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食べ物について誰しも何かしらこだわりがあると思うけど、私がいちばんこだわっているのが卵。17年前に北軽井沢に住み始めるまで私は鎌倉に近い横浜市の栄区という所で自然食品のお店をしていたのですが、当然商品として扱っていたのは平飼い鶏の有精卵でした。営業していた5年間はずっとその卵を食べていたので、ケージ飼いのスーパーの卵は食べる気にならなくて、北軽で最初に探したのは良い卵を売っている所でした。幸いすぐに見つかりました。本業は造園屋さんなのですが、広い敷地の中で放し飼いにしている卵を売っていて、エサも有機栽培農家からの野菜が中心でした。さっそく1個40円のその卵を買いに行ってはお店でも温泉卵にして玄米定食に添えていました。ケーキだけは原価が高くなってしまうので普通の安い卵を使っていましたが、2,3日経つとクスリ臭くなることに気づき、やはり高い卵を使うことにしました。ところが何年か前そこのご主人が亡くなると奥さんは鶏を飼うことをやめてしまったので、少し離れた所にある「浅間地鶏牧場」にたまに買いに行く以外私はあまり卵を食べなくなってしまいました。でもたまには卵かけごはんが食べたくなる私は今、大江ノ郷という所から「天美卵」というのを毎月20個定期購入しています。1個100円なので毎月2000円と、私の生活の中で唯一のぜいたく品です。値段を言うと誰もが「たか~い!」とびっくりしますが、一回外食をすればそれくらいは出て行ってしまうのでものは考えようです。そこのパンフレットで以前養鶏場働いていた方が、まるで卵生産機のように扱われている鶏たちを見てそこをやめ、愛情込めて鶏を育てたいと始めた所と知り、その思いに共鳴して取り寄せることにしました。そういう方を応援するのも必要だと思ったのも理由の一つです。鶏たちをコッコと呼んで可愛がっている様子が伝わって来ます。採卵した翌日には届き、その後1週間はナマで食べられます。こくがあってとても美味しいです。オムレツや卵焼きを作るとプ~ンととてもいい香りがします。余ったり、長く留守にする時はお休みすることも出来るので、当分はこの唯一のぜいたくを味わうつもりです。
2013年08月30日
食べ物について誰しも何かしらこだわりがあると思うけど、私がいちばんこだわっているのが卵。17年前に北軽井沢に住み始めるまで私は鎌倉に近い横浜市の栄区という所で自然食品のお店をしていたのですが、当然商品として扱っていたのは平飼い鶏の有精卵でした。営業していた5年間はずっとその卵を食べていたので、ケージ飼いのスーパーの卵は食べる気にならなくて、北軽で最初に探したのは良い卵を売っている所でした。幸いすぐに見つかりました。本業は造園屋さんなのですが、広い敷地の中で放し飼いにしている卵を売っていて、エサも有機栽培農家からの野菜が中心でした。さっそく1個40円のその卵を買いに行ってはお店でも温泉卵にして玄米定食に添えていました。ケーキだけは原価が高くなってしまうので普通の安い卵を使っていましたが、2,3日経つとクスリ臭くなることに気づき、やはり高い卵を使うことにしました。ところが何年か前そこのご主人が亡くなると奥さんは鶏を飼うことをやめてしまったので、少し離れた所にある「浅間地鶏牧場」にたまに買いに行く以外私はあまり卵を食べなくなってしまいました。でもたまには卵かけごはんが食べたくなる私は今、大江ノ郷という所から「天美卵」というのを毎月20個定期購入しています。1個100円なので毎月2000円と、私の生活の中で唯一のぜいたく品です。値段を言うと誰もが「たか~い!」とびっくりしますが、一回外食をすればそれくらいは出て行ってしまうのでものは考えようです。そこのパンフレットで以前養鶏場働いていた方が、まるで卵生産機のように扱われている鶏たちを見てそこをやめ、愛情込めて鶏を育てたいと始めた所と知り、その思いに共鳴して取り寄せることにしました。そういう方を応援するのも必要だと思ったのも理由の一つです。鶏たちをコッコと呼んで可愛がっている様子が伝わって来ます。採卵した翌日には届き、その後1週間はナマで食べられます。こくがあってとても美味しいです。オムレツや卵焼きを作るとプ~ンととてもいい香りがします。余ったり、長く留守にする時はお休みすることも出来るので、当分はこの唯一のぜいたくを味わうつもりです。
2013年08月30日
♫誰も 来ない 海・・・・♫とまでは行きませんが、ずいぶん涼しくなりました。 北軽では8月のお盆を過ぎると急に秋風が立ち始めましたが、平地でも同じことが起きることがわかりました。 気温はまだかなりあっても日差しはいくらかやわらぎ、風がとても涼しいです。 夜は草むらで虫が鳴き始め、もう真夏ではなくなったことがわかります。 冬の間の骨折、入院を期にそれまでは想像もしなかった場所に住むようになって3か月。環境の激変に耐えられるかどうか周りは心配したようですが、順応性にかけては人後に落ちない私としては難なく軟着陸をしたようです。あんなに大好きだった家でしたし、まだ本やCD、DVD,絵画や衣類など沢山残っていますが、今の狭いマンションに持ってくることは出来ません。 「去るものは日々に疎し」と言いますがその通りで、家にもモノにも全く未練がなくなってしまいました。 津波で瞬時にすべてが流されてしまった方たちのことを思えばどうということもありません。これは子どもの頃に空襲ですべてを失った経験をしたことが大きいと思います。 (映画「少年H」の空襲シーンそのまま。あの通りです。よく再現されていました) 2月25日に予想もしなかった腰椎の圧迫骨折をして、着の身着のままの状態で救急車で運ばれたまま家には一度も帰っていませんが、息子が思うように変えてしまった場所はもう私の住む所ではなくなっているので、2度と戻ることはないでしょう。エネルギーもすっかり変わっていると思います。 「カフェフルール」を愛してくださった方たちからは残念がるお電話やメールをいただいて申し訳なく思っていますが、私としては17年の間にすべきことやしたいことは全部し尽くしたという気持ちです。 執着はまったくありません。とはいうものの、北軽生活の間に培った近所の方たちとの豊かな人間関係だけには心残りがあります。でもこれもだんだん「去る者は疎し」になって行くのでしょうか。 成人後初めて無職となり、細々とでも仕事を続けていた自負のようなものが失われたわけですが、お蔭で夏でもたっぷりと自由な時間が出来、誰にも気兼ねなく、誰からも支配されることもなく、誰の世話もしないで自分一人のことさえしていればいい自由な生活はなんて素晴らしいんでしょう。 寂しいなんて全然思いません。24時間交代で詰めてくれている管理人さんたちは皆さん親切で、困ることがあればすぐ手を貸してくださるし、コンパクトな部屋は掃除もラク、外出も外泊も自由で、光熱費も北軽にいた頃の10分の一で済みます。 夏の暑さも思ったほどではなくすぐに慣れましたし、簡単には行けなかったコンサートや映画や各種の集まりにも気軽に行けますし、昔からの友人たちともすぐに会うことが出来、みんなも喜んでくれています。 秋からは、地方からでは通えなかったダンスの講座に通うことにし申し込みをしました。 春には、これも以前から行きたかったけれどお店があって行けなかった母校での英文学講座に申し込もうと今から楽しみにしています。
2013年08月27日
フィンドホーンの通訳と言えば知らぬ人はいない「マリリーナ」こと渡邊雅子さん主催のギャザリングは年に数回都内で行われていますが、北軽井沢に住んでいた頃は丁度上京した時と重ならない限りなかなか参加出来ませんでした。ましてお店の営業期間中の夏の時期になどはとても望めないことでしたが、昨日は久しぶりに参加することが出来ました。 始まりのアチューンメント、おどけたしぐさでのそれぞれの自己紹介でみんなに笑顔が広がり、セイクレッドダンスのスタートは大好きないつもの「コス」。ギリシャのコス島の漁師の妻たちが海から帰ってくる夫を待ちながら砂浜の焚火の周りで踊るというダンスですが、輪になってただ両足を交互に出し膝をチョンチョンと曲げるだけなのに、この音楽が流れてくるといつも胸がいっぱいになって涙が出そうになります。それに続いて何曲ものダンスをしました。どれも一回説明を受ければすぐに踊れるような簡単なものばかりですが、優雅なもの、快活なもの、ちょっとコミカルな動きのもの、官能的なもの、瞑想的なものと、世界中のさまざまな音楽に合わせて輪になって踊るセイクレッドダンスは本当に楽しいです。(ピースボートで100人で踊ったことを思い出しました) 寺山シンさん、フィンドホーンから来たホリスティックマッサージのレブさんほか何年ぶりかの懐かしい人たちにも会えてうれしかったですし、エンジェルカードを引いてのシェアリング、歌の数々、最後はこれも大好きな「テーゼ・ハレルヤ」の大合唱。3部に分かれての輪唱はきれいなハーモニーとなり、みんなの心が一つに溶け合いました。 休むことなく全部のダンスが踊れたことで完全な身体の回復を感じ、あまり疲れることもなく夜遅くまでの二次会にも出て帰って来ました。 身体中の細胞がいきいきとよみがえり、やっぱりフィンドホーンはいいなあ、とあらためて感じた夏の一夜でした。
2013年08月22日

これが私の最近の朝食です。グリーンスムージーの中身はパイナップル、キーウイー、バナナ、小松菜、レタス(または水菜)、しょうがに水少々。うちのミキサーはカップの上に歯のついた部分を乗せて逆さにして押すタイプなので、そのままカップからじかに飲めるようになっています。それと無塩のトマトジュース。 チーズか卵1個。ドライマンゴーとブルーベリー入りの自家製カスピ海ヨーグルト。 (ドライマンゴーは刻んで前の晩から入れておくと柔らかくなって丁度いいです) 今朝はいただきもののイチジクがあったのでそれも。これにたまにパンが少し加わる時もありますが、それはその時の気分。 季節が変わったらまた違うメニューになるかも知れませんが、今のところはこれでおなかは快調。丁度お昼頃におなかが空いて来ます
2013年08月18日
朝日新聞は毎年8月16日にこの特集を掲載しますが、1年前の今日私の投稿が載ったことを思い出します。 「私の夏は働く夏です」という書き出しで、朝6時から夜中まで元気に畑やお店でくるくると働ける幸せに感謝するというような内容だったと思いますが、それを読んだ友達から電話をもらったり、何人もの見知らぬ方たちからのお手紙を新聞社を通していただいたりしました。 中には「文章があまりに溌剌としているので77歳というのは間違いではないかと思った」と東京の読書会にまで来てくださる方があったりして嬉しかったです。 本当は今年も同じような夏を過ごすはずでしたが、冬の間の思わぬアクシデントでお店も畑も出来なくなり、家からも離れることになってしまいました。こんな激変を誰が予想したでしょう。 本当に人生は何があるかわかりません。昨年一緒にバーベキューを楽しんだ鈴木先生がもういらっしゃらないことも含めて痛切にそう思います。 毎日のように報道される水害や花火大会での事故、熱中症死や交通事故など人生の激変はすぐそこに転がっています。 年齢に関係なくそれがいつわが身に起きるかわかりません。それだけに今日の1日がとてもとても貴重です。 大げさに言えば朝起きて、無事に夜が迎えられるかどうかさえわからないのです。 「激変」がいつ起きても平常心でいられるよう、リンゴの木村さんの本のタイトルではありませんが、「すべては宇宙の采配」と、大いなるものに委ねて生きる術を身につけたいものですね。 (それには読書会で「心の扉を開く」を読むのがいちばん、という声が聞こえて来そうです)
2013年08月16日
船内家族のパパ、Sさんからのお誘いで「ママ」のM子さんと二人で2泊3日の旅をして来ました。 花火追っかけのM子さんはこの夏すでに隅田川の花火と長岡のにも行って来たとのこと。でも船から眺める水中花火は初めてとかで、8月11日の朝広島行きの「のぞみ」の車中で落ち合いました。 1か月以上前にネットで予約したビジネスパックは新幹線の往復とホテル1泊がついて28,000円と格安でした。(2泊目は市内のビジネスホテルを別に予約) 広島駅にはSさんが迎えに来てくださって、広島風お好み焼きのお店ばかりのビルへ連れて行ってくださいました。そしてそのまま船から花火を見るツアーの集合場所である駐車場まで直行。集合時間までかなりあるので宮島まで行って来ようということになり、連絡船の乗り場まで約1キロの道のりを歩きました。 連絡船で10分。厳島神社の鳥居を目指して歩き始めましたが道の両側にはすでに屋台がズラリと並んで、海側には場所取りの敷物が所狭しと敷かれていました。ゾロゾロと歩く大勢の人波の中を歩くこと約40分。あとからあとから汗が流れ恥も外聞もなく私は上着を脱いでキャミソールだけのあられもない姿。 鳥居の所まででその先の拝殿までは行く元気がなく、また強い日差しの下をもと来た道を駐車場まで戻りました。(交通規制でタクシーは走っていません) 37℃という酷暑の中を2時間半よく歩いたと思います。こんなに歩くとはSさんも思っていなかったそうですが、船から眺めた水中花火の美しさはその疲れも吹き飛ばすほどの迫力で、海風に吹かれながらの花火見物は最高でした。 予約したホテルは海辺に建つ眺めのいいリゾートホテルで目の前は緑いっぱいの森。目の下にはプライベートビーチが広がっていました。 翌日はまたSさんの車でお隣の山口県の岩国までドライブ。写真でしか見たことのない錦帯橋を渡りました。お城までのロープウエイもあるそうですが、あまりにも暑くてそこまでは行けませんでした。そしてその夜はやはりピースボートでご一緒だったもう一人のS・Sさんの提案で4人でオリエンタルホテルで夕食を共にし、彼が行きつけのジャズクラブへ招待してくださいました。 外へ出ると夜も更けているのにまだ30℃くらいはある熱帯夜。 今年いちばんの暑い日々だったようです。それでもまったく疲れることもなく帰りの新幹線の中で少し居眠りしただけで、M子さん共々元気に帰って来ました。 日本三景のうちまだ行ってなかった念願の安芸の宮島に行けて、大好きな広島のお好み焼きが食べられた大満足の旅行でした。 二人の心優しきジェントルマンに感謝。
2013年08月13日
10歳で終戦を迎えた身としてはぜひ観たいと思っていましたが、実はあまり期待はしていませんでした。日本を扱った過去のハリウッド映画のほとんどにがっかりさせられていたからです。着物の打ち合わせが反対だったり、着物で下駄を履いた女性が芝生で寝そべっていたり、中国風の音楽が流れたりという珍妙なシーンがよくありました。でもこの映画は時代考証もちゃんとしていておかしなシーンはありませんでした。日本の俳優も大勢出ていてセリフはみんな英語。近衛文麿役の中村雅俊さんの英語には定評がありますが、西田俊行、伊武雅刀、夏八木 勲さんたちの英語も堂々たるものでした。さすが名優たち、演技力でかなりカバーしています。焼け跡や闇市のシーンも本物そっくりでしたし、今から60年前の東京がこんな風景だったことをぜひ今の若い人たちに見てほしいです。あのBOSSの宇宙人のジョーンズ氏がマッカーサー元帥というのはちょっと違和感がありましたが、なかなか威厳のある司令官になっていました。本物より少しずんぐりしているのが玉にキズでしたけど。彼は天皇を戦犯として逮捕したがる本国の政府に反発して何とか天皇を無罪にして日本の混乱を避け、日本を再建させようと、右腕となる准将にその証拠探しを命じ、それに奮闘する准将の姿が描かれていますが、多分それは実話なのでしょう。彼の戦前からの日本人女性とのロマンスも含めて。最終的に昭和天皇がマッカーサーに呼ばれ、「戦争の責任はすべて自分にある。どのような処分を受けてもいいから国民を助けてほしい」と言われるシーンには不覚にもウルッと来ました。誰もが知っている有名な陛下のお言葉ですが、戦争中は「神」として崇められていたお方だったのですから、当時としてはすごいことだったのです。最後に日米両国の登場人物の写真が映されますが、マッカーサー司令長官も准将も演じている俳優よりご本人のほうがずっとイケメンでした。今改憲などと何だかきな臭くなって来ている時期に、日本人が全員自決を迫られたかも知れない時代があったことをもう一度振り返って、2度と戦争などしてはならないという決意を新たにするのにこの映画は良い刺激になると思います。間もなく68回目の終戦(敗戦)記念日がやって来ます。
2013年08月08日
次女のムサビ時代の恩師鈴木喜一先生が7月30日未明急逝されました。享年64歳。あと20年以上は現役で旅をしたり、素晴らしい絵や建築物を遺されるはずの方でした。 先生のことは娘からよく話を聞いていましたが実際にお目にかかったのは2年前の北軽井沢の我が家にいらした時が初めてでした。 私と夫が50年前に建てた山荘を父親から相続した娘が、その改装を先生にお願いしたのです。そして秋には古い山荘が「マナハウス」という素敵な空間によみがえりました。 旅好きでとても気さくで、私がお店用に仕込んでいた料理を「それ、美味しそう、頂戴」などとおっしゃるお茶目なところがぐっと人の心を開かせてしまうのでしょう。先生を慕う人がどんどん増えていくのも不思議ではありません。 身体中から優しさと暖かさがにじみ出ている方でした。 昨年の丁度今頃ムサビの同級生たちが我が家に集まって、先生を囲んで賑やかにバーベキューを楽しみました。その1年後がお葬式になるなんて、いったい誰が想像したでしょうか。 先生は何年か前に先生の後を継いで建築家を目指していた最愛の息子さんを交通事故で亡くされています。 今きっと天国で再会されていらっしゃることでしょう。 鈴木先生、沢山の思い出をありがとうございました。 先生の愛はこれからも多くの人々の心の中に消えることのない灯をともし続けて行くことでしょう。ありがとうございました。 安らかにお休みください。 合掌
2013年08月04日
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