袴はすそ紅にぞなりにける。(「平家物語(三) 巻第八」P160)平家、「大宰府落ち」です。
2012年07月16日
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神林長平さんの「ぼくらは都市を愛していた」を買書つんどく。還暦を超えて、神林さん、ますます元気ですね。「世 界中で頻発する「情報震」。原因は不明。デジタルデータが壊滅し、無人と化す大都市。偵察のため、トウキョウに入った日本情報軍中尉は、思わぬ「敵」と遭 遇する……。 先進都市で醸成された人の意識とコミュニケーションが激しく揺さぶられたとき、そこに何が生まれるのか!? ポスト3.11の地平を鋭く描き、もはやSFを超えた、渾身の書き下ろし!」(朝日新聞出版の紹介)
2012年07月16日
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「援交と新・専業主婦はちゃぶ台につくシロアリのようなものです」かつて、小倉千加子は言った。ちゃぶ台とは、日本社会を支える「家父長制」のこと。男の性欲、男の力が女を支配するこの社会で、裏をかくように自分で自分のセックスを売りに出した女の子たち。そして一方で、高収入の男と結婚しなければ専業主婦になる意味がないと考える「新・専業主婦」たち。バブル崩壊後の日本に突如出現した女たちは、この社会の屋台骨を食い尽くすような存在なのだ、という話だった。正に佳苗は、援交をし、そして新・専業主婦願望の女だった。新・専業主婦を目指す「バブルな女」たちを上に見ながら、少し下の「援交」たちの狭間で、自分の「女としての価値」を最大限に利用し、男たちと交渉し続けた。「結婚詐欺」という昔ながらの詐欺にもかかわらず、この事件が「新しかった」のは、佳苗の背後に佳苗に似た女の子たちが、たくさんたくさんいたからだ。殺人は別として、佳苗の男への苛立ち、佳苗の男へのドライさは、ある世代の女ならば誰もが共有する感覚である。しかし、結局、あの世代の女の子たちがした援交は、この世界の何を変えたというのだろう。小倉さんが言ったシロアリが屋台骨を食い尽くす前に、もっと大きな力で既にこの社会が崩れかけているような時代、30代になった女の子たちはとっくにシロアリなんかじゃなくなっている。上野千鶴子さんと佳苗のことを話した。その時の上野さんの言葉が強く心に残った。「援交世代から思想が生まれると思っていた。生んだのは木嶋佳苗だったのね」(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P203)
2012年07月15日
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やっとテッポウユリが咲きました。風でたおれたり、いろいろと紆余曲折がありました。
2012年07月15日
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澤井康佑さんの「一生モノの英文法」を買書つんどく。なんか、読まんだろう気がするもの、を買ってしまった。まいどのことなり。「長文読解力が必ず身につく!何度も挫折してきた人のために。英語力アップの最大の武器は、文法力を身につけること。そのポイントは文と文の結びつきを知ること。本書を読んでいくと、文と文のつながりがわかり、必ず長文が読めるようになる。」(講談社の紹介)
2012年07月14日
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義仲は明日何を起すかわからない異質の階層の人間であり、都では言葉も通じない田舎侍だという不安が、公卿たちを支配して いた。義仲にとってももっとも不幸だったことは、彼が兵糧米の準備をしないで、西国からも東国からも孤立して慢性的な飢餓状態にある京都に侵入したことで あった。彼の軍勢は京都で、狼藉・掠奪・青田刈等をおこない、そのために貴族だけでなく、都市民全体から怨まれ、「平家に源氏替へ劣りしたり」と非難され た。作者は義仲が、自分の軍勢のこの狼藉を当然のことだと主張したように作為している。また彼の第一の郎党今井四郎兼平が、法皇に降人になることをすすめ たのにたいして、義仲はたとえ帝王であっても、「甲を脱ぎ弓の弦を弛いて降人にはえこそ参るまじけれ」といって拒否したように書いている。これも義仲を根 からの叛逆者として印象づけ、つぎにおこる法住寺合戦の伏線とするための作為であろう。しかし全体としてみればこの前後の物語は、義仲の絶望的な地位と、 法皇の法住寺殿を襲撃せざるを得ない必然税がかなりよく描かれているといってよい。(石母田正さん「平家物語」P92)
2012年07月14日
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七月二十八日、早くも法皇は都へ還御、「木曾、五万余騎にて守護し奉る」と「平家」はいう。じつは、法皇の還御は二十七日、木曾義仲の院初見参は翌二十八日のこと。ここで「平家」は「玉葉」「吉記」に記録されているとおりにはせず、義仲の動静をきわ立たせるつもりで、義仲が五万余騎して(誇張あり)坂本より京まで法皇を守護したことにあらためたと、現代の諸注釈本は注意をうながす。とにかく「この二十余年見えざりつる白旗の、けふはじめて都へ入る、めづらしかりし事どもなり。」平治の乱よりたしかに二十四年、都には平家の赤旗しか見えなかった。行家また義仲とは別途、宇治橋をわたって都入りすれば、摂津、河内の源氏も都へはせつどってきた。法皇は蓮華王院の御所に義仲、行家を召し、さっそくに平家追討の院宣をくだした。都のぬしは、いまや後白河である。この大天狗は、源氏勢が都に滞留するのをうるさいと見た。さっさと西海へ、平家のあとを追いかけて、消えてしまえ。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P281)
2012年07月13日
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木曾は赤地の錦の直垂に、唐綾威の鎧着て、いか物つくりの太刀をはき、きりふの矢負ひ、しげどうの弓脇にはさみ、甲をば脱ぎ、たかひもにかけて候。十郎蔵人は、紺地の錦の直垂に、火おどしの鎧着て、こがねづくりの太刀をはき、大なか黒の矢負ひ、ぬりごめどうの弓脇にはさみ、是も甲をば脱ぎたかひもにかけ、ひざまづいて候けり。前内大臣宗盛公以下、平家の一族追討すべきよし仰せ下さる。両人庭上に畏ッて承る。おのおの宿所なきよしを申す。木曾は大膳大夫、成忠が宿所、六条西洞院を給はる。十郎蔵人は、法住寺殿の南殿と申萱の御所をぞ給はりける。法皇は、主上、外戚の平家にとらはれさせ給ひて、西海の浪のうへにたゞよはせ給ふ事を御なげきあッて、主上並三種の神器宮こへ返し入れたてまつるべき由、西国へ院宣を下されたりけれども、平家もちゐたてまつらず。(「平家物語(三) 巻第八」P130)
2012年07月13日
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赤坂真理さんの「東京プリズン」を買書つんどく。ひさびさの、赤坂さんの本の「買書つんどく」です。「戦争は忘れても、戦後は終らない・・・・・16歳のマリが挑んだ現代の“東京裁判”を描き、朝日、毎日、産経各紙で、文学史的事件と話題騒然! 著者9年ぶりとなる感動の超大作。」(河出書房新社)
2012年07月12日
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女の犯罪者の場合、その美醜も事件の要素の一つである。もし佳苗が美しい女だったら、被害者男性たちは、羨望や同情を集めただろう。それなのに美しくない 女の被害者になった男性たちは、容赦なく好奇の目にさらされた。被害者すら「ブス色」に染められる。女の容姿そのものが事件であることに、言葉を失う。だいたい殺人事件だというのに、法廷に満ちるはずの哀しみや怒りや羨望は、正直に言えば薄かった。殺人事件ならば、加害者と被害者が対立し、そこには埋められないほどの深い溝があるはずである。ところが、そういった明確な強い対立を、この事件からは感じられなかった。それどころか、被害者の男性たちが、佳苗 を中心とした物語の登場人物であるかのように見えてしまうのである。遺族の感情については言うまでもない。が、法廷で知らされる事実、法廷で話された内容を追う限りにおいて、加害者と被害者の感情的な対立が、はっきりと見えてこない点が、この事件のちぐはぐさを深めたのは確かだ。そう、被害者すらが、どこか毒婦と呼ばれた佳苗色に染まっているのだ。もしかしたら、毒婦の意味すら、木嶋佳苗は、佳苗色に塗り替えたのではないかと思った。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P198)
2012年07月12日
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これより「平家」は巻八。物語のむこうに後白河法皇の動静が、しばらくはよく透けてみえる。大治二年(一一二七)誕生の法皇は、いま寿永二年(一一八三)には五十七歳。すこぶる壮健だったから、狡知もまた熟しきった年齢にある。むかし、後白河が近衛天皇のあとを継いで即位し、保元の乱の因をなしたときには三十歳であった。九条兼実「玉葉」寿永三年三月十六日の条にしるすところによれば、かつて近臣の藤原信西は、帝位にあった頃の法皇を評して「和漢の間に比類少なきの暗王。謀反の臣傍らにあれども一切覚悟の御心無し。人これを悟らしめ奉るといへども、猶もつて覚らず。古今未見未聞の者なり、云々」といったという。おなじその人ながら、院政をたもって二十数年、やがて源頼朝が評して「日本国第一の大天狗、さらに他者あらざる者に候か」と憤慨するところまで、この人にはこの人として崩れぬ姿勢が固まっていた。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P280)
2012年07月11日
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高校一年のころに書いた佳苗の文章が残っている。「松田聖子さんが一番です。美しいし、歌は上手だし、よく、女性週刊誌で悪口を言われてますが、そういうところも大好きです。あと女優や歌手ではありませんが、小倉千加子さんもいいなと思います」小倉千加子の「松田聖子論」が出版されたのは佳苗が14歳の時だ。ベストセラーになった「セックス神話解体新書」は13歳の時である。当時上野千鶴子と並び気鋭のフェミニストと呼ばれていた小倉千加子を、16歳の佳苗が既に味わっていたことに驚く。女であることを徹底的に分析する小倉千加子を、佳苗はどのように読んだのだろう。たった一人でタクシーに乗り、町を飛び出し男に会いに行っていた彼女に、女であることはどんな意味をもっていたのだろう。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P165)
2012年07月11日
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「維盛都落」は、喩えればハレー彗星のように蒼白な長い尾を引きずって、これよりあとの「平家」の暗夜にかかり、尾のすえは、「平家」すべて十二巻のさいご「六代被斬」の段、すなわち「平家灌頂巻」という付足し無しの、いわゆる「断絶平家」の結尾となって、無明の闇に消え去るだろう。また一方、「維盛都落」に語られる主従の別れは、斎藤別当実盛のふたりの息子、斎藤五、斎藤六とその主なる維盛との別れであることからして、平家一門の都落ちにいたるまでの「平家」も、このエピソードによって不吉な彗星の尾に溶けまざってゆく。維盛ひとり、最愛の北の方を都に残して西に落ち、やがて平家一門より離脱のすえは高野山で出家、次いでは那智の沖に入水をとげたのちも、斎藤五、斎藤六は、都落ちする日の維盛の頼みを忘れず、北の方と六代のいのちを源頼朝の世にまで守り通そうとする――かような筋道にそって、「平家」は維盛一族の物語をつなぎながら、巧みに興味と興奮を盛りあげてゆく。したがって維盛は、義仲、義経がこれからあとの「平家」に軍記の主人公としてつとめる役割とはすっかりちがった出離往生譚の主人公として、破格に重要な役割をつとめることになる。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P268)
2012年07月10日
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裁判長の怒りの声を聞きながら、この裁判で佳苗は殺人だけでなく、愛も問われているのだと、思った。佳苗の愛と、佳苗の金。愛とお金の問題は、佳苗の人生そのものだ。そ もそも佳苗にとっては結婚も、交際も、「条件の交換」でしかなかった。男性は経済を、女性はセックスを。それが男女の付き合いというものでしょう?佳苗は きっと本気でそう理解していたのだろう。私がこれだけのお金を得たのは、私自身が高級な女だからなんですよ。だから、こんな状況でも、佳苗は男たちに謝ら ず、自分のセックスを厳かに、誇らしげに語らずにいられない。閉廷後、水色のハンカチで顔をおさえながら、佳苗はやりとげた、という顔を見せ、法廷を後にした。いつものように、颯爽と、堂々と、揺るがない感じで。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P148)
2012年07月10日
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七月二十四日の夜、後白河法皇は、按察大納言資賢の子息、右馬頭資時ひとりを供にして、ひそかに法住寺御所を脱け出し、鞍馬へ。資時は笛、和琴、郢曲に稀な才能を恵まれていたが、かねてその身は法皇の寵愛に浴していた。法皇が宗盛よりもわずかに早く義仲入京の間近いことを知ったのは、資時に仕える女房の早耳によることであった。男色が平家の手中より後白河を救った。平家のほうは、法皇を道づれに都落ちをするつもりだったのを出し抜かれてあわてた。このとき法住寺御所にとのゐしていた季康という平家の侍が御所内を部屋から部屋へとかけめぐり、法皇を捜しまわっている姿が「春日権現験記絵巻」に、いわゆる異時同図の手法を使って、まことにおもしろく活写されている。(中略)天皇に供奉していた摂政藤原基通は、七条大宮にいたって、一行から離脱、紫野の辺、船岡山の南にあった摂関家の別荘知足院へにげこみ、都にとどまった。「平家」に、この逃走の因を藤原氏の氏神春日社の神護に帰し、「詞花集」中の右京大輔顕輔の一首を改作して神のお告げを装わせているくだりは、のちのお添え物である。藤原北家摂家相続流の家筋に生まれた基通は、清盛の女盛子を養母としたうえ、同じく清盛の女寛子の婿となり、平家の庇護のもとに異例の昇進をとげ、治承三年、二十歳にして関白、翌年摂政となった人。安徳天皇に供奉していた宗盛は、平家に重縁、重恩のある基通が都落ちから離脱するのを目のあたりにした。摂政は吉野の山奥に隠れたとうわさされた。じつはこの人、資時と同様に後白河法皇の男色のお相手であった。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P265)
2012年07月09日
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うちの玄関前のキキョウです。柴ワンコ(♀)もいます。
2012年07月09日
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佳苗は、メールなどで男性に嘘をついた時の気持ちは覚えていないと言った。騙すつもりではなく「男性を喜ばせたくて」嘘をついたとも言った。「平気で嘘をつき、人を騙すような価値観はいつから生まれたのか!」検事が問いただす。佳苗は答える。「私には分かりません」検 事が投げる直球は、佳苗のふわふわしとした形のない柔かいものの中に包まれていく。佳苗のどこをどのように刺しても、芯が見えてこない。全くの空洞という 感じだ。でも正面切って、佳苗を見つめることはできない。空っぽに見える佳苗の中に、もしかしたら誰かがいるような、そんな怖さが、佳苗にはあるから。(中略)被害者となった男性の中には、佳苗を「気味悪く感じた」という人もいた。正しい直感だったのかもしれない。実際、逃げずに佳苗を信じ、佳苗に愛を求めた男たちは、眠るように亡くなっているのだから。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P133)
2012年07月08日
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ひとんちのヒマワリです。うちのは、まだ苗みたいな状態で、ほんまに咲いてくれるのかしらん。
2012年07月08日
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「何故この事件に興味を持ったのか?」とは、裁判の傍聴を始めてからよく聞かれたことだ。その答えは、本当に簡単なもので、ただ私は、木嶋佳苗という女が、全く全く全く、分からなかったから。これまで、女性の犯罪者には、どこか同情できる面が必ずあった。たとえ幼い我が子を殺した女性にだって、もし私が彼女の立場だったならば・・・・・と想像を働かせるのは難しくなかった。DVの夫を殺した女性にだって、同じ状況だったら私も同じことをしたかもしれない、と考えた。女が女故に起す犯罪に、「もし私があなただったら」と想像しなかったことはない。それなのに、そういった共感や同情を、私は木嶋佳苗に、一切持たなかったのだった。そんなことは初めてだった。(北原みのりさん「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」P5)
2012年07月07日
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ジュール・バルベー・ドールヴィイ「デ・トゥーシュの騎士」を買書つんどく。光文社文庫もすごいけど、こういう小説を、文庫で出してくれる筑摩書房にも敬意を表します。「1800 年頃のノルマンディ、王党派の騎士デ・トゥーシュは、共和軍の手におちて塔に幽閉される。救出のため、12人の勇敢な戦士たちが死地へと赴いた。その中 に、絶世の美女と謳われたエメ・ド・スパンスの婚約者がいたが、壮烈な死を遂げる。北の地での凄絶な戦闘と、年を経て今は聴覚を失った悲劇のヒロイン・エ メをめぐる驚くべき秘密を、世紀末デカダンス美学の光芒を放つ華麗な文体で描く。」(「BOOK」データベースより)
2012年07月07日
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あけぬれば、福原の内裏に火をかけて、主上をはじめ奉て、人々みな御舟に召す。都を立し程こそなけれども、是も名残はをしかれけり。海人のたく藻の夕煙、尾上の鹿の暁のこゑ、渚々によする浪の音、袖に宿かる月の影、千草にすだく蟋蟀のきりぎりす、すべて目に見え、耳にふるゝ事、一つとして哀をもよほし、心をいたまししめずといふ事なし。昨日は東関の麓にくつばみを並べて十万余騎、今日は西海の浪に纜をといて七千余人、雲海沈々として青天既に暮れなんとす。孤島に夕霧隔て、月海上にうかべり。極浦の浪をわけ、塩にひかれて行舟は、半天の雲にさかのぼる。日かずふれば、都は既に山川程を隔て、雲居のよそにぞなりにける。はるばるきぬと思ふにも、たゞ尽きせぬものは涙なり。浪の上に白き鳥のむれゐるを見給ひては、「かれならん、在原のなにがしの、すみ田川にてこととひけん、名もむつましき都鳥にや」と哀也。寿永二年七月廿五日に平家都を落ちはてぬ。(「平家物語(三) 巻第七」P120)平家「福原落」で、巻第八に入ります。ようやく半分くらいかな?
2012年07月06日
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まちで見かけたネコ。美人(猫)かも。
2012年07月06日
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「今は西海の浪の底にしづまば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。浮世に思ひおく事候はず。さらばいとま申して」とて、馬にうち乗り、甲の緒をしめ、西をさいてぞあゆませ給ふ。三位うしろを遥に見おくッて、たゝれたれば、忠教の声とおぼしくて、「前途程遠し、思を雁山の夕の雲に馳」とたからかに口ずさみ給へば、俊成卿、いとゞ名残をしうおぼえて、涙をおさえてぞ入給ふ。其後、世しづまッて、千載集を撰ぜられけるに、忠教のありしあり様、言ひおきしことの葉、今更思ひ出でて哀也ければ、彼巻物のうちに、さりぬべき歌いくらもありけれ共、勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、故郷花といふ題にてよまりたりける歌一首ぞ、「読人知らず」と入られける。さゞなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな其身、朝敵となりにし上は、子細に及ばずと言ひながら、うらめしかりし事ども也。(「平家物語(三) 巻第七」P96)なぜか、明石にゆかりの深い、忠教(忠度)の都落ちです。
2012年07月05日
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岡本綺堂「三浦老人昔話」を買書つんどく。「岡本綺堂読物集一」と銘打ってありますね。というこ とは・・・・・。「死んでもかまわないから背中に刺青を入れてくれと懇願する若者、下屋敷に招じられたまま姿を消した女形、美しい顔に傷 をもつ矢場の美女の因縁話など、しみじ みとした哀話からぞくりとする怪談まで、岡っ引き半七の友人、三浦老人が語る奇譚十二篇に、附録として短篇二篇を添える。」(「BOOK」 データベースより)
2012年07月05日
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