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サッカーのワールド・カップを見ながら、あらためて思ったのですが、 日本人、特に若い人には、日本を出て世界を実感してもらいたいと思っています。 日本人って、ずっと狭い島国の中で暮らしていながら、 世界を知ったつもりになっている人が多いように思うのですが、 自分の目と耳、そして体で経験しなければわからないことって、たくさんあります。 私はこの4年間、ほとんど中国国内で生活していますが、 想像していた中国と現実の中国は全然違っています。 一度や二度、旅行したぐらいで、その国を理解することはできません。 外国人の知り合いを作り、交流しながら、人と国を理解することが大事です。 今回のワールド・カップでも海外のクラブで活躍している選手がたくさんいました。 世界で揉まれて、自分の力が伸び、可能性が広がります。 私は4年前、自分で望んで中国に単身赴任することを決めましたが、 期待と同じくらいの不安を感じたものです。 中国に行ってから感じたり考えたりしたことはたくさんありますが、 いつも思うのは、「日本は本当に小さい国だ」ということです。 小さいから悪いとは思いませんが、世界の広さを、 日本人はもっと知るべきではないか、とよく思います。 サッカーの試合を見ながら、そんなことを感じていました。。
2010年06月30日
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他の先生方に先んじて日本に帰って来たのは、 サッカーのワールド・カップを日本で見るため。 その日本代表の試合が先ほど終わりました。 結果は残念でしたが、グループリーグを突破し、決勝トーナメントに進出したことは、 大いに誇っていいことだと思います。 個人技だとか得点力などといった課題はありますが、 日本のサッカーは確実に進化していると思います。 あとはJリーグの中で競い合って、技術を高めてほしいです。 4年後、私はどこで何の仕事をしながらワールド・カップを見ているのでしょう? 日本代表のその後より、私の将来の方が心配です(笑)。。
2010年06月29日
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今まで中国で4年間、生活してきたけど、中国語は上手ではありません。 普通に日常会話ぐらいはできますし、 日常会話のレベルでは自分の言いたいことは何とか言えて、 一人で旅行に行っても、困ったことはあまりありません。 ただテレビを見て、ニュースの内容を聞き取ったり、ドラマを見て楽しむといったことは、 残念ながらできません。 或いは、旅行中、何かのトラブルがあった時に、 中国語で対処法を話し合うなどということも、自信がありません。 中国で暮らしているとはいえ、周囲は日本語学部の学生が多く、 「公用語」は「日本語」ですから、中国語を話す環境はほとんどありません。 しかもこの1年間は学校の中だけで暮らしていて、どこへも旅行へ行っていないので、 まるで進歩がありません。 それじゃ、時間が余っている今、中国語の勉強をすればいいようなものですが、 それができないのが、怠け者の怠け者たる所以で、 緊急の必要がない限り、教科書を開く気にもなかなかなりません。 ……なんて言っているからダメなんですけどね。。
2010年06月28日
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昨日の夜、奥さんと二人で散歩をしていて、あるせせらぎの近くに差し掛かった時、 目の前を小さな明かりが横切りました。 見ると、小さな川の上にホタルの明かりがあちこちに。 空は曇って、月が微かに見えるだけでしたが、 真っ暗な中に、乱舞とまではいきませんが、それでも30匹ぐらいが ゆらゆらと光を放ちながら、飛び交っていました。 去年も同じところで見ましたが、 やはりホタルの明かりは夏の風物詩です。 ホタルと言えば、思い出すのが「ホタルの墓」。 戦争の悲惨さを描いた野坂昭如氏の作品ですが、 幼い兄と妹が健気に生きる姿に感動させられました。 セツ子が好きだったサクマのドロップが重要な小道具として登場しています。 というわけで、日本に帰って来てから、毎日のんびりと過ごしています。。。
2010年06月24日
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近所に名の通った老人がいる。 既に会社を退職され、悠々自適の生活をしておられる。 その人のお姉さんが認知症と診断され、弟であるその老人がずっと世話をしておられた。 その姉と弟は、普段はまったく没交渉で、お互いの信頼感もなかったそうだが、 姉が夫と死別し、子供たちが遠隔地に住んでいることから、 認知症と診断されて以降は、弟さんがそのお姉さんの面倒を見るようになったという。 そのことで社会的な評価が上がり、近所の人たちからも 「よくできた人だ」という声が上がっていた。 ところが、そのお姉さんの銀行預金通帳が見つかり、 多額の預金があることが判明してから、 その人の態度ががらりと変わったという。 お姉さんの預金の中から1000万円を、世話賃として要求し、 お金を手にしてからは、姉を老人施設に入れて、 その後は、以前のように世話をすることもなくなったという。 一度上がった評価は、それがきっかけとなって、一転、急落した。 身内の、それも実の姉の世話をすることに見返りを要求したことが原因のようだ。 ただ、当のそのご老人は、自分が世間にどう思われているかなど、 まったくご存じないそうだ。 世間の評価など知ったことではないが、 家族とは、身内とは、兄弟とはなどと考えてしまう出来事だった。。。
2010年06月22日
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日本に帰って最初の日曜日は、近所の市場に行って、 ハマチとメバルを買って来ました。 ハマチは三枚に下してから刺身にして、残りはアラ汁に。 メバルはウロコと内臓を取ってから、煮付けにしました。 野菜と魚、日本での料理の基本です。 中華料理は好きですし、辛くても油っこくても、なんでも食べますし、 学生食堂での量の多さにもすっかり慣れましたが、 時々、胃に負担がかかっているだろうな、と思うことがありました。 美味しいものを食べるだけ食べていればいい、といのは若い頃の話で、 今は健康を考えながら、胃に負担をかけず、 必要な栄養を摂る。 日本ではまた、毎日、私が食事を作ることにします。 家族の健康のためのメニューを毎日、考えます。。
2010年06月20日
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日本だあ! 一昨日の朝、学生たちに黙ってこっそりと学校を後にしようと思っていたのが、 どこからか情報が洩れて、3年生から1年生までの学生たちが見送ってくれました。 新郷から北京まで列車で4時間半、 北京から空港までタクシーで1時間、 そして北京空港から関西空港まで3時間。 朝7時に学校を出て、関空に着いたのが夜10時でした。 もっとも、それは北京の気象状態が悪くて、出発が2時間遅れたからですが。 日本に帰って、最初に食べたのがコンビニおにぎりとどん兵衛でした。 毎回の恒例ですが、 これぞ日本の味という感じがします。 中国では一日の休みもなく、朝から夜遅くまで学生の相手をしていたので、 しばらく誰にも会わずに、のんびりします。。。
2010年06月18日
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日本が勝った! 中国にいるからサッカーのワールド・カップを見るチャンスはないと覚悟していたのですが、 CCTV(日本のNHKのようなもの)のスポーツチャンネルで全試合を放送してくれるので、 中国語の実況を聞きながら見ました。 夜10時の放送開始だったので、学生と一緒ではなく、一人で見ました。 その点では喜びを分かち合う相手はいなかったのですが、 放送開始と同時に学生たちから「いよいよですね」というメールが来たり、 日本が得点をした時も「やったあ」というメールが来ました。 一緒に見たわけではありませんが、 学生たちは日本チームを応援してくれていて、 それぞれの場所で、日本チームの勝利を喜んでくれました。 日中友好などと大げさなことを言うつもりはありませんが、 学生たちが、試合を見ながら一喜一憂している私を思い浮かべながら、 私と同じように日本チームの活躍を祈ってくれているというのは、 やはり嬉しいことです。 試合の前に、学生と「日本が勝ったら食事をおごってあげるよ」と約束していたので、 来学期、食事をおごるはめになりましたが、 それも嬉しいことです。 次の試合は19日。 その時、私は日本にいて、周囲の日本人と一緒に見ることになります。 その時も、中国と日本と離れていますが、 学生たちは、やはり私のことを思い出しながら、 きっと日本チームを応援してくれるでしょう。 これも、またこれまで学生たちと交流してきた成果の一つかなと思います。。。
2010年06月15日
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授業は全部終わって、成績もつけ終わったのですが、まだやることが残っています。 一つは今日の午後1時から行なわれる『1年生だけのスピーチ・コンテスト決勝戦』で、 もう一つは3年生に対する『特別授業』です。 1年生のスピーチ・コンテストは、今学期の私の授業の試験として 先週と先々週、各クラスで行いまいたが、 今日は、それぞれのクラスの代表が一同に会して決勝戦を行ないます。 いつも学生に言うのですが、 今の段階では上手だ下手などはあまり重要ではなく、 覚えた単語と文法を使って原稿を書き、 私が添削した原稿を何度も読んで暗記し、 それを人前で(緊張しながら)話す……これが重要です。 結果はどうであれ、長足の進歩を遂げた1年生たちには拍手を送ってあげたいです。 3年生たちへの特別授業は、3年生たちから請われたもので、 今日は、日本のニュースを紹介しながら、日本人的な考え方や歴史、風土などについても 話をしたいと思っています。 思えば、3年生たちも、1年生の時は私と一緒に「あいうえお」から勉強を始めました。 当時の1年生が、今は3年生になり、 今夜は「日本の政治」というテーマで私の授業を聞きます。 感慨深いものがあります。。
2010年06月12日
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楽天ブログがなかなか開かなくて、更新が滞っています。 しかもいつもエラーが出て、写真を載せることができません。 先週の週末は2年生たちと一緒にカレーを作って『カレーパーティ』をしたので、 その様子を紹介したかったのですが、 文字だけでは雰囲気が伝わらないので、残念です。 何分、食欲旺盛な中国人で、しかも食べ盛りの学生たちなので、 45人分用意したカレーが、全部、食べ尽くされました。 私は作り方を教えただけで、後は全部、学生たちが作りました。 これまでの4年間で7回、作りましたが、 今回が一番、出来が良かったように思います。 そして、今日は外事弁のスタッフと一緒に鄭州に健康診断を受けに行ってきました。 来年、1年間、中国で仕事をするために必要なもので、 血液検査、採尿、心電図、レントゲン、血圧、腹部エコー検査など 1時間半ぐらいにわたって、病院の中をあちこち歩き回りました。 本来は先週、検査を受ける予定でしたが、当時は熱が38.3度あったので、 1週間待った後の今日になりました。 笑ったのは、私のカルテ(のようなもの)を見た医師が、 私が記入した生年月日を見ながら、 「これは間違いだろう」「あなたのカルテを出しなさい」と言ったことです。 貼付された写真と私の顔を見比べ、 名前を確認しても、まだ信じられない様子で、通訳に何度も確認していました。 何にそんなに不審を持ったかというと、 私の生年月日から計算した年齢と、 私の見た目がまったく違うということだったようです。 医師は私を見て、20代後半から30歳ぐらいと見当をつけたようですが、 実際の年齢はそれよりもっと上だったので、 驚いたとのことでした。 まあ、若く見られるのは悪いことではありませんから、 とりあえず喜んでおくことにしました。 もう一つ嬉しかったことは、 先週、ずっと熱が出ていて、食欲がなく、 学生たちからの差し入れの果物だけしか食べていなかったせいで、 体重が3キロ減っていました。 病気で体重が減るのを喜ぶのもどうかと思いますが、 後は減った体重を増やさないために、栄養と運動に気をつけようと思っています。 日本に帰るまであと1週間です。。。
2010年06月09日
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熱はほぼ下がったのですが、咳が止まらず、口を開くと咳が出るといった状況です。 それでも今日は、これまで2年間担当した2年生たちの最後の授業だったので、 薬をうんと飲んでから授業に行きました。 今日の2年生はこの2年間、ずっと私の傍に一緒にいてくれた学生たちです。 そして、来学期からは3年生になって、新しい日本人の先生が彼らを担当します。 そんな彼らに一人ずつ、思い出を語り、感謝の気持ちを伝ました。 私がその学生と初めて話した場所、内容、或いは最初の授業で学生が座っていた席、 一緒に食べた料理、その時の会話など……。 実は、私、よく覚えていて、あの時あんな話をしたよね、などと言ったので、 すっかり忘れていたらしい当の学生にびっくりされました。 私が、最後の授業をこの形で終えることにしているのは、 実は、私が小学校の時の先生の思い出が強烈だからです。 私が小学校6年生の時、担当の先生はまだ若い、スポーツマンの男の先生でした。 とても厳しくて、宿題を忘れた時は、びんたや拳骨で殴られるのは日常茶飯事でしたが、 私たちはみんなその先生が大好きで、休みの日には先生の家に遊びに行っていました。 いつも私たちと一緒に笑ったり、叱ったり、遊んだりしていた先生ですが、 卒業式の日にある事件が起きました。 卒業式では担任の教師がクラスの生徒の名簿の名前を読み上げ、 呼ばれた生徒が順番にステージに上がって、 校長先生から卒業証書を受け取るという流れなのですが、 私たちのクラスの番になって、先生がマイクを持ってから、 いくら待っても、先生は生徒の名前を読み上げることができませんでした。 私たちはその先生が担当した初めての卒業生だったので、 きっと、嬉しさや寂しさ、悲しみなどが感極まって、 何も言えなくなってしまったのでしょう。 5分ぐらい、何も言えずにマイクを持っていた先生は、 とうとう私たちの名前を呼ぶことなく、他の先生にマイクを渡してしまいました。 そういう思い出があるので、 私は自分が教えた学生に対しては、自分の気持ちを全部伝えて、 そこに感謝の気持ちを添えて、贈る言葉にしています。 あの時の先生が、私たちに言いたかったはずの言葉を、 今、私が自分の学生に対して言っているという感じです。 あの先生は、私たちが卒業して数年後に、まだ30代の若さで亡くなってしまったので、 今の私を見てくれることはもうありません。 1人当たり2分で、37人の学生ですから、90分の授業中、ずっと話をしていました。 授業に行く前は喉が持つか、声が出るか心配していましたが、大丈夫でした。 やっぱり、私にとって最高の薬は『学生たち』です。。。
2010年06月03日
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ああ苦しかった。 喉の痛みだけと安易に考えていたら、 昨夜は熱が38.3度まで出て、 頭は痛いわ、体の節々は痛いわで、唸っていました。 平熱が35.3度の私にとっては、かなりの高熱でした。 これが半年前なら、「新型インフルエンザ」の疑いで、強制隔離されるところです。 こんな状況になるなんて、思い当たる節がないのですが、 考えてみれば、スピーチ・コンテストの時から、 ハードな日が続いていたから、疲れが溜まっていたのかもしれません。 やたらと眠かったのも、体が発していたシグナルだったのでしょう。 今は痰も切れるようになりましたし、 熱も下がってきました。 今夜は4年生たちの卒業パーティですから、是非、見たいのですが、 またぶり返すのが怖いので、 どうしようか思案中です。 とりあえず、薬を飲んで、午後はひたすら休みます。。
2010年06月01日
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