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政治を斬る(37) もう20年ぐらい、紅白歌合戦を見なくなっています。例外は昨年でした。隣組の飲み仲間のお孫さんが、合唱団の関係で「崖の上のポニョ」のバックコーラスで出演したもので、これ幸いと近所の仲間がジジ(ババ)馬鹿夫妻の所へ押しかけて、いっぱいひっかけながら、皆がみな久し振りの紅白を眺めたからです。で、この時間の更新です。予算の配分権を握る財務省に比べると目立ちませんが、外務省という役所も、世界各国で日本を代表する大使という特任官を大量に抱え、各国大使館という伏魔殿を擁する特別な存在です。幕末の不平等条約である「治外法権」の廃止と「関税自主権」の回復を目指した条約改正交渉については、ご存知のことと存じます。実は、この治外法権、大使館の敷地については残っているのです。即ち日本の在外公館は、当該国ではなく日本の主権の範囲下にあるのです。さてその大使ですが、内閣が決めて天皇から任命証書を受けます。その限り日銀総裁や閣僚と同格です。昨今は日銀総裁は政治任用になっていますが、残念なことに欧米と違って、日本では外務官僚以外から、大使を任用することは先ずありません。小泉元首相が当時の猪口邦子上智大学教授を、ジュネーヴ国連軍縮特命大使に任命したのが目に付くくらいです。いわば、各国の日本大使館と日本の大使は、言うなれば日本政府からほとんど自由に、外務官僚のお手盛りで決められているのです。しかもその連中が治外法権を謳歌しているのです。日本の主権下にありますから、当該国政府は手を出しません。しかし、日本政府も手を出さない。そして、大使自身はというと、日本政府や日本国民に対してではなく、ひたすら外務省と外務官僚に忠誠を誓っているのです。そりゃそうですよね。自分を任命してくれたのは、外務官僚なのですから…。ですから、外相や首相には、自分たちにとって都合の良い情報だけを伝えます。場合によれば、そういう情報を意図的に作ったり、当該国政府に仲間を作って、口裏を合わせることまでします。民主党政権は、この大使の政治任用を徹底しないと、官僚政治を打破したことにはならないのです。アメリカの大使任命との差を見れば明らかです。政権が替わったのですから、オバマ政権と同じように、大使の総入れ替えをすると面白かったのです。さて、こうして外務省と大使を含む外務官僚は、自分たちに都合の良い情報だけを政府に伝え、本庁の役人と示し合わせて、政治家を操ろうとするのです。沖縄に1万人近い海兵隊員が残るという情報は、その最たるものでした。 続く
2009.12.31
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クロニクル NHKラジオ除夜の鐘を放送1927(昭和2)年12月31日明晩ですね。でも明日のこの時間では、もう除夜の鐘は搗き終っていますね。実は、昨日書いた上野~浅草間の地下鉄開通の翌日のことです。地下鉄開通の記念としたわけではないようですが、この日NHKの前身の社団法人「東京放送局」が、上野寛永寺の除夜の鐘を、ラジオで実況放送して、話題を集めました。以後、除夜の鐘の実況放送は、毎年の定番となって行きました。
2009.12.31
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世界経済の現状 (96)2009年も余す所2日弱。世界経済は何とか今年を乗り切ったようですね。しかし、危機はまだまだ続きます。米国の財政難は、州政府の綱渡りと共にかなり深刻です。政府とFRBが市場に大量の資金を提供しているのに、その資金が企業や家計に回らず、金融機関に滞留してマネーゲームに使われる構図が続いています。そのため商品や株式が先物を中心に買い上げられ、ミニバブルの様相を呈しています。この部分だけ見れば、一見景気は回復しているように見えるのですが、実際はどうでしょうか。失業者は町に溢れて、失業率は10%を超えています。週1日でもアルバイトをして、僅かな収入があっただけで失業者にはカウントされされなくなりますし、職探しをあきらめてしまうとやはり失業者にはカウントされません。ですから、発表される失業率の数字は、実際よりかなり少なめに報道されているのです。それでも10人に1人に職がないのです。これで景気回復とはいえませんね。消費者は正直ですから、大陸欧州や日本と違って、消費行動が非常に楽観的で、借金に対して抵抗感が弱い米国でも、さすがに消費の回復の足音は弱いままなのです。景気は回復せず、良くいって、底を這い出した状態のまま、長い持間を過ごすことになりそうだというのが、私の見立てです。景気循環論の立場に立つ学者や経済評論家のかなりの部分の方は、歴史的知識が不十分なのでしょう。かなり気楽に「百年に一度の大不況」と言ったと思うと、「既に回復期に入った」と気楽に宗旨替えしています。「百年に1度」だとすると、回復には10年以上かかりますし、昨年から今年の第1弾よりも、もっと深くて深刻な第2弾が襲ってくるはずです。既にそのことを忘れたかのように「既に回復期に入ったが、二番底に要注意」などと、語っています。既に回復期に入ったのなら、昨年の危機は、百年に一度と言われるほど、深刻なものではなかったと、先ずは前言を撤回して、それから新たな主張をすべきでしょう。私は、90年代の日本が実施した潤沢な資金提供による、過剰流動性の確保で小康状態を保っている状態と見ています。失業率の改善と消費の回復を伴わない景気回復はありえません。それどころか、1度破綻した金融資本のやりたい放題に、再び頼ろうとする米国当局の態度は、問題の根本的解決を先送りしているようにしか見えません。世界経済の危機は、どうやら来年に先送りされたようですね。 続く
2009.12.30
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政治を斬る(36) 外務省の発表によれば、沖縄には1万8千人の海兵隊員がおり、グアムに移るのは、そのうちの8千人なので、移転後も沖縄には1万人の海兵隊員が残ることになっています。この話は本当なのでしょうか。在日米軍の司令部は、1万8千人という数字は「定数」であって、「実数」は1万2千5百人であることを、明らかにしています。また、海兵隊員の家族8千人が米軍施設で生活していることも、明らかにしています。ここから、沖縄海兵隊の実数は1万2千5百人で、家族が8千人の計2万5百人ということになります。これに対し、グアムの受け入れ人数は軍人8千人、家族9千人の計1万7千人となっています。とすると沖縄に残るのは3千5百人~4千5百人ということになります。移転は米軍再編の一環ですから、省力化を考えると、米国本土に戻される要員もいるはずですから、沖縄に残る人数は、この数よりも減る可能性が高いのです。ここから宜野湾市の資料は、沖縄に残るとされる海兵隊の定員は、今のところ空定数であって、実働部隊ではなく、いないけれどもいることになっている幽霊部隊であると、指摘しています。この指摘は重大です。外務省や防衛省の官僚は、実際には存在しない1万人の海兵隊員が、ずっと沖縄に駐留し続けると、我々国民をだまし続けてきたことになるからです。いや国民だけでなく、政治家をも騙し続けてきたといえましょう。そして、つい最近まで、そのだましのテクニックは、見事に成功していたのです。彼らになぜそんなことが出来たのか。明日はその点を探ってみたいと思います。 続く
2009.12.30
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クロニクル 地下鉄事始1927(昭和2)年12月30日「地下鉄事始」と言っても、日本のことです。82年前の今日、日本最初の地下鉄が、上野~浅草間で開通しました。現在の東京メトロ銀座線の1部区間が、部分開通したのです。乗車時間は僅か5分でしたが、開通当初は物珍しさから乗客が殺到し、5分間の地下鉄に乗るために、連日2時間待ちの行列が出来たと、当時の新聞記事が伝えています。ポスターの宣伝文には、「東洋で最初の地下鉄道」の文字が踊っていました。現在の銀座線のうち、浅草 - 新橋間は「東京地下鉄道」会社によって建設・運営されました。同社は新橋から浅草まで一挙に開通させることを目指していたのですが、関東大震災後の不況のため資金調達が困難となり、当時は日本一の繁華街で高収益が見込めた浅草から上野までの建設を先行させたのです。結果的に、これが大当たりしたのですね。経営はその後も順調で、1934年(昭和9年)までに全線開通に漕ぎ着けました。一方、渋谷 - 新橋間は目黒蒲田電鉄系の「東京高速鉄道」により建設・運営されました。1939年(昭和14年)までに全通しています。その後、東京地下鉄道との相互乗り入れ運転が開始されました。両社は、太平洋戦争に伴う国策の一環として、1941(昭和16)年に特殊法人「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)に統合されたのです。この営団地下鉄が、2004(平成16)年に民営化され、東京メトロとなりましたが、現在でも乗客が多く、日中も3分に1本という過密ダイヤが編成されています。
2009.12.30
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世界経済の現状 (95)12月26日、中国の高速鉄道が武漢~広州間、総延長1,069キロメートルを結んで、運行を開始しました。最高時速350km/hは、営業速度として世界最速です。今まで11時間かかっていた区間を約3時間で結ぶことになります。広州から武漢へは、かつて1920年代半ばにおける、国民革命軍の西路軍の北伐ルートそのものです。おそらく中国政府は、この路線を、中国南部の大動脈として期待しているのでしょうね。投資総額は1,166億元(約1兆5千億円~1兆6千億円)です。この路線は2012年の完成を目指している北京~広州間を8時間で疾走する路線の1部で、車輌は日本の新幹線「はやて」を改良したものと、ドイツシーメンス社の技術を導入したものと、2系統を使っています。こうした鉄道建設は、08年の世界景気の収縮を受けて落ち込んだ中国の景気対策の柱です。計画では、2020年までに5兆元(約67兆円)の資金を投入して、中国全土で約12万キロメートルの鉄道を建設することになっています。この12万キロメートルのうち、1万8千キロメートルが、時速200キロメートル以上で走る高速鉄道網として、計画されています。北京~天津は、僅か30分で結ばれることになるのですから、大変なスピードです。北京~上海間1,318キロメートルは、現在10時間で結ばれているのですが、これを5時間に短縮する計画になっています。開業予定はやはり2012年で、投下資本は2,210億元が予定されており、長江の三峡ダムの建設費総額2,039億元を上回っています。確かに、こうした巨大プロジェクトが、中国のような成長途上の国々で。大きな景気刺激効果を持つことは、日本の経験でも納得の行くところですが、これが果たして経済合理性にあっているかどうかは、はなはだ疑問です。日本でも国鉄の大赤字が、結局税金で尻拭いされたのは、記憶に新しい所です。果たして中国の鉄道網は、営業的に成り立つのかどうか。とりわけ、料金が割高な高速鉄道が、中国財政のお荷物にならないと良いのですが、どうなるのでしょうね。来年以降、中国の高速鉄道を巡る話に、留意することにしましょう。 続く
2009.12.29
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政治を斬る(35) 米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、2006年9月に発表されました。発表の4ヶ月前の5月に、米軍再編(グアム移転)の実施に向けての「日米ロードマップ」が日米間で作成されました。この時日本政府は、沖縄海兵隊のグアム移転費のおよそ6割、総額103億ドルのうち61億ドルを負担することを、約束しています。ロードマップ作成から日を置かずして「グアム統合軍事開発計画」が策定されています。ここから、米軍は日本が費用の半分以上を負担してくれるので、グアムでの軍事拠点の建設が可能であると判断したのであろうと、推測することが出来ます。ところが米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、発表から1週間後に、唐突に国防総省のWEB上から削除されたのです。「日米ロードマップ」にも、海兵隊のグアム移転は、「部隊の一体性を維持するような形で行なう」と書かれていますから、司令部と同時に実戦部隊も移転すると考える方が自然です。しかし、同時に「海兵空地任務部隊」は沖縄に残るとも記され、大変曖昧な表記がなされています。米政府と米軍は、「グアム統合軍事開発計画」が、戦闘部隊のグアム移転をあまりに明確にしすぎていると、日本政府に指摘され、慌ててウェブサイトから削除したというのが、真相なのでしょう。沖縄海兵隊のどの部分が、残存するかを曖昧にしておけば、日本政府から多額の「思いやり予算」を確保できます。日本政府は日米同盟を掲げることで、気楽に対米追随外交を続けることが出来る。こうした思惑の一致が、「グアム統合軍事開発計画」のWEBからの削除に繋がったのでしょう。要するに、米軍と当時の日本政府は、日本国民を騙し続けることが、相互の利益に繋がることを理解し、手を握ったといえましょう。その後、宜野湾市の代表が米国の沖縄総領事を訪ね、「グアム統合軍事開発計画」を根拠に、「普天間の海兵隊のヘリ部隊がグアムに移転する計画があるのではないか」と、正したところ、総領事は「正式な決定ではない」と答弁し、「移転は司令部機能のみである」と突っぱねています。しかし、先月11月20日に発表された「環境影響評価報告書草案」において、「グアム統合軍事開発計画」の内容は、そのまま踏襲されているのです。つまり、米軍は、沖縄海兵隊の大部分をグアムに移転させる計画を、予定通りに進めているのです。この点については伊波宜野湾市長の主張に、明らかに理があると言えましょう。 続く
2009.12.29
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クロニクル さらば「銀巴里」1990(平成2)年12月29日「銀巴里」は銀座にあったシャンソン喫茶です。戦後の焼け跡がまだあちこちに残っていた、1951(昭和26)年に産声をあげた、日本で最初のシャンソン喫茶でした。石井好子、芦野宏、中原美紗緒、美輪明宏、金子由香里ら、日本の代表的なシャンソン歌手が、銀巴里を拠点に活動し、多くの観客を集めていました。60年代前半の学生時代、ワンステージに飲み物がついて500円の料金は、学生には高かったのですが、家庭教師のバイト代が入ると、先ずは銀巴里に出かけたものです。その「銀巴里」が19年前の今日、49年の歴史の幕を下ろしたのです。シャンソンブームが去り、来客数が激減し、支えきれなくなったのです。そういえば吉祥寺駅近くのシャンソン喫茶、「ベル・エポック」も、今年10月31日にとうとう店を閉じました。
2009.12.29
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政治を斬る(34) 宜野湾市の伊波市長の主張の根拠は、米国が11月20日に発表した、沖縄海兵隊のグアム移転に関する「環境影響評価」の報告書草案にあります。ここに、海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までがグアムに移ることが書かれています。詳しく見ますと、普天間に駐留する第3海兵遠征軍の司令部要員3,046人、地上戦闘要員1,100人、第1海兵航空団員並びに航空戦闘要員の1,856人、兵站戦闘要員2,550人の総計8,552人がグアムに移転するというのです。この数字は、「沖縄からグアムに米海兵隊のうち、およそ8,000人が移転する」とした、日本政府の発表と符合しています。しかし、「グアムに移転する8千人は司令部が中心で、戦闘要員は別」とする外務省の発表とは、明らかに違っています。司令部要員は3,046人で、残りの5千人強は、戦闘部隊と兵站部隊なのです。自国の環境衛生評価に、米軍が偽りの報告をする必要はありませんから、外務省の発表が誤魔化しであることは明らかです。しかも、米国が沖縄海兵隊のグアム移転の計画を発表したのは、これがはじめてではありません。2006年9月に米軍が発表した「グアム統合軍事開発計画」にも、海兵隊の航空部隊と共にグアムに移転してくるへリコプターは、最大で67機と記され、それらのための格納庫、駐機場、離着陸地などを建設する旨が書かれています。普天間に駐留する海兵隊が保有するヘリコプターは、全部で56機ですから、全機がグアムに移転する計画を、米軍が立てていると考えるのが自然です。米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、グアムを総合的な軍事拠点として開発する戦略に基づいています。もはや冷戦の時代ではない。この判断に立って米国は、各国に米軍を駐留させる必要はないと判断し、日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどから、ほぼ等距離となるグアムを選び、ここを新たな拠点とする戦略を描いたのです。沖縄に駐留する海兵隊の全体を。グアムに移すことは、まさにこの構想の一部分をなしているのです。沖縄に海兵隊の一部が残ることがあっても、それは小人数の出先機関でしょう。 続く
2009.12.28
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クロニクル 映画の誕生1895(明治28)年12月28日19世紀も終わりに近い1895年のことですから、今から104年前のことになります。この日フランスのリュミエール兄弟、オーギュストとルイは、シネマトグラフを開発、公開したのです。兄弟の父、アントワーヌは肖像画家でしたが、ダゲレオタイプ(最初の写真機)が発明されると写真館を開業するなど、進取の気風の持ち主でした。兄弟は、こうした父の遺伝子を受け継ぎ、1994年にパリでエジソンの発明したキネストコープ(映画の原型、箱の中を覗くと動く画面を見ることが出来るが、スクリーンに投影知るすることはできないため、1度に大勢が見ることはできない)を見て、大きな刺激を受けました。ここから兄弟は本格的な動画作りに取り組み、キネストコープを改良、スクリーンに投影することによって、一度に多くの人々が鑑賞できるシネマトグラフ・リュミエールの開発に成功したのです。二人は、自らの工場の近辺などで撮影を行い、1895年12月28日、パリのグラン・カフェ地階のサロン・ナンディアンで、撮影済みの映像をを人々に有料で公開しました。これが1度に多くの人たちが、一緒に大きなスクリーンを見つめたという意味で、本格的な映画の始まりでした。とりわけ「汽車の到着」では、カメラに向かって走ってくる汽車を見て、観客が大騒ぎしになったと、当時の新聞が伝えています。兄弟はその後、リュミエール協会を作り、世界中にカメラマンを派遣し、映像を撮り続けたのです。2人のおかげで、日本を含む世界各地のこの時期の映像記録が残ることとなったのです。すると、今度はエジソンがリュミエール兄弟の活躍に刺激を受け、映画撮影のための施設を作って、こちらはドキュメンタリーではなく、劇映画の製作に乗り出していったのです。 続く
2009.12.28
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有馬記念・ドリームジャーニー23日に「有馬記念」の成り立ちの記事を載せた際に、コメントを寄せてくださった皆様にお知らせした、うまキチの友人が馬主をつとめるドリームジャーニーが、見事に栄冠を勝ち取りました。宝塚記念について、今年はG1で2勝。遅咲きの花を咲かせてくれたようです。テレビ観戦してくださった皆様はお分かりと思いますが、小柄な馬なのでスタミナに難があり、長い距離は苦手な馬だそうなのです。その点、中山競馬場の芝の内側の2500メートルという距離は、あっていたのでしょうね。友人はうまキチで、ドリームジャーニー以前にも何頭かの馬主になっていたのですが、いずれも1人で馬主になったわけではなく、1頭の馬の購入資金や養育費、調教費などを、共同で負担しあう、共同馬主です。確か10何人かが、共同の馬主だと聞いたように思います。おかげさまで優勝できて、友人は今頃馬主仲間や厩舎の皆さんなどと、祝杯を挙げながら美味い酒を飲んでいることでしょう。私も勝手に祝杯を上げました。しかし、知った人が出るのではなく、知った馬が出るだけでも、応援というのは肩が懲りますね。力が入ると、テレビで見るだけでも疲れるものです。皆さん、ご声援有り難うございました。友人自身、私のブログの隠れファンだと言っていますから、この記事を見たら、きっと驚くでしょう。
2009.12.27
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政治を斬る(33)普天間を抱える沖縄県宜野湾市のHPに、「普天間基地のグアム移転の可能性について」と題する調査分析レポートが掲載されています。http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844/html宜野湾市の伊波市長は、11月26日に上京し、この問題について与党の議員たちに詳しく事情を説明しています。その時に配布した資料も公開されています。http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_4.pdf伊波市長はさらに、12月9日に外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊員は、すべてグアムに移転する計画になっているはずだと尋ねましたが、外務省の担当者は「我々の理解ではそうなっていない」と突っぱね、話し合いは平行線に終りました。この件については以下を参照http://www.qab.co.jp/news/200-120913727.html 外務省や防衛省は、「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊司令部が中心であり、ヘリ部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」と説明しています。マスコミはこれを鵜呑みにして、自ら調査もせずに記事にしています。ところが宜野湾市の調査によると、沖縄海兵隊は実践部隊の大半や兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんど全てを、2014年までにグアムに移転する計画を、米軍は立てているというのです。ヘリ部隊や地上戦闘部隊のほとんどが、グアムに移転するなら、普天間の代替施設を辺野古など沖縄や日本国内に建設する必要はありません。辺野古移転を巡るここまでの大騒ぎは、全く不要だったことになります。米軍は沖縄海兵隊のグアムへの移転計画を、2006年に作成しています。日本政府は、米軍のグアム移設に多額の資金を提供しているのですから、外務省など政府の事務方は、米軍の移転計画の詳細を知らされていて当然です。「そんな計画は、我々は知らない」とする外務省の態度は、核密約などを否定したのと同一の、うそっぱちでしょう。彼らは、グアム移転の詳細を知りながらも、知らないふりをして、「グアムに移らずに沖縄に残るヘリ部隊などのために、辺野古の新しい基地が必要です」といい続けてきたのです。明日、この件の詳細をお知らせします。 続く
2009.12.27
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クロニクル 仲見世の誕生1885(明治18)年12月27日昨夜は楽天のメンテナンスにかかり、アップできませんでした。今日は明治のお話です。明治生まれの最もお若いでも、お生まれは明治45(1912)年ですから、97歳でいらっしゃいます。「明治は遠くなりにけり」どころか、追憶の彼方の出来事になってまいりました。その明治も前半記、明治憲法も帝国議会も、そして教育勅語もいまだ誕生していない、まさに「鹿鳴館」華やかなりし時代のことです。今日が浅草仲見世の124回目の誕生日です。そうなんです。この日浅草寺境内に、1度に139店の仲見世商店街が新規オープンしたのです。煉瓦造りのお洒落な建物でしたから、連日大いに賑ったそうです。惜しむらくは関東大震災とその後の火災で、この建物群は跡形もなくなり、その後鉄筋造りの建物に建て替えられました。
2009.12.27
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政治を斬る(32)防衛庁のドンと言われた守屋武昌元次官は、皆さんご存知だと思います。業者との癒着や接待漬けの日々が明るみに出て、今や被告の身の彼です。汚職の権化みたいな人物の発言だけに、実に説得力のある発言が彼にあります。『中央公論』の新年号(12月上旬発売)に彼の寄稿が載っています。彼は普天間の移設先が、辺野古の沿岸部に決まっていく過程を、防衛次官の職席上、全て知りうる立場にあった人物です。その彼が、こう書いているのです。「与野党を問わず有力政治家が普天間移設に必要な土砂の需要を見込んでどこそこの山を買っている、などといった情報が地元ではまことしやかに噂されている。これは一体、何なのか。」利益誘導と収賄の容疑で刑事被告人となっている人物すらが、呆れるほどの利権構造。普天間問題混迷の元凶は、やっぱりここにあるのです。 続く
2009.12.26
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世界経済の現状 (94) FRBのバーナンキ議長が、数ヶ月前に住宅ローンを借り替えた話が、アメリカで話題になっています。彼が住宅を購入したのは2004年です。彼の話では、5年間は支払いが緩やかで金利も低いけれども、5年を過ぎると、突然金利が跳ね上がり支払い額も大きく膨らむARMの契約だったため、固定金利で約5%の住宅ローンに借り替えたというのです。これは話題になりました。2004年に購入した住宅の時価は、その後の住宅バブルの崩壊で、買値を大きく下回っていることは、米国民の誰もが知っていることだからです。ですから彼と同じ時期に優良住宅を購入した人たちの多くは、ローンの借り換えが出来ずに苦しんでいるのです。新規に住宅ローンを借り替えるということは、時価でローンを組み替えることを意味します。ARMの特徴は、当初はほとんど金利分のみを支払ってゆくことにありますから、簿価のほとんどが残っていること、甘めに評価しても90%以上は残っていることを示します。ですからローン残額と現在の担保価値(時価よりも低くなります)との差額を自己負担しない限り、ローンの借り換えは不可能なのです。プライムローンの借り手の多くは、こうした借り換えが出来ません。バーナンキ議長が5年据え置きのARMを組んでいたということは、彼と同時期か彼より後、住宅バブルが変調をきたす2006年にかけて住宅を購入した人たちのほとんどは、5年据え置きのARMを組んでいると考えられます。オバマ政権の肝いりで、低金利でのローンに借り換えをと言っても、こうした人たちのかなりの部分にとって、借り換えなど出来ない相談なのです。来年以降火を噴きそうなのは、商業用不動産ばかりでなく、サブプライムローンばかりでなく、量的にははるかに数の多い、こうしたプライムローンも控えているのです。 続く
2009.12.26
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クロニクル ルーマニア革命成就1989(平成元)年12月26日今日は少し固い話題です。ちょうど20年前のことになします。ベルリンの壁崩壊に驚かされた一連の東欧革命の殿(しんがり)は、ルーマニアが勤めることとなったのです。12月16日に西部の都市ティミショアラで起きた民衆反乱は、軍をも巻き込んで次第に拡大にし、21日には国防軍が革命戦線に加わることを決定し、大勢は決しました。こうしてルーマニアの共産党政権が崩壊し、革命の指導部救国戦線は、チャウシェスク夫妻を軍事裁判にかけ、銃殺刑に処したのです(25日)。こうして翌日の26日、ルーマニア革命は成就し、救国戦線評議会が新指導体制を発表して、暫定政権を樹立したのです。
2009.12.26
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政治を斬る(31)沖縄問題と日米安保については、マスコミの報道に大きな問題があります。マスコミ報道によれば、米政府は「鳩山首相や民主党内閣の対応にいらだっている」ことになっています。先日、鳩山首相は、普天間移設問題について、結論を出すことを正式に先送りしました。この判断に対して、マスコミ各社は一斉にブーイングの声を上げました。各紙の見出しは、皆さんもご覧になったと思います。「いらだつ米高官」とか「日米同盟の危機」と言った、ギョとするような見出しが並びました。中には、ご丁寧に「このままでは日米合意が白紙に戻りかねない」とか、「自民党時代の合意案を早急に実施すべきである」とまで論じた新聞もありました。ある新聞は、ルース駐日米大使が、岡田外相と通訳を交えて3人だけで話し合った会談について、「ルース大使は、現行案での移設を、怒りをあらわに顔を真っ赤にしながら、岡田外相に迫る一幕もあった」とまで書いています。マスコミ各紙に一斉に書かれると、それを信じてしまう人も多くなるのは自然です。発足100日を迎えた鳩山内閣についてのアンケート調査では、外交問題、とりわけ日米関係を不安視する回答が目立っていました。しかし、本当に米国は鳩山内閣に怒っているのでしょうか。普天間移設問題程度で、日米同盟は危機を迎えるのでしょうか。ちょっと待ってください。ルース大使と岡田外相の外には、こういう時のルールとして、日米1人づつの通訳が立ち会っただけの会談について、どうして大使が激高したなんてことが伝わるのですか? 通訳が漏らしたとでも言うのでしょうか。守秘義務のある外交問題について、一言でも漏らしたとなれば、その通訳氏は今後の生活の糧を失います。これはその道の常識です。つまり、この記事は、よく言えば書いた記者の「筆のすべり」、見てきたようなウソでしょう。そして悪く言えば、現行案での決着を望む外務官僚のためにする囁きということでしょうか。「米国が怒っている」という日本のマスコミ報道に、米政府も困っているというのが、真相のようです。これは、カリフォルニアにお住まいのマダム・リンダにコメントを戴きたいところですが、米国人のほとんどは、沖縄は知っていても、まず普天間も辺野古も知らないでしょう。米政界の関心事も、アジアの安全保障問題では、アフガンとパキスタンにかなりのウエートがかけられていて、それにイラクを含む中東が続き、さらに遅れて中国や「北朝鮮」が加わり、日米安保や沖縄は、最後に申し訳程度に顔を出すといったところでしょう。日本への関心のほとんどは、経済・財政・金融問題です。日本は今後も米経済を支え続けてくれるのかどうか。くれるとすればそれ相応の仁義を切らねばまずいだろうと、言うことです。1997年の初めに米国を訪問した当時の橋本首相のように、鳩山首相に「米国債を売りたい誘惑に駆られることがある」などと、一言口にされたら最後、そうでなくとも危ない橋を渡っている米国債の暴落が、避けられなくなるからです。マスコミ各社の米国特派員、特にワシントン支局の連中が、米国務省や国防総省の高官に取材すれば、それはリップサービスとして「早く解決してほしい」程度のことは発言するでしょう。それを、記者が本社に送ると、いつの間にか「強い不快感を表明」などの表現に格上げされてしまうのです。現地の記者と本社のデスクの合作で、ああいう紙面が出来上がるのです。欧米のますこみでは、政権が変わったのだから、鳩山内閣が日米安保について、根本的に再検討するのは、むしろ当然といった論調が目立っています。何重にも色眼鏡をかけてしまっているマスコミの報道は、困ったものです。明らかに世論のミスリードになっているのですから、その責任は大変重いように思います。 続く
2009.12.25
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世界経済の現状 (93)さて、商業用不動産担保証券(CMBS)の発行による資金調達は、現在では小口のもの(3億ドルとか5億ドル程度のもの)以外は、ほとんど不可能になっていて、ピーク時に比べると10%以下に下がっていると、報告されています。証券化によってファイナンスできないとなれば、期限の来たCMBSの借り換えが出来ないことになります。日本でも不動産の証券化ビジネスを手がけていた企業が数多く倒産したり、業界大手のダ・ヴィンチが八重洲北口の優良ビルを投売りせざるを得なかったのは、このためです。借り換えが出来なければ、返済できずにデフォルトするか、物件を投売りするかしかありません。モルスタのように銀行借り入れが可能であれば、担保を流して逃げることもありますが…。いずれにしても、こうした状況が、商業用不動産の価格を押し下げる圧力として働いていることは、間違いのないところです。そして、事態の背景には、止まらない失業率の上昇があります。オバマ政権は、新規雇用の創出を歌って発足したのですが、ここまでのところ逆に雇用を失い、失業者数と失業率の上昇を招いています。失業が増加するということは、景気の悪化が止まったといっても、それはリストラによって社員の首を切り、縮小均衡を計ることで赤字を脱することなのですから、オフィス面積が縮小することと矛盾しないのです。サンフランシスコのオフィスの空室率は、第3四半期に14%上昇し、優良なオフィスの賃料は、単位面積当たりで、前年同月比37%も下がっているのです。専門家によると、この下落幅は、2001年のITバブル崩壊時の記録に並ぶ数字だそうです。違いは、ITバブル崩壊時は、この数字が最大値だったのに対し、現在はなお、下落の途中にあるということです。不気味な時限爆弾を内部で増殖させながら、米経済は年を越すということですね。 続く
2009.12.25
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クロニクル 「およげたいやきくん」発売1975(昭和50)年12月25日>まいにちまいにち ぼくらはてっぱんの うえでやかれて いやんなっちゃうよ あるあさぼくは みせのおじさんと けんかしてうみに にげこんだのさ<今日で発売から34年も経つんですね。あの頃は30代前半だったのですね、私は…。年末の発売ですから、街にこの音楽が溢れたのは、翌76年のことだったのですが、歌詞結構覚えているものですねぇ。この「およげたいやきくん」、子門真人が歌っていますが、最初に歌ったのは彼ではありませんでした。実はこの曲、フジテレビの子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』の伴組の中で、生田敬太郎が歌った曲でした。ところが生田がフジテレビの意向も確かめずに、テイチクと専属契約を結んだために、フジテレビが態度を硬化し、番組に曲が流れてから1ヵ月後、歌い手は子門真人に変更されたのです。そしてこの日、レコードが発売されると、翌76年の1月10日時点でプレス枚数150万枚・予約待ち50万枚という空前の売れ行きを示したのです。オリコンのヒットチャートでは、史上初めてシングル盤で初登場1位という記録を作り、さらに11週連続1位となる大ヒットとなったのです。オリコンの調べでは、現在(2009年10月末)までに450万枚以上のレコード・CDを売り上げており、日本でのシングル盤の売上記録としては未だに破られていない、最高記録となっているそうです。
2009.12.25
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政治を斬る(30)沖縄の土建業界は、既に大量の石や土砂を仕込んでいます。当然そのための資金は、金融機関からの借り入れです。金融機関もまた土建業界と政官界の癒着の構造は熟知しています。ですから大型公共事業は、特に沖縄の米軍関係の公共事業は、銀行にとっても貸し倒れの心配をする必要のない、美味しい融資先だったのです。それゆえ県外移設、ましてグアムへの統合は、あってはならない悪夢でした。そんなことになれば、先回りして埋め立て用の土砂等を確保した地元ゼネンコンはこぞって倒産です。そこに貸し込んだ地元の金融機関も連鎖倒産の憂き目に会うでしょう。問題はここにあります。自民党の政治家と結んだ地方の政官業の癒着の構造を暴き、自民党の政治システムの根源を叩くとする狙いは、前原大臣がぶち上げた八場ダムを中心とする、日本全体の公共事業に絡む利権の構造を明るみに出そうとする行動と同じ図式です。しかし、これを完全に実行してしまうと、ただでさえ脆弱な沖縄経済には、大きな痛手となってしまいます(この沖縄を過疎地を抱えた地方と読み替えていただくと、八場ダム等ダム問題が行き詰まっている構図になります)。県民の意志は、県外移設で固まっています。しかし、沖縄経済に大穴を明けるわけにも行かない。今まで美味い汁をすすり続けてきた土建業界が泣きを見るのは、身から出た錆なのですが、思い切って彼らを切り捨ててしまうと、善良な県民を巻き込んでしまうことになる。この構図は、巨利を求めて暴走の限りを尽くした挙句に破綻して、世界経済をがけっぷちに追い込んだ投資銀行と銀行家たちを、救ってやらざるを得なかった米国や欧州、そして90年代後半の日本の図式とそっくりです。昨日も記しましたが、普天間ー辺野古問題は、まさに国内問題なのです。 続く
2009.12.24
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世界経済の現状 (92)モルガンスタンレー、昨年東京三菱が100億ドル出資して救済した米国のメガバンク、投資銀行、通称モルスタです。日本語は面白いです。ゴールドマンサックスはGSと言われますが、モルガンスタンレーはMSではなく、モルスタです。MSではマジソン・スクエアの方がメジャーな存在だからと言うのでしょうか。そのモルスタですが、不動産取引については長い伝統を誇り、この分野ではモルスタに追随する金融機関も数多かったと言われる老舗です。このモルスタが、手持ちの投資用不動産を、密かに投売りに出ているという記事が出ています。サンフランシスコで5棟のタワービルを、受けた融資を返済しない形で、融資先に引き取らせているのです。日本で言えば、最初から流すつもりで、質屋さんに質入することとそっくりです。この方法なら、いきなり競売にかけるより、はるかに目立ちません。モルスタは子の手口で、かなりの不動産を売り払っているようです。サンフランシスコの物件は、2007年の年初にブラックストーンから購入した物件ですから、高値で買った物件を安値で引き渡したことになります。記事はブルームバークが配信したものですが、その記事によると、モルスタは同じく2007年にクレセントキャピタルから取得したニューヨークのオフィスを、ローンの肩代わりとしてバークレイズに渡しています。モルスタに対する融資先から見れば、これはモルスタが借金を払わないので、やむなく担保権を行使したことに外なりません。当然融資に際しては、時価の何割かで貸しているでしょうから、担保を流したモルスタにも大きな損失が出ています。しかし、モルスタが自らビルを売却せずに、融資先に引き渡したことを見れば、融資を執行した金融機関もまた、その後の不動産市場の落下で損失が出ているだろうことは、簡単に想像できます。バークレイズはイギリスのメガバンクです。昨年、RBOSと並んで経営不振に陥って国有化され、現在イギリス政府が70%の株式を持つ、国営銀行です。この例に見るように、なお高額の不動産融資が数多く残っているようですから、当分、綱渡りの経営が続くのでしょうね。再建の道筋は、なお見えていないように思えます。こうしたモルガンスタンレーの行動は何を意味するのでしょうか。損失覚悟で譲り渡した(つまり投売りした)物件は、家賃が毎月入ってくる、その限り優良物件です。そしてモルスタは、不動産投資にかけては目利きを揃えたナンバー1の金融機関です。そのモルスタが、ローンの支払いの肩代わりという形式をとって、投売りしているのです。「不動産は抱えていればいつかは値上がりする」といった土地神話は、米国には元々ないのですが、モルスタの行動は、不動産は今売っておかないと、もっと大変なことになる。来年以降は、売りたくても売れないことになるかもしれない。彼らは、間違いなくこう考えているだろうと、私は思います。 続く
2009.12.24
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クロニクル 新宿クリスマスツリー爆弾事件1971(昭和46)年12月24日38年前の事件です。この日、新宿三丁目の警視庁四谷署追分交番近くで、買い物袋に入った高さ50cmほどのクリスマスツリーが爆発し、警察官2人と通行人7人が重軽傷を負う事件がおきました。クリスマス・ツリーに偽装して、時限爆弾が仕掛けられていたのです。この事件の6日前には、土田警視総監邸でピース缶爆弾が爆発する事件があったばかりでしたから、いよいよ新左翼の爆弾テロが、市井の人々を巻き込んだ無差別テロにまで広がり始めたのかと、世間の注目を集めた事件でした。
2009.12.24
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政治を斬る(29)安保と沖縄の問題に帰ります。ここで、普天間の問題を振り返って見ましょう。普天間の返還合意は、13年前の1996年橋本内閣の時のことでした。米国を訪問した橋本首相に、クリントン大統領に普天間返還を要請したのに対し、既に記したような普天間の危険性を伝え聞いた同大統領が、移転を受け入れて返還に応じたのです。当時は、まだ米海兵隊のグアム移転は決まっていませんから、移設は辺野古のキャンプ・シュワプ沖ということになったのです。この点ではいくつかの証言があります。「当初の代替施設計画は、撤去が可能な海上浮体式(メガフロート)と、くい打ち式(QIP)の2案が有力でした。しかし、代替施設を受け入れる名護市周辺の土建業界が猛反発して、『新工法で儲かるのは本土企業だけ』『埋め立てで仕事を沖縄に回せ』と巻き返しに出たのです」票とカネを土建業界に頼り切ってきた自民党政権が、スポンサーの意向を無視することはありません。98年に旧竹下派が中心になって担ぎ出した稲嶺恵一県政が誕生すると、いつの間にか撤去可能案は消え、「埋め立て案」が前提となって事業規模もドンドン膨らんでいきました。この間、政府内ではコストが安くつく既存基地への併合案も浮上したのですが、その都度「沖縄の意向に配慮しろ」という、自民党有力者の横やりが入り、安上がりプランは潰されていきました。こうした経緯を経て、2006年に日米間で合意した「V字形滑走路案」計画は、埋め立て工事を伴うため、最低でも4千億円を超える大型公共事業となっていたのです。今も地元市長などが、騒音を理由に「現行計画より100メートル沖合に移動せよ」と日米政府に要求しているのですが、それはバックにいる土建業者が「埋め立て面積が増えて潤う」からというのがホンネなのです。難クセをつけて利権を拡大しようとしていることが、丸見えです。小泉首相の実力秘書官の飯島勲氏は、小泉氏の首相在任時に、普天間移設問題を問われて、次のように発言しています。「環境、騒音、安全とクチでは言いながら、裏では埋め立ての利権が蠢いているのですから…」と。日米が合意した移設作業の完了は、2014年がリミットとされています。V字滑走路の建設には、3~5年かかります。膠着状態にしびれを切らした恰好の地元の土建業者は、巨額の埋め立て利権を見込んで、すでに動き出しています。関係者によると、「海上の埋め立てには“キロ石”と呼ばれる巨大な岩石や、莫大な量の土砂が必要」なのだそうです。こうした巨石や大量の土砂は、かなり前から押さえておかないと、入札に出遅れてしまうと言うのです。石や土砂の権利を握るための競争で、採掘権を相場は高騰、かなりの実弾が飛び交ったというのも、事実のようです。当然銀行からの借りれは膨らみます。銀行は銀行で、事業規模の拡大から、大型の利権事業になることを予測して、強気となり、大型の貸付を実行している。これが普天間移設に関する隠された真相といったところです。これは指摘した通り、まさに国内問題なのです。 続く
2009.12.23
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世界経済の現状 (91)サブプライムローンのローン残高に占める割合は、5%程度でした。その僅か5%の破綻が巻き起こした、証券化商品の暴落が昨年の大騒ぎの元凶だったのですが、CMBSと呼ばれる商業用不動産は、全ローン残高の50%近くを占めているのです。その商業不動産の暴落も避けられないだろうと囁かれていたところで、ドバイ・ワールドの形振り構わぬ競売が行なわれ、どうやらパンドラの箱を開けてしまったのではないかということです。実は、11月末に予兆はありました。11月26日、ニューヨークのマンハッタンで不動産開発のティッシュマンと投資顧問のブラックロックが組んで開発したビルのリートがデフォルトしたのです。ビルの取得は2006年、取得費用は総額54億ドル、うち30億ドルをドイツ銀行が融資していました。ドイツ銀行はこの物件の証券化即ちリートの組成にも関わっていました。この物件の現在評価額は18億9千万ドル。簿価に対して3分の1に落ちています。家賃収入でローン金利を払えなくなり、デフォルトになったと解説されています。証券化商品は投資家に売られてしまっていますから債務の繰り延べ交渉もままならなかったというのです。マンハッタンですら、商業用不動産の値下がりが半端でないことがこの時明らかになったのです。ただし、この時はマンハッタンの中心部ではなかったので、大きな騒ぎにはならなかったのです。しかし、今度はそうないかないでしょう。何せマンハッタンの中心部、それも超有名ホテルの売買価格が、まさに暴落していることが、衆目にさらされたのですから。来年は商業用不動産の暴落で、CMBSの大混乱が起きる可能性が高いように思います。 続く
2009.12.23
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クロニクル 有馬記念始まる1956(昭和31)年12月23日53年前の今日になります。この日第1回の中山グランプリのレースが、中山競馬場で開催されました。この中山グランプリが翌年から、レースの生みの親である、当時の日本中央競馬会理事長の有馬頼寧の名を冠して、有馬記念と解消されたのです。有馬記念誕生のいきさつは、中山大障害を売り物にしていた当時の中山競馬場が地味で、東京競馬場に比べて売り上げが伸びなかったため、有馬の肝いりで大レースを計画したのです。しかも有馬は、ファンがより親しめるようにと、野球のオールスターゲームにヒントを得て、ファン投票で出走馬を決める方式を採用、話題を集めたのでした。競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法でした。この構想は当たり、中山大レースは大変な人気となったのですが、翌57年の1月9日に、発案者の有馬が急死したのです。このため、有馬の功績を讃えて、同年12月の第2回大会から、「有馬記念グランプリ」と名を変えたのです。今年は27日ですね。
2009.12.23
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イラクの小児癌の子ども達にチョコ募金をブログをご覧くださっている皆さんにお願いがあります。私のブログ仲間のレミドリさんが、彼女のブログで紹介と勧誘をされたことを、眼に留めたのがきっかけです。早速彼女にお願いして、A4の小さなポスターでもあり、宣伝ビラにもなっている両面印刷の良質のチラシを送って戴きました。下記に掲載したポスターがそれです。イラクは、湾岸戦争の折に、主に米軍によって、大量の劣化ウラン弾を投下されました。劣化ウランなので、輩出される放射能による被爆量は少ないというのが米軍の言い分でしたが、実際は継続的に被爆し続けることで、大量のがん患者が、とりわけ子どものがん患者が多発していることが、イラクの医師や「国境なき医師団」などの調査により、明らかになりました。そして、今なお米軍の駐留が続くのですが、米国の一方的ま攻撃として行われたイラク戦争に際しても、性懲りもなく再びかなりの量の劣化ウラン弾が投下され、放射腺被爆によるがん患者、とりわけ小児癌の患者は、さらに急増しました。お願いは、「1日400円程度になる癌の子ども達のクスリ代を、チョコレートを購入することで、寄付してください」という運動への協力の依頼です。ポスターにあります、六花亭のハート型のチョコが10ヶ入った小ぶりな缶が4ヶで1セットで2千円です。1ヶ当り500円ですね(うち400円が寄付となります)。まずはポスターをご覧下さい。缶には1缶1缶に絵が描かれ、同時に缶の下にあるような絵で綴られたメッセージがつけられています。この絵は、サブリーンさんという女の子の描いた絵です。彼女は家が貧しく学校へ通うことが出来なかったのですが、小児癌それも右目の癌を発生して入院することになり、病院内に設けられた院内学級ではじめて文字を覚えた少女です。2005年11歳の頃のことだったようです。絵の好きな子で、病院内でたくさんの絵を描き、将来は絵の先生になって、子ども達に絵を教えたいという希望を持っていたと言います。2005年右目の摘出手術を受けましたが、見える左目で絵を描き続けました。そして4年間病院で治療を受け続けたのですが、病は再発、彼女は両目を失うことになりました。それでも彼女は勇気と希望を失わず、自分に出来る社会貢献を模索しようとしていました。癌が再発した時、彼女の絵を使ったチョコレートが作られ、世界へ募金を呼びかけることになりました。「自分の絵が役に立つなんてとても嬉しい」と彼女は喜んでいたのですが、その缶入りチョコレートが出来上がる寸前の今年10月16日、彼女は永眠したのです。それでもサブリーンは、最後まで仲間や私たちを勇気付けることを忘れませんでした。サブリーンは最後の気力を振り絞って、こう言ったそうです。「私は死にます。でも幸せです。私の絵を皆さんに見てもらい、多くのイラクの子ども達が助かることをねがっています、アリガトウ……」と。こういう子ども達、そしてこういう子ども達を育てた大人を相手にしては、米国は勝てないでしょう。それはそれとして、皆さんのご協力をレミドリさんともどもお願いいたします。連絡先、JIM-NET TEL 03-6741-9665(1月4日から、平日9時~18時 土日祝日不可) FAX 03-3204-0308(受付中 24時間可) 郵便 171-0033 東京都豊島区高田3-10-24-303 JIM=NET チョコ募金係 Eメール 10choco@jim-net.net 電話以外は現在受付中です。支払い 1セット2千円 送料1セットにつき100円 5セット以上は全て500円です。 3セットの場合、6千円プラス送料300円です。 郵便振替用紙が同封されてきます、手数料は申込者負担。レミドリさんのブログは以下の通りです。 http://plaza.rakuten.co.jp/lemidori/
2009.12.22
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続・伊藤博文初代首相となる昨夜アップした初代伊藤内閣の閣僚について細くします。伊藤内閣の閣僚のうち、長州閥は伊藤、井上外相、山県内相、山田法相の4人。薩摩閥が松方蔵相、大山陸相、西郷海相、森文相の4にんです。このうち、後首相となったのは、山県と松方の2人でした。土佐藩出身の谷農商務相は。西南戦争で熊本城に籠城、西郷軍の攻撃から城を守り抜いて、反乱勢力の北上を食い止めた功績から、政府に重きを成しました。榎本逓信相は、幕府の海軍を預かり、函館戦争の司令官でしたが、のち新政府に出仕して、郵政事業の基礎作りに辣腕を振っています・山県は伊藤と並ぶ長州閥のトップで、薩摩の大山と共に陸軍を育て上げた人物として知られ、伊藤と同じく4度首相を務めました。井上馨は外相として条約改正問題に取り組み、欧化主義を主張して、鹿鳴館時代をリードした人物です。鹿鳴館の華と称され、日本のトップレディとして、外国公館の重要人物や若手エリートの接待をリードした大山(旧姓山川)捨松は、大山陸相の夫人でした。彼女は岩倉使節団の1員として、津田梅子らと共に米国に留学した女性たちの1人で、英語・仏語を自在に操っては、井上外相を助けて活躍しました。夫の大山陸相は、日露戦争における満州軍総司令官として、次官の児玉源太郎に自由に活動させて、陸戦を勝利に導いた立役者でした。西郷海相もまた、東郷平八郎海軍司令官に全幅の信頼を寄せ、日本海海戦を勝利に導いた影の立役者でした。実は2人とも、何度も首相に推されたのですが、自分はなるわけに行かないと、最後まで固辞し続けたのです。それは西郷は、維新の功臣でありながら、最後に政府に弓を引いた西郷隆盛の弟であり、大山は従弟に当たったからでした。首相となった松方は、財政政策に通じ、日本銀行は彼の手で創立されています。西洋美術館建設の基礎となった松方コレクションは、彼の息子が収拾したものです。また60年安保の直後に駐日大使として赴任した日本通のライシャワー大使のハル夫人は、松方の孫にあたります。そして森有礼文相は、後に教育勅語の作成者として、また明治の教育制度の完成者として、歴史に名を残している人物です。長州閥の最後山田顕義は、このメンバーの中では、最も知名度が低い人物かも知れません。49歳の若さで亡くなったことも影響しているのですが、彼こそ日本の司法制度の基礎を築いた人物で、法曹界で彼の名を知らないと、もぐりと間違えられると言われるほどの人物です。司法制度と裁判制度の骨格を整え、また日本大学と國學院大學の創立者として知られる人物です。藩閥内閣ではあっても、キラ星の如く実力者を配した内閣でした。まさに「坂の上の雲」を目指した若者達が、競い合い、協力し合って、日本の将来のために汗を流した時代だったのですね。
2009.12.22
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クロニクル 伊籐博文初代首相となる1885(明治18)年12月22日124年前になります。この日内閣制度が発足して、伊藤博文が初代総理大臣に就任することが決まり、同日伊藤が組閣を完了して、第一次伊藤内閣がスタートしました。外務大臣井上馨、大蔵大臣松方正義、内務大臣山県有朋、陸軍大臣大山巌、海軍大臣西郷従道、文部大臣森有礼、司法大臣山田顕義と長州から4人、薩摩から4人と、薩長出身者を仲良く4人づつ配した、完全な藩閥内閣でした。他に土佐藩出身の谷干城が農商務大臣、幕臣だった榎本武暢が逓信大臣となっていました。それだけにバランスが取れていましたので、この内閣は1888(明治21)年4月30日まで、2年4ヶ月と、この時期にしては長続きした内閣でした。
2009.12.22
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政治を斬る(28)イラン軍がイラクの油田の1ヵ所を占拠したという報道が流れています。沖縄と安保を綴っている最中ですが、ちょっとこちらへ寄り道です。この事件、事実は事実なのですが、真相を考えてみる必要があります。 イラン軍が占拠したのは、国境から300メートル程度の近さにあるファッカ油田、7本ある油井の1本です。イラン軍はイラン軍ですが、総勢は僅か11名です。これが本格的な抗争の始まりと考えると、間違えてしまいます。私たちには、フセイン時代のイラン・イラク戦争の記憶がありますので。つい大事に考えてしまう傾向がありますが、いまや両国は対イスラエル、並びに反米で共通点が多く、イランとイスラエルの緊張が高まっている状況で、イラン側が本格的にイラクと事を構えることがあるとは、とても考えられません。そして、占拠した油井は今は使われていないものです。ここからは、両国で対立抗争を演出して、原油価格の値上がりを誘導しようとしているのではないかという推測が成り立ちます。今日は、イラクのマリキ首相が、断乎としてイラン軍の撤退を要求したと報じられています。僅か11名に「断乎として」もないものだと、吹き出してしまいましたが、事態は、原油価格の値上がりを伴って収束するでしょう。私はこんな風に見ています。
2009.12.21
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世界経済の現状 (90)昨晩、この連載の(89)の末尾に、次のように書きました。>資金難に悩むドバイ系列の投資会社が競売で売り払ったニューヨークのホテルの経営権は、 購入した3年前の価格を96%も下回ったというのです。約半値で撤退したことになりま す。<と。ドバイ危機が、米国の商業用不動産にどういう影響を及ぼすのかがここから見えてきます。詳細が見えてきましたので。昨晩の記述の訂正を含めて記させて戴きます。このホテルというのは、マンハッタンの中央部にあるユニオン・スクエアーのWホテルです。ご存知の方もあるかと思いますが、私などはとても寄り付けない高級ホテルです。このホテルをドバイ・ワールドの投資部門が2006年に2億8200万ドルで買収しました。資金繰りに詰まって、ご存知のような状況になったドバイ・ワールドは、形振り構わずこのホテルを売りに出し、競売にかけました。条件は、残っている9700万ドルの負債を引き継ぐことでした。そしてこのWホテルは200万ドルで落札されました。引き継いだ負債と併せて1億ドルにちょっと届かない9900万ドルが、正味の売却価格です。マンハッタンの中心部、ユニオン・スクエアーで、不動産価格は2006年比で3分の1近くに下がっているのです。最も値下がりが緩やかというか、買い手がつきやすい地区でこの有様というわけです。ダ・ヴィンチの売却した東京駅八重洲北口のビルの値下がりと比べてみてください。如何に米国の商業用不動産が、不良債権の巣窟であるかが理解できると思います。しかもこれらの不動産は、証券化の本場でのことですから、当然ほとんど全てがCMBS(商業用不動産担保証券)として証券化され、何十倍ものレバレッジが賭けられています。来年どうなるのでしょうね。要するに、米国の商業用不動産の暴落が、ドバイショックが引き金になって、マンハッタンから始まる可能性を、考えておく必要がありそうです。 続く
2009.12.21
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クロニクル 年末ジャンボ初発売1976(昭和51)年12月21日33年前になるのですね。この日年末ジャンボ宝くじが、はじめて発売されました。オイルショック後の世界不況から、まだ回復できていない時期だったこともあって、人気が沸騰し、各地で宝くじ売り場に大勢の購入希望者が殺到、福岡と松本で死者が出る大騒ぎとなりました。これにこりて、翌年からしばらくの間は、官製の往復はがきでの予約申し込みが必要となりました。
2009.12.21
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世界経済の現状 (89)米国のその後はどうでしょうか。FRBが実質的なゼロ金利政策に踏み込んで、1年が経ちましたが、金利が確実に低下したのは、銀行が資金をやり取りすFF金利(フェデラルファンド金利くらいで、民間企業や個人は、、その恩恵に浴すことが出来ないでいるのが実態です。サウスカロライナ州で自営業者は、運転資金の借り入れに使う法人向けカードの金利が2度引き上げられ、何と27,5%も払わされているというのです。これは日本ではサラ金業界が返還を迫られている、いわゆるグレーゾーン金利に当たる高率です。この事実は19日の日経朝刊のニューヨーク特派員の記事として記されています。カードばかりか、様々な個人向けローンの金利の下げは小幅に留まり、1部では利率を引き上げられている個人も出ています。こんな調子ですから、プライムローンと呼ばれる優良で高額の住宅ローン金利も下げ渋っており、低利のローンへ借り換えが出来た幸運なケースは、少数に留まっているのが現実です。FRBが市場に提供する通貨量を表すマネタリーベースは、昨年12月に比べ25%増えています。形振り構わぬ量的緩和によって資金の供給量を増やし続けてきた結果です。しかし、勇姿などによって金融機関が提供する通貨量を示すマネーストックは、同じ期間で3%しか増えていません。この現象は、バブル崩壊後の日本とそっくりです。バブル崩壊で傷ついた銀行が、その弱まった信用仲介機能を回復できずにいるからです。実際に米国銀行の貸出残高は、超金融緩和にも関わらず、この1年間で5300億ドルも減少しているのです。当然不動産価格の下落は、いまだに止まる気配を見せません。この連載の(86)で触れたドバイ危機に関連しての話ですが、資金難に悩むドバイ系列の投資会社が競売で売り払ったニューヨークのホテルの経営権は、購入した3年前の価格を96%も下回ったというのです。約半値で撤退したことになります。こうしたケースは、いくつも出てきています。 続く
2009.12.20
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クロニクル 年賀郵便始まる1899(明治32)年12月20日皆さんは、もう今年の年賀状をお書きになりましたか。私は準備だけして、宛名書きは大晦日の深夜から始めます。なぜこんなことを書いたかというと、今日が年賀郵便のシステムが作られて110周年の記念日だからです。年賀郵便の特別配達の取り扱いを今の郵便局、当時の東京郵便電信局が始めたのが、実は今日だったのです。ただし、限られた指定局に持ち込む必要がありましたが。全ての郵便局に持ち込むことが出来るようになったのは、日露戦争が終る1905(明治38)年のことでした。ただし、まだポストに投函することは、認められていません。この間、受け付けてもらえる葉書の枚数制限もありました。制限が外され、ポストへの投函もOKとなったのは、さらに2年後の1907(明治40)年のことでした。ちなみに、年賀状の受付が15日に変わったのは、1900年でした。年賀郵便制度が始まった翌年でした。ところで、お年玉つきの年賀葉書はいつからだと思います?これ実は戦後なのですね。それまでは官製葉書や私製葉書を使っていたのですが、1949(昭和24)年から年賀葉書が、お年玉付きで発売されるようになったのです。こちらは丁度60歳の還暦というわけですね。私の小学校入学の年でした。
2009.12.20
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世界経済の現状 (89)ファンドを組成して不動産を購入。そこそこの利回りを確保して、次のファンドを組成。信用の付いた所で低利の銀行借り入れも行なって、より大型の物件を手がける。サブプライム危機が大きくなるまで、こうした不動産ファンドのビジネスモデルがもてはやされました。しかし、米国の住宅バブルがはじけた結果、90年代のバブル崩壊で、特に不動産で痛い目を見た日本でも、一挙に不動産投資は冷え込み、ファンドに投じられていた資金も一斉に引き上げました。資金繰りが苦しいファンドや土地を抱えたマンション業者やゼネコンが、所有不動産を一斉に売りに出したので、価格は暴落しました。その結果、不動産ファンドやマンション業者などなどが、次々に倒産したのはご存知の通りです。そして今週初め、かねて売れずに困っていたダ・ヴィンチ・ホールディングが2千億円で買い取った東京駅八重洲北口に隣接した大型商業ビルが、ようやく商談がまとまり1千4百億円で、売却となりました。秋の初めには1千億円程度にダンピングしないと、売れないのではないかと噂されたのですが、600億円の損失で済んだようです。それにしても、このビル、一時は3千億円超の値段が付いたというのですから、高値からすると、半分以下です。日本でもこうなのですから、震源地のアメリカはもっと大変です。ドバイがあんなことになるのも、むべなるかなといえましょう。 続く
2009.12.19
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クロニクル 小学校6年制へ1906(明治39)年12月19日1873(明治6)年に学制が発布された時、義務教育とされたのは、4年制の小学校でした。その当時5年制だった中学校や女学校に進学するためには、義務教育を終えた後に、さらに2年間の高等科、高等小学校へ進む必要があったのです。明治30年代に入ると、高等小学校に進む児童が増えてきたこともあり、また日露戦争の勝利による教育熱の高まりを受ける形で、103年前の今日、政府は小学校を4年制から6年制に改め、義務教育年限を6年間に延長することを決定、翌1907(明治40)年から、ただちに実施する旨を布告しました。
2009.12.19
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政治を斬る(27)沖縄密約に始まった、日本による米軍経費の肩代わりは、その後駐留米軍に勤務する日本人職員の人件費負担へと進み、さらに全ての経費の一部を負担する「思いやり予算」の名で定着します。その費用は年々増え、例えば横須賀や佐世保を半ば母港化している第七艦隊所属兵士の住宅建設や維持費の負担、駐留兵士の子女の通うアメリカン・スクールの建設や維持費にまで及んでいます。湾岸戦争の戦費90億ドルの負担なども、こうした経費の一部と考えることも出来そうです。常識的に考えて、冷戦は終っているのですから、冷戦の産物である日米安保の再定義や見直しは、行なわれて然るべきものです。なぜ、今日まで放置されたのでしょうか。冷戦時代、第七艦隊は台湾海峡に展開していました。そして米軍は、韓国、日本(含む沖縄)、フィリピンに駐留し、ソ連と中国に睨みを利かせていました。そのフィリピンからは1991年のピナトゥボ火山の大噴火で、1部の米軍基地が大被害を受けたことをきっかけに、全面的な撤退が決まり、グアムや米本土に再配置されました。米軍の撤退を渋っていた韓国からも、2012年からの撤退を説得し、決定を見ました。冷戦終結の当然の帰結です。なのになぜ日本には残っているのでしょうか。外国駐留には、それだけの費用がかかります。国内駐留よりも経費は余計にかかります。その上、内地に展開すれば、基地従業員の雇用であるとか、基地周辺のサーヴィス産業などへの波及効果であるとか、それなりの国内産業に対する波及効果が期待できますが、それもありません。財政が潤沢であれば、その心配もないのですが、財政状況の改善を図る必要のある米国にとって、財政負担の重い外国駐留は、冷戦状況が終結した以上、早期に撤収させたいのが本音です。この状況に転換をもたらしたのが、日本政府による駐留経費の負担でした。その負担は、国内に駐屯しても必要となる経費の一部にまで及んでいましたから、これは米軍は勿論、米政府にとっても渡りに船でした。 続く
2009.12.18
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世界経済の現状 (88)ドバイショック、やはりあちことに波及してきたようです。1ヶ所綻びると、くさいものにしたはずの蓋が、次々に暴かれだしています。ドバイについては、アブダビなどUAEを構成する首長国の中央銀行が、救済に乗り出しました。当初は救済するつもりのなかったドバイの債務ですが、欧州中心に影響の及ぶ範囲が大きく、放置するとUAE中央銀行、並びにアブダビ等の首長国の信用にも飛び火しそうなことが、明らかになってきたため、慌てて方針を替えたのでしょう。サウジやクウェートも一緒にUAEの説得に動いたようです。しかし、世界金融の現状は、弱い環をいくつも抱えています。ですからドバイショックの発生後、次はどこかと、危ない債務国のあぶり出しゲームが始まってしまいました。格付け機関が競うように、各国債の格付け引き下げ競争を始めたのがそれです。ギリシア、スペイン、イタリアの南欧諸国の引き下げで、ドルに対して強かったユーロが値下がりを始めました。そしてこれら南欧3国以上に危ないとされるのが、バルト3国の一つラトビアです。バルト海に面した景勝の地が多く、ドバイ同様リゾート地として脚光を浴び、不動産バブルに踊って行き詰まった点など、まさにドバイとそっくりです。そしてポーランドなど、旧ソ連圏の国々の行き詰まりも深刻です。次の火種は、本命のヨーロッパになる可能性は、かなり高いです。そして、欧州に飛び火した場合、いよいよ本命のイギリスの債務に火が付くでしょう。ムーディーズやS&Pと言った格付け機関は、何と言っても米国の機関です。ですから米国と欧州に関する格付けは、非常に甘く、日本やアジアなどに関する格付けは必要以上に厳しいという、極めて政治的な格付けをします。今春、両社は唐突に日本か国債の格付けを引き上げました。当時日本国債に引き上げに相応しい好材料など、何も出ていませんでした。状態の極めて悪い英国債の引き下げを避けるために、英国債よりも内容のしっかりしている日本国債を、英国債より下位においておくことが出来なくなったからでした。こうした小細工を随所に施して、英国の危ない状況を、なるべく目立たないようにしているのです。しかしスコットランド国立銀行(RBOS)など、大手銀行のほとんどが国家管理下に置かれたままの英国の綱渡りはまだまだ続いています。来年にかけて、波乱の目はまだまだ残っているようです。 続く
2009.12.18
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クロニクル 日本と韓国国交を回復 1965(昭和40)年12月18日44年目前の事です。この日、日本と韓国との間に日韓基本条約が結ばれ、日本と韓国との間に、国交が結ばれました。ここに両国の経済は結びつきを強め、やがて韓国経済は飛躍の時を迎えるに至ります。岩波書店の『漱石全集』は、活版印刷の活版を韓国で組み、日本に空輸して校正、印刷にあたった第1号として、知られています。
2009.12.18
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政治を斬る(26)日本の敗戦後、駐留軍は水光熱費や基地の地代等を支払いませんでしたが、これは占領軍という性格によるものでした。むしろ占領下では、駐留経費の支払いを求められなかったのですから、この方が有り難かったと考えるべきでしょう。サンフランシスコ講和後の駐留米軍は、占領軍ではありませんから、水光熱費を取らなかったのは日本側が負担したわけです。基地として米軍が借り上げた土地の地代は、支払われています。日米安保体制で、日本に駐留する米軍の経費の一部を、日本が本格的に負担するようになったのは、1971年の沖縄返還協定に付随する密約によってです。この密約の存在は毎日新聞の西山太吉記者(当時)のスクープによって表面化したのですが、残念なことに、西山記者が外務省職員から入手した情報を、取材源を秘匿せずに爆弾質問で知られた社会党の楢崎弥之助、横路孝弘(後北海道知事を経て現在衆院議長)の2氏に提供、窮地に立った政府と外務省が検察を抱きこんで、事件を男女関係に基づく国家機密の漏洩に矮小化することに成功した西山事件の方が、有名になってしまいました。そのため、国民の知る権利は見事に封殺され、長い間真相は闇に隠されたのですが、2000年に米国政府が、米国法に則って密約を含む、沖縄返還に絡む交渉過程を公開したため、沖縄返還に伴い地主に返還する土地の原状回復費用400万ドルの支出について、日本側が負担することで、交渉をまとめたこと、その外にも1億8千7百万ドルを支払った事などが明らかになりました。自民党政府はそれでも否定を繰り返したのですが、国会の場で堂々と政府と外務官僚がウソの証言を繰り返していたことは、民主党政権下で明らかになったのは、ご存知の通りです。その後は、思いやり予算という名目で、在日米軍の駐留経費を日本が肩代わりすることが続けられ、その経費も雪だるま式に膨らんで今日に来ていることもまた、ご存知の通りです。実は米軍が冷戦終了後、必要でなくなっている日本駐留を続けていることと、日本による駐留経費の負担は、密接な関係があるように私は見ています。普天間、辺野古問題もこの点に絡んでいるように思うのです。 続く
2009.12.17
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デパートの誕生 番外編 ユニクロ(最終回) 昨今の経済誌やTV、新聞などの議論を見聞きすると、インフレは善でデフレは悪という議論が市民権を得ているようです。勿論ハイパーインフレは悪として、識者がしたり顔に推奨しているのは、年率2%程度の緩やかなインフレということのようです。この議論は、企業経営者の議論とすれば、全くその通りでしょう。利益を伸ばす上では物価があがることで利益を伸ばし、社員の給料を上げ、それに気を良くした社員が消費を増やすことで、景気が良くなり、さらに売り上げと利益が伸びる。企業の立場ではこうなります。経済が右肩上がりで伸びているならば、この考え方で問題はありません。GDPに占める比率は、企業の設備投資と国内生活者の消費が車の両輪なのですから。しかし、企業が社員の賃金を抑え、雇用も増やすどころか減らしているとしたら、物価の上昇は余計に消費を収縮させてしまいます。同時に設備投資も前年比ではマイナスとなってきます。こうした現在のような状態では、私はそれこそ急激なデフレはマイナスですが、緩やかなデフレは望ましい状態であると考えています。これは、ある意味現状では必然の動きであると考えるからです。考えてみてください。利益の拡大を目指す企業は、常に新市場の開拓を目指します。それゆえ資本主義経済にとっては、世界の市場化、資本主義のグローバル展開は、まさに必然でした。ソ連とソ連圏の社会主義が崩壊し、中国が社会主義市場経済を目指したことで、資本主義は念願の世界市場を始めて手に入れたのです。グローバル資本主義の展開を喜んだのは、ほんの束の間でした。資本は賃金の安い途上国への工場展開を加速したからです。経済先進国の企業が生き残るためには、途上国への工場展開と賃金総枠の引き下げを図るしか、途はないのです。当然賃金生活者が、消費に回せる金額は少なくなります。そうなると給料が右肩上がりだった時代とは違って、一つ一つの商品に対する品定めは厳しくなります。あたり前のこととして、高い利益率を誇っていた商品は、売れなくなります。当然物価は下がることになります。低価格でも利益を出せる商品をどう開発するか。経済先進国の企業は、ここに生き残りを賭けざるをえません。それが自由競争経済の原則です。元来資本主義とはこうしたものです。「給料が下がっても、同じように物価も下がっているから何とかなるんだ」こうした雰囲気が広がった時に、景気という気分で判断される要素を持つ経済に、はじめて明るさが生まれます。「ユニクロ栄えて国滅びる」ではなく、ユニクロや同種の企業努力を続ける企業に習って、安くても利益の出るように、全ての企業が体質転換を進めない限り、G7と言われる国々の経済は、ジリ貧に陥るしかないでしょう。ユニクロに学ぶ以外に、経済再生の道はない。今の物価低落の傾向を是認し、そこに見合った経済システムに順応することが、今求められていると、私は考えます。一つ問題なのは、ニートやフリーターの多くは、甘やかされて育ったがために、きつい労働が出来ません。基本は親御さんの子育ての失敗にあるのですが、彼ら彼女らは、財産を持たない人間は、自分の労働力を切り売りしない限り、生きていけない現実を直視する必要があります。一方で失業者が目立っても、他方で人手不足で仕事を縮小せざるをえない職場も目立ちます。このミスマッチは、縦割り行政の弊害による面も大きいようですが、仕事を紹介されても、きつい仕事はいやだと断ったり、すぐやめてしまう側にも問題があります。これはどうしたら良いのでしょうね。
2009.12.17
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クロニクル 女性の参政権確定1945(昭和20)年12月17日わが国で、女性が投票権を行使した最初の選挙は、1946(昭和21)年4月10日に実施された衆議院議員選挙でした。そして、男性と同じく20歳以上の女性に選挙権を認め、25歳以上の女性に被選挙権を認める改正衆議院選挙法が、この日成立を見たのです。そういう意味で64年前の今日は、女性の人権獲得過程における、重要な一里塚だと言えましょう。条件付ながら女性に参政権を付与する法律案は、昭和6(1931)年にも国会に提出されています。この時衆議院を通過するところまで行ったのですが、貴族院の強い反対で廃案となり、日の目を見ることは出来ませんでした。
2009.12.17
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政治を斬る(25)話を元に戻します。日米安保、特に60年に改訂スタートした安保は、東アジア地域における相互防衛を約した軍事同盟でした。それゆえ、東アジアにおける脅威が消滅すれば存在意義は失われます。スタート当時に意識されていた脅威は、台湾有事と朝鮮半島の有事の二つでした。このうち台湾有事は72年1月の歴史的なニクソン訪中によって、米中の相互理解が進むことによって薄められ、その後の中・台の経済関係の強化によって、今や完全に有名無実となりました。もはや台湾問題は、国際問題としては存在しないと言えましょう。朝鮮問題はどうか。このは米ソ冷戦のアジアにおける縮図でした。それゆえソ連の崩壊で様相を変えました。38度線の北に、最も積極的に関与しているのは、ロシアではなく中国です。その中国は、米国と極めて親密な関係を築いています。1兆ドルに達する日本の米国債保有の倍近い米国債を中国は保有しています。そして米国が元切り上げを声高に要求しない限り、中国は米国債の保有高を減じないという、暗黙の了解を交わしています。こうした米中の親密な関係の下で、通称「北朝鮮」は何の脅威にもなりえません。中国の支援が止まることは、「北朝鮮」にとって死活問題だからです。ですから、米国は渋る韓国政府を説得して、2012年中に在韓米軍を撤収するプランをまとめているのです。在韓米軍が撤収するのに、朝鮮有事に備えて米軍が日本に駐留する必要って、どこにあるのでしょう。何もないですよね。財政難に悩む米政府の撤収計画を知った自民党政府と外務・防衛両省は、大いに慌てました。日米安保体制に安住し、対米追随を旨としてきた、彼らにとっての居心地の良い体制が、米国の都合で失われようというのですから…。それゆえ彼らはマスコミを巻き込んで中国を敵視し、中国の脅威を殊更に喧伝し、さらには「北朝鮮」の脅威を口々に宣伝し始めたのです。小泉首相が自らの信念だと、分かったようで意味不明のセリフを吐きながら、「靖国神社」を訪問し続けた理由も、意図的に日中韓の関係を拗らせることで、米軍の駐留しないリスクを、国民に宣伝しようとしたと考えると、理解が可能です。あの中曽根元首相ですら、1回の靖国訪問が日中、日韓の関係を大きく損なうことを理解してからは、在任中の靖国訪問をピタリと止めていました。心情的に台湾擁護派に属した中曽根氏がです。親米であっても、台湾擁護派と無縁の小泉氏が中国との関係改善を放り出して、靖国詣でを続けた理由は、意図的にアジアの緊張を作り出して、日米安保体制と米軍の駐留を担保するためだったのです。そしてブッシュ政権は、国際的に不人気なイラク戦争に積極的に協力し、違憲の疑いを侵してまで、自衛隊のイラク派遣を実現してくれた小泉政権に借りを返す必要から、小泉時代の日中関係の冷え込みを、ある程度黙認するしかなかったのでしょう。その点は小泉内閣よりも遥かにタカ派色の濃い、親台湾派の安倍首相に対しては、日中関係の改善を強く迫ったことから、明らかになります。安倍内閣も安保堅持と対米従属の継続を旨としましたが、訪中して日中関係改善の道筋をつけない限り訪米を認めないという、ブッシュ政権の強い姿勢には、あがらいようがなかったのです。 続く
2009.12.16
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デパートの誕生 番外編 ユニクロ(第4回) 経済学のイロハですが、「商品」には「価値」と「使用価値」の2つの要素が含まれており、この2つの要素が評価されて、はじめて交換が成り立ちます。これは高校で「政治・経済」の経済の部分を担当する先生がしっかりしていれば、履修した方は学んでいるはずのことです。我々は、この価値の部分は、お値段で評価します。そして使用価値とは、この商品は使って役に立ちそうだという判断です。今話題にしている衣類を例に取りますと、色も柄もデザインも値段も気に入ったとしても、Lサイズの方にとって、SサイズやMサイズの服は役に立ちません。またサイズは程よくても、どう見ても似合わないと思うデザインの服もまた、使用価値があるとは思われません。普通の庶民は、値段を気にしながら、自分にとって使い勝手の良い、気に入った衣服を選んで購入しています。そして、ユニクロら良質の商品を廉価で提供してくれるお店が登場し、普及するまでは、デパートや小売店でのバーゲンを睨みながらも、高値の商品を購入していました。アパレル業界やデパートは、第2回に指摘したように、まさに暴利と言って良いような高い利益率を誇っていたのです。そして、デパートやアパレル業界が消費者に仕掛けたカラクリは、良質の商品を安く提供するユニクロなどの登場によって、広く消費者の察知するところとなりました。同程度の質なら、或いはこの質なら満足できると思えるのであれば、廉価な品が選ばれるのは当然です。これは家電業界などで、今まさに薄型テレビの価格がかなりの勢いで値下がりしているのと同じ理屈です。薄型テレビの値下がりは、大量生産で原価の逓減法則が働き、その分値下げしても利益が出るからです。競争が超過利潤を享受する期間を短くしているのです。ユニクロらのライバルと競争する立場になった、アパレル業界やデパートの置かれた状態は、家電メーカーが白物家電の生産に舵を切って以来、ずっとおかれてきた状態に、ようやく追いやられたということに過ぎません。暴利をむさぼることを拒否して、企業努力で売れ筋新商品の開発を進め、薄利多売方式で利益を積み重ねようという、資本主義社会では全うな戦略をとる企業が、ようやく糸偏業界にも誕生した。これがユニクロの持つ意味でした。カラクリがばれてしまったデパートやアパレルのビジネスモデルは、もはや通用しません。そしてユニクロは、日本で培ったビジネスモデルを引っさげ、世界市場に討って出ました。今のところ、各地で好評を博していると聞こえてきています。糸偏業界もデパートも変わるべき時に来ているのです。もし変われないならば、斜陽産業として消えてゆかざるを得ないでしょう。やがて20世紀は「デパートの世紀」だったと回顧されるようになるのでしょうか。
2009.12.16
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クロニクル バングラデシュ誕生1971(昭和46)年12月16日今日で、誕生から38年というわけですね。私の学生時代の世界地図にはバングラデシュという国はなく、インドの東西に別れて、東パキスタンと西パキスタンと呼ばれた2ヶ所のパキスタンがありました。しかし、やがて東西の折り合いの悪さが目立つようになり、この年71年には完全分離による独立を求める東パキスタンと、そうはさせまいとする西パキスタンの争いが勃発、東パキスタンはバングラデシュ独立戦争を起こしたのです。ここにパキスタンの弱体化を望むインドが介入し、12月3日に第三次印パ戦争が勃発したのです。この戦争はインド優勢のうちに進み、この日西パキスタンが東の独立を認めたことで、戦争は終結を見ました。そして、この日の内にバングラデシュは独立国として、誕生することになったのです。しかし、ガンジス川の流れに沿うバングラデシュは、なおアジア並びに世界の最貧国の一つとして、苦しんでいる状態にあります。
2009.12.16
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政治を斬る(24)中国の次世代リーダーの1人、習近平国家副主席と天皇との面会を巡って、外野がかまびすしくなっています。日米安保との問題にも絡みますので、今日はこちらの問題を…。この問題、宮内庁長官が喚いたことにマスコミが反応して、火が着きました。面白いことに気付いたのですが、賛否を巡って発言しているのは、政治家とマスコミばかりで財界人は、口を拭っています。マスコミや野党の政治家は、天皇の政治利用だと言っていますが、習氏と天皇が会うことで、ある政治問題に何か動きが出るようなことはありませんから、これは正直的外れな議論のように思えます。それではなぜ鳩山内閣は批判が出るであろうことを承知しながら、習氏と天皇の面会をセットしたのでしょうか。ここに、財界人のダンマリを加えて考えてみると真相が見えてきます。鳩山内閣は天皇カードを政治利用しようとしたのではなく、まさに経済利用したのです。鳩山内閣にとって、非常に好都合なことに、習氏の来日中のまさにさの最中に、日本国内では鳩山内閣の判断にかなりの批判が出ています。これは中国にとってどう映るか考えてみてください。次世代のリーダー候補である習氏に、天皇と面会させることで、リーダーとして箔をつけたいと考えた中国側の働きかけのあったことは、間違いのないところです。ですから習氏や中国指導部にとって、日本国内の現在の状況は、鳩山内閣がリスクをおかしてまで、中国政府の頼みを聞いてくれたと映ります。ですから中国政府の意識においては、日本政府に大きな借りを作ったことになるのです。当然このことは、近く返礼をしなければならないとの意識に繋がります。となると、返礼は政治的リスクは犯さずとも済む、経済関係でとなるであろうことは、想像がつきます。中国進出で欧米勢に遅れて焦りの色を深めている大企業は、数多くあります。まさに鳩山内閣のおかげで、財界には中国との取引を拡大するチャンスが与えられたのです。中国を中心としたアジア諸国へ進出できるか否かは、今や大企業にとっても、生き残りを賭けた死活問題でしたから、財界は固唾を呑みながら、鳩山内閣の姿勢がぶれないことを願っていた。私はこう考えています。天皇の政治利用云々に関して言えば、天皇家を皇居の奥深くに隠し、健康問題を口実にして、自分たちの管理下に置き、そうすることで事大主義的な権威を振りかざし続けてきた宮内庁こそが、最も天皇を政治的に利用してきた「犯人」であると、私は断じます。議論が大きく分かれているような問題については、慎重であるべきでしょうが、言論の自由や行動の自由は、もっと皇室のメンバーにも適用されて良いだろうと、私は考えます。駕籠の鳥として行動と言論の自由を奪われている現実は、憲法の精神に合致しているとは言えません。そしてそのことをおためごかしでオブラートにくるんで、マスコミの眼を誤魔化し、自分たちを権威付けてえばりかえっている輩が、のさばっているのです。象徴天皇には、象徴の範囲でもっと活躍願って良いし、どうでも良いただ顔を見せるだけの「公務」などは、ジャンジャンカットして、「内閣の助言と責任」という文言の通り、予定の管理は宮内庁ではなく、侍従と内閣官房の相談で決するので十分でしょう。1ヶ月前に決めた予定など、より重要な事態の前では、何の意味も持たないのは、我々も天皇も同じです。どうも、日本のマスコミには、呆れさせられることが多いですね。
2009.12.15
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デパートの誕生 番外編 ユニクロ(第3回)ブロ友のリンダ夫人がコメントに書いてくれましたが、今月発売の『文芸春秋』新年号に、「ユニクロ栄えて国滅びる」という特集記事が載りました。特集の意図は、このタイトルから明瞭に読み取れます。文春の編集部はどうやらユニクロをデフレの元凶と決め付けたかったようですね。編集部員に、ユニクロや創業者の柳井氏に対して、個人的な恨みがあったとは思えないのですが、ユニクロに商機を奪われている老舗のアパレルメーカーや、デパート業界などからの働きかけはあったかもしれません。私のユニクロ認識は、文春の記事とは大きく違います。ユニクロをデフレの元凶とする立場は、アパレル業界やデパートにはびこっている旧態依然とした商慣習を是認する立場にほかならないからです。少なくて30%、一般的には50%となるような(ブランド力の強い商品ならさらに大きいでしょう)粗利益を誇るボロイ商売を是認するとは、天下の文春も落ちたものです。ユニクロは安売り店ではありません。創業当初には一時安売り店のイメージを持たれたこともありましたが、フリースが大ヒットした時期から、ユニクロのイメージは大きく変わりました。良質の品を安く売る良心的な店、しかも品揃えの豊富な店と。そうなんです。ユニクロの特徴は、高率のマージンを追わずに、製造原価を抑えながらも高品質を維持し、同時に利益率も低めに設定することで、安さを追及することで大量販売を追及することにあります。このモデルは、ボン・マルシェでプシコー夫妻が追求したモデルと、実に良く似ています。アパレル業界やデパートが取りすぎているマージンを抑え、製品の開発や製作に資金を投じ、ヒートテックのような良質の製品を次々に市場に投入していく。品質の伴った付加価値の高い商品が、お買い得の値段で提供されているからこそ、ユニクロの店舗には来客が絶えないのです。暴利をむさぼるアパレル業界の無駄の多い一発体質や、旧態依然としたビジネスモデルに固執するデパート業界の、消費者無視の姿勢に対して異議申し立てを行い、糸偏業界の革命を遂行中なのが、ユニクロを中心とする新しい勢力です。確かに製品の製造を中国に委託しているのは事実です。しかし、それをもってデフレの元凶というのは、間違いも良いところです。製品の売れ行きが落ちると同時に、企業努力もせずに、会社の財産である人員の削減に取り組む、自己保身中心の経営者こそが、現在の経済不振の元凶です。文春には、大いに反省してもらいたいところですし、執筆に加わっている名の知られた経済評論家の皆さんにも、しっかりして欲しいところです。 続く
2009.12.15
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クロニクル 第1回レコード大賞発表1959(昭和34)年12月15日「黒い花びら 静かに散った あの人は帰らぬ 遠い夢……」、悪童の雰囲気を漂わせた水原弘が、独特の野太い声で歌った『黒い花びら』は、確かにこの年を代表するヒットナンバーでした。レコード大賞、通称レコ大は、丁度50年前に始まった流行歌の音楽賞でした。スタートしたこの年は、誰もレコ大の存在を知らず、受賞曲の発表を知った時に、あちこちで「レコ大って何?」という囁きが聞こえたものでした。レコード大賞の主催団体は、社団法人日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会で、TBSが後援する形で、過去50年続いてきました。ただし、第1回から第10回までは、審査発表と授賞式は別々になされていましたので、この日即ち15日は、受賞曲、受賞者が公表された日です。第1回の授賞式は、12月27日に行なわれました。
2009.12.15
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政治を斬る(23)さて、東欧革命とソ連邦の崩壊そしてドイツの統一と続いた、89年から91年にかけての激動の中で、冷戦は完全に終結しました。そしてまた、米中関係も劇的に変わりました。今やロシアも中国も、米国にとっての敵ではありません。中国に至っては、米国債の最大の保有国となっており、今や米国にとっては、そのご機嫌を損じるわけにいかない、大変重要な国になっています。ロシアもまた宇宙開発における戦略的パートナーであり、今後数年は米国の宇宙関連の打ち上げ事業は、ロシアの衛星を使って行なわれることになっているのですから、まさに仲間内の関係になっています。もはや米国にとって、東アジアには仮想敵国はない状態にあります。米国は朝鮮民主主義人民共和国(通称「北朝鮮」)もまた仮想敵国とはしていません。その証拠に韓国に駐留していた米軍は、その全軍が撤退するスケジュールで動いているのです。ですから米国にとって、今や日米安保の必要性は失われているのです。安保にしがみついているのは実は日本政府であって、米国政府ではないのです。この認識をきっちりしないと、現在の沖縄、とりわけ普天間騒動は正しく理解できないと、私は見ています。外務省と外務省の言うことを鵜呑みにするマスコミの国際部記者の発する、眉唾情報に騙されてはなりません。明日はその辺を論じようと思います。 続く
2009.12.14
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デパートの誕生 番外編 ユニクロ(第2回)繊維業界は、その川上の紡績・生糸業界から、川下のアパレル業界までを含めて、糸偏業界と称することが多いようです。この業界、とりわけアパレル業界は知る人ぞ知るで、とりわけ利益率の高い業界なのです。私が大学を卒業する60年代の中頃は、そうした糸偏業界がまだまだ元気な頃でしたから、就職した仲間の中には、日清紡や東レといった川上の紡績業界へ、或いは三陽商会、オンワード樫山、レナウンといったアパレル業界など、糸偏業界を選択した組がかなりの数にのぼりました。こうした友人たちからの耳学問のなかで、強く印象に残っていることの一つが、アパレル業界の祖利益率の高さです。アパレル業界は流行を作ることで高い利益を享受する。しかし、流行は水物なので、上手く流行を作り出せなかったりすると、大きな損が出るというのです。今年はどの色が流行するか。流行が分かってから製造するのでは手遅れです。ですから、仕掛け人の判断で、何色かを大量に確保しておく。そして、流行色を見定めたら、それ以外の色物をいかに他社より早くバーゲンにかけて売り切ってしまうかが勝負だというのですね。そこには企業人というより、相場師に近い姿がありました。その結果どうなるか。勝負に勝った流行の服飾には、投売りした保険用の製品の損失をもカヴァーする高い粗利益が、上乗せされることになる。そういう仕組みでしか成り立たない業界だというのです。するとどうなるか。アパレル業界から商品を仕入れ、売れ筋の商品を扱う小売店もまた、高い利益率を享受する仕組みをとります。とりわけ、デパートのように立場の強い大手小売店は、売れ残りの引取りをメーカーに要求したり、店員の派遣を強要することも出来るのですから、粗利益率はさらに高くなります。現在のデパートを見てください。夕方のデパ地下や物産展、そして特売場を除くと、店内のほとんどは閑古鳥が鳴いています。それでも特に婦人服の売り場は相対的に広い売り場を確保しています。その秘密は、この暴利ともいえる高い利益率にあるわけです。商品によりますが、おそらく平均で3割から5割引きで売っても、トントンないしそれ以上ということなのでしょう。ともかくその他の商品に比べると、アパレル業界の利益率は驚くほど高いのです。ですから、そこにはユニクロ商法が成功する余地があったということなのですね。 続く
2009.12.14
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クロニクル アムンゼン隊南極点到達1911(明治44)年12月14日98年前ですね。南半球では、12月は夏に当たります。その夏場に当たるこの日、ノルウェーのアムンゼン隊は、犬ぞりに乗って、南極点に到達、ノルウェー国旗を打ち立てて、引き上げました。イギリスのスコット隊は、アムンゼン隊に1ヶ月少々遅れて、翌1912年の1月18日に南極点に到達しています。犬ぞりを使わず、馬ぞりや雪上車を使うといった敬装備だったことが、遅れの原因だったようです。
2009.12.14
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