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京阪・宇治線の六地蔵駅の北側には、京都外環状線が通っています。六地蔵奈良町交差点から、西は観月橋方面へ、北東は山科方面へと向かっており、南東方向へは奈良街道として宇治方面へと続いています。昔からの街道筋で、道が狭いわりに交通量が多く、渋滞が絶えないところです。京阪宇治線のほか、JR奈良線、京都市営東西線が乗り入れており、人の集まるところであります。外環状線(イズミヤ前)六地蔵駅の周辺には、大手のショッピングセンターが競い合っています。西寄りには、外環状線の南側にイズミヤ・六地蔵店、北側に近鉄百貨店桃山店(momo近鉄)、東寄りにはイトーヨーカドー・六地蔵店(本社は東京都)があります。momo近鉄外環状線の南側のイズミヤと北側の近鉄との間には、外環状線を跨ぐ高架橋があり、イズミヤと近鉄の間を行き来することができます。(上の写真、右端に一部分が写っています)外環状線を右折することなく、どちらの施設にでも入ることができ、渋滞緩和に一役買っているようです。イズミヤと近鉄は、ともに大阪市内に本社を置く会社で、東京資本のイトーヨーカドーとの東西対抗の様相を示しているというと大げさでしょうか。イトーヨーカドーイトーヨーカドーは地下鉄の六地蔵駅と地下でつながっており、JR六地蔵駅にも近いので、鉄道を利用したアクセスでは地の利がありそうです。momo近鉄にて訪れたのは11月26日。色付く秋を迎えたようです。
2011年11月30日
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京阪六地蔵駅の北西に、法雲山浄妙院大善寺(ほううんざん・じょうみょういん・だいぜんじ)という浄土宗の寺院があります。「六地蔵」の名でよく知られています。大善寺(南側参道)「根本 六地蔵寺」の碑東側の門地蔵堂(六角堂)には、小野篁(おののたかむら)作と伝えられる地蔵菩薩立像(重要文化財)が安置されています。境内六角堂(六地蔵堂)小野篁は48歳のとき熱病を患い意識を失ったそうです。そのときに、地獄で苦しんでいる人々の姿を見たといいます。そしてその人々の苦難を救っている一人の僧に出会いました。僧は地蔵菩薩であると名乗り、「六道の迷いの世界を巡って縁のある人々を救っているが、縁のない人を救うことはできない。この地獄の有様と地蔵菩薩のことを人々に知らしめて欲しい」と言われたそうです。蘇った小野篁は、1本の桜の木から6体の地蔵菩薩像を造り、ここに納めました。それゆえ、この地を六地蔵と呼びます。ちなみに「六道」とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つで、迷いのあるものが輪廻する6つの世界のことだそうです。保元(ほうげん)2年(1157年)、後白河上皇の勅命で、平清盛が西光(さいこう)法師に命じて京都に通ずる主要な街道の入口に残り5体を分置したことから、これらの地蔵を巡る「六地蔵巡り」の風習が生まれました。鐘楼この鐘楼は、徳川2代将軍秀忠の娘・東福門院が安産祈願成就の礼として寄進したものだそうです。
2011年11月28日
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京阪の六地蔵駅は、改札口が1ヶ所だけです。改札口出口の右側に、JRや地下鉄との乗り換え経路が書かれています。道がややこしいので、確認してから駅を出ることをお勧めします。改札口(外側)駅前道路京阪の六地蔵駅は、かつては地上駅でした。駅前道路の辺りを走っていたようです。山科川の堤防を嵩上げするとき、移設されて高架駅になったそうです。駅前ロータリー駅前にはロータリーがあり、京阪バス、京阪宇治バスの乗り場があります。タクシーも数台、停まっています。
2011年11月26日
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京阪電気鉄道の六地蔵駅は、相対式2面2線のホームを持つ駅です。駅名標同上木幡(こわた)駅を出た列車は、左に大きくカーブを描き、山科(やましな)川を渡ってすぐに、六地蔵駅のホームに入ってきます。宇治方向ホームは曲線上にあります。ホーム(宇治方向)ホームを出た列車は、さらに左にカーブし、向きを西に変えて中書島方面へと向かいます。中書島方向乗り換え案内六地蔵駅は、京都市営地下鉄東西線、JR奈良線との乗り換え駅です。出口は1ヶ所ですが、JRや地下鉄の六地蔵駅まで徒歩で5分以上かかります。慣れないと道を間違えるかもしれません。
2011年11月24日
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JR木幡駅からの引込線跡が京阪・宇治線と交差する付近、京阪の木幡駅と六地蔵駅のちょうど真ん中辺りに、東宇治浄化センターがあります。東宇治浄化センター銘標施設内処理場によっても違いますが、東宇治浄化センターの場合、約17~20時間で水処理されて、山科川に放流しているそうです。山科川は観月橋の手前で宇治川に合流し、八幡市付近で淀川となります。下流には上水道の取水口もあったりして(気にしてもしかたがないですけどね)。これまでにも何度か、このような施設を訪れていますが、たいてい人影もなく、ひっそりしています。休日ということもあるのでしょうね。浄化とという都市に欠かせない大切な機能を、静かに担ってくれています。
2011年11月22日
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旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場へと続いていた引込線は、京阪宇治線と立体交差していました。京阪との交差部分上の写真、左手の土手が引込線跡で、それを突き破るように、左右に通っているのが京阪の宇治線です。京阪の向こう側にも堤が続いています。京阪の線路の反対側から見たのが下の写真です。かつては京阪を跨いで貨物が走っていたのでしょう。反対側から見た堤引込線跡そしてさらに先へと続いていたようですね。ここからは道路になっています。ところで、引込線跡は京阪の上を跨ぐかっこうで残っていますが、これと並行している道は、京阪の下をくぐっています。なんと、桁下制限高 1.2メートル。皆さん、頭を下げて通行しています。中には自転車に乗ったまま、頭だけを下げたかっこうで通り過ぎて行く人もいました。さながらアクロバットでした。頭をぶつけると大けがします。気を付けてくださいね。
2011年11月20日
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木幡緑道は、「旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場鉄道引込線跡」の一部で、木幡保育所付近から堂の川付近までの300メートルほどが、歩行者・自転車専用道路として整備されました。木幡緑道の先引込線の跡は、木幡緑道の先へと続いています。引込線跡堂の川を過ぎた辺りから、盛り土になっています。行き止まり堤の上を少し歩いてみましたが、すぐに行き止まりになっていて金網が張られていました。でもまだ堤は先に続いています。地表から見ると、、、同じ箇所を地表から見ると、上の写真のようになっています。橋げたが取り外されてはいるものの、構造はしっかり残っています。橋げたが残っている部分もう1ヶ所、道路を跨いでいる箇所がありました。ここにはまだ橋げたが残されています。
2011年11月18日
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JR奈良線の木幡駅から北へ、線路の西側に沿って「木幡緑道」という道があります。木幡緑道入口に設置された説明板には、「旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場鉄道引込線跡」と書かれています。第二次大戦が終わるまでは、火薬工場へ向かう貨物列車がここを通っていたようです。昭和58年(1983年)、宇治市はこの引込線跡を歩行者・自転車専用道路として整備しました。竣工記念碑「木幡保育所駅」木幡緑道には、駅のホームを模した休憩所が設けられています。木幡駅側の入口には「木幡保育所駅」。すぐ近くにある保育所の名前が付けられています。「許波多神社駅」同上中央付近には、「許波多神社駅」。木幡地区にある許波多神社の裏手付近です。「堂の川駅」木幡緑道の終着は、「堂の川駅」です。近くを堂の川が流れています。JR奈良線すぐ横を、JR奈良線の103系が走り抜けて行きました。
2011年11月16日
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京阪木幡駅の東、JR木幡駅の北(宇治市木幡)に、「許波多神社」があります。黄檗駅に近いところ(宇治市五ケ庄)にも同じ名前の神社があり、すでにご紹介いたしましたが、それぞれに伝わっている由緒などは異なるそうです。許波多神社(木幡)参道左右に置かれた常夜灯には「木幡神社」と書かれています。同上神社に掲示されている「由緒」には、次のように記されています。「皇極天皇はお夢の中で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」との大神の御告げに恐懼(きょうく)され藤原鎌足公に詔して木幡荘に神殿を造営し、大化元年九月十六日(西暦六四五年)奉遷し式内木幡(許波多神社)と尊稱さる」宇治陵36号参道を進んでいくと、「宇治陵」と書かれた碑がありました。同上「宇治陵36号」だそうで、「狐塚」と呼ばれているそうです。拝殿同上「田中神社」の常夜灯明治41年(1908年)に田中神社を合祀したそうで、拝殿の傍らには「田中神社」の名が入った常夜灯が置かれていました。境内のクスノキ
2011年11月14日
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JR木幡駅から南に300メートルほどのところに、「藤原氏塋域」と書かれた碑があります。「藤原氏塋域」の碑「塋域(えいいき)」とは墓所という意味だそうです。「藤原氏」とは言うまでもなく、平安時代に栄華を極めた摂関家藤原氏です。碑には、「閑院贈太政大臣冬嗣 昭宣公関白基経 本院贈太政大臣時平 法興院摂政兼家 南院関白道隆 法成寺関白道長 宇治関白頼通 後宇治関白師實」の8人の名前が並んでいます。そうそうたる名前です。(ちなみに「贈」とあるのは、死後に贈られた官位です)この周囲には、藤原氏の墓地が点在しています。明治10年(1877年)には、宮内省(当時)によって調査が行われ、藤原氏出身の皇室関係者の17陵3墓を「木幡陵」としました。その後、範囲を広げ、1号陵から37号陵まで番号を付けて「宇治陵」としました。いまでは住宅化が進み、民家の間に点在している状況です。このうち、1号陵を「宇治陵」全体の「総遙拝所」としています。1号稜のすぐ近くに、「宮内庁書陵部 桃山陵墓監区 宇治部事務所」と書かれた建物があります。「宇治部事務所」と1号稜この建物のそばに掲げられた掲示には、藤原氏出身の皇室関係者の名が並んでいます。ほとんどが歴代天皇の皇后や中宮の名前です。掲示版だれがどの陵に葬られているのか、必ずしもはっきりしていないようです。点在する37の陵を探し当てるだけでも、なかなかたいへんそうです。それにまた、中には古墳時代の古墳も含まれているといいます。それにしても、この近くに藤原道長や長女・彰子(一条天皇皇后)、嫡子・頼道らが、ほんとうに眠っているのでしょうか。源氏物語の作者・紫式部を庇護した藤原道長は、源氏物語の第一読者だとも言われています。宇治の地は、平安貴族と深くつながっているようです。
2011年11月12日
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JR木幡駅の駅舎を出てすぐ左手に、入口の上部に「株式会社京都アニメーション」と小さく書かれた3階建てのビルがあります。京都アニメーション本社同上私はアニメには疎いのですが、アニメーションの製作などを手掛ける会社で、「京アニ」の略称で呼ばれています。熱狂的なファンが多いんだそうです。訪れたとき、入口右側には、「けいおん!」のポスターが貼られていました。これも手掛けたアニメ作品です。第2スタジオは、京阪の木幡駅前にあり、セル画工房の見学ができます(予約優先)。こちらには「京アニショップ」もあります。アニメファンなら必見、かな?
2011年11月10日
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京阪・木幡(こわた)駅の東300メートルほどのところに、JR奈良線・木幡(こはた)駅があります。JR奈良線・木幡駅同上地方に行くと見かけるような、懐かしい雰囲気を持っています。駅舎は明治29年(1896年)の開業当時の建物が残っているとのことです。同上地上駅で、もともとは、2面3線だったのですが、真ん中の線が撤去されて、現在は、1番線(上の写真、左側)と2番線(同、右側)との間が大きく空いており、工事が行われています。この工事は駅北側の踏切(木幡踏切=上の写真)の拡幅のためのもので、今年(2011年)12月下旬には終わる予定です。同時に、2番線を1番線側に寄せる改良も行われます。(2011年10月23日撮影)この踏切、自動車がすれ違うにも狭いうえに、通行人が多く、線路内で通行が滞る状態でした。とくに学生の通学時間帯はたいへん混雑してます。工事の完成が待たれるところです。
2011年11月08日
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京阪・木幡駅の西側に、大きな池があります。木幡池と呼ばれています。木幡池木幡池(中池)木幡池(南池)木幡池は、2つの橋で区切られており、それぞれ北池、中池、南池と呼ばれています。この池は淀川水系に属しており、「一級河川・堂の川」の河川区域の一部なんだそうです。案内板には「埋立等無断で行為を行うと河川法違反で罰せられます」と書かれていました。 (「行為を行う」って、日本語がおかしくない?)もともと、ここも巨椋池の一部だったようですが、ここはその名残りだそうです。中池、南池には水鳥も住みついているそうです。
2011年11月06日
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京阪の木幡駅は、南側の道路に面して、行き先別の改札口があります。2ヶ所の改札口宇治方面改札口同上中書島方面改札口もともと、終日使われていたのは宇治方面ホーム側の改札口のみでした。中書島方面ホームの改札口はラッシュ時のみ使用されていたようですが、自動改札機が設置され、現在は終日使用されています。中書島方面ホームに隣接して、パナソニックの工場があります。木幡駅ホームから撮影パナソニックの工場中書島方面に臨時改札口があったのは、この工場へ通う人のための対策だったのでしょうね。それにしても職場が駅に隣接しているとはうらやましい(笑)。
2011年11月05日
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京阪電気鉄道宇治線の木幡(こわた)駅は、大正2年(1913年)、宇治線の開業と同時に設置されました。京阪の駅名は「こわた」ですが、地名の「木幡」は、日本郵便の郵便番号検索によれば「こはた」、ヤフー地図の地名では「こばた」となっています。近くにあるJRの駅は「こはた」です。ややこしいですね。駅名標相対式2面2線の地上ホームです。2600系(新塗装)現在、宇治線で使用されている車両はほとんどが2600系4両編成です。ホーム同上ホームは5両編成まで対応しているのですが、屋根は改札がある南寄り(宇治方面)にしかありません。雨が降っているときには、気を付けなければ。駅名標ホームのはずれに、もうひとつの駅名標がありました。レトロっぽくていいですね。改札付近駅の南側に道路があり、道路に面してそれぞれのホーム別に改札があります。かつては構内踏切があったそうですが、中書島方面ホームの改札(上の写真、右側)が終日利用されるようになり、平成10年(1998年)に構内踏切は廃止されました。
2011年11月03日
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京阪・黄檗駅の北西、西方寺の参道入口に、「二子塚古墳」と書かれた碑があります。二子塚古墳の碑二子塚(ふたごづか)古墳は、西方寺の西隣にあります。というより、かつて二子塚古墳の堀だったところに西方寺が建てられたというほうが正確でしょう。二子塚古墳の南西側は、「二子塚古墳公園」として整備されています。二子塚古墳公園入口同上中に入ってみると、堀があります。二子塚古墳二子塚古墳は全長約110メートルの前方後円墳(後円部分が北側)で、二重に巡らされた濠は、全長220メートル、幅200メートルもあったようです。宇治市内最大の古墳だそうです。6世紀前半に造られたと推定されており、この一帯を支配した大豪族の墓だろうと言われているそうです。その大きさから、天皇の墓ではないかという説もあるようです。「前方」部分(西側)後円部分(西側)後円部分は大正年間に壊されたということで、そのときに横穴式石室が確認されたそうです。京阪宇治線が東北側の濠の付近を通っているようで、ちゃんと保存されていないのはちょっと残念ですね。
2011年11月01日
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