ポンコツ山のタヌキの便り

ポンコツ山のタヌキの便り

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

やまもも2968

やまもも2968

カレンダー

バックナンバー

2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月

サイド自由欄

設定されていません。

コメント新着

さとし@ Re[2]:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 昔の子供さんへ ?その後の文章ないですか…
夕陽のOBです@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) なんか懐かしくなって、夕陽ヶ丘セツルメ…
南日本リビング新聞社@ Re:天文館の唯一の映画館の最後の日(10/11) こちらの写真を新聞で掲載させていただき…
昔の子供@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 懐かしいです、昔のお兄さんたちに会いた…
昔の子供@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 偶然この文章読みました、まさにその当時…
安渓 遊地@ Re:武部利男先生と漢詩の中国音読み(04/01) やまもも様 吉川幸次郎先生(と武部先生)…
安渓 遊地@ Re[1]:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05) やまももさんへ 武部先生の漢文は、3年間…
通りすがり@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) こんにちは。 ここの大学のOBです。 同…
鹿児島の還暦じじい@ Re:鹿児島弁の「おいどん」は一人称複数!?(12/24) おいどんの記事興味深く読ませていただき…
やまもも@ Re:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05) mastanさん、ご質問に気がつかず、返事が…
2016年06月05日
XML
カテゴリ: エッセイ
 私の手許に武部利男『白楽天詩集』(六興出版、1981年)という本がある。私はこの本を手にするたびに高校1年のときに受けた漢文の最初の授業の日のことを思い出す。

 教室に入って来られた漢文の担任の先生は、いきなり黒板にさらさらと漢詩を書かわた。そのとき、この先生が黒板に書かれたものがどんな漢詩であったのか、残念ながら忘れてしまったが、確かそれは人口に膾炙された詩で、私もそれまでにその読み下し文を耳にしていたと思う。さて、つぎに読み下しによる説明が始まるのかと思ったら、先生はこの漢詩をなんとも奇妙な発音で読み出された。

上がったり下がったり、やけに高い音が発せられたかと思うと、ど すんと落ち込んだり、そうかと思うと急に浮上したり、それはまるでジェットコースターに乗って起伏の激しいレいルの上を滑走しているような感じであった。いや、レールの上をゴーゴーと走るジェットコースターよりももっとなよやかでリズミカルであった。

 生徒たちはあっけにとられてぽかんとしていた。私もそのなかの-人だった。漢詩は中国の詩であるから、この奇妙な発音も中国語読みであることくらいは推測がついたが、それにしてもカルチャーショックであった。

 私が驚いたのは、独特のイントネーションを持つ中国語の発音そのものではなかった。中国音の発音はラジオやテレビでときどき耳にしていた。衝撃を受けたのは、漢詩に対する既成のイメージをこの先生の朗読がきれいさっぱり吹き飛ばしてしまったからである。漢詩や漢文といえば、ついこの間まで中学生だった私の頭のなかにも 「国破れて山河在り」とか「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といった類の中国の名句・名言の片言隻句が雑然と入っていたが、それらは格調が高くどんと重々しい感じがしていた。

 しかし、教室でいま中国語で朗読されたものはそれとは全く別世界のものであった。なんとも奇妙でなよやかでかつリズミカルであった。この漢文の先生が『白楽天詩集』の著者である武部利男先生であった。

 こうして、私は漢詩に非常な興味を持ち、武部先生と親しく接し、先生の薫陶を受けて漢詩の素晴らしい世界に目が開かれていった、なんてお話をつぎに展開していきたいところだが、残念ながらそんなことは全くなかった。高校在学中、ステルス機のように全く目立つこともなく密かに低空を飛行していた私は、武部先生に自分から積極的に親しく接することはなかったし、漢詩も大学受換の対象として勉強するだけであった。また、大学に進学して後も、漢詩に関してそれほど強い関心を持つことはなかった。

 それでも、高校で漢文を担当されたあの武部利男先生が中国の古典詩の優れた研究者であることぐらいは知るようになった。また、なぜ武部先生が高校生に漢詩をいきなり中国語で朗読されたのか、その理由も次第に分かるようになった。

 確かに、中国の古典語で書かれた漢文や漢詩の内容を理解する上で、日本人が中国の優れた文化を吸収するために編み出した読み下し(訓読)の方法は非常に便利なものである。また、漢文の訓読は、日本の「古典語」としてそれ独自の格調の高さがあり、この漢文訓読そのものが日本語をはぐくみ育ててきた。



 もっとも、中国での漢字の発音は時代とともに変化し、現代中国語と古典詩である漢詩が詠まれた時代とでは発音が随分異なっている。しかし、漢詩を現代中国語音(現代北京音)で発音しても、押親や平灰の組み合わせから作り出されるリズムは大体つかめる。先生はおそらくこんなことを生徒たちに印象深く教えるために中国語でいきなり漢詩を朗読されたのであろう。

 武部先生は五十代半ばにして病のために亡くなられたが、その翌年に『白楽天詩集』が遺著として出版された。私は先生のこの遺著を手に入れて読んだとき、先生の漢詩への思いがあらためてひしひしと伝わってきた。

 同書で先生は、白楽天(自居易。中唐の詩人)の詩を七五調のやさしい言葉で全文ひらがな(固有名詞はカタカナ)を使って口語訳しておられたのだ。

 例えば、白楽天には「買花」と題する詩があり、もし、この詩の冒頭部分を読み下しにすれば、「帝城春暮れんと欲し/喧喧として車馬度(わた)る/共に道(い)う牡丹の時/相随いて花を買いに去(ゆ)くと/貴賤常価無く/酬値花の数を看る」となり、とても格訴高く重々しい。朗読するときは、思わず正座して背筋を伸ばして朗読することであろう。ところが、武部先生は『白楽天詩集』でこの「買花」全文をつぎのように訳されている。

  みやこでは はるの くれがた/がやがやと くるまが とおる/だれも  いう ぼたんの きせつ/あいついで はな かいに ゆく たかい やすい きまりは なくて/その あたい はなの かずだけ/もえさかる ひやくの べにばな/こじんまり いつつ しろばな てんまくで ひよけを つくり/たけがきで まわりを かこむ/みずを やり つちを もりあげ/うつし うえ いろは かわらず いえいえの ならわしと なり/ひとびとは まよいが さめぬ/いま ひとり いなかの おやじ/はな かう ところに であう/あたま さげ ながい ためいき/この なげき だれも きづかぬ/ひとむらの こい はなの ねは/じっけんぶん なみの いえの ぜい

 当時、唐の長安の都では牡丹ブームで、都の人々は相争って牡丹を買い求め、それを我が子のように大事に育て、その美しさを競い合ったそうである。そのために珍しい牡丹は「-叢深色花、十戸中人賦」(一叢の濃い牡丹の花の値段が並みの家の十軒分の税に当たる)様な高値で売買され、それを見た「田舎翁」(田舎から出てきた貧しい老農夫のことであろう)をして嘆かせることになる。そんな異常な牡丹ブームに対する白楽天の素朴な疑問と激しい義憤が時代を越えていま私たちに伝わってくるような見事な訳文である。そして、またなんて分かりやすくてリズミカルな訳文であろうか。

 白楽天は、詩が出来上がると、近所の字の読めないお婆さんに読んで聞かせ、お婆さんが分かるまで何度も書き直したという逸話が残っているが、この口語訳には白楽天のそんな詩に対する姿勢や思いが見事に現代の日本語で再現されているのではないだろうか。私は、高校の漢文の最初の授業のときに味わったような驚きを先生の遺著『白楽天詩集』で再び体験したのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年06月05日 20時53分08秒
コメント(4) | コメントを書く
[エッセイ] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05)  
mastan さん
上八組のmastanです。ご無沙汰いたしました。体調は順調に維持なさっておいでですか。当方は、74歳になった今月からスイミングに通い始めました。前半の50分間は水中歩行(これ自体が準備運動)、後半の50分間は25メートルのクロールとブレストストロークを交互にインターバルで。休館日以外、毎日です。冠婚葬祭における冠婚の機会はないとしても、葬祭は大いにあり得ることですが、黒いズボンのチャックを閉じることができなくなったからです。

本日は、唐突な質問を・・・上野動物園のパンダが命名されましたね。「香香(シャンシャン)」を見て、李香蘭の夜来香の「シャン」かと思った途端に、えっ、香港をホンコンと読む広東語は北京語から見ればそれほどに外国語なのか。香港では「ヒョンコン」と発する人もいるほどなのに、と言う思いです。「ホン・ヒョン」は呉音・漢音・唐音・宋音のいずれかに当てはまるものでしょうか。
(2017年09月25日 20時22分50秒)

Re:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05)  
安渓遊地 さん
私も、高校で武部先生に習いました。3年生のときは、理系志望だったけれど、数学を1科目とらずに、漢文を選択しました。一度だけ、先生が、「これは現代の中国語ですが」と言ってから詠んでくださったのは、杜甫の「国破山河在」でした。ああ、高校を卒業したら、中国語を習ってみたいと、本気で思ったものでした。 http://ankei.jp/yuji/?n=1951 (2019年04月11日 20時20分58秒)

Re:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05)  
やまもも さん


正直申しまして、中国語は標準語の北京語しか学んでおりません。北京標準なら、香港はxiang ⑴gang(3)シャンカンと発音しますが、ウィキペディアで調べますと、香港を英語で「ホンコン」と呼ぶ由来は、アヘン戦争前に遡るそうで、英軍が初めてアバディーン付近に上陸した時、土地の名を知らなかったので、そこで地元の民に地名を聞いたところ「ホンコン」と言ったそうで、これは現地の蛋民(水上生活者)の訛で「香港」と言ったのを記録したためと言われているそうです。



安渓遊地さん、今日は、やまもも(太田秀夫)です。
安渓遊地さんは附属高校を1970年(昭和45年卒)に卒業されておられるんですね。私は幼稚園からの附属っ子で附属高校を1966年(昭和41年)卒業しています。高校一年生の春、武部先生の授業の最初に漢詩の北京標準発音の洗礼を受けました。おそらく杜甫の春望の「国破山河在」で始まる有名な漢詩だっただろうと想像されます。

 杜甫「春望」
  國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心
  烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪

 国破れて山河在り/城春にして草木深し/時に感じては花にも涙を濺ぎ/別
 れを恨んでは鳥にも心を驚かす/烽火三月に連なり/家書萬金に抵る/白頭
 掻けば更に短く/渾べて簪に勝えざらんと欲す

  私は戦後生まれの人間ですが、戦争を体験した人たちは、この「春望」の「国破れて山河在り、城春にして草木深し」の2句になんとも言えぬ感慨を覚えたといわれます。ただし、「春望」の詩の「国破れて山河在り」の「國」は国家のことではなく、唐の国都長安のことを指し、「破れて」の「破」は敗戦の意味ではなく、長安の都が「破壊されて荒れ果てている」様子を表現したものですね。

 しかし、平和な日常が戦乱によってうち破られ、住みなれた街が無惨に破壊され、愛する家族とも離ればなれになってしまった人間の哀しみと不安が見事に詠われているがゆえに、この詩は時空を越えて戦後の焼け跡にたたずむ日本の人々の心に訴えかけ、またその後の人生の思い出のなかに織り込まれていったのでしょうね。

 ところ安渓遊地さんは高3のときに武部先生の授業で受けた中国語音の漢詩を李白のこの漢詩と断言されておられ、私として今後武部先生の授業関連で言及するときに参考にさせていただくつもりです。 (2019年04月18日 23時09分27秒)

Re[1]:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05)  
安渓 遊地 さん
やまももさんへ
武部先生の漢文は、3年間習いました。入試の監督の時の、取っつき難い雰囲気ではなく、鑑賞はめいめいがおこなうのだという、抑制の効いた授業スタイルが好きでした。その武部先生が、「クーポォ シャンホーツァイ……」と講義してくださったことは、鮮明に覚えています。高三の時だったとは断言できないのですが、高一ではなかったと思います。客員として吉川幸次郎先生が招かれたとき、学年全体で講義を受けました。「李白については、武部先生がお詳しいので」と杜甫を軸にした講義だったような記憶です。最後の試験で、感想の欄かなにかに、「大学に入ったら、中国語を習って漢詩を原語で朗唱できるようになりたいです」と書いたら、間違いもあったのに、満点を下さったのでした。

附高の思い出→ http://ankei.jp/yuji/?n=1951 (2020年07月05日 08時23分17秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: