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2020.08.29
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僕のヰタ・セクスアリス ⑳ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 上野千鶴子氏が、結婚の定義を「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」と喝破した。 そして、彼女自身が、この(結婚)という制度を批判するのは、彼女のこの価値観に基づいている。そもそも(結婚)制度は、誰のための制度なのか❓ということだろう。 「ときめいている人ばかりでは、この社会は成り立たないから、結婚という制度がある」(高橋のぶ子・作家)というのも、一つの考え方だが・・・そもそも、人が他人を好きになるということは、(その欠点も含めて、そのすべてを好きになる)ということだ・・・と、思いたいが、現実はそうではない。 相手を好きになっている時、相手に惚れている時は、相手の欠点は、見えにくい。(恋は盲目)という言葉があるように、誰かに恋をする時に常識的なことや理性を見失ってしまうことが 往々にしてあるということ。(同棲も含めて)共に長く暮らしてみて、初めて相手の真の姿が見えてくるというのが現実だ。 これは男性にも女性にも当てはまるし、恋愛という感情を抱くことによって、そうでない状態では考えられないような行動を起こしたりもする。そもそも、(お見合い婚)にしろ、(自由恋愛婚)にしろ、その時、その場での(双方の合意)で会って、長期間の絆を保証するものでは、無いのだ・・・というか、そんな長期間の絆などは、ありえないこと・・・ なぜなら、人間個人については、長所短所を併せ持つ・・・というのが、自然だから・・・魅かれる所もあれば、嫌悪する部分も、必ずあって・・・結婚とは(以前、このブログでも繰り返したように)妥協の産物であるから・・・結婚という仕組みには、どうしても、無理が生じる。 特定の相手との同衾を 固定化して束縛するのは、個人の幸福追求にとっては、不幸の源泉だ・・・と僕は思うのだが・・・大切にする相手が、複数いても、不思議でも何でもない・・・というか、むしろ、そのことのほうが、自然だということだ。 世間で、(浮気)とか、(不倫)とか、非難する時代の常識が、間違っている・・・と、考える。 大切にするのは、一人だけ・・・一人しか(愛せない)という束縛・・・「特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約(=結婚)」自体が、間違っている・・・と思う次第だ。 ヨーロッパでは、結婚制度を超えたフランクな事実婚が、圧倒的になりつつあるそうで、素晴らしい男女関係が、期待されそうだ。うれしい限りだが・・・
2020.05.10
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僕のヰタ・セクスアリス ⑲ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 性自認とは、「自身の性をどのように認識しているか」という自己意識の概念。性自認とは、「自分で認識している性」のことで、例えば、「自分は男性だ」と思っている人がいるとして、この場合、性自認が男性ということになる。また、「自分は女性だ」と思っている人の性自認は女性、ということになる。 もちろん、世の中には、(男)と(女)だけではない・・・男性に近い女性、女性に近い男性・・・だけでもなくて・・・・男性により近い女性、男性にさらに、より近い女性、男性にさらに、さらに、さらに近い女性・・・と言うのが現実であり、「自分で認識できる性」は、それこそ、人の数だけある・・・というのが正解だ。 細胞核には遺伝子を含んだ染色体という物質が入っていて、遺伝情報のうち、性別の決定に関わる情報を持つ性染色体にはX型とY型の二種類があり、「XY」が男性、「XX」で女性になることは、良く知られている。ところが、生物界には、(Y 染色体を持たないオス)が存在するということが、最近発見されている。男女の境界は、恐ろしく多様化していて、世界史でも、各種の研究成果が発表されているが、ここ最近は、特に(人権)の問題とも絡めて、LGBTQが、取り上げられてきた。 LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性が一致していない方)に加えて、自分の性がわからないという「クエスチョニング」と性的少数者を表す「クィア」のQを加えた、セクシュアルマイノリティ全般を表す言葉だというそうだ。 2018年に行われた電通による調査では、日本にはLGBTが8.9%いるということがわかっており、「LGBT」という言葉の認知度は3年前に比べて急上昇している。https://jobrainbow.jp/magazine/whatislgbtqia 僕が、若い頃から、マスター ベーションの時に、性的刺激を得て興奮状態に至る中で、気づいたことだが・・・ (会陰部)が、(濡れてくる)こと・・・最初は、たいして気にもしていなかったが・・・そのうち(何? これは!)と意識することになったのだが・・・ (会陰部)と言うのは、女性の体では、女性器(膣)がある所だ。男性では、睾丸と肛門の中間部分で、外性器などは何も無い部分だが、女性の体では、セックスの時に、性的刺激が高まる中で、男性器受け入れ準備のために、女性器(膣)周辺(=会陰部)から、潤滑液(バルトリン腺液)が滲出することが知られている。これは、セックスの時に、(男性器=ペニス)の挿入をスムーズにして、陰茎と膣の粘膜同士の摩擦を低減する働きがあるという。 僕の場合、その会陰部周辺が、自身のマスター ベーション(=自慰)の結果、性的刺激を受けて、会陰部から、謎の!体液(バルトリン腺液状??)が、滲出していたことだ。 これは、よく言われる、男性の尿道球腺から分泌されるカウパー腺液(我慢汁、先走り汁とも呼ばれる)とは、まったく違う場所からの滲出なので・・・最初は、(精通)の時ほどではないが・・・驚いたし、戸惑った。 (滲出)という言葉を使ったのは、まさに(滲み出てくる・・・)からだが。この現象は、若かりし頃のマスター ベーション=自慰の時に、顕著に・・・かなり、べったりと濡れるくらいの現象だったが・・・加齢とともに、(枯れていくように!)減っていった。 すなわち、僕自身の体には、男性の遺伝子(染色体)のほかに、遠い昔の女性の遺伝子(染色体)が、引き継がれている・・・ということがわかる。その比率は、程度の差であるということだ。男女についての現実は、間違いなく「自分で認識できる性」は、それこそ、人の数だけある」ということだ。
2020.05.09
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僕のヰタ・セクスアリス ⑱ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 30代の前半だったか? 僕は、パイプカットと仮性包茎手術を受けた。2人の子供を得た後だったことと、不特定多数とのヰタ・セクスアリスのためである。そして、そのあと、しばらく時間を置いてから、男性器(ペニス)の中に、弾力性のあるプロステーシス(インプラント)の挿入術を受けた。よくパートナーから、(触ったら何か骨みたいな固いものが・・・)と不思議がられたものだ。(人間の男性器には骨がない) これは、保険適用外で、まとまった費用もかかる。が、「いざ鎌倉」に備えたモノで、臨機応変対応には、すごく重宝した。これは、加齢に伴う精力減退時の今、現在のマスター ベーションにも、威力を発揮しているのは想定外(ラッキー)だった。 一般的には、性的刺激を受けた脳の中枢神経から指令を受けて、陰茎海綿体の血管内に急速に血液が充満、膨張して血液の圧力によって、海綿体は硬くなり、勃 起現象が起こるとされている。(一旦、勃 起すると、海綿体を覆う白膜がパンパンに膨れた状態となり、静脈が圧迫される。これによって陰茎の内圧が上がり、一度流れ込んだ血液が簡単に出て行くことなく、勃 起が維持される) が、加齢に伴い、性的刺激自体に鈍感になったり、血管の詰まり(糖尿病患者)などで、充分な血液の集中による勃 起を保つことが、できなくなり、時には、まったくの(勃 起不全)となりうるケースが多い。 バイアグラは、有名で、一般的効果(持続性)は、折り紙付きだが、一昔前は、、このプロステーシス(インプラント)挿入術も、結構、知られていて、今でも施術されている。
2020.05.08
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僕のヰタ・セクスアリス ⑰ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 以前書いたが、周りを見渡せば、何らかの理由で、独り身の男女が、増えている・・・というか、ある時には、半数近くのこともあった・・・・。今や、死別はともかく、離婚なんて、珍しくもなんとも無い・・・一度しか無い人生で、この先、不要な苦労、DVに耐えることは、本意ではない・・・当たり前の話だ。 人生観、人生に何を求めるか?という問題に行き着くのだが、それが、実は誰にも分らないことだとしても、新しい人生に踏み出すことは、ポジテイブで、一般的には良いと思う。その結果が、吉と出るか、凶と出るかは、誰にも分らない。たとえ、それが、自分の運命であったということで、納得するしかないのだが・・・ 離婚には、相当のエネルギーが要る・・・と友人は言った。ときめいた分だけ、その跳ね返りが大きいということだろうか? そういう状態であれば、損得勘定が入り込んでくるものなのかもしれない。(老後は、お金)の問題が重要だから、それを考えなくても離婚出来る人は、増えてきているけれども、大半は、老後の苦労を避けることは難しいだろう・・・ ときめきの、消え去りつつある大半の夫婦が、それでも(離婚)を避けることは、可能か?? これに直面しつつある夫婦は多いのでは、無いだろうか・・・・「適当な距離を置く」・・・これが、僕の答えだ。数十年前から実践中だが、同時に、「必要以上に会話を維持すること」も、重要だろう。 昔、若いころ、ユースホステル利用で、よく一人旅をしたが、不思議に思うことがあって・・・・しばらく一人旅を続けていると、無性に人恋しくなり、宿(ユース)に着くと、急に饒舌になり、男女を問わず同宿のホステラーたちに話しかけたり、騒ぎまくっていたモノだ。 その時の初対面のメンバーが数人集まって、翌日の旅に同行することに・・・ところが、だんだん(話合わせ)や(相づち)が、煩わしくなり(一人になりたくなり)、しばらくのお付き合いの後に、一人旅に戻っていったモノだった。特に、山行時には、そのような孤独感が増していたように思えたモノだったが・・・ 「適当な距離を置く」とは、そういうものに近かったのではなかったか・・・と。(つかず離れず)で、(ほどよい距離)をとり、自身を取り戻すことも、人生、必要ではないか?と。もちろん、双方にとっての事だが・・・それが、結婚を継続する秘訣?だと、思ってきた。 そのためには、お互い、一人になれる自身の部屋が必要だ。人間誰しも、旅行時でなくても、一人になって音楽を聴いたり、本を読んだり、テレビを観たり、昼寝やうたた寝、インターネットなど・・・したい時が、必ずあるハズだ・・・なぜって、価値観が異なり、問題意識が異なれば、聞く音楽も異なり、読む本も異なり、観るテレビも異なる・・・からだ、違うだろうか? (参考) つかず離れず婚 定年世代の新しい生き方 (日本語) 単行本 – 2020/3/10 和田 秀樹 (著)https://www.ikedashoten.co.jp/book-details.php?isbn=978-4-262-16039-9 そもそも、つれ合いにストレスを感じるときは 「疲れてひとりになりたいとき」だろう。自分の時間を自室で過ごすことで(=少し距離を置くことで)ストレスの解消になり、次のステップへの切り替えができるというモノだ。 人は一人では生きていけません。でも、つれ合いや親友といっても、踏み込まれたくないという部分もあるし、そのことで、ストレスを溜めない生き方も意味があるのでは・・・と思う次第だ。
2020.05.07
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僕のヰタ・セクスアリス ⑯ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) アツアツの熱烈カップルが、いつまでも(アツアツ)では、社会は、前に進まない・・・ことを、前に紹介した。(結婚)は、興奮を抑制するための鎮静剤なのか・・・???そういう意義は、一定認めざるを得ないかも・・・(参考)永遠に恋愛感情、つまり恋のときめきが生き続けることはない「恋愛空間」高樹のぶ子(作家)https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201512290004/ しかし、それでも、(結婚制度)事態は、社会的に支配者によって、作り出されたもの・・・ということには、変わらない・・・上野千鶴子氏の「結婚の定義とは、『自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと』」であり、それは、社会の安定的支配を実現するための支配者にとっての安全弁のようなものだろう・・・ あり得べき、人間の結びつき・・・を考えると・・・好きになった時に、好きになった人と同衾し、状況が変化すれば、それに応じて変化すればいい・・・ではないだろうか?(結婚フリー)は僕の理想だ。https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201812040001/ あるサイトで見たのだが、一夫一妻制は、つい最近出来上がった夫婦の形で、昔は契りあうのは必ずしも生涯1人と言う事は無く、いろいろな夫婦の形があったようだ。そんな男女の出会いの場と農村の楽しみの一つとして、祭りが有り、その時は無礼講となって未婚・既婚に関わらず性欲が欲するままに行動した地域もあったという。そんな訳で古来祭礼には、性的な部分が含まれ、明治時代に入っても一部の地域では、性的祭礼が行われていたことは、明らかにされている。昔は子供の生存率が極端に低くて、生む事が大切だった事もあるのかも・・・とも言われている。(参考)「夜這い」にみる歴史的婚前交渉への誤解 歴史探訪https://www.menscyzo.com/2009/08/post_230.html
2020.05.06
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僕のヰタ・セクスアリス ⑮ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 若いころの思い出・・・当時は、裏本や海外の無修正誌などのアダルト雑誌が、時々、入手に可能で、結構身近にあった。アメリカへ3週間ほどの個人旅行をした時、当時(たぶん今でも)そのものズバリ、モロの成人グラビア誌が簡単に入手出来て、違法を承知で、5~6回に分散して、船便で日本に送ったことがあった。そのうちの1件のみ、無作為抽出の網の目に罹って、税関から連絡があり、「放棄」せざるを得なかったが、残りは、無事、日本で受け取ることができた。 また、これも若いころの話だが・・・SNSの発達した今では、まったく考えられないことだが、スワップ誌隆盛の時期があった。(今は、全社、経営破綻で倒産して、一誌も無い)これを、同好マニアの輪を拡げるのに大いに活用させてもらった。 コンタクト方法だが、当時のスワッピング誌大手の「ホームトーク」誌は編集部経由での手紙のやり取りのみしか方法が無かった。(後になって、携帯電話が普及するにつれて、直通やり取りできるようになっていったが)今と違って、物凄く時間が掛かるシステムだったが、「オレンジピープル」誌と併せて、利用価値があり、同好のマニア開拓に大いに利用させてもらった。 掲載されている夫婦やカップル宛ての手紙を編集部に送り、編集部経由で返事を受け取り、マニアの付き合いが始まるパターンだ。プレイに至るまでに、それなりの時間が必要で、その一方、自身のメッセージを掲載すると、自身宛ての手紙が、編集部経由で、多数送られてきて、選別しながら、プレイの幅(人脈)を広げることができた。 紙面に掲載されるまでに、相当の時間がかかり、選別しながらも、何回か手紙や電話でのやり取りが必要で、それからプレイに至る・・・というパターンだ。回数は、多くは無いが、ワイフの相手も、そういう形で募集して、何人か見つけることができた。 慎重な人だと、プレイに発展するまでに、トータルで数ヶ月は掛かかることもあったようだが、その煩雑さが故に真剣にお相手を探されている方が多く、実際に何度も(50回以上?)お会いしてみたし、どの皆様ご夫婦も、仲良く深い愛情で心がつながっていることが分かり、僕自身非常に勉強になったことも・・・ 全国各地で、毎日のように、数100万、いや数1000万のカップルが、自宅の寝室や、自宅外、ホテルや風俗関係、野外その他で、交合が行われていて、その結果・・・この地球上には、78憶7500万人(2021年度)の人間が、この世に誕生していることは、明白な事実で・・・ちょっと想像することが、恐ろしい数だ・・・・(昨年に比べ8000万人増加とか)
2020.05.05
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僕のヰタ・セクスアリス ⑭ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する)高校生の頃には、(ビニ本)が、流行った時期がある。局部に墨塗りのモノが、多かったが、中には(裏モノ)という墨無しの違法モノも、出回っていたようで、性教育などが、まともに無かった時代、隠れてコッソリ眺めることも・・・ 僕らの時代は、日活ロマンポルノが、全盛で、ポルノ映画館の煽情的な看板に、強い刺激を受けたものだ。ポルノ情報が載ったスポーツ紙も多かったし、通学電車の中は、刺激が多かった。映画「O嬢の物語」や「カリギュラ」が、宣伝されていた時には、今は、まだ学生だが、そのうち絶対観てやるぞ・・・と誓ったものだった。 が、映画「O嬢の物語」は、ボカシ入りで、日本でも見れたが、「カリギュラ」は、アメリカ旅行の際に、サンフランシスコで、観た。全裸シーンのあるNYのミュージカル「オー!カルカッタ」も、興味津々で、一度観たいと思っていたが・・・結婚後、しばらくしてからの3週間のアメリカ大陸旅行で、NYのオフブロードウエイの劇場で上演されているのを、2人で、覗くことができた。 (このミュージカル、「オー!カルカッタ」は、なんと男女が全裸でダンスやアスレティックなパフォーマンスをするというもので、そんなもの日本では絶対見られないから是非見ようと思っていた。70年代初頭頃からのロングランで、最初から最後までヌードのパフォーマーが動き回るので、エロティックという感じではなく、ヌーディスト村に来たような雰囲気で、性革命を描く時代背景があったと思う。)(第79回「NYの劇場あれこれ」ブログ) 映画「O嬢の物語」・・・O嬢は、鞭うたれ、縛られ、晒し物にされ、凌辱され、さらに、他の男のもとにわたされ、最後には、全身の毛を抜かれ、ふくろうの面を被せられ、女性の秘かな部分には鎖をつけられ、烙印を押されて、パーティーの場に供される・・・・ これが、究極のSMかどうかは、個人判断に任せるが、人間の性的志向の多様性というモノには、驚かされてばかりだった・・・・正常とは何か?異常とは何か? (変態)とは、何を指していうのか? いまだに、わからないことばかりだ・・・・
2020.05.04
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僕のヰタ・セクスアリス ⑬ (はんぺん)ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する (ドーマクラブ)というSMサークルが、オランダのデンハーグ市にある。(ずいぶん昔の日本のSM雑誌に紹介されていた) 僕は、海外旅行の際に、このサークルに、4~5年空けて、単独で、2度、参加している。 立派なプレイルームを持つ、秘密クラブっぽい雰囲気のあるマニアのたまり場という感じで、これが、住宅街の中の普通の住宅にある。看板も何もないので、外見から見て、そこにそんな場所があるとは、誰にも分らない。日本のSM誌には、住所が記載されていたので、最初にデンハーグに行った時に、市内地図をしらみつぶしに探し、やっとたどり着くことができた。入会の手続きと入会金支払い後、会員証を受け取る。 もちろん、旅行中の事(内緒)で、ホテルにワイフを置いて、僕一人で出かけることになるのだが、日本とは違ったSMプレイが、目の前で展開されて、興味深かった。M(マゾ)の男性が、激しくムチ打たれて興奮し、目の前で空中に、大量の射 精を始めたのも見ものだった。 女性のS(サド)の責めは、結構、ハードだった。この(DOMAクラブ)は、その後、日本でも名前を知られるようになり、プレイビデオやDVDなどが、モザイクを入れて、堂々と発売されていた。 一方的に相手の気持ちも考えず、むやみに苛めるサディストというのは、実際にはほとんど存在しない。当然の事ながら、SMプレイはSとMの共同作業だからだ。サディストとしてプレイはするけれども、殆どのSは、自分の心の中や感性に、絶対的にM性も持ち合わせている。 S男性としての自分が、パートナーのM女性と、長期間、プレイづきあいしてきたから、自分は絶対にS(サド)の筈なのだが、SM小説などを読みながら自慰に浸る時は、必ず被虐女性、つまりマゾの気持ちになっている。 たとえば、女性のアナル(肛門)を責めてみたい願望があるとすれば、自分もアナルを責められてみたいという潜在意識があったハズだ。女性をムチ打つという願望があれば、自分もムチ打たれたい・・・という欲望がある・・・と感じてきた。 僕の場合、たまたま勇気が無かって? Mの立場には立ち切れなかったというよりも、S(サド)の立場からのパートナーに関わる時間が、あまりにも多すぎただけの事だった。S女性(女王様)から、責められるM的妄想は(誰にでもあると思うが)、今でも、時々・・・
2020.05.03
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僕のヰタ・セクスアリス ⑫ (はんぺん)(ラテン語で性欲的生活を意味する) 「偶然の苦痛は、快感とはならない。つねに苦痛は、意図的に与えられるべきである。罰を与える側は、M(マゾヒスト)に奉仕される存在と理解するべきである。ともに繊細で、想像力が豊かでなければならない。罰を与える側は、マゾヒストの叫びや懇願にもかかわらず(責め)を続行すべきかどうか、それとも中断すべきかを常に察知していなければならない」(分裂病者のダンスパーティー) 「繊細な心理的な駆け引きが必要になる。性的快感だけでは、説明できない何かがある」(分裂病者のダンスパーティー) 「サディストが、もし彼の行動が、反社会的であれば==つまり彼が、レイプしたり、暴行したりすれば==精神病者とされるが、もし彼の行動が、パートナーの自由な同意を得ることができれば、精神病者に分類されることは無い」(分裂病者のダンスパーティー)。 (「分裂者のダンスパーティー」から)① M(マゾヒスト)は、罰が言い渡される前に、それに値する何かを提供せねばならない。② 罰は、すぐ与えられるべきではない。その前に十分な不安と恐怖の時があるべきである。③ そこには、何かの儀礼や劇と対応する要素がしばしば挿入される。④ 当然のことながら、偶然の苦痛は、快感とならない。つねに苦痛は意図的に与えられるべきである。⑤ 罰を与える側は、マゾヒストに奉仕する存在と理解されるべきである。⑥ ともに繊細で想像力が豊かでなければならない。罰を与える側は、マゾヒストの叫びや懇願にもかかわらず続行すべきか、それとも中断すべきか、つねに察知していなければならない。 Sが、Mに対して、(内容が非合理的であれ)罰を与える際の(気づかい)と(責め)についての理解は、実行者の僕には、よく理解できる。常に、Sの立場に居ながら、同時に自身のM的資質を意識し続けていたこと、性的欲望の発散は、S、Mともに(プレイ)においてのみ、成就される。 Mにとっての性的快感とは、ムチ、縛り、吊り、ローソク・・・などによって得られるものでなく、Sに屈服するという心理状態から湧き上がるものであり、満足感に至る。相当、ハードなむち打ちを何度も実行したが、Mのパートナーは、真っ赤に腫れあがったセクシーなヒップの痛みに悶えながら、その余韻を楽しんでいる風情だった。そういう時でも彼女は、最後まで、(止めてくれ)とは、言わなかったのだ。(プレイのルールで、Mからストップのサインは可能である) こういうムチ打ちの時の僕の心情は、まさに (罰を与える側は、マゾヒストに奉仕する存在と理解されるべきである。)で、ひたすら、汗を流しながら(ムチ打ち)という労働を強いられているM(マゾ)の立場に、転倒しているわけだ。(倒錯の論理)様々な(責め)を考案したり、予定を組んだり、資金を提供したりするのは、Sの立場の自分であり、Mはあくまで、Sに対して、M的快楽の提供を要求する立場に徹している。 罰は、すぐ与えられるべきではない。その前に十分な不安と恐怖の時があるべきである。Mに対して、いきなり(責め)を加えることは、プレイではない。それは、単なる虐待であるだろう。Mにとって、今から与えられる罰が、どういうもので、どういうダメージが予想され、それにいかに備えるべきか・・・を考える時間が、必要だ。 必ず、プレイの前に、僕は、プレイ道具を見せたり、口頭でプレイ内容を告げたり、コスチュームを整えさせながら、間を取ってきた。その間、Mは、自分の(責め)の結果を想像したりして、(不安と恐怖)の時間をすごすことになる。そのプロセスが無ければ、SMのプレイの意味は無いように、僕には思える。その過程を 大切にしてきた。
2020.05.02
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僕のヰタ・セクスアリス ⑪ (はんぺん)ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する SとMは、コインの裏表と、よく表現されるが、僕自身は、長年、S(サド)の立場でのみ行動してきたが、自身がM(マゾ)の性癖も持ち合わせていることを 常に意識してきた。 (寝取られ性癖)は、M的資質の典型である。僕は、大切な何人かのM(マゾ)のプレイパートナーを、第3者、もしくは複数のマニア仲間に提供した。 世間でいう(正常な)男女関係であれば、婚姻関係が有っても無くても、大切なパートナーを第3者の(単数複数に関係なく)異性もしくは同性に提供するなど、もってのほか・・・ということだろう。少なくない(寝取られ性癖)の者にとっては、自分の大切な宝物を、単複数のマニアやグループに蹂躙される、奪い取られることで、M的資質(快感)を満足させうる。 パートナーに旺盛な好奇心と欲望が無ければ、また、SMの感性が無ければ、なかなか他人を加えたプレイの実行は、難しい。好奇心の旺盛な彼女に、ガタイの大きな白人を与えたり、中型犬を与えたり(犬姦)、7人ぐらいのマニアたちと旅先でSM同時乱交をしたことも。 ムチ打たれながら(痛みを感じながら)、パートナーの性器が潤い、充血し、いつでも男性器を受け入れる状態に仕上がるのが、プレイの理想であり、彼女の体は、調教(訓練)の結果、そういう感性豊かに成長していった。 僕の場合、当初、頻繁に、ラブホを利用して、縛り、ムチ、ローソク、浣腸、吊りなどで、S的生活を満喫したが、次第に、もの足りなくなってくる。ポルノ映画館や野外露出、混浴温泉などでの羞恥プレイも、相当、実行したし、マニアの仲間を呼んで、何度も複数で責めたりしたことも・・・が・・・セッティングも、マンネリ化する。 パートナーを北海道・東北から、九州まで、プレイ旅行に連れまわして、観光しながら、現地のSMマニアと合流して、目の前でパートナーを責めさせて、性欲的生活を充実させた。 そのセッティングは、恐ろしく面倒ではあったが、苦にはならなかった。性欲的生活においては、僕の場合、こういうパターンが、多かった。 別のパートナーとは、自宅周辺に飽き足らず、やはり近畿一円を徘徊したが、このパートナーと、香港・シンガポールまで、連れまわした。 相手次第で、かなり長い付き合いになった人もいたが、マニアの友人も招き、複数プレイを何度も経験させた。別のパートナーは、相当なM(マゾ)資質があって、アブノーマルプレイへの入れ込みが、際立っていた・・・・知人の紹介で、付き合いだしたパートナーもいたが、それぞれに個人差があり、(調教)に興味を示した場合は、SMプレイに進むが・・・ノーマル志向が強い場合は、ノーマルで終わる。
2020.05.01
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僕のヰタ・セクスアリス ⑩ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 「奇譚クラブ」の強い影響を受ける中で、最初は主として、その種のSM雑誌から、多くの知識を得ていく。やがて、大阪市内のSMクラブの撮影会にも顔を出すようになっていく。たくさんの趣味の仲間を得て、交際が広がる。当時は、SM雑誌が全盛の時代で、多くの若者が、この種の集まりに参加していた。その後、スワッピング誌(交際誌)を利用して、趣味の仲間を見つけることも。 プレイ実践の機会が増え、その趣味のプレイ道具は、どんどん増えていく。縛りを中心に、ムチ打ち、ローソク責め、浣腸責め、吊り責め、羞恥プレイ、野外プレイなどを、相当数、実践することになる。ここまでくれば、かなりのマニアということになるが、そのうち数人の特定のパートナーができる。 パートナーの一人は、(寝取られ性癖)の旦那さんの希望で、相当長い期間、僕に(差し出された)。(貸し出された)とも(提供された)とも言う。パートナーは、パートナーであって、愛人ではない。(寝取られ性癖)の旦那さんの希望は、S(サド)である僕や僕の仲間たちにより、彼の妻を激しく(凌辱)してほしい・・・というもの。言葉の真の意味での(凌辱)であり、あらゆるプレイが容認されるがゆえに、僕との信頼関係は、絶対的なものだった。 誤解の無いように・・・この夫婦は、2人の子供もいて、経済的にも恵まれた、とても仲の良い夫婦で、僕は何回も、相手の家庭を訪問して雑談も交わしている。 性的には、(寝取られマゾ)ということで、愛する奥様が御主人以外の単複男性に責められることで、性的興奮(快感)を得る性癖の持ち主であるだけ。こういう(寝取られ性癖)を持つ男性とは、たくさんお会いして、奥様とSMプレイを実践してきたので、僕的には、違和感は無いが、世間常識的には(?!)理解されにくい。 とりわけ、アブノーマルな世界の事は、マニアたちが、自分の世界の中に閉じこもる傾向があり、一般には(変態)の一言で、片付けられてしまう。 僕は、青春期以後、この不思議な性の世界に、(誰でも同じだろうが)とても好奇心があり、不思議な思いを抱きつつ、前向きに関わってきた。 そのような人間が、他の生活面では、(社会主義・戦争反対・ヒューマニズム)のリベラル政党の活動家として、日常活動や多くの各種選挙闘争に、自身の多くの時間を割いて、没入していったということだ。 僕の毎日が、いかにオドロオドロシク多忙だったかが、窺い知れるだろうと思う。
2020.03.04
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僕のヰタ・セクスアリス ⑨ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 70年生きてきたら、いろいろなことがあって不思議ではない。 そして・・・つくづく(人間は、動物の一員なんだ)と思うに至る。 (性欲が、芸術の源泉だ)などとは、思わないが、動物であるがゆえに、理性から、相対的に独自的存在としての動物本能的世界も、存在している。 小学高学年時には、顔立ちの整った女子が、何人か、いたことはあったが、そんなに強く異性を意識するというようなことは無く、男子は男子で、固まって野球やドッジボールを楽しんでいた。この時期は、男子よりも、女子のほうが成長度合いは早い(早熟)らしい。僕自身の生理的現象には悩まされていたが、あまり女子には関心が向かなかった。 しかし、その後、成長するにつれて、テレビや映画などでも、性的な刺激を絶えず受け続けてきて・・・関心は、身近な異性に向いていくのが、自然だった。 また、毎朝の起床時の(朝立ち)にも戸惑うばかりだった。 よく、昔の公衆便所などでは、たくさんの(エロ落書き)があって、興味津々と眺めていたことは多かったが・・・そんな所から(勉強)していったことも・・・ そして、中学生になってからは、親の期待(進学)のプレッシャーもあったので、勉学に邁進しなければならず、生理的現象は、勉強の障害になるということで、自分を抑えるのに、ずいぶん苦労した。 僕たちの年代は、性については、誰もきちんと教えてくれなかったので、自分たち自身で、情報を求めるか、仲間内で、こっそりと教えあうしかなかったのだ。 資質としての(人間嫌い)は、どうしようもない。好きなことを好きなだけ、やりたかったが、生理的欲望だけは、抗いようが無い。人間は、動物なんだと、変に納得する。 良いことも悪いことも。人類の歴史は、まさに(戦争の歴史)であり、争い=殺し合いは、絶えることが無かった。反省なく、戦争を繰り返すのも、理性を押しつぶす動物的本能のなせる業カモ・・・??? 今や、人類は、自身を何千回と抹殺できる武器を所有するに至る。制御する能力を維持できなければ、絶滅するのみ。
2020.03.03
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僕のヰタ・セクスアリス ⑧ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する マスター ベーションについて・・・若いころと70歳を超えた今とでは、どう変わってきたのだろうか? 若いころは、とにかく(やみくもに)繰り返していたモノだ。あの脳天に突き抜けるような快感に溺れていたのだ。他人に迷惑をかけるものでもないし、ひたすら、自身の身体の欲望に忠実に(励んでいた)。それが、若い身体の自然な成長だ。 天国にも上るような、あの快感は、勃 起から射 精により得られるので、もっぱら射 精そのものに至ることが目的だった。射 精による快感を求めて、1日7回~8回も、多き時はたぶん、10回以上も繰り返していたと思う。 加齢に伴い、マスター ベーションも変化してきた。毎日欠かせたことの無いマスター ベーションだが、歳を経るにつれ、射 精による快感に、そうこだわることは無くなった。精力が衰えて来たこともあるが、性器に手を伸ばし、摩擦を繰り返すだけで、精神的安寧を得られ、ストレスの解消になっているように思える。それが、主要な目的に変化したようだ。射 精そのものは、7~8回に1回程度になった。 若いころは、必ず射 精に至るのが当たり前だったのとでは、大違いだ。夜、寝るとき、朝起きるときに、1日2回は、必ず股間に手が伸びる。しばし、自身の身体の調子を診るような感じだ。そして、束の間のひと時を(楽しむ)。そんな時は射 精などは考えられないが、ルーティーンとしてのマスター ベーションは、欠かせない。 女性のマスター ベーションは、どんなものだろう。女性のマスター ベーションは、クリ トリス派とバギナ(膣)派の2派に別れるらしいが、いずれにしても、精神的な安定とストレスの発散に至るわけで、こんなに 素晴らしいマスター ベーションを実行しないという選択肢は、あり得ない。 射 精については、さっぱり医学的知識の無い僕が、経験的に独断で、言わせてもらえば・・・射 精時の快感や単なる性器摩擦時の快感は、男性の尿道の内側に秘密があるのではないか?というのが、僕の診たてだ。 性的刺激が脳に伝えられ、脳から股間に(勃 起させ、射 精に至れ)という命令がなされるとき、尿道の内側に性的興奮を高める細胞が前面に出て、尿道内を通過する精 液に反応する・・・そういうシステムがあるのではないか?と想像する。 この(尿道の内側に性的興奮を高める細胞)は常在していて、脳からの指令がなくても、それ相応の役目を果たしているように思える。 それは、人間の排尿時の快感と同質のモノではないだろうか? という素朴な疑問だ。以前から、感じていたことだが・・・排尿時の快感(と言って良いだろう)と、勃 起からの射 精時の快感とは、どう違うのだろうか・・・ということ。 尿意を感じて、トイレに行き、排せつ(排尿)するときに、生理的に(快感)を伴うが、これは、尿道の内側が感じているように、僕には思える。 射 精時の快感とは、レベルが違う? 確かにそうかもしれないが、我慢していて大量に溜まった尿を一気に排せつするときは・・・あの天国に上るような快感を、僕は感じている・・・皆さんは、どうだろう・・・・ 尿道の内側に性的興奮細胞が、常在するのであれば、我々が生存する限り、性器を刺激して(=マスター ベーション)快感を得ることができる。70を越えた僕でも、おそらく元気なうちは、死ぬまで、この快感の恩恵に浴することができる・・・と、僕は考える。
2020.03.02
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僕のヰタ・セクスアリス ⑦ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 青春時代は、同時に、(性的妄想時代)でもあり、多くの動物と同じで、セックスについての(縛り)から、逃れることはできないと断言できる。 現代の若者を(草食世代)とうのは、まったくの間違いで、人間である限り、あの突き上げる性的欲求・衝動は、自然の生理現象だ。ただ、若者総体の貧困化で、車を乗り回せない(=買えない)世代の行動パターンが、変容(消極的に)しているだけ。 この動物的な生理的現象は、男であれ、女であれ、逃れることはできないものと思っている。あの体の奥底から突き上げるような、湧き上がるような性的欲望は、最後には(発散=射 精)でしか鎮まることは無いだろうし、合法的な発散方法は(結婚)である。 上野千鶴子氏(東大教授)の結婚の定義「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」を思い出してほしい。 結婚が選択肢に無かったら・・・不倫、強 姦、同性愛に走ることになる。上野さんは、「特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約(=結婚)」は、おかしいと、問題提起している。そう、どうしても、そんな歪んだ(契約)は、無理があるということだ。それを長く続かせるためには、どちらかが、妥協する(戦前では、女性)しかなかった・・男性に3歩遅れて歩く女性が(女の鏡)とされたように・・・ お互いの妥協によって結婚は、長続きする・・・ということは、(妥協)できないまでに沸騰してしまえば・・・離婚することしか解決の道は無い。僕の周りを見渡せば、なんと離婚された友人知人の多いことか・・・それが、現代男女事情だ。 2020年6/23の反安保全国統一行動を機に、僕は、少し前からの計画通りに、(運動)から離れ、距離を置いた。(この選択は、今も正しかった・・・と総括している) 自分のこれまでの言動について、もっと客観的に見つめなおす必要があると感じていたから。 国内や海外に、頻繁に旅行して、もっと(世間)を知ることに努めた・・・・しかし、同時に(青春時代真っ盛りの中)、性的好奇心は、衰えることなく、(ビニール本)などで、自慰=マスに、励んだものだ。 学生時代、同志社大の友人と2人で、韓国へ貧乏旅行した時に、有名な観光地・慶州の(仏国寺ユースホステル)に泊まったことがある。仏国寺は、1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された有名な寺院で、今でこそ観光スポットになっているが、50年前の韓国は、貧しかった・・・寺自体、かなり荒れ果てていて、YHで若者を泊めて収入源の一部に充てていたのだろう・・・この時、YH側から「女は、要らないか?」としつこい働きかけを受けて、びっくりしたことを今でも鮮明に覚えている。 (売春)は、韓国では、堂々とした立派な職業だ。国際的に(昔から)有名で・・・ブローカーなどの手配で、売春目的で、多くの韓国女性が、日本はもちろん、アメリカやオースとラリア等に渡って、(商売)している。なによりも、身体一つでの商売なので、(元手)が要らないのが、最大の魅力だ。これに関しては、欧米各国では、よく非難を浴びることが多い。(以前、このブログで、アメリカやオーストラリアで、韓国人売春婦が、大量に摘発を受けた・・・と何度か、ブログでも書いたことがあるが・・・こういう情報は、大新聞やリベラル紙に報じられることは無い・・・ので、知らない人は多い) やはり、50年ほど前、台湾で、この友人と台湾一周の貧乏旅行をした時、高雄(台湾第2の都市)市内を、ブラブラ歩いていると、怪しげな、今にも壊れそうな、古ぼけた長屋街の中に、入りこんでしまったところ、20~30人の若い売春婦たちに取り囲まれてしまったことがある。みんな真っ白のワンピースを着ていて、周りの住人達とは明らかに区別がつくイデタチで、(良いカモが来た)と見られたようで、僕たちの腕をつかんで、自分たちの部屋(閨)に引っ張り込もうとする。1枚皮をむけば、清潔そうな白装束の裏には、厳しい貧困、困窮生活という悲しい現実が・・・と、思われたが・・・この時は、何とか、2人とも無事、逃れおおせた。 この後、1972年の夏、英国の、ボーンマスでホームステイするのだが、その学校の近くに、ヌーディスト村があった。ヨーロッパでは、多くの場所にヌーデイストたちが、滞在する(村)や、(ビーチ)が、数多くある。僕は、好奇心があったが、友人を誘って行けなかった。 このホームステイの時に、講義をサボってスコットランドに、自由気ままな個人旅行を試みたときに、ネス湖畔のYHで、今のワイフと知り合うことになる。 このワイフと結婚(1974年)して、その後、1982年の夫婦個人旅行で、ドーバー海峡に臨むオランダのシュベニンゲンという町にあるヌーデイストビーチに寄ることがあった。 多くのビーチは、プライベートビーチとパブリックビーチに、簡単な柵で、分けられていた。パブリックビーチは、普通の海水浴場(といっても、彼らの主な目的は、日光浴)で、水着は必携。プライベートビーチは、いわゆるヌーデイストビーチで、みんな全裸で、日光浴したり、ビーチバレーなどして、好きかってでくつろいでいる。ヌーデイストビーチでは、原則、カメラ撮影禁止となっていたが、僕たちは、結構、お互い、平気で撮りあいっこしたものだ。 実に、オープンなのだが、日本人の我々には、イマイチ、よくわからない。男たちは、ヌードの全裸女性を見て、刺激を受けて興奮しないのだろうか? 素朴な疑問であったが・・・そんなことは、まったくなかった。当然と言えば、当然の話・・・・ コーラ・ジュースの売店に行くも、店側も、客も、当然、素っ裸。ビーチバレーしている若い男女たちも、みんな素っ裸。それでも、勃 起している男性をまったく見かけなかったし、僕も、興奮することは、全然なかったのだ。 オランダのアムステルダムには、有名な(飾り窓の女)のエリアがあり、最初は、どんなものか・・・? と興味があったが、当時(現在は、わからないが)の僕の感想では、(なんだ、大阪の飛田新地と、たいして変わらないやん)というもの。当時は、(飾り窓)地区がある一方で、ヌーデイストビーチがあるのが、オランダだった。 青春時代の大きな転換点は、政治社会運動への目覚めと 自らの性的欲望に忠実にSM(サド・マゾ)の世界の門戸を開けたことだった。
2020.03.01
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僕のヰタ・セクスアリス ⑥ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 学生運動内では(男女交際など、もってのほか)・・・というのは、僕の極端な考えだったにしても、(運動の大義)は、すべてに優先されるべきだとは、考えていた。しかし(大義)は、あれど、日常生活の中で、身体の深奥から、突き上げる性衝動は、絶えず、それは、僕を悩ませた。 教師や医者、議員などの(先生)と呼ばれる職種の人たちに、性犯罪が多い傾向があることは、よく知られているが、多くの(大義)に取り囲まれたストレスのはけ口としての(性犯罪)とうことで、人間というものは、複雑怪奇で、よくわからない。学歴や知的レベルの高い?人たちに、この種の(性妄想)が多いというのは、間違いない。後日、僕自身、この種の(過ち)に手を染めることになる・・・ 学生運動時代、よく阿倍野筋界隈に古書店が多かった。僕たちは、社会科学の本(絶版本も)を探しに、頻繁に通ったものだが、その時に、またまた大きな価値観を変える出来事があった。 たぶん、大学1年のころ、たしか、阿倍野の「天海堂書店」だったと思うが、性的関心の強かった当時、ふと手にした本が「奇譚クラブ」。SM系のカストリ誌では、有名な趣味本だったが、その中の1枚の写真に、強烈にひきつけられた。というか、目が釘付けになった。 その写真というのは、裸の女性が上半身を縄で縛られて、豊満な乳房を上下から締め付けられて、乳房は飛び出るように絞り出されている・・・というモノで、当時の僕にとっては強烈なインパクトだった・・・こんな世界があるんだ・・・これ以上の性的刺激は考えられない・・・この瞬間に、僕の新しい世界が開けた・・・ということになる。 僕の場合、その後、数十年の間に、多くのM(マゾ)女性を縛りあげ、ムチ打ち、ローソクや浣腸などで、S(サディスト)として、(プレイ)を実践することになっていくが、その契機は、この天海堂書店で見た「奇譚クラブ」だったのだ。
2020.02.06
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僕のヰタ・セクスアリス ⑤ (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 僕のヰタ・セクスアリス (性欲的生活)は、受験戦争のために、大きな抑圧を受けたが、にもかかわらず、身体の深奥から湧き上がる性欲自体を抑え込むことは不可能だった。 実際には、学校内では、性的に無関心を装い、勉学では、学校・学習塾・自宅での受験勉強に明け暮れているのが、(建て前)であったが・・・そんなに勉強しなかった?? 越境通学1年目で、慣れない電車通学で、、阿倍野区のマンモス中学に通い出した。(1学年20クラス以上、学校全体で70近くのクラスがあり、教職員は100人以上在籍するマンモス進学校で、卒業時は、3年17組だった) 中学1年生・・・同じクラスに、気になる、可愛いい女の子が、2人ほど、目について、自宅で夜中に、彼女たちの恍惚としたヌードを想像して、イタズラにマスター ベーションにふけったものだ。性的妄想ばかりが(発達)したが、所詮(高嶺の花)ということで、マスター ベーションでの憂さ晴らし。マスター ベーションは、病みつきになる。 中学2年生・・・河出書房の世界文学全集を読み漁った。そんな乱読ができるほど、勉強をサボっていたともいえる。「戦争と平和」(トルストイ)、「怒りのブドウ」「ジャンクリストフ」「凱旋門」「風と共に去りぬ」「ジェーン・エア」その他40冊近く乱読して、その文脈で、(性愛)についても、学ぶことになる。この乱読は、大きかった。 中学3年生・・・忘れることのできない(片思い)を経験した。同じクラス内で、(夜も眠れぬぐらい思い焦がれる)女の子がいた。奥手の僕には、手の届かない(高嶺の花)で、遠くから、ひっそりと眺めるだけで、幸せだった。不思議なことに(性的妄想)とは、別次元の存在だったが・・・これも、僕にとっては、大きな出来事だった。 高校1年生・・・硬式テニスクラブの部活動に振り回されて、特記はない。中学3年のクラスの同窓会が、何回か、開かれて、(あの子)に会うことだけが、生きがいだった。そう、遠くから見ることができるだけでうれしかった・・・幸せと不幸・・・という運命を感じたものだ。 高校2年生・・・ブログに書いたように、大きな価値観の転換のあった年だ。 (戦争と平和)(民主主義)(人権)(ヒューマニズム)についての新鮮な認識と向き合うことで、自身の(生きがい)(生き方)を変換する契機を得た。 ただ・・・(反戦平和)とか(人権擁護)、(民主主義擁護)とかのスローガンの下、(変革)とか(社会主義)という言葉が乱れ飛ぶ中で、(男女交際などは、このご時世、もってのほか)という・・・・戦前の(欲しがりません、勝つまでは)というスローガンにも匹敵するような、硬派の意識が、僕の中に芽生えたことは、確かだ。 高校3年生・・・大学受験勉強を気に懸けながら、ひたすら運動(殉教の道)に突き進む1年だったが、受験志望校も、1ランク下げて、阪大をスルー、大阪市大に進学する。 市大1年~ 学生運動の活動家たちは、70年安保闘争を前にして、殺気だっていたように思えたし、男女交際などのイチャイチャは、軟弱だ・・・という雰囲気もあった。しかし、実際のところ、学生層は、硬派=運動家と 軟弱派(無関心派)と 2分化していた。戦術の過激化と内ゲバで、主導権争いを繰り返していた学生運動は、次第に孤立化していく。 極めつけは、あの連合赤軍の(山岳アジト事件)(あさま山荘事件)で、総体として、学生運動は崩壊した。 (革命)に命を捧げる・・・という言葉は、聞こえは良いが、殉教者を増やす以外の何物でもないのだが・・・当時の学生運動内では、職業革命家になることに憧れを持つ者も現れて、実際、(悲しいかな)地獄の道を歩んだ学生たちも多かった。 学生運動家のすべてが、そうだというのではないが、僕の場合は、(殉教者)的意識が、優勢だったということだ。 しかし、(大学紛争終結?後、多くのヘルメットの連中が、(僕は関係なかったよ・・・)とばかりに、恥ずかしげも無く、平然と、日常性の中に埋没していったこと、エリートコースの中に溶け込んで行こうとした事例が、ヤマのようにあったことを考えると、いかに若者とはいえ、その無責任性には、呆れるばかりだ。
2020.02.05
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僕のヰタ・セクスアリス ④ ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する (精通)について 小学校の5年生ごろ?に、(精通)があったように思う。ということは、それよりかなり以前から、自慰=マス(マスター ベーション)が始まったということだ。 小学3~4年生あたりから、異性を意識するようになったのは確かで、たぶん小学4年生あたりから自慰(マス)が、始まったのではないか❓ 個人差はあるが、マスター ベーションの快感を覚えたら、誰でも(やみつき)になるのが、自然な成長だ。5年生ごろ(たぶん)、自宅の2段ベッドの中で、マスの最中に、身体が異常反応して、ペニスが、(自分の意思とは関係なく)勝手に脈動をはじめ、それとともに、大量の精 液を吹き上げ始めて、僕は、身体の異変に、びっくり仰天したモノだ。これが、(精通)だ。世界が、ひっくり返ったような、強烈な印象を持ったものだ。 (精通)の事などは、誰も教えてくれなかったし、こんな(秘め事)っぽい事柄を 家族も含めて誰にも打ち明けたり、相談したりすることなど考えられなかった。 もとより、そのころは、性教育なんてものは皆無で、エッチな知識は、通勤電車の中で サラリーマンたちが買い読みするスポーツ新聞に女性ヌードが載っているのを興味深く、よく見ていたことを覚えている。(中学から電車通学だった) 中学校の美術教科書には、ラファエロなどのヌード画が載っていて、とても刺激的だった。(芸術)の名のもとに、これらの裸婦画がかくも性的刺激をもたらしたことは、僕には衝撃的だったし、何度も(穴の開くぐらい?)見つめ続けたものだった。 母の購読していた(婦人生活)という雑誌にも、エッチな小説も、少し掲載されていて、、 マスター ベーションの材料(=オナネタ)になったものだ。 小学6年生?の、ある日、学年女子全員が、講堂に集められて、(何かの指導?)があったのを覚えている。多分、今から思うに、女性の生理などの初歩の知識?(性教育)がなされたのだろう・・・今から、60年も前の事だから・・・たぶん時代遅れの内容であっただろうことは、容易に想像できるが・・・講堂から戻ってきた女子たちは、僕たち男子には、(何事も無かったように)一言もしゃべることは無かった・・・ 中学時代は、電車通学(越境)だったが、電車内で、大変困ったことがあった。フツフツと身体の奥から湧き上がる、得体の知れない(勃 起現象)だ。女子高生や通勤女性を見れば・・・意識しなくても、視覚的に刺激を感じて、ペニスが(意思に反して)勃 起を始める。それが・・・止まらない!!!! しまいには、電車内に乗り込むだけで、勃 起が始まった。自分の力では、どうしようもない(男の生理)に、僕は、慌てふためくしかなかった。どうしたか・・・・必死に通学カバンで、前の股間部分を覆って、隠そうとしたものだ。 おそらく、15~17歳あたりの成長期の男性(おそらく女性も)は、身体の発達とともに、性的発達も、著しかったのだと思う。(当時の僕たちの通学カバンは、ランドセル状でなく、通勤者が良く持っていた、片手持ちのカバンだった)
2020.02.04
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僕のヰタ・セクスアリス ③ ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 僕が、少年期にマスター ベーションを覚えてから、今の今まで、ほとんど毎日、これを欠かせたことは無いぐらい、お世話になっている。よく思うのだが、マスター ベーションにより、精神的安寧を得られているような気がしている。もっと言えば、(ストレスの解消)に大いに効果があるのではないだろうか? 女性のマスター ベーションの事は、よくわからないが、男性の場合、性器(ペニス)が突起状であるので、手で握りやすいので、容易にマスター ベーションに入ることができる。夜、寝るためにフトンに入ると、必ず性器に手が伸びるし、それで、しばしの時間、精神を安定させ、心を落ち着かせる。自然な眠りにイザナウためにも、このルーテイーンは、、欠かせない。 昔、よくマスター ベーション(手淫と言ったか?)は、身体に良くないと言われたものだが、とんでもない・・・・精神的な安定、ストレス解消に、欠かせないものだというのが、今の僕の認識だ。受験勉強のストレスなどは、今から思えば相当なものだったと考える。マスター ベーションは、その青春の成長期にあっては、無くてはならないモノであった。 性欲は、思春期には、特に激しく高揚し、(発情)という表現がふさわしい思う。マスター ベーションにより、精巣に溜まり続けた精 液を体外に排出する行為は、ごくごく自然な営みだ。マスター ベーションに(性的快感)を伴うのは、不思議な疑問だが、人間は、自然の営みの中で、(性的快感)を求めて、マスター ベーションに導かれる。 男性にとっては、直接的な性 行為であれ、マスター ベーションであれ、生理的に欠かせない。(女性の場合、どうなんだろう?排出するものは無いが・・・?) それが、社会的には、婚姻、不倫、愛人、浮気、強 姦(レイプ)、ホモ、風俗・・・・といった現象として、出現する。 性的欲望は、生存する限り、万人に湧き上がり、その欲望を満たすために(=性的快感を得るために)人々は行動する。(子孫の存続・繁栄)などを考えるために行動するのではない。 そのような生理的な欲望を、一夫一婦制に閉じ込めようとした婚姻制度に(異議あり)と上野千鶴子氏は、主張した。今の婚姻制度が、誰のための制度なのか?ということだろう。 「人はなぜ不倫するのか」というャーナリストの亀山早苗さんの質問に、上野氏は、「人はなぜ不倫せずにいられるのか? 私は不倫しないでいられる、ということのほうが理解できない。」と答えているが、僕も、そう思う。性的欲望を、政治的に縛り付けることの不合理、支配者の統治利用のための婚姻制度には異議を主張するしかない。 人間が動物である限り、異性に対する自然な関心は尽きることは無いだろうし、最初に述べたように「(夫婦)なるものは、(妥協の産物)に過ぎない。」のであるから、長所・短所を併せ持つ人間同士の多様な関わり方が、本来あるべきだと思っている。 よく、マスコミなどで、著名人・有名人たちの不倫報道、愛人報道がにぎやかに騒がれるが、この同調圧力は、経済的格差のなせる業では、無いのか? 資産の限られた庶民には、有名人たちのような美人やイケメンと関わることは、基本的には不可能だ。 しかし、庶民の間でも、婚姻は認めながらも、不倫、愛人、浮気、強 姦(レイプ)、ホモ、風俗・・・は、堂々と半ば公然と行なわれており、ただマスコミにはリークされないだけの事だ。 すなわち、人間は動物の一員であり、そこから逃げ出すことはできない、その自然の営みの中で、性的欲望を発散させることになる・・・
2020.02.03
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僕のヰタ・セクスアリス ② (はんぺん) ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 僕が、マスター ベーションを始めたのは、何時頃からだったのだろうか? はっきりした記憶は、当然ながら無い。たぶん小学5年生ごろだったのではないか? 僕のヰタセクスアリスは、マスター ベーションから始まった。若いころは、加齢とともに、性欲は減衰し、(枯れていくモノ)とよく言われていたように記憶しているが・・・現実はそうではない。僕の場合、70を越えた現在でも、性欲は、(枯れる)ことなく、しっかりと息づいていて、ほとんど、毎日、お世話になっている。 これは、想定外の吉報であり、人生を希望に満ちたものにしてくれる。 マスター ベーションによって性欲をコントロールすることで、自身の肉体的、精神的安定を得ることができる・・・と言われるマスター ベーションは、(やりすぎると脳や身体に悪い)(頭が悪くなる)という間違った情報が、飛び交った時期もあったが、その後は、医学的に全否定されて、久しい。 マスター ベーションは、視覚的に性的刺激を受けた情報が、脳に伝達され、脳は、性器に性的反応(勃 起など)を指令して、射 精(性的満足)を促す行動指令を出す。それは、射 精により、終了する・・・・という感じだろうか? 性的刺激は、視覚的なモノから始まるのだろうが、やがて、その刺激は、不断に脳の中で再生される。 条件反射的に、脳内で(妄想)として?再生産されて、マスター ベーションを繰り返すことができるようになる。僕の場合、もっとも性欲が強かったのは、たぶん中学2年ごろから、大学時代のころだったと思うが、多い時には、1日に、7~8回ほどは、実行していたと思う。 射 精の快感を覚えたら、病みつきになるのが当たり前のことで、誰にも迷惑をかけることは無いので、なにもすることがない暇なときにも気づいたらしていた。ちょうど、受験勉強の時代と重なるが、モヤモヤして勉強に集中できなくなる時は、まず、マスター ベーションをし、射 精して、すっきりしてから、勉強に取り組んだことも。 マスター ベーションは、“自分自身でする性的行為”、つまり、性器やからだを自分で刺激して、気持ちよくなるということで、性器に手を添えて摩擦するのが、マスター ベーションの基本だが、次第に強い刺激を求めて行くようになる。人間の欲望は果てしないものだと、この時期を振り返ってみて、強く思う。 身体の成長とともに、思春期には、男性のペニスの成長も急速になる。陰 毛の出現は、大人への切符のようなものか? 驚くべき変化で、誰にも公然とは言えない事柄であり、秘密を抱え込んだ(悩み多き青年)の出現だ。異性への関心も、小学高学年のころから、少しづつ始まっていく。 将来の自分が、どうなるかもわからない少年が、不安と期待の入り混じった複雑な精神状況の中で、成長を続けることになる。その当時、(性教育)等の必要性などの認識は、社会には、無かったから。
2020.02.02
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僕のヰタ・セクスアリス① (はんぺん) (人生総括の一部・数回予定) ・・・ラテン語で(ヰタ・セクスアリス)は、性欲的生活を意味する 人は、長い人生を生きていく中で、様々な(顔)を持つ。その人間を理解することは、その様々な(顔)を知ることから始まるが、全部を知ること・・・そんなことは不可能に決まっている。ということで、たとえ、配偶者であっても、お互いを完全に理解することなどは、不可能。 それを前提として、例えば(夫婦関係)なども存在する。つまりは、(夫婦)なるものは、(妥協の産物)に過ぎない。 以前、このブログで紹介したが、リベラル派の上野千鶴子氏(東大教授)の結婚の定義とは、「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」。 非常に、納得のいく説明で、その通りだろう。上野氏も、これまで(独身)だが、「性的パートナーには、不自由していない」と、別のところで書いている。 彼女の自由奔放な姿勢は、リベラルの心意気を遺憾なく発揮しているということだ。 上野氏の「不倫しないでいられる、ということのほうが理解できない。」と喝破する気概を、他の(反省する勇気)を持たないリベラルたちに、ぜひ見習ってほしいのだが!! そもそも、多面性を併せ持つ人間(異性)が、その一面を見て好ましく思うことがあっても、彼(彼女)に無い別の一面を持つ、別の男性にも好ましく思えることがあっても、ごくごく自然ではないだろうか? (結婚)という制度に、人間(動物)を押し込めようとする社会が・・・いったい誰が作って、誰にとって都合の良い制度なのか? じっくり考えるべきだろう・・・ (参考)一夫一婦制(ウイキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%A4%AB%E4%B8%80%E5%A9%A6%E5%88%B6 歴史的には、母系社会、父系社会、多妻多夫性、一夫多妻制、一妻多夫制・・・と、いろいろ存在した。一夫一婦制は、人類の富の蓄積と、それを誰が所有するのか・・・という社会発展が進む中で、作り上げられてきた一つの結論ではあるが、そのルール(制度)が、人間的であるかどうか?は、また、別の問題だ。 ここまでは、前置で・・・・ 僕自身が、人生総括を進める中で、それでは、僕という人間は、いったい、どんな顔を持っていたのか?ということになる。 僕の(人間嫌い)は、間違いないが、性格の事では無く、言動について考察してみれば、僕には、だいたい3つの(顔)が、あったように思える。自身の言なので、たぶんそうだろう。 1つは、「社会・政治運動」とのかかわりの(顔) 2、もう一つは、比較的にオープンしづらい傾向のある「性」とのかかわりの(顔) 3つ目に「旅行」などの(好奇心・気休め・遊び趣味)にかかわる(あまり分析の要の無い顔) という感じか? 今回は、この2つ目の「僕の性」に関わる記述に、挑戦してみたい。
2020.02.01
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