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小栗栖宮山小学校の東に、「小栗栖八幡宮」があります。地名の「宮山」はこの八幡宮の境内の小高い場所から付けられたようです。小栗栖八幡宮同上本殿境内に掲げられた説明によると、「紀興道という人が関東守護職を命じられ下向するに当り男山八幡宮の分霊を勧請して当八幡宮を創建した」とあります。創建は貞観(じょうがん)4年(862年)のようです。そのため、神社は東向きに建てられているということです。境内の説明には「貞観四年(西暦八六四)」と書かれていますが、西暦864年は貞観6年です。ちなみに貞観6年は「貞観大噴火」と呼ばれる富士山の大噴火があった年です。関東へ下向したこの人は、噴火する富士山を関東の地で見たかもしれませんね。ところで、紀興道(きのおきみち)という人物、Wikipediaによると、承和元年(834年)に死去しているようです。う~ん、時期が合わないですねえ。別の説明では「紀古道」という名前も出てきます。残念ながら確定的な情報は得られませんでした。
2011年12月30日
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再び旧小栗栖街道に戻り、北東に向いて歩きました。小栗栖宮山小学校の前を過ぎたところに、公園があります。その公園の中に、地蔵堂がありました。地蔵堂上の写真、右側が地蔵堂で、中央奥には小学校の校舎が写っています。同上「子安地蔵」と呼ばれ、安産のご利益があるそうです。公園では小さな子どもが遊んでいました。小学校や公園が見渡せるこの場所は、「子どもの守り神」と言われる地蔵尊にとって最適の位置のように思えました。地蔵堂のある公園
2011年12月28日
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六地蔵付近から北へ、小栗栖(おぐりす)街道に沿って歩きました。旧街道沿いに1キロほど歩き、中山田町のバス停(醍醐コミュニティバス)の手前を左に折れて西に入った先、人家が途切れた辺りに、ぽつんと小さな小屋らしきものが建っていました。「弘法大師杖の水」ここには「弘法大師杖の水」と呼ばれる湧水があります。同上弘法大師が杖を突き立てると水が湧き出てきたという言い伝えがあります。弘法大師によって湧き出たとされる湧き水や井戸は各地にあるようです。それほどに、昔の人にとって水は大切なものだったのでしょうね。同上
2011年12月26日
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いったん六地蔵まで戻り、今度は「小栗栖(おぐりす)街道」を歩いてみようと思います。小栗栖街道は、六地蔵(大善寺)の北から山科区の勧修寺までのおよそ3キロの道です。山科川の右岸(西側)、桃山丘陵の東側に沿った街道です。小栗栖とはちょっと珍しい地名ですね。古くは「おぐるす」とも言ったそうです。大和言葉では小高い平坦地を「くるす」と言うそうで、桃山丘陵の東側の小高い土地を、小さな「くるす」=「おぐるす」と呼ぶようになったと聞きました。「桃山西尾」交差点六地蔵(大善寺)の北側に、「桃山西尾」という交差点があります。外環状線の「餃子の王将」の建物が目立っているところです。上の写真、正面の道が「新小栗栖街道」と呼ばれている道路です。「新小栗栖街道」狭い道ながら交通量が多く、途中、歩道が整備されていない場所もあり、気を使いながら歩きました。外環状線を避けてこちらを通る車も多いようです。「新」に対して、「旧」もありました。「旧小栗栖街道」同上新小栗栖街道の西側に、旧小栗栖街道があります。ここから北へと歩き始めました。
2011年12月24日
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日野薬師とも呼ばれる法界寺をあとにして、石田駅に向いて歩いていると、道端に石の道標が建っていました。方丈石の方向を示す道標「鴨長明 方丈石 左八百米」と書かれています。鴨長明(かものちょうめい)といえば、「方丈記(ほうじょうき)」ですね。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出しで有名です。方丈記は、鎌倉時代に書かれた随筆で、吉田兼好の「徒然草」、清少納言の「枕草子」とあわせ、日本の三大随筆とも呼ばれています。ところでこの「方丈記」の「方丈」は、「一丈四方」という意味です。一丈は十尺、およそ3メートルですから、方丈というと9平方メートル、6帖足らずの広さです。鴨長明は、この日野の地に小さな庵を結び、方丈記を執筆したということです。しかも「方丈石」というのですから、平たい石の上に庵を建てたのでしょうね。今回は現地には行っていませんが、聞くところによると、最後の300メートルほどは山の中に入っていく感じだそうです。一人で行くには勇気が要るかも?
2011年12月22日
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京都市営地下鉄東西線の石田駅の東方、日野誕生院の西側に、「東光山法界寺」があります。真言宗醍醐派の別格本山で、「日野薬師(ひのやくし)」として親しまれています。法界寺山門「ひのやくし」の石標平安後期の永承6年(1051年)、日野資業(すけなり)が、この地にあった日野家の山荘を寺にしたことに始まるそうです。しかし兵火で焼失したため、現在では重要文化財の薬師堂(本堂)と、国宝の阿弥陀堂が残るだけです。本堂の薬師堂は、奈良県斑鳩町竜田にあった「伝燈寺」(現在は廃絶)の本堂を、明治37年(1904年)に移築したもので、室町時代の康正2年(1456年)に建てられたものだということです。中に安置されている本尊の薬師如来(重文)の胎内には、伝教大師最澄が自作したと伝わる三寸の薬師像が収められているそうです。この本尊に祈願すると、授乳のご利益があるということから、通称「乳薬師」とも呼ばれています。薬師堂(本堂、重文)阿弥陀堂は、兵火で焼失したのち、鎌倉時代初期に建立されたと推定されています。中に安置されている阿弥陀如来坐像とともに国宝に指定されています。阿弥陀堂(国宝)毎年1月14日には「裸踊り」が催されるそうです。踊りに用いられた下帯は妊婦の腹帯として厚い信仰を集めているんだとか。浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、承安3年(1173年)、日野有範の子として、この寺で生まれたとされています。日野家御廟所日野誕生院の北側、静かなたたずまいの中に、日野家の御廟所がありました。
2011年12月20日
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京都市営地下鉄東西線の石田駅の東方に、「日野」という地名があります。室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家にゆかりのある土地だそうです。日野家は藤原氏からつながる家系で、8代将軍・足利義政の正室の日野富子などが有名ですね。日野氏一族の日野有範(ありのり)を父に、承安3年(1173年)に日野の里に生まれたのが親鸞聖人(幼名、松若丸)です。9歳で得度したそうです。京阪の六地蔵駅からは、「日野誕生院」行きのバスが出ています。バス停「日野誕生院」京阪六地蔵行きバス日野誕生院(ひのたんじょういん)は、浄土真宗本願寺派の寺院で、親鸞の誕生の地を記念して昭和6年(1931年)に建立されました。それ以前、江戸時代には、父の名前にちなんだ「有範堂」が建立されていたそうです。「生誕之地」の碑日野誕生院同上同上境内には親鸞聖人が6歳の時の姿を写した像が置かれています。「親鸞聖人童形像」保育園をはさんだ西側の隣接地には、誕生の際に使用されたと伝えられる「産湯の井戸」と、へその緒を収めた「胞衣塚(えなづか)」があります。「産湯の井戸」と「えな塚」
2011年12月18日
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通称「外環状線」という名の道路は、六地蔵から北に向きに変え、山科に至ります。この外環状線の地下を、京都市営地下鉄東西線が通っています。名前は「東西線」なのですが、六地蔵から山科まではほぼ南北です。これからしばらくは、東西線に沿って、伏見区内を散策してみようと思います。六地蔵駅の次は石田駅、その西側に、「天穂日命(あめのほひのみこと)神社」があります。外環状線沿いに石碑が立っています。「天穂日命神社」の石碑この一帯は「石田(いわた)の杜」と呼ばれ、万葉集などにも出てくる名所なんだそうです。また神社の境内は、京都市によって文化財環境保全地区に指定されているそうです。付近の地名は「いしだ」ですが、同じ漢字を「いわた」とよませているようです。「石田の杜」の石碑同上天穂日命神社の参道本殿(覆屋)延喜式には「天穂日命神社」として名前があるようです。江戸時代には石田神社、あるいは田中神社と呼ばれていましたが、明治に入り「天穂日命神社」の名に戻ったようです。境内の一角には、「苗塚」の石碑がありました。「苗塚」の碑言い伝えによれば、天武天皇の代(7世紀後半)、一夜にして苗が積み上げられ、その上に白羽の矢が刺さっていたといいます。その傍らに白髪の老翁が現れ、「この地に天照大見と大山咋神(おおやまくいのかみ)を鎮め祀れば都南方の守護とならん」と告げたということです。
2011年12月16日
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東余熱利用センターの敷地内に、電気自動車充電用の設備がありました。電気自動車用充電設備同上少し観察してみたのですが、お金を入れるようなところは見つけられませんでした。タダで使えるんでしょうか?? とはいっても、電気自動車限定ですけど。同上太陽電池パネルが設けられています。東部クリーンセンターの排熱が使えなくなるのであれば、太陽電池パネルを敷き詰めてプールに使えないのでしょうかねえ。世の中には太陽熱を集める装置だってあるはずですしねえ。
2011年12月14日
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京都市の東部クリーンセンターが、ゴミの減量が進んでいることから2012年度末で休止するという話ですが、これがちょっとした論議をよんでいるようです。京都新聞のオンライン版(2011年6月7日付)によると、ゴミ焼却の余熱を利用して、隣接する「東余熱利用センター」で温水プールを運営しているのですが、その熱源を確保することができず、廃止せざるを得ないということのようです。東余熱利用センター温水プール入口同じセンターの醍醐図書館と老人保養センターは、改修して継続するそうですが、せっかくの排熱利用の取り組みが、ゴミが減ったから廃止するとは、なんとも解せません。「東余熱利用センター」バス停余熱を使わなくなったら、センター自身の名前もですが、バス停の名前にも偽りあり、ということになりかねません。
2011年12月12日
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石田水環境保全センターの北隣には、「東部クリーンセンター」があります。汚水処理の過程で出てくる汚泥や、家庭のゴミを焼却する施設です。東部クリーンセンター東部クリーンセンター煙突の高さは80mだそうです。東部クリーンセンター昭和55年(1980年)に竣工した同施設では、ごみの焼却により発生する熱エネルギーを用い、タービン発電機2基により発電を行っています。分別などによりゴミの減量が進んでいることから、京都市では東部クリーンセンターを2012年度末で休止することを決めたそうです。
2011年12月10日
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京阪沿線から外れていきますが、山科方向にも少し歩いてみようと思います。京都外環状線と呼ばれる道路は、六地蔵奈良町交差点で北へと向きを変え、山科方面へ向かいます。その地下を京都市営地下鉄東西線が通っています。六地蔵奈良町交差点から300mほどの左手に、「石田水環境保全センター」があります。石田水環境保全センター同上外から見た目には目立ちませんが、ここで下水処理が行われています。市街地に隣接していることに配慮した、半地下式の密閉型構造になっています。敷地面積は8万7590平米、昭和56年(1981年)に運転が開始され、1日当たり12万6000立米の汚水を処理しているということです。
2011年12月08日
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京阪の六地蔵駅から出ているバスの行き先に、「御蔵山(おくらやま)」「東御蔵山」という地名があります。とくに「東御蔵山」は京阪が開発した住宅街で、京阪本線の中書島駅に特急が停まるきっかけになったとも言われています。(大阪・京橋まで、特急利用で〇〇分、って言えますからね)京都の山を調べていると、御蔵山(標高90m)を「みくらやま」と読ませている記述もあるのですが、小学校やバス停などの名前は「おくらやま」のようです。その御蔵山の付近の地図を眺めていて、住宅地の真ん中に「御蔵山聖天(おくらやましょうてん)」があるのに気付きました。ちょっと気になるので行ってきました。御蔵山聖天同上ここは天台宗延暦寺派のお寺で、宝寿寺(ほうじゅじ)といいます。比叡山無動寺の回峰行者 澄光阿闍利によって、大正9年(1920年)に開創されたそうです。独特な鳥居本来、お寺なのですが、このような独特な形をした鳥居があります。私にはよく分からないのですが、聖天特有なんだそうです。本堂本堂には、ご本尊「歓喜天像」が安置されているそうです。また、お寺の開創のときに滋賀県の金勝寺塔頭の金龍寺から移された仏像「木造菩薩形坐像」は、宇治市指定の文化財です。常夜灯常夜灯も独特な形をしていますね。澄光阿闍利の御名前が命を賭して千日回峰の荒行に挑み、成し遂げた澄光阿闍利。想像すらできない世界ですが、なんとなくありがたさを感じるのは不思議なものです。
2011年12月06日
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京都市山科区から伏見区東部にかけて、山科盆地があります。その中央を南北に流れるのが山科川です。京阪六地蔵駅近く京都市内を流れる川のほとんどは桂川水系であるのに対し、山科川だけは宇治川水系に属しています。山科川はかつて櫃川(ひつかわ)とも呼ばれ、旧街道には櫃川橋という木橋が架かっていたそうです。いまでは旧道は住宅・田畑に埋没してしまって判りませんが、現在の新六地蔵橋の付近にあったらしいということです。新六地蔵橋から山科方向櫃川や櫃川橋は、平安時代の和歌にも登場するほどで、歴史ある川です。 「都いでて伏見を超ゆる明方はまづうちわたすひつ河の橋」 新勅和歌集 藤原俊成 「日暮れなば岡の屋にこそ臥し見なめ 明けて渡らん櫃河の橋」 梁塵秘抄 詠み人不詳六地蔵は都への出入口のひとつであり、昔から旅人が行き来していた様子が想像できます。
2011年12月04日
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京阪の六地蔵駅の北東寄りに、JR奈良線の六地蔵駅があります。JR六地蔵駅は、あけやん2515さんご指摘のとおり、平成4年(1992年)に開業した、比較的新しい駅です。島式1面2線のホームなのですが、路線は単線で一線スルーなので、反対方向の列車が同じ側のホームに入ってくることがあり、複線に慣れた方ですと、違和感を覚えるかもしれません(私もその一人です)。JR六地蔵駅上の写真は、北側(外環状線側)からの写真です。改札口は、右寄りの通路を通って向こう側(南側)に行かなければなりません。改札口改札口の西側には小さなロータリーがあり、タクシー乗り場があります。さらにその西側に地下鉄の入口があり、JR側との間は簡単な屋根の付いた通路が設けられていました。
2011年12月02日
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