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やがて桑田は夜もおちおち眠られなくなった。下座敷の夫婦は晩飯をすまして暫くラジオを聞いているかと思うと、いつの間にか寝てしまう。毎晩、よくあんなに早く寝られると思われるくらいで、連立って映画を見に行ったり、買い物がてら散歩に出るようなことは殆どない。桑田が勤先からの帰り道に、鳥渡(ちょっと)用足しでもして帰ってくると、家の内は早くも真夜中同様、真暗闇になっている。朝の出勤時間が早い為めだろうと、桑田は初の中は気にもしなかったが、或夜何かの物音に、ふと目をさますと、宵の中に消えていた下座敷の電燈がいつの間にかついていて、しかも低い話声さえ聞える。二人して交わる交わる何か読んでいる声のすることもあった。どういう種類の書物であるかは推量されるが、然しその文章は聞きとれない。やがて男か女か知れぬが立って障子をあけ、台所へでも行くような物音の二度三度に及ぶようなこともある。(永井荷風「人妻」(「BUNGO」所収)P230)
2012年09月30日
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うちの玄関前に、新たに仲間入りしたリンドウです。
2012年09月30日
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宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証 第2部」を買書つんどく。宮部さんのインタビューがありました。「期間はわずか15日。有志を集め証人を探せ!14歳の夏をかけた決戦、カウントダウン!も う大人たちに任せておけない――。保身に身を窶す教師たちに見切りをつけ、一人の女子生徒が立ち上がった。校舎を覆う悪意の雲を拭い去り、隠された真実を 暴くため、学校内裁判を開廷しよう! 教師による圧力に屈せず走り出す数名の有志たち。そして他校から名乗りを上げた弁護人の降臨。その手捌きに一同は戦 慄した・・・・・。」(新潮社の紹介)
2012年09月29日
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トンカツ。鶏のコロッケ。マグロの刺身。イカの刺身。支那そば。ウナギ。よせなべ。牛の串焼。にぎりずしの盛合わせ。海老のサラダ。イチゴミルク。その上、キントンを所望とは。まさか女は誰でも、こんなに食うまい。いや、それとも?(太宰治「グッド・バイ」(「BUNGO」所収)P200)セットの終わったころ、田島はそっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持ちで、「グッド・バイ」とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような、あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。(太宰治「グッド・バイ」(「BUNGO」所収)P202)「いや、僕もあれからいろいろ深く考えましたがね、結局、ですね、僕が女たちと別れて、小さい家を買って、田舎から妻子を呼び寄せ、幸福な家庭をつくる、という事ですね、これは、道徳上、悪いことでしょうか。」「あなたの言う事、何だか、わけはわからないけれど、男のひとは誰でも、お金が、うんとたまると、そんなケチくさい事を考えるようになるらしいわ。」「それが、だから、悪い事でしょうか。」「けっこうな事じゃないの。どうも、よっぽどあなたは、ためたな?」「お金の事ばかり言ってないで、・・・・・道徳のね、つまり、思想上のね、その問題なんですがね、君はどう考えますか?」「何も考えないわ、あなたの事なんか。」「それは、まあ、無論そういうものでしょうが、僕はね、これはね、いい事だと思うんです。」「そんなら、それで、いいじゃないの?電話を切るわよ。そんな無駄話は、いや。」(太宰治「グッド・バイ」(「BUNGO」所収)P217)
2012年09月29日
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吉尾から信一の話を持って来られた時には、絹子はほんとうはあまり気乗りがしていなかったと云っていい。一度見合いをしてこりてもいたし、商人とか職工とかは絹子はあまり好きではなかったのだ。会社員のような処へ嫁に行きたいのが絹子の理想だったけれども戦場から片眼を失って来ている人と云うことに何となく心さそわれて、絹子は信一に逢ってみたのである。(林芙美子「幸福の彼方」(「BUNGO」所収)P170)戦場へ出ていても、信一は子供の写真を見ると、嗚咽が出るほど哀しく切なかった。女々しいほど子供に逢いたくて仕方なかったのだ。黄梅の激しい戦いの時であった。信一は小学校の窓からそっと敵の情勢を眺めていた。立っていてはいまにあぶないよ。お父さんあぶないですよッと、さかんに、空中で赤ン坊の柔らかい手が自分の方へ泳いで来るように見えた。戦争最中には赤ん坊の事なぞは忘れてしまっているはずだのに、さかんに赤ん坊の姿が激しく弾の飛んで来る空中に浮んでいる。信一はどんどん撃った。(林芙美子「幸福の彼方」(「BUNGO」所収)P177)
2012年09月28日
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三木卓さんの「K」を買書つんどく。この本は、けっこう話題になった本ですね。こんなインタビューもありました。「円満とはいえなかった夫婦生活を、優しさとユーモアに溢れた眼差しで振り返るとき、そこにはかけがえのない「愛」と呼べるものがあったー。逝ってしまった妻・Kへの想い。半世紀に及ぶある夫婦の物語。」(「BOOK」データベースより)
2012年09月27日
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源氏には湛僧の兵船が新たに加わったほか、八嶋合戦以来、源氏勢に合流していた伊予の河野四郎通信が百五十艘を漕ぎつれて満珠島に着いたので「源氏の舟は 三千余艘、平家の舟は千余艘、唐船少々あひまじれり。源氏の勢はかさなれば、平家の勢は落ちぞゆく。元暦二年三月二十四日の卯の剋に、門司赤間の関にて源 平矢合とぞ定めける。」(中略)その前日、義経と梶原景時はまた衝突した。あすの先陣を承りたいと梶原が申し出たのに端を発して、梶原が 義経には大将たるの器がそなわっていないとうそぶけば、義経は日本一のばか者めと梶原をののしる。互いの郎党が主を制止して流血を見ずに収まったが、逆櫓 の争いにまたこたびは先陣の争い。これがうらみとなり、梶原は頼朝に讒言して義経のいのちを失わせるにいたったと人はいう、と「平家」はのちの話をさし挟 んでいる。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P376)
2012年09月27日
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「那須与一」につづく「弓流」は、もうひとりの小兵、すなわち義経の、名のほまれを物語る段である。扇の的も弓流しも、このとおりにあったことかどうか。ただ、このふたつの小兵物語が一組をなして、しっかりと「平家」に収まったとき、物語はいずれも文学のまことに化してしまう。扇の的の物語だけでは、また、弓流しの物語だけでは、そうはゆかないのに、ふたつが並び立つと、のどにつばきが鳴る。くどいが、これが文学というもの。「弓流」には、しなくてもよい殺生の話がある。与一の美挙を見て感に堪えず、扇の立っていたところに出て舞いはじめた男まで与一は射おとす。それをしおに陸へ攻めきた平家とまた渚で殺し合い。悪七兵衛景清のしころ引きあってのち、判官の八十騎ばかりに追いまくられた平家は船にもどった。源氏は馬の太腹つかるほどに海に入って攻める。船中よりは判官のかぶとのしころに熊手をひっかけて討ち取ろうとする。判官の弓に熊手がかかり、弓は波の上に落ち た。「うつぶしで、鞭をもつてかき寄せて、取らう取らうと」する判官。「弓などそのままお捨てあれ」と味方はさわぐが、ついにわが弓を拾いあげた判官は笑って陸に引きあげた。おとなども(老武者たち)はにがりきって、弓といのちは代えられまいに、ばかな真似をなさるよ、というのに対して判官 「弓 の惜しさに取らばこそ。義経が弓といはば、二人しても張り、若しは三人しても張り、叔父の為朝が弓のやうならば、わざとも落して取らすべし。」ひょろひょろ弓を敵が拾って、これが源氏の大将九郎義経の弓ぞと嘲弄されては口惜しいから、いのちに代えて拾い取ったのではないか。(中略)背低く、反っ歯で色白を目じるしにされた義経は、また存外に不器用なたちだったのかも知れない。弓矢の不面目を名のほまれによって掩蔽した才覚は見上げたもの。とはいいながら、小兵、非力の義経の弓流しのおかげで、小兵与一の弓矢のほまれが一段と冴える。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P372)
2012年09月26日
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小林信彦さんの「四重奏」を買書つんどく。「幻戯書房」というのは、角川源義の娘さんである辺見じゅんさんが、父親の名前にちなんで設立した出版社なのだそうで、角川春樹さんが会長です。角川書店の代表者は、その弟の角川歴彦さんで、これには、なにかややこしい話があります。いや、この本とは、まったく関係のない話ですが・・・・・。で、この本には4つの中篇が収められており、一番早い「半巨人の肖像」は1971年、一番新しい「夙川事件」は2009年と40年近く間があいています。あとがきでも、「ずいぶん間をおいて発表した形になるが、それは結果に過ぎない」と書いておられました。「「ここに集められた小説の背景は『推理小説の軽視された時代』とお考え頂きたい」。60's 江戸川乱歩とともにした翻訳推理小説雑誌の時代を描く四つの中篇。」(幻戯書房の紹介)
2012年09月25日
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そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍の者は、とても堪忍できぬのだ。(太宰治「黄金風景」(「BUNGO」所収)P156)お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げるように、海岸へ飛び出した。(太宰治「黄金風景」(「BUNGO」所収)P159)
2012年09月25日
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二人の坐っている病院の焼跡のひとところに支えの朽ちた藤棚があって、おどろのように藤蔓が宙から地上に下り、それでも蔓 の尖の方には若葉を一ぱいつけ、その間から痩せたうす紫の花房が雫のように咲き垂れている。庭石の根締めになっていたやしおの躑躅が石を運び去られたあと の穴の側に半面、黝く枯れて火のあおりのあとを残しながら、半面に白い花をつけている。庭の端の崖下は電車線路になっていて、ときどき轟々と電車の行き過ぎる音だけが聞える。龍の髭のなかのいちはつの花の紫が、夕風に揺れ、二人のいる近くに一本立っている太い棕梠の木の影が、草叢の上にだんだん斜にかかって来た。ともよが買って来てそこへ置いた籠の河鹿が二声、三声、啼き初めた。二人は笑を含んだ顔を見合せた。「さあ、だいぶ遅くなった。ともちゃん、帰らなくては悪かろう」(岡本かの子「鮨」(「BUNGO」所収)P151)
2012年09月24日
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いけないのはその不吉な塊だ。(中略)それで終始私は街から街を放浪しつづけていた。なぜだかそのころ私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、といったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並みが傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。(梶井基次郎「檸檬」(「BUNGO」所収)P113)私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇らかな気持ちさえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、――つまりはこの重さなんだな。――その重さこそつねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんなばかげたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。(梶井基次郎「檸檬」(「BUNGO」所収)P119)
2012年09月23日
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梶山季之さんの「せどり男爵数奇譚」を買書つんどく。1974年刊行のこの本が、改めて脚光を浴びているのは、三上延さんの「ビブリア古書堂の事件手帖」の影響なんだとか。しかし、初めてこのタイトルの意味を知りました。「“せどり”(背取、競取)とは、古書業界の用語で、掘り出し物を探しては、安く買ったその本を他の古書店に高く転売することを業とする人を言う。せどり男爵こと笠井菊哉氏が出会う事件の数々。古書の世界に魅入られた人間たちを描く傑作ミステリー。」(「BOOK」データベースより)
2012年09月22日
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「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。」「なかなかはやってるんだ、こんな山の中で」「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう。」二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえてください。」(宮沢賢治「注文の多い料理店」(「BUNGO」所収)P101)「遁げ・・・・・。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀色のホークとナイフの形が切りだしてあって、 「いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはいりください。」と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいています。(宮沢賢治「注文の多い料理店」(「BUNGO」所収)P101)
2012年09月22日
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「ただ、欲のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれができますか」「できるつもりです」(芥川龍之介「魔術」(「BUNGO」所収)P85)「オ婆サン。オ婆サン。オ客様ハオ帰リニナルソウダカラ、寝床ノシタクハシナクテモイイヨ」と、聞き覚えのある声で言うのです。と思うと、どういう訳か、窓の外に降る雨脚までが、急にまたあの大森の竹藪にしぶくような、寂しいざんざ降りの音を立て始めました。ふと気がついてあたりを見廻すと、私はまだうす暗い石油ランプの光を浴びながら、まるであの骨牌の王様のような微笑を浮かべているミスラ君と、向かい合って坐っていたのです。私が指の間にはさんだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっているところを見ても、私が一月ばかりたったと思ったのは、ほんの二、三分の間に見た、夢だったのに違いありません。(芥川龍之介「魔術」(「BUNGO」所収)P92)
2012年09月21日
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辻村深月さんの「鍵のない夢を見る」を買書。どうしようかな、っと迷ってましたが、冒頭を立ち読みして、買いたくなりました。「望むことは、罪ですか?彼氏が欲しい、結婚したい、ママになりたい、普通に幸せになりたい。そんな願いが転落を呼び込む。ささやかな夢を叶える鍵を求めて5人の女は岐路に立たされる。待望の最新短篇集。」(「BOOK」データベースより)
2012年09月21日
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すべては、夢の環蛇で、讃良皇女が見た鴆の姿から発していた。しかし、それは、白妙が先に見た、大安殿の鵄尾に止まっていた鴆であったかもしれないのだった。だが、その鴆はまた、藤原宮に棲みつづけてきた讃良皇女の心が生みだした魑魅が形を成した姿なのかもしれなかった。いったい、あの鴆は、誰の夢であったのか。誰の心が生みだした魑魅であったのか。白妙は額に手を遣って、眼を閉じ、また開いた。青空の据を縁取るように、大安殿の瓦屋根と鵄尾が見えた。空高くに昇った陽を浴びて、眩しいほどの銀鼠色に輝いている。まるで真新しい瓦のように・・・・・。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P280)というわけで、坂東真砂子さんの「朱鳥の陵」を読みました。残念ながら僕には、讃良皇女(持統天皇)が何を望んでいたのか、最後まで理解できませんでしたが、結末は、予想外にショッキングなもので、読みごたえもありました。また、その起源が、誰の夢かわからなくなっている、ある意味ではウロボロス(自らの尻尾を噛む蛇)のように循環してしまっていることが、この物語の面白さに幅を与えていると思います。一つのパラドックスなのかも知れません。一方、付け焼刃で勉強したところでは、天智天皇の死去後、壬申の乱によって誕生した天武天皇から、再び天智天皇系の天皇が誕生するまでの、天武天皇系の時代は、また多くの女帝が輩出した時代です。そんなことに思いを馳せるのも、また一興かと思いました。
2012年09月20日
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決して僕は純然たる傍観者の地位にあるのではなく、見ように依っては可なり重要な役目を働いて居るのかも知れません。且又、僕が隠居の心理として説明する所のものは、同時に僕自身の心理解剖であるかも知れません。(谷崎潤一郎「富美子の足」(「BUNGO」所収)P30)死ぬ三十分ほど前に、日本橋の本家から駆け付けた娘の初子は、当然此の不思議な、浅ましいとも滑稽とも物凄いとも云いようのない光景を、目撃しなければなりませんでした。彼女は父親の最期を悲しむよりは、寧ろ竦毛を顫ったらしく、面を伏せて座に堪えぬが如く固くなって居ました。しかしお富美さんの方は一向平気で、頼まれたからしているのだと云わんばかりに、老人の眉間の上に足を載っけて居たのです。(谷崎潤一郎「富美子の足」(「BUNGO」所収)P73)
2012年09月19日
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「けふは日暮れぬ、勝負を決すべからず」とて、引退く処へに、おきの方より尋常にかざッたる小舟一艘、みぎはへむいてこぎよせけり。磯へ七八段ばかりになりしかば、舟をよこさまになす。「あれはいかに」と見る程に、舟のうちより、よはひ十八九ばかりなる女房の、まことに優にうつくしきが、柳のいつゝぎぬにくれなゐのはかま着て、みな紅の扇の日出したるを、舟のせがいにはさみ立てて、陸へむいてぞまねいたる。判官、後藤兵衛実基を召して、「あれはいかに」との給へば、「射よとにこそ候めれ。たゞし大将軍矢おもてにすゝむで、傾城を御らんぜば、手たれにねらうて射落せとのはかり事かとおぼえ候。さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申。「射つべき仁は、みかたに誰かある」との給へば、「上手どもいくらも候なかに、下野国の住人、那須太朗資高が子に、与一宗高こそ、小兵で候へども、手きゝで候へ」。(中略)矢ごろすこしとほかりければ、海へ一段ばかりうちいれたれども、猶扇のあはひ七段ばかりはあるらむとこそ見えたりけれ。ころは二月十八日の酉刻ばかりの事なるに、をりふし北風はげしくて、磯うつ浪もたかかりけり。舟はゆりあげゆりすゑたゞよへば、扇もくしにさだまらずひらめいたり。おきには平家舟を一面に並べて見物す。陸には源氏くつばみを並べて是を見る。いづれもいづれも晴ならずといふ事ぞなき。与一、目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現・宇都宮・那須のゆぜん大明神、願くはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。これを射そんずる物ならば、弓きりをり自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度本国へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」と、心のうちに祈念して、目を見ひらいたれば、風もすこし吹よわり、扇も射よげにッたりける。与一、鏑をとッてつがひ、よッぴいてひやうどはなつ。小兵といふぢやう、十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程ながなりして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふつとぞ射きッたる。鏑は海へ入ければ、扇は空へぞあがりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に、一もみ二もみもまれて、海へさッとぞ散ッたりける。夕日のかゞやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、しら浪のうへにたゞよひ、うきぬ沈みぬゆられければ、奥には平家、ふなばたをたゝいて感じたり。陸には源氏、えびらをたゝいてどよめきけり。(「平家物語(四)巻第十一」P162)後先になっちゃいましたが、那須与一です。「雅さ」で有名な場面ですが、これに係わる九郎判官の態度や、平家の武者を射殺すところなど、血なまぐさいところもあります。全部メモすると長くなりすぎるので・・・・・。
2012年09月19日
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すでに源氏両方、陣をあはせて時をつくる。上は梵天までも聞え、下は海龍神もおどろくらんとぞおぼえける。新中納言知盛卿、舟の屋形に立ち出で、大音声をあげての給ひけるは、「いくさはけふぞかぎる。物どもすこしもしりぞく心あるべからず。天竺・震旦にも、日本我朝にもならびなき名将、勇士といへども、運命尽きぬれば力及ばず。されども名こそをしけれ。東国の物共によわげ見ゆな。いつのために命をばおしむべき。これのみぞ思ふ事」との給へば、飛騨三郎左衛門景経、御まへに候ひけるが、「これうけ給はれ、侍ども」とぞ下知しける。(「平家物語(四)巻第十一」P188)さる程に、四国・鎮西のつは物共、みな平家をそむいて源氏につく。いままでしたがひついたりし物共も、君にむかって弓をひき、主に対して太刀を抜く。かの岸につかんとすれば、浪たかくしてかなひがたし。このみぎはによらんとすれば、敵矢さきをそろへてまちかけたり。源平の国あらそひ、けふをかぎりとぞ見えたりける。(「平家物語(四)巻第十一」P198)壇ノ浦です。「巻第十一」半ばにして、だんだん読むのがつらくなってきました。
2012年09月18日
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閉じ込められる。厭だ、助けて。しかし、あっという間に、白妙は壷のなかにいた。頭の上で蓋がゆっくりと閉まっていく。満月のように開いていた丸い口を、丸い蓋が覆いはじめる。石室の朱色の光が、欠けていく月のようにだんだんと隠されていく。白妙はその朱色の光に向かって、あがき出ようとしたが、壷の口は夜空の月のように遠くにある。やがて口は半月となり、最後に細い三日月となった。新益京を照らしていた今宵の月も、朱みがかった三日月だった。もしかして、吾はまだあの月に照らされつつ、夜の京を東へとひたひた歩いているのではないか。常陸国を目指して、讃良皇女の手から逃れるべく・・・・・。しかし、その三日月もだんだん細くなってふっと消えた。あたりには、息が詰まるほどの黒漆の闇がたちこめているばかりだ。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P360)三輪山の神を祀ってきた鏡の女だけに、比売朝臣には、生剥ぎの呪いの意はよくわかった。生剥ぎされた者の霊は、夜見国に逝くこともできなくなる。死して、愛しい者を護ってやることも、恨みを抱いた者に祟りをもたらすこともできなくなる。この世でも、夜見国でもないどこかに、永久に閉じこめられてしまう。神代のころからある古い呪いだ。あれは誰だったのか。そんな恐ろしいめに遭ったのは・・・・・。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P366)
2012年09月17日
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こんな時は、不思議なもので、目が物を言います。弟の目は「早くしろ、早くしろ」と云って、さも怨めしそうにわたくしを見ています。わたくしの頭の中では、なんだかこう車の輪のような物がぐるぐる廻っているようでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷めません。それに其目の怨めしそうなのが段々険しくなって来て、とうとう敵の顔をでも睨むような、憎々しい目になってしまいます。それを見ていて、わたくしはとうとう、これは弟の言った通にして遣らなくてはならないと思いました。(中略)庄兵衛は其場の様子を目のあたりに見るような思いをして聞いていたが、これが果して弟殺しと云うものだろうか、人殺しと云うものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起って来て、聞いてしまっても、其疑を解くことが出来なかった。(森鴎外「高瀬舟」(「BUNGO」所収)P21)そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌われていた。(森鴎外「高瀬舟」(「BUNGO」所収)P10)
2012年09月17日
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讃良皇女のなかの声は、もっと粘りつくような響きをもっていた。幾度も幾度も繰返される呪いのような・・・・・。白妙は、あっ、と口を開いた。もしかしたら、あれは祈りではなく、呪いであるのかもしれない。天皇の御代を讃える歌が、その御代をこの世に呼びこむ呪いであるのと同じように、讃良皇女が心のうちで唱えつづけている薬師如来のご真言もまた呪いではないのか。しかし、なんのための呪いなのか・・・・・。白妙は胸にふたつの手を置いて、心を鎮めた。そうすれば、答えはおのずと湧きあがってくるものだ。おぉん ころころせぇんだり まとぉぎ そわかおぉん ころころせぇんだり まとぉぎ そわか繰り返されるご真言の響きのなかに、堂に置かれた薬師如来の姿が浮んできた。朱色に染められた石の女。讃良皇女の似姿。その薬師如来像から、ご真言が発せられている。呪いのような低い響きの声が。(中略)讃良皇女は神にならねばならないのだ。しかし、それはもう神ではなく、魑魅ではないか。白妙は深いため息をついた。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P329)
2012年09月16日
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このことは義経の風貌や性格の描写にもあらわれている。かれの風貌は、「色白うせい小きが、向歯の殊に差出」たるもので、けっして美丈夫には描かれていない。平家物語における義経の性格は、「すすどき」人間として形容されている。(中略)たとえば「九郎はすゝどき男士に侍ふなれば、大風、大波をも嫌はず寄せ侍らん」といわれ、あるいは「九郎はすゝどきおのこなれば、此畳の下よりも這出んずる者也」というようにつかわれているところをみれば、敏捷で、鋭くて、抜目のない性格を形容する言葉であったろう。これはけっして理想的人物を形容する言葉でないことはたしかである。これに 関連しておもいおこされるのは、義経の従者たちである。(中略)そこに共通している特徴は、身分の卑しいものであることと、出自、前身が特異なものが多いことである。黒づくめの装束の大法師武蔵坊弁慶はいうまでもなく、「盛衰記」にみえる常陸坊海尊も旧東大寺の悪僧だったらしく、屋島で異常な能力を発揮する伊勢三郎義盛は、平家物語においてすでにその前身が伊勢鈴鹿山の「山賊」であったといわれている。平家物語でも義経の幼時の伝説とむすびついてでてくる金売吉次は、後に人買人の面影さえある奥州通いの金売商人として物語化される。このように悪僧・山賊・商人等の従者が義経にむすびつくことは、この畳の下から今にも這い出るかもしれないと頼朝を恐怖せしめた「すすどき」義経の性格と関係があるようにおもわれる。屋島の合戦で、源氏の兵士が甲や鎧の袖、箙などを枕にして前後不覚に眠入っているとき、義経と山賊出身の義盛二人だけが寝ずの番をして遠くを見張っていたという話も、この二人に暗闇を見透すような特 別の力があったとかんがえられていたのかもしれぬ。義経伝説の成長の基盤の一つが、悪僧・山賊・商人等によって代表される畿内地方の一定の層にもあったようにみられる。(石母田正さん「平家物語」P104)
2012年09月16日
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松浦理英子さんの「奇貨」を買書つんどく。松浦さん、久しぶりと思ったら、5年ですか・・・・・。「男友達もなく女との恋も知らない変わり者の中年男・本田の心を捉えたのは、レズビアンの親友・七島の女同士の恋と友情。女たちの世界を観察することに無上の悦びを見出す本田だが、やがて欲望は奇怪にねじれー。濃く熱い魂の脈動を求めてやまない者たちの呻吟を全編に響かせつつ、男と女、女と女の交歓を繊細に描いた友愛小説。『親指Pの修業時代』『犬身』で熱狂的な支持を得る著者5年ぶりの新作。著者26歳の時に書かれた単行本未収録作も併録。」(「BOOK」データベースより)
2012年09月15日
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平家物語における義経の特徴の一つは、戦闘する武士団とともにみずから戦場を馳駆することであって、一谷、屋島、壇浦等の 合戦を通じて、かれは指揮者であるとともに、自分で戦闘しているところに特徴がある。ここにこの時代の武将の理想像が、要求されている一つの性質があると いえよう。腰越状のなかで、義経は半生を回顧しながら、「或時は峨々たる巌石に駿馬を鞭うち、敵の爲に命をほろぼさんこと事を顧みず、或時は漫々たる大海 に風波の難を凌ぎ、海底に沈まん事を痛まずして、屍を鯨鯢の鰓にかく」といっているのもそれであろう。この「腰越状」は、大体同じものが、「吾妻鏡」・ 「義経記」にものせられているけれども、それが義経の提出した「腰越状」なるものであるかどうかは疑わしいが、それはここでの問題ではない。ただこの時期 の武将の理想像がこのようなものでなければならないということは、ここにも強調されていることはたしかである。(石母田正さん「平家物語」P99)
2012年09月15日
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伊藤計劃/円城塔さんの「屍者の帝国」を買書つんどく。円城さん、こんなことしますか。ところで、僕は前に、こんなことや、こんなこと(「虐殺器官」)やこんなこと(「ハーモニー」)も書いてました。今、読んでみたら、なんのこっちゃ、さっぱりわからん。「早逝の天才・伊藤計劃の未完の絶筆が、、友・円城塔に引き継がれて遂に完成!2009年、34歳の若さで世を去った伊藤計劃。絶筆は、未完の長編『屍者の帝国』。遺された原稿は、冒頭の30枚。それを引き継ぐは、盟友・円城塔——日本SF大賞作家×芥川賞作家——最強のコンビが贈る、大冒険長編小説。全く新しいエンタテインメント文学の誕生!フランケンシュタインの技術が全世界に拡散した19世紀末、英国政府機関の密命を受け、秘密諜報員ワトソンの冒険が、いま始まる。」(河出書房新社の紹介)
2012年09月14日
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「珂瑠はまだ十五ですよ。高御坐に昇るのは、ずっと先のことでしょう」天皇の座を珂瑠に譲るとは、朕が政の場から 退くことであった。もう若くはないとはいえ、朕はまだ五十路に入ったばかりだ。あと、十年は政に携わっているつもりだったから、史の言葉に心持ちを害し た。「しかし、日嗣御子がお決まりになったとはいえ、波風が立たなくなるわけでもございません。早々に高御坐に昇っていただいたほうが、先々のた めではないでしょうか」史が案じるのも、もっともだった。(中略)考え込んだ朕に、史は顔を近づけて囁いた。「ただ、おっしゃる通り、日嗣御子は政にあたるには若すぎます。そこで、天皇は、位をお譲りになった後も、太上天皇として政に携わらねばなりません」「太上天皇」そんな位は聞いたこともなかった。「太上天皇とは、天皇の上にあられる天皇の意です。唐国では、皇帝が位を退くと、太上皇と呼ばれます。それに倣って、新に太上天皇の位を設けられればよろしいのです」天皇より上にある新たな位。朕はその座に就く初めての天皇となる。父も夫も昇ることのなかった坐だ。朕はゆっくりと頷いた。史はさらに力をこめて囁いた。「日嗣御子が高御坐にお昇りになっても、皇后は立てないことです。皇后を立てると、太上天皇の位が霞んでしまいます。女神はお一人だからこそ、尊く輝くのです」「しかし、皇后を立てないでいれば、とやかくいわれるでしょうに」「皇后の代わりに、我の娘の宮子を差しあげましょう。そして、さまざまな声は、我がなんとかいたしましょう」(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P320)
2012年09月14日
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芥川龍之介/岡本かの子他「BUNGO 文豪短篇傑作選」を買書。ドラマとしてテレビで放映され、映画版が今月に公開される、「BUNGO」の原作集なんだとか。読んだものも、ちょこちょこありますね。「わが国の文壇を代表する11人の文豪による文学の饗宴。魔術を習った男の行く末を追った芥川龍之介の「魔術」、かつていじめ抜いた女中に落魄した後に再会する太宰治の「黄金風景」、婀娜っぽい大家の妻に下宿人が悩まされる永井荷風の「人妻」、女の手を握る衝動に大学生が悩む坂口安吾の「握った手」、夫が出征した理髪店の若い妻と少年の性の衝動を描く三浦哲郎の「乳房」など、いずれも傑作の誉れ高い12編を集めた。」「高瀬舟(森鴎外)/富美子の足(谷崎潤一郎)/魔術(芥川龍之介)/注文の多い料理店(宮沢賢治)/檸檬(梶井基次郎)/鮨(岡本かの子)/黄金風景(太宰治)/幸福の彼方(林芙美子)/グッド・バイ(太宰治)/人妻(永井荷風)/握った手(坂口安吾)/乳房(三浦哲郎)」(「BOOK」データベースより)
2012年09月13日
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讃良皇女の名無しの指が黒作懸佩刀に変ったのは、天皇の座をを手に入れたことを示していた。飛鳥浄御原朝が、草壁 皇子に譲るはずであった天皇の座。父から子への力の譲り渡しの徴であった黒作懸佩刀を横手から奪い取ったのだ。そして、讃良皇女の手のなかで、太刀の刃はこぼれて消えていった。父から子への天皇の座の引継ぎが潰えた。そして、黒作懸佩刀は、讃良皇女と史の血の引き継ぎの徴に変えられた。讃良皇女と史は、黒作懸佩刀にこめられた徴を乗っ取ったのだ。恐ろしいこと・・・・・。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P305)
2012年09月13日
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鴆(ちん)は、中国の古文献に記述が現れている猛毒を持った鳥。大きさは鷲ぐらいで緑色の羽毛、そして銅に似た色のクチバシを持ち、毒蛇を常食としているためその体内に猛毒を持っており、耕地の上を飛べば作物は全て枯死してしまうとされる。石の下に隠れた蛇を捕るのに、糞をかけると石が砕けたという記述もある。韓非子や史記など紀元前の古文献では、この鳥の羽毛から採った毒は鴆毒と呼ばれ、古来よりしばしば暗殺に使われた。鴆毒は無味無臭なおかつ水溶性であり、鴆の羽毛を一枚浸して作った毒酒で、気付かれることなく相手を毒殺できたという。春秋時代、魯の荘公の後継ぎ争いで、荘公の末弟の季友は兄の叔牙に鴆酒を飲ませて殺した(『史記』魯周公世家)。また、秦の始皇帝による誅殺を恐れた呂不韋は鴆酒を仰いで自殺した(『史記』)呂不韋伝)など、古い文献に鴆による毒殺の例は数多い。(うぃきぺでぃあ)また、真柳誠さんの「鴆鳥-実在から伝説へ」という、詳しい記事がありました。
2012年09月12日
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9月9日にあった「神戸よさこい」の、明石海峡大橋の橋脚のところ、舞子公園会場です。写真がどうとかいうより も、トンボが写りこんでいたので、面白く思い、選んでみました。
2012年09月12日
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能登守教経、「ふないくさは様ある物ぞ」とて、よろひ直垂は着給はず、唐巻染の小袖に、唐綾威の鎧着て、いか物づくりの大太刀はき、廿四さいたるたかうすべうの矢負ひ、しげどうの弓を持ち給へり。王城一のつよ弓・精兵にておはせしかば、矢さきにまはる物、射とほされずといふ事なし。なかにも九郎大夫判官を射落さむとねらはれけれども、源氏の方にも心得て、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信、同四郎兵衛忠信・伊勢三郎義盛・源八広綱・江田源三・熊井太郎・武蔵房弁慶なンどいふ一人当千の兵ども、われもわれもと馬のかしらを立て並べて、大将軍の矢おもてにふさがりければ、ちから及び給はず、「矢おもての雑人原、そこのき候へ」とて、さしつめひきつめさんざんに射給へば、やにはに鎧武者十余騎ばかり射落さる。なかにもまッさきにすゝむだる奥州の佐藤三郎兵衛が弓手の肩を、馬手の脇へつッと射抜かれて、しばしもたまらず馬よりさかさまにどうど落つ。能登殿の童に菊王といふ大ぢからのかうの物あり。萌黄おどしの腹巻に、三枚甲の緒をしめて、白柄の長刀のさやをはづし、三郎兵衛が頸をとらんとはしりかゝる。佐藤四郎兵衛、兄が頸をとらせじとよッぴいてひやうど射る。童が腹巻のひきあはせを、あなたへつッと射抜かれて、犬居にたふれぬ。能登守これを見て、急ぎ舟よりとんでおり、左の手に弓を持ちながら、右の手で菊王丸をひッさげて、舟にからりとなげられたれば、かたきに頸はとられねども、いた手なれば死ににけり。これはもと越前の三位の童なりしが、三位討たれて後、おとゝの能登守につかはれけり。生年十八歳にぞなりける。この童を討たせて、あまりにあはれに思はれければ、其後はいくさもし給はず。(「平家物語(四)巻第十一」P156)
2012年09月11日
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これは、ひとんちのヒマワリです。りっぱです・・・・・。
2012年09月11日
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ぎょっとした朕に、史は微笑んだ。「しかし、天皇ならば、溶けない雪をこの世にもたらされることもできましょう」(中略)「汝はなにを・・・・・」近くに寄ってきた麻呂と嶋を気にしつつも、問わずにはいられなかった。「天皇は、天照大神の血を受けついだ現人神。ただの人にはできぬことも、神であれば、できる、赦される、と申しているのでございます」人には赦されぬ罪も、神であれば赦される。それこそ、朕が聞きたかった言葉だった。己が身に言い聞かす。己が言葉としてではなく、誰か他の者にいって欲しかった言葉。胸が苦しくなり、喉が詰まった朕に、史はにこやかに続けた。「天皇が、神代のころからいかに尊い神の血を伝えてきておられるかを伝えることが、これから、ますます大事となってくるでしょう。我は、そのことを説く書を作らなくてはならないと考えているのでございます」「それは、いいことであるな」と嶋が話に加わってきた。「飛鳥浄御原朝の御代に、諸国に散らばった古事を集めて、ひとつのまとまった書を作ろうという動きがありましたが、あれはどうなったのだろうか」「ああ、朝から忍壁皇子と川嶋皇子が命じられて、美努王や藤原朝臣大嶋がみずから手がけておられましたな」と、麻呂が答えた。「そんなことがあったのですか」史は愕いた声を上げた。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P294)
2012年09月10日
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うちのヒマワリです。ちょっと、育てるのに失敗してます・・・・・。
2012年09月10日
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同十六日、渡辺・神崎両所にて、この日ごろそれへける舟ども、ともづなすでにとかんとす。をりふし北風木ををッてはげしう吹ければ、大浪に舟どもさむざむにうちそむぜられて、出すに及ばず。修理のために、其日はとゞまる。渡辺には、大名・小名よりあひて、「抑ふないくさの様はいまだ調練せず。いかンがあるべき」と評定す。梶原(景時)申けるは、「今度の合戦には、舟に逆櫓をたて候ばや」。判官(義経)、「さかろとはなんぞ」。梶原、「馬はかけんと思へば、弓手へも馬手へもまはしやすし。舟はきッとおしもどすが大事候。ともへに櫓をたてちがへ、わいかぢを入れて、どなたへもやすうおすやうにし候はや」と申ければ、判官の給ひけるは、「いくさといふ物は、ひッとひきもひかじと思ふだにも、あはひあしければ、ひくはつねの習なり、もとよりにげまうけしてはなんのよかるべきぞ。まづ門出のあしさよ。さかろをたてうとも、かへさま櫓をたてうとも、殿原の舟には百ちやう千ぢやうもたて給へ。義経はもとの櫓で候はん」との給へば、梶原申けるは、「よき大将と申は、かくべき処をばかけ、ひくべき処をばひいて、身をまッたうしてかたきをほろぼすをもッてよき大将とはする候。かたおもむきなるをば、猪のしゝ武者とて、よきにはせず」と申せば、判官、「猪のしゝ、鹿のしゝは知らず。いくさは、たゞひら攻めに攻めてかッたるぞ心地はよき」との給へば、侍共、梶原におそれてたかくはわらはねども、目ひきはなひき、きゝめきあへり。判官と梶原とすでに同士いくさあるべしとざゞめきあへり。(「平家物語(四)巻第十一」P138)後に、頼朝の右腕となる梶原景時のことを思うと、象徴的な場面です。
2012年09月09日
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貫井徳郎さんの「微笑む人」を買書つんどく。いや、この結末のことに触れたブログを、うかっと見てしまったような・・・・・。早く、忘れよっと。「エ リート銀行員の仁藤俊実が、意外な理由で妻子を殺害、逮捕・拘留された安治川事件。犯人の仁藤は世間を騒がせ、ワイドショーでも連日報道された。この事件 に興味をもった小説家の「私」は、ノンフィクションとしてまとめるべく関係者の取材を始める。周辺の人物は一様に「仁藤はいい人」と語るが、一方で冷酷な 一面もあるようだ。さらに、仁藤の元同僚、大学の同級生らが不審な死を遂げていることが判明し・・・・・。仁藤は本当に殺人を犯しているのか、そしてその 理由とは!? 貫井氏が「ぼくのミステリーの最高到達点」と語る傑作。読者を待つのは、予想しえない戦慄のラスト。」(実業之日本社の紹介)
2012年09月08日
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命運尽きようとしているのは平家だけではない。義経もいのちの瀬戸際に立たされている。逆櫓のことで梶原景時とあらそって同士討におよばんとした摂津神崎は、まさに瀬戸の水ぎわ。追風とはいえ水夫船頭もおびえる強風のなか、主従わずかに五艘、三日の船路をただ三時、六時間ばかりで瀬戸内をわたり、着いたところが勝浦。幸先よろしき浦の名に勇躍した義経ではあったが、奇襲また奇襲に敗退をかさねる平家を追って瀬戸の海を西へ西へ、深追いするほどに、義経は蟻地獄のような運命の穴に落ちていた。穴の底には頼朝が待ち構えている。穴のふちには後白河法皇が、あわれな一匹の蟻武者のあがきを冷然と見おろしている。勝利の契機がまた滅亡の契機というこの人生の急斜面を、そうとはつゆ知らずに踏みしめて、義経は勝利に酔った。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P360)
2012年09月08日
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元暦二年正月十日、九郎大夫判官義経、院の御所へ参ッて、大蔵卿泰経朝臣をもッて奏聞せられけるは、「平家は神明にもはなたれ奉り、君にも捨てられまゐらせて、帝都を出で、浪のうへにたゞよふおちうととなれり。しかるを此三箇年が間、攻め落さずして、おほくの国々をふさげられるゝ事、口惜候へば、今度義経においては、鬼界・高麗・天竺・震旦までも、平家を攻め落さざらん限りは、王城へかへるべからず」とたのもしげに申されければ、法皇おほきに御感あッて、「相構て、夜を日についで勝負を決すべし」と仰下さる。判官宿所にかへッて、東国の軍兵どもにの給ひけるは、「義経、鎌倉殿の御代官として、院宣をうけ給はッて、平家を追討すべし。陸は駒の足の及ばむを限り、海はろかいのとづかん程攻めゆくべし。すこしもふた心あらむ人々は、とうとうこれよりかへらるべし」とぞの給ける。(「平家物語(四)巻第十一」P134)
2012年09月07日
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「母にとって、子を失うとは辛いものです」白妙は、常陸国にいる子らが死んでしまったらと思いつつ答えた。「そうだろうな。それにしても、草壁皇子は、まことに讃良皇女の御子かと疑うほど、違っておられた。表はもの静かであるのは似ていたが、讃良皇女が地の底に火を抱える火山だとしたら、草壁皇子はまだ掘られていない泉であった。地の底にあるのは水だったのだよ。讃良皇女は、草壁皇子が水ではなく火を抱えていて欲しいと願っていたようだが、草壁皇子にはできるはずはなかった。だから皇子は、天皇の座を母にお譲りしてお隠れになったのだ」人麻呂の言葉が頭に沁みこむまで、少し刻がかかった。「草壁皇子は、みずからお命を断たれたと・・・・・」「そこまではいっておらんよ。もともと病がちだったので、そのせいだったのだろう。しかし、人は、生きていてもせんないと思いはじめたときから、死を抱きはじめるものだ。お隠れになったのが香具山だったと聞いたとたん、我は、草壁皇子は死を望まれたのだろうとの想いを強くした」「香具山になにかあるのですか」人麻呂は訳ありげに頷いた。「香具山の香具は火が輝くという意で、火の神が住む山といわれてきた。それが、いつのころからか、天香具山とも呼ばれるようになり、天から降ってきた山だという話となった。日嗣皇子が天津神のおられる高天原にお戻りになるには、ちょうどの処だと、草壁皇子は思われたのかもしれない」(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P226)
2012年09月06日
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亀山郁夫さんの「謎とき『悪霊』」を買書つんどく。江川卓さんの「謎とき」シリーズを継ぐ、ということらしいです。「新訳の著者が全く新たな解釈で挑む、ドストエフスキー最後にして最大の封印!現代において「救い」はあり得るか? 究極の「悪」とは何か? そして、「神」の正体とは?……。「スタヴローギンの告白」3つの異稿を読み解くことで、これまで語られることのなかった、人間性の本質を問う試みが見えてくる。『罪と罰』『カラマーゾフ』『白痴』の「謎とき」シリーズから20年、亀山版「謎とき」の登場!」(新潮社の紹介)江川卓さん「謎とき『罪と罰』」江川卓さん「謎とき『白痴』」江川卓さん「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」
2012年09月05日
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「二人で、なにを盛んに話していたのですか」我は人麻呂に聞いた。「巷に流れる噂をあれこれと推し量っておりました」人麻呂は面長のひょろりとした男だ。歳は我と同じくらいだろうか。ややもったいぶった言い回しをする癖がある。「どんな噂ですか」巷の噂や歌は容易くは聞き流せない。そこに神のお告げが潜んでいることもある。二人は気まずそうに目配せを交わした。我には言いにくい噂らしい。「なになのです」少し声に力をこめて、高市に問い直した。「犬と蛇が相い交尾んだが、しばらくして双方とも死んだという話です」高市が渋々と答えた。「どういうことなのです」高市は、わからない、というようにかぶりを振ったが、人麻呂はいった。「蛇とは神ではないかと、我は高市皇子にお話していたのです。あの三輪山の神も、古より、蛇であられるといわれております。片や、犬とは、人の忠実なる僕。この噂は、神と僕が交尾みあったが、どちらも、死んでしまったということではないかと・・・・・」額田は三輪山の神を祀る鏡の女。蛇は額田で、犬は夫。蛇と犬が交尾んで・・・・・。「神といえば、天照大神です。蛇ではありません」我はぴしゃりといってから、その響きがあまりに強かったことに気がついた。「薨っ た朝はそうおっしゃっていました。国津神に過ぎない三輪山の神よりも、伊勢に坐します天照大神のほうがお力があるのです。だからこそ伊勢神宮を立て直され たのです。吉野をお出になったとき、伊勢国で天照大神に祈られ、見事、大友との戦いに勝つことができたのですから」(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P213)
2012年09月05日
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「そうして美努王を通じて、我のことが、飛鳥浄御原朝のお耳に入ったというわけだ。書がまとまると、美努王から、天皇の命が伝えられた。書を見ずして、誦えることができるまで帝紀旧辞を読みこむようにと。この世にふたつとない大事な書なので、失われることを案じられたらしい。それからずっと、あの室で、帝紀旧辞を誦している」(中略)あの薄暗い図書寮の室で、兄は十七年の間、日ごと書を前に座して、唱えてきたのだ。他にはなにもせずに、ただそれだけを。「嘘の言葉なんだわ」思わず、白妙は口走っていた。「神の言葉なら、ほんとうの言葉なら、兄は力を吸いとられてはいない。吾らが、阿礼乎止古、阿礼乎止売として神の言葉を伝えていたとき、兄も吾も生き生きしていたじゃない。言葉を声に乗せた後、いっそう力が漲るのを感じたじゃない。だけど、その書にあるのは嘘の言葉だから、兄の命は、穴の空いた夢袋のように、声を出すたび・・・・・」「黙れっ」兄の眼は吊りあがり、怖い顔になっていた。「我は今も神に仕えている。あの大安殿におわす天皇大帝、人の姿となった神に」「唐国の呪術ね」愕きが兄の顔を覆った。(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P136)
2012年09月04日
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冲方丁さんの「光圀伝」を買書つんどく。書店に、「どっと」積まれていたので、思わず買ってしまった。こんな、オフィシャルサイトもありました。「何故この世に歴史が必要なのか。生涯を賭した「大日本史」の編纂という大事業。大切な者の命を奪ってまでも突き進まねばならなかった、孤高の虎・水戸光圀の生き様に迫る。『天地明察』に次いで放つ時代小説第二弾!」(角川書店の紹介)
2012年09月03日
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「舎人皇子は、図書寮においでになられると、しまいには決まって我の許にお立ち寄りになられる。古事を、我と談らうのがお好きなのだ」「皇子が、兄と談らいにおいでになるの」兄の口許が少し綻んだ。「この宮でただ一人、帝紀旧辞を諳んじているのが我だからな。帝紀旧辞とは、飛鳥浄御原朝の御代に、天皇の血筋にまつわる書である天皇日嗣や、古の神々のことを語り伝えた先代古事などをももとにおまとめになった書だ。諸国の氏上の家に、さまざまな形で残されてきた古事を、ひとつにしたのだから、実に大変だった」「見てきたみたいにいうのね」白妙は少し笑った。兄の京での暮らしぶりに触れたようで、嬉しかったのだ。「見ていたのだよ。我が那賀国造に大舎人として推していただき、飛鳥宮に赴いたおり、まず命じられたのが、帝紀旧辞をまとめるために設けられた室を護ることだった。たいせつな書だから、盗まれたり、焼けたりしてはならないということでな。天皇の命を受けてからもう幾年も過ぎていたので、そのお役目を受けた多くの方もたまに顔をお出しになるくらいとなっており、静かな室で僅かばかりの書人が筆を走らせているだけだった。ただ、藤原朝臣大嶋だけは毎日のように様子を見にこられていたな。そのころは藤原ではなく、まだ中臣を名乗っていたが」(坂東真砂子さん「朱鳥の陵」P134)
2012年09月02日
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小熊英二さんの「社会を変えるには」を買書つんどく。これまた壮大なテーマです。「いま日本でおきていることは、どういうことか。社会を変えるというのは、どういうことなのか。歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る論考。」(「BOOK」データベースより)
2012年09月01日
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同廿八日、新帝(後鳥羽)の御即位あり。内侍所・神壐・宝剣もなくして御即位の例、神武天皇より以来八十二代、是はじめとぞうけ給はる。八月六日、除目おこなはれて、蒲冠者範頼、参河守になる。九郎冠者義経、左衛門尉になさる。すなはち使の宣旨を蒙ッて、九郎判官とぞ申け る。(「平家物語(四)巻第十」P117)同(九月)廿七日、都には九郎判官義経、検非違使五位尉になされて、九郎大夫判官とぞ申ける。さる程に十月にもなりぬ。八島にはうら吹風もはげしく、磯うつ浪もたかゝりければ、つは物も攻め来らず。商客のゆきかふもまれなれば、都のつても聞かまほしく、いつしか空かきくもり、霰うつちり、いとゞ消え入る心地ぞしたまひける。都には、大嘗会あるべしとて、御稧の行幸ありけり。(中略)同十一月十八日、大嘗会とげおこなはる。去る治承・養和の比より、諸国七道の人民・百姓等、源氏のためになやまされ、平家のためにほろぼされ、家かまどを捨て山林にまじはり、春は東作の思ひを忘れ、秋は西収のいとなみにも及ばず。いかにしてか様の大礼もおこなはるべきなれ共、さてしもあるべき事ならねば、かたのごとくぞとげられける。参河守範頼、やがてつづいて攻め給はば、平家はほろぶべかりしに、室・高砂にやすらひて、遊君・遊女共召しあつめ、あそびたはぶれてのみ月日をおくられけり。東国の大名・小名おほしといへ共、大将軍の下知にしたがふ事なれば、力及ばず。只国のつひえ、民のわづらひのみあッて、ことしもすでに暮にけり。(「平家物語(四)巻第十」P126)これにて、巻第十を終り、巻第十一に入ります。巻第十は落ち着いておったなあ~。
2012年09月01日
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