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7月から週一回通い始めた「体操教室」のお仲間に誘われて、昨日は秩父近くの山の中にある一軒宿でのお餅つきに行って来ました。 西武線をのんびりと乗り継いで小さな駅に着くと、宿のご主人が大きなバンで迎えに来てくれていました。 行けども行けどもヒノキ林の続く細い林道を上って行くと急に視界が開け、雲一つない青空の下で数えきれないほどのゆずの木がたわわに実をつけている、そこはまさにゆずの里でした。 紅葉の山に囲まれ、目の前の竹藪からは「かぐや姫」でも現れそうな浮世離れした宿の庭にはすでに餅つきの準備がされていました。 セイロからは湯気が立ち上り、台の上にはあんこ、きなこ、大根、醤油などが並べられ、臼と杵も用意されて準備万端。 さっそくみんなでエプロンをつけ手を洗って先ずは大根おろし作り。 ご主人がせいろから出して、ある程度までつぶしてくれたもち米を臼にあけると、交替で餅つきをしました。 生まれて初めての餅つきです。 杵を頭の上まで振り上げないと力が入らないことがわかって、手水をつける人と交代しながらつきました。ベテラン主婦が7人揃えば、瞬く間に大福餅、きなこ餅、辛味餅、のし餅の出来上がり。 日当たりの良いお座敷に用意された寄せ鍋を囲んでおなかいっぱいお餅を食べ、さらに沢山のゆずと共にお持ち帰りも山ほど。そのすべてで一人1580円とはなんというお安さでしょう。 おなかも気持ちも十分に満たされた秋の1日でした。
2013年11月30日
今日テレビで着任したばかりのキャロライン・ケネディー大使が被災地を訪問して仮設住宅の方々や子どもたちと交流する姿を見ていたら、なぜだか涙が出て来ました。 特に感動的なシーンがあったわけでもないのに胸が震えて涙が出るのが不思議でならなかったのですが、多分それは彼女の胸の中にあるものがストレートに伝わって来たからではないでしょうか。 髪型も服装もごく自然で、振る舞いや言葉もありのままの彼女の心がそのまま素直に外に現れていたように思います。 頭で考えた言葉や人からどう思われるかを考慮した行動ではなく自然体の美しさが胸を打ったのだと思います。 これまで何人もの政治家が被災地を訪れコメントを述べていますが、どれもこれも空々しく、胸に応えるものは何も感じませんでした。 それだけによけい彼女の自然体が胸に響いたのでしょう。 彼女と触れ合った子どもたちの心の中にきっと強い印象を遺してくれたことでしょう。見ていてとても嬉しかったです。 彼女にそっと寄り添って傘をさしかけているご主人の姿もとても素敵でした。
2013年11月26日
今日ちょっと用事があって何十年ぶりかで中央区の晴海埠頭まで行って来ました。 地下鉄大江戸線で「勝どき」駅で降りて地上に出たら自分がどこにいるのか、晴海はどっちで銀座はどの方向なのかさっぱりわかりません。 近くのコンビニで晴海埠頭行きのバス停の場所を聞いてようやく自分の立っている場所が晴海通りと交差している月島から門前仲町へ通じる大通りだということがわかりました。 バスに乗って橋を渡るとそこは私の知っている晴海とは全く違う、どこかの外国へ来たのかと思うほどの変わりようで大きなビルが建ち並んでいます。 ただただ、唖然とするばかりで全くの浦島太郎状態でした。 思えば結婚して1年間板橋区に住んだ後、出来たばかりの晴海団地に越して来たのは今から56年前の昭和32年(1957年)のことでした。 あの「Always3丁目の夕日」の時代です。 当時は水洗トイレとお風呂があるだけで最新式と言われた鉄筋コンクリート5階建ての2DKでした。(DKダイニングキッチンという言葉もこの頃に生まれたのです) ここに10年住んで長女と長男を育てました。 晴海団地は賃貸と分譲の両方で14棟あり、後に10階建ての15号棟が加わりましたが、ほかにはマーケットや診療所の入った建物と、区役所の出張所と自動車の教習所があるくらいで、あたりは一面ただの草原だったのです。 倉庫の並ぶ埠頭のはずれには丸いドーム型の屋根の大きな建物があって、そこでは国際見本市やモーターショーなどが開かれ、当時はバスしか交通機関がなかったので、そういう催し物がある時は大渋滞になって、普段は銀座まで15分ほどで行くのが1時間以上かかったりしました。 当時は超近代的と言われた晴海団地もとうに跡形もなくなり、今は高層マンションに建て替わっています。隙間なくビルが建ち並ぶ光景に、改めてこの50年間の日本の発展ぶりを目の当たりにしました。 帰りはバスを築地2丁目で降りて場外市場へ行き、「うおがし銘茶」でいつもの「にゅう」という煎茶を買い、向かい側の魚屋さんで甘塩さけを購入。3センチくらいの分厚い切り身が5枚で1000円ですが、今日はかまがあったので5枚500円のそちらにしました。それと「丸武」の卵焼き。もっといろいろ買いたいけど重くなるのと一人暮らしには多すぎるので横目で見ながら素通り。 昔あれこれ買い込んでは近所の奥さんたちと分け合っていた頃を懐かしく思い出しながら帰って来ました。
2013年11月19日
郵便局ではお年玉つきの年賀はがきが売り出され、そろそろ準備を始める時期になりました。私のいつもの年賀状は年頭のご挨拶だけでなく近況報告も兼ねているので毎年楽しみにしてくださっている方も多く、その文面を考えるのは私の楽しみでもありました。 今年の年賀状は初めて写真を入れて、これからもずっと北軽井沢の自然の中で暮らして行くつもりの気持を込めていつも通り自分で印刷して作りました。 それが2か月後には思いがけない骨折、入院、転居、お店の閉店という激動が続き、今は1年前には想像もしなかった環境で暮らすようになってしまいました。 いつもなら年賀状の売り出しと共に買いに行き、今年の文面はどんなふうにしようかなどとウキウキ下書きなどをし始める頃なのですが、今年は未だにその気持ちになれず、まだ葉書も買いに行っていません。 もしかしたらぐずぐずとこのままお正月を迎えてしまうような気もします。何事も気持が入らないとただの義務になってしまうので、それではいやですし・・・ 毎日の暮らしはけっこう楽しんでいるつもりなのですが、まだまだ消化しきれないものが心のどこかに引っかかっているので、こういう時に気持ちが盛り上がって来ないのでしょう。 いっそメールでの年賀状にしようかなどとも考えていますが、ネットをしていない方もいるので、さてどうしたものでしょう。
2013年11月15日
先日のブログに関して何人もの方たちからメールやお電話をいただきました。 そのどれもが、一部の雑音などに惑わされずこれまで通りに書きたいことを書けばいい、尚さんのブログにはいつも励まされているから今まで通りがいい、SNSはやっていないのでHPのほうがなくなると読めなくなる、などのご意見でしたので、いろいろ考えた末これからも「私らしくあること」を続けることにしました。 それを快く思わない方があったとしてもそれは「仕方ない」と思うことにします。 ずいぶん前のエッセイに「今の社会を電車にたとえると」というタイトルで旧来の社会のまま人の悪口や批判、差別、偏見、嫉妬などが当たり前の世界(A列車)と、そそこにフォーカスせず、何事もポジティブにとらえてオープンな心で生きている人たちの世界(B列車)が並行して走っている、と書いたことがあります。 http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay10-12.htm A列車からはB列車が見えず、そんな列車があることさえ想像も出来ませんが、B列車からはA列車がよく見えて、早くみんなこっちへ来ればいいのにと思っています。 そのほうが楽しいし生きていくのがラクだからです。 私の大好きな本の一つに「小さな宇宙人アミ」という3部作があります。 この中にメキシコの少年がアミに案内されて宇宙船で地球よりずっと進化した星を訪ねるところがありますが、宇宙には本当に愛と平和に満ちた星があって、そこの住人は互いに助け合い、競争や比較などに使う意識を創造的なことに向けていつも笑顔で生きているのではないかと思います。 21世紀に入ってから生まれながらにして進化した意識を持った子どもたちが続々と生まれて来ていて、私が直接知っている子どもたちの中にも何人もいます。 その子たちは進化の遅れている地球の意識を変えるための使者として別の星から送られて来ているのかもしれません。 地球のエネルギーが上昇して来るとこれまで隠されていたことがどんどん顕在化すると言われていましたが、最近の有名ホテルやデパートのごまかしなどが明らかになるのを見ていると、やはり去年からそれがハッキリして来ているような気がします。 同時に人の心の中の闇の部分も隠しておけない時期が来ているのでしょうから、いつも自分の良心(=神)に正直な自分でいたいと思います。
2013年11月09日
17年前に横浜から北軽井沢の別荘地に移り住んだ時、実は私の心はかなり傷んでいました。それまでのいろいろなことから光を失いゆがんでいたと思います。 昔、夏だけ山荘に来ていた土地ではありましたが、特に土地の方との交流はなかったので、61歳で誰も知らない所に一人で住むのは寂しいかも、と思って「カフェフルール」というお店を始めたのですが、酵素玄米、スピリチュアルをキーワードにしたおかげで、同じような考え方の方が多く来てくださるようになり、泊まりにいらっしゃる方も増えて毎日がとても張り合いのある日々となりました。 お店だけでなく車の運転も畑仕事もみんな初めてのことでしたが、どれも想像以上に楽しくて、豊かな自然と澄んだ空気、浅間山のマグマのエネルギーなどに助けられていつの間にか曇って歪んでいた心はまん丸でピカピカになっていました。 毎日が喜びと感謝に満ちた日々となり、そこを終の棲家と決めていたのですが、昨年の12月22日の地球のエネルギーが変わると言われていた日のまさにその翌日から、思いもかけない激動の日々が始まり、年が変わって1月と2月には2度も骨折をして生まれて初めての長期入院を経験しました。 本来なら退院すれば家に帰るわけですが、いろいろな事情から心ならずもそのまま「東京文化圏」内に転居することになり、「カフェフルール」も閉店しました。 退院後もしばらくは体力や筋力が元に戻らず、思うように歩くことも出来ないでいましたが、5か月たった今はもうすっかり元気になり、旅行にも出かけられるようになりました。 本来ならあと1、2年はお店を続けて、お客様や近所の方たちにはあらかじめ閉店の予告をし、お店に皆さんをお招きしてサヨナラパーティーなどしてからクローズすべきですし、そうしたかったのですが、とても中途半端な形でちゃんとごあいさつも出来ずに去ってしまったことが心残りでなりません。 そんな挫折感とフラストレーションが最近になって私を苦しめています。 しかし、そんな愚痴めいたことをネット上に書くべきではないと思い、ブログにはいつもポジティブなことや楽しい気持ちを書いて来ました。それをよしと思ってくださる方も多く、回復を喜んでくださる方、辛いことがあったのに前向きで偉いとほめてくださる方たちに励まされ、元気付けられて来ましたが、最近になってそういう方ばかりではないことを知って自分の甘さを痛感しています。 以前ご主人を亡くした後、オシャレをしたり楽しそうに旅行に出かけている人を非難する人の話を聞いたことがありましたが、世間一般はまだまだ不幸があったら不幸でいなければならない、「人の不幸は蜜の味」社会なんだと気付かされたわけです。 差別とか競争、比較、闘争、嫉妬などという意識を卒業した広い意識の持ち主の方たちばかりに囲まれていたのですっかり甘やかされていたのかもしれません。 それでこれからはブログは「人の幸福は蜜の味」と思える仲間の集まるSNSだけに限って、どなたでも読めるこの「尚さんの気まま暮らし」は閉じようかと思っているのですが、どうしたものでしょうか・・・ ご意見は以下のサイトのcontactを通してお送りください。http://cafefleur.net
2013年11月02日
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