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私の骨折・入院のため3月、4月頃にご予約いただいていたトランスフォーメーションゲームは延期をしていただいた上に更に不可能となり、代わりの方にお願いしたりして大勢の方に多大なご迷惑をかけてしまいました。 (関係者の皆様ほんとうに申し訳ありませんでした) 退院してもしばらくは長い時間座っていられる自信がなかったのですが、ようやく映画なども観に行かれるようになり、そろそろ大丈夫かな?と思い始めたとたん、ご依頼の連絡が入るようになりました。ほんとうに不思議なものです。 以前受けてくださった方から、6年くぶりくらいにご連絡があって4人揃っているから松戸まで来てください、とのことで先日行って参りました。これまであのセットを持って重いと感じたことはなかったのに、今回初めてそう感じたのはそれだけ体力が落ちているということなのでしょう。 それでもあのゲームは私自身もとてもエネルギーをいただくので、6時間近い間も疲れは感じませんでしたが、さすがに帰宅後はバタンキューでした。 次回は都内で7月14日(日)が決まりました。これまでは夏はお店と畑が忙しくて自由がききませんでしたが、今年はたっぷり時間があります。ゲームでも旅行でも出来るので、その自由を大いに楽しみたいと思います。 もしトランスフォーメーションゲームご希望の方がありましたら下記サイトからご連絡ください。ご希望の場所へ出張いたします。またどのようなものかお知りになりたい方も下記のサイトからごらんになれます。 http://cafefleur.net/
2013年06月26日
ほんとうは4月に予定していたトランプ仲間の合宿が私の入院で延期になり、ようやく6月20日からの2泊3日箱根で実現しました。 泊まったのはある健康保険組合の保養所でしたが、とても豪華な建物で部屋も広く大満足でした。 メンバーは男性3人女性3人、全員シニアの独身で一人暮らしの気楽な身分。 2年前のピースボートで私が流行らせた「シカゴラミー」の愛好者ばかりですが、みんなサバサバした気持のいい人たちです。 その中の一人の男性はついこの間のアフリカまわりのクルーズにも乗って、またこのゲームを流行らせて来たそうです。 それほどこれは面白く、変化に富んで飽きないゲームなので、もっともっと愛好者を増やしたいです。 5人がベストメンバーですが、4人でも6人でも出来ますし、7回が1ラウンドですが、途中で人数が変わっても継続可能。賭けようがないのでとても健康的です。 浴室もきれいで泉質の良い温泉だったので1日に何回も入って、帰って来たら足のむくみがかなり取れていてびっくりしました。 大阪からの人が二人いるので、次回は秋にでも南紀白浜辺りで、などと約束してそれぞれ家路につきました。
2013年06月23日
この夏、フィンドホーンでこれまで数々の体験週間をリードし、多くの方々の変容をサポートして来た元メンバーで、現在フィンドホーンの隣町に住みながら独自のヒーリングや瞑想法、そして心のこもった手料理で迎えるホームスティプログラムを営むゴーント・邦江さんが一時帰国し、各地でリトリートやワークショップを行います。詳細はこちら↓ご覧下さい。http://manahouse.jp/news/883.htmlさまざまなフォーカスで行われ色んな角度からフィンドホーンのエッセンスに触れて戴ける場が用意されました。もしも、ピン!と来るものがございましたら是非ご参加ください。また、周囲にご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたらシェアして戴けたら幸いです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。そして、皆様どうぞ素敵な夏をお過ごしください〜
2013年06月17日

6月8日の午前中は逗子の「ワイオラ」で念願のまみさんマッサージ。 ほんとは3月の初めに一緒に映画を観に行って、そのまま泊めていただいて受けるはずだったマッサージが3か月後になってしまったけれど、ようやくそれが実現してとてもとても嬉しい。 5週間寝たきりでいた時は遠路はるばる草津にまで宿を取って見舞いに来てくださって大感激でした。その後も何かと気遣ってくださってほんとうに有難い友人です。 逗子まで来たのだからと茅ヶ崎に住むT子さんに連絡をしたら、みんなで一緒にランチしましょうということになって逗子駅で待ち合わせ。 葉山のラ・マーレ・デ・チャヤへ向かいました。 T子さんは私が20歳で初めて就職したアバコ(Audio Visual Aids Committee)での2歳年上の先輩。はじけるような若い笑顔が輝く二人並んだ写真が残っていますが、もう60年近いお付き合いです。 彼女も私の入院中ずっとメールで励ましてくれていました。ipadは使っていてもfacebookとかはやらない彼女に私もその時々の状況を報告していましたが、自分のことを気遣ってくれる人がいるというのは病床ではほんとうにうれしいものです。 秋には一緒に歌舞伎を観に行きましょうね、という約束もどれだけ力付けてくれたかわかりません。 昔テレビドラマの舞台ともなったラ・マーレ・デ・チャヤに来るのは30年ぶりくらい。 新鮮な地元の海の幸におなかいっぱいになりながらも、別腹でそれぞれお好みのデザートを選んで、あー、シアワセ! 目の前に開ける海ではのんびりとウインドサーフィンやスタンドアップパドルボードを楽しむ人たちの姿が見えて、こちらまでゆったりとした気分になりました。 シニア3人、久しぶりのちょっとリッチな気分になれた葉山ランチでした。
2013年06月11日
6日のウイーン少年合唱団の翌日は北鎌倉で日本ではただ一人のコラ(西アフリカのハープ)奏者Hiloさんこと川岸宏吉さんの記念すべき還暦コンサートがありました。 純粋な少年のような心がそのままお顔に出ているHiloさんはその細身の体型もあってとてもカンレキになんて見えません。常に20歳は若く見える素敵な方です。 (朝小鳥の声で目覚める「カフェフルール」の2階の小部屋がお気に入りで毎年泊まりに見えていたのに、今年からそれが出来なくなって申し訳ないです) 今回はコラの演奏だけではなく歌あり、ギターのセッションあり、南米の音楽のようなリズミカルな曲あり、合間にはフラの踊りや乾杯もあって終始和やかなコンサートでした。久しぶりに湘南方面の大勢のお友達にも会えてとても嬉しかったです。 その夜は「ワイオラ」に泊めていただき、翌日も楽しいことがありましたが、これはまた別の機会に書きます。 そしてその夜はまたガラリと変わって、恵比寿のカフェでのタンゴの歌手の方のライブに行きました。 彼女は2年前に私のトランスフォーメーションゲームを受けてくださった方で、最初はシャンソン歌手だったのが途中からタンゴに転向し、ブエノスアイレスでデビュー。あちらでは知らない人はいないとても有名な方です。 3月のライブに申し込んでいたのに、その直前の骨折で行けなくなってしまい、ようやく3か月ぶりにお約束が果たせました。 見た目も品よく美しい方ですが、声も素晴らしく、1部のシャンソンではマイクを使い、2部の本格的アルゼンチンタンゴはマイクなしの見事な歌唱力で圧倒されました。 この素晴らしい歌声をぜひテレビで皆さんに聞いていただきたいと思いますが、日本ではタンゴはなかなかメジャーにはならないのでしょうか。とても残念です。
2013年06月09日
昨日サントリーホールで行われたウイーン少年合唱団のコンサートに行って来ました。 以前にも書きましたが、合唱団は4つのブループに分れているそうで、今年は知り合いのマリオ君が所属するモーツアルトグループの日本公演でした。 いつもなら5月のGWに軽井沢の大賀ホールでのコンサートがあるのですが、今年はなくて(あっても入院中で行けませんでしたが)、バスと電車とタクシーを乗り継いで行けば行かれる場所だったのと、本当は今頃スコットランドのアイオナ島に行っているはずが、これもキャンセルしてしまったお蔭で念願の歌声を聴くことが出来たのです。 しかもある方のご厚意で思いがけずご招待までされるというラッキー続きでした。 少年たちの澄んだ歌声は心の奥まで響きわたり、ほんとうに心身共に癒される至福の時を過ごさせていただき、この時を与えられたことに深く深く感謝しました。 合唱団としては初めてというアジア人の、しかも女性のピアニストの伴奏と指揮のもとに日本人の少年3人を含む24人の美しい歌声がホール全体に響きわたり、ヨーロッパの宗教音楽、いろいろな民族の祈りの歌、日本の歌や民謡、そしてもちろんウイーンの名曲集などをたっぷりと聞かせてくれました。 少年一人一人が交替で曲の紹介をし、時には楽器を奏でたり、ソロを聞かせてくれたり、ハーモニーも素晴らしかったです。 コンサート終了後のお茶会ではすっかり大きくなったマリオくんやそのご両親とも会うことが出来、いただいたCDにはサインもしてもらい、何となく私まで誇らかな気持になりました。 団員としての期間は声変りをする14歳までと聞いていますが、「男の子」と言われる間の数年間をいろいろな国の少年たちが共に過ごし、学び、そして歌うことはどんなに大きな体験となることでしょう。 彼らの未来が豊かに花開き、祝福されますように!
2013年06月06日
母が亡くなったのが1995年の5月。それまでの5年間母と住んでいた横浜市の家の隣で私は自然食品の店を営んでいました。そろそろ赤字になりそうなその店を閉めることに決めたのはその年の初めでした。 思えば1995年という年はいろいろなことが起きた年でした。 先ず1月17日、この日は母の82回目の誕生日でしたが、あの阪神淡路大震災が起きた日です。そして3月のサリン事件、それに続くオウム真理教の強制捜査。 そんな大変動の年に私にも大変動がありました。 母を見送って3か月後の夏、お店の譲渡先も決まって時間が出来た私は以前から誘われていた北軽井沢の友人の別荘に2泊3日で出かけました。久しぶりの北軽井沢。昔のままの匂いがして私は一気にタイプスリップしました。 思えば「17年」ぶりのことです。つまり17年間毎年夏を過ごした大好きな場所に、17年のブランクの後に戻って来たのです。懐かしさに涙が出そうでした。 そしてその2泊3日の間に思わぬ偶然、というよりシンクロニシティとしか思えないことが次々に起きて、私は今の「カフェフルール」の土地を買うことになったのです。そのいきさつは「カフェフルール」のサイトにあるエッセイの冒頭に書き、それはその後出版した「やすらぎの森ー北軽井沢からのカウンセリングメッセージ」という本にも書いています。 翌年の1996年の春、その土地に新しい家が建ち、7月には「カフェフルール」をオープンしました。私はその時61歳。まだまだ元気でした。ずっとペーパードライバーだったのが引っ越した翌日から車の運転を始めました。なんと34年ぶりのことです。(これも17の倍数) それからの「17年間」、北軽の自然に包まれ、標高1100メートルの澄んだ空気と土地のエネルギーに助けられて私は病気ひとつせず、毎日幸せでイキイキとした感謝にあふれた日々を過ごしました。 誰も知っている人のいない土地にいきなり住み始めたのにもかかわらず、次第にまわりにお友達も増え、お店を通して遠くから来てくださる方との交流も始まって孤独を感じることは全くありませんでした。うちへ泊まりに来たのがきっかけで初めて北軽井沢を知って近くに家を建てたり引っ越して来る方たちも増えて来ました。 そして暮らし始めて4年目にスコットランドのフィンドホーンコミュニティで1週間過ごした体験が私の人生をもっと豊かにしてくれました。それは今でも続いています。 こうして1年の半分は畑とお店と泊り客のお世話で忙しく働き、雪に閉ざされる冬はこたつでぬくぬくとしながらのんびりしたり旅行を楽しんだりという晴耕雨読ならぬ「夏耕冬読」の満ち足りた生活が「17年」続いた今年の冬、思わぬ骨折事故で長期入院することになり急に人生の方向転換をすることになってしまいました。 20年以上前から2012年12月22日はアセンションの日とか地球のエネルギーが大きく変わるとか、人類の意識の大転換の日だとか言われていましたが、私の場合まさにその翌日にその兆候が現れていました。その数日後から家を離れることになり、1月半ばには東京で第一回目の骨折(その時は病院で発見されずただの打撲との診断でしたが)、2月半ばに自宅に戻って1週間後の本格的な腰椎一番の圧迫骨折と続き、2度目の救急車騒ぎ。 治りかけていた1月の骨折が再びずれたこともあって5週間の寝たきりとなりました。 ようやく2か月半の入院を終えて退院しましたが、その間に失った筋力体力は想像以上に大きくて、お店の営業はもとより大好きだった畑仕事も出来なくなり、その他の諸々の事情も加わって北軽で暮らすことさえ難しくなってしまいました。 こうして、思いがけずまたもや「17年」暮らした家を離れることになったのです。 何度も繰り返す「17年」の不思議ですが、これからの17年後はどうなっているでしょう。その時私は95歳。いよいよこの世に別れを告げる時なのでしょうか。それともその時はもっと早くやって来るのでしょうか。 いづれにしてもそう遠いことではない日を迎えるまで、悔いのない人生を生きて行きたいと思っています。いろいろなことがあった人生でしたが、常に人様に助けられ、人とのご縁で紡いで来た人生でした。 私が大事にして来たことは人との信頼関係、ご縁に感謝してそれを大切にすること、起きて来ることには逆らわず、素直に流れに乗ること。その時はネガティブに思えることでも後にそこに意味があったことをきっと知る時が来るからです。まわりの目や評価に合わせるのではなく、自分に正直に、心を開いて何事にも感謝しながらこれからも生きて行きたいと思います。
2013年06月01日
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