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クロニクル 山手線に冷房車登場1970(昭和45)年7月31日 酷暑の日々ですから、涼しそうな話題を…。49年前のことです。今ではあたり前になった電車の冷房。私はもっぱら弱冷房車を利用するよう心がけているくらいです。そんな冷房車。当時は新幹線を中心に、別に特急料金が必要な長距離電車にのみ設置されておりました。乗車時間の短い通勤電車には要らないと考えられていたのですね。 関西の事情には疎いので、もしかしたらそちらの方が早かったのかもしれませんが、首都圏で最初に冷房車を導入したのは、1968(昭和43)年の京王電鉄でした。新宿から京王八王子や高尾山口に向かう1部の特急(特別料金不要)に設置したのが最初です。この好評を見て、当時の国鉄が山手線に導入を試み、49年前の今日、その第1号が登場したのです。当時の冷房車は新型車輌の1部の電車だけでした。私は、赤羽線の板橋駅が最寄り駅で、池袋・新宿間を良く利用していましたので、夏場に時たま、冷房車にめぐり合うと、何か得した気分になったものです。 今はあたり前になっている、ラッシュ時間帯の女性専用車輌の導入も、京王電鉄が最初に踏み切っています。そういう点で、京王電鉄は通勤電車サービス改革のパイオニアでした。
2019.07.31
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クロニクル 「モスラ」公開1961(昭和36)年7月30日58年前になります。この日東宝映画「モスラ」が公開されました。ゴジラ、ラドンに続く、東宝の3代怪獣がここに揃ったことになります。 制作費2億円をかけ、アメリカのコロンビア映画との日米合作として企画、実行された映画です。円谷プロの特撮技術が、アメリカで如何に高く評価されていたかが、伝わってきます。 「モスラや モスラ……」というザ・ピーナッツの歌声、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。そういえば、今年は「ゴジラ」が誕生して65年、最近ハリウッドなどで盛んにゴジラ関連の映画が公開されますが、日本のゴジラに比べると、違和感を感じます。
2019.07.30
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クロニクル 田中角栄前首相逮捕1976(昭和51)年7月27日43年前のことです。この日、東京地検は、ロッキード事件に絡んで田中角栄前首相を逮捕しました。取調べの結果、8月16日に受託収賄罪と外為法違反の2つの容疑が固まったとして、起訴しました。この事件は、2月に米国でロッキード社の幹部、コーチャン副社長の証言によって問題が暴露され、米国発で日本のマスコミの注目を浴び、それから検察が動くという、珍しい手順で暴かれた事件でした。 事件の特異性から、対中関係の改善を米国の意向を無視して積極的かつ素早く進めるなど、戦後米国の意向を無視した初めての首相の登場に危機感を持った米国が、今後の首相となる人達への警告の意味も込めて、積極的に暴露したのではないかという、うがった見方をする人達もかなりの数に上りました。
2019.07.27
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クロニクル ポツダム宣言発表 1945(昭和20)年7月26日ベルリン郊外のポツダムで、この月17日から会談中だった米・英・ソ3国のうち、米・英2国は、中国の蒋介石には電信で知らせて了解を採り、なお交戦中の日本に対する降伏勧告と、降伏条件を米・英・中3国の名で、この日発表しました。69年前のことです。 一緒に会談中のソ連の名がないのは、日ソ間には交戦状態がなかったからでした。中国の蒋介石は、会談の席に中国代表を招かず、電信での通告で同意を求める米・英のやり方に不快感を表明しましたが、宣言の内容そのものには同意を表明しました。さて、このポツダム宣言の内容ですが、前文で日本の軍国主義者のこれ以上の抗戦の無益を説き、日本は破滅か理性的な降伏で国土の全面的な焦土化を防ぐか、二者択一に迫られていることを指摘し、以下の条件を提示しmasita。 (1)日本の軍国主義の除去、(2)平和で安全な新秩序が構築されるまで、連合軍による占領を受け入れること、(3)カイロ宣言による領土制限の受諾(明治以降の戦争で獲得した領土のうち、交戦状態にないソ連(旧ロシア)から獲得した樺太南部を除く全領土の返還と朝鮮の独立承認を求めた宣言)、(4)日本軍の武装解除と兵士の復員、(5)戦争犯罪人の処罰、(6)民主化の徹底と基本的人権の確立、(7)再軍備の禁止そして、占領中も占領軍に依る直接統治を行なわず、日本人に依る政府を認める間接統治方式をとることも匂わせていました。 日本固有の領土の割譲が要求されていないこと、賠償請求のないことなど、降伏条件としては、当時の戦況からして極めて緩やかな内容であることが、良く伝わってきます。これは、2月のヤルタ会談における、ドイツ降伏後3ヶ月以内に日ソ中立条約を破棄して参戦するという、米ソの密約の期限が迫り、ソ連の参戦が目前に迫っているという状況を踏まえ、米国が戦後の対ソ関係を考慮して、日本を自陣営に留めることを目指していたからです。しかし、戦局の不振にいらだち追い詰められていた当時の軍首脳部は、ポツダム宣言に込められていた米国のサインを冷静に受けとめる能力を失っていました。軍部は、戦犯の処罰という項目に拘り、この戦犯に天皇が含まれるのか否かという点に拘り、天皇の処罰なしの確約が得られない限り、ポツダム宣言を受諾出来ないとする姿勢を貫き、国民に対しては、宣言の内容を発表すると共に、「政府はこれを黙殺する」との談話を発表しました。連合国はこれを拒否と受けとめ、対日攻撃を続けました。ソ連参戦を出来れば避けたかった米国も、日本の頑なな態度から、日本降伏の決定打がソ連の参戦であったという印象が広まるのを怖れ、完成したばかりの原子爆弾の投下を決定しました。広島を廃墟とされ、ソ連も参戦し、さらに長崎に2発目の原爆が投下されました。ソ連軍は怒涛の勢いで満州に展開した関東軍を蹴散らし、朝鮮半島の北部にまで達します。 日本がようやくポツダム宣言を受諾して降伏したのは、こうした事態が進んだ後でした。 軍首脳の自己保身と、冷静に彼我の力関係を分析する能力の欠如(つまり無能!)、そして天皇に近い政治家の軍部と対決しても事態を打開しようという強い政治的意志と責任感の欠如が、ポツダム宣言発表後の事態の推移の中に見てとれます。こうした無能な軍人や政治家の誤った判断の結果、日本は原爆の被害とソ連に抑留された人々の苦難を産み、そして朝鮮半島の人々は今日なお南北分断の悲劇の中に置かれ、そして子どもを拉致されて苦悩する親たちもいる状況が残っているのです。 私は、大都会を中心とする米軍の空襲や原爆の投下に対し、今でも強い憤りを覚えますし、米国政府に対し、例え対米関係を一時的にこじらせたとしても、こうした住民虐殺に対し強く抗議し米国大統領の広島・長崎への訪問と、日本国民に対する謝罪を要求すべきだと考えています。同時に、当時の軍人や政治家の戦争責任をしっかり追究して、昨今目立っている彼らの自己正当化発言の不当性を厳しく追及すべきだと、考えています。そんな発言を無批判に垂れ流しているテレビ局も責任は重大ですね。
2019.07.26
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クロニクル 東京教育大学、筑波移転を決定1969(昭和44)年7月24日50年前のこの日、東京教育大学(現在の筑波大学)の評議会は、政府が推進を決定していた筑波研究学園都市への移転を決定しました。この構想については、移転を承諾すれば、旧式の設備を一新でき、しかも大型の研究用機材を大量に新規購入できることに魅力を感じた理工学系の教員が概ね移転推進派となり、人文、社会科学系の教員の多くは、人事等で国家管理色が強まることを嫌って、移転反対を強く主張するなど、学生をも巻き込んで学内を二分する大問題になりました。この年1月には東大安田講堂を占拠した全共闘派の学生を、機動隊が排除するなど、全国的に学生の反乱が続いており、東大闘争以後も、各地の大学でのストライキや授業ボイコットが続き、全国学園闘争と称された事象は、なお衰えをみせていませんでした。当時は、そんな時代環境にありました。それゆえ、移転反対派の学生たちは、移転を決定した評議会の議事録の公開や移転賛成の根拠の公開を求めて、ストライキや全学封鎖を繰り返し、一時は騒然たる空気に包まれましたが、70年代に入って全共闘運動の退潮と共に、移転へ向けてのスケジュールが進むことになりました。しかし、移転反対派の教授陣の多くは、民主的手続きを踏んでの移転決定手続きが採られないことに抗議して辞職の道を選び、文系の名物教授の多くが、他大学に転籍する事態を招きました。こうした事情から、移転後しばらくの間、筑波大学は文系スタッフの確保に四苦八苦する状況が続きました。
2019.07.24
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クロニクル 日本基督教連盟軍国主義に協力を表明1937(昭和12)年7月22日82年前のこの日、日本基督教連盟は「時局に関する宣言」を発表、軍国主義の国策に協力することを表明しました。この日の約2週間前に当たる7月7日、盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が始まっていました。日本の軍部は戦争の拡大によって、華北から華中一帯を占領する計画を立て、統帥権の独立を楯に、政府の命令を無視して戦争拡大路線をひた走ります。そうした目論みの下、信者数がそこそこ多い宗教団体に対し、国策に協力するよう圧力をかけてきたのです。 基督教連盟もまた他の宗教団体と同じように、残念ながら軍部の圧力になすすべもなく屈服し、国策への協力を表明したのです。こうして基督教会の多くもまた、一定の戦争責任を免れない存在となったのでした。
2019.07.22
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クロニクル 「上を向いて歩こう」誕生1961(昭和36)年7月21日 誕生から今年で58年になります。故坂本九ちゃんの代表作として知られる、「上を向いて歩こう」がこの日、初めて公の場で披露されました。といっても、まだ九ちゃんが歌ったわけではありません。この曲は、58年前の今日開かれた、作曲者の中村八大さんのリサイタルのために書かれた曲で、この日初めて演奏されたのです。 作詞はコンビの永六輔氏でしたが、この時点では、レコーディングの話は出ていなかったのです。坂本九によるレコーディングは秋に行われ、10月に発売となりました。レコード発売と時を同じくして、この曲はNHKの人気番組『夢で逢いましょう』の10月~11月の今月の歌として紹介され、61年11月~62年1月までの3ヶ月間、レコード売り上げのトップを独走する、爆発的な大ヒットとなったのです。当時はまだCDはありませんでした。。
2019.07.21
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クロニクル マクドナルド日本上陸1971(昭和46)年7月20日48年前のこの日、日本マクドナルドのハンバーガーレストラン1号店が、東京の三越銀座店内で産声をあげました。 手頃な価格と、調理に時間のかからない、すぐに口に出きるお手軽さが受け、瞬く間に若者の間に支持を広げたことはご存知の通りです。ファーストフードの隆盛はマクドナルドによって準備されたと言っても、言い過ぎではなさそうですね。それから48年、ファーストフード業界は乱立による超激戦状態。昨日の勝ち組は明日の目け組の様相。日本のマクドナルドも、一時期は負け組の道をひた走っているように見えましたが、しぶとく耐え忍んで、最近は再び上昇気流に乗りつつあるようですね。
2019.07.20
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クロニクル 日本もボイコットしたモスクワ五輪開幕1980(昭和55)年7月19日39年前のこの日、第22回目の近代オリンピック、モスクワ五輪が開幕しました。モスクワ五輪については、前年79年12月27日に始まったソ連軍のアフガニスタン(以下アフガンと略記)への侵攻に抗議して、英国、中国、西独(当時)、日本などが、ボイコットを表明、参加を見合わせました。この結果、五輪出場を目指して、厳しい練習に明け暮れていたアマチュアの選手達、とりわけ80年前後が選手生活のピークであった、マラソンの瀬古選手など、当時の代表選手たちが、泣きをみることになりました。ソ連のアフガン侵攻から、1ヶ月も経たない1月の中旬に、人権外交というスローガンを掲げた米国のカーター大統領が、ボイコットを表明、対米従属を国是と考える日本にとっては、ボイコットに追随する以外の選択肢は、事実上無くなっていたのです。スポーツが政治に従属している事実が、余す所なく映し出された、考える事の多い出来事でした。
2019.07.19
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クロニクル 米国原爆実験に成功1945(昭和20)年7月16日74年前のこの日、米国はニューメキシコでの大気圏内核実験を行いました。離れた観測地点から閃光のきらめきが確認され、史上初めての原子爆弾の製造に成功したことが確認されました。トルーマン大統領には、「赤子は正常に生まれた」という暗号で知らされたのですが。大統領はただちに、日本への投下準備に入ることを指示したのです。その結果、実験成功の21日後には広島に、24日後には長崎に、製造から1ヶ月足らずで、2発の原爆が投下されました。 最初に投下あり気だったことは、疑う余地がありませんね。
2019.07.16
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クロニクル 宝塚唱歌隊誕生1913(大正2)年7月15日 4年前の2015年が、宝塚生誕100周年ということで、記念公演が目白押しでしたね。私の友人のシニア女性たちも、チケットの入手にあれこれ知恵を絞り、抽選の口数を増やそうと躍起になっておりました。女性の間でのヅカの人気は凄いのですね。その宝塚、宝塚音楽学校の前身宝塚唱歌隊が誕生したのが、106年前の今日だったのです。宝塚新温泉での集客のための余興として、少女たちに歌を歌わせようという計画が立てられ、誕生の運びとなったのです。その後歌だけではなく、少女歌劇も取り入れようと言うことになり、早くも同年12月には、宝塚少女歌劇養成会と名を改めて特訓を開始、少女たちには社員として高給を支給して優遇、代わりに厳しい練習を課したのです。計画は図に当たり、翌1914(大正3)年4月1日からの初演は大好評で、5月末までのロングラン興業は、1日平均1100人の観客を集めたと記録されています。 私立学校としての宝塚音楽歌劇学校が正式に認可され、スタートしたのは、1919(大正8)年のことでしたから、こちらは今年が100周年にあたります。
2019.07.15
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クロニクル リカちゃん人形発売1967(昭和42)年7月14日52年前の今日が、今も人気のリカちゃんが始めて発売された日、いわばリカちゃんのお誕生日です。リカちゃんも52歳になるのですね。誰ですか、私と同い年だなんて、呟いているのは…。リカちゃんは、ビニール玩具メーカーのタカラが発売したものです。企画にあたり、日本の少女たちがより身近に感じられるようなファッションドールとすること、小学生の女の子で、小さな女の子の手の平に収まるサイズとすること、この2点から身長を21cmとすることが決まったそうです。さらに、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが、牧美也子さんの原案から採用されました。また「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決められたそうです。 発売2年後には、人形の売り上げでトップとなり、90年代に2年ほど、当時の人気アニメの主人公、セーラームーン人形にトップの座を譲りましたが、その後は再びトップの座を奪い返し、現在に至っています。累計の出荷本数は、5,300万本を超えているそうですから、凄い数ですね。
2019.07.14
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クロニクル iPhone(アイフォーン)日本で発売2008(平成20)年7月11日11年前ですね。iPhone(アイフォーン)の日本での発売がスタートしたのが、11年前の今日でした。 発売窓口となったのは、ソフトバンクモバイル(=旧ボーダフォン)でした。ソフトバンクモバイルは、iPhone(アイフォーン)の発売を通じ、契約件数の増加を狙ったのですが、その作戦は、見事に的中しました。今はどうなっているのでしょうか。ようやくシニア向けのガラケーに慣れた神父は、スマートフォンなるものに手を伸ばす気になれずにいます。
2019.07.11
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クロニクル 岩波文庫創刊1927(昭和2)年7月10日92年になるのですね。92年前のこの日、岩波書店は、分売可能な小型本叢書(後、岩波文庫と命名)を創刊、ただちに発売しました。これは、当時流行の円本に対抗する狙いを篭めたもので、第1期刊行は、夏目漱石の『こころ』など22点、定価は★印、1コにつき20銭という手軽さでした。因みに『こころ』は★2コでした。 岩波文庫は、手軽さと、値段の安さで強い支持を受け、文庫本ブームの火付け役となり、やがて角川文庫や新潮文庫が後を追うことになりました。 私の中・高時代、文庫といえば、この3社のものだけでした。親書は岩波新書に光文社のカッパブックス。中央公論の中公新書や講談社の現代新書の刊行が始まったのが、大学生の頃でした。それが今では、あちこちの出版社の文庫や新書が溢れています。しかし…書店に本は溢れていても、本の売れ行きは落ちていて、町の中小の書店の店じまいが今もなお続いていて、寂しい限りです。電車内の若者がケータイやゲーム機をいじくるのではなく、せめて文庫本でも読んでくれたらなぁと願うのは、私だけではないと思うのですが…。 言葉は文化そのものです。自分たちの言葉を失くした民族は、次第に自分たちの文化を失い、民族としての寄って立つ基盤を失います。 韓国との間で徴用工問題や慰安婦問題などが話題になっていますが、私は自分たちの言葉を持つ誇り高い民族に、日本語を強制したことこそが、最もやってはいけないことだったのではないかと、受け止めています。
2019.07.10
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クロニクル キッシンジャー隠密裏に訪中1971(昭和46)年7月9日48年前のこの日、米国ニクソン政権のキッシンジャー大統領補佐官が、隠密裏に中国を訪問、周恩来首相と会談しました。 国際政治学者で、ハーバード大学教授だったキッシンジャーは、乞われてニクソン政権の外交顧問を兼ねる形で、大統領補佐官に就任。精力的に膠着状態に陥っていた国際関係に風穴を開ける仕事に専念していました。この時も、公式にはタイとビルマを訪問すると発表しながら、ビルマ政府の協力で、国境を接する中国に渡り、北京へ飛んだのです。 会談の結果、米中関係の改善のために、翌72年5月までに、ニクソン大統領が訪中することで意見が一致。キッシンジャー補佐官の帰国後の同月15日、米国と中国で同時に発表されました。この決定を下に、ニクソン米大統領は、翌年2月21日から27日まで中国を公式訪問、両国関係の改善に努めました。この時、日本の佐藤首相は、米国に追随して中国敵視政策を取っており、国会審議中に米中の発表を受けて、議場はしばらく混乱に陥り、佐藤首相は終始、苦虫を噛み潰したような渋い表情をしていたことが、夜のニュースで流れたこと、良く覚えています。ところで、関東大震災の起きた年、1923年生まれのキッシンジャー氏は、訪中当時48歳だったのですが、96歳となった現在も元気そのもの、歴代米国政権のアドヴァイザー的役割をこなしており、トランプ政権のアドヴァイザー的役割も務めており、現在でも政権への影響力を保っています。まさに怪物ですね。最近の彼の主張を1点だけ紹介すると、「北朝鮮のような国でも核開発が進んでいる現在では、近い将来国際的テロリスト・グループが核を保有する可能性すら夢物語とは言えない状況となっているのだから、核兵器はもはや、かつてのような戦争の抑止力としての効果は持ちえなくなっている。米国は先頭に立って、核兵器廃絶の音頭をとるべきである。」 こう語っています。
2019.07.09
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クロニクル 三宅島噴火 2000(平成12)年7月8日19年前のこの日、三宅島の火山、雄山が大きな噴煙をあげて、噴火しました。噴火の規模も大きく、火山性の地震も続き、さらなる大噴火が心配される事態が続きました。 有毒ガスの発生,噴出も続き、次第に島内に安全な場所を確保することが難しくなって行き、ついに三宅島の人々は、全島避難を受け入れざるをえないところにまで、状況は悪化しました。 長年暮してきた生活の場を離れ、見知らぬ町での生活に適応しなければならないのですから、大変な決断だったろうと思います。それでも、生き長らえるためには、受け入れざるをえない結論でした。こうして、噴火発生から55日目にあたる9月1日、全島避難が決定しました。三宅高校の生徒は、親戚等の家に寄宿した一部生徒を除いて、全員が寮設備のある都立秋川高校に受け入れられるなど、受け入れ側の東京都も大変でしたが、住み慣れた島へ、いつ戻れるのか、避難生活がどのくらい続くのかも分からない、三宅島の皆さんのご苦労は、この後も長く続きました。 全島避難指示は、4年5ヵ月後の2005年2月1日午後3時に解除されました。島に戻ることが出来て良かったですが、4年半も留守にしていた島での生活再建は、大変なご苦労の連続だったのでしょうね。最近は国内にとどまらず、世界規模で大きな地震や噴火、異常気象などが続発していますね。増えすぎた人間のわがまま勝手な振る舞いに、地球が怒って警告を発しているように思えてなりません。
2019.07.08
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クロニクル カルピス販売を開始 1919(大正8)年7月7日 「カルピスの味は、初恋の味」のCMで有名な、乳酸菌飲料のカルピスが、ちょうど100年前の今日、発売されました。 世界初の乳酸菌飲料であるカルピスの創業者は、僧侶出身の三島海雲。名付け親は山田耕筰と、当時芝学園校長だった渡辺海旭の2人でした。 創業後順調に業績を伸ばしましたが、少子化の進行と、M&Aの隆盛をつぶさに見聞きした結果、カルピスは2007年に「味の素」の完全子会社となることを決断し、今日に至っています。
2019.07.07
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クロニクル リクルート事件政治家に波及1988(昭和63)年7月6日31年前になります。リクルート事件、覚えていらっしゃるでしょう。リクルートの江副社長が、同社の不動産部門の子会社、リクルート・コスモスの未公開株を政・財・官界の要人にばら撒き、便宜を図ってもらっていた事件です。 事件そのものは、同社が川崎駅前再開発に絡んで、川崎市の助役に未公開株を渡して利益を供与していた事実が、既に87年に朝日新聞にスクープされていました。それがこの日は、一方では日本経済新聞の森田社長が、同社株の売買で8千万円の利益を得ていたことが発覚して、社長を辞任する事態がおき、他方では、未公開株の譲渡が政治家に及んでいたことが明らかになったのです。しかもその譲渡先には、自民党の派閥の領袖クラスが網羅されていました。中曽根康弘前首相(配布当時首相)、竹下登首相、安倍慎太郎幹事長、宮沢喜一蔵相、渡辺美智雄通産相、藤波孝夫官房長官などです。このため、事件の波紋が広がり、翌89年4月に、竹下首相が責任を取って辞任した時、派閥の領袖クラスは、全員謹慎中のため、次の総裁に困った自民党は、派閥の親分ではない宇野宗佑を総裁に担がざるを得ないという、体たらくに陥りました。首相の座が軽くなったのは、この時からな気がします。
2019.07.06
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クロニクル 東海興業更正法申請1997(平成9)年7月4日22年前のこの日,東証一部上場の中堅ゼネコン、東海興業が東京地裁に会社更正法の適用を申請し、実質的に倒産しました。一部上場のゼネコンとしては、初めての倒産でした。この後、青木建設、国土開発、佐藤工業など中堅ゼネコンが次々に倒産に追い込まれますが、企業の過剰状態は変わらず、生き残ったゼネコンもまた、受注競争から採算割れ寸前の工事が多く,金融機関から利息の減免や、一部債権の放棄を受けて、辛うじて倒産を免れている、綱渡り状態が続いたのでした。 間組や熊谷組などの準大手も、多額の債権放棄を受けて辛うじて命脈を保っているのですが、いまだに株価はパッとせず、今後に大きな課題を残しています。 東日本大震災後の復興需要と、安倍内閣の懲りない公共事業のばら撒き。そして東京五輪関連の特需まどで、ゼネコン業界は特需に沸いておりますが、長期に財政による特需が続くわけもなく、再度の大阪万博も、五輪ほどの広がりは持てないでしょうから、過剰ゼネコンの整理、淘汰が、またぞろ話題となりそうですね。
2019.07.04
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クロニクル 米艦イラン旅客機を撃墜1988(昭和63)年7月3日31年前になります。この日、ペルシャ湾で米国の艦船がイラン旅客機を誤って撃墜、乗員・乗客290人全員が死亡する痛ましい事故がありました。 米艦船は、旅客機を戦闘機と誤認して攻撃した模様で、米国政府の速やかなお詫びで、事態がさらに悪化することは避けられました。しかし、戦闘機が旅客機ほどの大型であることはありえず、戦闘地域に派遣された兵士の精神状態が、いかに過度の緊張のために、破綻に瀕しているかが浮かび上がった事件でした。この事件には、後日談があります。1988年のこの時期は、なおイラン・イラク戦争が続いていました。イランの革命政府を嫌うアメリカ政府は、フセインのイラクを支援し、そのために艦船をペルシャ湾に派遣していたのです。そこへこの事件です。事件をきっかけにイラン・イラク戦争への介入に、世論と議会の反発が強まり、結局米国は、イラン・イラク戦争から手を引かざるをえなくなるのです。この事件は、結果としてイラン・イラク戦争の幕引きの原因になったのでした。
2019.07.03
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クロニクル 東海道本線全線開通1889(明治22)年7月1日 明治も中頃に差し掛かった時期ですね。今から130年前になります。この日、東海道本線が、東京新橋から神戸駅まで全線開通いたしました。新橋~横浜間で、日本の鉄道が産声をあげてから、17年後のことでした。
2019.07.01
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