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びっくりしながらも嬉しかったこと。 昨日の昼ごはんは、学生と一緒に破街に行って餃子を食べることに。 その時、料理の写真を撮ろうとしてデジカメを持っていったのですが、 食べ終わって、店を出る時に置き忘れてしまいました。 そのことに気がついたのは1時間後のこと。 日本ならかなりの確率で、店が預かってくれていると思うのですが、 その時の私は、99%、誰かが持ち去っているだろうと、 諦めの気持ちになっていました。 重く沈んだ気分のまま店に戻って、主人に聞いてみたところ、 主人は素っ気ない態度ながらも、カウンターの脇から、 袋を取り出し、その中に入っていたカメラを私に手渡してくれました。 その時の気持ちたるや、 死刑判決を覚悟していたところに、無罪の判決を得たような感じでした!
2010年10月30日
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今日は10月29日。 私の奥さんの誕生日です。 ちなみに私の誕生日は1月29日で、 私を子どものように思ってくれた、以前の勤め先の社長の誕生日が11月29日で、 そういうこともあって、私の家のクルマのナンバーは「・・29」です。 この5年間、一緒に誕生日を祝うことはできませんでしたが、 毎年、メールで祝福と感謝の気持ちを伝えています。 私が中国で自分のやりたいことをできているのも、 みんな家族の理解と応援があってのことです。 本当に感謝しています。 中国で日本語教師をすることを決める前までは、 毎日の生活にやりがいが見出せず、自分の気持ちを抑えながら、 毎日、収入のためだけに仕事をしていました。 その結果、ストレスや悩みからいろいろな病気になって、 鬱々とした日々が続き、精神面や体にもいろいろな不調が出ていました。 生きる死人のようだったと言っても過言ではありません。 家族の理解なしには、今の充実した生活はできません。 本当に感謝しています。 お互いに誕生日がきて、素直に嬉しいといえる歳ではありませんが、 何はともあれ、 「誕生日おめでとう!」。。
2010年10月29日
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近頃めっきり寒くなってきたので、 朝、学校の中の公園で教科書を朗読する学生の姿は見なくなった。 天気がいい時は、朝7時前から学生が公園に集まってきて、 それぞれに英語や日本語の教科書を取り出して、 大きな声で朗読している光景をよく目にする。 人前で大きな声を出すことを恥じる日本人にとって、 このような光景を、日本で目にすることは少ない。 他の省、他の大学のことは知らないが、 この大学では朝8時から授業が始まり、夜の9時半にその日の授業が終わる。 100分間の授業が午前に2つ、午後に2つ、夜に1つある。 そして授業がない時はほとんど自習に時間を費やしている。 それでも、高校の時に比べれば楽なものだと、学生たちは言う。 受験戦争という言葉が、嘘でも誇張でもない中国では、 朝7時前には教室に入って自習を始め、 夜の11時に解放されて、寮に戻り、寝床に付くという。 寮生活の彼らは、平日は学校の外に出ることも禁じられ、 週末に僅かながら羽根を伸ばすのだそうだ。 その勉強のほとんどが暗記であり、所謂、詰め込み教育なのだが、 大学に入学するためには、文系の学生であっても、 数学や物理、化学、生物などの科目の試験を必ず受けなければならない。 試験の科目数が多いために、理解するより、まず暗記が優先される。 物理や化学なんて、先生の話が宇宙人の話のようにしか聞こえなかった私からみれば、 暗記できるだけでもたいしたものだと思う。 私が中国人だったら、大学に入るなんてできなかっただろう。。
2010年10月27日
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今夜の晩ご飯は、同僚の女の先生が学生たちと一緒に作ったおにぎりでした。 具は中国らしくザーサイと肉団子でした。 私も毎年、学生たちとカレーを作って、一緒に食べていますが、 それは学生たちに日本の味(?)を教えたいという理由からで、 普段は日本料理が恋しくなるということはありません。 とはいえ、しばらくぶりに食べたおにぎりは、 やはり懐かしい日本の味でした。 ところで、今日の昼まではいい天気だったのですが、 夜になって風が強くなってきました。 天気予報では明日の最低気温は5度、 明後日は更に下がって0度になるそうです。 早くも冬到来といった感じです。。
2010年10月24日
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今日、私のメールボックスに1通の中国語の文書が送られてきました。 日曜日に開催が予定されていた『河南省日本語スピーチ・コンテスト』中止の連絡でした。 この大会は、河南省内の各大学で行なわれたコンテストの優勝者が一同に会して 行なわれる予定で、本校の代表者もずっと準備をしてきました。 中止の理由は、会場となる鄭州市で先日、反日デモが行なわれたことから、 日中の交流イベントを開催するに当たって、万が一の危険を避けるためだそうです。 本校の代表は、過去2年間、私が担当した学生で、 最近も優勝を目指して、私も指導していたところでしたから、 残念というより、なんだかあっけに取られたという感じです。 それほどがっかりしたり、悔しいという気持ちにならないのは、 また来年5月に、今度は全国大会があるということと、 政治的な判断に何を言っても無力という諦めが先に立っているからでしょう。 まあ、そんなもんです。。
2010年10月21日
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趣味の話で恐縮です。 先日の日曜日、京都競馬場で行なわれた『秋華賞』でアパパネが牝馬三冠を達成しました。 牝馬三冠自体も大偉業で大いに讃えるべきなのですが、 私にとって何よりも嬉しかったことは、 アパパネに騎乗していたのが蛯名正義騎手だったということです。 実は蛯名騎手とは、彼がジョッキーとしてデビューした年に会って、 言葉を交わしたことがあります。 彼の同期には武豊騎手がいて、ともに将来を嘱望されている新鋭でしたが、 デビュー以来、それまでの記録を塗り替える大活躍をした武豊騎手に比べて、 蛯名騎手は、関東の新人ではナンバーワンの成績を挙げていましたが、 人気や知名度の点では武騎手には遠く及びませんでした。 デビュー時から知っていて、ずっと応援していた蛯名騎手に会ったのは、 社台ファームのパーティの会場でのことでした。 声を掛けて、サインをお願いした時、 彼は「本当に僕でいいんですか?」と遠慮がちにサインをしてくれたものです。 その彼が今やフランスの凱旋門賞で2位に入る健闘を見せ、 世界に日本競馬の実力を見せつけ、 帰国後、早速、牝馬三冠の偉業を成し遂げたことは、 往時を知る者にとって感慨深いものがあります。 アパパネ三冠達成のニュースのおかげで、 嬉しい気持ちで今週を迎えることができました。 ついでに言えば、プロ野球のクライマックス・シリーズで、 ジャイアンツがタイガースに連勝して、 日本シリーズに出場する可能性が継続したことも嬉しいことでした。 これで、この後、中日に勝てば、うきうきした日がまた続きます。 でも本当言うと、CSなんて制度は営利優先で、 一年間戦ってペナントレースで優勝したチームの栄光と名誉を軽んじる とんでもない制度だとは、思っているのですが。。。
2010年10月19日
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今学期、私は1週間に2回、私が教えているクラスの学生と、 1回に二人ずつ、一緒に食事をしながらいろいろな話をするようにしています。 勇気がなくて、日本人と話ができない学生に、 会話のチャンスをあげて、日本人コンプレックスを払拭し、 お互いに親しみを感じながら、話をする面白さを感じてもらうことが目的です。 火曜日と木曜日は、5時にクラスの学生が二人ずつ、私の部屋に来て、 まずその日の話題について30分ぐらい話をして、 それから一緒に会話をしながら食事をし、 食後は更に30分ぐらい、散歩をしながらお喋りをします。 最初の30分は緊張してうまく話ができない学生も、 食事をしながらでは、緊張もほぐれ、いろいろな質問をするようになります。 そして食後の散歩の時には、緊張はすっかりなくなり、 会ってから1時間半後には、「また一緒に会話をしたいです」と言えるようになります。 私と食事をした後は、授業での発言も多くなり、 ただでさえ賑やかな授業が、更に賑やかになるという好循環が続いています。 そんなふうにして、先週、私と一緒に食事をした学生(女)から、 今日、こんなメールが届きました。 「先生、私は先生とまた会話をしたいです。この前は食事をしながらでしたが、 この次は一緒にお酒を飲みましょう。 先生はいつ都合がいいですか?」 酒……? 女の学生がケーキを持って、部屋に来てくれたり、 男の学生が缶ビールを持って、「悩みを聞いてください」と言ってきたことはありますが、 女の学生から、酒を飲もうと誘われたのは初めてです。 その学生は以前、とても静かで、授業中の発言もまったくなかった学生ですから、 それが私を誘えるようになったことは、 彼女が自分の殻を破ったと、私自身も嬉しいことなのですが、 酒かあ……。 私が先に酔い潰れたりしたら恥ずかしいですし、 酔って、私が狼にでもなったりしたら……。 さて、どうしましょうか?
2010年10月16日
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昨日の夕方、2年生の学生と破街で食事をしている時のことでした。 隣のテーブルに座っていた男の学生が突然、立ち上がって、私の前に立ち、 「先生、こんにちは」 と声を掛けてきました。 一昨日、初めて私の授業を受けたばかりの1年生の学生でした。 彼は、ビールが入ったグラスを私に差し出しました。 私が「ありがとう」と言うと、彼はすぐに、 「どういたしまして」と返事をしたのです。 「先生」「こんにちは」「ありがとう」「どういたしまして」 これらは、前日、私が教えたばかりの日本語です。 覚えたての日本語をすぐに使って話すことは会話上達の基本ですが、 それ以上に、前日会ったばかりの日本人に、 日本語で話しかける勇気を大きく評価したいと思います。 日本人と話す勇気がないために、 (試験の成績は良くても)会話ができないまま卒業していく学生のなんと多いことか。 単語や文法は理解していても、会話ができない者は、 レシピは知っているが、料理を作れない料理人と同じです。 私の学生には、そんなふうにはなってほしくありません。 ところで、一昨日、私の授業を受けた36人の学生のうち、 名簿と写真を見比べながら、すでに18人の顔と名前を覚えました。 来週の授業までに全員の顔と名前が一致するように、頑張ろうと思っています。。
2010年10月15日
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今日の午前、今年度初の1年生の授業が終わりました。 授業の前はだいたいいつも緊張するものですが、 特に1年生の初授業の前は本当に緊張します。 極端なことを言えば、初めての授業の良し悪しで、 1年生たちのその後の日本語の勉強に対する姿勢が決まってしまうこともあるからです。 日本語が上手になりたいという彼女らの意欲を満たし、 自由に大きな声で話しができる楽しい雰囲気を作って、 日本語に対する興味を育てる……。 これをいつも自分の責任として、自分自身に課しています。 今日の授業は、例年、そうですが、 去年、一昨年、或いは三年前に、私の授業を受けた先輩たちが、 応援団というかギャラリーというか、私の授業を聞きに来ていました。 そういう学生たちに見守られながら、 今日も賑やかで弾けた授業ができました。 今日初めて、私という日本人の授業を聞いた学生たちは、 大きな声で笑い、教えたばかりの日本語を大声で話し、 「あっという間に授業が終わった」と口々に言ってくれました。 最初の4回だけは先輩が通訳として授業に来てくれます。 私が1年生の担当をする前は、この通訳は4年生の役割と決まっていました。 しかし、私はいつも2年生(時に3年生)に通訳をしてもらうことにしています。 2年生たちは、1年生の時からずっと私の日本語を聞き続けてきましたから、 私の日本語は全部わかりますし、 日本語を勉強した期間は先輩より短くても、 日本語を話した時間は先輩より長い者がいますから、安心して任せることができます。 一番重要なことは、初めて日本語を学ぶ1年生たちにとって、 2年生が通訳をしている姿を見れば、 「頑張れば、来年、私も通訳ができるくらい上手になれる」という、 日本語学習のモチベーションを高めることにつながるからです。 授業の後で、「私も来年、先生の通訳をしたい」と言ってきた1年生も何人かいました。 まあ、来年、私がこの大学にいるかどうかわかりませんが。。。
2010年10月12日
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日本語とはつくづく難しい言語だと思う。 「書き言葉」と「話し言葉」があり、話し言葉の中にも、 女の言葉、男の言葉、子どもの言葉に老人が使う言葉、上司と部下とでも同じではない。 どういう時にどういう言葉を使えば適切なのか、 これを理論と実践を通じて身に付けさせるには、やはり時間がかかる。 今年、私にとって嬉しいことは1年生の担当が私以外にもう一人いるということ。 過去、2年間は1年生と2年生の面倒を見る日本人は私一人だけだったので、 学生との付き合いで文字通り目の回るような忙しさだったが、 それでも親しく交流した学生は1、2年生全体の半分にも満たない。 そういう点では、新しい先生の存在は嬉しく、そして頼もしい。 ただ気になっていることが一つある。 彼の話の中に「……っすね」という表現が多いことだ。 「いいっすね」「これうまいっすね」「やばいっすね」「すごいっすね」 そして「ありがとうございます」は「あざーす」。 最近、学生と話をしている時、何人かの学生から、 「先生、あざーす」と言われて、びっくりしたことがある。 去年のことだが、校内で、少し離れたところから、ある学生にこう声を掛けられた。 「先生、逃げるなよ!」(刑事ドラマの影響?) 2年生を励ました時には、こんな返事をもらった。 「先生、いつも悪いな!」(これもドラマから?) テレビの影響ではないが、4年生の学生にはこう質問された。 「先生、お前の妻は元気か?」 耳新しい言葉を使えば、自分の日本語が上手になった気がするのだろうし、 教科書には載っていないこれらの言葉は、何より面白いのだろう。 しかし、日本人に対して、このような言葉を使えば、親しくなることなど不可能になる。 日本語とはつくづく面倒な言葉だと、こんな時、思う。。。
2010年10月12日
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禁煙は順調です。 と言ってもまだ宣言をしてから2、3日というところですが、 「吸いたい」という欲求は容易に抑えることができています。 「吸いたい」という欲求がなくなるまで、もう少し頑張ります。 今日は3組の学生たちと、それぞれ2時間ずつ話をしました。 午前10時からは2年生の女の学生と1対1での会話でした。 彼女は去年、1年生の時に英語スピーチ・コンテストで優勝した経験を持っています。 しかし、日本語は「たちつてと」の発音が不明瞭で、 毎日、寮で鏡を見ながら発音の矯正に励んでいました。 彼女にとって日本語は英語ほど親しみやすいものではなく、 2年生になった今学期は、勉強に対する行き詰まりやストレスで、 授業に行く意欲さえなくなっていました。 今日は、彼女はそんな悩みを私に話をしてくれました。 聞いているうちに、彼女の発音の悪癖がすっかり直っていることや、 また新しく覚えた単語や文法をたくさん使いながら話していることにも気がつきました。 まだ考えながら話すという状況なので、流暢とは言えませんが、 私の問い掛けに頭をひねったり、笑ったりしながら、 2時間ずっと、日本語での会話が途切れることはありませんでした。 彼女に足らないのは自信と、自信を確認するための機会でした。 悩みや普段考えていることを全部吐き出したことで、気分も楽になったでしょうし、 今日は私と日本語で2時間も話し続けたことで、 彼女も自信を持つことができて、話すことの楽しさを味わってくれたと思います。 別れる時、彼女はこう言ってくれました。 「先生と一緒にいると、時間が速く過ぎますね」 その言葉を聞けただけで、相手をした甲斐があったというものです。。
2010年10月10日
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国慶節の長い休みが終わって、今日から授業再開。 特にこれまで軍事教練に励んできた1年生たちにとっては、今日が授業初日。 去年まで1年生を担当する日本人教師は私一人だったが、 今年は私以外に、新任の若い先生が1年生を担当することになった。 私は、来週の火曜日が1年生たちの初授業になるが、 新しい先生は今日が授業デビュー。 事前に授業の進め方や話題の作り方などの相談を受けていて、 私の経験も交えながら、ざっと説明はしておいたが、 やはり何事も実践を経なければ、身に付かないものなので、 その先生の個性を自由に発揮してもらえば良いと思っていた。 その先生は「先生」とは言っても、実はこの大学の大学院の留学生。 日本での教師経験はなく、大学で学生に教えるのは勿論、初めて。 私も4年前の自分を見るような気分で、授業を見学させてもらった。 汗を拭いながらの授業で、緊張ぶりが手に取るように伝わってきた。 彼の授業についての批評はともかく、 学生と親しくなろうという意欲は充分にうかがえた。 まあ、他の先生のことより、私も自分自身を心配しなければ。 授業案はもう出来上がっているので、特に慌てることもないのだが、 これまでのどの年より良い授業をしようとは思っている。 毎年、新たな試みに取り組んで、成果を出すことは自分に課している責任だから。。
2010年10月08日
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国慶節の休みも明日まで。 結局一週間のうち、学校を離れたのは最初の一日と半日だけ。 後は学生の作文を直したり、休み明けの授業に使う資料を揃えたり、 そして部屋にやってくる学生と会話の練習をしたり、 つまりいつもと変わらぬ休日の過ごし方で終わりました。 それでもこの連休の後遺症というものもあります。 それは喫煙癖が復活してしまったことです。 学生の家に行って、煙草を勧められるままに、吸って、余った煙草を持ち帰り、 男の学生と食事をしている時にも勧められ、 更に新しく赴任してきた日本人の先生が愛煙家だったことから、 これも勧められて、ついつい毎日、吸うことになってしまいました。 もっともこの5年間、禁煙は続けていましたし、 その途中で、中国人との交流の礼儀として、何度か吸ったことはあったのですが、 翌日は、また吸いたいという気も起きずに、 また楽に禁煙を続けることができたので、 そういう自分をいつの間にか過信していたこともあったのでしょう。 さすがに、まだ本数は一日に4本か5本ぐらいのものですが、 食後や、学生が部屋から帰ってホッとした時に、 つい一服したいという欲求が湧いてくるようになりました。 タレントの田代まさしが覚醒剤所持で捕まった時の写真を見ましたが、 あれを見て「バカな奴だな。何度、捕まれば気が済むんだよ!」などと、 軽蔑する気持ちを持ったものですが、 このまま煙草をやめることができなければ、 結局は私も彼と変わるところがないように思います。 というわけで、習慣化しないうちに、 またすっぱりと煙草をやめます。 こんなふうに公言したのですから、後はそれを実行するだけです。 まあ自信はあるんですけどね。。。
2010年10月06日
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昨日の朝、新4年生の4人が、日本への留学に旅立ちました。 上海に着いたといってはメールをくれ、 搭乗直前にも、またメールをくれました。 彼女ら4年生は、私が初めて担当した1年生でした。 打てば響くという感じで、積極的で明るく、心遣いも細やかで、 当時は、私も授業に行くのが楽しみでした(今もそうですが)。 最初、私は3年生の担当でしたが、 彼女らが2年生になる時に、自分から望んで2年生の担当に変えてもらいました。 彼女らを育てることができるのは私しかいない、といった気持ちがあったからです。 1年生の時から毎週、二度、三度、一人で私の部屋に来ていた彼女らは、 2年生になったばかりの時に『日本語スピーチ・コンテスト』で、 多くの3、4年生たちより好成績を挙げました。 日本人との交流も多く、授業中もよく話し、よく笑い、 私が風邪を引いた時などは、風邪薬を買って、部屋まで持ってきてくれたものです。 この大学の日本語学部の学生が、日本人教師と積極的に交流するようになったのは、 彼女ら、今年の新4年生たちから日常化した習慣で、 それ以前は、日本人教師と交流する学生はほんの一部でしかありませんでした。 そういう彼女らを見て、後輩たちも日本人と交流するようになったのです。 彼女たちに対してはいろいろな感慨があります。 私は彼女たちを育てましたが、私も彼女たちに育てられました。 それは日本語教師としては勿論ですが、 一人の人間としても育てられたように思います。 昨夜は彼女らのコンピューターにメールを送っておきました。 こういう内容でした。 「日本の景色はどうですか? 今は遠くに霞んでよく見えないかもしれませんが、 今、目にしている景色の更に遠くにあるのが、あなたの未来ですよ。 一歩ずつ歩んで、自分の未来をしっかり見てください」 今日、彼女らはこのメールを読むでしょう。
2010年10月05日
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昨日の朝、出掛けて、学生の家で泊まり、今日はもう帰ってきました。 本当にミニ・ホームステイでした。 短かったですが、有意義で楽しい一日半でした。 つくづく思ったのは、中国の人たちは、本当にお客を大切にもてなすということです。 食事は、たくさんの料理がテーブルに並びますし、 そのどれもがお母さんの手作りで、とても美味しいものばかりです。 そして「もっと、どうぞ」「遠慮しないで」と言われ、 気がついた時には、動くのも苦しいほど、お腹一杯になっています。 私には一切のお金を使わせようとせず、 これまではホテル代まで負担してもらったこともあります。 今回は、学生の家に床を作ってもらって、同じ屋根の下で寝たのですが、 朝、起きて顔を合わせた時には、以前からずっと知り合いだったような、 親しさを感じることができました。 残念だったことは、学生のご両親の言葉がほとんど聞き取れなかったことです。 方言や訛りが強く、話すほうはできても、聞き取ることができず、 ほとんどは学生に通訳をしてもらっていました。 とはいえ、今回、学生の家に行ったのは、 彼女に通訳のチャンスをたくさんあげたかったというのも、目的の一つでした。 彼女は一生懸命に通訳をしていましたが、 まだ1年間しか日本語を勉強していないとあって、かなり苦労をしていました。 それでも自分に足らないものがわかって、更に勉強する意欲が高まったようです。 それだけでも、彼女の家に行った意味があるというものです。 しかし、毎回、たくさんご馳走になりすぎて、 お腹がぽっこり出て、見るからに体重は確実に増えました。。。
2010年10月02日
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