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そういえば昨日、2月26日は、今を遡る数十年前に、 「226事件」が起こった日だったのですね。 学校の授業で習った時は、事件の内容や意義、歴史的な影響など、 或いは蜂起した青年将校たちの気持ちがわかりませんでしたが、 卒業した後で、いろいろな本を読んで事件の本質が少し見えてきた気がしています。 「226事件」をテーマにした宮部みゆきさんの『蒲生亭事件』という作品があります。 高校生の男の子が226事件当日にタイムスリップしてしまうという内容で、 結末を読んでいる時、思わず涙を流してしまったということがありました。 私の奥さんも、同じ作品の同じところで、やはり泣きました。 宮部さんはどれを代表作と言っていいかわからないほど、 多くの素晴らしい作品がありますが、 『蒲生亭事件』は忘れられない名作だと思います。 宮部みゆきさんや赤川次郎さんは、『オール読物推理小説新人賞』を受賞して、 プロ作家としてデビューした作家で、その後の活躍は周知の通りです。 実は私も二十年近く前、『オール読物推理小説新人賞』に作品を応募して、 初めて書いた小説が最終選考まで残ったことがあります。 紙上に名前が載り、森村誠一さんや夏樹静子さん、逢坂剛さんなど著名な先生の 批評を頂きました。 結局は最終選考止まりで、翌年、新聞記者になったので、 小説を書くということはなくなったのですが、 宮部みゆきさんに対しては、勝手に同志のような感じを抱いています。 226事件があったことを思い出しながら、もう一度、 『蒲生亭事件』を読んでみようかなと思っています。。。
2010年02月27日
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私が住んでいる鳥取県というところは、 日本人でさえ、位置を知らない人がいるほどで、 人口は全47都道府県の中で最少ですし、 県の予算もおそらく全国最少でしょう。 でも海と山が近く、自然が身近で風向明媚、人情に厚い地域です。 人口が少ない分、県出身者に対しては誰もが身内のような感じを抱いています。 その鳥取県に対して、民主党の石井議員が、 「日本のチベットのようなところ」 と揶揄、或いは蔑視するような発言をしたことが、今、県内で問題になっています。 「人よりも牛が多い」だとか「人が住んでいるんだかどうだかわからない」 などと、笑いを取ろうとして、すべってしまったというようなくだらない発言です。 県内には石井議員に対して、発言の撤回、謝罪を求める声があがっていますが、 私は今更、撤回や謝罪をしてもらいたいとは思っていません。 仮に石井議員が謝罪、撤回をしたとしても、 それは多分、騒動を治めるための口先だけのことで、 心の中は依然、地方蔑視、農村蔑視で凝り固まっているだろうと思うからです。 それより問題なのは、先日の長崎県知事選挙における石井議員の発言です。 民主党が支援をしていた候補者の応援に、長崎に駆けつけた石井議員は、 「時代に逆行するような選択を皆さんがするのなら、 民主党政権は長崎県に対してそれなりの姿勢を示す」 などと脅し、恫喝のような発言をしました。 権力を握ったものの驕りが、この発言から見えてきます。 政治家としても、それ以前の個人としても、 あまりにもレベルが低すぎます。 有権者に選ばれた議員が、有権者を下に見るようになれば、 政治は暴走します。 国民は政治の暴走を望んでいません。 石井一のような人が国民の代表面をしていることも、 少なくとも私は望んでいません。。。
2010年02月26日
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中国に戻るまであと1週間。 週末は父の一周忌と祖母の13回忌をしなければならないので、 自由になる時間はもう僅か。 最近は古本で買った「ミニ・ミステリー」「5分間ミステリー」といった本を読んでいます。 面白そうな話を選んで、その設定を変えてリライトしています。 3月から始まる後期の『作文』の授業で資料で使おうと思っているからです。 学生たちに日本語で短いミステリーを読ませ、犯人や動機を探り、 自分で考えた解決を日本語で書かせようと思っています。 狙いは、日本語の文章を読むことに慣れて、読む⇒理解するという習慣をつけさせ、 理解した後で自分であれこれと頭を捻りながら考えて、 それを日本語できちんと説明するという作業をさせたいということです。 私の『作文』授業ではいろいろなテーマで学生に作文を書かせていましたが、 このように推理小説の解決部分を書かせるというのは初めての試みです。 学生たちがどう受け取るか、今から少し楽しみです。 私が勤めている大学では、多くの日本人教師は『作文』授業で失敗しています。 失敗というのは、つまり学生の興味を得られず、それどころか、 作文嫌いの学生を増やすだけに終わっているということです。 例えば、去年は3年生80人のうち20人が『作文』を選択したものの、 半年後の後期、『作文』を選択した学生はたった5人だけに激減しました。 今年は更に少ない2人で、授業そのものが消滅しました。 多くの教師は、学生たちのきまぐれを批難しますが、 学生たちがその教師の授業を選ばない理由は、 「つまらない」のは勿論ですが「この授業を受けても日本語が上手にならない」と 学生が判断したからです。 まず楽しく、興味を持たせながら、いろいろな知識を吸収して、 吸収した知識を練習、発揮する場を与えて、 いつの間にか日本語が上手になる……そういう授業をしようと思っています。 ですから学生たちには書く目的をはっきりと示して、 『作文』でありながら、私の授業はいつも賑やかです。 そのために準備は必要ですし、 学生たちが作文を書いた後のフォローも大事です。 実は私の『作文』の授業は、学生たちの評価が、全学年の授業の中で一番高いそうです。 学生たちの期待を裏切らないよう、 その期待の更に上を行くよう、しっかり準備をしようと思っています。。。
2010年02月25日
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日本で過ごすのもあと1週間あまり。 昨日は三朝温泉でゆったりと湯に浸かり、温泉町を散策しました。 その前日は皆生温泉に行って、湯の町風情を味わいました。 三朝温泉はそばにウランが産出される人形峠があって、 湯の中のラジウム含有量は世界最高クラスだそうです。 皆生温泉は海辺にあって、海に湯が湧いています。 県内には他にも特色ある温泉がたくさんあるので、 タオルと石鹸を持って、フラッとでかけて温泉に入ることができます。 いい環境だと、しみじみと思います。 今は、3月の第2週から始まる後期の授業に備えて、いろいろな資料を作っています。 学生たちが興味を持ってくれて、授業を楽しんでくれて、日本語を好きになる。 そして、他のクラスより、他の大学より、 日本語が上手になること。 そうなれば、これに勝る喜びはありません。 そのために、今、準備をしています。。。
2010年02月22日
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テレビのニュースに出ました。 私ではなく、私の奥さんが、です。 彼女は今、町の役場で社会福祉関係の仕事をしています。 その仕事の一環で地域の啓発の活動を行い、それが昨日、ニュースに取り上げられたのです。 私の奥さんが突然、福祉、それも介護ではなく、社会福祉という仕事に興味を持ったのは、 私と結婚し、祖母の世話をするようになったからだそうです。 そして通信教育でソーシャルワーカーの勉強を始め、 その実地勉強のために、県立の病院の福祉職で仕事を得ました。 驚いたのは、資格者を募集していた県に対し、彼女は資格を持たずに応募し、 資格を取るために、ここで仕事をしたいと言い、 半年後に必ず試験に合格して資格を取るから、と断言して採用されたということでした。 そして言葉通りきっちりと試験に合格し、 病院内だけではなく、病院外にも仕事の輪を広げ、人脈も作っていきました。 そして「社会福祉士」以外にも、たくさんの関連する資格も取りました。 今、町の役場で仕事をしているのは、役場の人から乞われたからですが、 それ以外にも、彼女が「行政職」の現場を見てみたいという興味があったからです。 嘱託として役場で仕事をしながら、 町のイベントに参加し、自らイベントを企画・構成して福祉の啓発をしています。 認知症老人とその家族の劇を創作し、自ら認知症の老人を演じたり、 啓発カルタを作って、施設で老人たちに披露したりして、 福祉イベントで町を訪れた県の部長に絶賛され、福祉先進町とのお墨付きももらいました。 その役場勤めももう4年で、彼女もそろそろ次のフィールドに行こうとしています。 今度は「行政職」ではなく、福祉と経営という分野です。 これも、そこの経営者から引っ張られたからですが、 仕事を決める時の最大のポイントは「興味」です。 私もそうですが、「今やりたいこと」「今しかできないこと」をやるのが、 仕事を決める最大の条件です。 そうやって、私も日本での記者という仕事を辞めて、中国に行きました。 通信教育での24冊の教科書に埋まりながら、深夜、日本語教師の試験合格を目指していた時、 私の隣で、奥さんも社会福祉の試験に合格するために勉強していました。 今、一人で中国で仕事をしていますが、 家族のことを、心配はしても不安に思うことがないのは、 私たち一家が、自分たちでそれぞれに目標を持って、 お互いに他の家族のやりたいことを尊重し、協力するという関係になっているからでしょう。 嬉しく、そしてありがたいことです。。
2010年02月18日
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運命というものはあまり信じないのですが、 ディック・フランシスの訃報にはびっくりしました。 少し前、このブログで書いて間もなくだったので、 つい、何か運命的なものを感じてしまいました。 しかし89歳ですから、大往生、或いは天寿を全うしたと言えるでしょう。 フランシスは年間1冊というペースで、毎年作品を発表していたのですが、 80歳になって以来、しばらく作品が発表されなくなりました。 その後、息子との共著で再起を果たしました。 それが、その名も『再起』という作品でした。 彼が作品を書く際には奥様が入念な調査をしておられたそうですし、 奥様の病気を改善するためにフロリダへ移住したこともあったので、 フランシスの作品は家族の絆の強さの結晶とも言えるでしょう。 『大穴』『興奮』『査問』『度胸』『本命』『重賞』……。 フランシス死して、名作を残す。 ご冥福を祈ります。。
2010年02月16日
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先週末は「バレンタイン・デイ」でした。 私にとっては、むしろ中国の『春節』の方が、今では馴染み深いです。 これまで毎年、中国の農村の学生の家で『春節』を過ごしていました。 家族団欒でわいわいと賑やかに過ごしている中に、私一人、日本人が混じっていました。 楽しかったなあ~。 今年はその日を大阪と京都で迎えました。 ディック・フランシスの小説の中にこんな文章がありました。 田舎に一日いれば気持ちが改善するが、長くいると活力を失う。 日本の、それも故郷ののんびりした生活もいいのですが、 やはり私のような落ち着きのない人間には、 都会の喧騒を味わうことが妙に気持ちいいです。 時代に遅れないように、気持ちを新鮮に保つために、 常に気持ちに刺激を感じていたいと思っています。 3月になれば、大学で後期が始まりますから、また中国に行きます。 またきっといろいろな刺激を味わうことができるでしょう。 楽しみです。。
2010年02月15日
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寒さが緩んできたというのか、春になりつつあるというのか、 昨日からは雪でなく、雨が降っています。 雪なら、夜の散歩も、厚着をしてやっているのですが、 雨ともなると、傘を差して散歩をするのは、やはり億劫になります。 近所のスーパーが夜10時まで営業しているので、 散歩の帰りに寄ることがあります。 売れ残って50%引きのものを買うのは大抵、そういう時です。 スーパーに行くたびに気になることがあります。 それは、ここにあるはずのない商品が、何故かここにあるということです。 つまり冷凍品のケースの中に、精肉が置いてあったり、 味噌やしょうゆのコーナーにお菓子が置いてあったりします。 多分、買うつもりでいったんかごに入れたものを、途中で気が変わって、 元に戻すのが面倒なために、手近な場所に放置したということなのでしょう。 ……なんだろうな、と思います。 モラルの欠如なのですが、 大事なことは、そういう母親の姿を、子供たちが見ているということです。 自分だけでなく、いつも誰かに見られているということを 意識しながら自らを律していかなければならないと思います。 中国で中国人を相手に仕事をしている私も同じで、 私を通じて「日本人」とは何かを判断されているという自覚を持たなければなりません。 それだけは忘れないようにして、3月になれば、また中国に行きます。。。
2010年02月10日
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日本にいる間は、週末は日帰り温泉に出掛けてゆったりとした気分を味わっています。 気分だけではなくて、寒さに凍えた体が温かくなりますし、 日本情緒も味わうことができるので一石二鳥です。 いつか、中国の学生たちを連れて、一緒に温泉に入りたいと思うのですが、 そんなチャンス、いつになったら実現できるのでしょうか? ところで、今日は温泉に行く前に大型電気店に寄って、故障した家電を見てもらいました。 一つは電気カミソリ、もう一つは石油ファンヒーターです。 電気カミソリは充電できなくなって使えなくなり、 ファンヒーターは白い煙が出るようになりました。 特に電気カミソリは安物買いの父が思い切って買った高級機で、 父が亡くなった今では、私にとっては、父の形見のようなものです。 電気店で話をしてみると、どちらも修理代が想像以上で、 どう考えても、新しい製品を買ったほうが得だと思えます。 以前は、電気店で修理してもらい、長く使うことが美徳でしたが、 今では、修理して使うという発想さえなくなってしまったように思えます。 今や電気店では、壊れたら、新しい製品に買い換えることを勧められます。 というわけで、父の形見の電気カミソリは(石油ファンヒーターも)、 そのまま家に持ち帰りました。 捨てるにしても、お金がかかります。 なんか変ですね。。。
2010年02月07日
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日本に帰ってきてもうすぐ1か月になります。 のんびり、しっかり、すっかり日本の生活を満喫しています。 日本にいて嬉しいのは、読みたい本をすぐに手に入れられること。 私の家の近所(すぐ目の前)に公立の図書館があるので、時々、本をあさりに行っています。 先日は目についた本を4冊、借りてきました。 その中の1冊が『ディック・フランシス読本』。 ディック・フランシスは、実は彼が来日した時に近くで見たことがあります。 元騎手で女王陛下のお抱えジョッキーだったフランシスが東京競馬場で、 『ジャパン・カップ』を観戦した日、 私も今の奥さんと一緒に東京競馬場でレースを観戦していたのです。 勝利騎手の表彰式でターフに現れたフランシスを見るために、 私と奥さんは柵に寄りかかって、間近にその姿を見ました。 温厚なイギリス紳士然とした小柄な中年男性でした。 その私がフランシスの小説を読み始めたのが2年前。 初めて『大穴』を読んだ時、頭の中には後悔と期待が溢れていました。 後悔とは、これまで彼の作品を読んでいなかったことに対してで、 期待とは、これから30作に及ぶ彼の作品を読むチャンスが残っていることに対してでした。 それ以後、いろいろな作家の作品に混じって、彼の作品を読んできました。 すごいのは、30年間、ずっと書き続けてきながら、 1作として駄作がなく、どの作品も面白く、新しい知識を得ることができるということです。 彼の作品については、いろいろな人があちこちで絶賛しているので、 ここで私があれこれと評価をすることはしませんが、 年間1作のペースで、過去30年間、素晴らしい小説を書き続けてきたフランシスが、 これからどれだけ作品を書くことができるのか。 今、世に出ている彼の作品を、私が今のペースで読み続ければ、 近いうちに全作、読破してしまうでしょう。 残念だなあ。 もっとたくさん読みたいのになあ。。
2010年02月06日
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昨夜のおかずは「豆腐ハンバーグ」。 一昨日の夜9時頃、散歩がてらスーパーに立ち寄った時に 5割引で買った木綿豆腐と、同じく5割引で買った豚ひき肉を使って作りました。 5割引といっても賞味期限にはまだ2日あったので、お買い得でした。 豆腐とひき肉以外にたまねぎと、ひじきを戻して加えました。 水分が多いので、ちょっとゆるかったことが反省点。 近所の市場で買ったキク芋は、ねぎや大根、豚肉と一緒に「豚汁」にしました。 キク芋は糖尿病などに効果のある食材で、シャリッとした歯応えが気持ちいいです。 あとは中国でよく食べていた家庭料理のひとつで「酸辣白菜」。 白菜を酢と砂糖、唐辛子でさっぱりと炒めて、その後で中華スープでちょっと煮つけます。 大学の近くの市場通りの食堂では4元から6元(90円)でメニューに出ています。 今年の1月、奥さんが中国に来た時に食べて、絶賛した料理です。 明日は「節分」。 他の地方はどうか知りませんが、私が住んでいるところでは、 寿司の太巻きを、その年の幸運の方向に向かって、かぶりつくという風習があります。 風習といっても、私が子供の頃には聞いたことがありません。 でもまあ、縁起がいいということなので、やってみようと思っています。 信じる者は救われるそうですから。。。
2010年02月02日
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今日から2月です。 先週末には、近所にあるホテルが会社更生法を申請したというニュースがありました。 市の経済会の有志が共同して出資して作ったホテルで、 市のシンボル的な建物でした。 私も記者の頃、政治家のパーティや政党の新年会など、よく行っていました。 従業員の中に知り合いも何人かいますし、 他人事とは思えません。 私自身もこれまで会社の倒産を何回か経験したことがあります。 ある日の仕事が終わった後、社長が私たち営業部員に声をかけてくれて、 一緒に割烹料亭に食事に誘ってくれました。 食事をしながら切り出された話は、 「明日から会社は業務を停止する」という内容でした。 またデザイン会社で働いていた時は、 ある日の朝礼で、「今から各自の荷物を全部、片付けてください」と言われました。 そして、そのまま会社がなくなりました。 倒産は、社員にとっては収入が途絶えることになるので、 決して喜ばしいことではありませんが、 新しい社会を知るチャンスでもありますし、 新しい経験、新しい人脈などを広げることもできます。 いつもそう思って、これまでやってきましたから、 会社の倒産を聞いた時も。ショックより解放感のようなものを感じていました。 今は、会社の倒産ではなく、自分で会社を辞めて、 異国での日本語教師という仕事をしています。 教師という仕事を、これまでやってきた民間会社での仕事と比べることは あまり意味がないと思うのですが、 言えることは、自分が顧客(或いは学生)のために、頑張れば頑張るだけ 相手も応えてくれるということです。 会社員の営業成績のように、 教師としての才能も努力も、すべて学生たちの成長という形で見ることができます。 民間会社で仕事をしてきた私にとっては、 教師の世界の常識や考え方などが、時に理解できないことがありますし、 学生のことを小ばかにしたり批難したり、時には敵視したりしている教師もいます。 学生を相手に驚いたことは少ないのですが、 同僚の日本人教師を見て、奇妙さや不信感、時には憤りを感じたことはよくあります。 今の日本語教師という仕事をいつまで続けるかわかりませんが、 倒産がない分、続けるかどうかは自分の意思次第ということになります。 学生たちが、そして学校が望んでくれる限り続けたいとは思いますが、 人生、先が見えないから面白いのでしょうね。 倒産したホテルの従業員の皆さんも、将来に希望を持って、頑張ってください。。
2010年02月01日
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