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世界経済の現状(16) ところで、昨今の世界の金融市場の様子を見ますと、各国政府のあの手この手の努力で、凍り付いていた資本の流れが、緩やかながら詰まらずにまわるようになったように見えます。実質的な詐欺を思わせる手法によるものですが、ともかく欧米政府が協力して、形振り構わず金融危難を守るんだというサインを出した。それな安心できる。こういう暗黙の了解が、市場参加者の間に出来たのでしょう。その安心感が、抱え込んでいた現金を、リスク許容度に応じて投資する姿勢に繋がったようです。その結果、商品市況が活況を呈し、ついで中国、インド、ロシア、ブラジルと60年代前半の日本のような経済的離陸期にある株式市場が元気を取り戻しつつあるようです。そして、経済先進国の資本市場も、底値からの戻りを試すような動きを続けています。しかし、この動きが、このまま続くと考えて良いのでしょうか。ここまで記してきたことは、そんなに簡単にはいかないよという、シグナルをいくつも発しているように見えます。私なりに理解できた範囲で、注意しなければならない点を、明日から記したいと考えています。と言うわけで、このシリーズなおしばらく続きます。 続く
2009.05.31
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日本のジャンヌ・ダルク昨日のクロニクルに、ジャンヌ・ダルクの処刑を取り上げました。現在ではジャンヌ・ダルクはフランスにとっての救国の英雄となっています。そうした女性を何人か拾ってみますと、女帝や女王を認めた国では比較的あげやすいように思います。例えば、イギリスでは、当時の小国イングランドを引いてスペインとの海戦に勝利し、海洋国家イギリスの基礎を築いたエリザベス1世がすぐに浮かびます。ロシアでは、シベリアや黒海方面に国土を拡大し、ロシアの大国化を推し進めたエカチェリーナ2世をあげることが出来ます。スペインに移れば、コロンブスに資金を提供して、大西洋の冒険航海のスポンサーになり、中南米支配の先鞭をつけたイサベラ女王を上げることが出来ます。日本ではどうでしょうか。ここで私は頼朝の妻北条政子をあげます。頼朝の死後髪を切って尼となった政子は、承久の変という鎌倉政権の危機に際し、各地の武将に説いて北条幕府の必要性を説き、京都朝廷の反乱を不発に終わらしめた功績は、幕府政治の安定に大いに貢献したことは間違いないように思うからです。
2009.05.31
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クロニクル 川上選手2千本安打1956(昭和31)年5月31日53年前のことです。この日巨人軍の川上哲治選手が、日本のプロ野球人として初めて、2千本安打を達成しました。その後次第に増え、2千本を打つ選手も増えてきましたが、3千本となると大変少なく、張本勲選手とイチロー選手の2人だけです。
2009.05.31
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宗教改革よもやま話 (11)ここで紹介させていただくのは、1521年の春にスイスのチューリヒで出版された、『神の水車』と題した6葉12ページのパンフレットです。この作品は、同年中にアウグスブルグやニュルンベルクなどドイツの諸都市でも翻訳出版されて、南ドイツ各地でも、広く親しまれたらしいことが、分かっています。下の絵は、表紙に描かれた木版画です。その上に、「2人のスイス人農民がこれを作成した」と記されています。表紙の裏に当たる2ページには、「水車は神の恩寵にによって動かされ、全ての製粉職人の中でも、最も高名なロッテルダムのエラスムスによって集められ、忠実なパン職人マルティン・ルターによって焼き上げられ、力強いカルストハンスによって見守られたことが、最も巧みに描かれている。」と記されています。以降11ページまでに、農民達の話や発言が大きな文字の韻文で記されたのです。絵を見ましょう。画面左上に、左手に地球を持った神が光り輝く雲間に立って、地上を見下ろしています。神の恩寵によって枯れていた水の流れが戻り、止まっていた水車が動き出し、製粉の仕事が可能になったことが示されています。製粉職人は頭の光輪でそれと分かるキリストです。キリストは袋から穀物をホッパー(じょうごのような木箱)に入れて、粉に挽いています。袋から出た穀物は小麦ではなく、4つの福音書の著者として、4つの生き物になぞらえて描かれています。当時マタイは人、マルコはライオン、ルカは牡牛、ヨハネは鷲として描かれるのが常でした。ここには、ほかに剣を持つことで象徴されるパウロもまた描かれています。製粉職人の助手として働いているのが、人文主義者の中でも最も高名だったエラスムスです。エラスムスは製粉された粉を吟味しながら、小さなスコップで掬い上げ、粉袋に入れています。粉袋の上には、精霊を示す鳩が羽ばたいています。このエラスムスと背中合わせにルターが袖を捲り上げて、パン粉を捏ねる仕事をしています。桶にルターの名が見えています。出来上がったパンは聖書として描かれ、もう1人の人物がその聖書パンを、画面右側に描かれたローマ教会の代表者たちの渡そうとしています。彼らが受け取るのを拒絶しているため、聖書は空しく地面に落ちています。画面の一番右にいるのは、三重の王冠でそれと分かるローマ教皇です。ほかに枢機卿、大司教らが描かれています。画面の中央、キリストの後ろで短剣を腰に挿し、さおを大きく振り回しているのは、農民(カルストハンス)です。このように、宗教改革の主要登場人物が、このパンフレットには全て登場しています。そして宗教改革の基本理念である。聖書主義も上手にアピールしているのです。 続く
2009.05.30
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世界経済の現状(15) 信用保証協会の融資保証という制度があります。中小企業への銀行や信金などの貸し出しについて、全国の信用保証協会が返済を保証する制度です。この制度を利用すると金融機関は、リスクなしで中小企業に貸し出せます。10余年前の金融危機の際にも、利用され一部には悪用されたケースもあるなど、問題も多かった制度だったのですが、この制度が昨年から復活し、勢いを増しています。昨年10月以降で、この5月前半までに、既にこの制度を利用した融資は10兆円を超えています。政治は金融機関の貸し渋りから中小企業を守るためと称しているのですが、融資が倒産を先延ばしするだけの、単なる延命措置にしかならないケースが紛れこまないようにする、厳しい選別作業が全く行われないという問題が指摘されています。それはそうですよね。信用保証協会とそのバックにある政府が返済を保証してくれるのですから、どんなに倒産寸前の会社でも、貸し出せば確実に利子分は儲かるのです。審査などする必要はないのです。返済確率100%なのですから…。それゆえ、金融機関はどこもみな、保証付きの融資にのめりこみ、保証のない通常の有志は絞り込んだままとなります。先日の日経新聞は、「怪しげな融資の申し込みでも、保証つきなら断らない」という大手銀行幹部の話を掲載していました。これをモラルハザードといわずして何と言うのでしょうか。金融機関は、会社の将来性、存続可能性を審査し、評価して貸し出しを実行するがゆえに、経済界の水先案内人の役割を担ってきたはずです。融資審査の眼力こそが、バンカーにとって最も必要な資質のはずです。それが、政府保証にもたれかかっているのだとしたら、こんな銀行に将来はありません。かつて、時々眺めた『なにわ金融道』という漫画がありましたが、そこには自らの眼力で人を見、その眼力で金を貸す、金融王の姿がありました。「金は担保で貸すんやない。ワイは人に貸すんや。」ここにこそ、金融のあるべき姿が描かれていました。自力でリスクをとろうとしない、銀行の姿勢は、日本の金融道の明らかな衰えを示しており、現在の政府の政策は、そうした傾向をさらに助長しています。このまま進むなら、麻生内閣の経済対策は、結果として日本の財政状況をさらに大きく悪化させて終わるでしょう。早期の政策転換が明らかに求められています。
2009.05.30
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クロニクル ジャンヌ・ダルク刑場に消ゆ1431年5月30日ジャンヌ・ダルクの名はご存知の方が多いと存じます。英仏100年戦争も帰趨をフランス側優位に転換させた功労者、聖処女ジャンヌ・ダルクとして、その名は有名です。ジャンヌは当時のフランス側の領域の東部国境沿いの寒村に、1412年に生まれた農民の娘でした。夢見がちの正確だったのでしょう、13歳のときに突然「神の啓示を受けたので、国王閣下を助けに行くと言い出して、周囲を慌てさせたのですが、結局領主のお墨付きを貰って出立。シャルル7世に謁見して、1軍を委ねられ、1929年17歳の時に、オルレアンの開放に成功。一躍時の人となりました。しかし、その後は次第に戦力を再構築したフランス軍は、神の意志を楯に取るジャンヌを次第に持て余すようになり、30年のコンピエーニュの戦いで負傷して捉えられ、イギリス軍の宗教裁判にかけられ、31年のこの日、19歳にして、異端として処刑されました。13歳の少女が神の啓示を受け、国王を助けるという所に、ジャンヌ神話の特徴があります。ここに、当時のフランス王支配下の地域において。次第に国民意識が芽生え筒あったことが読み取れます。このフランス側における国民意識の覚醒が、100年戦争におけるフランス軍の勝利のポイントでした。
2009.05.30
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世界経済の現状(14) JALのケースは一例に過ぎません。まだつい最近のことですが、日本のバブル崩壊後の金融危機の際に、銀行の不良債権切り離しの一環として、自力再建が難しく、しかし再建の可能性のある企業を、産業再生機構が引き受けて再建を請け負ったことがありました。その産業再生機構は2007年に解散しましたので、今はありません。だからと言って、政府が無原則に経営者や株主の責任も問わず、ただ政策投資銀行を通じて政府が出資するというのは筋が通りません。少なくとも、株主責任を問う形での減資を実施し、経営責任のある役員を退任させた上で、出資する形にすれば、少なくとも資本と経営は変わります。さらに言うと、たとえそうしたとしても、再建は簡単ではないということです。産業再生機構の支援企業として、最大の注目を集めたのは、ご承知の通りダイエーでした。そのダイエーが今どういう状況にあるかも、ご存知の方が多いと思います。債務を削減し、バランスシートを改善した上で、鳴り物入りでイオン傘下に入り、イオンに再建が託されました。しかし、現実は親会社のイオンの経営すら、厳しい状況に追い込まれているのが実情です。銀行が不良資産を切り離した後も、選挙区事情を気にする政治家の圧力が大きかったこともあってか、現在もなお、供給過剰な業種がいくつも残っていました。ゼネコン、大手小売、地方金融機関などなど、いくつも挙げることが出来ます。そうした淘汰不十分の状況の改善を、景気の立ち直りをよいことに怠っている所へ、欧米発の金融危機の直撃を受けたのです。それゆえ、受けたショックは非常に大きく、2008年度決算での減益幅は、欧米よりもはるかに大きな規模に達したのです。少なくとも、金融を除く民間企業への資本注入は、産業再生機構的な公的機関を受け皿として、その見極めを受けることが最低限必要だと、私は考えています。 続く
2009.05.29
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クロニクル 東ローマ(ビザンツ)帝国滅亡1453(享徳2)年5月29日1453年という年では、西では英仏100年戦争の終結した年、そして東地中海では、西ローマ帝国の滅亡後も1千年近くも命脈を保ってきた東ローマ(ビザンツ)帝国が、遂にオスマン帝国の攻撃によって滅亡した年でもあります。連載中の>宗教改革四方山話<で触れさせていただいたグーテンベルクの活版印刷術の登場から、間もない頃の話です。日本では、この翌年の1854年に山城の一向一揆が起きており、室町幕府が次第に混乱期に指しかかろうという時期に当たっています。オスマン帝国の攻勢の前に、守勢一方だった東ローマ帝国は、この時期コンスタンティノープルとその周辺、いくつかの島嶼を有する所まで追い詰められていたのですが、ヴェネツィア海軍の応援と、西欧の支援で細々と生きながらえていたのですが、この年4月オスマン帝国のメフメット4世は、10万人に達する大部隊を動員して、この年3月行動を開始、4月11日には包囲を完了、海陸からの攻撃を開始し、そしてこの日、徹底した大砲の砲撃で傷つけた西側の大城壁の突破に成功し、主力部隊が市中への突入に成功したのです。こうして、1千年を超える栄華を誇った東ローマ(ビザンツ)帝国は、この日滅亡したのです。最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姿は、乱戦の中に見えなくなり、その末路は定かでありません。彼がオスマン側の和平案を容れ、降伏を決意していれば、住民の犠牲ははるかに少なくなっていたことことは確実なだけに、いつの世も施政者の判断の誤りが、住民に多大な犠牲を強いてしまうのですね。
2009.05.29
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宗教改革よもやま話 (10)の補足首引きの話を少し細くします。首引きと言うのは子供の遊びで、日本でも良く知られています。『義経記』の中に、弁慶が幼少の頃の遊びで「首引き」を好んだことが記されています。江戸時代には、大人も楽しむようになったようで、浮世絵の題材にも良く使われました。下に上げたのは歌麿の「寛政二美人のの首引き」と題する作品です。後ろには、これまた美形の芸者が夫々の応援をしていますが、これまたのんびりした様子です。「ルターの首引き猫 」と題した作品と比べ、優雅でゆったりした作品です。口に物も咥えていませんし、四つんばいにもなっていません。西欧での首引きは、どうやら真剣勝負だったようで、口に物を咥えて歯を食いしばったり、四つんばいになって首にかけた紐を、両手を軸にして引き合い、首から紐を外したり、前に倒れた方が負けになりました。顔に血が上り、顔を歪めて頑張る様子が、向かい合って唸り声を上げている猫の姿に似ているとして、「首引き猫」と名付けられたようです。
2009.05.29
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宗教改革よもやま話 (10)宗教改革派が積極的に利用したのが、絵入りのパンフレットでした。文字が読めなくても、絵なら分かります。ましてそれが馴染み深いものであれば、なおさらです。そこになにやら自分達には読めない、文字とかいうものが書いてあるとなると、なんて書いてあるかは気になるものです。絵本に興味を持った幼児に、読んで読んでとせがまれた経験は、大抵の皆さんがお持ちでしょう。宗教改革派は、この読んで読んで効果を狙ったのです。大きな木版画を落ち込みにつけ、本文も絵入りにして、文字数は少なめに抑えた数ページの仕立てのパンフレット(今なら差し詰めリ-フレットでしょうか)が、大量に出回ったのです。そして改革派は、今で言う読み聞かせを各地で推奨して歩いたのです。こんなことが書かれているパンフレットが現存しています。「自分たちで読むことが出来ないなら、貧しい学生に読んでもらいなさい。彼らなら、1食分のパンと引き換えに、あなた達のために喜んで読んでくれるでしょう。」文字の読めない人に、文字でそう説明しているのが微笑ましいというか、笑えるところですが、その点は大目に見ることにしましょう。一時が万事この調子でした。これからそうしたパンフのいくつかを紹介させていただきますが、今日はそのさわりとして、下の絵を紹介させていただきます。この絵は『ルターの首引き猫』と題するパンフレットの表紙の木版画です。画面中央で、口に物を咥え、首にまわした紐を引き合っているのが、ルターとローマ教皇です。ルターはその独特の風貌で、ローマ教皇は、三重の王冠でそれと分かるようになっています。当時教皇は世俗の君主を権威においてしのぐものとされていましたので、二重の王冠の君主の上を行く存在として、三重の王冠を被ることが出来る唯一の存在とされていたのです。この首引きにおいて、教皇の顔は歪み、王冠は頭から落ちそうになっています。どちらが勝利するかは、もはや明らかです。この絵については、もう少し説明したい点があるのですが、それは、もう少し、他の絵の説明をした後のことにしたいと思います。 続く
2009.05.28
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世界経済の現状(13) 「改正産業活力再生法」を根拠とした、政策投資銀行による資金は、どこに提供されるのか。その第1号はJAL=日本航空であり、第2号は日本の国策半導体企業エルピーダメモリであることは、既定事実となっています。JALとエルピーダに対する民間と合わせた資金の提供は、融資ではなく出資の形で行われます。そして融資は日産自動車とパイオニアが申請することが、確実視されています。市場で資金を確保できない企業は、やがて資金を使い切って、退場を余儀なくされるのが、資本主義の掟です。競争に負けたものは、出て行く。それによって供給過剰は是正され、経済は正常化していきます。ところが、競争に敗れた退場すべき企業が、市場に残り活動を続けたのでは、淘汰は一向に進まないこととなります。金融機関の貸し出し機能は、資本主義経済のまさに血液循環を担うものです。それゆえに金融機関の政治による救済は、やむをえないこととして認められます。事業会社には、そうした役割はありません。まして航空業界は、国際的に過当競争に陥っており、世界でかなりの企業が退場していっています。JALが退場したところで、専門職のパイロットやパーサー以上の客室乗務員、そして専門技術のある整備工には、再就職の道はいくらでもあります。いわば、救済の根拠の乏しい企業なのです。全日空や東亜国内に比べて、企業努力が足りないからこそ。ドル箱の国際線を何本も持ちながら、経営危機に陥るという、まさに経営能力の欠如が明らかな企業を救済して、どうしようと言うのでしょうか。国際的経済危機が、JALというどうしようもないダメ企業に、救済のチャンスを齎す結果になったのです。これは氷山の一郭です。 続く
2009.05.28
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クロニクル パキスタン核実験1998(平成10)年5月28日11年前になります。この日パキスタンが地下核実験を実施しました。これは、同年5月11日に24年振り、インドが地下核実験を行って、核兵器保有国宣言を行ったことに対する、危機意識の発露でした。いわば、インドの核実験と核保有宣言が、インドとの間に、カシミールという係争地を抱える、パキスタンの危機感に火をつけてしまった結果でした。そしてこも選択は、パキスタンにとって、欧米の経済制裁を覚悟しなければならなかった点で、いかにインドの脅威がパキスタンにとって、重たい現実であったかをまざまざと示していました。結局パキスタンに対する欧米の制裁解除は、9/11以降の、アメリカによるアフガニスタン攻撃に協力することと引き換えに、解除されることになりました。
2009.05.28
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宗教改革よもやま話 (9) 宗教改革がきっかけとなって、活字文化の花が開したことは、(8)に記した書物の出版点数からも理解できるのですが、ここで、当時の西欧社会、特にここではドイツ社会で、文字を読んだり書いたりできる人が、どのくらい居たのかを考えてみたいと思います。印刷された文字は増えてゆきましたが、実は当時は支配層も含めて、かなりの人が文字と無縁の生活を送っていたのです。当時読み書きの出来る人は、聖職者とごく限られた知識人、それに学芸に関心のある1部の貴族、それに税務官僚や帳簿管理の必要な遠隔地商人や富裕な手工業者に限られていました。貴族でもおそらくは6割~7割近くが、そして民衆の大部分は、文字と関係のない暮らしを営んでいたのです。当時の識字率を見てみましょう。といっても、統計があるわけではありません。当時の識字率は、大変甘い判定なのですが、教会での結婚式の際に署名する結婚誓約書に、ちゃんと自分の名前を自ら書くことが出来たか否かで、決められたのです。自筆の署名があれば、読み書きが出来ると判断するのです。明らかに甘い判定ですが、ほかに調べようがないので、今のところこの数字に頼らざるを得ないのです。それによると、宗教改革前夜のドイツの識字率は、全国平均で3~4%程度、都市部でも10%に届かなかったとされています。それが、約80年後のハンブルグでは、人口の約10%に当たる4千人の人々が、書籍や楽譜を購入していたと記録されています。書籍購入者の家族や執事なども、おそらく文字に親しんでいたであろうと推定できますから、おそらく識字率は30%程度に達していたろうと思われます。また識字率の上昇には、地域的な偏差が大きかったことも知られています。経済先進地域に近い、西南ドイツの識字率は比較的高く、信仰地域の東北ドイツは、低かったのです。識字率を予測する目安となる、学校の数についても、南北の差は大きく、北東ドイツ地域の学校は、極めてまばらだったことが指摘されています。さて、識字率がこのような状況にあった時、どうして宗教改革派は、活版印刷による主張の活字化に拘ったのでしょうか。彼らは聴覚と視覚の組み合わせの効果に注目したのです、 続く
2009.05.27
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世界経済の現状(12)ここまで記してきたように、世界各地の資本の流れは、安全資本への志向を強める方向で動いています。市場で社債を発行できない企業、融資を断られる企業が続出していることも、間違いのない事実です。それなのに、このところ、米・欧・日などの資本市場や経済界から出てくる発言は、用心しながらもホッとした空気を感じさせるものとなっています。これは何故でしょうか。政治が仲介することで、政治の力で資本の流れを保っているのです。日本の例を記します。郵政民営化を受けて、郵便貯金や簡易保険の資金を湯水のように使っていた政府系金融機関の統廃合が実施されました。その中で残された「日本政策投資銀行 」を使っての融資や出資によって、市場で資金の取れない大企業を生き延びさせる計画です。昨年度の補正予算を組む段階で計画が浮上し、4月22日には「産業活力再生法」として、政策投資銀行が直接企業に資本注入できる制度が誕生したのです。政策投資銀行の出資枠は2兆円で、状況によって、郵貯銀行からの融出資を組み合わせ、最大10兆円まで、膨らませることが出来るようになっています。中小企業向けには、バブル崩壊期に用意した、信用保証協会の返済保証付き融資の復活強化が、昨秋から利用されています。国によって、運用方法などに違いはありますが、米・欧・日の3極は、政府資金を積極的に投入して、経済危機の深化を瀬戸際で止めようとしている構図は、完全に共通しており、足並みは奇妙に揃っているのです。これで、危機は乗り切れるでしょうか。 続く
2009.05.27
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クロニクル ミャンマーで総選挙1990(平成)3年5月27日19年前のこの日、ミャンマーで総選挙が行われました。この選挙は、何と30年振りに複数政党の参加が認められた民主的選挙として話題になりました。選挙の結果、反政府派の全国民主連盟が圧勝しました。この事態に驚いた軍事政権は選挙に不正が行われたとの理由をデッチあげて、選挙の無効を宣言し、全国民主連盟の指導者、アウン・サン・スーチー女史は軟禁され、行動の自由を奪われたのでした。
2009.05.27
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宗教改革よもやま話 (8) ところで、紙の価格は宗教改革の始まる16世紀に向けて急速に下がってゆきます。生産の普及と競争、紙利用の広がりなどの要素が価格下落の相乗作用を齎したのでしょう。14世紀後半の生産の始まり当時の価格を100とした時、16世紀初頭の価格は34程度に下がったとされています。活版印刷による印刷物も、紙の普及により次第に増えてきます。ドイツについて言えば、ルターの改革の始まる前、15世紀末から16世紀初頭にかけての出版物は、年間40点程度とされているのですが、これがルターが一躍「時の人」となった1517年以降になると、急激に出版点数が増えてくるのです。1519年には111点、1523年には498点の出版が確認できます。当然こうした出版物のかなりの部分が、ルター自身の著作や発言の要約で占められ、1519年では出版物の33%が、23年ではなんと40%に達していたと言われます。その外にも、ルター派の人々がルター派の主張を広めるために編集したパンフレット類も多く、1523年の出版点数のうち、何と418点が宗教改革関係の出版物でした。ところで、ローマ教会の側ではどうしたかと言うと、こちらは印刷物を使ってルター派に対抗するということを、ほとんどしていません。活版印刷を使った出版物の利用には、極めて消極的なのです。元来ローマ教会は、民衆が文字を読んだり、文字に親しんだりすることに、極めて消極的でした。文字の読み書きは聖職者と1部の知識人だけで十分なのであり、民衆はそうした知識と権威のある人から、読み聞かせを受けたり、説教を聴いたりすることで、学べばよいと考えていたのです。こうして、改革運動の初期においては、活版印刷という当時のハイテク技術に着目した宗教改革派が、民衆の教化に対する宣伝戦で、圧倒的優位にたったのです。活版印刷の発達なしに、宗教改革なしと言われる由縁はここにありました。 続く
2009.05.26
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世界経済の現状(11)欧州で起きている劣後ローンや劣後債の1部踏み倒し、そしてクライスラー流の商法無視の債権手法。いずれも金融市場や資本市場で評判の悪い、プーチン時代のロシアの手法とそっくりです。こうした手法で被害を受けた資産家達の次の行動がどうなるかは、簡単に想像できます。日本にもいくつも例があります。鎌倉北条時代の「徳政令」。救われた武士どもは先のことを考えずに快哉を叫びましたが、その後は2度と貸してもらうことが出来ず、かえって困窮を深めました。江戸時代寛政の改革の松平定信は、「毀損令」を発して大名や旗本御家人の負債をチャラにし、さらに札差に高額の罰金を科しました。結果はここでも札差が、貸付を止めてしまったため、武家のみでなく江戸の経済全体が大きく縮小して、経済全体に大きな被害が出、僅か数年での定信の失脚に繋がりました。そうです。踏み倒しを実行した企業は、資本市場のブラックリストに名が記載されますから、今後当分の間は(何年になるかは見当もつきません)同じ手法は勿論、様々な手法での資金調達は不可能になります。借金を踏み倒したヤツが、またぞろ貸してくれと言い出しても、担保とすべき信用が、完全に崩れているのです。誰も相手にしてくれません。クライスラー問題では、米政府の信用が揺らぎました。政府公認で商法の規定が覆されたのです。しかも法的根拠なしに…と私には映ります。有担保貸付ですら、安心できないとなれば、返済が不安視される企業に対し、リスクをとって金を貸そうと考える投資家が出てくるわけがありません。米・欧における深刻な金詰りは、これから効いてくることになります。 続く
2009.05.26
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クロニクル 日本最初のファッション・ショー開催1948(昭和23)年5月26日今から61年前、まだ焼け跡の残る、しかも戦後の物凄いインフレの時期でしたから、戦後の復興が軌道に乗ったとは、言えない時代でした。しかし、学制改革もスタートし、新憲法体制の下、民主主義の息吹が芽生えて、さぁ、これからだの空気が漲り、頑張ればよくなる今は夜明け前のいちばん暗いときだ、と皆が思っていたときでした。こんな時だからこそ、明るさをというわけだったのでしょう。こんあ時代だったこの日、日本で最初のファッション・ショーが東京神田の共立講堂で開かれたのです。ファッション・ショーは、本来超富裕層を対象にオートクチュールの新作を発表し、気に入った顧客がその場で、デザイナーと契約する場としてパリで始まったものでした。今でもパリコレとして存在しますね。オートクチュール・コレクションは、現在でもパリとローマの2ヶ所でしか開かれません。これに対し、プレタポルテは、上流階級のセレブたちと共に、有力バイヤー、ファッション記者などが招かれ、バイヤーや記者たちは、会場には招かれない中流階級対象の買い付けや宣伝の役を果たすのでした。この第1回ファッション・ショーも広く新聞などで報じられ、明るいニュースとして女性たちをときめかせたのでした。以後毎年開催されるようになり、遂には東京は、世界5ヶ所でしか開かれない、プレタポルテ・コレクションの欠かせぬ開催場所となったのです。因みに5会場とは、ニューヨーク・ロンドン・ミラノ・パリ・東京を指します。
2009.05.26
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宗教改革よもやま話 (7)活版印刷に使用が可能なインクは、接合性(良く紙に乗る)と乾燥性に優れていなければなりません。印刷した時に流れもせず、こびりつきもせず、しかも印刷後に剥げることもないインクであることが必要です。こういうインクは、クーデンベルクが金属活字を考案するよりも半世紀ほど早く、15世紀の初頭に誕生していました。亜麻仁油のワニスに在来の黒インクを練りこんで作られた新種のインクでした。オランダの版画にこうした材質の絵の具やインクが使われたのが、最初でした。絵の具を用いる絵師と金属細工師は、教会の新築や改築の際に、壁画や装飾の仕事に同時並行で携わる仕事仲間でしたから、互いの技術情報を交換したり、提供しあう機会を持っていたとしても、不思議ではありません。また印刷機の構造は、亜麻織物業者が使用する亜麻布圧縮機をヒントにしたのではないかと言われるのですが、当時亜麻織物は最もポピュラーな織物の一つでしたし、原料の自給も可能でしたから、かなり広範な地域に広まっていました。そして亜麻織物の原料である亜麻の種子は、亜麻仁油の原料そのものです。この点は確認出来ないのですが、ここにも何らかの繋がりがありそうですね。また同じ構造の圧縮機は、紙の製造工程でも、湿った紙を平らに伸ばし、湿り気を取るのにも使われていました。さて、もう一つ紙の問題があります。紙の製法は中国で確立され、8世紀にイスラム世界に伝えられ、スペインを通じてヨーロッパに伝播したことが、分かっています。ヨーロッパ最初の製紙工場は1150年にスペインのサティバに建設されています。ドイツ最初の製紙工場は、ずっと遅れて1390年にニュルンベルクに誕生しました。こういう状態でしたから、グーテンベルクの時代には、羊の皮をなめした羊皮紙を使うのが一般的だったのです。中世文書の殆どは、この羊皮紙に書かれているのです。昨日記した『42行聖書』の印刷冊数のおよそ16%程度は、羊皮紙で作られた書物です。しかし、次第に使い勝手が良く、インクの乗りも良い紙の需要が広まってゆきます。紙需要の増加は、次第に製造技術の革新を招き、それにつれて、紙の価格も値下がりを続けたのです。 続く
2009.05.25
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世界経済の現状(10) それでは、企業の資本調達はどうなのでしょうか。金融市場を浮遊している資金が、急に増えるということはありません。ですから、どこかで誰かが大量の資金を吸収してしまえば、当然浮遊資金はそれだけ少なくなります。しかもご承知の通り、昨年春より金融機関の融資能力は極端に限定されました。昨今ようやく細々とした金融機能の回復現象が見られるようになりましたが、まだまだ細々としたものに留まっています。各国政府はこの状況を憂慮し、競うように金利を引き下げ、さらに市場に大量の資金を供給して、資金繰り難による企業の突然死を防ごうとしています。それは涙ぐましい努力のように見えます。実は、社債市場においても昨夏以降、優良企業が大量の社債等を発行して、手元資金の確保に努めています。日本でもトヨタ、新日鉄、パナソニックといった企業から、三菱UFJ,三井住友、みずほといったメガバンクまでは、社債や増資による資金確保を急ぎました。金融機能が十分に働かなくなった結果、企業同士が互いにわが身を基準にして、相手の懐具合を疑った結果、今までのような手形決済が不安となり、現金決済の比重が高まったり、運転資金の融資が受けられなくなったりしたからでした。こうして1方では国が国債という形で、他方では優良企業が社債や株式という形で、大量の資金を市場から吸いあげることになりました。こうした現象は、現在も続いているのです。こういう状況の中で、既述したRBSやUBSなどによる劣後債の1部踏み倒しなどの事例がおきているのです。当然、こうした大銀行ですら、背に腹は変えられずに実行していることですから、その他にも類似の例がかなり出ているようです。アメリカではオバマ政権は、クライスラーに適用使用としている破産法の下での再建計画案は、有担保債権への支払いは32%に留め、UAWが持つ無担保債権は50%を保証し、さらにフィアットと合併後の新会社の株式に返還できる株式を、クライスラーの全株式の55%提供するというのです。このこともこのシリーズの前に記しました。資本主義の下で、破産等の事故があった場合の返済順位は、有担保債権→無担保債権→株式の順に決まっているのです。オバマ政権はこの資本主義のルールを無視したのです。こうした欧米の行動も、当然資本市場、金融市場に悪影響を与えないはずはないのです。 続く
2009.05.25
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クロニクル スター・ウォーズ公開1977(昭和52)年5月25日といっても、日本の話ではありません。32年前のこの日、アメリカで「スター・ウォーズ」の第1作が封切られました。前評判が高く、大入りの盛況で、ロングランとなり、大当たりを撮ったのはご存知の通りです。それから10数年後、テレビ落ちしたところを、その当時の3部作全てをビデオ録画してやったところ、二人の子供が喜んでかじりついていました。今でも、どこかに残っていると思います。
2009.05.25
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宗教改革よもやま話 (6)グーテンベルク以前に活版印刷の技術が発明されていたとしても、鉛を用いた金属活字を用い始めたのが、彼とその仲間であることは間違いないようです。多少細かな話になりますが、金属活字の条件を考えて見ましょう。木版を用いた日本の瓦版でも、版木を修正して誤字を直すために、その1部を切り取って入れ替えることは、普通に行われていました。当然、木版や木製の活字は磨り減りやすいですから、印刷部数を増やすために、磨り減りにくい金属の利用を考えることは、理に適っています。しかし、そういうアイデアを持つことと、枠木にちゃんと収まるだけに縦、横、高さ(長さ)、そして各面の精度を備えた金属活字を、しかも大量に鋳造するためには、相当高い技術が必要になります。現在グーテンベルグ印刷所で印刷されたことが分かっている『聖書』は、印刷紙数641葉、1282ページで、1ページがだいたい40行、各行が35字程度の横2段組になっています。ここから単純に必要とした活字数を計算しますと、40×35×2×1282ですから、およそ350万字以上となります。当時これだけの活字を用意できたとは思えませんので、おそらく何度にもわけて、一部分づつ印刷し、その後組版を崩して、再度同じ活字を用いて、次の部分を組んでいたのだろうと思われるのですが、それにしても相当量の精巧な金属活字を用意する必要があったのです。印刷紙数1葉の2ページをとっても、5600個、6ページとすると1万6千個以上が必要なのです。こうした精巧な活字を素早く大量に製造できるのは、金属の精巧な鋳造と、細かなヤスリかけに精通していた金属細工の職人の右に出るものはいなかったのでしょう。かくして、グーテンベルクとその仲間が、鉛の活字を用いての活版印刷の創始者であろうということは、間違いなさそうだと考えられているのです。しかし、なお、インクの問題が残ります。 ザビ
2009.05.24
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世界経済の現状(9) 市場に投入される金融資産には、限りがあります。ですからそうした資金は、常に有利かつ安全な対象を求めて、浮遊します。市場に滞留する資金は増減することもありますが、基本的には、その時点で有利な金融資産を求めて流動しています。そのため、値上がりして割高になった商品の人気は次第に衰えて値を下げ、逆に不人気で割安になり投資妙味の増した商品の人気は高まり、値を上げます。すると…と言う具合に、市場での金融商品の価格もまた、流動しています。値下がりすれば、金利は上がり、値上がりすれば金利は下がります。そして金融市場での位置づけでは、リスクの低い比較的安全な資産が債権であり、リスクが高いがゆえに安全度の低い資産が株式などでした。とりわけ、安全資産の債権の中でも、特に安全度の高い債権が国債でした。企業の発行する社債よりも、国家の方がデフォルトの危険は低いと考えられますから、これは当然のことでした。そこで、最初に記した市場に投入される金融資産の量が問題となります。現在の世界の金融市場の状況を考えてみてください。比較的に金融機関の痛みが少ないとされる日本でさえ、麻生内閣の下で、過去最大の補正予算を組んでいます。税収は大きく落ち込んでいますから、昨年度も予定を大幅に上回る国債発行を行わざるを得ませんでした。いわんや金融危機にあえぐ、米・英・EUをはじめ、世界の各地で、過去に例のない多額の国債発行ラッシュが続いています。そうなるとどうなるか。市場に流入する金融資産が無限に拡大しない限り、国債よりも信用度の落ちる、地方政府や地方自治体が発行する公債である地方債の引き受け手は少なくなり、遂にはいなくなります。ブログな仲間のリンダ夫人が、寄せてくださったコメントにも、カリフォルニア州の財政の危機が記されていました。日本でも、大阪府や横浜、川崎といった大都市ですら、地方債の発行が厳しくなっていることは、昨秋からの諸種の報道が示している通りです。既に市場では生き残りをかけた市場での、金融資産の奪い合いが起きているのです。 続く
2009.05.24
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クロニクル モスクワ五輪不参加1980(昭和55)年5月24日この日、日本オリンピック委員会(JOC)は、この年7月19日から、モスクワで開かれる予定の、モスクワ五輪に不参加を決定しました。これは前年12月末に開始されたソ連軍の、アフガニスタン侵攻に抗議する米国などの政治性の強い決定に、日本政府が同調する姿勢を示し、その意向を受けたJOCが政府に従って、選手の気持ちを忖度せずに決めた、極めて政治性の強い決定でした。
2009.05.24
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宗教改革よもやま話 (5)金属(鉛)活字を使った活版印刷術は、ドイツのマインツで金銀細工師の家庭に生を得たグーテンベルクが、ストラスブールでの修行中に考案したものと、考えられています。彼は修行を終えて、マインツに戻った後、1450年頃に工房を開き、自分で考案した新技術を実用化したようです。当時の古典研究者たちは、皆古典テクストの正確な複製を必要としていました。一言一句間違えずに正確に書写するのが如何に大変かは、PCやワープロ登場以前、さらには電子リコピーの登場以前に、筆写を経験された方なら、どなたもご存知だと思います。活版印刷は、古典テクストの再販の可能性に道を開きました。そして、それ以上に、『聖書』そのものではないのですが、簡単な『祈祷書』をはじめとする信仰書の印刷・発行を可能としたのです。比較的安価に自己の信仰を深めることに役立つ『信仰書』を入手できることは、信仰厚い篤信家には、願ってもないことでした。こうしたことを、グーテンベルクの新技術が可能としたのです。宗教書の需要は特に大きかったことは、1450年~1500年の間に製作された活字本のうち、全体の45%が『祈祷書』を中心とする宗教書だったことから、明らかになっています。因みに、第2位は農事暦を中心とし、そこに聖人の祭りなどを付け加えた暦で、これまた30%近くを占めていました。ルターの登場以前、印刷術の発展は、宗教書を大量に、しかも広範に流布させる役割を果たし、カソリック教会の正統の教えを広めていたのです。しかし、それと同時に、教会の外部で教会の指導なしに営まれる信仰生活、個人の内面での信仰生活の普及にも、道を拓いたのでした。印刷術の発達と宗教改革の関連は、実は極めて深いつながりを持っていたのです。 続く
2009.05.23
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世界経済の現状(8) ところで、経済というものは、財とサーヴィスの生産と消費で成り立っています。それが需要と供給の関係になります。サブプライム問題に端を発する今回の経済危機の現在形は、金融収縮に続いて急激な消費の落ち込みが生じたことを示しています。2007年の半ばまで、世界経済を牽引したアメリカの過剰消費が回復することは。もはや無理でしょう。アメリカの消費者は、当分の間過剰債務の返済に追われ、その間はいやおうに関わらず、節約に之務めるしかないでしょう。消費が縮小傾向を続ける限り、企業の設備投資が勢い良くのびることはありえません。それでは公共投資はどうなのか。アメリカ、日本、ドイツなどのGDPの高い経済先進国の場合、公共投資による需要刺激効果に過度の期待を寄せることは出来ません。経済のパイが大きくなっていますから、パイが小さかった時代に比べると、その分効果は小さくなってしまうのです。幼稚園の子はパン1個で満腹しても、高校生には軽いオヤツにしかならないようなものなのです。対米経済摩擦の激しくなった1970年代末ごろから、日本政府は内需振興、内需振興とお題目のように唱えながら、何度も大型の景気刺激策を撮り続けてきました。しかし、ご存知の通り、過去1度として満足できる成果を挙げ、税収の伸びで景気刺激に要した赤字を返済したと聞こえてきたことはありません。景気の底抜けを防ぐ、下支え効果は発揮できても。景気を完全に浮揚させる効果は持ち得なかったのです。それゆえ、赤字国債の発行額ばかりが増えているのです。大型経済対策の効果が期待できるのは、途上国の方なのです。ただしそうした途上国も、米・欧・日などへの輸出が受けた打撃は大きいですから、そのマイナスを差し引くと、効果も控え目に見ておく必要があるように思います。そして、とりわけ米・欧は金融機関の破綻を回避し、経済の血液である金融の流れを止めないために、天文学的な額の資金を、既につぎ込んでいますし、さらにつぎ込み続けようとしているのです。そのために多額の国債(国の借金)を発行し、さらに発行し続けようとしているのです。するとどういうことが起きるでしょうか。 続く
2009.05.23
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クロニクル 原子力発電所誕生す1958(昭和33)年5月23日51年前になります。この日イギリスのコールダールに、世界最初の商業用原子力発電所が完成を見ました。原子力の平和利用、原子の火として、日本でも大きく報道されたことが、かすかな記憶として残っています。しかし、当時は放射性の冷却水。使用済み核燃料等、原資力発電に絡む負の側面は、まだ意識されていなかったように思われます。
2009.05.23
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宗教改革よもやま話 (4) 少し時代を遡らせていただきますが、ルネサンスの3大発明のことはご存知だと思います。火薬、羅針盤、活版印刷術のことです。これらはいずれも、中国やイスラム世界で生まれたものを、ヨーロッパで改良したものですから、ヨーロッパ固有のものではありません。しかし、火薬と羅針盤の効果的利用法を編み出し、自らの世界制覇に繋げていったのは、まさにヨーロッパの知恵でした。そして活版印刷術については、アルファベットの組み合わせで済む、ヨーロッパ各地の言語が、その利用に適していたことは確かです。中国や日本は、沢山の漢字を利用するため、作字の手間を考えるとヨーロッパ程急速な普及は無理でした。とりわけ日本の場合、筆を使った崩し字の文化もありましたから、江戸時代の後半においても、木版印刷が幅を利かせていたのです。下の写真は、活版印刷所の様子を示した15世紀後半のミニアチュールです。鉛の活字を用いている様子が分かります。火薬と羅針盤は、有名な大航海時代の到来を招きました。コロンブス、ガマ、マゼランらの事跡は、鉄砲と羅針盤のどちらが欠けても、実現は不可能だったように思います。そして活版印刷術の普及こそが、実はルターに始まるとされる宗教改革を可能たらしめたのです。いや宗教改革を一躍全ヨーロッパ的な関心事に仕立て上げるには、活版印刷と並んでもう一つ大事なことがあります。印刷する用紙、即ち紙がなければ、印刷は不可能です。活版印刷を用いて、大量の印刷物を刷り上げるには、その前提として大量の紙の確保が不可欠だったのです。ルターが発表した『95ヶ条の論題』は市内の印刷所で、その日の内に印刷にふされ、翌日には関心を持つ人々の手に渡り、文字の読めない人々も、読み聞かせ方式によって、その内容を知るところとなっていたのです。当然ルターの『論題』は公開質問の形式に従い、ラテン語で発表されていましたが、ラテン語と同時に、現地語であるドイツ語に訳されたものも手際よく、同時に印刷されていたのです。ここに、今までのように闇から闇へ葬り去ることは、不可能となっていたのです。
2009.05.22
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世界経済の現状(7) アメリカばかりではありません。ポンドのイギリスにユーロのEUもにたような状態にあります。RBS(スコットランド国立銀行)やUBS(スイス銀行)が何をしているかは、(4)に記しました。本日の日経新聞は、「損失計上の先送り」と昨今の同紙にしては、珍しく歯切れの良い書き出しで、ドイツ政府の政策を酷評しています。ドイツ政府の不良資産対策が、バブル崩壊期の日本政府の対応にオアーバーラップしたからです。銀行が抱える不良資産を、簿価の9割で受け皿会社(これをバッドバンクと呼びます)に移し、最長20年間管理するというのです。銀行は受け皿会社が発行する債券を受け取り、支払いは政府が保証する仕組みです。最終損失は原則として銀行が負担するのですが、政府が損失の1部を負担する可能性も囁かれています。これは政府主導の損失隠しです。時価が簿価の2割とか3割に落ちている債券が9割に戻ることなど、夢の夢であり、とても期待できないことは日本の経験から明らかです。そんな保証はどこにもないのですから、これは「損失飛ばし」であり、損失の付け替えに過ぎないことは明らかです。ところで受け皿会社に銀行が移管できるのは、有価証券だけに限られています。不良化した貸し出し債権は、移管できません。実は欧州各国は預金保護、銀行への資本の注入、銀行の債務の保証と、昨秋から様々な金融安定化策を繰り出してきました。そこへ持ってきて、ここにきての実体経済の悪化による不良債権問題が降って来たのです。しかし、今までの対策で急激に財政事情が悪化しているために、現時点でこれ以上の財政負担に応じる余裕はなく、やむを得ず損失先送りを選択せざるをえなかった。どうやらこういうことのようです。金融機関の抱える膨大な不良資産は、いまだ解消していません。各国の金融機関が示している見掛けの利益は、かつての日本でお馴染みの「粉飾」によるもので、決して実態を示すものではありません。粉飾のやり方が国によって違っているだけなのです。粉飾しながら、財政事情が許す範囲で、政府支援を続行する。こんなシナリオが見えているのですが、果たして、問題解決のメドが立つまで、各国の財政が破綻せずに持つのかどうか。薄氷のシナリオが続くようです。ポンドが一番危険度が高いような気もするのですが… 続く
2009.05.22
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クロニクル 藤村 操華厳の滝にて自殺1903(明治36)年5月22日この日、第一高等学校生の藤村操が、日光華厳の滝にて自殺、16歳10ヶ月の若い命を断ちました。藤村は、滝の巌頭にあるミズナラの木を削って、「巌頭之感」と題した辞世の詞を残していました。 巌 頭 之 感悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。この世は不可解との語を残しての自殺は若者を刺激し、華厳の滝を死場所と定めた若者が増え、華厳の滝はトンダ形で、自殺のメッカとなったのでした。
2009.05.22
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宗教改革よもやま話 (3) 宗教には必ず教義というものがあり、教典があります。キリスト教の場合、それが『聖書』です。聖職者や神学者は、熱心に教典である『聖書』に親しみ、『聖書』解釈を考えます。修道院は、若い聖職者を育てる修行と教育の場であると同時に、『聖書』研究の場でもありました。するとどうなるか。古典の研究では、文意の解釈を巡って、様々な対立があるのはご存知でしょう。当然『聖書』解釈を巡って、様々な教義上の対立がありました。キリスト教史を紐解くと、3世紀、4世紀の時代から、いくつもの対立や論争があったことが記されています。ローマ教会(ローマ・カソリック)のグループと、コンスタンティノープル教会(ギリシア正教)の教義上の対立と分離も、実はこうした教義上の対立が行く所へまで行った結果でした。そして、ローマ・カソリック内部においても、『聖書』解釈を巡る様々な対立は、後を絶ちませんでした。教義論争の勝者は正統として、ローマ教会の主導権を握り、敗者は異端として処罰されました。処罰は死罪から破門、聖職資格の剥奪などがありましたが、要するに永久にキリスト教の教義にクチを出す道を、閉ざされたのです。それがローマ・カトリック流の教義上の対立の解決法だったのです。そして、ルターの登場まで、その方式は綿々と続いていたのです。ルターに先立つ『聖書』解釈を巡る対立としては、14世紀後半のイングランドにおけるウィックリフの運動や、15世紀前半のボヘミヤ(現在のチェコ)におけるフスの運動が知られています。このうちウィックリフは、聖書中心主義を掲げて、英国教会のローマからの独立を主張して、一定の支持を集めローマ教会を慌てさせました。しかし、支持はなお一部にしか広まらず、ウィックリフとウィックリフ派は沈黙を守ることを強いられて敗北します。ボヘミヤのフスは、ウィックリフに比べて、周辺の農民らの期待を集め、その聖書中心主義の思想に対する支持は広がりを持ちました。そのため、ローマ教会は沈黙を肯じないフスを火刑に処したのです。この行動は支持者を刺激し、17年に及ぶフス戦争(1419~36年)が、断続的に戦わされることになったのです。こうして、教会内部における『聖書』解釈を巡る教義上の対立は、次第に信者の間にまで、広められるようになりつつあったのですが、こうした対立は16世紀のルターの登場にいたっては、全く新しい次元に立つことになるのです。どうして、ルター以前とルターとでは、決定的な違いがあったのか。四方山話の由縁も実はその辺にあるのです。 続く
2009.05.21
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世界経済の現状(6)アメリカの個人が抱える過剰債務は、4兆ドルと言われています。通常の債務については、過剰という表現は使いませんから、他に2兆ドルほどの債務があります。支払い不可能なところまで、債務が膨らんでいることが示されています。しかし、米国ではブッシュ政権の時代に、カード会社などのロビー活動が効いたのでしょうが、収入のあるカードの所有者は、自己破産を選択出来ないとする法律が成立しています。するとどうなるか。カードの所有者は、自らが選択したリボ払いの計画の通りに、毎月毎月生活費を削って、カード会社に支払いを続けなければならないのです。カード利用の限度額に達しているのですから、おそらく支払っても支払っても元金は減らずに、利子だけを支払わされるのでしょう。まさに債務の無間地獄です。ここまでは、ひどくない人たちも、過剰な債務を支払い終えるか、かなりの額を支払った後でなければ、消費を膨らませることは出来ないのです。前に書いたレバレッジを効かせた取引で損失を膨らませ、大きな借金が残ってしまった企業やファンドと、同じような状態に個人も陥っているのです。10万ドルの借金を背負った人が、年に1万ドル稼いだとすると、その1万ドルは借金返済にまわるのであって、消費には回らないことになります。昨年から、アメリカの消費が急速に落ち込んだ背景には、こういう事実が控えています。ですから、政権が減税や購入補助金を出したとしても、その効果は落ち込む景気の底抜けを防ぎ、下支えする程度に留まってしまうのです。家計の抱える借金の少ない分、日本の麻生政権の懲りないバラマキの方が、決して褒められたやり方ではないのに、アメリカの政策よりは効果は出るかもしれません。それだけ、アメリカの消費の回復には、長い期間が必要であると、私は判断しています。 続く昨日は、別の用事で、1日飛ばしてしまい、失礼しました。(ザビ)
2009.05.21
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クロニクル スハルト辞任1998(平成10)年5月21日11年前になります。この日スハルトインドネシア大統領が、民衆反乱に追い詰められて、辞任に追い込まれました。スハルト大統領は、1966年3月に陸相として軍を掌握、建国の父スカルノ大統領を辞任に追い込んで権力を掌握、次第に独裁的権限を握って、32年にわたってインドネシアに君臨した人物でした。彼はインドネシアの工業化を進めましたが、その中で次第に身内や側近を優遇、スハルト一族が財界を牛耳るなど、経済不振に陥ると国民からの強い批判を受けるようになってきていました。そうした状況で、1997年タイを震源地として、あれよあれよという間に、アジア金融危機の荒波の飲み込まれたのでした。インドネシアルピアは暴落を続け、輸入物資は急騰して、国内物価も急騰して、不況下のインフレが発生、国民の不満が爆発したのです。物価は年末年始にかけてやや落ち着きを見せましたが、2月末からまた急騰し、スハルト一族に対する国民の不満は頂点に達し、スハルト退陣を求める声と実力行使は、首都ジャカルタを覆い、さしものスハルトも、ここに辞任を決断することになったのです。
2009.05.21
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クロニクル 味の素100年1909(明治42)年5月20日20日のクロニクルに、大阪市営地下鉄御堂筋線の開業の記事を書きましたが、今日は丁度「味の素」の発売100年の記念日でした。追加で、2本目の今日の記事にします。それにしても調味料一筋100年、たいしたものですね。良く頑張っています。
2009.05.20
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宗教改革よもやま話 (2) 宗教改革は、ルターが有名な『95ヶ条の論題』をウィッテンベルク大学の構内に掲示したことから始まったとされています。そのことは間違いではないのですが、このときルター自身は、自分がローマ・カソリック教会と袂を分かつことになるとは、露ほども考えていませんでした。というのは、当時の学問上の論争や質疑応答、教えを請う場合の一般的ルールは、公開質問という形で行われるのが、一般的はやり方だったのです。ですから、ルターは当時の慣習に従ったに過ぎなかったのです。彼は、キリスト教の教典である『聖書』を丹念に読み、自らの『聖書』理解から導かれる行動原理と。カソリック教会の行動との落差に悩み、それを自分の未熟さと考えて、ローマ教皇と総本山であるバチカンに教えを乞うたに過ぎなかったのです。この先の話はしばらく起きます。ようするに、ことはキリスト教の聖典である、『聖書』の解釈を巡る、純粋に教義上の問題でした。当時の宗教改革者は、いずれも教会に奉職する聖職者か、大学に籍を置く神学者が、聖書解釈即ち教義上の問題として、提起するのが常でした。それは、ローマ・カソリック教会が、教典である『聖書』を独占していることが、当然であると考えられていたことに原因があります。当時文字はまだ一般的ではありませんでした。そして、地域、地域で言語も違っていたのです。それゆえ、各地の教会関係者は、聖職者会議で用いる共通語を必要としていました。それは、文字に書かれた教典である『聖書』の言語でなければならない。こうして、ラテン語がヨーロッパの知識人と聖職者の共通語となっていたのです。ごく一部の人以外は、ラテン語の読み書きなど出来ません。ラテン語のできる人は、一部の聖職者に限られていたのです。意欲的な聖職者達は、ラテン語の『聖書』を読み、自分なりに解釈し、相互に公開質問をしたり、受けたりしながら、自分なりの聖書解釈を鍛えていたのです。 ザビ
2009.05.20
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クロニクル 大阪に地下鉄開業1933(昭和8)年5月20日昭和も一桁の時代、76年前の今日のことです。大阪市営地下鉄御堂筋線、梅田仮駅と心斎橋駅間が開通、この日営業を開始しました。
2009.05.20
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世界経済の現状(5)そのため、とどのつまり、個人は借金を返済しなければなりません。といっても米国民の大部分がリスクをとって、証券化商品を大量に買い漁っていたというわけではありません。国民の借金はもっと別のところにありました。米国は日本とは比べ物になえらないほどのカード社会です。カード1枚で次々に買い物の出来る社会です。 住宅バブルと言われたように、住宅価格が右肩上がりで上昇を続けていた時、ローンを組んで住宅を購入した人たちは、住宅価格の上昇分をボーナスと考え、可能なだけ刈り入れ限度額を引き上げたのです。そこまでは買い物が出来ると…。そして殆どの米国人は、カードにリボルディング払いを設定していました。いくら買い物をしても、最終返済月が繰り延べされるだけで、毎月の支払額は替わらないという(当然利子は高率です)、カード会社にとって利益率が高く美味しい契約でした。ですからカード会社は、どこも勧めてやまないシステムでした。日本人に比べると、良く言えば借金にアレルギーがなく、悪く言えば計画性に欠ける面がある米国人は、当然の如くカードを使って買い物を続けていたのです。そこへ、2006年からの住宅価格の下落が始まりました。サブプライムローンの支払いが滞り、ノンリコースローン(担保が借入れの目的だった住宅にしか及ばないローンです)の形式に則り、担保設定されていた住宅の差し押さえが続出し、それがまた住宅価格の下落に繋がりました。住宅を差し押さえられ、競売にかけられ、なおかつ不足分をその後も支払わされる日本の住宅ローン破産者に比べると、随分恵まれた話なのですが、米国民は、カードローンと言う借金を、別に抱えていました。こうした住宅価格の下落は、カードローンの限度額にストレートに影響します。住宅価格の下落は支払い能力に響きます。こうしてカード会社は、支払い限度額を引き下げ、支払いが滞った会員に対しては、カードの使用を止める措置もとったのです。良く言われるように、米国民全体の過剰消費は4兆ドルに達しており、この4兆ドルの返済のメドが立たない限り、米国民の消費は回復できない。どうやら、こういう負の連鎖に陥っているのが現在のアメリカです。なにしろカードが使えない人たちが急増してしまっているのです。 続く
2009.05.19
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宗教改革よもやま話 (1)世界史が苦手だったとおっしゃる方でも、宗教改革という言葉は、ご記憶だろうと思います。そして、ルターとカルヴァン(英語読みするとカルヴィン)の名も…。その宗教改革の話です。実はこの宗教改革、我々が現在生活している現代社会の基礎を作った近代社会の到来に、巨大な足跡を残しているのです。それは単にローマ・カトリックの教義に新しい息吹を持ち込んだことに、留まるものではないのです。私は別に、カトリックの教義に風穴を開けたことの意味を、軽視するつもりはありません。カトリック教会の権威が、公然と教会を批判したルターやカルヴァンを社会的に葬り去ることに失敗した意味は、決して小さくありません。ルターの改革は16世紀の前半、カルヴァンの改革は16世紀の中盤に行われました。それは16世紀という時代だったからこそ、カトリック教会の方針、即ちルターをそしてカルヴァンを密かに葬りさるという方針を、不可能ならしめる舞台装置が出来上がっていたからこそ、可能となったのでした。そして、宗教改革のその後の進展は、ここに登場したいくつかの武器(といっても兵器ではありません)の用途を、大いに広げ、結果的に近代社会の到来を準備することに繋がったのです。最初数回は、世界史の復習的な部分が主になると思いますが、ご容赦ください。 続く
2009.05.19
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クロニクル 地方分権推進法公布1995(平成7年)5月19日この日、地方分権推進法が公布されました。この法は、地方に権限を委譲することで、中央政府の財政負担を軽減する狙いも持っていました。しかし、自己の権限を手放したくない、官僚たちは翳に陽に抵抗し、現在もなお中央と地方の争いが続いています。
2009.05.19
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世界経済の現状(4)欧米の金融機関、本格的に債務の踏み倒しにかかっています。昨日の日経の記事によると、スコットランド国立銀行(RBS)、ロイズ銀行、バークレイズといった英国の大手行は、4月に自行の債権を保有する投資家に対し、「お手元の債券を買い戻します」と、提案書を送りました。高利回りだけれど、返済順位の低い劣後債を元本の40%~80%で買い戻すという提案です。何のことはない、差額は踏み倒すということです。提案したのはいずれも経営危機に陥り、公的資金の注入を受け、事実上政府管理下にある銀行ばかりです。提案を受けた投資家は、満期まで待っても満額の返済を受けることは、先ず無理だろうと考えたのでしょう。途中倒産すればゼロになることなども考慮し、減額返済に応じるケースが続出しているそうです。RBSはこれで、40億ポンドの自己資本を積みましました。スイスのUBS,フランスのクレディ・アグリコルも同様の減額買取を始めています。このシリーズの(2)に書いた、米国が国家ぐるみで始めた超大粉飾と実は同じです。発行した社債の実際の市場での取引レートを、そのまま簿価にして良いというものです。40%なら、100億ドルの借金を40億ドルで計上でき、差額の60億ドルは利益として計上してよいという、開いた口のふさがらない見え透いた詐欺的行為のことです。しかし、実際に倒産の可能性をチラつかせて、減額弁済を押し付けてしまうと、まさに相手が債務を放棄してくれたことになりますから、ここではまさに、かつての日本の債務放棄と同じことがおき、負債評価益という見かけの利益は、債務免除益という実際の利益に変わっています。これが欧州のやり方です、アメリカはどうか。米国では、公的資金を使った優先株を普通株に転換する動きが急です。こうすると、転換した株式の全学を資本勘定に組み入れることが出来るからです。これも要するに債務の株式化の手段です。資本不足とされた金融機関に自力増資などできるはずがありませんから、税金を使って、政府が株主になるしかないのですね。いずれ、米国の金融機関でも、債務の踏み倒しが始まるでしょう。このことが、経済全体に同影響するかは、しばらくあとに記します。金融機関は、こうして、自己にかかるデレバレッジ効果を、小さくしようとしています。しかし、大企業であり、政府の支援を受けることが出来るところは別として、中小企業や個人にとっては、こうした手段は、全くもって不可能です。彼ら、彼女らには、こうした抜け道は用意されていないのです。 続く
2009.05.18
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イギリスの庶民生活(7) パブと飲酒…18パブにおける飲酒を巡る問題は、1870年~80年頃を境に次第に落ち着いてゆきます。それは、労働者階級の生活の状況の改善と、安価なレジャーの多様化がようやく進みだしたからです。最も労働者階級の生活の改善は、この頃に急速に進んだ植民地支配の進展を背景に、労働者階級の反乱を予防する目的で、植民地利潤の1部を労働者階級の生活改善に充当するという、社会改良政策が陽の目を見たからでした。それは植民地民衆の犠牲によって、国内の労働階級に救いの手を伸べるという、実に狡猾な方法だったのです。そこには、世界の被支配階級が見事に分断され、統一戦線を組めない事態が生み出されたのでした。この帰結が、第一次、第二次という2つの世界大戦に繋がっていったのです。ここではこの問題への言及は、ここまでとしておきます。労働者階級に広まった安価なレジャーには、ミュージック・ホールにおける大衆音楽の楽しみ、大衆演劇の普及、サッカーなどのスポーツ、動物園や植物園の普及と日曜日の開園でした。またプロスポーツの観戦なども登場します。そしてまた鉄道網の充実と、割引運賃の普及による鉄道利用の増大が、大衆のレジャー機会を拡大したのです。ミュージック・ホールはパブでの歌や踊りが分化、独立して誕生したものでしたが、自ら歌って、踊って見物する場として、定着して行きました。大衆演劇もまた家族ぐるみで楽しめるものでしたし、ボール1個で集団で楽しめるサッカーは、スラムの子ども達にも大人気でしたし、大人もまた楽しめるものでした。動物園で見ることの出来る、エキゾチックな動物の話は、人々の好奇心を強く刺激し、まだ見たことのない人は、想像をたくましくしながら、対面の日を楽しみにしていたのです。海岸へ出かけるレミングのたとえ話は、レジャーの誕生の項に記しましたが、この時代には、夏の海岸ばかりではなく、様々な形での鉄道旅行が普及するようになっていました。地方から動物園や植物園を訪れる人も多く、美術館や博物館への関心も、高まりを見せていたのです。こうした楽しみの多様化から、パブにおける飲酒も、次第に節度あるものに変わっていきました。勿論、パブはなくなったわけではなく、社会に溶け込んだ存在として、時代のニーズに合わせて、少しづつ形を変えながら、今日までその姿をとどめているのですが。19世紀の末には、ようやくにして場末のドヤ街における水質の改善、水道並びに下水道設備の改良が実現し、また居住条件も大幅に改善します。こうした住環境の改善は、労働者のパブへ通う回数を、劇的に減らすことに繋がりました。結局、生活環境の改善が、労働者階級におけるパブと飲酒の問題を解決する鍵となったのでした。 完本日をもって、イギリスの庶民生活のシリーズをひとまず閉じることにします。ご愛読有難うございました。
2009.05.18
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クロニクル インド核実験を実施1974(昭和49)年5月18日35年前のこの日、インドが地下核実験を実施し、世界に衝撃を与えました。インドは平和主義を国是とし、米ソの冷戦に際しても、どちらにも組せず、平和の調停者の姿勢を崩さないことが日本人の共感を呼び、特に日本人に親しみをもたれていた国でした。それだけに、そのインドが核実験を実施したという事実に対して、日本人は大きなショックを受けたのでした。しかし、インドは中国との間に国境紛争を抱えており、中国の軍備状況とりわけ度重なる核実験に脅威を感じていたことも事実でした。こうしてインドは中国の脅威に対抗する手段として、核実験を通じての、核兵器の製造と保有に踏み切ったのです。
2009.05.18
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イギリスの庶民生活(7) パブと飲酒…17しかしまた、庶民生活全体を見通すとすると、パブと飲酒について、女性たちがどのように見、どのように感じていたかを記す必要があります。この点で、既に記したフランスの居酒屋の雰囲気とイギリスのパブのそれは決定的に違っていました。フランスでは土・日の関の酒場は、家族連れで賑わいました。婦人達はなけないのよそゆきを質屋から請出して身に着け、亭主や子供と共に関の酒場に繰り出しました。覚えておられる方もいらっしゃると思います。ところが、イギリスではパブは基本的に男の世界でした。コーヒーハウスと言いパブと言い、どうもイギリスの男共は、女性差別の傾向が強いように思われます。パブに女性を同伴しないのですから、女性たちは当然のこととして、パブを嫌い、パブに敵意を持つようになります。大事な生活費を、飲み代に使われたのではたまったものではないことも事実です。「政治、政治って言ってるけれど、本当はパブでお酒を飲むのが目的なんでしょう?」とワイフに迫られて、グッと返事に困った中流や、上層の労働階級も多かったのでしょう。1830年代中頃の、職人中心の急進主義運動の機関誌に、「婦人の影響力」と題する論説が掲載されました。以下はその一部です。「一般に婦人は政治というものが嫌いである。亭主どもが政治だと言っては家事を放り出し、女房をないがしろにして、自分だけパブなどに行ってしまうからである。亭主は夜は家に居てくれて、パブで金を使ったり、酔っ払ったりすることのないように、婦人たちが願う気持ちは良く分かる。この点では、婦人たちの言い分は正しい。我々も、この点については、急進的改革者諸氏が、女房殿の意向に逆らわないことを希望する。」「そこで、政治問題を議論するために集まる場合、パブを避け、しかも可能な限り時間を短縮するように心がけようではないか。」と。女性たちの怒りが眼に見えるようですね。 続く
2009.05.17
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世界経済の現状(3) 15日の日経新聞夕刊に、米国の食費支出が減少傾向にあることを報じる記事が掲載されました。その記事によると、米国内の食費の総支出は昨年7~9月期に、前期(6~8月)比マイナス7,3%、10~12月期に同じくマイナス14,7%と大きなマイナスとなり、今年1~3月期はマイナス0,8%と、マイナス幅は小幅になったものの3四半期連続の減少を記録したことが報じられています。この間に米国の人口は200万人増加していることも報じられていました。小・中学校の時代に学んだエンゲル係数を持ち出すまでもなく、食べることは生存の第1条件です。着る物履く物は、購入しなくとも何とかなります。まして趣味の領域を切りつけることも、誰もが食費以前に手をつけています。食費の切り詰めは、いよいよ最後の聖域にまで、消費の縮小の影響が及んできたことを示しています。記事は同時に、識者のコメントとして、生の魚肉から冷凍魚へ、牛肉から鶏肉へといった安いもの、安いものへと売れ筋の商品がシフトしている旨を伝えていました。高級店から安売り店への消費者の移動が、ここでも確認できます。日本の外食産業でも、遂にマクドナルドの売上高がスカイラークを上回って、国内1位になったと報じられました。消費者は可能な限り消費を抑え、現在の危機を身を縮めて乗り切ろうとしている様子が読み取れます。いわば本能的に危機の回復が簡単ではないことを読み取っているように、感じられます。昨日は別の書き物に時間をとられて、失礼してしまったのですが、1昨日の第2回にレバレッジを効かせた上での損失は、簡単には解消できず、今後にも影響する旨を記しました。レバレッジの対極にあるデレバレッジ効果が、これからの世界に重くのしかかっているのです。この解消は容易ではありません。 続く
2009.05.17
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クロニクル 参院に緑風会結成1947(昭和22)年5月17日今から62年前に当たるこの年は、5月3日に新憲法が公布されたことで知られますが、公布に先立つ4月20日に第1回参議院議員選挙が行われ、3日後の23日には、衆議院議員の選挙も行われた年でした。このうち参議院については、第1回であったため、定数1杯の250名が当選とされ、上位125名(「全国区50名、1地方区75名」)が規定通り6年議員、下位125名が任期が半分の3年議員とされました。この第1回参院選では、参院の政党色は薄く、無所属議員が108名と断然多く、以下社会党47名、自由党39名、民主党29名、国民協同党10名、共産党4名、諸派13名となっていました。そしてこの日、無所属議員の一部47名が、議員集団を結成することで、議会活動上の便を図ろうと、統一会派参議院緑風会を結成したのです。この後も緑風会に加わる議員は、増え続け、最終的に無所属議員のうち92名が参加する、大統一会派に成長してゆきます。
2009.05.16
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イギリスの庶民生活(7) パブと飲酒…16パブは様々な組織の事務所の役割も果たしたと書きました。いくつか有名なものをあげておきます。古くはフランス革命の時期に、イギリスにおけるラディカリズムの組織として知られた「ロンドン通信協会」が挙げられます。同協会は、1792年にタヴァーン「ザ・ベル」で産声を上げました。ストランド街のタヴァーン「クラウン・アンド・アンカー」は、2500名もを収容する大ホールを備え、反穀物法同盟の指導者ブライトやアイルランド独立運動の指導者オコンネルらは、好んでこの大ホールを利用するのが常でした。1836年に結成されたチャーティスト運動の本部も、ずっとここにおかれました。チャーティスト運動の中には、労働者がその生活を厳しく律して自立した模範的な市民になることが、労働者の政治的かつ社会的な解放に繋がると主張して、飲酒癖の追放を主張すする「モラル・フォース」と呼ばれる1派がありました。彼らは飲酒が労働者を貧困に留めるばかりでなく、知識の習得や政治意識の覚醒を妨げる最大の障害になっていると指摘して、比較的賃金の高い熟練労働者の一部に支持者を持ちました。しかし、オコーナーをはじめとするチャーティスト運動の主流派は、「モラル・フォース」の運動は、中流階級のイデオロギーに労働者階級を屈服させるものとして、距離を置く姿勢を崩しませんでした。オコーナーは、パブこそが労働者にとっての「自由の牙城」であるのに、何故それを「お上品ぶった」中流階級の諌めに従って、明け渡さなければならないのかと、「モラル・フォース」派を批判しました。当然ながら、民衆の多くはオコーナーら主流派を支持しました。ブルジョワのイデオロギーでもあった節酒運動に対する労働者階級の反発は根強いものがあったのです。民衆の伝統的な行動様式を積極的にくみ上げていくとすると、パブと飲酒の持つ社会的役割を無視することが出来ないことを、認めざるを得ないのです。 続く
2009.05.16
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クロニクル 麻原彰晃逮捕1995(平成7)年5月16日あれからもう14年も経つのですね。オウム真理教による毒ガス撒布事件です。警視庁はこの日、同年3月の地下鉄サリン事件、および前年6月の松本サリン事件などの指示並びに実行犯として、指名手配中のオウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名松本智津夫)を初めとする、幹部・信者15名を、殺人並びに殺人未遂容疑で逮捕しました。潜伏場所は同教団の本拠のある山梨県上九一色村のサティアンの一郭に作られた隠れ部屋でした。
2009.05.16
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世界経済の現状(2) 今回の危機の特徴は、金融機関、ヘッジファンド、個人を問わず、レバレッジを効かせて、大きく取引を膨らませた企業、団体、個人が巨額の損失を蒙ったことにあります。レバレッジの損失であるがゆえに、桁違いに損失額が大きくなっているのです。金融知識のある方には、釈迦に説法になりあすので、読み飛ばしていただきたいのですが、要するにこうなります。今、1億円の資産を持っている方が、この1億円を投じて金融商品を購入したとします。この投機が失敗して1億円がゼロになったとします。しかし、この人は奮起して働き1千万円の利益を得たとすると。その1千万円は自分のものとして自由に使えます。しかし、1億円を元手にして3億円を借り、この3億円を投じた投機に失敗して3億円をまるまるゼロにしてしまった場合、手持ちの1億円を返済しても、なお2億円の借金が残ります。ですから、一念発起して、1年で1千万円稼いでもそれは全て借金返済に回し、同じことをなお19年続ける必要があるということです。ですから、企業も団体も個人も、レバレッジ取引に嵌まってい場合には、当分の間再起は難しい、消費市場を元気付けるような消費行動は当分とれない。こういうことになっています。これが高級品市場や高額商品市場ほど、冷え込んでいる理由なのです。ですから、回復は簡単ではありません。 続く
2009.05.15
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イギリスの庶民生活(7) パブと飲酒…15パブは様々な出会いの場でもありました。また庶民にとっては、日常生活の雑多な必要を満たしてくれる場でもありました。労働者にとっては、パブは労働組合の事務所代わりでしたし、友愛協会の例会の場でした。そしてパブの経営者であるパブリカンが、積立金の管理責任者となっているケースも多かったのです。このシリーズでも綴った、葬儀費用の積立金幼児殺人事件に関する保険金の支払いも、パブで行われたのでした。そしてパブは、職業紹介所の役割も果たしていました。こんな調子でしたから、工場労働者の1週間の賃金も、しばしばパブで支払われていたのです。これは問題でした。居酒屋やバーが賃金の支払い場所で、ご自身が酒の目のない方だったとすると、どうなるかは簡単に想像できます。月給システムで、会社で給料を受け取っている場合でも、自宅までまっすぐ帰りつくか否かは、「三丁目の夕陽」の時代においてすら、大きな問題だったのですから…。 その意味で給料の銀行振り込みが、果たした役割は大きかったというべきなのでしょうね。当時の識者はこんなことを描いています。「土曜の夜遅く、しかもパブで職人に賃金を払うやり方だと、彼は1日の仕事でクタクタになっているものだから、どうしてもそのまま居座ってしまうか、馴染みのタヴァーンに足を向けることになってしまう。暖かな暖炉のそばで、時間はあっという間に経ってしまう。おかみさんが亭主の賃金を心配して探しにやってくる頃には、賃金のかなりの部分が飲み代に消えてしまっていることになる。」と。節酒運動家が問題にしたのは、こうした下層階級の実態にありました。ですから、彼らの二重基準にも、彼らなりの意味があったことは事実なのです。しかし、彼らが遂に理解することがなかったことは、それでは飲酒に替わる、健康的であまり財布の負担にならない楽しみを、激しい肉体労働で日々疲れ切っている労働階級に提供することだったのです。労働者と飲酒との関係が、次第に整理されていくのは、労働者階級をひきつける健康的なレジャーが登場し、その苦しい生活状況も少しづつ改善し始める、19世紀末のことだったのです。 続く
2009.05.15
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クロニクル 沖縄本土復帰1972(昭和47)年5月15日このブログは2006年の10月2日がスタートで、当初は過去の同じ日に起きた出来事だけを辿っていました。ですから、5月15日の出来事を記すのは、これが3度目です。過去に2度も5月15日を扱いながら、この日に関する日本史上最大の出来事である沖縄返還を取り上げることを、今日まで避けてきました。簡潔な文にする自信がなかったからなのですが、昨年のブログへのコメントで、ブログ仲間のじゅぺ理が、「私にとっての5/15は沖縄の返還以外にありえない」との厳しい一文を寄せてくださったもので、もはや逃げられないと、私も覚悟を決めたのです。というわけで今日のテーマは沖縄の本土復帰です。37年前のこの日の午前0時、沖縄の施政権が27年振りに日本に返還され、沖縄県が誕生しました。この時間に合わせて、ランバート米高等弁務官は、屋良朝苗沖縄県知事に見送られて、嘉手納基地から、横田基地へと飛び立ちました。この日午前10時半から、東京と那覇で、祖国復帰を祝う政府主催の記念式典が同時に開かれました。しかし、沖縄にはお祝いムードはありませんでした。県民の希望した「核抜き本土並み」返還の願いが、とても実現したとは言えない状況にあったからです。在沖米軍基地での核兵器の保有こそは曖昧にされたままでしたが、米軍基地の存在は限りなく大きく、返還後も現状を維持することが、日米両政府の合意事項となっていたからです、県民の願いは無視されたままとなっていたからです。その上、沖縄の人々は、今まで通用していたドル札を、円に切り替えるためのゴタゴタの中にありました。この日まで沖縄では1ドル=360円で通用していましたから、1ド=305円への評価替えは、物価の騰貴を招き、復帰ショックと呼ばれる事態がおきていたのです。
2009.05.15
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