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我が家で寝るのも今日が最後。 5年前、初めて中国に赴任する時には、いろいろな不安があったが、 今は、自分自身に関しては、ない。 5年前、北京に着いて、迎えに来てくれた大学のスタッフと一緒に、 北京のホテルにチェックインした時の気持ちは、今でもよく覚えている。 部屋の前の廊下を通る人の声や、窓の下から聞こえてくる話声のすべてが「中国語」! 勿論、意味はわからないが、それ以上に、 右も左もわからず、言葉が通じない国で、ずっと生きていくことが ずいぶん不安になったものだ。 北京から新郷に、列車で到着した時の気持ちも、非常に複雑だった。 夜の10時で、窓から見る景色は真っ黒、 駅に着いて、タクシーに乗せられ、どの道をどう通ったかもわからず、 まるで刑務所に護送される囚人のような気分になったものだ。 今は、大学は飛行機のチケットを発行してくれるだけで、 誰も迎えに来てくれず、自分でどんな方法でもいいから大学まで来てくれ、って感じ。 完全に信頼されて、任されています。 今回は昼過ぎに飛行機に乗るので、北京到着が午後4時頃。 その日は北京のホテルに泊まっていいよと言われています。 そんなわけで、ネットで王府井近くのホテルを予約しました。 夜の天安門や王府井をぶらぶらと散策し、 翌日、和諧号で新郷に行くことにします。 飛行機の中と、列車の中で読む本も何冊か用意しました。 見渡す限りの中原平野に時折、目をやりながら、小説を読む時間が大好きです。 かばんに本を詰め込んで、 では、ちょっと行ってきます。。。
2010年08月31日
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日本でのんびりするのも、あと2日。 明後日、大阪に行って、都会をぶらぶらと楽しんで、 次の日に関西空港から北京に行く飛行機に乗ります。 去年のこの時期は、中国に行くに当たって、大きな不安が胸の中に渦巻いていました。 自分のことや、学生たちのことではなくて、 父が亡くなって、家族が一人減った後の家族を残して行くのが、 不安だったのですが、 この夏、日本で過ごしてみて、去年のような不安は今はありません。 私自身も、5年目の中国になるので、不安というものはありません。 何年生を担当するのか、まだ正式には決まっていませんが、 毎年、下級生を担当してきたおかげで、 5年目となる今年は、大学の全学生が、私の教え子ということになります。 みんな私の授業を受け、私も日本語学部の全学生の顔と名前を知っています。 ですから不安よりは、マンネリにならないように、いつも新鮮な気持ちを持つこと、 私の授業に慣れている学生たちを更にレベルアップできる授業をして、 日本語学部全体のレベルを高められるようにしたいと思っています。 そして、私もまだまだ知らない中国を探して、楽しもうと考えています。 というわけで、残り少ない日本での生活を楽しむため、 今晩は天ぷらを揚げながら、和食を堪能しようと思います。 では、食事の準備のために、台所に行きます。。。
2010年08月30日
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日本に帰ってきて以来、「栄養・運動・休息」を基本に健康管理に努めてきたので、 食べるものは全部、手作りばかりで、インスタント食品やレトルト食品は、 一切、口に入れないようにしてきました。 でも、インスタント食品って、美味しいんですよね。 その中でも、特に食べたかったのが『チキン・ラーメン』。 子供の頃から食べていたもので、 時々、何故かふっと食べたくなります。 中国にも勿論、インスタントラーメンはありますし、 袋麺もカップ麺も、目移りするほどたくさんの種類があります。 味は中国らしく濃いものが多く、美味しいことは美味しいのですが、 やはり、日本とは味が違います。 というわけで、昨日は昼ごはんに『チキン・ラーメン』を食べてしまいました。 美味しい! これも日本の味覚ですっ!
2010年08月27日
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今日の晩御飯は「筑前煮」と「揚げつみれ」、そして「黒豆の煮物」。 「筑前煮」はレンコン、ごぼう、ニンジン、こんにゃく、鶏肉を炒めてから煮たもので、 「揚げつみれ」はいわしの団子にごぼうとニンジン、たまねぎを混ぜて、 塩と砂糖、にんにくで味をつけてから、油で揚げました。 「黒豆の煮物」は、これも自分で作ったもので、甘さを控えめにしています。 というわけで、今夜はオール和食です。 そして毎回欠かせない汁物は、今日は、「豆腐と納豆の味噌汁」です。 この味噌ですが、我が家は祖母の時代から、ずっと同じ味噌を使っていました。 徳島県のメーカーのもので、祖母も父も、 「味噌はこれでなければ!」と決め込んでいて、 私が違う味噌を使いたいと思っても、駄目でした。 我が家は、そんなふうに、何かを決めると、それだけ! という家族で、 洗剤は祖母はずっと「ザブ」でしたし、 父が飲む栄養ドリンクは「エスカップE」だけ、 風邪薬は「パブロンエース」、頭痛薬は「ノーシン」 そうめんは「揖保の糸」で、めんつゆは「しまや」などなど。 ほとんどのものにこだわりを持っているようでした。 私は次々に違うものを試したいという性格なので、 家族の中では異質な存在でした。 この前はあれを買ったから、今回はこれにしてみよう、って感じで、 特別なこだわりは何もありません。 今は、堂々と自分が使いたいものや試したいものを、 誰に遠慮することなく、選んでいます。 まあ、選ぶ基準は「安い」というだけのことなのですが。。
2010年08月25日
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最近、コンピューターの調子が悪くて困っています。 人間もこの猛暑で体調を崩す人が多いように、 エアコンを使っていない部屋の中では、精密機械のコンピューターも やはり調子が悪くなるのでしょうか? 週末は出雲大社にお参りをした後、近くのワイナリーでたくさん試飲をしました。 中国では、学生たちと一緒の時はビールで、 学生の家族と一緒の時は白酒(50度くらいです)を飲む機会が多いのですが、 日本では、家族の中で私以外、誰も酒を飲みませんし(飲めない)、 私も酒が好きというわけではないので、普段は酒を一滴も飲まないので、 ワインを飲んで、久し振りにほろ酔いになった感じが懐かしかったです。 運転を奥さんに代わってもらってから、次に向かったのが、 焼肉バイキングの店。 日本に帰って来た時はいつも必ずこの店に寄っています。 肉の種類が豊富で、それ以外のサイドメニューが目移りするほどです。 中国では(というか、私が住んでいる内陸部では)、 このような日本式の焼肉を食べられる店がありませんから、 これも日本に帰って来た時の楽しみです。 もうこれ以上食べられないというほど、たらふく肉を食べまくりました。 さあ日本にいるのもあと1週間余りになりました。 学生に頼まれた本や、私自身が読むための本は、さきに船便で送り済みですし、 日本でやるべきことも、ほとんどやり尽くしました。 夢の中に学生たちが出てくることもよくあります。 学生たちからも、夢の中に私が出てきたというメールが届きました。 家族と離れる寂しさは勿論ありますが、 学生たちに会える喜びも同じくらいあります。 例年のこの時期はいつもそんな心理状態です。。
2010年08月24日
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プロ野球の選手などで、それなりの好成績を残していながら、 何故か、毎年、打撃フォームの変更にチャレンジする選手がいます。 今のままでいい成績を残しているのに、 フォームを変えて、成績が下がったらどうするの? 子供の頃、私はそんな心配をしていました。 新しいことに挑戦するより、今のままでいいじゃないか、という考え方でした。 それが今は、フォーム変更に挑戦する選手の気持ちがわかるような気がします。 何故なら、私も毎年、教え方を変えているからです。 自慢ぽい言い方になりますが、私が担当した学生たちの成績は、 他のクラスや過去の各学年の学生たちより、平均点が高いという結果が出ています。 そして、何よりも、話すことが好きで、 外国人との交流を楽しむことができるようになっています。 もっとも私一人の影響だとは思いませんが。 中国で学生たちに日本語を教える仕事も4年が過ぎました。 9月からは5年目になります。 今も毎日、授業のやり方について考えていますが、 次年度からは、これまでと少し違う授業をしようかと思っています。 目標は、正しい文法と単語を使って、きれいな発音で話す、ということです。 今年の学生には、是非とも去年の学生たちより上手になってもらいたいですし、 日本を好きになってもらいたいです。 去年と同じでは、何の進歩もありません。 今までより「もっと」という意識を持つことが進歩につながりますし、 自分自身の気持ちも新鮮に保つことができます。 教師自身が新鮮で楽しくなければ、授業を受けている学生が楽しいはずがない、 私はそう思っています。。。
2010年08月19日
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盆に墓参りに行った時、既に誰かが、わが家の墓にお供えをしてくれていました。 それを見た時、ピンと来て、近くにある親しかった人の墓を見た時、 やっぱり、わが家の墓と同じお供え物が置いてありました。 その人の家族が、私の父の墓にお供えをしてくれていたのです。 その人は、わが家の2軒隣に住んでいた人で、 私が子供の頃、よく私を可愛がってくれた人です。 学校の帰りに声を掛けてくれたり、映画に誘ってくれたり、 私を自分の息子たちと区別せずに扱ってくれました。 私の父も、その人の息子たちによく声を掛けたり、 私が成長して着れなくなった服を、その息子さんたちにあげたりしていました。 私たち夫婦が結婚する時は保証人になってくれましたし、 父が隣の家(近所迷惑を繰り返す傍若無人な家族たちです)とひと悶着起きた時も、 「わしはずっとあんた(私の父のことね)の味方だからな」と言ってくれました。 酒とタバコが好きだったその人は数年前、脳卒中で倒れ、 長い闘病生活の果てに亡くなりました。 その人の葬儀には、当時、体調が良くなった私の父は、病をおして参列しました。 そして、去年、私の父が亡くなった時、 葬儀委員長をして近所の人たちをまとめてくれたのが、 その人の息子さんでした。 今は昔のような家ぐるみの付き合いというのがなくなってきたように思います。 近所の子に声を掛けることも、叱ることもなくなりました。 人と人、家と家の関係がどんどん薄くなっています。 以前は家の戸を全部開け放って、風を通していたので、 家の前を歩く人の姿が見え、そこに会話が生まれ、関係が深まっていました。 今の家では、ドアや窓を閉めているので、家の前を歩く人の姿が見えません。 顔を合わせる機会も減ります。 そういう時代なのだといえばそれまでなのですが。。
2010年08月17日
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わが家には猫の額ほど(6畳ぐらい)ですが、庭があります。 庭といっても石と砂がゴロゴロしている砂利ばかりが目立つものなので、 これまでは何もせず、ただの空き地になっていました。 以前から、この庭に木か花を植えれば、 毎朝や帰宅した時に、それを見れば目も気持ちも安らぐのになあ、と思っていました。 そこで、昨日は一念発起して、花を植えることを実行しようと、 炎天下にスコップを片手に庭を掘り起こすことから始めました。 スコップを地面に突き刺すたびに、石にガキーンと当たって、 それを腰を入れて、グイッとすくいあげて、穴をどんどん広げていきました。 50センチぐらい掘った時には、全身が汗まみれになっていました。 その後ホームセンターに行って、花壇用の土と花の苗を買ってきて、 苦労して掘った穴に土を敷き、肥料を撒いて、 そこに苗を置いてから、また土をかけて、苗をすっかり土の中に埋めました。 またそれで、全身が汗まみれになって、 結局、1日に3度もシャワーを浴びることになりました。 でも、苦労した甲斐があって、 これまで砂利と石がゴロゴロしていた、白っぽかった庭に、 赤やピンクや白などの可憐な花の色が目につくようになりました。 廊下を通るたびに、花に目が行き、気持ちもホッとします。 そんな週末の夜は、 オクラ、カボチャ、ピーマン、蓮根などの野菜ばかりで、 天ぷらをたくさん作って、お腹一杯食べました。 中国に帰るまで、あと2週間です。。。
2010年08月16日
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10年以上前のことになるが、この時期、高校野球の県予選決勝戦を観戦に行った。 県大会の決勝戦は、片や県外から選手を集めてチーム作りをしている高校と、 対するは地元の高校生だけで勝ち上がってきたチームの対戦だった。 その試合中に、応援している地元の保護者たちから、こんな声が起こった。 「お前ら大阪に帰れ!」 大きな声だったので、球場中に響き渡り、おそらく選手たちの耳にも届いたはずだ。 自分の子供、或いは地元の高校生たちを甲子園に行かせたいと思うのは当然だが、 汗と土にまみれて頑張っている高校生に対して言う言葉ではない。 私の奥さんは東京出身だが、田舎の生活にすぐに慣れ、 方言もすっかり身に付け、買うものはすべて地元のものばかりで、 県内の地理も、地元の人以上に詳しくて、 地元の人よりも地元に馴染んでいる。 その彼女が、こちらに来たばかりの頃、こう言ったことがある。 「山陰は、日本の中の独立国みたいね」 周囲を山に囲まれて、他県や都会との交流が少なかったことは、 独自の文化を守って、育ててきたという良い面はあるが、 外の世界を知らない井の中のかわずになっているように思う。 最近、自転車でいろいろな集落を通り抜けることがあるが、 そういう私を、どこの誰だろうかと、訝しげにじっと見る人が多い。 そういうところも、閉ざされた社会のあらわれのように思う。 高校野球に限らず、県外から有望な選手を集めてチーム作りをすることは当たり前だし、 わが県のように人口が少ない県は、むしろ県外から、 選手だけでなく、指導者たちも積極的に招いて、 全国のレベルを知るところから始めなくてはならないだろう。 県境や国境を越えて、どんどん外に出て行くべきだし、 外からも多くの人を招き入れることが必要だ。 ……この4年間、海外で暮らしてきて、 心に垣根を作らないということの大切さは実感している。。
2010年08月12日
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5月に、日本語学部の学生たちによる日本語スピーチ・コンテストが行なわれました。 その時のテーマは二つあって、 一つが『日本に伝えたい中国文化』、 もう一つは『私たちでもできる環境対策』でした。 『環境対策』を選んだ学生たちの多くは、無駄遣いをしないことを訴えていました。 中でも特に、水を大切にすることを訴えた学生が多くいました。 中国では水は貴重なもので、 毎日、風呂に入ったりシャワーを浴びる習慣がある日本では考えられないほどです。 そんな中国で未曾有の土石流による被害が発生しました。 亡くなった人の数も多いのですが、 更に心を痛めさせられるのは、被災者たちに向けられる救助の手が少ないことです。 給付される食事は極めて少なく、 水はペットボトルに2本だけだそうで、それ以外には歯を磨く水さえないといいます。 日本のように給水車が来て、水を配ったり、簡易シャワー室を作ったりなど、 そういう援助体制が、普段から水が少ない中国ではできないようです。 日本人として、日本という国の恵まれた環境に感謝するとともに、 中国の被災者たちの一刻も早い救済を願っています。 日本でも、今日はわが家の方へも台風が来るようですが、 大きな被害が出なければいいのですが。。
2010年08月11日
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昨日の山歩きで、きっと筋肉痛になるだろうな、と思っていたのですが、 そちらは左程でもなく、多少、張りを感じるぐらいですんでいます。 尤もうちの奥さんは体じゅうがガタピシしているようで、 階段の上り下りや、椅子から立ち上がる時などに「痛い」などとうめき声を発しています。 筋肉痛よりもむしろ問題なのが、全身の倦怠感です。 今日も炎天下の中、自転車に乗って出かけたのですが、 いつもの上り坂が、やけに苦しくて、足に力が入らない感じでした。 こいでもこいでも、坂が続いて、途中で諦めそうになりました。 それでも何とか、2時間こぎ続けて、家に帰ってきたのですが、 どっと疲れて、シャワーを浴びた後、しばらく寝てしまいました。 明日も暑いという予報だし、 どうしようかなあ? なんだか、自分の怠け心に負けそうです。。
2010年08月09日
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盆に備えて、朝から墓掃除をして、 さて、その後、何をするかと考えた時、5年越しの悲願に挑むことにしました。 家から車で30分ぐらいのところに、大山滝という滝があります。 二段になっている雄大な滝で、 それを見るためには、車を降りてから、山道を約30分ぐらい歩かなければなりません。 途中に細い釣り橋があったり、勾配のきつい坂が続いているので、 足が疲れたり、息が切れたりしたりしますが、 子供でも年輩の方でも、最後までたどり着くことができます。 展望台からは、二段滝を見下ろすことができて、その風景は壮観です。 これまで毎年、夏休みに帰ってくると、私と奥さんはこの滝を見に行っています。 5年越しの念願とは、この滝を滝つぼまで降りて見あげることです。 滝つぼまで降りるには、急な崖のような坂を、 鎖につかまりながら、景色を背中にして、下らなければなりません。 帰りは逆に、鎖を引き寄せるように、よじ登ります。 その角度の急さに、これまで滑落して亡くなった人もいます。 そういうわけで、展望台までは辿り着いても、 そこから滝つぼまで降りようとする人はあまりいません(2割ぐらいでしょうか)。 私たちもそうでした。 それを、今日は、意を決して滝つぼに下りることにチャレンジしてみました。 足がすくみそうになったり、息が切れたりで、 引き返そうと思ったこともありましたが、 とうとう滝つぼまで降りて、滝の飛沫を浴びました。 そこに立つと、周囲は頭の上に緑が覆いかぶさってくるようで、 その頂点に真っ青な眩しい空が見えます。 山の中ですから、空気は澄んで、風は涼しく、 肺の中まできれいに浄化されるようでした。 去年まで、やろうとしてできなかったことが、今年できた! 小さなことですが、なんだか大きなことを達成したような嬉しさがありました。 こういう小さな嬉しさを積み重ねていけば、 人生はきっと豊かなものになるのかなと思います。 そんな大げさなものじゃないけど。。
2010年08月08日
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日本に帰って来て、体重がやっと1.5キロ落ちました。 ダイエットというのは、要するに摂取カロリーと消費カロリーによって決まるものだから、 結局は消費カロリーを多くすれば、体重は減るということ。 日本に帰って以来、魚と野菜中心の食生活を続けていますが、 肉体労働がないので、体重はまったく変わらないままでした。 というわけで、2週間ぐらい前から、 日中、自転車で2時間ほどサイクリングをしています。 といっても、ギアを重くして乗ってるので、筋力トレーニングのようなものです。 はっきり言って、きついです。 僅かな上り坂さえ、足と心臓が苦しくなります。 汗がポタポタ流れて、呼吸も苦しくなります。 それでも、流れていく景色を見ていると、気分は爽やかになります。 肉体的なきつさと、精神的な爽快感をともに感じながらの2時間です。 そういうことを続けているうちに、 それが日課になって、やらなければ落ち着かないという気持ちになってきました。 そして、体重が1.5キロ落ちました。 ……しかし、昨日と今日は、あまりの猛暑のために、休みました。 この炎天下の下で坂道を2時間もこぐことは、 自殺行為に等しいと、自分に言い訳をしました。。。
2010年08月06日
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料理を作るのは嫌いではないのですが、 かといって趣味というほどではないし、作るのが面倒な時もあります。 とはいえ、日本にいる間は毎日、料理を作ると決めているので、 自分で決めたことは必ず実行しています。 それは、普段、日本の家を留守にしていることに対するお詫びの印でもあります。 同じ料理を毎日、作るのは自分でも飽きますし、 手抜きのように見られる(誰が見るんだ?)のも嫌なので、 新しい料理にチャレンジするようにしています。 今日はサイクリングがてら近くのスーパーに寄ってみたところ、 おからが売っていて、しかも48円だったので、 おから団子を作ることにしました。 玉ねぎと冷蔵庫の中にあったミックスベジタブルをバターで炒め、 これもやはり冷蔵庫の中にあったしらすも合わせて、 おからで団子を作り、 小麦粉と卵、パン粉の順番につけて、油で揚げました。 もともとがおからなのでぱさぱさした感じはありますが、 ソースとケチャップ、そしてからしを合わせたたれにつけて食べると、 栄養があって、なかなか美味しくいただくことができます。 家族の評判も概ね好評でした。。
2010年08月04日
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わが県は基本的には農水産業県です。 わが家は駅前にあるので、周囲には田園風景はありませんが、 少し離れると、田んぼや畑、果樹園があり、海に行けば漁港もあって、 食材には事欠きません。 父親が愛用していた自転車に乗って、毎日、遠出していますが、 農村の集落の中を通った時など、よく牛舎を見かけます。 中には乳牛が何頭も並んで飼われています。 暑いのは人間だけじゃなく、牛も同じなので、 牛舎の中には巨大な扇風機が、大きな音を立てて回っています。 考えてみれば、農業、とくに畜産業は、生き物が相手だけに、一日も休むことができず、 ましてしばらく旅行に行こうなんてこともできません。 毎日、朝から夜まで、牛を手塩にかけて世話をして、 そうやって牛乳ができるのです。 わが町には酪農工場があって、小学校と中学校の給食では、 毎日、地元の農家で搾られ、地元の酪農工場で作られた牛乳が出ていました。 以前は、農家の皆さんの苦労など知らずに飲んでいましたが、 今では、牛乳を飲むたびに、それが作られるまでのことを考えるようになりました。 そう考えれば、スーパーでの安売りも、なんだか複雑な気持ちになります。 あんなに一生懸命に作ったものを、こんなに安く買っていいのだろうか、 むしろもっと高く買ってあげてもいいかな、とも思います。。
2010年08月03日
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日本に帰ってきて以来、週末は家族と一緒に遠出をして、 温泉巡りをしていたのですが、今週はそれもなく、家でのんびりとしていました。 エアコンは使わない主義なので、 家の窓を開け放して、外からの風が部屋の中を通り過ぎる中を、 本を読んでいました。 図書館から海外翻訳小説を何冊か借りているのですが、 今日ずっと読んでいたのは、先日、古本で買ったマンガです。 『愛と誠』、『あしたのジョー』です。 実は子供の頃は、将来はマンガ家になろうと思っていたほどで、 自分でもマンガを書いて、友達に見せていたりしました。 今、中国で日本語教師をしていますが、 授業をしている時に、マンガを描く技術が役に立つことがあります。 たまには、昔親しんだマンガを読みながら、 何の予定もない休日をのんびり過ごすのも、 これも気持ちのリフレッシュにいいかなと思います。 ところで『あしたのジョー』を実写版で映画化するという話があるそうですが、 俺のイメージを壊さないでくれっつ!
2010年08月01日
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