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今NHKの紅白歌合戦を観ています。 間もなく2013年が終わりますが、私にとっては本当に激動の1年間でした。 前半の半年は病院か、その後のリハビリ、引っ越しと思い出すとかなり辛い日々でしたが、今はすっかり新しい暮らしにもなれ、何よりも雪のない、暖房もほとんど要らない温室のような日当たりの良い部屋での生活に感謝の日々です。 最後のホノルルはたった1泊でしたが、とてもびっくりした偶然がありました。 帰り支度をして空港へのタクシーに乗ろうとホテルのロビーに行ったら、やはりタクシーで外出しようとしている家族がいて、その奥さんが私のいるマンションの管理人さんの一人にそっくりなので、「よく似ている人がいるなあ」と見ていたら、その方も私をじっと見ているのです。 サングラスをはずしたら、その方が「あらー、やっぱり!」と。 そう、まさに管理人さんの一人だったのです。ここには男性一人女性四人の管理人さんが交替で24時間いて掃除や植木の手入れ、ゴミ関係などいろいろ助けてくださるのですが、皆さんチームワークがよく良い方ばかり。 その方は私がハワイに行っていることはご存知でしたが、詳しい予定など何も言っていませんからまさか同じホテルに泊まっているとは知らなかったでしょうし、私のほうは彼女がご主人や子どもさんたちとハワイに来てるなんて知る由もありません。 でも知っている人に思いがけない所で遭遇するのは嬉しいものですね。 それが外国でならなおさらのこと。とてもとても嬉しかったです。 もうお土産買っちゃったけど、ハワイに来てる人にハワイのお土産じゃー、と思いましたが、ま、いいことにしましょう。 飛行機の中では3本映画を観て、2時間ほど居眠りをして、帰って来てからは片づけや掃除などをして夜中の12時にベッドに入り、今朝6時までぐっすり眠ったので時差ボケはもう解消です。 明日の元日は新月だそうで、新しい年が満ちていく月と共に始まるというのは何だか気持ちが明るくなりますね。 2014年はどんな年になるのでしょう。 想定外のことが起きるのが人生と心得て、何が起きてもいつも平常心でいられるよう、ナナメ上から自分を眺める姿勢を忘れずに、またこの1年を過ごして行きたいと思います。
2013年12月31日

今回のハワイ旅行を決めたのは1年ほど前のことで、その時はカウアイ島1週間、マウイ島1週間、そしてホノルルでお正月を過ごして1月5日に日本に帰る予定で、そのようにホノルル往復のチケットをマイレージで取っていました。 ところが今年の春頃になって上の孫娘がロンドンの学校へ行くことが決まり、更にその出発日が1月5日になってからは大幅に予定を変更、マウイは3日、ホノルルは1泊となって年内には帰国することになってしまいました。 マウイは私は2回目ですが、娘夫婦は20年ほど前から2,3年にわたって、今でもロングセラーになっている「ハワイイ紀行」(新潮社)のための取材で何度も来ています。、その時コーディネーターをしてくださったジュリさんご夫婦とは今回13年ぶりの再会だそうで、お互いの子どもたちがみんな乳幼児からティーンエイジャーになっているのに驚いていました。 ジュリさんは昔テレビの司会者で人気者だったE・H・エリックさんの長女で、ご主人はプロのウインドサーファー、お二人とも人脈が広いのでマウイを取材するマスコミ関係者はお世話になった方が多いと思います。 彼女たちは2ベッドルームのコンドミニアムをいくつも所有や管理などしているので、私たちもその一つを今回お借りしましたが4,5人がゆっくり泊まれて1泊$200はお安いです。 長期滞在の人が多く、今回も赤ちゃん連れのドイツ人夫婦が3か月の育休を二人で取って滞在していました。(ドイツはその間ちゃんとお給料が出るそうです) ハワイについての本というとほとんどが観光地やグルメ案内のガイドブックばかりの中で、全ての島の歴史や文化、言語などを深く掘り下げた「ハワイイ紀行」は今は文庫本にもなっていますが、私もこの本で初めてフラの意味や、島々の成り立ち、クムフラのフランク・ヒューイットやもう亡くなってしまった巨漢のシンガー、イズラエル・カマカイウオオレのことを知りました。 「カイマナヒラの家」はジュリさんが以前住んでいたオアフの家がモデルになっています。 さて、マウイでの3日間はジュリさん一家とパイヤの町の美味しいピザ屋さんに行ったり、歴史の町ラハイナをぶらついたり、中軽井沢でロミロミのサロンを開いているヒロミさんのお店の名前になっているハウオラストーン(昔高貴の女性がその岩に座って出産をした椅子の形をした岩)を見に行ったり、コンドミニアムのプールで泳いだり、短い間でしたが十分堪能しました。 マウイはとても風が強いのでウインドサーフィンのメッカと言われ、丘の上にはウインドミルがずらりと並んでいました。 カウアイはソーラーパネルが盛んでしたし、ハワイはエコの意識も食品のオーガニック度も相当に進んでいると見受けました。 ホノルルでは私は2年ぶり長女は13年ぶりに昔からの知り合いのHさんと会い、一緒に夕食をしました。彼女はもう23年ここに住んでいて、ついに最近アメリカ国籍を取ったそうです。 そうなった瞬間、日本のパスポートにガチャンと穴を開けられたのはやはりショックだったと言っていました。みなさま、良いお年を! アローハ!
2013年12月29日
あっという間に1週間が過ぎてしまいました。 私とパパ以外はみんなねぼすけばかりなので活動は午後からになってしまいますが、やってみようと思っていたチュービングは予約でいっぱい。辛うじて乗馬&ジップレーンだけが最後の日に予約出来たのでママと14歳のAちゃんだけが行って来ました。 彼女はフランスに住んでいた小学生の頃毎週乗馬スクールに通っていたので久しぶりでとても楽しかったようですが、姉娘のほうが上達していたのに今は友達(ボーイフレンド?)とのやり取りのほうが楽しいようでお留守番。 一昨日はみんなでハナレイまでドライブ。「ハナレイムーン」というフラの曲で有名な美しいサンドビーチは遠浅なので安心して泳げます。 昨日は車で20分ほどのポートアレンまでママと私だけロミロミを受けに行きました。 ここのコンドミニアムのフロントでいつも「Welcome home!」と笑顔で迎えてくれるマダムのお嫁さんがやっているサロンですが、今年はあなたのmother-in-lawを見かけないけど、と言ったらリタイヤしたとのこと。ちょっと寂しくなりました。 支払いでカードを出したら二人分になっていたので「しまった!」と思ったのですが時すでに遅し。 娘はちゃっかり「クリスマスプレゼントね?ありがとう」ですって。 クリスマスイブだから夕食後はプレゼントの交換をすると聞いて、何も用意して来なかったのであわてましたが、帰りにファーマーズマーケットやアクセサリー屋さんで何とか調達。 私はマグカップ、エコバッグ、ブローチ、はめたままでスマホが出来る手袋などをもらいました。 わざわざみんな日本から用意して来てくれたのね。ありがとう! パパからはみんなに「毎晩の手料理」ということになりました。これも本当に有難かったです。 お蔭ですっかりラクをさせていただきました。 クリスマスディナーはシャンパンで乾杯して塩麹ステーキとベイクドポテト、パプリカ、ブロッコリー、シーザーサラダそのほかいろいろ。ケーキはこれも日本から用意して来てくれたシュトレーン。 夕食後は早寝のパパが寝室へ引き上げた後、女4人で毎晩シカゴラミー。 私は万年3位でママか17歳が1位、14歳がビリと何度やっても順位が変わりません。 明日はチェックアウトしたらパンケーキ屋さんでブランチを摂ってから空港へ。 マウイ島へ移動です。
2013年12月26日

19日の夜成田出発。当日の朝ホノルル着でお昼過ぎにはリフェ空港に着きました。 今回は一人なのでタクシーで20分、いつものLawai Beach Resortにチェックイン。 いつもは眺めのいい4階の部屋なのですが、今回は1日遅れで来る長女一家とスケジュールを合わせて予約をし直したので2階になってしまい、いつもとちょっと違う眺めです。 とは言え、やはり海は変わらず目の前にあり、陽光を受けてキラキラと輝いていて心を広く伸びやかにしてくれます。 買い出しはみんなが来てからと、持ってきたお米を炊いて梅干しや海苔、インスタント味噌汁で食事を済ませ、テレビを見ていたらいつの間にか眠ってしまっていました。 目が覚めたら夜中の1時。それから朝5時までパソコンやったり本を読んだりしてまた8時頃から一眠り。 これまでハワイはあまり時差ボケがなかったのですが、今年はトシのせいでしょうか、やたらに眠くて2日ほどは眠ってばかりでした。 17年前からいつも11月になると1週間か2週間ここへ来ていますが、近くのポイプビーチにある幼児用の遊具で小さい子どもたちが遊ぶのを見てはいつか孫たちと一緒に来たいというのが夢でした。でも親たちの都合もあり、学校の休みに合わなかったりでなかなか実現せず、ようやく今年クリスマス休暇に合わせて実現したのですが、すでに彼女たちはティーンエイジャーとなってしまいました。 考えてみたら彼女たちは沖縄育ちなので海は別に珍しくなく、今はスマホやスカイプのほうが面白いのかもしれません。 昨日は1日中雨が降ったりやんだりでけっこう涼しくて、うっかり長袖のものを1枚しか持ってこなかったので近くのKukui Ulaというショッピングモールへ行って1枚羽織るものを調達しました。 ここにはオーガニック食品のお店もあるので、そこで食料品も買って、夜は料理上手なパパのスペイン料理。ワインがあり、前菜がありでいつもの私の食卓よりずっと豪華版。 それに何といっても一人よりは大勢の食事は楽しいものです。
2013年12月23日
山川さんご夫妻の最新訳「JOY」(角川書店・1680円)を読みました。 OSHOの本は初めてでしたが、素晴らしかったです! 山川さんの名訳のお蔭もありますが、とても分かりやすく心に浸みて来る言葉に思わず「うん、うん」と頷きながら読みました。 先日、私の身辺ではいろいろなことが起きているのに楽しいことばかりブログに書くのはどうなのか、とちょっと悩んだ時期がありましたが、それもスッキリと吹っ切れるような励ましの言葉が書かれていました。 「人生を楽しみなさい。ことごとく楽しみなさい。 苦しんでいる人たちの中にいても喜びと平和と健康の中に生きなさい。そのように生きている人の人生は霊的な食べ物に飢えている人々にとって偉大な栄養源になり得るのだから」 なるほど、と思ったのは「幸せ」のもっと奥にあるものが「喜び=至福」。幸せはまだエゴの領域で、そのエゴを全て捨て去ったところに至福がある、という言葉。 それで思い出したのは5年前に自費出版した「やすらぎの森ー北軽井沢からのカウンセリングメッセージ」というエッセイ集の中に書いた「畑の天使のメッセージ」の一つでした。これは畑仕事をしている時にフーッと浮かんでくる言葉を書き留めたものですが、まさに同じことを書いています。 これは決して私のノーミソが考えたことではないという証拠ですね。 「あなた方の心の奥底には光り輝く「喜び」が外へ飛び出ようと出口を探して渦巻いています。その出口に悲しみや寂しさや怒りや憎しみでフタをしているのはあなた自身です。誰の中にもあるその「喜び」が外にあふれ出てあなたを満たし、まわりの人々にも広がっていくようにそのフタをはずしなさい。辛いことに出会って一時的にそのフタが重く感じられても、その下に出口を探している「喜び」があることだけは忘れないように。」 ほかにも「自分で自分だと思っている自分は本当の自分ではありません。本当の自分は自分では認識できない領域に存在しています」というのもありますが、これも「JOY」の中に書かれているエゴのことを指しているのだと思います。 顕在意識で認識できる「自分」はエゴに過ぎないということです。 ですから「幸せ」も実はエゴが感じるもので、外部に原因があるから外部から奪い去られることがあるので純粋なものではないということでしょう。 外部に原因のない、理由のない「喜び」、それこそが「至福」でこれは外部に求めるものではなく湧きあがって来るものだとOSHOは言っています。 私がよく「対象のない感謝」というのととてもよく似ています。 もちろん対象のある感謝も、理由のある喜びもこの世に生きている限り感じていますが、対象も理由もない感謝や喜びは、人生で何があろうと人を至福で満たし、健康でイキイキとさせるものではないかと思います。 ちなみに「やすらぎの森」はもう絶版になっているのに未だにアマゾンでは新品が中古品で売られています。 私ももう手元にないのでこの間900円で買いましたが(笑)、一時は17,500円というバカみたいな値がついていました。 この間チェックしたら今度は157円になっていましたけど。 この乱高下はいったいなんなんでしょうね。
2013年12月18日
私が今住んでいる所は住宅街なので、まわりには庭に柑橘類の樹木を植えている家が多く、そのほとんどが温州みかんです。どの家のみかんも大粒で、ずいぶん前から熟しているのにどこの家もいっこうに収穫する気配がありません。塀から道に張り出した枝にたわわに成っているみかんを見るにつけ、どうして収穫しないのだろう? きっとほったらかしだから酸っぱいに違いない、と思って試食してみたい誘惑にいつも打ち勝っていました。するとこの間バス停で一緒になったおばあさんが話しかけて来ました。「最近食料品が高くなったね。みかんなんか1箱4800円だったのが6000円になっちゃったのでびっくりだよ」「そうですね。みかんと言えばこの辺りはみかんの木を植えているお家が多いですね」「ああ、うちにもあるよ」「あら、そうですか。でも皆さんなぜ収穫しないんですか?」「可哀そうだから。うちも採ったことないよ」えっ?何で?「ほっとけばそのうち鳥が食べるか、通りがかりの人や子どもが取って行くだろうしね」ヘぇーッ!ってそれこそびっくり。なぜ自家製の無農薬みかんが沢山あるのにわざわざ市販の高いワックスみかんを買うの?可哀そうって、みかんのほうはその家の人に食べてもらいたいんじゃないかな?と思うんだけど・・・そこで勇を鼓してその夜の帰り道に、道路にはみだしているのを一個失敬して来ました。食べてみたらこれまたびっくり! すごーく甘いのです。中には鉢植えの小さな木にもちゃんと実が成っている家もあるので、私も買って来てベランダで育ててみようと思いました。
2013年12月16日
北軽井沢にいた頃はフラを5年、短歌会には10年参加し、冬の間は近所の編み物が上手な方のお宅に数人が集まって編み物も楽しみましたが、入院を境に転居をしたためどれも続けられなくなりました。 そこで町にいなければ出来ないことを始めることにし、7月から体操、10月からは社交ダンスを始めました。スポーツは苦手でも踊ることは何でも好きで中学高校の頃はクラシックバレエのレッスンに熱心に通っていました。 社交ダンスは私が若かったころは全盛期で、どの大学でもよくパーティーがあり、ダンスホールもあちこちにあったのに私のボーイフレンドは誰もダンスが出来なかったのと、習いに行くほどの情熱もないまま時が過ぎてしまいました。 でもダンスミュージックは大好きでしたから、40代の頃は友達に誘われればよくジャズのコンサートやパーティーにも行きました。 パーティーで踊るくらいは男性が踊れる人だったら女性は踊れてしまうものですが、ちゃんと習わないといろいろなバリエーションにはついていけないので、先ずは入門コースに申し込み、基礎からきちんと習うことにしたのです。 まだ数回しか行っていないのでマンボ、スクエアルンバ、ブルース、ワルツ、ジルバの基礎を習っただけですが、昨日上級コースまで全員のクリスマスパーティーが開かれたので参加して来ました。 フルバンドのナマ演奏に乗って先生方や先輩たちがリードしてくださったので私たちでも何とか踊ることが出来てとても楽しかったです。 JR東日本のジパング倶楽部の会員限定のクラスなので先生方以外は全員60歳以上なのですが、背中の丸くなったおじいさんやおばあさんでもちゃんとドレスアップしてきちんとステップを踏んで踊っているときれいにサマになっているのが社交ダンスのよいところです。 むしろこれは年配者のほうが若者より似合うかもしれません。 銀髪の紳士とロングドレスの老婦人が「ファッシネーション」に乗ってワルツを踊る姿などほんとうに上品で素敵でした。 実は私は1週間前に道路で左足をひねって筋を痛めてしまいまだ少し痛かったのですが、大好きなジルバの曲が始まったらすっかり嬉しくなって「ユーアーマイサンシャイン」に乗って痛みも忘れて踊ってしまいました。 さすがに終わったら息が上がってハアーハアーとなりましたがとても楽しかったです。 ジルバこそ男性が上手でないと踊れません。昔ろくに踊れない男性と踊って手を離されたため床に思いっきり倒れて頬を打ってしまった苦い思い出があります。 上級クラスの人たちの踊りにとても刺激を受けたので、これからも休まず通おうと決心して痛む足を引きずりながら、でも心はウキウキしながら帰って来ました。
2013年12月11日
スポーツ音痴で見るのもするのも全く興味のない私が唯一見たいと思うのはフィギュアスケート。金曜日から今日までの4日間テレビで存分に楽しませてもらいました。 中でも圧巻だったのはもちろん世界最高得点を出した羽生結弦くんのショートプログラム。 全くノーミスでスピード感あふれる若さがはち切れそうなスケーティングには釘付けになりました。 フリーでは転倒があって、思わずアーッ!と声を上げてしまいましたが、それでもその後は持ち直して見事金メダル。昨日で19歳になったそうですが、これからとても楽しみな選手です。 女子の真央ちゃんも余裕を見せるスケーティングで悠々たる優勝でした。 女子は今回ロシア勢が多かったですが、中でもチャーミングだったのが14歳のエレーナ・ラジオノア。まだ大人になり切らない細い身体で、絶えず笑顔を見せながらのスケーティングはほんとに可愛らしかったです。 今日のエキシビションも楽しかったですね。 選手も観客もリラックスして見ることが出来るエキシビションが実はいちばん好きなのですが、それぞれに趣向をこらした衣装で、特にアイスダンスが楽しいです。 氷の上を普通に滑ることさえ出来ない私から見れば神業としか思えない技術ですが、日頃の精進は大変なものだと思います。 若い選手たちが怪我をしないよう、体調に気をつけて来年のソチでまた素晴らしい演技を見せてくれるのを楽しみにしています。
2013年12月08日
17年前に北軽井沢に住み始め、カフェフルールをオープンして以来数知れない方々と知り合いになりましたが、お話ししているうちに同じ町に住んでいたことがわかったり、横浜で営んでいた自然食品の店「オリーブハウス」にも買い物にいらしたことがある方だったり、私が住んでいたマンションのすぐそばで生まれ育った方だったり、私の母とその方のお母さんが友達だったりなどと書き出したらきりがないほどのシンクロ(ニシティー)を経験しました。 そして今、またもや近所に誰一人知る人のいない町に住み始めたばかりなのにそういうことが少しずつ起き始めています。 目と鼻の先の地域センターで行われている体操教室に7月から週一回通っているのですが、十数人のお仲間のうちの一人がよく話しかけてくれて、私を読書好きと見たようでご自分の自分史を書かれた本をくださいました。 するとその方が独身時代T社という出版社に勤めておられたことがわかり、そこで職場結婚なさったことを知りました。その出版社は、私の友人Tさんのご主人が勤めていたり、別の友人Mさんは定年まで勤め上げた所。そしてもう一人の友人Kさんの娘さんは現在社員で、更にうちの次女の会社とも業務提携しているという何かとても縁のある会社なのです。 そこで友人Tさんに電話をしました。 「またT社と縁のある方と知り合いになっちゃったわ」 「何ていう人?」 「Sさん。すぐ近所に住んでいる方」 「え?Sさん?知ってる、知ってる。うちの主人と同期なのよ」 これだけではありません。 何とSさんが独身時代住んでいた家の隣りに私のクラスメートが住んでいたことや、別のクラスメートはそのSさんのお兄さんとお見合いをするはずだったことなどが次々とわかってびっくりしました。 つい最近は、知り合ったばかりの旅行社の女性が私の友人二人と知り合いだとわかりましたし、いつも読書会に来てくださっていたY子さんのお姉さんが私の長女と同級生で、その縁でY子さんは学生時代に長女の働いていた会社でアルバイトをしていたことを知ったばかりです。 また、先日今年いただいた年賀状を整理していたら、北軽へ住み始めた直後に知り合ったパン屋さんでアルバイトをしていた若い女性の住所がうちのすぐ近くとわかって、ついこの間2年ぶりに会っておしゃべりを楽しみました。 彼女はパン屋さんをやめてからも住所が変わる度に連絡をくれたり、お店に遊びに来てくれたり、この17年間たまに連絡が途切れることがあっても、なんとなくずっとお付き合いが続いていた人なのです。 20代だった彼女も今は素敵なワ-キングマザーになっていました。 たった半年でこれだけのシンクロがあったのですから、きっとこれからもいろいろとあることでしょう。なんだかワクワクして来ました。
2013年12月05日
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