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週末はたくさん歩いた。 例えば金曜日は、午前10時から3年生二人と1時間半、校内を散歩をしながら話をした。 午後になると、3時から4年生、4時半から2年生、6時から4年生と、 これもそれぞれ散歩をしながら、あれこれと話をした。 天気がいい日は、部屋の中ではなく、外を歩きながら話すようにしている。 そのほうが、気分が開放的になるし、 目に見えるものをすぐに話題にできるので、話題に困ることもなく、 健康(ダイエット)にもいい。 だが一番いいのは、部屋の中で向かい合って話すより、 緊張感が少なく、より親近感を感じることができるということだ。 特に、これまで日本人とあまり交流したことがない学生たちにとっては、 散歩をしながら、私の顔を見ずに、話ができるというのは、 緊張感の低減に大きな効果がある。 そうやって、先週の週末は毎日、数組と一日5時間、6時間話しながら歩いた。 校内を歩いている時、1年生たちにも何度も出会った。 4年生たちが、一様に驚いていたのは、 今年の1年生たちが、私に会うと必ず笑顔で手を振り、または笑いながら駆け寄ってきて、 「先生、こんにちは」と楽しそうに言うということだった。 そしてその後に必ず「先生は何をしていますか?」「先生はどこに行きますか?」 という言葉が続く。 1年生に会うたびに、ほぼ100%、こんな光景を見ることができる。 彼女らはもう、外国人と話す時に緊張もせず、恥ずかしがりもせず、 日本語で話すことを楽しんでいるように見える。 そのことに4年生は驚いていた。 1年生だから、話せる言葉は少ない。 その少ない言葉を、どうにか使って、たくさん話そうとする。 そういう姿を見ていると、こちらも嬉しくなる。。
2010年03月29日
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中華料理は地方によって味や食材が違い、従って料理の種類も多い。 中でも、中国人がおしなべて好きな料理が『火鍋』。 日本では鍋料理は冬の食べ物と相場が決まっているが、 中国では年中、火鍋を食べる。 昨日の夜、学生と一緒に食事をした時に食べたのは、その火鍋の亜流とも言うべき料理。 『串串香』という料理で、 串に野菜や肉(レバー、心臓、ハム、ウインナーその他)、餃子、練り物、 或いはきくらげや昆布、ありとあらゆるものが刺してあり、 それを鍋の中で煮て、その後、たれをつけて食べるという料理。 言葉で説明するより、見た方がはやい。 鍋は真ん中で区切られ、手前が辛い味、向こう側があっさり味。 この、味が二種類の鍋を『おしどり鍋』という。 この後、数分経つと、鍋がぐつぐつ煮えて、いい香りが充満する。 昨日は3年生の女の学生と一緒に食べたが、 食べている間じゅう、会話が途切れなかった。 それも勿論、全部、日本語。 相手が中国人だという感じが全然なく、まるで日本人同士で話しているような感じ。 彼女は1年生の時から、毎週、3回、4回と、私の部屋に来て、会話の練習をしていた。 そして、今年の9月には日本に留学することが決まっている。 私の冗談には敏感に反応し、それ以上の冗談で返そうとする。 発音もきれいで、表現力も豊か、しかも語彙が豊富。 楽しい雰囲気で食事をすると、食が進む。 一緒にビールで乾杯し、次々に食べ続けた。 二人で食べた本数は80本。 私が50本で、彼女が30本という計算。 1本が3毛(10毛が1元=15円)なので、ビール代も入れて30元(420円)ぐらい。 昨夜は、安くて、お腹が一杯になり、楽しい時間を過ごした。
2010年03月24日
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昨日、日本のある私立大学の関係者が本校に来て、 大学の紹介と留学生の受け入れについて説明会を開いた。 その会場には1年生から3年生までの、日本語学部の学生が全員、出席した。 そして週末には、日本のある国立大学の関係者が、これも同じく説明会を開く。 現在、我が校は日本のある県と友好提携をしており、 毎年3人から4人の日本語学部の学生たちが、その県の国立大学に留学している。 ただ今の制度では、留学期間は3年生終了時からの1年間で、 1年後、中国に帰ってきた後で、更に4年生としての授業を受けなければ卒業できない。 つまり中国で3年間、日本で1年間、更に中国で1年間と、 卒業までに5年間かかってしまう。 今回の説明会では、 留学期間が2年間に伸び、しかも日本で2年間勉強すればそのまま卒業できるという。 そして、その後も日本の大学院に進学することも可能とのこと。 つまり、中国で2年間、日本で2年間勉強すれば卒業できるということだ。 このことは学生たちにとって、メリットが大きい。 ただ、今は3年生終了時に日本に留学するのだが、 今回の制度では、2年生終了後に留学することが可能になるために、 2年生の段階で、日本語会話が相当レベルに達していなければならなくなる。 それだけに1年生と2年生を担当する日本人教師の責任も大きくなる。 実は多くの教師は、2年生の段階で会話が上手になることは難しいと思っている。 3年生とは交流できるが、2年生とは交流できないと、頭から決め付け、 2年生とは会話の練習をしないという方針の教師が多い。 確かに覚えた単語や文法の量は、2年生は3年生にはかなわない。 しかし、会話が上手かどうかは、覚えた量よりも、 むしろ「話した」量に比例する、と私は思っている。 そして、今の3年生たちは、2年生の時点で、すでに上級生を超えていた。 何故なら彼女たちは、1年生の時から、毎日のように私の部屋に来て、 会話の練習(おしゃべり)を楽しんでいたからだ。 今、私は1年生(と2年生)を担当していて、 彼らと交流をする教師は私一人しかいない。 それでも、今年の1年生たちは、これまで以上に、話すことが好きになっている。 彼(や彼女)らが会話を通じて、日本語が上手になり、 日本に対する興味をますます増やして、 来年、或いは再来年、日本に留学することができるようになれば、 これに勝る喜びはない。。
2010年03月23日
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今朝は日本語学部の中国人教師が私の部屋を訪ねてくれた。 原稿を書いたから直してほしいということだった。 明日と来週の週末、日本のある大学の関係者がこの大学にやって来る。 どちらも、この大学との友好提携を念頭に置いての訪問で、 その席で、この大学の日本語学部の現状を説明するための原稿を書いたので、 それを添削してほしいということだった。 現役の日本語教師として、今、授業を持っている先生だから、 単語や文法の使い方は基本に忠実で、間違いはない。 何箇所か漢文調の表現があったので、そこを日本語らしい表現に直すだけで事足りた。 それよりも彼が興味を持ったのは、資料に添付する写真について。 私のコンピューターの中にある写真を見ては、 「この写真、いいですね! 貸してもらってもいいですか?」 というわけで、私の授業風景や、学生との記念写真、カレーライス食事会の様子、 更には日本語劇の発表会など、 たくさんの写真が、日本人向けの大学資料に添付されることになった。 あらためて見ても、どの写真でも、学生たちが飛びっきりの笑顔を見せている。 こんな写真を見て、日本の大学関係者たちが、この大学に興味を感じてくれたり、 日本の大学生がこの大学に留学生として来てくれれば、 写真を提供した意味もあるというものだ。。。
2010年03月21日
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今週の2年生の『作文』では、中国語の歌の歌詞を日本語に翻訳するという授業をした。 学生たちは毎週、たくさんの新出単語と文法を覚える。 しかし、話す時、書く時に使う単語と文法は、いつもほとんど同じで、 覚えた単語と文法をうまく使いこなせていない。 だから歌詞の翻訳という形式を使って、これまで覚えた単語と文法を総動員して、 この中国語を、どう日本語に直せばいいか、ということを工夫してもらいたいと思ったのだ。 課題曲は、中国ではもうスタンダードになっている、王力宏の『唯一』。 別れてしまった彼女のことを思い起こしながら、 彼女に対する愛を切々と語るという内容の曲だ。 学生たちが翻訳した歌詞をここですべて紹介することはできないが、 タイトルの「唯一」という単語だけでも、訳し方はいろいろ。 多かったのは「君だけ」「君しかいない」「ただ一人の人」「あなただけ好きだ」。 こんなのもあった。 「世界の中で私が愛しているのはあなた」「広い世界にあなただけ」 更にちょっとひねって「the only one」というのもあった。 日本語に翻訳というところを英語に直したというもの。 それが進化して、「君は僕のオンリー・ワン」というものもあった。 または「もう戻れない」と訳した学生もいた。 これは、歌詞の内容が、あの頃の二人に戻れない寂しさを歌っていたので、 「唯一」という言葉を訳すのではなく、歌詞の内容をタイトルにしたもの。 私がぶっ飛んだのは、これ。 「心臓」 一番大切なものは何かと考えて、 思いついたのが「心臓」。 中国語で「君は僕のたった一人の人」という歌詞を「君は僕の心臓だ」と訳していた。 こういう発想、私、大好きです! 最後に、二人の学生が翻訳した歌詞を、原文のまま紹介します。 まずは女子学生の作品。 ♪僕の世界は空のように澄んでいる。 でもそこには君の面影だけが残っている。 君は僕の手を繋いでいるけど、なくなっていく君の笑顔。 ほんの心変わりで、あの時の約束も二人の思い出も 全部、消えていくのかな。 行かないで、行かないで、 つらくて息苦しくて、死にそうな気持ちoh,baby 君しかいない。僕の胸の中には君しかいない。 君を愛することは僕の日常になっている。 君しかいない。ただ君だけのことを考えている僕。 一人で電話に向かって愛を告げても、 返ってくるのは寂しいこだまだけ。 言いたいのは、僕の中には君しかいないということ。 そして、こちらは男の学生の作品。 僕は今、ぼんやりと空を見上げている。 澄んだ空は君のように、僕の傍にいるのに、 君の微笑みは霞んで見えない。 星が心を変えたように、 君も僕たちの思い出を捨てたんだ。 この頃、君のことを思い出すたびに、 胸が痛くてたまらない。 oh,my girl 僕の世界には君しかいない。 でももうあの頃には戻れない。 ただ君を愛している。 これだけを信じて、 鏡に向かって、ぼんやりと 「愛している」を繰り返すだけ……。 とても同じ歌詞を訳したとは思えないほど。 すっげえ!
2010年03月18日
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さっき2年生の『作文』の授業をしていた時、 なんの前触れもなく、3年生たちが教室に入ってきた。 そして手にしていた花束を、私へのプレゼントだと言って、差し出してくれた。 私は今、彼女たちの授業を担当していないが、 彼女らが入学してから2年間、苦楽をともにしてきた仲だ。 そんな彼女らが、今でも私を慕ってくれて、部屋に遊びに来てくれたり、 今日のように予期せぬプレゼントを持ってきてくれたりする。 今の3年生の先生たちが、私と彼女たちの関係をどう思うか、という心配はあるが、 素直に嬉しいと思う。 話は変わるが、 今日、学校の中を歩いている時、見知らぬ人に呼び止められて校舎の場所を聞かれた。 これだけならどうってことはないのだが、 こういうことが3日間、続いたとなれば、どうして? と思ってしまう。 一昨日から、それぞれ違う人、ある時は学生、ある時は中年の婦人、今日は男の人と、 道や校舎の場所を尋ねられた。 実はこういうことはとても多くて、 日本にいた時は、しょちゅう誰かに道を聞かれていた。 中国に来てからも、旅に出たところで、必ずといっていいほど、道を尋ねられる。 大連でも、上海でも、西安でもそうだった。 日本にいた時、社員旅行でグアムに行った時は、 現地の人に「いいクスリがあるよ」と声を掛けられたが、 そんなことを言われたのは、社員の中で私だけだった。 何か声をかけられやすい雰囲気があるのだろうかとか、 人の目には自分がどう映っているのかなどと考えるが、よくわからない。 わからないが、悪いことではないと、なんとなく思っている。。
2010年03月16日
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風邪を引きました。 一昨日、空気が乾燥していて、夜、鼻の奥が乾いているな、と思ったら、 昨日は一転、最低気温が氷点下近くになり、冷たい雨が降って、 ぶるっときたと思ったら、鼻水とくしゃみが止まらなくなりました。 それでも薬を飲んで、ずっと部屋の中で休んでいたこともあって、 今朝は少し楽になり、更に薬を飲んで、授業に行きました。 授業では学生たちと風邪に関する単語を説明して、 私がくしゃみをするたびに、「先生、大丈夫ですか?」「お大事にしてください」 などと、交流しながら進めました。 その場で教えて、すぐに使う、それを何度も繰り返す……これが大事ですね。 授業ちゅう、私が何度もくしゃみをしたり咳をする真似をして、 そのたびに学生たちは、 「先生、大丈夫ですか?」「お大事にしてください」「ゆっくり休んでください」などと 私に声を掛けてくれます。。 学生の日本語が上手になるなら、風邪を引くのもまんざら悪いことではないかな、 などと、授業をしながら思いました。 それでも、今日の午後は授業がないので、薬を飲んで、またゆっくり静養します。 それでは、お休みなさい。。
2010年03月15日
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昨日は3年生の男子学生と酒を飲みながら、一緒に食事をした。 酒は彼が故郷から持ってきたという10年物の白酒で、アルコール度数は45度。 彼は去年から私とよく会話の練習をしていて、今回、1級試験に合格したことで、 私に感謝の気持ちを表したかったようだ。 日本語学部の学生は圧倒的に女性が多く、食事もやはり女子学生と一緒のことが多い。 それでも、やはり男と一緒に食事をする(しかも酒を飲む)というのは、 教師と学生という関係だけでなく、男と男といった連帯感を感じることができる。 ちなみに昨日の酒は、四川料理を満喫しながら、二人で瓶を半分ほど空けて、 お互いになんとなくほろ酔い気分になったところでやめた。 食事の後、夜風に吹かれて20分ほど散歩をしながら、大学に帰ってきた。 心地よい、春の酔い……いや春の宵だった。。
2010年03月13日
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今日は授業がないので、のんびりした一日。 午後と夜、2年生たちと3年生が会話の練習にやってくるが、 それ以外は授業のアイディアを考えたり、その資料を作ったり、 或いは春の陽気を感じながら散歩をしたりというだけ。 そんな時、突然、外事弁の男性スタッフから電話が掛かってきた。 聞けば、一緒にタバコを吸いながら話をしようという内容。 即座にOKして、彼が差し出すタバコを吸いながら、外事弁の庭でいろいろ話をした。 久しく中国語を話していなかったが、 話し始めれば、なんとかなるもので、楽しい時間を過ごした。 日本では今や犯罪行為だが、 中国では友好のしるしとして、相手にタバコを勧める。 学生の家に行った時は、学生の父親に勧められ、 外の馴染みの食堂に行った時は、店の主人が勧めてくれる。 そんなこんなで1か月に1本か2本は、必ずタバコを吸うことになる。 郷に入っては郷に従え、ということで、 勧められたタバコは断らずに、ありがたく吸うことにしているが、 私としても、以前は愛煙家だったし、気軽にタバコを勧めてくれることは嫌なことではない。 むしろ自分が身近で親しい存在として認められているのかなとも思う。 冬休み、日本に帰った時は1本も吸わなかったし、 今でも、吸った後で、またほしくなるということがないので、 習慣になることはないだろう。 ということで、これからも健康に注意しながら、 中国の人たちとの友好を深めていこうと思っている。。
2010年03月12日
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今日は木曜日。 今学期の時間割では、私の授業があるのは月曜から木曜まで。 金曜日は授業がないので、週末と合わせて毎週3連休になる。 その分、今日は授業が3つ。 しかも1年生の「会話」、2年生の「作文」、2年生の「会話」と全部違う。 今学期、私の授業は8つ(16時間)で、他の日本人の先生よりも多い。 ある先生は、学生が集まらず、授業が消滅して6つになったそうだが、 私は、学生たちの要望によって、授業数が増えた。 1年生と(日本語で)会話をするというのは、実は簡単なことではない。 1年生たちが身に付けた単語と文法が、まだ少ないので、 日本人教師の側では、自分が話したことを、1年生に理解してもらえず、 1年生にとっても、日本人の話が理解できず、またうまく話せず、 結局、お互いに交流できないからだ。 だから1年生と交流しているのは、私だけ。 去年も、その前も、そして今年もそうだ。 1年生たちが覚えた単語と文法を使って話をし、 笑わせたり、からかったり、納得させたりしながら、 彼らに聞き取れた喜びや、話せた嬉しさを感じてもらうようにしている。 しかし1年生の時に、たくさん話したり聞いたりすることは大事なことで、 そのことによって、人前で話す勇気を持てるようになって、会話が好きになり、 目で覚えた単語や文法を、口で覚えることにつながる。 今年の3年生たちの「日本語能力試験1級」の成績が圧倒的に高かったのは、 勿論、彼らの努力があったればこそだが、 過去2年間にわたって、私とたくさん交流したことも影響しているかもしれない。 1年生と交流することは苦労もあるが、 その苦労は、やがて必ず、彼らの成長という果実となって実を結ぶ。 学生たちの進歩、成長を喜ぶことができるのは、 学生たちと一緒に歩んできた教師だけだ。 私はそう思っている。。。
2010年03月11日
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後期が始まったばかりで、こんなことを言うのもなんだけど、 後期が終わるのは6月末、その後、期末試験をするので、 完全に夏休みになるのは7月の初め。 ということは、サッカーのワールド・カップが開幕している時、 私は中国にいるということになる。 大都市ならまだしも、ここでは日本のテレビは見ることができないし、 中国のCCTVが日本の試合を生中継してくれることも考えがたい。 一番いいのは、日本で、日本中の興奮の中に混じって見ること。 上海万博に行ってから、日本に帰ることも考えていたので、 そうなると帰国する日取りはもっと遅くなって、 ワールド・カップを見ないで終わることにもなりかねない。 なんせ4年に1回のイベントだからなあ。 どうしようかなあ。。
2010年03月09日
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いよいよ明日から、それも朝の8時から、後期の授業が始まります。 私の担当は1年生と2年生。 日本語を習い始めた1年生たちが、もっと日本語を好きになるように、 もっと会話が上手になって、日本人とたくさん交流ができるように、 2年生たちは、細かい間違いが少なくなって、高度な文法を使いこなせるように、 そして楽しい学生生活が送れるように、 私自身ができることは何でもやろうと思っています。 やはり長い休みが終わった後では、いろいろな変化があります。 学生たちの中には髪を切ったり染めたり、太ったり痩せたりして、 外見が変わっている者もいます。 外見が変わるといえば、1月末に免許の更新をした時に写真を撮ったのですが、 5年前、つまり中国に赴任する前の写真と比べて、 明らかに髪の毛の量が増えていました。 このことは家族からも指摘されましたし、実際、以前は、 だんだん薄くなる頭髪を気に病んでいたこともありますが、 髪が濃く太く、量が増えて、今では悩むこともなくなりました。 それだけではなく、この2年間で、僅か1センチですが身長が伸びました。 視力も良くなって、免許の更新の時は、眼鏡が必要ではなくなりました。 血液検査の結果は毎年良くなっているし。 えっ、若返っている……? この5年間で変わったことといえば、 毎日30本吸っていたタバコをやめたこと。 5年前に10キロのダイエットをして、その後はその体重を維持していること。 間食をしなくなったこと。 特に自動販売機の清涼飲料水は、以前、よく飲んでいたのですが、 今では見向きもしなくなりました。 生活の基盤が日本から中国に移ったことが、一番大きな変化ですが、 だからといって、髪が増えたり、背が伸びるというわけでもないでしょうし……。 このまま行けば、高校生の頃に戻れる……わけないか。 まあ学生と一緒にばか話をしていると気持ちは確実に若返るので、 それだけでもいいかなと。。。
2010年03月07日
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こちらに着いて二日目。 昨日と今日は、早速、学生たちが部屋に来てくれて、 その後、近くの商店街(通称:破街)の食堂で一緒に中華料理を食べました。 冬休みの間、日本語を話していなかったということで、 学生たちは「日本語を忘れてしまいました」と言っていましたが、 私にとっては、まるで日本人を相手に話しているような感じでした。 さて、こちらに着いた日のこと。 新郷駅からタクシーに乗って大学に着いたのが、夜の10時半ごろ。 私の大学の前、道を挟んだ向かい側には付属高校があるのですが、 夜の10時半、その高校から多くの高校生が出てくるところで、 往来は高校生たちでごった返し、まるで休日の新宿の歩行者天国のようでした。 その高校生たち、何をしていたかというと、「自習」です。 授業がない、冬の夜も、中国の高校生たちは教室で自習をしているのです。 夜だけではありません。 朝は7時から、自習をしています。 朝から夜まで勉強漬け……これが中国の高校生の姿です。 以前、学生の故郷に行った時、その学生が通った高校を訪ねました。 朝の7時には、もう授業が始まっていました。 学生たちは朝の6時には教室に入って、自習をしているそうです。 中国は競争社会です。 大学に入るために必死で勉強し、 大学に入った後は、英語試験、日本語能力試験、コンピューター試験など、 次から次へと試験を受け、その試験に合格するために、 勉強、勉強、勉強という毎日です。 勿論、そのことに対する弊害はいろいろあるのでしょう。 しかし、競争を勝ち抜く逞しさや、目標に向かって努力を続ける忍耐力などは、 日本の今の高校生たちとは比べ物にはならないと思います。 特筆されるのは、そういう勉強漬けの環境にありながら、 大半の学生たちは屈託がなく、無邪気な明るさを持っているということです。 そんな中国で教鞭を取る日本人教師として、 学生たちのために何ができるかをもう一度、自問自答しながら、 授業をしなければと気持ちを引き締めているところです。 最後に嬉しいニュースがありました。 去年の12月に行なわれた「日本語能力1級試験」で、 去年、一昨年と2年間にわたって私が担当した学生たちが、 過去、数年を遥かにしのぐ高い合格率をたたき出したということです。 自分が教えた学生たちを見ながら、自信は持っていましたが、 実際に結果を聞くと、私がどれだけの役割を果たしたかわかりませんが、 やはり嬉しいものです。 ただ、学生たちの、この結果によって、 担当教師の待遇が上がるということは、まったくありませんが。。。
2010年03月05日
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昨日の夜、大学に着きました。 関空から北京に着き、北京から和諧号(新幹線)に乗った頃までは、 なんだか居場所がないような感じでしたが、 新郷の駅に着いて、タクシーに乗ったあたりから、 周囲と自分がぴったりフィットしてきました。 実は日本を離れる1週間前あたりから、なんだか気持ちが不穏になっていました。 家族と離れること、のんびりした生活が終わること、新たな授業のことなどが、 その原因だったと思っていたのですが、 考えてみれば、落ち着くべき場所から離れるということが 不穏の大きな原因ではなかったかと思います。 中国に来る時、以前のような不安や期待は、今は薄くなりましたが、 その代わりに、ここに着いた時に、ほっとするような餡安心感があります。 日本を離れる時の不穏な気持ちは、 その安心感を得るまでの過渡期のようなものかと思います。 それくらい、今住んでいる街に愛着を感じているということでしょう。 月曜から授業が始まります。 今学期の授業は、これまでよりも面白く、豊富な知識をわかりやすく教え、 学生を飽きさせず、興味を湧かせて、 日本語を上手にさせたいと思っています。 そして何よりも、学生たちには私を通じて、 日本と日本語を大好きになってもらいたいと思っています。 そしてそうすることが、 中国での私を応援してくれる家族への最高の恩返しだと思っています。 さあ、授業の準備を始めます。。。
2010年03月04日
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朝、日本で目を覚ますのも、今日を入れてあと3回。 中国で私が住んでいるところは、中国の内陸部で日本人はあまり多くない。 初めて目にする外国人が私、ということもある。 そのこともあって、態度や言葉遣いには気をつけている。 私の一言、些細な態度が日本人のイメージを壊すこともありうるからだ。 昨日、こんなことがあった。 街をぶらついている時、『献血』の文字が目に入り、 「お願いします」という声も聞こえてきたので、 生まれて初めて、献血をすることにした。 まず注意事項を読み、書類に名前や連絡先、電話番号などを書き、 次に体温や血圧を測って……。 その時のこと。 私が普段、中国に在住していることがひっかったようで、 「帰国したのはいつ?」「毎年、帰って来ているの?」 なんだか、尋問されているような気分になりながらも、 「中国の大学で日本語教師をしているので、夏休みは日本に帰ってきます」と言うと、 すかさず「大学の名前は?」 私が「大学の名前が関係あるんですか?」と聞き返すと、 「あります」とだけの答。 「外国で生活している人の場合、献血をしていただけないこともあるので、 ちょっと確認をお願いしたいのですが」 そういうことをどうして予め説明できないのか? そして、献血ができないとわかった時に 昨日は、私がその場を立ち去る時、係の人からは何の言葉もなかったのだが、 「せっかく来ていただいたのに申しわけありませんでした」とか、 「また機会があれば是非お願いします」ぐらいのことをどうして言えないのだろう。 事前に血圧を測った際も、血圧に関するコメントはなし。 「いいですね」「問題ないですね」それぐらいのことを言って、 コミュニケーションを取るということもなく、 血圧の数値を黙って書類に書き込むだけ。 献血をしようとしている人に対する感謝の気持ちはまったく感じられなかった。 こちらは義務ではなく、善意で献血しようとしているのに、 献血をしてもらう、ではなく、献血させてやるといった雰囲気では、こちらの気も萎える。 すべての赤十字の人がそうではないと思うが。。。
2010年03月01日
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