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宇治市の南部、京都府城陽市との境に近い丘陵地帯に、「京都府立山城総合運動公園」があります。一般には「太陽が丘」の愛称で呼ばれています。京阪宇治バスが、京阪宇治駅から太陽が丘まで運行されています(昼間時間帯のみ、休日は30分に1本、平日は1時間に1本)。太陽が丘ゲート前京阪宇治バス太陽が丘案内図面積は約108ヘクタールです。甲子園球場のおよそ27倍だそうです。このうち東半分(上の案内図では上半分)は陸上競技場、野球場、球技場、ファミリープールなどの施設、西半分はレクリエーションゾーンとなっています。行き先案内板 野球場公園センターレストランもともと国有林だったそうですが、昭和55年(1980年)に起工され、昭和57年(1982年)には陸上競技場など一部が開園しました。その後、昭和63年(1988年)の「第43回国民体育大会」に向けて整備されました。西半分は、平成3年(1991年)に開催された「第42回全国植樹祭」の跡地で、「府民ふれあいの森」として整備されました。レクリエーションゾーン
2011年09月29日
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天ヶ瀬ダムの上流は、鳳凰湖(ほうおうこ)と呼ばれるダム湖です。 鳳凰湖流木やゴミなどをフェンスでブロックしているので、多少興ざめ気味ではありますが、それでも上流の景色には心惹かれる美しさがあります。ちなみに上の写真、右手には天ヶ瀬発電所の取水口があります。天ヶ瀬ダム鳳凰湖の名前は、言うまでもなく、近くにある世界遺産「平等院」の鳳凰堂に由来します。ダムの形が翼を広げる鳳凰を連想させるからだそうです。上流へと続くダム湖は、鳳凰の長い尾なのでしょう。巡視艇の格納庫格納庫には3隻の巡視艇が格納されています。上の写真では、そのうちの1隻だけが見えています。この船はホバークラフト「かわせみ号」です。ダム湖にホバークラフトというのはかなり珍しいのではないでしょうか。森林公園への道同上この日は時間が無くて、ここで引き返しましたが、この先には生活環境保全林として整備された「天ヶ瀬森林公園」があります。全体で約90ヘクタールあり、四季が楽しめる木々が植えられたり、遊歩道や休憩所、展望施設などが設置されています。
2011年09月27日
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旧・志津川発電所の対岸には、現在稼働している天ヶ瀬発電所があります。 天ヶ瀬発電所(手前)天ヶ瀬発電所の出力は92,000kWです。天ヶ瀬ダムの上流には、喜撰山ダムがあり、天ヶ瀬ダムで貯めた水を使った揚水発電を行う喜撰山発電所(出力466,000kW)があります。喜撰山ダムのほうは立ち入ることはできません。天ヶ瀬発電所(中央)天ヶ瀬ダム(手前)からの放流のせいで、水煙がたなびいています。同上天ヶ瀬発電所(手前)ダムから放流される水の音は、まさに轟音です。しばらくのあいだ、途切れのない音を聞きながら、激しく流れ出す水を眺めておりました。
2011年09月25日
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天ヶ瀬ダムから見た風景をご紹介します。管理棟ダムの上から振り返ると、天ヶ瀬ダム管理支所の建物が見えます。琵琶湖から流れ出る唯一の川、宇治川の治水を、瀬田の洗い堰とこの天ヶ瀬ダムで管理しています。梅雨や台風シーズンになると、すごく気を使うでしょうね。ダムの下流紅葉でも美しいところです。宇治市街に近いこともあって、シーズンには大勢のハイカーが訪れるとか。旧・志津川発電所天ヶ瀬ダムの下流、宇治川右岸に、ツタで覆われたレンガ造りの建物があります。これはかつての志津川(しづがわ)発電所の建屋だったところです。大正13年(1924年)、宇治川電気によって志津川ダムが建設されましたが、天ヶ瀬ダムの建設によって志津川ダムはダム湖に沈むことになります。これにより、志津川ダム直下の大峰発電所とともに、志津川発電所は廃止されました。残された旧・志津川発電所の建物は、土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されています。ところで、この建物はまだまだ現役です。昭和46年(1971年)、ここに「(株)新日本技術コンサルタント」(平成3年(1991年)に社名を「(株)ニュージェック」に変更)が水理実験所を開設しました。関西電力から場所を借りているようです。上の写真で、建物の右手(少し水色の物が写っている辺り)には、水理実験のための大きな模型を置く場所だそうです(いまは何もないようです)。この企業、昭和38年(1963年)に創業で、黒部ダムの建設で活躍した中核技術者が集結してできた会社だとか。業容を見てみると、すごい技術集団のようですよ。
2011年09月23日
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前置きが長くなりましたが、とにかく天ヶ瀬ダムの全景を見ていただきましょう。天ヶ瀬ダム同上この天ヶ瀬ダムのてっぺんの通路を歩くことができるのです。下流にせり出すような独特な形(ドーム型と呼ばれる所以)なので、上からの景色にも迫力があります。同上
2011年09月22日
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宇治橋から3キロほど上流に、「天ヶ瀬(あまがせ)ダム」があります。宇治川の河畔を眺めながら、天ヶ瀬ダム、そして森林公園へと、ハイキングコースとしてもお勧めです。天ヶ瀬ダム管理支所ダムには、国土交通省の淀川ダム総合管理事務所・天ヶ瀬ダム管理支所があります。上の写真の右手に進むとダムを見学することができます(自転車やバイクは進入禁止)。見学時間は朝8時から夕方5時までです。入口で住所と氏名を記帳してから入ります。ダムの案内板中に入ると、ダムの手前はちょっとした広場になっていて、天ヶ瀬ダムについての案内板があり、ボタンを押すと解説ビデオが上映される仕組みになっています。また、現在の放流水量や発電量が表示されています。モニュメントモニュメントの下には、「天ヶ瀬ダム事業概要」が書かれています。以下、一部を引用します。 建設の目的 洪水調節 発電 上水道 事業者 建設省 型式 ドーム型アーチダム 堤長 254m 堤高 73m 洪水調節 淀川水系改修基本計画に基き宇治川 及び淀川本川の洪水を低減させる 発電 最大出力92000kWのピーク発電を行う 事業者 関西電力株式会社 上水道 宇治市 城陽町 久御山町 八幡町に 1日最大24000t の水道用水を供給する 事業者 京都府天ヶ瀬ダムが竣工したのは昭和39年(1964年)11月。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業した年です。建設記念碑建設記念碑に添えられた碑文(昭和54年建立)には、「建設省直轄事業として六十六億円の工費と八ヶ年の歳月を費やし」て竣工したと書かれています。
2011年09月20日
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京阪宇治駅から南へバスで10分ほど(徒歩で30分ほど)のところ、宇治市折居台に宇治市文化センターがあります。最寄りのバス停は「宇治文化センター」です。宇治市文化センター大小のホールを持つ文化会館、中央図書館、中央公民館、そして歴史資料館などが集まる施設です。文化会館入口中心的施設である文化会館は、昭和59年(1984年)に竣工した地上4階建ての建物で、大ホールは1308席、小ホールは394席あります。文化会館通路をはさんで、図書館や公民館、歴史資料館が並んでいます。中央図書館歴史資料館宇治市街方向を臨む高台にあり、宇治市街が見えています。駐車場があり、車があれば便利ですが、駅からは少し離れています。訪れた日はよく晴れて日射しが強く、駅から30分も歩くとさすがに汗だくになりました。帰りはバスで戻りました(って、普通はバスを使うんでしょうけどね)。
2011年09月18日
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宇治市役所は、JR宇治駅から徒歩で10分ほどのところにあります。宇治市役所京都府南部に位置し、京都から奈良への道筋にあたっているため、古くより交通の要所として発展してきました。一方で、「宇治川の合戦」など、数多くの戦いがこの地で起こりました。同上市役所の前には、高さ7メートルの「平和の鐘」が設置されています。平和の鐘 -祈り-平成16年(2004年)に、市民の寄付により建設されたということです。朝8時から夜7時(夏は夜8時)まで、毎時ちょうどに、鐘の音が響きます。演奏される曲は時刻ごとに違い、また季節によっても変わります。沖縄の日(6月23日)、広島の日(8月6日)、長崎の日(8月9日)、それぞれ1日だけ演奏される曲もあります。12月1日から25日までは、クリスマスにちなんだ曲になるそうです。被爆石・戦災石平和の鐘の前には、広島、長崎、那覇から届いた被爆石・戦災石が、それぞれの市長のメッセージとともに設置されています。上の写真、向かって左から、砲弾を受けた首里城公園の戦災石(那覇市)、爆心地付近の川の護岸に使われていた被爆石(長崎市)、広島市役所旧庁舎の被爆石(広島市)だそうです。
2011年09月17日
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観光客が多い宇治ですから、JR宇治駅の周囲にも、いろいろと興味深いものが見受けられます。観光案内所JR宇治駅に隣接して、宇治市観光案内所があります。お土産物も置いています。「おみやげプラザ宿木」というのも、宇治らしいというか。駅前交差点駅の正面には、宇治橋通り商店街のゲートがあります。茶摘み娘は「観光客をお出迎え」ですが、源氏物語のお二人は、周りのことなど見えていないようですね(笑)。茶壷型のポスト駅前には、茶壷の形をしたポストが置かれています。これでもれっきとした郵便ポストです。「この茶壷型ポストは2001年3月23日 『宇治市制施行50周年』を記念して設置されました。」と書かれています。ユニチカ宇治工場JR宇治駅の北側には、ユニチカの大きな工場があります。その北側には任天堂の工場もあり、工場群を形成しているようです。
2011年09月15日
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宇治橋西詰交差点から南西に500メートルほどのところに、JR奈良線の宇治駅があります。JR宇治駅駅の住所は、宇治市宇治宇文字16番地。「うじし うじ うもんじ」と読みます。「字文字」は「あざ もじ」ではございませんので、念のため。島式2面4線の橋上駅で、2000年に建てられました。外観は平等院鳳凰堂をモチーフにしているそうです。(いまひとつ、よく分からないのですが)南側出口南側出口にはロータリーがあり、路線バスやタクシーの乗り場があります。宇治市街を通るバス通りに面しており、観光客の姿も目につきます。北側出口北側出口にもロータリーがありますが、この日は土曜日の朝だからでしょうか、南側と対照的に、ひっそりとしていました。駅舎全景島式2面4線で、快速との緩急接続も行われます。「みやこ路快速」に乗れば、京都から17分という近さです。ただし、奈良線は一部区間を除いて単線なので、「普通」だと30分ほどかかるようです。上の写真、1番線にいるのは103系です。みやこ路快速には221系が使われています。
2011年09月14日
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宇治橋西詰の交差点に立つと、否が応でも目立つ大きな鳥居があります。縣神社の鳥居この道は、京都府道3号(大津南郷宇治線)で、滋賀県道3号として滋賀県大津市に至ります。別名「宇治川ライン」とも呼ばれています。観光バスやトラックも通る道なのですが、鳥居が道路にかかっていて、大型車どうしの行き違いに苦労している場面をときどき見かけます。鳥居の足元には「縣神社参道」と書かれています。400メートルほど先に縣(あがた)神社があります。縣神社同上「あがた」の名前は、大和政権における「県(あがた)」に関係するらしく、「県」の守護神であったと言われています。永承7年(1052年)、藤原道長の別荘を寺院(平等院)とする際の鎮守としたということです。拝殿縣神社には、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が祀られており、安産、出産の守り神といわれています。「梵天」神輿(左側)6月5日から6日未明にかけて、縣神社の大祭、「あがた祭り」が行われます。明かりのない暗闇の中で「梵天(ぼんてん)渡御」と呼ばれる儀式があり、町内の男衆が「梵天」と呼ばれる神輿を担ぎます。神輿が通り過ぎる間、家々は明かりを落として迎えるそうで、「闇夜の奇祭」とも呼ばれるそうです。「梵天」とは、もとは古代インドの神で、のちに仏教に取り入れられたものだそうです。万物をつくりだす創造力を持っているらしいです。
2011年09月11日
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宇治・上林記念館から南西に100メートルほど、同じ宇治橋通商店街の中に、京都銀行の宇治支店があります。その店舗の前に、石碑があります。京都銀行宇治支店前「宇治代官所跡」傍らの説明文によると、上林一族は「江戸時代の初めころから寛保三年(一七四三)までの百数十年七代にわたって宇治の代官として君臨」したそうです。また「寛政十二年から天保十四年(一八四三)の四十三年間」にも就任しているようです。明治時代になって宇治町役場が、戦後の昭和26年(1951年)に宇治市となってからは宇治市役所が、この場所に置かれていました。昭和38年(1963年)に移転するまで、ここが宇治の行政の中心地だったわけです。
2011年09月10日
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宇治橋西詰交差点から南西へ200メートルほど、宇治橋通商店街の中にある長屋門をくぐると「宇治・上林記念館」があります。宇治・上林記念館この門は元禄11年(1698年)の大火で類焼した後に再建され、250余年が経っているそうです。パンフレットによると、「上林家は、もと丹波上林郷(京都府綾部市)に居住する豪族」で、「永禄年間に初代久重が宇治に移住し、茶業に携わったのが、宇治茶と上林家の結びつきの始まり」だとしています。永禄年間(1558年~1570年)といいますから、安土桃山時代が始まろうとしている時代ですね。「久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味卜、上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師として、生産流通に重要な役割を果たす」ことになります。天正10年(1582年)の本能寺の変では、堺にいた徳川家康が三河に戻る際、長男の久茂(ひさもち)らが信楽まで先導し、その功績により代官に取り立てられたといいます。四男の竹庵は22歳のときに徳川家康に出仕し、三河・土呂郷で製茶の指導をしたといいます。その後、宇治に帰り茶師となるのですが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは伏見城に籠城し戦死しています。その軍功によって、上林一族が宇治のお茶師の支配に当たることになったようです。記念館では、安土桃山時代にフィリピンを経由して渡来した「ルソンつぼ」や、お茶壷道中に使われた輿、当時の製茶の様子、豊臣秀吉、千利休、小堀遠州などとやりとりした書状などが紹介されています。記念館と直営店三男の春松(しゅんしょう)の名を掲げる「上林春松商店」の直営店が、記念館の隣にオープンしたのは昨年(2010年)3月のこと。お茶席もあって、美味しい茶菓子とともにお茶を味わうことができます。「上林」を名乗るお店はいくつかあります。私には元祖と本家と宗家の違いは分かりませんが、美味しいお茶を作ることで競い合って欲しいものです。平等院表参道商店街で聞かされた隣りの店の悪口は論外です。コカコーラの製品でお茶のペットボトル「綾鷹」をご存じですか? 「上林春松本店」とのコラボで開発したそうです。伝統とともに、時代に合った新しい製品を開発することも大事なことなんでしょうね。
2011年09月08日
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紫式部の源氏物語(宇治十帖)では浮舟(うきふね)を助けて出家させた「横川の僧都(よかわのそうづ)」。そのモデルは平安時代中期の天台宗の僧「源信(げんしん)」だと言われています。源信は、比叡山・横川にある「恵心院(えしんいん)」に籠もり、仏堂修行と著述に専念し、浄土教の基礎を築いたとされています。権力者ばかりでなく誰もが念仏を唱えることによって仏になれるとし、民衆の間に天台の教えを浸透させました。「恵心僧都(えしんそうづ)」とも呼ばれ尊敬されていたということです。ちなみに、比叡山・横川の恵心院は、源信の師・良源(りょうげん)のために藤原兼家が建立した寺だそうです。良源は、火災により荒廃した比叡山延暦寺を再興し、比叡山延暦寺の中興の祖と言われております。話を宇治に戻しましょう。宇治川沿いにも「恵心院」というお寺があります。「恵心院」入口弘仁13年(822年)(別の資料では弘仁12年(821年))、空海(弘法大師)の開基とされ、創建当時は「龍泉寺」とよばれていました。寛弘年間(1004年~1013年)、源信によって再興され「朝日山恵心院」と改名されました。弘法大師の像宇治の恵心院で行われた源信の説法が多くの人々の心を癒したと伝えられています。「恵心僧都説法の道場」の石碑恵心院の門門の瓦平等院の対岸にある恵心院のある辺りが、源氏物語では浮舟の住まいに設定されたようです。静かなたたずまいで落ち着いた雰囲気の場所です。
2011年09月06日
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宇治川の右岸をさらに宇治橋の方に歩くと、しゃれた門扉が目に留まりました。「朝日焼」の門扉 「朝日焼」と書かれた標札があります。門柱は焼き物でできているようです。ところどころ、湯呑みが埋め込まれているように見えます。同上朝日焼(あさひやき)は、宇治で生まれ育った焼き物です。発祥は慶長年間(1596年~1615年)に遡るといいます。宇治茶の栽培が盛んになるにつれて、茶の湯向けの陶器が焼かれるようになったということです。江戸の初期には、大名で茶人の小堀遠州(小堀政一、役名の遠江守から遠州(えんしゅう)と呼ばれます)の庇護により、朝日焼の名は広まります。朝日焼をはじめ、小堀遠州が庇護した窯は、「遠州七窯」と呼ばれているそうです。窯元展示室川沿いに50メートルほどのところに、「朝日焼窯元展示室」があります。同上昭和60年(1985年)に開館した「朝日焼陶芸資料館」は、平成19年(2007年)に閉館し、現在は「朝日焼窯元展示室」となっております。楽天市場にも出店されています。興味のある方は、ちょっと覗いてみてください。
2011年09月04日
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宇治川の右岸に、関西電力の宇治発電所があります。川沿いからでは発電所の建物は見えませんが、発電所から流れ出る水が宇治川に注ぎ込む様子を見ることができます。宇治川との合流点同上宇治発電所入口中に入ることはできません。発電所からの水上の写真は、発電に使われた水が流れ出てくるところです。この奥に発電所があります。宇治発電所の2キロほど上流に天ヶ瀬ダム(昭和39年(1964年)竣工)があるのですが、その貯水で発電しているのは、ダムのすぐ近くにある「天ヶ瀬発電所」です。宇治発電所はというと、その水は琵琶湖の出口、瀬田川洗堰のすぐ北側(大津市南郷)で取水し、導水管によって運ばれています。竣工したのが大正2年(1913年)、当時としてはかなりの難工事だったようです。記念碑発電所の水が宇治川に合流する地点の上流側に、記念碑が建てられていました。「工事竣功記念碑」ここには、宇治発電所の工事について記されています。水路総延長 六千壹百参拾七間(6137間) 隧道 五千七拾間(5070間) 暗渠 四百四拾間(440間) 開渠 六百貳拾七間(627間)最長隧道 第壹號壹千参百五拾七間(第1号 1357間) 第七號壹千六百五拾八間(第7号 1658間)使用水量 壹秒時貳千立方尺(1秒時2000立方尺)有効落差 貳百四尺(204尺)機械容量 四萬八千馬力(48000馬力)送電線路 大阪線貳拾貳哩(22哩) 京都線八哩(8哩)工事費総額 金貳千六百萬圓(金2600万円)工事着手 明治四拾壹年拾貳月(明治41年12月)工事竣功 大正貳年六月(大正2年6月)大正参年拾月(大正3年10月)宇治川電氣株式會社総延長は約11キロ、その8割以上がトンネルです。使用水量は毎秒約60立方メートル、有効落差は約61メートル。当時のお金で2600万円は、今の価値だとどれくらいなのでしょうね。碑の側面には、おおぜいの記念碑の発起人の名が刻まれていました。ちなみに宇治川電氣株式會社は、現在の関西電力の前身となった会社のひとつです。
2011年09月02日
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