全52件 (52件中 1-50件目)
昨夜は10時前に入眠、今朝は4時ころ目覚めたが、布団でゴロゴロしながら、浅い眠りを繰り返し、起きたのは5時過ぎ。まず、先述の土鍋を丁寧に洗い、拭いて、しまう。それから、いつものようにピザを作る。今朝は残っていた冷凍シーフードを、旅行前に全部片付けようと思い、トマト、イタリアンパセリとともにピザの上に載せ、その上に「二種類のチーズ」というのを、これも残りを全部まぶし、あとは冷凍フライドポテト。妻の分のピザは冷蔵庫に、自分の分はオーブンで焼き上げているうちに食洗機の食器を片付け、昼食のサンドイッチのためのトマト、レタスなどを準備し、コーヒーを淹れる。焼き上がりのピザとコーヒーの淹れ立てで、朝食。PCを開き、日本モビリティショーの記事をちょっと見て、このブログに。昨日280アクセスの中で、どんな記事が読まれたかを確認し、さっきの駄文を綴る。大体、朝はこうやって一人の時間が過ぎていく。と、書けば、ずいぶん要領がいいと思われるかもしれないが、確かにそう言われればそうだ。人より速く、いろいろなことができる。仕事も、専任時代は、2,3種類同時進行でやっていた。周囲から見ると、信じられない速さで仕事を片付けていた。今でも、生徒の書いたものを読んだり、試験の作成、採点などは速いし、また早い。自分自身の大学入試までの勉強も、随分要領がよかった。人一倍、遊んでいて現役でサッと入ったから、友人たちは驚いていた。が、実は、自分ではすごく要領が悪いという自覚がある。仕事も、昨日、今日と明日の予習をしたが、生徒が30分で解く問題を、20分はかけて解く。国語はどうしてもそうなる。もちろん、正解など見ない。記述問題は、問題集の正解と比べて、どちらがいいか検討する。自分の解答は採点要素が全部入っていて、しかもその他の要素も入れこんである時は、いいねと思うが、逆の場合もある。その時は、解説を熟読して、納得できるかどうか熟考する。昨日、やった問題を今日見直すこともある。その結果、問題集の正解を書くには、設問の書き方を変えないと出てこないよ、と思い、生徒に「問3、ちょっと表現変えるからね。このままだと正解書けないから」などという訂正を入れる場合もある。必要なことなのだが、誰もこんなに時間を書けない。正解を写して終わりだ。だが、納得いくまでには時間が必要なのだ。弓も、同じ所をグルグル何度も回っている。 → 「切る」から「切れる」まで「引く」に。ピアノだって似たようなものだ。 → ノーミスの鍵は指使いだった。多分、プラトー現象(ある程度レベルの高くなったところでのスランプ。これ以上、上手くならない停滞期)に行き着くまでは人よりずっと速いのだが、そこからまったく抜け出せない状態が長い。要領がよくて、要領が悪い。仕事に関しては、もうとっくにプラトーは抜けた。時間をかけるべきものは、何時間でも何回でもやるし、そうしなくてもいい仕事は速い。弓はレフティに転向する前は、一度そこから抜けたが、今はまだプラトーのただ中だ。抜けるときは、何の予感もなく、ある日突然できるようになっている。ピアノに至っては、全然抜けられない。今朝も30分は弾くだろう。が、そこを抜けようともがいているときが、一番楽しいのだと思う。
2023.10.31
我が家には、食卓の簡易ガスコンロ上に並ぶ三種類の大鍋がある。すき焼き鍋。以前、大学院時代、大家さんから結婚祝にいただいたものがあったのだが、30年以上使うと、さすがに古くなり、付属していた食皿5枚もすべて割れたところで、買い換えた。ホームセンターで買ったと思うが、柄がついているタイプで、使い勝手がいい。和牛のいいものは高いのだが、幸い歳を取り二人ともそんなに食べなくなったので、300gもあれば十分。この前も、一度やったが、冬には少なくとも7,8回は使う。しゃぶしゃぶ鍋。これは、鉄製のすき焼き鍋とは違い、アルミ製。薄く、火の通りが速い。もう20年くらい使っている。しゃぶしゃぶだと牛もいいが豚肉、羊肉なども。羊肉は、最近高いのだが、やはり、年に数回は食べたくなる。年に5,6回かな。そして、昨日使ったのが土鍋。きりたんぽ鍋や鰤しゃぶ、など、やはり和風の鍋料理が多い。これも30年は使っているだろう。陶器なのだが、なかなか割れない。昨夜の鍋は、鍋ラーメン。最近、といっても10年近くにはなるが、一度試しに食べてみたら、美味しかったので、年に5、6回は食べる定番になっている。野菜、きのこ、豚肉をほぼ分量通り、指定時間通りに入れていくのがコツといえばコツだ。麺が延びるだろうと思っていたら、ちゃんと延びないように作ってある。10分くらい煮ても、腰のある麺だ。すき焼きや、しゃぶしゃぶと違って、食材が安いのもいい。多分、一人200円くらいだろう。バラ肉150gとキャベツ、人参、玉葱、きのこ、白菜など。昨日は、先日の県人会でお土産にいただいた「油麩」としゃぶもちを加えた。「油麩」は、こういうのによく合う。→ 県人会。そういうわけで、鍋は冬になると大活躍する。
2023.10.31
【ピアノ】あと3日。練習は、大事な部分の練習。楽譜を確かめ、ゆったりした速度で、和音の響きを確かめながら弾く。特に、四度繰り返される、主旋律が大事なので、その部分は何度でもやる。それから、暗譜の確認のため通しで1,2回。これも速度を少し落とし、確実性を優先する。躓いたら、その箇所からやり直す。火・水は仕事なので、そういうペースで朝、夜。まあ、やるだけはやったのだから、後は本番を楽しむだけだ。睡眠を十分取って、体調管理も万全にして臨みたい。
2023.10.30
昨日のインドア2戦目。前回は、275-272=547だった。これは「切る射」での点数。数日前、再び「切れる射」に切り替えなければ、と思い、三階で練習。一昨日は、射場で30本くらい射ったが、まったくうまくいかなかった。それでも、昨日の試合は「切れる射」で射ち通すことだけ、考えていた。点数はこの際、260台、ことによると250台かもしれないが、それでもいいと思って臨んだ。結果は、275-276=551。僅かだが、点数を伸ばし、ハンデをぎりぎり10台にした。素点順位はトップ。ハンデ戦順位は3位。望外の結果。みんな、まだハンデが多い。とにかく「切れる射」は通した。途中、何本かは数秒間、切れてくれずに、苦しかったが、それでも我慢した。一度、「切る射」、つまり自分からボタンを放すと、それで10点を射抜いたとしても、全部ダメになるということは、経験上分かっている。一度も弓を下ろして引き直すことはなかった。おそらく90秒3射は全部クリアしただろう。1回目で8点2本を連続で出して53のエンドがあった。2回目は7点を出したが、このエンドは54。が、赤はその3本だけ。1回目は7本、2回目は8本の10点ということになる。エイミングがズレてどうにもこうにも、という場面でも、「点数より、射型」と念じ続けて射った。かなりズレていても、9点の端っこくらいにはかかる。ズレているのに10点という射が、合わせて15本あったということだ。真ん中を狙い射抜くという射は1回もなかった。真ん中で切れれば、2時9点の端にいく。大体は7時の8点くらいについている。それより左下につき、押し手が開いて矢の方向を無意識に調整して10点というのもあった。まあ、そういうわけで理想の射とは、全然違うのだが、方向性だけは見えてきた。「切る射」では、一番上手くいって275だった。点数は変わらないが、「切れる射」はここからスタートできる。280台が近い感じがする。右で射っていたときで全日に数回出たときは、大体285のアベレージだった。やっとハンデ+19だが、ハンデ-3の年もあった。まだ、そこは遠い。今週は、三階近射だけになるが、押し手の開かない射を体に覚え込ませたい。今季初、そして唯一の公認は12月だ。来季はインドアは完全休養だから、最後のインドアとなる。
2023.10.30
我々は、社会の中で、何らかの役割を果たしている。それは職業とは限らない。この社会でどう生きようが、そこには役割がある。職業なら、それは非常に分かりやすい。医師、看護師、教師、福祉関係などは、今、エッセンシャルワーカーと呼ばれ、ITなどの対人的でない仕事から見ると、やがてAIに取って代わられるだろう、と思われている。が、少なくとも、今の社会では何らかの役割が与えられる。あるいは、やがて消失するであろう職種で働く人間を演じている。教師は、生徒がいなければ、その役割を果たせない。だから、生徒も社会の中で役割を果たしている。赤ちゃんがいなければ親にはなれない。だから、赤ちゃんも重要な役を、我知らず、演じていることになる。高齢者には高齢者の果たす役割がある。団塊の世代は、それ以降の世代より、概ね高い年金を貰っているが、賦課方式なので、その原資は現役世代から出ている。あいつらに食わすために働いているんじゃないよ、というルサンチマンが団塊世代に向かうが、そうなると彼らは悪役を演じることになる。だから、免許返納だとか、高齢者の自由をできる限り奪おうとする劇中劇が演じられることになる。事故でも起こそうものなら、それこそ「上級国民」などというエリート意識を批判され、「社会の敵」を演じることになる。もちろん、家族と疎遠で一人暮らしをする高齢者にも果たす役割はある。70歳台の平均資産は2000万台だが、中央値は800万ほど。だったら、うちの方がマシだよね、とその姿を見て安心する平均的資産を持つ高齢者もいる。100万の貯蓄もなく、しかも独居老人、やっと食べられるかどうかの年金。その姿を見て、あるいは想像して、それだったら、貯金は500万しかないけど、うちはまだいいかと安心する老夫婦もいるだろう。が、その独居老人にしても、不遇をかこつ老人という悲劇中の人物を演じていることになるのだ。つまり、どんな人間でも、社会の中で何かの役割を「演じている」のだ。それに比べて、動物はただ単に己の生を生きているだけだ。もちろん、集団の中で果たす役割はあっても、彼らにとってはそれが生きることと同義であり、その役割は生きている限り変わらない。だから、彼らは決して「演じている」のではない。人間の場合、演じる役割は、変化する。「成功者」という役を演じるものが、突然「敗残者」を演じることもあるし、その逆もある。「役割」(=role)は、大体が社会の規定する枠の中で決まるが、中にはその枠からはみ出るものもある。自分でその役をつかみ取る場合もあるし、人から強要される場合もある。その役を喜んで演じる場合もあり、いやいや演じることもある。その死後ですら、人間は一定の役割を担いながら、死んでいなければならない。法事は、死者がいなければ営まれない。数年に一度、死者は主役となる。このように見てくれば、人間の本質が「役割を演じる」ことにあるというのも、ある意味では肯けることだ。が、それは違う、演技などではない、必死に生きているだけだ、という反論は当然あるだろう。次回は、そのことについて。(この項、長くなりますが、少しずつ)
2023.10.29
エリーゼ事務局から、パンフレットが届いた。いよいよ本番間近。昨日は5回、ピアノの前に。麻雀に行く前に2回、帰ってから1回、夕食前に1回、夕食後、酔った状態で1回。合計で『狩の歌』は1時間くらいだが、それでも随分弾いた感じ。正直、飽きている。といっても出来ないところはあるので、そこを重点的に弾いた。今日も弓の試合だが、数回は弾くだろう。まあ、やれる努力だけはしようと思うが、ちょっと無理かな?
2023.10.29
麻雀の帰りに、1週間ぶりの射場。三階でもあまり射っていなかった。18mだと、狙えないし、狙えないと切れなくなる、という悪循環。途中、やっぱり放すか、と思って射ったが、やはり赤が出る。これだといつまでも同じだ。また「切れる」射に戻し、試合は点数を諦めて、できるだけいい射型を目指そうと頭を切り替えた。ピアノと違って、本番(公認)は12月。まだまだ、基礎を固める段階だ。とにかく、狙えてなくても、綺麗に射つ。つまり、目標は射型点である。それさえ、ちゃんとしていたら、Mでも6点でも構わない、というつもりで臨むことにした。不思議なのもので、そう思った途端に、「押せばすぐ切れる」状態になる。が、今度は10点を、と思った途端、切れなくなり、結局は狙いがズレて8点。まあ、それでも構わないから、とにかく引き手が真後ろに、押し手が残る美しい射を目指すことにした。
2023.10.29
昨日の健康麻雀。例によって、強い卓に案内される。しかし、誰も来ない。ややあって、Aちゃんと呼ばれる雀婆。感じのいい人で、最近めきめき腕を上げている。「あ、先生。今日2時半でお願いします」「え、2時半なの。qさん、デート?」と隣の卓のOさん。最初にここに来た時に打った人で、すっかり顔馴染みだ。「え?」「若いの?20代?40代?」「あ、相手ね。オレのことかと思った!」「あはは、そんなわけないでしょ!」そんな軽口を叩いていると、冷えピタが現れる。もう一人は、顔は知っているが、よくは知らない雀婆。一半荘目は、リーチ三色の綺麗な手が上がれず。そこから、まったく配牌がダメだった。国士を2回狙った。とにかくノー和了で、しかもAちゃんに2万借金をして終了。ここで、ハコテンは多分初めて。二回目も不調だが、マイナス7くらいの3位。三回目がラストだな、と思ったが、ここは名前の知らない雀婆とトップ争い。ラス前、雀婆の親で5索リーチ、8索待ちというド引っかけ。5巡目くらいだから、ひょっとしてこの雀婆からなら出ると思った。冷えピタやAちゃんは、かえって切らないだろう。自分でも、4索、5索と連続で切ったリーチ。間違っても8索は切らない。案の定、雀婆から一発で8索。上手い人はそういうド引っかけみたいなことはやらないという先入観があるから切る。2600だったが、直撃で5200差。そのままオーラスも逃げ切り、トップ。まあ、思ったようにはいかなかったが、楽しかった。
2023.10.29
昨日のレッスンは、細かいアドバイスを2,3受けて、本番と思って通して弾いたら、存外上手く弾けた。何ヶ所か小さなミスはあったが、曲想もついていたし6/8拍子も崩れなかった。帰ってから、すぐ復習をし、レッスンを入れて5回もピアノの前に座ったことになる。本番は金曜日。家で練習できるのは、ぎりぎり木曜の朝までで、あと6日。ミスの出やすい部分をゆっくり弾くところから始めて、通しで弾いてみるところまで、大体、1時間はかかる。さて、ピアノと仕事にかまけて「とんとご無沙汰」だったのが、弓と健康麻雀。弓は1週間ぶり、健康麻雀は2週間ぶりである。カスケードを、トリガーレスのように使う、つまり「押して、放す」のではなく、「押して、狙い続け、引いて、離れるのを待つ」射は、まだまだマスターできない。が、レフティ転向後の50mでの赤バッジはこの射で取れたのだし、いろいろ浮気せずこの射に専念すれば、何とかなるんじゃないかと考えている。明日がインドアの二戦目。ハンディは確か23もあるので、せめて10台まで減らしたい。今日は、麻雀の帰りに寄って、一時間くらい射ちたい。麻雀の方は、暇潰しに「天鳳」をやっていはいるが、以前ほど熱も入らず、大体飲んだ後に三麻をやる程度だ。おかげで三麻の方は二段だが、四麻はまだ初段。以前、四段までいったのに、IDとPWを突然要求され、忘れてしまっていて「新人」に戻った。それ以来、まったくうまくいかない。健康麻雀は、仕事が詰まると土曜しか行けない。土曜は、割と覚えたての人が多いので、11時には行くようにしている。そうすると、自動的に強豪メンバーの卓に入れられる。みんないやに真剣で、和気藹々と打てないから、自分としてはイマイチ楽しめないのだが、「強豪」とはいってもたいしたことはなく、大体、通しで考えれば平均1.8位くらい。しっかりと守備的麻雀を打てばそうなる。が、つまらない。その下くらいのレベルで、雀婆たちと軽口を叩きながら打つのが一番いいのだが、なかなかそうはならない。もちろん出かける前に、しっかりとピアノ練習はするつもりだ。
2023.10.28
人間の本質を「演技すること」とした人間観、新しいものではない。シュプラングラーは「遊戯人」と言い、「人間だけが遊ぶ」とした。山崎正和は、能に造詣が深く、そこから「演技する」ことと「個人主義」とを結びつけ、「柔らかな個人」という考えを書いた。が、社会的役割が、人間の演じるものである、という見方は、例えばフロイトの「意識ー無意識」という二世界観的なものの残滓がある。「与えられた役割(役柄)」ではない「本当」の自分は別の所にいるのだ、という少し前に流行った「自分探し」にも通じるところがある。しかし、探して簡単に見つかるような「自分」など「幻想」であり、それは自分の「役柄」を強要されたものと見なし、そこから「逃避」しようとしているにすぎない。あるいは、彼は「自分探し」というストーリーを演じているのだ、と言ってもいい。しかし、そのように言ってしまえば、我々はいつも何らかのストーリーを描き、その主人公としての自分を演じているのであり、それを可能にするために、ハイデガー風に言えば、己の根源としての「存在」を「忘却」しているのだ、と考えることも出来る。本稿では、今の自分の人間観に最も近い「演劇的人間」について、少しずつ論じてみたい。(まあ、忘れなければの話なのだが)
2023.10.28
「全日」まであと1週間などというと50代のころは、弓の話だったのだが、今は「エリーゼ音楽祭・ピアノコンクール」のことだ。このコンクールの地区予選に出て、二人とも通ってしまった。最初の記事は → エリーゼ音楽祭 ピアノコンクール 結果については → 読み飛ばし。自分は、曲目変更をして、ずいぶん練習した。11月3日だから、あとちょうど一週 間。今日は、最後のレッスンである。まあ、後はなるようになるほかないのだが、こんなに努力したのも久しぶりだった。朝に射場、仕事帰りに射場、というふうに弓も一生懸命やった時期があった。それで、10回以上「全日本」と名の付く大会に出たが、そこで勝てるような才能はなかった。まあ、ピアノもそうだろう。朝も夕方も弾いてきたが、この演奏で最優秀は土台無理である。が、自分としては目一杯頑張ったので、せめて金賞くらいは入りたいな、と思っているが、なかなかレベルは高い。息子と同級生のピアノの先生は優秀で、いいアドバイスをもらえる。今日は、それをもらって、4連休中に今の演奏をさらに改善したい。木曜日は有休で移動日。金曜が本番だ。もちろん、自分たちのご褒美は用意している。日曜のディズニーシーのチケットは入手済みだ。当初の予定通り、4泊の旅である。といって、他の趣味を忘れた訳ではなく、土曜日は健康麻雀と弓に行く予定。日曜はインドア2戦目。ハンデを少しでも減らしたい。相変わらず、遊びにかけては貪欲な日々だ。仕事も、先週あたりから目一杯で、自分としては限界が近い。しかし、まあ、この4連休はたいして持ち帰りの仕事はないし、来週は火・水2日間だけなので、といっても、両日とも実質5時間だが、何とか乗り切れるだろう。
2023.10.27
大学入試の推薦試験は、11月から始まるので、先週、今週くらいが出願のヤマだった。もちろん、前倒しでもう試験が終わったところもある。ちょっと前までAOと呼ばれていた入試は、「総合型選抜」の一つのパターンとして、10月中が多い。この入試は、事前提出課題とそれについての口頭試問、小論文などが課される。有名大学でも、普通に行われていて、難度は高い。つまり、推薦入試=ラクという常識は通用しない。一般入試の方が簡単と言える場合も多い。そういう生徒には、一人あたり3,4時間は使っている。そういう指導も、例年結構あるのだが、これまで試験を受けてきたのは二人。一人は文系、一人は理系だが、どちらも、志望理由、事前提出課題、両方面倒をみた。何度も内容の薄さを指摘し、いろいろなことを教え、調べさせ、大学のレベルに合うものに達するまでにして、提出。試験は二人とも上々だったようで、事前提出課題を絶賛されたというのもいた。世話になったという気持ちはあるのだろう。受験の時に買ったのだと思うが、ちょっとしたお菓子なんかをお土産にいただく。生徒のお小遣いの範囲で買うものだから、そう高価なものではない。もちろん、有り難くいただいている。そういう授業外の特別な指導について、一番感謝するのは生徒だ。以前は、保護者にも感謝された。日本社会に贈答文化がまだ残っていて、デパートの包装紙で包んだクッキーとかが、部屋に満杯ということもあった。多分、バブル崩壊、あるいはリーマンショックくらいまではそうだった。御礼の熨斗のついた商品券もずいぶんいただいた。年間で、二十万円くらい。今は、そういうことはまったくなくなった。保護者は、教育サービスの消費者となり、クレームはつけても、感謝の印を持って来たりしない。だから、妻と「昔はよかったね」という話は結構する。妻によると、一年でクッキーが30箱ということもあったという。当然、食べきれないのでお裾分けをする。すると喜ばれもするし、僻まれもする。さて、そういう特別な指導をして、もう40年にもなるのだが、まったく感謝しない人種もいる。例えば、その生徒の担任。本来、出願書類などの指導は担任業務の範疇だと思うのだが、小論文や志望理由などとなると、何でもかんでも「国語の先生に聞け」と丸投げする。冗談じゃない、と思う。オマエだって、一応は大学を出てるんだから、卒論くらい書いただろう。自分のクラスなんだから、自分でしろ、と思うのだが、生徒に頼まれると引き受けざるを得ない。今回、指導した二人の文章などは、到底、担任が指導できるレベルではない。国語は「てにをは」の指導と思うレベルなのだ。下手に指導すると、せっかく生徒の書いた初稿のいい部分をこねくり回して台無しにする。そういうことが分かっているから、しょうがないなと思いつつ、引き受けるのだ。何度も書き直しをさせるが、その間に、生徒の成長が手に取るように分かる時がある。それが、文章指導の醍醐味なのだ。それで、苦労して合格すると、生徒は、丸投げした担任教師にではなく、自分に感謝するのは当然の成り行きだ。なのに、酷い教師になると逆恨みする。まあ、そんなヤツは無視するが、「本当はアンタの仕事なんだけどね」と嫌みの一つも言うこともある。特に、年配のただ威張っている教師にはそうだった。さすがに普通の教師は、「ありがとうございました」と頭を下げに来る。まあ、そういうまともな感覚の持ち主は三人に一人くらいしかいないのだが、別に担任のためにやっているわけではないのだから、いいのだと思っている。
2023.10.27
一昨日、昨日と9時に家を出て、帰宅は5時台。9時-5時なら、楽勝でしょ!と言われそうだが、きつい。生徒の書いたものは30近く読み、今日も駆け込みが数本ある。なるべく昼休みに処理して、今日は早めに帰りたい。3時台に帰れれば、昼寝ができる。どうも不眠気味でもあり、4,5時間。これじゃ、どこかでダウンするな、と自覚している。自分の体は、自分が一番よく分かるのだ。さて、朝寝してこよう。
2023.10.26
先週、持ち帰りの小論文もなく嬉しかったのだが、考えてみれば、そんなはずはなかったのである。昨日は、10人近い生徒から小論文や志望理由書の添削を頼まれ、持ち帰った。一人で5つくらい出したのもいたので、延べ数は15前後。それを、朝に1時間ちょっとで見た。ちょっとの直しでOKなのも多いが、直すというより、考え方を一から教えなければならないのもいる。論理の混乱を正さないと行けない文章もある。それは、対面で教えないとどうにもならない。必要最小限のことを書きこむ。次から次に、まるで火事場みたいな一時間だった。今日は4時間の授業+講習。空き時間で、また例によって他の教師が途中で放り出した生徒の事前提出課題をみないといけない。昨日、ちょっと見たら、なぜこんな見当違いの指導ができるのか、というくらいの酷い出来で、これならゼロからの方がよかったなと思うのだ。最後まで責任を持つという当たり前のことができない。結局は尻拭いを自分がする羽目になる。30分ほど、昼休みと放課後に面談して、段落構成をしてやった。そこまでやると何とか書ける。「明日、USBで持って来てね。直しが楽だから」「はい、徹夜で書いてきます」。まあ、これも「非常勤のお仕事」と諦めてはいるのだが、作問も出来ない教師の代わりに、入試問題を作り、途中で放り出した生徒の提出課題の尻拭いをする、というのはかなわない。次年度はもう授業だけでいい、と思っている。これだけ、雑務が多いと、授業も、相変わらず生徒の評価は高いが、自分の基準からすると質が低下してくる。本末転倒もいいところで、「やってられない」というのが本音だ。とまあ、ここでストレスをちょっとだけ発散して、さて弁当でも作るか。【追記】お弁当は、昨日の焼き肉をさらに大蒜やタレで焼き上げ、ご飯の上に。薩摩芋の醤油煮とほうれん草・油揚・人参の煮浸しを横に置く。まだちょっと載りそうなので、ゆで卵と、芋がらの炒めたのを追加で載せた。上出来。後はフライパンや炊飯器を洗い、食器を片付けなどすると、もうこんな時間になる。5時まで寝たから、寝不足感はない。これから、朝ドラを見て、ピアノを弾いて、9時に出勤だ。
2023.10.25
悪夢といっていい夢を夜中に見た。内容を書く気はしないのだが、いやにリアルな夢だった。久しぶりに、持ち帰りの仕事がない4連休だった。土曜に、県人会に妻と出かけ、健康麻雀はなし。日曜日は、恒例のインドア薪割りだったが、新しく割る薪もなく、昼を食べたところで終了。月曜は、3週間ぶりの整形と、ちょっと修理があるので代車をディーラーに取りに行った。この間、弓の練習は三階で2回、合わせても30射程度。ただ、ピアノだけはひっきりなしに練習していた。まだ、かなり減ったものの、ミスタッチは出る。通しで曲想を、ミスタッチは部分練習で。6/8拍子をつかむため、メトロノームで通す練習など、一日2時間近く練習した。どうも疲れの原因はそのあたりのようだ。それから、昨日、びっしりと1階の掃除をして、妻と4000歩ほど散歩し、スーパーに行った。そんなことで疲れるのは、我ながら情けないのだが、これが老いの現実である。父が、自分より若いくらいのころ、とにかく横になりたがり、「寝るより楽はなかりけり」とそのたびに言っていたのを思いだす。悪い夢さえ見なければ、やはり体を横たえることは楽だ。整形の先生によると、無理に背筋を伸ばしたりするのは、かえって腰痛を起こす原因になるという。まあ、年寄りがシャンとしているのは羨ましいが、ある程度背が丸まっているのが、自然な姿なのかもしれない。アンチエイジング派の自分としては、背筋を無理に伸ばすことは止めようかな、と考えた。ピアノも弓も、なるべく背筋を伸ばして、と思っていたのだが、ピアノも弓も無理なくやればミスが減るなら、少し背中を丸めて練習してみようかなどと、考えている。閑話休題。しかし、一体誰が見ているのか、毎日10前後のアクセスがあり、この前、600近い総アクセスになった時は、20くらいのアクセスがあった。間違いなく、この日記で最も多く読まれている。総アクセスは800が間近だ。 → 「(Ora Orade Shitoriegumo)」の解釈についてまあ、どうでもいい話なのだが、決して難解ではないにしろ、かなり専門的な内容なので、普通の人ではないだろう。宮沢賢治の『永訣の朝』、代表的作品の解釈である。再び、閑話休題。100,000kmを超えたCX-5の代車は、10,000kmちょっとのCX-30。この車に乗ると、一体マツダというメーカーが何をしたいのか、よく分からなくなる。SUVでもなければ、セダンでもない。中途半端な座席の高さとさして広くもない荷室。何だかノメっとして、デザイン性のない外観。ただしフロントマスクだけは何だか厳めしい。これじゃ、売れないよね、と思った。メーカーとしてのマツダには、とっくに見切りをつけ、株も損切りしたのだが、このディーラーとの付き合いは長い。CX-5は、やはり車幅もタイヤ径も大きすぎて、自分には合わないのだが、あと数年は乗るだろう。さて、その後、どうするか。遠征も行かなくなっていれば、マツダのバッジをつけたアルトかワゴンRかハスラー。軽自動車で十分かな、と考えている。まだ、年数回の遠征に行くなら、コンパクトカーなのだが、MAZDA2は腰が痛くなるし、適当な車は今のところ見当たらない。ソリオかロッキーかフリード+みたいなのを、作ればいいのに。
2023.10.24
生きていれば、別に年齢とは関係なく、いろいろなことが終わり、いろいろなことが続き、いろいろなことが始まる。どちらにしても、すべてのことは少しずつ変わっていく。それは、仕事とか趣味など、目に見えることだけでなく、心の向き方、動き方など傍目からは見えないことでもある。本人が気づかないうちに終わることもあるし、「やめる」という意志で終える場合もある。いつのまにか始まったり、何かを始めなければと思って始める場合もある。今、特に何かをやめようとか、始めようと思っているわけではない。が、心の中をのぞき込めば、色合いが変わっていることは結構ある。長年、打ち込んできた弓に対しての心が、今年になって特になのだが、そんなに以前ほどは動かない。今、使っている弓は半分壊れかけているが、新しい弓を探す気になれない。逆に、早くやめたいと思っていた仕事への愛着は、そろそろ職業生活が終わろうとしている現在、強まってきている。ピアノはエリーゼが終わったら、どうなるか分からない。本当はクラシックではなく、ジャズっぽいピアノが弾きたい。健康麻雀やフォーク居酒屋にも、そのうち足が遠のくのかもしれない。今、やりたいことを、少しでも心が動きかけたときに、やるのがいいのかもしれないが、それは健康や経済的条件の枠の中でしかできないと思うと、ついつい億劫になるのだ。どうも、心というやつは、なかなかコントロールが難しく、扱いにくいもののようだ。
2023.10.23
昨日は、午後に妻と一緒に「県人会」なるものに初めて出た。妻は前に一度出たのだが、コロナで4年ぶりの開催だということだ。妻は、例によって紬(つむぎ)で、自分も多少は合わせないとな、と思ってブレザー、ネクタイ。紬は元来、遊び着なので、スーツではかえって釣り合わない。自分は大学、大学院の7年を過ごしただけだが、妻は生まれも育ちも、なので、自分も、一応入る資格はあるらしい。十数人の参加。大学の方は、エリーゼと重なっていて、理由を添えて、妻が欠席で返事を出したのだが、会長が同じ人なので、こちらのエリーゼ全国出場の話は、トピックとして紹介された。80代で、まだまだ元気な方も多い。会費の割には、食事は豪勢と言っていい。多分、コロナで貯まっていた会費をつぎ込んだのだろう。お土産に「ずんだ餅」までいただいた。さっそく帰ってすぐお茶にしたが、美味かった。後は「油麩」。これは初めて知ったが、麩を揚げたもので、親子丼の鶏肉代わりに使ったりすると言う。歳を取って、同期会、同窓会や県人会なんかに出られるのは、やはり、いろいろな意味でそれなりの余裕がある人たちである。大体は、一つか二つ、趣味を持っていて、話も楽しい。また、新年会があるそうで、行ってもいいかな、と思う。
2023.10.22
さて、昨日、ちょっと書きかけた「鳥肌が立つ」という表現。この前、辞書を引いて驚いた。「強い恐怖感や寒気で、肌が鶏の皮膚ように粟だった状態になること」という意味の他に「近年は、(才能や意外な展開などに)強い感動を覚えるような場合にも使用される」と併記されている。40代以下では、後者の意味で使う人も多いそうだが、70代ではほぼ全員、そういう使い方はしない。しかし、「恐ろしいほどの才能」というような言い方は昔からあり、本当に凄いものを見たときの感動と恐怖は紙一重なのかもしれない。ただ、自分が生理的に受けつけないのは、いかにもアタマの悪そうな女装家のタレントが、ワイドショーか何かで、誰それの歌を聴いて、あるいは絶品グルメを食べて、「トリハダ~~~!」と喚き散らし、その証拠だと言わんばかりに、着物の袖をまくって腕を見せたりするシーンである。「そういうオマエのみっともなさがおぞましすぎて、鳥肌が立つわ!」と一喝したくなる。そもそも「鳥肌が立つ」のは多くの場合「鳥肌が立つような・・・」という比喩表現であって、人間の肌はそう簡単に鶏の皮膚には変わるはずがない。それを、自分の安手の感動の動かぬ証拠のように見せびらかす精神の、さもしさと貧しさに辟易するのだ。しかし、当の本人が「感動=トリハダ」と思い込んでいると、本当に肌がそのような変化をするものなのだろうか。あるいは、そうなのかもしれない。「身体は常に意識を裏切る」のだが、「意識も常に身体を欺く」のは、古来「病は気から」と言われてきたように、人間の真実の一つの側面である。
2023.10.22
久しぶりにピアノ単独の練習日誌。『狩の歌』で何度も繰り返される主旋律は、付点8分音符+8分音符の連打から始まる。ド♯+ラの和音だ。これが、前半では両手、後半になると左手だけで奏でられる。前半部のリピートを入れると、合計8回。2分半の曲だから、ここを失敗すると、金賞はおろか、銅賞にも入れない。楽譜では、左手の小指で弾く指定のド♯をよく外す。指の形が作れず、♯のないドを弾いてしまうことが多い。外すと、その後の展開も躓く。それで、一昨日あたりから思い切ってド♯を中指、つまり3の指で弾くようにしてみたら、ほとんど外さなくなった。同時に付点8分音符の入りのタイミングがバッチリ取れるようになった。連打の次のミ+シの和音へのスラーがちょっと滑らかでなくなるが、これは1と2の指、つまり親指をラからシにそのままずらし、中指のド♯からミに変えるときには、人差し指で弾くようにすると、まあ、許容できる滑らかさにはなる。昨日は初めて、最後までノーミスで弾けた。もうちょっとだけ速く、そして曲想、特に後半部のクライマックスのところに曲想がつけば、申し分ない。全国本選まで、2週間。やっと、基礎が固まったところまで来た。ここで焦らず、少しテンポを落とした部分練習と、曲想を意識した全体通しの練習の2本立てで毎日弾くことにする。しかし、こんなに一生懸命ピアノを弾いたのは、60年ぶりくらいのことで、60年前は、先生が恐くて、泣きそうになりながら弾いていたが、今はひたすら楽しいのである。
2023.10.21
以前も、どこかでこういうことを書いた記憶はあるのだが、【言葉・コトノハ】のカテゴリーには入れていなかったようだ。「価値感」はもちろん、正しくは「価値観」である。生徒の誤字のベスト10くらいには入るだろう。だが、この言葉の使われ方をみると、やがて「価値感」という表記が、日本語として公式登録される、つまり、辞書に「価値観」とともに併記される日は近いだろう。「やっぱり、いいですね。カチカンが感じられるデザインで」などと言う場合、言っている本人は、「ちょっといい感じがするデザイン」というほどの意味で使っている。単にそういうことならば、「価値観」すなわち、「真善美」という古代ギリシア以来の、「価値とは何か」を問う問題とは、無縁である。だが、考えてみれば「価値観」の代表は、例えばゲルマン民族至上主義やイスラム原理主義であり、ある種の「価値観」に凝り固まった人間は、碌なことをしないのだから、そんなものはさらりと捨てて、「あ、いいね、これ」という「価値感」の世界を生きる方が健全なのかもしれない。「世界感」という表記は、まだ誤字としてもほとんど見たことがない。が、「この映画の独特のセカイカン」などと言う場合は、「世界観」と書くより「世界感」の方が相応しい。映画が描くのは「世界をどう観るか」などという大仰なことではなく、現実とは違う「感じ」の世界なのだから、やがて「世界感」は多い誤表記の一つとなり、そのうちに市民権を得ることになるだろう。「世界観」の方は、「キリスト教的世界観」とか「プラトンの二世界観」という使われ方で、宗教や思想と切り離せない。宗教や思想が衰退していく現代において、「世界観」を論ずることなど、もう流行らないということなのだろう。その二つの言葉に引っ張られているのだと思うが、最近よく聞く言葉が「空気感」である。言葉のプロであるはずのNHKのアナウンサーまで、何の躊躇もなく「この空気感、いいですねえ」などと言う。「価値感」や「世界感」には、もう抵抗する気力もなく、自分も受け入れつつあるのだが、その二つに引っ張られるようにして現れ、たちまちのうちに市民権を得た「空気感」だけは、いまだにアレルギー反応が強い。「勘弁してよ」と思う。多分、それは「肌感覚」の表現バリエーションの一つとして現れたのかもしれない。「鳥肌が立つ」という言葉の誤用もそうだが、このことについては稿を改めよう。とにかく、「空気感」は視覚ではなく、五感で感じるような周囲のある「感じ」のことらしい。だが、そういうことを言い表す言葉として、「雰囲気」があるではないかと思う。実際、「空気感」という言葉を耳にする度に、「雰囲気」でいいだろうと思うのは、この二つが同義であるからだ。つまり「空気感」は、人間の新しいものの感じ方を表しているわけではないのだ。多分、この言葉の源流には「K・Y」(空気の読めない人)という言葉があるのだと思う。さらに遡れば、九鬼周造の「気」についての研究、という優れた日本人論があるのだが、軽薄に「空気感」を使うアナウンサーにそんな教養があるはずもない。ともかく、公共放送という場で最初に「空気感」などと口走ったアナウンサーは、相当の「K・Y」だったはずで、それを許容してしまう現場の劣化も酷いのだろうな、と思ってしまう。
2023.10.21
3科目の定期試験は、試験日翌朝に採点。昨日授業があった二科目は返却。小論文などの指導も、昼休みなどにやって、昨日は、本当に久しぶりに、生徒が書いたものを持ち帰らずに、帰宅した。やはり、たいした時間がかからないとしても、4連休の間、どこかでちゃんと読んで朱を入れなければならず、責任を感じながら過ごすことになる。44年間、教師をやって、添削した文章はおそらく数千枚だろう。毎年、こればかりやらされている。ということは、教師をやっても一枚もそういうものを直したりせず、勤め終える人間もいるわけで、こんな不公平な話はない。私立の場合、こいつに担任なんか持たせられないというダメ教師は数人いて、そういうのは担任すら持たずに、平然と同じ給料をもらっている。よほどのことがなければ、クビになどできない。生徒は、習っていれば、誰に頼むのが一番いいか、自然に分かってくる。それで、全部自分の所にくる。授業担当外の生徒の面倒を見ることもある。真剣な顔で、遠慮がちに頼みに来るのだから、断れない。さすがに校長の時は、あまり来なかったが、非常勤のおじいちゃん先生は、頼みやすいらしい。昨日も昼休み、授業は持っていないが、講習に来ていた生徒の、面接ノートをちょっとみてやっていた。「面接」練習そのものは、しない、と生徒たちには宣言している。非常勤なのだから、放課後まで働く気はないし、いわゆる面接練習は不要だと思っている。頼む教師を間違えれば、害にすらなりかねない。ただし、面接の準備とは、本当はこういうことだと教えている。余白をたっぷりと取ったQ&Aのノートを作らせる。志望理由が最も重要だが、長くても5行まで、あまり重要度が高くなければ3行で、答えを書かせる。答えは結論から先に。文章と会話では、そこが一番違う。聞かれたことに、端的に答える。その答えに、関連した質問を、余白に書いてやる。「例えば、どういうこと?」など。「いい?自分の答えをいかに暗記して、よどみなく喋るかが、面接ではないからね。じゃなくて、『会話』がちゃんとできるかどうか、ポイントはそこだから。だから、答えたことに対して、また質問されることは普通にあるからね。その用意までしておけば、大分、安心でしょ?」まあ、そんなことを言って、面接ノートを作ることを勧めるのだが、勧めた以上、書いたものを見てやるくらいの「責任」はある。「責任」=reponsibility、とは「呼びかけ」に「応える」ことを原義とする、キリスト教用語だ。神ではなく、生徒からの「依頼」という呼びかけに、自分は、なるべく「応える」努力はする。まあ、そういう「手応え」を直接感じながら、仕事が出来ることは幸福だと思う。
2023.10.20
だいたい、予想通り。1時間で、採点が終了。途中で、ピザとコーヒーの朝食を作って食べたから、実質は45分か。今は、公立は生徒の個人情報を含むものは一切持ち帰れないから、採点も学校で、ということになる。まあ、それが道理だとは思うが、自分の場合、家の静かで集中できる環境でないと、例えば今回出題した、10行で筆者の人間観についてどう思うか論ぜよ、という問題や、「行間を読む」ことが日常的コミュニケーションにおいて、どう働くかがテーマの文章を100字で要約せよ、という問題の採点は困難だ。こういう問題の採点は、集中して、答案全部を通して読み、その時間の中で一気に全部点数をつけることが必要だ。途中で、生徒や同僚に呼ばれたりすると、基準がぶれる。そういうわけで、基本的には対人的職業ではあるが、作問や採点、添削をするには孤独な時間と空間が必要であり、職場にそういう場や時間はない。いや、ないこともないのだが、やはり落ち着かないのだ。さて、採点も終了したし、今日は仕事は昼まで。帰りに弓か麻雀だな。まあ、お気楽な週末が待っている。
2023.10.19
何度、グルグルやったら気が済むのかと思うのだが、この前から、カスケードを「切る」のではなく、「切れる」まで「引く」射に変えた。90秒では、引き直すことは無理。最初に、しっかり付けたところから、アンカリング。引き手は今までよりも、手の甲が顎に付くように。そして、ズレないように「切れる」まで引く。これだとトリガーレスと同じことになる。弓はともかく、ピアノも本番が近く、仕事も今、試験の採点。だいたい、あと1時間はかかかる。それから、お弁当を作り、9時に出勤。昼休みは、小論などで生徒が並ぶ。弓などやってる暇はないのに、帰りがけに寄ろうかなと思う自分は浅はかである。
2023.10.19
一昨日、妻は無事に帰宅。コンサートも、二晩連続で行った居酒屋もよかったとのこと。自分の好物の鯛のあら煮まで食べてきたそうで、うらやましい。昨夜は、久々に妻の料理。とんかつとポテトサラダ。何てことのない料理だが、手間ひまはかける。ポテトサラダの方は、切ったジャガイモを煮て、裏漉しで少しだけ潰す。煮汁は味噌汁のつゆにすると、柔らかい風味が出る。胡瓜、ハム、トマトを加え、バターとマヨネーズで和える。とんかつは、塩胡椒、大蒜で下味をつけ、小麦粉をまぶしたのを、溶き卵に浸し、生パン粉をまぶして揚げる。高い肉ではないが、揚げたては絶品だ。ソースは自分の係で、ウスターソースにトマトケチャップを溶き、黒ごまを振りかけるだけだが、和辛子と一緒にいただく。キャベツの千切りも付け合わせる。今朝は、そのポテトサラダとマルゲリータ。自分の作るのは、冷食に手を加えただけだから、簡単。それでも久しぶりに海鮮にしようと思い、シーフードミックスの海老、イカを解凍して、ピーマン、イタリアンパセリ、そこに二種類のチーズを盛り、トースターに。ちょっと焦げるくらいまで焼くのが好みだ。後は、オレンジを半分。万が一、一人になっても、ピザは作るだろうが、ポテトサラダやとんかつはスーパーで買ってくるだろう。冷食でもありそうだ。最近の冷食は、不味いレストランよりは確実に美味いし安い。それにしても、今どき、主婦の手料理が食べられるのは、幸せというものなのだと思う。とんかつやポテトサラダは子どもの時からのご馳走で、ピザは高校生くらいからの、やはりご馳走だった。そういう時代を生きてきたから、今は何を食べても美味しい。
2023.10.18
今朝は寒かった。室温はともかく、外気温は10℃を下回る一桁。自分の場合は、寒いと、やたらとくしゃみ、鼻水が出る。今朝は、そういう状態だった。まあ、パジャマのまま、朝飯を食べたのもよくないのだが。それで、今季初めてモモシキを履いた。厚手の長袖ポロシャツ。パーカー。それで、どうやら鼻水も止まったから、やはり寒いのだろう。近所の楓はとっくに紅葉している。山では初雪らしい。もう、すっかり冬だ。11月点検をちょっと前倒しして、タイヤ交換もしてもらう予定だ。タイヤの預かり料が3300円から6600円に。いくらなんでも酷い値上げなので、重いし面倒だが車庫に保管することにした。夏冬で13200円は高すぎる。今の車も、次の車検を通してあと2年、つまり後3年だと思う。その時は72歳。仕事もやめているだろうし、軽自動車かな、と思う。それで生活だけなら年金でできても、旅行やいろいろなことをする分は、蓄えを切り崩すことになる。次の車を買うころには、いろいろな意味での活動量も、今のレベルではできないだろう。ピアノは習っているだろうか?コンクールには出られるか?旅行は?フォーク居酒屋は?健康麻雀は?弓は?まあ、すべて健康次第だが、健康だとしても全部を維持するのは、こんな調子で物価が上がれば難しくなりそうだ。その頃は、自分の人生にも冬が来そうだ。
2023.10.17
20-12ではやはり径が細すぎて、連休途中からエウリプスを持ち出してクイバーに4本。使えるのはこの4本だけだが、インドアでは問題ない。一昨日は、276だったが、もう少し、できれば280までは出したい。大体、真ん中を狙って放すことは、できかけている。が、だからといって中るとは限らない。真ん中に拘りすぎると、緩む。昨日は、押し手の力を抜いて、引いて真ん中に、と思った途端に切れた。真ん中10点。カスケードで一番よかった時は、確かこんな感覚だった。押した途端に切れていた。理由はよく分からなかったが、多分押し手の力を抜くと、張りを保つためにはその分引かなければならず、引く過程で自然と親指がずれて、それこそトリガーレスのように切れたのだろう。再現しようとしたが、うまくいかない。だが、押し手を緩め、というよりは力を抜いて、引いて、切れない場合はそこから放しても、結果はそう変わらない。要は、切れたらそれでいいし、切れなくても放せばいい。今日は午前中有休。しっかり掃除して、ピアノ練習、それから昼前に射場でじっくり、という予定だ。12月インドア公認は出ようと思う。
2023.10.17
一昨日は、妻が大阪にコンサートを聴きに行き、こちらも2泊3日の独身休日。この際、遊びまくろうか、と考えた。妻を空港に送り、その足で健康麻雀。それから、弓と考えたが、そうなるとフォーク居酒屋の元気が出そうにない。それで、弓は飛ばした。7時から10時過ぎまで、フォーク居酒屋。伴奏で入ったり、自分が歌ったりと、全部で10曲くらいもやった。こんなのは初めて。帰っても、なかなか寝つけず、12時過ぎ就寝。昨日は、もう疲れてしまい、午前中はマラソンを見ながらダラダラしていた。午後から弓に。60本。つまり2日かけての「全部載せ」。家事の方は、ご飯を作っただけ。一昨日は昼はトースト。夜は鹿児島フェアで買ったさつま揚げと納豆ご飯。昨日は、昼は海鮮焼きそば。帆立の耳の煮付け、味噌汁と買ってきた豚串。『狩の歌』の方は、まあまあ練習できた。昨日は、いろいろなことを早めにやり、夕食前に風呂。9時から5時まで、よく眠ったが、まだ疲れが残っている。まあ、年齢的に遊ぶのも、食べるのも、家事も、仕事も少しずつしかできなくなっている。今朝は、これからピザでも作り、コーヒーとサラダくらいで十分だ。まだ一科目、解答を書かないと。ということは、3日かけての「全部載せ」。だとしたら、いつもの4連休と何も変わらないのか。
2023.10.16
今週はこのニュースでもちきりだったが、自分はおかしな話だと考えている。まず、宗教が信者から、なけなしの金を巻き上げるのは、それこそヨーロッパ中世以来の宗教の伝統的構造である。仏教も、キリスト教も、またその流れを汲む統一教会も、与党の一角を占める政党の基盤の新仏教も、やっていることに大差はない。そして「献金」という行為は、金持ちがポケットからちょっと出す1万円より、貧しい者が明日の糧を犠牲にして出す1万円の方が尊いものだと、その宗教文化内では賞賛される。実際は、宗教ヒエラルキーの上位者は、金持ちに揉み手をして、集金構造を維持するのだが、タテマエは「幸いなるかな、貧しき者」なのだ。中途半端な、金持ちでもなく貧しくもない中産階級の信者たちは、献金額によって、教団内のステータスが上がるので、そこにハマると子どもの教育費でも退職金でも献金してしまう。問題は、そういう行為を「被害」と呼んでいいのか、ということだ。いや、それはマインドコントロール下にあるのだから、詐欺罪と同じだというかもしれないが、マインドコントロールなしで成立している宗教など一つもない。昨日のニュースで、親が献金しすぎて「大学進学も断念せざるを得なかった」という信者二世の「被害者」がしゃべっていた。では、親が会社経営に失敗して「大学進学も断念せざるを得なかった」人は「被害者」なのか。そもそも大学が選ばなければ誰でも入れる時代ではあるが、4年制大学への進学率は、50%台である。そこに行かない、あるいは行けない人間は、同年齢の50%弱はいるのだ。「大学進学も断念せざるを得なかった」と言うのだから、高校進学はしたのだろう。高卒で社会人になることは決して珍しくもない。そもそも親の就学させる義務は、中学校までだ。あるいは「親が信仰を強要した」と言う信者二世もいた。「信仰」に限らず、親は自分の価値観で子どもを育てる。「反抗期」でその価値観に背く生き方を選ぶ人間もいるし、結局はその価値観を内面化していく人間もいる。信者二世の中にも、熱心な信者もいるのではないか。そういうことを考えると、今回の「解散命令請求」は筋が通らない。もちろん自分は統一教会など、おかしな宗教だと思っているが、世の中にはそういう宗教はいくらでもある。しかし、「信教の自由」は憲法が保障する基本的人権の一つであり、最大限尊重されるべきだ。オウムのように、教団が酷い刑事事件を起こしたなら話は別だが、「人生を壊すほどの多額の献金」をさせたからといって、それは信者本人の選択であり、基本的人権の行使である。多くの人は「解散=教会の活動禁止」と思っているが、「解散命令」といっても、実際には「宗教法人格」の剥奪であり、それが認められたとしても、献金などに税金がかかるだけのことである。自分は、これもおかしいと思う。もし、そうであるなら、税金を払ってもいいだけの献金活動をするだろう。本当に統一教会が犯罪的組織だというなら、刑事事件として立件すればいいのだ。しかし、現に、あのオウムですら、公安の監視対象となりながらも、名前を変え、各地に拠点を作っているではないか。多くの宗教法人が無税で集めた多額の献金は、いつのまにか企業や政党の活動資金になっている。自分は、むしろ、宗教法人の免税規定をすべて廃止したらいいと思うのだ。そうなれば、現在ある政党や会社の死活問題となるところもある。だから、誰もそんなことは言い出さない。もう一つ、テレビが言わないことは、そういう「加害者」教会に多くの政治家が擦り寄り、献金を受け、集会で挨拶をし、中にはビデオメッセージまで送っていたという政治の問題である。宗教団体のマンパワーやお金は、間違いなく政治活動の有力な原資であり、そのこと自体が「政教分離」という民主主義の根幹に抵触しているのだが、誰もそういう指摘を蒸し返さない。国民の関心は、「可哀想な」被害者の家族へと誘導され、そもそもの発端、すなわち元首相が教会にべったりで、その姿を見た信者二世の青年が、首相は教団の中で重要な地位にあると勘違いし、暗殺を企て、遂行したという事実には、二度と向かわないだろう。この社会で起こる事件は、多くの場合、それがいつ起き、どのタイミングで発表され、その発表がどういう効果を与えるかまでを、周到に計画した上で、「起こる」のだ。マスメディア、特にテレビがある週に集中的に伝え続けている事件については、自分はそういう目で見ている。
2023.10.14
最近、広告やメニューで時々見るのが、「全部載せ」という表現。これは、ご飯の上に、その店のトッピングメニューの全種類を載せて出すプレートのことで、海老フライ、チキンカツ、ゆで卵、野菜等々、様々なものが無秩序に載せられている。とても、注文する気にはなれないが、若い人には贅沢なのだろう。今日は、密かに、「全部載せ」の一日を目論んでいる。まず、これからちょっと長い駄文を綴り、妻を空港に送る前に、ピアノ。もちろん、エリーゼ全国に向けて『狩の歌』の練習。それから、仕事がちょっと残っている。さらに、妻を送った足で、そのまま健康麻雀に。2時間はできる。その帰りに射場。夕食は海鮮焼きそばを作って食べて、それからフォーク居酒屋に。これで、仕事や家事を含めて、自分が楽しいと思えることを全部したことになるのだが、多分、無理だろう。どこか途中で疲れてしまうかな。
2023.10.14
元々、『狩の歌』は速い6/8拍子である。1音ずつだと♪=210くらいだ。だから、メトロノームでは錘を一番下までくっつけて弾く。この速さだと、かえって曲想は出やすいのだが、問題は音を外すこと。どうにか最後まで弾き通せるのだが、どこかしら外す、躓く。これが、あと2週間で解消できるかどうかだ。もちろん外したり、躓いたりすれば、その都度、メトロノームを止めて、速度を緩め確認していく。まだまだ、ただの作業、という段階だ。
2023.10.14
昨日の練習は275-275=550。最近はよくても275止まり。試合を含めて、もう4回目くらいだ。結論としては「矢筋は追うな」と言われても、さすがにインドアでは、速すぎて「追えない」。そもそも20-12はかなり速いのだ。しかも、インドア射場は暗いので、大体しか中ったところは分からない。だから、矢筋を追うことがフォームがおかしくなる原因ではなかった。1回目は、8点が1本だけで、これはまずまずだったが、2回目は8点2本、7点まで出た。ということは10点は9本である。しかし、1回目の方が、射の総体は明らかにいい。今回は60射を休まず連続したので、2回目は疲れた。時間も限られていたので、ちょっと急いだ。そういうところに原因があるのかもしれない。今のところは、1回目(オール55点)のような9点からは外さない射を目指し、時々2回目のように58とか57が出ればOKという感じだ。
2023.10.14
妻は、明日から大阪のコンサートに。若い才能を聴いてくる。藤田真央、というピアニストだ。自分は、その世代では角野隼人がいい。ということで、土曜日に出発し、月曜に帰ってくる。こういうコンサートでも、今度のエリーゼコンクールでも、あるいは弓の遠征でも、いつもできるだけ安い航空チケットや、安いホテルを利用するのだが、それでも出かければそれなりにお金はかかる。せっかく行くのだから、美味しいものを食べたい。地元で評判の店を教えてもらい出かける。もちろん限度はあるが、それも贅沢な話だ。まあ、弓の遠征は、前日集まりがあれば出るし、なければコンビニですますことも多いのだが・・・しかし、楽しめる気力と体力のあるうちは、お互いセーブせずにやりたいことをやろう、というのが夫婦の暗黙の了解である。さて、自分はどう過ごそうか。土曜日妻を送った足で健康麻雀に行こうか。それとも夜にフォーク居酒屋で、ゆっくり過ごそうかと考えている。あるいは、その両方も不可能ではない。特にフォーク居酒屋は、またちょっと足が遠のいてしまい、なかなか行けない。車で行く。行って飲んで帰ると、タクシーになってしまうし、弾いて歌うのが目的なので、酒はいらない。楽しむために、ケチるところはケチる。弓は日曜にじっくり射ちたい。後は、掃除もじっくりと。食事は、何か適当に作ればいい。よく、妻に私が先にいってもパパは大丈夫だね、と言われるが、できることならそうはなりたくはない。だが、仮にそうなっても、家事がまったくできないということにはならないだろう。来週は3年の試験なので、授業は火・水の授業は3時間だけ。木も3時間。通常の半分だが、採点は4時間くらいはかかるから、そう変わらない。今年度で終わりということも考えたが、仕事はもはや自分のアイデンティティの重要な要素なので、できる限り続けたい。それは、すべてがそうで、弓も、ピアノも、である。だから、一つ欠けても、補いはつくのだが、一番うまくできるのが教えることなのだから、できればそれは続けたいのだ。さて、これから試験の解答を、あと二つ書かないといけない。何か手違いがあっても、修正可能な前週のうちにしておくのが、最低限の仕事の流儀である。
2023.10.13
実質的に、弓を誰に教えてもらったのかというと、高校では誰にも。強いていえば、誘ってくれたF君かもしれないが、友人同士でお気軽に遊んでいたというのが実情に近い。それでインターハイまで行けたのは幸運というほかない。再開してからは、今度はいろんな人に教えられすぎて、混乱した。ただ、その当時の理事長で、協会の創設の時からの方から「矢筋を追うな!」ということは、何度も指摘された。「矢筋を追う」とは、放った矢の行方を追うことである。30mだと、どこに中ったかは、肉眼ですぐ見える。矢が刺さるまで、ずっと見ていることになる。50m以上だと、自分の視力ではよく見えないが、スコープを覗けば分かる。最初は、どうして「矢筋を追う」ことがダメなのか、まったく分からなかった。自分の考えでは、放たれた矢はその瞬間にどこに着弾するかは決まっている。それを確認しようがしまいが、同じではないかと思っていた。しかし、昨日、朝の慌ただしい時に、三階で12本だけ射った時、少し分かった。5mだが、矢が畳に貼った直径1cmのドットの2cmくらい上に刺さるのが、よく狙えた証拠である。ドット自体に中るようにサイトを調節したら、ドットが何枚あっても足りない。どこに中ったか、5m先でもよく見えない。それでついつい矢筋を追う。師匠の教えを思いだし、矢筋を追うのを止めた。どう止めたかというと、リリースの瞬間、目をつぶるのである。そうすれば、絶対追えない。それで何が変わったか。まず、押し手がきれいに残るようになった。だから弓がくるりときれいに回る。また、弓が射の瞬間、飛び出す。そして何よりも、ドットの上2cmのところに全部中っている。なぜ、そうなるか。続きは明日。今日も、仕事が朝に結構ある。
2023.10.12
最初の目覚めは2:20。それからトイレ。昨夜、リンゴとぶどうを食べたからか。しょうがないから、また海外ドラマを見ながら寝た。もはや、海外ドラマは就眠儀式の道具だ。二度目だから、余計そうなる。最初だと面白すぎて、つい見てしまう可能性もないではないが、二度目は目を閉じて台詞だけを聴いている。ああ、大体わかるなぁ、と思ったあたりで眠る。次に、何度か目が覚めたりはしたのだが、最終的には5時半。今、いつものマルゲリータとコーヒーの朝食で6:05。こうなると、余裕はない。前から考えていた「演技人」論(人間の本質を「演技」と考える人間論)を書く時間は既にない。小論文等の課題や、漢字テストの採点などで手一杯だ。弁当作りもある、昨日の海鮮焼き弁当は、妻にも大絶賛されたが、そのレシピを書く余裕もない。にもかかわらず、ここで何かの駄文を綴り、2杯目のコーヒーを飲み、ゆったりと一服する時間は、必要なのだから、困ったもんだ。さて、朝の準備だ。一日が始まる。
2023.10.11
毎度の4連休、別に「総括」といほどのこともないのだが、いろいろ視点で徒然に。【ピアノ】昨日、エリーゼから連絡が来て、自分は初日の6:08からの出番。4日の出場者が多すぎて、変更希望のおしらせに応じたら、妻と同じ日になった。妻は確か13:15なので、一日その周辺をうろつくことになりそうだ。見てみると、北海道予選を通ったメンバーの半分くらいが出ている。残り半分は、予定がつかないのか、それとも、まあ、東京だと最低2泊3日、結構お金もかかるしということなのか。練習の方は、段々よくなってきている。昨晩、酔ってから一度弾いたが、綺麗に通せた。ついでに歌ったが、半音くらいキーが上がっている。これもいい兆候だ。【弓】土日月と3日間連続でインドア射場。昨日は初めて赤なしの275が出た。とにかく、赤に出さないことを目指したので、日曜の8点7点が出た277よりも達成感がある。ただ、その後いろいろやってみたが、赤も結構出て、安定にはまだ程遠い。今日は、完全休養。【健康麻雀】土曜に久々に行って、4位、1位。天鳳を含め、少し調子は上がってきている。自分の最短聴牌は作れるので、その分、河を見る余裕ができる。3週連続で行って1位4回、2位2回、4位1回はまずまずだ。【フォーク居酒屋】今週土曜に行こうかと思っている。【その他】冬支度をした。今週は妻が藤田真央のコンサート、大阪。土曜からの2泊3日。送迎。【仕事】連休中は、ほとんどしていない。小論文など二人分。講習の予習。テストの解答作成の一部くらい。今日からまた3連勤。来週は試験で有休を取っているが、今週はフルタイム。試験前だから、生徒もこちらも真剣だ。まあ、働いているんで、何とか余裕を持って暮らしていけるのだから、がんばりましょうかね。
2023.10.10
何だか「弾く」を「引く」に変えれば、弓と同じようなことだが、こちらはピアノ。エリーゼの本部から連絡が来て、4日だったのを3日にずらしてくれないかと。それなら妻と一緒になるので、すぐに応じた。特典はすべての日程のレセプションが無料参加できることと来年の地区予選が1万円割引になる。よかった。自分は3日、4日の両方のレセプションに行くつもり。4日は、結果発表だ。目指すのは、上位20%の金賞。『狩の歌』はノーミスで通すまであと一息。どこかで、ちょっと音を外すか、連打の入りが遅れる。大体、5箇所くらいなので、そこをゆっくり弾く部分練習をやりながら、1回の練習で4,5回は通す。曲想は、自分の解釈でつける。ロマン派らしく、『狩の歌』というタイトルに相応しく、狩人たちを集めるラッパの音、獣道を警戒しながら歩く場面、獲物を引き下げて意気揚々と帰る場面などをイメージしやすい曲の構成なのだが、自分はそういうこととは違うだろう、と思っている。曲想は、例えば『雨だれ』の音とか、『月の光』の優しさとかを象徴する演奏を目指すのではない。それは聴き手側の話だ。演奏者としては、あくまでも聴くのは「音」だけだ。「音」の流れの勢い、バランス、強弱・・・それだけを聴きながら、できる限り美しく、力強く、優しく演奏するだけである。音楽は非造形芸術であり、今弾いた音は、次の新たな音のために即座に消え失せていく。それを、ある言語化できるイメージによって固定化し、「永遠の形」として残そうとするのは、間違っていると思う。「歌」なら言語を伴うからそれでいいのだが、楽器だけの演奏はそうではないと思う。などといっぱしの芸術論を書くくらいなら、もうちょっとはマシな演奏をしろ、という話だ。ノーミスで通す、というのはコンクールの最低条件だ。
2023.10.09
4連休は、インドア射場にもう土日と2回行った。我が家から、車で5分。昨日は60射。277-273=550。3本射ちで、5回射って休む。その5回を+2(平均9点の135から)というふうに覚えておけば、30射の合計はすぐ分かる。全体で7点2回、8点2回。これでは280は出ない。前半、後半で1回ずつ出している。外すときは、やはり10点を欲しがってフォームを崩す。エイミングが不十分なのを押し手の最後の動きで何とかしようとしている。たまたま上手くいって、それをやり出すと、どんどん狙えなくなる。今はカスケードなので射つのは速い。だから、90秒で1回は引き戻せる。ダメだな、と思ったらやり直せばいい。だが、まずセットアップ段階から、エイミングを意識すると、さほどズレない。アンカリングの前に一度きっちり狙う。最後のエイミングは、引き手で調整し、そのまま引きながら放す。こんな簡単なことが、いつまでたっても出来ない。今は、1本でも赤を出すくらいなら、全部9点の270の方がはるかにいいと思っている。当面の目標は、きちんと狙って、間違っても赤を出さないことだ。
2023.10.09
今日は、祝日だそうで、世間でも3連休だった。自分は、金~月、毎週4連休なのだが、何だか損したように思うのは、ケチな根性である。先週から、完全に夏は終わったようで、我が家では冬支度が始まっている。まず、庭のインゲン、ミニトマト、キュウリは妻が全部始末してくれた。今年は草抜きも随分頑張って、人を頼むことがなかった。先週、夏の間にクリーニングに出していた緞通を取りに行き、居間に敷いた。随分、綺麗に仕上がっていた。多分、担当が変わったのだろう。4畳ほどの大きさで、ヤフオクで手に入れた中古品。少しシミがあったのだが、ほとんど目立たなくなっている。新品なら百万はするという代物だから、大事に使いたい。分厚く、重い。クリーニング屋に運ぶのも、持ってくるのも一苦労である。今の車の室内長よりちょっと短いくらいだから、運転席と助手席の間まで巻いた緞通が通り、その下からオートマの操作をする。まあ、PからDレンジにするくらいだから、何ということもないが、マニュアルならギヤチェンジできない。一昨日は、押し入れにしまいこんでいたトイレのパネル暖房と、玄関のファンヒーターを出した。両方、無事に稼働することを確かめた。玄関のファンヒーターは、今朝も点けた。玄関とその向こうのピアノの部屋を暖めている。そのピアノの部屋のFFストーブと1階居間のFF、2階居間の煙突のある石油ストーブは、朝晩はもう稼働している。ホームタンクは毎年、残量にかかわらず月2回の給油を頼んでいる。昨日は、風呂の脱衣所に置く、セラミックファンヒーターをホームセンターで買ってきた。小さいから大丈夫かなと思ったが、「速暖」というコピーがあったので、それにした。昨日、試したが何だか心許ない。まあ、少し長く稼働させておけばいいだろう。今日は、夏物衣類を押し入れの茶箱にしまい、秋冬物を引っぱり出す。これで、我が家の冬支度はほぼ完了。来月、エリーゼから帰ってから、車の定期点検時にスタッドレスに交換してもらう。暑すぎる夏だったが、終わってみると何だか寂しい。
2023.10.09
昨夜、BS3で「角野隼人・ニューヨークを行く」という「街角ピアノ」の特番を見た。角野は21年のショパンコンクールでセミファイナルまで行った。反田恭平が2位という成績で、クラシックピアノブームを巻き起こしたコンクールだった。だが、その時から、自分が惹きつけられたのは角野だった。札幌のコンサートにも出かけた。ジャズピアノも相当上手い。ユーチューブで1000万のピアノの上に1万円のおもちゃのピアノを置いて、それで右手のメロディラインを取ったりする。船の上で弾いた『人生のメリーゴーランド』を見て、その練習を始めた。東大大学院出身。その時点で、演奏家を志したのだから、最初からピアニストを目指した反田らとは違う異色の存在だ。あちこちで弾いていたが、印象に残ったのは地元のストリートミュージシャンとの共演。初めての曲をユーチューブで一度聴いただけで、凄い伴奏をする。最後の『ラ・カンパネラ』も凄かった。オーケストラの曲を、自身の編曲でピアノ一台で弾く。見事な演奏だった。録画していたのだが、ついつい引き込まれ、最後まで見てしまった。また、繰り返して見るだろう。若い、本物の才能を見るのは楽しい。5年先までスケジュールはびっしりという。が、高いチケットでもいいから、またコンサートに行きたい。【練習日誌】ピアノ編そんな凄い才能を見ると、練習にも熱が入る。今日は、『狩の歌』の曲想をどう作るかが課題。午前中にたっぷり弾きたい。例によって、昨夜、角野を見た後、ちょっとピアノで歌ったが、もうかなりいつもとは違うピアノになっていた。どう頑張っても、あんな凄いアドリブはできないが、それでも影響は受けるのだ。
2023.10.08
昨日は、健康麻雀の帰りに久々にインドア実射。健康麻雀の方は、これも珍しくラスを引き、4位、1位で終了。ラスは、基本的に降りない雀婆が一人入っていて、これがバカづきだった。2回目は、この雀婆が4位。3回目の途中、ほぼ原点で終了。まあ、そういう日もあるか、という感じ。冷えピタが同卓だったが、このところ冴えない。自分と同卓で、1位を取ったことが最近はないような気がする。安い手で強引な勝負にいく局面が多い。あれだと、上がっても点棒はそう増えず、放銃すると点棒はどんどんなくなる。さて、弓の方だが、まず18m30射をやってみた。3本射ちで、前半、後半15本ずつ。もう30射通すのはきつい。前半は、+1、8点ゼロ。10点には恵まれなかったが、これでいい。20-12はリカーブ10とコンパウンド10の間に入ることが多い。たいてい10点にかかっていない。23の矢なら、ほとんど10点だ。今度エウリピスを試してみよう。後半がよくない。+3だが、10点5本、8点2本。段々、狙えなくなってきて、バランスを崩した射が増え、それがたまたま10点、たまたま8点という感じだ。やはり、集中力が続かない。その後、何回か練習して、再びしっかりエイミングできるようになったところで終了。計50射くらい。ただ、何とか280点を目指すことが可能なところに戻ってきたように思える。昨日書いた3階でのドットを狙う練習が、効果的だった。今日も、3時くらいから2時間の予定。
2023.10.08
このところ、三階での近射が、弓の練習の中心になっている。それでも、12月に1度だけ、公認の遠征には出ようかな、と思う。試合以外にも、ちょっとお願いしてきたいこともあるのだ。さて、三階は5mくらいのところから射つので、本当の意味での近射ではない。的の上に、100均で買った直径1cmのドットを貼り、そこを狙う。18mのサイトのままなので、そのちょっと上に矢は中る。まずは、エイミングでそこにつけられるかどうか。狙うと、レンズサイトのドットがちょうど的上のドットを隠すくらいになる。その後、引いて放す。押し手を残す。感覚的には、18mのミニ版である。6本射ち。最近、緩む射はなくなってきつつある。引き手が後ろに飛ぶ感覚は希薄だが、たまにある。
2023.10.07
「個人」が生まれてくるのは、「家庭」の中である、という当然の前提が、揺らいできていることは、自分が少し関わりを持つ2歳までの乳児を預かる福祉施設をみると実感できる。親の育児放棄等、さまざまな理由で赤ちゃんがここで育てられる。少子化、高齢化が進む地方都市の中で、その数はむしろ微増している。しかし、ここで育つ赤ちゃんは、そこに至る前の壊れかけた家庭で育つよりは、ひょっとしたらまだ幸福なのかもしれない。そう思わされるような酷い虐待事件が時々ニュースになるからだ。そして、そういう壊れかけた家庭のほとんどは「世間」という緩衝地帯にはいない。直接、社会に晒されている。「壊れかけた」と書いたが、正確ではないかもしれない。以前にきちんとしていた家庭としての姿があったわけでもないからだ。むしろ、いわゆる「アンダーグランド」と呼ばれる新たな下層が形成する家庭は、末成りの植物のような脆さ、危うさからスタートしている。なぜ、そんなことになっているのか。我々が「世間」を失ってしまったからだ。「家庭」を支える地縁・血縁共同体は消滅しかかっている。仮にそういうものの残滓があったとしても、強欲資本主義が招く差別と分断の社会の前では、無力だろう。仕事を世話してくれるお節介な叔父さんもいないし、親や兄弟姉妹ですら、自分たちの生活を守るのに精一杯で、末成りの家庭に肥料を与えることはできないのだ。かくして、日本の「個人」は、木田元が言う「原子状」の姿で、社会の中に定位されることになる。今や、「個人」は自分の大きさから見れば、巨大すぎるグローバルな社会を漂う運命にある。もちろん彼の命を繋ぐのは、「金」しかない。人ひとり生きていくだけの「金」があり、稼げれば、とりあえずヒトとして生きていける。が、そのための仕事が、マニュアル通りであることがずべてのバイトだったり、自分の感情を絶えず偽って接客しなければならない「感情労働」であったりするので、彼らは「職場」という世間に身を置くこともできない。だから彼らはヒトとして生きても、「人間」として生きられない。そういう彼らが、「社会」に自らを投企するやり方はいろいろある。SNSの中で「いいね」を獲得することで承認欲求を得ようとする行動、ネトウヨに代表される極端な政治的主張の発信、悲惨な事故に心を痛め、その現場に出向き花を供え、涙する行動、災害が起きればボランティアとして現地に出向いたり、寄付したりして、人と人との「絆」を確認する行動など、それらはみな、「社会」と直接、「緩衝地帯」なしに接続しようとする「個人」の「生き方」だ。だから、それらを否定するつもりは毛頭ない。だが、彼らの多くは、もし、時には言い争ったりしながらともに生きる家族や、冗談を言い合って暇を潰す友人や、ちょっとした言葉を交わす近所の知人がいれば、つまり、自分にとってのかりそめではあっても「世間」があれば、事情は大きく違うのではないだろうか。『柔らかい個人主義の誕生』で山崎正和が書いたことを、今、そういう文脈で読み直すことは可能だろう。多少ともバブルの時代風潮の中で書かれたこの本は、日本的「個」のあり方を、強い「絆」ではなく、その場限りか、長くても数年だけ続く「薄い人間関係」の中に定位しようとしたものだ。そうやって「社会」と直接対峙することを避け、自分の居場所を見つけていく「柔らかい個人主義」。それが、昔から「個人主義者」として生きてきた自分に可能な生き方なのだと思う。
2023.10.07
これも立派な「睡眠障害」の一種と思うのだが、昨夜は9時台就寝、起きたのは2時台、その後も眠れず、DVDを見ながら4時過ぎにベッドを離れた。ゆっくり朝食をと思い、昨夜のコロッケ(妻が、男爵で大量に作った)、キャベツの千切り、トマト、枝豆、生食パンのバム、スープ、珈琲。昼食は、出勤日は単品の弁当だし(今週は焼き肉弁当、サンドイッチ、魚介の塩パスタ)、家にいても、うどんとか、そんなものだが、自分の朝食は、量はともかく品数は多い。それを食べて、珈琲を飲みながら、昨日書く気力がなくなった記事を仕上げた。これは、もう一回続く予定。まあ、朝は暇なので、明日にでも。アクセス数も、ここ2日間は200ちょっとと落ち着いた。よかった。昨日読まれた記事は、幸福感=HAPPINES と 幸福=WELL-BEING (1)、幸福感=HAPPINESS と 幸福=WELL-BEING (2)、HAPPINESS(幸福感) と WELL-BEING(幸福)(3)いずれも6月に書いた「哲学論考」カテゴリーの記事だが、(3)でタイトルが変わってしまっているのが、自分らしい、いい加減さだ。やっと仕事も一段落して、この連休は通常の予習くらい。1本くらい小論文があったかもしれない。病院も、今日インフルの予防接種に行くだけ。ちょっとグダグダしたいので、明日は健康麻雀もオヤスミ。弓は土日に少し。ピアノはしっかり。まあ、そんなところである。
2023.10.06
今、3年現代文で教えている最後の教科書教材が『世間とは何か』(阿部謹也)である。もう20年くらい前のベストセラーなのだが、冒頭、我々は文章用語としての「社会」は使うが、会話の中では依然として「世間」と言い、欧米流の「個人」を出発点とするような意味での「社会」を持っていない、というようなことが書いてある。大いに疑わしいので、生徒に聞いてみた。「おまえら、言う?『世間』って。」。挙手で聞いてみても、「世間」はゼロ。全員が「社会」。考えてみると、自分たちの世代でも「世間」などとはあまり言わない。その上の世代なら、言うだろう。阿部謹也は、「西欧対日本」という古い文化論の限界の中にいる。その点では、その10年以上前に出版された山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』の方が、よほど新しい。山崎は、特異な日本の「社会」の中で、成立し得る「個人主義」を模索したのだ。それに対して、阿部は日本には欧米流の「個人」はない、と断定する。話を戻そう。「世間」と言わなくなったとしても、生徒に「社会」という意識はない。「個人が作る社会」という意識は、結局、日本では育たなかった。「ところでさ、おまえら、18歳になったら投票行く?」ぱらぱらと3,4人が手を挙げた。生徒の「世間」は、チャットグループだったり、教室だったり、部活だったり、血縁ではないが、たまたま学校という制度の中で出会った友人たちと形成されている。そこでは、阿部が言ったとおり、その中のルールを守っていれば、そこから排除されず、居場所を得られるが、誰かの気まぐれで、総スカンを食らい、排除されることもある。それこそ「世間」で、「いじめ」と呼ぶ現象は、ほとんどがそういう人間関係の破綻から起こる。これを何とかしようと文科省は懸命だが、あまり見込みはない。なぜなら、偶発的に発生した「世間」は、時が経てば消失する、流動的な存在だからだ。その中で起こる「排除」を古いコミュニティとして、日本人の生活の枠であった「世間」を復活させることで、解決しようというのは、酷いアナクロニズムだ。卒業すれば、ほとんどの場合、学校で形成された「世間」はなくなり、大学や職場という新たな「世間」に代替される。だから、「前の世間」での人間関係はリセットされると言っていい。「年功序列」、「終身雇用」という日本型雇用のスタイルも壊れかけているから、「職場」という長年日本人の行動の枠組みであった「世間」も急速に消失しつつある。思えば、若い人が職場の飲み会に来なくなったあたりにそれは始まり、非正規雇用の増加、キャリアアップした上での「転職」ブームという現在の状況では、今や、優秀な学生からは見向きもされなくなりつつある「役人」の「世間」くらいにしか、「職場=世間」は残っていないのではないか。おそらく十年後までに、能力のない会社員を守っていた日本の強い解雇規制は、改正される。そうなると、ますます会社は個人の競争の場となり、その掟を守っていれば個人に何らかの居場所、それが「窓際族」という名の居場所であっても与えてくれる「世間」としての会社は消失する。だから、阿部が指摘した、個人に先立って存在し、個人を守ってくれる「世間」など、もうとっくになくなっているのが現代日本社会の本当の姿だ。そして、皮肉なことに、そういう意味とは少し違う「世間」はむしろヨーロッパやイスラム圏では依然として残っているのだ。仕事帰りに必ず立ち寄るパブで、馴染みの客同士がちょっとだけ話をする。教会のミサ後の、茶話会。それは「社会」ではなく「共同体」だ。それは「個人」と「社会」のメディア(仲介)としての「世間」である。もちろん、そういう意味では「家庭」も同じ役割を果たしている。しかし、離婚率の上昇による「シングル」と呼ばれる家庭の増加、育児のアウトソーシング化、少子化、非婚化など、もはや「家庭」も、「個人」と「社会」の間で両者を繋ぐ役割が果たせていないケースが多くなっている。さて、その中で「社会を我々が作る」という意思と矜持を持たない日本の「個人」はどう生きていくのか。(この項、続く)
2023.10.06
水曜日は4時間+講習で、疲れのピーク。昨夜は、ピアノをちょっと弾き、天鳳で一度打っただけで9時台の入眠。目が覚めたのは2時。さすがに起きてもやることがないから、海外ドラマを見て、もう一度眠ろうとしたが、ダメだった。朝食は、スライスチーズを挟んで焼いたトースト、ハム、サラミ、カリフラワーのカレー粉炒め半分、枝豆、珈琲。その前に、「世間」の変質と消失についての評論を書こうとしたが、無理だった。アタマが働かない。さすがに寝不足。今日の予習は不要だし、持ち帰りの小論文もない。昨日の空き時間で添削し、講習後に指導した。さて、朝食も済んだし、ちょっと片付けて、また寝よう。
2023.10.05
もう、おさまったかな、と思ったアクセス数。昨日は650くらい。読まれた記事のランキング3位に、1845~~日々雑感 というのがあった。何なのだろう?と自分でも分からない。1845年、幕末の事件か何かの年号?という感じなのだが、今の車の車幅が、それまでの車と比べて、やたら広い、という話だった。書いたのは2019年。「75歳まで、乗るとして、もう一台買うかな」などと書いている。自分でも忘れているどうでもいい記事を、なぜ8回も読むのか。訳が分からない。さて、今朝は生徒に課した課題の模範解答。古典文法の助動詞で躓くことが多い「反実仮想の『まし』」というのがあるが、これは英語なら仮定法過去、ドイツ語なら接続法Ⅱ式と呼ばれる、事実に反する仮定をする言語の法則だ。思ひつつ 寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを(小野小町)(恋しく思い続けて寝たから、今朝の夢にあなたが出てきたのでしょうか、夢の中でこれは夢だと知っていたら、私、目を覚まさなかったのに・・・・)有名な古歌。反実仮想「まし」を教える時は、必ずこの歌を引く。「知りせば」の「せ」は過去の助動詞「き」の未然形だが、この使い方でしか現れない。英語の仮定法過去との、連関が分かりやすい。そもそも、「事実に反する仮定」を我々はどういうときにするかと言えば、現前の「事実」が受け入れられず苦しいときだろう。それは、過去のある判断や行為への「後悔」であり、もはや取り返しがつかない過去への「未練」でもあり得る。「あのとき、あんなバカなことしなくて、ホント助かったね」という「反実仮想」もあるのだろうが、そういうことはまれだ。以下、課題への解答。400字という制限があるので、元の文章がないと難解かもしれない。「事実に反する思い」は、分節化された言語、分節化された世界、論理空間の三者が厳密に同時に成立することによって可能となる。 我々が言語を習得することは、世界を分節化して認識することである。我々は連続した世界の中で、例えば「空」という言葉によって「空」を、他の空間、「山」などとは別のものとして認識する。世界は「空」とその他の部分に分節化される。さらに、空が「青い」という言語を習得すれば、空は「青い」という在り方として、他の在り方、「白い」などから「分節化」されたものとなる。 この時、同時に「空」ではなく別の言語に組み替えること、例えば『「山」が青い』と組み替えることは可能で、そうすると実際は「白い」という在り方をしている(冬の)「山」という、眼前の「事実とは違う可能性の空間」、すなわち「論理空間」が開かれるのだ。 以上のようにして、「事実に反する思い」は可能となる。400字詰め原稿用紙では、これでびっしりだ。原文は『猫は後悔するか』(小浜逸郎)で、10ページくらいの分量。これを理解しまとめるのは相当な読解力と文章力が必要だが、今年の生徒は大半がAの評価。A+の満点評価も3,4人いた。言葉があるからこそ、我々は事実に反する仮定をなし得る。この大量の駄文の中で、自分はどれくらい「反実仮想」をしているか、分からないが、多分、非常に少ないように思う。原文の結論は「かくして、猫は、人間以外の動物は後悔しない、いや、できない」というものだが、自分もあまり「後悔」の念にとらわれるようなことがないのは、それはそれで「幸せ」というものなのだろうか。しあわせだとは言わないが不幸ぶるのは柄じゃない君の欲しいものは何ですかボクの欲しかったものは何ですか(吉田拓郎 『流星』より)
2023.10.04
・・・などという大袈裟な話ではない。自分が、ほぼ毎朝食べているピザの作り方を、書いておこうかと思っただけの話だ。材料は、まず市販の冷蔵ピザ。安いもので十分。それでも最近値上がりして、1枚300円台が多い。今朝使ったのは日本ハムのマルゲリータ。これは、シンプルで使いやすい。切れ目はは入っていないので、最初に使う時点で、包丁で6等分しておく。その1枚が自分の適量だ。週1回、サンドイッチを弁当で作るときには、朝もサンドイッチにするから、ピザ1枚で1週間のペースになる。もちろん、そのままオーブントースターで焼くことも可能だが、というよりは大体皆そうやって食べるのだろうが、それじゃ全然美味しくもなんともない。ミニトマト2個。半分か1/4に切って載せる。後は何か緑のもの。今朝は庭で採れたインゲンを小さく切ったのと、これも庭のイタリアンパセリ。そんなのを載せながら、湯を沸かし、珈琲をドリップする。珈琲も随分上がったが、それでも240gで300円台のが時々出る。それで十分。豆はモカかキリマンジェロがいい。何よりも珈琲は淹れ立てが美味しい。高い豆でサイフォンを使って淹れてからアルコールランプで冷めないようにして、30分も放置したのと、今淹れた安い珈琲となら、迷わず後者を飲む。マルゲリータだから、魚介類が基本だ。冷凍のミックスで十分。しかし、大体は解凍が面倒なのでサラミ、今日はウィンナーも少し。1/6枚だから薄く4枚も切れば十分。一番小さなサラミでも2週間はもつ。珈琲に時々お湯を。料理をしたり、片付けしたりしながらの方が、美味しく淹れられる。ドリップだとたいてい熱すぎるし、時間を置かなすぎる。粉が最初のお湯で膨らむのを待てないのだ。だが、何か途中ですると、十分時間を取れる。最後に、切ってあるナチュラルチーズを載せる。大体スーパーで一番安いのを買う。3週間くらいもつ。具材の上にたっぷりと載せるのがコツ。でないと、サラミが焦げて黒くなる。インゲンはもちろん茹でたのを使う。ピーマンならごく薄くしておく。それで最初からアルミ箔の上で作業するので、そのままオーブントースターに。自分の好みは、載せたチーズが焦げ始めるあたりなので、そこでやめて、赤のタバスコを5,6滴かけ、淹れ立ての珈琲でいただく。気分によってはレタス、キュウリ、トマトなどのサラダを添える。レシピなので、値段も書いておくと、ピザ1/6枚でまあ、安く買えれば50円。その他は10円もしないだろう。つまり、60円で、自分ではかなり贅沢な朝食がいただける。何しろ、年金生活。そうそう贅沢はできない。だが、贅沢な気分は味わえる。自分たちの世代は、パン食が普及した時に子ども時代を過ごしている。珈琲、ピザ、パスタなどは、大体中学生以降に初めて口にして、こういうものが毎日食べられる生活を夢見た。たった60円で、今、そうなっている。
2023.10.03
昨日の余波と思うが、今朝も360アクセス。もう驚きもしないが、おかしな事態であるにには違いない。まあ、昨日、書きかけた記事を少し手を入れて。北海道の最低賃金は900円台だが、実質的にパート・アルバイトの時給は1004円だという記事が朝刊にあった。飲食など人材不足のところでは1500円だという。自分も、今は非常勤講師のしがない賃金だが、学生時代のアルバイトを含め、時給で働いた経験はいくつかある。学生時代、家庭教師は、月1万円。1回あたり2時間2500円というのが相場だった。まだ大学生が少なく、子どもの多かった時代だし、進学熱もあったから、今の学生たちよりよほどいい。家庭教師は、その家の経済力で、いくらでも、という感じだった。友人は月3万も稼いでいた。塾でもバイトしたが、こちらは時給2000円だったと思う。今の学生は、家庭教師などの需要自体が少ない。あってもいろいろな斡旋会社があり、かなり上前をはねるので、せいぜい時給1500円程度。プロ家庭教師紹介などというものまであり、これは大学受験に特化していることが多いが、それでもせいぜい時給4000円くらいまでだ。予備校講師も似たようなものだ。勤めてからも、家庭教師や予備校での副業はしたし、模擬試験問題の作問までやった。そのおかげで、大分助かった。時給換算はしたこともないが、勤務先の進学講習まで手当がつき一番いいときで5000円、ただし90分。90人くらい集まって、大教室でマイクを使ったこともある。今のような小冊子編集までしてくれる便利な印刷機はなかったから、汗水垂らして、講習教材を会議室に並べ、ぐるぐる回って作った。勤務先ですら、それだけの手当だから、副業の方は時給5000円以上、高いと1万だった。立場も変わり、そして時代も変わって、10年前からは、副業もゼロ。今や、年金と非常勤の給与と利率の確定している外貨立ての生命保険の配当だけが、いわゆるフローの部分だ。そうそう、銀行からの通知で今年の配当は21万と少し。やはり円安でちょっとは実質利率が上がったことになる。最近、85歳まで入れる死亡保障100万というのをCMで流しているが、あれは掛け捨て。この調子だと5年でその額になる。しかもこちらは元本は豪ドルでは割れることはない。今でも、割のいい家庭教師を頼まれそうなものだが、仮にそうなっても夜に働く気力も体力もない。新聞を読んで、自分が今やっている非常勤の時給っていくらなのか計算、と思ったら、するまでもなく、契約書に1時間3280円と書いている。しかし、これは厳密には50分の金額だから、60分あたりだと3900円ちょっと。まあ、悪くはない。しかし、授業外の仕事がやたらに多いから、実質的にはその半分2000円程度だろう。と、考えると学生時代とあまり変わりもしない。「失われた30年」と言われるのも道理である。
2023.10.03
ピアノの先生が伴奏するというので、市内の男声合唱団のコンサートに昨日行ってきた。こういう時、妻はだいたい虫干し代わりに着物を着る。招待券だったので、ちょっとした差し入れを持っていった。ニューミュージック、宮沢賢治の詩に曲を付けたもの、映画音楽など多彩な構成で、結構楽しめた。伴奏は、やっぱり、当然だが、上手い。といっても大半は、昼寝をしていたのだから、ダメな聴衆である。鹿児島の孫の「みてね」が入っていて、運動会。去年まではダメだったが、今年は徒競走を完走できた。まあ、何とか成長するものだ。一番上の孫は、泣いて逆走したが、今は体力試験のボール投げは、全校で2位なんだとか。1年生である。こいつは大谷翔平にしようと思った。かくいう自分も高校ではグリークラブ、男声合唱に一時期所属して、福岡の全国大会(Nコンか朝日か忘れた)に行ったことがある。所属と言っても、たまに伴奏付きのをやるときの伴奏者。それ以外は「バリトンの後ろにいて、口だけ開けて歌うな」と指示されていた。全国は無伴奏の曲、つまりは付いていっただけである。もともと「グリー」の意味は男声無伴奏ということらしい。「みてね」続編は、家に帰ってご褒美のケーキを頬張る写真。それを見て、「オレ達もご褒美がほしい」と言って、帰り道のケーキ屋に寄り、4個買って帰る。ここは若いころは別の場所だったが、移転して、今は息子さんが継いでいる。というわけで、昨日は「文化的」一日だった。
2023.10.02
朝、例によってピザパイ1/6カットと珈琲、たまにはと思って作ったサラダで朝食を食べながら、ここを開くと、何と886アクセス。だいたい100前後のアクセス数なので、さすがに驚いた。といっても昨日の記事自体は10前後で、それが読まれたのでもない。1位は、教師論(1)教員養成系大学。といっても12アクセスで、トータルでも26。いろいろな記事が万遍なく読まれている。多分、誰かが、どういうわけかはわからないが、この文章群の作者である自分に何らかの興味を持って、過去の記事を拾い読みしたのだと思う。もちろん、誰が読んでもかまわないのだが、何となく薄気味が悪い、居心地がよくない。いつもなら、1ページで済むアクセス一覧が9ページに渡っている。それで、自分もついつい過去の記事を見て、ああ、この時はまだ老眼が進んでいないから、字が小さかったんだな、などと思っていた。今書くのと同じようなことも書いているし、つまり、考えが変わっていない記事もあるし、そうでないものもある。最近の記事とまったく違うのは、弓に対する熱量だ。最近は、書かないことも多い。教師論、教師百態などのカテゴリーは一定数は読まれている。教師という職業 (最終回) 非常勤講師、教師百態(1)サラリーマン教師 その1、なども入っていて、総アクセス数は300を越している。教師百態 (2) 生徒依存症の教師たち、は総アクセス数は500近い、繰り返し読まれている記事の一つだ。自分で書いたのも忘れていたくらいの、ふるさとは遠きありて思ふもの。、「Kはなぜ自殺したか」を考える。、などの授業教材についての作品論も読まれている。まあ、自分の書いたものが読まれるというのは、基本的には有り難いことなのだが、為替と同じで、アクセス数の急激な変動は好ましくないなあ。
2023.10.02
全52件 (52件中 1-50件目)