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昔から文章を書くのは、まあ、嫌いではないし、得意だ。だから、この写真も何もない「日記」を毎日200人くらいの人が読んでくれているのかもしれないが、たいていは走り読みで、それもどうということない話なのは分かっている。「世界に向けて発信している」というのは、政治家や有名人ならともかく、一市井人が、無署名の中身のない文章を書き連ねて、そんなことを言うのは誇大妄想狂だろう。一番の理由は「暇潰し」だが、二番目の理由は、自分で自分の立ち位置を確認することだ。いや、「自分の立ち位置」などと言うと、またエラそうな話すぎる。セミリタイア状態の高齢者の入り口をくぐった人間が、ボケ防止のために書いていると言っても別に構わない。昨日、今日行われる教育実習生の研究授業を見るために試験監督時間を交代した。実習生には手に余るであろう『山月記』を希望したという。卒業生で、極めて内省的、頭のいい生徒だった。確か早稲田だったように思うが、授業案を見て、多分指導書頼りのボンクラ教師よりは、余程いい授業をするだろうと思ったので、見にいくことにした。「自尊心」を「他者の不要な干渉を拒むことで成立するプライド」と解釈し、そこに「臆病な」という語がつくことで「他者のことを考えざるをえない」としている。その解釈は多分、彼女のオリジナルなのだろう。いかにも人間関係の網の目の中でもがき、身をすり減らしていた高校生の十年後らしい解釈だ。自分は「臆病な自尊心」についてはまったく別の解釈をしている。「競争社会の中に出現した天才が、己の才能を信じ、しかし同時代の他者の評価を得られず、己を信じられなくなって、分裂した姿」だと思っている。李白、王維などは、役人としても成功し、その名を現在まで遺している。杜甫は、地方役人として苦労したが、日本では盛唐三詩人のなかで最も人口に膾炙された人だ。しかし、彼らの背後に無数の世に現れなかった詩人たちがいただろうし、その中には彼らを超える才能もあっただろう。いずれにしても人は「物語」を我が事のようにしか読まないのである。いや、別に自分が埋もれた天才などとは思っていない。この社会の中で「オレはオレだからね」と言って生きてきただけのことだ。そういう生き方をできるだけ通してきたが、それでも他者には悩まされる。それだけのことである。
2022.05.31
「パパは、私が先にいっても、食事も作れるし、苦労しないね」。時々、妻に言われる。平均的な寿命を考えれば、自分が先なのだろうと思うが、確かに一通りの調理はできる。だから、セミリタイアした今、朝食と昼食は自分が作ることは多い。「作る」というほどのことはない、朝はサラダ。今日は、レタス、トマト、胡瓜に生ハム、ビアソーで。二人分も一人分もさして変わらない。昨日、買ったエビフライがあったので、思いついてタルタルソースを作った。新玉葱のみじん切りに、ゆで卵一個をスライサーで縦横に切る。それに酢、塩、胡椒を少し加え、マヨネーズ。最後に庭のパセリを加えた。コーヒーとオールドファッション半個。昼は大体うどんかスパゲティ。冷凍の物に、一品か二品加える。うどんなら冷凍のかき揚げ、葱、かまぼこくらい。木曜日は勤務が昼またがりなので、弁当を作る。定番はサンドイッチ。これも妻の分も作っておく。夕食は、妻が作るが、これはなかなか自分にはできない。いろいろ作り置きもあり、5品くらい並ぶ。ワイン、酎ハイで乾杯して始まる。夕食を一人でということは、基本的にない。外食も時々。デザートに果物とアイスクリーム。さて、万が一、自分の方が後に残った場合、食事はどうするか。朝食、昼食は多分今のままかもしれないが、夕食は多分スーパーの惣菜が並ぶのだろうか。その場合でも、そのまま食べることはなく、器は変えるだろう。いくら、きれいに盛り付けてあっても、発泡スチロールでは味気ない。まあ、できるだけそういうことにならないよう、また、朝食は「孤食」ではなく「個食」なのだが、それもできるだけ長く続けたい。
2022.05.30
昨日、コンサートに行く妻の送迎をしたが、お迎えの時、終わりの時間が30分ほど遅く、それを知ったのはもう車を出した後だった。さて、どこで暇を潰そうか、本屋かななどと考えていたが、ふと思いついてミスタードーナツに。オールドファッションが無性に食べたくなった。駐車場は満杯状態。テイクアウトがほとんどだが、細長いショップの奥までずらりと人が並んでいる。10人くらい。わりとたくさん買う人が多くて、列はなかなか進まない。ここで買って、すぐそばの本屋に寄って、と考えていたのだが、そこまでの時間はなさそうだ。10分かそれ以上待って、やっと順番が来た。そうなると不思議なもので、最初はオールドファッションを二個だけ買って、家で、と思っていたのだが、ここまで並んだんだからなぁ、と思えてくる。それでクリームエンジェルを2個足した。452円。安いものだ。だから、大きな人数の家族にはもってこいなのだろう。2,000円以上払っている人は多分いなかった。もう一つの候補だったシャトレーゼではアップルパイが450円。アップルパイ1個の値段でドーナツ4個買える。子どものころ、駄菓子屋で小さなドーナツを売っていたような記憶がある。確か5円だった。多分小学校の時。母はハイカラな人で、ドーナツを揚げてくれたことが時々あった。ホットケーキの粉だったように思う。それを少し固く溶いて、油で揚げ、砂糖をまぶす。そんな作り方だった。いや、砂糖を入れこんでから揚げたのか。どちらにしても、それは極上のおやつだった。4個も買ってしまい、案の定オールドファッションは半分しか食べられず、余ったので今朝の朝食に回った。
2022.05.30
例によって、4時に起床。朝食は、昨日昼に作って残したスパゲティ。明太子にしめじと玉葱、ピーマン、蕗を加えた。弓は、今朝は風が強いので、お休み。というか身体が疲れている。何日か一度休まないと、射はどんどんおかしくなっていく。まして、風が強い中で射つのは、射型を崩す原因になるので、ここは休んだ方がいい。「天鳳」は先日また特上卓から陥落して、その手前で足踏みしている。結局、いつも勝つというわけにはいかないゲームだ。今日はあまりやる気がしない。仕事の方は、試験の解答を書く仕事が残っているが、まあ、今日のうちにできればいいので、ゆっくりやろう。昼に妻がヴァイオリンのコンサートに行くのでその送迎がある。ピアノの方は、ファジルサイ、トルコ行進曲はもうちょっとで全体を通せるところまで来た。再来週は妻の先生が我が家に来て教えてくれる。来年の発表会で、自分も妻と一緒に連弾『軍隊ポロネーズ』を弾く予定なので、10月ころから習う予定だ。ついでにトルコ行進曲も弾きたい。来週、ライブ居酒屋で弾く予定なのは、「唇をかみしめて」と「戸を叩くのは誰」。もう一度「アゲイン」。これは少しアレンジを変えて。あるいは「ガラスの部屋」、「プカプカ」などはいつでも弾けて、歌詞も覚えているので雰囲気次第で。金曜日にしようかと思っている。というわけで、今日はテスト解答を書いたり、ファジルサイを弾いたり、家でまったりと過ごす予定。もちろんこれから二度寝。
2022.05.29
昨日の予報は曇りだったが、朝から雨の土曜日だ。これで朝練はなし。以前なら濡れずに射てる90mを雨の中射ち、傘をさして矢取りに、などということもあったが、今はルールも変わり、ほとんどすべての試合は50mの1距離だ。まあ、このところあまり調子がよくないのだが、今日のメインはいずれにしても健康麻雀である。顔見知りが段々増えてきて、常連になってしまった。雨でもやることがあるのはありがたい。仕事の方は、試験の解答作成。自分で作っておいて、こういうのも何だが、なかなか難しい。オール記述に近く、授業でゆっくり教えたからこそ解答可能である。初見で答えられるのがいたとしたら、国語は相当できる。試験は、いつも60点くらいの平均点を想定して作るが、最初はそうならないことも多い。生徒の国語力は年々下がっていて、文章を読ませるとネイティブの日本人とは思えないようなたどたどしい読み方をする生徒は珍しくもなくなった。そういえば、昨日のNHKニュースで、知床の遊覧船の事故で「操舵室」という語が出てきて、「操だ室」とテロップを出していた。こんなことをするから、日本語の力が下がるのだ。「蛇行運転」の方は、多分そのままか、振り仮名で処理している。このことをおかしいと唱える意見は殆ど聞かない。ちなみに、今使った「殆ど」は、まあ、「ほとんど」と書くのがいいと自分は思う。要は、漢熟語の一字を、常用漢字ではないという理由だけで平仮名書きするという日本語に対する「テロ行為」が平然と行われていて、誰もそれに異を唱えない、という異常事態がずっと続いている。しかし、何とかしてほしいと思うのは、自分が国語教師だからにほかならず、そうでなければ「バーカ」と思って、チャンネルを変えるくらいのことだ。ここ数年、ある意味で言葉の専門家である「アナウンサー」のレベルでも誤用や、読み間違いが目に余る。言葉を失う国は、いずれ滅びる。あるいは、衰退し、やがて滅びる過程の一つとして、言葉がぞんざいに扱われ始めるのか。
2022.05.28
浅川マキの名を知る人は、もうかなりの年配者に限られてくるだろう。LPが一枚あるが、聴くプレーヤーがない。60年代に「アンダーグランドの女王」と呼ばれたブルースシンガーだ。時折、フォーク系の雑誌「GUTS」などでも、コード譜が載ったりしていて、そこで覚えた。この人の歌で、一番印象深いのは『戸を叩くのは誰』。ピアノ一台をバックに物憂げな声で歌う。戸を叩くのは誰こんな夜更けに前触れもなく一人暮らしの明かりつけて眠い目をこする私戸を叩くのは誰開けてみると誰もいない寂しい雨が降っている気のせいだったのね戸を叩くのは誰気のせいだよ ほっといて夢の続きを見るために膝を抱いて眠ろうLPの詞は「気のせいだったのね」が「風のいたずらだったのね」になっていたように記憶するのだが、確かめようもない。いい詞だな、と初めて聞いたとき思った。後で分かったのだが、詩は寺山修司。ピアノもすごくいい。低音で淡々と、しかし切れるところはスパッと切れながら、物憂く続く。いかにも山下洋輔らしい弾き方だ。今度、例のライブ居酒屋でやってみようと思う。今の弾き方をできるだけ、原曲の雰囲気に近づけたい。展開していくとき挟む、多分、ディミニッシュのコードがよくつかめない。ネットでは一つだけレコード音源が残っていて、それを聴いている。自分が持っているのはライブバージョンなので、ピアノも歌詞もちょっと違うのかもしれない。再生回数は8000回ほど。「アンダーグランドの女王」を懐かしむ人は意外なほど少ない。
2022.05.27
最近、いつのまにか背中を丸めて歩いている自分に気づくことがある。もともと猫背で、文章を読んだり、書いたりすることも多いから、背筋は伸びていない。しかし、それにしても今の自分は、背が丸まった老人みたいにみえるのだろうな!と思う。あ、ダメだな、と思ってちゃんと背筋を伸ばすのだが、どうもその方が違和感がある。不自然な姿勢のように感じる。慌ただしい生き方ができなくなっている。中途で放り出しはしないが、物事を中断することは多い。今朝は、コーヒー、昨夜のカレー、レタス、トマト、生ハム、クレソン、胡瓜、笹かまのサラダだが、まずコーヒーを淹れ、ゆっくり一杯飲み、それからカレーを少し温め、食べてからこれを書き出した。途中で、あ、サラダもね、と思って作り出した。書くのは一時中断。サラダは妻の分と弁当にも少し入れた。それでサラダができあがって、コーヒーをもう一杯淹れてから、ここに再び向かっている。昔は、何でもやり出したら、決着がつくまでやめなかった。今、ファジルサイのジャズ風アレンジのトルコ行進曲を練習しているが、一日一回30分もやればいい方である。フォーク居酒屋で歌う曲も、ネットで聴いて(便利な時代になったもんだ)、コードを確認して、いわゆる耳コピをして、を少しずつダラダラとやっている。トルコ行進曲の方は、通しではまだ弾けないから、出来ない部分を集中的にやるのはいいのだが、居酒屋のレパートリーは基本的にいい加減にやっている。何というか、いろいろなことが分散していて、少しずつしかできない。多分、これが老いるということなのだろうな、と思う。そして、ちりぢりになったことが、中途のまま、人生は終わるのだろうな、とぼんやり思う。悲しいのは死ぬことではなく悲しいのは人生でもなく悲しいのは私だからです悲しいのは私がいるために悲しいのは私であるために悲しいのは私自身だから(吉田拓郎 『悲しいのは』 詞 岡本おさみ)今度、打楽器の人がいたら一緒にやろうと思っている、ノリのいい曲。8ビートからレゲエ風のリズムへの転換が面白いのだが、できない、というか、できなくてもまあいいや、と思っている。昔なら一日中聴いて、ものにしていたのだが、まあ、「少しずつ」でいいのだ。
2022.05.26
昨日は、珍しくいいコンディションだったが、弓の練習は休んだ。もちろん、特講ということもあったが、このところは、弓に対する執着心がだんだん薄れてきている。何が何でも毎日練習して、トップレベルの成績を維持するという気持ちは、ほぼなくなった。もちろん、レフティ転向後、なかなか点数が出ないということもある。それでも、50mWで650点を射ち、赤バッジは手にしている。今、遠征で一緒に射っている人の中で、そういう人は半分もいない。しかし、「最近は別にいいじゃないか、数百キロの道を走り、ホテルに泊まり、弓を射ち、同じホテルにまた泊まり、数百キロを帰ってくるだけで十分だ」と思える。来月のように、途中で孫のところで「お食い初め」を祝い、もう一泊増えたりする。あるいは再来月には、こちらの選手9人で新幹線で海を渡り、交流試合をしてくる。そういうことができることが幸福であり、参加できるだけで十分だと思えてくるのだ。ああでもない、こうでもないと考えながら、試行錯誤して射つことには変わりがない。練習の局面では、できる限り的中率の高い射を追求する。が、そこで弓友と他愛のない話をすることもまた楽しい。以前はそういう話にはあまり入らず、ストイックに射ち続けていたが、今2,30本射つよりも、他愛ない話がしたい。今日は、妻が月一回のお花の稽古。これも、来た人たちとおしゃべりをする。この前、ネットで買ったティーポットを披露して、紅茶を飲む。そういう時間なのだ。別に華道の免状を取りたいというわけでもない。昨日の特講も、例えば漢文の「為」という字の動詞としての読み5種、助動詞2種、前置詞的用法1種を教え、その中で特に句法と呼ぶ用法を2種教えた。「どう、分かった?」と聞くと、生徒は初めてそういう整理の仕方を聞いて「分かりました!」と答える。ライブ居酒屋で、思いがけなく同級生とばったり出会い、次は一緒にやろうかという話になる。「ピアノはいいなぁ」と誰かが言い「ありがとうございます」と応じる。どれもこれも考えてみれば、射や教授法や演奏の技術を向上させる努力はしているが、それ自身が目的ではないのだ、と今更ながら気づくのだ。さて、そういうことがいつまでできるのかな。
2022.05.25
今の「非常勤講師」の仕事は、授業8時間+特講。特講は30分ほど休みはあるが、16:45~20:00という時間帯の仕事だ。なかなかきつい。それで、特講のある火曜日は、午後に授業を入れず、4限終了後いったん帰宅して、昼寝、16:00ころ再出勤ということにしている。それが条件で引き受けたが、本来は専任の仕事であり、非常勤が受け持つものではない。非常勤の仕事は授業だけだからラクだよね、というのは確かにそうだが、自分のように授業こそ教師の本来的仕事であり、片手間になどできないと考える人間にとっては、そうでもない。今日は特講の火曜日なので、朝から仕事をしている。一つは来週の定期試験の作成。今は教科書原文をダウンロードできるから、随分とラクにはなった。が、作問はいつも時間をかける。現代文の場合、どこに傍線を引き、どういう発問をするかが生命線で、その質は教師自身の読解力と相関する。それでいて、授業中の発問を再現するだけでは、生徒はただ暗記するだけの試験勉強をしてしまう。現代文の本質は「思考」であり、暗記など無意味だ。この試験を指導書任せにしてしまう教員は日本中に数限りなくいる。高校の後輩に当たる男が、まだ娘が高校生のころ、我が家に飛び込みのセールスに来た。彼が売ろうとしていたのは高校の教師用指導書である。そこには、くだらない解説と一緒に「小テスト問題例」「単元テスト問題例」なども載っており、ちゃっかりこれを使って定期試験を作ってしまう教師が公立トップ校にもいるから、彼の商売が成り立つのだ。朝の仕事のもう一つは、特講の予習。問題はとっくに解いている。そういう予習ではなく、何をここで習得させるか、ということだ。特講では古典の授業を担当する教師が、とにかく暗記中心主義者なので(まあ、古典は覚えておかなければならないことも多いから、ある程度まではそれで成り立つのだが)、そのやり方では習得できない「解釈」ということの本質が分かるような解説をこころがけている。例えば、京都のどこかの名家の蔵から、年代もよく分からない古文書が出れば、その解釈が定まるまで数年の研究が必要だ。古文を見て、たちどころに現代語訳ができるなどというのは、最初に指導書の訳を見て、そこに向かって教える高校教師の「錯覚」にすぎない。共通テストでは、誰も見たことがないような古文、漢文が出題されるのが普通だ。それを、あらゆるものを手がかりにして「解釈」する力が実は要求されていることを、彼らは知らない。まあ、文学部国文で大学院レベルの教育を受けた者なら分かるだろうが、教育大国語専攻などの卒業生には分かりようもない世界だ。高校生のレベルで、それができるには、基本的な文法力があり、基本的な古文単語の「訳」ではなく「原義」を知っていることが必要だ。そして文脈推理の能力である。「解釈」とは、常に「応用」であり、暗記したことに当てはめることではない。とまあ、朝から長々と語ってしまったが、というわけで、非常勤でもなかなか忙しいのだ。にしても、ちょっと早く起きすぎた。
2022.05.24
三年ぶりに開催された「つつじ祭り」に昨日行ってきた。山一面のつつじは、すでに終わり、緑の中に赤が点在している。麓の公園のつつじは満開で見事だった。やはり、大きな木のつつじは鮮やかである。出店は道の駅で大混雑。焼き鳥、おでん、そして妻の大好物の綿飴を買う。こんなところにも物価高の影響がもろに出ている。久しぶりに山頂までと思ったが、中途で断念。以前は何とか登れたが、今はもうきつい。
2022.05.23
「最後」といっても、毎回やってくる4連休の最終日というだけである。4日もあると、かえって仕事が恋しくもなったりするから、不思議だ。今日は、これから試験の解答用紙作成。まだ半分しか出来ていない3年特進の問題を完成させ、こちらも問題用紙を。それから朝練。午後はスポーツ協会に再度書類を直して助成金申請。まあ、そんなこんなで忙しい。妻も今週は、久々のお花、ピアノが入っている。ファジルサイ、トルコ行進曲は、まだ全部をきっちり練習していない。暗譜はまったくだめ。これは、別に発表会の予定などないのだが、完璧になったらライブ居酒屋や駅ピアノか何かで、弾きたい。特にライブ居酒屋で弾くと、みんなびっくりするだろう。
2022.05.23
昨夜は、妻とライブ居酒屋に。7時のオープン少し前に着いたが、まだ客はいない。なんでも、今日は「発表会」の日で、このあと集まるらしい。いいタイミングで来た。何人か客が来たので、混まないうちに歌ってしまおうと思い、マスターと「いつか夜の雨が」。吉田拓郎のフォーライフ時代のシングルで、大ヒットとまではいかなかったらしい。あとは「マーク2」も一緒に。最後に「とんとご無沙汰」をソロ。カラオケと同じでオープンマイクも、混んでくれば長く独占できない。一人で、自分が最後の「とんとご無沙汰」を歌っているときに入ってきた客が、「あれ?○○じゃない?」と。何と同級生のK君だった。彼は医者で、父が入院中、お世話になった。自宅生だったから、高校時代のつき合いはまったくなく、名前も知らなかった。同級会でその後何度か会っていたから、こちらもすぐ分かった。「ピアノ弾くの?」「まあ、一応。高校の時ジャズ研だったしね」「へえ、知らなかった」「Kはいつくらいからここに?」「一昨年かな」聞けば、大きな病院の雇われ院長、理事長を今は完全に辞めて、フルリタイア生活。それで、ギターを始めてここに。次に彼が歌ったが、全部知らない曲だった。多分、小椋佳、伊勢正三あたりのバラードっぽい歌。自分はあまり好んでは聴かないのだが、マスターがリフをつけてくれてなかなかよかった。自分たちの次に入ってきた客は、今は学童で働いていて、息子さんが東京の私大に入ったという。二十代のころ、この店に通っていたらしい。アフリカに行った経験もあるのだとか。パーカッション。アフリカの話、面白そうだ。で、最近、またこの街に戻ってきたという。次にこの前セッションしたベースが来て、マスターと三人で3曲ほど。泉谷の「眠れない夜」がよかった。この人、以前はスポーツ用品などを扱っていて、自分の職場にも出入りしていたとか。世間は狭い。で、最後にこのベースと二人で前回やった「言葉」。今度は、自分が歌った。ピアノで歌う人は珍しいらしく、もう7,8人は入っていたお客さんから、大きな拍手。この曲はピアノの曲だ。モニターがないので、自分のピアノの音がずいぶん小さくしか聞こえないのが、ちょっと辛いが、まあ、うまいこと弾けたみたいだ。「○○、海とか大丈夫?オレ、ヨット持ってて、そこで寝泊まりしたり、バーベキューとかもするんだけど、今度来る?」「いくいく!やる時、教えて。それから、今度ピアノとギターでやろう。練習するから、何やるか教えておいて」まあ、医者は持っているお金の桁が違う。ヨットの係留費だけで数百万のお金が必要だ。それにしても、マスターを含め、みんな変わった人たちばかりで、しかも何か楽器ができる。面白いところを見つけたな、と思った。今度の「発表会」は、孫のお食い初めや遠征試合と重なって行けないが、月イチくらいで通うことにした。
2022.05.22
昨日は、一日をダラダラ過ごした。沖縄の法事に行っていた、息子のお嫁さんのご両親がお土産を持って、来てくれたので、上がってもらい二時間ほど歓談。こういう時は、やはりマスク越しになる。相手が気にしない人だと、かまわないのだが、そういう人は少ない。娘のところにも泡盛を2本。そのうち1本はこの前結婚した息子さん夫婦からの内祝。夕方、娘のところに送った。なぜ、一昨日、ほとんど寝られなかったのかな、と思い、試しに晩酌をワイン一杯、それからウィースキー一杯、ナイトキャップ(寝酒)をウィスキー一杯と、ほどほどにして、風呂もいつもより長くゆったり浸かってみたら、昨日は9時半ころ入眠、途中一度起きたが、4時までは寝た。久しぶりに、朝の寝不足の感じがない。やはり、晩酌は「ほどほど」ということだろう。昨夜は、娘のところから来た出産内祝の松阪牛ですき焼き。近江牛ではしゃぶしゃぶだったが、やはりいい肉はすき焼きに限る。あともう一つ、ブランド牛の肉がそれぞれ200gずつ入ったセットの最後。自分と妻、二人でちょうどいい量だ。何でも健康で八〇歳を迎えたかったら、肉を食べなさいという和田秀樹の『80の壁』とかいう本が売れているそうだ。日本人の場合、高コレステロールに由来する心臓麻痺などでの死亡は、がんの1/12だそうで、コレステロールは逆にがんの発症率を抑えるのだそうだ。まあ、そういうわけで、せっせと肉を食べている。が、松阪牛などは滅多に口に出来ず、せいぜいあまり聞いたことのないブランドの和牛がいいところだ。自分たちの場合、200gというのも年相応の適量、ということなのだろう。200gならグラム1,000円を超えるブランド牛でも、まあ、いいかもしれない。「分相応」をちょっと超える贅沢というのは、人生の楽しみの一つなのだ。ただし、それは、「ネコもババアもルイ・ヴィトン」(今、作ったことわざ)みたいに、ただの社会的ヒエラルキーの象徴でしかなく、あまりにも流通しているのでもはや象徴としての機能を失った商品を手にしているという愚かしいことではない。本当に、自分が好きなものなら、ということだ。我が家のグランドピアノは分不相応かもしれないが、妻と自分で毎日最低2時間は鳴っている。それだけ楽しむのなら、ちょっと分不相応でもいいじゃないか。ファジルサイのジャズ風「トルコ行進曲」もだんだん指が回るようになり、あとひと月練習すれば、人に聴いてもらっていいレベルになりそうだ。次はプレイバッハ(90年代に流行ったバッハのジャズ演奏)の中から、何かやりたい。
2022.05.21
なんだか睡眠不足である。休みだし、雨模様だし、これから二度寝だ。そう言えば、今日は給料日だった。が、4連休の初日に、わざわざ明細だけをもらいに行くほどの額でもない。
2022.05.20
自分が初めて「老眼鏡」なるものを、誂えたのは、もう5,6年前のことだ。まず、暗いと文字を読むのが辛くなった。昔の文庫本の小さな字体だと、もう絶望的に読めない。そして、大きくなった活字であるはずの新聞。漢文の送り仮名。これは、素読ができるので、まあ、何とかなったが、最後に教科書がきつくなって、観念した。眼科に行って視力検査をやり、合う度数を測定してもらい、眼鏡屋で二本作った。6,7万。そのうち1本は壊れ、ひと月程前に、もう一本紛失した。確かに、朝、PCに向かうときにはかけていたはずのメガネがない。洗面所とかいろいろなところを探したが、一向に出てこない。職場や健康麻雀教室にまで問い合わせた。しかし、家で最後に使った、という記憶には自信があった。しょうがないから、百均で何とか度数が合うのを買って凌いでいたが、フレームが合わない。似合わないのではなく、作りが小さすぎるのである。2,3年前、近視も進んだので、遠近を2本作っていた。だが、こちらはやはり使いにくい。そうも言ってられないので、ここ2週間ほどは遠近で過ごしている。自分の場合、PCや読書ならそれで問題ないのだが、教科書を持って動きながら、板書しながら教えるのに、遠近はしんどい。が、それにもだんだん慣れてきたところだった。昨日、弓友から蕗を、という電話があり、五時に自宅に持って来てくれるという。その旨、妻にメールしたら「了解。メガネ出てきたよ!」という返事。あれだけ探したのにどこからと思ったが、帰宅して聞いてみると、何と表のゴミ出し用の金属製ゴミ箱の中。カラスがつっつくので、どの家でもそういうのを表に出している。おそらく、その日の前夜ゴミは出しており、朝に車の中のゴミを追加で出そうとした時に、胸のポケットからおちてしまったのだろう。いくら家内を探しても、見つからなかったはずだ。ひと月経っていて、その間雨の日もけっこうあったが、レンズ、フレームともに無事だった。ちょっと傷がついてるが、これは以前からのものだ。今は、そのメガネでこれを書いている。やはり、遠近でない老眼鏡も必要で、また作ろうかと思っていた矢先だったので、ありがたい。
2022.05.19
昨日から、教育実習生が3人ほど入っている。資料室に本を取りに行ったら、そこが実習生控え室だった。しばらく久闊を叙す。珍しく国語が一人いて、10年ほど前の卒業。自分の「現代文」を熱心に聴いていた生徒だった。今、東京の塾で小学生相手に「受験の国語」を教えているそうだ。今は高校教員になるのは、なかなか難しい。まともな高校を選べば、ということだ。まず、公立校はどこに飛ばされるか分からない。大抵は島嶼部に数年などというのが新任教員のスタートで、それはなかなか厳しい。そしていわゆる「教育困難校」。私立は、部活などの違法労働を強いられることが多い。部活で三十連勤なんて珍しくもない。まともな教育をしている私立校は、本当に限られている。物を教えたくて、教師を志望しても、それ以外のことで忙殺される。今、教員の適性があるのは、教えることは指導書のマニュアル通りいい加減にこなして、それ以外のことに関わる、つまり「生徒に寄り添う」ことが好きな人間だろう。自分から見ると、そういう人間が教師などやっているから、日本の学校教育はいつまでもダメなのだと思うのだが、それは少数意見だろう。高校の場合は、教科を教えることは、学問の世界の入り口を垣間見せることであり、そのためには、膨大な知識量と、教えることの専門的技術が必要で、それを学ぶには十年の経験が必要だ。しかし、新任教師にはその十年はまったく与えられることなく、何でもかんでも押しつけられて、疲弊しないではいられない十年の職業生活が無駄に過ぎていく。決定的に間違っているのは、教えることは二の次で、生徒の人生に不要で不当な干渉をするのが、教育だと思い込んでいる教師たちだ。一人の人間の生き方に関わろうなどと、そんな不遜なことを考えてはいけない。学校教育に夢を描きつつ実習にくる教師の卵たちをみて、なんだか可哀想にも思えてくる。
2022.05.18
今朝は4時には起きて、洋服ロッカーの方の衣替えをした。仕事柄、もう上下揃ったスーツを着るようなことはなくなったのだが、それでも夏・冬それぞれ5,6着はあり、ズボンの方はサイズが合えば今でも着ている。上は、ブレーザーしか着ない。冬の衣替えの時は、処分してもいい。衣替えといえば、リリーサーの方も例によって「衣替え」。久しぶりにHBCを使ってみると、カスケードをトリガーレスのように使うよりも集中性が高いことが分かった。そりゃそうだろう。トリガーレスもどきよりトリガーレスの方がいいに決まっている。ターゲットパニックが治ったので、カスケードよりもエイミングがつきにくいのだが、何とかなる。無風だと、55前後にまとまってくれる。しばらく、朝練でやってみるつもり。今日は9時出勤、1時近くに一度退勤して、4時ころ再び出勤。特講で帰宅は8時半くらいになる。風呂は面倒なので、朝練の後にシャワーですませる。弓友の一人が、先週フルリタイアとなり、朝練仲間に加わった。実に嬉しそうだ。こちらは惰性みたいなものだが、まあ、老後の楽しみがあるのはいいことだ。今週は、土曜日に妻を例の居酒屋に連れ出すので、健康麻雀は水曜日に。そこの雀友の一人に、この前の中華のランチでばったり会った。自分が会計を済ませている間、妻に「○○さん」と声をかけたそうで、妻は見たことないけど誰かなぁ、と思っていたら「麻雀の…」。「ああ!」「強いんですよ~~」という話になったそうで、会計が終わってこちらも「あれ!?」となった。腕前はまあまあ、ということは平日メンバーの中では弱くない。楽しい麻雀を打つ人である。向こうもご主人と一緒だったが、帰りがけ妻と「あれ、オレ達夫婦でなかったら、どうするんだろうね」と。「愛人です、とか、アハハ」まあ、お互いそんなことはないというのは分かる。向こうも仲のいい夫婦の感じだった。さて、これから、仕事の準備をして、朝練。7時には上がる予定。
2022.05.17
昨日の試合は、風もたいしたことはなかったが、303-298=601という散々な結果だった。やはり、リリーサーコントロールの問題が大きい。しかし、まあ、こんなもんかな、という気もするし、昔みたいにチャキになって朝練などとは考えなくなった。あまり悔しくもないのである。射てれば十分ではないか、と思える。麻雀の方も、リアルは1位と4位。「天鳳」は特上卓から落ちては復活の繰り返しで、こちらの方も、まあ、こんなもんかな、という感じだ。仕事は、いつも通りなのだ。試験問題の1/3くらいは作成したが、まあ、こんなものだろう。明日は、特講だ。ファジルサイは少しずつ進んでいるが、ミスタッチがなくならない。もう少し速度を落として、やはりハノンの音階とかをしないとダメかもしれない。これは夏くらいまでには行けそうな気もする。Dが自分の声域には合うし、土曜日に妻と二人で例のライブ居酒屋で夕食。ついでに機会があればセッション、と思っているが、そのDの曲で声が苦しい。といって、下げると低音がつらい。慢性的に睡眠は不足気味で、昼寝の寝覚めで、足が吊ることも多い。なんだか、全体的にどんよりとして、不調である。
2022.05.16
一昨日は、久々に「切れる射」、つまりカスケードをトリガーレスのように使う射を試した。集中すると57,58が出るが、切れるのに時間がかかると、7点も出る。それは「切る射」でも同じなのだが、こちらはせいぜい56くらいまでしか出ない。だから「切れる射」を追求していくのが、選手としては正しい。それは分かっているのだが、風が強い試合となると、話は別だ。風でエイミングが揺れ出すと、「切れる射」はMまで外す。「切る射」だと何とか的には収まる。昨日は、最後に「切る射」に戻した。予想風速6mでは「切れる射」はできない。日程を一週間勘違いして、行けなかった公認試合では、強風、雨、雹という最悪のコンディションで、CPでも300には遠く及ばず、最高点は144射で1000点ちょっと。確か、カスケードを使っていた弓友だった。彼の場合、「切る射」しかないので、それで何とかしたのだろう。さて、今日はどうなることやら。
2022.05.15
さて、今日はアウトドア初の50m72射の非公認試合。地元の試合は、1つを除いてすべて「非公認」である。公認試合とするには、各地区に要項を送り、事前の申込みと、事後の公認申請が必要で、これはなかなか面倒だ。外の公認にはなかなかいけないアーチャーもいるから、地元での月イチのペースの試合は大切な行事だ。一立ち、審判なし、時間も計る人がいなければフリーという楽な試合で、一回目の今日の結果を基に、二回目以降はハンデ戦となる。朝練もやらないので、ハムエッグを作った。大学生のころまで、「ハムエッグ定食」は、安くてよく食べていた。自分流の作り方は、大きなフライパンにピーマン、新玉葱の輪切り、ハム、卵をその順番で、少し時間差をおいて入れて、蓋をして卵が固焼きになるくらいまで火を通す。もちろん、妻の分も作っておく。それにアスパラと例のピザ、コーヒー。これで、ご馳走の気分だから、安いものだ。
2022.05.15
聖書では、神は最後にアダムとイブを作り、7日目にあたる翌日は万物を創造した疲れを癒やしたというから、人間の祖先は土曜日に生まれたことになる。週休2日制ということが浸透してきたのは90年代くらいからだろうが、それ以前は、土曜は半ドン、つまり半日休だった。自分が働き始めた75年も、もちろんそうで、自分の父親が働いていた記憶のある60年代もそうだった。学校も土曜日は給食なし、4時間目まで。週5日制が定着してきたころから、学校は隔週土曜日を休みとした。父親が休みなのに子どもが学校というのは困るという声に応えた形である。もっとも、土曜休は一部上場などの大企業に限られ、地場の小さな会社では「半ドン」が続いていた。そのうち公立校は土曜全休としたが、私立は対応が分かれた。都会の高校は概ね全休になったが、一部の進学校や地方都市の高校はそうしなかった。あえて隔週の土曜休をやめて、土曜を授業日としたところもあるし、行事日として土曜を使うところも出てきた。世の中は第三次産業労働者の比率がますます高まり、勤務はシフト制になり、土曜も日曜も関係ありません、というところも増えてきた。日曜でも受診できる歯科医院なども現れ始めている。自分の場合は、土曜全休となったのは定年後で、これで6年目になる。週4日も休みなのだから、別に土曜休だからといってどうとうこともないはずなのだが、それでも土曜日は何か心浮き立つものがある。37年の定年まで、約半分は土曜半ドン、もう半分は隔週の土曜休というサラリーマン生活を過ごしてきた人間の習性的な気分なのだろう。さて、今日は6時くらいから朝練。昼からは健康麻雀。夜に、まだ体力があり、気が向いたらライブ居酒屋に。ついつい土曜は欲張って遊ぼうとしてしまう。
2022.05.14
昨日は、気を取り直して、射場に6時ころ出かけた。雨が心配だったが、どうやら持ちそうな気がした。ご丁寧にスコープまで置いたところでポツポツ降り出した。2本だけ射ち、仕事もあるから早々に引き上げた。多分、人生最短の朝練だった。今日も怪しい感じの空だが、行ってくる。最短の更新はしたくないなぁ。
2022.05.13
最近、よく目にする経済トピックを並べただけなのだが、どうやら日本経済の先行きは明るくない。そんなことは、少子化が始まった21世紀初頭にとうに予測できたはずなのだが、それは「長期的」見通しであり、進行する病状と同じで、「短期的」には症状が改善したかのようにも見えることもある。日経平均は1万以下から回復したし、円安も一服感はある。しかし、そんなことはせいぜい数年、あるいは数ヶ月くらいの話であり、日本経済が長い長い下り坂の途上にあることはまちがいない。だから、若い人は円よりもドルで資産形成した方がいい。自分たちの世代は、資産を今から増やそうなどと考えない方がいい。目に見えて物価は上がっている。それなら、ドル建ての生保でもなどと考えて、使っていいお金は現金資産の1/10程度が限界である。幸い、自分たち世代は普通とは逆の意味で「時間を味方にできる」のだ。「老い先短い」などというと、怒り出す老人もいるだろうが、怒っても嘆いても、せいぜい後20年か30年の人生である。どんなにスタグフレーションが進行しようが、円の価値が下がろうが、その2,30年を持ちこたえればいいのだ。庶民なら、持ちこたえるのに数千万の現金資産があれば十分で、億は要らないだろう。今、できていることが、後、数年でできなくなる。そうなれば、お金もそう使わなくなっていく。遠くに行くより、近いところで「レジャー(暇潰し)」ができればいいし、重篤な病気になればそれどころでもなくなる。夫婦の片方が要介護になる確率も高い。自分の場合で言えば、仕事は長くて後5年でできなくなるだろうし、弓の遠征試合にも、段々行けなくなるだろう。ライブ居酒屋は、今だって生活時間に合わない7時オープンで、月イチで行ければせいぜいだ。健康麻雀は、行きやすいから結構通っているが、認知症になったらアウトだ。そのうち、ここで意味不明の文章を綴るようになるかもしれない。つまり、残された時間は短いのだから、今更「老後」に備えて、などと考えるのはちゃんちゃらおかしいのだ。今が「老後」である。「老いた後」には終わりが来る。
2022.05.13
そういうわけで、どういうわけだか知らないが、日曜の遠征はなしとなり、そうすると、土曜日に健康麻雀に行けるので、昨日の麻雀はやめておいた。歯科医に行っている妻に「麻雀やめた。迎えに行くか?」とメール。バス停で拾って、帰宅して昼食。妻の「フォーシュラッグ!(提案の意のドイツ語)」があり、最後の花見に出かけた。「地主海神社」というところで、ここの桜は「関山」など開花が遅く、今ごろが見ごろとなる。桜のトンネルを登ると、一面にピンク色。名前は忘れたが、白桜も混じっている。神社などでお参りをして、しばし散策。帰りに例のソフトクリーム屋によって、コロッケも買った。大分値上げしたようだが、ここの肉コロッケは美味しい。今日は、夕方理事会もあり、弓の方はおやすみしようかな。なんだか気が削がれてしまった。日曜には地元の試合があるので、そちらに出ることにする。
2022.05.12
今度の日曜と思っていた今季初の公認試合。昨日、その結果がメールで届いた。えっ!?やってしまった。1週間間違えた。慌ててホテルをキャンセル。弓友にお詫びのメール。「なんですと~~!?」と返事が来る。雨、強風に加え雹まで降る酷いコンディションだったそうだ。まあ、自分が試合の後、弓とかスコープとか、矢なんかを忘れて、試合会場に置き去りにした時、いつも教えてくれていた彼女だから、「またやったな」と思っていることだろう。日付の勘違いはよくある。教員採用試験の日を一日間違えたこともあった。あれ、間違ってなかったら、今の職場にはいなかっただろうな。そんなわけで、妙に自信があるのだが、これは老人性のボケではない。まあ、もう一度、その街での公認試合はあるから、今度こそちゃんと行くことにしよう。みなさん、ごめんなさい。
2022.05.12
何がどうということもないのだが、病院通いは疲れる。いつのまにか、消化器科の担当医が変わっていた。まだ若い。「大丈夫か?」と一瞬思ったが、寛解しているモルト型リンパ腫の1年に1回の胃カメラなのだから、まあ、いいかという感じ。今までの担当の元院長は、定年退職で、多分開業するのだろうと思う。その場合、患者を引っ張ることは、職場への義理を考えればできないということなのだろう。そう言えば、前回「今度は○○先生になりますけど」と言い、「臨時的にですか?」と聞いたら、言葉を濁していた。泌尿器科の方はPSA値が少しだけ上がったが、まだ治療未満の状態。前立腺癌という診断は出ているので、医療保険請求のための診断書をお願いする。今回は1泊2日の検査入院と3日の通院で5万くらいだろうか。収支トントンというところだ。年末か年始にまた生検である。結構きついので、それなりの覚悟でいかないといけない。午後からはかかりつけ医に薬だけもらいに行った。ここは二週間に一回。整形もたいしたこともないので、二週間に一回でいいと自分たちで判断した。医療費はともかく、毎週だと身体がきつい。夕方は相撲を見ながら昼寝。結び前の5,6番まで寝たから、1時間ちょっと。夜も9時にはベッドに入り、4時までは眠ったので、昨日の疲れはもう抜けた。今日、明日が試合前の最後の追い込み練習。「追い込み」といっても、せいぜい72射。1点でも多くという欲はなくなっている。むしろ、ドライブと弓友と会うのが楽しみ。今日は授業はないが、実力試験の監督。その後で健康麻雀の予定。ネットの「天鳳」麻雀の方は、昨日特上卓でラスを引き転落。直後に上級卓トップで復帰。かなり、その二つの落差は大きい。五段になるには相当かかりそうだ。
2022.05.11
ピザの上に生ハム一枚、行者大蒜一枚を置き、チーズを加える。昨夜の残りのマカロニサラダ、マカロニ、ハム、魚肉ソーセージ、新玉葱、アスパラを和えたもの。ブロッコリー。平たくて丸いさつま揚げ一枚。今朝はちょっと疲れているな、という感じなので、ボリュームのある朝食。といっても高校生なら「食ったきがしねえ!」というほどの量だ。ピザは小さなのが3枚入って300円くらいの冷蔵食品。さつま揚げは5枚100円。アスパラは5本の束で300円。ブロッコリーは分からないが多分1個200円くらいのを一口大。コーヒーは安い粉、しかも昨日の飲み残し。高価な物は一つもないが、こういう朝食が、自分には贅沢なのだ。値段の問題ではない。さて、後はコーヒーの淹れ立てと、グレープフルーツ。
2022.05.10
昨日は72射。無風のベスコンの中でも、325,323。今季の練習でも一番のスコアだが物足りない。330が出そうだったのに、出なかった。それでも、324というアベレージには到達した。射をシンプルにカスケードのボタンを押す前と押した後に分けて考えるようにしてみた。押す前は、なるべく身体の位置を一定にして、レンズの上方に的が見えるくらいのところで押せればいい。もちろん真ん中ならいうことはない。押した後は、どうしてもエイミングはずれてくる。ズレる前に放すのではなく、できるだけ頑張って、エイミングを戻しつつ射つと大体黄色のあたりには中る。とても10点を狙い澄まして射つ射からは程遠いのだが、今の自分にできる精一杯のところである。今日は、仕事はなく、病院。採血と受診だけだから、どうということもない。午後は、かかりつけ医に行ってから、帰宅。スポ協に出す書類を仕上げ、後は出すだけにしておきたい。後は相撲でも見ながら昼寝。明日も実力試験の監督だけで、何も予習は要らないから、仕事的には今週はラクだ。しかし、もうちょっとと言ってもすべきことは結構あるし、今回は移動距離は長い。2万くらいかかるが、往復高速で移動することにした。来週の仕事はきついし、疲れ果てるわけにもいかない。
2022.05.10
と言っても、何が「日常」なのか、よく分からないのだが、大きなイベントがないのが日常だとすれば、GWも「日常」ではあった。ともあれ、「仕事」が今日から始まる。明日は病院の三科受診なので、今日は久々の仕事。授業2時間。3限と6限なのでかなり空くのだが、これから診察券を出しに整形に行こうかと思う。他は弓の協会の補助金申請資料の仕上げとか、まあ、いろいろだ。診察券を出したら射場に直行し、2時間ほど練習。昼食のサンドイッチを作って、出勤。結構慌ただしい。今朝は天鳳を1回やって2位。特上卓の権利の1800ぎりぎりのRTしかないので、一度でもラスを引くと転落する。この前落ちて、その日のうちに復活したのだが、4段は特上卓ではぺーぺーで、5~7段ばかりが相手だ。皆、1900とか2000を超えるRTを持つ強者である。次の日曜は今季初の公式戦。そこそこの点数は射ちたいので、今週はがっちり練習。まあ、慌ただしいのが日常なのだろう。慌ただしい日々に追われ孤独にさえ気づかない夜人は嘘を自分につき歳のせいにしてみたりする(吉田拓郎 『とんとご無沙汰』)
2022.05.09
もう50年以上前の作品だが、ロシアのウクライナ侵攻で、度々マスコミに取り上げられ、あちこちの単館系映画館で上映されているらしい。昨日は妻と昼からそれを観に行った。12:55からの上映。昨日の残りのタケノコご飯(息子達から、枇杷などと一緒に送ってきたタケノコでまた作った)のおにぎりとあり合わせのおかずを詰めて、銀行駐車場に停め、そこでパクついてから、電車で。まあ、映画館付近の駐車場代よりもちょっと高いくらいなのだが、日曜日で駐車場が満杯だと困る。12:30くらいに着いたが、すでに先客が5,6名来ていて、自分たちは7,8番。入場前に列を作って並ばされた時は、25番までいた。ここは一日一回の上映だから、5,6本、違う作品をかけている。ぎりぎりに来た人たちを含め、40人くらいだっただろうか。小さなところだが、それでも六分くらいの入り。確か高校時代に一度観たのだが、ほとんど忘れていた。ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ。旧ソ連で倒れ、そのまま家庭を持ち工場労働者になった夫を、それを忘れられない妻が探しに行く。車窓から一面のひまわり畑が見える。案内をしてくれた外務省職員から、この下に無数の兵士達が埋められていると聞かされる。奇跡的に夫の今の妻と出会うが、工場から汽車で帰った夫と出会い、言葉を交わすこともなく逃げるようにその汽車に飛び乗りイタリアに帰る。ストーリーの前半はそういう展開。覚えていたのは白樺の十字架が縦横に並ぶ丘のシーン、一面のひまわり畑とテーマ音楽くらいだった。まったく反戦映画ではないこの映画が、同じウクライナでの話だというだけで、なぜ注目されたのかがよく分からないが、2時間、十分楽しめた。(もう、借りられる海外ドラマはあらかた観てしまい、これからは映画かなと思ったのでカテゴリー「映画・海外ドラマ」を追加した)
2022.05.09
ゴールデンウィークは、以前なら家族旅行が定番で、子どもたちが小さな間は、ワンボックスカーで、安い宿を探し、そのころ流行り始めた地方のテーマパークなどを回る旅行だった。子どもたちがそれぞれ独立し、孫もできてからは、向こうが来たり、こちらから訪ねたり。去年まではコロナ下でも自分たちは何も気にせず、あちこち出かけたのだが、今年は家に居続けたし、子どもたちも来なかった。多分、この家で夫婦二人、GWを過ごしたのは人生初ではないかと思う。まあ、新しい孫の世話で、娘のいる札幌に夫婦二人で20泊、前月にしたこともあるし、その前にもグランドピアノを探したり、数泊している、ということもある。連休中、自分はフォーク居酒屋に初めて行った。今度は妻と食事を兼ねて行こうということになっているが、そちらの方はあまり期待できない。健康麻雀と「天鳳」はこのところ調子がよくない。弓は、カスケードの黒が、今のところいい。押しが深くて、一番使いにくいと思っていたが、この前試しに使ってみたら思いのほか、集中する。連休中、その他にやったのは、スポーツ協会の補助金申請書などの作成。授業の準備等は、ほぼ前半で終わっている。試験作成は手がついていない。今日は、妻と「ひまわり」を観に行こうか、ということになっている。地元の映画好きが作った映画館で、一日一回だけ上映する。まあ、グランドピアノも来たし、久々にセッションもしたし、花見もできたし、楽しい連休ではあったかな。
2022.05.08
このところ、NHKのニュースでは「3年ぶりの行動制限のないゴールデンウィーク。高速道路では……」などという言葉を聞くことが多い。嘘を平気でついてはいけない。何か悪いことをして露見するのを恐れ、びくびくしてつく嘘は、基本的には善人の嘘で、罪はない。嘘だと分かっていていけしゃあしゃあと嘘をつくのは悪人である。NHKは間違いなく後者だ。アメリカやイギリスでは屋外の公共の場でマスクを着用する義務を課す法律がなくなりつつある。「行動制限」が外れたのだ。日本では、そういう意味での行動制限は、一般国民には一度も課せられていなかったはずだ。蔓延防止等特別措置でも緊急事態宣言下でも、不要不急の外出は控えてください、という「要請」は国も都道府県もしたし、挙げ句の果ては「自粛警察」まで現れたが、法律で禁じたことは一つもないし、「戒厳令」が敷かれたこともない。海外渡航にに関しても、行く先の国での法律に入管を通れば従うが、帰国後、公共機関を使わず自宅に直帰し1週間は自宅で過ごせ、というのは単なる「要請」でしかなかった。それでも日本人は「要請」を受け入れ、反対のデモなどは行わなかった。いや、単なる要請ならデモを行うこともできない。今でもマスクを外さず、「ホントは遠くに行きたかったんですけど、今回はまだ不安なので近場に」などといって、十分に「密」になっている都会のあちこちに出かけている市民が「いい子ぶって」インタビューに答えてる。「重症化しない」という触れ込みで「オミクロン株」は緊急事態宣言下を超えるような新規感染者数だったが、「要請」はなかった。しかし、完全に「要請」自体がなくなったわけではない。延長された県民割は、連休後の再開となるし、道路の上の表示板には、「混雑する場所を避けてください」などのメッセージが流れる。「要請」がないことを「行動制限のない」と言い換えるのは、政府がマスコミと結託して「要請=規制」を既成事実化しているのだとしか思えない。今後も政府が「要請」すれば、それは「規制=制限」なのだという「マインドコントロール」にNHKが加担しているように見える。かくして、何の法的根拠もない単なる「要請」は「行動制限」となってしまう。法律や政令なら国会議員や内閣はその責任を問われるが、単なる「要請」ではそういうことにもならない。「要請」に従わない「自由」は何も侵されていないからだ。それでも、十分言うことを聞き、「今回は遠出は避けて……」などと嬉々としてインタビューに答える市民性のかけらもない国民は、実に「扱いやすい」ことだろう。ラッシャワーをごらんよ今日もまた「見出し人間」の群れが押し合いへし合いでかけていくよ商売・取引うまくいくのはお互いの話じゃなくて見知らぬ誰かの噂話用心しろよ用心しろよそのうちキミも狙われるオイラもひらひら、アイツもひらひら、日本中みんなひらひらちょいとマッチをすりゃ消えてしまいそうなそんな頼りない世の中さ (吉田拓郎『ひらひら』)フォークシンガーとしては、ほとんど「社会派」の対極と思われていた拓郎すら、こんな詩を残している。げにげにしく、ところどころうちおぼめき、さりながらつまづま合わせて言ふ嘘言は恐ろしきことなり(『徒然草』73段)「いかにも本当らしく、ところどころをわざと曖昧にして、しかしながら、しっかりつじつまが合うようにしてつく嘘は恐ろしい」というほどの意だが、今回、NHKのついた嘘はまさにこの類である。
2022.05.07
セミリタイアの身となってからは、大体9時台に寝て、3時台、早ければ2時台に目が覚めるようになった。管理職になる数年前から、少し不眠に悩まされた。かかりつけ医で、弱い睡眠薬を処方してもらった。それをグリナという睡眠のための健康食品(粒状でグレープフルーツっぽい味)を100%のグレープフルーツジュースとともに飲むといい、と言われた。そしてワインを一杯。医者がアルコールと一緒に眠剤を飲め、というのもどうかと思うが、そのドクター自身が、そうやっていて、「朝まで気絶するように眠れる」と太鼓判を押した。今は、晩酌でワインとウィスキー、ベッドに入る前にドクターの言うようにしている。ただしワイン一杯はウィスキー一杯に変わった。最近はドライブ旅行の際にも、家と同じワインとウィスキーを持って行くようにしている。それで、すぐ寝付き、6時間前後は通して眠る。昨夜は9時過ぎに寝て、4時半まで熟睡。久々に7時間以上通して寝た。昨日も一昨日も、ゆっくりと過ごしたのがよかったのかもしれない。昨日は、妻と車で10分くらいのところにある回遊式の日本庭園に最後の花見に。少し気温が低いからなのか、ここの桜は綺麗だった。葉桜の緑が鮮やかだ。それから、いつものソフトクリーム。市内のスーパーならどこにでも置いてある牛乳の製造工場の脇にショップを出したのだが、やはり味がまったく違う。今年は特に賑わっていて、臨時駐車場に案内された。誘導していたのが、数年前まで斜め向かいに住んでいた社長さんだった。ちょっと挨拶をしたが、大分老けたなという感じだ。きっと向こうも自分たちをそう見ているだろう。まだ初めての孫が2歳か3歳の時に行った時は、牛舎とかいろいろなところを案内してくれて、苺ジャムまでいただいた。大型除雪車を冬になると出してくれて、大いに助かった。評判の働き者だったそうだが、お兄さんを亡くし、社長を引き継いだと聞いた。花見で結構歩いたことで、ほどよく疲れたからもあって、昨日はいい眠りを眠った。「Qualty of Sleep」(睡眠の質)などという言葉は聞いたことがないが、「Qualty of Life」が一般的に使われるようになったのだから、やがて使われるようになるだろう。
2022.05.06
大型連休も、自分は日曜日まで。今日を入れて、あと5日だ。今日は風も強いし、麻雀も昨日行ったので、練習も健康麻雀もお休み。フォーク居酒屋は、再来週。それで、今日は一日家にいる。授業の準備。生徒に課題として出した小論文をこちらも書いておかないといけない。構想メモまでつけて提示すると、ああ、こういうふうにやるのか、と納得する。第一回定期の準備もスタートさせる。弓の協会の補助金申請書など。申請する4事業のうち2事業はもう実施済みなので、報告書も必要だ。4事業合計で80,000ほどの補助があるが、今年はもう少し増額を申請するつもりだ。体験教室の弓が足りなくなっている。去年来た小学生、大人のうち7,8人がまだ継続指導を受けている。そうなると今年の体験教室の弓がないのだ。まあ、そんなことと家事などをやりながら、一日ダラダラと過ごす予定だ。
2022.05.04
昨日は、妻とおにぎりなどを持って、今年の花見に。先日、車で「桜のトンネル」を通ったが、花見はやはり公園で、ということになった。もう葉桜に近い状態だが、寒いし、あまり綺麗ではなかった。公園そばの六花亭でコーヒーを飲んで帰った。今年は弘前まで行って、と思っているうちに、桜前線の方が早く来てしまった。まあ、こうやって花見に二人で出かけることも、あと何回あるのかな。
2022.05.03
ちゃんと構えて(セットアップ)、ちゃんと狙って(エイミング)、ちゃんと放して(リリース)いるのに、中らない。最後のリリースのところの感覚が1射ごとに全部違う。何が悪いのか。試しにポンドアップしてみた。1/3回転。これでもうほとんど回す余地がないくらいまでになる。測っていないが、47,8ポンド。この弓では上限だ。2回射ったが、まったく矢の集中度が違った。10-9-9-9-9-8でもビシッと集中している。リリースの感覚も、かなりよくなってきた。今日は、これからちょっと早く行って、昨日の感覚があるかどうか試してきたい。
2022.05.03
非常勤講師となり、実質どのくらい働くかを考えてみると、年間を慣らすとほぼ1週間で8時間程度かな。それで、「趣味」という名の「暇潰し」として、弓、麻雀の他にフォーク居酒屋で歌ってくることを考え実践してみたのだが、これをどうバランスを取るかという問題。今のところ、ネットで手軽にでき、四段までは順調にきた、といっても一度初段から降格したのだが、麻雀に時間を使いすぎている。ネットは1日2半荘という制限をかけることにした。その分、弓は確実に時間は減っている。だが、年甲斐もなく入れこむのも、もう限界で、選手権に出られるほどの成績というのが今の目標だ。だから1日72射でいい。このところ36射の日もあるが、だいたいそんなところだ。昨日は風の中36射で301点。まあ、こんなもんかな。50m300点は、CPだと最低は、という点数だ。目標は無風で324。仕事の方は、そう変わらない。変わったのは収入がさらに半減したことだが、だからといってすっかり辞める気もないのだ。別にいいじゃないかと思う。少し投資を回収したから、今年度分くらいの減収には対応できている。そんなことじゃなくて、生徒が分かったと思える授業をし続けたい。今のところ、今年度もそれは十分できている。フォーク居酒屋は、自分にとっては夜遊びだし、月イチくらいかなと思うが、そのたびに新たな曲を仕上げていって2,3曲歌ってくるのは楽しみではある。レパートリーというふうに数えてはいないが、多分2,30曲はあり、当分持つのだが、それでは面白くない。前回「言葉」は知っているので、難なく合わせられたが、いつか雨がなんとかという曲は、さすがにコード進行だけ聞いただけでは、やっとという感じ。帰って、ネットで調べて、次回はちゃんとピアノでアドリブまでできるくらいにしていきたい。まあ、そういう楽しみがあるので、これは続けたい。今日は、妻と花見に行く予定なんだが、そういう時間もなるべく十分取りたい。要は、欲が深くて、ちょっと困った、という状態なのだ。「いい加減にしろ!」と叱られそうだ。「はい、いい加減にします」
2022.05.02
昨夜、帰宅は9時。フォーク居酒屋では、ノンアルのビールしか飲んでいないのだが、何だか酔っ払って、足元がおぼつかない気分があった。朝は、6時半くらいから、射場で60本ほど。少しメンバーが変わったが、朝練の常連は4,5人くらい。引き込まない射でもそこそこいけるが、引き込む射の方がやはり集中する。それから帰って、一階の掃除。午後にグランドピアノの調律師が来る。それから、一昨日さらに採りにいった行者大蒜を弓友と息子のところに、送りに妻と郵便局に。休日でも、大きな局は窓口がある。そのまま桜通りの桜のトンネルに。ちょっと葉桜になりかかっているくらいだった。そのまま妻をデパート前で下ろし、自分は健康麻雀に。11時から4時の5時間。フルタイム。1位、1位、3位。どの局も親の連チャンが多く、最初の2局は自分だったのだが、時間の割には3半荘しかできなかった。「ベタ降り」は麻雀の重要技術の一つで、3回目はそれが甘くなった。また一端帰宅すると、1時半からの調律がまだ終わっていない。何でも鍵盤を一つ一つ外しての本格的調律で、これを最初にやるのが肝心なのだそうだ。昼寝の予定はすっかり狂った。早めの夕食、行者大蒜、もやし、春キャベツと豚肉の炒め物、油揚と行者大蒜の味噌汁。タケノコと蒟蒻の味噌汁など。そして、初のフォーク居酒屋に。車で行った。着いてみると、70年代のフォークライブハウスのような雰囲気が漂っている。壁、天井などあらゆるところに吉田拓郎などの写真、ポスターなどが貼られ、くすんでいる。自分の後、家族4人がきた。「先生!○○です」。いきなり身元がバレてしまう。まあ、あちこちで卒業生には会うからそういうことはあるかもしれないとは思っていた。「じゃあ、○○。ピアノ弾いてあげるね」と言って最初はジャズ風に『枯葉』、オールマンブラザーズバンドのギターのインストゥルメント、曲名は忘れた。それから、マスターとちょっと話して、客が少しずつ入り始めた時に、「じゃあ、今度は歌って」とママから声がかかる。吉田拓郎『アゲイン』、『消えてゆくもの』。その後、どこかの洒落た格好のじいさん、マスター、自分で即席のバンドを組んで2曲。『言葉』、もう一曲は知らない曲だったが、コード進行だけ教えてもらい何とか。「じゃあ、年寄りはもう就寝時間だから帰るね」「いや、ここみみんなそうだから」バンドで演奏するのはそれこそ50年ぶりくらいで、楽しかった。演奏が終わった後の、何というか「呆(ほう)けた」状態も久々のことだ。まあ、月イチくらいで通ってみたい。
2022.05.01
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