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世界経済の現状 (68) バブル崩壊後の日本経済の歩みと、昨今の米国経済の歩みを見ると、大変良く似ているように思います。不良債権の評価を棚上げして先送りしていることもそっくりです。いや、より複雑な手を駆使しているだけ、米国のやっていることの方が、質が悪いかもしれません。そして、景気刺激策というカンフル注射を打ち続けていると、その効果で一時的な回復を続けるけれども、懐の関係でカンフル剤の投与を中断すると、途端に息切れを起こして景気の実勢悪が露呈するところなど、本当に呆れてしまうほどにそっくりです。自動車販売を見ましょう。CFC(自動車販売促進助成金)の供与が8月で失効しました。7,8月とCFCの効果で、年率換算で販売台数が1200万台ペース(月産100万台)に戻ったと報じられていましたが、9月に入った途端に、ガクンと売り上げが落ちています。9月の1週間当りの速報値では、月間70万台を下回りそうだという予測まで出てきています。以前にも指摘しましたが、米国のトラックなどを除く乗用車の保有台数は2億5千万台とされています。人口約3億人の国ですから、1人で何台も所有している人がかなりいることになります。それでもこの2億5千万台に買い換えの需要が湧くとすると、年間どのくらいの車が売れる計算になるでしょうか。車をお持ちの皆さんは、何年くらい利用したら買い換えるかを考えてみてください。おそらく10年以上は買い換えないという方は、そう大勢はいらっしゃらないのではないでしょうか。8~10年程度で買い替えを考える方が、多いのではないでしょうか。米国の平均的なユーザーが、10年で車を買い替えるとすると、2億5千万台の10分の1、2500万台が、年平均の買い替え需要になりますね。年間1千万台しか乗用車が売れないということは、新規に車を買う人がゼロだったとしても、米国のユーザーは平均すると25年に1度しか車を買い替えないということになるのです。米国で乗用車が年間に1千万台売れないということが、何を意味しているか、ご理解いただけたと思います。車の買い替えにクレジットが使えないから、車を買い替えることができない人が増えている。クレジット会社も一定のリスクをとって、車を買い替えたいユーザーにクレジットを供与することが出来なくなっている。こういう現実が此処には見えています。 続く
2009.09.30
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クロニクル 信越本線横川~軽井沢間運行廃止1997(平成9)年9月30日12年前になります。翌日10月1日の長野新幹線の営業開始に合わせて、この日を最後に信越本線の横川~軽井沢間の運行が廃止されました。碓氷峠を登るために、横川駅で機関車を増結するために、この駅の停車時間は長く、その長さを利用して、横川名物荻野屋の「峠の釜飯」を買うのが乗客の楽しみでしたが、ノンビリと停車中の列車を降りて、駅のホームで買い入れる楽しみは、なくなったのでした。この日以後、信越本線は高崎~横川間で1度切れ、横川~軽井沢間はバス輸送、軽井沢~篠ノ井間は第三セクターとなり、そして再び篠ノ井~直江津~新潟は信越本線と、長野新幹線の開通で、在来線に頼る人たちが大きな犠牲を被ることになりました。実は、群馬県の安中に新島学園という、新島襄が開設した私立のミッションスクールがあるのですが、電車の路線が切れたために、長野県側特に軽井沢、小諸周辺から新島学園に通っていた生徒達が特に大きな影響を受けることになったのです。
2009.09.30
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自民党政治の終焉(69) 自民党の24代目の総裁に、谷垣禎一元財務相に決まりました。得票率は60%と、党員票で河野太郎候補の追い上げを受けましたが、河野候補が長老支配の打破と長老排除を掲げたため、歴史的な大敗を受けて、党員の団結と一致が何より必要であり、今は分裂の時ではないと考えた層が、谷垣支持に回ったようです。解せないのは、一般党員票の獲得がヒトケタに留まった西村候補の獲得した議員票が、河野候補を上回ったことです。おそらく、なお党内に影響力を残したい旧勢力の代表である森元首相や町村元官房長官らが、自派の議員票で操作したのでしょう。これで、当面挙党一致体制を模索するのでしょうが、その分党改革は微温的なものになるように思われます。歴史的な大敗を喫した後だけに、思い切って旧来の膿を出し切る大改革のチャンスなのですが、外科手術をやろうという河野候補への支持は、党員票でも1/3に留まりました。その点からすると、自民党の再生には、なお時間がかかりそうに思います。なお、立ち直りのきっかえを掴めずにいる自民党、再生にはなお時間がかかりそうですね。河野氏支持グループは、党を割って渡辺グループと合流する道を選んだほうが、再生への道は近いようにも感じます。 続く
2009.09.29
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世界経済の現状 (67)では、日本で内需拡大は可能でしょうか。50年代後半から60年代にかけての、「三丁目の夕日」の時代の日本人は、確かに質素でした。あの時代の日本であれば、「もっと贅沢を…」「丁寧に丁寧に使わなくても、使い捨てがいくらでもあります」といった勧誘で、消費を増やすことは可能でした。しかし、70年代に入って、「となりの芝生」の頃から日本人はすっかり変わりました。食べ残しの残飯の量は、1人当たりに置き換えれば間違いなく世界一でしょう。賞味期限切れの弁当を廃棄するのを改善するだけで、相当量の残飯が減る時代です。公立学校の教室にさえ、クーラーが設置される時代です。いったいこれ以上どうやって使うのでしょうね。庶民の消費(浪費と言えるかもしれませんね)は、間違いなく世界でも上位に入ります。その上、将来の経済状況に対する不信感も根強く、眼前の経済状況が一向に好転の気配を見せないことも、肌で感じているのです。私も、外需に頼りすぎたのが、昨秋の急激な落ち込みの原因だと、このブログに書いたことがあります。そう書いておいてなのですが、その後に考え直しました。「待てよ。これ以上日本で内需を拡大しようと言っても、それは無理というものだ。」という事実に気付いたのです。内需は、もう十分に成熟していて、これ以上広げようがないのです。需要の拡大は、経済成長の途上にある国々が代わり合って、60年代の日本のような状況を繰り広げるのを待つしかないのです。そして、アジアやラテンアメリカの市場で支持される商品を持つ企業でないと、世界市場での生き残りは、難しくなるように思います。
2009.09.29
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クロニクル ベーブ・ルース60号ホームランを放つ1927(昭和2)年9月29日82年前になります。この日、ニューヨーク・ヤンキースののベーブ・ルースが60号のホームランを放ち、それまでのホームラン記録だった彼自身の持つ59号の記録(1921年)を6年振りに更新しました。ルース32歳の時のことでした。この記録は、同じヤンキースのロジャー・マリスが1961年に61号をマークするまで、34年間に渡って大リーグ記録であり続けました。
2009.09.29
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自民党政治の終焉(68)鳩山内閣の困り者筆頭、いや困り者どころ癌細胞になっているのが、亀井大臣です。郵政の問題もありますが、何といっても困るのは、中小企業融資の3年間の返済猶予(モラトリアムと言います)です。この制度、日本では関東大震災の後にやむをえない措置としてとられたことがあります。東京が突然の廃墟と化したのですから、これは止むを得ませんでした。それでも結果は悲惨なものでした。1923年9月の震災から3年半後の1927年2月末に始まる金融恐慌に帰結しました。90年代のバブル崩壊後、金融システムは大きく傷つきましたが、それでも借りた金は利息をつけて返すという金融システムの基本に、変化はありませんでした。借りた金が返せなければ破産する。破産されて困るなら、支払いを繰り延べたり、起源を一時的に延期したりすることも確かにありました。しかし、それは貸し手と借り手が相対で相談して決めることでした。あくまで民間の取引ですから、政治が介入する問題ではないからです。それでも、支払い条件を緩和してもらったり、延滞を認めてもらった企業は、その後の借入れ等がしにくくなり、借入れ条件が厳しくなるのは避けられませんでした。それは当然ですね。事故を起こした方の自動車保険の保険料が高くなるのと、同じ理屈です。これが資本主義社会における金融システムのルールです。今、強引に亀井大臣が提唱する3年間の支払猶予を取り入れたとするとどうなるか。先ずは、法案成立前に、融資の回収に走る金融機関が続出するでしょう。次に猶予対象に該当する規模の企業群に対する、金融機関の貸し出しは格段に厳しくなり、事実上ゼロに近づくでしょう。いつ貸付金の取立てが制限されるか分からないのなら、できるだけ融資条件を厳しくして、安全性の高い融資に絞っておこうと考えるのは、至極当然です。信用機能の基本は、金融機関がいかにリスクをとるかです。今後大きく成長するかもしれない可能性を秘めた企業を発掘し、育てる役割が求められるのです。しかし、全ての企業が来たい通りに成長するわけではありません。金融機関が支援に見切りをつけたとき、融資を回収して損失を最小限に抑える自由は保障されなければなりません。それが出来なければ、金融機関は積極的な融資を控え、リスクをとることを止めてしまうでしょう。亀井構想を実行に移せば、間違いなくこういう現象が起こります。日本の金融機能は事実上マヒ状態に陥るでしょう。確かに、バブル崩壊後の日本の金融機能は、まだ脆弱なままです。リスクを積極的にとる融資が十分に行なわれているとは、私も考えていません。それだけに、その状態にさらに亀井規制をかけるとすれば、最悪の状態に陥るだろうと思います。亀井大臣は、モラトリアムが金融システムに齎す影響を過小評価しているようです。これは大変危険なように思います。大丈夫か鳩山内閣。 続く
2009.09.28
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クロニクル 安田善次郎刺殺さる1921(大正10)年9月28日88年前のこの日、安田財閥の創始者安田善次郎翁が、大磯の別邸で、右翼の青年朝日平吾に刺殺されました。安田善次郎は1839年に富山藩の下級武士の子として生まれ、21歳で上京両替商に勤めて商売を学び、後安田銀行(後の富士銀行、現在はみずほ銀行)を設立、浅野セメントの設立を支援するなど、起業金融で頭角を現し、安田火災や安田生命をも設立するなど、金融財閥として大をなしました。東京大学の安田講堂、日比谷公会堂などは、彼の寄付によるもので、近代日本に大きな足跡を残しました。それだけに82歳にして、単細胞右翼の犠牲となったのは惜しまれます。
2009.09.28
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世界経済の現状 (66)G20の会合では、いっそうの内需拡大に取り組むことで合意したと発表されました。例えば日本では、「アメリカやヨーロッパの消費の拡大は当面望めないから、輸出不振を補うには内需に頑張ってもらうしかない」という議論が昨年からありました。その文脈で読めば、可能かどうかは別として、この主張は理解できます。しかし、例えばこれを米中貿易摩擦の当事者である中国に当てはめるとどうでしょうか。中国の対米貿易は、輸出も輸入も前年比でかなりのマイナスになっています。それでも今年の中国経済は、6%以上のプラス成長になりそうだと報じられています。中国政府が大規模な財政出動で、内需を刺激したからです。破産法11条を申請して再生を目指しているGMの子会社、GM中国はこの恩恵をフルに受け、好調に売り上げを伸ばしています。質の良いもの。同質なら値段の安いものは良く売れているのです。貿易不均衡の是正、内需拡大を主張するのであれば、米国はまず自国の製造業の復活を目指すべきなのです。1990年代、ソ連邦崩壊後の世界は、途上国の工業生産の向上や所得の上昇による市場経済化の進展で大きく変わりました。労働コストだけが高く、質はそれほどでもない商品は見向きもされなくなったのです。その象徴が米ビッグスリーが作る自動車だったというわけです。BRIGs諸国やBRIGsを追いかけているメキシコ、アルゼンチン、インドネシア等の国々は、対米・対欧輸出がかつてのように伸びることのないことを見越し、国内市場の拡大に、既にシフトしています。そこにいまさらのように、内需拡大と言ったところで、いったいどんな効果が期待できるというのでしょうか。既に指摘したことですが、当面米国や欧州の消費が急激に元に戻ることは、期待できませんし、ありえないように思います。そのとき、なお国際的に一致した経済行動をとり続けることが出来るのでしょうか。G20の会議の中で、どのような議論があったのか。そのうち次第に見えてくると思いますが、少なくとも発表された合意文書からは、新興国の発言権が確かに拡大してることお外には、実りがあったようには思えません。いまだ、世界経済に安心できる要素は、あまりないように思います。 続く
2009.09.27
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クロニクル T型フォード1号車完成1908(明治41)年9月27日もう101年前になるのすね。この日、フォード・モータースは、初の量産車T型フォードの第1号車を製作・発表しました。それまでの自動車は全て注文生産品で、1台として自分の車と同じ車は、存在しなかったのです。
2009.09.27
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自民党政治の終焉(67)マスコミに毒されて、円高悪玉論を肯定的に捉えている方が多いですね。私は昔から円高歓迎論者です。考えてみてください。輸出産業にでも関わっていればともかく、普通の市民にとって、円高で困ることはありません。食糧の半分強を輸入に頼っている日本にとって、輸入食品は円高のおかげで値が下がります。原油や鉄鉱石、輸入石炭など鉱物資源も安く変えます。ブランド物も皆、円高還元セールが可能です。そしてガソリンが下がれば、物流コストも下がります。海外旅行も安く出かけられます。実は円高は良いこと尽くめです。通貨価値は需給関係で動きますが、その基本は、夫々の国の経済力に比例して動きます。良く自民党の政治家は愛国心を強調しますが、その人たちが、円高歓迎論者であるかというと、そうではないようです。国民にとって、自国通貨高は国の経済力があがっていることを示すのですから、これは明らかに歓迎すべきことです。そのことを、気負った風も見せず、淡々と発言して涼しい顔をしているのが、藤井財務相です。彼は細川連立政権でも蔵相を務めている財政問題に明るい人物です。惜しむらくは高齢のため、あまり無理をお願いできないことでしょうか。しかし、G8会合やG20会合でも、為替不介入を明言して、ドル安円高を放置すると公言しています。円高にソワソワしていた自民党内閣とは、ここにも大きな違いがあります。円高歓迎論者の私は、藤井財務相も応援しようと思っています。 続く
2009.09.26
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世界経済の現状 (65)ビッツバークでのG20サミットにおいて、G7(ロシアを入れるとG8)先進7カ国首脳会議は、遂に白旗をあげたようですね。「今後世界経済の主要な問題は、G20会議で扱う」という合意が出来たようですから…これは当然のことでした。今回の世界金融危機に発する世界経済の大激震は、アメリカとヨーロッパを震源として日本やアジア、そして世界を覆いました。世界恐慌の危機を招いたのは、欧米の金融機関の暴走が原因でした。そこに始まった金融収縮が世界を覆い、製造業を巻き込んで大きな危機を招きました。その上、自称経済先進国は、だらしのないことに、自らの経済力をバックに経済を早期に立て直す力を持ち合わせず、市場への大量の紙幣の供給によって、辛うじて底抜けを防ぐのが、やっとの状態だったのです。確かに、今年に入って、経済は横這い傾向を示すようになりましたが、これは、中国やインド、ブラジルといった国々が、内需刺激策をとって、早期に経済を回復軌道に戻すことに、成功したからです。当然G20の場でも、こうしたBRIGs諸国の発言権が強くなります。世界経済の足をひっぱている国は大きな顔は出来ません。来年はカナダ(ロシアを含むG8サミット開催国)と韓国で、G20サミットが開かれることが決まりました。G7諸国の経済的影響力は、BRIGs諸国に比べてると伸び代がごく僅かしかないのですから、益々影響力は小さくなって行かざるをえません。世界経済の主要議題をG7で解決しようと考えることは、もはやできません。しばらくの間、1種のサロン的なものとして存続するかもしれませんが、G7が経済問題で果たしうる役割は、もはや殆どなくなったと考えて良いように思います。これからは、まさにG20の時代といえましょう。世界経済の主役は、金融危機を通じて明らかに変化しました。ビッツバークサミットは、そのことを明確に示したと言えましょう。 続く
2009.09.26
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クロニクル ケネディvsニクソンのTV討論1960(昭和35)年9月26日49年前のこの日、米国の大統領選において、はじめての試みとして、共和党並びに民主党の候補によるTVでの公開討論会が実施されました。共和党の候補は、アイゼンハワー大統領の下で副大統領を務めて頭角を現したニクソン。民主党の候補は、弱冠43歳のケネディ候補でした。討論では、当時無名だったケネディに押し捲られがちでした。こうして、史上稀に見る大激戦をケネディ候補が制することになったのです。
2009.09.26
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自民党政治の終焉(66)国連での鳩山首相の演説、歴代の日本の首相演説としては、大変評判が良かったようですね。TV情報ですが、さすがにスタンフォードの卒業生というか、英語の発音も大変聞き取りやすかったように思います。演説の全文は、英語と日本語の翻訳の両方が、外務省のHPに載っています。皆さんもご覧になってください。諸外国の政治家やマスコミは、鳩山演説の中の「 世界の中で相対的に高い技術開発のポテンシャルと資金力をもっているわが国が、自ら率先して削減目標を掲げ、革新的技術を生み出しつつ、その削減を実現していくことこそが、国際社会のなかで求められている役割だと認識しています。わが国の国民、企業の能力の高さを私は信頼しています。国民も企業も、そして、私たち政治においても、産業革命以来続いてきた社会構造を転換し、持続可能な社会をつくるということこそが、次の世代に対する責務であると考えています。」(外務省HPより)この部分に、過去の日本の首相にはなかった、将来構想を積極的に提示していることを、好意的に評価しているように思います。確かにここには、産業革命以来の社会構造の転換の必要性を認め、その道へ向かっての歩みを続ける決意を述べた点で、いままでの首相や日本の代表と、決定的に違う点を打ち出しています。我々も遂に、世界に向かって堂々と理想を語りかけることの出来るリーダーに恵まれたのかもしれません。この志を高く掲げた結果が、二酸化炭素の90年比25%削減という宣言になるのですね。競争に不利だから…と足を引く産業界の目先の利益しか眼に入らない体質は、鳩山演説と対比した時、実に貧相で貧しく見えますね。この首相、しばらく注目したいと思います。 続く
2009.09.25
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クロニクル 日本中央競馬会(JRA)中央競馬初開催1954(昭和29)年9月25日中央競馬(ちゅうおうけいば)とは日本中央競馬会(JRA)が主催する競馬を指します。丁度55年前のこの日、東京競馬場、京都競馬場において初めて開催されました。レースは午前10時頃から、午後4時過ぎ頃まで、1日に12レース行うのが、普通のようですね。
2009.09.25
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世界経済の現状 (64) 昨日の続きです。オバマ政権もFRBも、実質ゼロ金利政策を採って、金利負担を軽減しようとしたこと、このゼロ金利政策を続けて、何とか景気の回復、とりわけ消費の回復を図ろうと努めています。住宅ローンについても、高い金利で借りたローンを、低金利のローンに借り替えるように、何度も何度も進めています。おそらく皆さんもご存知でしょう。しかし、事はそう簡単ではなく、この借り換えは遅々として進んでいません。実は進まなくて当然なのですね。日本でもかつては20年が普通だった住宅ローンの返済期限が30年が登場したり、40年が出てきたりしていますし、中には傾斜返済型ローン(当初の返済を低く抑え、途中から返済額がアップするローン)も出てきていますが、米国の住宅ローンはその上を行きます。当初の5年、7年、10年間は、元金は一切返済せず、利息だけを返し続けるローンです。不況にあえいでいる時期に、利息返済の期限が終わり、元利の返済が始まると、とても払えない人が多いだろう。だから低金利のローンに乗り換えれば、金利も下がるので支払いが減り、しかも新規のローンなので、またしばらくは利息だけの支払いで済むではないか。こういうのですね。うまく行けば目出度し目出度しです。しかし、借り換えが出来るのは、既に元金もかなり返済して、残っている元金が当初の借入額に比べ、かなり減っている人に限られてしまいます。昨日説明したように、担保となる住宅価格、住宅の評価額が下がり続けているからです。8千万円の住宅ローンを組んだ住宅の評価額が7千万円に下がってしまったとします。当然、今回新規にローンを組みかえるとすると、評価額の7千万円しか借りられません。既に元金分を1千万円以上返済しているならば、7千万円の新規ローンが組めます。しかし、今まで利息だけしか返済しておらず、元金は返済していない家族の場合、8千万円の担保が消せませんから、借り換えは不可能なのです。低金利のローンに組み替えなさいという、FRBとオバマ政権の主張は絵に描いた餅に過ぎないのです。こうした元本の返済を猶予されている住宅ローンで、今月から1年以内に元本の返済期間が終了るるローンが710億ドル、次の1年で1千億ドル、さらにその次の1年にはなんと4千億ドルも残っていると指摘されています。消費が萎縮したままになるわけです。アメリカ経済が超えなければならないハードルはまだまだ高い。まだまだ楽観的になるのは速い。そう思います。
2009.09.24
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自民党政治の終焉(65) 八ツ場ダムの問題を考えてみましょう。マスコミは触れていないのですが、ダム建設の当初予算以外にどれだけ無用なカネが、この件で地元などに落とされたのかを、マスコミは取材網を動員して、検証すべきだと私は思います。地元の有力者は大きな公共工事で、国のカネが落ちるとなるとハゲタカのようにあれもこれもと税金からむしり取ろうとします。一部の政治家が口利き料欲しさに、その間に立ってピンハネをします。そんな地元の有力者達を被害者のように扱うとは、どう見てもマスコミの不勉強のように思えます。地元の温泉旅館が経営を閉じた話が伝わっていますが、この旅館の客室稼働率は、年平均で15%弱だったことは、触れられていません。建設決定から年月が経てば経つほど地元に落ちるカネが多くなることは。公共事業に関わったことのある友人たちが異口同音に話す事です。今回も同じ構図が見えるようです。こうしたタカリの構造を壊さないない限り、地方も将来は無いと思うのですが、どうでしょうか。日航問題で頭が痛いでしょうが、ここは前原ガンバレといきましょう。 続く
2009.09.24
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クロニクル 天草五橋開通1966(昭和41)年9月24日今から43年前、東京五輪の2年後のことです。この日、天草五橋が開通しました。天草五橋の呼称は、熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島までを結ぶ5つの橋の総称です。当初は償還期間に39年を見込んだ有料道路でしたが、橋の開通により天草への観光客が急増し、モータリゼーションの進展なども含めた交通量の増大により、わずか9年で償還を完了して、無料化されました。一号橋から五号橋までの国道266号及びこの道路に重複する国道324号は、天草で真珠の養殖が盛んなことから天草パールラインと名付けられて、日本の道100選にも選ばれています。また、大矢野島から上島までの間3km足らずは小さな島づたいで、二号橋・三号橋・四号橋・五号橋がほぼ連続しています。その間の両側の海に大小さまざまな島が浮かぶ風景は、天草松島と呼ばれ日本三大松島の一つに数えられています。
2009.09.24
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世界経済の現状 (63) 米国の消費が回復しない理由を考えて見ましょう。昨年サブプライム問題を論じた時にもザット記したことですが、米国では住宅ローンに含み益(8千万円の住宅をまるまる8千万円のローンを組んで購入した場合に、その住宅価格が値上がりして1億円になった場合の差額の2千万円を指します。日本では、担保掛目の問題で8千万円の住宅を担保に、8千万円まで借りることは通常不可能ですが、米国では満額の貸付が普通に行なわれていました。)が生じた場合、その含み益部分について、追加で融資を受けることが可能でしたし、誰もが当然のごとく、含み益の2千万円分を追加で借り入れて、消費に回すことが普通に行なわれていたのです。住宅バブルで、住宅価格が上がり続けていた時期には、何の問題もなく消費景気を謳歌していたことは、ご存知の通りです。ところがいつの時代でも同じですが、バブルはどこかではじけます。1億円に値上がりした住宅が再び8千万円まで値下がりした場合、追加で借り入れた2千万円分は、すぐに返済する必要が生じます。まして住宅価格が下がり続けて7千万円にまで、値下がりすると、返済必要額にさらに1千万円が追加されるのです。計3千万円の返済が必要になります。今や、米国にはこういう状況に追い込まれている人々が大量に存在しています。借金で消費を膨らましてきた人々が、借金をするどころか、借金の返済を求められているのですから、消費が縮むのは当然です。まして、消費が縮んだ結果として、物が売れないために商店も工場も、生き残りのために生産や仕入れを減らします。そうなると、残業はなくなり、さらに首切りも行なわれるようになります。借金が出来ない上に、賃金収入も減るのですから、さらに消費が縮むことになります。この過程はまだ続いています。倒産も失業も相変わらず増えています。この状況に変化はないのですから、簡単に「景気は回復過程に入りつつある」などと、言うわけには行かないのです。 続く
2009.09.23
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自民党政治の終焉(64) 民主党には、かつて自民党に在籍していた議員がかなりおります。小沢一郎幹事長、羽田孜元首相、そして田中真紀子元外相…。鳩山首相や岡田外相も自民党を離党した人たちです。特に、小沢・羽田・渡部・鳩山・岡田といった人たちは、いずれも田中派と縁がありました。小沢幹事長と西松建設との関係が明るみに出たとき、民主党の支持率が急激に落ちました。そして代表を退き、鳩山代表に代わると、支持率は急激に回復しました。ここから世論が何を求めているかを、汲取ることが出来るように思います。田中元首相が定式化し、その後の自民党がそこにどっぷり浸かってきた政・官・財の癒着による利益誘導型政治に対する拒否反応の強さです。旧来型の政と官によるバラマキ政治に対する拒否反応です。政治はそこから巨額の献金を引き出し、官僚は多くの天下り先を確保する。その結果が800兆円を超える借金として残ったのです。バラマクなら直接国民の懐に入るようにばら撒いた方が、よほど消費を刺激する。この考え方は間違っていないし、方向性は正しいと私は思います。権力の座についた民主党が、第2の自民党にならないように、我々が見張っていかないといけないのでしょうね。 続く
2009.09.23
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クロニクル 加波山事件1884(明治17)年9月23日加波山事件は、自由民権運動の過程における、激化事件の一つです。自由民権運動のなかで、急進的な考えを抱いた若い民権家たちが、準備の整わないうちに決起したため、簡単に鎮圧されてしまった事件でした。福島事件にも関系のあった河野広体(河野広中の弟)らのグループが中心で、これに茨城や栃木の民権家が加わっていました。栃木県庁落成時に、民権運動を厳しく弾圧した三島通庸県令(現在の県知事)や集まった大臣たちを爆殺する計画でした。しかし、爆弾は製造中に誤って爆発。計画が明らかになると、茨城県の加波山山頂付近に立てこもり、「圧制政府転覆」「自由の魁」などの旗を掲げ、決起を呼びかけるビラを配布したり警察署や豪商の襲撃も行ったりしましたが、多勢に無勢、この日数時間で鎮圧されています。 ザビ
2009.09.23
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世界経済の現状 (62) 宗教改革とヴィクトリア朝のウエディングドレス、2本の連載が終りましたので、61回まで続けて、休載していた「世界経済の現状 」を再開します。米・欧・日・中と世界経済への影響力の高い国々が、競って市場に大量の資金を垂れ流し続けています。その一方で、個人の消費意欲は萎えたままで、節約志向が高まる一方です。当然製造業は売り上げ減に苦しみ、新規の設備投資は先送りになります。個人消費と設備投資が不振なのですから、いかに金融機能が回復したとしても、それだけで景気が良くなることはありえません。株や商品、為替などの先物取引やデリバティヴ商品を頻繁に取引している1部の金融業者のみが、大きな利を得るようになったこと。株式市場や商品市場の先物取引を利用して、短期売買で大きな利益を得たのです。金融が回り始めたことは事実です。しかし、金融業界の明るさは、いくつかの矛盾を抱えています。手元流動性は回復しても、借り手の信用が傷ついているため、融資した資金の安全性が確認できないのです。そうなれば当然、銀行の融資姿勢は厳しくなり、金融機関の好調が、他業種に伝わらず、マネーゲームで利益を上げているだけのことに留まります。そして、マネーゲームの世界では、永久に勝者であり続けることが不可能なことは、つい1年前に明らかになったばかりなのです。 続く
2009.09.22
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自民党政治の終焉(63)前原国土交通大臣が苦労していますね。中止を表明した「八ツ場 ダム」では地元民の抵抗に会い、日航問題も難しい局面に立たされています。日航は「日本におけるGMのような存在」だと指摘される方が出てきていますが、私も全く同感です。就任早々の国土交通相が、良く調べもせずに「日本航空は潰さない」と発言してしまうのは、フライングも良いところです。本日付の日経の1面に、日航の抜本的解決策を講じる必要があるとする、融資銀行団の考え方が紹介されていました。政府系の日本政策投資銀行も、同じ考え方をとっているということです。2000年に倒産した「そごう」について、検討されていた案と似ています。実は、今年に入って、日航には数千億円に達する公的保障付きの有志が実行されているのですが、それも焼け石に水で、すぐに使い切ってしまっていて、再度の融資が必要だとされています。GMがそうだったように…赤字を垂れ流しながら、リストラは遅々として進まず、賃金以外の労務費負担(レガシーコストと言います)も重いままです。一度産業再生法を申請して倒産。その後に再建出来そうだと思えれば再建する、2段階方式が、最も政府の出費が少なく、高すぎる人件費や労務費に大ナタを振るう上で、優れているように思えます。国土交通省は、なぜダメだと分かっている日航を潰したがらないのか。政治家はそうした役所の姿勢を黙認しているのか。ここにこそ日航問題の根があります。そうなんです。日航と関連会社は、国土交通省にとって大事な天下り先なのです。ですから何が何でも潰したくないのです。そして政治家や財界人にとって、自分の子どもや関係者達を縁故で採用してもらっているのです。口利きのできる有名企業が日航でした。日航の側は、この関係があるからこそ、最後は官僚と政治家が面倒を見てくれるからと、骨身を削る自助努力をしないで、赤字を垂れ流してきたのです。モラルハザードも良いところです。先週報じられたデルタ航空やパン・アメリカングループとの提携交渉。おそらく、国土交通省の役人が、意図的に漏らしたのでしょうが、先ずありえない話です。本気で日航と提携して、日航株を取得したら、株主価値の毀損で、株主に先ず間違いなく訴えられます。財務内容の悪すぎる日航が提携相手を見つけられる可能性は、先ずありません。11年前に長銀などが見捨てられたことを、思い出してください。外資との提携は、苦し紛れに声をかけただけ、というのが話のオチになると、私は考えています。前原大臣、どうぞ発言は慎重に… この発言を聞いて、目立ち屋でスタンドプレーが好きな体質はちっとも変わってないなと、苦笑しました。「ニセメール」で代表を辞任した苦い思い出が、まだ生かしきれないようですね。日航問題での軽々しい発言は、慎んだほうが良いですよ。国土交通大臣の発言は、個人の発言ではなく、内閣の一員としての発言で、鳩山内閣の連帯責任になるのです。 続く
2009.09.22
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クロニクル プラザ合意1985(昭和60)年9月22日24年前のこの日、ニューヨークのプラザホテルでG5(経済先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)(参加国は米・日・西独・英・仏)の会合が開かれました。当時この会合は、秘密裏に開かれていましたので、とりわけ各国蔵相は隠密行動に気を使っておりました。この会合でG5ha,ドル高を是正するために、為替市場への協調介入を強化することで合意、各国政府と中央銀行は、翌週の月曜日から、猛烈なドル売り市場介入を行いました。この結果、各国通貨は軒並みドルに対して大幅高となったのですが、特に日本円と西独マルクの上昇が目立ちました。 とりわけ、1ドル=240円程度だった円は、12月には180円程度まで値上がり、慌てた日本政府と日銀は、金利を下げ、公共工事を大幅に積み上げるなどの景気対策を実行しました。その結果が、後のバブルの発生に帰結したのです。
2009.09.22
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自民党政治の終焉(62-2)総裁選の西村候補の推薦人集めが、長老クラスのお墨付きによる河野つぶしの出来レースであることを記しましたところ、早速ブログ仲間のじゅぺ理さんが、コメント欄に、西村候補の推薦人一覧をアップしてくれました。勿体無いのでこちらに転記します。 推薦人代表 加藤勝信(衆議院議員 同期3回生) 選挙責任者 武田良太(衆議院議員 同期3回生) 鳩山邦夫(衆議院議員 元総務大臣) 与謝野馨(衆議院議員 前経済財政政策担当大臣) 塩谷 立(衆議院議員 前文部科学大臣) 中山恭子(参議院議員 前拉致問題担当首相補佐官) 高市早苗(衆議院議員 前経済産業副大臣) 末松信介(参議院議員 前財務大臣政務官) 古屋圭司(衆議院議員) 山本有二(衆議院議員) 鴨下一郎(衆議院議員) 木村太郎(衆議院議員) 馳 浩(衆議院議員 同期3回生) 古川禎久(衆議院議員 同期3回生) 三ツ矢憲生(衆議院議員 同期3回生) 磯崎陽輔(参議院議員) 衛藤晟一(参議院議員) 北村茂男(衆議院議員) 古川俊治(参議院議員) 山谷えり子(参議院議員)ここまで、じゅぺ理さんがすべて整理してくれたものですが、元環境大臣の鴨下一郎、同じく金融担当相の山本有二らは、明らかに谷垣候補の応援団と近しい関係にありますから、旧タイプのボスたちが背後で動いたであろうことはが、容易に想像できます。西村候補は外務政務官を務め、外交タカ派で通していましたから、その点では同じくタカ派の先輩の古屋圭司などは、自ら頼み込んだとも考えられます。ただ、安倍元首相や麻生前首相と親しい議員も多く、彼ら彼女らも、ボスたちとの関係で推薦人になったのかもしれません。いずれにしても、西村候補が河野潰しのための捨て玉であることは、じゅぺ理さんの資料ではっきりしました。じゅぺ理さん有難うございました。 続く
2009.09.21
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自民党政治の終焉(62)自民党の総裁選が始まりましたね。麻垣康三の最後の1人谷垣禎一候補が派閥横断的に担がれて、国会議員票では圧勝の勢いだそうです。しかし、今度の選挙は今までと様変わりしています。従来の総裁選では、議員票が過半数で、都道府県連の票は少数だったのですが、議員数が激減した結果、衆参を合わせた国会議員票は、200票に満たず、300票の地方票の2/3に留まることです。そのため若手が1本化すると、大逆転がありうる形勢だと思えたのでしょう。そこからがいかにも旧来の自民党でした。前議会で「脳死を人の死と認める」臓器移植法改正案の成立に若手の先頭に立って尽力した、河野太郎議員が立候補に必要な20人の推薦人を満たすと、派閥領袖クラスで、もう1人の若手を河野対抗馬として擁立したのです。殆ど名前を知られていない西村康稔議員の推薦人を、長老議員たちが面倒を見て20人としたのです。河野議員の立候補の弁によれば、彼の推薦人に名を連ねようとした若手議員には、「推薦人にならないように」という猛烈な圧力が、長老議員らからかかったということですし、推薦人の足りない西村議員には、当初立候補に良い顔をしなかった彼の属した町村派の町村会長自身が、不足する数の推薦議員を揃えてくれています。この限り、自民党総裁選は、旧態依然とした派閥選挙が行なわれようとしています。1年前の麻生総裁を選んだ選挙も、対抗馬が1本化しないように、与謝野、小池、石破、石原の4議員が立候補する形で、反麻生票が分散する形がとられています。あの選挙に味を占めたのでしょう。要は派閥談合で総裁を決めるスタイルを変えたくないというのでしょう。しかし、そうやって選ぶ対象が、党内リベラルの谷垣議員だというのですから、皮肉です。谷垣議員の出自は宮沢派です。池田・大平・鈴木・宮沢と歴代の総理を輩出し、細川連立政権期の野党時代の自民党総裁だった河野洋平前議長も、この派の出身です。宮沢派が加藤紘一系と河野系に分かれた時も、加藤の乱で加藤派が古賀系と加藤系に分かれた時も、共に谷垣議員は加藤元幹事長と行動を共にしました。河野グループとは袂を分かっているのですが、共に宮沢元首相の薫陶を受け、リベラルである点は共通しています。そして、河野太郎議員は、喧嘩やの風貌から父の河野洋平前議長よりも、祖父の河野一郎元農相に似た性格の持ち主のようですが、外交政策では、谷垣氏との類似性が大きいように思えます。ただ、今回の総裁選では、派閥領袖団ご推薦の谷垣候補と、若手中心の自民再生をめざす改革思考の河野候補の争いを中心に、選挙戦が争われることになりました。自民党の再生には、抜本的出直しが避けられず、その限り長老議員よりは中堅・若手議員中心に改革を進める方が、支持率回復の早道なのでしょうに、残念ですね。 ザビ
2009.09.21
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クロニクル 狂牛病遂に日本でも…2001(平成13)年9月21日8年前のことになります。この日、千葉県で日本初の牛海綿状脳症(BSE、狂牛病)を発症した牛が見つかったことを、厚生労働省が確認しました。11日前の10日に発生の疑いがある牛についての報告があり、以後経過観察を続け、この日BSEに感染してることを確認しました。マスコミや国民への発表は、翌日の22日となりました。なお、現在では狂牛病という呼び方を廃して、BSEと呼ぶことに統一しています。
2009.09.21
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ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(40) ミドルクラスのハネムーンが2人だけのプライベートな旅行に替わり、スケールも次第に大きくなって、大陸ヨーロッパへ出かけるケースも多くなってくる様子を見ました。こうした変化は鉄道網の発達とも密接に関わっていました。ではアッパークラスはどうしていたのでしょう。実はアッパークラスに属する人々の間では、ハネムーンは相変わらず家族の一部を伴っての、親族や遠方の知人めぐりの旅」でした。ここでは、頑固に昔風の習慣が残っていたのです。それ相当の社会的地位や縁故のある新婚のカップルにとって、地位も財産もある親戚や友人から風格のある家やカントリーハウスを貸し借りするのは、ごく普通のあたり前のことだったのです。そうした環境に身をおいて、2人だけの静かな時間と、友人や親戚とのパーティとを共に味わうことが出来る、贅沢な時間がそこにはありました。そしてアッパークラスにとって、鉄道の発達したヨーロッパ大陸への旅行は、思い立った時にいつでも何ヶ月でも行くことが出来るのです。ですから、大陸への新婚旅行の先鞭をつけたのは、アッパークラスのカップルでしたが、鉄道網の発達で、ヨーロッパへの旅行がしやすくなるに連れて、彼らの熱は冷えてしまったのです。アッパークラスの結婚式の模様を紹介する「クロニクル・オブ・ソサエティ」という名のコラム記事が、1877年の1年間に紹介したカップルの内、18組のカップルについて、ハネムーン先も記録されているのですが、この18組のうち、なんと3組しか大陸ヨーロッパに出かけていないのです。残りの8組は、国内の親戚や知人の元を訪ね、7組は自領のカントリーハウスに滞在しています。ミドルクラスとの違いは結婚披露宴についても見て取れます。次第に派手になり、見かけの豪華を競って、商業ベースに乗せられていったミドルクラスの画一化された結婚披露宴を横目に、アッパークラスの披露宴は、手作りで個性的な披露宴の形式を保っていたのです。それは、時間とお金がいくらでも自由になるアッパークラスならではでした。料理頭を筆頭に何人もの調理人、そして執事や女中頭を筆頭にした召使群を抱える彼らにとって、わざわざケーキ屋にケーキを頼む必要もなかったのです。ですからウエディングケーキも見栄えの良い三段重ねなどではなく、新郎が軍人の場合は、砂糖で作った大砲をケーキの上に飾ったり、ウエディングドレスを飾る高価なレースとお揃いの模様をケーキに施すなど、大変凝ったケーキを工夫して、味と共に料理頭が腕によりをかけたのでした。こうした経過を経て、ヴィクトリア朝の時代(それは1638年~1901年まででした)に、その後半は日本の明治前期から中期に当たるのですが、まさにこの時代に、現代の結婚式の原型が出来上がったのです。 完ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話も、今回で完結とします。ご愛読有難うございました。
2009.09.20
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自民党政治の終焉(61)もう1回だけ、自民党外交と外務省の批判に付き合ってください。川口順子元外相が、国際会議で飛んでもない発言をしています。現在は神奈川県選出の自民党参議院議員。第1次小泉内閣で、民間から環境相として入閣。田中外相と外務省のバトルで、田中外相が更迭された後に外相に横滑り。やがて、参院神奈川補選に立候補して当選、参院議員となって今日に来ています。 NPT(核拡散防止条約または核不拡散条約と訳されます)という国際条約があります。世界を核保有国(米・ソ・英・仏・中)の5カ国の核保有国と、その他大勢の非核保有国に分け、現状以上の核保有国の増加を許さない、核保有国は核軍縮に努力することを定めた条約です。5つの核保有国に圧倒的に有利な内容ですから、様々な反対論があったのですが、この内容で1963年に国連で採択され、1968年に条約批准国が62ヶ国に達したため、1970年3月に正式に発効した条約です。当然その後に核実験を実施し、核保有への道を歩いたインド、パキスタン、北朝鮮は、条約未加盟か途中脱退しています。条約の起源は25年でしたので、1995年にNPTの再検討と延長に関する会議が開催され、条約の無条件、無期限の延長が決定され、今日に至っています。さて、今年の5月です。国連本部でNPT(核不拡散条約)を再検討するための委員会議の準備委員会が開かれたのです。川口元外相は日本政府を代表して、この準備会合の共同議長に選ばれました。その川口議長は、非公式会合だったようですが、「生物・化学兵器による先制攻撃、或いは通常の兵器による先制攻撃に対しても、反撃のために核兵器を使用する権利は認められる。」と核の使用を容認する発言をしています。さらに、「日本は、アメリカの核の傘によって守られているし、今後もそう願っている」と発言しています。彼女は個人の資格で、この準備会合に参加したわけではなく、日本政府の代表だからこそ、共同議長に選ばれたのです。その立場で、核廃絶へ向けての動きに水をさす発言をしているのですから、これは外務省と結託した自民党政府の訓令に基ずくと考えざるを得ません。こうした姿勢が、民主党内閣で、スパッと変わることを私は期待しています。外務省北米局のあの手この手に惑わされることなく、岡田外相がしっかりと民意を汲み、オアマ政権とタッグを組んで、核廃絶の方向に大きく1歩踏み出すことを、願いたいですね。
2009.09.20
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宗教改革よもやま話 (63) この連載も終わりの時を迎えました。宗教改革が、中世後期の西ヨーロッパに何を齎したのかを綴ってきました。途中やや宗教戦争の叙述に偏りすぎたかなと、反省しています。それでも、宗教改革は中世の伝統的な暮らしのただなかにあった民衆に、信仰はもちろん、日常生活の多様な側面の改革を促しました。プロテスタントが齎したものは、贖宥状の販売停止、聖画像の寄進や敬愛の中止、修道士制の廃止、聖職者の結婚の奨励などでした。こうした主張を、プロテスタントは、当時発達し始めていた印刷術と印刷物を使って、大々的に宣伝したのです。これに対するカトリック側の対応は、民衆に対して、旧来の見解を維持することを伝え、その上で、新たな改革と対抗措置を発表する形で進められました。聖画像や荘厳な教会装飾の存続、修道士制と聖職者独身制の堅持、そしてグレゴリウス暦の導入などです。いわば改革派が、これまでの生活システムの積極的な変更を目指したのに対し、カトリックは、時代に合わせた修正で切り抜けようとしたと見ることが出きます。ともかく、西洋世界に互いに相容れない2つの教会勢力が対峙することになったのです。当時のキリスト教は、厳格な一神教の宗教でしたから、各地の民衆が複数の宗派の存在を許容することは、大変困難なことでした。それが、いくつもの宗教戦争を生み、宗教戦争を経由することでしか、異なる宗派の併存を認める社会にたどり着けなかったのです。こうした意味で、宗教改革の時代は、西欧社会を中世から近代へと導く過渡期の第1コーナーとも言うべき役割を担っているのです。ご愛読有難うございました。 (完)
2009.09.20
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クロニクル 東京六大学野球リーグ始まる1925(大正14)年9月20日84年前の今日、東京六大学野球連盟が発足しました。開幕試合は明治-立教1回戦でした。現在は、東京6大学野球の人気はすっかり衰え、昔日の面影は残っていないのですが、いまだプロ野球の存在しない時代でしたから、当時の大学野球は早慶戦を中心に大変な人気を誇っていました。元祖大学野球は、1903(明治36)年に開始された早慶戦でした。1906(明治39)年、応援の過熱などから早慶戦は中断されましたが、1914(大正3)年に明治大学を加えた三大学でリーグ戦を開始しました。1917(大正6)年に法政大学が加入、1921(大正10)年に立教大学が参加し、五大学でのリーグ戦を実施するようになりました。しかし、この間も早慶戦に関しては関係者が過熱を懸念したため実施されない状況が続き、変則的なリーグ戦となっていましたた。1925(大正14)年春、東京帝国大学(現在の東京大学)が参加、法政以外の各校と1試合ずつ試験的に試合をしました。その年の秋のシーズンにあたって、明治大学が中心となって、「早慶戦を再開しないなら再開に応じない学校を外してリーグ戦を行う」と早慶を強硬に説得、早稲田、次いで慶應が説得に折れて早慶戦が再開されることとなり、ここに東京六大学野球連盟として正式に発足しました。
2009.09.20
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自民党政治の終焉(60)新内閣が動き出し、各閣僚が所管事項だけでなく、関連のある事項にまで思い切って発言している姿が、新鮮で気持ちが良いですね。亀井郵政担当相と原口総務相が郵政再改革を巡って意見を戦わせたり、同じく亀井金融担当相と藤井財務相の鞘当があったり、その藤井財務相は予算編成を巡って菅国家戦略相との調整の必要に言及したりと、結構賑やかです。閣僚が激論を交わすのは、私はすごく良いことだと思っています。議論もせずに官僚の調整したことに署名するだけの、居ても居なくても良い大臣たちの閣議よりも、よほど生産的だからです。官僚に任せず、自分達で判断するとなれば、閣議で激論が交わされるのは、むしろ当然です。激論も交わさずに、知恵を絞った良い案が出来るはずはないのですから…。今までと違うからといって、すぐに閣内不一致と言い立てるマスコミ人の思考レヴェルの方が、よほど問題でしょう。さて、外務官僚と日本外交の問題点を続けます。昨日の(59)をご覧になっていらっしゃらない方は、お手数ですが(59)を先にご覧下さい。私も、つい2,3日前まで気付かずにいたのですが、ここ10年ほど、毎年国連総会に「核兵器禁止条約の交渉開始を求める決議案」が上程されていたそうなのです。皆さんはご存知でしたか? 知らなかったもので、私は自分の不明を恥じていますが、問題はこの後です。なんと日本政府は、この決議案にここ10年1度も賛成の票を投じないで、ずっと棄権で通していたのですね。これには憤然としました。日本は唯一の被爆国であり、原水爆禁止運動は東京杉並の普通の主婦の皆さんの運動から始まって、世界に広がったものです。その日本政府が「核廃絶」に向けた具体的な動きに賛成しないということが、あっていいはずはありません。にもかかわらず、まさに国民を裏切る形で、政府と外務省は、核兵器の使用禁止を求める条約の策定への動きを、前に進めようとはしていなかったということです。皆さんはご存知でしたか。こんな大事なことが、殆ど知らされずに来たことも問題ですね。マスコミの報道姿勢にも大きな問題があります。ここ10年、おそらく世界は、日本は核兵器廃絶を臨んでいない。唯一の被爆国と言いながらも、核兵器を容認し、核兵器の使用にも反対していないと、考えていたように思います。 続く
2009.09.19
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ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(39)鉄道網の発達によって、ミドルクラスのハネムーンは、次第に新婚夫婦2人だけの1週間から2週間(期間はミドルクラス内部の階層差によりました)の小旅行に替わりました。また鉄道網の発達によって、旅行先もイギリス国内からヨーロッパ大陸への旅行に変わりました。映画のお好きな方は、19世紀後半に題材をとった西洋映画をいくつもご覧になっていらっしゃると思います。登場人物が列車に乗り込むシーンもいくつか覚えていらっしゃると思いますが、列車に運び込む荷物の多いことにも気付かれていると思います。何故あんなに多いのでしょうか。1週間の旅行でもスーツケースが10個近くになります。実はアッパークラスの習慣を真似るミドルクラスにとって、当時は時刻や行き先によって。服装を替えるのが、身だしなみとして重要だったのです。そのため、旅先でも朝お朝食までのドレス、散歩用のドレス、アフタヌーンドレスにイヴニングドレスなどなどが必要でした。さらに夫々に合わせた大量の装身具も必要です。ヴィクトリア朝で流行したボネットにしても、バッスルと呼ばれたスカート幅を広げる腰当など、かさばるものも随分ありました。こうした衣装や装身具を壊さないように運ばせるのは、大変気骨の折れる作業でした。ブログ仲間のリンダ夫人の船旅のお荷物とは、まさに隔世の感があります。しかし、さすがは産業社会です。需要の高そうな商品を開発する、目端の利いた産業家や商店主が、こうした不便を解消するために、新型の長旅用の超大型旅行鞄を開発したのです。下の写真は、大型の旅行鞄の宣伝広告です。宣伝文句にはこうあります。「ヨーロッパに旅行に行かれる花嫁さんには、ボネットが三つ(仕切りは自由に取り外せます)、パラソルにブーツ、ハンカチ、下着や装身具が入るスペースがあるレディーズ・インペリアルと、ボネット・トレー・インペリアルがお勧めです」「かつては大変な難題だった荷造りも、これでほぼ解消できます」と。この時期になると、旅行に適した防水性のある薄地の布も開発されるようになりました。 続く
2009.09.19
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クロニクル 薬害エイズ事件でミドリ十字社長逮捕1996(平成8)年9月19日13年前のこの日、東京地検は、薬害エイズ事件に絡んで、非加熱製剤の発売元、ミドリ十字の現・前・元の3人の社長を、業務上過失致死の疑いで逮捕しました。前日の帝京大副学長安部英に続く、逮捕者でした。
2009.09.19
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自民党政治の終焉(59)スタートした民主党内閣、どうやら粛々とマニフェストを実行に移そうとしているようですね。当面外交問題を取り上げてみます。既に鬼籍に入りましたが、橋本元首相が道筋をつけた、米軍の普天間基地の移設問題を取り上げてみます。辺野古沖への移転に、県内から強い反対が出ているのに、米軍との約束を楯にして、自民党政府と防衛施設庁が頑として、辺野古沖への移転に固執していた問題です。「米軍が辺野古沖でなければダメだと言っている」と盛んにマスコミも流しています。沖縄派健軍の司令官がそう言っているのは事実なのでしょう。しかし、これは眉唾です。国防総省の判断は、今や空中給油機の発達で、空軍機の飛行距離が飛躍的に伸びています。そのため、仮装敵国であるロシアや中国に近すぎる日本の基地は、今やお荷物なのであって、米軍の主力はグアムへの移転を望んでいるのです。それなのに何故、辺野古でなければダメなどという話が、現地の司令官から出てくるのでしょうか。問題は此処にあります。実はこれ、日本側が言わせているというか、そう発言してもらっているのです。何のために、もちろん辺野古沖への移転工事で儲けようと言うゼネコン各社や、防衛庁や防衛施設庁にです。もうお分かりいただけたと思います。此処にあるのは、日本側の利権争奪戦なのです。グアムへ移られたのでは、折角の甘い汁が吸えなくなる面々が県外移設に反対しているのです。無駄な支出を洗い出す作業とも関連するのですが、この防衛利権にメスを入れることが出来るかどうか、岡田外相だけでなく、北澤防衛相の力量も問われることになりそうです。普天間問題というか、辺野古移設問題は、マスコミが報じるような対米問題では今やないのです。これは、日本の国内問題であることを、どうぞご理解下さい。マスコミももう少ししっかりして欲しいですね。 続く
2009.09.18
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クロニクル ウィーン会議始まる1814(文化12)年9月18日今から195年前ですね。日本では滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』が刊行された年に当たり、翌年には、『解体新書』の翻訳が完成する。そういった時期でした。この日、ナポレオン戦争後のヨーロッパの新秩序をどうするかを擬するための会議が、講和会議を兼ねてオーストリアの首都ウィーンで始まりました。世に名高いウィーン会議です。会議の主役は、もちろんオーストリア宰相メッテルニヒでしたが、実はもう1人の主役が敗戦国フランスの外相タレイランでした。映画の『会議は踊る』はこの会議を指しています。「会議は踊る、されど進まず」という有名な一言も、誰の言葉か分からないのですが、会議の出席者の1人のグチとも本音ともつかない一言です。
2009.09.18
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自民党政治の終焉(58)民主党内閣が発足しました。後だしジャンケンのようですが、やはりいきなり当選4,5回の中堅組みからの登用は少なかったですね。結党以来の雌伏の時に、党を支えたヴェテランを重視した布陣になっています。官僚機構との間合いをどうするか、距離感の判断をすぐにも迫られるだけに、苦労人で人間として幅のある政策通のベテランを配してきました。中堅は、副大臣や政務官で酬いるのでしょう。若手に人材豊富といわれる民主党の実際の姿が、見えてくるでしょう。波乱要因は国民新党の亀井静香郵政・金融担当相でしょう。早速中小企業向け融資の3年凍結という無理筋を出してきました。亀井大臣には、こんな逸話が残っています。彼はかつて自民党右派の実力者で、94年の自社さきがけ3党連立内閣の誕生の際に、野中広務と共に村山首相担ぎ出しに貢献したのですが、何せ社会党とは水と油の党内右派でした。そのため、野中国家公安委員長はともかく、亀井運輸大臣が首相と激突して、やがて内閣は瓦解するのではないかと、盛んに憶測記事が流れました。しかし、案ずるより産むが易しで、そのような心配は杞憂に終りました。敗戦50年の村山談話も、支持しておりました。そんな具合ですから、鳩山内閣を支えるという意志は、本当だろうと思います。しかし、何しろオールドファッションです。鎌倉幕府の徳政令や寛政の改革の毀損令を思わせる、中小企業向け融資の3年間の返済猶予。今借りている企業は助かるでしょうが、今後銀行は、危ないからという理由で、中小企業向けの融資を受けなくなるでしょう。つまり、この政策は副作用がかなり強く、効果はあまり期待できないという、見かけは弱者に優しい政策に見えて、実はその逆の効果を発揮しそうな政策のように思えます。さて、どうなって行きますか? 続く、
2009.09.18
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宗教改革よもやま話 (62) アウグスブルグの市参事会は、「改暦は純粋に世俗的で、政治的な事柄」であるから、これによって、宗派的な問題が起きるとは考えない。市参事会や太市、裁判などの日付は、新暦によらなければならないが、プロテスタントの市民が、自分達の教会で旧暦に従って祝日を祝うことは許される。としたのです。市政府は、グレゴリウス暦の堅持を確認しながら、プロテスタントの市民へも配慮を示したのです。市政府は、このように現実的な判断を下しました。しかし、一般市民はもっと感情的になっていました。教会の祝祭日のズレが問題でした。キリスト教では、復活祭の日曜日の前6週間半(45日)は四旬節と呼ばれ、精進の期間となっています。この期間はお祝い事を避けるなど、静かに暮らすと共に、通常肉食を控えることになっていました。そして、食肉販売業者のギルドはルター派に属していたのです。当然、ユリウス暦に準拠して精進の期間を定めます。カトリックの信者は、精進の始まりの時は、肉を買わなければ済むことですから、問題がないのですが、精進の期間を終えて、さて肉を食べようとなった時が問題なのです。プロテスタントの使うユリウス暦の方が、四旬節が遅く始まっています。つまりカトリックの信者達は、精進を終えた後も肉を食べられないのです。肉屋に売ってないのですから。つまりカトリックは、プロテスタントに付き合って、彼らの四旬節が終るまで、肉が食べられないという事態になったのです。これは大変でした。市の公式行事や司教の祝宴も影響を受けました、市は強引にも1部業者の免許を取り上げて、カトリックの精肉業者に再公布する荒療治で、この危機を切り抜けています。改暦は、各方面に様々な影響を与えたのです。 続く
2009.09.17
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クロニクル 南北朝鮮、国連に同時加盟1991(平成3)年9月17日まだ18年しか経っていません。この日、大観民国(南朝鮮)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが、国際連合に南北同時加盟を果たしました。朝鮮半島は日本の降伏後、長く南北に分割されたまま今日に至っており、ヴェトナム、ドイツと続いた分断国家の統一の流れに、ただ1国だけ乗れずにいます。国連への同時加盟で、いよいよ南北朝鮮も統一へ向けて動き出すのかと思われたのですが、その後また、膠着状態に入っており、民族の悲願の達成は、先送りされています。
2009.09.17
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自民党政治の終焉(57)民主党内閣がいよいよ船出しました。ともかく、外野の批判に怖じけることなく、マニフェストに書いた政策を実行することが大事なように思います。少子化対策としての子ども手当て、農産物の販売価格の差額保証など、バラマキバラマキと自民党やマスコミ、一部の経済評論家がキャンペーンを張っていますが、自民党のバラマキに比べれば、ずっとマシな政策のように思います。少子化対策の子ども手当ては、あの給付金に比べれば、よほど狙いははっきりしていますし、農業政策も減反政策などに比べるとよほど前向きです。従来の自民党と官僚機構がやってきたことは、基本的にお上が金を握り、お上が必要と認めた所に金を出す仕組みで、無駄な箱物や道路、中途半端な空港や港湾を作り続けてきました。その根本にある発想は、国民はお利口ではないからお金の使い方を知らない。だから国民には渡さず国家が替わって国民のために使ってやるというものでした。その一つがふるさと創生という名のバラマキでしたし、今回の基金騒動でもありました。そうした無駄をしっかり承知した国民が、今回は自民党と官僚機構にノーを突きつけたのです。しかも民主党マニフェストを予算化すると12兆円に過ぎません。過ぎませんと言っても、私に12兆円ものお金の実感は湧きませんが、数年前(確か2005年でしょうか)に500兆円と言っていた日本の借金は、今や800兆円を超えています。1年に100兆円近く借金を増やしてきたことには黙っていて、その10%程度に過ぎない12兆円に目くじらを立てるのは、筋が通りません。先ずは、マニフェストの政策をぶれることなく実行し、その効果を検証することから初めて良いのではないかと、私は考えます。ただし、少子化対策には、子ども手当てと共に、保育・託児施設の充実が、農業対策には、所得保障と共に大胆な自由化による国際競争力を持つ農業の創生への、展望を持つことが欠かせないでしょう。 続く
2009.09.16
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メイフラワー号その後メイフラワー号について、思いがけず沢山のコメントをいただきました。そこで、もう少し、関連の話を記させていただきます。イギリスのアメリカ植民地のトップランナーは、アメリカ史における初期の大政治家の大半を輩出したヴァージニアです。ヴァージン女王エリザベス1世にちなんで名付けられましたので、最初の移民がこの地に入植したのは、当然エリザベス1世の時代でした。1584年のことです。しかし、この入植は失敗します。自然環境の厳しさ、野生動物や風土病との闘いなどもあり、飢えと真冬の寒さにやられ、全員が餓死または凍死したのです。現地の「インディアン」と良好な関係を築くことに失敗したことも痛手でした。ヴァージニアへの植民は、その後何度か、同じような失敗を繰り返した末、ようやく1607年に105名の入植者が、当時の国王ジェームズ1世の名を冠した、ジェームズタウンの建設に成功して、ようやく1歩を踏み出したのです。メイフラワー号によるプリマス・マサチューセッツ植民地への植民も、苦難の連続でした。彼らがコッド岬に到着したのは、11月の19日、その後40日近く、入植に適した地を探すために、ここに停泊しました。有名なメイフラワー誓約は、この時期に定められたものです。ようやく定まった上陸地を、自らの出港地と同じくプリマスと名付けて、全員が上陸したのは12月の26日でした。この地に先住民の倉庫等はありましたが、彼らの姿はなく、不足する住宅と食糧の不足から、約半数の人々が冬を越せずに亡くなっています。3月になって、姿を現した「インディアン」たちは、トウモロコシやイモの種を分けてくれ、魚の採り方(漁法)を教えてくれ、さらに土地の利用も認めてくれたのです。彼らは「土地は誰のものでもない。髪のものである」と信じ、異邦人を温かく迎えてくれたのです。親切な「インディアン」のおかげで、生き延びた人々は、その秋最初の感謝祭を行なうことが出来たのです。白人は「インディアン」に受けた恩を仇で返したというのも、アメリカ史と西部開拓史の真実です。
2009.09.16
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クロニクル メイフラワー号の旅立ち1620(元和6)年9月16日400年近く前の話になります。日本史で言うと、大阪夏の陣の5年後、家康の死後4年の出来事です。中学校などの英語の教科書に良く出てくる話ですから、ご存知の方も多いと存じます。エリザベス1世の後を継いだイングランド王ジェームズ1世の信仰弾圧を逃れ、新天地での信仰の自由を求めたピューリタンが、メイフラワー号に乗ってアメリカ植民地に渡ったという、あの有名な逸話です。そのメイフラワー号がイングランドのプリマス港を出発したのが、389年前の今日だったのです。乗組員を除く乗客は全員新天地への移住希望者でした。総勢102名の移住希望者は、イギリスからニューイングランド地方への最初の永久移民となりました。一行は、船上で社会契約説に基づくメイフラワー誓約を結びました。。彼らの一行は、11月19日にコッド岬、そして12月26日に現在のマサチューセッツ州プリマスのマサチューセッツ湾沿岸に到達しました。メイフラワー号はイギリスからアメリカまでの大西洋4,400kmを66日間かけて横断しました。 そして、彼らの上陸した土地は、後にプリマス コロニー Plymouth Colonyと呼ばれるようになりました。ところで、102名の乗客の中に、妊娠中の女性が3名おり、そのうち2名が新天地で下船前にそれぞれ男子を出産しました。また航海中に乗員1名、船客1名が亡くなったことが記録されていますので、移民としてアメリカに上陸したのは、103名ということになりました。彼らは、イギリスのアメリカ植民地として、第3番目のタウンを建設することになりました。
2009.09.16
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自民党政治の終焉(56)自民党の議員達、意外と知られていないのですが、総じて結構勉強家でした。派閥ごとに自派の新人議員を鍛え、部会に割り振っては勉強会に出させては、先輩議員がマンツーマンで鍛えていました。それゆえ数年すると、その分野には詳しくなっていたのです。意欲的な議員は、そこで満足せず、いくつかの部会を巡っては、理解と政策の幅を広げていたのです。派閥の機能の低下から、こうした新人教育力も落ちていましたが、それでも早朝からの勉強会は、かなりの数がありました。それなのに、大臣や副大臣、政務官の答弁になると、何故官僚から渡されたペーパーを読み上げることしか出来なかったのか。ここに問題があります。誰もがすぐに気付くことは、朝令暮改よろしく、年中行事のように行われた内閣改造です。どんなに優れた人物でも、就任早々、派遣早々に何もかも心得て見事にこなすなどと言うことは、ありえません。最初は誰でも見習いです。政策通で、その問題に詳しいからと言って、一夜にして仕事の隅から隅まで理解するというのは、不可能です。どんな仕事でも全ての業務に精通して、自在にこなせるようになるには、相当な時間がかかります。それなのに、担当の大臣や政務官を1年ないし2年で交替させていたのでは、「十分腰をすえて良い仕事をしなさい」ということには、なりません。派閥にポストを分配し、各派の大臣病患者を満足させること。これが年1回という頻繁すぎる内閣改造の理由でした。それが官僚の操り人形となってしまう、いてもいなくても良いような大臣を輩出させた元凶でした。民主党が、官に対する政の優位を強調するのであれば、この悪弊を断ち切り、ひとたび任命した大臣は、議員としての任期満了まで替えずに務めてもらう覚悟が大事でしょう。長期に居座り、仕事内容に詳しい大臣となれば、官僚たちも勝手なことは出来なくなるでしょう。明日選出される鳩山首相は、先ず「内閣改造は、私の任期中はやらない」と、組閣後の記者会見で、宣言するくらいの気概を持って欲しいですね。 ザビ
2009.09.15
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ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(38)遠方の親戚や友人を訪ねる結婚旅行が、現在のような2人だけのハネムーンに変るのは、やはり鉄道の普及で、移動の困難が減り、旅費も格段に安くなったことがきっかけになります。こうなると、ミドルクラスの人たちも近場のハネムーンを楽しめるようになります。ロンドンのミドルクラスは、バースの湯治場やブライトンの海岸に数日の小旅行を楽しみ、地方の人たちはロンドン見物を楽しむことが多かったようです。1872年発行の結婚案内用のハウツー本は、こうした小旅行で「外の世界を十分に見物できた」と満足している花嫁達を紹介しています。イギリスの鉄道網は、1850年代前半にはかなり整ってきます。おそらくこの頃から2人だけのハネムーンが普及し始めたのでしょう。1860年代のことになりますが、ギャスケル夫人が1864年に結婚した娘のフローレンスのハネムーンについて、友人に書き送った手紙が残っています。それによると、フローレンス夫妻は鉄道を使ってウエールズとマンチェスターを回る10日ほどの小旅行を楽しんだということです。19世紀も半ばを過ぎると、イギリスを追いかける形でフランスやドイツの鉄道網も整備されてきます。ですからアッパーミドルに属する人々には、大陸へのハネムーンを楽しむ人々も出てきます。作家のエマ・マーシャルは1854年にライン川を上って、ベルギーへのハネムーンを楽しんでいますし、50年代の大衆小説には、大陸へのハネムーンを面白おかしく叙述した作品がいくつもあります。鉄道の発達によって、ハネムーンの様子がかなり変ってきたことが読み取れます。 続く
2009.09.15
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クロニクル 缶ビール発売1958(昭和33)年9月15日51年前の話になります。51とは、14日に9年連続の200本安打という米大リーグの新記録を打ち立てたイチロー選手の背番号になりますが、そのイチロー選手が世界の王と共に、尊敬して止まないミスタープロ野球こと、長嶋茂雄さんがジャイアンツの一員として鮮烈なデビューを果たしたのが、同じ51年前のことです。その51年前の今日、日本で始めての缶入りビールが発売されました。発売元は朝日麦酒(現社名アサヒビール)株式会社でした。今では、缶ビールの製法も向上し、瓶ビールと変らぬ味わいを確保していますが、当時の缶ビールは瓶ビールに比べると、味の点で物足りなかったことは事実で、瓶ビールの補完物的位置にありました。缶ビールの質の向上と、売り上げの増加は、1970年代から顕著となり、現在なお伸び続けていることは、ご存知の通りです。
2009.09.15
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自民党政治の終焉(55)官僚機構による民主党政権に対する抵抗・懐柔・妨害工作から、ご進講作戦は既に始まっています。例えば、この連載の開始前に、私が民主党の政策の中から特に積極的に評価した「高速道路無料化案」に対し、9月に入ってマスコミの論調が、その足を引く方向で論陣を張っています。ウラは見え透いていますが、国土交通省サイドが、無料化にブレーキをかけ、あわよくば思い留まらせようと考えて、ネガティヴ・キャンペーンに恰好な材料を、官僚たちがマスコミ各社に知らせたからだろうことは、容易に想像が出来ます。高速無料化はETCの検査等の甘下り用外郭団体を不要にします。高速料金の受け渡し要員も不要になります。外郭団体の整理、廃止という点で、すぐに成果が分かります。ネガティヴキャンペーンにも呆れました。経済効果のマイナス点ばかりが列挙されています。呆れました。無料化したら、即渋滞と言うのです。特定の期間だけ割引にするから、渋滞が起こるのであって、1年中同じなら事情は変ります。人の流れが変ることで、例えば東京湾岸道路の川崎の対岸、木更津周辺など、御殿場並みの大型アウトレットを作れば、相当な効果が期待できるでしょう。プラスマイナスは、その双方を正確に検証する必要があります。官僚が提供した一方的な資料だけでなく、もう少し丁寧に自ら調べ、資料を集めて検証する努力をマスコミにもしてほしいものです。自らに不利な資料を隠すことは、これまた彼らの常套手段です。菅厚生大臣の薬害エイズ関係資料の発掘は見事でした。おそらく菅大臣のぶれない姿勢に共鳴した若手官僚が、所在を提供したのだろうと、私は考えています。今回でいうと、沖縄返還時の核持込に関する日米の密約問題が、最たるものでしょうか。米国側の資料が公開されていますから、密約の存在自身は既に確定しているのですが、にもかかわらず外務官僚は「ない」の一点張りです。おそらく、日本側の詳細な発言のなかに、隠さなければならない何かがあるのでしょう。こうしたものこそきちんと公開する必要があります。下馬評にあがる岡田外相、ぶれずに菅大臣を見習って、公開に漕ぎ着けることが出来るかどうか、将来の首相候補として国民的支持を広げることが出来るかどうか、彼にとってもその試金石となるでしょう。その他、担当の大臣、副大臣等の民主党議員に対する、官僚からの様々なご進講、それも自分達に都合の良いバイアスをかけたそれが、これから延々と続くはずです。そうしたご進講は受けないわけには行かないのですが、そこに欠けているもの、或いは部分しか触れてないものを見抜く眼と能力を政治家が持つ必要があります。これは結構大変です。 続く
2009.09.14
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宗教改革よもやま話 (61) グレゴリウス暦への改暦を巡る混乱の大枠は以上の通りです。しかし、両派の民衆次元に下ろしたときにどうであったか、ドイツ内部の両派の混在が認められていた帝国自由都市のケースを記すことにします。宗派の異なる男女の結婚問題を取り上げた時に出てきたアウグスブルグに例をとらせてもらいます。アウグスブルグ市はバイエルンに近く、経済的にはバイエルンと一体に近い関係にありました。バイエルン公国は1582年1月2日に、第2回目の教皇勅書を受け入れることを発表すると同時に、バイエルン大公の名で、アウグスブルグ市政府に対し、一緒に改暦するよう要請する文書を送りました。文書を受領したアウグスブルグ市政府は、極めて現実的な対応をとりました。即ち、「バイエルンはじめ、近隣の領邦の殆どが改暦を受け入れているのだから、アウグスブルグに必要な経済活動をはじめとする、様々な交流に支障をきたさないようにする事が大切である」として、3日後の5日に、あっさりと改暦の方針を固めたのです。しかしルター派の聖職者達は、この市政府の決定に反発しました。彼らは説教壇から、改暦反対を信者に訴え始めたのです。1月15日になると、4人のルター派に属する市参事会員(今日の市会議員と考えて結構です。ただし人数は少ないので、その分権限は大きかったのです)が、市政府に対し、改暦反対のアピール文を提出したのです。アピールは、「ルター派の信者はカトリック教会に属していないのだから、教皇が制定したグレゴリウス暦に従う必要がないこと」また、「市政府による新暦採用の決定は、1555年制定の「アウグスブルグの宗教和議」の規定、特にルター派などのプロテスタントは、カトリック教会の教会法の適用を免れるとした条項に違反する」などと主張したのです。宗教和議の規定は、この指摘の通りなのです。ただちに市政府も反論を出しました。「確かに改暦は、原則的には教会に属する問題だとしても、現実的には市政府が対処しなければならない世俗的な問題という側面が大きいから、新暦を採用してもカトリック教会に服したことにはならない」と主張し、さらに、「改革者のルターやメランヒトンも、世俗的な問題は世俗の権力の命令に従うように教えているではないか」と主張しました。双方の主張は、共に一理ありますから、改暦問題の解決は、ここでも時間を有する問題になったのです。 続く
2009.09.14
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クロニクル 「二十四の瞳」封切り1954(昭和29)年9月14日55年前になるのですね。この日、壺井栄の小説『二十四の瞳』を原作に、木下恵介監督が自ら脚本も手がけた松竹映画、『二十四の瞳』が封切られました。主演の大石先生に高峰秀子、男先生に笠智衆、他に渋い脇役陣を揃えていましたが、12人の分教場の生徒達が、生き生きとして見事な準主役振りを発揮していました。封切り直後から人気が高く、同年製作の『七人の侍』を抑えて、各映画賞を総なめにしました。映画の舞台は壺井栄の故郷小豆島。撮影も夏や春など学校の休暇を中心に、岬の分教場を借用して行なわれました。私自身は、1978年に当時はそのまま保存されていた分教場を訪ね、実際に撮影に使われた教室に座ってみたことがあります。学校からすぐの砂浜からは、子ども達が歩いて渡った湾が続いていましたが、海のきれいだったことが忘れられません。それから30年、分教場はまだ残っているのでしょうか。87年にリメイク版が製作され、その時のセットを活用して、「二十四の瞳映画村」が小豆島に設けられていると聞きますから、廃屋危険で取り壊されてしまったのでしょうか? どなたかご存知でしたら教えてください。
2009.09.14
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自民党政治の終焉(54)ところで、官僚の弱点とは何でしょうか。彼ら彼女らの多くは、頭脳明晰で仕事の処理能力も十分あります。ノンキャリアでも夫々の仕事には、見事に通じています。しかし、彼ら、彼女らには大きな弱点があります。私がそれに気付いたのは、1992年の秋でした。日中の国交回復20年を記念して、NHKや民放が競って「今だから語ろう」方式の特番を組んだのですが、そうした番組を片端から見た時でした。そこで外務省は日華(この場合の華は台湾を指します)基本条約との整合性にあくまで拘り、それを支持する台湾派の議員の力を借りていたため、それが元で日中国交回復という大事業は、危うく破談になりかけたと言う事実を知ったときでした。そうなんです。彼らの最大の弱点は、先輩達の路線を否定することが出来ないことにあります。そのため、官僚機構の無謬性に傷をつけることは許されないのです。こんなことはありえますか。時代が変れば、方針は大きく変ります。過去のある時期には、優れた計画だったことも、時代が変れば実情に合わなくなることは、良くあることです。これはそのうち大ポカを」やるぞと思っていましたら、案の定バブル崩壊後の資産価格の急落を一過性のものと思い込む、大失態を演じたのでした。自分の先輩達の行動を全て肯定的に評価する。この官僚的習性が、大きな誤りを産むのですね。しかし、変革は、これまでの行政の誤りを認める、あるいは認めさせることが出発点になります。従って、表面に見えるかどうか分かりませんが、民主党政権と官僚機構のやり取りは、既に始まっているのでしょうが、かなり大変なものとなることは、間違いなさそうです。 続く
2009.09.13
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ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(37)結婚式と言えば、それに続くのがハネムーン。この頃は成田離婚とやらも増えていると聞きますが、それだけハネムーンで海外に出かけるケースも増えているということでしょう。この連載の最後に、イギリスにおけるハネムーンについて記すことにします。先ずは19世紀のはじめ頃、ヴィクトリア朝以前の様子を覗いてみましょう。1812年にハネムーンに出かけたミセス・ソーウェルは、次のように書いています。「私たちは妹のエリザベスを連れて、すぐにクローマーに1週間ほど出かけました。結婚旅行は今ほど長くもなく、また冒険溢れるものでもありませんでした。それはイギリスに鉄道が敷かれて、旅行が楽になる何年も前(リヴァプール~マンチェスター間の最初の鉄道の開通は1830年でしたーー筆写注ーー)のことでしたから、私たちには良い馬と3人が乗れる二輪馬車がありました。私たちはヤーマスに用意した小さな家に戻る前に、ティペットシャル・ホールを訪ねました。そこは母の兄のジョン・ホルムズの家になっていて、彼のたくさんの息子や娘たちと、私たちはとても仲が良かったのです。今ではもう誰も残っていませんが。」このミセス・ソーウェルの結婚旅行は、今のハネムーンとかなり違います。まず妹が一緒ということに絶句しますね。今では考えられません。しかも妹のエリザベス嬢は、どうやら最初から最後まで新婚カップルとご一緒のようです。そしてもう一つソーウェル夫妻は、どうやらハネムーンの行程で、親戚宅訪問を重視していることがあります。実は、こうしたことは。19世紀前半のイギリスでは、ごく普通のことだったのです。当時のハネムーンは、結婚式に出席できなかった親戚宅を訪問することを、主眼としていたのです。そのため大抵の場合、新郎か新婦の姉妹か母親、または従姉妹を伴っていたのです。半ば披露宴の延長線上にあるというのでしょうか。家族ぐるみの大移動だったのです。当時陸上の移動は、馬車か徒歩でしたから、移動には莫大な時間と費用が掛かります。2人だけで見知らぬ遠いところへ出かけるのは、殆どのカップルには手の届かない贅沢だったのです。19世紀前半には、honeymoonという言葉自体が存在せず、weddinng-trip とか braidal-tourなどと呼ばれていたのです。 続く
2009.09.13
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クロニクル スーパーマリオブラザーズ発売1985(昭和60)年9月13日発売24年ですか。この日、任天堂のファミコン用ゲームソフト、スーパーマリオブラザーズが発売されました。カメ一族のクッパ将軍にさらわれた、キノコ王国のピーチ姫を助けるために立ち上がった配管工のマリオとルイジの冒険物語です。発売と共に爆発的な人気を集め、日本国内で681万本強、全世界では4,024万本を売り上げ、「世界一売れたゲーム」としてギネスブックに登録されています。息子が仲間たちと集まっては、ワイワイガヤガヤと楽しんでいました。まるでその様子は、TVがぜいたく品だった時代に、ご近所が集まって一緒に見せていただいていた時代を連想したものです。そうですか。全世界で4千万本も売れたのですか。すごい数字です。
2009.09.13
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